2011年4月30日土曜日

*50-minute-long lesson for 5 years old children

【5歳児を、50分間、ひきつける】

++++++++++++++++++

5歳の幼児を、50分間、レッスンに
ひきつけておくのは、容易なことでは
ありません。

リズムと速いテンポが必要です。
それがないと、幼児は、レッスンに
すぐあきてしまいます。

5歳の幼児には、どれくらいのリズムと、
テンポが必要か。
(もちろん個人差もありますが……。)
それをこのビデオを通して、理解して
くださればうれしいです。

テーマは、「あいさつ」。
ついで発語指導+知恵遊びもしました。

なおレッスンのあと、それぞれの
幼児の頭に触ってみました。
みな、頭がたいへん熱くなっていました。
脳の活動を、全開にしたためです、ね。
みんな、よくがんばりました。

はやし浩司 2011-04-29

浜松 BW教室 by はやし浩司

++++++++++++++++++

(1)



(2)



(3)



(4)





Hiroshi Hayashi+++++++April. 2011++++++はやし浩司・林浩司

*Women like chatting

●旅行と文化性

●観光バスによるバス旅行

 おとといG県のG温泉に行ってきた。
日帰り入浴というコースだった。
久しぶりのバス旅行。
「たまにはいいだろう」と思って出かけた、
が、これが、とんでもない、まちがいだった。

で、改めて、結論。
「二度と、バス旅行はしない!」。

 たいてい数組、うるさいオバチャンたちが乗り合わせている。
そういうオバチャンが、ギャーギャー、ワハハハと、騒ぐ。
バカ笑い。
バカ話。
おまけに座席は狭く、一度座ったら、身動きもままならない。
レベルが、40年前のまま。
50年前のまま。
「レベル」というのは、観光バス自体がもつ「旅行」のレベルをいう。
今時、アジアの国々でも、こんなひどいバスに乗せる(乗せるというより、
詰め込む)国は、そうはない。

 加えて、あのおしゃべり。
電車やバスの中で、大声でしゃべるのは、(しゃべってもいいと考えているのは)、
日本人ぐらいなもの。
が、それだけではない。
たまたまおとといは、「ガイド」ではなく、「添乗員」。
まだよかった。

ガイドのバカ話ほど、苦痛なものはない。
見るからに底の浅いガイドが、バラエティ番組そのままの、
意味のない話を、間断なく、しゃべりつづける。

「……全国イチのみやげものと言えば……」
「……ほら、あのxxさん。タレントのxxさん。あのxxさんも立ち寄った
という店が、あの店です……」と。

 で、「旅行」とは名ばかり。
窮屈な思いをさせられ、騒音に耳をふさぎ、おまけに弁当屋の弁当よりまずい
ランチ。
旅行に行った……というよりは、半日、拘置所かどこかに留置されたような気分。
寄りたくもないみやげもの屋に停まる。
そのたびに、「あれを買え」「これを買え」と迫られる。
だから、あえてこう言う。
「二度と、観光バスには乗らない!」と。
息抜きのつもりで行った旅行だったが、かえって疲れがたまってしまった。

(1) いまどき、バスガイドなど、不要。(飛行機にガイドはいないぞ!)
(2) 添乗員も「口」ではなく、「体」を動かせ。
(3) 座席を広くし、間を広くせよ。(日本人も、大きくなったぞ!)
(4) 大声でおしゃべりしている連中を、注意せよ。

 そんなわけで、今日になって疲れがどっと出た。
昨夜は8時間も眠ったのに、まだ眠い。

●旅行
 
 「おしゃべりが楽しいから、旅行に行く」という人もいる。
それはそうかもしれない。
しかし少しはほかの客の迷惑も考えてほしい。
携帯電話ですら、「マナーモードに」と言っておきながら、おしゃべりだけは
野放しというのは、矛盾している。
どう考えても、矛盾している。
(そう言えば、通路をはさんだ隣の席の男性は、何度も携帯電話をかけていた!)

 で、「旅行」について、考える。

 旅行することは、脳みその働きを活性化させる。
ボケ防止によい。
転地療法という、治療法もある。
何か心の病をもった人に、効果的という。
それは事実。
が、その旅行にも、目的がある。
みな、何かの目的をもって、旅行に出かける。

 その目的にかなえば、それでよし。
そうでなければ、そうでない。
私は「のんびりと……」と考えていた。
が、それができなかった。

 ……ということで、バス旅行は、こりごり。

●オバチャンのおしゃべり

 最近の研究によれば、女性のばあい、右脳にも言語中枢があることが
わかってきた。
ふつう交通事故か何かで、左脳が損傷を受ければ、言語機能が影響を受ける。
が、女性のばあい、右脳がそれをカバーする。

 (そう言えば、女性で、呂律(ろれつ)が回らなくなったという人は、少ない?)

 が、それだけではない。
AD・HD児というと、男児に多いと言われているが、もちろん女児にも多い。
ただ女児のばあいは、多動性というよりも、多弁性が特徴的な症状となって
現れる。

よくしゃべる。
とにかく、よくしゃべる。
強く制しても、効果は一時的。
10秒も静かにしていられない。

私「黙っていなさい!」
子「黙っていればいいのね」
私「そうだ、口を閉じていなさい」
子「口を閉じるって、どういうこと?」
私「だから声を出さないように」
子「だって、息ができなくなる」
私「いいから、黙っていなさい」
子「何分くらい?」と。

 こういう会話が、永遠とつづく。

●3年前の原稿

 以前、女性のおしゃべりについて、書いた。
さがしてみたら、3年前の2009年に書いた原稿が見つかった。
それ以来、進歩なし。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●Bツアー(2009年、5月記)

++++++++++++++++++++++

地元に、E鉄道株式会社という運送会社がある。
そのE鉄道が、一方で、Bツアーという、観光旅行を
運営している。
値段も安く、良心的。
何よりもうれしいのは、目的地まで、そのまま私たちを
運んでくれること。
バスの中では、好き勝手なことができる。
もちろん居眠りもできる。
昨年は、そのBツアーを、月に2、3度、利用させてもらった。
今年に入ってからも、やはり月に2、3度、利用させてもらった。

++++++++++++++++++++++

が、この2か月ほど、Bツアーに参加していない。
「もうコリゴリ」「うんざり」というのが、その理由。
このあたりの言葉では、「往生こいた」という。
Bツアーに問題があるのではない。
(半分は、あるが……。)
うるさいの、なんのといって、オバチャンたちのおしゃべりほど、
うるさいものはない。
そのつど閉口している。

最後に東京の近くにあるI島へ行ってきたが、1組や2組なら
まだ何とかがまんできる。
しかしそんなかしましいオバチャンたちが、何組も乗り合わせたら……!
もう「旅」どころではなくなってしまう。
「我、負けず」とみなが、しゃべり始める。
競いあって、しゃべり始める。

ガチャガチャ、ギャーギャー、ゲラゲラ、ワハハハ……と。
まるで中学校か高校の同窓会のよう。

さらに運の悪いことに、そのときは、これまたレベルの低いバスガイド(失礼!)。
話す内容といえば、テレビのバラエティ番組のことばかり。

「あの店、ほら、あの店……。この前テレビを見ていたら、タレントの
あの○○さんが、行った店ですよ。○○さんは、おいしかったって、
言ってましたよ」とか何とか。
(○○なんて、タレント、知るか!)

で、うしろの席に座ったオバチャンたちは、往復、計4~5時間、
しゃべりっぱなし。
2度目に注意したら、逆に言い返されてしまった。

「私ら、おしゃべりが楽しみで、旅行に来ているもんねエ~」と。

ガイドもガイドだ。
一方で、「携帯電話はオフに……」と言っておきながら、自分はマイクを
使って、前列の人たちと個人的な話をする。
しかもマイクのボリュームは最大!

その旅行を最後に、ワイフとこう誓った。
「もう、こんな旅行はやめよう」と。
……ということで、それ以後は、Bツアーを利用するのはやめた。
もっぱら車や電車を利用している。

●昔はカラオケとタバコの煙

息子たちが子どものころも、ときどきBツアーを利用させてもらった。
そのころは、カラオケが定番。
喫煙は自由。
さらに当時は、バスに乗ると、自己紹介を強いられた。
「私は○○町から参加させてもらいました、▲▲です。
今日は、家族5人で参加させてもらいました」などなど。

私はカラオケもいやだったし、タバコの煙もいやだった。
自己紹介については、それほど抵抗はなかったが、今から振り返ると、バカげたことを
させられたものだと思う。

で、最近は、ガイドのバカ話とビデオ。
それにオバチャンたちのおしゃべり。
そのビデオだが、客の中には、自分でビデオをもってくる人もいる。
ガイドはそういう客を見ると、ホイホイと喜ぶようだが、ちょっと待て!
そのときも、YM興業(お笑いタレント養成学校)制作のビデオだった。
ああいうのを見て笑って喜ぶ人というのは、そのレベルのオバチャンだけ。
「何もこんなところまで持ってきて見ることはないだろ!」と思ったが、
多数決の結果、見るハメに……。

私は耳にイヤホンを詰めなおして、音楽を聴いていたが、あのときも最悪だった。
旅行というよりは、修行のようなもの。
世俗に慣れるための修行のようなもの。
そう思って、体を固めて、じっと我慢した。
つまりこういうことが重なって、もうコリゴリ、となった。

……と悪口(=愚痴)を書いてもしかたない。
実のところ、何度か、E鉄道会社には、メールを出した。
「滋賀県を通り過ぎるたびに、養老の滝の話。
今年だけで、もう10回以上、聞きました」と。

そのつどていねいな返事はもらっているが、改善された様子はなし。
だからもう出さない。
返事もいらない。

が、これはE鉄道会社だけの問題ではない。
私たち日本人がもつ文化性の問題である。
その文化性が高くならないかぎり、こうした問題は解決しない。
が、それには、10年単位の年月が必要である。

カラオケがなくなるのに、10年。
禁煙になるのに、10年。
みながやがて静かな旅行ができるようになるのに、さらに10年。
(あるいは20年、かかるかも?)

日本のレベルがどの程度かを知りたかったら、観光バスに乗ってみるとよい。
きっとよい修行になると思う。


Hiroshi Hayashi+++++++April. 2011++++++はやし浩司・林浩司

2011年4月29日金曜日

●幼児に小数、分数、正負の数は理解できるか

●カリキュラムとは何か?

 日本の教育は、「系統」という言葉を重要視する。
しかし、系統とは何か?

 たとえば算数。
まず数字を教える。
数え方を教える。
つづいて足し算を教え、引き算を教える。
それがある程度できるようになったら、今度は、繰り上がりのある足し算を教える。
繰り下がりのある引き算を教える。

 これを「系統」という。
だからおもしろくない。
子どもの心を捕えない。

●系統は必要か?

 私は長い間、その「系統」を無視して、教えてきた。
「塾」という立場だからこそ、できる芸当である。
たとえば幼児クラス(幼稚園児対象)でも、正負の数、グラフ、小数、組み合わせ、
順列、かけ算、割り算などを教えている。
最近では筆算の仕方も教えた。
場合の数、確率まで教えた。
どれひとつをとっても、「幼児に?」と首をかしげる人も多いだろう。
しかし大切なのは、教え方。
子どもたちの学ぶ姿勢。

 一部は、ここに紹介しておくので、さらに興味のある人は、「はやし浩司のメインHP」
より、「BW公開教室」へと進んでみてほしい。
私の教え方がどういうものかは、子どもたちの笑い声が証明している。

★幼児に正負の数を教えてみる


★幼児に分数を教えてみる(1/4)2010年



★幼児に小数を教えてみる



●カリキュラムとは何か

 日本の教育は総じて、どこかのエラーイ先生が組み立てた。
だからおもしろくない。
役に立たない。
そればかりか、子どもたちのもつ可能性、好奇心を、既成のカリキュラムがつぶして
しまっている。
英語教育を例にあげるまでもない。

 BE動詞に始まって、一般動詞。
進行形、過去形へとつづく(中1レベル)。
一方、欧米では、「役にたつ教育」を目標にしている。
アメリカの中学校では、「中古車の買い方」というテーマで、数学の授業に入る。
中古車の買い方を学ぶ内に、小数の計算、金利の計算などを学ぶ。

 そこでもう一度、カリキュラムとは何か、それを考えてみてほしい。
本当にそれが正しいものなのかどうかという視点でもよい。
たとえばスペインの小学校では、それぞれの子どもに、先生がひとつのテーマを与える。
「あなたはフランス革命について調べなさい」
「あなたはトラファルガーの戦いについて調べなさい」と。

子どもたちは1年をかけてそれを調べ、年度末には、みなの前でそれを発表する。
それがその子どもの成績として評価される。

 スペインだけではない。
総じて見れば、欧米の教育は、そういう流れの中にある。
が、この日本では、100年一律。
その枠(わく)から一歩も出られないでいる。
この愚かさ。
このバカ臭さ。

 みなさんも、今、みなさんがもっている「常識」というのを、一度
疑ってみたらどうだろうか。

 あのアインシュタインは、かつてこう言った。
「常識などというものは、その人が一八歳のときにもった偏見のかたまりである」と。
子どもの教育を考えるときは、時にその常識を疑ってみる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 カリキュラム 偏見 常識という偏見)


Hiroshi Hayashi+++++++April. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●浜岡原子炉に思う(万全の安全策が講じられるまで、停止すべし)

++++++++++++++++++

福島第一原発事故のあと、浜松市の
近くにある、浜岡原子炉でも、緊急の
災害訓練が実施された(4月)。
内容は、非常用電源が停止し、原子炉の
冷却機能が停止したという状況を
想定したもの。
それに対して発電所側のした訓練というのは、
消防車を出動させ、放水するというもの。
私はこの分野では素人だが、その私ですら、
それを見て、笑ってしまった。
地元の中日新聞ですら、「緊張感がまるで
なかった」と酷評した。
つまり子どもだまし!

原子力発電所の事故が放水で防げる?
発想そのものが、バカげている。
がん細胞に、赤チンを塗るようなもの。
肺炎で熱を出して苦しんでいる人に、
水をかけるようなもの。
福島第一原発事故を見てもわかるように、
それでは訓練にならない。

放射性物質を含んだ水は、どうする?
爆発か何かがあって、飛び散ったがれきは
どうする?
高濃度の放射線を浴びた作業員は、どうする?
周辺地域の人たちを、どこへどのように
避難させる?
放射性物質の中和剤は用意できているのか。
遠隔操作のロボットは、用意できているのか。
医療態勢は整っているのか。
つまりそういった一連の訓練をして、はじめて、
「訓練」ということになる。

浜岡原子力発電所は、砂丘の上に立っている。
揺れがつづけば、液状化現象も心配される。
もちろん津波による被害も想定される。
原子力発電所側は、これから防波堤を高く
すると言っている。
ならばそれが完成するまで、原子炉を停止
すべきではないのか。
「安全だ」と主張するなら、つまり
それほどまでに安全なものなら、
名古屋市内に、原子力発電所を建設すれば
よい。
どうして中部電力の発電所が、浜岡にあり、
海のそばにあるのか。
「安全ではない」という不安があるから、
そうしているのではないのか。

浜岡から浜松市まで、40キロ足らず。
その浜松市は、この東海道地域では、
東京、名古屋につづく、第三の大都市。
人口は約80万人。
周辺部の都市を加えたら、軽く100万人を
超える。

浜岡原子炉は、今すぐ停止すべし。
万全の安全策が確保されるまで、停止すべし。

(補記)

ある関係者いわく、
「浜岡原子炉については、今すぐ廃炉にしたい。
しかしその方法がないから困っている」と。

原子炉というのは、作るのは簡単。
壊すのがむずかしい。
原子炉というのは、どうやら、そういうものらしい。

+++++++++++++++++++

●幼児に小数、分数、正負の数は理解できるか

●カリキュラムとは何か?

 日本の教育は、「系統」という言葉を重要視する。
しかし、系統とは何か?

 たとえば算数。
まず数字を教える。
数え方を教える。
つづいて足し算を教え、引き算を教える。
それがある程度できるようになったら、今度は、繰り上がりのある足し算を教える。
繰り下がりのある引き算を教える。

 これを「系統」という。
だからおもしろくない。
子どもの心を捕えない。

●系統は必要か?

 私は長い間、その「系統」を無視して、教えてきた。
「塾」という立場だからこそ、できる芸当である。
たとえば幼児クラス(幼稚園児対象)でも、正負の数、グラフ、小数、組み合わせ、
順列、かけ算、割り算などを教えている。
最近では筆算の仕方も教えた。
場合の数、確率まで教えた。
どれひとつをとっても、「幼児に?」と首をかしげる人も多いだろう。
しかし大切なのは、教え方。
子どもたちの学ぶ姿勢。

 一部は、ここに紹介しておくので、さらに興味のある人は、「はやし浩司のメインHP」
より、「BW公開教室」へと進んでみてほしい。
私の教え方がどういうものかは、子どもたちの笑い声が証明している。

★幼児に正負の数を教えてみる


★幼児に分数を教えてみる(1/4)2010年



★幼児に小数を教えてみる



●カリキュラムとは何か

 日本の教育は総じて、どこかのエラーイ先生が組み立てた。
だからおもしろくない。
役に立たない。
そればかりか、子どもたちのもつ可能性、好奇心を、既成のカリキュラムがつぶして
しまっている。
英語教育を例にあげるまでもない。

 BE動詞に始まって、一般動詞。
進行形、過去形へとつづく(中1レベル)。
一方、欧米では、「役にたつ教育」を目標にしている。
アメリカの中学校では、「中古車の買い方」というテーマで、数学の授業に入る。
中古車の買い方を学ぶ内に、小数の計算、金利の計算などを学ぶ。

 そこでもう一度、カリキュラムとは何か、それを考えてみてほしい。
本当にそれが正しいものなのかどうかという視点でもよい。
たとえばスペインの小学校では、それぞれの子どもに、先生がひとつのテーマを与える。
「あなたはフランス革命について調べなさい」
「あなたはトラファルガーの戦いについて調べなさい」と。

子どもたちは1年をかけてそれを調べ、年度末には、みなの前でそれを発表する。
それがその子どもの成績として評価される。

 スペインだけではない。
総じて見れば、欧米の教育は、そういう流れの中にある。
が、この日本では、100年一律。
その枠(わく)から一歩も出られないでいる。
この愚かさ。
このバカ臭さ。

 みなさんも、今、みなさんがもっている「常識」というのを、一度
疑ってみたらどうだろうか。

 あのアインシュタインは、かつてこう言った。
「常識などというものは、その人が一八歳のときにもった偏見のかたまりである」と。
子どもの教育を考えるときは、時にその常識を疑ってみる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 カリキュラム 偏見 常識という偏見)


Hiroshi Hayashi+++++++April. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●浜岡原子炉に思う(万全の安全策が講じられるまで、停止すべし)

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福島第一原発事故のあと、浜松市の
近くにある、浜岡原子炉でも、緊急の
災害訓練が実施された(4月)。
内容は、非常用電源が停止し、原子炉の
冷却機能が停止したという状況を
想定したもの。
それに対して発電所側のした訓練というのは、
消防車を出動させ、放水するというもの。
私はこの分野では素人だが、その私ですら、
それを見て、笑ってしまった。
地元の中日新聞ですら、「緊張感がまるで
なかった」と酷評した。
つまり子どもだまし!

