2011年10月14日金曜日

*Prince or Freedom?

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 彡彡人ミミ      彡彡彡彡彡
| ⌒ ⌒ |   MM ⌒ ⌒ MM
q 0―0 MMMMM ∩ ∩ MM m
(″ ▽ M ⌒ ⌒ M″ v ゛)/ ̄)
凸/Σ▽乃q ・ ・ p ̄Σ▽乃 ̄` /
\   /(″ ▽ ゛)\    厂 ̄偶
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 子育て最前線の育児論byはやし浩司     10月  14日号
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【小1児に方程式を教えてみました】(はやし浩司 2011-09-27)


ほかの勉強とちがい、小1児では、方程式の概念をほぼ理解できた子どもが、70%。
まったく理解できなかった子どもが30%と、きれいに2つのグループに分かれました。
方程式を教えるためには、なお一層の工夫が必要と言うことが、わかりました。
なお今回は、ビデオカメラを忘れたため、手持ちのデジタルカメラを使って撮影しました。
そのため、途中、10分ほどの学習分が、録画できませでした。ごめんなさい!

(1)


(2)


(3)



Hiroshi Hayashi++++++Sep. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【日韓経済戦争】(2011年9月28日記)


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たがいにつづく、はげしい消耗戦。
本来なら、隣国として助け合って生きていかねばならない。
しかし不幸にして不幸なことに、日本と韓国の間には、大きなわだかまりがある。
反日と嫌韓。
加えて、双方の民族に共通する、精神の二重構造。
わかりやすく言えば、キツネとタヌキの化かしあい。
たがいに、何が本当で、何がウソかわからない。


が、ここにきて韓国経済は、大きな岐路に立たされている。
9月26日(火曜日)、ここ数日の世界的な株価上昇傾向を受け、
日本の株価(日経平均)は、236円の上昇をみた。
が、韓国の株価は、はげしい動揺を繰り返している。


ウォン安と株安。
輸出に依存する韓国としては、ウォン安を維持したい。
しかしウォン安になればなるほど、国内の物価は高騰する。
食料やガソリンなど。
どれも国民生活に直結している。


が、もっと深刻なことに、韓国では国民負債(金融負債)が、73兆円前後もあると言わ
れている。
(中央日報紙は、200兆円と報道している(2011年4月※)。)


多くはカード利用者。
日本の経済規模に換算すると、2・5倍の183兆円(韓国の人口は5000万人弱)。
中央日報紙の数字によれば、500兆円。
もしここで貸し出し金利をあげ、ウォン安を是正しようとすれば、その負担は即時に国民
にはね返ってくる。
今さら貸し出し金利をあげることもできない。


韓国人は、現在、国家的な「ワーキングプア状態」にある。
が、その責任は、多くの韓国人が思っているように、日本にあるわけではない。


大半の銀行は、アメリカの資本下にある。
サムスン、ヒュンダイにしても、実質的にアメリカの会社とみてよい。
そういう事実を韓国人は、まったく知らない。
知らないというか、知らされていない。


日本も円高で苦しんでいる。
しかし日本の貿易収支は、意外と少ない。
全体の5~10%程度。
そのほかの部分は、資本収支、つまり「貸金業」で得ている。
私たちが学生時代には、「日本は貿易立国」というふうに学んだ。
しかし今は、実質的に、「高利貸し国家」に変身している。


(注※)(以下、中央日報、2011年4月4日より)


『1年間の収入が1100万ウォンで、負債が2500万ウォン。
韓国はこのような暮らしをしている。


企画財政部と韓国銀行(韓銀)は3日、昨年末基準で個人・企業・政府の金融負債は25
86兆2754億ウォン(約200兆円)と明らかにした。09年(2408兆ウォン)
に比べて7.4%増えた。


負債が最も多い経済主体は企業。昨年末基準で1281兆8392億ウォンの負債を抱え
ている。個人は937兆2873億ウォンで前年比8.9%増えた。年内に1000兆ウ
ォンを超える見込みだ。


政府の負債は367兆1016億ウォンで、個人や企業より少ない。しかし02年と比較
した負債増加率は政府(267.8%)が最も高く、企業(93.7%)と個人(88.
6%)の順となった』(以上、中央日報紙より)と。


+++++++++++++++++++++


●日韓経済戦争

 日韓経済戦争については、長い間、書いてきた。
しかし3・11大震災以後は、停止。
日韓経済戦争どころではなくなってしまった。
あなたもそうだろうが、私もそうだった。
だれしも、こう思った。
「日本経済は、これでおしまい」と。


 これに小躍りしたのが、韓国の投資家たち。
日本株価の大暴落を横に見ながら、韓国の株価は大暴騰。
「大暴騰」という事実の中に、彼らの喜びが隠されていたとみる。
韓国人は、みな、こう思ったにちがいない。
「これで日本と韓国の立場は、逆転する」と。
事実、そうなるかのように見えた。
そこでイ大統領は、過激なとも思えるような手法で、ウォン安を誘導し、世界に向けて輸
出攻勢をかけた。
が、これが裏目に出た。
モノを売りたくても、買い手がいない!
肝心のEUは、欧州金融危機の真っ最中。


