2011年10月31日月曜日

*Are we Japanese?

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 彡彡人ミミ      彡彡彡彡彡
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q 0―0 MMMMM ∩ ∩ MM m
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凸/Σ▽乃q ・ ・ p ̄Σ▽乃 ̄` /
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 子育て最前線の育児論byはやし浩司     10月 31日号
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【小1児に、分数と分数の概念を教える】

●Active Learners(積極的に学ぶ子どもたち)

いつもにぎやかなクラスです。
で、今日は年間計画表に従い、分数と分数の概念を教えてみました。
で、結果は、ご覧の通りです。
ワイワイ騒いでいるうちに、何となく覚えてしまったようです。
このビデオで見ていただきたいことは、子どもたちの積極性です。
アメリカでは、「アクティブ・ラーナー(Active Learners)」という言葉をよく聞きます。
積極的に学ぶ子どもという意味です。
「1年生に分数!」と驚く人も多いかと思いますが、それこそ偏見と誤解です。
こういう教育をすると、ほとんどの人は、子どもが苦しんでいる……と誤解します。
が、そんなことはありません。
子どもたちの笑い声が、その答です。
それよりも子どもたちのもつ、可能性に注目してください。
子どもというのは、(足し算)→(引き算)→(繰り上がりのある足し算)→(繰り下がり
のある引き算)→……と教えるのがよいと思っている人も多いかと思います。
が、どうしてこの日本では、教育がかくも技術的なのでしょうか。
だからおもしろくない。
子どもたちがついてこない。
みな、算数嫌いになってしまう!
……ということで、私のところでは、世界でも類のない教育を実践しています。

(1)


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(3)


(4)



(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 分数の学習 分数の
概念 小学1年生に分数を教える Fractional Numbers Fraction)


Hiroshi Hayashi++++++Oct. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【日本人としてのルーツを大切に!】

●今どきの中学生(なぜ、今、私たちは日本人なのか?)

●錯視

 私の孫のSの写真を見て、中学生(中3女子)が、こう言った。
「まったくの白人ね」と。
そこで私は、こう言った。
「アメリカではね、だれが見ても、孫のSを見ると、アジア人(東洋人)と言うらしいよ」
と。
するとその中学生は、「ウッソー!」と。

 東洋的であるか、白人的であるかは、相対的なもの。
長く一方の世界に住んでいると、ほんのわずかなちがいが、大きなちがいになる。
「錯視」と言ってもよい。
同じ円でも、より大きな円に囲まれると、小さく見える。
より小さな円に囲まれると、大きく見える。

その中学生は、日本で生まれ育っている。
だから孫のSが、白人に見えるらしい。

 念のため、孫のSの写真をここに載せておく。

img7de5bb1bvs0hgw.jpg

●「私は欧米人」

 今でも「私は欧米人」と考えている子ども(小中学生)が多いのには、驚かされる。
理由を聞くと、「肌が白いから」と。
昨夜も、中学生たちと、そんな議論になった。
発端は、AKB48。
AKB48が、今度、外国でもプロデュース(?)されることになったという。

私「それはね、日光にそれだけ当たっていないからだよ」
子「そんなことはない。アジア人は、皆、黒い」
私「黒くないよ。マレーシアなんか行くと、ぞっとするほど美しい女性に出会う」
子「どうして……?」
私「血の交流を受けているからだよ」

子「血の交流って?」
私「そのつど歴史の中で、異邦人、つまり外国人の血が混ざっている。マレーシアのばあ
い、イギリス人の血が混ざっている」
子「外国人の血が混ざると、どうして美しくなるの?」
私「優性遺伝といってね、双方のよい遺伝子のみが伝わるからだよ」と。

●白い肌

 そこで私は、パソコンを開いた。
孫のSが、アメリカ人と並んで写っている写真はないかと、さがした。
1枚だけ、あった。

 それがつぎの写真。
孫のSが、幼稚園に通っているときのもの。

img1f92d05fzik5zj.jpg

 私はこの写真を見せながら言った。

「この写真を見れば、孫のSは、だれだって東洋人と思う。アメリカ人なら、即座にそれ
がわかる」と。

 孫のSも、ハーフだから、肌は白い。
胸などは透けるように白い。
それでもアジア人は、アジア人。
「白い」といっても、その白さがちがう。

私「つまりね、こういう議論そのものが、ナンセンス」
子「……?」
私「だからといって、日本人のほうが劣っているということではない。逆に、日本人のほ
うが、優性とか、白人のほうが優性とか、そんなことを論じても意味はない」
子「だってエ~。日本人は、中国人や韓国人とは、ちがうわ」
私「ちがわない。むしろ中国人や韓国人は、日本人を『下』、つまり劣等民族と思っている
よ」
子「そんなことはない! 日本人のほうが、かっこいい!」

私「ア~ア、今、血の交流の話をしただろ。日本人は、極東の島国で、長い間、その交流
を受けてこなかった。骨相学的にも、日本人は、世界でも、もっとも貧弱と言われている」
子「私、そんな話、信じない!」
私「信じないのは、君の勝手だけど、反対に世界の人とそんなことを論じても、かえって
笑われるだけだから、やめたほうがいい。つまりナンセンス」と。

●ナンセンス

 私はオーストラリアの大学にいたころ、身長では、下から2番目だった(IHカレッジ)。
日本では、ごくふつうの学生だった。
当時の私は、身長166・5センチ。
体重は、50キロ前後。

 とくに気になったのは、足の長さだった。
私の足は短く、ひざが飛び出て、O脚だった。
乳幼児期の栄養不足と、「正座する」という習慣が、そういう足にした。

 困ったのが、パンツ(ズボン)。
私に合うパンツなど、どこにもなかった。
だから私はいつも子ども用のパンツをさがし、買っていた。
だからというわけでもないが、「身長」に対するコンプレックスは、乗り越えることができ
た。
180~190センチもあるオーストラリア人を相手にしても、自分を小さな人間と思う
ようなことはない。
来週、私の家にやってくるD君にしても、195センチ。
D君にしても、私を小さな人間と思っていないはず。
私もこの40年間、一度も、それを気にしたことがない。

●ゆがんだ優位性

 「日本民族がすぐれた民族」と思うのは、その人の勝手。
どこの民族でも、自分たちが最高と思っている。
それはそれでよい。

 しかしその返す刀で、他民族を、「劣っている」と考えてはいけない。
そう思ったとたん、その民族は、外の世界にはじき飛ばされる。
とくに私たち日本人は、である。
言い換えると、どうして日本人だけが、こういう錯視をするようになってしまったかとい
うこと。

 これも教育のなせるわざなのか?
それとも伝統的意識によるものなのか?
それとも島国民族の悲しさによるものなのか?
20年ほど前のこと。
オーストラリアでこんな経験をした。

●アボリジニー

 オーストラリアの友人とメルボルン市内の通りを歩いていたときのこと。
向こう側から日本人の女性たちが、5~6人、集団でやってきた。
ああした通りで甲高い声で、キャッキャッと騒いでいるのは、たいてい日本人だった。

 その手前に、1人のアボリジニーの男性が、道ばたの石段に座り込んでいた。
それを日本人の女性が目ざとく見つけ、まるで獣(けもの)でも見つけたかのように、さ
らに大声で騒ぎ始めた。
なぜ大声で騒ぎ始めたのか、私にはその理由がよくわかった。
もの珍しそうにそのアボリジニーをながめたあと、(こうした行為そのものが、たいへん失
敬なことなのだが)、「ああ、気味悪い~」と。
日本語でそう言っていた。

 バカめ!
本当にバカめ!

 オーストラリアのアボリジニーは、アジア大陸から何派にわけて、移動してきた民族で
ある。
私が学生時代に学んだ記憶によれば、大きく4つの「派」があったという。
そのひとつは、日本人とルーツをともにする。
つまりあのアボリジニーは、日本人にはるかに近い民族である。
遺伝子学的には、そうである。
そうした事実も忘れて、「ギャーッ!」はない。

●化粧

 化粧に化粧を重ね、それこそ1枚、皮がめくれるほど化粧を重ねる。
その結果、日本の若い女性は、今に見る若い女性になった。
化粧を否定する者ではないが、世界的に見ても、日本人は、化粧のしすぎ。

 オーストラリア人などは、今でも、あまり化粧をしない。
当時のオーストラリア人は、ほとんどといってよいほど、化粧をしなかった。
しても口紅程度。
アジア人の女性は、素顔のまま。
とくに中国系の女性は、そうだった。

 だから当時の日本人は、たしかに美しく(?)見えた。
が、それでもって、遺伝子が変化したわけではない。
白人になったというわけではない。
その証拠に……というわけでもないが、……ということで、最後に私はその中学生にこう
話してやった。

私「もしそれがわからなければ、40代、50代の女性を見ればいい。もう化粧するのを、
あきらめたような女性だ」
子「日本人は、みんな、きれいよ」
私「きれいとか、きれいでないとか……そういうことではなく、客観的に見る。そのとき
アボリジニーの人たちと、どこがどうちがうか、比べてみればいい」と。

 で、私はネットでアボリジニーを検索してみた。
ウィキペディア百科事典に、1枚、写真が載っていた。
10人近い、アボリジニーの子どもたちが写っていた。
それをその中学生に見せた。

私「いいか、客観的な目で、日本人と比べてみればいい。みな、日本人より、顔が整って
いることがわかるはず」
子「……でも色が黒い……」
私「黒いのはしかたない。砂漠に住んでいるから。日本人でも農家の人は、みな、黒いよ」
子「でも、先生は、どうして日本人のことを、そんなに悪く言うの?」
私「言っていない。そういう議論そのものが、ナンセンスと言っている」と。

●日本人

 私がそれ以上に心配しているのは、日本人が「日本」を意識しなくなっていること。
その中学生も、話の途中で、何度もこう言った。

「ああ、私もハーフで生まれればよかった」とか、「フランスで生まれればよかった」と。

 10年ほど前だが、私にこう言った高校生がいた。
私が「ぼくたちは、戦後、ひもじい時代から、がんばってきた」と言ったときのこと。
「そんなの自業自得だ。ぼくもアメリカ人に生まれればよかった」と。

 それが最近は、国籍不明というか、「ネット人種」まで生まれてきた。
先週も、私が「ジョブズ氏(アップル社会長)」について、「時流に乗っただけ」と書いた
ときのこと。
「偉そうなことを言うなら、自分でやってみろ」(日本人)と。

 アップル社のホームパソコン(当時はそう呼んでいた)が、日本製のパソコンをつぎつ
ぎと駆逐していった。
1978~9年にかけてのことだった。

 当時、アメリカは国策として、電子計算機事業に力を入れ、日本にも繰り返し圧力を加
えてきた。
日本のBTRON(OS)がつぶされた背景にも、アメリカ政府の圧力があった。
結果、IBMは今に見るIBMになった。
当時の首相(田中角栄)には、それだけの知的能力はなかった。
土建業は土建業。
そういう流れを知っているから、「時流に乗っただけ」と書いた。

 行きすぎた国粋主義は危険。
しかしここまで無国籍人間がふえると、私は日本の将来を憂えずにはいられない。
今の若い人たちは、この先、平気で日本を捨てていく(?)。

●こだわり

 その中学生には言わなかったが、私が「日本」にこだわる、大きな理由がひとつある。
もし、このまま、(そんなことはありえなとしても)、日本が地球から消えてしまったら、
私が今、こうして書いている文章は、どうなるかということ。

 有名人の文章は残るかもしれない。
それこそ時流に乗った人の文章は残るかもしれない。
が、私が今、こうして書いている文章など、まっさきに消えてしまうだろう。
もしそうなったら、今、ここでこうしてモノを書いていること自体、無駄になってしまう。
今の私には、それほど恐ろしい話はない。

 いつかどこかで、たとえ100年後でも、私の書いている文章を読んでくれる人がいる
かもしれない。
そんな希望があるから、今、こうしてモノを書いている。

 そのためにも、私たち日本人は、しっかりと大地に、根を張らなければならない。
欧米人に「美」の基準を求め、顔をファウンデーションで白く塗りたくって、それでどう
なる?
どうする?
首から下は黄色?
話が混乱してきたが、それこそまさに自ら「根」を切るような行為。

 日本人は日本人。
私たちのルーツはそこにある。
そのルーツを忘れて、国際化はない。

 最後にその中学生にこう言った。

私「ぼくたちは恵まれた世界に生まれたんだよ。食べ物にだって、困ったことがない」
子「……」
私「君たちはそれを当たり前と思っているかもしれないが、今、世界の3分の1の人たちは飢餓状態にある。それを思ったら、感謝しなくちゃあ」
子「……」
私「日本人でよかった、とね」と。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 今どきの中学生 
2011/10/12記)


Hiroshi Hayashi++++++Oct. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【The Ocean(浜名湖弁天リゾート・ジ・オーシャン・ホテル)】

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

自転車でホテルへ向かう途中、
風景の写真を撮った。
それをYOUTUBEにUPした。
行程は、自宅のある浜松市西区の入野町から、ジ・オーシャンのある弁天島まで。



Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

++++++++++++++++++++

私は自転車で、向かった。
ワイフと息子は、車で向かった。
浜名湖弁天リゾート・ジ・オーシャン。

私は自転車で走りながら、写真を撮った。
自宅からジ・オーシャンまで。
今日はキャンペーン価格ということで、1泊2食つきで、1人、7050円。
(3人1部屋のばあい。)
この料金で文句を言う人はいない。
今までに泊まったホテルの中でも、最低料金ではないか。
というか、この料金を知ると、だれしも、「安かろう、悪かろう」と思うかもしれない。
しかしこのジ・オーシャンは、そうでない。

たとえばすぐ近くに、K楼という旅館がある。
何度か泊まったが、そこはたしかに「安かろう、悪かろう」。

ロビーに入ると、フロントの女性が、「10階のX号室ですよ」と声をかけてくれた。
「……露天風呂もできましたから」と。
先月泊まったとき、その話が出た。
それでその話を覚えていてくれた。

部屋に入ると、ワイフと息子がいた。
息子は雑誌を読んでいた。
ワイフは、ベッドに座って私を待っていた。
「今日は、強い向かい風でね」と言うと、「たいへんだったわね」と。

このホテルへは、ときどき自転車で来る。
運動をかねる。

近くにR・ホテルというのもある。
そのホテルも、よく利用させてもらう。
が、商売上手というか、いつも客でごった返している。
何でも静岡県で集客数、ナンバー1とか。
そんなわけで、最近は、もっぱら、このジ・オーシャン。
ほどよく大きく、ほどよく、こじんまりしている。
サービスもよい。
掃除も行き届いている。
料理は今夜は、バイキングとか。
私たちは小食派だから、それこそギョーザと白いご飯だけでもよい。

……たった今、温泉から戻ったところ。
温泉には私1人だけ。
気持ちよかった。

++++++++++++++++++++++++

●パソコン

 物欲を抑制すると、それ自体が強烈なストレッサーになる。
喫煙者がたばこを禁煙したり、アルコール中毒者が断酒したときと同じ反応が脳の中で起
こる。
だから物欲は、適当に発散させるのがよい。
がまんすればするほど、ストレスがたまる。

 で、私は今、TOSHIBAの新型パソコンがほしい。
TOSHIBAのDynabook(R631)。
世界最薄、最軽量。
この11月に発売になる。
ハードディスクはなく、OSはSDに収納される。
またこの先、クラウドが一般化する。
そのため「ノートパソコン」ではなく、これからは「ウルトラブック」と呼ぶ。
が、ここでちょっと待った!

 2012年には、WINDOW8が発売になる。
またインテルもCPU「Core-i」シリーズを刷新するとか。
今、この世界は目まぐるしく変化しつつある。
賢い人なら、2012年まで待つ。

 なおクラウドというのは、パソコン内に、ソフトやデータ(ファイル)などを置かない
で、そのつど必要なとき、サーバーからダウンロードして使う方式をいう。
こうすることによって、パソコンへの負担をかぎりなく軽くすることができる。

 私は、その賢い人なのだア!

●もうすぐ誕生日

 もうすぐ私の誕生日。
10月2x日。
たまたまその前後、オーストラリアの友人がやってくる。
「今日は私の誕生日」と言うと、おおげさになる。
友人は友人。
それとなくワイフとこっそりと祝う。

 一方、欧米人は誕生日を派手に祝う。
しかしその希望も消えた。
……というか、息子たちが子どものころは、我が家なりに息子たちの誕生日を、派手に祝
った。
それはどこの家も似たようなものだったと思う。
が、今は、メールだけ(?)。
6月にワイフの誕生日があった。
私が「息子たちから、祝いの言葉はあったか?」と聞くと、「メールでね」と。

 「そんなものかなあ……」と思ったところで、思考停止。
母親の誕生日に、メール1本!
それ以上のことを言えば、グチになる。
わかりやすく言えば、親の思いというのはいつも、一方通行。

私たちは、それを「よかれ」と思ってする。
しかしその大半は、子どもたちにとっては、「ありがた迷惑」?

 そのときもワイフはこう言った。
「みんなそれぞれ、元気でやってくれれば、それでいいのよ」と。
どこかさみしそうな言い方だった。

 私も、期待しない。
期待しない分だけ、息子や孫たちの誕生日に、気を使わない。
今や「家族崩壊」は、日本の流れ。
日本も世界の潮流に合流しつつある。
私ひとりだけ抵抗したところで、どうにもならない。

●夕食

 夕食は、星5つの★★★★★。
レストランは清潔。
安い料金の客なのだが、一流ホテルの客のように扱ってくれた。

 で、ここでのシステムは、ほかのホテルとは、少しちがう。
まずメインデイッシュとして、(カレー)(ステーキ)(ミックスフライ)の中から、ひとつ
選ぶ。
それをメインとして、そのほかの食材は、バイキング方式で選ぶ。
私たちはじゅうぶんすぎるほど、満足した。

●眠い

 今朝のことだった。
時刻は午前3時ごろ。
寝る前からその症状は出ていたが、偏頭痛が始まった。
が、「Z」という薬をのめば、治る。
それを知っていたから、痛いのをがまんし、ふとんの中で丸くなっていた。
が、一眠りして目を覚ますと、午前4時。
痛みはそのままだった。

 で、「Z」を半分に割ってのむ。
それで効かなければ、残り半分をのむ。
しかしたいてい、半分で症状は消える。
そんなことを考えながら、ぼんやりしていると、ワイフがそれに気づいて、「痛いの?」と。
「そう」と答えると、そのまましばらく後頭部をマッサージしてくれた。
が、何か申し訳なく、もう半錠を口に含んだ。
とたん、スーッと痛みが消えていくのが、自分でもよくわかった。

 「Z」は、週に2回以上はのまないように」と言われている。
すばらしい薬だが、それだけに副作用も大きい(?)。
ご存知の人も多いかと思うが、血管が緩んだようなとき、その血管が周囲の神経を圧迫す
る。
それが偏頭痛となる。
だから偏頭痛の薬というと、基本的には血管収縮薬ということになる。
ここからは私の素人判断だが、収縮させすぎると、今度は血管が閉塞する。
高血圧ぎみの人には、よくない(?)。
ドクターが、「週2回以上のまないように」というのは、そういう理由によるものかもしれ
ない。

●綿棒で、直腸検査

 少し前、近くの病院で、大腸検査を受けた。
結果はシロだった。
が、そのとき、つまりベッドで横になっているとき、私は新しい検査法を考えた。

 がんの2大特徴は、細胞の不規則な増殖と出血。
組織が破壊されるため、出血する。
だったら、こうすれば簡単に大腸検査ができるのでは?
(ここから先は、私という素人の意見だから、本気にしないように!)