原子力発電所の事故が放水で防げる?
発想そのものが、バカげている。
がん細胞に、赤チンを塗るようなもの。
肺炎で熱を出して苦しんでいる人に、
水をかけるようなもの。
福島第一原発事故を見てもわかるように、
それでは訓練にならない。

放射性物質を含んだ水は、どうする?
爆発か何かがあって、飛び散ったがれきは
どうする?
高濃度の放射線を浴びた作業員は、どうする?
周辺地域の人たちを、どこへどのように
避難させる?
放射性物質の中和剤は用意できているのか。
遠隔操作のロボットは、用意できているのか。
医療態勢は整っているのか。
つまりそういった一連の訓練をして、はじめて、
「訓練」ということになる。

浜岡原子力発電所は、砂丘の上に立っている。
揺れがつづけば、液状化現象も心配される。
もちろん津波による被害も想定される。
原子力発電所側は、これから防波堤を高く
すると言っている。
ならばそれが完成するまで、原子炉を停止
すべきではないのか。
「安全だ」と主張するなら、つまり
それほどまでに安全なものなら、
名古屋市内に、原子力発電所を建設すれば
よい。
どうして中部電力の発電所が、浜岡にあり、
海のそばにあるのか。
「安全ではない」という不安があるから、
そうしているのではないのか。

浜岡から浜松市まで、40キロ足らず。
その浜松市は、この東海道地域では、
東京、名古屋につづく、第三の大都市。
人口は約80万人。
周辺部の都市を加えたら、軽く100万人を
超える。

浜岡原子炉は、今すぐ停止すべし。
万全の安全策が確保されるまで、停止すべし。

(補記)

ある関係者いわく、
「浜岡原子炉については、今すぐ廃炉にしたい。
しかしその方法がないから困っている」と。

原子炉というのは、作るのは簡単。
壊すのがむずかしい。
原子炉というのは、どうやら、そういうものらしい。

+++++++++++++++++++

2011年4月28日木曜日

*Bureaucraticy in China vs Decomocracy in Japan

●中国の官僚政治

+++++++++++++++

最初、斜めに読んでいたとき、
それが中国のこととは気づかなかった。
この日本のことだと思った。
が、中国のことだった。

中国でも、官僚体質というか、
行きすぎた官僚政治が問題になっている。

Seachinaの記事を、いくつか
並べてみる。
外国の記事を読んでいると、日本の
こともよくわかる。

+++++++++++++++

++++++++++以下、Searchinaより+++++++++++++

 薄書記は1-2日の会議で、「問題がある党員」の典型的なパターンとして「話をすると
きも、報告するときも、脳みそを使わない。
大風呂敷、虚言ばかり」、「指示などを他に伝達するだけで、自分は動かない」、「民間の実
情を調べず、知らず、党・政府上層部の事情も知らない。頭ごなしに命令する」、「出勤し
たらまずお茶を飲み、たばこを一服。その後は電話でむだ話」、「勉強はせずにゲーム、マ
ージャンや株式投資ばかり」、「役所は改築のたびに豪華にして、高級な公用車を次々に採
用」、「交渉ごとでは、“よい人”になることに専念。
鉄を鍛える職人のように、厳しい姿勢を示すことをいやがる」などを挙げた。
(Searchina 4-26)


  牟委員は、「中国は、官僚本位の考えがひどすぎる。
官の権力が大きすぎる。
一部の幹部は、問題を自覚すらしていない」、「上からにらまれることを恐れ、本当のこと
を言わない官僚が多い」、「指導者などが報告する際、前半はパターンどおりの決まり文句。
内容がない空文をつくる弊害が大きすぎる」など、中国の政治における他の問題点にも言
及した。
(Searchina 4-26)


  中国中央政府は腐敗防止を目的に、官僚が大きな収入を得た場合などに資産公開を求
める規則を定めた。
しかし李副主任によると、「社会は決して満足しているわけではない」という。

  大きな問題は、役人本人にはさほど財産がないのに、その子は大変な資産家である場
合がみられること。
李副主任は、「これまでの多くの事例をみても、汚職など問題は、親族絡みで発生している
ことが多い」と指摘した。

  腐敗官僚が「汚れた金」や「疑惑の金」を手に入れる方法はさまざまで、金融機関を
介さずに現金を手渡すケースが多い。官僚が偽の身分証で口座を作り、株式投資を行って
いる場合もあるという。
(Searchina 4-26)


  広東省省情調査研究センターはこのほど、省内住民の生活状況感と幸福感について調
査したリポートを発表した。
生活状況についての満足度は74.4%と、基本的に満足できる数値だったという。
幸福感については、職業別で公務員や国有企業職員が高かった。
中国新聞社などが報じた。

  全省平均の幸福感は75.3ポイントで、恵州市の79.8ポイント、江門市の79.7ポ
イントなどが高かった。逆に、雲浮市は70.5ポイント、深セン市は72.2ポイントと低
かった。杭州市は73.8ポイントで省平均以下だった。

  収入別では、月収1万元(約12万5000円)までは収入が増えるに従い幸福感が増し、
1万元を超えると幸福感が減じる傾向があった。
物質的な条件が満たされると、欲望が高まることで現状に満足できなかったり、他人との
競争激化で心理的負担が増大する現象が発生すると考えられる。

  性別では、女性の方が男性よりも幸福感を強く感じている。大学卒業など高学歴者は、
幸福感が低いことが分かった。
職業別では公務員や国有企業職員が幸福感を強く感じていた。
仕事が安定し、給与や福利厚生の水準も高く、医療や老後についての保障も国民の平均を
はるかに上回っているからと考えられる。
(Searchina 4-26)


  一方、インターネットでは「最も幸福を感じる都市、いったいだれの幸せ感なんだ?」
と題で、同ランキングは住民感情とはまったく別とする批判が発表された。
同文章を転載するブログも増えている。

  文章は「幸福を感じているのはだれだ? 南京の橋の下で凍死した農民工(農村部か
ら来た労働者)か? 成都市で当局の野蛮な立ち退き命令に抗議して自殺した唐福珍か? 
昆明の警察署や拘置所などで相次いだ原因不明の自殺者や病死者か? 道路を横断する際
にも安全感などまったくない庶民か?」などと批判。

  文章は続けて、「あいつらは違う。なるほど、幸福を感じているのは寧波市で全国にさ
きがけて勤務時間6.5時間制度を取り入れた公務員か。
ぜいたくでぶくぶく太り、統計数字を水増しし、庶民からまきあげた金で給料をもらい、
すばらしい生活をしている官僚か。
全国の街頭で露天商を横暴に取り締まる都市管理員か」などと非難。
幸福感ランキングなど、庶民感情とはまったく無縁と主張した。
(Searchina 4-26)

++++++++++以上、Searchinaより+++++++++++++

●民主主義vs官僚主義(貴族主義)

 話は変わるが、昨日(4月27日)、こんな事件があった。
小沢一郎・民主党元代表の資金管理団体「陸山会」の土地購入を巡り、
政治資金規正法違反(虚偽記載)に問われた事件についてである。

『……川村前社長は同日午前の検察側の尋問に対し、工事受注に関連して元公設第1秘書、
大久保隆規被告(49)から1億円を要求され、04年10月に石川議員、05年4月に
大久保元秘書に5000万円ずつ渡したと証言した』(毎日JP)と。

この中に出てくる「石川議員」というのは、衆議院議員石川知裕被告(37)、
小沢一郎元秘書をさす。

 贈賄側は、「渡した」と証言している。
しかも小沢一郎氏側からの要求に応じて、「渡した」と証言している。
が、小沢一郎氏および秘書たちは、(一部の秘書は、当初、「もらった」と証言。
その後、証言を翻す)、「知らぬ、存ぜぬ」を繰り返している。

 その1億円はその後、実にうさん臭い経路を経て、土地購入資金へと化けていく。
そればかりか、民主党内でそれが問題になると、逆に党の執行部を非難。
それが「管(管総理大臣)下ろし」とつながっていく。

 これに対して、自民党の石破茂政調会長は26日の記者会見で、『菅直人首相の退陣を求
める民主党議員の勉強会が開かれたことについて「不思議な党だ。
(東日本大震災の)被災者から見ればどのように映るのか。
日本全体が危機にある時に最大与党が何をやっているのか」と語った』(時事コム)と。

 まことにもって今は、おかしな内輪もめしているばあいではない。
しかも盗人猛々(たけだけ)しいというべきか、責められるべき自分たちが、逆に相手を責めている。
私も、「不思議な党」と思う。
言い換えると、民主主義がこの体たらくで、どうして官僚政治と闘うことができるのか。
こうした愚劣な政争を傍からもっとも笑い、喜んでいるのは、政治官僚たち。

 Searchinaの記事は、少し過激とは思うが、中身的には、日本のそれと、
それほど大きくは違わない。
日本をそういう国にしてはいけない。

 今朝も始まった。
2011年4月28日記


Hiroshi Hayashi+++++++April. 2011++++++はやし浩司・林浩司

2011年4月27日水曜日

@Gero Hot Spring Spa, Gifu-pref., Japan

●4月26日

●雑感、あれこれ

【不登校児の前兆】

 不登校児には、前兆症状がある。
その前兆症状がしばらくつづいたあと、さまざまな神経症的な症状が始まる。
この時期までに、適切な指導をすれば、不登校を防ぐことができる。
それがないと、ある日突然、パニック期(ジョンソン)を迎える。
あとはお決まりの、不登校。

 その前兆症状。
症状といっても、はっきりしたものではない。
症状というよりは、「勘」。
勘でわかるようになる。

●「勘」

 まず人格の「核(コア)」があいまいになってくる。
軟弱になる。
どこかグズグズした様子になり、いわゆる「何を考えているかわからない」
といったタイプの子どもになる。
さらにそれがひどくなると、表情と心の状態が、一致しなくなる。
いやがっているはずなのに、柔和な笑みを浮かべて、それに従う、など。

 こうした状態を、「遊離」という。
表情と情意(=心)が分離する。
子どもの心の健康状態としては、きわめて危険な状態ということになる。
慢性化すると、さまざまな心の問題を引き起こすようになる。

 Iさんという女の子(小2)が、そうだった。
頭の回転も速く、それなりに勉強はよくできた。
教室では、勉強をとくにいやがっているとふうでもなかった。
が、家に帰ってから母親に、あれこれ愚痴を言うようになった。
同時に母親から、たびたび電話がかかってくるようになった。
「先生のところへ、行きたがらなくて、困っています」と。

●ターゲット

 子どもは自分の行為や思いを正当化するために、いろいろな理由づけを
する。
たいていは相手が「人」であるため、私はそれを「ターゲット」と呼んでいる。
「A子さんが、意地悪する」
「B子さんが、仲間外れにする」と。
「先生が、怖い」と言うこともある。

 ともかくも、ターゲットは何でもよい。
「学校へ行きたくない」という思いが基底にあって、それを正当化するために、
あれこれ理由をこじつける。

 このターゲットにも、プラス型とマイナス型がある。
ここに書いたように、「A子さんが意地悪する」と、相手を責めるのがプラス型。
一方、「C子さんが(転校して)、いなくなったから、行きたくない」とぐずるのが、
マイナス型。

 Iさんが家でぐずるようになったのは、友人のY子さんが転校してからだった。
たしかに仲はよかったが、それほどショックではなかったはず。
親しいといっても、遊び仲間。
ほかにもいっしょに遊ぶ友だちはいた。

●教師の介入

 ここから先の話は、何度も書いた。
で、ここでは、その外側にある問題について考えてみたい。
つまりその前兆症状をとらえたとき、指導する教師は、どこまで介入できるか
という問題。
先にも書いたように、まだこの段階では、「勘」の問題。
「あぶないな?」と思う段階。

 当然のことながら、こういうケースでは、教師は2つのうちのひとつの選択に
迫られる。

(1)親に話すべきか、(2)話さずにおくか。

 というのも、この種の問題には、家庭問題がからんでいる。
ほとんどのばあい、家庭に原因があって、子どもはそうなる。
言い方をまちがえると、家庭騒動の原因ともなりかねない。
さらに言えば、「家庭」といっても、親側にそれだけの問題意識があれば、まだよい。
が、たいていの親は、「私はふつう」「私はふつうの親」「私の子は問題ない」と
思い込んでいる。
そういう親に向かって、「あなたの子どもは、不登校児になる心配があります」と、
どうして言えるだろうか。
実際には、言えない。

 教師側にも、「もしまちがっていたら……」という不安が残る。

●みな、精一杯

 が、問題はつづく。
仮にそれを親に告げたとしても、親が子どもを包む家庭環境を変えることは、
まず期待できない。
一度、それに似たようなケースのとき、父親に話したことがある。
そのとき父親は、私にこう言った。

 「うちの家内は、下の子の育児で手一杯です。
今、そんなことを家内に話したら、家内は倒れてしまうでしょう」と。

 子どもを「直す」のは、むずかしい。
「家庭環境」を「直す」のは、さらにむずかしい。
で、私のばあい、勘ではそれがわかっていても、話さない。
親のほうから相談でもあれば話は別。
しかしそうでなければ、話さない。

●結局は、不登校児に

 で、結局、Iさんは、その後数か月を待たずして、学校へ行かなくなって
しまった。
理由は、はっきりしなかった。
あれこれ理由を並べたが、そのつど理由が変わった。
(これを私は「ターゲットの移動」と呼んでいる。)
親は、(先生も)、そのつど引き回された。

 で、そのときのこと。
これは別のケースだが、私がふと、「こうなることはわかっていました」と
漏らしたことがある。
何かの拍子に、そう言ってしまった。
が、それに反応して、母親が激怒した。
「わかっていたら、どうして話してくれなかったのですか!」と。

 私は平謝りに、謝るしかなかった。
 

Hiroshi Hayashi+++++++April. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●脳みそ

 よくハードディスクは、冷蔵庫に例えられる。
メモリーは、まな板に例えられる。
パソコンを使うときは、冷蔵庫(ハードディスク)から食材を取り出し、
まな板(メモリー)の上で料理する。

 だからまな板の役割をするメモリーは、多ければ多いほどよい。
まな板が小さいと、まな板の上がすぐごちゃごちゃになってしまう。
私のパソコンも、64ビットマシンになった。
メモリーは12GB。
おかげで10前後のファイルを開き、同時に作業をしても、ビクともしない。

 で、そのまな板。
作業をしないときは、きれいに片づいていたほうがよい。
当然のことである。
同じように、脳みそも、休んでいるときは、何もないほうがよい。
真っ白というか、空っぽ。
そのほうがよい。

 実は、今の私がそうだ。
深々とした椅子。
広々としたデスク。
パソコンのモニターは、27インチ。
つまりここが私の天国。
私だけの世界。
ここに座っていると、ほっとする。
しばらく座っていると、頭の中が空っぽになる。
何も考えられなくなる。
ときどき「今まで考えてきたことは、どこへ消えたのか」と思うこともある。

 ……が、もちろん、そうでないときもある。
脳みその隅に、何か不快なものがペタリと張りつき、それが取れないときもある。
そういうとき私は、すぐこう思いなそす。
「ああ、今は、病気」と。

 パソコンにたとえるなら、ファイルが壊れている状態。
壊れているから、終了をかけても、まな板(メモリー)の上に、そのまま
残ってしまう。
こういう状態のときは、結論を出さない。
原稿を書かない。
音楽を聴いたりして、気分転換を図る。

 つまり自分の意思で、脳みそをコントロールする。
考えてみれば、これはすばらしいことである。
心理学的にいえば、「自己管理能力」ということになる。
が、それともちがう。
コンピューターにたとえるなら、コンピューター自らが、自分のCPU
(中央演算装置)をコントロールするようなもの。
実際には、コンピューターには、そんな能力はない。
ほかの動物たちにもない。
これは恐らく人間だけがもつ、特殊な能力ということになる。

 今朝の私は気分がよい。
その理由のひとつ。
今の私の脳みそは、空っぽ。
心配ごともない。
悩みも恨みもない。
不安も恐れもない。
だから気分がよい。

 みなさん、おはようございます。
2011年4月26日

++++++++++++++++++++++

●犬のハナ

 たった今、犬のハナがけたたましく吠えている。
「うるさい!」と私が叫ぶ。
階下で「いいのっ!」とワイフがなだめる。
ハナはハナで、この家を守っている。
人(犬?)一倍、番犬意識が強い。
それがよくわかっているから、私たちもなだめる程度。

 静かになるまで、数分はかかる。
今は興奮状態。
アドレナリンが中和されるまで、しばらく待つしかない。

●老犬

 そのハナもすっかり老犬になってしまった。
もうすぐ19歳になる。
月ごとに体がやせていく。
一日中、草の上で眠っている。
それがわかるから、このところ、ソーセージやミルクを、多く与える。
ハナの好物である。

 ワイフは、ときどきこう言う。
「もう、それほど長くはないかもしれないわね」と。
さみしいことだが、私は同意するしかない。
……というか、心のどこかで準備を始めた。
その日が来ても、動じないように。

 ハナ……人は、ブスという。
しかし私には、どういうわけか、美人に見える。
顔立ちもよいし、かわいい。
もう少し若いころは、よく中田島の砂丘へ連れていった。
自転車で10分前後のところにある。
そこへ行くと、ハナは、カラスを追いかけ、見えなくなるほど遠くまで、
走っていった。

 が、今のハナには、もうそれができない。
自転車で伴走しても、10分も息がつづかない。
ヘタヘタした走り方になる。
が、私にとっては、よき友。
恋人。
庭で何かの作業をしていると、すぐ私の顔をなめにくる。
おとといも、庭で組み立て式の箱を、4つ作った。
そのときも私のそばを、片時も離れなかった。

 そういうこともあって、私は庭へ出るたびに、ハナに声をかける。
が、そのつど、「もしや……」という不安が横切る。
が、ハナは裏切らない。
声をかけるたびに、……反応は鈍くなったが、頭をさげて、奥の犬小屋から
出てくる。
いそいそと出てくる。
私はハナの頭をさする。
首の下をなでる。

 ……そんな日々もやがて終わるかもしれない。
さみしいことだが、別れの日は近い。
そんな予感がする。

 ハナ、今までありがとう!
お前は、たしかにぼくの人生の一部だった。
楽しい思い出、ありがとう!

 ……こんな言葉を口にするのは、まだ少し早いかな?


Hiroshi Hayashi+++++++April. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●3・11大震災

 私がおかしいのか?
それとも日本人全体が、おかしいのか?
 
私は悲観論者ではないが、今の世相はあまりも楽観的すぎる。
私は、そう思う。
原発事故をみても、みな、いろいろなアドバルーンをあげるだけ。
タンクを増設する、ロボットが格納容器に入れる、空冷の冷却機を据え付ける……。
その一方で、状況は、日々に悪化している。
つぎつぎと新たな問題が発生し、対策は後手後手。
基本的な部分は、何も解決していない。

 今回の事故について、チェルノブイリ原発とよく比較されるが、福島第一原発は、
それよりもはるかに大きい。
世界でも最大級。
原子炉の直径だけでも、6メートル弱。
格納容器の直径となると、30メートル近くもある。
建屋と呼ばれる囲いにしても、xxメートル。
巨大なビルに匹敵する。

 その中に放射性物質が、ぎっしりと詰まっている。
もし福島原発にある原子炉が、1機だけでも爆発したら、チェルノブイリ事故の
比ではない。
チェルノブイリ事故のときの約25倍もの放射性物質がまき散らすことになる。
あとは風向きしだい。
仮に東京方面に風が向かっていたら、放射性物質は6時間後には、東京に到達する
という(アメリカ軍)。

 が、それですむとは、だれも思っていない。
そうなった瞬間、もうだれも福島原発には近づけなくなる。
とたん他の原子炉もつぎつぎと爆発を繰りかえす。
近隣の原子力発電所も、同じ運命をたどる。
結果、北は東北地方全域、西は愛知県全域まで、人はだれも住めなくなる。

 原発事故はそれほどまでに恐ろしいものであり、またその可能性は、
けっして「想定外」のことではない。
すでに多くの科学者が、その可能性について言及している。

 ……その「時」が刻一刻と迫ってきている。
仮にもしそうなったら、街頭での救援金募集など、夏の日の陽炎(かげろう)のように、
空のかなたに虚しく消えるだろう。

●管総理大臣

 管総理大臣で、何が悪いのか。
よくても悪くても、今は、国家の一大事。
日本国という「国」が、危機存亡の崖っぷちに立たされている。
権力闘争を繰り返したり、内輪もめしている場合ではない。

 現に、管総理大臣が総理大臣なのだから、今は挙国一致態勢でこの難局を乗り
切らなければならない。
言うなれば戦時。
死傷者こそ少ないが、原子爆弾が数個落とされたような状況。
敵はもちろん、放射性物質。
今は管総理大臣に強力な全権限を与え、管総理大臣に協力すること。
責任問題を追及するのは、原発事故が片づいてから。
少なくとも、今は、そのときではない。

 今は、管総理大臣に、日本の命運を託すしかない。
管総理大臣にがんばってもらうしかない。
一方、私たち国民は、管総理大臣に協力する。
今ここで、管総理大臣の責任を追及したところで、問題は何も解決しない。
自民党にしても、偉そうなことは言えない。
戦後60年近く、原発を作り、それを野放しにしてきたのは、自民党ではないのか。

どうして日本よ、日本人よ、こんな簡単なことがわからないのか。
繰り返すが、今は、国家危急存亡のとき。
ここで今、経済災害(=国家破綻)が起きたら、日本は、おしまい。
本当に、本当のおしまい。
二流国(中国の首脳)どころか、アジアの小国に成りさがってしまう。


Hiroshi Hayashi+++++++April. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【下呂温泉・アルメリア(ArmeriA)にて】2011年4月27日

●今夜は外泊

 明日の朝早く、岐阜県の下呂に向かう。
日帰りの温泉旅行。
昼食付きで、一泊、1万1000円(1名)。
ワイフの分は、某料理店の招待。
無料。

 朝、6時10分に、浜松駅前に集合とか。
自宅から出ていくのも難儀なこと。
そこで今夜は、中心部にあるビジネスホテルに一泊。
そのホテルからは歩いて行かれる。

 ずいぶんとぜいたくな話だが、ビジネスホテルといっても、
一泊朝食付きで、2800円。
それにクーポン券が使えるので、2人で、4800円と少し。
バスに乗り遅れるのを心配して、ハラハラドキドキするよりはよい。

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ということで、今日は、岐阜県の下呂温泉にやってきた。
日帰り入浴というので、やってきた。
丘の中腹にある、アルメリアというホテル。
英語では「ArmeriA」と書く。
最後の「A」は大文字。

が、温泉に入浴するのは、やめた。
あまりにも大勢の客に、恐れをなした。
のんびり、ゆっくりという雰囲気ではなかった。
ワイフが「いやだ」と言った。
それでやめた。
で、一度ワイフと散歩に出たが、すぐ大粒の雨が
降り始めた。

……2階にある、休憩室で、時間まで待つことにした。
今は、そこにいる。
この文を書いている。

+++++++++++++++++++++++++++

●管理社会

 いきなり硬い意見で、ごめん。

 管理社会のことを、英語では「ビュロクラティック(官僚主義的)」という。
役人という支配階級が、すべてを管理する。
その管理のもと、民衆は、役人に管理されるまま。
江戸時代を思い浮かべればよい。
管理からはずれない人たちにとっては、住みやすい世界。
従順に役人に従っていればよい。
利権、利得をたがいに守りあい、甘い汁を吸うことができる。
が、管理社会のもとでは、管理からはずれる人を、許さない。

 今回の3・11大震災のときも、こんなことがあった。
福島第一原発の事故を聞きつけ、東京電力の社長が、ヘリコプターで現地に
かけつけようとした。
が、それができなかった。
「(航空法により)午後7時の飛行は禁じられている」と。
そこで社長は電車や車を乗り継いで、東京に向かった。
(内容については、記憶によるものなので、不正確。)

 国家の一大事に、「航空法」?
これを管理社会の弊害と言わずして何という。

●旅行

 旅行するのは、たいへんよい。
若いときは、それほど深くは考えなかった。
しかし今は、そう思う。
たいへん、よい。

 理由など、今さら書くまでもない。
気分転換になる。
頭の刺激になる。
旅行にはある程度の苦痛はつきものだが、それに耐えるのも旅行のうち。

 たとえばこの飛騨地方。
私が若いころは、「秘境にある温泉地」ということになっていた。
が、今は道路も完備され、日帰りで往復できるようになった。
時は春。
木々の若芽が、一斉に吹き出している。
その間に、葉サクラ、それに真紅の桃の花。
「新緑」といっても、一様ではない。
森全体が、緑の花が咲いたように見える。

●日本の資格

 41年前のこと。
メルボルン大学のIHカレッジには、世界からの留学生が集まっていた。
半数(100人)が、オーストラリア人の学生。
半数(100人)が、世界各国からの留学生。
その留学生と話していたときのこと。
みな、こう言った。
「日本へ留学しても、意味はない」と。

 日本でいくら資格を取っても、その資格は、通用するのは、日本国だけ。
内日本以外の国では使えない。
この世界には、相互主義と言う大原則がある。
日本が外国の資格を認めないから、外国も日本の資格を認めない。
よい例が、医師免許。
アメリカの医師は、日本で開業することはできない。
一方、日本の医師は、アメリカで開業することはできない。