 結局、そのシワ寄せは、国民に。
それが500兆円という国民負債である。
人口5000万人で割ると、1人あたり、100万円。


 が、私はとても、こんな額ではないと考えている。
基本的な部分で、韓国の政府統計を、私は信用していない。
「借金」すらも、「投資」と位置づけてしまう国である。
2009年の6月に書いた原稿を、そのまま再掲載する。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司


【日韓経済戦争】2009年6月28日号より


●韓国の資本収支(?)(Fake Income of South Korea)


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あなたが今、銀行から1000万円の借り入れ(借金)を
したとする。
その借り入れを、あなたは「収入」と呼ぶだろうか?
「収入」と位置づけるだろうか?
が、韓国では、どうやらそれを「収入」と位置づけている
らしい。


++++++++++++++++++++


●貿易統計


 このほど、韓国の貿易統計が公表された。
それによると、「5月の経済収支は、4か月連続の黒字となった」という。
その額、36億3000万ドル、とか(東亜N報)。
しかしその中身が、おかしい。
こうある。


『……資本収支は国内各金融会社の海外からの借入金が増えたことを受け、史上2番目に
多い純流入を記録した』(同)と。
 ここを注意深くよく読んでほしい。
こうある。


「海外からの借入金が増えたことを受け、史上2番目に多い純流入を記録した」と。
 そしてその額は韓国銀行の統計によれば、『5月の資本収支は、67億2000万ドルの
純流入により、4月(21億6000万ドルの純流入)に比べて流入規模が大幅に増えた。
純流入では、史上最高を記録した、04年11月の76億7000万ドル以降、4年6ヵ
月ぶりの最大規模だ』(同)そうだ。


 つまり、67億2000万ドルの「純流入?」なるものは無視したまま、資本収支は、
大幅に黒字になった、と。
先に進む前に、もう一度、数字を整理してみよう。


(1) 5月の経常収支(貿易収支+サービス収支)は、36億3000万ドルの黒字を記
録した。
(2)一方資本収支は、67億2000万ドルの「純流入?」だった。
 わかるかな?
この数字のマジック?


 簡単に説明しよう。


 ふつうどこの国でも、(もちろん日本でも)、資本収支というのは、(利息で得たお金)-
(利息として払ったお金)で計算する。
一家の家計にたとえて考えてみよう。


 あなたがAさんに1億円を貸した。
その利息が500万円入った。
つまりこれが資本収支でいう「収入」ということになる。


 一方、あなたはBさんから5000万円を借りている。
そのため利息を、250万円、支払わねばならなかった。
そこであなたの収支を計算すると、500-250=250万円となり、
250万円の黒字ということになる。
これを「流入」というのなら、話はわかる。


 ところが韓国では、「借金」まで、「流入資本」と位置づけ、「収入」としてしまう。
ここが恐ろしい。
もう一度、冒頭の記事をしっかりと読んでみてほしい。
こうある。


『……資本収支は国内各金融会社の海外からの借入金が増えたことを受け、史上2番目に
多い純流入を記録した』(同)と。


 「借金がふえたことにより、史上2番目の純流入を記録した」と。


わかりやすく言えば、借金については、不問。
しかしこんなバカげた経常収支報告が、どこにある。
韓国では、銀行からの借金は、すべて「収入」もしくは、「投資」となるらしい。


 もちろん「借金」は、「収入」ではない。
また「借金」と「投資」は、まったく異質のものである。
「借金」というのは「借金」。
いつか返済しなければならない。


一方、「投資」というのは、投資方が、そのリスクを負担する。
 で、ここで韓国の「純流入」とやらを、借金として計算しなおしてみる。
(もちろんその中では、日本で言う資本収支も含まれているが……。)


商品収支(=日本で言う貿易収支)……50億2000万ドルの黒字
サービス収支……14億7000万ドルの赤字
これで(?)、36億ドルの黒字(?)。
ナルホド!


