2011年2月28日月曜日

*In order to know your children




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 子育て最前線の育児論byはやし浩司      2月   28日号
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●1月8日(仕事初め)

+++++++++++++++++

今日から「仕事初め」。
「始め」とも書く。
どちらでもよいが、私は「仕事始め」と
書くのが好き。
「今日から始まったぞ」という意味。

で、気合いを入れて、スタート。
まずまずの出来。
子どもを連れて帰る母親たちの様子を
見て、そう判断する。
親たちの満足そうな表情(?)が、うれしい。

+++++++++++++++++

●ネチネチした話し方

 ある母親から、今日、こんな相談があった。
その子どもは中学生になる。
が、いまだに、赤ちゃんぽい話し方をする。
ネチネチとした、甘えるような言い方である。
構音障害が、とくにあるというのでもない。
私も気にはなっていたが、しかし相手が中学生のばあい、指導が難しい。
本人に自覚があれば、まだ何とかなる。
自覚がないと、指導が難しい。

 言い忘れたが、その子どもは女子。
上に姉がいる。
姉が赤ちゃん返りを起こすことはあるが、妹が赤ちゃん返りを起こすのは珍しい。
たとえば、こんな話し方をする。

「キニョウ~ウ(昨日)~、ウマウマ(=ママ)と、ショッピング、シェンター(=セン
ター)へ、行ってキィタア(=来た)ノウ~」と。
 
 よく「メリ-・クリスマス」を、「ウメリー・クリスモ~ス」と発音する女性がいる。
コンビニやレストランで、よくそういう話し方を耳にする。
が、それともちがう。

 デレーとした言い方で、思わず、私ですらこう言いたくなるときがある。
「君ねえ、中学生にもなったのだから、きちんとした話し方はできないの?」と。

●原因?

 原因はよくわからない。
先にも書いたように、赤ちゃん返りを起こした子どもの話し方によく似ている。
しかしその子どもは、妹。
(赤ちゃん返りは、ふつう下の子が生まれたことが原因で、上の子に症状が現れる。)

依存性がたいへん強く、情緒的に不安定、もしくは精神的に未発達な子どもによく
見られる。
人格の完成度は、きわめて低い。
善悪の判断の(けじめ)が、あいまい。
自分で考えて行動するというよりは、いつも他人のあとを追いかける。
知恵の発達も全体にみると、遅れている。
が、それでいて、行動派。
動きも活発で、すばやい。
俗に言う「甘えん坊」ということになる。

 が、本人にその自覚があるかというと、疑わしい。
それがその子どもの言い方として、定着してしまっている。
またそういう言い方をするのが、「かわいい言い方」と誤解している(?)。

●相談

 母親の話では、父親がその子どもを溺愛したという。
ベタベタの関係だったという。
仕事がら、父親とその子どもがいっしょにいる時間が長かった。
その間中、父親は、片時もその子どもを放さなかった。
中学生になった今でも、いつもいっしょに入浴しているという。

 こういうケースのばあい、子どものほうより、父親のほうに原因があるとみる。
子離れできない父親。
子どもが代償的過保護の道具になっている。
つまり自分の心の隙間を埋めるための道具になっている。
が、私はその父親を、よく知っている。
ときどき参観に来て、うしろで見ている。

 顔つきはいかめしく、チャンパラ映画に出てくる侍のような風格すらある。
が、母親にせよ、父親にせよ、外からの様子だけで判断してはいけない。
むしろ外の世界では、まったく反対の「我」を演ずることが多い。
これを「反動形成」という。

 が、こういうケースのばあい、もうひとつの問題がある。
この世界には、「内政不干渉」という大原則がある。
言い方をまちがえると、家庭騒動の原因となる。
それは私のすべきことではない。
わかっていても、知らぬフリ。
また言ったところで、どうにもならない。
それぞれの家庭には、それぞれの事情があり、歴史がある。
それに触れることは、タブー。
タブー中のタブー。

●結論

 結局は「話し方がおかしい」だけ。
またそのレベルの問題。
「かわいい」と言えば、「かわいい」。
私に話しかけるときも、デレーっと、体をよじらせてくる。
最近の女子は、みな、男っぽい。
そういう中では、目立つ。

しかしそれが好ましい人間像かどうかというと、そうとは言えない。
人格の完成度と、話し方は連動している。
人格の完成度の高い女性(男性でもそうだが……)は、それなりの話し方をする。
キリッとした、メリハリのある話し方をする。

 もう1人、私の知り合いにそういう話し方をする女性(40歳くらい)がいる。
今度会ったとき、その女性の心を観察してみる。
このつづきは、またそのあとに書いてみたい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 ネチネチとした言い方をする女性 デレーッとした話し方をする 甘
えん坊 話し方と人格の完成度)

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●子どもを知る心理学(1)

【子どもを知る心理学】 by はやし浩司


●心の別室

 子どもというのは、(おとなもそうだが)、何かいやなことがあると、それを心の中に別
室を作り、そこに押し込むことによって、その場をやり過ごそうとする。こうした現象を
心理学の世界では、「抑圧」という言葉を使って説明する。が、この抑圧された不満や不平、
うっぷんは、時と場合に応じて、爆発する。「オレがこうなったのは、お前のせいだ!」と。
心の別室には、時間という概念が働かない。また楽しい思い出によって、上書きされると
いうこともない。だから20年、30年を経ても、そのときの自分がよみがえる。それこ
そ70歳を過ぎた老人夫婦が、若い日のことを理由に、喧嘩することも珍しくない。要す
るに、子どもには心の別室を作らせないこと。そのつど適当なガス抜きをする。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●「偉い」を廃語に

 何をもって、「偉い」というのか。「偉い人」とは、どういう人を言うのか。地位か、名
誉か、財力か。英語では「respected man」という。「尊敬される人」という意味である。
が、そのときは、地位や名誉、財力は関係ない。マザーテレサをひきあいに出すまでもな
い。が、この日本ではいまだに、「偉い」という言葉が、のさばっている。とくに政治の世
界では、のさばっている。今では少なくなったが、大臣という肩書きをもった瞬間から、
胸を張り、ふんぞり返って歩く政治家は少なくない。傍から見るとバカげている。悪しき
封建主義時代の亡霊そのもの。が、当の本人はそうは思っていない。「偉い」という言葉を
廃語にしよう。そして子どもたちには、こう言おう。「人に尊敬される人になりなさい」と。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●摂取理論

 初対面での印象が、いかに大切なものであるか。それについて、今さら、書くまでもな
い。

 幼児のばあいは、とくにそうで、そのときその幼児がもった第一印象で、そのあとのそ
の子どもの、伸び方が、まったくちがうということは、よくある。

 よい例として、集団恐怖症、対人恐怖症、さらには、かん黙症などがある。

 こうした症状は、はじめて保育園なり、幼稚園へつれていったその日をきっかけとして、
発症することが多い。そして一度、発症すると、無理をすればするほど、逆効果。かえっ
て症状をこじらせてしまう。

 幼児の心は、そういう意味では、きわめてデリケートにできている。親や教師は、「集団
生活になれていないだけ」とか、「しばらく集団生活をすれば、なおるはず」と、安易に考
えるが、そんな簡単な問題ではない。

 集団のもつ威圧力というか、恐怖感というのは、相当なもの。私もよく経験している。
今でも、ときどき仕事などで東京へ行く機会があるが、あの東京駅の雑踏には、いまだに
なれることができない。自分の歩くスピードで歩くことすら、許されない。おまけにあの
ラッシュアワー!

 私は昔、M物産という会社に勤めていたが、その会社をやめる直接のきっかけになった
のが、あのラッシュアワーである。

 私は、毎朝、H電鉄の満員電車で、伊丹から、塚本へ出て、大阪の中ノ島にある会社に
通勤した。たまたまオーストラリアから帰ってきたばかりで、どうにもこうにも、あのラ
ッシュアワーには、がまんならなかった。それはもう、男どうしが、顔をすりあわせるよ
うな混雑ぶりだった。
 
 もちろん、子どもにもよるが、つまり集団の中にすぐ溶けこめる子どももいるし、そう
でない子どももいるが、あくまでもその子どもの視点で、ものを考えること。

 たとえば入園する前には、あらかじめ、その場所を見学させたり、子どもに見せておい
たりするとよい。そのとき、あらかじめ、集団に対する、心構えを話しておく。いわば病
気の予防接種のように、子どもの心の中に、免疫力をつけておく。こうしておくと、子ど
もは、いきなり集団を見せつけられたときよりは、そのショックをやわらげることができ
る。

こうした一連の心理作用は、「接種理論」という理論で、説明される。

 また子どもが悪い印象をもったときも、大人の一方的な意見を押しつけてはいけない。
「そうだよね」「あなたの気持ちよくわかる」「お母さんも、そう思う」と、子どもの立場
で、子どもの心になりきって、考える。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●パブリック・コミットメント

 まず外の世界に向かって、宣言する。宣言することによって、自分を縛る。これを「パ
ブリック・コミットメント」という。たとえば禁酒、禁煙。「酒をやめました」「タバコを
ためました」と、みなに言う。できるだけ大声で、多くの人に言う。そうすることによっ
て、自分の行動を厳格化する。多くの人に伝わっているから、簡単に約束を破るわけには
いかない。子どもの世界について言うなら、子どもにそれを言わせる。言わせることによ
って、子どもが自らを縛るように仕向ける。ただし無理強いはいけない。当然のことであ
る。あるいは子どもの名前が載った新聞や本などを、大切に切り抜いて張る。そしてこう
宣言する。「あなたはすばらしい子」と。これもパブリック・コミットメントのひとつとい
うことになる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●プラトー

 子どもに英語を教えてみると、ある程度までは、ぐんぐんと伸びる。が、やがてそれが
停滞する時期にやってくる。この「停滞期」を「プラトー」と呼ぶ。子どもの発達段階に
おいては、よく見られる現象である。たとえば単語にしても、教えても教えても、先に教
えたことを忘れてしまう。進歩が止まってしまう、など。こういうとき親も教師もあせり
がちになるが、けっしてあせってはいけない。こういう時期がしばらくつづいたあと、(英
語のばあい、1~3年)、時間数をふやしたりすると、殻を破ったようにまた伸び始める。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●気負い

 不幸にして不幸な家庭に育った親ほど、「いい親になろう」「いい家庭を作ろう」という
気負いが強くなる。この気負いが子育てをゆがめる。どこかぎこちなくなる。極端にきび
しい親、極端に甘い親などは、たいていこのタイプの親と考えてよい。一方、心豊かで愛
情にあふれた家庭で育った親は、自然な形で子育てができる。自然な形での「親像」が身
についているからである。だから子育てをするときは、子育てをしながら、その子どもの
中で、「親像」がどのように育っているかを観察しながらするとよい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●ピーターパン・シンドローム

 おとなになりきれないおとな。そうした人がもつ症状を総称して、ピーターパン・シン
ドローム(症候群)と呼ぶ。退行的なものの考え方(幼児性の持続)、人格の未完成など。
強圧的な環境、たとえば親の過関心、過干渉が日常的につづくと、子どもは自ら考えて行
動することができず、ここでいうピーターパン・シンドロームに陥りやすい。行動や言動
が、その年齢に比して、子どもぽくなる一方、善悪の判断がうとくなり、とんでもないこ
と、たとえばコンセントに粘土をつめたりするなどの常識外れなことをする。近所のおと
なの人に、通りすがり、「大きな鼻の穴!」と叫んだ子ども(小2男児)もいた。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●子どもの「顔」

 子どもは何らかの形で、自分の「顔」をもちたがる。思春期においては、なおさら。た
てば勉強のできない子どもは、スポーツで。スポーツのできない子どもは、たとえばツッ
パリで、と。だから暴力的な子どもに、「あなたがそんなことをすれば、みんなに嫌われる
のよ」と諭しても、意味はない。それがその子どもの「顔」ということになる。ありはひ
ょうきんなことを言ったりしたりして、ほかの子どもたちを笑わせる子どももいる。わざ
と失敗したり、ヘマをしたりする子どももいる。それぞれの子どもには、それぞれの顔が
ある。その「顔」をつぶしてはいけない。子どもは糸の切れた凧のようになる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●共依存

 酒に酔って暴れる夫。殴られても蹴られても、そういう夫に尽くす妻。典型的な共依存
関係である。妻に依存することで、自分の立場を確保する夫。依存されることで、自分の
立場を確保する妻。妻を殴ったり蹴ったりすることで、妻の従順性を確かめる夫。殴られ
たり蹴られたりすることに耐えながら、夫への従順性を証明しようとする妻。たがいに依
存しあいながら、自分を支える。傍から見ると何とも痛ましい夫婦関係だが、親子の間で
もときとして、同じことが起きることもある。家庭内暴力を繰り返す息子と親の関係。ニ
ートとなり家の中に引きこもる子どもと親の関係。子どもを突き放すことができない。親
自身も、無意識のうちに子どもに依存しているからである。

(補記)

●共依存

依存症にも、いろいろある。よく知られているのが、アルコール依存症や、パチンコ依存
症など。

もちろん、人間が人間に依存することもある。さしずめ、私などは、「ワイフ依存症」(?)。

しかしその依存関係が、ふつうでなくなるときがある。それを「共依存」という。典型的
な例としては、つぎのようなものがある。

夫は、酒グセが悪く、妻に暴力を振るう。仕事はしない。何かいやなことがあると、妻に
怒鳴り散らす。しかし決定的なところまでは、しない。妻の寛容度の限界をよく知ってい
て、その寸前でやめる。(それ以上すれば、本当に、妻は家を出ていってしまう。)

それに、いつも、暴力を振るっているのではない。日ごろは、やさしい夫といった感じ。
サービス精神も旺盛。ときに、「オレも、悪い男だ。お前のようないい女房をもちながら、
苦労ばかりかけている」と、謝ったりする。

一方妻は、妻で、「この人は、私なしでは生きていかれない。私は、この人には必要なのだ。
だからこの人のめんどうをみるのは、私の努め」と、夫の世話をする。

こうして夫は、妻にめんどうをかけることで、依存し、妻は、そういう夫のめんどうをみ
ることで、依存する。

ある妻は、夫が働かないから、朝早くに家を出る。そして夜、遅く帰ってくる。子どもは
いない。その妻が、毎朝、夫の昼食まで用意して家を出かけるという。そして仕事から帰
ってくるときは、必ず、夕食の材料を買って帰るという。

それを知った知人が、「そこまでする必要はないわよ」「ほっておきなさいよ」とアドバイ
スした。しかしその妻には、聞く耳がなかった。そうすることが、妻の努めと思いこんで
いるようなところがあった。

つまり、その妻は、自分の苦労を、自分でつくっていたことになる。本来なら、夫に、依
存性をもたせないように、少しずつ手を抜くとか、自分でできることは、夫にさせるとい
ったことが必要だった。当然、離婚し、独立を考えてもよいような状態だった。

が、もし、夫が、自分で何でもするようになってしまったら……。夫は、自分から離れて
いってしまうかもしれない。そんな不安感があった。だから無意識のうちにも、妻は、夫
に、依存心をもたせ、自分の立場を守っていた。

ところで一般論として、乳幼児期に、はげしい夫婦げんかを見て育った子どもは、心に大
きなキズを負うことが知られている。「子どもらしい子ども時代を過ごせなかったというこ
とで、アダルト・チェルドレンになる可能性が高くなるという」(松原達哉「臨床心理学」
ナツメ社)。

「(夫婦げんかの多い家庭で育った子どもは)、子どもの人格形成に大きな影響を与えます。
このような家庭環境で育った子どもは、自分の評価が著しく低い上、見捨てられるのでは
ないかという不安感が強く、強迫行動や、親と同じような依存症に陥るという特徴があり
ます。

子ども時代の自由を、じゅうぶんに味わえずに成長し、早くおとなのようなものわかりの
よさを見につけてしまい、自分の存在を他者の評価の中に見いだそうとする人を、『アダル
ト・チェルドレン』と呼んでいます」(稲富正治「臨床心理学」日本文芸社)と。

ここでいう共依存の基本には、たがいにおとなになりきれない、アダルト・チェルドレン
依存症とも考えられなくはない。もちろん夫婦喧嘩だけで、アダルト・チェルドレンにな
るわけではない。ほかにも、育児拒否、家庭崩壊、親の冷淡、無視、育児放棄などによっ
ても、ここでいうような症状は現れる。

で、「見捨てられるのではないかという不安感」が強い夫が、なぜ妻に暴力を振るうのか……
という疑問をもつ人がいるかもしれない。

理由は、簡単。このタイプの夫は、妻に暴力を振るいながら、妻の自分への忠誠心、犠牲
心、貢献心、服従性を、そのつど、確認しているのである。

一方、妻は妻で、自分が頼られることによって、自分の存在感を、作り出そうとしている。
世間的にも、献身的なすばらしい妻と評価されることが多い。だからますます、夫に依存
するようになる。

こうして、人間どうしが、たがいに依存しあうという関係が生まれる。これが「共依存」
であるが、しかしもちろん、この関係は、夫婦だけにはかぎらない。

親子、兄弟の間でも、生まれやすい。他人との関係においても、生まれやすい。

生活力もなく、遊びつづける親。それを心配して、めんどうをみつづける子ども(娘、息
子)。親子のケースでは、親側が、たくみに子どもの心をあやつるということが多い。わざ
と、弱々しい母親を演じてみせるなど。

娘が心配して、実家の母に電話をすると、「心配しなくてもいい。お母さん(=私)は、先
週買ってきた、イモを食べているから……」と。

その母親は、「心配するな」と言いつつ、その一方で、娘に心配をかけることで、娘に依存
していたことになる。こういう例は多い。

息子や娘のいる前では、わざとヨロヨロと歩いてみせたり、元気なさそうに、伏せってみ
せたりするなど。前にも書いたが、ある女性は、ある日、駅の構内で、友人たちとスタス
タと歩いている自分の母親を見て、自分の目を疑ってしまったという。

その前日、実家で母親を訪れると、その女性の母親は、壁につくられた手すりにつかまり
ながら、今にも倒れそうな様子で歩いていたからである。その同じ母親が、その翌日には、
友人たちとスタスタと歩いていた!

