2011年10月8日土曜日

*Why do the Japanese lament the death of Mr. Jobbs?

●『猿の惑星』(RISE of the Planet of the Apes)を観る(20110-10-07)

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 昨日から公開された『猿の惑星・創世記(ジェニシス)』を観てきた。
おもしろかった。
楽しかった。
星はもちろん4つプラスの、★★★★+。

 途中で何度も、「ナルホド!」と感心。
たとえば火星探査船が打ち上げられるシーンが、チラッと出てくる。
本当に「チラッ」とだけ。
しかし観る人が観ればわかる。
(ワイフは、第1作を観ていなかったので、気がつかなかった。)
それがあのチャールトン・ヘストン(第1作)演ずる、宇宙飛行士テイラーの搭乗した探査船である。

 また主人公(?)の名前は、「シーザー」。
そのシーザーは、人間社会に飛び出すと同時に、真っ先に、メスのチンパンジーの救出に向かう。
そのメスのチンパンジーの名前が、コーネリアス。
すべてが、矛盾なく、あの伝説的名作の『猿の惑星』(第1作)へとつながっていく。

 『猿の惑星(Planet of the Apes)』第1作は1968年に公開されている。
私が大学3年生のときのことである。
当時の私は、SFファンで、SF小説を片っ端から読みあさっていた。
そんな中、『猿の惑星』が公開された。
現代の若い人たちにすれば、観るに耐えない古い映画かもしれない。
しかし私に与えた衝撃は、大きかった。
最後のシーンで、自由の女神像が横たわっているのを見て、テイラー(宇宙飛行士)は、そこが地球であったことを知る。
今でもあのとき感じた衝撃を忘れることができない。

 ともあれ、SF映画とわかってはいたが、「ナルホド」「ナルホド」と。
その「ナルホド」が楽しかった。
だから星は4つプラス。

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【米アップルの共同創業者、スティーブ・ジョブズ会長の死去について】

●ジョブズ氏の死

 私のBLOGには、毎日、いろいろなコメントが寄せられる。
その中でも、気になったのがいくつかある。
たとえば昨日、アップル社会長のジョブズ氏の死について書いた。
その中で、私は、ジョブズ氏のことを、「うまく時流に乗っただけ」「運がよかっただけ」と書いた。
この部分が、ネット・ユーザーの反発を買った。

 しかし事実を、ここに書く。
年代は忘れた。
しかし順番は、よく覚えている。
私は毎週のように、その店に足を運び、今で言うパソコンと遊んでいた。
私が27、8歳のときのことである。

●ムーンベース

 浜松の北に、一軒の小さな店がオープンした。
「ムーンベース」という名前だった。
間口が、2~3間しかないような、小さな店だった。
入ると、数台のパソコンが並んでいた。
奥にもう一部屋あったように記憶している。

 その店に、まず最初に並んだのが、TOSHIBAのTK-BSという、パソコンだった。
パソコンというより、内部基盤むき出しの電子製品だった。
(そのため「ワンボードマイコン」と呼ばれていた。)
それにマシン語で、プログラムを打ち込む。
表示は1行だけの、今の電卓風のものだった。

 私は迷わず1台購入したが、番号(命令)を覚えるだけで、たいへん。
ギブアップ。
が、そのあとすぐ、コモドール社から、PETというパソコンが売りに出された。
そのすぐあとにタンディ社という会社から、専用モニターに画像を映すパソコンが発売された。
(「タンディ・ラジオシャック」と呼んでいたように記憶しているが……。)
私はそのPET社の(PET2001)を購入した。

 ムーンベースは、当時、浜松では、たった一軒のパソコンショップだった。
そのムーンベースで、最初にPETを買ったのは、私。
(そのあと、店の主人が、「浜松で3台売れた」というような話をしたのを、記憶のどこかで覚えている。)

 PETは、BASIC言語で、プログラムを打ち込むことができた。
たいへん珍しいパソコンで、東京のG社(出版社)から、うわさを聞きつけ、編集者がわざわざ取材に来たほど。
私は毎晩、仕事から帰ると、そのパソコンを相手にプログラムを打ち込み、遊んだ。