そこで韓国政府は、「36億ドルの黒字だった」と、全世界に向けて発表した。
が、この額から、資本収支……67億2000万ドルの黒字(?)なるものを
引いてみると、どうなるか?
実は、31億ドルの赤字ということになる。
もう一度、家計にたとえて考えてみよう。


 あなたの現金収入は、50万円。
しかし子どもの学費、生活費などで、14万円、かかった。
だから36万円の収入ということになる。
が、同時に銀行から、67万円を借りた。
もちろんその67万円は、生活費に回した。


だから実際には、生活費は、14+67=81万円、かかったことになる。
今すぐ利息を返さねばならないというものではないが、借金は借金。
もしあなたがまともなら、こういう数字を見て、「我が家は今月も黒字だった」などとは、
言わないだろう。


実際には、31万円の赤字ということになる。


 つまりここに韓国流の経常収支の計算の仕方の、インチキ性がある。
日本の経常収支の計算方法とは、まったく異質のものである。
日本の貿易業者のみなさん、だまされるな!
(以上、2009年6月28日記)


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司


●危機感


 当時の私は、かなり過激的な意見を書いていた。
それだけ私は日本の将来に、危機感を覚えていた。


韓流ブームとか何とかで、日本中が、韓国の洗脳番組にわきたっていた。
よい年齢をしたオバチャンたちが、こぞって韓国詣で。
そういう日本人のお馬鹿ぶりを尻目に、韓国政府はしたい放題。
結果、今や、アメリカでは、50%のテレビが韓国製。
貿易面ではしかたないとしても、竹島問題、東海問題などなど。


●消耗戦


 が、今も、その状況は基本的には変わっていない。
むしろ韓国政府は、国民の不満を外にそらそうと、反日政策をさらに強く推し進めている。
「悪いのは、日本!」と。


 が、韓国をよく知る人は、よくこう言う。
「韓国人は、政治(反日)と経済(親日)を、使い分けている」と。


 本当にそうか?
そう考えてよいのか?
もちろん私は、そうは考えていない。
それが冒頭に書いた、「精神の二重構造性」ということになる。


 もし現在の状況のまま、日韓の経済的立場が逆転するようなことにでもなれば、それこ
そ日本は万事休す。
日本は、インドに負けるのは構わない。
ブラジルに負けるのも、構わない。
しかし韓国にだけは、負けてはいけない。
日韓経済戦争には、日本の浮沈に関する重大かつ、深刻な問題が内在している。
それについてここに書くのは、避けたい。
避けたいが、何がどう内在しているかは、ほんの少し想像力を働かせてみれば、だれにも
わかるはず。


 今の今もつづく、はげしい消耗戦。
どちらが生き残るか。
それで、日韓経済戦争の勝者が決まる。
ここは、ただひたすら注視あるのみ。
2011/09/28朝記


Hiroshi Hayashi++++++Sep. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●9月27日を終えて……

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今日は運動を2単位(サイクリング40分+ウォーキング30分)。
食事は控えめ。
体重は65キロ前後をキープ。
目標は、62~3キロ。

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●小さな満足感

 仕事からの帰り道、車の中で、ワイフとこんな会話をした。

私「ぼくはね、生徒というのは、去っていくだけの存在と考えていた。
『人来たりて、また去る』とね。
フランスの詩人のジャン・ダルジーの言葉だよ。
しかし20~30年の歳月を経て、生徒たちは、また戻ってきてくれた」
ワ「そうね。みんな戻ってきたわね」
私「……うん。みんな自分の子どもを連れて、戻ってきてくれた」
ワ「今、来ている生徒のほとんどが、そうみたいね」
私「……うん、60歳を過ぎて、こんなふうになるとは、夢にも思っていなかった……」

ワ「よかったわね……」
私「……うん。よかった……。覚えているか? あのAさん、Mさん姉妹、それにEさん
たち……」
ワ「覚えているわ」
私「あの4人は、そのとき小学3年生と4年生だった。
英語検定試験というのがあってね、4人とも、3級と4級に合格した。
今の児童英検ではないよ。
本物の英語検定試験だよ。
当時、小学生の合格者は、全国でも、7~8人だけだった。
ぼくはそのとき、『全国の合格者の半分は、うちの生徒だ』と、みなに自慢した」

ワ「そんなこともあったわね」
私「でね、うち3人は、女医さんになった。
もう1人は、ある国際機関で、事務局長をしているらしい」
ワ「あのEさんが……?」
私「そうだよ。ネットで調べたら、彼女の名前が出てきた……。
でね、今、その人たちの子どもが3人も、ぼくの教室に来ている……。
ぼくはね、それがたまらなく、うれしい……」と。

 ……しばらく沈黙がつづいた。
が、ふと独り言のように、「ハーバード大学」という名前が、口から出てきた。
小さな声だったが、ワイフはそれを聞き漏らさなかった。

ワ「すごいわね」
私「……うん……すごい」
ワ「ハーバード大学の医学部で研究室をもっているなんて、すごいわね」
私「うん、うれしい。ぼくはうれしい」
ワ「あなたのやってきたことの、正しさが証明されたのよ」
私「あのときのあの子たちが……と思うと、ね」と。

 当時、私は頭のよい女の子だけを4人集め、特訓教室を作った。
「英語検定試験にチャレンジしてみる!」と。
それが先に書いた、4人の子どもたちである。

 この40年間にいろいろなことがあった。
しかし今夜ほど、今の仕事に、意味を感じたことはなかった。
だれにも束縛されない、独自の教育。
独自の教材。
独自のカリキュラム。
そして自由!

