2009年6月23日火曜日

*Shory Essays (2)

●赤ちゃんがえりを甘く見ない

 幼児の世界には、「赤ちゃんがえり」というよく知られた現象がある。これは下の子ども(弟、妹)が生まれたことにより、上の子ども(兄、姉)が、赤ちゃんにもどる症状を示すことをいう。本能的な嫉妬心から、もう一度赤ちゃんを演出することにより、親の愛を取り戻そうとするために起きる現象と考えるとわかりやすい。

本能的であるため、叱ったり説教しても意味はない。子どもの理性ではどうにもならない問題であるという前提で対処する。

 症状は、おもらししたり、ぐずったり、ネチネチとわけのわからないことを言うタイプと、下の子どもに暴力を振るったりするタイプに分けて考える。前者をマイナス型、後者をプラス型と私は呼んでいるが、このほか情緒がきわめて不安定になり、神経症や恐怖症、さらには原因不明の体の不調を訴えたりすることもある。

このタイプの子どもの症状はまさに千差万別で定型がない。月に数度、数日単位で発熱、腹痛、下痢症状を訴えた子ども(年中女児)がいた。あるいは神経が異常に過敏になり、恐怖症、潔癖症、不潔嫌悪症などの症状を一度に発症した子ども(年中男児)もいた。

 こうした赤ちゃんがえりを子どもが示したら、症状の軽重に応じて、対処する。症状がひどいばあいには、もう一度上の子どもに全面的な愛情をもどした上、1からやりなおす。やりなおすというのは、一度そういう状態にもどしてから、1年単位で少しずつ愛情の割合を下の子どもに移していく。コツは、今の状態をより悪くしないことだけを考えて、根気よく子どもの症状に対処すること。年齢的には満四~五歳にもっとも不安定になり、小学校入学を迎えるころには急速に症状が落ち着いてくる。(それ以後も母親のおっぱいを求めるなどの、残像が残ることはあるが……。)

 多くの親は子どもが赤ちゃんがえりを起こすと、子どもを叱ったり、あるいは「平等だ」というが、上の子どもにしてみれば、「平等」ということ自体、納得できないのだ。また嫉妬は原始的な感情の一つであるため、扱い方をまちがえると、子どもの精神そのものにまで大きな影響を与えるので注意する。先に書いたプラス型の子どものばあい、下の子どもを「殺す」ところまでする。嫉妬がからむと、子どもでもそこまでする。
 
要するに赤ちゃんがえりは甘くみてはいけない。



 
 
ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(120)

●子どもを叱れない親

叱れない……ということ自体、すでに断絶状態にあるとみる。原因は(1)リズムの乱れ(親側がいつもワンテンポ早い)、(2)価値観の衝突(親側が旧態依然の価値観に固執している)、それに(3)相互不信(「うちの子はダメだ」という思いが強い)。この状態で子どもを叱れば、あとはドロ沼の悪循環!

親には3つの役目がある。(1)ガイドとして子どもの前を歩く。(2)保護者(プロテクター)として子どものうしろを歩く。(3)友(フレンド)として子どもの横を歩く。日本人はこのうち三番目が苦手、……というより、「私は親だ」という親意識だけがやたらと強く、子どもを友として見ることができない。

もしあなたが子どもをこわくて叱れないというのであれば、まず子どものリズムで歩き、親の価値観を一方的に押しつけるのをやめる。そしてここが重要だが、子どもを対等の友として受け入れる。英語国では、親子でも「お前はパパに何をしてほしい?」「パパは、私に何をしてほしい」と聞きあっている。そういう謙虚さが、子どもの心を開く。また一度断絶状態になったら、「修復しよう」などとは考えないで、今の状態をより悪くしないことだけを考えて対処する。

 「叱る」というのは、本当のところは、たいへんむずかしい。子どもを叱るというのは、叱る側にそれだけの「人格」がなければならない。たとえば教える立場でいうと、よく宿題を忘れてくる子どもがいる。宿題ならまだしも、テキストや鉛筆すら忘れてくる子どもがいる。しかし私は、どうしてもそういう子どもを叱ることができない。理由は簡単だ。