その女性は、つぎのようなメールをくれた。

「母は、わざと、私に心配をかけさせるために、そういうふうに、歩いていたのですね」
と。

いわゆる自立できない親は、そこまでする。「自立」の問題は、何も、子どもだけの問題で
はない。言いかえると、今の今でも、精神的にも、自立できていない親は、ゴマンといる。
決して珍しくない。


で、その先は……。

今度は息子や娘側の問題ということになるが、依存性の強い親をもつと、たいていは、子
ども自身も、依存性の強い子どもになる。マザコンと呼ばれる子どもが、その一例である。

そのマザコンという言葉を聞くと、たいていの人は、男児、もしくは男性のマザコンを想
像するが、実際には、女児、女性のマザコンもすくなくない。むしろ、女児、女性のマザ
コンのほうが、男性のそれより、強烈であることが知られている。

女性どうしであるため、目立たないだけ、ということになる。母と成人した息子がいっし
ょに風呂に入れば、話題になるが、母と成人した娘がいっしょに風呂に入っても、それほ
ど、話題にはならない。

こうして親子の間にも、「共依存」が生まれる。

このつづきは、また別の機会に考えてみたい。
(はやし浩司 共依存 アダルトチェルドレン アダルト チェルドレン 依存性 マザ
コン 女性のマザコン 自立 自立できない子供 相互依存 はやし浩司 DV 夫の暴
力 ドメスティックバイオレンス 家庭内暴力 夫の暴力行為)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●心の反射運動

 1970年のころの話。オーストラリアでは、レストランでもどこでも、あとにつづく
人がいると、その人はその人のためにドアを開けて待つ。それが当時の常識だったし、ど
こでもみなが、した。こういうのを「心の反射運動」という。つまりさりげない行為が、
相手の心をとらえたり、心を和ませたりする。またそれができる人(親)ほど、よい人(親)
ということになる。自己中心的な人ほど、心の反射運動が鈍いということになる。反対に
いつも相手の立場でものを考えたり、行動する人ほど、心の反射運動がすぐれた人という
ことになる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●権威主義

 親の権威主義は、百害あって一利なし。が、遠く、江戸時代の昔には、「家制度」もあり、
そのため家父長の権威が何よりも、重んじられた。親は問答無用式に子どもに向かって、
親に従うよう求められた。が、時代が変わった。それに応じて、親子の平等意識、さらに
は対等意識が芽生えた。「親だから……」とか、「子だから……」という『ダカラ論』が通
用しなくなった。また最近の若い人たちに向かって、ダカラ論を振りかざしても、意味は
ない。反発を受けるか、さもなければ、親子の間に大きな亀裂を入れることになる。権威
主義の親ほど、子育てで失敗しやすい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●親の優位性

 親の優位性を押しつけすぎると、子どもは未来像を描けなくなり、自分の将来に大きな
不安を抱くようになる。思春期において、自我の確立に失敗することもある。赤ちゃん返
りならぬ、幼児返りを起こすこともある。これは子どもにとって、たいへん不幸なことと
考えてよい。おとなは、(もちろん教師も)、ときには子どもにわざと負けてみる。それに
よって、つまり子どもはおとなの優位性を破ったことによって、自信をもつ。私もときど
き幼児を相手にプロレスをする。わざと負けてみせる。とたん、その子どもの表情や様子
が大きく変わる。そういう方法で、子どもに自信をつけさせる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●ライナスの毛布

 私は幼児のころ(小学1、2年生ごろまで)、貝殻を指先でいじっているのが好きだった。
とくに眠りにつくときにそうだった。こうした子ども特有の現象を、「ライナスの毛布」と
呼ぶ。毛布の端を口でなめたり、指先でいじる子どもは多い。子どもは自分の心を落ち着
かせるため、指先の刺激を求める。それによって脳の中である種の反応を引き起こす。モ
ルヒネ系(エンドロフィン、エンケファリン)の分泌を促すという説もある。さらにこの
方法は、老人のボケ防止にも役立つという説もある。ともかくも、子どもがある特定のモ
ノ(毛布や貝殻、やや大きくなって、ぬいぐるみなど)にこだわっても、それを「おかし
な行為」と決めつけ、禁止してはいけない。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●代償的愛(代償的過保護)

 過保護には、その背景に「愛」がある。その愛の欠落した過保護を、「代償的過保護」と
いう。子どものことを愛しているのではない。子どもを自分の支配下において、自分の思
い通りにしたいだけ。その代償的過保護の原点になっているのが、代償的愛。いわば「愛
もどきの愛」。自分勝手で、わがままな愛。この愛の特徴は、(1)親はそれでもって、親
の深い愛と誤解しているということ。(2)何かのことでつまずくと、一転して、「憎悪」
の念に変わりやすいということ。真の愛というのは、無私の愛をいう。「息子(娘)に裏切
られた」と騒いでいる親は、一度、この代償的愛を疑ってみるとよい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●上下関係

 日本語には、上下関係を作る言葉が多い。「兄・弟」「姉・妹」というのが、それ。「長男・
二男・三男」というのもある。親はこうして無意識のうちにも、子どもたちの世界に序列
をもちこむ。そしてその上下関係に従って、「あなたはお兄ちゃんだから……」とか、「あ
なたはお姉ちゃんだから……」とか言って、『ダカラ論』で子どもを縛る。が、ダカラ論に
は根拠がないばかりか、その子どもにとって重荷になり、その子どもを苦しめることにも
なりかねない。なお、兄弟姉妹の間で、名前(序列ではなく、名前)で呼び合っている兄
弟姉妹は、そうでない兄弟姉妹より仲がよい。「お兄ちゃん」ではなく、「ミキ君」、「お姉
さん」ではなく、「光ちゃん」と呼ぶなど。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●ツァイガルニック効果

 ほっとした瞬間、自分のすべきことを忘れてしまう。これを『ツアィガルニック効果』
と呼ぶ。記憶を持続(保持)するためには、ある程度の緊張感が必要である。(メモによっ
て残すという方法もあるが……。)その緊張感がゆるみ、「何だったけ?」となる。このこ
とはよく将棋を指しているときに、経験する。「もう勝った」と思った瞬間、へんなところ
から「角」が飛び出してきて、飛車を取られたりする。「勝った」と思った瞬間、心の中に
スキができる。そのため、そういうヘマが多くなる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●子育て愛憎劇

 自分の娘に、「死んでも、お前をのろってやる」と言った母親がいた。「墓場で、お前が
不幸になるのを楽しみにしている」とも。これはワイフの友人の話である。で、昔から愛
と憎しみは、紙一重という。愛が深ければ深いほど(?)、それが転ずると、今度は憎しみ
に変わる。が、それにはたいへんなエネルギーを消耗する。ある賢人は、こう言った。『人
を憎むのは、ネズミを追い出すのに、家に火をつけるようなもの』と。そのため愛にせよ、
憎しみにせよ、それほど長くつづくと、心身が疲れきってしまう。まさに底なしの消耗戦。
時に人間性まで狂う。だから「家に火をつけるようなもの」と。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●幸福論

 賢い人は、そのものの価値を失う前に気づき、そうでない人は、失ってから気づく。健
康しかり、青春時代しかり、そして子どものよさ、またしかり。子どもの問題であれこれ
悩む前に、その子どものもつ「良さ」に気づき、ほどほどのところで満足する。「もっと…」
とか、「さらに…」と思っていると、子どもも疲れるが、あなたも疲れる。同じように、幸
福にしても、そんなに遠くにあるわけではない。あなたのすぐそばにある。すぐそばにあ
って、あなたに見つけてもらうのを、じっと待っている。「私は不幸だ」と思っている人は、
一度、静かに自分の身の回りを見直してみるとよい。「今、ここに生きている」ということ
が、どんなにすばらしいことか、あなたにも、それがわかるはず。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●コンフリクト(葛藤)

 人は常に葛藤しながら、生きている。葛藤のない人生はない。たとえばいろいろなケー
スがある。(1)一等賞が当たった。自転車かパン製造機がもらえる。そういうときは、ど
ちらをもらおうかで、悩む(++)。(2)あるいは高原へ旅行に行きたいが、花粉症が心
配と、悩むこともある(+-)。(3)さらに罰ゲームで、みなの前で歌を歌うか、それと
も顔に墨を塗られるかを迫られることもある(――)。(4)またこういうのもある。険し
いイバラ道を渡らなければ、食物にあるつけないようなケース(-+)。人は常にこのコン
フリクトを繰り返しながら、生きている。詳しくは、「はやし浩司 コンフリクト」で検索
をかけてみてほしい。

(補記)

●コンフリクト(葛藤)

+++++++++++++++

人はいつも、心の中で葛藤(コンフリクト)を
繰りかえしながら、生きている。

+++++++++++++++

 二つのことがらから、一つの選択を迫られたようなとき、心の中では、葛藤(コンフリ
クト)が起きる。これがストレスの原因(ストレッサー)になる。

 コンフリクトには、(1)接近型、(2)回避型、(3)接近・回避型の3つがあるとされ
る。

 たとえば、旅行クーポン券が、手に入った。一枚は、3泊4日のグアム旅行。もう一枚
は、2泊3日のカナダ旅行。どちらも行きたい。しかし日が重なってしまった。どうした
らいいか。

 このばあい、グアム旅行も、カナダ旅行も、その人にとっては、正の方向から、ひきつ
けていることになる。そのため、葛藤(コンフリクト)する。これを(1)の接近型とい
う。

 反対に、借金がたまってしまった。取立て屋に追われている。取立て屋に追われるのも
いやだが、さりとて、自己破産の宣告もしたくない。どうしたらいいか。

 このばあいは、取り立て屋の恐怖も、自己破産も、その人にとっては、負の方向から、
ひきつける。そのため、葛藤(コンフリクト)する。これを(2)の逃避型という。

 また、グアム旅行のクーポン券が手に入ったが、このところ、体の調子がよくない。行
けば、さらに体の調子が悪くなるかもしれない。どうしたらいいのか……と悩むのが、(3)
の接近・回避型ということになる。「ステーキは食べたい」「しかし食べると、コレステロ
ール値があがってしまう」と悩むのも、接近・回避型ということになる。

 正の方からと、負の方からの、両方から、その人を、ひきつける。そのため、葛藤(コ
ンフリクト)する。

 ……というような話は、心理学の本にも書いてある。

 では、実際には、どうか?

 たとえば私は、最近、こんな経験をした。

 ある人から、本の代筆を頼まれた。その人は、「私の人生論をまとめたい」と言った。知
らない人ではなかったので、最初は、安易な気持ちで、それを引き受けた。

 が、実際、書き始めると、たいへんな苦痛に、襲われた。代筆といっても、どうしても、
そこに私の思想が、混入してしまう。文体も、私のものである。私はその人の原稿をまと
めながら、何かしら、娼婦になったような気分になった。

 お金のために体を売る、あの娼婦である。

 そのとき、私は、(3)の接近・逃避型のコンフリクトを経験したことになる。お金はほ
しい。しかし魂は、売りたくない、と。が、実際には、コンフリクトと言うような、たや
すいものではなかった。心がバラバラになるような恐怖感に近かった。心というより、頭
の中が、バラバラになるような感じがした。

 あたかも自分の中に、別々の2人の人間がいて、けんかしあうような状態である。

 それはたいへんなストレスで、結局、その仕事は、途中でやめてしまった。つまりここ
でいうコンフリクト(葛藤)というのは、そういうものをいう。

 ほかにも、いろいろある。

 たとえば講演などをしていると、私の話など聞かないで、ペチャペチャと、おしゃべり
している人がいる。

 本人たちは、私がそれに気づかないと思っているかもしれないが、講師からは、それが
実によくわかる。本当に、よくわかる。

 そういうとき、「そのまま話しつづければいい」という思いと、「気になってしかたない」
という思いが、頭の中で、衝突する。とたん、ものすごく神経をつかうようになる。実際、
そういう講演会が終わると、そうでないときよりも、何倍も強く、どっと疲れが、襲って
くる。

 自分でもそれがよくわかっているから、ますます、気になる。

 そこで、私のばあい、そういうふうにペチャペチャとおしゃべりする人がいたら、その
場で、やさしく、ニンマリと、注意することにしている。「すみませんが、おしゃべりをひ
かえてくださいね」と。

 そうすることで、講演会のあとの疲労感を軽減するようにしている。これはあくまでも、
余談だが……。

【補記】

 ストレスの原因(ストレッサー)を感じたら、あまりがまんしないで、ありのままを、
すなおに言ったらよい。そのほうが、自分のためにもなるし、相手のためにもなる。

 ここに書いたように、最近は、公演中にペチャペチャと話している人を見たら、私は、
できるだけ早く、注意するようにしている。本当は、「さっさと、出て行け!」と叫びたい
が、そこまでは言わない。

 で、おもしろいと思うのは、もともと私の話など、聞いていないから、数度、注意して
も、知らぬ顔をして、ペチャペチャと話しつづけている。そこで私も、その人たちが気が
つくまで、数度、あるいは何度も、注意する。が、それでも気がつかない。

 すると、まわりの人たちが、そのおしゃべりをしている人のほうを、にらむ。おしゃべ
りしている人は、どうして自分たちがにらまれているかわからないといった表情を見せる。

 このとき私は、改めて、言う。「すみませんが、少し、静かにしていてくださいね」と。

 しかし、本音を一言。だれかの講演に行って、私語をつづけるようなら、外に出たらよ
い。迷惑といえば、迷惑。失礼といえば、失礼。これは講演を聞きに来た人の、最低限、
守るべき、マナーのように思う。

 もっとも、私の講演のように、つまらない講演なら、しかたないが……。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 コンフリクト 葛藤 葛藤の中身 親子の葛藤 夫婦の葛藤)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司



【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【家族とは何か?】(ネバネバ社会の復活)

++++++++++++++++++

今日も始まった。
がんばろう。
今夜は、弁天島にあるK旅館で会食会。
それ以外は、とくに予定なし。

++++++++++++++++++

●パサパサ家族vsネチネチ家族

 少し前、パサパサ家族について書いた。
パサパサになったパンのような家族を、「パサパサ家族」という。
手で持った先から、パサパサの粉のようになって、飛び散る。
粘着性が、まるでない。
だから「パサパサ家族」。

 これに対して、家族の絆が濃密で、ネチネチした家族を、「ネチネチ家族」という。
私が生まれ育った家族が、そうだった。
何かにつけ、ネチネチしていた。
息苦しいほど、ネチネチしていた。

が、今は、パサパサ。
夫婦関係も、パサパサ。
親子関係も、パサパサ。

 が、この「パサパサ」「ネチネチ」は、地域社会、さらには国にも当てはまる。
パサパサ社会vsネチネチ社会。
パサパサ国家vsネチネチ国家。

 ネチネチ家族で生まれ育った私には、パサパサ家族というのが、どういものか、
それがよくわかる。
しかしパサパサ家族の人には、それがわからない。
パサパサ家族しか知らない。

●恋愛ごっこから結婚ごっこ

 最近の若い人たちを見ていると、「恋愛こそ、すべて」という考え方をしているのが、
よくわかる。
まるで一生の大事ごとのように考えている。

 私たちの時代にも、恋愛ごっこというのは、あるにはあった。
しかしいざ結婚となると、大きなブレーキが働いた。
両親や親戚との関係。
仕事や収入との関係。
年齢も大きな問題となった。
そういった関係や問題の中で、自分の恋愛にブレーキをかけた。
私も、大学時代の恋人とは、それが理由で別れた。
が、今は、それがない。

 恋愛ごっこは、そのまま結婚ごっこになり、ついで子育てごっこになっていく。
生活感がない。
昔風に言えば、地に足がついていない。
後先のことを考えず、(ごっこ)に走ってしまう。

●幻想

 が、口では偉そうなことを言う。
苦労を知らない。
貧乏を知らない。
貧乏の恐ろしさを、知らない。
今に見る富と繁栄は、天から降ってきたものと思う。
だからこう言う。
「仕事より、家族の方が大切」と。

 これについては、私は反論しない。
私もそう思っている。
しかしそれはあくまでも、仕事第一主義への反省として、そう思っているだけ。
私たちの世代は、仕事を第一に考える余り、家族を犠牲にした。
犠牲にしすぎた。
その反動として、私も「家族主義」を唱えた。
が、それが今は、行きすぎてしまった(?)。

 つまり今の若い人たちからは、(仕事)という部分が欠けてしまっている。
それがわからなければ、自分の年齢に、30とか40を足してみたらよい。
そのとき自分がどうなっているか、ほんの少しだけ、頭の中で想像してみればよい。
中には「私たちの親子関係は絶対」「死ぬまで良好な親子関係をつづける」と
思っている人もいる。
しかしそれは幻想。
まったくの幻想。

●勝ち組vs負け組

 現在、老人社会は、大きく2つのグループに分かれる。
勝ち組と負け組である。
「日本の論点・2011」(文藝春秋社刊)によれば、(1)元公務員、(2)蓄財に成功
した老人を、「勝ち組(既得権益者)」と言うそうだ。
そうでない人は、負け組。

 勝ち組の人たちは、リッチで豊かな老後を、何不自由なく暮らすことができる。
負け組の人たちは……?
この部分については、あまり書きたくない。
書けば書くほど、さみしくなる。

 ともあれ、自分の将来がどうなっているか、ほんの少しだけ、頭の中で想像してみたら
よい。
あなたは勝ち組となって残るのか、それとも負け組となって残るのか。
それを分けるのが、「仕事」ということになる。

 で、私は数多くの「勝ち組」という人たちを見てきた。
私のまわりにも、そういう人たちがいる。
そういう人たちは、(公務員をのぞいて)、すでに30歳くらいのとき、勝敗を決めている。
少なくとも40歳を過ぎて、勝ち組になる人はいない。
50歳を過ぎて、勝ち組になる人は、さらにいない。
30歳になった今、「明日も今日と同じ」という人生を歩んでいる人が、勝ち組に残る
確率は、きわめて低い。

 これは健康論に似ている。

●健康論

 健康であるかどうかは、運動する習慣をもっているかどうかで決まる。
30歳前後までに、その習慣を作りあげた人は、60歳を過ぎても健康。
そうでない人は、そうでない。

 たとえばA氏は、20代のはじめから夕方ジョギングをしている。
B氏は、週に2回、道場に通い、柔道をしている。
Cさんは、テニスの大会に毎年、出場している。

 つまりそうした習慣をもっている人は、60歳を過ぎても健康。
そしてそれは30歳前後のその人の生活姿勢を見れば、わかる。
つまりこの時期、その人の方向性が決まる。
若いことをよいことに、のんべんダラリの生活をしていれば、60歳はない。

 言い添えると、タバコは害にこそなれ、よいことは何もない。
中にヘビースモーカーの人でも、健康(?)な人はいるには、いる。
しかし60歳を過ぎて、健康な人はほとんどいない。
がんや脳疾患、心臓疾患で亡くなった仲間の大半は、そのヘビースモーカーだった。

 話が脱線したが、勝ち組になるか、負け組になるか。
それも30歳くらいまでに決まる。
その方向性を作った人は、勝ち組。
そうでない人は、負け組。
「明日こそ、何とかなるだろう」「明日があるさ」と慰めながら生きている人に、
明日はない。

●幸福はお金では買えないが……

 何度も書くが、たしかに幸福はお金では買えない。
しかしお金がなければ、その人は確実に不幸になる。
心も貧しくなる。
それが「現実」。
「ごっこ」には、その現実感がない。
つまり「生活感」がない。

 そうでなくても、世界中の人たちが、そのパイを取り合って競争している。
熾烈な競争である。
今の世の中、10年単位で変わっていく。

 「仕事より家族の方が大切」と説くのは結構なこと。
しかしそれはある程度、……というか、方向性をしっかりと作った人が使う言葉。
少ない収入で、生活費を切り詰め、ピーピーと言っている人が使う言葉ではない。
それこそ、「何を偉そうに!」となる。

 で、最後の頼みの綱が、「家族の絆(きずな)」ということになる。
この絆さえあれば、まだ何とかなる。
しかしその絆さえ、このところ、音をたてて崩れ始めている。

●パサパサになる人間関係

 いくらあなたが「私の子どもたちはだいじょうぶ」と思っていても、それは幻想。
「私たちの親子関係は安泰」と思っていても、それは幻想。
子どもを包む環境を「海」にたとえるなら、あなたの親子関係は「川」程度の意味
しかない。

 やがて子どもたちは巣立っていく。
そのとき海へ解き放たれる。
とたん、海のもつ「力」にそのまま染まっていく。
ひとつの例をあげて考えてみよう。

 10年ほど前、私の家の近くに、静岡県でも最大級とも言われるショッピングセンター
がオープンした。
そのあと1~2年は何とか持ちこたえたが、近隣の商店街はつぎつぎと、シャッターを
下ろしていった。
私自身は、田舎町の商店街で生まれ育ったから、そういった商店街のもつ粘着性をよく
知っている。
ネチネチというか、ベタベタ。
私の父にしても、自転車屋を経営していたが、自分で縄張りを決め、その外での仕事を
自粛していた。
そういう(温もり)が、まだ随所に残っていた。

 が、今はちがう。
パサパサというか、サラサラ。
人間関係も希薄になった。
そういう世界、つまり「海」に染まるうちに、当然、ものの考え方も影響を受ける。
現在のあなた自身を見れば、それがわかるはず。
平たく言えば、「親の恩も遺産次第」となる。

 ……というのは書き過ぎとしても、今では『子、大学生、親貧乏盛り』という。
爪に灯をともしながら、親は子どもの学費を工面する。
老後の資金を食いつぶす。
が、子どもはどうかというと、社会人になったとたん、ハイ、さようなら!