反対に、相互主義で認められているのが、自動車の運転資格。
しかしこれは例外。

(オーストラリアでは、一定の語学力と、一定の研修を受け、
それに合格すれば、どこの国の医師でも、医師として働くことができる。
ボーダータウンという町には、アフリカのジンバブエから来た
医師が、そのまま診療所で働いている。)

●故郷

 実はこの岐阜県は、私生まれ故郷でもある。
今では岐阜弁を奇異に感ずるほど、岐阜県から遠ざかってしまった。
それでも故郷意識は残っている。

 深い山々に囲まれた、村。
その下を流れる、コバルト色の川。
下呂の下を流れる川を、飛騨川という。
飛騨川は木曽川につながり、最後は三河湾へと流れる。
このあたりの鮎(あゆ)は、大きくて、太っている。
水の中の養分が豊富なせいだと、昔、従弟(いとこ)が話してくれた。
長良川の鮎よりは、はるかに大きい。

 そういう村を見ながら、ふとこう思う。
「こんなところにも、無数の人たちがいて、無数のドラマを展開している」と。

 一見、のどかな山村だが、その向こうには、都会生活にはない、
濃密な人間ドラマが凝縮されている。
道路沿いの木々にしてもそうだ。
そこには持ち主がいて、持ち主どうしが、やはり濃密な人間ドラマを展開している。

●言葉の壁

 その後、日本は高度成長の波に乗り、世界でも第二の経済大国になった。
東京証券取引所には、300を超える外国の企業が、上場していた。
しかしバブル経済崩壊とともに、つぎつぎと撤退。
今では10社もない。

 理由は言わずと知れた、言葉の壁。
外国企業は、一度すべての資料を日本語に翻訳しなければならない。
その費用に倒れた。

で、今では、アジアの経済の中心は、シンガポール。
アメリカへ入ってくるアジアの情報は、(東京のマーケット情報も)、すべて
シンガポール経由。
東京ではない。
シンガポール。

●岐阜県

 私は岐阜県のM市という町で生まれ育った。
しかしM町には、よい思い出というのが、ほとんどない。
私にとって「故郷」というと、母が生まれ育った「K村」をいう。
M町から車で、30~40分ほどのところにある。
が、私が子どものころには、2時間ほどかけ、バスで行った。

 もっと幼いころには、木炭バスだった。
大きさも、今でいう、マイクロバス程度ではなかったか。
私には大きなバスに見えたが、それは私が小さかったから。
当時のバスは、M町のあの狭い路地を平気で走っていた。
つまり小さかったから、それができた。

 飛騨川の風景を見ながら、しかし、こう思う。
「板取川(長良川)の風景とはちがう」と。
似ているが、ちがう、と。
どこがどうというのではないが、人工的な造作物が、長良川より多い。
川幅も、やや広い。
ときどき交差する鉄道線路も、板取川には、ない。

●ガイドの資格

 もう少し身近な例では、こんなことがある。

 浜松市の西に浜名湖という湖がある。
この湖を取り囲むように、電車が走っている。
第三セクター方式のローカル線である。
車両は1両しかない。
その電車に乗ったときのこと。
若い女性が、ガイドをしてくれた。
そのガイドがこう言った。
「私のような仕事にも、資格がいるのです」と。

 私はボランティアで、その女性はガイドをしているものと思っていた。
が、そんな仕事(?)にも、資格?

●弱い円

 X月にアメリカに行くことにした。
しかし旅費を知って、驚いた。
名古屋から、二男のいるインディアナポリスまで、往復28万円前後。
2人分で、56万円!

 「円高」「円高」と言われているが、実際には、円の価値は、かぎりなく低い。
先月、オーストラリアへ行ったときのこと。
自動販売機の缶ジュースが、1本、3ドル50セントだった。
そのときのレートで、日本円に換算すると、何と315円。
カレッジ内の自動販売機で、その値段だった。

 アメリカ人であれば、56万円と聞いて、「安い」と思うかもしれない。
が、日本人の私たちにとっては、そうではない。
「高い!」。

●ビジネスホテル

 それにしても2800円というのは、安い。
しかも朝食付き。
今、この日本では、何かしら、めちゃめちゃなことが起きつつある。
国債の格付けもさがり始めた。
このままいったら、日本全体が破産してしまう。

●56万円!

 そんなわけで、少し元気がなくなってきた。
今日もワイフにこう言った。
「アメリカへ行くのはやめようか?」と。

 56万円もあれば、日本国内で28回、旅館に泊まることができる。
こういう時節だから、一流ホテルでも、一泊二食付で、1名1万円前後で泊まれる。
2人で2万円。
だから56÷2=28で、28回。

●法のもつ融通性

 こうした日本の社会のもつ異常性は、世界を少し歩いてみるとわかる。
前にも書いたが、アメリカの南部にあるアーカンソー州では、タクシーにはメーター
すらついていない(アーカンソー州、ウチィタ町)。
料金は、乗る前に運転手と交渉して決める。

 で、2日目のこと。
予約していたタクシーはこなかった。
代わりに夫が運転する自家用車がやってきた。
いわく「(運転手の)妻が、ほかの仕事に回ったので、代わりに私が来た」と。

 アメリカでも白タクは違法なのだろうが、しかしだれもそんなことに文句を言う人は
いない。
つまり黙認。
「法」そのものが、自己責任という「自由」という幅の中で運用されている。

●日本人が出稼ぎに……

 今までは、外国の人たちが、日本へ出稼ぎに来ていた。
が、これからは日本人が、外国へ出稼ぎに行くようになる。

 たまたま今日乗ったバスの添乗員(女性)も、こう言った。
「茨城県から来ています」と。

 すぐ地震の話になったが、もちろんそれが理由ではなかった。
「茨城県には仕事がありません。それでこちらに来ました」と。

 年齢は26歳くらい。
独身。
「茨城県は、そんなにきびしいですか?」と聞くと、「そうです」と
あっさりと答えた。

 茨城県から、浜松市へ。
それがつぎの時代には、茨城県から外国へとなる。

●硬直性

 管理社会は、それ自体が、硬直性を生む。
よい例が、教育。
たとえば日本のコンピュータ教育は、韓国や台湾と比べても、20年は遅れた。
当初、時の通産省がコンピュータ教育を始めようとしたとき、それに「待った!」を
かけたのが、ほかならぬ文部省。
「教員資格のない教師を、教壇に立たせるわけにはいかない」と。

 しかもこうつづけた。
「教育学部で、コンピュータの教授を育てるのに、20年かかる」と。
結局、コンピュータ教育は実施されることはなかった。
各小中学校に数台ずつ置かれ、クラブ活動のひとつとして、位置づけられた。
今から、もう20年以上も前の話である。

 当時の日本は電子製品では、世界の頂点に立っていた。
その日本で、このザマ。

●先手、先手……

 取るか、取られるか……。
経済戦争というのは、そういうもの。
現状に満足したとたん、スキができる。
そのスキを、相手はついてくる。

 つまりこの世界では、先手、先手で攻めても、あぶない。
その緊張感が重要。
その緊張感を失ったとき、日本は敗れる。

●教育の世界では

 この40年だけでも、子どもたちの世界は、大きく様変わりした。
すべてが教育のせいとはいわないが、同時進行の形で、教育も変わった。
昔で言う「腕白少年」が、いなくなった。
男児の女児化は、すでに30年近く前から始まっている。
今では、小学校でも、「いじめられて泣くのは男児」「いじめて泣かせるのは
女児」(小学低学年)というのが、常識化している。

 問題点を整理してみよう。

(1) 野生化の喪失……困難に対する抵抗力がない。
未経験の分野には手を出さない。
小さく丸く収まった子どもほど、よい子と評される。
従順で、親や教師の指導に黙って従う子どもを、よい子と評価する。
ワクにはまったことだけをし、そのワクから外へ出ることができない。
「金儲け」というと、「就職」しか考えない。
お金が必要なら、リヤカーを引いて……という発想そのものが、ない。
(私は若いころ、リヤカーを引いて、絵を売って歩いたぞ!)

(2) 苦労を避ける……最近では、ミカンが売れなくなったという。
理由は、「最近の若い人たちは、皮をむいてまでミカンを食べない」(近郊農家)とか。
お茶にしても、そうだ。
「お湯をわかし、お茶の葉を煎じて飲む人がいない」(川根茶の中学校校長)とか。
冗談のような話だが、これらの話は、それぞれの地域の、それなりの責任の
ある立場にある人から、聞いた話である。

(3) 現実性の喪失……40年前には、「おとなになったら、何になりたい?」と
聞くと、「幼稚園の先生」とか、「電車の運転手」などと答えた(幼稚園児)。
それがそのあと、スポーツ選手になったり、タレントになったりした。
が、今は、「ゴレンジャー」とか「霊能力者」と答えたりする。

15年ほど前だが、こう言った女子高校生もいた。
「私はいつか未亡人になり、喪服を着てみたい」と。
真顔だった。

 ほかにもいろいろあるが、年を追うごとに、子どもたちは小粒になっていく。
が、それは世界の常識ではない。
だから私はときどきこう思う。
「一歩、日本の外に出たら、役に立たないだろうな」と。

●では、どうするか?

 一言で言えば、「教育にダイナミズムを取り戻す」。
そのためには、教育を自由化する。
主要教科は学校という「場」で教える。
が、そのほかの実用的な教科は、学外教育に任せる。
英会話にしても、民活を利用したほうが、はるかにうまくいく。
真剣さそのものが、ちがう。
「何でもかんでも学校で……」という発想そのものが、陳腐。

 その一方で、教職を専門化し、教師を雑務から解放する。
「教育」のみに専念できるようにする。
医療機関における医師を想像すればよい。
診察室(教室)から患者(生徒)が一歩でも出たら、それはもう医師(教師)の
責任ではない。
あとは患者(生徒)の自己責任に任せる。
死のうが、生きようが、(生徒のばあいは、そうはいかないが……)、
それは患者の勝手。

●変化する学校教育

 もっとも教育現場は、今、大きく動き出している。
クラブ制(ドイツ、イタリア)への動きも、見られる。
習熟度別授業にみられるように、能力別教育も、常態化している。
文科省もけっして手をこまねいているわけではない。
それはよくわかる。
しかしすべてが後手後手。

 隣の韓国では、教科書の電子ブック化を始めた。
が、この日本では、まだ議論の段階。
アメリカの大手電子機器メーカーが「無料で提供する」と申し出ている。
が、それも無視。

 今どき「教科書」だなんだと言っているのは、日本と、周辺の全体主義国家
だけ。
文科省は「検定」と「国定」とは違うという。
なら、どこがどうちがうというのか。
オーストラリアにも検定制度というのは、ある。
しかしそれをするのは、民間団体。
また検定するのは、(1)暴力的表現と、(2)性描写表現のみ(南オーストラリア州)。
政治的、歴史的表現については、検定してはならないと、むしろ逆に釘を刺している。

 だったら、教科書の検定制度など、即刻、廃止したらよい。
教育行政にしても、各都道府県単位から、さらには市町村単位にまで、権限を委譲
したらよい。
学校の設立も自由化する。
現にアメリカでもカナダでも、そうしている。

 それとも「国」は、何を恐れているのか。
何を心配しているのか。
教科書の電子ブック化にしても、困るのは教科書会社だけ。
天下り先が減る、文科省だけ。
言うまでもなく、あの教科書には、巨億の利権がからんでいる。

●INDEPENDENT THINKER

 大切なのは、みなが、自分で考え、自分で判断し、自分で行動すること。
もちろんその責任は、自分で取る。
民主主義の原点は、ここにある。
言い換えると、民主主義の発展のためには、管理という規制を緩める。
民間に任すものはどんどんと任す。
行政機構を簡素化し、縮小する。

 もちろん失敗もあるだろう。
しかし民衆は、その失敗を通し、試行錯誤する。
それを繰り返しながら、民衆は自らの力で、民主主義を完成させていく。
一方、行政側も、すべてを背負い込まないこと。
できないことは、「できない」とはっきりと言えばよい。

 たとえば街路樹から落ちる、枯れ葉。
今ではあの枯れ葉を「ゴミ」と考える人がふえている。
だから道路に枯れ葉が散乱すると、その地域の住民たちはすぐ、市や町に苦情を入れる。
市や町はそのために税金を投入し、人員をふやす。
同時に権限と管轄を広げる。
こうした安易な依存性が、他方で、民主主義の発展を阻害する。
 
 ……少し疲れてきたので、結論へと飛躍したが、平たく言えば、そういうこと。

●下呂温泉、アルメリア

 「アメリカのアルメリアか?」と。
そういうふうに覚えれば、記憶しやすい名前である。
横文字のホテル名は、覚えてもすぐ忘れる。
中には、スペイン語やフランス語名のホテルもある。
そういうのは、すぐ忘れる。

 かなり大がかりな、ホテルである。
丘の上からの眺望もよい。
今回は日帰りだが、次回は、ゆっくりと泊まってみたい。
客を喜ばせる趣向が、あちこちにこしらえてある。
都会のホテルのような洗練された雰囲気はないが、その分だけ、田舎臭さが、
あちこちに残っている。
それが客の心をほっとさせる。

 ついでにアルメリアの情報。
正式名は、

KUSAKABE
AMERIA
(ホテル くさかべアルメリア)


Hiroshi Hayashi+++++++April. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【小学1年生に、「組み合わせ」を教えてみる】

今週は、実験的に、小学1年生に「組み合わせ」の概念を教えてみました。
「小学1年生に、組み合わせ?」と驚かれる人も多いかと思います。
が、結果は、ご覧の通りです。

文科省の定める「カリキュラム」が、いかにチンプで、子どもたちの心を捕えて
いないか。
それをこのビデオを通して、理解してもらえれば、うれしいです。

幼児でも、正負の数、分数、小数……、すべて理解できます。
問題は教え方。
教え方だけ工夫すれば、教えられます。

では、お楽しみに!

(BW教室のみなさんは、復習にお役立てください!)

(1)



(2)



(3)



(4)




(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 小学1年生 組み合わせ 組合わせ 組合せ 確率)


Hiroshi Hayashi+++++++April. 2011++++++はやし浩司・林浩司

2011年4月26日火曜日

*4-year-old children @ BW Children's Learning Club Hamamatsu, Japan

【教師のニヒリズム】

●雑感、あれこれ

 不登校児には、前兆症状がある。
その前兆症状がしばらくつづいたあと、さまざまな神経症的な症状が始まる。
この時期までに、適切な指導をすれば、不登校を防ぐことができる。
それをしないと、ある日突然、パニック期(ジョンソン)を迎える。
で、あとはお決まりの、不登校。

 その前兆症状。
症状といっても、はっきりしたものではない。
症状というよりは、教える側の「勘」。
勘でわかる。

●「勘」

 まず人格の「核(コア)」があいまいになってくる。
軟弱になる。
どこかグズグズした様子になり、いわゆる「何を考えているかわからない」
といった様子の子どもになる。
さらにそれがひどくなると、表情と心の状態が、離れ始める。
いやがっているはずなのに、柔和な笑みを浮かべて、それに従う、など。

 こうした状態を、「遊離」という。
表情と情意(=心)が分離する。
子どもの心の健康状態としては、きわめて危険な状態と考えてよい。
慢性化すると、さまざまな心の問題を引き起こすようになる。

 Iさんという女の子(小2)が、そうだった。
頭の回転も速く、それなりに勉強はよくできた。
教室では、とくにいやがっているとふうでもなかった。
が、家に帰ってから母親に、あれこれ愚痴を言うようになった。

●ターゲット

 子どもは自分の行為や思いを正当化するために、いろいろな理由づけをする。
たとえばおけいこ塾などへ行きたくないときは、こう言う。
「先生が、怖い」と。

たいていは相手が「人」であるため、私はそれを「ターゲット」と呼んでいる。
「A子さんが、意地悪する」
「B子さんが、仲間外れにする」と。
「先生が、私を叩く」と言うこともある。

 ともかくも、ターゲットは何でもよい。
「学校へ行きたくない」という思いが基底にあって、それを正当化するために、
あれこれと理由づけをする。

 このターゲットにも、プラス型とマイナス型がある。
ここに書いたように、「A子さんが意地悪する」と、相手を責めるのがプラス型。
一方、「C子さんが、(転校して)いなくなったから、行きたくない」とぐずるのが、
マイナス型。

 Iさんが家でぐずるようになったのは、友人のY子さんが転校していってからだった。
たしかに仲はよかったが、それほどショックではなかったはず。
親しいといっても、遊び仲間。
ほかにもいっしょに遊ぶ友だちはいた。

●話すべきか、話さざるべきか

 ここから先の話は、何度も書いた。
で、ここでは、その外側にある問題について考えてみたい。
つまりその前兆症状をとらえたとき、指導する教師は、どこまで介入できるか
という問題。
先にも書いたように、まだこの段階では、「勘」の問題。
「あぶないな?」と思う段階。

 当然のことながら、こういうケースでは、教師は2つのうちのひとつの選択に
迫られる。

(1)親に話すべきか、(2)話さざるべきか。

 というのも、この種の問題には、家庭問題がからんでいる。
ほとんどのばあい、家庭に原因があって、子どもはそうなる。
言い方をまちがえると、家庭騒動の原因ともなりかねない。
さらに言えば、「家庭」といっても、親側にそれだけの問題意識があれば、まだよい。
が、たいていの親は、「私はふつう」「私はふつうの親」「私の子は問題ない」と
思い込んでいる。
そういう親に向かって、「あなたの子どもは、不登校児になる心配があります」と、
どうして言えるだろうか。
実際には、言えない。

 教師側にはいつも、「もしまちがっていたら……」という不安も残る。

●家庭環境

 が、問題はつづく。
仮にそれを親に告げたとしても、親が子どもを包む家庭環境を変えることは、
まず期待できない。
一度、それに似たようなケースのとき、父親に話したことがある。
そのとき父親は、私にこう言った。

 「うちの家内は、下の子の育児で手一杯です。
今、そんなことを家内に話したら、家内は倒れてしまうでしょう」と。

 子どもを「直す」のは、むずかしい。
「家庭環境」を「直す」のは、さらにむずかしい。
で、私のばあい、勘ではそれがわかっていても、話さない。
親のほうから相談でもあれば話は別。
しかしそうでなければ、話さない。

●不登校

 で、結局、Iさんは、その後数か月を待たずして、学校へ行かなくなって
しまった。
ある朝、突然、大暴れした(パニック期)。
「学校へ行かない!」と言って、泣き叫んだ。
理由は、はっきりしなかった。
そのあと、あれこれ理由を並べたが、そのつど理由が変わった。
(これを私は「ターゲットの移動」と呼んでいる。)
親は、(先生も)、そのつどIさんの言葉に、引き回された。

 で、そのときのこと。
つまり不登校児になってからしばらくしてからのこと。
私がふと、「こうなることはわかっていました」と漏らしたことがある。
何かの拍子に、そう言ってしまった。
すると母親は、こう言って、叫んだ。
「わかっていたら、どうして早く言ってくれなかったのですかア!」と。

 ……ここに書いたIさんというのは、もちろん架空の子どもである。
いろいろなケースを混ぜて、Iさんとした。
しかしこういうケースは、多い。
が、その逆のこともある。

 印象に残っている母親に、Fさんという人がいた。
私がFさんの子どもについて、問題点を告げようとしたときのこと。
その母親は、私にこう言った。

「あんたは、黙って、子どもの勉強だけをみていてくれればいい」と。
そういうケースもある。

●ニヒリズム

 結局は、この言葉に行き着く。
「ニヒリズム」。
若いころ、どこかの塾の先生が、何かの会合で、この言葉を教えてくれた。
いくら教育に没頭しても、最後の10%は、自分のためにとっておく、と。
それがないと、傷つくのは、いつも教師の側ということになる。

 もちろん打診はする。
それとなくその話はする。
親の反応をみながら、つぎの話をする。
が、そのとき「距離」を感じたら、そのまま引きさがる。
「距離」というのは、「話してもわかってもらえないだろうな」という距離感をいう。
中には聞く耳すらもたない親がいる。
「うちの子どものことは、私がいちばんよく知っています」とばかり、教師の
言葉をはねのけてしまう。

私「……あのう、家で、何か心配なことはありませんか?」
母「ありません」
私「ぐするようなことはありませんか?」
母「うちでは、ふつうです」と。

 最近では「モンスター・ペアラント」という言葉もあるが、その一方で、
「ブレイン・レス・ペアラント(思考力のない親)」という言葉もある。
そこに問題があっても、それについて考えようともしない。
「私がぜったい正しい」と思い込んでいる。

 実際、こういう親に出会うと、教える側は絶望感すら覚える。

●宿命

 が、こう考えることもできる。
「それが子育て」と。

 「失敗」という言葉は使いたくないが、(ほかに適切な言葉がないので)、
しかし親は自分で失敗してみて、はじめてそれが失敗と気づく。
が、失敗をどうこう言うのではない。
これは子育てにまつわる宿命のようなもの。 

 裏を返して言うと、失敗のない子育てというのはない。
みな、その失敗を繰り返しながら、子育てをし、親は親になっていく。
たとえば子どもの不登校にしても、今では何でもない問題だし、おおげさに
考える必要はない。
その後の対処さえ適切であれば、いつかかならず笑い話になる。
そのときどきには、親はアタフタするが、そのアタフタの中から、無数の
ドラマが生まれる。
そのドラマに生きる価値がある。
生きる喜びも、そこから生まれる。

 が、賢い親になることはできる。
いろいろな鉄則がある。

(1)我が子を見るときは、他人の目で。……ときには自分の子どもが、他人の目には
どう見えるか。客観的に見てみる。

(2)先生と話すときは、聞き上手。……先生があれこれ言っても、反論しない。
聞き役に徹する。

(3)風通しのよい家庭環境に心がける。……ほかの父母から孤立しない。
情報交換がしやすい家庭環境に心がける。
 
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 教師の限界 親の限界 ニヒリズム)


Hiroshi Hayashi+++++++April. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●4月26日

++++++++++++++++++

今日も始まった。
がんばろう。

今日は4月26日、火曜日。
肌寒い朝。
起きてすぐ、30分、歩いた。
かなり汗が出た。
が、それが乾くと、今度は寒気。
「寒いなあ……」と思いつつ、
書斎の椅子に座る。

言い忘れたが、おととい、書斎の
模様替えをした。
どこかの会社の社長室のようになった。
大きなデスクに、深々とした椅子。

……やっぱり、こたつのほうが
よかった……と。
心のどこかでそう思う。

+++++++++++++++++

●調子

 数日前から、(やっと)、調子が戻ってきた。
まず書きたいことが、ぼんやりとした形で、浮かんでくる。
それを一気に、キーボードを叩いて吐き出す。

 調子が悪いときは、それがひとつの「固まり」ならない。
書いているうちに文章がバラバラになってしまう。

 調子がよいときは、書きたいことが小川の流れのようになって、
外に出てくる。
文章もまとまる。

 昨日ワイフに、「やっと調子が戻ってきた」と言うと、ワイフがうれしそうに
笑ってくれた。
3・11大震災のあと、ショック状態になってしまった。
文が書けなくなってしまった。
調子が狂ってしまった。
「ぼくはもうこれで文が書けなくなるかもしれない」と思ったこともある。

 しばらく悶々とした日々がつづいた。
苦しかった。
が、数日前から、また書けるようになった。
まだ慣らし運転という段階で、つっこみも甘いが、それでも書けるようになった。

ホ~~~ッ!

