2009年6月14日日曜日

*Walk About *Movie" Orion in the mid-Summer"

●徘徊(はいかい)心理(Walk About)

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私には、徘徊ぐせがある。
それに気づいたのは最近だが、
ほぼまちがいない。
私には、たしかに徘徊ぐせがある。

たとえば職場でいやなことがあったりすると、
私はそのまま道路に出て、家まで歩いて帰る。
ふだんは、自転車やバス、タクシーで帰る。
が、そういうときは、歩いて帰る。

といっても、急ぎ足で歩いても、1時間半はかかる。
ゆっくり歩けば、2時間以上はかかる。
家に帰ると、ワイフが、私にこう言って叱る。
「どうして電話してくれなかったの!」と。

しかし電話など、できるものではない。
電話する気にもならない。
私は歩くことで、悲しさやつらさを忘れる。
頭の中を、からっぽにすることができる。
それにそういうときというのは、本当のことを
言うと、家には帰りたくない。
どこかを、……とくに目的地はないが、ただ、
どこかをめざして、歩きたい。

当然、歩くと言っても、トボトボ……
という感じになる。
スタスタではない。
が、フラフラというほどでもない。
トボトボ……、である。
まっすぐ家路をめざすというよりは、気が向いた
ところで、角を曲がり、そのまま路地を歩く。

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●徘徊

 職を失った人が、失ったことは家族に話さないで、いつものように会社に
出かけるフリをするという話を、よく聞く。
ネクタイを締め、カバンをもって、家を出る。
しかし会社には行かない。
そのままどこかで時間をつぶす。
そして帰宅時刻になると、家路をめざす。
「ただいま!」と言って、家の中に入る。

 そういう話を聞くと、多くの人は、「どうしてそんなバカなことをするのか」と
思うかもしれない。
しかし私には、そういうことをする人の気持ちがよくわかる。
私も、同じような立場になったら、同じようにするだろう。
いつものようにネクタイを締め、カバンをもち、会社へ出かけるフリをする。
そしてどこかで時間をつぶして、その時刻になったら、家に帰る。

 そういう自分と、先に書いた徘徊ぐせと重ねあわせてみると、そこに徘徊する
老人の心理が浮かびあがってくる。
帰宅するときばかりではない。
家の中で何かいやなことがあると、私は家を出る。
飛び出すというような大げさな行為ではないが、家を出る。
そしてそのあたりを、トボトボと歩き回る。
もしそういうのを「徘徊」というのなら、徘徊ということになる。
で、そういう行動の延長線上に、痴呆老人の、あの徘徊があるとするなら、
徘徊する老人たちの心理が、私には痛いほど、よく理解できる。

 徘徊する老人たちは、背中に感ずる不安や心配から逃れたい。
歩けば、それから遠ざかることができると思う。
頭の中をからっぽにすることができる。
だから歩く。
が、けっして目的もなく、歩くわけではない。
歩くこと自体が、目的なのである。
歩くことによって、悲しみや苦しみを忘れることができる。
そこに何があるかわからないが、しかし、何かあるかもしれない
という期待が、心をなぐさめてくれる。
実際、歩いていると、それだけで気がまぎれる。

ワ「どうしてバスに乗って来なかったの?」
私「そういうのとは、ちがうよ」
ワ「タクシーだって、あるでしょ!」
私「そういうのとも、ちがうよ」
ワ「電話くらいしてくれればいいのに。迎えに行ったわよ」
私「そういうのとも、ちがうよ」と。

 私は老人になり、認知症か何かになったら、まちがいなく徘徊老人になるだろう。
今の今でさえ、徘徊ぐせがある。
何かいやなことがあると、そのまま外へ出てしまう。
出て、歩き出してしまう。

 が、しかし私が認知症か何かになって、徘徊するようになっても、
そのままにしておいてほしい。
歩きたいだけ、歩かせてほしい。
できればそうしてほしい。
……多分、無理だろうが……。


Hiroshi Hayashi++++++++June.09+++++++++はやし浩司

●映画『真夏のオリオン』

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私は潜水艦映画が、大好き。
閉所恐怖症だからこそ、潜水艦映画が、大好き。
潜水艦の出る映画は、ほとんどすべてを観てきた。

……ということで、今夜、映画『真夏のオリオン』を観てきた。
涙もろくなったせいもあるが、何か所で
涙がポロポロと出た。
が、だからといって、映画がよかったわけではない。
星は2つもむずかしいかなというところの、2つ。
★★(-)
理由がある。

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(1) 冒頭のシーンとラストのシーンで、元潜水艦の乗組員だった老人と、
若い女性が、会話を繰り返す。
そのセリフが不自然。
まるでよくできた作文を読んでいるかのよう。
だいたい、「こんなところで老人と若い女性が面会するだろうか?」と
思うような場所で、2人は、面会する。

(2) その若い女性だが、美しく見せたいという気持ちはよくわかる。
しかし化粧のしすぎ。
歩き方も、カメラを意識しすぎてか(?)、不自然。
ぎこちない。
つまり自然ぽさのないのが、日本映画の欠点。

(3) くだらない説教と、説明が多すぎる。
何も私たちは反戦映画を見に行ったわけではない。
また乗組員が何かの装置を操作するたびに、その説明がつづく。
さらに例によって例のごとく、俳優たちが、力みすぎ。
もう少し肩の力を抜いて、自然ぽく演技してほしかった。

(4) いわゆる「お涙ちょうだい」的な構成が、できすぎ。
一枚の楽譜が、乗組員の命を救ったというストーリーだが、どこか『一杯の
かけそば』風。
昔、『ビルマの竪琴』という映画があった。
『真夏のオリオン』を観ている最中、その映画を思い出した。

(5) エンディングで、「映画が終わった」と思って席を立ったところで、突然、
映画のおまけシーンが出てくる。
「せいこいことをするな」と、私は感じた。
やり方が、姑息。

 だから星は2つでもむずかしいかな……ということで、★★(-)。
日本映画よ、もっと「自然ぽさ」を追求せよ!
「映画というのはこういうものでござる」式の劇には、うんざり!
俳優が心底、その人物になりきって演技する。
映画のおもしろさは、そこから生まれる。
その原点を、もう一度、みなが確認してほしい。
(辛辣な批評で、ごめん!)

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