●これからの老後

 貧困の時代から、高度成長期へ。
バブル経済期から、衰退期へ。
この日本は大きく激動した。
が、意識というのは、そうは簡単には変わらない。
アインシュタインも言っているように、ほとんどの人は18歳くらいまでに、その
意識(常識)を完成させる。
その意識を死ぬまで、もちつづける。
多少の修正はあるだろうが、あくまでも「修正」。

 が、それぞれの世代のもつ意識は、10年単位で変わっていく。
ついていくのは不可能。
理解するのさえ、難しい。
今では親子関係ですら、パサパサと切っていく若い人は、珍しくない。
「ON/OFF人間」というのは、そういう人たちを指す。

が、私たちのような旧世代の者にとっては、ここに書いたように、理解するのさえ、
難しい。
それこそ心臓を2つに裂くような苦しみを経験しなければならない。
「どうでもなれ!」という思いと、「しかしそれでも親子は親子」という思いの中で、
悶絶する。
が、これもやがて一巡する。
決別する。

 で、パサパサ家族で生まれ育って子どもは、さらにパサパサ家族を作っていく。
そういう意識もないまま、またそれがどういうものであるかさえわからないまま、
パサパサ家族を作っていく。
が、こうなるともう私の知ったことではない。
「あとは野となれ、山となれ!」。

 つまりそこまで割り切らないと、若い人たちを私たちの世代から切り離すことは
できない。
自分の老後さえ、見つめることができない。
私たちがいくらネチネチ家族を望んだとしても、若い人たちは、それを「干渉?」と
捕える。
自分ひとりで母親の産道をくぐりぬけ、社会人になったつもりでいる。
オメデタイというか、バカげている。
自分で自分のクビを絞めるようなことを、平気でしている。

●ネバネバ社会の復活

 名古屋に住む友人夫妻は、近隣の人たちと旅行会を結成している。
毎月会合を開き、定期的にあちこちを旅行している。
すばらしい会である。

 で、私もそれに触発されて、近隣の人たちに話しかけてみた。
みな、好意的に反応してくれた。
近く、第1回目の会合をもつことになっている。
会の内容については未定だが、それはこれからの話し合いを通して決める。
つまり「ネバネバ社会の復活」である。

といっても、それですべての問題が解決するわけではない。
しかしこのままでよいとは、だれも思っていない。
このままでは、日本の社会そのものまでパサパサになってしまう。
現に今、「老人はゴミ」と考える若い人たちが、ふえている。
ウソだと思うなら、たまには2チャンネルで、若い人たちがどんな会話を交わしているか、
それを読んでみたらよい。

 恐らくこの傾向はさらに強くなることはあっても、弱くなることはないだろう。
介護問題にしても、医療問題にしても、私たちの老後のあり方に直結している。
ならば私たちは私たちで、ネバネバ社会を自ら守るしかない。
私たちは私たちの豊かな老後を、自ら守るしかない。
それがここに書いた、「会」ということになる。

 その結果はまた近く報告できると思う。

********************************

【月末会のお知らせ】

 先日、話させていただきましたように、私たちの近隣でも、何かの「会」を
もちたいと思います。
称して「月末会」(仮称)。
月末に一番近い金曜日の夜を、とりあえずその日にどうかと思っています。
最初は、みなでお茶を飲む程度(あるいは自己紹介程度)でよいのではないかと
思っています。
時間帯は、午後8時~9時ごろで、いかがでしょうか。
つごうの悪い方は、またお知らせください。
みなで、話し合って決めたいと願っています。

 で、会のメンバーについてですが、名古屋に住む友人夫妻のばあい、5組(10人)
で運営しているそうです。
一度、機会があれば、浜松の方へ招待して、会の内容を話してもらうつもりでいます。
すでに10年ほど、つづけているそうです。

メンバーについては、それぞれのメンバーが、とくに親しい人を呼んでくるという
方法がよいかと思います。
そのほうが居心地もよいですし、メンバーに上下関係を作らなくてもすみます。

 いろいろ考えていますが、「継続することが大切」とか。
いかがでしょうか。

 第一回目の会合は、1月xx日(金曜日)、午後8時~9時でいかがでしょうか。
私の自宅へおいでくだされば、うれしく思います。
会合場所は、持ち回り制がよいのではないかと思います。

 いかがでしょうか?
ぜひ、おいでください。

                        林 浩司
                          晃子

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【2011年1月9日】

●ファーザーコンプレックス

2、3日前、ファザコン(ファーザーコンプレックス)について書いた。
それについて、相談フォームのほうにメールが寄せられた。
「うちの上さん(=妻)がそうで・・・」と。
「父親(=義父)とのよからぬ関係を疑っています」とも。
(転載不許可ということなので、以下、要約。)

 その男性は、結婚して3年目になるという。
子どもも1人(男児)がいる。
で、その男性の妻のファザコンを疑い始めたのは、分娩のときだった。
それまでは何かにつけ、よく気がつく父親程度としか思っていなかった。
引越しの手伝いに来てくれたり、日曜日には、車を洗いに来てくれたりなど。
しかし出産当日、分娩室に入ってくると言って、きかなかったという。

 で、異変を感じたのは、家族旅行のとき。
宿泊先の温泉で、父親が家族風呂を頼んでくれた。
その男性は、自分たちへの気遣いと感謝した。
が、驚いたことに、夫婦と子どもの3人で風呂へ入ろうとしていると、
何と、父親まで入ってきたという。
妻の様子を見ても、とくにいやがるふうでもない。
その男性は不快だったので、父親には遠慮してもらいたかった。
が、そのときすでに遅し。
妻と父親は並んで湯船の中に!

 その夜妻がその男性にこう言ったという。
まったく悪びれた様子もなく、シャーシャーと、
「あなたと結婚する前まで、いつも父と入浴していたのよ」と。

 ガクン!(男性の言葉)

 母親が息子を溺愛する。
その結果、マザコン男性が生まれる。
その反対に、父親が娘を溺愛する。
その結果、ファザコン女性が生まれる。
症状、タイプはちがうが、基本的には、中身は同じ。

 どこかゆがんだ家族関係だが、今どき、マザコンにせよ、ファザコンにせよ、
珍しくない。

●火星のUFO

 昨日は、土星の輪(環)について書いた。
書いたが、専門家たちは、すでにはるか遠くまで調べている。
私の出番はない。
そう感じたので、筆を汚しただけで書くのをやめた。

 が、同時に火星上空に浮かぶUFOの写真を発見した。
そのUFOだが、私とワイフが、35年前に見たUFOとまったく同じ
形をしていた。
「ハア~~」と言ったきり、息が止まった。

私とワイフが見たUFOは、イラストにした。
そしてそれからほぼ20年後。
その夜のことは、そのまま中日新聞にコラムとして書かせてもらった。
イラストもそのまま載せた。

 私が火星上空のUFOをまねてイラストを描いたのではない。
火星上空のUFOを、NASAが捕らえたのは、そのずっと後。

 私は(ワイフも)、あの夜見たものが何であったのか、ずっと考えてきた。
新聞にコラムを発表すると、「私も同じものを見た」という人も、何人か現れた。
しかし「見ただけ」。
何ともつかみどころのない話である。
またそれ以上、進展のしようが、ない。
話の進めようが、ない。
ただ、見ただけ!

 しかし火星上空を浮遊する(?)UFOは、たしかに私が見たUFOと
形が似ている。
似ているというより、同じ。
細部の角の形まで、同じ。
驚いたというより、やっと巡りあえたという喜びのほうが強かった。

(今まで、目の錯覚だったとか、飛行機だったとか言った、みなさんへ)

 私はウソをつかないぞ!
ウソまで書いて、自分のコラムを汚(けが)したくない。
私を疑うなら、NASAが公表した、火星上空を浮遊する(?)UFO
の写真を見ろ!
それが何であるか説明した上で、私の書いた記事を否定しろ!

 もう一度、2枚の写真と絵を並べてここに掲載しておく。
上が火星上空を浮遊する(?)UFO。
下が、私たちが見たUFO。

(注)火星上空を浮遊するUFOについて、「これはレンズ上のゴミ」と思う人も
いるかもしれない。
私のワイフもそう言った。
しかしそれについては、そばにいた長男が、即座に反論した。
「NASAの火星探査機のカメラに、ゴミなど、つかないよ!」と。
それにレンズ上のゴミなら、焦点距離がまったくちがう。
黒くぼやけるはず。
一度、自分のもっているデジカメで確かめてみるとよい。

width="480" height="640" alt="●火星上のUFO.jpg">

width="907" height="1215" alt="img126.jpg">

●オーストラリア

 近く、オーストラリアへワイフと行ってくる。
それについて、私はJ・ライン(航空機)を利用するつもりでいた。
私とて、日本人。
日本の飛行機に乗りたい。
が、昨日、J社の労働組合機関誌を読んで、やめた。
ネットサーフィンをしているとき、それを見つけた。
J社は目下、経営再建中。
労使問題で、社内はゴチャゴチャ。

 その新聞には、こうあった。

「……不具合があっても、要領よく見なかったことにすること
も可能ですが、出発遅れや欠航の可能性があっても、見つけた
不具合は直す整備士としての良心がなければ安全運航は守れません」
(「W」より抜粋)と。

 念のため、もう一度、しっかりと読みなおしてみてほしい。
その上で、つぎに進んでほしい。

 私はこの文を読んでゾッとした。
中学生程度の読解力があるなら、理由はわかるはず。
裏を返して言うと、こうなる。
「へたに(整備員を)整理解雇したら、手抜きをするぞ。
適当に整備をすませて、それですますぞ」と。

 こういうのを「恫喝(どうかつ)」という。
まさに恫喝。
だからJ社・ラインの飛行機を利用するのは、やめた。
やはりカンタス航空にする。
カンタス航空は、戦後一度も、航空機事故を起こしていない。
(=事故による死者を出していない。)

 J社の社員の気持ちも、よくわかる。
解雇がいかにつらいものかも、よくわかる。
しかしこんなことを社内機関誌に書くようでは、おしまい。
読み方によっては、「手を抜こう」「適当にやろう」と、仲間に
呼びかけているともとれる。
まことにもって、常識ハズレ!

機関誌の終わりには、こうある。
『それは社員の中に浸透していきます』と。

ここでいう(それは)とは、何か?
中学生でも、こう書くだろう。
「手抜き整備」と。
恐ろしい!
だからJ社の飛行機を利用するのは、やめた!

 労働新聞の一部を、そのままここに転載する。

『……私たち日本航空ユニオンは、整備職が中心の組合です
が、この秋以降の管財人・支援機構の不誠実な発言に大き
な不安と、危機感を持ちます。

航空機の整備の仕事は、絶対にウソをつかず、誠実で
なければ成り立ちません。不具合があっても、要領よく
見なかったことにすることも可能ですが、出発遅れや欠
航の可能性があっても、見つけた不具合は直す整備士と
しての良心がなければ安全運航は守れません。

その航空会社の経営者(管財人・支援機構)が、その
場その場を取り繕う形だけの行動を取り、目的(人員削
減)のためには心にも無い発言を平気ですれば、それは
社員の中に浸透していきます』(J社機関誌「W」
10-12-09日号)より。

詳しくは、以下に。

http://www.bekkoame.ne.jp/~jcau/wing229.pdf


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2011年2月27日日曜日

*Pockets in the Heart




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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2011年 3月 30日
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メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●情愛論(心の暖かい子どもvs冷たい子ども)

++++++++++++++++++

基本的には、子どもの(=人の)の情愛は、
母親によって、乳幼児期に作られる。
この時期、母親の暖かい情愛に恵まれた
子ども(=人)は、暖かい情愛をもつ。
そうでなければ、そうでない。

++++++++++++++++++

●心の暖かい人vs冷たい人

 情愛の深さは、相対的なもの。
情愛の深い人には、心の冷たい人がよくわかる。
が、心の冷たい人からは、情愛の深い人が、わからない。
お人好しか、ばあいによっては、ただのバカに見える。

 その情愛の深さは、共鳴性によって決まる。
相手の悲しみや苦しみ、さみしさやつらさを、より深く共鳴できる人を、情愛の深い
人という。
が、これには個人差がある。
程度の差もある。
幅のちがいもある。

 その情愛は、母親によって、乳幼児期に作られる。

●8%!

 前もって誤解がないようにしておきたい。
「母性愛」という言葉がある。
本能に根ざした「愛」と考えている人は多い。
しかし実際の調査によると、約8%の母親(私の調査では10%の母親)は、
自分の子どもを愛することができず、人知れず、悩んでいる。
10人に1人!

母親だから……という、『ダカラ論』ほど、アテにならないものはない。
またそういうものを、頭から肯定し、すべての女性に押しつけてはいけない。
みながみな、母性愛があるわけではない。
押しつければ押しつけるほど、その女性を苦しめることになる。
「母親だから、子どもを愛しているハズ」という『ハズ論』も、同じように考える。

 それはともかくも、そういう母親をもった子ども(人)は、不幸である。
日常的に愛情飢餓の状態に置かれる。

●愛情飢餓

 が、愛情飢餓は、母親自身の愛情の欠損だけによって起こるものではない。
離婚、家庭不和、騒動、母親との死別などなど、「母性愛不在」の状態がつづくと起こる。
愛情飢餓が慢性的につづくと、子どもは飢餓感から、じゅうぶんな情操を築けなくなる。

 言うまでもなく、健全な母子関係は、(絶対的なさらけ出し)と(絶対的な受け入れ)が
基本となって育つ。
「絶対的」というのは、「疑いをいだかない」という意味。
子どもの側からみると、「どんなことをしてもいい」という安心感。
親の側からみると、「どんなことをしても許す」という寛大さ。
この両者が基盤にあって、基本的信頼関係が結ばれ、それが子どもの豊かな心作りに
つながっていく。

●ぬいぐるみ

 私がそれに最初に気づいたのは、教室の入り口に大きなクマのぬいぐるみを置いた
ときのこと。
もう20年近くも前のことだった。
子どもによって、その反応が2分されるのを知った。

 たいはんの子ども(幼児)は、ぬいぐるみを見ると、「かわいい」と言い、抱いたり、頬
ずりしたりする。
が、中には、ぬいぐるみを見ても、反応しなかったり、さらに中には、足でキックする
子どももいる。
その割合は、8対2。
つまり10人のうち、8人くらいが、好意的な反応を示し、2人くらいが拒絶的な反応
を示す。

 この現象だけをもって、情愛の深さをしることはできない。
しかしひとつの目安にはなる。

●私はどうか

 この問題は、即、私たち自身の心の問題と直結する。
つまり私(あなた)自身はどうか?
私(あなた)自身は、情愛の深い人だろうか。
それとも心の冷たい人だろうか。

 が、ここでまた別の問題にぶつかる。
これは脳の中でも、CPU(中央演算装置)の問題。
情愛の深い人にしても、またそうでない人にしても、それを客観的に知ることはできない。
自分がそうであるため、自分を基準にして考える。
自分がそうであるから、人もみな、そうであると考える。
またよほどのきっかけがないかぎり、自分がそうであることに気づかない。

●A氏の妻

 少し前、妻と離婚した知人のA氏(55歳)が、こんな話をしてくれた。
離婚のきっかけは、人間ドックを受けたときのことだったという。
肝臓に影が見つかり、がんの疑いがかけられた。
そのあとA氏は、放心状態になり、家に帰るまで涙が止まらなかったという。

 で、その夜は、なんとかやり過ごしたが、翌日の夜、絶望的な孤独感が襲った。
そこでその夜だけでもと思い、妻のベッドにもぐりこもうとした。
「助けてほしい」と。
声にもならないような声だった。
が、それに答えて、妻が、「もう寝てるんだから、静かにしてよ! 私に
何ができるのよ!」と。

 A氏はその夜は別の部屋で寝た。
はげしい孤独感を闘いながら、朝まで眠られなかった。
と、同時に、妻との離婚を決意した。

 心の冷たい人というのは、A氏の妻のような人をいう。

●受験戦争で壊れる心

 一般論として、はげしい受験戦争を経験した子ども(人)ほど、心が冷たい。
たった1か月程度、進学塾の模擬特訓を受けただけで、別人のようになってしまう。
そんな子どもも、珍しくない。
(これは本当だぞ! おおげさに書いているのではないぞ!)

当然のことながら、年少であればあるほど、影響は大きい。
親は、「勉強に対する心構えができました」と喜んでみせる。
しかし壊れた心には、気づかない。

 皮肉なことに、親自身もはげしい受験競争を経験している。
暖かい情愛を、こなごなに破壊されている。
だから自分の子どもの情愛がこなごなに破壊されても、それに気づかない。

 結果、「親の恩も遺産次第」と。
実際、そういう子どもは、多い。
そのひとつの例として、韓国や日本など、受験競争のはげしい国の子どもほど、
「将来、親のめんどうをみる」と答える子どもが少ない。
もう一度、内閣府のした調査結果をよくみてほしい。

++++++++++++++++++++


●第8回世界青年意識調査より


(将来、親のめんどうをみるか?)


年老いた親を養うことの意識は、欧米に比べ、日・韓で弱い。


★年老いた親を養うことについてどう思うか


『どんなことをしてでも親を養う』(1)
イギリス  66.0%、
アメリカ  63.5%、
フランス  50.8%、
韓国    35.2%、
日本    28.3%


++++++++++++++++

 すべてが受験競争が原因とは言っていない。
ほかにもいろいろ考えられる。
しかし受験競争が原因でないとは、もっと言えない。
受験競争といっても、韓国や日本では、すでに何世代にも渡って、つづいている。
それが親から子へと連鎖し、それがこうした結果となって表れている。

●子どものほうから縁を切る?

 最近多いのが、子どものほうから縁を切るケース。
その直前まで、親から金を借り放題だった子どもが、社会人となり、結婚したとたん
縁を切る。
理由など、何でもよい。
しかもたった一枚の手紙。
それにはこうある。

 「今後、いっさい、連絡をしてくるな。
私(ぼく)と連絡を取りたかったら、直接ではなく、XさんやYさんを通してしてほしい」
「これが私(ぼく)のこの30年間の結論だ」と。

 つまり子どもの側が、親に向かって、「連絡は、XさんやYさんを介してしろ」と。
自分では、どこかの社長にでもなったようなつもりでいる。
が、先にも書いたように、今、こういう子どもがふえている。

 氷のように冷たい心。
が、その冷たさもわからない。
あるいは自分では、それなりに心の暖かい、やさしい人間と思っているのかもしれない。
脳のCPUが狂っているため、自分ではそれがわからない。
わからないほどまで、心がこなごなに破壊されている。

●子どもの心を育て、守る

 ではどうするか?
もう改めてここに書くまでもない。
そのカギを握るのが、母親ということになる。
で、子どもの心は、それでできる。
あとは、それを壊さないようにする。
一度壊れた心は、二度と修復されることはない。
そう断言してよいほど、子どもには、決定的な影響を与える。
それがそのままその子どもの心として、定着する。

 最近、こんな話を聞いた。

 知人のAさんが、実の母親を介護するようになって、数日目のこと。
どこでどう情報を得たのかはしらない。
すかさず、イトコのX(女性)から、1000円にもならない菓子を送ってきたという。
それ以前から、AさんはXが、Aさんの家庭をあれこれと詮索し、うわさ話の具に
していたことは、よく知っていた。

 が、一応、「礼」はしなくてはならない。
が、Aさんにしてみれば、Xの意図は見え見え。
Aさんと家族との確執については、よく知っていたはず。
で、電話を入れると、いきなり「どう?」と。

 つまり「どんな具合か?」と。

A「いったい、これはどういうつもりですか?」
X「(あなたの)お母さんには世話になったから」と。

 心の壊れた人というのは、そういうことが平気でできる。
他人の家の不幸をのぞいては、それを楽しむ。
楽しみながら、それができる。
Xは、昔からそういう女性だったそうだが、60歳を過ぎてもそれができるところが
恐ろしい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 心の冷たい人 壊れた人 情愛 情愛論 心の暖かい人)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【ある老人】


●金指から伊目へ


 ときどき何のために生きているか、わからなくなる。
何のために生きてきたのかも、わからなくなる。
私の人生は、何だったのか、と。


 そのときもそうだった。
健康を考えての散歩だったが、ふとこう思った。
「どうしてこんなことをしているのだろう?」と。


 そのとき私は、浜名湖に沿って歩いていた。
細江(かなさし・浜名湖の北にある田舎町)から、
伊目(いめ・浜名湖沿いにある小さな村落)へ。
そこから内陸部に向かって、左に曲がる。
広い公道で、ゆったりと歩ける歩道が気持ちよかった。
ゆるい坂だった。


 山荘へ行ったとき、「帰りは歩いてみよう」と思い立った。
半端な距離ではない。
一度、正確に測ったことがある。
片道、27キロ。
その途中でのことだった。


少し前までは、秋になると、このあたり一帯、みかんの花が咲いた。
今は、みかん畑など、さがしても見つからない。
高齢化が進み、離農する人がふえた。


風は強く冷たかったが、体の熱気と打ち消しあい、寒くはなかった。
低い雲の間から、時折、白い太陽の光が、頬を照らした。


 私はその坂を、やや歩幅を狭くしながら歩いていた。
そのとき、そう考えた。
「どうしてこんなことをしているのだろう?」と。


●長い坂


 長い坂だった。
車だと、5分前後で登りきってしまう。
が、歩くと、結構、距離がある。
それまでの疲れが、足の裏に響いてきた。
歩くたびに、ツンツンと痛い。


 と、そのとき向こう側から、1人の老人が歩いてきた。
年齢は75歳前後か。
80歳を過ぎていたかもしれない。
体が左に傾いている。
2本の脚も、左右不ぞろいで、同じように左に傾いている。
歩くたびに、体が大きく揺れる。
ヒョコタン、ヒョコタン……。
そんな歩き方だった。


瞬間、何かの病気かと思った。
が、脳梗塞の人の歩き方とは、ちがっていた。
右手には、ポリ袋に入った食料らしきものを、ひとつもっていた。


 細い顔。
彫りの深いしわ。
色も浅黒く、目は、下を向いたままだった。
私はだまって、すれちがった。


●老人


 が、その瞬間、その老人が気になった。
気になって、立ち止まり、振り返った。
老人は、相変わらず、独特の歩き方で坂をくだっていった。
「あの歩き方では、さぞかし疲れるだろうな」と。
体のどこかに不自然な力が加わる。
それが体のどこかを傷(いた)める。
あるいはどこか痛いから、それをかばいながら歩いていたのか。


 が、意外と軽そうな足さばきだった。
不自然な歩き方だったが、リズミカルだった。
私は、じっとその後ろ姿を見ていた。


が、突然、その男性が止まった。
150メートルほど行ったところのことだった。
止まると同時に、体をくるりと回すと、私のほうを見た。
すばやい動きだった。
男の鋭い視線が、そのままズバリ、私の視線をとらえた。
視線をはずす余裕がなかった。
私はそのまま棒立ちになってしまった。


 不思議な光景だった。
その老人は、私の心を見透かしたかのようだった。
「ジロジロ見るな」と。
鋭い視線だった。
そんなふうに言っているようにも、見えた。


●元気


 時間にすれば、10秒とか20秒前後ではなかったか。
私たちは、たがいを見つめあった。
が、再びその老人が体をくるりと回し、また歩き始めた。
機械的な動きだった。
それを見届けて、私も体を回した。


「あんな老人でもがんばっている」と。
「あの老人と比べたら、私など、ただの小僧。まだがんばれる」とも。
そう思った瞬間、消えかけていた元気が、ポーッとまた燃え出した。
歩幅が大きくなった。


 「とにかく私たちは生きてきたし、今も生きている。これからも生きていくしかない」。
トルストイの書いた『戦争と平和』の一節を思い出した※。
理由など、ない。
目的もない。
夢や希望など、とっくの昔に消えた。
それでも生きていく。


●坂の上


 長い坂を上りきると、今度は道は大きく右へ曲がる。
あたりにはどこにもスーパーらしきものはない。
小さな店は1つ、2つあったが、食料品店とはちがう。
「あの老人は、どこで何を買ったのだろう?」と、そんなことを考えた。
酒だったのだろうか、それともタバコだったのだろうか。
袋の中のモノは、3~4個程度だった。
 

 道はまだつづいていた。
長い道だった。
このあたりの人たちがよく使う幹線道路になっている。
数秒ごとに、乗用車が行き交った。
ときどき大型のダンプも通り抜けた。
そのたびに乾いたほこりが舞いあがった。


 相変わらず冬の冷たい風が吹いていた。
やがて私は東名高速道路のガードを抜けると、大きな四つ角へ出た。
右へ行けば、舘山寺温泉。
左へ行けば、浜松市内。
道路標識には、「市内まで10キロ」とあった。
「あと一息」と、私は自分に気合を入れた。


(注※) 生のむなしさを感ずるあまり、現実から逃避し、結局は滅びるアンドレイ公爵。
一方、人生の目的は生きることそのものにあるとして、人生を前向きにとらえ、最終的に
は幸福になるピエール。そのピエールはこう言う。『(人間の最高の幸福を手に入れるため
には)、ただひたすら進むこと。生きること。愛すること。信ずること』(第五編四節)



Hiroshi Hayashi++++++Feb 2011++++++はやし浩司(林浩司)

●生きることは書くことbyはやし浩司

++++++++++++++++++

メキシコの作家の、Carlos Fuentes
は、こう言った。

Writing is a struggle against silence.

