2009年6月15日月曜日

*Is Money Everything?

【金権教】

●「食べれば損(そこ)ねるか」「食べなければ損(そん)か」

 ワイフとこんな会話をした。
「食べれば損(そこ)ねるか」「食べなければ損(そん)か」と。
「損」という漢字は、「損(そこ)ねる」とも読める。
「損(そん)」とも読める。

 損ねるというのは、「体のどこかを傷(いた)める」という意味。
損するというのは、金銭的なロスをいう。
それをワイフに話すと、ワイフもすなおに賛成してくれた。
「(金銭的な意味で)、食べなきゃ、損と思っていると、
あっという間に太ってしまうわね」と。

私「じゃあ、金権(マネー)教の人は太りやすいということかな?」
ワ「そうねエ、食べ物を見て、すぐ金銭的な判断をする人は、食べなきゃ、
損を考えるかもね」
私「しかし自分の中から、金権教を抜くのは、たいへんなことだよ。
それまでの価値観を180度、変えなければならない人もいるから」と。

●金権教(マネー教)

 日本というより、世界中が、金権教(マネー教)の毒されている。
だから自分がその信者でいながら、その信者であることにさえ気がつかない。
そのことは隣の中国の人たちと比べてみてもわかる。
10年ほど前のことだが、実際に、こんなことがあった。

 子どもが川にはまって溺れた。
それを見て母親が周囲の人たちに助けを求めた。
で、中に1人、男が名乗り出てきて、こう言ったという。
「~~元、出してくれたら、助けてやる」と。

 こういう話を聞くと、日本人なら、「それはおかしい」と言う。
たしかにおかしい。
しかし当時の中国では、そうでなかったらしい?
あるいは中国でも特異な話だったかもしれない?
ともかくも金権教に毒されると、そういう発想で、世の中を見るようになる。

●ハイパーインフレ

 貧富の差が、さらに広がりつつあるという。
「ワーキングプア」という言葉にしても、新鮮味を失った。
今では、私もあなたも、みんなワーキングプア。

 一方、政府はジャブジャブどころか、どしゃ降り的に、マネーを
ばらまいている。
AS首相は世界へ行くたびに、その先々で、1兆円単位のマネーを
ばらまいている。
もちろん、この日本でも!

 そういったお金は、機関投資家や金融機関へと流れている。
が、庶民に届くのは、もっと先。
が、そのころそこで待っているのは、ハイパーインフレ。
やっとお金が回ってきたと思ったら、物価も消費税も2倍!、と。
AS首相のこうした金融政策に疑問を投げかける専門家も多い。
当然のことながら、09年6月に入って、AS首相の支持率が急落し始めている。

●金万能主義

 昔はその人の「家」を見て、その人を判断した。
「あの人は立派な家を建てた」「だから出世した」とか、など。
江戸時代の家制度の亡霊と考えてよい。

 それがある時代は、「自動車」になった。

大型の乗用車に乗っている人ほど、尊敬の念を集めた(?)。
(数年前の韓国もそうだったという話を聞いたことがある。
みな、こぞって大型車に乗りたがったとか。)
が、今は、金権(マネー)。

 「金権」というときの「権」は、「権力」の「権」ではない。
マネーがもつ「力」をいう。
マネーをもっている人は、その力にものを言わせて、好き勝手なことができる。
「金万能主義」ともいう。
「お金があれば、何でもできる」と、このタイプの人は、そう信じている。
さらに積極的に、「お金しか信じられない」とか、「信じられるのはお金だけ」とか、
そんなふうに考える。

●ではどうすれば、よいか

 自分の体にしみついた金権教を、どうすれば知ることができるか。
自分の心を映すカガミのようなものがあればわかりやすいが、そういうカガミはない。
そこで私なりにテストを考えてみた。

(1) 美術館などで、絵画の価値を、売買金額で決めることが多い。
(2) 金持ちの人を、成功者と称える傾向が強い。
(3) (反対に貧しい自分を、恥じる傾向が強い。)
(4) 世間的な見得を張ることが多く、金持ちぶることが多い。
(5) 明けても暮れても、考えることはマネーのことばかり。
(6) 金銭の損得計算にこまかく、うるさい。
(7) 自分が貧乏人に見られることを、とくに嫌う。
(8) 「人生で、お金がいちばん頼りになる」と信じている。
(9) 金儲けのためなら、家族は犠牲になって当然と考える。