 ただ誤解しないでほしいことがある。
だからといって、独善ではいけない。
それは、私もよくわかっている。
しかし私は学研という会社で、教材作りを、20年近くも経験している。
「幼児の学習」「なかよし学習」は、当時、毎月47万部の発売を記録した。
それ以後も、無数の教材の制作に関わってきた。
教材の世界では、私はいつもメジャー・リーグの中で生きてきた。
そういう経験を生かして、今の仕事をつづけている。

 ……ということで、今夜の私は、穏やかに眠れそう。
小さな満足感で、一日中、心がポーッと温かかった。

みなさん、ありがとう!
そして……おやすみなさい!
2011/09/27記


Hiroshi Hayashi++++++Sep. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●9月30日(金曜日)(9月、最終日)

+++++++++++++++++

昨夜、仕事の帰りに、書店に立ち寄る。
「週刊新潮」誌を買う。
そのときついでに横に並んだ、女性週刊誌
を開くと、こんな記事が目にとまった。

何でも今度の皇太子妃のMさんの警備費に、
5000万円以上もかかったという。
(Mさんが、娘のサマーキャンプに同行した
ときの費用をいう。)
ホテルは、1泊、10万円。
プラス、あれこれ。
実際には、もっと多額の費用がかかったという(「週刊Z」誌)。

 女性週刊誌というと、皇室の(耳障りのよい)記事だけを
流していると思っていた。
その女性週刊誌が、皇室の批判記事。
こうした記事は、たいへん珍しい。
珍しいから、驚いた。

+++++++++++++++++

●北朝鮮の金ファミリー

 韓国の中央日報は、こんな記事を配信している。

 なんでも金正日(キム・ジョンイル)一家が、愛犬に年間10万~20万ドルを支出す
るなど豪華生活をしているという。

 いわく、『北朝鮮が2009-2010年に購入した米国製シードゥー・ジェットスキー
10余台は元山(ウォンサン)などの専用別荘で金正恩(キム・ジョンウン)が使用して
いる」とし「昨年10月にはロシアの代表的な馬を数十頭も購入し、金正恩とその家族が
乗馬用に利用している」と明らかにした』と。

金ファミリーのぜいたく生活は、以前から報道されている。
ほかにも、『金正日一家は09年、中国から「ジョニーウォーカーブルーラベル」など高級
ウイスキー200本を輸入、金正日が主管する宴会で消費した。昨年は仏ピカール社から
購入した最高級ワイン600余本を金正日が準備した宴会で消費したという』(同)と。

 その一方で、今年の北朝鮮は、台風に見舞われ、米作が大被害を受けたという。
そんなニュースも伝わっている。

●国それぞれ

 お金のある人は、それなりの生活をすればよい。
お金のある国は、それなりの国家運営をすればよい。
日本は日本だし、北朝鮮は北朝鮮。
国民がそれに納得しているのだから、私としては、これ以上のことは、ここには書けない。
ただ、こういうことは言える。

 個人としての幸福感は、もっと別のところにあるのではないか、と。
満足感でもよい。

 警備にそれだけの費用がかかるのは、しかたないことかもしれない。
必要経費。
しかし警備されるMさん自身は、どうなのだろうか。
さぞかし迷惑したことだろう……と思う。
私なら、「うるさい! 私のしたいようにさせて!」と叫んだかもしれない。

 一方、北朝鮮の金ファミリー。
ジェット・スキーを10余台も購入していたという。
さらに愛犬に、年間10万~20万ドルを支出しているとか。
20万ドルということは、北朝鮮人の平均月収の、10万倍!
(日本円に換算しても、1400万円。)
もちろん愛犬の世話係として、何10人もの担当者が割り当てられているにちがいない。
こちらは必要経費というより、「ぜいたく」。

 しかしどうであれ、ともに桁外れ。
「そういう世界もあるのだなあ」と思ったところで、思考停止。
私がおととい泊まった旅館は、1泊、7500円。
なんだか自分がみじめになる……と書きたいが、私はゼンゼン、みじめとは思っていない。
メルボルン大学にいたとき、私はインターナショナル・ハウスにいた。
当時、ハウスの留学生は、そのほとんどが、各国からの王子や皇太子ばかりだった。
そういう学生と、1年間、寝食を共にしたことがある。
そのとき書いた原稿を、いくつか、紹介する。

【世にも不思議な留学記』byはやし浩司、より(中日新聞掲載済み)

隣人は西ジャワの王子だった【1】

●世話人は正田英三郎氏だった

 私は幸運にも、オ-ストラリアのメルボルン大学というところで、大学を卒業したあと、
研究生活を送ることができた。

 世話人になってくださったのが正田英三郎氏。皇后陛下の父君である。

 おかげで私は、とんでもない世界(?)に足を踏み入れてしまった。私の寝泊りした、
インターナショナル・ハウスは、各国の皇族や王族の子息ばかり。西ジャワの王子やモ-
リシャスの皇太子。ナイジェリアの王族の息子に、マレ-シアの大蔵大臣の息子など。ベ
ネズエラの石油王の息子もいた。