 今朝は、そんな心境。

(はやし浩司)ー(書くこと)=NOTHING

●3・11大震災

 ところであの震災を、何と呼ぶか。
当初、政府の呼び名は、二転三転したように思う。
最近は、「東北関東大震災」と呼んでいる。
が、私は当初から、「3・11震災」もしくは、「3・11大震災」と書いている。
どちらでもよいが、週刊誌などでは、「3・11大震災」と書くことが多く
なってきた。

 私は「3・11大震災」のほうが、よいのではと思う。
わかりやすいし、あの忌まわしい3月11日を、永遠に記憶にとどめることができる。
毎年、3月11日がやってくるたびに、気持ちを引き締めることができる。

●「福島」ナンバー

 最近、浜松市内でも、「福島」ナンバーの車をよく見かけるようになった。
しかしこれには異論もある。

 時期が時期だから、「福島」という県名に敏感になっているのでは、と。
つまり目立つ。
だから「よく見かけるようになった」と。

 が、ほかの県の車に比して、多くなったのは事実。
たいていどこの駐車場にも、1台や2台は止まっている。
で、あるBLOG(「浜松祭り 中止 反対」で検索してヒット)には、こうあった。
「浜松へ来て、うそのように平和なのには、驚いた」と。

 はるばる遠くから避難してきた人たち。
暖かく迎えてやろうではないか。
「浜松で、ゆっくりとくつろいでください」と。

●YOUTUBE

 YOUTUBEでは、「インサイト情報」を見ると、毎日のアクセス数が
そのままグラフとなって表示されるようになっている。
それによると、このところアクセス数が、900件/1日を超えるようになった。
BLOGとちがい、アクセス数が安定している。
(BLOGは、1週間も投稿しないでいると、アクセス数が、ガクンと落ちる。)

 1000件まで、あと一歩。
コメントも、世界中から集まる。
外国では、日本語の勉強に利用している人が多い。

 で、先ほど、年中児(4歳児)クラスの様子を撮ったビデオを、UPした。
この年齢の子どもを、50分間、レッスンに引きつけておくのは、容易なことではない。
テンポを速くし、リズミカルにレッスンを進める。
間(ま)をおいたとたん、子どもたちの注意力が散ってしまう。
頭が冷たくなってしまう。

だから真剣勝負。
私と子どもとの真剣勝負。
一見、気楽に教えているように見えるかもしれないが、50分もつづけると、
私の方がヘトヘトになる。

そんな苦労を、つぎのビデオを通して理解してもらえれば、うれしい。

【新年中児(4歳児)・あいさつ】













Hiroshi Hayashi+++++++April. 2011++++++はやし浩司・林浩司

2011年4月25日月曜日

●What is the Common Sense for the Japanese?

【常識という非常識】

+++++++++++++++++++++

まず、こんな話。
実際、あった話。
じっくりと読んでほしい。
つまりこの話を読んで、あなたはどう感ずるか?
それを心の中で、さぐってほしい。

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●ある中華料理店

 10年ほど前のこと、中国の北京から1組の夫婦が、その通りにやってきた。
夫の方は、父親が日本人だった。
妻の方は、生粋の中国人。
その夫婦は、通りの一角に、中国料理店を開いた。

 最初は、結構、繁盛していた。
「1日、日本で働けば、中国での1か月分の稼ぎになる」と、
その夫婦は、そう言って喜んでいた。
が、そこへ不景気の嵐。
1、2の店がシャッターを下ろしたのをきっかけに、客足が通りから急速に遠のいた。
そのときのこと。

 その中華料理店の隣が、中高年以上の女性を相手にしたブティック。
さらにその隣が、印鑑屋。
そのブティックの店が、週休2日から、週休4日になった。
実際には、午後の数時間だけ、店を開いた。
印鑑屋も、シャッターを半分、下ろした。

 が、これに先の中国人夫婦が、怒った。
怒って、ブティックと印鑑屋へ怒鳴り込んでいった。
ものすごい剣幕だったという。
「店、ちゃんと、開けるあるね!」と。

 驚いたのは、ブティックを経営していた女性。
それに印鑑屋の男性。
「店を開けるか、閉めるかは、私たちの自由」と。
ブティックの女性は、こう言った。
「あんなメチャメチャな話は、聞いたことがありません」と。

●常識

 アインシュタインは、かつてこう言った。
「常識などというものは、その人が18歳のときにもった偏見のかたまりである」と。

 みなさんは、この中華料理店の夫婦の話を読んで、どう感じただろうか。
恐らく中国人夫婦の言い分は、めちゃめちゃと感じたにちがいない。
が、つぎの話を読んだら、その(感じ)は、かなりちがってくるはず。
これも私が直接、経験した話。

 ……先月、私はオーストラリアへ行ってきた。
そこでのこと。
どんな町でも、少し郊外へ行くと、みな、日本では考えられないような大豪邸に
住んでいる。
(家の質そのものは、よくないが……。)
居間だけでも40畳程度、あるいはそれ以上にある。
どの部屋も、20畳以上。
そういう部屋が、4~10個もある。

 アメリカ映画にもそういうシーンが、よく出てくる。
しかし映画で見るのと、実際に見るのとでは、印象は大きくちがう。
つまりびっくりする。

 もちろん土地も広い。
エイカー単位。
1エイカーは、約4000平方メートル。
つまり1200坪。

 そこで私は聞いた。
「税金は、どうしているのか?」と。
つまり「税金は高いだろうな」という思いをもって、そう聞いた。
が、彼らの答は意外なものだった。

 「税金は、Land Valuer(不動産鑑定人)が、最初に決める」と。

 平たく言えば、家の広さも、土地の広さも関係なし。
立地条件や環境、それに家の質で決まる、と。
たとえばショッピングセンターが近くにあれば、バリュー(価値)は高くなる、と。

●家の価値

 だから彼らは、隣の家の芝生が伸び放題になっていると、それについて、隣の
家に対して文句を言う。
アメリカに住んでいる二男も、そう言っていた。
「芝生を刈らないと、近隣の人たちに文句を言われる」と。

 家の価値は、環境によって決まる。
こんな当たり前のことですら、日本では、非常識となる。
ご存知のように、土地の税金にしても、市の中心部からの距離によって決まる。
(それほど単純ではないが、この意見には、だれも異議を唱えないだろう。)

 そのこともあって、欧米人は、通りから見た美しさを、大切にする。
通り全体、町全体の景観を大切にする。
少なくとも灰色のブロック塀で、自分の土地を囲むということはしない。
庭木にしても、通りに近い方に低木、家に近い方に高木を植える。

 こうして「質」を高めることによって、家の「価値」を高める。
家の「価値」が高くなれば、売買するにも有利。
銀行からの借入金もふやせる。

 こうした伝統が、何百年にも渡って、つづいている。
意識そのものが、ちがう。
常識そのものも、ちがう。
それが通りの美しさにも、大きく影響している。

●視点

 「中国でも同じ」とは、私には言えない。
そこまで詳しく中国のことを知らない。
しかし日本人がもっている常識が、世界の常識と考えるのは、まちがい。

 たとえば義兄は、浜松市内の中心部に住んでいる。
人口密集地で、電柱から電柱へと、蜘蛛の巣のように電線が走り回っている。
それがぞっとするほど、不気味。

 家々は軒をつらね、その家々は、これまたてんでバラバラの作り。
洋風の家もあれば、和風の家もある。
事務所もある。
医院もある。
色もめちゃめちゃ。
もちろんその多くは灰色のブロック塀で取り囲まれている。

 一方、私の家は、郊外にある。
目の前には、小さいが森もある。
が、固定資産税ということになると、義兄の土地家屋のほうが、はるかに高い。
財産価値が高い。

 考えてみれば、これほど非常識なことはない。
ほんの少し視点を変えるだけで、ものの価値観が、180度変わる。
これもそのひとつ。

 先に書いた中国人夫婦がもっている常識は、欧米人のそれに近いのかもしれない。

●杓子定規

 日本人は、そういう点でも、ものの考え方が杓子定規。
私は、こんな経験をした。
ありのままを書く。

 30歳になったころのこと。
学研という出版社から、「経穴辞典を書いてほしい」という依頼をもらった。
「経穴」というのは、鍼灸でいう「ツボ」をいう。

 私はさっそく、作業に取りかかった。
……といっても、資料そのものがない。
私は香港の友人を通して、中国本土の本を取り寄せた。
その本をたたき台にし、本を書き始めた。

 で、8~9割完成したところへ、出版社から横やりが入った。
「つぼの取り方(取穴法)は、日本式で行く」と。

 日本式?

 1972年ごろには、日本の和漢、鍼灸は、完全に消滅していた。
そういった仕事は、身体に障害のある人たちのものということになっていた。
が、突然の鍼灸ブーム。
中国での針麻酔がきっかけだった(1972年)。

 そこで立ち上がったのが、日本鍼灸学会。
(少なくとも私がその学会名を知ったのは、30歳くらいのころ。)
最初の作業が、経穴(つぼ)の位置の特定。

 が、これがまあ、とんでもないほど杓子定規。
鎖骨から~寸下が、XXと。
寸法を基準に、経穴(つぼ)を決めていた。

 一方、中国では、たとえば腕を曲げたり伸ばしたりし、そこにできた凹み(穴)など
に取穴していた。
私はその中国式で、本を書いていた。
が、それがすべて御破算。

 私はすべてイチから書きなおしを迫られた。
理由を聞くと、「WHOで、取穴法をめぐって、中国式と日本式が戦っている。
この本を日本式を主張するためのたたき台にしたい」と。

 おかげでその本を書くのに、7年もかかってしまった。
本当は、最初の1年で完成していた。
それを7年!
やる気があるのとないのとでは、作業のスピードもちがう。
私は完全にやる気を失っていた。
中国式のほうが、はるかに合理性がある。
それに中国の中国式。
勝てるわけがない!

 ……で、7年。
悶々とした作業の中で、私は7年も無駄にした。
で、そうしてできあがった本が、「東洋医学・経穴編」(学研)である。

●常識論

 再び、常識論。
私たちは何をもって、常識というか。
冒頭の話に戻る。

 「店を開けるか、閉めるか、それは個人の自由」と、日本人は考える。
もう一歩話を進めれば、「芝生を荒れ放題にしようが、美しく刈り込もうが、個人の
自由」と、日本人は考える。

 おかしな個人主義がはびこっている。
空地があれば、そこに家を建てる。
まわりの景観を考えて家を建てる人は、まずいない。
調和を考える人は、さらに少ない。
また隣におかしな家が建っても、だれも文句を言わない。
フランス風の家もあれば、イタリア風の家もある。
デザインも色も大きさも、てんでバラバラ。
しかしこれこそ、世界の非常識。

 言い換えると、世界の常識を知れば知るほど、先の中国人の夫婦の考え方に
近くなっていく。
日本人の私たちにしてみれば、とんでもない非常識な言動に見えるかもしれない。
しかしひょっとしたら、私たち日本人の常識のほうが、おかしいかもしれない。
「常識」というのは、そういうもの。
だからといってその中国人夫婦の言動が、すべて正しいというわけではない。
ないが、私たちのもっている常識は、じゅうぶん、疑ってみる必要がある。

 常識論については、12、3年ほど前から、書いてきた。
中日新聞に書いた記事の中から、さがしてみる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●日本の常識、世界の非常識

● 「水戸黄門」論……日本型権威主義の象徴が、あの「水戸黄門」。あの時代、何がまちが
っているかといっても、身分制度(封建制度)ほどまちがっているものはない。その身分
制度という(巨悪)にどっぷりとつかりながら、正義を説くほうがおかしい。日本人は、
その「おかしさ」がわからないほどまで、この権威主義的なものの考え方を好む。葵の紋
章を見せつけて、人をひれ伏せさせる前に、その矛盾に、水戸黄門は気づくべきではない
のか。仮に水戸黄門が悪いことをしようとしたら、どんなことでもできる。それこそ19
歳の舞妓を、「仕事のこやし」(人間国宝と言われる人物の言葉。不倫が発覚したとき、そ
う言って居直った)と称して、手玉にして遊ぶこともできる。

● 「釣りバカ日誌」論……男どうしで休日を過ごす。それがあのドラマの基本になってい
る。その背景にあるのが、「男は仕事、女は家庭」。その延長線上で、「遊ぶときも、女は関
係なし」と。しかしこれこそまさに、世界の非常識。オーストラリアでも、夫たちが仕事
の同僚と飲み食い(パーティ)をするときは、妻の同伴が原則である。いわんや休日を、
夫たちだけで過ごすということは、ありえない。そんなことをすれば、即、離婚事由。「仕
事第一主義社会」が生んだ、ゆがんだ男性観が、その基本にあるとみる。

● 「森S一のおふくろさん」論……夜空を見あげて、大のおとなが、「ママー、ママー」と
泣く民族は、世界広しといえども、そうはいない。あの歌の中に出てくる母親は、たしか
にすばらしい人だ。しかしすばらしすぎる。「人の傘になれ」とその母親は教えたというが、
こうした美化論にはじゅうぶん注意したほうがよい。マザコン型の人ほど、親を徹底的に
美化することで、自分のマザコン性を正当化する傾向が強い。

●「かあさんの歌」論……窪田S氏作詞の原詩のほうでは、歌の中央部(3行目と4行目)
は、かっこ(「」)つきになっている。「♪木枯らし吹いちゃ冷たかろうて。せっせと編んだ
だよ」「♪おとうは土間で藁打ち仕事。お前もがんばれよ」「♪根雪もとけりゃもうすぐ春だ
で。畑が待ってるよ」と。しかしこれほど、恩着せがましく、お涙ちょうだいの歌はない。
親が子どもに手紙を書くとしたら、「♪村の祭に行ったら、手袋を売っていたよ。あんたに
似合うと思ったから、買っておいたよ」「♪おとうは居間で俳句づくり。新聞にもときどき
載るよ」「♪春になったら、村のみんなと温泉に行ってくるよ」だ。

● 「内助の功」論……封建時代の出世主義社会では、「内助の功」という言葉が好んで用い
られた。しかしこの言葉ほど、女性を蔑視した言葉もない。どう蔑視しているかは、もう
論ずるまでもない。しかし問題は、女性自身がそれを受け入れているケースが多いという
こと。約23%の女性が、「それでいい」と答えている※。決して男性だけの問題ではない
ようだ。

※……全国家庭動向調査(厚生省98)によれば、「夫も家事や育児を平等に負担すべきだ」
という考えに反対した人が、23・3%もいることがわかった。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 日本の常識 世界の非常識 はやし浩司 常識論 アインシュタイン
の常識)


Hiroshi Hayashi+++++++April. 2011++++++はやし浩司・林浩司

*Why not Hamamatsu-city Kite Festival?

●改めて、浜松祭り中止について考えてみる(浜松市民、もの言わぬ従順な民)

+++++++++++++++++

浜松まつり本部の会長が、
鈴木康友氏?
浜松市長?
どうして?
どうして祭りの
会長が市長なのか?
市民の祭りまで、市長に
管理されているのか?

+++++++++++++++++

●中止になった浜松まつり(祭り)

 浜松まつり本部(浜松市役所内、観光交流課)は、去る3月18日、今年度の
浜松祭りの中止を決定した。

鈴木康友浜松市長名で出された通達には、いくつかの理由が並んでいる。
通達の一部を抜粋する。

+++++++++++以下、中止通達の一部++++++++++++

 ……こうした状況のなか、参加自治会の代表である浜松まつり本部総務部会を開催したところ、一部には、「例年同様にやりたい」、「規模縮小で開催」という意見もあったものの、多くは、「開催しても参加を辞退する」、「初家からも辞退申し出がある」、「中途半端なまつりはやるべきではない」、「どちらにしても皆が足並みを揃えるべきだ」などの意見が出され、まつりの性格上制限をかけたまつり開催が難しいことを含め、地域を挙げて初子を祝うという一体感が身上である「浜松まつり」の運営が事実上困難であると判断し、開催しないほうがよいとの結論に達しました。

あわせて、例年、多くの関係機関のご協力のもと、まつりの安全運営に努めてまいりましたが、交通規制・雑踏警備・救急搬送などまつり開催時に例年同様の対応について依頼することが難しいと想定されます。

これらのことから、浜松まつり本部を構成する4団体で協議し、3月18日に「浜松まつり行事すべてを中止する」ことを決定させていただきました。

3月19日からの連休中に本格的なまつり準備を進める自治会も多いことから急遽、記者発表させていただいた次第です。

+++++++++++以上、中止通達の一部++++++++++++

●祭り

 祭りなどというものは、やりたい人が、やりたいときに、やればよい。
やりたくない人は、やらなくてもよい。
それが原点。
全員参加が望ましいが、しかしかならずしも、それにこだわる必要はない。
つまり祭りというのは、庶民レベルから、庶民のエネルギーが結集して生まれるもの。
江戸時代という封建時代ならともかくも、「お上(かみ)」うんぬんが、口を
出すべきことではない。

 よい例が、官製祭り。
浜松市も、ほぼ10年ごとにいろいろな祭りを企画し、何とか軌道に乗せようとして
きた。
が、官製祭りは、ことごとく失敗している。
最初の数年はもりあがるものの、その後衰退、消滅。

 世界の祭りを見てみろ。
北朝鮮のような国もある。
あの国では、祭りも含めて、庶民の活動は、すべて統制されている。
一方、オーストラリアのような国もある。
あの国では、祭りも含めて、庶民の活動は、すべて庶民が主体となって推し進める。
役人が口を出すのは、つぎのつぎ。
ふつうは、口を出さない。

●安全運営?

 通達をよく読んでほしい。
浜松祭りは、つまりは役人の「ご都合主義」によって、中止された。
安全確保がむずかしいとか、何とか。
いわく「……交通規制・雑踏警備・救急搬送などまつり開催時に
例年同様の対応について依頼することが難しいと想定されます……」と。
 
 ここに出てくる「安全運営」という言葉。
その言葉に注目してほしい。

この言葉ひとつで、浜松祭りは、キバを抜かれてしまった。
「祭り」というよりは、「管理行事」。
何から何まで、管理、管理、また管理。
今では、祭りに出るにも、有料のワッペンが必要。
練り(祭りの行進)に参加するのにも、提灯が必携品。
そのほか定められたルールを数え上げたら、キリがない。

 結果、浜松祭りは、どうなったか?

 私が浜松へ来たころの祭りは、おもしろかった。
迫力もあった。
けが人も続出したが、喧嘩とけがは、祭りのつきもの。
それがあるから、「祭り」。

また練りにしても、ゲリラ隊というものもあった。
それぞれのグループが、好き勝手に、浜松市内を練った。
私は、よそ者ということもあって、町内の祭りには参加できなかった。
毎年ゲリラ隊のほうで、祭りに参加した。
結構それが、おもしろかった。
今からちょうど40年前のことである。

●自己責任

 話はそれるが、「自己責任」という言葉がある。
が、私たち日本人は、何か問題が起きると、すぐ「国が……」「国が……」という。
世界でも類を見ないほど、「国」に対する依存性の強い国民と考えてよい。

 たとえばアメリカでは、崖っぷちを走る道路にさえ、ガードレールはない。
オーストラリアでも、ガードレールはめったに、見かけない。
「事故を起こすのは、あなたの勝手」と。
「自己責任」のルールが、徹底している。
こんなことがあった。

 アメリカ大陸を縦断して、ミズリー川という、とてつもなく大きな川が流れている。
あの川は、数年おきくらいに氾濫し、大洪水を引き起こしている。
私がたまたまアメリカへ行ったときも、そうだった(2001年・9・11事件の
あった年)。
で、私が「どうして護岸工事をしないのか?」と聞くと、市の福祉課(アーカンソー州・
リトルロック市)に勤めていたS氏がこう話してくれた。

 「ミズリー川の護岸工事には、莫大な費用がかかる。
そんな護岸工事にお金をかけるくらいなら、洪水で流された家を、建てなおしてやった
ほうが安くつく。
それに護岸工事をすれば、自然の景観を壊してしまう」と。

 洪水で流される家の持ち主にしても、流されたからといって、文句を言わない。
最初から、そういうものと割り切っている。
洪水だけではない。
ハリケーンや竜巻にしても、そうだ。

●中止、反対 

 想定外の(?)大震災、それにつづく大洪水。
東北地方の人たちは、たいへんな被害を被った。
それは事実だが、だからといって、浜松祭りを中止するのは、どうか。
私は浜松市が祭りの中止を発表した翌日の3月19日朝に、こんな原稿を書いた。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●Fight Back (2)【浜松祭り・中止反対!】

+++++++++++++++++

2011年3月19日。

Fight Back (2)。

元気な町が、元気を失ってはいけない。
元気な町まで、沈んではいけない。
元気な町は、さらに元気を出す。
さらにがんばる。
この先、この日本を支えていくのは、
元気な町。
つまり、浜松!
この浜松市!
その元気を見て、ほかの町もがんばる。
ほかの県もがんばる。
それを見て、日本もがんばる。

運命はある。
あるが、最後の最後のところで、ふんばる。
ふんばるところに、生きる意味がある。
価値がある。
運命に負けてはいけない。
運命を恐れてはいけない。
恐れたとたん、運命は、キバをむいて、
私たちに襲いかかってくる。
運命というのは、そういうもの。

今が、そのとき。
さあ、ふんばろう。
浜松のみなさん、がんばろう。
被災地のみなさんに、こう言って、エールを
送ろう。
日本は、まだまだだいじょうぶ!
私たちががんばって、復興資金を作る。
その資金で立ちなおる。
東北の都市を、すべて、再興させる。
放射能で汚染された土地は、すべて取り除く。
新しい土をそこに敷く。
米を作る。
再び、福島米を食べる。
岩手米を食べる。
その日まで、私たちは負けない。
さあ、ファイト・バック!