「書くことは、静寂との闘いである」と。

今の私が、そうだ。

++++++++++++++++++

●大病の宣告

大病を宣告されたら、あなたはどうするか?
あるいは、だれかに大病を打ち明けられたときでもよい。
あなたは、どう応対するか?

参考になるのが、有名人。
有名人の中には、自らマスコミに向かって大病を告白する人がいる。
「私は乳ガンです」と。

反対に、死ぬまでまったく秘密にする人がいる。
有名人でなくても、自らの大病を告白する人もいる。
人、それぞれ。
それぞれの思いの中で、告白したり、秘密にしたりする。
大病を患った人には、患った人にしかわからない心理がある。
もしあなたが健康人なら、あるいは若いなら、そういう人たちのことを
とやかく言うのは許されない。
あなたの近親者についても、そうだ。
できることと言えば、相手の気持ちを思いやり、そっとしておいてやること。
仮にそういう噂を耳にしたとしても、こちらから聞き出すようなことをしてはいけない。
それが最善。

そこで「私なら・・・」と考えてみる。
実のところ、私は過去に数回、大病の疑いをかけられた経験がある。
そのつど、私のとった行動は、完全に秘密主義。
家族でも、ワイフだけにしか話さなかった。
話したところで、どうにもならない。
あの「死を前にした不安感」は、同時に隔離感をともなう。
裸で断崖絶壁に立たされたような、隔離感である。
あるいは巨大な鉄壁に囲まれたような隔離感。
あの隔離感だけは、どうしようもない。

●心のポケット

 先に、「大病を患った人には、患った人にしかわからない心理がある」と書いた。
それが「心のポケット」ということになる。
それがある人には、相手の心がよく理解できる。
それがない人には、理解できない。
そのポケットのない人に、いくら大病の話をしても意味はない。
心のポケットにない人は、まずこう考える。
「その人がいなくなったら、自分はどうなるか?」と。
まず自分の損得を優先させる。

 実のところ若いころの私がそうだった。
そのころの私は、死とは無縁の世界に住んでいた。
だからそう考えた。
つまり人の死ですら、自分にとっての「損得論」の中で処理した。
「この人がいなくなったら、自分はどうなるのだろう?」と。
このことは、子どもたちの世界をのぞいてみると、よくわかる。
ほとんどの子どもたち(幼児、小学生)は、「老人は死ぬもの」と考えている。
「死んで当然」と。

 だからほとんどの子どもたちは、(特別なケースをのぞいて)、こう答える。
「悲しくなかった」と。
「おじいちゃん、おばあちゃんが死んだとき、悲しかったか」と聞いたときのことである。
子どもたちは、「老人は死ぬもの」という前提で、老人をみる。

 言い換えると、私が秘密主義なのは、ここに理由がある。
大病を告白して、それがどうだというのか。
何がどうなるというのか。
それが何かの役に立てばよい。
しかしそうでなければ、たいはんの人は、他人のことなら世間話としてすませてしまう。
みながみな、心のポケットをもっているわけではない。

●受諾

 私のような人間を、心気症という。
いつも死の影におびえ、ビクビクしている。
だからときどき、こう思う。
「そんなに私の命がほしければ、とっとと持って行け!」と。

 そのかわり、いつその「時」が来てもよいように、心の準備だけはしておく。
「準備」というか、「完全燃焼」。
とことん自分を燃やしつくし、あと腐れのないようにしておく。
わかりやすく言えば、悔いのない人生にしておく。
が、これがむずかしい。
むずかしいというより、できない。

 日々に決意し、日々に後悔する。
毎日が、この繰り返し。
が、どんなにがんばっても、死を避けることはできない。
キリストも、釈迦も、ムハンマドも、孔子も、みな、死んだ。
いわんや、あなたをや。
いわんや、私をや。

 つまり死はいつも、時間の問題。
が、こういうこともある。
数週間前、私ははげしい神経痛を覚え、床に倒れこんでしまったことがある。
そのとき不思議なことに、本当に不思議なことに、私は何もこわくなかった。
「ああ、これで死ねるのか」と。
そんなふうに考えた。

 心気症の私が、「ああ、これで死ねるのか」と。
私はその瞬間、死をすなおに、受け入れていた。
どうしてそういう心境になったのかは、わからない。
しかしそう考えた。

●猶予期間

 もっとも大病といっても、そこには猶予期間がある。
脳梗塞や心筋梗塞のような病気は別として、すぐ死ぬわけではない。
うまくいけば、6か月とか1年は生きられる。
その間に、何かができる。
(実際には、そんな甘いものではないが・・・。)

 それに6か月にしても、10年にしても、同じ。
同じ瞬時。
総じて言えば、60歳を過ぎたらみな、死の待合室に入る。
平均余命は80歳前後。
健康余命は、それから10年を引いた、70歳前後。
70歳を過ぎたら、病魔との闘い。
病気のない人はいない。
ダラダラとした闘いが、平均して10年、つづく。
だからときどきこう思う。

 「老人は、総じてみな、『老』という大病を患っている」と。
だから当然のことながら、加齢とともに、先に書いた心のポケットができる。
大病を患った人の気持ちが、よくわかる。
が、誤解しないでほしい。
私にしても、死ぬのがこわいのではない。
老人になるのが、こわいのではない。
こわいのは、そのプロセス。
苦痛と孤独。
それがこわい。

●これからの老後

 私はいろいろなことを書いてきた。
ありのままを書いてきた。
しかしこと「大病」ということになったら、恐らく何も書かないだろう。
書いたところで、何も役に立たない。
読む人にしても、気が重くなるだけ。
たいはんの人は、「ジーさん、バーさんは、死んで当然」と考える。
老人の死に際のグチなど、だれも聞きたくない。

 一方、死ぬ側の私にしても、人知れず、死にたい。
いつかどこかで、だれかがふと私のことを思い出す。
そしてこう思う。
「ああ、あのはやし(=私)は、死んでいたのか」と。
それでよい。
だからやはり、私なら、だれにも言わない。
秘密主義。
自信はないが、たぶん、秘密主義。

(補記)

 この肉体という乗り物は、もちろん私であって、私でない。
そのことは、自分の手のひらを見ただけでも、わかる。
私の意思で、手のひらが手のひらになったわけではない。

 が、私はその乗り物に乗っている。
ただふつうの乗り物とちがうところは、乗り物が壊れれば、「私」も死ぬと
いうこと。

 そこで「私」とは何か。
私論。
私にとって私とは、今、この見える世界、感ずる世界、その中心にいるのが、
私ということになる。
が、一歩、その私から離れてみる。
たとえばあなたなら、あなたでよい。
あなたから見た(はやし浩司)は、どうだろうか。
あなたは何を見て、(はやし浩司)という「私」を判断するだろうか。

 それが私のばあい、「文」ということになる。
「文で書かれた人間」、それが「私」ということになる。
つまり私が乗っている、この乗り物が動かなくなっても、今度は別の
乗り物に乗った(あなた)が、私を見る。
つまり「文」が残るかぎり、「私」は死なない。

平たく言えば、「私が乗っている乗り物」は、ただの乗り物。
壊れて動かなくなってしまったとしても、気にすることはない。
(気にすることも、ないだろうし・・・。)
言い換えると、私たちは乗り物が動かなくなるまでは生きている。
動かなくなれば、何もわからなくなる。
が、「私」は、ちゃんと残る。
「あなた」の中で、ちゃんと残る。

 いつだったか、私は新聞(中日新聞)のコラム(第110回、最終回)で、
「生きることは書くこと」と書いた。
その意味が、これでわかってもらえたと思う。

+++++++++++++++++

そのときの原稿です。

+++++++++++++++++

●生きることは、考えること

 毎週土曜日は、朝四時ごろ目がさめる。そうしてしばらく待っていると、配達の人が新
聞を届けてくれる。聞きなれたバイクの音だ。が、すぐには取りにいかない。いや、とき
どき、こんな意地悪なことを考える。配達の人がポストへ入れたとたん、その新聞を中か
ら引っ張ったらどうなるか、と。きっと配達の人は驚くに違いない。

 今日で「子どもの世界」は終わる。連載一〇九回。この間、二年半あまり。「混迷の時代
の子育て論」「世にも不思議な留学記」も含めると、丸四年になる。

しかし新聞にものを書くと言うのは、丘の上から天に向かってものをしゃべるようなもの。
読者の顔が見えない。反応もわからない。だから正直言って、いつも不安だった。中には
「こんなことを書いて!」と怒っている人だっているに違いない。

私はいつしか、コラムを書きながら、未踏の荒野を歩いているような気分になった。果て
のない荒野だ。孤独と言えば孤独な世界だが、それは私にとってはスリリングな世界でも
あった。書くたびに新しい荒野がその前にあった。

 よく私は「忙しいですか」と聞かれる。が、私はそういうとき、こう答える。「忙しくは
ないですが、時間がないです」と。つまらないことで時間をムダにしたりすると、「しまっ
た!」と思うことが多い。

女房は「あなたは貧乏性ね」と笑うが、私は笑えない。私にとって「生きる」ということ
は、「考える」こと。「考える」ということは、「書く」ことなのだ。私はその荒野をどこま
でも歩いてみたい。そしてその先に何があるか、知りたい。ひょっとしたら、ゴールには
行きつけないかもしれない。しかしそれでも私は歩いてみたい。そのために私に残された
時間は、あまりにも少ない。

 私のコラムが載っているかどうかは、その日の朝にならないとわからない。大きな記事
があると、私の記事ははずされる。バイクの音が遠ざかるのを確かめたあと、ゆっくりと
私は起きあがる。そして新聞をポストから取りだし、県内版を開く。私のコラムが出てい
る朝は、そのまま読み、出ていない朝は、そのまままた床にもぐる。たいていそのころに
なると横の女房も目をさます。そしていつも決まってこう言う。

「載ってる?」と。その会話も、今日でおしまい。みなさん、長い間、私のコラムをお読
みくださり、ありがとうございました。」 

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 中日新聞コラム 生きることは書くこと 大病の宣告)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●心気症(2008年3月記)

●心気症

++++++++++++++++++

ささいな病気を、ことさら大げさに
考えて、心配する。不安になる。

「もしや……?!」と思って、悩む。

そういうのを「心気症」という。

何を隠そう、私がその心気症なのだア!

++++++++++++++++++

 病気でもないのに、自分の心身のささいな変調にこだわり、苦痛を訴える症状を、心気
症という(「心理学用語辞典」・かんき出版)。

 つまりささいな病状を、ことさら大げさに考えて、あたふたと心配する。「もしや…
…!?」と思うこともある。つまり「がんではないか?」と。そういう症状を、心気症と
いう。

 「心気症」という用語があるほどだから、かなり一般的な症状と考えてよい。不安神経
症、あるいは強迫神経症の仲間と考えてよい。とくに病気と結びついた不安神経症、ある
いは強迫神経症を、「心気症」という。

 程度の差もあるのだろうが、何を隠そう、私が、その心気症なのだ。実は、数日前もあ
った!

 夜中に目が覚めると、のどが乾いたようになって、痛い。が、よく観察してみると、右
側の奥歯が痛い。ズーンとした痛み。その痛みが、のどから、上の歯のほうまで、響く。

 その奥歯は、治療して、金冠がかぶせてあるはず。指を口の中に入れて、その歯をさわ
ってみる。が、さわった感じでは、どうということはない。もっと奥のほうから痛みが骨
のほうに伝わっている。そんな感じがする。

 「風邪で、歯が痛むというようなことはあるだろうか?」と、最初は、そう考えた。し
かしそんなことはありえない。

 夜、ふとんの中で、暗い天井を見あげながら、いろいろ考える。考えては、それを打ち
消す。「しかし……。もしや……?」と。

 数年前に、脳腫瘍で死んだ、友人のことを思い浮かべる。その彼は、こう言っていた。
私が、「ぼくも、よく頭痛に悩むよ」と言うと、「林、何を、バカなことを言っているんだ!
あのな、脳腫瘍の痛さは、想像もつかん痛さだよ」と。

 どんな痛さだろうと考えながら、口の中から伝わってくる痛さに、静かに耐える。眠れ
ないほどの痛さということでもないが、しかし安眠できるような状態でもない。

 「しかし、初期症状というのもあるだろう。初期症状のときは、それほど、痛くないの
かもしれない。だんだんと痛くなって、やがて耐えきれなくなる……」「このまま、痛みが
どんどんひどくなったら、どうしよう?」と。

 横を見ると、ワイフが軽い寝息をたてていた。起こすのも悪いと思って、じっとそのま
まにしている。10分、20分……。と、そのとき、ワイフの寝息が止まった。モゾモゾ
と体を動かした。すかさず、話しかけた。

 「なあ、風邪みたいだよ……」
 「風邪……?」
 「なあ、歯が痛いよ……」
 「薬をのんだら……?」
 「うん……」と。 

 私は起きあがって、台所へ行くと、バナナとジュースをお湯に溶かしたものをもってき
た。枕元にはいつも、薬が一式、置いてある。湿布薬に頭痛薬、睡眠薬に精神安定剤、そ
のほかもろもろの漢方薬にハーブなどなど。もちろん風邪薬も置いてある。

 「どれにしようか?」
 「風邪薬にしたら?」
 「でも、歯が痛い……」
 「だったら、バッファリンがいいんじゃない?」
 「うん、……ノーシンではだめだろうか?」
 「じゃあ、それにしたら」
 「うん」と。

 私はバナナを食べながら、ジュースを飲んだ。時計を見ると、午前4時を少し回ったと
ころ。時計を見ながら、粉薬を口に入れた。

 「なあ、がんじゃないだろうか?」
 「どうしてがんなの?」
 「骨の奥が痛い……」
 「どんなふうに?」
 「ズーン、ズーンと痛い」
 「きっと虫歯よ」
 「だって、ちゃんと治療したところだよ」
 「金冠の中で、虫歯になることだってあるわよ」
 「そうかなあ……?」と。

 この世界には、骨まで腐るという、恐ろしいがんもあるそうだ。詳しい病名は知らない
が、昔、そんな病気になった女性の映画を見たことがある。私はそれかもしれないと思っ
た。思いながら、「ああ、これでぼくも死ぬ……」と思った。

 「このまま死んだら、どうしよう?」
 「死なないわよ」
 「どうして?」
 「バカねえ、虫歯で死んだ人の話なんか、聞いたことないわよ」
 「虫歯かねえ……?」
 「虫歯よ。ハーッて息を吐いてみたら」
 (ハーッ)
 「……おかしいわね、虫歯臭くないわよ」
 「だろ、虫歯じゃあ、ないよ」と。

 不安で、心臓がドキドキするのがわかった。いやな気分だ。ただほかに風邪の症状もあ
ったので、それに希望をつないだ。「風邪だ、風邪だ。これは風邪による症状だ」と。しか
し風邪で歯が痛くなったという話は、聞いたことがない。そう考えたとたん、また不安に
なった。

 で、その朝は結局、そのまま起きた。ふだんならそのまま書斎に入って原稿を書くのだ
が、そんな気は起きなかった。「まだ、やりたいことはあるのに……」「まだ、58歳じゃ、
ないか」「がんとわかっても、ぼくは治療しない。そのままオーストラリアへ行く」などと、
あれこれ考える。

 が、しばらく体を起こしていると、痛みがやわらいできた。薬がきいてきた。

 こういうとき、私のような心気症の人間は、頭の中で、2人の人間が戦うような状態に
なる。ボクシングで言えば、デス・マッチのようなもの。どちらか一方が死ぬまで、戦う。

 「風邪だ、虫歯だ! お前は、バカだ。いつもの取り越し苦労だ!」
 「何だと! 油断していると、命取りになるぞ。これはがんだ。がんの初期症状だ!」
 「前にも、似たような痛みがあったではないか。虫歯の治療のときを思い出してみろ!」
 「あったかもしれないが、その歯は、たしか神経を抜いているはず」と。

 「何でもない!」という私。「がんだ」という私。そういう2人の私が交互に現れては、
消える。おまけにのども、痛い。のどの奥に痰がからんでいる感じ。何度も、うがいを繰
りかえす。

 これは生への執着によるものか、それとも死がもたらす絶望感との戦いによるものなの
か。……わけがわからない状態で、朝を迎え、その日が始まった。

 「どう、具合は?」と、のんきな様子で、ワイフが起きてきた。「起きたら、痛みが収ま
ってきた」と私。「でしょ、心配ないわよ」とワイフ。

 そのときになって、恐る恐る、手鏡をもってきて、口の中をのぞく。「もし、大きな病変
でもあったら……」と、不安になる。心臓の鼓動が高まる。が、押しても引いても、歯は
ビクとも動かない。(動くはずもないが……。)とくに変わった様子もない。

 歯間ブラシを歯と歯の間に入れてみる。「がんなら、出血があるはずだ」と。以前、どこ
かの病院で、ドクターがそう言っていたのを思い出していた。「がんだとね、組織が破壊さ
れますから、出血があるはずです」と。

 しかし出血はなかった、が、よく見ると、金冠の下、つまり歯ぐきと、金冠の間のすき
間に、小さな薄茶色の穴が見えるではないか! 虫歯! そうだ、虫歯! 歯の側面から、
虫歯になっていた!

