2009年6月25日木曜日

*Those Children who has mental disorders

【判断】(XX児の問題)

++++++++++++++++++++++

親のためか、それとも子どものためか。
ときとして私は、その板ばさみになって、もがく。
けっして、大げさな言い方ではない。
本当に、もがく。

++++++++++++++++++++++

●1本の電話

 ある日の午後、1本の電話がかかってきた。
受話器を取ると、女性の声で、こう言った。
「うちの子を、何としてもS小学校に入れたいのですが……」と。
そのため、私の教室で、指導してほしい、と。
1999年の春のことである。

 こういうケースのばあい、私は即、こう聞き返すことに
している。
「どなたかの紹介でしょうか?」と。
紹介者がいれば、それなりにていねいに応ずる。

「いえ、紹介ではありません。うわさをお聞きしました」
「はあ、うちは受験塾ではありませんが……」と。

 紹介があれば、その人から私の教室の内容を聞いているはず。
そのため、話もしやすい。
そうでなければ、そうでない。
小学校の受験だけを目的に来る生徒は、その場で断ることにしている。

 で、その母親は、娘(4歳児、年中児)を連れて、見学に来ることになった。

●年中児

 年長児と年中児。
その差はたったの1年だが、この時期の1年は、おとなの10年以上の差がある。
たいへん……というより、消耗するエネルギーの量がちがう。
年長児クラスなら、今でも2クラス、つづけて教えられる。
が、年中児クラスになると、1時間でヘトヘトになる。
猛烈に神経をつかう。

 言い換えると、年長児と年中児の月謝が同じというのは、おかしい。
割が合わない。
年中児のばあい、年長児の2倍の月謝でもよい。
3倍でもよい。
また、それくらいの価値はある。
皮肉なことに、小学生を教えるほうがはるかに楽。
中学生を教えるのは、もっと楽。
高校生ともなると、眠っていても、教えられる。

で、年長児になると、子どもも幼児後期から少年期へと移行する。
ある程度の「核」、つまり(つかみどころ)ができてくる。
が、年中児は、「自立」という意味で、たいへん重要な時期である。
子どもの性格そのものを、いじることができる。
わかりやすく言えば、私が意図した通りの子どもに仕上げることができる。

●参観

 その日まで、その子どものことは忘れていた。
ワイフに言って、案内書は送った。
が、名前も忘れていた。

 が、その日、やや遅れて、その子どもが教室へ入ってきた。
名前を、Gさん(年中児)と言った。
レッスンは、すでに始まっていた。
最初の緊張感が和らぎ、子どもたちがそろそろ私のリズムに乗ろうとした、
そのときだった。
私はワイフを促し、Gさんを、席に着かせようとした。

 が、様子がふつうではなかった。
母親のそばを離れなかった。
表情も硬かった。
その瞬間、私は、Gさんが、場面XX児と判断した。

● 場面XX児

場面XX児というのは、よく知られた情緒障害児をいう。
家の中や、家族とは、ふつうの会話ができる。
むしろ騒がしいほど、よくしゃべったりする。
が、ひとたび環境(=場面)が変わると、まるで貝殻を閉ざしたかのように、
口を閉じてしまう。

 こうした症状に合わせて、視線を合わせない、体をこわばらせる、視線をはずす、
などの症状が出てくる。
(視線をこちらに向けたまま、動かさない子どももいる。)
が、最大の症状は、心(情意)と、表情が、遊離すること。
怒っているはずなのに、無表情のままか、ニタニタと意味のわからない笑みを
浮かべたりする。

 私はほかの子どもたちを、思いっきり笑わせてみた。
Gさんもつられて笑えばよし。
笑わないまでも、表情を和らげれば、それでよし。
それを目ろんだ。
子どもたちを笑わせるのは、私の得意芸。
「笑えば、子どもは伸びる」が、私の教育の柱にもなっている。

 で、みながゲラゲラと笑っているときも、Gさんは、無表情のままだった。
さらにみながゲラゲラと笑っているときも、表情は変わらなかった。
じっと私を見つめているようだったが、笑わなかった。
が、笑っていないわけではない。
心は笑っていた。
が、それが表情となって、外に出てこなかった。
それがxx児の特徴でもある。