 何も病院で検査を受ける必要はない。
肛門あたりに何かの軟膏を少し塗る。
これはすべりをよくするため。
私はオロナイン軟膏を使ってみた。
その肛門から、綿棒を挿入する。
一番奥まで挿入する。
で、そのままの姿勢で、10分ほど、待つ。
直腸のどこかで出血があれば、それでわかる。

 で、さらにここからも、私という素人の意見。
綿棒といっても、長さはせいぜい7~8センチ。
そこで長さ20~30センチほどの、自由にクネクネと曲がる綿棒を作ったら、どうか。
そのまま便器に流せるような材質のものであれば、さらによい。
それを肛門から挿入する。
その途中で出血があれば、それでわかる。

 ちょっと(かなり)ダーティな話でごめん。

●小便

 ついでにもうひとつ、ダーティな話。

 女性は知らないかもしれないが、男性用の公衆トイレは、どこも汚い。
便器から小便が飛び散っている。
で、私には、それが不思議でならなかった。
見たところ、みな、それなりに気をつけて、用を足している。
が、小便が飛び散る。

 で、その理由は、立小便をしているときにわかった。
小便というのは、メインの小便だけではなく、その周囲を霧状になって飛び散る小便もあ
る。
明るい陽光を背にして立小便をしてみると、それがよくわかる。
が、さらに、最近、こんなことも発見した。

 アレをウィンナーソーセージにたとえる。
その先の穴から、小便は出る。
ところが、である。
排尿が終わるころ、小便が、ウィンナーソーセージよりも手前にしたたり落ちる。
表面張力により、小便がウィンナーソーセージの丸みに沿って、逆方向に回り込むために、
そうなる。
つまりこれが床を汚す。

 だからふつうは、ウィンナーソーセージを、その直後、2、3度振る。
振って、しずくを落とす。

 ……一度、そのあたりのことをしっかりと研究する必要がある。
でないと、この問題は、いつまでたっても解決しない。
男性諸氏のマナーの問題ではない。
ウィンナーソーセージには、構造的に、欠陥がある。
それが床を汚す原因となる。

●「Z」

 偏頭痛薬には、欠陥がある。
脳の血管を収縮させるためか、脳の働きがややいつもと違った感じになる。
私のばあい、三半規管が影響を受けるのか、フワフワした感じになる。
が、何よりも注意しなければならないのは、胃の調子。
……というか、肝臓の調子。

 かなり強力な薬らしい。
つづけてのむと、こうした薬は、やがて肝臓がそれを「毒物」と判断するようになる。
以前のんでいた薬がそうだった。
偏頭痛はそれで治るが、そのあと、胃の不快感が襲ってくる。
吐き気と胸苦しさ。
とくに吐き気がつらい。
もちろん食欲もなくなる。

 そこで以前はその薬と併せて、胃の薬も処方してもらっていた。
だからこうした薬は、あまりのまないほうがよい。
症状がよほどひどくならないかぎり、のまないほうがよい。

 ……大きく話が脱線したが、その偏頭痛があり、今朝は、よく眠っていない。
それが今、強い眠気となって、私を襲い始めている。

●ベッドの帯

 少しよいホテルに泊まると、ベッドの下のほうに、帯が置いてある。
このホテルのベッドにも、それがある。
それについて、「なあ、お前、この帯、何のためにあるの?」と聞くと、ワイフは「知らな
い」と。
息子も「知らない」と。

 そこで私なりに推察してみる。

 ひとつ気になるのは、ベッドカバーがないこと。
帯は、そのベッドカバーの代わり?
今度スカイプをしたとき、オーストラリアの友人に聞いてみよう。

 ……ということで、たった今、スカイプで呼び出してみたが、応答はなかった。

●10月11日

 明けて今日は、10月11日。
モーニングコールは、朝6時に頼んでおいた。
その朝、6時。
起きるとそのまま温泉に。

 で、今は、こうして朝食を待っている。
朝、7時半から。

 あの露天風呂はよい。
1人用になっていて、人にじゃまされない分だけ、よりリラックスできる。……できた。

 ジ・オーシャン様、
また来ます。
リラックスできました。
+格安料金で、ありがとうございました。

(弁天島温泉 はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi
Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 
ジ・オーシャン 浜名湖弁天リゾート ジ・オーシャン The Ocean)


Hiroshi Hayashi++++++Oct. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●しくまれた自由(尾崎豊「卒業」)からの解放

 がんじがらめの規制と許認可、規則と資格。
生活のあらゆる部分にまで、それが浸透している。
私たち日本人はそんな中で、小さく、小さく、生きている。
小さく生きていることにすら気づかないまま、小さく生きている。

 仮に小さく生きるにしても、キバまで抜かれてはいけない。
声をあげるときは、声をあげる。
行動するときは、行動する。
でないと、私たち日本人は、ますます小さくなってしまう。

 見よ、万事、事なかれ主義で生きている日本人を!
見よ、「自分だけよければそれでいい」と考えている日本人を!
社会の歯車になりながら、歯車であるこにさえ気づかない。
またそれがあるべき、自分の姿と捕えている。

 あの尾崎豊がそこまで意識していたかどうかは、知らない。
しかしそれこそまさに、「しくまれた自由」。
エセの自由。
その自由をもって、「私は自由」と思ってはいけない。

 このままでは、この日本は、本当に押しつぶされてしまう。
日本の外へ一歩出れば、そこは怪獣と野獣の住む海千山千の世界。
おとなしく、穏やかで、お人好し……。
そんなヤワな人間が住める場所ではない。

 自由とは、「自らに由る」という意味。
自分で考え、自分で行動し、自分で責任を取る。
それを自由という。
権利と権限と資格にぶらさがり、人の後をついていくのは楽。
しかしそれは自由ではない。

 さあ、あなたも、鎖を解いてみよう。
心を空に向かって解き放ってみよう。
そして声を出して、「私は自由だ」と叫ぼう。
体は、あとからついてくる。


Hiroshi Hayashi++++++Oct. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●1・2人で、1人の老人

 今朝のエッセーの中で、こう書いた。

『……この先何年かすると、1・2人の人が、1人の高齢者を支えなければならなくなる
という(週刊現代)。
試算によれば、2050年以後。
逆算すると、現在、現在25~26歳の人が、65歳になるころということになる。

 が、常識で考えても、不可能。
つまり満足な老人福祉など、とうてい不可能。
(現在の今でも、約2・6人の人が、1人の老人を支えている。)……』と。

 今日は、一日中、この中の数字が気になった。
現在の今ですら、約2・6人の人が、1人の老人を支えている。
それがこの先(2050年)、約1・2人の人が、1人の老人を支えなければならなくなる。

2人の夫婦が、2人の老人を養う……というような単純な問題ではない。
医療費、介護費、生活費、すべてを含めて、1・2人に1人ということ。

が、そんなことは、常識で考えても、不可能。
実のところ私は、少子化が、そこまで深刻な問題をはらんでいるとは、知らなかった。

●老人はゴミの時代に

 すでに老人はゴミの時代に入りつつある。
それがわからなければ、ネットの世界をのぞいてみたらよい。
年を追うごとに、私たち老人組に対する風当たりは強くなることはあっても、弱くなるこ
とはない。
辛らつな言葉も並ぶ。

 が、もちろん私たちはゴミではない。
ゴミであってはいけない。
またそういう私たちを、もっと積極的に、社会に訴えていかねばならない。
こぢんまりと小さく生きるのが、あるべき老人の姿と思ってはいけない。

 週刊現代誌を100%信ずるわけではない。
そこに出てくる数字については、この先、ゆっくりと検証してみたい。
しかし年金問題ひとつあげても、現在の65歳支給開始年齢は、70歳になる。
さらに75歳になる。
もちろん年金額は引き下げられる。
週刊現代誌によれば、「1人一律5万円になる」という(?)。
が、その額とて、「よくみて……」の話。

 日本経済が崩壊すれば、さらに低くなる。
ハイパーインフレが襲ってくれば、それこそ「タクシーの初乗りが1万円」ということに
なる。
そうなったときの自分を、ほんの少しだけ、頭の中で想像してみればよい。
「私はどうなっているか」と。

●悲観論

 が、現状は、どう見ても、おかしい。
保護される人は、徹底的に保護されている。
そうでない人は、孤独死、無縁死……。
そういう老人を見て、「自業自得」と言う人は、あなた自身がその自業自得の道を歩むこと
になる。

 2050年といえば、あと39年後。
それまで一次曲線的に少子化は進む。
あなたの年齢に、+39を加えてみればよい。
もしその数字が、平均余命の約80歳を超えていれば、あなたはラッキーなほうだ。
そうでなければ、そうでない。

 が、この問題は、「では、私たちは何のために生きているのか」という問題に直結してく
る。
あるいはあなたは何のために生きているのか。
何のために生きてきたか、でもよい。
が、ひとつだけ、はっきりしている。
私たちはゴミになるために、生きてきたのではない。
……生きているのでもない。

●還元

 老人よ、やがて老人になる人たちよ、私たちは自分の命を、社会に還元しよう。
そこにいて、小さく生きていてはいけない。
自分のことだけをしていてはいけない。
肉体労働が無理なら、あなたがもてる知恵や知識を、分け与えるだけでもよい。
自分たちの存在感を、もっと社会に訴えていこう。

 つぎにつづく人たちに、「ゴミ」と言わせないために。

 が、その還元に失敗すれば、私たちは本当にその「ゴミ」になってしまう。
またそう扱われたからといって、文句を言えなくなってしまう。

 今まで私は「老後の統合性」を、私たち自身のためにと考え、説いてきた。
しかしそれでは足りない。
つまり自分のことだけをしていたのでは、いけない。
真・善・美の追求も結構。
が、自己満足で終わってはいけない。

「統合性」と「還元」。
この2つが融合したとき、はじめてそれが私たちの「生きがい」につながる。
またそうであってこそ、私たちはつぎの世代の人たちの支持を集めることができる。

 さあ、あなたも勇気を出して、私たちが残してきた負の遺産を、精算しよう。
若い世代に残すべきものと、残してはいけないものを区別し、残していけないものについ
ては、精算しよう。
それは私たちの責任でもある。

 改革の第一。

 不公平社会の是正。
とりあえずは、この一言に尽きる!


Hiroshi Hayashi++++++Oct. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●デクシアの経営破綻



++++++++++++++++++++

TBS-iは、つぎのように伝える。

『ギリシャの財政危機から始まったヨーロッパの信用不安。
ついに大手金融機関の経営破綻という事態になりました。
フランスとベルギーの両政府は、経営危機に陥っている大手金融グループの「デクシア」
を分割、再編することで合意しました』(以上、TBS-i)と。

++++++++++++++++++++

●デクシア

 「デクシア」と聞いても、よくわからない。
どういう金融機関なのか。

 そこで調べてみると、従業員、約35200人(2010年)の商業銀行ということがわかっ
た。
本社所在地は、ベルギーのブリュッセル。

 従業員数で見るかぎり、三菱東京UFJ銀行と、ほぼ同じ。
三菱東京UFJは、34797人(2011年3月末、単体)。

 が、銀行の規模は、従業員数だけではわからない。
その国の人口、銀行数、さらにはそれぞれが別の子会社(ファイナンシャル・グループ)
がいくつあるかで、決まる。

 が、従業員数は三菱東京UFJ銀行と、ほぼ同じ。
つまりそれだけのメガバンクが、破綻した。
不吉な予感というか、大恐慌の嵐がジワジワと近寄ってきたような印象をもつ。
それぞれの国で、それぞれの専門家が、目下、必死で防波堤を高くしているのだろう。
が、ギリシア問題ひとつあげても、桁が2桁も3桁もちがう。

 ギリシアがデフォルトすれば、フランス(ギリシアの第一の債権国)、ドイツ(第二の債
権国)が、大きく影響を受ける。
が、イチ早く、ベルギーのデクシアが経営破綻した。
これはどういうことなのか。

 「嵐」というより、「底なしの泥沼」。
つぎにどこで何が起るか、さっぱりわからない。
リーマンショックのときのように、とんでもないところで、とんでもないことが起きる。
「デクシアがあぶない」という話にしても、ほんの数日前に聞いたばかり。
それが今朝のニュースでは、経営破綻。

 金融機関の経営破綻で恐ろしいのは、ここ。
その前日まで、何食わぬ顔をしていて、その翌日、突然、破綻する。
たいていは金曜日に急変し、月曜日に破綻する。

 もちろんデクシアだけで終わるはずがない。
問題は、それによって、日本のどこの銀行、あるいは証券会社(投資会社)が、大きな損
失を被るかということ。
それによって、明日あたりから、日本の経済も大きく動くはず。
忘れてはいけない。

 日本は、ドイツ、フランスの最大債権国である。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●人は、見かけによらぬもの!(あるサラ金業者の取り立て屋)

++++++++++++++++++

昨夜、ある人から、こんな話を聞いた。
H氏(当時63歳)。
60歳まで、N通信会社に勤めていた。
役職ゼロの退職。
そのH氏は、私には、こう言っていた。
「退職後は、(N通信会社の)子会社で、調査の仕事をしている」と。

調査というのは、電話料未払いの家庭を訪問し、
その家庭の経済状況を調べるという仕事だった。
私は、そう聞いていた。

体格のよい男性で、その年齢では珍しく、身長も
175センチを超えていた。
が、実際には、「調査」の仕事ではなかった。
「調査」+「脅迫」の仕事だった。
わかりやすく言えば、「取り立て屋」。

H氏はある人材派遣会社に属しているということだった。
ただしモグリの会社。
そこでどこかのサラ金業者の仕事を請け負ったらしい。

私「道理で、おかしいと私は思っていました」
友「どうして?」
私「だってそのときは、伊豆の長岡まで行くと言っていました」
友「……長岡……?」

私「だってそうでしょ。長岡の近くにもN通信会社の支店くらいはあるはずです。
わざわざ浜松から出かけなくても、その近くの人が調査すればいい」
友「そう言われてみれば、そうですね」
私「でしょ。それに電話料の滞納などというのは、あっても少額※です。
そんな少額のために、大のおとなが、一日ががりで、長岡まで行くでしょうか。
旅費と日当だけで、それ(滞納料金)を超えてしまいますよ」と。

(注※:N通信会社のばあい、電話料を滞納すると、1か月から2か月位で電話が止まる。
その際に、滞納してる旨のお知らせが届く。
その後も払わなければ、契約解除となり電話の権利も消滅する。)

+++++++++++++++++++

●注意力

 この話には、2つの問題点がある。

 ひとつは、私がその話をH氏自身から聞いたときには、H氏の話を鵜呑みにしてしまっ
たこと。
ほんの少しだけ注意深く聞いていれば、ウソと見抜けたはず。
が、その注意力に欠けていた。

(サラ金の取り立て屋の仕事が、どうこう書いているのではない。誤解のないように!)

 つまり私の注意力も、かなりサビついてきた。
若いときなら、即座に、「そんな仕事はない」と見抜いていただろう。

●ウソつきの心理

 もうひとつの問題点は、そのH氏だが、こちらが聞いてもいないのに、自分の仕事をこ
とこまかく説明したということ。

 心理学の世界でも、「ウソをつく人は、自ら、ことこまかく説明する」と教える。
ウソをついているという意識があるから、それをさらにごまかそうとする。
「取り立て屋」(脅迫業)をしているという、うしろめたさがあるなら、なおさら。
自らの仕事を、カバーで覆い、虚栄で飾ろうとする。

 繰り返すが、その人が、陰でどんな仕事していようが、その人の勝手。
法に触れなければ、(=被害者が出なければ)、私たちがとやかく言う必要はない。
しかし私はその話を聞いて、ここに書いたように、私にも盲点があるのを知った。
「知的盲点」と言うべきか。
その知的盲点が、加齢とともに、ますます、多くなってきた。

●では、どうすべきか

 「人を疑う」というのは、それ自体、気持ちのよいものではない。
しかし「疑う」。
加齢とともに、その訓練もしなければならない。
でないと、それこそ「なりすまし詐欺」の被害者になってしまう。

 言うなれば「疑う」というのは、昆虫の触角のようなもの。
その触角を左右に振りながら、そのつど事実を確かめる。
ノー天気な、お人好しになってはいけない。

 しかし今、私はこう思う。
「どうしてそんなウソが見抜けなかったのだろう?」と。
で、ワイフに聞いてみた。
結婚前、ワイフは、N通信会社(当時の電電公社)で働いていた。
そのワイフもこう言った。

「詳しくはわからないけど、私が働いていたころには、そんな仕事はなかったわ」と。
つまり電話料の滞納者の家を家庭訪問するという仕事は、なかった、と。

 ……一見すると、穏やかで温厚な人物に見えるH氏。
そのH氏が、別の世界では、「テメエ~」「コノヤロ~」と怒鳴り散らしていた。
本当に、人というのは、見かけだけではわからないもの。
それを改めて確認した。


Hiroshi Hayashi++++++Oct. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●疑惑力(人を見たら、泥棒と思え)

++++++++++++++++++++

「疑う力」のことを、「疑惑力」という。
私が勝手に、そういう名前をつけた。
洞察力、推察力、直感力、判断力の一部。
独立して、「疑惑力」という。

++++++++++++++++++++

●人を見たら、泥棒と思え

 この日本では、疑惑力は、とくに必要な能力かもしれない。
何といっても、本音と建て前を使い分ける国である。
見栄や体裁を気にする人も多い。

 こういう国では、まず「人を見たら、泥棒と思え」となる。
またそれは、(たいへん悲しいことだが)、それほどまちがっていない。
人を見たら、まず泥棒と思え。

 先日も、私にこう言った人がいた。
「あのXさん(女性、60歳)は、いい人ですね」と。
が、私はワイフを通して、その女性のことは、たいへんよく知っている。
浜松へ来たころは、毎週のように会っていた。

私「えっ、あのXさん?」と。

●Xさん

 若いころは、美しい人だった。
男好きするというか、静かに立っているだけでも色気を感じた。
そのこともあって、男性関係は、メチャメチャ。
会うたびに、ちがった男性とつきあっていた。

 が、やがて水商売に。
そこで一子(女児)をもうけた。
が、自分では育てないで、その子どもを、実の姉に預けた。
預けただけではなく、姉の夫とも性的関係をもった。

 それが原因で、姉夫婦は離婚。
姉と妹は、そのまま絶縁した。
が、それでXさんの派手な男性遍歴が終わったわけではない。
50歳になるまで、バーを転々とした。
そのXさんを、「いい人?」。

●人間関係

 人間関係というのは、実に興味深い。
同じ人物でも、見る人によって、「いい人」にもなるし、「悪い人」にもなる。
どちらが正しいとか、正しくないとか、そんなことを論じても意味はない。
人、それぞれ。
また私やあなたにも、いろいろな面がある。
単純ではない。

 たとえば私についても、「いい人」と言う人もいる。
「悪い人」と言う人もいる。
つまりその人が、XさんならXさんでもよいが、「いい人」と思っているなら、それはそれ。
それでよい。
私が間に入って、「あの人はね……」と、言う必要はない。
また言ってはならない。

 が、中には、さらに腹黒い人がいる。
いい人ぶりながら近づいてきて、相手をだます。
モノを売りつける。
宗教に勧誘する。
そういうときは、やはり注意してやる必要がある。
「あの人は注意したほうが、いいですよ」と。

●歳月

 その人が本当にいい人かどうかは、10年単位でつきあってみなければわからない。
つきあう。
「幼なじみ」とか「昔から知っている」、あるいは「親類だから」というのは、まったくア
テにならない。

 頻繁でなくてもよい。
しかし1~2か月ごとに、つきあう。
そういうつきあいを通して、その人を知る。
で、ある人は、私にこう言った。

「20年ぐらい住まないと、仲間に入れませんよ」と。
私が郊外の山間地に、山荘をもったときのことだった。
で、その20年がすぎた。
その人が言ったとおり、20年で、やっと仲間になれた。
今は、そんな感じがする。

●疑惑力

 そこで疑惑力。
人を疑う。
先にも書いたが、本来なら、不必要な「力」である。
が、この日本では、必要。
とくに老人組になったら、必要。

 たとえば今、私がいちばん怪しいとにらんでいるのが、訪問介護士のY(女性、50歳
くらい)。
ときどき、ワイフのある親戚に寄るのだが、いつもその女性はそこにいる。
仕事を聞くと、「訪問介護士」と言う。

 その家には、90歳近い女性(義理の伯母)がひとりで住んでいる。
先日もどこかへ行く途中、その親戚に寄ると、やはりいた。
偶然か、それとも毎日来ているのか?

 それはわからないが、いくら介護度が高くても、「毎日」ということはないはず。
別の事件だが、ある訪問介護士は、そうして訪問しながら、その家の老人がボケているの
をよいことに、つぎつぎと財産を持ち出していたという。

いよいよ特別養護老人ホームに入居するというときになって、家族(娘)が家に入ってみ
ると、現金類はもちろんのこと、財産らしい財産は、すべて消えていたという。
タンスの中は、空き箱の捨て場になっていたという。
そういうこともある。

 が、これは私たち自身の問題でもある。
私たちもやがてそういう老人になる。
だから「疑惑力」。

●制度として解決

 ……が、疑惑力にも限界がある?
人を疑うのも、疲れる。
家人が近くにいれば、そういう家人に守ってもらうという方法もある。
しかし、それでもスキは生まれる。

 こうした問題は、制度として解決するしかないが、頼りになるはずの訪問介護士ですら、
信用できない。
もちろんほとんどの訪問介護士の人は、よい人かもしれない。
だから制度として、解決する。

 たとえば同一の訪問介護士を、長期にわたって、同一老人の自宅を訪問させないなど。
しかしこのあたりでも、一度、その訪問介護士になると、1~2年は、同じ訪問介護士に
なるようだ。
が、それではいけない。
老人の安心と財産を守ることはできない。

 ……などなど、こうして疑惑力を前向きに育てていく。
これから老人組になる人たちには、とくに必要な「力」ということになる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 疑惑力 老人の保護)


Hiroshi Hayashi++++++Oct. 2011++++++はやし浩司・林浩司

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2011年10月30日日曜日

*"Source Code"

●映画『ミッション:8ミニッツ』(mission:8 minutes)原題『Source Code』

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映画にも相性がある。
人によって、みなちがう。
自分の相性に合わないからといって、評価を
さげてはいけない。

たとえば戦争映画が好きな人が、ラブストーリー
ものを観るようなばあいを考えてみればよい。
もちろんその反対でもよい。

で、今日、『ミッション:8ミニッツ』を観てきた。
主演は、ジェイク・ジレンホールとミシェル・モナハン。
よかった!
おもしろかった!
星は文句なしの5つの、★★★★★。
私の相性と、ピタリと合った。

『シクス・センス』『マトリックス』『ミラーズ』
『インセプション』……につづく映画。
私はこの種の、つまり知的ゲーム風の映画が大好き。
思う存分、楽しませてもらった。

ただ最後の部分で大きな矛盾を感じたが、それは後の話。
映画館を出て、しばらくしてからのこと。
よくよく考えてみると、「?」、と。
そのときはそこまで深くは考えなかった。
ハハハ…で、終わった。
(「?」の部分は、どうか自分で判断してみてほしい。
映画を観てからのお楽しみ!)