●アップルの登場

 私はPETを、33~4万円(当時)で購入した。
TK-BSについては記憶は定かではないが、それでも8~9万円くらいではなかったか。
この日本では、アップル社のパソコンが登場したのは、その後のことである。
「Apple Ⅱ」というのが、それで、値段は、42~5万円だったように記憶している。

 厚みはあったが、平べったい、箱のようなパソコンだった。
りんごのロゴが、印象的だった。
が、私はタンディ社のパソコンのほうに興味があった。
青いモニターに、白い点で文字を表示することができた。
PET2001より、画面がはるかに大きかった。
キーボードも打ちやすかった。
それが魅力的だった。
言い忘れたが、当時この日本には、日本語(カタカナ)表示できるパソコンは、まだなかった。

 アップル社のパソコンは、PETと比べても、ダントツに性能がよかった。
それは記憶しているが、値段が高くて、買えなかった。

 たった今、念のため……と思い、タンディ社のパソコンについて調べてみた。
ウィキペディア百科事典には、つぎのようにある。

『1977年8月3日、タンディ TRSー80 Model Ⅰ が発表された。
これがタンディ社がホームコンピュータ市場に参入し、コモドールPET 2001やApple IIと対抗するきっかけとなった。
価格は599ドルで、当時のラジオシャック店が扱っていた中では最も高価な製品だった。
同社はコンピュータの市場に入ることが出来るのか確信を持っていなかったため、とりあえず3000台を製造し、もし売れなかったら3000ある各店舗の業務に使用する予定だった。
タンディは最初の一ヶ月で1万台を販売し、一年で5万5000台を販売した。
1981年1月に販売終了するまで、ModelⅡ は 25万台も売れた』と。

●PET2001

 こうしてウィキペディア百科事典を読みなおしてみると、当時のパソコンの流れが、整理できて、おもしろい。

 やはりコモドール社のPET2001のほうが、先だった。
Apple Ⅱが、出てきたのは、そのあと。
が、ムーンベースでは、入り口のところに、タンディ社のパソコンが、誇らしげに飾ってあった。
専用のモニターつきで、キーボードもかっこよかった。
あのときのあれが、「TRSー80」だった。
……と、今、その名前を思い出した。
私は、アップル社のパソコンより、タンディ社のパソコンがほしかった。

 が、迷っているうちに、日本のシャープが、この世界に参入してきた。
NECも参入してきた。
私はそれらをつぎつぎと買い換えていった。
(アップルⅡと、TRS-80は購入していない。)

 ウィキペディア百科事典には、PET2001について、こうある。

 『……世界初のオール・イン・ワン ホームコンピュータPET 2001である。
メモリ(RAM)は 4Kバイトか8Kバイトであり、基本的にはKIM-1の新たなディスプレイ用チップ (MOS 6545) を加えて、内蔵モノクロディスプレイ(40×25文字表示)を駆動した。
画面にはキャラクタ表示しか出来ないが、1キャラクタを縦横各2分割した16パターンの図形キャラクタを持ち、それを画面に並べることによって80×50ドットの疑似グラフィックス表示をすることができた(キャラクタグラフィックス)。
また、データ記録用のカセットテープレコーダーもキーボードの横に装備していた。PET 2001は、1977年9月ごろ出荷を開始した』と。

 「1977年出荷」とあるから、私が30歳のときということになる。
しかしそれはおかしい(?)。
あるいは私の記憶違いによるものなのか。
私は今まで、私が27~8歳のときにPET2001を購入したと、記憶していた。

 ついでにAPPLE Ⅱについては、ウィキペディア百科事典には、こうある。

 『……Apple IIの販売台数は 1978年に7,600台、1979年に35,100台、1980年に78,100台、1981年には約18万、1982年に約30万台と毎年倍々に増加し、パーソナルコンピュータの普及に貢献すると共にアップルコンピュータ社の礎を築いた。Apple IIの生産は1993年まで続き、総計500万台が生産された』と。