 とたん、安堵感で、胸のつまりが消えた。「ナーンダ、虫歯だア!!」と。

 「虫歯だよ、これは!」
 「でしょ、だったら、歯医者へ行ってきたら?」
 「うん、そうだな。風邪の様子をみてから行くよ」
 「そうね」と。

 で、その日は、歯医者へ行かなかった。昨日も、行かなかった。で、そのまま今日にな
った。時計は、午前8時、少し前。あれからも、ずっと、ズーン、ズーンとした痛みが、
ときおり、つづいている。これから行きつけの歯医者に電話をして、そこへ行くつもり。

 しかし心気症というのは、いやなもの。いつも早合点と、取り越し苦労。この繰りかえ
し。ときどきこう思う。「死神よ、そんなにぼくをいじめるなら、さっさと殺しに来い!」
と。

 が、ひとつだけ、変化がある。若いころとくらべると、「死」への恐怖感が、変わってき
たということ。若いころは、一度心気症になると、居ても立ってもおられなかったが、つ
まりそのままあわてて病院へ駆けこんだものだが、今は、ちがう。

 「勝手にしろ」という、どこか投げやりな気持ちも生まれてきた。「まあ、今まで健康に
生きてこられたのだから、文句はないだろう」と、自分をなぐさめる気持ちも生まれてき
た。多少、「死」への覚悟もできてきたということか。

 そして今。私は、改めて健康で生きている自分が、うれしい。「今日こそは、悔いのない
人生を、思う存分生きてみる」と、そんな思いさえわいてくる。心気症というのは、悪い
ばかりではないようだ。
(はやし浩司 心気症 不安神経症 強迫神経症)

【追記】

 やはり虫歯だった。金冠の中の詰め物が、欠けていたという。そこから虫歯が進んだら
しい。

 で、その治療中、正確には、麻酔をかけられ、歯科助手の若い女性が、歯の間の歯石を
取ってくれている間、不思議な経験をした。

 それはうっとりとするほど、気持ちのよいひとときだった。カリコリ、カリコリと、歯
石を削る音がする。そのたびに、その女性の胸が、頭に触れる。強いライトが、春の陽気
を思わせる。縁側で日なたぼっこをしているような気分にさせる。

 そのときだ。私の目の中に、女性のS器が、超リアルに浮かんできた。最初は、まぶた
の模様が、強いライトで、そう見えたのかと思った。しかしそのうち、それがより鮮明に
なってきた。たしかに女性のS器だった。何度も確かめたが、女性のS器だった。

 いつものような卑猥(ひわい)感は、まったく、なかった。もちろん美しいとか、美し
くないとか、そういう感じもなかった。ただどういうわけか、女性のS器が、至近距離で、
超リアルに見えてきた。どうリアルだったかということについては、ここには書けないが、
ともかくも、リアルだった。

 あるいはひょっとしたら、胎児のころの記憶が、麻酔の作用で、呼び起こされたのかも
しれない。……しかし、胎児はまだ目が見えないはず。

 麻酔のせいだろうか? それとも私に頭にときおり触れる女性の胸のせいだろうか? 
それとも強いライトのせいだろうか? 私は、半分、夢を見ていたのかもしれない。とも
かくも、それは不思議な経験だった。

 あとでそのことをワイフに話すと、ワイフも、「きっと麻酔のせいよ」と言った。そして
こう言った。「あなた、そんなことマガジンに書いてはだめよ」と。

 「しかしね、これは不思議な経験だ。だれかが書きとめておかないといけない。きっと、
同じような経験をしている人は、多いはずだよ」
 「でも、へんね。どうしてそんなものが見えたのかしら?」
 「女性だとね、きっと、ペニスか何か、そんなものが見えてくるのかもしれないね」
 「そんなこと、ないわよ。絶対に!」と。

 春は近い。そのあと家に帰ると、強い睡魔に襲われた。それはまちがいなく、かけられ
た麻酔のせいだと思う。コタツに入ると、そのままウトウトと眠ってしまった。

【補記】

●強迫神経症(こだわり)

 何かのことで不安になると、その不安が、ペッタリと頭にくついてしまう。そしてその
不安を消すために、(そんなことでは決して消せないのだが)、何か儀式的な行為を何度も
何度も繰りかえすようになる。

 子どものよく見られる、手洗いぐせ(潔癖症)も、そのひとつ。「手にばい菌がついた」
「手のばい菌が、取れない」などと言って、手を洗ってばかりいる。トイレから帰ってき
た父親に対して、「パパは、きたないからさわらないで!」と泣き叫んだ子ども(年長女児)
もいた。その子どもは、手の皮膚が破れるほどまでに、暇さえあれば、繰りかえし、石鹸
をつけて手を洗っていた。

 こうした症状を、強迫神経症という。心理学の本などによると、不安神経症のひとつに
位置づけられている。大きなちがいは、何かの儀式的行為をともなうこと。宗教の世界で
も、同じようなことを経験する。

 ある女性は、毎日3~5時間、仏壇の前に座って、念仏を唱えていた。また別の女性は、
同じように、目をさましているときは、手に数珠を握って、それを指先でクルクルと、何
やら呪文のようなものを唱えながら、回していた。そうすることによって、不安を紛らわ
しているというよりは、そういう行為そのものが、やめられないといったふうであった。
念仏を唱えていた女性は、「やめると、バチがあたって、地獄へ落ちる」と本気で信じてい
た。

 こうした症状を示す子どもの特徴としては、何かのものやことに対して、(こだわり)を
もつこと。その(こだわり)の内容は、そのときどきによって、変化することもある。母
親が、ベッドの位置をほんの少し動かしただけで、「精神状態がおかしくなってしまった」
(母親談)子ども(中学男子)もいた。

 この先のことはよくわからないが、今では、(こだわり)を和らげるための、新しい薬も
開発されているとのこと。症状があまりひどいようであれば、一度、心療内科か精神科の
ドクターに相談してみるとよい。
(はやし浩司 手洗い癖 潔癖症 強迫神経症 不安神経症 こだわり はやし浩司 子
供のこだわり)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●崖に立たされた日本経済(2011年2月12日記)


+++++++++++++++++


「サドン・デス」という言葉がある。
スポーツの世界での言葉である。
映画にも、そういう題名のがあった。
つまり「突然死」。

日本の国家経済が破綻するとき。
それは突然、やってくる。
つまりサドン・デス。
過去の歴史の中でも、じわじわと
国家破綻した例は、一度もない。
ワーッと始まり、ワーッと終局を迎える。
それが国家破綻(=債務超過)。
「デフォルト」。


+++++++++++++++++

●日経新聞より

 まず、日本経済新聞を並べて読んでみる。(2月12日)

+++++++++++以下、日経新聞より+++++++++++


●公的債務残高


 公的債務残高の国内総生産(GDP)比率は200%超と、主要国の中では突出して高い。
S&Pはこの比率が20年半ばまで悪化し続けると予想。国と地方の基礎的財政収支を20
年度に黒字化するとの政府目標は「大規模な財政再建策が実施されない限り、達成できな
い」と分析した。

 財務省の試算によると、長期金利(新発10年物国債利回り)が1%上昇した場合、利払
い費を含む国債費は12年度に1兆円、13年度に2.5兆円、14年度に4.2兆円それぞれ増
える。

 野田佳彦財務相は格下げ発表を受け「節目、節目で財政規律を守るメッセージを出して
いくことが重要だ」と語った。(日経・1・27・2011)


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司


●ガラガラポン


 「ずるずると債務残高が積み上がり、マクロ経済もパッとしないとなると、もう一回(格
下げを)検討せざるを得ないリスクはある。上にいくシナリオは、何らかの形で税制や年
金制度改革で政治的な妥協が図られる場合だ。日本の社会保障制度は高度成長や人口増を
前提にしたモデル。このあたりでガラガラポン(大改革)すべきだ」(日経新聞・1・30・
2011)


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司


●217%


 「日本の公的債務残高が先進国の歴史上、最悪の水準に迫りつつあることが分かった。
国際通貨基金(IMF)によると、地方も含む一般政府の債務残高は2009年に名目
国内総生産(GDP)の217%に達し、統計で確認できる1875年以降で最悪となった。
このまま債務が増え続けると、5年程度で第2次世界大戦直後の英国を抜き、先進国史上、
最も悪い状況に陥る可能性がある」(日経新聞・2・12・2011)


+++++++++++以上、日経新聞より+++++++++++

●国家破綻

 では、いつか。
いつ日本は、破綻を迎えるか。

(1)日本政府が、予算を組めなくなったとき。
(2)国債の買い手が、つかなくなったとき。

 その時期は、この4月期と10月期と言われている。
が、その不安が市場を襲ったとき、国家破綻は、一気に起こる。
何度も書くが、日本の国家破綻は、可能性の問題ではなく、時間の問題。
確実にやってくる。

 が、救済方法がないわけではない。

(1)大増税
(2)社会保障費の大幅削減

 しかしどちらも、今の政局を見るかぎり、実現困難。
大増税をすれば、……たとえば消費税を20~50%にするとか……、そうでなくても
目下、この日本は大不況下。
経済活動は、さらに萎縮する。

 社会保障費にしても、年金の一元化すら、ままならない。
足や腰の曲がった老人が、3か月ごとに100万円の札束を手にする一方、我々のように、
63歳になった今も、1円も手にできない人も多い。
65歳からもらっても、月額6万4000円足らず!

 こういう不公平を野放しにし、何が行政改革だ!……ということになる。

 今、この日本に必要なのは、強力な内閣。
超強力な内閣。
官僚たちの不満や抵抗を、吹っ飛ばすほど力のある内閣。
しかし現状は、?????。
訳のわからない内部紛争に明け暮れている。

●札が紙くずに

 皮肉なことに、破綻するなら破綻するで、1日も早いほうがよい。
自己破産に似ている。
1日延ばしを繰り返すたびに、借金は、雪だるま式にふえていく。
そのツケは、結局は、役人をのぞく、国民にのしかかってくる。

 国債が信用力を失えば、それを大量にかかえている銀行、証券会社は、倒産する。
銀行や証券会社が倒産すれば、会社が倒産する。
(役所は倒産しない!)
人々は失業者となって、街にあふれる。
(役人は失業者にはならない!)
 株価は暴落し、ハイパーインフレが始まる。
(役人の給料だけは、物価スライド制によって、増額される。)

円は暴落し、90%以上を輸入に頼っている食料品が値上がりする。
わかりやすく言えば、「札」が紙くずと化す。
一説によると、1ドルは1000円近くまで暴落するという(某経済評論家)。
当然、原油も、現在より、12倍高騰する。
現在リッター140円前後(レギュラー)だから、単純に計算しても、
6倍の約1000円になる。
(ガソリンのばあい、約50%が税金。)

 それが起こるのは来週かもしれない。
しかし2年後ということはない。
「この1~2年以内」ということは確実。
今のままでは、もう救いようがない。

が、私のようなド素人でも、この程度のことがわかるようになった。
そういうときが、あぶない。
日本の経済は、この3月を乗り切ることはできないのではないか。
私はそう心配している。

●現物資産

 この道に詳しい友人に電話をかけてみた。
その結果、「土地、金、資源」を「現物資産」というらしい。
しかし土地については、逆に暴落する可能性もあるとか。
加えてこの日本では、すでに投資として、土地を買う人はいない。
「20年分の税金と、土地の価格は同じ」(友人談)と。
つまり20年間、土地を保有していると、土地の価格と、それに支払う税金額は同じ
になる、と。

また売れば100%、税務署に把握される。
20%~40%の所得税が課せられる。
遺産相続も楽ではない。
週刊誌情報によれば、相続税を80%にするという案も出ているとか。

また資源といっても、庭に、鉄くずを積むわけにもいかない。
そうなるとやはり「金(ゴールド)」ということになる。

 しかしこのところ、金の売買も、うるさくなってきた。
どううるさいかは、実際、自分で金の売買をしてみればわかる。
身分証明書だの、印鑑だの、そういう手続きをしないと、売買できなくなってきた。
それに常識で考えても、あんな小さな金塊が、1キロ400万円弱というのは、
おかしい。
どう考えても、おかしい。
1キロバーで、ふつうの小型車だったら、2台も買える!

 いちばんよい方法は、現在タンス預金をしている人たちが、イチ・ニのサンで、
いっせいに約半分を浪費すること。
市中に放出すること。
それで市場が活性化する。
しかしこの方法には、現実性がない。

●国家破綻
 
 みなが「あぶない」と思ったときが、あぶない。
けっして私がそれを助長しているわけではない。
しかしあぶない。

 ……ということで、現在、金(プラチナ)価格は、不気味な上昇をしつづけている。
10年ほど前には、一時、グラム1000円になったこともある。
それが今は、4000円弱。
とても手が出る価格ではない。
ないが、それでも上昇をしつづけている。

 かといって、私たちの資産は、私たち自身で守るしかない。
そこで自分なりに、いろいろと考えてみる。

(1)銀行などに預けておく現金は、必要最小限にする。
   かならず1000万円以下にしておくこと。
(2)証券会社に預けておく現金(MMFなど)も、必要最小限にする。
(3)ネット証券はどうか? ……私にはよくわからない。
   わからないから、私なら手を引く。
   倒産したとき、そのあとがめんどう。
   会社の所在地すら、はっきりしていない。
(4)売り先が確実ならよいが、そうでないなら、今は、土地に手を出してはいけない。
(5)貴金属の売買については、信用のある店でする。
   町中にある「貴金属買います」という店だと、高く売りつけられるか、安く買い
   叩かれる。
   店によっては、「鑑定料?」という料金を5~20%も取られる。

 いろいろ考えるが、以上は私というド素人の意見。
あとはみなさんご自身の判断を加味して、利用してほしい。
「はやしって、バカなこと書いている」と思ってもらってもよい。
(しかし私は、あのリーマンショックを、ほぼ1年前に予測していたぞ!)

ともかくも、今や日本経済は、存続のがけっぷちに立たされている。
その危機感だけは、しっかりともったほうがよい。
2011/02/12記


Hiroshi Hayashi+++++++Feb. 2011++++++はやし浩司・林浩司


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【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●佐久間象山(1811~1864)と皆神山(長野県長野市)

++++++++++++++++++++

こんなロマンがある。
つまりおとぎ話。
その話というのは……。

佐久間象山という幕末の学者がいた。
幕末の志士たちに、大きな影響を与えたとされる。
その中には、吉田松陰、勝海舟、坂本竜馬
などがいた。
とくに勝海舟とは縁が深い。
勝海舟の妹の順が、佐久間象山の妻である。

たいへんな学者で、国家論のみならず、ガラスの
製造法、電話の研究、地震予知機まで研究して
いたという。

その佐久間象山の生まれ故郷が、長野県松代。
現在は、長野県長野市になっている。
その松代。
ワイフに、「一度は行ってみなければいけないね」と
言うと、「どうして?」と。

+++++++++++++++++++

●皆神山

 松代には、不思議な山がある。
ピラミッドのようでもあるが、上部半分が、火山口のようにもなっている。
名前を「皆神山」という。
昔からその山の地下に、3キロx1・6キロの大空間があるとされる。
人工的に造られた山という説もある。
ウソか本当か?

 今では、インターネットを使えば、簡単に調べられる。
YOUTUBEで、「皆神山」を調べると、ズラリと画像が並ぶ。
その皆神山と佐久間象山の関係は、わからない。
ただ佐久間象山が、そのあたりで、生まれ育ったというだけである。
が、ここで私が「不思議な山」というのは、地下の大空間のことを言うのではない。
実は、皆神山というのは、UFO研究者たちの間では、UFOの出没地として
よく知られているということ。
(以上、「UFOエイリアン」(ダイアプレス参考))。

●佐久間象山

 佐久間象山の写真(国会図書館蔵)を見て、まず驚くのが、その日本人離れした顔。
長い顔。
大きく鋭い目。
日本人というよりは、アラブ系もしくはユダヤ系。
耳たぶが頭部にぴったりくっついているのか、写真では、両耳が見えないこと。
佐久間象山は、遺伝子操作によって宇宙人によって作られた人間……。
……と書くと、何となくあやしげなエッセーになってくる?
しかしこれはロマン。

width="247" height="347" alt="39-10.jpg">

ウィキペディア百科事典には、こうある。

「……象山は兵学のみならず、西洋の学問そのものに大きな関心を寄せるようになる。
ガラスの製造や地震予知器の開発に成功し、更には牛痘種の導入も企図していた。
嘉永6年(1853年)にペリーが浦賀に来航した時も、象山は視察として浦賀の地を
訪れている」と。

 SF小説的に考えだすと、思考が止まらなくなる。
おもしろいというより、ワクワクしてくる。
(ただしロマンの範囲で……。)

私「なあ、今度、長野へ行ったら、皆神山まで足を延ばしてみようか」
ワ「春になったら、ね」と。

 現在は雪の中。
それまでに資料集め。
(ただしロマンの範囲で……。)

●旅行(ロマンを求めて……。)

 ……というようなことを書いたが、佐久間象山がどうのとか、皆神山がこうのとか、
いうのではない。
ただ「こういう話は、おもしろい」という範囲での話。
同じ旅行でも、ロマンを描きながらするのと、そうでないのとでは、おもしろみがちがう。
たとえば伊豆の天城峠。
そこに一本のトンネルがある。
何の変哲もないトンネルだが、(どこにでもあるようなトンネルだが)、「踊り子」
(川端康成)が通ったトンネルと思うだけで、楽しさが倍増する。
それと同じ。

 近く大学時代の友人を訪問しながら、長野まで行く。
そのときここに書いたことを思い出しながら、そのあたりを旅をする。
おもしろさが、倍増するにちがいない。
ワイフと議論を重ねるのも、楽しい。
つまりそれがここでいう「ロマン」。

 佐久間象山は、ひょっとしたら、宇宙人だったかもしれない。
皆神山は、UFOの発着場であったかもしれない。
つまりそれがここでいうロマン。
おとぎ話。
もちろん本気で信じているわけではない。
(UFOの存在は、信じているが……。)

 今日は、2月2日。
将棋(PSP)をしながら、ウォーキングマシンの上で、30分、歩いた。
汗をかいた。
みなさん、おはようございます。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【相撲疑獄】(八百長事件)

●国技?

++++++++++++++++++

ときどき、子どもたち聞く。
「相撲を見ている?」と。
が、そのたびにみな、こう言う。
「見ていない」と。

私が知るかぎり、「相撲ファン」の子どもはいない。
ゼロ!

が、そんな相撲中継を、NHKは、毎日午後1時過ぎから、
6時前後まで中継している。
NHKと相撲協会。
何か、あやしい?
何か、臭い?

「国技」とは名ばかり。
ただの「興業」。
金儲けのための興業。
もちろんスポーツではない。

++++++++++++++++++

ちょうど1年前、こんな原稿を書いた。
2010年2月の日付になっている。

++++++++++++++++++

●おかしな投票(日本相撲協会の理事選挙)

+++++++++++++++++

相撲協会が、理事選挙を行った。
その結果を、まずよく見てほしい。

■理事選の各候補得票数

武蔵川 ・・・11票
北の湖 ・・・10票
出羽海 ・・・10票
放駒  ・・・11票
ニ所ノ関・・・11票
大島  ・・・ 8票(落選)
友綱  ・・・10票
陸奥  ・・・10票(新任)
鏡山  ・・・10票(新任)
九重  ・・・10票
貴乃花 ・・・10票(新任)

投票は、111人の評議員
(親方107人、力士2人、立行司2人)によって、
無記名で行われた。

++++++++++++++++

●まちがいさがし

 「まちがいさがし」という遊びがある。
2枚の絵を見比べながら、まちがいをさがす。
で、そのまちがいさがしをするような気持ちで、この投票結果をよく見てほしい。
何か、おかしい?
どこか、おかしい?

 投票は、無記名でなされたはず。
「投票」ということは、「投票」。
選挙である。
しかしこんな選挙があるか?
土建業者の談合でも、ここまではしない。

●インチキ選挙

 落選した大島は、8票。
が、残る1人は、全員、11票か10票!
きれいに、11票か10票!

 今回の選挙で注目されたのは、貴乃花。
当初、貴乃花を支持を表明したのは、親方6人だけと言われていた。
が、フタをあけてみたら、10票!
この票の動きも、どこか不自然。
もっと言えば、うさんくさい。

 あらかじめ支持を集めながら(?)、理事候補者たちが立候補した。
それはわかる。
しかし結果は、先に書いたとおり。

●闇の奥の日本相撲協会

 日本の相撲協会ほど、闇に包まれた協会はない。
巨額のお金が、その闇の奥で、乱舞している(?)。
ときどきその一端がマスコミに流れ、世間を騒がす。
それはそれとして、こういう選挙結果を見ると、相撲協会とは、いったい何なのか?
さらに踏み込んで言えば、国技とは何なのか?
そこまで考えてしまう。

 そこでさっそく、小学生を中心に、50人ほどの子どもたちに聞いてみた。
「相撲を見ている人?」と。
答は、ゼロ!
「相撲が好きな人?」と。
答は、ゼロ!