 (1)~(9)までのうち、いくつかが当てはまれば、金権教の信者
ということになる。
相互に関連しあっているので、「何点以上が金権教」というようには、
判断できない。
たとえば見栄っ張りな人は、同時に自分貧乏人に見られることを嫌う。
明けても暮れても金儲けのことしか考えていない人は、当然のことながら、
金儲けためには、家族は犠牲になって当然と考える。

●歴史

 金権教がこれほどまでに優勢になったのは、戦後のことではないか。
とくに1965年前後から始まった、高度成長期以後のことである。
だれもが「マネー」「マネー」と言い出すようになった。

 よく「日本人には宗教観がない」と言われる。
それはその通りで、仏教そのものが形骸化し、中身を失ってしまった。
かわって金権教が台頭してきた。
中には「この仏法を信ずれば、庭の枯れ木に札の花が咲く」と教えて、
戦後急速に勢力を伸ばした新興宗教団体もある。

 で、今は、その高度成長期も一段落し、円熟期というか、後退期に
入っている。
金権教の信者だった人も、「今までどおりでよいのか」と疑問をもち
始めている。
出世主義が崩壊し、家族主義が主流になったのも、そのひとつ。
「仕事より家族が大切」などという考え方は、40年前には想像もつかなかった。

●ではどうするか

 先のテストで、「私は金権教の信者」と気づいたら、同時に、別の価値観
の創造をしなければならない。
それしないまま、金権教を自分からはずすと、それこそ糸の切れた凧の
ようになってしまう。

 では、その価値観とは何か?
どうすれば自分の中に、作ることができるか?
が、こればかりは、人それぞれ。
みなちがう。
自然主義、人間中心主義、平和主義、人道主義などなど。
真・善・美の追求もすばらしい。

 そうしたものに向けて、自分を燃焼させていく。
またそういう方法で、自分の価値観を創造していく。
で、私のばあいは、どうか。

 何を隠そう、私も団塊の世代の常として、金権教の信者だった。
人一倍、そうだった。……ように思う。
しかしそういう時代というのは、今から思い出しても、残るのは、後味の悪さだけ。
そういう自分を思い出しながら、人生を無駄にしたように感ずることもある。
お金の使い方にしても、もう少し賢い使い方をすれば、より中身の濃い人生
にすることができたと思う。
人間関係にしても、そうだ。

親類にすら、お金をだまし取られた。
が、それとて、私が蒔いた種。
いいかっこうをしすぎた(?)。
私自身に責任がなかったとは、言えない。

●私のばあい

 いまだに模索状態。
何かがそこにあるはずなのに、それがつかめない。
悶々としている。
もちろん金権教も残っている。
マネーは嫌いではない。
あればあるほど、楽しい。
ないと不安というより、収入として入ってくるマネーの流れが
止まるのが心配。
いまだに何かに追い立てられているような感じがする。
そういう感じを断ち切ることができない。
……難しい。

 ただ若いころとちがうのは、マネーの限界を強く感ずるようになったこと。
「マネーでは、幸福は買えない。
命も健康も買えない。
マネーでは、生きがいを買えない」と。

 その限界を、加齢とともに、強く感ずるようになった。
この傾向は、この先、ますます増大するだろう。
その結果……。

 それには私より年配の人たちの生き様が参考になるはずなのだが、
ざっと見回したところ、そういう人が、1人しかいない。
恩師のTK先生である。
肩書きを並べただけでも、数枚の紙に収まらないだろう。
しかしTK先生のばあい、一度とて、自分のほうからそれを求めた
ことはない。
人徳というか、結果として、そうなった。

 で、そのTK先生自身は、木造の古い家に住んでいる。
大正時代に建てられた家という。
研究者らしく、モノとしての財産には、ほとんど興味がない。
先日も会ったとき、こんな話をしてくれた。
「窒素の固定化を、そこらの植物がしています。
その分子を調べたら、20数万個もの元素でできているのです※。
どうしてああいうものが、自然界で、何の苦もなくできていくのか、
不思議でなりません」と。

 興味の対象、そのものがちがう。
私はその話を聞いたとき、TK先生を、心底、うらやましく思った。
TK先生は、いつも頭の中で、そんなことを考えている。

●終わりに……

 が、無数の人の金権教のおかげで、今の日本がある。
これからの日本を支えていくためには、(少なくとも、この自由主義
貿易陣営の中で生きていこうとするなら)、金権教は必要である。
完全に否定することはできない。

