2011年10月7日金曜日

*From where did Ichiro Ozawa get 400 million yen?

●小沢疑獄事件と4億円(天の声vs巨億の利権)2011/10/07記

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★岩手県や秋田県では、公共工事の談合で
小沢事務所の了解がなければ本命業者には
なれない状況だったという(判決要旨)。

★小沢事務所の秘書から発せられる本命業者と
することの了解はゼネコン各社にとって
「天の声」と受け止められていたという
(判決要旨)。

★元公設第1秘書の大久保隆規被告は2002〜03年
ごろから天の声を発出する役割を担うように
なったという(判決要旨)。

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●問題のすり替え

 今日、小沢一郎氏は、「完全無罪」を主張した。
が、今回の裁判では、そもそも、争点がズレている。
私たちが知りたいのは、「4億円の出所」。
つまり「入り口」。

が、裁判では、その「出口」が争われることになった。
つまり使われ方についての手続きの違法性が争点になっている。
わかりやすく言えば、仮に有罪になっても微罪。
本来問われるべき収賄罪とは、罪の重さがちがう。

 つまり小沢一郎氏は、巧みに問題のすり替えをしている。
肝心の4億円の出所を伏せたまま、出口だけを取りあげ、「違法なことはない」(公判後会見)と。
が、その「出口」もおかしい。
裁判官は、つぎのように判断している。

『……加えて、石川被告が4億円を同年10月13日から28日まで前後12回にわたり5銀行6支店に分散入金したことなどは、4億円を目立たないようにする工作とみるのが合理的。
4億円を原資とする土地取得も、04年分報告書に載ることを回避しようと隠蔽工作をしたとも推認される』(判決要旨)と。

 仮にそれが罪でなくても、なぜ「4億円を同年10月13日から28日まで前後12回にわたり5銀行6支店に分散入金したか」について、小沢一郎氏は、説明する義務がある。
さらにここにもあるように、04年に土地代金を支払いながら、名義変更は、翌年の05年に回している。

 私も、生涯において何度か土地売買の取り引きをしたことがある。
しかしこんなバカげた取り引きをしたことは一度もない。
小沢一郎氏は、代金を04年(10月)に払い、名義変更を05年(1月)にしている。
ふつう土地の売買においては、代金の支払いと同時に名義変更をする。
そうでもしなければ、買い手は不安でならない。

 それを裁判官は、「04年分報告書に載ることを回避しようと隠蔽工作をしたとも推認される」と判断している。
つまりもともと胡散(うさん)臭いお金だから、そういう小細工をした(?)。
だれしもそう考える。

●裁判では……

 今回の裁判では、小沢一郎氏は、無罪となる可能性はきわめて高い。
小細工を罰する法律はない。
「たまたま私はそうしただけです」と主張すれば、それ以上、小沢一郎氏の責任を追及することはできない。
4億円についても、「私のお金」(公判後会見)と突っぱねるだろう。

 が、それで私たち国民が納得するかどうかというと、それはない。
私たちは納得しない。
私たちが知りたいのは、あくまでも「入り口」
4億円の出所。

 裁判官は、「岩手県や秋田県では、公共工事の談合で小沢事務所の了解がなければ本命業者にはなれない状況だった」と断じている。
巨億の事業体である。
それが「天の声」として、長年に渡ってつづいていた。
もし裁判官が言っているとおりとするなら、4億円など、ハシタ金。
その10倍の40億円、さらに100億円と聞いても、私は驚かない。

 が、なぜか、検察側は、本命と言うべき贈収賄罪についての立件を断念している。
なぜか?

●もの言わぬ従順な民

 それにしても驚くべきことは、私たち日本人のもつ「従順さ」。
本来なら、もっと怒ってよいはず。
が、何も言わない。
何も行動しない。
怒りの声すら、あげない。

 いつの間にか、私たち日本人は、キバを抜かれてしまった。
自ら考えることすら、放棄してしまったかのようにも見える。
が、そんなのは美徳でも何でもない。
その先にあるのは、民主主義の崩壊。
いや、すでに崩壊している。

 日本は官僚主義国家。
こんなところで、へたに民主主義を補強すれば、自分たちの立場がかえって危うくなる。
国民を、「もの言わぬ従順な民」にしておくことこそ、肝要。
官僚とゼネコン。
この両者を癒着してくれる政治家こそ、彼らが望む政治家ということになる。
言い換えると、日本の民主主義は、ここまで地に落ちた。
今朝の小沢裁判の新聞記事を読みながら、そんなことを考えた。


Hiroshi Hayashi++++++Oct. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●10月7日(2011)

●ジョブズ氏の死

 米アップルの共同創業者、スティーブ・ジョブズ会長が、死去したという。
56歳だったという。
私はこのニュースを知って、こんなことを考えた。
「その一方で、巨億の資産を投資で失い、自殺した人もいるのに……」と。

 たとえば、ドイツの億万長者アドルフ・マークル氏がいる。
彼は電車に飛び込み自殺している(2009年)。
たとえばシカゴ不動産競売業者のスティーブン・グッド氏がいる。
グッド氏は、ジャガーの赤いスポーツカーの中で銃で自殺している(同、2009年)。

その反対でもよい。

 仮に巨億の富を築きあげたとしても、死ねばおしまい。
この宇宙もろとも、この世から消える。
だったら、仮に巨億の富を投資で失ったとしても、自殺するのは、バカげている。
 