 「あんたの国の文字で、何か書いてくれ」と頼んだとき、西ジャワの王子はこう言った。
「インドネシア語か、それとも家族の文字か」と。

 「家族の文字」というのには、驚いた。王族には王族しか使わない文字というものがあ
った。また「マレ-シアのお札には、ぜんぶうちのおやじのサインがある」と聞かされた
ときにも、驚いた。一人名前は出せないが、香港マフィアの親分の息子もいた。「ピンキー
とキラーズ」(当時の人気歌手)が香港で公演したときの写真を見せ、「横に立っているの
が兄だ」と笑った。

 今度は私の番。「おまえのおやじは、何をしているか」と聞かれた。そこで「自転車屋だ」
というと、「日本で一番大きい自転車屋か」と。私が「いや、田舎の自転車屋だ」というと、
「ビルは何階建てか」「車は、何台もっているか」「従業員の数は何人か」と。

●マダム・ガンジーもやってきた

 そんなわけで世界各国から要人が来ると、必ず私たちのハウスへやってきては、夕食を
共にし、スピ-チをして帰った。よど号ハイジャック事件で、北朝鮮に渡った山村政務次
官が、井口領事に連れられてやってきたこともある。

 山村氏はあの事件のあと、休暇をとって、メルボルンに来ていた。その前年にはマダム・
ガンジ-も来たし、『サ-』の称号をもつ人物も、毎週のようにやってきた。インドネシア
の海軍が来たときには、上級将校たちがバスを連ねて、西ジャワの王子のところへ、あい
さつに来た。そのときは私は彼と並んで、最敬礼する兵隊の前を歩かされた。

 また韓国の金外務大臣が来たときには、「大臣が不愉快に思うといけないから」という理
由で、私は席をはずすように言われた。当時は、まだそういう時代だった。変わった人物
では、トロイ・ドナヒュ-という映画スタ-も来て、一週間ほど寝食をともにしていった
こともある。『ル-ト66』という映画に出ていたが、今では知っている人も少ない。

 そうそう、こんなこともあった。たまたまミス・ユニバースの一行が、開催国のアルゼ
ンチンからの帰り道、私たちのハウスへやってきた。そしてダンスパ-ティをしたのだが、
ある国の王子が日本代表の、ジュンコという女性に、一目惚れしてしまった。で、彼のた
めにラブレタ-を書いてやったのだが、そのお礼にと、彼が彼の国のミス代表を、私にく
れた。

 「くれた」という言い方もへんだが、そういうような、やり方だった。その国では、彼
にさからう人間など、誰もいない。さからえない。おかげで私は、オ-ストラリアへ着い
てからすぐに、すばらしい女性とデートすることができた。そんなことはどうでもよいが、
そのときのジュンコという女性は、後に大橋巨泉というタレントと結婚したと聞いている。

 ……こんな話を今、しても、誰も「ホラ」だと思うらしい。私もそう思われるのがいや
で、めったにこの話はしない。が、私の世にも不思議な留学時代は、こうして始まった。
一九七〇年の春。そのころ日本の大阪では、万博が始まろうとしていた。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

王子の悩み【11】

●王子や皇太子は皆、偽名!

 ハウスの留学生は、各国の皇太子や王子、あるいは、皇室や王家の子息ばかりだった。
ほかの連中は、その国のケタはずれの金持ちばかり。このことは前にも書いた。


 しかし日本へ帰国したあと、その国から来た人に、そういう男を知っているかと聞いて
も、皆、「知らない」「そんな男はいない」と言う。そんなはずはない。そこである日、そ
れも五年ほどもたってからのことだが、同じハウスにいたオーストラリアの友人にそのこ
とを聞くと、こう教えてくれた。


 「ヒロシ、君は知らなかったのか。彼らは皆、偽名を使っていた」と。つまり警護上の
理由で、ハウスでは、偽名を使っていたというのだ。しかも私が彼らの仲のよい友人だと
思っていた男たちは、友人ではなく、それぞれの国の大使館から派遣された、護衛官であ
ったという。

 もちろん私は本名で通した。護衛官など、私にはつくはずもない。が、こんなことがあ
った。

 ハウスでは、毎晩二人一組で電話交換をすることになっていた。外からかかってきた電
話を、それぞれの部屋につなぐ係だ。その夜は、私とM国の王子が当番になっていた。し
かし彼は約束の時間になっても来なかった。

 そこで私は彼の部屋に電話をつなぎ、「早く来い」と命令をした。しかしやってきたのは、
彼の友人(あとで護衛官とわかった男)だった。私は怒った。怒ってまた電話をつなぎ、「君
が来るべきだ。代理をよこすとは、一体、どういうことだ」と叱った。