 にもかかわらず、NHKだけは、BS放送で、午後1時半前後から夕方6時前後まで、
いつも実況中継している。
NHKと相撲協会は、会長職でつながっている。

 「国技」ということは、わかる。
が、もちろんスポーツではない。
何も、ここまで保護しつづけなければならない理由などない。

 日本相撲協会の理事選挙の結果を見ながら、いろいろと考えさせられた。
つぎの選挙は、(今回が4期8年ぶりだったということを考えるなら)、8年後ということ
になる。
そのときは、もう少し自然な(?)、投票結果になるかもしれない。
こんなインチキ臭い選挙は、見たことがない。
聞いたこともない。
私が書いていることがおかしいと思うなら、もう一度、あなた自身の目で、「まちがいさが
し」をしてみてほしい。
もう一度、選挙結果を、よく見てほしい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 相撲協会 日本相撲協会 理事選挙)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●八百長事件

 相撲の八百長は、私が学生時代のころからうわさになっていた。
取り組みが終わると、下っ端が、現金を包んで部屋を走り回るというような話もあった。
が、そのたびに相撲協会は、「八百長はない」と。

 しかし今度ばかりは、逃げられない。
物的証拠が出てきた!

 日本経済新聞は、つぎのように伝える。

+++++++++++++以下、日経新聞++++++++++++++

高木義明文部科学相は3日午前の衆院予算委員会で、日本相撲協会の放駒理事長から同日
朝に八百長問題について報告があったと明らかにし「名前があがっている(13人の)力士
のうち、3人が八百長に関与したことを認め、新たに1人の力士の名前があがっている」
と述べた。

 文科相は「相撲協会は弁護士など専門家により徹底した調査を本日から行う。計14人の
力士については6日の理事会までに中間報告を終えて概要を報告する」と説明した。「事の
重大性に鑑み状況を踏まえて厳正に対処していきたい」とも述べた。自民党の斎藤健氏へ
の答弁。

+++++++++++++以上、日経新聞++++++++++++++

●相撲協会

 相撲協会の罪は重い。
またもや、「八百長は今回だけ」などと、うそぶいている。
だいたい「相撲協会からの報告」というのが、おかしい。
今回の八百長は、野球賭博事件を調べていた警察当局筋から明るみになった。
そこで相撲協会。
逃げるに逃げられなくなり、「調査」をした。
その結果が、日経の記事。

 億単位の現金が乱舞する、相撲の世界。
そういうものを「国技」と称して、保護する価値があるのか。
意味があるのか。
毎日実況中継する、意味があるのか。
過去……というより戦後、そのつど八百長疑惑が取りざたされ、そのつど「完全否定」。
逆に、それを追及したライターを逆告発。
裁判で勝ったことを理由に、「無実が証明されました」と。

 八百長などというものは、当事者が口をつぐんでしまえば、だれにもわからない。
こういうことを、繰り返しながら、今に至った。
即刻、「公益認定」を取り消すべきである。
何からなにまで、どんよりと腐った世界。
地元のC新聞は、「氷山の一角」という見出しをかかげた。

+++++++++++++以下、読売新聞++++++++++++++

枝野官房長官は3日午前の記者会見で、大相撲の力士が八百長への関与を認めたことに関
連し、「八百長が蔓延(まんえん)しているような法人であれば、公益認定を得ることは難し
い」と述べた。

 日本相撲協会は新公益法人制度のもとでの公益財団の認定を目指しているが、八百長が
常態化していることが明らかになった場合は認められないとの考えを示したものだ。

 また、枝野長官は日本相撲協会について、「うみをすべて出し、(八百長を行った力士ら
に)厳しい処置をとるよう、(所管する)文部科学省を通じて厳しくやってもらう」と強調
した。

+++++++++++++以上、読売新聞++++++++++++++

Hiroshi Hayashi+++++++Feb. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●2011年2月3日

●街まで歩く

++++++++++++++++++++++

このところ朝食以外は、外食ですますことが多くなった。
ワイフに仕事を手伝ってもらっていることもある。
そのため外食は、できるだけ安く、おしいものをさがす。
美食家といえば、美食家。

……といっても、その一方で、カロリー計算も
しなければならない。
それに「量」。
今、どこでも私たちには、量が多すぎる。
若い人たちを基準にしている。
もっとも量は、食べ残すという方法で対処できる。
しかし私たち団塊の世代には、それができない。
食べ残すということに、罪悪感を覚える。
罪悪感というよりは、損失感か?
だからどうしても一人前、食べてしまう。
つまり食べ過ぎ。

ときどきこう思う。
よくもまあ、この年齢になるまで、糖尿病に
ならなかったな、と。
本来なら、とっくの昔に、糖尿病になって
いてもおかしくない。
美食家の大敵は、糖尿病。

……ということで、このところ運動に気を遣っている。
昨日も、ワイフと2人で、街までの6キロを歩いた。
時間にして、ちょうど1時間。
コースは、自宅→西伊場→根上がり松(地名)まで。
大回りしたのは、途中の雑貨屋に立ち寄るため。
その近くで昼食。

根上がり松近くに、「コンコルド」という、
イタリアン・レストランがある。
Aさんという、私が幼稚園の講師をしていたころからの
友人が、経営している。
雰囲気、味、ともに最高!
ワイフも私も大満足。
で、そこからは、バスに。
Aさんと話し込んでしまった。
それでバスに乗った。
しかし楽しかった。

こうしたレストランでは、それはホテルや旅館にも
通ずることだが、「哲学(=ポリシー)」が大切。
それに本気度。
久々に、哲学と本気度を感じた。
帰り際、「お店の紹介を、HPでしていいですか?」と
聞くと、快く応諾してくれた。

店を出たとき、ぐっと懐かしさがこみあげてきた。
Aさんと知り合って、もう40年になる。
その40年前が、風のように目の前を通り過ぎていった。

コンコルド……浜松市の西、根上がり松から西へ
150メートルほどのところにある。

++++++++++++++++++++++

●暖かい

 今朝は5時ごろ目が覚めた。
肌で気温を感ずる。
「暖かい!」。

 そのまま起きて、ウォーキングマシンへ。
「ウォーキング」といっても、小股で走ることが多い。
いつもは30分と決めているが、今朝は、10分。
早く書斎へ入りたかった。

●花粉症

 目が覚めたとき、鼻の奥がツンツンと痛かった。
花粉症の始まりである。
先週あたりから、様子がおかしかったが、ここにきてはっきりした。
花粉症である。
例年より、1週間程度、早い。

 が、私のばあい、最初の1週間程度で、症状が消えるようになった。
19年ほど前、全身に花粉を浴びるような事件があった。
たまたまその時期に、杉の木の植え替え作業をした。
それ以来、そうなった。
つまりそれまでは、この季節になると、地獄の苦しみを味わった。
こういうのを「減感作療法」というらしい。
GooのHPには、こうある。

「……免疫療法の一種で、今のところ花粉症を根本的に治す唯一の治療法とされています。
アレルギーを起こす花粉の抽出液(エキス)を少しずつ患者さんの体内に注射し、花粉に
対する慣れを体内につくってしまおうという方法です」(Goo HP)と。

 ただし私がしたような方法を、まねしないこと。
へたをすれば、命取りになるという。
専門医師に相談して、「少しずつ、慣れをつくる」(Goo HP)のが安全。

●映画

 この数週間、映画のことは、あまり書かなかった。
しかし劇場へ行かなかったわけではない。

 最近観た映画は、「RED」「ソーシャル・ネットワーク」「グリーン・ホーネット」
「アンストッパブル」。
すべて現在も上映中。
つまりめぼしいものは、すべて観ている。
で、今日から、「ウォール・ストリート」が始まる。
近く、「ヒア・アフター」が始まる。
楽しみ。

 ついでながら、私の星評価。

「RED」……★★★(できすぎ)
「ソーシャル・ネットワーク」……★★(ただのストーリー映画)
「グリーン・ホーネット」……★★(飛びすぎ)
「アンストッパブル」……★★(ハラハラ度が低い)

 ちょっときびしいかな?

 私たち夫婦は、ボケ防止を意識し、週に1、2度は劇場へ足を運んでいる。
「映画を楽しむ」というよりは、「ボケ防止」。
本当にボケ防止になっているかどうかはわからない。
が、映画はたしかに脳みそを刺激する。
つまり肉体の運動と同じ。

●胃カメラ

 来週、胃カメラを飲むことになっている。
軽い逆流性食道炎がつづいている。
医師に相談すると、「一度は飲んでみたほうがいい」と。
それでそうなった。

 散歩のとき、それがワイフと話題になった。

私「なあ、もし胃がんが見つかったら、どうする?」
ワ「切れば、治るわよ」
私「切るのか?」
ワ「まだ早期でしょ」
私「症状が出ているから、もう早期ではないよ」
ワ「今は、がんで死ぬ時代ではないわよ」と。

 ワイフのよいところ。
何ごとも、楽天的。
ワイフのような人間は、うつ病にはならない。
うらやましい。

 で、私のばあい、死ぬのがこわいのではない。
死ぬまでのプロセスがこわい。

「命」というのは、皮肉なもの。
生きるのもたいへん。
しかし死ぬのも、これまたたいへん。
簡単には死なせてくれない。
そのプロセスがこわい。

 独居老人→無縁老人→孤独死。
その「孤独」がこわい。

●ニュースより

(日本の相撲)

 日本の相撲が、揺れている。
激震というより、「やっと……」という感じ。
あの世界は、何からなにまで、うさん臭い。
日本相撲協会は、「八百長は今回だけ」「うみをすべて出す」というようなことを
言っている。

アホ!

だれがそんな話を信ずるか。
うみをすべて出したら、残るのは「皮」だけ。

(エジプト)

 揺れていると言えば、エジプト。
それに民主党。
誤解していけないのは、頂点に立つ権力者というのは、いわば「象徴」。
御輿(みこし)で言えば、御輿。
それを担(かつ)ぐ人間がいるから、御輿が御輿になる。
そういう意味では、頂点に権力者というよりは、それを担ぐ人間のほうが、悪(ワル)。
自分は権力者の陰に隠れて、身の保全を図る。
利益をむさぼる。

 ムバラク大統領にも、小沢一郎氏にも、そういう取り巻きがいる。
そういう取り巻きを崩さないかぎり、政治は変わらない。

(新燃岳)

 それにしてもすごいのが、新燃岳。
爆発。
ワイフに「見に行きたいね」と言うと、叱られてしまった。
「不謹慎よ」と。

 たしかにそうかもしれない。
しかし見たいものは、見たい。
上空2000~3000メートルまで煙があがっているという。
「すごいだろうな」と思ったところで、思考停止。
たしかに不謹慎。

ワ「それにあぶないわよ」
私「そうだな……」
ワ「みんな避難しているというのに、わざわざ見に行くなんて……」
私「そうだな……」と。

 自分の声が、だんだんと小さくなっていくのがわかる。
しかし私には、こんな経験がある。

(伊勢湾台風)

 私は子どものころ、台風が好きだった。
台風が来るのが、楽しみだった。
伊勢湾台風がやってきたときも、私は風向計を作って、遊んでいた。
が、そこへ直撃。
台風の目が、まともに私の住む町を通過した。

 で、そのバチが当たったというか、窓ガラスが割れ、足を大けがするハメに。
今も右足に、そのときの傷跡がはっきりと残っている。
ウィキペディア百科事典には、こうある。

「1959年(昭和34年)9月26日、後に伊勢湾台風と呼ばれる台風15号の接近の為小学
校の運動会は中止となる。
その後、台風は勢力を強め紀伊半島潮岬に上陸、東海地方に甚大な被害をもたらしていた。
伊勢湾は満潮と台風の高波で決壊、木材を押し流し家々を破壊、そして大勢の人々も一緒
に飲み込んでゆく。
ついにはひかり一家も流されるが、ひかりは愛犬の命がけの行動によって翌日神社の大木
にひっかかっているところを発見され無事救出される。
しかし両親や利夫は助からなかった」(映画「伊勢湾台風物語」より)と。

 昭和34年ということだから、私が12歳のとき。
小学6年生ということになる。
しかしこの話は、私だけの秘密だった。
つまり「台風が好き」ということは、その前にもだれにも言わなかった。
伊勢湾台風以後は、さらにだれにも言わなかった。

 しかし、である。
15年ほど前に知り合った、アメリカ人(元高校教師)が、そのときこう言った。
「ヒロシ、ぼくは台風が好きだよ。
台風がやってくると、ベランダに椅子を並べて、それを見ているよ」と。
彼は高層マンションの8階当たりに住んでいた。

 この話を聞いたときには、驚いたというよりは、うれしかった。
「ナーンダ、私だけではなかった!」と。

 で、それ以来、ときどき生徒たち(幼児や小学生)にこう聞く。
「みんなは、台風が好きか?」と。
するとほとんどの子どもたちが、こう答える。
「好き」と。

 理由を聞くと「学校が休みになる」とか、そういうことらしいが、それを聞いて、
私はほっとした。
私は長い間、私の頭はおかしいと思っていた。
「台風が好き」というのは、どう考えても、まともではない。
それに台風といっても、伊勢湾台風のような台風は、例外。
この浜松では、この数十年、台風による被害らしい被害は、ほとんど起きていない。
それもある。

 もっとも私自身は台風の恐ろしさをよく知っている。
伊勢湾台風が、よい経験になった。
だから今でも、台風が近づくたびに、過剰とも言えるほど過剰な防御策を取る。
言い替えると、この浜松の人たちは、無防備過ぎる。
むしろそちらのほうが、心配。

 「台風が好き」と言っても、その範囲での話。
「新燃岳を見たい」と言っても、その範囲での話
つまり「被害が楽しい」と言っているのではない。
どうか誤解のないように!

●おもしろい現象

 現在、私の教室に、ずば抜けて頭の切れる女子(中2)がいる。
鋭いというか、論理的で、少しでも矛盾を覚えると、すかさず私を攻撃してくる。
進学校でも、学年トップクラスの成績を修めている。
その女子の名前を、(尊敬の念をこめて)「Nさん」という。

 そのNさんだが、意外なことに、まじないや占いを信じている。
先日も手相の話をしてやったら、(私自身は、まったく信じていないが)、それを本気に
してしまった。
あらかじめいろいろな情報を別のところから仕入れておいた。
その情報をもとに、「君は……」と。
いろいろと言い当ててやった。

 言うなれば手品のようなものだが、Nさんは、それを信じてしまった。

私、Nさんの手のひらをまじまじと見ながら、「君は……!」
N「何よ、言ってよ!」
私「……言えない」
N「だから、どうなのよ!」
私「言わない方がいい。君も聞かない方がいい……」
「ぼくには君の未来がわかる。だから言わない方がいい……」と。

 Nさんは、それを気にした。
私は遊びのつもりだったが、そのあと、Nさんは勉強どころではなくなってしまった。
そんな感じだった。
ときおり私の方を見て、「どうだったの。教えて。私はどうなるの?」と。
今にも泣きべそをかきそうな雰囲気だった。

 私には、Nさんが、どんな反応を示すか、そちらのほうに興味があった。
ふだんは知性と理性のかたまりのような女子である。
活動的で行動的。
そんなNさんが、手相を信じる?

(脳のエアー・ポケット)

 脳には、エアー・ポケットのような部分がある。
言うなれば「盲点」。
そのことを知ったのは、あるカルト教団の信者と話していたときのこと。
一流大学の理科系の卒業者でも、ある日突然、カルト教団の信者になってしまう。
ほんの少し、常識を働かせれば、「おかしい」と思うようなことでも、わからなく
なってしまう。
それこそ、バチとかタタリとか、そんなことを信じてしまう。
そういうことは珍しくない。

 そういった現象を説明するのが、「エアー・ポケット論」である。
そこへ入ると、知性や理性がそのままどこかへ吹き飛んでしまう。
合理的にものを考えることができなくなってしまう。

(翌朝)

 私は翌朝一番に、Nさんの家に電話を入れた。
父親が出た。
私は事情を話した。
「Nさんが、本気にしてしまうと困るので、早めに説明しておきます。
今夕、Nさんが学校から帰ってきたら、あれは手品だったと、どうか伝えてください」と。

 父親はすぐ納得してくれた。
そしてこんな話をしてくれた。

「Nはね、小学5年生ごろまで、サンタクロースを信じていたんですよ。
それにね、昔の写真……ほら、昔の写真って、白黒でしょ。
それを見てね、昔は白黒の時代だったと信じていたんですよ」と。

 つまり、(頭のよさ)と(脳のエアー・ポケット)とは、別。
頭がよいから、カルトにハマらないということはない。
頭が悪いから、カルトにハマりやすいということもない。
言い替えると、エアー・ポケットはだれにでもある。

 Nさんを見ていて、そんなことを考えた。

●ワイフはテニスに

 朝食後、ワイフはクラブに出かけて行った。
私はひとり、書斎に残された。
軽い睡魔が、私を襲う。
心地よい眠気。

 ひとつだけ困ったことがある。
現在ワードを使って文を書いているが、いつの間にか、上書きモードになってしまった。
以前は(ツール)の(オプション)から、モードを変更できた。
が、今はそれができない。
どうすれば(挿入モード)に戻せるか。

 言語バーを、(IME2007)から(ATOK2007)に変更してみたが、だめ。
一度ワードを閉じ、再び立ち上げてみたが、だめ。
「どうしたらいいのか?」と考えながら、この文を書いている。
パソコン自体を、再起動すればたぶん、再び(挿入モード)に戻るとは思うが、現在、
YOUTUBEに動画をアップ中。

 機能が複雑になった分だけ、ときどきこうしたトラブルが起きる。
かえって簡単なことができなくなってしまう。
ワードだけではない。
カメラにしても、ビデオカメラいしても、さらに携帯電話にしても、そうだ。
 
 ……少し眠ってきます。


Hiroshi Hayashi+++++++Feb. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●世界経済(2011年という年)

 まずアメリカ!
それにつづいて、日本、EUが、札(=マネー)を大増刷した。
世界中にバラまいた。
その総額、100兆円とも、それ以上とも言われている。
(アメリカだけで100兆円という説もある。)

 おかげで世界は、ダブダブのお金漬け。
ジャブジャブというより、ダブダブ。
(どちらも同じようなものだが……。)

 で、困ったのは、中進国以下。
中進国以下の国々。
「我も、我も……」と自国通貨を印刷し始めた。
が、悲しいかな自国以外では通用しない。
そのため、インフレ。
ハイパーインフレ。
物価は上昇、食糧の輸入もままならなくなった。
わかりやすい例として、北朝鮮がある。
この1年間だけで、米の価格が50倍も、はね上がったという。

 では、なぜアメリカや日本では、インフレが起きないか?
貨幣価値がさがらないか?
つまりその分だけ、ドルや円が強いということになる。
世界中が、ドルや円をほしがっている。

絵画にたとえてみると、それがよくわかる。
「ピカソ」という署名があるだけで、絵は売れる。
「○△xx」という名前では、絵は売れない。
わかりやすく言えば、先進国には、インフレを吸収するだけの余力がある。
食糧価格にしても、少しくらいならあがっても、どうということはない。

●中進国以下が犠牲に

 結局、しわ寄せは、中進国以下に集まる。
中進国以下の「国々」に集まる。
不況と失業、加えて物価高。
とくに食料品の不足と価格の高騰は、影響が大きい。
直接、市民生活に大きな打撃を与える。
今回のエジプトの騒乱は、起こるべくして起きた騒乱ということになる。

が、エジプトだけで収まるとは、だれも思っていない。
端的に言えば、中進国以下の国々が、先進国の犠牲になる。
そういう「構造」になっている。
今後、こうした騒乱は、世界中で起きる。

 で、私たち日本人は、ひょっとしたらこう思うかもしれない。
「日本人でよかった!」と。
日本は今のところ、一応「先進国」として、その地位を保っている。
(いつ、コケるかわからないが……。)
「円」を増刷しても、それをほしがる人がいる間は、安泰。
が、ここで忘れてはいけないことが、2つある。

(1)ここにも書いたように、私たちの今の生活は、中進国以下の国々の犠牲の
上に成り立っているということ。

(2)やがて回り回って、先進国にも、その影響が及んでくるということ。
すでに北海油田の原油価格は、1バレル、100ドルを突破した。
世界情勢が不安定になれば、世界経済も狂い始める。

●2011年

 今は、まだよい。
ここに書いたような「構造」に、まだ気がついていない。
中進国以下の人たちには、まだそれがわかっていない。
エジプトにしても、抗議の矛先は、ムバラク大統領に向かっている。
アメリカや日本にではなく、ムバラク大統領に向かっている。
しかしやがて気がつく。
「なぜ、私たちは貧しいのか?」と、
それを、そのうち考えるようになる。
そしてその先に、アメリカや日本、EUがいることを知る。
そうなったとき、果たして、アメリカや日本、EUは、どうなるか?
アメリカや日本が、無事でいられるとは、私には思えない。

 アメリカは、(日本もその仲間だが)、本当にズルイ国だと思う。
自国さえよければ、それでよい、と。
自国の救済しか考えていない。
つまり自分勝手。
なりふり構わず、ドルを大増刷している。
その結果、世界を犠牲にした。……している。

 1月に入ってから、アルミ、銅などの素材金属の価格が上昇している。
ジリジリとさがりつづけていた金価格も、エジプト騒乱を境に、上昇に転じた。
ガソリンの価格も、それに同調し始めている。
日本の経済破綻についても、「可能性の問題ではなく、時間の問題」と
ささやかれている。
もしそうなったら、円キャリーで流出した「円」が、日本に逆流する。
わかりやすく言えば、円の大洪水。
それが始まる。
某経済誌によれば、そのため円は大暴落。
1ドルが、300~400円になるという。
もちろんハイパーインフレ。
「タクシーの初乗りが、1万円になるだろう」(某経済誌)と説く学者もいる。

 つまり2011年は、日本にとっても、たいへんな年になりそう。
それがこの2月になって、いよいよはっきりしてきた。

(注:私という、ド素人の書く経済論なので、本気にしないでほしい。
そのためこのままボツにしようかと思ったが、このままBLOGに掲載する。)


Hiroshi Hayashi+++++++Feb. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●日本相撲協会(疑惑の理事会選挙)

++++++++++++++++++

数日前、日本相撲協会の批判記事を書いた。
BLOGに載せた。
が、その反響というか、アクセス数に驚いた。
いつもの倍以上。

Goo-Blog、楽天など、いつもなら
合計で3000~4000件(1日)だったのが、
1万件を超えた!