私自身もよく忘れ物をするからだ。自分でもできないのに、どうして子どもを叱ることができるのか。それともあなたは、あなたの子どもに向かって、「正しいことをしなさい」「まちがったことをしてはだめだ」と子どもを叱ることができるとでもいうのか。もしそうなら、きっとあなたはすばらしい人だ。

 私は幼児を教えるようになって、もう40年になるが、どういうわけだか「叱る」ということに対して、おおきな抵抗を感ずる。ときどきは叱ることもあるが、そのたびに心のどこかで、「何を偉そうなことを」と自分で思ってしまう。そして叱ることをやめてしまう。……そういう意味でも、子どもを叱るというのは、とてもむずかしい。この問題については、また別のところで考えてみる。





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(121)

●温室育ちは風邪をひきやすい

 過保護といっても、内容はさまざま。食事面で過保護にするケース、行動面で過保護にするケースなど。しかしふつう過保護というときは、精神面での過保護をいう。子どもにつらい思いや苦しい思いをさせない。あるいは子どもがそういう状態になりそうになると、すぐ助けてしまうなど。

「(近所の)A君は乱暴な子だから、あの子とは遊んではダメ」「あの公園にはいじめっ子がいるから、あそこへは行ってはダメ」と、交友関係をせばめてしまうのも、それ。こういう環境にどっぷりとつかると、子どもは俗にいう、『温室育ち』になる。

 過保護児の特徴は、(1)依存心が強く、自立した行動ができない。わがままな反面、目標や規則が守れず、自分勝手になる。鉛筆を落としても、「鉛筆が落ちたア~」と言うだけで、自分では拾おうとしない。(2)幼児性が持続し、人格の「核」形成が遅れる。年齢に比べて幼い感じがし、教える側からみると、「この子はこういう子どもだ」というつかみどころがはっきりしない。(3)何ごとにつけ優柔不断で、決断力がない。生活力も弱く、柔和でやさしい表情はしているものの、野性的なたくましさに欠ける。ブランコを横取りされても、ニコニコ笑いながら、それをあけ渡してしまうなど。そのためいじけやすく、くじけやすい。ちょっとしたことで、すぐ助けを求めたりする。よく『温室育ちは外へ出ると、すぐ風邪をひく』というが、それは子どものこういう様子を言ったもの。

親が子どもを過保護にする背景には、何らかの「心配」がある。この心配が種となって、親は子どもを過保護にする。このテストで高得点だった人は、まずその種が何であるかを知る。もし「うちの子は何をしても心配だ」ということであれば、不信感そのものと戦う。(過保護にする)→(心配な子になる)→(ますます過保護にする)の悪循環の中で、あなたの子どもはますます、その心配な子どもになる。

 ひとつの方法として、今日からでも遅くないから、「あなたはいい子」「あなたはどんどんいい子になる」を子どもの前で繰り返す。最初はどこかぎこちない言い方になるかもしれないが、あなたがそれを自然な形で言えるようになったとき、あなたの子どもは、その「いい子」になる。そういう意味では、子どもの心はカガミのようなもの。長い時間をかけて、あなたの子どもはあなたの口グセどおりの子どもになる。





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(122)

●日本人と親意識

「私は親だ」という意識を「親意識」という。たとえば子どもに対して、「産んでやった」「育ててやった」と考える人は多い。さらに子どもをモノのように考えている人さえいる。ある女性(60歳)は私に会うとこう言った。「親なんてさみしいものですね。息子は横浜の嫁に取られてしまいましたよ」と。息子が結婚して横浜に住んでいることを、その女性は「取られた」というのだ。

日本人はこの親意識が、欧米の人とくらべても、ダントツに強い。長く続いた封建制度が、こうした日本人独特の親意識を育てたとも考えられる。

その親意識の背景にあるのが、上下意識。「親が上で、子が下」と。そしてその上下意識を支えるのが権威主義。理由などない。「偉い人は偉い」と言うときの「偉い」が、それ。日本人はいつしか、身分や肩書きで人の価値を判断するようになった。