●診断権

 私はドクターではない。
そのため診断権がない。
だから子どもを診断し、診断名を告げることはできない。
しかしXX児かどうかは、数分も観察すれば、わかる。
その瞬間にわかる。
XX児という言葉さえない時代から、私はXX児を指導してきている。
その数、何10例?
あるいはもっと多いかもしれない。
100~200人と言っても、よい。
ある時期(30代のはじめ)は、そういう子どもたちばかりを教えていたことも
ある。

 XX児という言葉がポピュラーになったのは、そのあとのこと。
が、治す方法がないわけではない。
笑わせる。
大声で笑わせる。
その渦の中に、子どもを巻き込んでしまう。
程度の差こそあるが、軽い場合には、そのまま治ってしまう。
「治す」という言葉は、おおっぴらに使えないが、しかし治ってしまう。

●苦闘

 私はGさんを笑わせようと、苦闘した。
まずほかの子どもたちを笑わせ、その笑いをどんどんと大きくしていく。
そしてその笑いの渦の中に、Gさんを巻き込んでいく。

 ときどき横視現象も見られた。
視線をそらすので、そういうときは、布でできたボールを投げ、キャッチボールをする。
この方法は、集中力の欠ける子どもにも、有効である。
ボールが飛んできたとたん、子どもは、はっと我に返る。

 Gさんにも、2度ほど、ボールを投げてみた。
Gさんは、1度は、無表情のまま、ボールを手で取った。
が、もう1度は、横に座っていた母親が受け取って、私に投げ返した。
ほのぼのとした雰囲気だった。

 が、結局、1時間のレッスンの中で、Gさんは、笑わなかった。
一言もしゃべらなかった。
あとは根気との勝負である。

●幼児教育

 私は実のところ、そういう子どもを教えることのほうが、楽しい。
得意。
何も問題のない子どもを教えるよりは、教えがいがある。
「治った」ということになれば、その喜びも、また大きい。
実際、私はこの方法で、今まで、数えたことはないが、無数の子どもたちを治してきた。
(もちろん親たちの前で、「治す」とか「治した」という言葉を使ったことは、
一度もないが……。)

 私はGさんをながめながら、ムラムラと闘志が湧いてくるのを覚えた。
「治してやろう!」と思った。
「この子を治せるのは、私だけ」と思った。

 だからレッスンが終わったとき、母親にこう聞いた。
「Gさんの問題について、お気づきでしょうか?」と。

 そのとき母親の口から、「XX児」という言葉が出てくれば、話は簡単。
わかりやすい。
私はそれを期待した。
が、母親の答は意外なものだった。

「この子は、家の中ではふつうなのですが、幼稚園などでは、まったくしゃべり
ません。
保育園へ通っていたとき、先生が、たいへん神経質な先生で、こうなってしまい
ました」と。
「神経質な先生で、この子を頭から、抑えつけてしまったようです」とも言った。

 私は、「ハア~」と答えただけで、そのあと何も答えられなくなってしまった。
で、そのあと、母親は、私にこう言った。
「実は、私もS小学校の出身なのです。だから娘には、どうしてもあの小学校へ
入ってもらわねばなりません」と。

●障害児

 障害児といっても、それは子どもの責任ではない。
親の責任でもない。
それぞれの障害児は、ある一定の割合で出現する。
だから障害児を見るときは、子どもだけを見てはいけない。
親を見てもいけない。
私たちみなが、社会全体の一員として、子どもをみる。
けっして、子どもや親を孤立させてはいけない。
みなが力を合わせて、そういう子どもを暖かい愛情で包む。

 が、重度のXX児ともなると、ふつう学級での指導は、実際問題として、難しい。
そこでこの浜松市でも、市内に拠点校というのを作って、そうした学校で集中的に
そういう子どもを集めて指導している。
「排除する」という発想ではない。
できるだけふつう学級で、ふつう児として学ばせ、プラス・アルファの教育を、
別教室でする。

●限界

 が、最近は、私は自分の体力の限界を感ずることが多くなった。
このタイプの子どもの指導には、体力が必要。
一瞬たりとも、息が抜けない。
緊張の連続。
先ほど、ヘトヘトになると書いたが、ヘトヘト以上のヘトヘトになる。
レッスンが終わったとたん、ヘナヘナと椅子に座り込んでしまうこともある。
それくらい、エネルギーを消耗する。