ただし、先にも書いたように、映画にも相性というのがある。
楽しいと思う人もいるだろう。
反対に、つまらないと思う人もいるだろう。

私は『ミッション:8ミニッツ』を見終ったあと、
学生のころに観た、『惑星ソラリス』を思い出した。
(この映画には、リメイク版があるので、注意。)
あの映画で受けた衝撃は、今でも忘れない。
『ミッション:8ミニッツ』でも、同じような衝撃を受けた。
(映画慣れしたせいか、衝撃度は年々弱くなってきているが……。)

今週は新作が、あと2つある。
『三銃士』と『フェア・ゲーム』。
がんばって、2つとも観る。……つもり。
(私たち夫婦が頻繁に映画を観るのは、ボケ防止のため。
どうか誤解のないように!)

ところで今日は、昼前に映画館へ行った。
日曜日ということで、かなり混雑していた。
やはり映画は、ふつうの日(平日)に観るのがよい。
2011/10/30記

++++++++++++++++++++++

●ウィルス・メール

 最近、ウィルス・メールが、ますます巧妙になってきた。
今朝も、1通、届いた。

あるBLOGサービス会社からの、連絡を装ったメールである。
差出人は、その会社名になっていた。
が、件名がいつもと違っていた。

 いつもは「~~さんが、あなたのBLOGを登録しました」で届く。
「~~さん」の部分には、相手のハンドルネーム(英文字)が書き込んである。
しかし今朝のには、その「~~さん」の部分に、日本語で個人名が書き込んであった。
「?」と思いつつ、そのまま削除。

 この種のメールの恐いところは、メール自体はふつうのもの。
何も仕込んでない。
ウィルス・チェックをかけても、素通りしてしまう。
が、メールを開き、「~~さんは、どんな人」というところをクリックしたとたん、どこかのサイトに誘導され、そこからウィルスが侵入する。

 要するに、あやしげなメールは、削除、削除、即、削除。
迷わず、削除。
「何だろう」と思ったとたん、ウィルスにやられる。

●罪の意識

 実は、4、5年前に一度、この種のメールで被害を受けたことがある。
そのときは、ある友人のコンピューターが発信源になっていた。
その友人の名前で、メールが届いた。
で、いつものようにメールを開いてしまった。

 で、そのときのこと。
とたん、パソコンの動きがおかしくなってしまった。
私はあわててパソコンの電源を落とした。

そのあと、その友人に電話をかけた。
が、その友人は平然としたもの。
「ハハハ。あちこちから苦情の電話が届いています」と。

 率直に言って、これにはあきれた。
まるで罪の意識がない。
「ウィルス対策ソフトは使っているのか」と聞くと、「古いのを、ね」と。

 私は念のため、コンピューターをリカバリー(再セットアップ)した。
ご存知の方も多いと思うが、この作業が結構、たいへん。
めんどう。
冷や汗をタラタラ流しながらの、1日仕事になってしまった。

 友人のものからといって、安心してはいけない。
とくに相手が素人ぽい人のばあいは、要注意。

(私のばあいは、メインで使っているパソコンに、「?」のメールが届いたときには、別のパソコンで、本人のものかどうか、確認することにしている。
いちばん困るのが、差出人がメールアドレスになっていて、件名がたとえば、「お元気ですか」などとあるもの。
メールも手紙と同じ。
差出人のところには、自分の名前、件名のところには、相手の名前を書くべき!)

●FAX

 迷惑と言えば、FAX。
このところ毎日のように、FAXが届く。
広告FAXである。

 そのたびに感熱紙が、ザラザラと無駄になる。
(最近の機種では、必要なのだけをプリント・アウトすることができるというのもあるそうだが……。)

 で、そのつど、私は電話線を抜き取っているのだが、しばらくするとまたかかってくる。
そこで電話機自体がもっている「拒否機能」を使って、決まった電話番号からのものは、受け付けないように設定する。
その機能を使うと、その相手からの電話を拒否することができる。
しかし敵も然る(=猿)者、ひっかく者。
たぶん大がかりな、FAX送信業者なのだろう。
番号も1つではない。
複数~10数回線ももっている。
一方、私の電話機では、20件までしか、相手を登録できない。

 で、その広告FAXの広告主に電話をかける。
「こういうものは、送らないでほしい」と。
その電話代は、もちろん、有料。

 ……つまり広告を出すのは、相手の自由。
しかしたとえ1円でも、受信者側に負担がかかるような広告は、法律で禁止すべき。
つまりFAXを専門に流すようなサービス会社は、法律で禁止すべき。

 もちろん当方と何かの取り引きがある会社からのFAXは、別である。


Hiroshi Hayashi++++++Oct. 2011++++++はやし浩司・林浩司

*Let's put this matter into Internationa Legal Court

●今日の雑感・あれこれ(はやし浩司 2011-10-30)

●セシウムの量

 福島第一原発の事故が起きた直後のこと。
私は原発付近の風の方向を調べた。
そのサイトを見つけるのに苦労した記憶がある。
が、やがて日本地図に、矢印が記されたサイトを見つけた。
それを見て、まず、ほっとした。
矢印、つまり風の方向が、海のほうに向いていた。

 その翌日も、そうだった。
その翌々日もそうだった。
ずっとそうだった。
当時はまだ気圧配置が冬型で、風は西から東に吹いていた。

 だから私は当時の日記に、こう書いた。

「日本は、風に守られた」と。
事実、その通りだった。

 このたび、フランス政府は、空中にただよう放射性物質の量から、つぎのような計算をした。

++++++++++以下、TBSーi(10・29)+++++++++++

 フランスの放射線防護原子力安全研究所は、福島第一原発から海に流出したセシウム137の総量がおよそ2.71京ベクレルにのぼるという推計を発表しました。
東京電力は4月下旬の発表で福島第一原発から流出したセシウム137の放射能の総量を940兆ベクレルと推計していましたが、今回発表された数値はその30倍近くに相当します。
報告書は海に流出した放射性物質の量としては過去最大としています。

++++++++++以上、TBSーi(10/29)+++++++++++

 2.71京ベクレルと聞いても、ピンとこない。
放射線の世界は、単位がメチャメチャ。
メチャメチャだが、「東京電力の発表の30倍」という点については、へんに納得できる。
当初、あの連中は、ウソばかりついていた。

 が、やはり日本は、風に守られた。
もしそれだけの量が、仮に30分の1であっても、東、もしくは南に向かっていたら、東京はもちろん、この浜松市だって、人が住めなくなっていたかもしれない。
「海に流れたからよかった」というわけではない。
しかしなぜ原子力発電所が、海の近くに設置したかといえば、そうしたことも念頭に置いてのことではなかったのか?

 だれもはっきりと言わない。
しかし本音を言えば、こうだ。
「万が一のときは、海へ流しましょう」と。
それが暗黙の了解事項になっていたことは、じゅうぶん、推察される。

 それにしても、2.71京ベクレルとは!
さっそく、チェルノブイリ事故のときの数値と見比べてみる。

++++++++++++以下、Nikkan Sportより+++++++++++

東京電力福島第1原発事故に伴う放射性セシウムの放出量は、日本の原子力安全委員会による推計の3倍近くに達し、チェルノブイリ原発事故の4割を超すとの論文をノルウェーの研究者らが27日までにまとめた。

大気物理学の専門誌に投稿され、結果が妥当かどうか専門家らが検証している。

 研究チームは、日本国内のデータや、核実験を監視するために世界中に設置された観測網を利用し、事故発生から4月20日までに大気中に放出されたセシウム137は約3万6000テラベクレル(テラは1兆)と推計。

原子力安全委員会は8月、全ての放射性物質57万テラベクレルのうち約1万1000テラベクレルをセシウム137が占めると推計しており、これを大幅に上回った。

チェルノブイリの放出量は8万5000テラベクレル。

 放出量の19%が国内に、残りの大部分は海に落ちたとみている。

 また、日本政府の見方とは異なり、4号機の使用済み燃料プールから大量の放射性物質が漏れたとの見解を示した。その理由として、4号機に放水を始めた直後から、放射性物質の量が大幅に減ったことを挙げた。

++++++++++++以下、Nikkan Sportより+++++++++++

●チェルノブイリは、8万5000テラベクレル

 チェルノブイリ原発の事故では、8万5000テラベクレルの放射性物質が放出されたという。

 福島第一原発事故では、2.71京ベクレルだったという(フランスの放射線防護原子力安全研究所)。

 ……ア~ア、またまた「単位」の問題。

8万5000テラベクレル=8万5000x10の12乗=8万5000x1兆。
つまり
85000000000000000。

2・71京ベクレル=2・71x10の16乗x1億x1億
つまり
27100000000000000。

 これら2つの数字を並べてみる。
85000000000000000(チェルノブイリ)
27100000000000000(福島第一原発)

 最近、頭がボケてきたせいか、こうした計算ではよくミスを犯す。
もう一度、しっかりと計算しなおしてみる。

まちがいない……ということは、福島第一原発では、チェルノブイリ原発の事故の、約3分の1の放射線が放出されたということになる。
これからの人的被害がそれに比例するとは思わないが、相当の被害が出るのは確実。
チェルノブイリと福島(東北地方)とでは、人口密度、そのものがちがう。
(もちろん東北地方のほうが、人口密度が高い。)
それを考慮に入れると、たとえ「19%」(Nikkan Sport)ではあっても、たいへんな量ということになる。

 今からでも遅くないから、福島県の人たちを、全員、強制退去させるべきと、私は考える。

●「バカなやつ」発言

 韓国紙は、つぎのような報道を繰り返している(東亞日報ほか)。

いわく『19日、読売新聞など日本のマスコミによると、平野逹男復興相は18日夜、福島県二本松市で行われた民主党参議院研修会で、「津波当時、(私の)高校の同級生のように、逃げずに死んだバカなやつがいる」と話した。
まるで大震災の時、逃げられず津波に巻き込まれて死んだ人々がバカだという意味に受け止められかねない軽率な発言だった』と。

 しかし、本当にそうか?

 韓国人だから、日本語の微妙な表現までは、理解できなかったらしい。
このばあい、バカだらか、「バカ」と言ったのではない。
「とても残念だ」という意味で、「バカ」と言った。
また発言をよく読むと、こうある。
「逃げずに死んだバカなやつがいる」と。

 逃げようと思えば、逃げられらのに、逃げなかった、と。
理由はよくわからないが、平野逹男復興相は、それを「バカ」と言った。
死んだ人を、「バカ」と言ったのではない。

 似たような表現は、日本語のあちこちに見られる。
「ぼくはバカを見たよ」とか、「彼はバカ正直だよ」とか。
韓国紙としては、日本の世論を混乱させたかったのかもしれない。
しかしこれは不発に終わった。

 韓国のみなさん、もう日本のことは、放っておいてほしい。
あなたがたは、あなたがたとして、どうか未来に向かって進んでほしい。
ああでもないこうでもないと、過去ばかりほじくり返して、どうなる?
過去だけではない、日本の政治家の発言までほじくり返して、どうなる?
ああ、いやだ!

●竹島問題

 数学の問題でも、答のある問題を解くのは簡単。
しかし「この問題は解けません」ということを証明するのは、至難の業。

 私が中学生のとき、数学の先生が、こう教えてくれた。
「コンパスと定規だけを使って、5角形を描いてみなさい」と。

 そこで私は数日間、悪戦苦闘した。
そしてその先生にこう言った。
「コンパスと定規だけでは、5角形を描くことはできません」と。

 するといつもはやさしい顔の先生だったが、顔を真っ赤にして、こう言った。

「だったら林君、描くことができないということを証明してみせなさい」と。

 で、それからさらに何日か悪戦苦闘した。
結局私は五角形を描くことができなかった。
「五角形を描くことはできない」ということを証明することは、さらにできなかった。
 
 先生にそれを話すと、そのあと先生は、コンパスと定規を巧みに使って、五角形を描いて見せてくれた。

 ……この話と、「竹島問題」は、どうつながるか。

 産経新聞によれば、『東京都教職員組合(都教組)が今夏の中学校教科書採択にあたり、教員向けに各教科書を比較検討した資料の中で、日本固有の領土である竹島について「日本領と言える歴史的な根拠はない」と、日本政府の見解を否定していたことが27日、分かった』と。

 その上で『竹島は尖閣諸島や北方四島と違い、「日本固有の領土」と言える歴史的な根拠はない』と断定している。

 が、これはおかしい。
つまりこの東京都教職員組合の論理はおかしい。

 先の数学の問題を思い浮かべてみてほしい。

 「日本の領土であると証明できる根拠はない」。
だから「日本の領土ではない」と。
つまり「証明できないから、日本の根拠はない」と。

 これは自分の能力を棚に上げ、「五角形を描くことができなかったから、五角形を描く方法はありません」と言った、あのときの私の論理と同じ。

 韓国側は、この記述に大喜び。
「日本は自ら、竹島(独島)を韓国の領土であると認めた」と。

 さらに和田春樹東京大学名誉教授は、つぎのように発言している。
なお和田春樹氏は、私が学生時代の政治学の恩師でもある。

 『日本政府は慰安婦問題について1965年の日韓請求権協定で解決済みとの主張を繰り返しているが、これでは韓国政府が求める外交交渉を拒否できない」と指摘。
続けて「独島問題は日韓関係に致命的な悪影響を与えている」として「慰安婦問題と共に議論し解決方案を探す必要がある」と主張した』(2チャンネル・政治速報)と。

 和田春樹氏は、当時、週に何日か金沢大学やって来て、教壇に立っていた。
70年安保の真っ最中。
左翼系の教授として知られていた。

 この発言をとらえて、これまた韓国側は大喜び。
もっとも和田春樹氏は、「竹島が韓国のもの」とは言っていない。
それはわかるが、しかしこれも先の数学の問題とからんでくる。

 ならば、韓国側が、「竹島は韓国の領土である」と証明してみせればよい。
あるいはそれができるのか?
韓国側はどうなのか?
韓国側にしても、『「韓国固有の領土」と言える歴史的な根拠はない』のではないのか?

日本側はかねてより何度も、国際司法裁判所で判断してもらおうと提案している。
それを拒否し、一方的に、つまりなし崩し的に既成事実化しようとしているのは、韓国側。
そういう現実を忘れ、「日本の領土であるという証明はできない」「だから日本の領土ではない」「つまり韓国の領土である」という論法は、数学的に考えても、メチャメチャ。

 「日本の領土ではない」と証明するのは、至難の業。
「この数学の問題は解けません」というのを証明するのと同じ。

だからこそ、双方は、「私たちの領土です」という証拠を出し合って、議論をする。
それが正攻法というものではないのか。
それを裁定するのが、国際司法裁判所ということになる。

 さらに一言、付け加える。

 東京都教職員組合は、つぎのように述べている(産経新聞)。

 『……もし、この記述通り『竹島は日本固有の領土』『韓国が不法に占拠』という政府の一方的な見解を学校で教えることになれば、『感情的なナショナリズム』を子供たちに植えつけることにもなりかねない』と。

 あのね、ゼンゼンわかっていない。
感情的なナショナリズムで沸き立っているのは、韓国側。
言うべき相手がちがう。

 自分の家が泥棒に占拠された。
それを自分の息子たちの知らせると、息子たちが怒るかもしれない。
だから怒らせないよう、ここは黙っていよう、と。
私にはそんなふうに聞こえる。

 なお韓国側は、竹島で、ファッションショーまで開いている。

TBSーiは、つぎのように伝えている。

 「日韓両国が領有権を主張する竹島で韓国のデザイナーがファッションショーを開きました。
 28日、竹島で開かれたのは韓国のデザイナーによるファッションショーです。竹島の領有権を主張する韓国の財団などが主催したもので、40人あまりのモデルが伝統的な韓国の民族衣装に身を包み、およそ1時間にわたって行われました』と。


Hiroshi Hayashi++++++Oct. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●山荘で、改

【私は私】「私とは何か?」(山荘の朝、居間で)

●山荘の居間

 こたつの天板の上には、昨夜飲んだ、チューハイの缶、ひとつ。
まだ半分、残っている。
ほかに、パソコンのモニター、ピーナツの袋、テッシュペーパー、お盆、それにメガネ・ケース。
無造作に散らかっている。

 コップにミネラル・ウォーターを注ぎ、それを飲む。
パソコンに電源をONにする。
時計を少し前に見たが、針は6時半を示していた。

 昨夜遅く、この山荘にやってきた。
着くとすぐ、ワイフは、DVDを見始めた。
私は、その横で、それをいっしょに見た。
星はつけようもないほど、つまらない映画だった。
途中で、ギブ・アップ。
猛烈な睡魔に襲われ、そのままふとんの中に。
寝たのは、午後11時ごろでは、なかったか。

●肉食

 まだ外を見ていないが、今日は、雨とか。
窓は薄暗く、外は静か。
鳥のさえずりも、コオロギの鳴き声も聞こえない。
ときどきやってくる、大きなあくび。

 昨夜食べたハンバーグが、腹の上のほうで、まだタプタプしている。
併せて食べた、エスカルゴがよくなかったかもしれない。
月に、1、2度、油っこいものを食べる。
そのたびに、腹の調子が悪くなる。

私の体は、90%が、ベジタリアン。
残りの10%が、肉食系。
肉類は嫌いではないが、どうも体に合わない。
胆嚢の機能が低下している?
自分では、そう思っている。
半年前にエコーで検査してもらったら、「胆石がありますよ」と。
ドクターは、そう言った。

 今日は、朝食を抜く。
昼と夜は、ソバ類。
今、そう決めた。

●脳(さて、本題!)

 ところで、昨日、こんな経験をした。
仕事に出かける前、私はこう思った。
「今日は、ヘルメットをかぶっていこう」と。
たしかに、そう思った。

 が、その出かける前、あれこれと雑務がつづいた。
教材を用意し、身支度を整えた。
その間中、私は、ヘルメットのことを忘れていた。
まったく忘れていた。
が、家を出る、その瞬間、私はヘルメットをさがした。
いつもなら勝手口の手すりに、それが掛けてある。
が、そこにはなく、床の下にころがっていた。

 私はヘルメットを拾いあげ、頭にかぶった。

●自転車 

 自転車にまたがりながら、こう考えた。
「雑務をしている間、『ヘルメットをかぶっていこう』という思いは、どこに消えていたのか」と。
脳のどこかに、記憶としては、あったはず。
しかし雑務をこなしている間には、それが脳から消えていた。
ヘルメットのことは、まったく忘れていた。

 が、家を出る瞬間、ヘルメットのことを思い出した。
床にころがっているヘルメットを拾いあげ、頭にかぶった。

●別の脳

 最近の脳科学によれば、私たちが(自分の意思)と思っている意思にしても、意識としてそれを認知する前に、すでに脳の別の部分が決定しているという。
もう少しわかりやすく説明しよう。

 たとえばあなたが台所へ行く。
冷蔵庫からペットボトルを取り出し、それを飲む。
あなたは一連の行為、つまり(台所へ行く)→(冷蔵庫を開ける)→(ペットボトルを取りだす)→(水を飲む)という行為を、自分の意思でしたと思っている。
だれかにそう聞かれれば、あなたは、そう答える。
「私は私の意思で台所へ行き、私は水を飲んだ」と。

 しかしそれ以前に、・・・時間的なことはわからないが、30分とか1時間前に、すでに別の脳が、一連の行為をするように決めているという。
ばあいによっては、5分前かもしれない。
が、そのとき、私という「私」は、まだそれを意識していない。
つまり私たちが自分の意思と思っているものにしても、その大半が、・・・というより、そのほとんどが、すでに別の脳で作られている。
「もうすぐのどが渇く。お前は台所へ行って、水を飲んでこい」と。

 わかりやすく言えば、「私の意思」と思っているその「意思」にしても、別の脳に操られているだけ。

●ウソ発見器

 ひとつの例としてよくあげられるのが、ウソ発見器。
いくら言葉でウソを並べても、ウソ発見器は、別の脳の中の反応を観察している。
自分の意思では、その(別の脳)までは、ごまかせない。
だからウソ発見器は、ウソを見破ることができる。

 ・・・というふうに考えていくと、どこからどこまでが「私」なのか、よくわからなくなってくる。
ほとんどの人は、「私は私」と思って、行動している。
しかしそのほとんどは、別の脳がそれ以前に、勝手に決定している。
「私」という部分は、それに従って、行動しているだけ。

 先のヘルメットの話にしても、そうだ。
私は「今日は、ヘルメットをかぶっていこう」と、思った。
自分の意思で、そう決めた。
が、雑務の中で、そのヘルメットのことは忘れた。
「かぶっていこう」という意識さえなかった。

が、出かける瞬間、私はヘルメットをさがし、それを頭にかぶった。
それは私の意思だったのか。
それとも無意識のまま、別の脳に操られただけだったのか。

●レストランで

 昨日は、ほぼ1か月ぶりに、ハンバーグを食べた。
が、それとて、その意思は、昨日の昼過ぎには、別の脳が決めていたのかもしれない。
昨日は、朝食と昼食をかねたブランチを食べただけ。
しかも、いつもの半分。

 その一方で、このところ運動を毎日、2単位こなしている。
1単位は、30~40分。
ランニング、ウォーキングマシン、それに自転車。
全身がひと汗、ザッと出る程度を、1単位としている。

 仕事に行く前から、空腹感があった。
たぶん、そのときすでに別の脳が、「今夜はハンバーグ」と決めていたのかもしれない。
私はそれを意識として、意識することはなかった。
が、別の脳は、そう決めていた。