 1977年から78年。
たった2年!
私にはその2年間が、長い年月だったように思われる。
その間に、パソコンの世界は目まぐるしく変化した。
ともあれ私が言いたかったのは、「ジョブズ氏がいなかったら、パソコンはなかった」(某誌氏コメント)というのは、まちがいということ。

 もしあのとき、コモドール社やタンディ社が、そのまま売り上げを伸ばしていたら、ジョブズ氏はいなかったということになる。
ここにもあるように、タンディ社のTRS-80は、25万台。
アップルⅡは、500万台。
その結果、ジョブズ氏は、アップル社のジョッブズ氏になった。
その点、Basic言語を開発し、WINDOWを開発した、マイクロソフト社のビル・ゲーツ氏とは、一線を画すものである。

 だから私は、こう書いた。
「時流に乗っただけ」「運がよかっただけ」と。
が、私の意見に対して、怒りを覚えるのは、少し待ってほしい。

●日本の遅れ

 当時の私は、毎日がもどかしくてならなかった。
NECもTOSHIBAも、さらにFUJITSUも、大型のコンピューターを製造していた。
その気になれば、ホームパソコン(当時は、そう呼んでいた)など、簡単に製造できたはず。
日本の電子技術のほうが、はるかに進んでいた。
が、私が知るかぎり、(当時、私がもった印象では)、日本の会社は、お高くとまったまま。何も動こうとしなかった。

 そのうちシャープがオールインワン(PETの類似型)のパソコンを売り出し、NECは独自のOSをもった、8000シリーズを売り出した。
しかしそのときには、すでに世界の勝者は決まっていた。

 ついでながら、私はあのシャープが発売した、MZ-80についても書いておきたい。
(TOSHIBAやFUJITSUではない、弱電メーカーのシャープだったという点にも注目!)
使ったのはわずかな期間だったが、(……というのもそのあとすぐ、NECのPC8001に乗り換えたので)、よいパソコンだった。
デザインも、日本人向けだった。
で、たった今、そのMZ-80について調べてみたが、1978年発売とある。
またPC8001については、翌年の1979年発売とある。

 つまり1977~79年は、まさにパソコンの黎明(れいめい)期。
今から思うと、そんな感じがする。

●日本が敗れる

 パソコンの世界で、日本がアメリカに敗れた理由は、私が知るかぎり、2つある。
ひとつは、NECの98(OS)に代表されるように、日本人は日本製にこだわりすぎた。
「日本で勝てば、世界の勝者になれる」と思い込んでいた。
そんな奢(おご)りがあったのではないか。
 
 それは私自身の個人的な経験とも重なる。
私はIBM仕様のパソコンがすでに世界制覇を成し遂げたあとですら、まだNECの98にこだわっていた。
で、結果は、ご存知の通り。
IBM仕様のパソコンに乗り換えたとき、私の家の中には、8000シリーズ、9000シリーズのパソコンが、4~5台、まだそのまま残っていた。

 もうひとつは、お馬鹿な政治家たちに、未来を見通す力がなかったこと。
パソコンより、土木事業ばかりに力を注いでいた。
はっきり言えば、知的能力に欠けていた。
OSの開発においても、アメリカから圧力が加わると、即座にそれに従った。
まさにアメリカの言いなり。
東大の坂村健氏が開発したBTRONなどもその一例※。
当時の私はこんなふうに思った。
「あの田中角栄さんに、ベーシック言語を教えるのは不可能だろうな」と。

 ともあれ、今が、その結果。
もし私たちがアメリカ人なら、ジョブズ氏を称えるのもよいだろう。
たしかにアメリカ人にとっては、英雄。
しかし日本人の私たちが、ジョブズ氏を称えて、どうなる?……どうする?
「ジョブズ氏は時流に乗っただけ」と書いた私を叩いて、どうなる?……どうする?
中には、「ジョブズ氏のいないパソコンの世界は考えられない。ジョブズ氏の死を心から悼む」(日本人)というようなことを、書いているBLOGまであった。

 すばらしい人物であったことは認める。
しかし、そこまで。
そこでSTOP!

