2011年4月27日水曜日

@Gero Hot Spring Spa, Gifu-pref., Japan

●4月26日

●雑感、あれこれ

【不登校児の前兆】

 不登校児には、前兆症状がある。
その前兆症状がしばらくつづいたあと、さまざまな神経症的な症状が始まる。
この時期までに、適切な指導をすれば、不登校を防ぐことができる。
それがないと、ある日突然、パニック期(ジョンソン)を迎える。
あとはお決まりの、不登校。

 その前兆症状。
症状といっても、はっきりしたものではない。
症状というよりは、「勘」。
勘でわかるようになる。

●「勘」

 まず人格の「核(コア)」があいまいになってくる。
軟弱になる。
どこかグズグズした様子になり、いわゆる「何を考えているかわからない」
といったタイプの子どもになる。
さらにそれがひどくなると、表情と心の状態が、一致しなくなる。
いやがっているはずなのに、柔和な笑みを浮かべて、それに従う、など。

 こうした状態を、「遊離」という。
表情と情意(=心)が分離する。
子どもの心の健康状態としては、きわめて危険な状態ということになる。
慢性化すると、さまざまな心の問題を引き起こすようになる。

 Iさんという女の子(小2)が、そうだった。
頭の回転も速く、それなりに勉強はよくできた。
教室では、勉強をとくにいやがっているとふうでもなかった。
が、家に帰ってから母親に、あれこれ愚痴を言うようになった。
同時に母親から、たびたび電話がかかってくるようになった。
「先生のところへ、行きたがらなくて、困っています」と。

●ターゲット

 子どもは自分の行為や思いを正当化するために、いろいろな理由づけを
する。
たいていは相手が「人」であるため、私はそれを「ターゲット」と呼んでいる。
「A子さんが、意地悪する」
「B子さんが、仲間外れにする」と。
「先生が、怖い」と言うこともある。

 ともかくも、ターゲットは何でもよい。
「学校へ行きたくない」という思いが基底にあって、それを正当化するために、
あれこれ理由をこじつける。

 このターゲットにも、プラス型とマイナス型がある。
ここに書いたように、「A子さんが意地悪する」と、相手を責めるのがプラス型。
一方、「C子さんが(転校して)、いなくなったから、行きたくない」とぐずるのが、
マイナス型。

 Iさんが家でぐずるようになったのは、友人のY子さんが転校してからだった。
たしかに仲はよかったが、それほどショックではなかったはず。
親しいといっても、遊び仲間。
ほかにもいっしょに遊ぶ友だちはいた。

●教師の介入

 ここから先の話は、何度も書いた。
で、ここでは、その外側にある問題について考えてみたい。
つまりその前兆症状をとらえたとき、指導する教師は、どこまで介入できるか
という問題。
先にも書いたように、まだこの段階では、「勘」の問題。
「あぶないな?」と思う段階。

 当然のことながら、こういうケースでは、教師は2つのうちのひとつの選択に
迫られる。

(1)親に話すべきか、(2)話さずにおくか。

 というのも、この種の問題には、家庭問題がからんでいる。
ほとんどのばあい、家庭に原因があって、子どもはそうなる。
言い方をまちがえると、家庭騒動の原因ともなりかねない。
さらに言えば、「家庭」といっても、親側にそれだけの問題意識があれば、まだよい。
が、たいていの親は、「私はふつう」「私はふつうの親」「私の子は問題ない」と
思い込んでいる。
そういう親に向かって、「あなたの子どもは、不登校児になる心配があります」と、
どうして言えるだろうか。
実際には、言えない。

 教師側にも、「もしまちがっていたら……」という不安が残る。

●みな、精一杯

 が、問題はつづく。
仮にそれを親に告げたとしても、親が子どもを包む家庭環境を変えることは、
まず期待できない。
一度、それに似たようなケースのとき、父親に話したことがある。
そのとき父親は、私にこう言った。