 が、それを支えてくれるのが、家族ということなる。
Gさんのケースでも、母親が、Gさんの障害について自覚し、その上で私に……、
ということであれば、私も喜んで指導を引き受けただろう。
しかしGさんの母親は、まったくの無知。
無理解。
こういうケースのばあい、指導はたいへん難しい。
理由というより、これにまたその一方で、苦い経験が山のようにある。

●「萎縮させてしまった」

 たいてい数か月もすると、親が子どもの手を引いてやめていく。
「この教室は、効果がなかった!」と。
こんなことがあった。

 A君(年長男児)も、そのXX児だった。
で、何とかA君にしゃべらせようとがんばった。
その日もがんばった。
が、順に当てていっても、A君の番になった。
が、A君はしゃべらなかった。
ジリジリとした瞬間が重なった。
私はあれこれ誘導しながら、何とかA君にしゃべらせようとした。
しかしA君は、意味不明の笑みを浮かべ、口を閉ざしたままだった。

 で、ころあいを見計らって、私はこう言った。
「今日は、調子が悪いんだね」と。
そしてそのまま次の席に座っている子どもに、発言させようとしたその瞬間、
母親のほうがキレた。
「うちの子は、どこも悪くありません!」「A!、帰るのよ!」と、大声で怒鳴って、
そのままA君の手をつかむと、部屋から出て行ってしまった。

 さらにこんなこともあった。
B子さん(年長女児)も、そのXX児だった。
が、B子さんは、口数は少なかったが、それなりに教室の中では楽しそうに
レッスンを受けていた。

 が、ある日突然、父親から電話がかかってきた。
こう言って、怒鳴った。
「お前は、子どもを伸ばすと言いながら、うちの娘を萎縮させてしまった。
どうしてくれる。責任を取ってもらう!」と。

 私は気がつかなかったが、その日は、B子さんの父親が参観に来ていた。
自分の娘がしゃべらないのは、私の指導の仕方が原因と、その父親は考えた……らしい。

●「家で相談してきます」

 だから……。大切なのは、親の理解と協力ということになる。
それがないと、XX児の指導はできない。
またそのために、どこかの専門の機関で、一度、診断名をしっかりとつけてもらう
必要がある。
またそれがどういう障害なのか、しっかりと知ってもらう必要がある。

 その上での指導なら、できる。
が、それがないと、できない。
私は迷った。
「引き受けるべきか、どうか」と。
母親は、「何として、S小学校に」と言っている。
しかしGさんの母親が、私の心を、無残にも叩きつぶしてしまった。
レッスンが終わると、私にこう言った。

「家に帰って、この教室に入会するかどうか、話し合ってきます」と。

 こういう場面で、「この教室へ入れていただけますか?」とか、
「引き受けていただけますか?」と聞く親は、まず、いない。
だからといって、親を責めているのではない。
今は、そういう時代である。
どの親も、「入ってやる」という態度で、私の教室へやってくる。
それはそれでしかたのないことかもしれない。
ここにも書いたように、「今は、そういう時代である」。

●販売拒否?

 が、ここでも問題が起きる。
親のほうは、入会するかどうかは、親の意思だけで決まると思っている。
教育を、自動販売機のように考えている人は多い。
「お金を出してやるから、教えろ」と。

 そうかもしれないが、それをあまり露骨に言われると、教えたいと思う
気持ちは半減する。

 さらにこちらから入会を断わったりすると、デパートで販売拒否にでも
あったかのように、最近の親たちは、怒る。
「どうしてうちの子は入れてもらえないのか」
「理由を言ってほしい」と。

 公立の学校にすら、入学試験というのがある。
私立幼稚園にしても、平均して、年間1億円以上の補助金を受けている(S県)。
が、親たちは、私のような者がそれをするのを許してくれない。

 翌日、私はGさんの家に電話を入れた。
そしてていねいに、こう言った。
「実は、またおいでねとは言いましたが、私の体力的な問題もあり、今回は
お引き受けいたしかねますので、ごめんなさい」と。

 本当はその前に、Gさんの母親が、こう言うのを期待していた。
「娘と相談してみましたが、今回は、入会を見合わせます」と。
しかしGさんの母親は、「娘が喜んでいる」「来週から行きます」と言った。
それで私としては、断わるよりほかになかった。

