2009年6月18日木曜日

*THINKING PROCESS OF MAN

【思考回路】(Thinking Process)

●思考回路

人間の行動の99%以上は、脳の中に
できあがった思考回路に沿ってなされる。

たとえばテーブルの上のリンゴをつかむとき、
それをどうつかむか、いちいち考えてする人はいない。
自然に手は動き、指はリンゴをつかむ。

同じように、今度はまったく新しいものを
つかむときも、それがはじめてのものであっても、
どうつかむか、それをいちいち考えてする人はいない。

脳の中に、すでに(つかむ)という動作について、
思考回路ができあがっているからである。

これは行動、動作に関する思考回路ということになるが、
同じように、思考、感情に関する思考回路もある。

たとえば何かのことで不愉快に思ったとする。
するとそれが何であれ、その人は自分の思考回路に
したがって、その問題を解決しようとする。
たとえば暴力団の人なら、(不愉快)→(暴力で
解決)というふうに、思考を肥大化するかもしれない。

が、ここで誤解してはいけないのは、思考がそのまま
行動につながるというわけではない。
(思考)→(感情の肥大化)と進み、それが臨界点を
超えたとき、(暴力)という行為につながっていく。

具体的に考えてみよう。

●感情の思考回路

たとえば、何かのことで不愉快になったとしよう。
近隣の人が、このところ何かとあなたの様子をうかがって
いる(?)。
あなたはそういう疑惑をもったとする。

するとそれまでにそういう思考回路ができている人は、
(疑惑)→(妄想)→(怒り)というように、感情を発展させていく。

そのとき、そういう思考回路のない人は、(疑惑)そのものを
もたない。
疑惑をもつということは、すでにそれ以前に、そうした思考回路
を作ってしまったということになる。
似たような経験があったというように考えてもよい。

たとえば子どものころ、仲間に意地悪をされたとか、など。
(筆箱がなくなった)→(だれかが隠した)→(いじめられた)と。

あとはその思考回路に従って、(怒り)を増大させる。
(暴力)という結果につながるかどうかは、あくまでも、
その結果、ということになる。

ただ暴力団の人は、(多分?)、暴力の使い方をよく知っているから、
即、「ぶん殴ってやれ!」というように考えるかもしれない。
私のばあいは、何か問題が起きるとすぐ、「文章を書いて解決
しよう」と考える。
それが思考回路ということになる。

●善玉思考回路vs悪玉思考回路

が、思考回路が悪いというのではない。
先に書いた、テーブルの上のリンゴをつかむときにしても、
思考回路ができあがっているため、それをスムーズにつかむことができる。
何も考えないで、つかむことができる。

思考にしても、そうだ。

大切なのは、どういう思考回路に沿って、ものごとを
考えるかということ。
そういう意味で、私は思考回路を、(1)善玉思考回路と、(2)悪玉思考回路
の2つに分けて考える。

(1) 善玉思考回路

たとえば目の前に大きな問題が立ちふさがったとする。
たとえば義父の介護問題が起きたとする。
要介護度は3だが、勝手に台所へ入ってきて、いろいろなものを
散らかしてしまう。
ときに居間で、おむつの間から、便を漏らしてしまうこともある。

そういう状況になったとき、介護者であるあなたは、
いろいろな対策を考える。
義父が部屋から出られないようにする。
が、それはかわいそうだから、床からジュータンを取り除く。
台所には、ものを置かない。
おむつは大きなものにする。
簡単な囲いを作って、大切なものにはさわらせないようにするという
方法もある。

こうしてあなたは自分の思考回路に従って行動する。
それを妄想として、肥大化させない。
こういうふうに、前向きにものごとを考えていく思考回路。
それが善玉思考回路ということになる。

(2)悪玉思考回路

これに対して、妄想をどんどんとふくらませていくケースもある。
「こんなことでは、この先、どうなるかわからない」
「床が便で汚れる」
「部屋に閉じ込めておくと、暴れるかもしれない」
「義兄や義姉がそれを見たら、義父を虐待していると騒ぐかもしれない」と。

こうした悪玉思考回路は、ある人には、ある。
ない人には、ない。
以前、同じような経験をして、いやな思いをした人ほど、そういう
悪玉思考回路はできやすい。
心の病気がからんでいるケースもある。
そこでその人は、(いやだ)→(妄想)→(怒り)と、
自分の感情を肥大化させてしまう。