 「うちの家内は、下の子の育児で手一杯です。
今、そんなことを家内に話したら、家内は倒れてしまうでしょう」と。

 子どもを「直す」のは、むずかしい。
「家庭環境」を「直す」のは、さらにむずかしい。
で、私のばあい、勘ではそれがわかっていても、話さない。
親のほうから相談でもあれば話は別。
しかしそうでなければ、話さない。

●結局は、不登校児に

 で、結局、Iさんは、その後数か月を待たずして、学校へ行かなくなって
しまった。
理由は、はっきりしなかった。
あれこれ理由を並べたが、そのつど理由が変わった。
(これを私は「ターゲットの移動」と呼んでいる。)
親は、(先生も)、そのつど引き回された。

 で、そのときのこと。
これは別のケースだが、私がふと、「こうなることはわかっていました」と
漏らしたことがある。
何かの拍子に、そう言ってしまった。
が、それに反応して、母親が激怒した。
「わかっていたら、どうして話してくれなかったのですか!」と。

 私は平謝りに、謝るしかなかった。
 

Hiroshi Hayashi+++++++April. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●脳みそ

 よくハードディスクは、冷蔵庫に例えられる。
メモリーは、まな板に例えられる。
パソコンを使うときは、冷蔵庫(ハードディスク)から食材を取り出し、
まな板(メモリー)の上で料理する。

 だからまな板の役割をするメモリーは、多ければ多いほどよい。
まな板が小さいと、まな板の上がすぐごちゃごちゃになってしまう。
私のパソコンも、64ビットマシンになった。
メモリーは12GB。
おかげで10前後のファイルを開き、同時に作業をしても、ビクともしない。

 で、そのまな板。
作業をしないときは、きれいに片づいていたほうがよい。
当然のことである。
同じように、脳みそも、休んでいるときは、何もないほうがよい。
真っ白というか、空っぽ。
そのほうがよい。

 実は、今の私がそうだ。
深々とした椅子。
広々としたデスク。
パソコンのモニターは、27インチ。
つまりここが私の天国。
私だけの世界。
ここに座っていると、ほっとする。
しばらく座っていると、頭の中が空っぽになる。
何も考えられなくなる。
ときどき「今まで考えてきたことは、どこへ消えたのか」と思うこともある。

 ……が、もちろん、そうでないときもある。
脳みその隅に、何か不快なものがペタリと張りつき、それが取れないときもある。
そういうとき私は、すぐこう思いなそす。
「ああ、今は、病気」と。

 パソコンにたとえるなら、ファイルが壊れている状態。
壊れているから、終了をかけても、まな板(メモリー)の上に、そのまま
残ってしまう。
こういう状態のときは、結論を出さない。
原稿を書かない。
音楽を聴いたりして、気分転換を図る。

 つまり自分の意思で、脳みそをコントロールする。
考えてみれば、これはすばらしいことである。
心理学的にいえば、「自己管理能力」ということになる。
が、それともちがう。
コンピューターにたとえるなら、コンピューター自らが、自分のCPU
(中央演算装置)をコントロールするようなもの。
実際には、コンピューターには、そんな能力はない。
ほかの動物たちにもない。
これは恐らく人間だけがもつ、特殊な能力ということになる。

 今朝の私は気分がよい。
その理由のひとつ。
今の私の脳みそは、空っぽ。
心配ごともない。
悩みも恨みもない。
不安も恐れもない。
だから気分がよい。

 みなさん、おはようございます。
2011年4月26日

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●犬のハナ

 たった今、犬のハナがけたたましく吠えている。
「うるさい!」と私が叫ぶ。
階下で「いいのっ!」とワイフがなだめる。
ハナはハナで、この家を守っている。
人(犬?)一倍、番犬意識が強い。
それがよくわかっているから、私たちもなだめる程度。