 仕事が終わり、その帰り道。
私とワイフは、いつもの行きつけのレストランに寄った。
「何を食べる?」「何にしようか?」「ハンバーグにしよう」と。

●ワイフ

 今、雨の音が聞こえてきた。
雨あしが強くなった。
ボタボタと雨どいをあふれて落ちる水の音がする。

 秋の今ごろは、いつも、近くのスギ林の枯れ枝が、雨どいを塞ぐ。
雨どいを詰まらせる。

 ・・・たった今、ワイフが寝床から起きてきた。
「おはよう」と言ったようだったが、私は何も答えなかった。
めんどうだった。
「風呂はどうする?」と、ワイフが聞いた。
「うん・・・」と気のない返事。

 私はこうしてパソコンのキーボードを叩いていたい。
それには理由がある。

●最後の砦(とりで)

 このところ自分の住む世界が、どんどんと小さくなっていくのを感ずる。
体力、気力、思考力、集中力・・・。
それらがどんどんと弱くなっていく。

 そこで私はいくつかのことを自分に決めた。
目標とか、そういった甘いものではない。
「義務」として、位置づけている。

 その第一。
どんなことがあっても、毎日、BLOGだけは、発行する。
週3回の電子マガジンだけは、発行する、と。

 BLOGについては、1日、10枚の原稿と決めている。
電子マガジンのついては、1回分20~30ページと決めている。
それは言うなれば、私の最後の「砦(とりで)」。
この砦を打ち破られたら、明日の私は、ない。

 市内の自宅に帰るまでに、何としてもその10枚を書きたい。
・・・何としても、書きあげたい。

●性欲からの解放

 話を戻す。

 私の脳の中に、別の「私」がいる。
それが裏から、私を操っている。
そのことは、60歳を過ぎると、よくわかるようになる。

 ・・・というか、私は、55歳前後に、それがわかった。
その前後に、私は「男の更年期」というのを経験した。
医学的に実証されたものではないが、そのころ、急速に性欲の衰えを覚えた。
いや、性欲はあったが、「女体」への関心が、ほとんどゼロになった。

 たとえば週刊誌に載っているようなヌード写真を見ても、どれも肉塊にしか見えなかった。
ときに豚の脂身(あぶらみ)のように感じたこともある。
そのときのこと。
それまでの私が、いかに性欲の奴隷であったかが、わかった。
だから私はある日、ワイフにこう言った。

「今のぼくならね、女湯にだって平気で入れるよ。裸の女の人と、湯船につかって、平気で世間話ができるよ」と。

 が、それはすがすがしいほどまでに気持のよい、解放感だった。

●性的エネルギー(リビドー)

 若い人たちに、いくらこんなことを言っても、理解されないだろう。
その渦中にある。
が、男性にしても、24時間、頭の中は「女」でいっぱいという人がいる。
そういう人にしても、自分が性欲に操られているだけとは思っていない。
自分の意思で、そうしていると思い込んでいる。
が、実際には、どの人もみな、別の脳で操られているだけ。
ついでに言えば、男がスポーツで目立ちたいと思うのも、女が化粧をするのも、別の脳に操られているだけ。

 その原点にあるのが、性的エネルギー(フロイト)ということになる。
そのエネルギーが、脳の奥深くから、・・・最近の研究によれば、視床下部あたりから、パルス信号として発信されているらしいが、そこから発信されている。

 このことは、ほかの動物を見れば、わかる。
動物だけではない。
植物にしても、そうだ。
どの生物も、生きる目的を、種族の存続に置いている。
種族の存続にはじまり、種族の存続に終わる。
残りのもろもろの行動は、言うなれば、「雑務」のようなもの。

●ドラマ

 が、だからといって、それが無駄とか、無意味とか言っているのではない。
それがあるから、人生も、また楽しい。
あの映画『タイタニック』にしても、もしジャックとローズがいなければ、ただの船の沈没映画。
沈没再現映画。
ジャックとローズがいたから、人々を感動させ、涙を誘った。

 人生も、また同じ。
私たちがもし、無機質なまま、種族の保存だけを考えて生きていたとしたら、そこからはドラマは何も生まれない。
もちろん感動も、生まれない。

 言い換えると、その「ドラマ」にこそ、生きる意味がある。

●予期せぬ変化

 先に、私は、私たちは別の脳に操られていると書いた。
それはその通りだが、その別の脳が、混乱するときがある。
たとえば別の脳が、その人の方向性を決めていたとする。
が、その方向性が、乱されたようなとき。

 それが他人との接触ということになる。

 「そろそろ喉が渇いてきた。台所へ行って、水を飲んでこい」と。
別の脳がそう決めていたところへ、突然、電話がかかってきた。
友人からの電話である。
「今、近くに来ているから、ちょっとそちらに寄る」と。

 とたんあなたは、行動計画を変更する。
「あと10分で、仕事の準備を終え、居間を片づけなければならない」と。
つまりそう考えたとき、あなたは別の脳の支配から、抜け出る。
あなたはあなたとして、行動を開始する。

 それを「ドラマ」という。

 やがて友人がやってきて、居間のソファに座る。
友人にお茶を出し、自分もお茶を飲む。
渇いたのどを、お茶でうるおす・・・。
ついでに友人のおもしろい話を聞いて、笑う。
それが「私」ということになる。

●生と死

 生と死。
それはだれにも、平等にやってくる。
が、「生」にしても、それは闘うもの。
闘って、勝ち取るもの。

 たとえば昨日も仕事から帰ってきてからすぐ、ウォーキング・マシンの上で30分、歩いた。
体というのはおもしろいものだ。
秋から冬にかけては、27分目に、汗がポタポタと下へ落ち始める。
正確に27分。

 もしそのとき、つまり仕事から帰ってきてから、こたつの中に座ってしまえば、それだけのこと。
しかし汗をかくことによって、細胞が活性化する。
そのあと、細胞のひとつひとつがプチプチとはじけるのが、自分でもよくわかる。
「生」は、そのあとやってくる。
つまり闘って、勝ち取るもの。
もちろん敵は、怠けた心。

●生きる意味

 私はEメールの署名のところに、こう書いている。
「Life is full of Dramas」と。
だれかの言葉だったが、だれの言葉だったかは、忘れた。
「人生はドラマでいっぱい」と。

 で、「なぜ生きているか」と聞かれれば、私は迷わず、こう答えるようにしている。
「ドラマを残すため」と。

 言い換えると、私がなぜ「私」であるかと言えば、そのドラマを残すからということになる。
別の脳に操られるままでは、ドラマは生まれない。
そこに「私自身の意思」を注入することによって、私は「私」を取り戻すことができる。
それがドラマということになる。

 さらに言い換えると、ドラマのない人生ほど、味気なく、つまらないものはない。
そのことは、10年を1日にして生きる老人、20年を1日にして生きる老人を見れば、わかる。
意味もなく、また意味を持たせることもなく、毎日同じことを繰り返している。
そういう人生からは、ドラマは何も生まれない。

●感動

 が、ドラマにも、軽重がある。
振幅の大小と言い換えたほうが、正確かもしれない。
さらにわかりやすく言えば、感動のあるなし。
感動の大きさが、ドラマのスケールを決める。

 近所の人に会い、立ち話をするのも、感動。
しかしその一方で、たとえばワールドカップで、ゴールを決めるのも、感動。
さらに言えば、喜怒哀楽の世界で、人を愛するのも、また憎むのも、これまた感動。
日々に葛藤し、もがき、苦しむのも、これまた感動。
そうした無数の感動を通して、私たちは身の回りに、ドラマを築きあげていく。

 それが「私」であり、生きる意味ということになる。

●ザマーミロ

 話が繰り返しになってきたので、この話はここまで。
今もはげしい雨が、外で降っている。
雨どいからこぼれ落ちるボタボタという音は、そのまま。

 気がつくと、ワイフがいつの間にか、私の横で眠っている。
動くものは、何もない。
いや、私がキーボードを叩くたびに、ペットボトルの水面が、かすかに、小刻みに揺れる。
それが蛍光灯の光を受け、チラチラと光を放つ。

 ・・・こうしてものを考え、キーボードで文にしているときだけ、私は私でいられる。
別の脳に支配されない、私。
きっと別の脳は、・・・もともと人間というのは、基本的には怠け者だから、こう叫んでいるにちがいない。

 「せっかくの土曜日なのだから、横になって休め」と。

 が、私はあえて、それに逆らう。
逆らって、私は自分の意思で、私の文を、こうして書いている。
「ザマーミロ! お前の言いなりになってたまるか!」と。
別の脳に向かって、そう叫ぶ。
それが私にとっては、楽しい。

(はやし浩司 2011-10-22記)


Hiroshi Hayashi++++++++Oct.2011+++++++++はやし浩司

【今日、あれこれ】

●放射線物質汚染

 政府の発表で、どうしても納得できないのが、これ。

茶葉から規制値を超えた放射線を観測したとき・・・「お茶でも、飲むときはお湯で薄めるから、問題ありません」、
乾しシイタケから、やはり規制を超えた放射線を観測したとき・・・「乾しシイタケだから、料理したときには水分で薄められるから、問題ありません」と。

 つまり「濃度を薄めれば、問題なし」と。

 その延長線上にあるのが、表土のすき返し。
放射線物質で汚染された表土と、その下の土とを入れ替える。
それを「除染作業(?)」という、と。

●非論理

 どうしてこういう非論理的なことを言うのか、私には理解できない。
土を入れ替えるといっても、それは土をかき混ぜるだけ。
わかりやすく言えば、濃度を薄めているだけ。

 お茶にしても、10倍の水で沸かして飲めば、濃度は10分の1になる?
乾しシイタケにしても、料理にして食べれば、濃度は何分の1かになる?

 いくら濃度を薄めても、その分だけの放射性物質は、体内に取り込まれる。
いくら土の汚染濃度を薄めても、放射性物質は、そこに残ったまま。
どうしてそれを「除染」というのか。

 もしこんな非論理がまかり通るなら、規制値など、必要ない。
こう言えばよい。
「魚でも野菜でも米でも、みんな水で薄めて食べれば安全です」と。

●拡散

 この先、この日本では、大悲劇が始まるだろう。
福島の第一原発周辺の人たちだけではない。
東京都の人も、そしてこの浜松市の人も・・・。
がん性の病で、バタバタと人が死んでいく。

 「拡散」というのは、それをいう。
事実すでに、たとえば魚類にしても、約50%の魚から放射線が観測されている(日刊「ゲンダイ」紙・10・21号)。
とくに北海道方面から、南下してくる魚の汚染度が高いという。
この先、100%になるのは、もはや時間の問題。
 
 その一例を、日刊「ゲンダイ」からここに転載する。

●スーパーで検出された魚(日刊ゲンダイ紙より)

イオン店・・・茨城 イナダ(48ベクレル)
カツオ(13ベクレル)
       千葉 カツオ(22ベクレル)
       宮城 カツオ(14ベクレル)
          マイワシ(19ベクレル)(単位は1キログラムあたりの量)
(以上、日刊ゲンダイ紙より)

 この数値を見て、気がついたことがある。
たとえばカツオの放射線量をよく見てほしい。
茨城でも千葉でも、また宮城でも、放射線量が、13~22ベクレルの範囲にあるのがわかる。
産地はそれぞれ、宮城、岩手となっているが、魚の産地ほど、あてにならないものはない。
水揚げした港が、産地となる。
仮に福島県沖で取れた魚でも、御前崎港と水揚げすれば、「御前崎(浜松)産」となる。

 で、こうして数値を並べてみると、イオンのばあい、同じ産地の魚を全国に流している疑いが出てくる。
もちろんこの浜松でも、同じ魚が売られている可能性が高い。

 つまりこうして放射性物質は、全国に拡散されていく。
「私は浜松市に住んでいるから、だいじょうぶ」などと、高をくくっていると、たいへんなことになる。

 ちなみに他店におけるカツオの放射線量をここに載せる。

(参考)カツオについて

 イトーヨーカー堂  カツオ(8~17ベクレル)
 ユニー       カツオ(8~20ベクレル)
 ダイエー      カツオ(6~15ベクレル)
 西友        カツオ(5~11ベクレル)
(以上、茨城、千葉、埼玉、東京で測定)  

●正確な情報

 私たちが今、いちばん必要としているのは、正確な情報である。
イオンならイオンでもよい。
それぞれの魚に汚染度を、しっかりと表示してほしい。
あるいは店先に、放射線測定器を置いてほしい。

 売る側は、「風評被害」という言葉を使う。
しかし食べる側は、「健康被害」という。
この先予想される健康被害を考えるなら、風評被害など、何でもない。
健康被害は、「命」の問題。
風評被害は、「金(マネー)」の問題。

 風評被害程度のことで、ガタガタ言う方が、おかしい。

●大本営発表

 政府の立場もよくわかる。
今ここで、「日本は終わりました」と認めると、国そのものが、崩壊してしまう。
だからウソでも何でも、「日本はだいじょうぶ」という体裁を取り繕わなければならない。
今が、そのとき。

 だから政府(文科省)は、そのつど、放射線想定値を、低め、低めに発表する。
この手法は、あの大戦中の大本営発表と、何ら変わらない。

 あの大戦においても、軍国主義を先頭に立って推し進めたのが、ほかならぬ当時の文部省であった。
本来なら学術の府として、良識を旗印に、国民を先導すべき文部省だった。

 今、文科省は、その愚を再び犯そうとしている。
政府側にべったりと寄り添い、政府側のつごうのよい情報だけを流す。
つごうの悪い情報は、必要最小限にして流す。
ウソまでは言わないが、本当のことも言わない。
その前に、どうして文科省なのか?
どうしてこうした発表をするのが、文科省なのか?

 サッカー賭博を始めたときも、そう感じた。
どうして文科省なのか?

●自分で守る

 ともあれ、自分の「命」は、自分で守るしかない。
「健康」ではない。
「命」。

 ・・・ということで、私も放射線測定器を購入することにした。
今まで迷ったが、最近は国産のもので、安価なものが手に入るようになった。
(従来は、中国製、ロシア製のものが多かった。アメリカ製については、入手が困難だった。)

 魚類はもちろん、口にするものは、自分で調べてから食べる。
またそれくらいのことをしないと、「命」は守れない。
死ぬのがこわいわけではない。
アホなことで、「命」を無駄にしたくない。
その報告は、今日の昼にでもできると思う。
(現在は、山荘にいて、ネットがつながらない状態にある。)

【追記】(放射測定器についての報告)

 放射線測定器について。
どの製品にするか。
それを選ぶのがむずかしい。

 その瞬間の空間の放射線を測定する製品がある。
しばらくONにした状態で、1時間あたりの積算量を表示する製品がある。

 が、私がほしいのは食品の放射線量を測定する製品。
しかしこちらは装置がおおげさで、価格も100万円前後。

 空間放射線量については、この浜松市では、必要ない。
多くても少なくても、今のところ、どこかへ引っ越すつもりはまったくない。
だから調べても無駄。

 どうしようか?、と、今も悩んでいる。


Hiroshi Hayashi++++++++Oct.2011+++++++++はやし浩司

2011年10月29日土曜日

●Family Collapse

●講演会の資料(10月29日)

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今日の講演会で使う資料について、整理してみた。
で、改めて、私が説明を加えるまでもない。
「数字」が、すべてを語っている。

あなたはこうした数字を見て、どのように感ずるだろうか。
それが今日の講演会の骨子ということにもなる。

育児、教育は、今、大きな曲がり角に来ている。

++++++++++++++++++

【資料集】

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●日本人の貯蓄額

50代で、貯金額ゼロの人は、約30%もいるそうだ。
また60歳の定年退職時で、貯金ゼロの人は、50%もいるそうだ(F投信調査)。
どこかの証券会社が、そんな調査結果を公表している。


●第8回世界青年意識調査より


(将来、親のめんどうをみるか?)


年老いた親を養うことの意識は、欧米に比べ、日・韓で弱い。


★年老いた親を養うことについてどう思うか


『どんなことをしてでも親を養う』(1)
イギリス  66.0%、
アメリカ  63.5%、
フランス  50.8%、
韓国  35.2%、
日本  28.3%

●男は仕事、女は家庭?(2008年、調査)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

読売新聞社(2008年8月27日)が公表した意識調査によると、

女性は結婚しなくても幸せな人生を送ることができる……55%
そうは思わない                 ……39%、
だったという。

この数字を、1978年(30年前)と比較してみると、
「女性は結婚しなくても幸せな人生を送ることができる」と答えた人は、26%
だった。

つまりこの30年間で、26%から、55%にふえたことになる。
(以上、読売新聞社、年間連続調査「日本人」より)

+++++++++++++++++++++++

こうした変化は、私も、ここ10年ほど、肌で感じていた。
旧来型の「男は仕事、女は家庭」という結婚観が、今、急速に崩壊しつつある。

そのことを裏づけるかのように、今回も、こんな調査結果が出ている。

+++++++++++++++++++++++

結婚したら男性は仕事、女性は家庭のことに専念するのが望ましい……30%

そうは思わない……68%

この数字を、1978年と比べてみると、

「男性は仕事を追い求め、女性は家庭と家族の面倒をみる方が互いに幸福だ」については、
賛成……71%
反対……22%だった(同調査)。

つまり30年前には、「男は仕事、女は家庭」という考え方に賛成する人が、71%だったのに
対して、今回は、30%にまで激減したということ。

日本人の意識は、とくにこの10年、大きく変化しつつある。
まさに「サイレント革命」と呼ぶにふさわしい。

ただし「結婚」については、肯定的に考える人がふえている。
読売新聞は、つぎのように伝える。

++++++++++以下、読売新聞より+++++++++++

ただ、「人は結婚した方がよい」と思う人は65%で、「必ずしも結婚する必要はない」の33%を
大きく上回り、結婚そのものは肯定的に受け止められていた。「結婚した方がよい」は、5年前
の03年の54%から11ポイント増え、結婚は望ましいと考える人が急増した。

++++++++++以上、読売新聞より+++++++++++

●父親論

●ああ、父親たるものは……!

++++++++++++++++++

平成10年度の『青少年白書』によれば、
中高校生を対象にした調査で、「父親を尊敬していない」の問に、
「はい」と答えたのは54・9%、「母親を尊敬していない」の問に、
「はい」と答えたのは、51・5%。

また「父親のようになりたくない」は、78・8%、
「母親のようになりたくない」は、71・5%であった。

この調査で注意しなければならないことは、
「父親を尊敬していない」と答えた55%の子どもの中には、
「父親を軽蔑している」という子どもも含まれているということ。
また、では残りの約45%の子どもが、「父親を尊敬している」
ということにもならない。

この中には、「父親を何とも思っていない」という子どもも含まれている。
白書の性質上、まさか「父親を軽蔑していますか」という質問項目をつくれなかったのだろう。
それでこうした、どこか遠回しな質問項目になったものと思われる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●私たちの老後

●1・2人で、1人の老人

 今朝のエッセーの中で、こう書いた。

『……この先何年かすると、1・2人の人が、1人の高齢者を支えなければならなくなるという(週刊現代)。
試算によれば、2050年以後。
逆算すると、現在、現在25~26歳の人が、65歳になるころということになる。
 が、常識で考えても、不可能。
つまり満足な老人福祉など、とうてい不可能。
(現在の今でも、約2・6人の人が、1人の老人を支えている。)……』と。

 今日は、一日中、この中の数字が気になった。
現在の今ですら、約2・6人の人が、1人の老人を支えている。
それがこの先(2050年)、約1・2人の人が、1人の老人を支えなければならなくなる。
2人の夫婦が、2人の老人を養う……というような単純な問題ではない。
医療費、介護費、生活費、すべてを含めて、1・2人に1人ということ。
が、そんなことは、常識で考えても、不可能。
実のところ私は、少子化が、そこまで深刻な問題をはらんでいるとは、知らなかった。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●家族崩壊

韓国の作家、申京淑氏の書いた小説、『ママをお願い』が、フランスで話題になっているという(韓国・東亞日報)。
申氏は、在フランス韓国文化院での出版記念館で、つぎのように述べている。

『「家族崩壊をいち早く経験した西洋人が、果たして韓国文化や情緒を理解できるだろうか」という質問に対し、「文学においては、同質であることが必ずしも良いものではない。見慣れないものとコミュニケーションを図り、それを受け入れる開かれた気持ちで共感することが、より重要かもしれない』(以上、東亞日報より抜粋)と。

ここで出てくる「家族崩壊」という言葉に注意してほしい。
「家庭崩壊」ではなく、「家族崩壊」である。
けっして他人ごとではない。

この浜松市でも、東海随一の工業都市でありながら、一度東京などの都会へ出た子どもは、戻ってこない。

「戻ってきても、10人に1人くらいかな」(浜北H中学校校長談)。
浜松市でも、家族崩壊は起きている。
いわんや過疎地と言われる地方の町や村では、この傾向は、さらに強い。
が、申氏は、そのことを言っているのではない。
申氏は、こう述べている。

『その後、「私たちは何時も、母親からの愛を溢れるほど受けてばかりいながら、何時も『ごめんね』という言葉を聞かされて育った。私たちが当たり前のように耳にしながら育ったこの言葉は、いざ両親に対してはかけたことがない。言葉の順番が変わるべきだという気がした』(同)と。


Hiroshi Hayashi++++++Oct. 2011++++++はやし浩司・林浩司

2011年10月28日金曜日

*Happy Birthday to Me! (Oct 28th 2011)

【ビデオ2作】(はやし浩司 2011-10-28)満64歳の誕生日に

●自宅(浜松市西区入野町)から、浜松市内まで歩く(途中からバス)



●オーストラリアの友人を案内する(浜北区・森林公園内、森の家に一泊)
 10月26日&27日
 (奥山半僧坊を案内する。)




【BW教室より】

●年長児に、「動物」を教える

(1)


(2)


(3)


(4)


(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 浜松市 入野町 浜松市西区入野町)


Hiroshi Hayashi++++++Oct. 2011++++++はやし浩司・林浩司

*Where are all Japanese Flowers gone?