++++++++++++++++++

●浜松の人たちへ

 何も浜松が津波の被害を受けたわけではない。
悲惨な天災だったが、何も私たちまで意気消沈することはない。
仮に福島第一原発が爆発しても、浜松はだいじょうぶ。
距離にして、約500キロ。
多少の放射線量はあがることはあっても、そこまで。
人体に被害が及ぶことはない。

 大切なことは、そういう地域に住む私たちまで、負けてはいけないということ。
私たちがここでがんばらなくて、だれががんばる?

●浜松祭りをしよう!

 ただ残念なことは、今朝の新聞によれば、あの「浜松祭り」が、中止になったこと。
どうして?
こういうときにこそ、祭りをやって、元気な日本を示すべき。
暗く沈んだ気持ちを吹き飛ばすべき。
「祭り」は、そのためのもの。
規模の縮小はやむをえない。
質素にやるのは、当然。

しかし私たちは、あの大凧にこう書く。
子どもの名前ではない。
こう書く。

「被災地のみなさん、がんばれ!」
「浜松はがんばっている!」
「日本は、負けない!」
「日本の元気は、浜松から!」
「日本は、浜松から復興させてみる!」と。

 SUZUKIもHONDAもYAMAHAも、みんな浜松から生まれた。
豊田佐吉も浜松で生まれた。
今の日本を支えているのは、私たち、浜松人!
これからも日本を支えていくのは、私たち、浜松人!

 浜松は現役。
こんな程度の災害でへこたれない。
簡単に、日本を沈没させてたまるか!

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●行きすぎた自粛への批判

 その後、4月に入ってから、「行きすぎた自粛」に対する批判の声があがってきた。
政府からだけではない。
被災地の人たちからも、あがってきた。
当然のことである。
逆の立場で考えてみればよい。

 繰り返しになるが、今の日本に必要なのは、「元気」。
いろいろな意見はあるだろう。
が、それ以上に今回、私が気になったのは、「もの言わぬ従順な民」。
通達では、「浜松まつり本部を構成する4団体で協議し……」うんぬんとある。

 ある程度の自粛は、しかたない。
内容の変更も、しかたない。
しかしやり方は、いろいろある。
ワッペンの料金をあげ、その分を、復興資金として寄付する。
そんな意見も、多い。
凧に「東北地方のみなさん、がんばれ!」と書くのもよい。
あるいは東北地方の人たちを、招待するのもよい。

通達にある、『地域を挙げて初子を祝うという一体感が身上である「浜松まつり」……』
というのは、ただの口実。
百歩譲って、だからといって、それがどうして「中止」につながるのか?
もしその精神を大切にするなら、初子を祝ってやればよい。
初子を祝うために、凧をあげてやればよい。
祭りを中止するということは、初子を祝わないということになる。
この矛盾を、どう考えるのか?

●投稿記事より

 「浜松祭り中止」で検索してみた。
ほとんどが、「反対」の意見。
中には被災地の方から、「中止しないでほしい」という意見もあった。
最初の2ページまでの中から、いくつかを拾ってみる。

★何でもかんでも中止は安易な選択ではないでしょうか???(静岡道楽日記さんのBL
OG)

静岡市民なのにハマゾーブログをやっている者として驚いたのが「浜松祭りの中止」です。
「ブルータスよ、おまえもか!」の心境です。4月最初の静岡祭は見るための比較的新し
い祭ですから仕方ない面もありますが、伝統的であり、浜松市民の文化でもあり、地域コ
ミニィティの核である浜松祭りの中止は安易で楽な選択ではないかと、浜松市民でない私
でも思ってしまいます。

★浜松まつりが中止になりました。(みんカラさんのBLOGより)
何でも自粛すれば良いのでしょうか?
それで被災地に何のメッセージが送れるのでしょうか?
つまらない批判を恐れての事としかおもえません。
浜松市長は当初、各地区の判断に任せると仰ったと聞きました。
それが本当であるならば失望したとしか言いようがありません。
各地区の判断に任せるなど、後に各地区間でのシコリが発生する可能性があることを平気で口にするなど正気の沙汰とは思えず。当然、無難な方向へ流れるでしょう。
ここは市長自らが率先して浜松祭りを支援に利用してしまえば良いと思います。多くの人が集まる浜松祭り。そこで、支援を訴えればと考えるのは浅はかでしょうか?
いずれ起こるとされる東海地震。おそらく浜松でも多くの人が被災されるでしょう。被災者となった時のことをイメージすると、どんな形で募った支援であれ有難いものだと思うでしょう。
プロ野球のセリーグの開幕日程問題とは質的に異なるでしょう。あちらは現状の電力事情などを考慮すると、開幕には疑問があります。
ただ、何でもかんでも自粛自粛という風潮は違和感があり…

★浜松まつり 中止 が決定されましたね。(ウエスタンパブ駅馬車さんのBLOGより)

昨日は落ち着いて書ける自信が無かったんで、一日おいて書いてます。
まず、オイラのスタンスは、「 中止反対! 」です。
東日本大震災の被災者の方々には、心からお見舞い申し上げます。
この気持ちに嘘偽りはありません。
ただ、大震災の発生を受け、浜松まつりが中止というのが、納得できません。
被災者の方がいらっしゃるのに、お祭りなんて...という気持ちも分かります。
でも、それが本当に被災者の方の為になるのでしょうか?
被災地で必要なことは、同情ではなくて、支援ですよね。
支援をするには、被災地以外の地域が正常な状態である必要があります。

現在の浜松が正常な経済状況でしょうか?
他地域よりも不況からの脱却が遅れ、未だに苦しんでいます。

●官僚国家

 祭りまで、「お上」に管理されている。
この事実を、もう少し私たちは深刻に考えてよいのではないか。
「公僕意識」というのは、「市民が先にあって、役人があと」という意識をいう。
が、今、公僕意識をもっている役人は、いない。
いないことは、役人自身が、いちばんよく知っている。
言うなれば、江戸時代の「侍意識」が、そのまま残っている。
さらに言えば、日本という国は、奈良時代の昔から官僚主義国家。
その「主義」が、日本人の骨のズイにまで、しみこんでいる。

 浜松祭り中止についての賛否両論よりも、私はこうした庶民にとっての
重大事が、いとも簡単に、かつすばやく決定されることのほうに、驚いた。

 この日本に「自由」はあるのか。
尾崎豊が歌った『卒業』の中には、「しくまれた自由」という言葉が出てくる。
私たちはその「しくまれた自由」を自由と思い込んでいるだけ。
「いいのか、日本!」と叫んだところで、この話はおしまい。

 今さら、何を言っても、遅い!

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 浜松祭り中止反対 浜松祭り 中止 反対)


Hiroshi Hayashi+++++++April. 2011++++++はやし浩司・林浩司

2011年4月24日日曜日

*Folk Songs in Fukushima and Miyagi pref., Japan

【福島県・宮城県のみなさんへ】
Japanese Folk Songs in Fukushima & Miyagi-pref.

++++++++++++++++++

いつかすぐ、また元気な歌声を
聞かせてください。

今度は、みなでいっしょに
歌いましょう。

++++++++++++++++++

●福島県民謡より「新相馬節」(A beautiful folk song in Fukushima)




●福島県民謡より「会津磐梯山」



●福島県民謡「相馬盆歌」



●宮城県民謡「大漁唄い込み」(A most well-known folk song of Miyagi in Japan)



●宮城県民謡「長持唄」



●宮城県民謡「斎太郎節」



●宮城県民謡「お立ち酒」



Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●日本の歌「ふるさと(故郷)」



●日本の歌「ふるさと(故郷)」



Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●私たちは負けない!(We shall overcome)



Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●福島県、宮城県のみなさんへ

 今の私は、福島県や宮城県の民謡を、涙なしには
聞くことができません。
そんな人間が、浜松市にもいることを、どうか
忘れないでください。

                  浜松市    はやし浩司 

*Possible Default of Japan

【非日常的な現実の中で……】

●原発事故(4月23日)(慣れが油断を誘う。それが怖い。)

++++++++++++++++++

毎朝、パソコンを立ち上げると、
真っ先に見るのが、原発ニュース。
「今日は、だいじょうぶか?」と。

で、今朝は、こんな記事が載っていた。
いわく「……内閣府原子力安全委員会は23日、
東京電力福島第一原子力発電所から大気中に
放出された放射性物質の量が、放出量が落ち着いた
今月上旬の時点でも、1日あたり154テラ・ベクレル
(1テラは1兆)に達していたことを明らかにした」
(読売新聞・4月23日)と。

154テラ・ベクレル?

154テラ・ベクレルとは何か?
ついでにシーベルトとは何か。

「MEMORVA・HP」では、つぎのように
説明している。

++++++++++ベクレルとシーベルト++++++++++++

ベクレルは1秒当たりで定義されている単位ですが、換算されたシーベルト値は
体内に取り込んだ放射性物質が体内に存在している間に人体に影響を及ぼすと
思われる線量。

線量の積分期間は、作業者および成人の一般公衆で50年、子どもでは摂取した
年齢から70歳まで。

摂取した放射性物質は時間とともに減少し、減少する早さは放射性物質の
種類により異なります(半減期を参照)。

+++++++++++++++++++++++++++++++++

あちこちのサイトを、流し読みしてみた。
しかしイマイチ、どうもよくわからない。
154テラ・ベクレルというのは、
ものすごい数字らしい……ということまでは、
わかる。
しかしその程度。
どの程度、ものすごいかまではわからない。

内閣府原子力安全委員会は、つぎのように
述べている。

『放出量はあくまでも推計で、誤差や変動も大きいと考えられる。
原発周辺での空間線量は徐々に下がっていて、ただちに健康に影響を
及ぼす線量ではない』(同)と。

ア~ア、ここでいつもの決まり文句。
「ただちに健康に影響を及ぼす線量ではない」と。

「ただちに~~ない」というのであれば、いつなのか?
いつ影響を及ぼすようになるのか。

++++++++++++++++++

●ベクレルとシーベルト

 が、ここでくじけてはいけない。
「わからない」では、すまされない。

 東北電力のHPは、つぎのように説明している。

『放射線による人体への影響度合いを表す単位を「シーベルト(Sv)」、
放射性物質が放射線を出す能力を表す単位を「ベクレル(Bq)」といいます。

放射性物質にはさまざまな種類があり、放射性物質によって、放出される
放射線の種類やエネルギーの大きさが異なるため、これにより人体が受ける
影響は異なります。

このため、放射線が人体に与える影響は、放射性物質の
放射能量(ベクレル)の大小を比較するのではなく、放射線の種類やエネルギー
の大きさ、放射線を受ける身体の部位なども考慮した数値(シーベルト)で
比較する必要があります』(以上、東北電力HPより)と。

 少しわかってきたぞ。

●シーベルト……人体への影響の度合いを表す単位。
●ベクレル……放射性物質が放射線を出す能力を表す単位。

 放射性物質、放射能、放射線……。
私たちはこれらの言葉を、混同して使っている。
が、正しくは、「放射性物質が漏れると、放射能による放射線が心配される」
(某サイト)ということらしい。

 つまり同じ放射性物質といっても、それから発する放射線の種類はさまざま。
半減期もさまざま。
放射能量(ベクレル)が多いからといって、そのままそれが人体への影響に
比例するというわけではない。
だからベクレルをシーベルトに、単純に換算することはできない。
(その反対もできない。)

 で、最初の命題。

154テラ・ベクレルという放射能量は、多いのか、少ないのか?

●チェルノブイリ

 (この間、20分ほど)

 ……先のところを書いたあと、チェルノブイリ事故についての記事を読んだ。
ウィキペディア百科事典の「原子力発電所事故」(「チェルノブイリ」で検索)
が、もっとも詳しいのではないか。

 それによると、ミスと無知が重なり、4号機が爆発。
およそ10トンもの放射性物質が、空中へ散ったという。
その結果、放射性物質が北東部を中心に、約300キロまで飛散。
北東部のロシア連邦へは、約650キロまで飛散。

チェルノブイリの原発事故と放射性物質の拡散

 同心円状に飛散したというよりは、スポット的に飛散したらしい。
(とくに放射性物質の降下量の多い地点を、「スポット」と呼ぶ。)
今回の福島第一原発がかかえる放射性物質は、チェルノブイリ発電所の量とは、
比較にならない。
つまり福島第一原発の方が、はるかに多い。

 仮にもし福島第一原発の原子炉が、一機でも爆発すれば、万事休す。
もうだれにも手がつけられなくなる。
つぎつぎと原子炉は爆発。
放射性物質は風に乗り、100キロ単位で、日本中を覆う。
「20キロ」とか、「30キロ」とか、そんな範囲の話ではない。
それこそ半径500~600キロ以内には、人はだれも住めなくなる。

 で、154テラ・ベクレル。

 が、問題は「量」ではない。
すでに放射性物質が外に漏れ出ているという事実。
チェルノブイリでもそうだが、25年たった今でも、危険はそのまま。
石棺で覆ったというが、その石棺そのものが老朽化し、危険度は増しているという。
つまりこの日本でも、この先、何十年も、放射性物質は漏れつづける。

●「ただちに健康に影響を及ぼす線量ではない」

 とても残念なことだが、原子力保安院や東京電力、さらにはNHKテレビなどで
コメントを述べる科学者たちの言葉を、私は信用していない。
ウソは言わないが、本当のことも言わない。
その言葉のひとつが、これ。

「ただちに健康に影響を及ぼす線量ではない」。

 「ただちに」とは、どういうことか。
「健康に影響を及ぼす」とは、どういうことか。

 よくX線写真を撮影するときの放射線量と比較した話が出る。
事故直後、つぎのように言っていた解説者がいた(NHK)。
「1時間、その場で放射線を浴びたとしても、胸のレントゲン1枚分です」とか何とか。

 1時間で1枚?
ということは、1日で24枚?
1年間で、8760枚!

 たとえ1年間でも、8760枚もX線写真を撮影すれば、その人はどうなるか?
ものごとは、常識で考えてみたらよい。
つまりこの種の、ウソというか、ごまかしが多い。
注意深く聞いていないと、そのまま騙(だま)されてしまう。

 「ただちに」影響があるような量とは、いったい、どれほどの量をいうのか。
このばあい、「影響」とは、「火傷(やけど)」、もしくは「死」を意味するのか。
だったら、「ただちに死ぬことはありません」とか、そういう言い方をすればよい。
「徐々に、2年以内に死にます」でもよい。

 そう言えばみな、何も「国」に言われなくても、自ら避難していく。

●日々に薄れていく緊張感

 原発事故も怖いが、それ以上に怖いのが、「慣れ」。
すでに多くの人は、原発事故が片づいたかのように錯覚している。
今夜あたりも、バラエティ番組が復活している。
あるテレビ番組は、ニューハーフを特集していた。
男性が化粧と女装で、美しい(?)女性に変身する。

 こうした慣れが、油断を生む。
その油断がこわい。
が、事実として、福島第一原発の問題は、何も解決していない。
(何も解決していないぞ!)
毎日の報道を注意深く読んでみるとわかるが、むしろ状況は悪化している。

 そこでもっとも危惧されるているのが、原子炉の爆発。

 それを起こさないよう、現場の作業員の人たちは目下、懸命な作業を繰り返している。
めったなことはないと信じたいが、油断も予断も許されない。
いつ何時、「想定外」のことが起こるか、わからない。
余震にしても、完全に収まったわけではない。
むしろ震源域は、西へ、西へと移りつつある。
今や東京ー静岡が危ない!

 だから私たちは、今から心構えだけは、しっかりともつ。
何が起きても動じないだけの心構えである。
準備と言ってもよい。
「想定外のことは起きないだろう」という前提ではなく、「起きるかもしれない」という
前提で、心の準備をする。

 そのとき、どうするか?
私なら、どうするか?
あなたなら、どうするか?

 それを常に考えておく。
私が心配するのは、その緊張感が薄れたとき。
そのとき、ここに書いたように、油断が生まれる。
チェルノブイリでの原発事故も、そうして起きた。

●不気味

 某週刊誌によれば、現場の作業員の人たちにしても、精神的、肉体的に、すでに
限界にきているという。
決死の覚悟で、作業に当たっているという。
そうだろうと思う。
たいへんな作業だろうと思う。
現場の人たちには、本当に頭がさがる。
ときどき申し訳ない気持ちになることさえある。

どうか、どうか、がんばってほしい。
日本の将来のために、がんばってほしい。

 で、私たちは私たちで、改めてここで、たるみ始めた緊張感を、もう一度、引き
締めなおそうではないか。
それがとりもなおさず、現場で作業している人たちへの、力強いエールとなる。

 それにしても「1日あたり154テラ・ベクレル」というのは、どの程度の
放射線量をいうのか。
それがはっきりわからないだけに、不気味。
不安。
心配。
相手が相手だけに、どうとらえたらよいのか、その見当もつかない。
2011/04/23

(付記)

 政府は、「増税」で、復興資金を捻出しようとしている。
しかしそんなことをすれば、弱り目に祟(たた)り目。
そうでなくても日本経済は、薄氷の上を歩くような綱渡りを強いられていた。
そこへもってきて震災、大津波、さらには原発事故とつづいた。
日本経済は大打撃を受けた。

 今や農業、水産業……それにつづいて観光業……。
ついでに工業までおかしくなってきた。
こんな状況で増税したら、どうなる?
バカも休み休み、言え。
私のようなド素人でも、この程度のことはわかる。

 大切なのは、歳出のカット。
公務員の給料大幅カット、公務員年金の大幅カット。
20%前後のカットは、当たり前。
そこで浮いた分を、復興費に回す。
(この際、年金の信頼性など、どうでもよい。
年金の信頼性など、とっくの昔に崩れている!)

 今や日本中が、青息吐息。
つい数か月前、一泊3500円(朝食付き)で泊まれるビジネスホテルに
驚いた。
「たったの3500円で泊まれる!」と。
市内でも有数のビジネスホテル(KR荘)である。
が、昨日、ネットで調べたら、それが2800円になっていた。
700円のプライス・ダウン。
20%のプライス・ダウン。

 ここで増税したら、それこそ今度は、経済災害。
この私だって、やる気をなくす。
みんな、やる気をなくす。
やる気をなくすだけではない。
いいか、そのあと待っているのは、デフォルトだぞ。
国家破綻だぞ。
公務員の給料も、年金も払えなくなるのだぞ。
わかっているのか!