 静かになるまで、数分はかかる。
今は興奮状態。
アドレナリンが中和されるまで、しばらく待つしかない。

●老犬

 そのハナもすっかり老犬になってしまった。
もうすぐ19歳になる。
月ごとに体がやせていく。
一日中、草の上で眠っている。
それがわかるから、このところ、ソーセージやミルクを、多く与える。
ハナの好物である。

 ワイフは、ときどきこう言う。
「もう、それほど長くはないかもしれないわね」と。
さみしいことだが、私は同意するしかない。
……というか、心のどこかで準備を始めた。
その日が来ても、動じないように。

 ハナ……人は、ブスという。
しかし私には、どういうわけか、美人に見える。
顔立ちもよいし、かわいい。
もう少し若いころは、よく中田島の砂丘へ連れていった。
自転車で10分前後のところにある。
そこへ行くと、ハナは、カラスを追いかけ、見えなくなるほど遠くまで、
走っていった。

 が、今のハナには、もうそれができない。
自転車で伴走しても、10分も息がつづかない。
ヘタヘタした走り方になる。
が、私にとっては、よき友。
恋人。
庭で何かの作業をしていると、すぐ私の顔をなめにくる。
おとといも、庭で組み立て式の箱を、4つ作った。
そのときも私のそばを、片時も離れなかった。

 そういうこともあって、私は庭へ出るたびに、ハナに声をかける。
が、そのつど、「もしや……」という不安が横切る。
が、ハナは裏切らない。
声をかけるたびに、……反応は鈍くなったが、頭をさげて、奥の犬小屋から
出てくる。
いそいそと出てくる。
私はハナの頭をさする。
首の下をなでる。

 ……そんな日々もやがて終わるかもしれない。
さみしいことだが、別れの日は近い。
そんな予感がする。

 ハナ、今までありがとう!
お前は、たしかにぼくの人生の一部だった。
楽しい思い出、ありがとう!

 ……こんな言葉を口にするのは、まだ少し早いかな?


Hiroshi Hayashi+++++++April. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●3・11大震災

 私がおかしいのか?
それとも日本人全体が、おかしいのか?
 
私は悲観論者ではないが、今の世相はあまりも楽観的すぎる。
私は、そう思う。
原発事故をみても、みな、いろいろなアドバルーンをあげるだけ。
タンクを増設する、ロボットが格納容器に入れる、空冷の冷却機を据え付ける……。
その一方で、状況は、日々に悪化している。
つぎつぎと新たな問題が発生し、対策は後手後手。
基本的な部分は、何も解決していない。

 今回の事故について、チェルノブイリ原発とよく比較されるが、福島第一原発は、
それよりもはるかに大きい。
世界でも最大級。
原子炉の直径だけでも、6メートル弱。
格納容器の直径となると、30メートル近くもある。
建屋と呼ばれる囲いにしても、xxメートル。
巨大なビルに匹敵する。

 その中に放射性物質が、ぎっしりと詰まっている。
もし福島原発にある原子炉が、1機だけでも爆発したら、チェルノブイリ事故の
比ではない。
チェルノブイリ事故のときの約25倍もの放射性物質がまき散らすことになる。
あとは風向きしだい。
仮に東京方面に風が向かっていたら、放射性物質は6時間後には、東京に到達する
という(アメリカ軍)。

 が、それですむとは、だれも思っていない。
そうなった瞬間、もうだれも福島原発には近づけなくなる。
とたん他の原子炉もつぎつぎと爆発を繰りかえす。
近隣の原子力発電所も、同じ運命をたどる。
結果、北は東北地方全域、西は愛知県全域まで、人はだれも住めなくなる。

 原発事故はそれほどまでに恐ろしいものであり、またその可能性は、
けっして「想定外」のことではない。
すでに多くの科学者が、その可能性について言及している。

 ……その「時」が刻一刻と迫ってきている。
仮にもしそうなったら、街頭での救援金募集など、夏の日の陽炎(かげろう)のように、
空のかなたに虚しく消えるだろう。

●管総理大臣

 管総理大臣で、何が悪いのか。
よくても悪くても、今は、国家の一大事。
日本国という「国」が、危機存亡の崖っぷちに立たされている。
権力闘争を繰り返したり、内輪もめしている場合ではない。