*********************************
 彡彡人ミミ      彡彡彡彡彡
| ⌒ ⌒ |   MM ⌒ ⌒ MM
q 0―0 MMMMM ∩ ∩ MM m
(″ ▽ M ⌒ ⌒ M″ v ゛)/ ̄)
凸/Σ▽乃q ・ ・ p ̄Σ▽乃 ̄` /
\   /(″ ▽ ゛)\    厂 ̄偶
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 子育て最前線の育児論byはやし浩司     10月 28日号
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【米アップルの共同創業者、スティーブ・ジョブズ会長の死去について】

●ジョブズ氏の死

 私のBLOGには、毎日、いろいろなコメントが寄せられる。
その中でも、気になったのがいくつかある。
たとえば昨日、アップル社会長のジョブズ氏の死について書いた。
その中で、私は、ジョブズ氏のことを、「うまく時流に乗っただけ」「運がよかっただけ」
と書いた。
この部分が、ネット・ユーザーの反発を買った。

 しかし事実を、ここに書く。
年代は忘れた。
しかし順番は、よく覚えている。
私は毎週のように、その店に足を運び、今で言うパソコンと遊んでいた。
私が27、8歳のときのことである。

●ムーンベース

 浜松の北に、一軒の小さな店がオープンした。
「ムーンベース」という名前だった。
間口が、2~3間しかないような、小さな店だった。
入ると、数台のパソコンが並んでいた。
奥にもう一部屋あったように記憶している。

 その店に、まず最初に並んだのが、TOSHIBAのTK-BSという、パソコンだっ
た。
パソコンというより、内部基盤むき出しの電子製品だった。
(そのため「ワンボードマイコン」と呼ばれていた。)
それにマシン語で、プログラムを打ち込む。
表示は1行だけの、今の電卓風のものだった。

 私は迷わず1台購入したが、番号(命令)を覚えるだけで、たいへん。
ギブアップ。
が、そのあとすぐ、コモドール社から、PETというパソコンが売りに出された。
そのすぐあとにタンディ社という会社から、専用モニターに画像を映すパソコンが発売さ
れた。
(「タンディ・ラジオシャック」と呼んでいたように記憶しているが……。)
私はそのPET社の(PET2001)を購入した。

 ムーンベースは、当時、浜松では、たった一軒のパソコンショップだった。
そのムーンベースで、最初にPETを買ったのは、私。
(そのあと、店の主人が、「浜松で3台売れた」というような話をしたのを、記憶のどこか
で覚えている。)

 PETは、BASIC言語で、プログラムを打ち込むことができた。
たいへん珍しいパソコンで、東京のG社(出版社)から、うわさを聞きつけ、編集者がわ
ざわざ取材に来たほど。
私は毎晩、仕事から帰ると、そのパソコンを相手にプログラムを打ち込み、遊んだ。

●アップルの登場

 私はPETを、33~4万円(当時)で購入した。
TK-BSについては記憶は定かではないが、それでも8~9万円くらいではなかったか。
この日本では、アップル社のパソコンが登場したのは、その後のことである。
「Apple ?」というのが、それで、値段は、42~5万円だったように記憶してい
る。

 厚みはあったが、平べったい、箱のようなパソコンだった。
りんごのロゴが、印象的だった。
が、私はタンディ社のパソコンのほうに興味があった。
青いモニターに、白い点で文字を表示することができた。
PET2001より、画面がはるかに大きかった。
キーボードも打ちやすかった。
それが魅力的だった。
言い忘れたが、当時この日本には、日本語(カタカナ)表示できるパソコンは、まだなか
った。

 アップル社のパソコンは、PETと比べても、ダントツに性能がよかった。
それは記憶しているが、値段が高くて、買えなかった。

 たった今、念のため……と思い、タンディ社のパソコンについて調べてみた。
ウィキペディア百科事典には、つぎのようにある。

『1977年8月3日、タンディ TRSー80 Model !) が発表された。
これがタンディ社がホームコンピュータ市場に参入し、コモドールPET 2001や
Apple IIと対抗するきっかけとなった。
価格は599ドルで、当時のラジオシャック店が扱っていた中では最も高価な製品だった。

同社はコンピュータの市場に入ることが出来るのか確信を持っていなかったため、とりあ
えず3000台を製造し、もし売れなかったら3000ある各店舗の業務に使用する予定だった。
タンディは最初の一ヶ月で1万台を販売し、一年で5万5000台を販売した。
1981年1月に販売終了するまで、Model!) は 25万台も売れた』と。

●PET2001

 こうしてウィキペディア百科事典を読みなおしてみると、当時のパソコンの流れが、整
理できて、おもしろい。

 やはりコモドール社のPET2001のほうが、先だった。
Apple ?が、出てきたのは、そのあと。
が、ムーンベースでは、入り口のところに、タンディ社のパソコンが、誇らしげに飾って
あった。
専用のモニターつきで、キーボードもかっこよかった。
あのときのあれが、「TRSー80」だった。
……と、今、その名前を思い出した。
私は、アップル社のパソコンより、タンディ社のパソコンがほしかった。

 が、迷っているうちに、日本のシャープが、この世界に参入してきた。
NECも参入してきた。
私はそれらをつぎつぎと買い換えていった。
(アップル?と、TRS-80は購入していない。)

 ウィキペディア百科事典には、PET2001について、こうある。

 『……世界初のオール・イン・ワン ホームコンピュータPET 2001である。
メモリ(RAM)は 4Kバイトか8Kバイトであり、基本的にはKIM-1の新たなディスプレイ
用チップ (MOS 6545) を加えて、内蔵モノクロディスプレイ(40×25文字表示)を駆動し
た。
画面にはキャラクタ表示しか出来ないが、1キャラクタを縦横各2分割した16パターンの
図形キャラクタを持ち、それを画面に並べることによって80×50ドットの疑似グラフィッ
クス表示をすることができた(キャラクタグラフィックス)。
また、データ記録用のカセットテープレコーダーもキーボードの横に装備していた。PET
2001は、1977年9月ごろ出荷を開始した』と。

 「1977年出荷」とあるから、私が30歳のときということになる。
しかしそれはおかしい(?)。
あるいは私の記憶違いによるものなのか。
私は今まで、私が27~8歳のときにPET2001を購入したと、記憶していた。

 ついでにAPPLE ?については、ウィキペディア百科事典には、こうある。

 『……Apple IIの販売台数は 1978年に7,600台、1979年に35,100台、1980年に78,100
台、1981年には約18万、1982年に約30万台と毎年倍々に増加し、
パーソナルコンピュータの普及に貢献すると共にアップルコンピュータ社の礎を築いた。
Apple IIの生産は1993年まで続き、総計500万台が生産された』と。

 1977年から78年。
たった2年!
私にはその2年間が、長い年月だったように思われる。
その間に、パソコンの世界は目まぐるしく変化した。
ともあれ私が言いたかったのは、「ジョブズ氏がいなかったら、パソコンはなかった」(某
誌氏コメント)というのは、まちがいということ。

 もしあのとき、コモドール社やタンディ社が、そのまま売り上げを伸ばしていたら、ジ
ョブズ氏はいなかったということになる。
ここにもあるように、タンディ社のTRS-80は、25万台。
アップル?は、500万台。
その結果、ジョブズ氏は、アップル社のジョッブズ氏になった。
その点、Basic言語を開発し、WINDOWを開発した、マイクロソフト社のビル・
ゲーツ氏とは、一線を画すものである。

 だから私は、こう書いた。
「時流に乗っただけ」「運がよかっただけ」と。
が、私の意見に対して、怒りを覚えるのは、少し待ってほしい。

●日本の遅れ

 当時の私は、毎日がもどかしくてならなかった。
NECもTOSHIBAも、さらにFUJITSUも、大型のコンピューターを製造して
いた。
その気になれば、ホームパソコン(当時は、そう呼んでいた)など、簡単に製造できたは
ず。
日本の電子技術のほうが、はるかに進んでいた。
が、私が知るかぎり、(当時、私がもった印象では)、日本の会社は、お高くとまったまま。
何も動こうとしなかった。

 そのうちシャープがオールインワン(PETの類似型)のパソコンを売り出し、NEC
は独自のOSをもった、8000シリーズを売り出した。
しかしそのときには、すでに世界の勝者は決まっていた。

 ついでながら、私はあのシャープが発売した、MZ-80についても書いておきたい。
(TOSHIBAやFUJITSUではない、弱電メーカーのシャープだったという点に
も注目!)
使ったのはわずかな期間だったが、(……というのもそのあとすぐ、NECのPC8001
に乗り換えたので)、よいパソコンだった。
デザインも、日本人向けだった。
で、たった今、そのMZ-80について調べてみたが、1978年発売とある。
またPC8001については、翌年の1979年発売とある。

 つまり1977~79年は、まさにパソコンの黎明(れいめい)期。
今から思うと、そんな感じがする。

●日本が敗れる

 パソコンの世界で、日本がアメリカに敗れた理由は、私が知るかぎり、2つある。
ひとつは、NECの98(OS)に代表されるように、日本人は日本製にこだわりすぎた。
「日本で勝てば、世界の勝者になれる」と思い込んでいた。
そんな奢(おご)りがあったのではないか。
 
 それは私自身の個人的な経験とも重なる。
私はIBM仕様のパソコンがすでに世界制覇を成し遂げたあとですら、まだNECの98
にこだわっていた。
で、結果は、ご存知の通り。
IBM仕様のパソコンに乗り換えたとき、私の家の中には、8000シリーズ、9000
シリーズのパソコンが、4~5台、まだそのまま残っていた。

 もうひとつは、お馬鹿な政治家たちに、未来を見通す力がなかったこと。
パソコンより、土木事業ばかりに力を注いでいた。
はっきり言えば、知的能力に欠けていた。
OSの開発においても、アメリカから圧力が加わると、即座にそれに従った。
まさにアメリカの言いなり。
東大の坂村健氏が開発したBTRONなどもその一例※。
当時の私はこんなふうに思った。
「あの田中角栄さんに、ベーシック言語を教えるのは不可能だろうな」と。

 ともあれ、今が、その結果。
もし私たちがアメリカ人なら、ジョブズ氏を称えるのもよいだろう。
たしかにアメリカ人にとっては、英雄。
しかし日本人の私たちが、ジョブズ氏を称えて、どうなる?……どうする?
「ジョブズ氏は時流に乗っただけ」と書いた私を叩いて、どうなる?……どうする?
中には、「ジョブズ氏のいないパソコンの世界は考えられない。ジョブズ氏の死を心から悼
む」(日本人)というようなことを、書いているBLOGまであった。

 すばらしい人物であったことは認める。
しかし、そこまで。
そこでSTOP!

 ……ということをわかってほしかったから、この原稿を書いてみた。
私たちは、そのジョブズ氏との戦いに敗れた日本の日本人。
アメリカは国策として、ジョブズ氏らを応援した。
それを忘れてはならない。

 ついでながら日本の政治家たちのお馬鹿ぶりは、これだけではない。
つぎの原稿も、ぜひ、読んでみてほしい。


Hiroshi Hayashi++++++Oct. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【デジタル教科書について】2010年に書いた原稿より

【デジタル教科書】(どうして時代の流れに反対するのか?)


+++++++++++++++


昨日(2010年12月17日)、書店に
立ち寄った。
驚いた。
デジタル教科書など、時代の
常識と考えていた。
が、そこにはズラリと、
「デジタル教科書・反対論」なる
タイトルの書籍が、並んでいた。
平積みではない。
棚に、同じ本が、表紙を前に、
10冊前後ずつ、並んでいた。
かなりの威圧感があった。
が、即座に私の脳みそが反応した。


デジタル教科書に反対?
これはどういうことなのか?
どうしてデジタル教科書に、
反対なのか?


隣の韓国では、2011年の4月から、
すべての学校でデジタル教科書が
使われるようになるという(報道)。
それが時代の流れなら、デジタル教科書
に反対する理由などない。
近未来の学校教育を想像してみればよい。
「紙」を使った、現在の教科書の
ほうが、時代遅れ。
地球温暖化防止を理由にするまでもない。


++++++++++++++++


●SONYのPSP


 私は現在、SONYのPSP(電子ゲーム機器)を使って、遊んでいる。
「モンスター・ハンター2G」(通称「モンハン」)。
現在、「3G」が発売になっている。
が、「2G」だけでも、精一杯。
買って、もう10日になるが、いまだに初期ステージの村で、うろうろしている。


 そのゲーム。
子どもたちの心を捕らえて放さない。
ゲーム機器を見せただけで、目の色を変える。
PSPをもっているというだけで、私はみなの人気者になってしまった。


毎日のように子どもたちがいろいろなソフトを見せてくれる。
ゲームの仕方を教えてくれる。
おとといは(15日)は、ゲームを無線LANでつないで、たがいに対戦する方法
を教えてもらった。


 私はそういう子どもたちを見ながら、どうしてこういう機器を、教育に
もっと利用しないのか、と考えた。


●パソコンの世界


 パソコンを使っていない人に、いくらそのすばらしさを説明しても無駄。
理解すらできない。
しかしパソコンがそこにあり、ネットにつながっているということは、
座右に、巨大な図書館があるようなもの。
しかも司書つき。
最近では、私は語句の使い方まで、検索をかけて調べるようになった。
辞書がわりにもなる。


 そのパソコンの世界は、まさに日進月歩。
たった10年前には、10GBのハードディスクの出現に目を丸くした。
それまでは「メガバイト」の時代だった。
それがやっと「ギガバイト」の時代になったと思っていたら、友人から電話。
「台湾製だが、10GBのパソコンが出た。買わないか?」と。
私は、すぐとびついた。


 今では、デスクトップパソコンともなると、1TB(1000GB)
は当たり前。
2TBの時代になりつつある。
搭載するメモリーについても、そうだ。
現在私が使っているデスクトップは、12GBのメモリーを搭載している。


 仮に1TBもあれば、全世界の全学年の教科書を丸コピーしても、おつり
がくるはず。
しかしそんな必要はない。
ネットでつなげば、その?億倍の情報を、居ながらにして、自分のものに
することができる。


 私など、この数年、ほとんど図書館へ行っていない。
それまでは毎週のように、図書館へ通っていたが……。
これが時代の流れ。


●可能性


 デジタル教科書の是非を争っても、意味はない。
というのも、デジタル教科書そのものが、無限の可能性を秘めている。
すでに紙のようにペラペラと曲がるモニター(表示装置)も開発されている。
その気になれば、現在使っている教科書とそっくり同じよな教科書も作る
こともできる。


 どうしても……ということなら、それも可能。
(そんな必要はないと思うが……。)


 が、そこで進歩が止まるわけではない。
デジタル教科書といっても、将来的には、かぎりなく薄く、軽くなる。
さらに学校と子どもを、デジタル教科書を介して、直接つなぐことも可能。
もし「性能がよすぎる」というのであれば、いくらでもダウンサイズできる。
大は、常に小を兼ねる。


 反対派の人たちは、「無駄になる」というようなことを言っているようだ。
そういう話は聞いたことがある。
どうして?


 たとえばもっともシンプルにデジタル教科書を考えてみよう。


(1)教科書を、SDカードのようなものにコピーする。
あとはそのSDカードを学年ごとに、差し替えればよい。
子どもたちは、何冊も教科書をもって歩く必要はない。


(2)全国の教師が、自作のテキストやワークブックを共有する。
それだけでも、膨大な情報量になる。


 いいことづくめで、悪いことは何もない。


 どうしてもっとシンプルに、ものごとを考えることができないのか。


●反対論者


 私は私で、白紙の状態から、この問題について考えたかった。
どういう理由で反対しているのか、今の段階では、私にはわからない。
しかしこの問題を考えるとき、ひとつの大きな問題をクリアしなければならない。
それが「知識と思考」の問題。


 この先、知識は、かぎりなく価値を失う。
知りたいことがあれば、パソコンを使い、その場で知ればよい。
言い換えると、「もの知り」は、お呼びではない。


 その半面、「思考」が重要な意味をもつようになる。
わかりやすく言えば、「自ら考える子ども」。
「自ら考える人間」。


 考えるということは、そこにある事実を加工、分析、さらに論理的に
積み重ねることをいう。
その意識、つまり教育に対する考え方を、基本的な部分で、まず変えなければ
ならない。
すでに多くの大学では、「辞書、参考書、持ち込みOK」という入試方法を
とっている。


(AO入試方法については、学力の低下を理由に、見直す大学がふえているのも
事実だが・・・。)


 つまり「学校教育イコール、知識教育」という、旧態の固定観念を捨てる。
「知識」にこだわるかぎり、便利すぎる文明の利器は、人間をかえって怠惰にする。
それはそうだが、暗記に始まって、暗記に終わる現在の教育システムが、だれも正常
とは考えない。


●過去


 少し話を過去に戻す。


 戦後のある時期までは、日本の電子機器は、世界をリードしていた。
が、それは今では、当時の面影は見る影すらない。
ほとんどの分野を、とくに韓国、台湾に奪われてしまった。


 コンピューター教育にしても、しかり。
なぜに、現在の韓国があり、台湾があるか、それを考えてみればよい。
日本が二の足を踏んでいる間に、彼らは、小学レベルから、コンピューター教育を
始めた。
オーストラリアでさえ、現在34歳の二男が11歳だったから、23年以上も前から、
小学レベルでコンピュータ教育をしていた(南オーストラリア州)。
私が目撃した。
さらにアメリカでは、10年以上も前から、しかも4歳児からコンピューター教育を
していた。
私が目撃した(アーカンソー州)。


 が、この日本では、「教員がいない」「教員資格がどうの」「教授を育てるまでに
20年」「カリキュラムが定まらない」などという、理由にもならない理由を並べて、
結局、コンピューター教育は実現しなかった。


 少し乱暴な意見に聞こえるかもしれないが、まず、やってみること。
多少の試行錯誤はあるかもしれない。
失敗もあるだろう。
しかしそんなことを恐れていて、何ができる?


●否定派


 ……という段階で、今朝、反対派の人たちが、どんな理由を並べているか、調べて
みた。
書店にあった本を書いた著者のHPを開いてみた。
そこには、同じようにズラリと、いろいろな人が反対意見を並べていた。
それを箇条書きに、整理してみる(以下、池田信夫氏のウェブサイトより)。


(1)同じような話は20年前からあった。
当時の文部省は、BTRONという日の丸パソコンを全国に配布しようとしたが、
失敗した。


(2)ソフトバンクが、全国2000万人の学生と教員全員に、無料でiPadを
配布すると宣言した。
実態は、デジタル教科書のリース料(ひとり月額280円)を子ども手当てでまかなおう
というもの。
これは税金の食い逃げ。


(3)英語教育ひとつとっても、北朝鮮に負けるような状態。
英語のできない教師をクビにすることもできない。
こんな状態で、生徒に端末を配っても無駄。


(4)ハコモノのばらまき行政では、何も解決しない。
まずやるべきなのは、非効率な教育システムをITで合理化し、無能な教師や
不要な事務員を削減すること。
教育バウチャーなどによって、学校間の競争を導入すること。
(以上、池田信夫氏のウェブサイトより)


●順に検討してみよう


(1)同じような話は20年前からあった。
当時の文部省は、BTRONという日の丸パソコンを全国に配布しようとしたが、
失敗した。


★20年前というと、コンピューターの世界では、やっとラップトップ・パソコンが
TOSHIBAから発売になったころ。
そんなとき、今と同じデジタル教科書の話があった?
少なくとも私は知らない。


(なおBTRONについては、池田氏は誤解している。後述。)


私はそのころ東京の秋葉原まで二男を連れて行き、その1台、買った。
値段は40万円を超えていた。
そんな時代の失敗を、今、どうして持ち出すのか?


(2)ソフトバンクが、全国2000万人の学生と教員全員に、無料でiPadを
配布すると宣言した。
実態は、デジタル教科書のリース料(ひとり月額280円)を子ども手当てでまかなおう
というもの。
これは税金の食い逃げ。


★280円なら、安い!
280円x12か月x12年=40320円。
リースだから、12年後には、さらにすぐれた機能をもった端末機が、現れるはず。
子ども手当てだけも、じゅうぶん、おつりがくる。
教科書会社は巨億の利権にぶらさがり、好き勝手なことをしている。
教科書会社ならよくて、どうしてソフトバンクだと、だめなのか。


(3)英語教育ひとつとっても、北朝鮮に負けるような状態。
英語のできない教師をクビにすることもできない。
こんな状態で、生徒に端末を配っても無駄。


★どうしてここで「英語」が出てくるのか。
「英語教育をやめて、論語を読ませろ」と主張する学者も多い。
英語ではなく、数学や理科では、どうしていけないのか。
英語という「言語」教育であれば、英会話ができる・できないは、つぎの問題。
それに今どき、英語の話せない英語教師はいない!
いつの話をしているのか。
現に今、税金の食い逃げをしている教科書会社を、どうして問題にしないのか?