Hiroshi Hayashi+++++++April. 2011++++++はやし浩司・林浩司

2011年4月23日土曜日

*Nightmare

【バッド・モーニング(Bad Morning)】

●山荘にて(4月23日)

 昨夜遅く、この山荘にやってきた。
午後10時ごろだったか?
よく覚えていない。
着いてからしばらく、お茶を飲んだりした。
軽い食事もした。
が、そのあと、はげしい睡魔に襲われた。
そのまま就寝。

 今朝は、午前5時起き。
今、時刻は、午前5時25分。
いつもならウォーキングマシンで、運動をする。
が、この山荘には、ない。

 居間でパソコンを立ち上げ、メールを開く。
データ端末機(USB接続)を購入した。
こんなところでも、自由にネットにつながる
ようになった。

 便利。
楽しい。

●悪夢

 久々に悪夢で目が覚めた。
どこかの国の、どこかの通り。
今にして思えば、昔のキングスクロス(シドニー)の
一角ではなかったか。
あるいはタイのバンコック?
あやしげな店がずらりと並んでいた。
薄暗いネオンサインと、これまたあやしげな男や女たち。

 その一角にあるホテルに私は泊まっていた。
が、私、ひとりだけ。

 ここから先は、いつものパターン。
飛行機に乗る時刻が迫っていた。
が、部屋の中は散乱していて、足の踏み場もない。
中央には大きな旅行バック。

 私は通りへ出た。
そこは古い校舎の中のようになっていた。
窓のない壁だけの廊下。
ドアだけが、いくつか並んでいた。
そのひとつを開けると、4~50人の生徒がいた。
中学の同級生だった。
私はどうやら修学旅行で、ここへ来ているらしい。
みな、荷物を片付け、出発の準備をしている。

 ハラハラ、ドキドキ……。
「早く、出発の用意をしなければ……」と。
私はそこで目を覚ました。
同時に、ワイフの寝息が、横から聞こえてきた。
私は、ワイフにしがみついた。

●睡眠時無呼吸症候群(SAS)

 これはあくまでも私の推察。
その瞬間、つまり私が悪夢を見る、その瞬間、私は
睡眠時無呼吸症候群に襲われているのではないか(?)。
友人の1人も、その病気。
毎夜、空気マスク(CPAP)をつけて、眠っている。

 今、こうして思い出してみると、結構長い夢だった
ような気がする。
が、実際には、数十秒程度。
その数十秒の間、私は無呼吸状態にあった。
悪夢から覚めたとき、ハーハーと深い息を繰り返すのは、
そのため(?)。

 悪夢を見るから、呼吸が止まるのか。
呼吸が止まるから、悪夢を見るのか。

●雨

 山荘はこれからベスト・シーズンを迎える。
すでにあちこちの木々は、若芽を吹き出している。
淡い色の若芽。

 ……たった今、屋根を打つ雨の音が聞こえてきた。
パラパラ、ザーッ、と。
こんなときは、小鳥もさえずらない。
いつもならウグイスの声が、真っ先に聞こえるはずなのだが……。

●今日の目標

 今日の目標は、書斎の模様替え。
夏モードにする。
つまり私は、こうして年に2度、書斎の模様替えをする。
冬モードから夏モードに。
夏モードから冬モードに。

 が、今回は、座椅子式の書斎から、椅子+デスク式の
書斎に模様替えする。
昨日、近くの家具屋で、椅子とデスクを見定めてきた。
それを買い、それを並べる。

 で、もうひとつしなければならないことがある。
今まで使ってきた、有料のHPサービス会社から、
突然、サービス停止の連絡が入った。
「5月25日をもって、サービスを停止します」と。
理由のひとつとして、3・11震災のことが書いてあった。

 今日中に、どこかの無料HPサービスへ、いくつかの
HPを移動しなければならない。
が、これが結構、めんどう。
HPどうしが、有機的にあちこちのHPとつながっている。
からんだ糸をほぐすように、それらをすべて一度、つなぎ
なおさなければならない。

 それともうひとつ。
10年以上、電子マガジンを発行してきた、E社の
経営が、行き詰ったらしい。
6月以後は、有料になるとか。
つまり電子マガジンを発行するのも、有料になる。
月額3000円。

 一応「継続」の返事を書いておいた。
今まで無料で世話になった。
その礼の気持ちもあった。

 ……ということで、この世界も、目下、激動中。

●諜報部員

 昨夜のこと。
眠かったこともあるが、何も考えられなくなった。
「ボケたみたい……」とワイフに話しかけると、
ワイフも横でウトリ、ウトリ……。

 「おい、もう寝ようか?」と声をかけると、
ワイフが突然、こんなことを言い出した。
「ねえ、あのSさん(オーストラリア人)、
仕事は何をしているのかしら?」と。

 私も気にはなっていた。
が、薄々は感じていた。
しかし聞いたことがない。
もちろんS氏も、話さない。

 S氏は、オーストラリア人だが、日本語は
もちろん、フランス語もドイツ語もペラペラ。
マンドリン(広東語)も話せるから、東南アジアでも、
不自由はない。
1~2年ごとに世界中を、飛び回っている。
旅行というよりは、飛び回っている。

 「うん、あいつねエ……。
ひょっとしたら、諜報部員だよ」と。

●インド人のM君

 そのときM君(インド人)は、ニューデリーの
A国大使館に勤務していた。
そのM君から突然、電話があり、東京まで会いに
行ったことがある。

 新宿の、当時できたばかりの高層ホテルで会った。
そこでのこと。
M君は服を脱いで、それをベッドの上に投げた。
その瞬間、私の心臓が冷えた。

「何だ、そのピストルは!」と。

 M君は、胸のホルスターにピストルをぶらさげていた。
が、M君は、「それがどうした?」というような顔。
私たちがサイフをしまうように、ピストルをどこかへ
しまった。

 そのときの話を、ワイフが思い出した。
「日本には、そういう人はいないの?」と。

●内閣情報調査室(CIRO)

 日本国も、諜報活動をしている。
つまりスパイは、いる。
それを取り仕切っているのが、内閣情報調査室。
ただ敗戦国ということもあって、アメリカやイギリス、
ロシアや中国のように、派手ではない。
現地人を雇って、合法的に情報を仕入れる。
日本のばあい、諜報活動といっても、その程度。
(……私はそう聞いている。)

 一方イギリスには、諜報専門学校というのもある。
同級生の中には、メルボルン大学を卒業したあと、
その学校に進んだ者もいる。
P君といって、仲のよい友人だった。

 だからというわけでもないが、私は諜報部員と
聞いても驚かない。
世界中に、うようよといる。
活動の仕方は、さまざまだが、うようよといる。
数年前に亡くなったが、R氏もその1人だった。

一応、英語教師という肩書きだったが、
日本で英語を教えたという実績はない。
しかし自由に日本とアメリカの間を行き来していた。
その間に、数か月単位で、世界中を飛び回っていた。

 10年ほどつきあったあと、「君はCIA部員か?」と
聞くと、肯定も否定もしなかった。
「君の思いたいように、思え」と。

●CIA vs CAI

 実は、この話には、こんなエピソードがある。

 浜松に、CAI(CIAではない)という会社がある。
コンピュータのソフトを制作している会社である。

 その会社の依頼で、私がいくつかの原案を提供した。
原稿を袋につめて、その袋に、「CAI」と書いた。
たまたまその場に、R氏がいた。
「CAI」という文字を見て、R氏は、敏感に反応した。
それで私も、ピンときた。
「君はCIA部員か?」と聞いたのは、そのときのことだった。

●産業スパイ

 政府機関直属のスパイは別として、産業スパイとなると、
それこそこの浜松市にも、ゾロゾロといる。
義兄がこんな話をしてくれた。

 義兄は日本を代表する、某楽器メーカーに勤務していた。
そのときのこと。

 ある日、上司から、「今度韓国から、研修生が来るから、
めんどうをみるように」という指示を受けた。
「研修生」というから、若い学生を予想していた。
が、会うとみな、30代の、屈強な体つきの男たち。
日本語もうまい。

 で、ある夕方のこと。
研修生の1人と事務所で話をしていると、突然、
何かの設計図を見たいと言い出した。
そこで義兄が軽く、「いいよ。その引き出しに
入っているよ」と。

 するとその研修生は、「ここぞ」とばかり、つぎつぎと
引き出しをあけ、奥の奥まで、調べ始めたという。
「まずい」と思って、義兄はそれを制止しようとしたが、
義兄の言うことなど、無視。
その研修生は、書類をコピーし、
それをもって帰っていったという。

 「そうい事件がいくつか重なってね、それ
以後、会社のほうから、重要な書類は研修生に
は見せないようにという指示が出たよ」と。

 当時(今から20~30年前)、全国津々浦々、
村レベルにまで、韓国の産業スパイがいた。
「いた」というより、はびこっていた。
韓国政府は、国策として、それをしていた(?)。
私がここに書いたことがウソでないことは、
韓国の現在の産業構造を見ればわかるはず。

 電子産業に始まり、造船、鉄鋼、自動車……。
すべて、当時、日本が先導していたものばかり。

●日本は甘い

 一歩、日本の外に出れば、そこは海千山千の世界。
無法地帯。
それに比べて、日本は、守備が甘い。
液晶テレビにしても、プラズマテレビにしても、
はたまた有機液晶テレビにしても、製品のほうは、
外国で先に生まれる。

 今度はTOSHIBAが、裸眼3Dテレビを開発したというが、
恐らくそれも、外国で先に製品化されるだろう。
そういう現実を見せつけられると、「いったい、この
日本は何をしているのか!」となる。

 あるいは中央省庁あたりにも、スパイが入り込んで
いるのかもしれない。
彼らはいつも先手、先手で、日本の技術を盗んでいく。
「いいのか、日本!」と叫んでも、空しい。
その声は、どこにも届かない。
日本には、スパイそのものを取り締まる法律がない。
産業スパイなどは、まさに野放し。

●団塊の世代

 「団塊の世代は、そういう意味でも、たくましいね」と私。
「今の若い人たちを見ていると、みな、うさぎみたい」とも。
やさしいというか、ナヨナヨしているというか……。
飼いならされた猫か犬のよう(失礼!)。
少なくとも、団塊の世代には、そう見える。

 先週から今週にかけて、韓国ではこんな事件が起きた。
まずアップル社(アメリカ)が、韓国のサムソン社を
訴えた。
特許権侵害で、である。
が、これに対抗してすかさず今度は、サムソン社がアップル
社を訴えた。
特許権侵害で、である。
長い間、アップル社とサムソン社は、共存関係にある。
それでもたがいに、そういう形で、火花を飛ばす。

 それが世界のやり方。
が、この日本はどうか?
TOYOTAにしても、プリウスの急加速問題は、結局は
濡れ衣だった。
莫大な損害を被った。
が、そのあとTOYOTAが、アメリカ側を訴えたという
話は聞いていない。

●とどめの一発

 寝る前にワイフがこう言った。
「日本の高度成長は、団塊の世代とともに始まり、
高度成長は、団塊の世代とともに、終わったのね」と。

 たいへん悲観的な見方だが、今回の3・11震災は、
とどめの一発になった。
本来なら、日本が高度成長期にある、そのときに、
今の時代の準備をしておくべきだった。
夏の終わりには、秋が来る。
冬も来る。

 が、この日本がしたことといえば、収入の増加を
見込んで、ぜいたくのし放題。
無駄遣いのし放題。
借金に借金を重ね、自ら、身動きできなくしてしまった。
結果、3・11震災の復興資金さえ、ない!

一家の家計にたとえるなら、稼ぎ柱の父親が病気で
倒れた。
が、妻は相変わらず趣味三昧。
息子と娘は、ドラ。
借金の返済だけで、四苦八苦。
治療費など、どこにもない。
そこでまたまた借金!

●バッド・モーニング

 まあ、考えてみれば、どれもこれも政治が悪い。
政治家が悪い。
しかしもっと悪いのは、そういう政治しかできない
政治家を選らんだ私たち。
私たち庶民。

 が、さらに言えば、私たちは思考力を失ってしまった。
つまり思考力の欠如。
そこに(おかしいもの)があっても、「おかしい!」と
それを見抜く力さえない。
だから声もあげない。

たとえばこれだけ不公平社会が蔓延していても、
いまだに野放し。
去年も、あのJ社(航空会社)の退職者たちが、45~47万円(月額)の
年金を受け取っていたことが発覚した。
たまたまJ社の破綻がきっかけで、それが明るみになった。

 J社は言うなれば、半官半民のグレイ会社。
そんな会社でも、そう。

●増税?

 ……数日前も、郊外の道路を走っているとき、
中央分離帯の草刈をしている光景を見かけた。

 前後に車が数台。
10~15人近い作業員が、草刈をしていた。
市の仕事を請け負う、どこかの下請け会社(=天下り先会社)
の作業員たちなのだろう。
一見、のどかな光景。
が、それを見たとき、私はこう思った。
「国家危急の、どうしてこんなときに、草刈なのか!」と。

 そんなお金があるなら、東北へ回せばよい。
そんな人員がいるのなら、東北へ回せばよい。
どうしてこの日本では、「国」として、そういう行動が、
機敏に取れないのか!

 ……こんなことをしていたら、この日本は、本当に
破産するぞ!
そういう危機感が、まるでない。
緊迫感もない。
今度の震災についても、政府は財源を増税でまかなおうとしている。
つまり借金。
ふつうなら、支出(無駄な土木建設費、人件費)を減らす。
減らした分を、復興費に回す。

 年金にしても、そうだ。
今やその不公平感は、頂点に達している。
が、これも結局は、思考力の欠如が原因ということになる。

 ……とまあ、話がどんどんと脱線していく。
ものの見方が、過激。
プラス、グチ。

これも、あの悪夢が悪い。
そのため今朝は、気分も悪い。
が、悪夢が原因で、こんな文章を書いたのか。
それとも現実が悪いので、悪夢を見たのか。

●4月23日

 ともかくも、今朝は、こんなエッセーで始まった。
外は、相変わらず、雨。
降り方が激しくなった。
英語なら、「グッド・モーニング」ではなく、
「バッド・モーニング!」と言うべきか。

 みなさん、おはようございます。
今日も始まりました。
ワイフも起きてきました。
今日も、がんばりましょう。
がんばるしか、ないのです。

2011年4月23日朝記。


Hiroshi Hayashi++++++April. 2011++++++はやし浩司・林浩司

2011年4月22日金曜日

*Let's enjpy with Children!

【幼児と楽しもう+笑おう、1、2、3!】(5歳児クラス)byはやし浩司

●BLOGタイトル最前線の子育て論byはやし浩司

●4月からの、新5歳児クラス

++++++++++++++++

日本は元気です。
そんな元気を、このビデオを通して、
みなさんにお伝えしたいです。

今日のテーマは、「子どもといっしょに
楽しもう、幼児教室」です。
今回は、テンポを速くし、子どもたちの
頭を熱くすることを考え、指導しました。
この4月に年長児になったばかりの、
満5歳児のみなさんです。

いろいろと誤解の多い幼児教室ですが、
このビデオを通して、その誤解を
解いてくださればうれしいです。

どうすれば子どもが伸びやかになるか、
そのヒントを、このビデオの中に織り込み
ました。

++++++++++++++++

BW幼児教室(BW子どもクラブ)
by
はやし浩司

Hiroshi Hayashi
Hamamatsu
Japan

April 22nd 2011

++++++++++++++++

●(あいうえお、発音、平仮名は楽しい)

(1)




(2)




(3)




(4)



●さらに見てくださる方は……

「はやし浩司」を検索→「はやし浩司の最前線の子育て論・メインHP」→「BW公開教室」へ。
どうぞ、おいでください!


Hiroshi Hayashi+++++++April. 2011++++++はやし浩司・林浩司

*What will become of Japan?

●交錯する迷い(楽観論vs悲観論)

++++++++++++++++++

「日本はだいじょうぶ」という思い。
「日本はもうだめだ」という思い。
このところいつもこの2つが、交互に
心の中に現れては消える。

「日本は貧乏国になる」と言い切った、
アメリカ政府高官。
「日本はこのまま二流国になる」と
言い切った、中国政府高官。

この先、この日本はどうなるのだろう?
心配と不安。
それを考えると、どうしても気分が
重くなる。

++++++++++++++++++

●田丸先生よりの追伸(2011/04/22)(楽観論)

林様: Nature はいい雑誌ですけれど、他にも沢山の雑誌があります。本当に優れた論文
かどうかは 引用文献数を見ていれば解ります。光合成で電荷が移動するのは常識です。炭
酸ガスを還元する反応ですから。電子と炭酸ガスが反応して還元されて光合成が起こるの
です。確かに光合成は興味深い反応ですが、これまでもノーベル賞も出ています。よく勉
強をしていますね。頑張って下さい。田丸謙二

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

 このメールの中で、田丸謙二先生は、「光合成の原理」について、一言で説明している。
「電子と炭酸ガスが反応して還元されて光合成が起こる」と。

 もしこのメカニズムを人工的に操作できるようになれば、つまり光合成が人工的にで
きるようになれば、人類は地球温暖化の問題と、食料不足の問題を、同時に解決すること
ができる。
端的に言えば、空気中の二酸化炭素を使って、食料を生産する。
もちろんエネルギーとしても、利用できる。
田丸謙二先生は、将来的には化石燃料(ガソリンなど)は枯渇し、アンモニアを主体とし
た燃料体系になると予測している。

 今まさに、その実現に向けて、研究が一歩一歩、前進しつつある。
田丸謙二先生を師とするグループが、現在、しゃかりきになって、その研究に取り組んで
いる。
これはまさに希望。
私たちが今、もっとも注目すべき研究分野は、この分野ということになる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●ホテル・旅館業(悲観論)

 日本経済新聞は、こう伝える。

『大手ホテルチェーンが宿泊料金の実質値下げに相次ぎ動き始めた。プリンスホテルや藤田観光は連泊客を対象に正規料金比で6~8割安いプランを発売。JR東日本グループでもインターネット限定で同4~6割引きの商品を売り出したホテルもある』(日本経済新聞・4月22日)と。

 旅行先を選ぶとき、私は「ジャラン」とか「ゆこゆこ」を利用している。
「楽天トラベル」も便利。
ネットで検索。
そのまま申し込める。
料金も安い。
が、このところこの世界にも異変が起きている。
こんなことがあった。

 2週間ほど前のこと。
オーストラリアの友人が来るということで、近くの温泉旅館に予約を入れた。
3人2部屋ということで、料金は、5万円弱。
ポイント割引を使ったが、それでも4万5000円前後。

 が、先週の末、その旅館へ行ってみて、びっくり。
こういう時期だから……と思っていたが、ものすごい混雑。
「?」と思って聞いてみると、「いつもこうです」と。

そんなはずはない……?

 で、家に帰って再度ネットで調べてみる。
するとこんなことがわかった。
その旅館では、「直前割引」というのを実施している。
土曜日の宿泊についてのみだが、その前日~に申し込むと、1泊8000円!
同じ宿泊条件で、8000円!

 つまり2週間前に予約した方が、割高。
割高というより、2倍!
ただし直前割引をするかどうかは、あくまでも旅館次第。
いつもしているわけではない。
「客が少ない」と判断すると、直前割引をそのつど実施する(……らしい)。

 が、こうした異変は、あちこちのホテルや旅館で起きている。
数年前に泊まった、愛知県のKR観光ホテルでも、一泊8000~9000円で泊まれる。
その温泉街では、最高級旅館。
数年前に泊まったときには、正月ということもあり、1泊2万3000円前後だった。
利用する私たちとしてはうれしいが、あまり安いと、かえって気が引ける。
泊まっていても、落ち着かない。
言い換えると、この業界も、死にものぐるい。
生き残りをかけた、最終局面を迎えている。

 それがわかるから、かえって暗い気分になってしまう。

(付記)

 そう言えば、今回、その温泉旅館に泊まってみたが、料理の質があまりよくなかった。
うまくごまかしてはいたが、やはりそれだけの料理。
「安いからいい」と思って泊まるのは、やはり考えもの?

 このままでは旅館業、ホテル業は、共倒れになってしまう?


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【新小学1年生に足し算の種まき】

++++++++++++++++++++

繰り上がりのある足し算を学習するのは、
ずっと先ですが、この時期に、簡単に
種まきをしておくと、そのときがきたとき、
スムーズに繰り上がりのある足し算を理解
してくれます。

今回は、その種まきをしてみました。
2011年4月21日、新小1クラスで。

BW教室のみなさんは、復習のつもりで
家庭でご覧いただくと、よいかと思います。

++++++++++++++++++++

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2011/04/22
Hiroshi Hayashi+++++++April. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●Education in Japan

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 彡彡人ミミ      彡彡彡彡彡
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q 0―0 MMMMM ∩ ∩ MM m
(″ ▽ M ⌒ ⌒ M″ v ゛)/ ̄)
凸/Σ▽乃q ・ ・ p ̄Σ▽乃 ̄` /
\   /(″ ▽ ゛)\    厂 ̄偶
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 子育て最前線の育児論byはやし浩司      4月   22日号
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【日本の教育と日本の未来】(2011/03/08)

●教員の資格とは何か?

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小学校入学を迎え、その年齢の子どもをもつ親たちが騒がしくなってきた。
「うちの先生は、正規教員で、よかった」
「うちの先生は、見習い教員(=非正規教員)なの……」と。

あるいは誤解も多い。
「うちの学校は、非正規教員ばかり」とか、
「教員資格をもっていない先生もいる」とか、など。
(そういうことは、ない。)

今朝の毎日新聞によれば、『文部科学省の調査で、今年度は公立小中学校の教員の
6~7人に1人に上ることがわかった』(2011/03/08、毎日新聞)とある。
「最近は多くなった……」と感じていたが、これほどまでに多いとは、私も
知らなかった。

実は、私の親しい友人の娘も、現在、その非正規教員として小学校で教えている。
「毎日、残業が多い」
「親からの携帯電話へのメールが多く、返事を書くだけで、2~3時間かかる」と。
忙しい割には、給料は少ない。
毎日新聞は、つづいてこう書いている。

『山口県内の県立高校で非常勤講師を務める30代の女性は、昨春から2校掛け持ちで週
3日、計8時間教壇に立つ。年収は百数十万円。教員の給与だけでは生活できないため、
授業の合間を縫って週4日は塾講師と家庭教師のアルバイトをしている』と。

年収が、100数十万円というのは、きびしい。
月額にすると、10万円前後。
『青森県内の公立小学校に勤務する30代の男性は過去6年間、常勤講師と非常勤講師の
不安定な立場を繰り返してきた。非常勤の年は時給2790円』(毎日新聞)だそうだ。

で、友人の娘も、自宅から学校に通っている。
「あと1~2年働けば、正規教員になれるかもしれない」とがんばっている。
が、その採用試験もきびしい。

『(青森県の場合)、10年度は579人が受験して23人しか採用されなかった』とある。

こうした現状の中、学校の教師の中には、ワーキングプアがふえているという。

『北海学園大の川村雅則准教授(労働経済学)は09年、連合北海道と共同で道内の非正
規教員を対象にアンケート調査を行った。608人の回答者のうち、「ワーキングプア」の
基準とされる年収200万円未満の教員が14%に上り、300万円未満に広げると4
3%に膨らんだ』(毎日新聞)と。

++++++++++++++++++++++++++++++++++++

●私は塾教師

  数字を整理してみる。

(1)非正規教員は、現在6~7人に1人
(2)時給は、2790円
(3)年収200万円以下の教員が、14%
(4)年収300万円未満の教員が、43%

 私の職業は、基本的には塾教師。
「基本的には」と断りを入れるのは、「塾教師だけが収入源ではない」という意味。
若いころは、それだけでは生活ができないということで、いろいろな仕事をした。
最近になって、体力的な限界を感ずるようになった。
子どもたちと接することのありがたさが、理解できるようになった。
今は、子どもたちに教えるのが、生きがいになっている。
だから今は、「私は塾教師です」と、すなおに言うようになった。

 だからこういう数字を見ると、私はすぐこう思ってしまう。
「何も、学校の教師だけが、教師の道ではないはず」と。

●道はひとつ?

 この日本では、学校を離れて道はなく、子どもたちの進むべき道は、ひとつに
かぎられていた。
だから子どもが不登校を起こしたりすると、親は、真っ青になって、あわてた。
が、この10年、事情が大きく変わった。
静岡県の教育委員会も、4、5年前、「一芸論」という言葉を使い始めた。
(「一芸論」は、はやし浩司のオリジナル。
30年ほど前に書いた本の中で、私は、その言葉を使った。)

 世界は、そのころから「教育の多様性」を模索し始めた。
が、この日本では、遅れること、20年。
いまだに「学校絶対主義」「学歴信仰」「学校神話」が、のさばっている。

 何も学校だけが道ではない。
またそうであってはいけない。
子どもがおとなになる道は、無数にある。
その「無数」を、なぜ認めないのか。
親も、そして教師も!