 で、案の定というか、今まで何度もあったように、Gさんの母親はそのまま
激怒。
声を荒げて、こう怒鳴った。
「理由を言ってください!」「理由を言ってもらわなければ、納得できません!」と。

 私はただ「体力的に自信がありませんから……」を、繰り返すしかなかった。

●方法

 今では、各地域に発達相談センターのようなものがある。
自分の子どもで、(ふつうでない面)を見つけたら、そこで相談するとよい。
子どもの世界では、『無知は罪悪』と考えてよい。
小さな殻(から)にこもってはいけない。

 そしてそこで自分の子どものもつ障害を、冷静に見つること。
先ほども書いたように、だからといって、それは子どもの責任ではない。
親の責任でもない。
社会全体の問題である。
社会全体がともに考え、負担すべき問題である。
けっして、子どもを追いつめてはいけない。
親を追いつめてはいけない。

 ただ無知なままだと、不適切な指導が、かえって子どもを悪い方向に
追いやってしまうことがある。
症状をこじらせてしまう。
だから『無知は罪悪』ということになる。

 Gさんの母親は、電話口の向こうで、電話を切る寸前まで、怒っていた。
一方、私は「すみません」「すみません」だけを繰り返した。
とても残念な事件だったが……。

 その後、Gさんがどうなったかは知らない。
が、似たような事件は、そのあとだけでも、数例あった。

(以上、ここに書いたことは、いくつかの話を混ぜて作った、フィクションです。
ある特定に親子について、書いたものではありません。
また最近、あった事件でもありません。
遠い昔あった事件を思い起こしながら、ひとつのストーリーとして
まとめてみました。
どうか誤解のないように!)

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
かん黙児 場面かん黙児 緘黙 緘黙児の指導)

++++++++++++++++++++

2年前(07年)の7月にも同じような
原稿を書いていました。
それをそのまま紹介します。
文章が稚拙ですが、そのまま載せます。

++++++++++++++++++++

●無知、無理解、無学

子育てで、何がこわいかと言って、無知(=親にその知識がない)、無理解(=子どもの
症状について、理解しようとしない)、無学(=親に学ぶ姿勢がない)の3つほど、こわ
いものはない。

 私はドクターではないから、診断名をくだすことはできない。しかしその子どもに、ど
んな障害があるかは、会ったその瞬間に、ある程度わかる。が、それを口に出すことはで
きない。わかっていても、知らぬフリをする。そんなときは、そのため、それとなく、親
に、さぐりを入れる。

 が、そういう親にかぎって、無知、無理解、無学。(失礼!)「できるだけ、避けて通り
たい」という親の気持ちも、理解できないわけではない。「たとえその疑いはあっても、信
じたくない」という親の気持ちも、理解できないわけではない。親としても、つらい。悲
しい。それはよくわかる。

たとえば7、8年前になるが、1人の女の子(小2)がいた。Hさんという名前の女の子
だった。場面かん黙児だった。最初、父親に連れられて私の教室にやってきた。が、父
親は、自分の娘のことを、何も気づいていなかった。

 その日は、何とか、やり過ごした。が、つぎのときには、今度は母親に連れられてやっ
てきた。私は、それとなくさぐりを入れた。(さぐり)というのは、親がどの程度まで、自
分の子どもの問題点を理解しているか、それを知ることをいう。が、何を聞いても、即座
に返ってくるのは、反論ばかり。

私「静かなお子さんですね」
母「家では、ふつうにしゃべります」
私「学校では、どうですか?」
母「友だちとなら、会話できます。しかし、おとなが苦手です」
私「学校の教室では、どんな様子ですか?」
母「しゃべりません。とくに先生との相性が悪いようです」

私「幼児期に、どこかへ相談なさったことがありますか」
母「問題は、ありません。生まれつき、外では、静かな子どもです」
私「外で静かだということにお気づきになったのは、いつですか?」
母「言葉の発達が遅れたからです」
私「遅れたというのは……?」
母「今は、問題、ありません」と。

 その女の子には、かん黙児特有の、(遊離)が見られた。顔の表情と、心の状態(情意)
が不一致した状態をいう。いつもニンマリというか、ニコニコというか、意味のわからな
い笑みを浮かべていた。いやがっているはずのときも、怒っているはずのときも、意味の
わからない笑みを浮かべていた。同じかん黙児でも、こうした遊離が見られたら、(程度に
もよるが……)、症状は重いとみる。あるいは、すでに症状がこじれてしまっているとみる。