 ……ということをわかってほしかったから、この原稿を書いてみた。
私たちは、そのジョブズ氏に、アメリカの国策として敗れた日本の日本人。
それを忘れてはならない。

 ついでながら日本の政治家たちのお馬鹿ぶりは、これだけではない。
つぎの原稿も、ぜひ、読んでみてほしい。


Hiroshi Hayashi++++++Oct. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【デジタル教科書について】2010年に書いた原稿より

【デジタル教科書】(どうして時代の流れに反対するのか?)


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昨日(2010年12月17日)、書店に
立ち寄った。
驚いた。
デジタル教科書など、時代の
常識と考えていた。
が、そこにはズラリと、
「デジタル教科書・反対論」なる
タイトルの書籍が、並んでいた。
平積みではない。
棚に、同じ本が、表紙を前に、
10冊前後ずつ、並んでいた。
かなりの威圧感があった。
が、即座に私の脳みそが反応した。


デジタル教科書に反対?
これはどういうことなのか?
どうしてデジタル教科書に、
反対なのか?


隣の韓国では、2011年の4月から、
すべての学校でデジタル教科書が
使われるようになるという(報道)。
それが時代の流れなら、デジタル教科書
に反対する理由などない。
近未来の学校教育を想像してみればよい。
「紙」を使った、現在の教科書の
ほうが、時代遅れ。
地球温暖化防止を理由にするまでもない。


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●SONYのPSP


 私は現在、SONYのPSP(電子ゲーム機器)を使って、遊んでいる。
「モンスター・ハンター2G」(通称「モンハン」)。
現在、「3G」が発売になっている。
が、「2G」だけでも、精一杯。
買って、もう10日になるが、いまだに初期ステージの村で、うろうろしている。


 そのゲーム。
子どもたちの心を捕らえて放さない。
ゲーム機器を見せただけで、目の色を変える。
PSPをもっているというだけで、私はみなの人気者になってしまった。


毎日のように子どもたちがいろいろなソフトを見せてくれる。
ゲームの仕方を教えてくれる。
おとといは(15日)は、ゲームを無線LANでつないで、たがいに対戦する方法
を教えてもらった。


 私はそういう子どもたちを見ながら、どうしてこういう機器を、教育に
もっと利用しないのか、と考えた。


●パソコンの世界


 パソコンを使っていない人に、いくらそのすばらしさを説明しても無駄。
理解すらできない。
しかしパソコンがそこにあり、ネットにつながっているということは、
座右に、巨大な図書館があるようなもの。
しかも司書つき。
最近では、私は語句の使い方まで、検索をかけて調べるようになった。
辞書がわりにもなる。


 そのパソコンの世界は、まさに日進月歩。
たった10年前には、10GBのハードディスクの出現に目を丸くした。
それまでは「メガバイト」の時代だった。
それがやっと「ギガバイト」の時代になったと思っていたら、友人から電話。
「台湾製だが、10GBのパソコンが出た。買わないか?」と。
私は、すぐとびついた。


 今では、デスクトップパソコンともなると、1TB(1000GB)
は当たり前。
2TBの時代になりつつある。
搭載するメモリーについても、そうだ。
現在私が使っているデスクトップは、12GBのメモリーを搭載している。


 仮に1TBもあれば、全世界の全学年の教科書を丸コピーしても、おつり
がくるはず。
しかしそんな必要はない。
ネットでつなげば、その?億倍の情報を、居ながらにして、自分のものに
することができる。


 私など、この数年、ほとんど図書館へ行っていない。
それまでは毎週のように、図書館へ通っていたが……。
これが時代の流れ。


●可能性


 デジタル教科書の是非を争っても、意味はない。
というのも、デジタル教科書そのものが、無限の可能性を秘めている。
すでに紙のようにペラペラと曲がるモニター(表示装置)も開発されている。
その気になれば、現在使っている教科書とそっくり同じよな教科書も作る
こともできる。


 どうしても……ということなら、それも可能。
(そんな必要はないと思うが……。)


 が、そこで進歩が止まるわけではない。
デジタル教科書といっても、将来的には、かぎりなく薄く、軽くなる。
さらに学校と子どもを、デジタル教科書を介して、直接つなぐことも可能。
もし「性能がよすぎる」というのであれば、いくらでもダウンサイズできる。
大は、常に小を兼ねる。


 反対派の人たちは、「無駄になる」というようなことを言っているようだ。
そういう話は聞いたことがある。
どうして?