●きびしい塾産業

 今の私なら、そんな学校などすぐやめて、さっさと塾教師になる……と書きたいが、
残念ながら、塾経営も、きわめてきびしい。
ウソだと思うなら、自分で生徒を集めてみたらよい。
40年前ならいざ知らず、今どき、広告につられて入塾してくる子どもなど、いない。
それに塾や進学塾については、寡占化が進んでいる。
またそうでないと、塾経営は成り立たない。

 具体的には、30~40年前には、私の教室の周辺には、10~15教室の塾があった。
が、現在、生き残っているのは、私の教室だけ。
また関東周辺に、以前、「学外研」というすぐれた塾連盟があった。
たいへんアカデミックな連盟で、定期的に会合を開き、活発に活動を繰り返していた。
いちばん多いときは、100くらいの塾長が、メンバーに名前を連ねていた。

 私もそのメンバーに加えてもらったが、今でも塾を経営している人は、ほとんどいない。
昨年、その中の1人の会うことがあった。
消息をたずねると、「みんなチリジリになってしまったなあ」と。
さみしそうだった。
それが現実である。

 となると、つまり「就職」ということを考えるなら、チェーン化した大規模塾しかない。
が、そちらのほうが仕事はむしろきびしい。
もちろん就職もきびしい。
生徒の定着率が悪いと、たいていそのままクビになってしまう。
採用期間も、1年の更新制がふつう。
年齢制限はないが、40代以上の教師は、現実には、ほとんどいない。

 加えて、「教育」と「指導」とはちがう。
受験教育とはいうが、中身は「指導」。
教育とは、本質的に異質のものである。

●口コミとキャリア

 が、私のばあい、60歳を過ぎても、何とか仕事ができる。
今も、している。
40年のキャリアがあるから……と書きたいが、キャリアだけでは、この仕事はできない。
「元○○大学教授」という肩書きを並べたところで、生徒は集まらない。

 が、やはり「キャリア」ということになる。
現在、私の教室に通っている生徒のうち、約30%以上は、OBの子どもたちである。
「子どものころ、先生に世話になりました」と言って、私にその子どもの教育を
任せてくれる。
それがここでいう「キャリア」ということになる。
またそういう親たちが、口コミで、生徒を呼んできてくれる。

 つまりそれだけの「根性」があるなら、「学校などすぐやめて、さっさと塾を開きなさい」
ということになる。
そうでないなら、まだ学校にぶらさがっていたほうが、安全!
無難!

●受験教育化する教育

 学校教育と受験産業。
それについて一言。

先にも書いたように、ちがいは「教育」と「指導」ということになる。
受験産業、とくに進学塾でしているのは、教育ではない。
指導である。
自動車教習所でしている、運転指導と同じ。
親も子どもも、それをよく知っている。
割り切って、通っている。
教える教師側も、それをよく知っている。

 が、だからといって、「教育」が善であり、「指導」が悪ということではない。
2000年以後、それまで無風地帯だったこの浜松市にも嵐が襲ってきた。
中高一貫校の出現である。
それまでは公立高校が「主」、私立高校が「従」、もしくはその受け皿として機能していた。
それが一変した。
今では、小学4、5年生ごろから、受験勉強が始まる。
同時に、それまで高等部しかなかった私立高校が、中等部を併設した。
受験戦争がさらに激化した。
私立高校によっては、進学塾の講師を招いて、進学指導をしているところもある。

 もし今ここで、「指導」を否定したら、日本の学校教育そのものが崩壊する。

●予備校化する高校

 となると「教育とは何か」ということになる。
改めて、教育とは何か。

私たちの古い世代は、「教育があって、受験勉強がある」と考えやすい。
が、今は、その反対。
「受験勉強をカモフラージュするため、教育らしきことをする」。
それが学校教育の基本的な姿勢となっている。
もう15年も前の話だが、こんなことがあった。

 神奈川県で中規模の進学塾を経営している知人から、神奈川県下の
進学高校の学校案内書が届いた。
全部で30~40校分あった。
が、それを見て驚いた。
どの案内書にも、例外なく、進学大学と合格者数が、「実績」として明記してあった。
中には別紙の形で、案内書にはさんであるのもあった。
しかしそういう学校は、数えるほど。
(あるいは数年おきに、案内書を印刷しているためかもしれない。)

 私はそれを見て、「高校が予備校化している」と感じた。
が、学校ばかりを責めてはいけない。
親たちが、それを基準にして、自分の子どもの進学先を決めている。
「あの学校はいい学校」「悪い学校」と。
平気でそれを口にする。

●現実と理想

 もちろん「これではいけない」と考える教師も多い。
あるいは教育に情熱を燃やして、教職に就く人も多い。
しかし現実と理想の間には、大きなギャップがある。
「人間を育てる」という大義名分はあっても、形骸化している。
この日本では、「だからそれがどうしたの?」という部分がない。
「人間を育てて、それがどうなの?」と。

たとえば中学3年生をみても、高校受験が、教師と生徒の関係を、粉々に
破壊する。
どう破壊するかは、みなさん、すでにご存知の通り。
大半の中学生は、蹴飛ばすようにして、学校を去っていく。

 わかりやすい例では、進学塾がある。
あの進学塾では、師弟の心温まるヒューマンなドラマは生まれない。
だからある講師はこう嘆いた。

「私は30年以上、進学塾の講師をしていますが、結婚式に呼ばれたことは
一度もありません」と。
「むしろ生徒たちは、仮に一流大学へ進学したとしても、進学塾に通っていたことは、
隠します」とも。

 そうした現実が、学校教育にも及んでいる。
だから尾崎豊が、「♪夜の校舎、窓ガラス、壊して回った」(卒業)と歌ったときも、
その歌に驚く人がいる一方、その歌を支持する若者も、それ以上にいた。
シングル版も含めると、200万枚以上も売れたという(CBSソニー)。

●親の欲望

 一方、親の欲望には、際限がない。
昔は「教育ママ」と言った。
今は「モンスターママ」と言う。
正直に、「親さえ介入してこなければ、教育という仕事は、すばらしい仕事です」と
言った教師もいた。

 まじめな教師ほど、現実と理想のギャップの中で、苦しむ。
もがく。
そして傷つく。
そこで生まれた言葉が、「10%のニヒリズム」。
どこかの塾教師が、何かの会合のときに、そう教えてくれた。
「教育は、いかに全力投球しても、最後の10%は自分のためにとっておく」と。

 そこでいつも引き合いに出されるのが、あの金八先生。
熱血教師。
しかし実際には、ああいう教師はありえない。

●金八先生

 ある中学校の校長が、こう漏らした。
「ああいう番組が困るんです」と。
つまり親たちは、ああいう番組を見て、理想の教師像を作ってしまう。
現実から遊離する。
そしてその返す刀で、「教師はそうあるべきと決めてかかってくる」と。

 「あの番組のおかげで、教師たちがえらい迷惑をしています」とも。
ある女性教師は、こう漏らした。
「いろいろ言われますが、私たちが休めるのは、授業中だけです。
私は教科主任をしていますが、生活主任の先生に、教科指導はできません。
申し訳なくて、できません」と。
生活主任の教師は、夜中中、あちこちを飛び歩いている。
家庭が崩壊状態の生徒もいる。

 たとえば自分の娘が家出したとする。
そのとき親は、警察へ電話をするのではなく、まっさきに担任の教師に電話する。
「学校の先生は、そういうことをしてくれるべき」と。
そういう家庭のめんどうまで、みなければならない。
つまりクタクタ。
「そんな先生に向かって、どうして教科指導ができますか」(ある女性教師の会の席で)と。

 つまり今、学校の教師は、生徒の生活全般にまで責任を負うようになった。
その負担感には、相当なものがある。
まともな神経をもっていたのでは、勤まらない。
だから「10%のニヒリズム」。

●逆行する日本の教育

 が、世界の教育は、日本の流れとは、逆の方向に進んでいる。
「教師は、学校内での指導には責任をもつ。
しかし学校を一歩離れたら、一切、責任をもたない」と。
システムとしては、大病院の診察室を思い浮かべればよい。
診察室が教室になったと思えばよい。

 生徒が自分の教室にいる間は、教師は指導に責任をもつ。
が、一歩外に出れば、いっさいの責任はなし(アメリカ)。
あるいは教師の連絡先さえ秘密にしている国もある(カナダ)。
「教育は教育」と、割り切っている。
またそうであるからこそ、質の高い教育を教師は提供できる。
医師にしても、そうだ。
患者が診察室から出たら、そこで関係は切れる。
そうであるからこそ、質の高い医療を医師は提供できる。

 つまり金八先生が、あるべき教師の教師像と思ってはいけない。
またそういう教師を求めてはいけない。
あの番組は、そういう誤解を招く。

・・・という意味で、現場の教師たちは、えらい迷惑をしている。

●自分で考える子ども

 となると、「教育とは何か」、それがますますわからなくなってくる。
人間選別機関としての学校。
もの言わぬ従順な民作りとしての教育。
知識詰め込み主義としての教育。
「教え育てる」という観点からは、それでよい。
しかしそれが今、大きな曲がり角に来ている。

 恩師の田丸謙二先生は、口癖のように、こう言っている。
「Independent Thinkerを育てなさい」と。
「自分の頭で考える人」という意味である。
が、これは世界の常識でもある。
欧米では、どこの学校へ言っても、この言葉が、教室の入り口に張り紙にして書いてある。
(「Independent」につづく言葉は、いろいろあるが・・・。)

 が、問題がないわけではない。
「自分で考える子ども」・・・といっても、これはまさに両刃の剣。
オーストラリアの友人(大学の教授)は、こう言った。
「オーストラリアでは、伝統的に子どもの自立(Independent)を
重要視している。
それはそれでよいことだが、オーストラリアでは大企業が育たない理由のひとつにも
なっている、と。

 一方、この日本では、その逆。
教育のシステムそのものが、集団帰属型になっている。
むしろ「自分で考え、個性的に生きる子ども」を排斥する傾向が強い。
少し前まで、(今でもそうだが)、幼稚園などを親の都合で欠席したりすると、
すかさず幼稚園から電話がかかってきた。
「そんなことをすると、後れます」と。

 しかし何から「後れる」のか?
どうして「後れる」のか?
またどうしてそれが悪いことなのか。

●極東の小国

 今朝もアジアの地図を見て、こう思った。
「こんな小さな国が、よくがんばっているな」と。

 中国を体とするなら、朝鮮半島は、大腸。
そう思ってみると、日本は、便秘か何かで、やっと出てきた便のような形を
している。
ブツブツ、ブリブリ、と。

 かなり不謹慎なたとえかもしれないが、そのとき私はそう思った。
そんな国が、第三位にはなったといえ、まだ第三位。
世界第三位の経済大国。
が、その日本。
資源にも乏しい。
国土も狭い。
約80%は、山岳。

 この日本がこの先、生き残っていくためには、マンパワーしかない。
つまり「人間」。
「教育」。
その教育でつまずいていたら、この日本には未来はない。

●教員の資格とは何か

 が、そこにはひとつ、大きな壁が立ちはだかる。
この日本は、世界に名だたる官僚主義国家。
この日本が民主主義国家と思っているのは、私たち日本人だけ。
民主主義、つまり選挙などというものは、いわば「飾り」。
世界の民主主義と比較してみると、それがよくわかる。

 その結果、管理、管理、また管理。

 この日本では何を始めるにも、資格だの、許可だの、認可が必要。
田舎町の小さな駅で、ガイドをするにも、資格(?)がいる。
私が会ったガイドの女性が、そう話してくれた。
あるいは私の実家は自転車屋だったが、今では、床に油が一滴落ちていても、
仕事ができない。
消防法うんぬんという法律が、目を光らせている。
つまり日本人は、みな、管理という見えない糸で、体中をがんじがらめに縛られている。

 が、不思議なことに、本当に不思議なことに、そういう社会に住みながら、
だれも息苦しいと思っていない。
思っていても、それを口に出して言う人はいない。
そこで登場する言葉が、「自由」という言葉である。

 悲しいかな、私たち日本人は、いまだかって本物の自由に触れたことがない。
反対に、いまだに、江戸時代のあの封建主義時代を美化してやまない。
封建時代という、あの暗黒の過去すら清算していない。
江戸時代の身分制度が、学歴制度に替わった。

現在、私たちが「自由」と思っているものにしても、戦後アメリカから移植された
もの。
私たち自身が、勝ち取ったものではない。

 つまりその延長線上に、現在の教育制度がある。
で、改めて問う。
「教育とは何か?」と。
また「子どもの教育はどうあるべきか?」と。

●では、どうするか?

 第一に考えるのは、教師の負担の軽減。
日本の医療システムを参考にすればよい。
これは先にも書いた。
またこの方法により、教師は教育により専念できるようになる。
教師は「教育」の専門家である。
雑務に追われ、どうしてその専門性を追求できるというのか。

 第二に考えるのは、教育の自由化。
いまだに「英語教育不要論」がはびこっているのには、驚く。
「英語教育をやめて、国語教育を」とか、中には、「英語教育をやめて
論語を教えろ」と主張する学者もいる。

 だったら、こう考えればよい。
英語を勉強したい子どもがいる。
したくない子どももいる。
英語を学ばせたい親がいる。
学ばせたくない親もいる。
英語を教えたい教師がいる。
教えたくない教師もいる。

 ならば、どうして自由選択制にしないのか。
EUで広く採用されている、クラブ制にすればよい。
基本的な重要教科は、学校で教える。
それ以外の実用的な教科は、クラブに任せる。
もちろん英語クラブへ通いたい子どもは、そこへ通えばよい。

またクラブに払う月謝は、クーポン制(バウチャー券)にすればよい。
ドイツでは、そうしている。
こうして、教育をより柔軟かつ、多様化させる。

 第三に、これがもっとも重要だが、格差社会をなくす。
この格差社会があるかぎり、受験産業は栄える。
また現在の状況で、クラブ制を確立すれば、子どもたちはみな、
受験塾ばかりに通うようになるだろう。

 もちろん能力のある人は、それなりの道へ進めばよい。
しかしそうでない人が、既得権にぶらさがっているから、困る。
「天下りをどう思いますか」というレポーターの質問に答えて、ある官僚は、こう言った。
「私ら、若いころ受験で苦労したから、当然でしょ」(NHKの報道)と。

 これが既得権である。
またその権利を保留した人のことを、「既得権益者」と呼ぶ(「文藝春秋・日本の
論点2011」)。

 こうした人たちは、死ぬまで、国の手厚い保護を受ける。
そうでない人は、そうでない。
その格差を縮める。
教育改革は、そこから始まる。
またそれがないと、始まらない。
現に今、大卒の就職先として、人気ナンバーワンが、「公務員」(文科系)と
いうのは、まことにもって悲しむべき現象と考えてよい。

●カリキュラム

 2010年も、さまざまな実験を重ねてみた。
幼児(年中児・年長児)に、分数や小数を教えてみた。
正の数・負の数も教えてみた。
掛け算や割り算も教えてみた。
が、改めて幼児のもつ学習能力と旺盛な知識欲には驚いた。
底なしとは、まさに幼児の世界をいう。
それがだめだというのは、幼児には、クラッシク音楽を聴かせてはいけないと
言うのと同じくらい、バカげている。

 (私がどういう指導をしているかは、
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
より「BW公開教室」へと進んでみてほしい。)

 そういう幼児の姿を見ると、「では、カリキュラムとは何か」と、
そこまで考えてしまう。
あるいは「カリキュラムほど、いいかげんなものはない」と断言してもよい。
言い方を変えると、「どうしてあんなものに縛られなければならないのか」と。

 教育は、もっと自由であってよい。
自由であるべき。
その「自由」の中から、教師のやる気が生まれる。
生徒のやる気も、つづいて生まれる。
教育のダイナミズムというのは、それをいう。

●非正規教師vs正規教師

 正規教師と非正規教師。
どういう教師を「正規」といい、どういう教師を「非正規」というのか。
が、文科省の教育システムの中に、しっかりと組み込まれた教師を、「正規」というのなら、
これはまちがっている。
またそれほど、恐ろしいものはない。
戦前、戦時中の軍国主義教育を引き合いに出すまでもない。
あるいはどこの独裁国家も、まず最初に手をつけるのが、教育。
それを忘れてはならない。
また私たちは、常に教育を疑ってみる。

 ねらいとしては、まず非正規教師として教師を雇い、教師の資質を確かめる。
不適格教師は、それによって選び落とすことができる。
「安い給料で・・・」というのは、あくまでも副次的なもの。
それが目的で、非正規教師をふやしたわけではない。

 もし財政難を口にするなら、アメリカのように、教師もインターン制にすればよい。
……という方法もあるはず。
アメリカの多くの小学校では、教師+インターン(学生)+当番の親(交替制)
の3人で教えている。

 むしろこの制度、つまり「非教師制度」は、教師そのものを、「もの言わぬ従順な
教師」づくりに利用される危険性がある。
言われたことだけを、きちんとこなし、それでよしとする教師である。
が、そうした教育から、ダイナミックな子どもは生まれない。
「これでいいのかなあ」と思ったところで、思考停止。

 日本の未来は、現在の教育制度をみるかぎり、あまりにも暗い。
「非正規教師」という言葉を見ながら、今朝は、そんなことを考えた。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 日本の教育改革 正規教師 非正規教師 教育と日本の未来)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●追記(田丸謙二先生からの返信)「クリエイティブな教育」について


+++++++++++++++++


田丸謙二先生の名前を原稿の中で使った
ときは、その原稿をかならず田丸謙二
先生に送ることにしている。
これは私のような物書きが守らなければ
ならない最低限のマナーである。
で、前回の原稿を田丸謙二先生に送ったら、
3通の返事が届いていた。


きびしい意見だが、私にはありがたい。


+++++++++++++++++


【1】


林様:independent に考える内容が問題です。creative education 日本に乏しい教育です。
殊に教師が。世界はコンピュータの時代に適応して激しく近代化する変化をリードする教
育をしていますが、日本は立ち遅ればかり。「ゆとり教育」がダメで今度は「探究」をと学
習指導要領に掲げながら碌に出来ない。日本だけ置いてきぼりです。残念ながら。
田丸謙二


論文添付※


【2】

林様:教育の本質的重要性は何か、教育する時間がどうの、待遇がどうの、教員の資格が
どうの、というよりも、もっともっと重要なことがあるのではないでしょうか。現実の問
題にとらわれ過ぎるよりも、です。
田丸謙二。


【3】


林様:膨大なアクセスがあればある程その内容は重要ではないでしょうか。現実問題を知
り過ぎている感じです。「本当の教育」がなんであるかを外にして。孔子が「論語」で言い
ました三楽の一つは本当の弟子を育てることであると、と。頑張って下さい。田丸謙二


【4】


林様:貴君の長い文章を印刷してゆっくり読みなおしました。前便では眠いままに斜め読
みでしたが、ゆっくり読むとさすがによく書かれている感じです。こちらの前便で書きま
したように「教育」の本質的あり方には触れてないのですが、街の話題的な観点からする
となるほどと思える点が少なくありません。日本が国際的に一人前になるのは矢張り「国
の将来は教育が決める」のですから、是非一人前になるよう、そして日本に乏しい「本当
の education 」を根付かせるよう頑張って下さい。
ご健闘を祈ります。お休みなさい。田丸謙二


+++++++++以下、田丸謙二先生の論文(※)より+++++++++++


●クリエイティブな教育を



森嶋教授の言葉:初めにロンドン大学の名誉教授だ
った森嶋通夫先生の文章を引用する。「現在の(日
本の)教育制度は単数教育〈平等教育〉で、子供の
自主性を養う教育ではない。人生で一番大切な人
物のキャラクターと思想を形成するハイテイ―ンエ
イジを高校入試、大学入試のための勉強に使い果
たす教育は人間を創る教育ではない。今の日本の
教育に一番欠けているのは議論から学ぶ教育であ
る。日本の教育は世界で一番教え過ぎの教育であ
る。自分で考え、自分で判断する訓練が最も欠如し
ている 自分で考え、横並びでない自己判断の出来
る人間を育てなければ、2050年の日本は本当に駄
目になる。(こうとうけん、16、(1998) p.17)


立花隆氏の言葉:次に最近出た立花隆の「天皇と東
大」(文芸春秋)の中の一節を引用する。『東大型の
秀才(いわゆる学校秀才)の頭の特徴は、人から教
えられることを丸暗記的に覚えこみ、それをその通
りに繰り返すことは得意とするが、自分の頭で独自
にものを考える、クリエイティブな思考は苦手と言う
ことである。日本の学校教育のシステムは、このタ
イプの秀才がよい成績をあげるように出来ている。
上級学校の入試(東大入試もふくめて)も、このタイ
プの秀才が受かるようにできているから、東大には
このタイプの秀才がごろごろいる。東大を卒業した
あとに、そのような秀才が各界にエリートとしてふり
まかれていくから、日本では、エリート層全体のクリ
エイティビティが低い』、つまり「試験に強い」のとクリ
エイティブとは別であるというのである」。


安藤教授の言葉:今年の「化学と工業」誌6月号に建
築家の安藤忠雄東大名誉教授の巻頭言が載ってお
り、その結論的な部分を書き出してみる。「新しい時
代を切り拓き、未来を創っていくために、私たちはも
っと力ある個人を育てていかねばならない。そのた
めに必要なのが知識の詰め込みでなく、能力を引き
出すための基礎学習だ。大切なのは子供たちの自
由な発想を促し、常に疑問を持ち、興味のあるもの
を探究していく姿勢を植えつけることだ。自ら成長し
ようとする力を伸ばしていくのが教育の根本である
はずだ。教育制度の改革は急務である」。 