 やがて「ごめん、ごめん」と言ってその王子はやってきたが、それから数日後のこと。
その友人が私の部屋にやってきて、こう言った。「君は、わが国の王子に何をしているのか、
それがわかっているのか。モスリム(イスラム教)には、地下組織がある。この町にもあ
る。じゅうぶん気をつけろ」と。その地下組織では、秘密の裁判はもちろんのこと、そこ
で有罪と決まると、誘拐、処刑までするということだった。

 その王子。どういうわけだか、私には気を許した。許して、いろいろなことを話してく
れた。彼の国では、日本の女性とつきあうことが、ステータスになっているとか、など。
夜遊びをしたこともある。モグリの酒場に忍び込んで、禁制の酒を一緒に飲んだこともあ
る。

 が、一見、華々しく見える世界だが、彼は、王子であるがゆえに、そこから生ずる重圧
感にも苦しんでいた。ほんの一時期だけだったが、自分の部屋に引きこもってしまい、誰
にも会おうとしなくなってしまったこともある。詳しくは書けないが、たびたび奇行を繰
り返し、ハウスの中で話題になったこともある。

●「あなたはホテルへ帰る」

 そうそう私が三〇歳になる少し前のこと。私は彼の国を旅行することになった。旅行と
言っても、ほんの一両日、立ち寄っただけだが、彼が王族の一員として、立派に活躍して
いるのを知った。街角のところどころに、王様と並んで、彼の肖像画がかかげられていた。

 それを見ながら、私がふと、タクシーの運転手に、「彼はぼくの友だちだ」と言うと、運
転手はこう言った。「王子は、私の友だち。あなたの友だち。みんなの友だち」と。そこで
私が「彼と一緒に勉強したことがある」と言うと、「王子は、私とも勉強した。あなたとも
勉強した。みんなと勉強した」と。

 そこでさらに私が、「彼の家へ連れていってほしい。彼をびっくりさせてやる」と言うと、
「あなたはホテルへ帰る。私は会えない。あなたも会えない。誰も会えない」と。まった
く会話がかみ合わなかった。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

最高の教育とは【15】

●私はとんでもない世界に!

 私の留学の世話人になってくれたのが、正田英三郎氏だった。現在の皇后陛下の父君。
このことは前にも書いた。そしてその正田氏のもとで、実務を担当してくれたのが、坂本
Y氏だった。坂本竜馬の直系のひ孫氏と聞いていた。

 私は東京商工会議所の中にあった、日豪経済委員会から奨学金を得た。正田氏はその委
員会の中で、人物交流委員会の委員長をしていた。その東京商工会議所へ遊びに行くたび
に、正田氏は近くのソバ屋へ私を連れて行ってくれた。そんなある日、私は正田氏に、「ど
うして私を(留学生に)選んでくれたのですか」と聞いたことがある。

 正田氏はそばを食べる手を休め、一瞬、背筋をのばしてこう言った。「浩司の『浩(ひろ)』
が同じだろ」と。そしてしばらく間をおいて、こう言った。「孫にも自由に会えんのだよ」
と。

 おかげで私はとんでもない世界に足を踏み入れてしまった。このことも前に書いたこと
だが、私が寝泊まりをすることになったメルボルン大学のインターナショナルハウスは、
各国の王族や皇族の子弟ばかり。

 私の隣人は西ジャワの王子。その隣がモーリシャスの皇太子。さらにマレーシアの大蔵
大臣の息子などなど。毎週金曜日や土曜日の晩餐会には、各国の大使や政治家がやってき
て、夕食を共にした。

 首相や元首相たちはもちろんのこと、その前年には、あのマダム・ガンジーも来た。と
きどき各国からノーベル賞級の研究者がやってきて、数カ月単位で宿泊することもあった。
東京大学から来ていた田丸先生(二〇〇〇年度日本学士院賞受賞)もいたし、井口領事が、
よど号ハイジャック事件(七〇年三月)で北朝鮮へ人質となって行った山村運輸政務次官
を連れてきたこともある。山村氏はあの事件のあと、休暇をとって、メルボルンへ来てい
た。

 が、「慣れ」というのは、こわいものだ。そういう生活をしても、自分がそういう生活を
していることすら忘れてしまう。ほかの学生たちも、そして私も、自分たちが特別の生活
をしていると思ったことはない。意識したこともない。もちろんそれが最高の教育だと思
ったこともない。が、一度だけ、私は自分が最高の教育を受けていると実感したことがあ
る。

●落ちていた五〇セント硬貨 

 ハウスの玄関は長い通路になっていて、その通路の両側にいくつかの花瓶が並べてあっ
た。ある朝のこと、花瓶の一つを見ると、そのふちに五〇セント硬貨がのっていた。だれ
かが落としたものを、別のだれかが拾ってそこへ置いたらしい。

