2009年6月20日土曜日

*How to raise up Children at Home

子育て ONE POINT アドドバイス! by はやし浩司(101)

教師言葉は裏から読む

 この世界には、「教師言葉」というのがある。先生というのは、奥歯にものがはさまったような言い方をする。たとえば能力が遅れている子どもの親には、決して「能力が遅れています」とは言わない。……言えない。言えば、たいへんなことになってしまう。

こういうとき先生は、「お宅の子どもは、運動面はすばらしいのですが……(勉強は、さっぱりできない)」「私のほうでも努力してみますが……(家庭で何とかしてほしい)」と言う。あるいは問題のある子どもの親に向かっては、「先生方の間でも、注目されています……(悪い意味で目立つ)」「元気で活発なのはいいのですが……(困り果てている)」「私の力不足です……(もうギブアップしている)」「ほかの父母からの苦情は、私のほうでおさえておきます……(問題児だ)」などと言う。

ほかに「静かな指導になじまないようです……(指導が不可能だ)」「女の子に、もう少し人気があってもいいのですが……(嫌われている)」「協調性に欠けるところがあります……(わがままで苦労している)」「ほかの面では問題はないのですが……(学習面では問題あり)」というのもある。

 一方、先生というのは、子どもをほめるときには、本音でほめる。先生に、「いい子ですね」と言われたときは、すなおに喜んでよい。先生は、おせじではほめない。おせじを使わなければならない理由そのもがない。裏を返して言うと、もしあなたの子どもが、園や学校の先生にほめられたことがないというのであれば、子どものどこかに問題がないか、それを疑ってみたほうがよい。

幼児のばあい、一つの目安として、誕生パーティがある。あなたの子どもが、ほかの子どもの誕生パーティによく招待されるならよし。そうでないなら、かなりの問題のある子どもとみてよい。実際、誰を招待するかを決めるのは親。その親は、自分の子どもや先生から耳にする、日ごろの評判を基準にして、それを決める。

 生々しい話になってしまったが、もともと教育というのは、そういうもの。親と教師の価値観やエゴが、互いに真正面からぶつかり合う。ふつうの世界と違うのは、そこに「子ども」が介在すること。だから本音と建前が、複雑に交錯する。こうした教師言葉は、そういう世界から必然的に生まれた。ある意味でやむをえないものかもしれない。だいたいあなたという「親」だって、先生の前では本音を言わない。……言えない。言えば、たいへんなことになってしまう。それをあなたは、よく知っている。






子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(102)

よい先生、悪い先生

 私のような、もともと性格のゆがんだ男が、かろうじて「まとも?」でいられるのは、「教える」という立場にあるからだ。子ども、なかんずく幼児に接していると、その純粋さに毎日のように心を洗われる。何かトラブルがあって、気分が滅入っているときでも、子どもたちと接したとたん、それが吹っ飛んでしまう。よく「職場のストレス」を問題にする人がいる。しかし私のばあい、職場そのものが、ストレス解消の場となっている。

 その子どもたちと接していると、ものの考え方が、どうしても子ども的になる。しかし誤解しないでほしい。「子ども的」というのは、幼稚という意味ではない。子どもは確かに知識は乏しく未経験だが、決して幼稚ではない。むしろ人間は、おとなになるにつれて、多くの雑音の中で、自分を見失っていく。醜くなる人だっている。「子ども的である」ということは、何ら恥ずべきことではない。

とくに私のばあい、若いときから、いろいろな世界をのぞいてきた。教育の世界や出版界はもちろんのこと、翻訳や通訳の世界も経験した。いくつかの会社の貿易業務に携わったこともあるし、医学の世界をかいま見たこともある。しかしこれだけは言える。園や学校の先生には、心のゆがんだ人は、まずいないということ。少なくとも、ほかの世界よりは、はるかに少ない。

 そこで「よい先生」論である。いろいろな先生に会ってきたが、目線が子どもと同じ高さにいる先生もいる。が、中には上から子どもを見おろしている先生もいる。このタイプの先生は妙に権威主義的で、いばっている。そういう先生は、そういう先生なりに、「教育」を考えてそうしているのだろうが、しかしすばらしい世界を、ムダにしている。それはちょうど美しい花を見て、それを美しいと感動する前に、花の品種改良を考えるようなものだ。昔、こんな先生がいた。ことあるごとに、「親のしつけがなっていない」「あの子は問題児」とこぼす先生である。決して悪い先生ではないが、しかしこういう先生に出会うと、子どもから明るさが消える。