 が、それに毒されすぎてもいけない。
毒されたとたん、自分を見失う。
が、それこそ人生の無駄。
損。
本物の損ということになる。


Hiroshi Hayashi++++++++June・09++++++++++++はやし浩司

●時間教

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『ピーターパン』の話に出てくる、フック船長は
あのワニが大の苦手。
ワニがチックタックと音を出して近づいてくるだけで、
フック船長は、震えあがる。

ワニは、いつか、目覚まし時計を飲み込んだ。
それでチックタックという音を出すようになった。
原作者のジェームズ・マシュー・バリーにそういう
意図があったかどうかは、わからない。
しかしフック船長は、そのまま、時間に追われて生きる現代人を、
象徴している(?)。

現代人はいつも、チクタクと時間に追われて生活している。

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●時間こそ財産

 「時間こそ財産」ということには、いくつかの意味が含まれる。
また「時間」は、使い方の問題。
 よく「Time is Money(時は金なり)」と、時間をマネーにたとえて
考える人がいる。
ここでいう「時間こそ財産」というのは、もっとちがった意味で、
私はそういう。

 「時間」という言い方に問題があるなら、「命」と置き換えてもよい。
生きている命そのものが、財産。
命の長さを数値で表したものが、「時間」と考えればよい。

 また「使い方の問題」というのは、要するに、何のために使うか
ということ。
金儲けのためだけに使えば、それこそフック船長ということになる。
毎日時間に追われて、あくせくする。
一方、真・善・美の追求のために使うなら、時間はつねに財産ということに
なる。

●時間との勝負

 私のばあい、「時間との勝負」「健康との勝負」の2つが加わる。
「健康」には、「肉体の健康」と「脳みその健康」がある。
一般的には、健康寿命(健康でいられる寿命)は、平均寿命から
10年を引いた分と言われている。
平均寿命が84歳なら、健康寿命は、74歳ということになる。
だれしも晩年の10年は、病気との闘いということになる。
しかしそうなったのでは、当然、脳みその働きも鈍くなる。
ものも考えられなくなる。

 肉体の健康ということになれば、そのときはそのとき。
そのとき恐れないように、今を、じゅんぶん生きていく。
何がこわいかといって、「後悔の念」ほど、怖いものはない。
その「念」だけは、それまでに、しっかりと払拭しておきたい。
そのために、「今」がある。
今、がんばる。

●時間教の勧め

 もしあなたが今、健康で、元気なら、今こそ、時間を大切にしたらよい。
目が見える、音が聞こえる、歩くことができる、話をすることができる。
食事がおいしい、初夏のそよ風が心地よい、ものを考えることができる。
 それこそが、時間教の恵みということになる。
その時間を生かして、今、やるべきことをさがし、(「したいこと」では
ない。「やるべきこと」)、そのやるべきことに自分を統合させていく。

 かなり説教ぽい書き方になってしまった。
が、これは私自身の目標でもある。
またそれができないから、(正直なところ)、悶々としている。
だいたいにおいて、(やるべきこと)が、いまだに定まっていない。
その(やるべきこ)は、エリクソンも言っているように、無私無欲でなけ
ればならない。
損得勘定、欲得が混入したとたん、統合性は霧散する。
あくまでも人のため、社会のため、人類、地球のため……。
そういう意識は高邁(こうまい)であればあるほど、よい。
つまり俗世間を相手にしないところに、統合性の確立の意味がある。
またそれなくして、統合性の確立は、ありえない。

 これは時間教の根幹をなす考え方である。

 さあ、今日一日、どうやって時間を過ごすか。
がんばってみよう。
6月15日、朝、記す。


Hiroshi Hayashi+++++++June 09++++++++++++はやし浩司

●郡上八幡

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今日、岐阜県の郡上八幡へ行ってきた。
ワイフと2人で、人力車に乗った。
郡上城にも、登った。
初夏というより、すでに夏。
しばらく歩くだけで、ジワジワと体中が
汗ばんでくるのがわかった。

昼ごろ、私はざるソバ、ワイフは何とかという
名前のついた、その店の特製ソバを食べた。
このところ小食になったのが、自分でもよくわかる。
胃袋そのものが、小さくなった感じ。
で、今朝、体重を量ったら、62・5キロ。

BMI体重判定法によれば、値は、「20!」。
理想的な体型だそうだ。

もし健康な男性が、どういう体型をしているかを
知りたかったら、私を見ればよい。
いつまでつづくかはわからないが、今日は、
そうだった!

あとはこの体重を維持する。
がんばろう!
がんばります!

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