 当時の五〇セントは、今の貨幣価値で八〇〇円くらい。もって行こうと思えば、だれに
でもできた。しかしそのコインは、次の日も、また次の日も、そこにあった。四日後も、
五日後もそこにあった。私はそのコインがそこにあるのを見るたびに、誇らしさで胸がは
りさけそうだった。そのときのことだ。私は「最高の教育を受けている」と実感した。

 帰国後、私は商社に入社したが、その年の夏までに退職。数か月東京にいたあと、この
浜松市へやってきた。以後、社会的にも経済的にも、どん底の生活を強いられた。幼稚園
で働いているという自分の身分すら、高校や大学の同窓生には隠した。しかしそんなとき
でも私を支え、救ってくれたのは、あの五〇セント硬貨だった。

 私は、情緒もそれほど安定していない。精神力も強くない。誘惑にも弱い。そんな私だ
ったが、曲がりなりにも、自分の道を踏みはずさないですんだのは、あの五〇セント硬貨
のおかげだった。私はあの五〇セント硬貨を思い出すことで、いつでも、どこでも、気高
く生きることができた。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

非日常的な日常【19】
 
●ケタ違いの金持ちたち

 王族や皇族の子弟はもちろんのこと、公費留学生は別として、私費で留学してきたよう
な連中は、その国でもケタ違いの金持ちばかりだった。

 アルジェリアのレミ(実名)、ベネズエラのリカルド(実名)などは、ともにその国の石
油王の息子だった。フィージーから来ていたペイテル(実名)もそうだった。しかしその
中でも異色中の異色は、香港から来ていたC君という学生だった。実名は書けない。書け
ないが、わかりやすく言えば、香港マフィアの大親分の息子ということだった。

 彼の兄ですら、香港の芸能界はもちろんのこと、映画、演劇などの興行を一人で牛耳っ
ていた。ある日C君の部屋に行くと、彼の兄が「ピンキーとキラーズ」(当時の日本を代表
するポップシンガー)や布施明と、仲よく並んで立っている写真があった。彼らが、香港
で公演したときとった写真ということだった。

 いつかC君が、「シドニーにも、おやじの地下組織がある。何かあったら、ぼくに連絡し
てくれ」と話してくれたのを覚えている。

●インドネシア海軍の前で閲兵

 こういう世界だから、日常の会話も、きわめて非日常的だった。夏休みに日本でスキー
をしてきたという学生がいた。話を聞くと、こう言った。

 「ヒロシ、ユーイチローを知っているか」と。私が「ユー……」と口ごもっていると、「ユ
ーイチロー・ミウラ(三浦雄一郎、当時の日本を代表するスキー選手)だ。ぼくはユーイ
チローにコーチをしてもらった。君はユーイチローを知っているか?」と。しかも「日本
の大使館で大使をしている叔父と、一緒に行ってきた」などと言う。

 そういう世界には、そういう世界の人どうしのつながりがある。そしてそういうつなが
りが、無数にからんで、独特の特権階級をつくる。それは狂おしいほどに甘美な世界だ。

 一度、ある国の女王が、ハウスへやってきたことがある。息子の部屋へ、お忍びで、で
ある。しかしその美しさは、私の度肝を抜くものだった。私は紹介されたものの、言葉を
失ってしまった。
「これが同じ人間か……」と。

 あるいはインドネシア海軍がメルボルン港へやってきたときのこと。将校以下、数一〇
名が、わざわざバスに乗って、西ジャワの王子のところへ挨拶にやってきた。たまたま休
暇中で、ハウスにはほとんど学生がいなかったこともある。私はその王子と並んで、最敬
礼をする将校の前を並んで歩かされた、などなど。

●やがて離反

 が、私の心はやがて別の方へ向き始めた。もう少しわかりやすく言えば、そういう世界
を知れば知るほど、それに違和感を覚えるようになった。私はどこまでいっても、ただの
学生、あるいはそれ以下の自転車屋の息子だった。

 一方、彼らはいつもスリーピースのスーツで身を包み、そのうちのまた何人かは運転手
つきの車をもっていた。そういう連中と張りあっても、勝ち目はない。仮に私が生涯懸命
に働いても、彼らの一日分の生活費も稼げないだろう。

 そう感じたとき、それは「矛盾」となって私の心をふさいだ。最近になって、無頓着な
人は、「そういう王子や皇太子と、もっと親しくなっておけばよかったですね」などと言う。
「旅行したら、王宮に泊めてもらいなさい」と言う人もいる。今でも手紙を書けば、返事
ぐらいは来るかもしれない。しかし私はいやだ。そういうことをしてペコペコすること自
体、私にとっては敗北を認めるようなものだ。

