2009年6月7日日曜日

*The Reason for Living (Revised)

【老後の生きがい】(改変)

              浜松市 入野町  はやし浩司

●無料の植物観察会

昨日、講演をさせてもらった、S小学校の校長から、こんな話を聞いた。なんでもその
老人は、今年84歳になるという。元、小学校の教師。毎月、一回、植物観察会を開い
ているという。無料で開いているという。

日時と集合場所が、毎月、決まっている。が、集まる会員と人数は、そのつどちがうら
しい。雨の日などは、ゼロになることもあるという。が、その老人は休むということを
しない。雨の中で、会員が来るのをじっと待っているという。そして時刻になっても、
だれも来ないと、それを確かめたあと、その場を離れて、家に帰る、と。
 
その話を聞いて、「すばらしい」と思う前に、私自身の近未来の目標を示してもらったよ
うで、うれしかった。「私もそうしたい」と。

●老後の生きがい

 私自身もそうだったが、(老後の生きがい)について、みな、あまりにも安易に考えすぎ
ている。「安易」というより、「何も考えていない」。

 「老後になったら、休む」とか、「遊ぶ」とか言う人は多い。しかし「遊べ」と言われて
も、遊べるものではない。「休め」と言われても、休めるものではない。だいたいた、遊ん
だからといって、それがどうなのか? 休んだからといって、それがどうなのか? 私た
ちが求めているのは、その先。「だからそれがどうしたの?」という部分。つまり、(生き
がい)。

 もしそれがないようだったら、私のように死ぬまで仕事をするということになる。仕事
をつづけることによって、老後になるのを、先送りすることができる。が、仕事がいやな
のではない。仕事ができるということも、喜びなのだ。その(喜び)を絶やさないように
する。

 目が見える。音が聞こえる。ものを考えることができる。体が動く。……それらすべて
が集合されて、(生きる喜び)につながる。

●自分との戦い

 その老人の気持ちが、痛いほど、私にはよく理解できる。その老人にしてみれば、それ
が(生きがい)なのだ。雨の日に、ひとりで、どこかで待つのはつらいことだろう……と、
あなたは思うかもしれない。「なんら得にもならないようなことをして、何になるだろう」
と思う人もいるかもしれない。しかしその老人は、そういう世俗的な同情など、とっくの
昔に超越している。そこらのインチキ・タレントが、名声を利用して開くチャリィティ・
コンサートとは、中身がちがう。心の入れ方がちがう。(みなさんも、ああした偽善にだま
されてはいけない!)

 その老人にしてみれば、参加者が来ても、また来なくても、かまわない。たった1人で
もよい。多ければ多いほど、やりがいはあるだろう。しかし(やりがい)イコール、(生き
がい)ということでもない。つまりそれは他者のためではない。自分自身のため。老後の
生きがいというのは、つまるところ、(自分自身の生きがい)。それとの戦いということに
なる。

●統合性は、無私無欲で……

 まだその芽は、小さいかもしれない。しかしその心は、私も大切にしたい。

何度も書くが、「老後の統合性」は、無私無欲でなければならない。そこに欲得がからん
だとたん、統合性は意味を失い、霧散する。仮にその老人が会費なるものを徴収して、
観察会を開いていたとしたら、どうだろうか。最初のうちは、ボランティア(=無料奉
仕)のつもりで始めても、そこに生活がからんできたとたん、(つもり)が(つもり)で
なくなってしまう。「今日は1人しか来なかった……」という思いは、そのまま落胆につ
ながる。「雨の中で待っていたのに、だれも来なかった。みな、恩知らず」と思うように
なったら、おしまい。

 だったら、最初から、無私無欲でなければならない。またそうでないと、つづかない。
こうした活動は途切れたとたん、そこで終わってしまう。生きがいも、そこで消えてしま
う。つまりそれがいやだったら、最初から無私無欲でやる。何も考えず、無私無欲でやる。

 もちろん私にもいくつかの夢がある。そのひとつは、「子育て相談会」。今まで積み重ね
てきた経験と知恵を、若い親たちに伝えたい。もちろん無料で。もちろん損得を考えるこ
となく。そうした計画は立てている。

 今は、インターネットを利用して、その(まねごと)のようなことをしている。しかし
それもやがて限界に来るはず。無私無欲とは言いながら、いつもどこかで、何かの(得)
を考えている。アクセス数がふえれば、うれしい。ふえなければ、とたんにやる気を失う。
つまりそれだけ私の心が不純であることを示す。

 もっとも仕事ができるといっても、あと8年。70歳まで。そのころまでに、私の統合
性を確立したい。少しずつだが、その目標に向かって、進みたい。そしていつか……。

 どこかの会場で、ひとりでポツンと、来るか来ないかわからない親を待つ。そして時間
が来て、だれも来なくても、そんなことは気にせず、鼻歌でも歌いながら、会場を片づけ
る。そんな日が来ればよい。そんな日が来るのを目標にしたい。

(注)統合性の確立……(やるべきこと)と(現実に自分がしていること)を一致させる
ことをいう(エリクソン)。

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。