(4)ハコモノのばらまき行政では、何も解決しない。
まずやるべきなのは、非効率な教育システムをITで合理化し、無能な教師や
不要な事務員を削減すること。
教育バウチャーなどによって、学校間の競争を導入すること。


★教育は、能率だけではできない。
「カリキュラム」という言葉を使って反対する人も多い。
しかし教育は、カリキュラムどおりには、進まない。
相手は、子どもという「人間」である。
そのときの様子をみて、臨機応変に対処する。
それが教育である。


 また「無能」という言葉を安易に使ってほしくない。
同じ公務員の中でも、もっともハードな仕事を強いられているのが、学校の教師。
1週間の間に、「空き時間(=休み時間)」が、カリキュラム通りだと、1~2時間
しか取れない。
それを教師たちがみな、たがいにやりくりしあって、3~4時間にしている(静岡県)。
「無能」という言葉を使うなら、まず自分でやってみること。


●「やらまいか精神」


 浜松に住むようになって、40年。
当初、この浜松へ来て、驚いたことが2つある。


 ひとつは、「文化」の「ブ」の字も感じなかったこと。
おそろしく文化の低い町と思った(失礼!)。


 たとえば私が学生時代を過ごした金沢では、毎週のように近くの公民館で、
講演会があった。
大学やその道の専門家が、町の人たちに何かの講演をしていた。
夕方になると、あちこちから三味線や謡(うたい)の音や声が聞こえてきた。
祭りともなると、城内の大学生が率先して参加していたし、コンサートも頻繁に
行われていた。
浜松には、静岡大学の工学部もあったが、学生の「臭い」すら、どこにもなかった。
しかし、この話は、今回のテーマには関係ない。


 もうひとつは、「やらまいか精神」。
無責任と言えば、無責任。
無謀と言えば、無謀。
しかしこの浜松の人たちは、何でも新しいものが、好き。
当時私はいくつかの会社を回りながら、貿易の手伝いをしていた。
社内報も書いていた。
そんなとき私が何か新しいことを提案すると、経営者たちはみな、即座に、
「やらまいか(やってみよう)!」と答えてくれた。
ポンと言えば、ポンと返ってくる。
そんな感じだった。
これを称して「やらまいか精神(魂)」という。


 金沢は何かにつけて、保守的。
それに対比して、浜松は何かにつけて、革新的。
今では、そうした土着性はともに、かなり薄められてしまったが、なくなってしまった
わけではない。
逆算すると、50年前には、その「やらまいか精神」は、もっと強かった。
100年前には、もっと強かった。


だからこの浜松から、HONDAが生まれ、SUZUKIが生まれた。
YAMAHAが生まれ、KAWAIが生まれた。
ROLANDもうまれた。
ホトニクスも生まれた。
ついでにあの豊田左吉も、この浜松(浜名湖の西)で生まれ育っている。
TOYOTAの豊田左吉だぞ!


 もしこの浜松がなかったら、その後の、そして現在の日本はなかった!


●BTRON


 日本全体が、今風に言えば、草食系になってしまった。
おとなしく、万事、事なかれ主義。
池田信夫氏のウェブサイトを読んでいると、それを強く感ずる。
BTRONの話が出たので、ついでに一言。


 BTRONというのは、東京大学の坂村健氏によって開発された、ビジネス向き
OS。
(デジタル教科書の話ではなく、OSの話だぞ!)
当時日本には、アップルのOSのみがあり、Windowsは、まだ実用段階には
入っていなかった。
それで時の政府が、BTRONに目をつけ、全国の学校を基盤に普及させようとした。
が、これに「待った!」をかけたのが、時のアメリカ政府。
「スーパー301条」の適応をちらつかせ、それを抑え込んでしまった。
池田氏が言うように失敗したのではない。
日本が二の足を踏んでいるちょうどそのとき、アメリカによってつぶされてしまった。


 またBTRONは、OS(オペレーティング・システム)の話であって、今回の
デジタル教科書の話とは、まったく関係がない。
BTRONが失敗したから、今度も……という主張には、無理がある。
池田氏は、デジタル教科書とBTRONの失敗(?)を、たくみにすりかえている!


 一方、この日本でもコンピューター教育の動きはあった。
やはり20年ほど前のことである。


 それを全国に普及させようとしたのが、時の通産省。
反対したのが、時の文部省。
失敗したのでは、ない。
その理由は、先に書いた。


再度、平たく言えば、「教員免許をもった工学系の教師がいない」「教員免許をもたない
教師は、教壇に立たせるわけにはいかない」「コンピューターの指導資格をもった
教員を育てるためには、教育学部に、その学部を作らねばならない。そのためには、
20年かかる」と。


●終わりに


 あのとき、BTRONを全国に普及させていたら、その後の日本は大きく
変わっていただろう。
日本には電子産業の分野で、世界をリードする底力があった。
現にアメリカにさえ、一歩も二歩もリードしていた。


もしあのとき、日本がコンピューター教育を推進していたら、その後の日本は
大きく変わっていただろう。
今ごろ世界中のコンピューターで、BTRONが活躍していたかもしれない。
少なくとも韓国や台湾に、遅れを取ることはなかった。
今や日本の電子産業は、風前の灯火(ともしび)。
今では国民1人あたりの所得では、シンガポールに抜かれてしまった。
2025年には、韓国にも抜かれる。


 どうして「やってみないのか!」。


 それがわからなければ、40年前の映画、『2001年、宇宙の旅』を観てみる
ことだ。
あの映画の中に、紙製の本でも出てくれば話は別。
近未来の世界というのは、そういう世界。
どうして今、紙製の教科書にこだわるのか。
その理由が、まったく私には理解できない。


 迷っているヒマはない!


 デジタル教科書は、いますぐ軌道に乗せたらよい。
何を迷っているのか!
「まず、羽ばたけ。体はあとからついてくる!」。


 このつづきは、またあとで書いてみたい。


(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 デジタル教科書 電子教科書 教科書のデジタル化)

池田信夫氏のサイト
http://agora-web.jp/archives/1065328.html


Hiroshi Hayashi++++++Oct. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【こういう議論は、疲れる!】(ジョブズ氏の死についての原稿・PART3)

●どうして追悼番組?

 Apple社の会長、ジョブズ氏についての原稿を書いた。
「時流に乗っただけ」「運がよかっただけ」と。

その私の原稿に対して、「偉そうなことを書くなら、自分でやってみろ」と、
そんなコメントを書いてきた人がいた。

 ジョブズ氏は、ネットの世界では神様のような存在である。
それは知っている。
わかっている。
が、「追悼番組」(N動画)まで、流す必要はない。

それがわからなければ、1978~9年時の、
パソコン黎明期を思い出してみればよい。
日本のメーカーは、つぎつぎと敗退していった。
まさにAPPLEのひとり勝ち。
(日本ではともかくも、世界ではそうだった。)
前回の原稿(PART2)では、その当時の様子を詳しく書いた。

●ジョブズ氏は、アメリカ人

 が、忘れてはいけない。
APPLE社は、アメリカの会社である。
日本の会社ではない。
ジョブズ氏は、その会社の会長。
アメリカ人である。
どうしてその会社の会長の死を、私たち日本人が
悼まねばならないのか。
さらにわからなければ、こんなふうに考えてみればよい。

 リッター30キロというハイブリッド車を生み出したのは、
日本のTOYOTAである。
ハイブリッド社のおかげで、排出二酸化炭素の量は、ずいぶんと減ったはず。

もしここでTOYOTAの豊田S氏が亡くなったとしたら、
アメリカ人は、追悼番組など、流すだろうか。……流してくれるだろうか。
だれかがアメリカで、豊田S氏を批判したら、
そのだれかを、べつのだれかが批判するだろうか。

●私は国粋主義者ではない

 私は国粋主義者ではない。
ただの日本人である。
しかしAPPLE社のジョブズ氏を称える人たちは、
自分たちをいったい、何人と思っているのか。

 が、ネットの世界は、たいへん異質な世界である。
現実離れしている。
たとえばテレビゲームを批判しただけで、猛烈な抗議の嵐が、襲ってくる。
「ゲーム脳」という言葉を使っただけでも、そうだ。
中国や韓国では、ゲーム中毒の若者たちの更正施設までできている。
が、日本には、ない。
日本にはゲーム中毒の若者はいないということなのか?

 少し脱線したが、言い換えると、ネットの世界で、ネットにハマっている人たちは、
「ネット人」であって、日本人ではない。
そう言い切ってもおかしくないほど、私を攻撃してくる人は、
私が住んでいる世界とは、異質の世界に住んでいる。

●「ぼくは欧米人だ」

 そう言えば、現在、20~30代の人たちが小学生だったころのこと。
私はある日、その小学生たちにこう言った。
「君たちは、何人か?
アジア人か、欧米人か?」と。
するとほとんどの子どもたち(全員)は、こう答えた。
「欧米人に近い日本人」と。
「欧米人」とはっきりと答える子どもも、少なくなかった。

そこで私が「君たちは、アジア人だよ」と言うと、「ぼくたちは
アジア人ではない。肌も白い」と。

 これについては、その当時出版した本の中でも書いた(「受験に克つ子育て法」)。
その当時、そう考えていた子どもたちが、今、20代、30代の若者
になっている。

行きすぎた民族主義には反対する。
危険な思想と断言してもよい。
しかしその反対に、ここまで無国籍人間になるとは?
「ネット人間」と呼ばれる人たちは、そういう人たちをいう。

●頭を冷やそう

 今、中学生や高校生に、こう聞いてみたらよい。
「北朝鮮が日本へ攻めてきたら、君たちはどうする?」と。

 するとやはりたいはんの子どもたちは、こう答える。
「アメリカが叩いてくれる」とか、「アメリカに頼めばいい」と。
これはウソでも誇張でもない。
私は、毎日、そういう中学生や高校生に、仕事上、接している。

 が、どうしてアメリカが、アメリカ人の命をかけて、日本を守らなければならないのか。
反対に、アメリカとメキシコが戦争を始めたばあい、日本の軍隊は、アメリカまで行って、
アメリカを助けるのか。

 オメデタイというより、バカげている。
日本人よ、日本の若者たちよ、頭を冷やせ。
もう少し自分たちの姿を冷静に見ようではないか。
私たちは日本人だぞ。
日本に住む、日本人だぞ。

君たちは、飽食とぜいたくの中で、自分の本来の姿を見失ってしまっている。

●12時間で、20万台!

 ロイターは、つぎのように伝える。

『……米アップルの高機能携帯端末(スマートフォン)「iPhone(アイフォーン)」
の新機種「4S」について、予約販売開始後の12時間で20万台以上の注文が入ったと
し、「桁外れの需要」があると明らかにした」と。

 12時間で、20万台!
結構な話である。
まことにもって、うらやましい話である。
日本人の中にも、「4S」に飛びついた人は、多いはず。
が、それはそれ。
が、私たち団塊の世代は、ちょっとだけだが、別の考え方をする。
一線を引く。

「どうして日本のメーカーには、それができないのか」と。
「ただアメリカの成功を指を食わえて見ているだけなのか」と。
さらに言えば、「あの電子立国だった、日本は、どこへ消えたのか」と。

 その(別の……)という部分が、今回の私の原稿の趣旨である。
私の原稿を批判する前に、今一度、私たちは何人なのか、その原点の立ち返ってほしい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

2年前の2009年10月に、
以下のような原稿を書いたことがある。
ちょうど2年前の原稿である。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
以下、2009年10月記

【東アジア共同体構想】(脱・アメリカ追従外交の危険な落とし穴)

++++++++++++++

東アジア共同体構想は、見かけは
ともかくも、失敗する。
日本の外資が威力を失ったとき、
命運は尽きる。

++++++++++++++

●アジアのリーダーとして

 今からちょうど40年前。
日本は、新幹線を走らせ、東京オリンピックを成功させ、かつ大阪万博を開き、まさに破
竹の進撃をつづけていた。
高度成長期に突入していた。
そのころアジア各国の人たちは、日本を、畏敬の念と、脅威の念の、2つの入り混ざった
目でながめていた。

「畏敬の念」というのは、「アジア人でも、やればできるのだ」という自信の先頭、それを、
日本が切ったということ。
「脅威の念」というのは、当然のことながら、第二次世界大戦の後遺症をさす。
同時に日本の軍事的脅威論も、このころあちこちで論じられるようになった。

 が、もうひとつ、日本人が読めなかった心がある。
たとえば、アジアの人たちは、日本人が作る自動車を見て、「同じアジア人が作った」と喜
んだ。
理由のひとつとして、日本以外のアジアの国の人たちは、長い間、欧米諸国の植民地であ
ったことがあげられる。

当時の日本人がもつ欧米コンプレックスには、相当なものがあった。
欧米人と見ただけで、頭をさげた。
しかし他のアジア各国、とくに東南アジア各国の人たちがもつ、欧米コンプレックスには、
独特のものがあった。
隷属意識、劣等意識、逆差別意識……そういったものが、渾然一体となって、彼らの欧米
コンプレックスを作りあげていた。
彼らは、欧米に、彼らの植民地として隷属したという、暗い歴史がある。

私は、『世にも不思議な留学記』の中で、こんなことを書いたことがある。

 ある朝のこと、突然、私はアジア各国からの留学生たちに起こされた。
「何だ!」と思って起きてみると、いちばん仲がよかったタン君(マレーシアン中国人)
が、こう言った。

 「ホロシ(私のこと。タンは、いつも私をそう呼んでいた)、来てみろ、すごい車がある」
と。
 みなといっしょに道路へ出てみると、そこにマツダのサバンナという車が置いてあった。
ダッシュボードが、ボンネット側に湾曲している、それまでに見たことのないデザインの
車だった。
タンは、こう言った。
「白人が、アジア人の作った車に乗っている!」と。

 当時の日本人は、そうしたアジアの人たちの心を読めなかった。
今も、今度は、逆の立場で読めないでいる。

話を先に進める前に、『世にも不思議な留学記』の1作を紹介する。
内容的に、話が脱線するが、許してほしい。
東南アジアで、日本がどういう立場にあるか、それをわかってもらえると思う。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●人種差別

 大学のカフェで食事をしていると、私を取り囲むようにして、4、5人のオーストラリ
ア人がすわった。そして手にしたスプーンの腹で、コツコツとテーブルをたたき始めた。

 「立ち去れ」という合図である。気まずい時間が流れた。私はすでに食事を始めていた。
が、そのとき、身長が1メートル90センチはあろうかという大男が、私の横に座った。
長い髪の毛で、顔中、ヒゲでおおっていた。その男が、スプーンをならしている学生たち
に向かって、低い声でこう言った。「ワット・アー・ユー(お前たちは何だ)」と。

 その一言で、学生たちはスプーンをたたくのをやめた。やめて、その場を離れた。その
大男というのが、デニス君だった。本名は、デニス・キシアという。今でも私の無二の親
友だ。

●皿に口をつけてズルズルとスープを飲んだ

 同じころK大学医学部の講師たち3人が、一週間の予定で、メルボルン大学へやってき
た。そしてハウスのゲストルームに滞在した。豪快な人たちだ……と、最初はそう思った。
しかし品位に欠けていた。スープ皿に口をつけてズルズルとスープを飲んだり、ハウスの
飯はまずいと言っては、どこで手に入れたのか魚の目刺しを買ってきて、それを部屋の中
で焼いて食べたりしていた。

 その中の1人が、こう言った。「オーストラリアも、ギリシャ人やイタリア人なんか、移
民させるもんじゃないよな。雰囲気が悪くなる」と。

 当時の日本人で、自分がアジア人だと思っている日本人は、ほとんどいなかった。世界
の人は、半ば嘲笑的に日本人を、「黄色い白人」と呼んでいた。が、日本人は、それをむし
ろ光栄なこととしてとらえていた。

 しかしアジア人はアジア人。オーストラリアでは、第2級人種として差別されていた。
結婚しても、相手がアジア人だったりすると、そのオーストラリア人も、第2級人種に格
下げされた。その法律は、それから10年ほどしてから撤廃されたが、オーストラリアは
まだ、白豪主義(ホワイト・ポリシー)にこだわっていた。

 つまりもしこの医師の話をイタリア系オーストラリア人が聞いたら、怒る前に吹き出し
てしまうだろう。そういう常識が、その医師たちには、まったくわかっていなかった。い
や、医師だけではない。当時、アボリジニーと呼ばれている原住民を見ると、日本の若い
女性たちはキャーキャーと声を出して騒いでいた。なぜ騒いでいたかは、ここには書けな
い。書けないが、日本人ならその理由がわかるはずだ。

 しかし念のために言っておこう。あのアボリジニーは、4~5波に分けて、アジア大陸
から移住してきた民族である。そのうちの一波は、私たち日本人と同じルーツをもってい
る。つまり私たち日本人は、白人よりも、はるかにアボリジニーに近い。騒ぐほうがどう
かしている。

●人種差別

 人種差別。それがどういうものであるか、それはされたものでないとわからない。「立ち
去れ」という合図を受けたときの屈辱感は、今でも脳に焼きついている。それはそれだが、
問題はその先だ。人種差別をされると、人は2つの考え方をするようになる。

 1つは、「だから自分の属する民族を大切にしなければならない」という考え方。もう1
つは、「民族という名のもとに、人間を分類するのはおかしい」という考え方。

 どちらの考え方をもつにせよ、1つだけ正しいことがある。それは人種や民族の優位性
などというものは、いくら論じても意味がないということ。大切なことは、互いに相手を
認め、尊重しあうことだ。それがあってはじめて、日本を、そして世界を論ずることがで
きる。

 が、そうした世界観は、当時の日本人にはまだ育っていなかった。同じアジア人であり
ながら、日本人は自らを欧米人と位置づけることによって、ほかのアジア人とは一線を引
いていた(中日新聞で発表済み)。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●黄色い白人

 今思い起こしても、当時の日本人は、目が、欧米のほうだけを向いていた。
子どもでも、「自分はアジア人」と自覚している子どもは、皆無だった。
私が、「ぼくたちはアジア人だよ」と教えても、みな、「ちがう」と答えた。
中に、「ぼくたちは、欧米人だ」と言う子どもさえいた。

 こうした意識は、現在の30代、40代の人たちが、今でも共通してもっている。
あるいは自分自身の子ども時代を振り返ってみて、「私はそうでなかった」と自信をもって
言える人は、まずいない。

 つぎの原稿は、10年ほど前に書いたものである。
切り口が少し脱線するが、ここに書いたことは、今でもそのまま通用する。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●教科書の検定制度って、本当に必要なの?

 オーストラリアにも、教科書の検定らしきものはある。しかしそれは民間団体によるも
ので、強制力はない。しかもその範囲は、暴力描写と性描写の2つの方面だけ。特に「歴
史」については、検定してはならないことになっている(南豪州)。

 私は1967年、ユネスコの交換学生として、韓国に渡った。プサン港へ着いたときに
は、ブラスバンドで迎えられたが、歓迎されたのは、その日1日だけ。あとはどこへ行っ
ても、日本攻撃の矢面に立たされた。私たちを直接指導してくれたのが、金素雲氏であっ
たこともある。

韓国を代表する歴史学者である。私はやがて、「日本の教科書はまちがってはいない。しか
しすべてを教えていない」と実感した。たとえば金氏は、こんなことを話してくれた。「奈
良は、韓国から見て、奈落の果てにある都市という意味で、奈良となった。昔は奈落と書
いて、『ナラ』と発音した」と。今でも韓国語で「ナラ」と言えば、「国」を意味する。も
し氏の言うことが正しいとするなら、日本の古都は、韓国人によって創建された都市とい
うことになる。

 もちろんこれは一つの説に過ぎない。偶然の一致ということもある。しかし一歩、日本
を出ると、この種の話はゴロゴロしている。事実、欧米では、「東洋学」と言えば、中国を
意味し、その一部に韓国学があり、そのまた一部に日本学がある。そして全体として、東
洋史として教えられている。

 話は変わるが、小学生たちにこんな調査をしてみた。「日本人は、アジア人か、それとも
欧米人か」と聞いたときのこと。大半の子どもが、「中間」「アジア人に近い、欧米人」と
答えた。中には「欧米人」と答えたのもいた。しかし「アジア人」と答えた子どもは1人
もいなかった(約50名について調査)。先日もテレビの討論番組を見ていたら、こんなシ
ーンがあった。

アフリカの留学生が、「君たちはアジア人だ」と言ったときのこと。1人の小学生が、「ぼ
くたちはアジア人ではない。日本人だ!」と。そこでそのアフリカ人が、「君たちの肌は黄
色ではないか」とたたきかけると、その小学生はこう言った。「ぼくの肌は黄色ではない。
肌色だ!」と。

 2001年の春も、日本の教科書について、アジア各国から非難の声があがった。韓国
からは特使まで来た。いろいろいきさつはあるが、日本が日本史にこだわっている限り、
日本が島国意識から抜け出ることはない。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

 話を「東アジア共同体構想」に戻す。

●東アジア共同体構想

 民主党政権になって、鳩山首相は、「東アジア共同体構想」というものを、ぶちあげた。
「脱・アメリカ追従外交」を一方で唱えながら、「アジア重視の外交」を主張した。

 私も30~40年前の私なら、鳩山首相のこの発想を支持しただろう。
またそのときなら、日本は、そのままアジアのリーダー(宰主)として、中国をも東アジ
ア共同体構想の一員として、取り込むことができた。

 が、今ごろ、どうして、東アジア共同体構想なのか?
むしろ立場は、すでに逆転している。
逆転していないまでも、東南アジア各国の人たちは、「日本なしでもやっていける」と考え
始めている。
つまり「東南アジア諸国連合(ASEAN)」に、頭をさげるべきほうは、むしろこの日本
なのである。
 「どうか、日本も、ASEANに加入させてください」と。
それを大上段に構え、「ASEANプラス3」とは!