 たとえばもっともシンプルにデジタル教科書を考えてみよう。


(1)教科書を、SDカードのようなものにコピーする。
あとはそのSDカードを学年ごとに、差し替えればよい。
子どもたちは、何冊も教科書をもって歩く必要はない。


(2)全国の教師が、自作のテキストやワークブックを共有する。
それだけでも、膨大な情報量になる。


 いいことづくめで、悪いことは何もない。


 どうしてもっとシンプルに、ものごとを考えることができないのか。


●反対論者


 私は私で、白紙の状態から、この問題について考えたかった。
どういう理由で反対しているのか、今の段階では、私にはわからない。
しかしこの問題を考えるとき、ひとつの大きな問題をクリアしなければならない。
それが「知識と思考」の問題。


 この先、知識は、かぎりなく価値を失う。
知りたいことがあれば、パソコンを使い、その場で知ればよい。
言い換えると、「もの知り」は、お呼びではない。


 その半面、「思考」が重要な意味をもつようになる。
わかりやすく言えば、「自ら考える子ども」。
「自ら考える人間」。


 考えるということは、そこにある事実を加工、分析、さらに論理的に
積み重ねることをいう。
その意識、つまり教育に対する考え方を、基本的な部分で、まず変えなければ
ならない。
すでに多くの大学では、「辞書、参考書、持ち込みOK」という入試方法を
とっている。


(AO入試方法については、学力の低下を理由に、見直す大学がふえているのも
事実だが・・・。)


 つまり「学校教育イコール、知識教育」という、旧態の固定観念を捨てる。
「知識」にこだわるかぎり、便利すぎる文明の利器は、人間をかえって怠惰にする。
それはそうだが、暗記に始まって、暗記に終わる現在の教育システムが、だれも正常
とは考えない。


●過去


 少し話を過去に戻す。


 戦後のある時期までは、日本の電子機器は、世界をリードしていた。
が、それは今では、当時の面影は見る影すらない。
ほとんどの分野を、とくに韓国、台湾に奪われてしまった。


 コンピューター教育にしても、しかり。
なぜに、現在の韓国があり、台湾があるか、それを考えてみればよい。
日本が二の足を踏んでいる間に、彼らは、小学レベルから、コンピューター教育を
始めた。
オーストラリアでさえ、現在34歳の二男が11歳だったから、23年以上も前から、
小学レベルでコンピュータ教育をしていた(南オーストラリア州)。
私が目撃した。
さらにアメリカでは、10年以上も前から、しかも4歳児からコンピューター教育を
していた。
私が目撃した(アーカンソー州)。


 が、この日本では、「教員がいない」「教員資格がどうの」「教授を育てるまでに
20年」「カリキュラムが定まらない」などという、理由にもならない理由を並べて、
結局、コンピューター教育は実現しなかった。


 少し乱暴な意見に聞こえるかもしれないが、まず、やってみること。
多少の試行錯誤はあるかもしれない。
失敗もあるだろう。
しかしそんなことを恐れていて、何ができる?


●否定派


 ……という段階で、今朝、反対派の人たちが、どんな理由を並べているか、調べて
みた。
書店にあった本を書いた著者のHPを開いてみた。
そこには、同じようにズラリと、いろいろな人が反対意見を並べていた。
それを箇条書きに、整理してみる(以下、池田信夫氏のウェブサイトより)。


(1)同じような話は20年前からあった。
当時の文部省は、BTRONという日の丸パソコンを全国に配布しようとしたが、
失敗した。


(2)ソフトバンクが、全国2000万人の学生と教員全員に、無料でiPadを
配布すると宣言した。
実態は、デジタル教科書のリース料(ひとり月額280円)を子ども手当てでまかなおう
というもの。
これは税金の食い逃げ。