ふつう権威主義的なものの考え方をする人は、自分のまわりでいつも、人間の上下関係を意識する。「男が上、女が下」「夫が上、妻が下」と。たった1年でも先輩は先輩、後輩は後輩と考える。そして自分より立場が上の人に向かっては、必要以上にペコペコし、そうでない人にはいばってみせる。私のいとこ(男性)にもそういう人がいる。相手によって接し方が、別人のように変化するからおもしろい。

この親意識が強ければ強いほど、子どもにとっては居心地の悪い世界になる。が、それだけではすまない。子どもは親の前では仮面をかぶるようになり、そのかぶった分だけ、心を隠す。親は親で子どもの心をつかめなくなる。そしてそれが互いの間に大きなキレツを入れる……。

昔は「控えおろう!」と、三つ葉葵の紋章か何かを見せれば、人はひれ伏したが、今はそういう時代ではない。親が親風を吹かせば吹かすほど、子どもの心は親から離れる。親意識の強い人は、あなたというより、あなたが育った環境を思い浮かべてみてほしい。あなた自身もその権威主義的な家庭環境で育ったはずである。

そして今、あなた自身があなたと親の関係がどうなっているか、それを冷静に見つめてみてほしい。たいていはぎくしゃくしているはずである。たとえうまくいっている(?)としても、それはあなた自身も権威主義的なものの考え方にどっぷりとつかっているか、あるいは親に対して服従的もしくは親離れできていないかのどちらかである。





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(123)

●子どもへの過干渉

 口うるさいことを過干渉と誤解している人がいるが、口うるさい程度なら、それほど子どもに影響はない。過干渉が過干渉として問題になるのは、(1)親側に、情緒的な未熟性があるとき。親の気分で、子どもに甘くなったり、反対に極端にきびしくなったりするなど。とらえどころのない親の気分は、子どもの心を不安にする。ばあいによっては、子どもの心を内閉させ、さらにひどくなると萎縮させる。年中児(満五歳児)でも、大声で笑えない子どもは、10人のうち、1~2人はいる。

 親が子どもを過干渉にする背景には、子育て全体にわたる不安や不満がある。そしてさらにその背景には、何らかの「わだかまり」があることが多い。望まない結婚であったとか、望まない子どもであったとか、など。妊娠や出産時の心配や不安、さらには生活苦や夫への不満がわだかまりになることもある。このわだかまりが形を変えて、子どもへの過干渉となる。

言いかえると、子どもに過干渉を繰り返すようであれば、そのわだかまりが何であるかを知る。問題はわだかまりがあることではなく、そのわだかまりに気がつかないまま、わだかまりに振りまわされること。同じパターンで同じ失敗を繰り返すこと。わだかまりは、あなたの心を裏からあやつる。これがこわい。

 過干渉児の特徴としては、(1)子どもらしいハツラツさが消え、ハキのない子どもになる。(反対に粗放化するタイプの子どももいるが、このタイプの子どもは、親の過干渉をたくましくやり返した子どもと考えるとわかりやすい。よくあるケースとしては、兄が萎縮し、弟が粗放化するというケース。)(2)自分で考えることが苦手になり、ものの考え方が極端になったり、かたよったりするようになる。常識ハズレになり、してよいことと悪いことの区別がつかなくなるなど。薬のトローチを飴がわりになめてしまうなど。(3)心が萎縮してくると、さまざまな神経症を発症し、行動ものろくなる。また仮面をかぶるようになり、いわゆる「何を考えているかわからない子」といった感じになる。

 過干渉タイプの人は、まず自分の情緒を安定させること。『親の情緒不安、百害あって一利なし』と心得る。が、それより大切なことは、子どもをもっと信ずること。子どもというのは、なるようにしかならないものだが、同時に、何もしないでもちゃんと育っていくもの。昔の人は『親の意見とナスビの花は、千にひとつもアダ(ムダ)がない』と言ったが、これをもじると、『親の不安とナズビの茎は、千に一つも役立たない』となる。あなたが不安に思ったところで、子どもは悪くなることはあっても、よくなることは何もない。

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