 もっと早い段階、たとえば3、4歳ごろにそれに気づき、適切な対処をしていれば、あ
る程度、遊離を防げたかもしれない。軽くすますことができたかもしれない。しかしそれ
は(過去)の話。教育の世界では、(今、そこにある現実)を原点に、ものを考える。親の
過去を責めても、意味はない。

 私はさらにさぐりを入れた。入れながら、親の口から、「かん黙」という言葉が出てくる
のを待った。しかし最後まで、その言葉は出てこなかった。ほんとうに無知なのか? そ
れとも隠しているのか? 私には判断できなかった。

 で、このタイプの子どもの指導のむずかしい点は、(1)集団に溶け込まないこと。(2)
心を開かないから、心の交流ができないこと。(3)ストレスを、内へ内へとためやすいた
め、予期せぬ問題が、発生しやすいこと。そのときすでに、その女の子には、家庭内暴力
的な様子が、始まっていた。母親は、こう言った。

 「学校から帰ってくると、私に向かってはげしい暴力を振るうことがあります」と。

 つまり教える側からすると、腫れ物に触れるかのような、細心で、デリケートな指導が
必要となる。何を考えているか、わからない。それがつかめない。そのため教えるといっ
ても、まさに手さぐりの神経戦。ピンと張り詰めたような神経戦。それが一瞬、一秒とい
う単位でつづく。突然、キレて、暴れ出すこともある。若いときなら、神経戦もできるが、
当時すでに私は50歳を超えていた。神経戦は、つらい。

 が、何よりも大きな問題は、そういう問題がありながらも、親自身が、それに気がつい
ていないこと。気がついていれば、話もできる。指導もできる。が、そこにある問題から、
親が目をそらしてしまっているばあい、指導そのものができない。

またこのタイプの親は、やめるのも、早い。少しやってみて効果がないとわかると、(そ
んなに簡単に効果が現れるということはないのだが……)、「この教室はだめだ」という
ような判断をくだして、子どもの手を引っ張って、そのままやめてしまう。

 その女の子のばあいも、私は、こう言った。「簡単には、いきませんよ。1年とか、2年
とか、あるいはもっとかかるかもしれません」と。しかし母親は、こう反論した。「うちの
子は、慣れれば、だれとでも話をします。話をしないのは、慣れていないだけです」と。「と
にかく、教室へ置いてくれれば、それでいい」とも、言った。

 事実、その女の子は、そのあと数か月程度で、私の教室を去っていった。

 かん黙児……。その中でもとくに指導がむずかしいのは、場面かん黙児。親は、「家では
ふつうです」と、がんばる。子ども自身に問題があるとは、思っていない。だから、その
問題点に気づくこともない。

 だから私は、当時、こう書いた。「親の、無知、無理解、無学ほど、こわいものはない」
と。

(付記)

 かん黙児にかぎらず、情緒そのものに障害がある子どもは、けっして、無理をしてはい
けない。「直そう」とか、「治そう」と考えてはいけない。そういう子どもであることを認
めた上で、その子どもに合った指導をするのがよい。(親にそれを認めさせるまでが、たい
へんだが……。)あとは、時期を待つ。子ども自身がもつ自律能力を待つ。

かん黙児にしても、その年齢がくれば、何ごともなかったかのように、終わる。小3~
4年生を境に、症状は急速に改善する。(症状をこじらせれば、その時期は、ぐんと遅れる。あるいは、別の問題を引き起こす。)

 無知、無理解、無学が原因で、たいていの親は、無理をする。この無理が、こわい。「そ
んなはずはない」「うちの子に限って」と、子どもをはげしく叱ったりする。そのため症状
を、かえってこじらせてしまう。子ども自身が自分で立ちなおるのを、遅らせてしまう。

 そこで学校教育の場では、それとなく親に、学校医もしくは専門医の紹介をしたりする。
「一度、専門医に相談してみてはどうですか?」と。
幼稚園であれば、保健所(センター)などにある、「発達相談センター」を紹介したりする。

 こうした働きかけがあったら、親は、すなおにそれに応ずるのも、大切なことではない
だろうか。


Hiroshi Hayashi++++++++June09++++++++++はやし浩司

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。