(3)英語教育ひとつとっても、北朝鮮に負けるような状態。
英語のできない教師をクビにすることもできない。
こんな状態で、生徒に端末を配っても無駄。


(4)ハコモノのばらまき行政では、何も解決しない。
まずやるべきなのは、非効率な教育システムをITで合理化し、無能な教師や
不要な事務員を削減すること。
教育バウチャーなどによって、学校間の競争を導入すること。
(以上、池田信夫氏のウェブサイトより)


●順に検討してみよう


(1)同じような話は20年前からあった。
当時の文部省は、BTRONという日の丸パソコンを全国に配布しようとしたが、
失敗した。


★20年前というと、コンピューターの世界では、やっとラップトップ・パソコンが
TOSHIBAから発売になったころ。
そんなとき、今と同じデジタル教科書の話があった?
少なくとも私は知らない。


(なおBTRONについては、池田氏は誤解している。後述。)


私はそのころ東京の秋葉原まで二男を連れて行き、その1台、買った。
値段は40万円を超えていた。
そんな時代の失敗を、今、どうして持ち出すのか?


(2)ソフトバンクが、全国2000万人の学生と教員全員に、無料でiPadを
配布すると宣言した。
実態は、デジタル教科書のリース料(ひとり月額280円)を子ども手当てでまかなおう
というもの。
これは税金の食い逃げ。


★280円なら、安い!
280円x12か月x12年=40320円。
リースだから、12年後には、さらにすぐれた機能をもった端末機が、現れるはず。
子ども手当てだけも、じゅうぶん、おつりがくる。
教科書会社は巨億の利権にぶらさがり、好き勝手なことをしている。
教科書会社ならよくて、どうしてソフトバンクだと、だめなのか。


(3)英語教育ひとつとっても、北朝鮮に負けるような状態。
英語のできない教師をクビにすることもできない。
こんな状態で、生徒に端末を配っても無駄。


★どうしてここで「英語」が出てくるのか。
「英語教育をやめて、論語を読ませろ」と主張する学者も多い。
英語ではなく、数学や理科では、どうしていけないのか。
英語という「言語」教育であれば、英会話ができる・できないは、つぎの問題。
それに今どき、英語の話せない英語教師はいない!
いつの話をしているのか。
現に今、税金の食い逃げをしている教科書会社を、どうして問題にしないのか?


(4)ハコモノのばらまき行政では、何も解決しない。
まずやるべきなのは、非効率な教育システムをITで合理化し、無能な教師や
不要な事務員を削減すること。
教育バウチャーなどによって、学校間の競争を導入すること。


★教育は、能率だけではできない。
「カリキュラム」という言葉を使って反対する人も多い。
しかし教育は、カリキュラムどおりには、進まない。
相手は、子どもという「人間」である。
そのときの様子をみて、臨機応変に対処する。
それが教育である。


 また「無能」という言葉を安易に使ってほしくない。
同じ公務員の中でも、もっともハードな仕事を強いられているのが、学校の教師。
1週間の間に、「空き時間(=休み時間)」が、カリキュラム通りだと、1~2時間
しか取れない。
それを教師たちがみな、たがいにやりくりしあって、3~4時間にしている(静岡県)。
「無能」という言葉を使うなら、まず自分でやってみること。


●「やらまいか精神」


 浜松に住むようになって、40年。
当初、この浜松へ来て、驚いたことが2つある。


 ひとつは、「文化」の「ブ」の字も感じなかったこと。
おそろしく文化の低い町と思った(失礼!)。


 たとえば私が学生時代を過ごした金沢では、毎週のように近くの公民館で、
講演会があった。
大学やその道の専門家が、町の人たちに何かの講演をしていた。
夕方になると、あちこちから三味線や謡(うたい)の音や声が聞こえてきた。
祭りともなると、城内の大学生が率先して参加していたし、コンサートも頻繁に
行われていた。
浜松には、静岡大学の工学部もあったが、学生の「臭い」すら、どこにもなかった。
しかし、この話は、今回のテーマには関係ない。


 もうひとつは、「やらまいか精神」。
無責任と言えば、無責任。
無謀と言えば、無謀。
しかしこの浜松の人たちは、何でも新しいものが、好き。
当時私はいくつかの会社を回りながら、貿易の手伝いをしていた。
社内報も書いていた。
そんなとき私が何か新しいことを提案すると、経営者たちはみな、即座に、
「やらまいか(やってみよう)!」と答えてくれた。
ポンと言えば、ポンと返ってくる。
そんな感じだった。
これを称して「やらまいか精神(魂)」という。