つまりそれだけ反響があったということ。
読者のみなさんの関心が大きいということ。

私は、「日本相撲協会ほど闇に包まれた世界はない」と
書いた。
そのひとつが、あの理事会選挙。
昨年(2010年)の2月に書いた原稿を、
再掲載する。

つまりこの理事会あって、日本相撲協会。
その日本相撲協会あって、今回の八百長事件。
テレビでは、八百長相撲をそのまま紹介していた。
あらかじめ示し合わせた通りの、八百長相撲。
八百長を八百長とも知らず、それを解説してみせた
NHKの解説者が、今回ほど、ピエロに見えたことはない。

+++++++++++++++++++

●疑惑の理事会選挙(2010年2月の原稿より)

++++++++++++++++++

●おかしな投票(日本相撲協会の理事八百長選挙?)(改)

+++++++++++++++++

相撲協会が、理事選挙を行った。
その結果を、まずよく見てほしい。

■理事選の各候補得票数

武蔵川 ・・・11票
北の湖 ・・・10票
出羽海 ・・・10票
放駒  ・・・11票
ニ所ノ関・・・11票
大島  ・・・ 8票(落選)
友綱  ・・・10票
陸奥  ・・・10票(新任)
鏡山  ・・・10票(新任)
九重  ・・・10票
貴乃花 ・・・10票(新任)

投票は、111人の評議員
(親方107人、力士2人、立行司2人)によって、
無記名で行われた。

++++++++++++++++

●まちがいさがし

 「まちがいさがし」という遊びがある。
2枚の絵を見比べながら、まちがいをさがす。
で、そのまちがいさがしをするような気持ちで、この投票結果をよく見てほしい。
何か、おかしい?
どこか、おかしい?

 投票は、無記名でなされたはず。
「投票」ということは、「投票」。
選挙である。
しかしこんな選挙があるか?
土建業者の談合でも、ここまではしない。

●インチキ選挙

 落選した大島は、8票。
が、残る1人は、全員、11票か10票!
きれいに、11票か10票!

 今回の選挙で注目されたのは、貴乃花。
当初、貴乃花を支持を表明したのは、親方6人だけと言われていた。
が、フタをあけてみたら、10票!
この票の動きも、どこか不自然。
もっと言えば、うさんくさい。

 あらかじめ支持を集めながら(?)、理事候補者たちが立候補した。
それはわかる。
しかし結果は、先に書いたとおり。

●闇の奥の日本相撲協会

 日本の相撲協会ほど、闇に包まれた協会はない。
巨額のお金が、その闇の奥で、乱舞している(?)。
「年寄株」が数億円で売買されているという話も、聞いたことがある。
(数億円だぞ!)
ときどきその一端がマスコミに流れ、世間を騒がす。
それはそれとして、こういう選挙結果を見ると、相撲協会とは、いったい何なのか?
さらに踏み込んで言えば、国技とは何なのか?
そこまで考えてしまう。

 そこでさっそく、小学生を中心に、50人ほどの子どもたちに聞いてみた。
「相撲を見ている人?」と。
答は、ゼロ!
「相撲が好きな人?」と。
答は、ゼロ!
(どうしてそういう相撲が、文科省の管轄になっているのか?
それもおかしい?)

 にもかかわらず、NHKだけは、BS放送で、午後1時半前後から夕方6時前後まで、
いつも実況中継している。
NHKと相撲協会は、会長職でつながっている。
(何か、臭いぞ!)

 「国技」ということは、わかる。
が、もちろんスポーツではない。
何も、ここまで保護しつづけなければならない理由などない。

 日本相撲協会の理事選挙の結果を見ながら、いろいろと考えさせられた。
つぎの選挙は、(今回が4期8年ぶりだったということを考えるなら)、8年後ということ
になる。
そのときは、もう少し自然な(?)、投票結果になるかもしれない。
こんなインチキ臭い選挙は、見たことがない。
聞いたこともない。

私が書いていることがおかしいと思うなら、もう一度、あなた自身の目で、「まちがいさが
し」をしてみてほしい。
もう一度、選挙結果を、よく見てほしい。

これこそまさに「八百長選挙」ではないか。
某力士は、メールの中で、こう言っていた。
「私らのやることなど、かわいいもんです」(報道)と。
私には、その意味が、よくわかるのだが……。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 相撲協会 日本相撲協会 理事選挙 疑惑の八百長選挙)

Hiroshi Hayashi+++++++Feb. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●八百長

 八百長と相撲との関係は、深い。
「八百長」という言葉は、もともと「相撲の世界」から生まれた。

 広辞苑には、こうある。

「明治初年、通称八百長という八百屋が、相撲の年寄某との碁の手合わせで、
常に一勝一敗になるように、あしらったことに起こるという。

(1)相撲や各種の競技などで、一方が前もって負ける約束をしておいて、うわべだけの
勝負を争うこと。
なれあい試合。
(2)転じて、内々示し合わせておいて、なれあいで事を運ぶこと」と。

 で、それについて日本相撲協会は、「八百長は、今回が初めて」という煙幕を
盛んに張っている。
が、それを信ずる人はいない。
(私も、信じない。)
そればかりか、昨年、八百長相撲を指摘したライターを、逆告発までしている。
厚顔無恥とは、まさに現在の日本相撲協会のような団体をいう。
その罪は重い。

●時代は変わった

 私が子どものころといえば、野球、相撲、プロレス。
この3つが、最大の関心事だった。
しかし今は、時代も変わった。
今では、相撲中継を見ている子どもは、ゼロ。
「相撲が好き」と言う子どもは、さらにゼロ。

 かわってサッカーがある。
もろもろのスポーツがある。
どうしてこういう時代に、「相撲」なのか?

 伝統的国技として、それなりに残す努力は必要かもしれない。
しかしそれにも限度がある。
あえて比較するなら、相撲とプロレスはどこが、どうちがうのか。
興業なら興業でよい。
金儲けのための興業と割り切ればよい。
が、それを「国技」というカバーをかぶせて、金儲けをごまかす。
その結果が、今。
今回の八百長事件は、まさに「氷山の一角」(某新聞)。

 自浄能力は、現在の日本相撲協会には、ない。
そのことは、先にあげた「理事会選挙」の結果を見ればわかるはず。
これを「八百長選挙」と言わずして、何という?

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
 BW はやし浩司 日本相撲協会 八百長相撲 八百長選挙)


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2011年 3月 14日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【講演会要旨】

●親を尊敬しない

 平成10年というと、ちょうどみなさんが、成人式を迎えられたころのことです。
当時の総理府がした調査、つまり「青少年白書」によりますと、「父親のようになりたくな
い」と答えた、中高校生が、79%、つまり約80%もいました。
「父親を尊敬できない」と答えた子どもも、55%もいました。

 ここで注意しなければならないのは、「55%」という数字です。
では残りの45%はどうかということです。
45%の子どもは、「父親を尊敬している」ということにはなりません。
大半は、「何とも思っていない」ということではないでしょうか。

 また「尊敬できない」という子どもの中には、「軽蔑している」という子どもも含まれて
いるはずです。
総理府の調査ですから、「父親を軽蔑している」という調査項目をつけるわけにはいかなか
ったのでしょう。
だからどこか遠まわし的に、「父親を尊敬していない」という調査項目にしたのだと思いま
す。
それにしても、80%の子どもが、「父親のようになりたくない」と答えているのには、驚
きました。

 で、「私は母親だから」と思っている人にしても、安心してはいけません。
たしかに子どもにとって、父親と母親の存在はちがいます。
父親は、子どもにとっては、「一滴(ひとしずく)」の関係です。
一方、母親は、子どもを宿し、産み、そのあと乳を与えます。
同じ親でも、絆(きずな)ということになれば、母親のほうが太いということになります。
さらに最近の研究によれば、人間にも、一部の鳥類に似た「刷り込み」(インプリンティン
グ)というのがわかってきました。
生後0か月から7か月くらいまでの間をいいます。
この時期を「敏感期」と言います。
この時期を通して、親子の関係は、本能に近い部分にまで刷り込まれます。

 それはそれとして、つまり「一滴」の希薄な関係を、あのフロイトという学者は、「血統
空想」という言葉を使って説明しました。
子どもは少年少女期から思春期前夜、学年的に言えば、小学3、4年生ごろを境にして、
急速に親離れをはじめます。

 男児ですと、それまで学校であったことを、親に話します。
が、このころを境に、急に話さなくなります。
女児ですと、それまで父親といっしょに風呂に入っていたのが、このころを境に、急に入
らなくなります。
そのころ、子どもは、自分の血統を疑うようになります。
「私は、あの父の子どもではない」とです。
「私の父は、もっと高貴で、気高い人だ」とです。
これを「血統空想」と言います。

 残念ですが、母親との血筋を疑う子どもはいません。
先にも書いたように、母親からは「命」を授かっているからです。
それが脳にしっかりと刻まれています。
が、母親とて、安心してはいけません。
先の総理府(現在の内閣府)の調査でも、それほど大きな差は出ていません。
ちがいは数%程度です。

●親の恩も遺産しだい

 さらにショッキングな調査結果があります。
数年置きに、こんな調査がなされています。
総理府の調査結果によれば、「将来、どんなことをしてでも、親のめんどうをみる」と考え
ている子どもが、日本人のばあい、28%前後しかいないということ。
たいはんの若者たち、あなたがた自身の意識ということになりますが、たいはんの若者た
ちは、「経済的な余裕があれば、めんどうをみる」と答えています。

 が、残念ながら、「経済的に余裕のある人」など、今では探さなければならないほど、少
ないです。
みな、目一杯の生活をしている。
また目一杯の状態で、結婚し、子どもをもうけます。

 私たちの世代と比較するのもヤボなことですが、私たちの世代は、20歳を過ぎるまで、
ボットン便所がふつうでした。
トイレットペーパーが世に出てきたのもそのころでした。
では、それ以前はどうだったかというと、「落とし紙というザラ紙」でした。
さらにそれ以前はというと、これは私が小学生のころの話ですが、新聞紙でした。
そういう私ですから、はじめてアパートに住むようになり、水洗便所になったとき、それ
がうれしくてたまりませんでした。
きれい……というより、臭いがしませでした。
それがうれしかったです。

 さらに結婚したときは、中古の軽自動車を買いました。
冷蔵庫と洗濯機だけは早く買いましたが、それ以外のものは、収入に応じて、少しずつ買
い足していきました。
が、今は、すべて、「あるのが当たり前」というところから始まります。
つまり目一杯の生活というのは、それをいいます。
ですから「経済的に余裕のある人はいない」ということになります。
言い換えると、「親のめんどうはみない」ということになります。
あるいは『親の恩も遺産しだい』というところでしょうか。

 こんな話をしても、みなさんにとっては、耳が痛いだけかもしれません。
が、私は何も今のみなさんを批判するために、ここに立っているわけではありません。
その逆です。

 みなさんとて、あの飽食とぜいたくの時代の犠牲者かもしれないということです。
みなさんが生まれたころは、日本は、バブル経済の真っ只中。
高度成長期の流れの中で、この日本は、世界でも経験したことがないほどの反映を謳歌し
ました。
そんな中、みなさんは生まれました。
それこそ祖父母がやってきて、手をかけ、時間をかけ、お金をかけた。
まさに「蝶よ、花よ」と育てられたわけです。
が、そのあと、日本は長くて暗いトンネルに入ってしまいました。
「失われた10年」と言われていましたが、今では「失われた20年」と言われるように
なりました。

 「2015年には中国に抜かれるだろう」と予測されていましたが、それよりも5年も
早く、中国に抜かれてしまいました。
また国民1人当たりの所得にしても、とっくの昔にシンガポールに抜かれています。
今のままでは、2025年には韓国に抜かれ、国力においては、インドやブラジルにも抜
かれるだろうと言われています。

 日本がアジアの中心という話は、すでに遠い昔の話です。
アメリカでも、アジアのニュースは、シンガポール経由で入ってきます。
東京ではありません。
シンガポールです。
東京のマーケット情報ですら、一度シンガポールに集められ、そこからアメリカへ入って
きています。
東京証券取引所に上場されている外資系企業も、一時は200社近くもありましたが、今
年に入って、とうとう9社になってしまいました。
こういう現実を、いったい、どれほどの日本人が認識しているでしょうか。

 ……またまた暗い話になってしまいました。
寒いところおいでくださった方には、本当に申し訳ないと思います。
「元気になる話ならいいが、こんな暗い話を聞きにきたのではない」と思っておられる人
も多いかと思います。
もう少しがまんして、どうか私の話を聞いてください。
この問題は、そのままみなさんの将来に直結してくる問題だからです。
またそれがわかれば、みなさんの将来、さらには現在の子育てがどうあるべきかがわかっ
てくるからです。

●「親の責任でしょ!」 

 こんな事件がありました。
こういう不況です。
今では珍しくない事件です。

 そのお父さんには、2人の娘がいました。
1人は大学生。
もう1人は、そのとき高校3年生になったばかりです。

 お父さんはその数年前、それまで務めていた会社をリストラされ、自分でそれまでに取
った資格をもとに、小さな事務所を開きました。
が、最初のころこそはそこそこに仕事がありましたが、数年もすると左前になり、閉鎖と
いうことになってしまいました。

 そこでそのお父さんは高校3年生になったばかりの娘にこう言いました。
「お金がないから、大学進学をあきらめてくれ」と。
が、この言葉にその娘が猛反発。
「何を今さら! 借金でも何でもして、私を大学へやって。親の義務でしょ!」と。

 この話を私は私のワイフから聞きました。
ワイフの友人の娘です。
そこで私はその夏休みのある日、その娘を私の家に呼びました。
「何という、ドラ娘め!」と。
腹の底では煮えくり返るような怒りを覚え、しかし表情はにこやかに……。
が、私はその高校生の一言で、見方が180度、変わってしまいました。
その高校生は、こう言ったのです。

 「だって、先生、私は子どものときから、親に『勉強しろ、勉強しろ』と言われつづけ
てきたのよ。行きたくもないのに塾へ通わされ、成績はどうの、順位はどうのと、そんな
ことばかり言われつづけてきたのよ。この状態は中学校へ入ってからも変わらなかった。
どうして今になって、『もう勉強しなくていい』と、そんなことが言えるの!」と。

 ……子どもに向かって『勉強しろ』と言うのは構いませんが、安易に言ってはいけませ
んよ。
言えば言うほど、あとあと責任を取らされますから。
今ね、学校へ通うことについて、親に感謝しながら通っている子どもは、ゼロとみてよい
です。
高校生では、ゼロ。
大学生でも、「ありがとう」と言うのは、お金をもらうときだけ。
たいていの大学生は、社会人となったとたん、「ハイ、さようなら」。
しかしまだそんな大学生は、よいほう。
先日も、こんな話を聞きました。

 ある日、突然、息子が彼女を連れて帰ってきた。
帰省するたびに、ちがった彼女を連れてくる。
で、親にこう言ったそうです。
「結婚式をしたいが、お金を出してくれるか?」と。
そこでその親が、「少しくらいなら……」と答えると、その息子はこう言ったそうです。
「親なら、結婚式の費用を出してくれてもいいだろ!」と。

 今はそういう時代なのでしょうか。
私などは、結婚する前から、収入の約半分は実家に送金していました。
今のワイフもそれに納得して、私と結婚しました。
以後、30年近く、実家に、お金を送り続けました。
それ以外にも、法事や冠婚葬祭の費用、すべてです。
ですから私たちは、結婚式をあげていません。
その費用がありませんでした。

●世代闘争

 何かが、おかしい。
何かが、狂っている。
あるいは今は、その過渡期ということになるのでしょうか。
この半世紀を振り返ってみると、こんなことが言えます。

(1) 私たちの世代……反権力闘争の時代。
(2) つづくつぎの世代……反世代闘争の時代。

 私たちの時代は、反権力との闘いが、大きなテーマになっていました。
安保闘争も、そのひとつです。
しかしよく誤解されますが、あの学生運動に参加した学生にしても、何も共産主義を求め
ていたわけではありません。
共産主義の「キ」の字も知らなかった。
ただ私たちは、私たちの体をがんじがらめにしている鎖を、解き放ちたかった。
それが反権力闘争へと結びついていったわけです。

 が、それも一巡すると、今度は、反世代闘争へと変化していきました。
そのよい例が、あの尾崎豊の歌った、『卒業』です。
「♪夜の校舎、窓ガラス、壊して回った」というあの歌です。
あの歌には大きなショックを受けました。
「学校」というより、「教育」の否定。
私はそれを感じたからです。

 教育というのは、言うまでもなく、先人たちが得た知識や経験を、あとにつづく人たち
に伝えていくのが、第一の目標です。
その教育を否定するということは、若い人たちは若い人たちで、まさにゼロからの出発を
意味します。
これは若い人たちにとっても、たいへん不幸なことです。
同時に、私たち老人族にとっても、たいへん不幸なことです。
最近のインターネットをのぞいていると、ますます言葉が辛らつになってきているのがわ
かります。
少し前までは「粗大ゴミ」と言われていましたが、今では、「老害」とまで言われるように
なってきています。
社会に「害」を与える存在というわけです。

 で、その世代闘争も、今は、一巡しました。
尾崎豊と言っても、今では名前すら知らない人も多いかと思います。
長淵剛にしても、そうです。

 では今は何か。
私は「恋愛ごっこ」の時代と位置づけています。
恋愛ごっこ、です。
恋愛こそ、人生の最大の関心ごと。
今の若い人たちは、それしか頭にない。
またそれがすべて。
この話を先に進める前に、ひとつ話しておかねばならないことがあります。

●自我の同一性

 思春期から青年期にかけて、最大のテーマといえば、自我の同一性の確立ということに
なります。
「私はこうありたい」「私はこうあるべき」という、自分像のことを、「自己概念」と言い
ます。
一方、そこには「現実の自分」がいます。
それを「現実自己」と言います。

 この自己概念と現実自己をどう一致させていくか。
これが青年期における最大のテーマとなります。
その確立に成功した人は、自分が信ずる道を、力強くまい進することができます。
そうでない人は、そうでない。
中途半端で、訳のわからない人生を送ることになります。
が、これは、発達心理学の世界では、常識的な話です。
で、ここではその先というか、「自己概念」の中身について考えてみます。

 問題は「私はどうあるべきか」という部分。
話を戻しますが、私たちの世代では、それがいつも「天下・国家」と結びついていました。
つづく尾崎豊の世代では、「親」と結びついていました。
私が出世主義に対して、家族主義を唱え始めたのも、そのころです。

 で、今はそれがどうか?
それが先に書いた「恋愛ごっこ」ということになります。
私がそれを強く感じたのは、あの韓流ドラマがブームになったころです。
今でもブームがつづいていますが……。

 あの韓流ブームを知ったとき、私はこう思いました。
「今までの私たちは何だったのか」と、です。
韓国の人たちの反日感情には、ものすごいものがあります。
最初に私がそれを経験したのは、1968年に、UNESCOの交換学生として、韓国に
渡ったときです。
以後、韓国の人たちの心は、大きく変わったとは思っていません。

 一方、そういう韓国に対して、私たちは「嫌韓」という言葉を使いました。
間にはげしい経済戦争があったからです。
好きになるのは、その人個人の自由ですが、しかしそういう歴史というか、現状を一足飛
びに飛び越えて、韓流ブーム?
若い人たちだけではない。
それなりの年配の女性まで、韓国の若い俳優を追いかけまわしていました。
一方で経済戦争。
一方で韓流ブーム。