 現に、管総理大臣が総理大臣なのだから、今は挙国一致態勢でこの難局を乗り
切らなければならない。
言うなれば戦時。
死傷者こそ少ないが、原子爆弾が数個落とされたような状況。
敵はもちろん、放射性物質。
今は管総理大臣に強力な全権限を与え、管総理大臣に協力すること。
責任問題を追及するのは、原発事故が片づいてから。
少なくとも、今は、そのときではない。

 今は、管総理大臣に、日本の命運を託すしかない。
管総理大臣にがんばってもらうしかない。
一方、私たち国民は、管総理大臣に協力する。
今ここで、管総理大臣の責任を追及したところで、問題は何も解決しない。
自民党にしても、偉そうなことは言えない。
戦後60年近く、原発を作り、それを野放しにしてきたのは、自民党ではないのか。

どうして日本よ、日本人よ、こんな簡単なことがわからないのか。
繰り返すが、今は、国家危急存亡のとき。
ここで今、経済災害(=国家破綻)が起きたら、日本は、おしまい。
本当に、本当のおしまい。
二流国(中国の首脳)どころか、アジアの小国に成りさがってしまう。


Hiroshi Hayashi+++++++April. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【下呂温泉・アルメリア(ArmeriA)にて】2011年4月27日

●今夜は外泊

 明日の朝早く、岐阜県の下呂に向かう。
日帰りの温泉旅行。
昼食付きで、一泊、1万1000円(1名)。
ワイフの分は、某料理店の招待。
無料。

 朝、6時10分に、浜松駅前に集合とか。
自宅から出ていくのも難儀なこと。
そこで今夜は、中心部にあるビジネスホテルに一泊。
そのホテルからは歩いて行かれる。

 ずいぶんとぜいたくな話だが、ビジネスホテルといっても、
一泊朝食付きで、2800円。
それにクーポン券が使えるので、2人で、4800円と少し。
バスに乗り遅れるのを心配して、ハラハラドキドキするよりはよい。

++++++++++++++++++++++++++

ということで、今日は、岐阜県の下呂温泉にやってきた。
日帰り入浴というので、やってきた。
丘の中腹にある、アルメリアというホテル。
英語では「ArmeriA」と書く。
最後の「A」は大文字。

が、温泉に入浴するのは、やめた。
あまりにも大勢の客に、恐れをなした。
のんびり、ゆっくりという雰囲気ではなかった。
ワイフが「いやだ」と言った。
それでやめた。
で、一度ワイフと散歩に出たが、すぐ大粒の雨が
降り始めた。

……2階にある、休憩室で、時間まで待つことにした。
今は、そこにいる。
この文を書いている。

+++++++++++++++++++++++++++

●管理社会

 いきなり硬い意見で、ごめん。

 管理社会のことを、英語では「ビュロクラティック(官僚主義的)」という。
役人という支配階級が、すべてを管理する。
その管理のもと、民衆は、役人に管理されるまま。
江戸時代を思い浮かべればよい。
管理からはずれない人たちにとっては、住みやすい世界。
従順に役人に従っていればよい。
利権、利得をたがいに守りあい、甘い汁を吸うことができる。
が、管理社会のもとでは、管理からはずれる人を、許さない。

 今回の3・11大震災のときも、こんなことがあった。
福島第一原発の事故を聞きつけ、東京電力の社長が、ヘリコプターで現地に
かけつけようとした。
が、それができなかった。
「(航空法により)午後7時の飛行は禁じられている」と。
そこで社長は電車や車を乗り継いで、東京に向かった。
(内容については、記憶によるものなので、不正確。)

