2011年4月12日火曜日

*Unreal reality

●4月11日

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長い休暇をもらい、で、今日から、
仕事始め!
私の世界では、今日から、仕事始め!
つまり初日!

が、オーストラリアから帰ってからというもの
睡眠時間帯が、メチャメチャ。
時差ボケではない。
チャンギ空港(シンガポール)での
乗り継ぎがうまくできなかった。
そのためほぼ20時間、うまく眠られなかった。
その後遺症。

で、今朝は、何と、午前2時起き。
昨夕、7時ごろ、猛烈な睡魔に襲われた。
そのまま床に。
で、午前2時起き。
一応8時間、眠ったことになる。

どうやって睡眠時間帯を平常に戻すか。
今夜は、どんなに眠くなっても、
夜10時までがんばろう。
がんばって、起きていよう。

……で、起きてから、ビデオを2本、
YOUTUBEにUPした。

1本は、メルボルン市内で、旧友と
馬車に乗ったもの。
もう1本は、メルボルンから南オーストラリア
州のボーダータウンへ行くときのもの。
列車(オーバーランド号)の中からの風景を
ビデオカメラに収めた。
その2本をUPした。

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●1000円カットの理髪店

 全国的に1000円カットの理髪店がふえている。
私もよく利用する。
安いから……ということもあるが、それよりも早くすますことができる。
「床屋に行く」というと、どうしても、前後に数時間、みなければならない。
が、なかなかその時間がない。
そこで1000円カット。

 たいてい大型ショッピングセンターの近くにある。
ワイフが買い物をしているときなどに、すます。
時間的には、10分程度ですむ。

 これに対して、既存の理髪店が追放運動を展開している。
ふつうの追放運動ではない。
自治体まで巻き込んでの、追放運動である。
すでに1000円カットの店の進出を禁止する条例を可決した自治体まである。
いわく、「ブローアーでは、散髪した髪の毛をきれいに取り除くことはできない。
そのあとレストランなどへ行ったとき、髪の毛を落とすなど、衛生上、問題がある」と。

 つまりシャンプーで洗髪しない1000円カットの理髪店は、不衛生、と。

 しかしこれはおかしい!
オーストラリアでも、「床屋」と言えば、カットだけ。
洗髪までしてくれるサローン風の店もあるにはあるが、そういうところは料金も高い。
また日本のように料金が定められているわけではない。
が、オーストラリアでは、(アメリカでも)、衛生上の問題は起きていない。

もし衛生上の問題をいうなら、あのカミソリのほうにこそ、問題がある。
一応、そのつどカミソリを滅菌消毒することになっている。
が、私が知るかぎり、それを徹底している理髪店は、あまりない。
どこかいいかげん。
そのため私は理髪店では、いつも、剃り毛は断るようにしている。
肝炎やHIVなどの感染症を移されたら、たまらない!

 ……つまりこの世界にも、自由競争の嵐が吹き始めたということ。
今までは、地域ごとに組合をつくり、たがいに仕事を守り合っていた。
結構な稼ぎになった。
が、それがほころび始めた。

 では、どうするか?

 理髪店も反対運動などせず、逆に、カットならカットだけの別のコースを用意
すればよい。
「カットだけなら、10分、1000円」とか。
そういうメニューを用意すればよい。
それが時代の流れというもの。

 既存の理髪店は、保護の世界で、あぐらをかき過ぎていた。
時代の流れをつかむことを忘れてしまった。
たとえば今、男性でも美容院へ行く人がふえている。
……というか、ほとんどが美容院へ行く。

 それにしても今どき、「不衛生」とは?
戦後のあの時期なら、まだしも、「不衛生」とは?
どこからそういう言葉が出てくるのだろう?

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●大震災

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非現実的な現実。
現実的な非現実。
この両者が、混然一体となって、頭の中で
ゆらゆらと行ったり来たりする。
「本当にそんなことがあったのか?」と、
それを疑う私。
その一方で、平和で何ごともなく過ぎていく日々。
「これでいいのか?」と、自分を責める私。

一瞬にして、3万人近い人々の命の灯火が消えた。
それをどう受け入れたらよいのか。
あまりにも非現実的な現実。
が、これがどうしようもない現実。
現実味を失った現実。
あまりにも現実的な非現実。

お悔やみを述べることは簡単なこと。
が、私には、どうしてもそれができない。
大震災から1か月も過ぎたというのに、
どうしてもそれができない。
苦しみや悲しみですら、あまりにも現実離れ
している。
安易な言葉で、それをごまかしたくない。
またそれでごまかせるようなものではない。