 「プラス3」というのは、日本、中国、韓国の3か国をいう。

 が、このプラス3は、中身にも問題がある。

(1) 韓国のもつ反日感情、あるいは日本へのライバル意識。
(2) 東南アジア各国の、反中国感情、もしくは反中国意識。

 この2つをさておいたまま、鳩山首相は、「ASEANプラス3」を唱えている。
さらに問題が起きた。
側近を、「脱・アメリカ追従外交論者」で固め、反米とまではいかないにしても、アメリカ
にそのような印象を与えるような行動を始めてしまった。

 毎日新聞は、つぎのように伝えている。

●アジア重視の外交政策?

+++++以下、毎日新聞+++++

 鳩山由紀夫首相は9、10両日、韓国、中国を相次いで訪問する。
9日午前にはソウルで韓国の李明博(イ・ミョンバク)大統領との首脳会談、10日は北
京で中国の温家宝首相、李大統領との日中韓首脳会談に臨む。
首相就任後、国際会議出席以外では初めての外国訪問で、アジア外交重視の姿勢をアピー
ルする。

 日韓首脳会談は、両首脳間の信頼関係の構築が主要な目的。北朝鮮の核問題を巡る6カ
国協議への早期復帰に向けた連携を確認する。
日韓連携を重視する姿勢を示すことで、「東アジア共同体構想」をはじめとするアジア外交
を主導的に進めたい狙いもある。

(中略)

鳩山首相も「東アジア共同体構想」についての理解と協力を求める。3カ国会談後、両首
相の個別会談もある。

+++++以上、毎日新聞+++++

さらに、鳩山首相は、岡田外務大臣をアジア各国に派遣した。
同じく毎日新聞は、つぎのように伝えている。

●受けたのは、外交的虚礼

+++++以下、毎日新聞+++++

岡田克也外相は13日、インドネシアを訪問し、ハッサン外相と会談した。
鳩山政権が推進する東アジア共同体構想について、「インドネシアは重要なパートナーだ」
として協力を要請し、この問題で両国が協議していくことで一致した。

 東アジア共同体構想について岡田外相は「東南アジア諸国連合(ASEAN)の中で存
在感を高めているインドネシアと協力しながら、具体化に努めたい」との考えを示した。
これに対しハッサン外相は「包括的でバランスの取れたものにすべきだ」と述べた。

その上で、ASEANプラス3(日中韓)や東アジア首脳会議などの枠組みを踏まえ、両
国が統合に向けて協力し、協議を続けることで合意した。

+++++以上、毎日新聞+++++

 当然のことながら、これに「待った!」をかけたのが、アメリカ。
こうした一連の日本の動きをとらえながら、「日本は中国よりも、やっかいな国になった」
(オバマ政権)と、鳩山外交を評した。

 英語で、何と言ったかはわからない。
しかし日本は、すでに40年以上も前から、「異質な国」と位置づけられている。
アメリカ人にしてみれば、東南アジアの人たちの方が、まだわかりやすい。
欧米の植民地だったということで、欧米流のものの考え方が定着している。

 が、この日本は、ちがった。
わかりやすく言えば、日本、さらに日本人は、彼らの理解の範囲を超えていた。
そうした流れは、今でもつづいている。
「日本は中国よりも、やっかいな国になった」と言いながら、アメリカは、日本に向かっ
て、「アメリカはずしは許さない」と警告した。

 そして今月(09年10月)、タイのフアヒンで、東南アジア諸国連合(ASEAN)の
首脳会議が始まった。
そこへ鳩山首相は出かけていき、東アジア共同体構想を正式にぶちあげ、アメリカの参加
を求めることを提唱した。

 鳩山首相の一連の動きを、順に追ってみたい。

●無意味な外交巡礼?

+++++以下、毎日新聞+++++

鳩山由紀夫首相は24日にタイ中部のフアヒンで開かれる東南アジア諸国連合(ASEA
N)との首脳会議など一連の会合で、自らが提唱する東アジア共同体構想に関して、米国
の参加を求める考えを表明する。

松野頼久官房副長官がバンコクに向かう政府専用機内で、同行記者団に明らかにした。
 首相は「ASEANを含む東アジア諸国は東アジア共同体構想の中核で、米国の関与は
極めて重要だ」との考えを表明する。

 これまで首相は「米国を排除する発想は持っていない」としていたが、参加国の枠組み
などについては明確な言及を避けており、米国の参加を明言するのは初めて。
米軍普天間飛行場の移設問題で日米間の相違が顕在化しており、配慮をする必要があると
判断したとみられる。

+++++以上、毎日新聞+++++
+++++以下、毎日新聞+++++

鳩山由紀夫首相は24日午前(日本時間同日午後)、タイのアピシット首相ら東南アジア諸
国連合(ASEAN、10カ国)の首脳と会談した。
ASEAN各国を自ら提唱する「東アジア共同体構想」の中核メンバーと想定する鳩山首
相は、同構想を長期的なビジョンとして説明し、協力を呼びかける。

また、タイやベトナム、カンボジアなどメコン川流域国の経済成長へ向けた支援を表明す
る。
 これに先立ち、鳩山首相は議長国のアピシット首相と個別に会談し、東アジア共同体構
想を説明した。

+++++以上、毎日新聞+++++
+++++以下、毎日新聞+++++

鳩山由紀夫首相は24日、東南アジア諸国連合(ASEAN、10カ国)との首脳会議、
さらに中国と韓国を加えたASEANプラス3首脳会議に出席し、自ら提唱する東アジア
共同体構想への支持を呼びかけた。

首相はASEANが共同体構想の中核になるとの認識を示し、各国首脳も「長期的な目標」
として協力していくことで一致した。
今後は将来の共同体構築につながる具体的な地域協力の推進が課題となる。

 一連の会議で首相は共同体構想について「長期的なビジョンを掲げて、開かれた地域協
力の原則に立って着実に進めていきたい」と説明。
「日本の外交政策として日米同盟を基軸と位置付けている」とも述べ、何らかの形で米国
が関与できる仕組みを検討する姿勢を強調した。
具体的な協力分野としては経済や新型インフルエンザ対策、情報通信などを挙げ、理解を
求めた。

 ASEANや中韓側からは「長期的な目標として取り組んでいきたい」「東アジア協力の
議論を再活性化した」と評価する意見が相次いだほか、「統合が進むASEANが主導的な
役割を果たす」との発言もあった。

ASEANプラス3では、首相は「日中韓協力を東アジア協力の推進力とする」と強調。「過
去を直視しながら未来志向の関係をアジア各国と築いていく」と述べた。
また通貨危機に対応して外貨を融通し合う「チェンマイ・イニシアチブ」などアジア地域
の金融安定化に貢献する考えも表明した。

+++++以上、毎日新聞+++++

●アメリカはずしは、時期尚早

 「プラス3」というが、まず、日本は、どうやって、あの中国と韓国を、仲間にまとめ
るというのか。
1回や2回、首脳会談をもったくらいのことで、中国や韓国の、反日意識や反日ライバル
意識が氷解するなどということは、ありえない。
ありえないことは、ここ10年に渡ってつづいた、日韓経済戦争を見ればわかる。
日中経済戦争でもよい。
その戦争は、今の今も、つづいている。
むしろ今年に入ってからも、生き残りをかけて、さらに熾烈さを増している。

 そんなこともあって、今、日本からアメリカをはずすのは、時期尚早。
あまりにも稚拙。
たしかに「追従」しているが、追従しなければならない歴史的、かつ外交的背景が、そこ
にある。

 なぜ、日本が戦後60年以上に渡って、平和を保つことができたか。
かつ国防費を対GDP比で、1%以下に抑えることができたか。
何もアメリカの高官にあえて脅されるまでもなく、アメリカ軍が日本に駐留していたから
にほかならない。

 何度も繰り返すが、もしアメリカ軍が駐留していなかったら、今ごろ日本は、跡形もな
く粉々にされていた。
スターリン・ソ連、毛沢東・中国、李承晩・韓国、金日成・北朝鮮、さらにマルコス・フ
ィリッピン連合軍が、繰り返し、日本を襲ったであろう。
悲しいかな、粉々にされてもしかたないことを、日本は、先の戦争でしてしまった。

 外交面においても、そうだ。
あんな北朝鮮ですら、日本はもてあましている。
拉致問題ひとつ解決できないでいる。

 が、「日本のうしろには、アメリカがいる」。
それが日本の外交を、裏から支えてきた。
今も、支えている。
もし、日本が本気で追従外交から脱するときがあるとすれば、日本が軍事面、外交面で、
中国を含む他のアジア諸国から、認知されたときである。

 「認知」という言葉を、「融和」という言葉で置き換えてもよい。
「日本は危険な国ではない」「日本は信頼できる」という、2つの側面が、アジア各国の中
で融和したとき、日本は、はじめて対米追従外交から脱却できる。

 が、今の日本にあるのは、経済力のみ。
(その経済力も、風前の灯だが……。)
そのことは、今回の鳩山総理の動きを見てもわかる。
言うなれば、札束をパラパラと見せつけながら、ASEANの会場に乗り込んだ。
今はまだ、多少なりとも、ジャパン・マネーに威力が残っているからよいようなものの、
しかしこんな方法は、いつまでも長つづきしない。
2015年どころか、来年の2010年には、アジアにおいて、日本と中国の立場は、逆
転する。

 また「東アジア共同体構想」という名称そのものが、「東」、つまり「日本を中心とした」
という意味である。
この国際性のなさ。

東南アジアの人たちは、日本人が、自分たちを東南アジア人と思っていないのと同じよう
に、自分たちは東アジア人とは、思っていない。
むしろ「東アジア共同体構想」というのは、先の戦争中に日本の軍部がぶちあげた、「大東亜共栄圏」の流れの中にある。
少なくとも中国を含む東南アジアの人たちは、そう考えている。

 「東アジア……」ではなく、ぶちあげるとしても、「東」を取って、「アジア共同体構想」
とすべきだった。

●どうして、今?

 日本には日本のプライドがある。
それはわかるが、10年後、20年後の日本を考えるなら、今はそのプライドを捨て、A
SEANに頭をさげるべき。
「どうか、仲間に加えてください」と。
何も、中国や韓国を、いっしょに連れて行くような話ではない。
もっとはっきり言えば、中国や韓国を無視して、ASEANに加入すればよい。
もし逆の立場だったら、つまり中国や韓国の経済力が、日本を凌駕(りょうが)するよう
になったら、彼らは日本は完全に無視されるだろう。

 簡単に言えば、どこかの社交クラブに行くとき、自分ひとりでは心細いからという理由
で、隣人とはとても言えないような隣人を、連れていったようなもの。
こういうのを、(お人好し外交)と呼ぶ。

 韓国は、それによって、ASEANの中で独自の立場を構築するだろう。
しかし問題は、中国。
中国など連れていったら、まとまる話も、まとまらなくなる。
もともとASEANというのは、対中国脅威論がベースになって、誕生した。
そんな歴史的経緯すら、鳩山総理は知らないというのか!

 どうであるにせよ、鳩山首相の一連の行動は、このまま「勇み足」につながりかねない。
もう少しじっくりと考え、時間をかけるべき。
何かのアドバルーンは必要かもしれないが、それは二期目でもよかった。
総理大臣になったとたん、いきなり「東アジア共同体構想」とは?
こうした大構想には、根回しというか、地道な基礎づくりが必要。
その基礎を積み重ねながら、道筋を作っていく。

 以上のことを総合すると、(1)東アジア共同体構想は、失敗する。
日本は残った財力を使い果たすような形で、結局は失敗する。
また(2)そうでなくても、日米関係は崩壊寸前。
これを機会に、日本は丸裸のまま、中国という猛獣の前に放り出されることになる。
その覚悟も、またその準備もないまま、今、ここで「脱・アメリカ追従外交」を唱えるの
は、危険、きわまりない。

 さらに言えば、アメリカに脅されて、(3)東アジア共同体構想に、アメリカを加えると
宣言したが、それ自体が、すでにこの構想を破壊したことを意味する。
アメリカは、ASEANを、アメリカの支配下に取りこもうと、あの手、この手を使って
画策してきた。
東南アジアの人たちは、そのアメリカをうまくかわしてきた。
アメリカへの警戒心も強い。
その警戒心も冷めやらぬ今、「アメリカも」ということになれば、崩壊するに決まっている。

 鳩山総理も海外留学組だから、その発想とするところは、よくわかる。
しかしそれは30~40年前の発想。
今は、時代も中身も変わった。
アジアにこだわらなければならない理由はない。

 が、批判ばかりしていては、いけない。
そこで発想を変えて、日本は、アジアを飛び越えて、一気に、インド、ブラジルと共同体
を組んではどうか。
(韓国政府は、すでにそういう方向で動いている!)
そして中国そのものを、取り囲んでしまう。
どうしても「共同体」ということであれば、そのほうが実現性は高い。
将来のメリットも大きい。
(以上、2009年10月25日朝・記)

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 東アジア共同体 共同体構想 大東亜共栄圏 脱アメリカ追従外交 
追従外交)(以上、2009年10月記)

(付記)2011/10/08記

 鳩山由紀夫首相(当時)の「共同体構想」は、入り口のところで頓挫した。
結局、日本は、恥をかいただけ。


Hiroshi Hayashi++++++++Oct. 09+++++++++はやし浩司

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

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よろしくお願いします。              はやし浩司
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.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
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2011年10月27日木曜日

*First jump out, the you know how to fly!

【小1児&小2児と立体模型作りをする】+BW教室、ありのまま

●立体模型作りをしました。BWでは、「まだ教えてもらっていないから、できない」などと弱音を吐く子どもは、いません。(教えない)ことを前提に指導しているからです。この指導法は、学校での指導法の逆です。学校では、(まず教える)。つぎにそれを子どもたちに(まねさせる)。「学ぶ」という言葉は、「まねる」という言葉からうまれていることからも、それがわかります。「失敗してもいい。まちがえてもいい。まずやってみなさい」というところから、いつもレッスンをスタートさせています。(2011/10/27)

(1)小1児



(2)小1児



(1)小1&2児



(2)小1&2児



Hiroshi Hayashi++++++Oct. 2011++++++はやし浩司・林浩司

2011年10月26日水曜日

*E-Magazine (oct 26th 2011)

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q 0―0 MMMMM ∩ ∩ MM m
(″ ▽ M ⌒ ⌒ M″ v ゛)/ ̄)
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 子育て最前線の育児論byはやし浩司     10月 28日号
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【小学1年生と2年生に、正負の数の計算を教える】(はやし浩司 2011-10-06)

●今週は、小1~2クラスでは、正負(+&-)の数の計算を教えました。
 たいへん恵まれた子どもたちで、全員が、ねらいどおり、計算できるようになりました。

(1)


(2)


(3)


【1】


【2】


【3】



Hiroshi Hayashi++++++Oct. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●小沢疑獄事件と4億円(天の声vs巨億の利権)2011/10/07記

+++++++++++++++++

★岩手県や秋田県では、公共工事の談合で
小沢事務所の了解がなければ本命業者には
なれない状況だったという(判決要旨)。

★小沢事務所の秘書から発せられる本命業者と
することの了解はゼネコン各社にとって
「天の声」と受け止められていたという
(判決要旨)。

★元公設第1秘書の大久保隆規被告は2002~03年
ごろから天の声を発出する役割を担うように
なったという(判決要旨)。

+++++++++++++++++

●問題のすり替え

 今日、小沢一郎氏は、「完全無罪」を主張した。
が、今回の裁判では、そもそも、争点がズレている。
私たちが知りたいのは、「4億円の出所」。
つまり「入り口」。

が、裁判では、その「出口」が争われることになった。
つまり使われ方についての手続きの違法性が争点になっている。
わかりやすく言えば、仮に有罪になっても微罪。
本来問われるべき収賄罪とは、罪の重さがちがう。

 つまり小沢一郎氏は、巧みに問題のすり替えをしている。
肝心の4億円の出所を伏せたまま、出口だけを取りあげ、「違法なことはない」(公判後会
見)と。
が、その「出口」もおかしい。
裁判官は、つぎのように判断している。

『……加えて、石川被告が4億円を同年10月13日から28日まで前後12回にわたり5銀
行6支店に分散入金したことなどは、4億円を目立たないようにする工作とみるのが合理的。
4億円を原資とする土地取得も、04年分報告書に載ることを回避しようと隠蔽工作をした
とも推認される』(判決要旨)と。

 仮にそれが罪でなくても、なぜ「4億円を同年10月13日から28日まで前後12回にわ
たり5銀行6支店に分散入金したか」について、小沢一郎氏は、説明する義務がある。
さらにここにもあるように、04年に土地代金を支払いながら、名義変更は、翌年の05
年に回している。

 私も、生涯において何度か土地売買の取り引きをしたことがある。
しかしこんなバカげた取り引きをしたことは一度もない。
小沢一郎氏は、代金を04年(10月)に払い、名義変更を05年(1月)にしている。
ふつう土地の売買においては、代金の支払いと同時に名義変更をする。
そうでもしなければ、買い手は不安でならない。

 それを裁判官は、「04年分報告書に載ることを回避しようと隠蔽工作をしたとも推認され
る」と判断している。
つまりもともと胡散(うさん)臭いお金だから、そういう小細工をした(?)。
だれしもそう考える。

●裁判では……

 今回の裁判では、小沢一郎氏は、無罪となる可能性はきわめて高い。
小細工を罰する法律はない。
「たまたま私はそうしただけです」と主張すれば、それ以上、小沢一郎氏の責任を追及す
ることはできない。
4億円についても、「私のお金」(公判後会見)と突っぱねるだろう。

 が、それで私たち国民が納得するかどうかというと、それはない。
私たちは納得しない。
私たちが知りたいのは、あくまでも「入り口」
4億円の出所。

 裁判官は、「岩手県や秋田県では、公共工事の談合で小沢事務所の了解がなければ本命業
者にはなれない状況だった」と断じている。
巨億の事業体である。
それが「天の声」として、長年に渡ってつづいていた。
もし裁判官が言っているとおりとするなら、4億円など、ハシタ金。
その10倍の40億円、さらに100億円と聞いても、私は驚かない。

 が、なぜか、検察側は、本命と言うべき贈収賄罪についての立件を断念している。
なぜか?