 国家の一大事に、「航空法」?
これを管理社会の弊害と言わずして何という。

●旅行

 旅行するのは、たいへんよい。
若いときは、それほど深くは考えなかった。
しかし今は、そう思う。
たいへん、よい。

 理由など、今さら書くまでもない。
気分転換になる。
頭の刺激になる。
旅行にはある程度の苦痛はつきものだが、それに耐えるのも旅行のうち。

 たとえばこの飛騨地方。
私が若いころは、「秘境にある温泉地」ということになっていた。
が、今は道路も完備され、日帰りで往復できるようになった。
時は春。
木々の若芽が、一斉に吹き出している。
その間に、葉サクラ、それに真紅の桃の花。
「新緑」といっても、一様ではない。
森全体が、緑の花が咲いたように見える。

●日本の資格

 41年前のこと。
メルボルン大学のIHカレッジには、世界からの留学生が集まっていた。
半数(100人)が、オーストラリア人の学生。
半数(100人)が、世界各国からの留学生。
その留学生と話していたときのこと。
みな、こう言った。
「日本へ留学しても、意味はない」と。

 日本でいくら資格を取っても、その資格は、通用するのは、日本国だけ。
内日本以外の国では使えない。
この世界には、相互主義と言う大原則がある。
日本が外国の資格を認めないから、外国も日本の資格を認めない。
よい例が、医師免許。
アメリカの医師は、日本で開業することはできない。
一方、日本の医師は、アメリカで開業することはできない。

反対に、相互主義で認められているのが、自動車の運転資格。
しかしこれは例外。

(オーストラリアでは、一定の語学力と、一定の研修を受け、
それに合格すれば、どこの国の医師でも、医師として働くことができる。
ボーダータウンという町には、アフリカのジンバブエから来た
医師が、そのまま診療所で働いている。)

●故郷

 実はこの岐阜県は、私生まれ故郷でもある。
今では岐阜弁を奇異に感ずるほど、岐阜県から遠ざかってしまった。
それでも故郷意識は残っている。

 深い山々に囲まれた、村。
その下を流れる、コバルト色の川。
下呂の下を流れる川を、飛騨川という。
飛騨川は木曽川につながり、最後は三河湾へと流れる。
このあたりの鮎(あゆ)は、大きくて、太っている。
水の中の養分が豊富なせいだと、昔、従弟(いとこ)が話してくれた。
長良川の鮎よりは、はるかに大きい。

 そういう村を見ながら、ふとこう思う。
「こんなところにも、無数の人たちがいて、無数のドラマを展開している」と。

 一見、のどかな山村だが、その向こうには、都会生活にはない、
濃密な人間ドラマが凝縮されている。
道路沿いの木々にしてもそうだ。
そこには持ち主がいて、持ち主どうしが、やはり濃密な人間ドラマを展開している。

●言葉の壁

 その後、日本は高度成長の波に乗り、世界でも第二の経済大国になった。
東京証券取引所には、300を超える外国の企業が、上場していた。
しかしバブル経済崩壊とともに、つぎつぎと撤退。
今では10社もない。

 理由は言わずと知れた、言葉の壁。
外国企業は、一度すべての資料を日本語に翻訳しなければならない。
その費用に倒れた。

で、今では、アジアの経済の中心は、シンガポール。
アメリカへ入ってくるアジアの情報は、(東京のマーケット情報も)、すべて
シンガポール経由。
東京ではない。
シンガポール。

●岐阜県

 私は岐阜県のM市という町で生まれ育った。
しかしM町には、よい思い出というのが、ほとんどない。
私にとって「故郷」というと、母が生まれ育った「K村」をいう。
M町から車で、30~40分ほどのところにある。
が、私が子どものころには、2時間ほどかけ、バスで行った。

 もっと幼いころには、木炭バスだった。
大きさも、今でいう、マイクロバス程度ではなかったか。
私には大きなバスに見えたが、それは私が小さかったから。
当時のバスは、M町のあの狭い路地を平気で走っていた。
つまり小さかったから、それができた。