 今回の大恐慌においても、こうした自殺者は、この先、跡を絶たないだろう。
アドルフ・マークル氏やグッド氏のような著名人は別として、私の身近にも似たようなケースはいくらでもある。
「事業に失敗して……」と。

 が、やはり死んだらおしまい。

●老後の資金

 この話と、「老後の資金」とどういう関係があるかと聞かれると、つらい。
老後というのは、言うなれば「死の待合室」に入るようなもの。
いくら「そうであってはいけない」と思っても、現実はそう。
(もちろんそれを悲観的に考える必要はないが……。)

 そんなとき、こう考える。
「あといくら財産があれば、いいのだろう」と。

 いろいろな経済誌が、退職後から(死ぬまでの)費用を試算している。
1人、1億円と言う人もいる。
2億円と言う人もいる。
が、公務員と蓄財に成功した老人をのぞけば、それだけの費用を用意するのは、不可能。
50代で、貯金額ゼロの人は、約30%もいるそうだ。
また60歳の定年退職時で、貯金ゼロの人は、50%もいるそうだ(F投信調査)。
どこかの証券会社が、そんな調査結果を公表している。

 が、その一方で、何十億円とか、何百億円とかいう財産を築きあげる人もいる。
冒頭にあげたジョブズ氏にしてもそうだろう。
足りなくても困るが、さりとて必要以上にあってもしかたないのが、老後の資金。
だから私たち夫婦は、現実的に、こう考える。

「財産がなくなったら、死のう」と。

 とりあえずは、今の仕事をできるだけ長くつづける。
「つづける」というよりは、「生き延びる」。
で、仕事ができなくなったら、残った財産で何とか「生き延びる」。
家と土地を売ることも、すでに視野に入れている。

 が、そのあとの生活設計が、私にはわからない。
わからないから、「ピンコロ」。
「できれば、ピンコロ」と。

●リチャード・マクドナルド

 投資に失敗し、自殺するのはバカげていると、私は書いた。
が、同時に、巨億の財産を築いたジョブズ氏を、私はうらやましいとは思わない。
世界のマスコミは、「世界の偉人」を失ったかのように書き立てている。
が、私はそうは思わない。
時流に乗っただけ。
もっとはっきり言えば、運がよかっただけ。

 あの程度の苦労をしている人は、いくらでもいる。
私もそうかもしれないし、あなたもそうかもしれない。
たとえばその一方で、こんな人がいたことを、あなたは知っているか。
リチャード・マクドナルドという人である。

 13年ほど前に(1998年)、89歳でなくなったが、あのハンバーガーチェーンの「マクドナルド」の創始者と言えば、だれでも知っている※。
が、当のマクドナルド氏自身は、早い時期にレストランの権利を別の人物(レイ・クロック氏)に売り渡している。
それについて生前、テレビのレポーターが、「損をしたと思いませんか」と聞いたときのこと。
マクドナルド氏はこう答えている。

「もしあのまま会社に残っていたら、今ごろはニューヨークのオフィスで、弁護士や会計士に囲まれてつまらない生活をしていることでしょう。
(こういう農場でのんびり暮らしている)今のほうが、ずっと幸せです」と。 

(注※)リチャード・ディック・ジェイ・マクドナルド(Richard "Dick" J. McDonald、1909年生まれ、1998年死去)

●金権教団

 要するに私たちは、意識的であるにせよ、無意識的であるにせよ、「金権」に毒されすぎているということ。
皮肉な言い方をすれば、全人類、オール「金権教団」というカルト教団の信者。
自由貿易体制(資本主義体制)の中ではしかたのないことかもしれない。
が、大切なことは、そういう世界にあっても、自分を見失わないこと。
見失ったとたん、たとえば「自殺」という道を選んでしまうかもしれない。

 で、再び、ジョブズ氏の話。

 たまたま彼は病気で死んだ(失礼!)。
巨億の富の蓄財にも成功した。
言うなれば、この世界での大成功者ということになる。
が、もし彼が、その事業で失敗していたとしたら、どうだろうか。
こんな仮定をするのは許されないことだということは、よく知っている。
が、もしその事業で失敗し、無一文になっていたとしたら……。
彼はどうなっていただろうか。
自殺していなかったと言えるだろうか。
現在の今、どう評価されていただろうか。

●結び

 ずいぶんと回りくどい言い方をした。
が、私は最近、現在の自由貿易体制(資本主義体制)に、疑問を感じ始めている。
もちろんだからといって、共産主義がよいというのではない。
(どこかのBLOGに、「はやし浩司は共産主義者」と書いてあったが、それはウソ。
マルクス経済学など、見たことも読んだこともない。)
が、今の自由貿易体制(資本主義体制)は、個人的にみても、また国家的にみても、不公平。
矛盾だらけ。

 その人が老後を安楽に暮らせるのに、2億円の費用がかかるとする。
しかしこの世の中、60歳で貯金ゼロの人が50%もいる半面、何十億円もの蓄財に成功した人もいる。

 国にしても、そうだ。
そうたいして働きもしないアメリカ人が、世界の富をかき集めている。
何かが、おかしい。
狂っている。

 私は経済学者ではないから、これ以上のことはわからない。
またどうあったらよいのかもわからない。
が、モヤモヤとしたものだけは、心の底に滞留している。

 現代という世界では、ジョブズ氏のような人物を、「大成功者」と呼ぶのだが……。


Hiroshi Hayashi++++++Oct. 2011++++++はやし浩司・林浩司

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