 金沢は何かにつけて、保守的。
それに対比して、浜松は何かにつけて、革新的。
今では、そうした土着性はともに、かなり薄められてしまったが、なくなってしまった
わけではない。
逆算すると、50年前には、その「やらまいか精神」は、もっと強かった。
100年前には、もっと強かった。


だからこの浜松から、HONDAが生まれ、SUZUKIが生まれた。
YAMAHAが生まれ、KAWAIが生まれた。
ROLANDもうまれた。
ホトニクスも生まれた。
ついでにあの豊田左吉も、この浜松(浜名湖の西)で生まれ育っている。
TOYOTAの豊田左吉だぞ!


 もしこの浜松がなかったら、その後の、そして現在の日本はなかった!


●BTRON


 日本全体が、今風に言えば、草食系になってしまった。
おとなしく、万事、事なかれ主義。
池田信夫氏のウェブサイトを読んでいると、それを強く感ずる。
BTRONの話が出たので、ついでに一言。


 BTRONというのは、東京大学の坂村健氏によって開発された、ビジネス向き
OS。
(デジタル教科書の話ではなく、OSの話だぞ!)
当時日本には、アップルのOSのみがあり、Windowsは、まだ実用段階には
入っていなかった。
それで時の政府が、BTRONに目をつけ、全国の学校を基盤に普及させようとした。
が、これに「待った!」をかけたのが、時のアメリカ政府。
「スーパー301条」の適応をちらつかせ、それを抑え込んでしまった。
池田氏が言うように失敗したのではない。
日本が二の足を踏んでいるちょうどそのとき、アメリカによってつぶされてしまった。


 またBTRONは、OS(オペレーティング・システム)の話であって、今回の
デジタル教科書の話とは、まったく関係がない。
BTRONが失敗したから、今度も……という主張には、無理がある。
池田氏は、デジタル教科書とBTRONの失敗(?)を、たくみにすりかえている!


 一方、この日本でもコンピューター教育の動きはあった。
やはり20年ほど前のことである。


 それを全国に普及させようとしたのが、時の通産省。
反対したのが、時の文部省。
失敗したのでは、ない。
その理由は、先に書いた。


再度、平たく言えば、「教員免許をもった工学系の教師がいない」「教員免許をもたない
教師は、教壇に立たせるわけにはいかない」「コンピューターの指導資格をもった
教員を育てるためには、教育学部に、その学部を作らねばならない。そのためには、
20年かかる」と。


●終わりに


 あのとき、BTRONを全国に普及させていたら、その後の日本は大きく
変わっていただろう。
日本には電子産業の分野で、世界をリードする底力があった。
現にアメリカにさえ、一歩も二歩もリードしていた。


もしあのとき、日本がコンピューター教育を推進していたら、その後の日本は
大きく変わっていただろう。
今ごろ世界中のコンピューターで、BTRONが活躍していたかもしれない。
少なくとも韓国や台湾に、遅れを取ることはなかった。
今や日本の電子産業は、風前の灯火(ともしび)。
今では国民1人あたりの所得では、シンガポールに抜かれてしまった。
2025年には、韓国にも抜かれる。


 どうして「やってみないのか!」。


 それがわからなければ、40年前の映画、『2001年、宇宙の旅』を観てみる
ことだ。
あの映画の中に、紙製の本でも出てくれば話は別。
近未来の世界というのは、そういう世界。
どうして今、紙製の教科書にこだわるのか。
その理由が、まったく私には理解できない。


 迷っているヒマはない!


 デジタル教科書は、いますぐ軌道に乗せたらよい。
何を迷っているのか!
「まず、羽ばたけ。体はあとからついてくる!」。


 このつづきは、またあとで書いてみたい。


(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 デジタル教科書 電子教科書 教科書のデジタル化)

池田信夫氏のサイト
http://agora-web.jp/archives/1065328.html


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