 飛騨川の風景を見ながら、しかし、こう思う。
「板取川(長良川)の風景とはちがう」と。
似ているが、ちがう、と。
どこがどうというのではないが、人工的な造作物が、長良川より多い。
川幅も、やや広い。
ときどき交差する鉄道線路も、板取川には、ない。

●ガイドの資格

 もう少し身近な例では、こんなことがある。

 浜松市の西に浜名湖という湖がある。
この湖を取り囲むように、電車が走っている。
第三セクター方式のローカル線である。
車両は1両しかない。
その電車に乗ったときのこと。
若い女性が、ガイドをしてくれた。
そのガイドがこう言った。
「私のような仕事にも、資格がいるのです」と。

 私はボランティアで、その女性はガイドをしているものと思っていた。
が、そんな仕事(?)にも、資格?

●弱い円

 X月にアメリカに行くことにした。
しかし旅費を知って、驚いた。
名古屋から、二男のいるインディアナポリスまで、往復28万円前後。
2人分で、56万円!

 「円高」「円高」と言われているが、実際には、円の価値は、かぎりなく低い。
先月、オーストラリアへ行ったときのこと。
自動販売機の缶ジュースが、1本、3ドル50セントだった。
そのときのレートで、日本円に換算すると、何と315円。
カレッジ内の自動販売機で、その値段だった。

 アメリカ人であれば、56万円と聞いて、「安い」と思うかもしれない。
が、日本人の私たちにとっては、そうではない。
「高い!」。

●ビジネスホテル

 それにしても2800円というのは、安い。
しかも朝食付き。
今、この日本では、何かしら、めちゃめちゃなことが起きつつある。
国債の格付けもさがり始めた。
このままいったら、日本全体が破産してしまう。

●56万円!

 そんなわけで、少し元気がなくなってきた。
今日もワイフにこう言った。
「アメリカへ行くのはやめようか?」と。

 56万円もあれば、日本国内で28回、旅館に泊まることができる。
こういう時節だから、一流ホテルでも、一泊二食付で、1名1万円前後で泊まれる。
2人で2万円。
だから56÷2=28で、28回。

●法のもつ融通性

 こうした日本の社会のもつ異常性は、世界を少し歩いてみるとわかる。
前にも書いたが、アメリカの南部にあるアーカンソー州では、タクシーにはメーター
すらついていない(アーカンソー州、ウチィタ町)。
料金は、乗る前に運転手と交渉して決める。

 で、2日目のこと。
予約していたタクシーはこなかった。
代わりに夫が運転する自家用車がやってきた。
いわく「(運転手の)妻が、ほかの仕事に回ったので、代わりに私が来た」と。

 アメリカでも白タクは違法なのだろうが、しかしだれもそんなことに文句を言う人は
いない。
つまり黙認。
「法」そのものが、自己責任という「自由」という幅の中で運用されている。

●日本人が出稼ぎに……

 今までは、外国の人たちが、日本へ出稼ぎに来ていた。
が、これからは日本人が、外国へ出稼ぎに行くようになる。

 たまたま今日乗ったバスの添乗員(女性)も、こう言った。
「茨城県から来ています」と。

 すぐ地震の話になったが、もちろんそれが理由ではなかった。
「茨城県には仕事がありません。それでこちらに来ました」と。

 年齢は26歳くらい。
独身。
「茨城県は、そんなにきびしいですか?」と聞くと、「そうです」と
あっさりと答えた。

 茨城県から、浜松市へ。
それがつぎの時代には、茨城県から外国へとなる。

●硬直性

 管理社会は、それ自体が、硬直性を生む。
よい例が、教育。
たとえば日本のコンピュータ教育は、韓国や台湾と比べても、20年は遅れた。
当初、時の通産省がコンピュータ教育を始めようとしたとき、それに「待った!」を
かけたのが、ほかならぬ文部省。
「教員資格のない教師を、教壇に立たせるわけにはいかない」と。