わかりやすく言えば、そういう悪玉思考回路のある人は、
その思考回路に従って、妄想をもちやすく、またそれを肥大化
させやすいということ。

極端なケースかもしれないが、一度、そういったケースを、
暴力を使って解決したことがある人は、即、「暴力で……」と
いうように考えるかもしれない。

が、そうでない人は、そうでない。
「暴力」そのものを思いつかない。

●体罰

よく親の体罰は、子どもに世代連鎖しやすいと言われる。
それも、この悪玉思考回路によって、説明できる。
子どもは、親に体罰を受けることによって、(何か不満がある)
→(怒り)→(体罰)という思考回路を、自分の脳の中に
作ってしまう。

そのため、自分がおとなになり、結婚し、子どもをもうけたとき、
その思考回路に従って、子どもに体罰を加えるようになる。
(心理学の世界では、「学習」という言葉を使って、それを説明する。)

もっとわかりやすい例では、体育系の教師による体罰がある。
体育系の教師自身も、自分が子どものころ、そういう教育を受けた。
その教育を、無意識のまま、繰り返している(?)。
さらにそれ以前はいえば、戦前の軍国主義教育があったかもしれない。
日本軍の指導の仕方は、体罰一辺倒であった。
何があっても、体罰。
何を失敗しても、体罰。
それが体育系の教師の思考回路として、代々、引き継がれた(?)。

●善玉思考回路

大切なことは、悪玉思考回路はつくらないということ。
教育について言うなら、子どもには、もたせないということ。
一度、作られた思考回路は、消すことができない。
できなくはないかもしれないが、改めるのはたいへん。

そこで善玉思考回路について、説明してみる。

ある女の子(幼稚園・年長児)が、「私はおとなになったら、お花屋さんに
なりたい」と言ったとする。
そのとき親は、すかさず、こう言う。

「すてきだね。
だったら、今度の日曜日に、○○ガーデン・パークへ行ってみよう」
「図書館で、お花の図鑑を借りてこよう」
「庭に、花の種をまいてみよう」
「野菜もいいかもね」と。

こうして子どもの(思い)を、どう育てていくか、子どもにそのレールを
示してやる。
それがその子どもの思考回路となる。

ただ、思考回路に何が乗るかは、それは年代によって異なる。
幼稚園児のときは、お花屋さんであっても、小学生に
なると、パン屋さんになるかもしれない。
中学生になるころには、ファッションデザイナーになるかもしれない。
しかしそれが何であれ、つまり思考回路に乗るものが何であれ、
子どもは、その思考回路に従って、自分を前向きに
伸ばしていく。
それができるようになる。

まず、図書館へ行く。
そういう仲間に入る。
自分で、パンを作ってみる、など。
大切なのは、その上に何が乗るかではなく、善玉思考回路を
どう作るか、である。

●思考回路の転換

私たちの行動、思考は、そのほとんどが、自らの思考回路に
沿ってなされる。
一見複雑に見える、人間の行動や思考だが、それぞれの人は
自分の思考回路に従って、行動し、思考しているだけ。
冒頭に書いた「99%以上」というのは、そういう意味である。

そこで、こんなことも重要である。

先にも書いたように、思考回路というのは、一度できあがると、
それを改めるのは、たいへん。
たいへんというより、よほど何かのことがないと、改めるのは
不可能。

たとえば若いとき、親絶対教の信者になった人は、死ぬまで
親絶対教の信者のまま。
その思考回路に従って、ものを考え、行動する。
権威主義で、親風をビュービューと吹かす。
自分で、自分の親を絶対と思うのは、その人の勝手。
しかしその返す刀で、子どもに向かって、
「親に向かって、何てこと言う!」と怒鳴り散らす。
子どもにも、それを強要する。

が、これでは親子の断絶は、時間の問題。
……というより、子どもも、親絶対教の信者にならないかぎり、
まちがいなく親子の関係は、断絶する。

そこで自分の思考回路を、ときに疑い、ときに別の思考回路を
応用してみる。
これは日々の努力のみによって可能である。
しかも脳みそが硬直化し始めたら、遅い。
若ければ若いほど、よい。

……そこでためしに、今度テーブルの上にあるリンゴを手でつかむとき、
いつものやり方、つまり無意識のままつかむという方法ではなく、
別の方法でつかんでみたらどうだろう。

たとえば両手の人さし指だけで、つかんでみるとか、
口と片手を使って、つかんでみるとか、
さらに箸で、刺してそれをもちあげてみるとか、などなど。
いろいろな方法がある。

いろいろな方法で、自分の中の思考回路を、一度破壊してみる。
思考、感情の思考回路も、また同じ。
まずいのは、同じ思考回路に沿って、毎日同じ行動、同じ思考を繰り返すこと。
そういうことをすること自体が、すでにボケの始まりとみてよい。

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