●もの言わぬ従順な民

 それにしても驚くべきことは、私たち日本人のもつ「従順さ」。
本来なら、もっと怒ってよいはず。
が、何も言わない。
何も行動しない。
怒りの声すら、あげない。

 いつの間にか、私たち日本人は、キバを抜かれてしまった。
自ら考えることすら、放棄してしまったかのようにも見える。
が、そんなのは美徳でも何でもない。
その先にあるのは、民主主義の崩壊。
いや、すでに崩壊している。

 日本は官僚主義国家。
こんなところで、へたに民主主義を補強すれば、自分たちの立場がかえって危うくなる。
国民を、「もの言わぬ従順な民」にしておくことこそ、肝要。
官僚とゼネコン。
この両者を癒着してくれる政治家こそ、彼らが望む政治家ということになる。
言い換えると、日本の民主主義は、ここまで地に落ちた。
今朝の小沢裁判の新聞記事を読みながら、そんなことを考えた。


Hiroshi Hayashi++++++Oct. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●10月7日(2011)

●ジョブズ氏の死

 米アップルの共同創業者、スティーブ・ジョブズ会長が、死去したという。
56歳だったという。
私はこのニュースを知って、こんなことを考えた。
「その一方で、巨億の資産を投資で失い、自殺した人もいるのに……」と。

 たとえば、ドイツの億万長者アドルフ・マークル氏がいる。
彼は電車に飛び込み自殺している(2009年)。
たとえばシカゴ不動産競売業者のスティーブン・グッド氏がいる。
グッド氏は、ジャガーの赤いスポーツカーの中で銃で自殺している(同、2009年)。

その反対でもよい。

 仮に巨億の富を築きあげたとしても、死ねばおしまい。
この宇宙もろとも、この世から消える。
だったら、仮に巨億の富を投資で失ったとしても、自殺するのは、バカげている。
 
 今回の大恐慌においても、こうした自殺者は、この先、跡を絶たないだろう。
アドルフ・マークル氏やグッド氏のような著名人は別として、私の身近にも似たようなケ
ースはいくらでもある。
「事業に失敗して……」と。

 が、やはり死んだらおしまい。

●老後の資金

 この話と、「老後の資金」とどういう関係があるかと聞かれると、つらい。
老後というのは、言うなれば「死の待合室」に入るようなもの。
いくら「そうであってはいけない」と思っても、現実はそう。
(もちろんそれを悲観的に考える必要はないが……。)

 そんなとき、こう考える。
「あといくら財産があれば、いいのだろう」と。

 いろいろな経済誌が、退職後から(死ぬまでの)費用を試算している。
1人、1億円と言う人もいる。
2億円と言う人もいる。
が、公務員と蓄財に成功した老人をのぞけば、それだけの費用を用意するのは、不可能。
50代で、貯金額ゼロの人は、約30%もいるそうだ。
また60歳の定年退職時で、貯金ゼロの人は、50%もいるそうだ(F投信調査)。
どこかの証券会社が、そんな調査結果を公表している。

 が、その一方で、何十億円とか、何百億円とかいう財産を築きあげる人もいる。
冒頭にあげたジョブズ氏にしてもそうだろう。
足りなくても困るが、さりとて必要以上にあってもしかたないのが、老後の資金。
だから私たち夫婦は、現実的に、こう考える。

「財産がなくなったら、死のう」と。

 とりあえずは、今の仕事をできるだけ長くつづける。
「つづける」というよりは、「生き延びる」。
で、仕事ができなくなったら、残った財産で何とか「生き延びる」。
家と土地を売ることも、すでに視野に入れている。

 が、そのあとの生活設計が、私にはわからない。
わからないから、「ピンコロ」。
「できれば、ピンコロ」と。

●リチャード・マクドナルド

 投資に失敗し、自殺するのはバカげていると、私は書いた。
が、同時に、巨億の財産を築いたジョブズ氏を、私はうらやましいとは思わない。
世界のマスコミは、「世界の偉人」を失ったかのように書き立てている。
が、私はそうは思わない。
時流に乗っただけ。
もっとはっきり言えば、運がよかっただけ。

 あの程度の苦労をしている人は、いくらでもいる。
私もそうかもしれないし、あなたもそうかもしれない。
たとえばその一方で、こんな人がいたことを、あなたは知っているか。
リチャード・マクドナルドという人である。

 13年ほど前に(1998年)、89歳でなくなったが、あのハンバーガーチェーンの「マ
クドナルド」の創始者と言えば、だれでも知っている※。
が、当のマクドナルド氏自身は、早い時期にレストランの権利を別の人物(レイ・クロッ
ク氏)に売り渡している。
それについて生前、テレビのレポーターが、「損をしたと思いませんか」と聞いたときのこ
と。
マクドナルド氏はこう答えている。

「もしあのまま会社に残っていたら、今ごろはニューヨークのオフィスで、弁護士や会計
士に囲まれてつまらない生活をしていることでしょう。
(こういう農場でのんびり暮らしている)今のほうが、ずっと幸せです」と。 

(注※)リチャード・ディック・ジェイ・マクドナルド(Richard "Dick" J. McDonald、1
909年生まれ、1998年死去)

●金権教団

 要するに私たちは、意識的であるにせよ、無意識的であるにせよ、「金権」に毒されすぎ
ているということ。
皮肉な言い方をすれば、全人類、オール「金権教団」というカルト教団の信者。
自由貿易体制(資本主義体制)の中ではしかたのないことかもしれない。
が、大切なことは、そういう世界にあっても、自分を見失わないこと。
見失ったとたん、たとえば「自殺」という道を選んでしまうかもしれない。

 で、再び、ジョブズ氏の話。

 たまたま彼は病気で死んだ(失礼!)。
巨億の富の蓄財にも成功した。
言うなれば、この世界での大成功者ということになる。
が、もし彼が、その事業で失敗していたとしたら、どうだろうか。
こんな仮定をするのは許されないことだということは、よく知っている。
が、もしその事業で失敗し、無一文になっていたとしたら……。
彼はどうなっていただろうか。
自殺していなかったと言えるだろうか。
現在の今、どう評価されていただろうか。

●結び

 ずいぶんと回りくどい言い方をした。
が、私は最近、現在の自由貿易体制(資本主義体制)に、疑問を感じ始めている。
もちろんだからといって、共産主義がよいというのではない。
(どこかのBLOGに、「はやし浩司は共産主義者」と書いてあったが、それはウソ。
マルクス経済学など、見たことも読んだこともない。)
が、今の自由貿易体制(資本主義体制)は、個人的にみても、また国家的にみても、不公
平。
矛盾だらけ。

 その人が老後を安楽に暮らせるのに、2億円の費用がかかるとする。
しかしこの世の中、60歳で貯金ゼロの人が50%もいる半面、何十億円もの蓄財に成功
した人もいる。

 国にしても、そうだ。
そうたいして働きもしないアメリカ人が、世界の富をかき集めている。
何かが、おかしい。
狂っている。

 私は経済学者ではないから、これ以上のことはわからない。
またどうあったらよいのかもわからない。
が、モヤモヤとしたものだけは、心の底に滞留している。

 現代という世界では、ジョブズ氏のような人物を、「大成功者」と呼ぶのだが……。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

Hiroshi Hayashi++++++Oct. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●『猿の惑星』(RISE of the Planet of the Apes)を観る(20110-10-07)

++++++++++++++++++++

 昨日から公開された『猿の惑星・創世記(ジェニシス)』を観てきた。
おもしろかった。
楽しかった。
星はもちろん4つプラスの、★★★★+。

 途中で何度も、「ナルホド!」と感心。
たとえば火星探査船が打ち上げられるシーンが、チラッと出てくる。
本当に「チラッ」とだけ。
しかし観る人が観ればわかる。
(ワイフは、第1作を観ていないので、気がつかなかった。)
それがあのチャールトン・ヘストン(第1作)演ずる、宇宙飛行士テイラーの搭乗した探
査船である。

 また主人公(?)の名前は、「シーザー」。
そのシーザーは、人間社会に飛び出すと同時に、真っ先に、メスのチンパンジーの救出に
向かう。
そのメスのチンパンジーの名前が、コーネリアス。
すべてが、矛盾なく、あの伝説的名作の『猿の惑星』(第1作)へとつながっていく。

 『猿の惑星(Planet of the Apes)』第1作は1968年に公開されている。
私が大学3年生のときのことである。
当時の私は、SFファンで、SF小説を片っ端から読みあさっていた。
そんな中、『猿の惑星』が公開された。
現代の若い人たちにすれば、観るに耐えない古い映画かもしれない。
しかし私に与えた衝撃は、大きかった。
最後のシーンで、自由の女神像が横たわっているのを見て、テイラー(宇宙飛行士)は、
そこが地球であったことを知る。
今でもあのとき感じた衝撃を忘れることができない。

 ともあれ、SF映画とわかってはいたが、「ナルホド」「ナルホド」と。
その「ナルホド」が楽しかった。
だから星は4つプラス。

++++++++++++++++++

●「週刊現代」&「週刊アスキー」

 ワイフが2階でDVDを選んでいる間、私は2冊の週刊誌を買った。
(その店では、1階が書店、2階がDVDショップになっている。)
「週刊現代」と「週刊アスキー」。
週刊現代のほうは、「年金一律5万円時代に」という見出しが気になった。
週刊アスキーのほうは、パラッとめくったとき、TOSHIBAの新型パソコンが目に留
まった。
それで2誌、買った。

 TOSHIBA R631/28D。
世界最薄、最軽量という。
OSがSSDから立ち上げる。
「休止状態から約10秒で復帰できる」とある。
最薄部で、たったの約8・3ミリ。
物欲がググーッと、線条体を刺激する。
パブロフの条件反射が起きる。

が、値段が、高い。
「予想実売価格、15万円前後」とある。

 パソコンの寿命は、使う目的にもよるが、長くて3~4年。
新しいOSが発売になれば、さらに短い。
よいのを買っても、すぐ無駄になる。
その3~4年で、どう使うか。
どう使い倒すか。
15万円もしたから……といって、床の間に飾っておく人はいない。

 並んでエイサーのASPIRE S3-2が紹介されていた。
こちらは、予想実売価格は、9万円前後とある。
厚さは13・1ミリ。
TOSHIBAとの違いは、5ミリ。
こちらなら値段を気にせず、使えそう。
 
●年金5万円時代

 週刊現代は、年金も、月額オール5万円になるという。
たったの5万円!
が、現状では、年金5万円時代になっても、文句は言えない。
少子高齢化。
この先何年かすると、1・2人の人が、1人の高齢者を支えなければならなくなるという
(週刊現代)。
試算によれば、2050年以後。
逆算すると、現在、現在25~26歳の人が、65歳になるころということになる。

 が、常識で考えても、不可能。
つまり満足な老人福祉など、とうてい不可能。
(現在の今でも、約2・6人の人が、1人の老人を支えている。)
これはかなり深刻な問題と考えてよい。
つまりこの先、子どもの教育どころではなくなってしまう。

 まず、自分の老後を心配する。
子どもの心配は、つぎのつぎ。
今でさえ、子どもに必要以上の教育費をかけるのは、バカげている。
収入に余裕があれば、自分の老後の資金として残しておく。

 ……ということになるが、それがますます日本の経済を萎縮させる。
景気を悪くする。
さらに少子化が進む。

 では、どうするか?

●ゴーストタウン

 話は変わるが、私とワイフは、先日、富士宮まで行ってきた。
富士宮焼きそばで有名な、あの富士宮である。
が、帰りは、そのもうひとつ北側にある西富士宮で電車に乗った。
おいしい店があるというので、西富士宮まで行ったのだが、店からは駅まで歩いた。
30分ほどの距離だった。

 そのときのこと。
私とワイフは、そのあまりのみすぼらしさに、驚いた(西富士宮のみなさん、ごめん)。
この言葉に語弊があるというのなら、「30年前のままだった」と言い換えてもよい。
「40年前のまま」でもよい。
とくに駅前の商店街が、ひどかった。
それなりに開いている店といえば、コンビニと飲食店。
あとはどこも、ガランとしていた。
「ここが日本か」とさえ思った。

 もうおわかりのことと思うが、日本は無駄なものばかり作っている。
第二東名を例にあげるまでもない。
浜松市の北を、東西に走ることになっているが、「ここまでやるか!」と思うほど、ものす
ごい工事。
町のビルのような橋脚が、山々を貫いて並んでいる。
日本の将来を考えるなら、そうしたお金があるなら、もっと別のことに使うべき。

 そう言えば、SUZUKI自動車の鈴木修社長も、こう言っていた。
「浜松市では、市営住宅の建設のために、(建設費だけで)、坪70万円もかけている」(2
011年10月)と。
坪70万円! 

上から下まで、こんなことばかりしている。
しかも官民の給料格差は広がるばかり。
すでに給料だけで、約2倍程度の開きがあるという(「週刊現代」)。

●行政改革

 あの中曽根首相が、行政改革を唱え始めて、もう何年になるだろうか。
行政改革……つまり官僚政治の是正。
が、その行政改革は、一向に進んでいない。
進んでいないばかりか、さらに悪化している。

 官僚とゼネコン、それに政治家、これら3者が一体となり、日本の経済を牛耳っている。
まさにやりたい放題。
つまりここにメスを入れないかぎり、日本に未来はない。
それがわかっていながら、日本はさらに無駄な「箱」ばかり作ろうとしている。

 いいか、読者のみなさん。
作るのは勝手だが、そのあと莫大な維持費がかかってくるのだぞ。
その維持費は、地方自治体、つまり私たちが払うことになるのだぞ。
わかっているのか!

 公共施設だけは、どこも、超立派。
庶民の家は、どこも、ボロボロ。

●お先真っ暗

 こう考えていくと、日本の未来は、お先真っ暗。
本来なら、今すぐにでも、不要な支出を減らし、人件費を減らし、子どもたち、
つまり未来の日本人にお金をかけるべき。
が、こうした常識は、もうこの日本では通用しない。
現在のギリシアのように、日本人も行き着くところまで行かなければ、気がつかない。
あるいは行き着くところまで行っても、気がつかない。
あのギリシアでは、連日、公務員によるストライキが、いまだにつづいているという。

●知的インチキ

 ところで最近読んだ記事の中でおもしろかったのが、ニューズウィーク誌(9・21)
の「知的インチキの見破り方」(P69)。
冒頭に、こうある。

『聖書はジョン・F・ケネディ・アメリカ大統領の暗殺を予告していた……そんな話をあ
なたは信じますか。
「9・11テロはユダヤ人の陰謀」とか、「いろいろ化石はあるけれど、世界の歴史は1万
年程度」という説は?

 答えがイエスなら、残念ながらあなたは、「知的ブラックホール」にのみこまれている可
能性が高い。

「知的ブラックホール」というのは、イギリスの哲学者スティーブン・ローが好んで使う
表現で、「人々をのみ込み、ろくでもないたわ言の奴隷に変えてしまう」精神的なできごと
をいう』(以上、ニューズウィーク誌)と。

 こんなことで張り合ってもしかたないが、私は「心のエアーポケット」という言葉を使った。
24年前に書いた、「家庭内宗教戦争」(山手書房新社)という本の中でのことである。
つまり「知的ブラックホール」にせよ、「心のエアーポケット」せよ、心の盲点というのは、
たしかにある。
ごくふつうの人が、ある日突然、あるきっかけで、その「穴」にスーッと落ちてしまう。
そしてその日を境に、とんでもないことを言い出す。

 カルト教団はそうした心の盲点をたくみに利用し、勢力を伸ばす。

●逆の知的ブラックホール

 が、逆のエアーポケットというのもある。
たとえば、2050年には、1・2人の人が、1人の老人を支えるようになるというのは、
「事実」である。
1+1=2というほどまで、明確な事実とはいいがたいが、それに近い事実である。
が、人々は、「何とかなるだろう」「どうせ、私たちには関係のないこと」と、心の隅に追
いやってしまう。
そこにある事実を、信じようとしない。
これなどは、まさしく、「逆のエアーポケット」ということになる。

 つまりインチキを信ずるのが、「知的ブラックホール」と言うなら、事実から目をそらす
のは、「逆の知的ブラックホール」ということになる。
一見、正反対の現象に見えるかもしれないが、中身は同じ。

●止まった時計

 今、私の頭の中では、TOSHIBAの新型パソコンと、少子高齢化問題が、行ったり
来たりしている。
それがユラリユラリと頭の中で揺れている。
あの西富士宮で見た光景も、頭から離れない。

……といっても、こうした町の衰退ぶりは、何も、西富士宮だけの話ではない。
最近見た中では、福井県の越前大野市もそうだった。
岐阜県の関市もそうだった。
全国いたるところで、見られる。

 「失われた10年」が、「失われた20年」になる。
本来なら、上海に立っている豪華な高層ビルが、富士宮市や大野市に立っていても、おか
しくない。
この20年間、日本の時計は止まったまま。
それが今度は、少しずつだが、逆行し始めている。

 重税につづく重税。
それだけでも、たいへん。
その上、この日本では、ありとあらゆるものが、法律によってがんじがらめに縛られてい
る。
最近知って驚いたのが、「人材派遣業界の現況」。

現在、人材派遣業は、土砂降りの不景気。
どん底。
一時、「派遣切り」が問題になった。
とたん、法による規制がきびしくなった。
とたん、大手の人材派遣会社の倒産がつづいた。

 そこへあの3・11大震災が襲った。
皮肉なことに、今度は、人材そのものがいなくなってしまった。
不景気がさらに追い討ちをかけた。
私の実家は、自転車屋だったが、今ではその自転車屋ですら、簡単には開けない。
床に油が一滴でも落ちていたら、商売ができない。
そんなしくみができあがっている。

●「不完全」という自由

 で、先日、H市の役人とこんな会話をした。
「どうして公共施設だけは、こうまで立派なのか」と聞いたときのこと。
その役人は、こう答えた。
「行政は、法の見本でなくてはならないのです。
その条件をすべて満たしていくと、どうしても、こうした建物にならざるをえないのです」
と。

 つまり「法的に」すべて、カンペキでなければならない、と。
結果として、たとえば耐震基準ひとつとっても、カンペキに守らなければならない、と。
つまりその分だけ費用がかさみ、立派になる、と。

 しかしこんなバカげたことをつづけていたら、この日本は、本当に破産する。
今では、リヤカーを引き、通りでモノを売ることさえできない。
小さな町で、観光ガイドを引き受けることさえできない。
自転車屋ですら、消防署の検査を受けなければ、商売をつづけることさえできない。
何からなにまで、カンペキ。

 が、その一方で、あの原子力発電所事故。
こまかいところでカンペキであっても、何の役にも立たない。
ゴミ屋敷の住人が、家の中の一部屋だけ、一生懸命掃除しているようなもの。
そんなことばかりしているから、日本は、ますます世界から取り残される。
よい例が、外資企業。

 現在東京証券所に上場している外資企業は、一桁台になってしまった。
(一時は、300社以上もあった!)
が、みんなシンガポールへ逃げてしまった。
理由は、言わずと知れた「翻訳料」。
外資企業は、すべての書類を一度、日本語に翻訳しなければならない。
それが重荷になった。
プラス規制、規則の許認可。

私たちが今、必要としているのは、「不完全」という自由である。

●老人村
 
 この3~4月、私はオーストラリアのボーダータウンというところに行ってきた。
そこでのこと。
私とワイフは、「Old Man’s Village(老人村)」というのを案内してもら
った。
仕事をしなくなった年金受給者たちが寝泊りする施設である。

 その施設を見たとき、「これでいい」と、私は最初に思った。
建物は、平屋のごくふつうの家。
二棟ずつくっついている長屋風。
それが緑の森の中に点在している。

 で、その老人村は、市の中心部からはやや離れているが、隣は幼稚園。
そのまた隣は小学校。
道をはさんで反対側には、日本でいう特別擁護老人ホーム。
そのホームにしても、日本の基準から見ると、実に粗末な建物である。
(日本の特別擁護老人ホームが、いかに豪華なものであるかは、すでにみなさんご存知の
通り。)

 もちろんカンペキにしなければならない部分は、カンペキにする。
それにも限度がある。
不必要な施設まで、カンペキにする必要はない。
さらに言えば、人間管理。

 役人というのは、ほんの少しでも不備があると、すぐ法の網をかける。
法の網をかけて、自分たちの権限を拡充する。
これがこの日本をますます小さくしていく。
それがわからなければ、こんな話がある。

●洪水

 アーカンソー州へ行ったときのこと。
その東端を、あのミズーリー川が流れる。
対岸が見えないほど、幅の広い川である。
その川は、ほぼ10年ごとに洪水を引き起こす。
多くの家々が流される。
それについて私が「どうして堤防を作らないのか」と聞くと、案内してくれたスミス氏(市
の役人)は、こう話してくれた。

 堤防を作れば、景観を損ねる。
莫大な費用もかかる。
その費用のことを思えば、そのつど、損壊した家々を補償したほうが、安くつく、と。

 アメリカでは、こうした被害が出ると、政府(+地方政府)は、現金で直接、住民にお
金を払う。
しかも即決で!
日本のように、ああでもない、こうでもないと、書類を書かせるようなことはしない。
そういうしくみができあがっているから、住民ものんきなもの。
「家が流されたら、また立て直せばいい」と。

 それを「自由」という。
本物の自由という。
が、この日本には、自由がない。
「仕組まれた自由」(尾崎豊)はある。
しかし本物の自由はない。

 なお現在、アメリカの公務員は、コンビニの従業員より給料が安いと言われている。
しかも首切りは、当たり前。

●自由の復権

 いつの間にか、日本は、たいへん「生きにくい」国になってしまった。
「住みやすい」というのとは、ちがう。
生きにくい。
息苦しさえ覚える。
その結果として、人々は、「もの言わぬ従順な民」へと、成り下がってしまった。
いまだに東京電力の本社に向かって、デモ行進ひとつ起きていない。
それをオーストラリアの友人に話すと、その友人は、こう言った。
「本当か? 信じられない!」と。

 自由とは、「自らに由(よ)る」こと。
その自由は、不完全な隙間から生まれる。
だから私は、こう叫ぶ。

 もう規制はたくさん。
資格も認可も許可も、たくさん。
それよりも、私たちの体をがんじがらめにしている、この鎖を解いてほしい、と。

●パソコンと「知的インチキ」

 今の今も、私の頭の中では、TOSHIBAのパソコンと、ニューズウィーク誌の記事
が、ユラユラと揺れている。

本当のことを言うと、このところ、ものの考え方が、どこか投げやりになってきている。
私の育児論の原稿にしても、あちこちでパクられている。
先日も、ある月刊誌を見たら、こうあった。

「不登校は前兆を見逃すな」と。

 私がは同じタイトルで、すでに12年前に、原稿を書いていた。
新聞にも発表した。
自分の本の中でも書いた。

 しかしどうせ死ねばおしまい。
実は、昨夜もワイフと寝る前に、こんな話をした。

私「なあ、お前、ぼくのほうが早く死ぬと思うけど、ぼくが死んだら、そんなにがんばら
なくてもいいから、早くおいでよ」
ワ「……うん」と。

 長生きをしたいという思いは、とっくの昔に消えた。
この日本への期待も、徐々に薄らいできた。
それよりもみなに迷惑をかけないうちに、あの世へ行きたい。

 今も週刊現代誌(10月22日号)をパラパラとめくってみた。
そこには仙台の横丁の話あり、雑談あり、エッセーあり、そして巻末には、ヌード写真あ
り。
私の残りの人生も、こうしてパラパラと過ぎていくにちがいない。
期待と幻滅の間を、ユラユラと行ったり来たりしながら……。

 ……とまあ、どうであれ、ともかくも今日も始まった。
これから山荘の道路わきの雑草に、除草剤をまかねばならない。
それが今の(一コマ)。
現実。
がんばるしかない。

これから村の収穫祭に呼ばれているので、行ってくる。

2011年10月8日朝記。
日曜日。


Hiroshi Hayashi+++++++Oct. 2011++++++はやし浩司・林浩司

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