 しかもこうつづけた。
「教育学部で、コンピュータの教授を育てるのに、20年かかる」と。
結局、コンピュータ教育は実施されることはなかった。
各小中学校に数台ずつ置かれ、クラブ活動のひとつとして、位置づけられた。
今から、もう20年以上も前の話である。

 当時の日本は電子製品では、世界の頂点に立っていた。
その日本で、このザマ。

●先手、先手……

 取るか、取られるか……。
経済戦争というのは、そういうもの。
現状に満足したとたん、スキができる。
そのスキを、相手はついてくる。

 つまりこの世界では、先手、先手で攻めても、あぶない。
その緊張感が重要。
その緊張感を失ったとき、日本は敗れる。

●教育の世界では

 この40年だけでも、子どもたちの世界は、大きく様変わりした。
すべてが教育のせいとはいわないが、同時進行の形で、教育も変わった。
昔で言う「腕白少年」が、いなくなった。
男児の女児化は、すでに30年近く前から始まっている。
今では、小学校でも、「いじめられて泣くのは男児」「いじめて泣かせるのは
女児」(小学低学年)というのが、常識化している。

 問題点を整理してみよう。

(1) 野生化の喪失……困難に対する抵抗力がない。
未経験の分野には手を出さない。
小さく丸く収まった子どもほど、よい子と評される。
従順で、親や教師の指導に黙って従う子どもを、よい子と評価する。
ワクにはまったことだけをし、そのワクから外へ出ることができない。
「金儲け」というと、「就職」しか考えない。
お金が必要なら、リヤカーを引いて……という発想そのものが、ない。
(私は若いころ、リヤカーを引いて、絵を売って歩いたぞ!)

(2) 苦労を避ける……最近では、ミカンが売れなくなったという。
理由は、「最近の若い人たちは、皮をむいてまでミカンを食べない」(近郊農家)とか。
お茶にしても、そうだ。
「お湯をわかし、お茶の葉を煎じて飲む人がいない」(川根茶の中学校校長)とか。
冗談のような話だが、これらの話は、それぞれの地域の、それなりの責任の
ある立場にある人から、聞いた話である。

(3) 現実性の喪失……40年前には、「おとなになったら、何になりたい?」と
聞くと、「幼稚園の先生」とか、「電車の運転手」などと答えた(幼稚園児)。
それがそのあと、スポーツ選手になったり、タレントになったりした。
が、今は、「ゴレンジャー」とか「霊能力者」と答えたりする。

15年ほど前だが、こう言った女子高校生もいた。
「私はいつか未亡人になり、喪服を着てみたい」と。
真顔だった。

 ほかにもいろいろあるが、年を追うごとに、子どもたちは小粒になっていく。
が、それは世界の常識ではない。
だから私はときどきこう思う。
「一歩、日本の外に出たら、役に立たないだろうな」と。

●では、どうするか?

 一言で言えば、「教育にダイナミズムを取り戻す」。
そのためには、教育を自由化する。
主要教科は学校という「場」で教える。
が、そのほかの実用的な教科は、学外教育に任せる。
英会話にしても、民活を利用したほうが、はるかにうまくいく。
真剣さそのものが、ちがう。
「何でもかんでも学校で……」という発想そのものが、陳腐。

 その一方で、教職を専門化し、教師を雑務から解放する。
「教育」のみに専念できるようにする。
医療機関における医師を想像すればよい。
診察室(教室)から患者(生徒)が一歩でも出たら、それはもう医師(教師)の
責任ではない。
あとは患者(生徒)の自己責任に任せる。
死のうが、生きようが、(生徒のばあいは、そうはいかないが……)、
それは患者の勝手。

●変化する学校教育

 もっとも教育現場は、今、大きく動き出している。
クラブ制(ドイツ、イタリア)への動きも、見られる。
習熟度別授業にみられるように、能力別教育も、常態化している。
文科省もけっして手をこまねいているわけではない。
それはよくわかる。
しかしすべてが後手後手。