できるだけ早い時期に、一度、東北地方を
訪れてみたい。
自分なりに、このあまりにも非現実的な
現実を、しっかりと自分なりに受け止めてみたい。

この先、この現実は悲劇として、日本の歴史の中で、
何万回も、何億回も、繰り返し語られるだろう。
その1人の生き証人として、東北地方を
訪れてみたい。
このままでは、頭の中がバラバラになってしまう。

私の苦しみは、あなたのもの。
あなたの苦しみは、私のもの。
私の悲しみは、あなたのもの。
あなたの悲しみは、私のもの。

その両者が一致したとき、私は私でいられる。
あなたはあなたでいられる。

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●テレビキャスター

 今朝のNHKテレビ(4月11日)。
ワイドショー風に、被災地をレポートしていた。
が、画面がスタジオに戻ったその瞬間、笑顔で笑う女性の顔が大写しになった。
明るい笑顔だった。
スタジオで並んで座っていた女性の1人である。
不謹慎な、まことにもって不謹慎な笑顔である。

 で、そのあとのこと。
たぶんディレクターあたりから、「叱り」が飛んだのだろう。
それからはその女性は背筋を伸ばし、神妙な顔つきをしたまま、下だけを見つめていた。
そのあと番組の最後まで、一言も言葉を発しなかった。

 が、だれがその女性を責めることができるだろうか。
何もその女性を擁護しているのではない。
不謹慎は不謹慎。
が、見るからに、もともとその程度の女性。
むしろ同情しているようなフリをすることのほうが、簡単。
が、同時に、それほど重い罪はない。
「フリ」ほど、重い罪はない。
まさに偽善者の、それ。

●私は私

 しかし私は私。
私は私で生きていく。
それしかない。
それが私に与えられた「現実」。
「私」がくじけて、どうする。
どうなる。

先日も、「浜松祭り中止、反対」の原稿を書いた。
浜松祭りの中止が発表された、その翌日の朝のことだった。
が、どうしてこの浜松まで、元気を失わなくてはいけないのか。

 その原稿の中でも書いたが、ある程度の自粛はやむを得ない。
しかし何も中止するまでのことはない。
凧にしても、励ましの言葉を書けばよい。
「がんばろう、日本!」と。
その凧を天に向かって、あげればよい。

あるいはタクシーの運転手が私に教えてくれたように、祭りのワッペンを100円増し、
200円増しで売り、その売上金を、被災者への義援金とすればよい。
浜松祭りでは、そのワッペンをつけないと、祭りには参加できないしくみになっている。

 私たちが元気であれば、それがこの日本の牽引車となる。
が、ここで私たちまでくじけてしまったら、だれがあの被災地をこの先、引っ張って
いくのか。
被災地の人たちだって、それを望んではいないだろう。
私たちががんばっているのを見て、安心するだろう。
「私は私で生きていく」というのは、そういう意味。
被災地の人たちの苦しみや悲しみを、分かち合うというのは、そういう意味。

●原発処理

 原発処理でがんばっている人たちがいる。
たいへんな作業である。
報道によれば、そういう人たちが現在、1000人近くもいるという。
頭がさがる。
と、同時に、私たちが今、支えなければならないのは、そういう人たちである。

 ただ残念なことに、福島第一原発は、日ごとに悪い方向に向かっている。
何もかも、後手後手。
もしここでもう一度、大きな地震が起きたら、どうするのか。
津波が襲ったら、どうするのか。
その対策は考えているのか。
そのときも、「想定外」という言葉をつかうのか。

原発1機が爆発しただけで、広島型原爆の約1000倍の放射性物質が、空中に
飛び散るという。
それが10年単位でつづく。
もしそうなれば、もうだれも原発には、近づけない。
それがさらに5機。
制御不能に陥った状態で、つぎつぎと爆発する。

 政府(保安院)や東京電力の発表は、すでに信用力を失っている。
戦時中の大本営発表、そのもの。
NHKの解説委員の解説など、今ではいくら聞いても、腸内のガスのようなもの。
ガスにもならない。

たいへんなことになった。
本当にたいへんなことになった。

 この非現実的な現実が、今、そこにある。
が、その一方で、まるで何ごともないかのように、今日も始まった。
窓のカーテンは、芽を吹き始めた栗の木の影をやさしく映しだしている。
この現実を、どう理解したらよいのか。
この現実的な非現実をどう理解したらよいのか。
今の私はまるで夢の中で、生きているよう。

平成23年4月11日(月)


Hiroshi Hayashi+++++++April. 2011++++++はやし浩司・林浩司

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