 やがて私は彼らとは一線を引くようになった。彼らもまた、私がただの商人の息子とわ
かると、一線を引くようになった。同じ留学生でありながら、彼らは彼らにふさわしい連
中と、そして私は私にふさわしい連中と、それぞれグループを作るようになった。そして
それぞれのグループは、どこか互いに遠慮がちになり、やがて疎遠になっていった。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

王子、皇太子の中で【27】

●VIPとして

 夏休みが近づくと、王子や皇太子たちは、つぎつぎと母国へ帰っていった。もともと彼
らは、勉強に来たのではない。研究に来たのでもない。目的はよくわからないが、いわゆ
るハクづけ。

 ある国の王子の履歴書(公式の紹介パンフ)を見せてもらったことがある。当時は、海
外へ旅行するだけでも、その国では重大事であったらしい。それには旅行の内容まで書い
てあった。
「○○年X月、イギリスを親善訪問」とか。

 一方、オーストラリア政府は、こうしたVIPを手厚く接待することにより、親豪派の
人間にしようとしていた。そういうおもわくは、随所に見えた。いわば、先行投資のよう
なもの。一〇年先、二〇年先には、大きな利益となって帰ってくる。

 私のばあいも、ライオンズクラブのメンバーが二人つき、そのつど交互にあちこちを案
内してくれたり、食事に誘ってくれたりした。おかげで生まれてはじめて、競馬なるもの
も見た。生まれてはじめて、ゴルフコースにも立った。生まれてはじめて、フランス料理
も食べた。

●帝王学の違い?

 私たち日本人は、王子だ、皇太子だというと、特別の目で見る。そういうふうに洗脳さ
れている。しかしオーストラリア人は、違う。イギリスにも王室はあるが、それでも違う。
少なくとも「おそれ多い」という見方はしない。

 このことは反対に、イスラム教国からやってきた留学生を見ればわかる。王子や皇太子
を前にすると、「おそれ多い」というよりは、まさに王と奴隷の関係になる。頭をさげたま
ま、視線すら合わせようとしない。その極端さが、ときには、こっけいに見えるときもあ
る(失礼!)。

 で、こうした王子や皇太子には、二つのタイプがある。いつかオーストラリア人のR君
がそう言っていた。ひとつは、そういう立場を嫌い、フレンドリーになるタイプ。もうひ
とつは、オーストラリア人にも頭をさげるように迫るタイプ。アジア系は概して前者。ア
ラブ系は概して後者、と。

 しかしこれは民族の違いというよりは、それまでにどんな教育を受けたかの違いによる
ものではないか。いわゆる帝王学というのである。たとえば同じ王子でも、M国のD君は、
ハウスの外ではまったく目立たない、ふつうのズボンをはいて歩いていた。かたやS国の
M君は、必ずスリーピースのスーツを身につけ、いつも取り巻きを数人連れて歩いていた。
(あとでその国の護衛官だったと知ったが、当時は、友人だと思っていた。)

●王族たちの苦しみ

 私は複雑な心境にあった。「皇室は絶対」という意識。「身分差別はくだらない」という
意識。この二つがそのつど同時に現れては消え、私を迷わせた。

 私も子どものとき、「天皇」と言っただけで、父親に殴られたことがある。「陛下と言え!」
と。だから今でも、つまり五六歳になった今でも、こうして皇室について書くときは、ツ
ンとした緊張感が走る。が、それと同時に、なぜ王子や皇太子が存在するのかという疑問
もないわけではない。ただこういうことは言える。

 どんな帝王学を身につけたかの違いにもよるが、「王子や皇太子がそれを望んでいるか」
という問題である。私たち庶民は、ワーワーとたたえれば、王子や皇太子は喜ぶハズとい
う「ハズ論」でものを考える。しかしそのハズ論が、かえって王子や皇太子を苦しめるこ
ともある。

 それは想像を絶する苦痛と言ってもよい。言いたいことも言えない。したいこともでき
ない。一瞬一秒ですら、人の目から逃れることができない……。本人だけではない。まわ
りの人も、決して本心を見せない。そこはまさに仮面と虚偽の世界。私はいつしかこう思
うようになった。

 「王子や皇太子にならなくて、よかった」と。これは負け惜しみでも何でもない。一人
の人間がもつ「自由」には、あらゆる身分や立場を超え、それでもあまりあるほどの価値
がある。「王子か、自由か」と問われれば、私は迷わず自由をとる。

 私はガランとしたハウスの食堂で、ひとりで食事をしながら、そんなことを考えていた。

(注:さらに読んでくださる方は、「はやし浩司のHP」より、「世にも不思議な留学記」へ
どうぞ!(http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●時代は変わった?

 まあ、書きたいことは、いろいろある。
正田氏から聞いた話も、たくさんある。
しかしこの話は、ここまで。

 私は良識ある日本国民。
国として、国が定めたことには、従う。
2011/09/30朝記


Hiroshi Hayashi++++++Sep. 2011++++++はやし浩司・林浩司


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