 隣の韓国では、教科書の電子ブック化を始めた。
が、この日本では、まだ議論の段階。
アメリカの大手電子機器メーカーが「無料で提供する」と申し出ている。
が、それも無視。

 今どき「教科書」だなんだと言っているのは、日本と、周辺の全体主義国家
だけ。
文科省は「検定」と「国定」とは違うという。
なら、どこがどうちがうというのか。
オーストラリアにも検定制度というのは、ある。
しかしそれをするのは、民間団体。
また検定するのは、(1)暴力的表現と、(2)性描写表現のみ(南オーストラリア州)。
政治的、歴史的表現については、検定してはならないと、むしろ逆に釘を刺している。

 だったら、教科書の検定制度など、即刻、廃止したらよい。
教育行政にしても、各都道府県単位から、さらには市町村単位にまで、権限を委譲
したらよい。
学校の設立も自由化する。
現にアメリカでもカナダでも、そうしている。

 それとも「国」は、何を恐れているのか。
何を心配しているのか。
教科書の電子ブック化にしても、困るのは教科書会社だけ。
天下り先が減る、文科省だけ。
言うまでもなく、あの教科書には、巨億の利権がからんでいる。

●INDEPENDENT THINKER

 大切なのは、みなが、自分で考え、自分で判断し、自分で行動すること。
もちろんその責任は、自分で取る。
民主主義の原点は、ここにある。
言い換えると、民主主義の発展のためには、管理という規制を緩める。
民間に任すものはどんどんと任す。
行政機構を簡素化し、縮小する。

 もちろん失敗もあるだろう。
しかし民衆は、その失敗を通し、試行錯誤する。
それを繰り返しながら、民衆は自らの力で、民主主義を完成させていく。
一方、行政側も、すべてを背負い込まないこと。
できないことは、「できない」とはっきりと言えばよい。

 たとえば街路樹から落ちる、枯れ葉。
今ではあの枯れ葉を「ゴミ」と考える人がふえている。
だから道路に枯れ葉が散乱すると、その地域の住民たちはすぐ、市や町に苦情を入れる。
市や町はそのために税金を投入し、人員をふやす。
同時に権限と管轄を広げる。
こうした安易な依存性が、他方で、民主主義の発展を阻害する。
 
 ……少し疲れてきたので、結論へと飛躍したが、平たく言えば、そういうこと。

●下呂温泉、アルメリア

 「アメリカのアルメリアか?」と。
そういうふうに覚えれば、記憶しやすい名前である。
横文字のホテル名は、覚えてもすぐ忘れる。
中には、スペイン語やフランス語名のホテルもある。
そういうのは、すぐ忘れる。

 かなり大がかりな、ホテルである。
丘の上からの眺望もよい。
今回は日帰りだが、次回は、ゆっくりと泊まってみたい。
客を喜ばせる趣向が、あちこちにこしらえてある。
都会のホテルのような洗練された雰囲気はないが、その分だけ、田舎臭さが、
あちこちに残っている。
それが客の心をほっとさせる。

 ついでにアルメリアの情報。
正式名は、

KUSAKABE
AMERIA
(ホテル くさかべアルメリア)


Hiroshi Hayashi+++++++April. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【小学1年生に、「組み合わせ」を教えてみる】

今週は、実験的に、小学1年生に「組み合わせ」の概念を教えてみました。
「小学1年生に、組み合わせ?」と驚かれる人も多いかと思います。
が、結果は、ご覧の通りです。

文科省の定める「カリキュラム」が、いかにチンプで、子どもたちの心を捕えて
いないか。
それをこのビデオを通して、理解してもらえれば、うれしいです。

幼児でも、正負の数、分数、小数……、すべて理解できます。
問題は教え方。
教え方だけ工夫すれば、教えられます。

では、お楽しみに!

(BW教室のみなさんは、復習にお役立てください!)

(1)



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(4)




(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 小学1年生 組み合わせ 組合わせ 組合せ 確率)


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