 こうした時代の流れの中に、みなさんがいます。
で、今では、高校生でも大学生でも、政治の話をする人はほとんどいません。
いわんや天下、国家を論ずる人もいません。
世代の話をする人もいません。
するといえば、恋愛。
恋の話。
愛の話。
明けても暮れても、携帯電話片手に、恋愛の話。

 これを自我の同一性の中に押し入れてみると、こうなります。

「私はどんな人を好きになるべきか。またどんな人が私を好きになるべきか」。
それが「自己概念」ということになります。
そして現実に、どんな異性と交際しているか。
どう交際しているか。
それが「現実自己」ということになります。
またこの両者が一致した状態を、「自己の同一性」ということになります。

●変わる家族意識

 こうした変化に大きく影響を受けたのが、「家族意識」です。
たとえば私たちの世代は、企業戦士おだてられ、会社一筋で仕事をしてきました。
「一社懸命」という言葉も、生まれました。
当時の私たちが、「仕事と家庭とどちらが大切か」と聞かれれば、まよわず「仕事」と答え
たものです。

 が、それが大きく変化したのが、ちょうど2000年ごろです。
この2000年を境にして、「仕事」と「家族」の地位が逆転しました。
それ以後は、「家族のほうが大切」と考える人のほうが多くなり、今では、80~90%の
人が、「家族」と答えています。

 が、ここで重要な欠陥が生じてきました。
先ほども言いましたように、私が説いた「家族主義」とは、異質のものになってきたとい
うことです。
私はそれまでの「出世主義」に対して、「家族主義」という言葉を使いました。
が、それが行き過ぎてしまった。
「家族を大切に」という思いが行き過ぎてしまい、「仕事はどうでもいい」というふうに考
える若い人たちが多くなったということです。

 仕事もしない、かといって、将来の準備もしない。
そんな若い人たちの出現です。
しかもその数が、年々ふえています。
推定64万人もいるということです(2009年版「青少年の現状と施策」・青少年白書)。

 が、私が言う問題は、そのことではありません。
「仕事より家族が大切」というのは、よく理解できます。
またそれに異論を唱えるつもりはありません。
が、最近の若い人たちが使う家族主義には、ひとつ大きな欠陥があります。
欠陥というより、世界の常識からはずれている、と言ったほうが正確かもしれません。
つまりその家族主義には、両親の姿がないということです。

 家族主義……簡単に言えば、夫婦とその子どもだけの世界をいいます。
それぞれの両親は、その外の世界に置かれます。
あるいは、その世界の中に入っていない。
しかしこれは世界の常識ではありません。

 冒頭のところで、「どうしても親のめんどうをみる」と答えた若者は、28%と書きまし
た。
この数字がいかに低いものであるかは、世界の青年の意識と比べてみるとよくわかります。

イギリスの若者…66%、アメリカの若者…64%、という数字と見比べてみてほしい。
たとえば内閣府(平成21年)の調査によれば、「将来、どんなことをしてでも親のめんど
うをみる」と考えている日本の青年は、たったの28%。

 日本だけが突出して(?)、低いのです。
ね、おかしいと思いませんか。
世界でもっとも豊かな繁栄を築いた日本ですよ。
みなさんもそうだったでしょうが、食べ物にも困らず、ほしいものは何でも手に入れるこ
とができた。
本来なら、昔風に言えば、親の恩をもっとも強く感じてよいはずの世代です。
その世代が、「経済的に余裕があれば……」と。
繰り返しになりますが、経済的に余裕のある人はいません。
裏を返して言うと、「めんどうはみない」ということです。

 どうしてでしょうか?
……というよりも、この問題は、そのままみなさんの近未来の問題ということになります。
中には、「私はだいじょうぶ。私と子どもたちとは、深い絆で結ばれているから」と。
そんなふうに考えている人も多いかと思います。

 しかしそれは幻想。
まったくの幻想。
それがわからなければ、あなたがた自身の心の中をのぞいてみればいいでしょう。
先ほどあげた数字は、まさにここにいるあなたがた自身の心だからです。
平たく言えば、この先、私たちの世代はもちろんのこと、あなたがたの世代も、やがて6
0%以上が独居老人、もしくは無縁老人になり、孤独死を迎えるのです。
孤独死をしても、すぐ発見されるというわけではありません。
平均発見日数は、6日です。
私の知人の老人などは、死後30日を経て、やっと発見されたそうです。
そういう現実が、そこに迫ってきています。

 あなただけが無縁と、どうして言えるでしょうか。

●苦労論

 では、どうすればよいのでしょうか。
私たちはどう考え、その中で、どう子育てを考えていったら、よいのでしょうか。
が、その前に、ひとつだけ考えなければならない問題があります。
それが原因です。
どうしてそうなってしまったか、ということです。

 そのひとつが、「苦労」という言葉に集約されます。
苦痛を乗り越える経験ということになります。
その苦労をしていない。

 ……と書くと、反発する人も多いかと思います。
「私は苦労した」とです。
しかし苦労にも、2種類あります。
自分のための苦労と、他人のための苦労です。
おおざっぱに言えば、そういうことになります。

 で、たとえば受験勉強をし、有名な、こういう言葉は本当に好きではありませんが、一
流大学に合格したとします。
これは自分のための苦労ということになります。

 一方、無私無欲でするボランティア活動というのがあります。
これが他人のための苦労ということになります。
今の若い人たちは、子どものときから、後者の他人のための苦労というのをしていない。

(以下、つづく)

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●老齢期の自己概念(ソーシャル自己概念の構築)

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 「私はこうありたい」「私はこうあるべき」という、
自分像を、「自己概念」という。
この自己概念に対して、現実の「自分」がいる。
これを「現実自己」という。

 青年期の自己概念と、老齢期の自己概念には、
内容において、大きなちがいがある。
青年期の自己概念については、シャベルソンという
学者が、4つの領域に分類している。

(1)アカデミック自己概念(どういう学歴を身につけるか)
(2)ソーシャル自己概念(どういう社会的人間になるか)
(3)エモーショナル自己概念(どういう感情をもった人間になるか)
(4)フィジカル自己概念(どういう身体的特徴をもった人間になるか)

 が、当然のことながら、老齢期に入ると、
上記(1)のアカデミック自己概念は、終了している。
(3)のエモーショナル自己概念も、それほど重要ではない。
(4)のフィジカル自己概念についても、「ああはなりたくない」と考える
ことはあっても、そこでSTOP。
いつもそこに(どうしようもない自分)を発見する。
肉体の老化だけは、いかんともしがたい。

 問題は(2)のソーシャル、つまり「社会的な」自己概念である。
これをどう自分の中に構築していくか。
というのも、この時期、人は仕事を退職し、子育てからも解放される。
(正しくは、仕事からも追放され、子どもには逃げられる?)
言うなれば、心の中に空白部分が生ずる。

 心理学的には、「私的領域」が拡大する。
その私的領域でどう生きるか。
それを模索する時期ということになる。

++++++++++++++++++++++

●人生の節目

 人生にはそのつど、大きな節目がある。
個人的な環境によってもちがうが、一般的には、(1)青年期、(2)壮年期、(3)
老年期に分ける。

 青年期は思春期から始まり、自分の進むべき道が決まる時期までをいう。
壮年期は長く、ばくぜんとしている。
壮年期を通して、人は社会的地位を固め、その中における評価を定める。
老年期は、別名「喪失の時代」とも言われている。
「喪失」(この言葉は、あまり好きではないが……)との闘いの時期ということになる。

 そこで重要なのは、(1)自己概念をどう構築するかということ。
その前提として、(2)どう現実を受け入れていくかということ。
その上で(3)自分の役割を策定し、(4)現実の自分(=現実自己)をどう
一致させていくかということ。
順に考えてみよう。

●現実の受け入れ

 多くの人は、こう言う。
「温泉などで、自分の姿を鏡に映してみたとき、それがわかる」と。
緩んだ肉体、垂れ下がった臀部(でんぶ)、張りのない肌……。
若い人と比較するまでもない。
歩き方まで、老人臭くなる。

 が、それが現実。
受け入れるしかない。
が、そこは人間。
簡単には受け入れない。
もがく。
抵抗する。
無理をする。
が、それも一巡するときがやってくる。

●自己概念の構築

 老後の自分はどうあるべきか。
退職すると同時に、あるいは子育てが終わると同時に、みな、同じように
考え始める。
が、簡単には、答が出てこない。
ばくぜんとして、つかみどころのない毎日。
悶々として、いつ晴れるともわからない世界。
「これではいけない」と思っていても、それにつづく道が見えてこない。

 「老後は孫の世話と庭いじり……」と、だれかが言った。
「それが理想の老後」と。
しかし自分がその老後を迎え、それがまったくの虚構であると知った。
そんなことで自分の心の隙間を埋めることはできない。
かえって虚しくなるだけ。

 そこでエリクソンという学者は、「統合性」という言葉を使った。
青年期の自我の同一性の確立と、同じに考えてよい。
「老後になったら、やるべきことを見つけ、現実にそれをする」と。

が、(やるべきこと)と言っても、条件がある。
無私無欲でする。
功利、打算が入ったら、統合性はそのまま霧散する。
かといって、「退職しました。明日からゴビの砂漠で、ヤナギの木を植えてきます」と
いうわけにはいかない。
そんな取って付けたようなことをしても、長続きしない。
そこでエリクソンは、その準備を、人生の正午と言われる、40歳から始めろと説く。

●自分の役割の策定

 「私は何をなすべきか」と。
周りの人たちの老後が、参考になる。

 学生時代の先輩の1人は、観光ガイドを始めた。
現職時代の技術能力を生かして、世界中を回りながら、技術指導している人もいる。
家庭菜園を本業にした人もいる。
団体で、やはり現役時代の経験を生かしてがんばっている人もいる。
それぞれが、それぞれの道を進んでいるが、みながみな、うまくコースに乗って
いるわけではない。

 仕事から仕事へと、渡り歩いている人もいる。
日雇い労働者と同じ身分の人もいる。
が、健康であれば、まだよいほう。
脳梗塞や糖尿病を悪化させてしまった人もいる。
この時期になると、若いころからもっていた持病が、急に表に出てくる。
とくにこわいのが、精神病。
若いときは気力で何とかごまかせるが、老齢期にさしかかると、その気力が弱くなる。
肉体にしても、そうだ。
ひざや腰を痛めると、それがそのまま定着してしまう。
もちろんボケの問題もある。

 そういうのを乗り越え、私たちは「自分の役割」を設定しなければならない。
で、ここで言えることは、ただひとつ。
「この問題で苦しんでいるのは、あなただけではない」ということ。
総じて老齢期を迎えると、みな、この関門をくぐり抜けなければならない。

●現実自己との一致

 役割が設定できたら、あとはそれに向かって邁進(まいしん)していく。
「自己概念」と「現実自己」を一致させていく。

 子育てから解放され、仕事からも解放される。
親の介護からも解放される。
そのため自分で使える時間がどんとふえる。
これを「私的領域の拡大」という。

 考え方によっては、もっとも気楽な時期ということにもなる。
この時期になると、無責任であることが、ひとつの美徳になる。
もちろん人生そのものが、いわゆる「死の待合室」に突入する。
先の見えない袋小路。
先細りの人生。
すべてが不可逆的に悪化する。

が、ものごとは悪い方ばかりに考えてはいけない。
だからといって、落ち込んでばかりいてはいけない。
先にも書いたように、だれしも一度は通り抜けなければならない「関門」。
私ひとりだけがそうではないし、あなたひとりだけがそうではない。
そう考えるだけでも、気が楽になる。

●終わりに……

 こういう原稿を書くと、「では、私はどうなのか?」と考える。
率直に言えば、こういう原稿を書きながら、自分はどうあるべきかをいつも考える。
が、道筋だけできてしまえば、あとは楽。

 そのときが来たら、有料の老人ホームに入居する。
そこでも死ぬまで原稿を書きつづける。
さみしかったら、さみしいと書く。
悲しかったら、悲しいと書く。
そんな人生を、最期までつづける。

 もっともそれとて、運がよければ……という条件がつく。
明日、何かの大病が発見されるかもしれない。
すでに私の年齢の人は、約10%が他界している。

が、こうして書いていること自体が、あとにつづく人たちの参考になる。
どの人もこの世に生まれ、やがて老齢期を迎える。
あえて言うなら、今まで、その老齢期を老人の立場で考え、ものを書いた人が、
あまりにも少ない。
だから私は書く。
無私無欲で書く。
つまりこれが私にとっての「統合性」ということになる。
いつまでできるか自信はないが、とにかく、つづけるしかない。
どうか、よろしく!
(今朝の私は少し悲観的かな?)

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 自己概念 統合性の確立 現実自己 人生の節目 ソーシャル自己概
念)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●30年前の生徒たち

++++++++++++++++++++

今、パソコの横に、30~35年前の写真がある。
みなで、何かのことで記念撮影したときのもの。
先週、棚の隅からポロリと出てきた。
様子から見て、年長児(5~6歳児)の子どもたち。
場所は、A幼稚園の東園舎(当時)。
その写真をときどき見ながら、ふとこう思う。
「みんな、今ごろ、どうしているだろう?」と。

当時の私は、幼稚園の年中児から、高校3年生まで
教えていた。
午前中はA幼稚園で教え、午後からは、「教室」で教えた。
幼児クラスが終わると、別の場所で小学生、中学生
を教え、夜は、高校生を教えていた。
この写真の中の子どもたちにしても、そのあと、
高校を卒業するまで教えた子どもが、3人いる。
14年間、教えたことになる。

width="882" height="543" alt="img130.jpg">

で、名前を思い出してみる。

上段(男児)、左から、
KD君
TK君
MZ君?
SZ君
??君
??君
下段(女児)、左から、
??さん
AZさん
ETさん
??さん
??さん
IGさん
??さん
MRさん
もちろん右端に立っているのが、私。

 名前を覚えているのが、14人中、8人。
約60%。
「そんなものだろうなア」と、自分をなぐさめる。
何といっても、30年以上も前の生徒たち。
それに忘れたのは名前だけで、今でもこうした写真を見るたびに、
スーッとその世界にタイムスリップする。
そのままその当時の「私」になる。

声が印象に残っている子どもがいる。
しぐさが印象に残っている子どもがいる。
その後、家族ぐるみで交際した人がいる。
兄弟が同時に通ってくれていて、いっしょに遊んだ子どもがいる。
うち何人かは、おとなになってからも、連絡をくれた子どもがいる。
(現在は途絶えているが……。)

みな、それぞれだが、この時代も、私の一部。
まぎれもない、私の一部。

あのころの私は、無我夢中だった。
朝9時から教え始め、いつも仕事が終わるのが、午後10時ごろ。
13時間労働!
その間をぬって教材を作ったり、本を書いたりしていた。
このころは、テレビ局の脚本も書いていた。
翻訳もしていたし、通訳もしていた。
貿易の手伝いもしていた。

写真を見ているだけで、あれこれと脳裏に浮かんでくる。
あの日も今朝と同じような太陽が輝いていた。
写真は、どこか色あせているが、青い空は青い空。
ただ自分だけが、年を取ったよう。
私だけが変わったのか?
あるいはここに写っている私は、どこへ行ったのか?

なんともしまりのない、バカな顔をしている。
そう、それにあのころは、いつも写真のようにネクタイをしていた。
幼稚園の園長がきびしい女性で、いつもこう言っていた。
「人前に立つには、それなりの服装をしなさい!」と。
それでそうしていた。
(現在は、セーターなど、ラフは服装で教えているが……。)

今日も午後は、年長児から教え始める。
教える子どもたちは、30年前と同じ。
毎年、毎年、この繰り返し。
こうして教えながら、この4月からは、41年目に入る。

++++++++++++++++++++

●今週の予定

 今週は、何かの大会の場で、基調講演することになっている。
学校の先生たち、300人が集まってくれる。
それもあって、今朝から運動量をふやした。
だらけた脳みそでは、講演はできない。
その日までに体調を整えなければならない。

 朝早く出れば、会場に間に合う。
が、大事を取って、その前夜、現地に到着。
ホテルに一泊。
ワイフも付き添ってくれる。
このところあれこれ、私の健康に気を遣ってくれる。
心配なのは心臓だが、この1年間、狭心痛らしきものは、数回だけ。
(どういうのを狭心痛というのか、私にはよくわからない。
ただの神経痛だったのかもしれない。
逆流性食道炎によるものだったのかもしれない。)
が、私の父は、今の私の年齢と同じ63歳で、心筋梗塞で他界している。
油断は禁物。

●「子ども手当てより、空母」?

 今朝の朝刊に、週刊誌のコマーシャルが載っていた。
いわく「子ども手当てより、空母を」と。
SKという女流評論家の意見らしい。
(見出しだけで、記事は読んでない。)

 が、私なら、こう書く。
「空母より、防空壕(核シェルター)」と。

 日本の防衛と将棋を対比させるのは正しくないかもしれない。
しかし将棋を指しているとき、攻め一方では、あっという間に、敗れる。
攻める一手を指す前に、相手の飛車・角の位置、それに持ち駒を確認する。
つまり攻撃6割、防御4割。
(この割合は、あくまでも私の将棋の指し方だが……。
また序盤、中盤、終盤で、そのつど変わる。)

 つまり日本の防衛は、あまりにも脆弱。
ちゃんとした防空壕(核シェルター)がどこにもないというのは、おかしい。
どう考えてもおかしい。
いくら近代的な兵器で海岸線を守っても、内陸部、つまり守りがガタガタでは、
どうしようもない。
どうして日本政府は、防空壕(核シェルター)を用意しないのか?

 今は、ミサイルの時代。
空母なんか造っても、意味はない。
「どうしても……」というのなら、韓国のように高速道路と滑走路を兼用させればよい。
いざとなったら、高速道路を遮断し、滑走路して使用する。
コンクリートの厚さを40センチ(韓国)にし、中央分離帯を除去する。
そのほうがコストもはるかに安くつく。

 ついでに言えば、トンネルと防空壕を兼用させるという方法もある。
(大都市では、いざとなったら地下鉄のトンネルを防空壕にするという方法を考えて
いるそうだが……。)

 「空母」という発想が、陳腐。
SKさんには悪いが、空母にしてもミサイルに攻撃されたら、ひとたまりもない。
第一、何のために、どこに浮かべるのか?
仮想敵国が中国ということであれば、やめたほうがよい。
中国はすでに核ミサイルを、実戦配備している。
まともにぶつかったら、日本に勝ち目はない。

 さらに一言。
どうして「子ども手当て」と「空母」が、バーターされるのか。
どうして「子ども手当て」なのか。
「戦闘機より空母」と書くなら、まだ話もわかるのだが……。

●インフレ進行中!

 今朝の経済ニュース(2011/01/24)を読むと、世界的にインフレが進行しているという。
たしかにこの日本でも、物価がジワジワとあがり始めた。
食料品にガソリン。
それが私にも、よくわかる。

 インフレを知るひとつの指数として、金・プラチナ価格がある。
で、今朝の金、プラチナ価格を調べてみると、金が3795円、プラチナが5195円。
金は、下降傾向。
プラチナは、上昇傾向。

 ほかにニッケル、アルミ、銅は、この数か月で最高値を更新しつづけている。
金価格はたしかに異常。……だった。
それがここにきて、調整局面に入った。
だから下降傾向。
一方、不気味なのは、プラチナ。
投機性が強く、上昇傾向に乗ると、一気に7000円台まであがる。
今がそのときか?

 ともあれ、これだけ市中に札をばらまけば、影響が出ないという方がおかしい。
アメリカを中心として、札印刷機は、現在フル回転中。
日本もEUも、現在フル回転中。
かわいそうなのは、中進国。
それだけのインフレを吸収できる能力がない。
同じように札を印刷しても、世界で通用しない。
世界の人は、やはりドルをほしがる。
円やユーロをほしがる。
(中国の元をほしがる人もふえてはいるが……。)

 つまり世界の政治情勢が不安定化するということ。
この先、それがツケとなって、中進国以下に回っていく。
そのときがこわい。
世界中で紛争が始まる。

 ということで今朝も、始まった。
先ほどまで、布団の中でPSPを相手に将棋をさしていた。
今朝は、1勝2敗。
脳みその調子は、あまりよくない。

(そう言えば、PSPの将棋をうまく利用すれば、ボケ診断ができるのでは?
たとえば満55歳のとき、勝率、40%。
60歳のとき、勝率、30%。
65歳のとき、勝率、20%、と。
ゲーム機のほうは、「力」は同じ。
勝率の低下イコール、ボケの進行度ということになる。
それを使えば、ボケ診断ができる。)

 1月24日、2011年。
みなさん、おはようございます。


Hiroshi Hayashi+++++++JAN. 2011++++++はやし浩司・林浩司

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