私の孫の例:身近なその例を挙げてみる。アメリカ
で小学校二年まで教育を受けて日本に帰ってきた
私の孫は、日本育ちと著しく違っていた。例えば、コ
ップに水を入れその中に自分の腕時計を入れてい
る。「何をしているのよ!」というと。「これ防水と書
いてある」。実験なのである。(「ゆとり教育を始めた
有朗朗人先生はこの話を知って言われていた。日本
にもコップの水の中に腕時計を入れるような子が出
るといいのだが、と。科学の元は「好奇心」から生ま
れるからである。その意味で「すべての子供は自然
科学者」なのである)。その孫はさらに言う、救急車
がこちらに来る時は高い音なのに、向うに行くときは
低くなるのは何故?」、「台風のメはどうなっているの
?」、「雷の電圧は高い針金を使って測れないかし
ら」などなど、すべて自分で考えて質問をしていた。
自然が面白くてしょうがないのである。孫の担任の先
生も「自分は長年教師をしているがこんな利口な子供
は見たことがない」と言っていた。しかし、しかしであ
る。日本で「思考とは無関係な、お粗末な教科書」を
詰め込まれて、暗記させられ、試験に備える教育を
受ける間に見る見るうちに自分で考えなくなってしま
った。「利口な子供を利口でない子にする日本の教育
の素晴らしさ?」は本当に驚くほどはっきりしていた。
正に余りにもはっきりと示されたからである。安藤先
生の言われるお言葉の実にいい例がそのまま見られ
たのである。私の孫に限らず、日本では一般の子供
たちも生来「利口な素質」を持っていても、生来のそ
の優れた才能を引き出し(educeし)、育てる本当の
educationがない。エデュケイションとはそれぞれの子
供のいい点を自由に「引き出す(educeする)」ことであ
るのに、むしろそれを殺して育てているのが日本であ
る。本当の教育は「知識を詰め込む」ことだけではな
い。日本の教育関係者で本当にそのことを認識して
いる人は何人いるであろうか。「物を知らなければ、
自分で考えることが出来ない」「詰め込み教育」が本
当にあるべき教育と信じて子供たちの才能を殺して
いる罪深い教育者が満ち満ちているのでいるが、
そのような「罪深いこと」をしながら、彼ら自身はその
罪深さを微塵も意識していない。「考える力」を育てる
には全ての子供たちが生れながらに保有する自然科
学者としてのcuriosity を引き出し育てることである。
それを育てこそすれ、殺すことをしては絶対にいけな
いのである。子供の才能をつぶす罪深いことをしなが
ら、教育功労者として叙勲に預かっているのが日本の
教育者たちである。


川上先生の言葉:長岡技術科学大学の学長をしてお
られた川上正光先生の厳しい言葉を引用する。 「も
のを覚える能力と自ら考え出す独創力とは本質的に
別物である。「独創力ある人材」を作り出す点ではわ
が国の教育学も教育者も全く無力である。幼稚園か
ら大学院まで主として考える力を増強すべきであり、
各段階の入学試験もものしりの度合いを測ることを
やめて、考える力を測るべく大改革をなすべきであ
る」 福井謙一先生は言っておられた。「今の大学入
試は若い人の芽を摘んでいるんですよ」と。 例えば
化学者でも、もう一生見ることのないような化合物の
色を質問してみたりして、化学を悪くしているのは案
外化学者自身であることが少なくない。  


アメリカの教育改革:既に15年以上前のことである。
アメリカではアカデミーを中心に、それまでは理科で
鯨の種類などを覚えさせていたのを止めて、science
inquiry、つまり何故そうなのか探究的に考える理科
に変え、しかも理科だけでなく社会や歴史も含めて、
全体的に記憶する知識は基本的なことに絞り、探究
的に「考える教育」に改革したのである。そのために
は、全国で150回も公開討論会を開き、教育関係者
とも密接に連携し、最後には4万冊の原本を作って新
しい教育を根付かせるという大変な努力をした。
丁度同じ頃は日本では上意下達で、高校の化学か
ら「平衡」という言葉を除いて「考えない化学」にした
時代であった。「平衡」は最も基本的な考える概念の
一つである。その頃は「考える化学」など全く考えられ
ない「教育専門家」たちが日本の教育を牛耳っていた
のである。(現在では手直しされているからよいよう
なものではあるが、日本と米国との教育関係者たち
の見識のレベルが如何に異なるか、残念ながらこれ
ほど大きかったのである)。(二、三十年先の時代が求
める教育の近代化改革は教育のベテランに頼っては
出来ません。日本の教育が時代遅れになるのは文部
科学省が教育のベテランを集めて決めるから世界から
遅れてしまうのです。「ゆとり教育」が失敗だったことで
も解りますが、世界中がもっと「考えるeducationを」と
言って改革しているのに、日本では記憶させる項目を
減らしただけでした。本当に智恵のある連中に頼って
教育の近代化が初めて出来ることです。)


  アメリカの考える新しい理科教育はその後欧州
にも拡がり、日本にも「ゆとり教育」として入ってき
た。然し、日本では衆知のようにうまく行かない。
「知識三割削減、探究的に考える」と言っても、「考
える教育」など教師も含めて昔から乏しかったから
である。結果的には「学力低下」など言われ、現場は
混乱したままである。今度の学習指導要領ではそれ
を取り戻すべく「探究」を重視するというが、「ゆとり
教育」の二の前になる恐れ充分である。(2010年9月)


   「詰め込み教育」で「考えない教育」をしている
ということは教師は自分では分からない。誰でも自分
は十分に考えていると思っているものである。然し考
える力を養うにはそれなりの風土と大変に厳しい訓
練が要求される。私が前に本誌、化学と工業」(52巻)
に娘の大山秀子と書いた「アメリカの孫と日本の孫」
にあるが、アメリカの小学校の校長さんは教育の目
標に「independent thinker」を養うこととして授業中も
常に君はどう考えるか、このような場合はどうすれば
いいと思うか、各自の考える能力を引き出す(educe)
訓練をしているという。日本の小学校の先生で
「independent thinker」を養うなど考える先生がいる
だろうか。教育改革に忙しい世界の中でわが国だけ
が取り残される。


これからの教育:コンピュータの時代になり、科学技
術はいうまでもなく、国際化、情報化は加速度的に
進み、変化の激しい時代になってきた。今の若い人
たちが社会を支える二、三十年先の時代はさらに激
しく変化をするダイナミックな時代になるであろう。携
帯用のパソコンも出てくるだろう。その時代に備える
彼らヘの「現在の教育」はその将来の時代に適応し、
時代をリードできる「智慧」を育てることでなくてはな
らない。欧米式にindependent thinkerに育て、時代
を先取りして、思考力をしっかりと身につけ、クリエイ
ティブに考える教育をすることである。「ものしり」創り
ではない。


   わが国には「学ぶ」が「マネブ」(真似をする)か
ら由来したように,文化輸入国であったし、新しいこと
を探究する教育の伝統もなかった。「ゆとり教育」が
うまく行かないのも「自立して考える風土」がないか
らである。今まで考える教育など受けたこともない
教師に「考える教育を」と言っても容易でない。生徒
は授業中に自立して新しいことを考えることもなく、
debateすることもない。その上、世界的にも極めて
見劣りする今の日本の「教科書」を使って「考える力」
を育てるのはとても容易ではない。文部科学省の責
任である。欧米に見習って教科書の検定は辞めるべ
きである。


入試改革:教育を変えるには試験制度も変えること
になる。欧米式にクリエイティビティを基にするので
ある。私はある新設大学で、高校の教科書持参で
試験をし、記述式に答えさせた。(筆記試験と並行し
て面接で基礎項目を尋ねる試験を設けた。)知識を
尋ねるのではなく、こういう場合はどうすればいいか、
これは何故なのか、専ら考える問題を出して記述式
に答えを書かせると、受験生の考える力は手に取る
ように分かる。○×式などの比ではない。(教科書持
参でなくても「考える問題」を出せばよい) ケンブリッ
ジ大学では入試に知識の量は問わない、専ら面接を
主にして自立して考え、本当にやる気のある将来の
リーダーを選ぶという。今の日本のように、○×式
で一点でも違えばそこで線を引くのを最も公平とす
る「手抜きの試験」だけでクリエイティブな教育が育
つはずがない。若い人たちの芽を摘んでいながら、
大学の教師たちはその罪を微塵も意識していない。
クリエイティブな試験をするにはクリエイティブな出
題者が不可欠である。


   私はこれまで繰り返しクリエイティブな教育の重
要性を説いてきた。それに対する教育関係者は殆ど
全て賛意を評してくれている。しかし本当のところそ
れが何を意味するのか殆ど解かってくれない、反対
する理由がないだけである。日本の教育の根本的
改革が如何に難しいかがよく解かる。今は世界的に
教育改革の大きな波が広がっている。日本では現在
教育問題が話題になっているが、この機会にわが国
でも全ての教師たちがダイナミックに激動する時代を
リードするよう、「考える智慧」を育てる「クリエイテイ
ブに考える教育」を目指さないと本当に日本は駄目
になる。「ゆとり教育」がもたらした現在の混乱した状
態から一日も早く正しい方向へと立ち直るためには、
化学会の化学教育協議会の努力も不可欠であるし、
「化学と教育」誌でも、どうしたら生徒が自立してクリ
エイティブに考えるような授業が出来るか、これまで
なかったタイプの教育なだけに、是非前向きに示して
欲しいものである。


終わりに:要するに森嶋通夫教授の「自分で考え、横
並びでない自己判断のできる人間を育てなければ日
本は本当に駄目になる」という言葉も、安藤教授の強
い個人を作れと言われるのも、そのまま私の孫の例
でも解かることであるし、また立花隆氏の指摘する
「日本のエリートはクリエイティビティが乏しい」という
のも、更には「ゆとり教育」が教育界に混乱をもたらし
ただけなのも、理由は全て共通の基盤から来る話で
ある。日本の教育には「詰め込み教育」はあっても「考
える力の育成」が乏しいのである。


日本の教育と欧米のエデュケイションとの違い」


        日本的教育   欧米のエデュケイション


志向型     知識の蓄積      創造力開発
教師の立場操作 Teaching 教育  Education 啓能
目的        教える       才能をひき出す
学生の立場    Learning 学習  Study 考究
目的         覚える      掘り下げて考える
特徴
(1)    既成の枠内にいる   枠出て自由に考える
(2)   物知りで模倣が上手  独創力が養える
(3)    問題の解き屋に終わる 発明・発見をする


                     2,007年6月22日


「化学と教育」誌’57巻3号(2009年)に日本化学会会
長の中西宏幸さんがお書きになっています。「イノベー
ションを推進するためにはこれを担う人材の育成が急
務であるが、残念ながら、わが国の人材育成は多くの
問題を抱え危機的な状況にあるといわざるをえない。
コミユニケーション能力の不足、専門以外の基礎学力
の不足、自分で考える力あるいは意欲の低下といった
問題が感じられるのは私だけではないと思う」 2009年
9月26日

   
「ゆとり教育」が「学力不足」をもたらしたということで教育
改革をしようという。「記憶させる項目」を増やしただけでは
本当の教育改革にはならない。しかし一部の教育関係者
の中にはゆとり教育の反省もあって矢張りもっと考えさせ
る教育を定着させなければの声も出てきた。欧米の教科
書を見ても皆日本の何倍もの厚さで、ものの考え方から
興味ある話題など、読んでいて学問の面白さが身に着く
ようになっている。日本の薄い最低の教科書とは雲泥の
違いである。(教科書は学校の備品として備えて、それを
5年間使えば毎年の必要経費は五分の一になる。厚い教
科書の全部を教えなくても、好きな子はどんどん先を学ん
で伸びて行く。)最も大事なことは矢張り教師の再教育で
ある。

                        (2010年5月6日)      
 
             
アメリカの先端的企業のIBM の社訓は「think (考えろ)」と
いうことで、各自の机の上に「think」と書いた文鎮が置かれ
ているという。或る卒業生がIBM に関係していてその話を
したら、彼はポケットからボールペンをとり出してそれに小
さい字で「think IBM」と刻んであった。誰でも自分は充分に
考えていると思っている。然し外から「もっと考えろ」と言わ
れてもう一考えをするだけcreativeになるものである。正に
田丸研の「家訓」が「もっと考えろ、考えに考えて新しいアイ
ディアを得る体験」を求めていますがその人なりに「深く考
えに考えるる習慣」を身につけることはは一生の宝になる
からである。
                        (2010年10月11日)

+++++++++以上、田丸謙二先生の論文(※)より+++++++++++

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【弟子論】

●孔子の論語「三楽について」

++++++++++++++++++++++

『論語』(ろんご、拼音: Lúnyǔ )とは、孔子と
彼の高弟の言行を孔子の死後、弟子達が記録した
書物である。『孟子』『大学』『中庸』と併せて儒教
における「四書」の1つに数えられる(以上、
ウィキペディア百科事典より)

++++++++++++++++++++++

●孔子の「三楽について」

孔子曰、益者三樂、損者三樂、樂節禮樂、樂道人之善、樂多賢友、益矣、樂驕樂、樂佚遊、
樂宴樂、損矣。

孔子の曰わく、益者(えきしゃ)三楽(さんらく)、損者(そんしゃ)三楽。礼楽(れいが
く)を節(せっ)せんことを楽しみ、人の善を道(い)うことを楽しみ、賢友(けんゆう)
多きを楽しむは、益なり。驕楽(きょうらく)を楽しみ、佚遊(いつゆう)を楽しみ、宴
楽(えんらく)を楽しむは、損なり。

●三楽

 「楽」といっても、内容はさまざま。

○礼楽(れいがく)を節(せっ)せんことを楽しむ。
○人の善を道(い)うことを楽しむ。
○賢友(けんゆう)多きを楽しむ。

×驕楽(きょうらく)を楽しむ。
×佚遊(いつゆう)を楽しむ。
×宴楽(えんらく)を楽しむ。

 孔子は、上記(○)を益者三楽、(×)を損者三楽と位置づけた。
田丸謙二先生が説く「弟子」とは、孔子の説いた「賢友」のことか。
釈迦も、キリストもその弟子に恵まれた。
弟子が、釈迦やキリストの教えを広めた。
もし弟子がいなかったら、釈迦もキリストも、その名すら世界に知られることはなかった。
田丸謙二先生は、この三楽を引用しながら、「孔子が論語で言いました三楽の一つは、
本当の弟子を育てることである」と説いている。

 その通りだと思う。
私たちがなぜ今、ここに生きているかといえば、子孫をつぎの時代に残すため。
肉体は生殖によって残すことができる。
が、精神は、「弟子」によって、残すことができる。
少なくともほかに伝達手段のなかった、孔子の時代にはそうだった。

 が、ここでひとつのパラドックスにぶつかる。
「弟子はどうすればいいのか」というパラドックスである。
弟子は弟子。
師にはなれない。
師になったとたん、弟子は弟子でなくなってしまう。

●師の連鎖

 孔子はそれでよい。
釈迦もキリストもそれでよい。
弟子を作り、自分の考えを教え広めることができた。
では、弟子はどうするのか。
単刀直入に言えば、弟子はただ「師」の教えを忠実に後世に伝える伝道者であれば、
それでよいのか。
たとえばキリストの弟子のマタイは、キリストの重要な教えを後世に残した。
しかしマタイ自身は、キリストを超えることはできなかった。
弟子のままだった。

 が、もちろんそうではない。
またそうであってはいけない。
弟子はつぎの段階では「師」であり、その弟子も、そのつぎの段階では「師」になる。
それを「師の連鎖」と考えるなら、師の連鎖こそが、人間の精神を高揚する。
田丸謙二先生の弟子は、今度は師となり、また自分の弟子を育てる。
たぶん田丸謙二先生も、そういう意味で、「弟子を育てなさい」と言っている。

●多元化する現代社会

 が、師はつねに、自分に忠実な、つまりは自分だけを師とするような弟子を求めやすい。
釈迦もキリストも、そうだった。
(「汝の敵を愛せよ」と教えたキリスト自身は、自分の敵を許さなかった。
これもパラドックスである。)

科学の世界と宗教の世界は、ちがうかもしれない。
しかし現代社会は、釈迦やキリスト、さらには孔子が生きていた時代とはちがう。
私自身にしても、中学、高校、大学と、それぞれの段階で、多くの師に囲まれた。
さらに今というこの時点においても、それぞれの分野に、「師」がいる。
一元的な師弟関係というのは、現実には、存在しない。
(繰り返しになるが、宗教の世界では、師はつねに1人ということになる。)

 加えてこれほどまでの情報社会になると、私たちは常に無数の情報を吸収し、
その一方で、これまた無数の情報を吐き出す。
と、考えていくと、(つまり田丸先生流に、自分の頭で、independentに考えていくと)、
師とは何か。
弟子とは何か。
さらに言えば、三楽とは何か、それがわからなくなる。
(もともと私はこういう教条的なものの考え方が好きではないのだが……。)

 つまり私はもとから、「弟子」などというもは、考えていない。
私自身が「師」になろうという野心もない。
その力もない。
言い換えると、私は(人)から(人)への一里塚。
どうせ人は死ねばおしまい。
何らかの形で、「私」の影響は残るかもしれない。
が、そこまで。
名前を残したところで、意味はない。
大切なことは、つぎの世代の人たちが、よりよい人生を歩むこと。
それでよい。

●現代という時代の中で

 コンピューターとそれにつづくインターネット。
これをさして、「第二の産業革命」と説く人は多い。
(もっともそう評価されるためには、もう少し時代の流れを見なければならないが……。)
しかしコンピューターとインターネットが、私たちの生活を根底からひっくり返し始めて
いるのは、事実。

 たとえば私はこうしてものを書く。
書いたものは、瞬時に、世界中の人たちの目に届く。
HPとBLOGの両方だけで、毎月のアクセス数が、2009年の5月、30万件を
超えた。
現在は、もっと多い。
中には、毎日、熱心に私の原稿を読んでくれる人がいる。
ときどきそういう人に出会う。
先日も、あるレストランへ入ったら、そこの店主がこう言った。
「先生(=私)の原稿を、毎日読んでますよ」と。

 が、私はそういう人たちに対して、「私は師」と思ったことはない。
また読者イコール、「弟子」と考えたこともない。
読者自身も、そうは思っていないだろう。
それに読んでくれるからといって、私の意見への賛同者とはかぎらない。
多くは、「くだらないことを書いている」と、笑っているかもしれない。

 が、それにしても、すばらしいことではないか。
地方の、浜松市にいながら、東京を通り越して、世界に向けて情報を発信することが
できる。
反対に、地方の、浜松市にいながら、世界の最新の情報を、そのまま受け取ることが
できる。
本を書くときのようなめんどうな手続き(出版社とのやり取り全般)も、必要なし。
しかも読者の反応も、これまた瞬時に届く。

 これを「第二の産業革命」と言わずして、何と言う?

 ずいぶんと回りくどい言い方をしたが、田丸謙二先生の説く「弟子」の時代は、
すでに終ったのではないか。
それを支える「上下意識」も、すでに崩壊している。
少なくとも、一元的な師弟関係の時代は終ったのではないか。
孔子の時代とは異なり、情報の伝達方法そのものが変わった。
今の私は、そう考える。

 不特定多数の「師」が、これまた不特定多数の「弟子」をもち、その不特定多数の
「弟子」が、これまた別の世界で、不特定多数の「師」となる。
そういう関係が渾然一体となって、現代社会の人間関係を、網の目のように創りあげて
いる。
それがあえて言えば、現代版の師弟関係ということになる。

●孔子の時代

 神格化している孔子を批判すのは、たいへんなこと。
恐れ多い。
しかし孔子の時代と、現代を同一視することは危険なことでもある。
先にも書いたように、「三楽」とか、「益楽」「損楽」と、教条的に考えるのは、私は
好きではない。
あまりにも教条的である。
人間の生活は、もっと多様性に富んでいる。
それぞれがスペクトラムのように、たがいに入り混じっている。
教条のこわいところは、教条によってその人を束縛する点のみならず、それ以外の
思考性を否定するところにある。
あるいは人から考える力、そのものを奪う。
さらに言えば、「楽」とは何か、その定義もあいまい。

 孔子が生きていたころのように、情報が恐ろしく貧弱な時代(失礼!)には、それなり
に説得力はあったかもしれない。
が、今はちがう。
PETの発達とともに、人間の脳の働きを、リアルタイムに見ることもできるように
なった。
「欲望」についても、大脳生理学の分野で、科学的な説明がなされ始めている。
視床下部から発せられる信号に応じて、ドーパミンという脳間伝達物質が分泌される。
それが人間の生きる原動力となる。
(生きる)こと自体が、(欲望)の現れと考える。

 方向性こそちがうが、真理探究に向かうエネルギーも、享楽に向かうエネルギーも、
中身は同じ。
少なくとも脳内の反応としては、区別がつかない。
ときには、驕楽(きょうらく=傲慢)を楽しみ、佚遊(いつゆう=怠惰)を楽しみ、
またときには、宴楽(えんらく=酒盛り)を楽しむ。
同時に真理探究のも心がける。
それが人間ではないのか。
「悪」と決めつけてはいけない。

 ……とまあ、居直ってばかりいてはいけない。

 が、つまるところ、「教育」というのは、そういうもの。
何も期待せず、何も求めず、我が正しいと思うところを、子どもに伝えていく。
そのあとの判断は、子どもに任せればよい。
くだらないと思って去っていく子どももいれば、すばらしいと言って近づいてくる
子どももいる。
去っていく子どもも、近づいてくる子どもも、弟子は弟子。
賛同してくれないから弟子でないとか、賛同してくれるから弟子と考えてはいけない。
それこそ、「驕楽(傲慢)」と言うべき。

●はやし浩司流「弟子論」

 以上が、私が考えた「弟子論」ということになる。
ただ田丸謙二先生は、私の住む世界とは、まったく異質の世界に住んでいる。
田丸謙二先生の住んでいる世界は、学問の世界。
真理探究の世界。
そういう世界では、真理の積み重ねが必要不可欠。
つまり人間関係は師弟関係で結ばれる。
またそれがないと、「体系(=組織)」が確立しない。

 一方私が住んでいる世界は、俗世間。
そもそも「師」として残すようなものは、考えていない。
また残せるようなものは、何もない。
またそこに私の信奉者がいたとしても、私はその名前はおろか、存在すら知らない。
ゆいいつの指標は、読者がふえているということ。
が、それとて、数字の話。
YOUTUBEの動画だけでも、このところ毎日800件(インサイト)もアクセス
がある。
が、「800件」という数字があるだけで、実感はない。
つまりそれが現代流の、師弟関係(?)と考えられなくもない。

 ……ということで、このエッセーの結論。
田丸謙二先生は、「弟子を育てろ」と私に教える。
しかし今の私には、それについてどう答えたらよいのか、わからない。
ただひとつはっきりしている点がある。
それは私は、田丸謙二先生の、弟子の一部。
「1人」ではなく、あくまでも「一部」。
田丸謙二先生の書いた原稿を、できるだけ末永く残す。
教えを守り、この先、ひとつずつ考証しては、自分の考えを書き足していく。
1人のIndependent Thinkerとして……。

●弟子の一部として

 恩師、田丸謙二先生のような先生の意見に異議を唱えるのは、本当に恐れ多いこと。
このままこの原稿をボツにしようかとも考えた。
が、私は私。
Independent Thinker。
このまま保存する。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
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