 そこで子どもと先生の相性があっているかどうかを見分ける、簡単な方法……。子どもに紙とクレヨンを渡して、「園(学校)の先生と遊んでいるところをかいてね」と指示する。そのとき子どもがあれこれ先生の話をしながら、楽しそうに絵をかけばよし。そうでなく、子どもが暗い表情になったり、絵をかきたがらないようであれば、子どもと先生の相性は、よくないとみる。もしそうであれば、この時期はできるだけ早い機会に、園長なら園長に相談して、子どもと先生の関係を調整したほうがよい。






子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(103)

温室から出ると風邪をひく

 過保護といっても、いろいろある。ある母親は、子どもが交通事故にあって以来、運動面で子どもを過保護にした。また別の母親は、子どもが重病を患ったことが原因で、食事面で子どもを過保護にした。親が子どもを過保護にする背景には、親がわに何らかの「心配」があるとみてよい。そのわだかまりが形を変えて、親は子どもを過保護にする。

 が、何が悪いかといって、精神面で子どもを過保護にするケースほど悪いものはない。子どもを小さな世界に閉じ込め、親子だけのマンツーマンの状態で育てるなど。そして「近所のA君は悪い子だから、いっしょに遊んではダメ」「あの公園には乱暴な子がいるから行ってはダメ」と、子どもの世界を、外の世界から遮(しゃ)断してしまう。そのため子どもは俗にいう「温室育ち」になり、いわゆる「外へ出るとすぐ風邪をひく」タイプの子どもになる。

 過保護児の特徴としては、つぎのようなものがある。(1)人格の「核」形成が遅れ、その年齢の子どもに比べて、全体に幼い感じになる。幼児性がそのまま持続することもある。(2)ブランコを横取りされても、それに抗議できないなど、社会性がなくなる。そのためストレスを内にためやすく、内弁慶外幽霊になりやすい。(3)柔和でやさしいが、ハキがなく、ものごとに追従的になりやすい。そのためいわゆる野性味がなくなり、全体にひ弱な感じになる。それが年齢とともにはっきりしてくるため、親は親でますます過保護にする。この悪循環がますます子どもをひ弱にする。どこかでその悪循環を断ち切らねばならないが、たいていの親はこう言う。「子どもがああなのは、生まれつきです」と。しかし実際には、そういう子どもにしたのは、親自身にほかならない。それともあなたは赤ちゃんをみて、その赤ちゃんが過保護児かどうか、それがわかるとでもいうのだろうか。

 子どもへの過保護を感じたら、何が「心配のタネ」になっているかを、さぐってみる。そのタネが何であるかがわかるだけでも、この問題の大半は解決したとみる。まずいのはそれに気づかないまま、いつまでもそのタネに振りまわされること。心のわだかまりというのはそういうもので、あなたをいつも裏から操(あやつ)る。








子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(104)

死は厳粛に

 「死」をどう定義するかによってもちがうが、三歳以前の子どもには、まだ死は理解できない。飼っていたモルモットが死んだとき、「乾電池を入れかえれば動く」と言った子ども(三歳男児)がいた。「どうして起きないの?」と聞いた子ども(三歳男児)や、「病院へ連れて行こう」と言った子ども(三歳男児)もいた。子どもが死を理解できるようになるのは、三歳以後だが、しかしその概念はおとなとはかなり違ったものである。三~七歳の子どもにとって「死」は、生活の一部(日常的な生活が死によって変化する)でしかない。ときにこの時期の子どもは、家族の死すら平気でやり過ごすことがある。

 このころ、子どもによっては、死に対して恐怖心をもつこともあるが、それは自分が「ひとりぼっちになる」という、孤立することへの恐怖心と考えてよい。たとえば母親が臨終を迎えたとき、子どもが恐れるのは、「母親がいなくなること」であって、死そのものではない。ちなみに小学五年生の子どもたちに、「死ぬことはこわいか?」と質問してみたが、八人全員が、「こわくない」「私は死なない」と答えた。一人「六〇歳くらいになったら、考える」と言った子ども(女子)がいた。質問を変えて、「では、お父さんやお母さんが死ぬとしたらどうか」と聞くと、「それはいやだ」「それは困る」と答えた。

 子どもが死を学ぶのは、周囲の人の様子からである。たとえば肉親の死に対して、家人がそれを嘆き悲しんだとする。その様子から子どもは、「死ぬ」ということがただごとではないと知る。そこで大切なことは、「死はいつも厳粛に」である。死を茶化してはいけない。もてあそんでもいけない。どんな生き物の死であれ、いつも厳粛にあつかう。たとえば飼っていた小鳥が死んだとする。そのときその小鳥を、ゴミか何かのように紙で包んでポイと捨てれば、子どもは「死」というものはそういうものだと思うようになる。しかしそれではすまない。死があるから生がある。死への恐怖心があるから、人は生きることを大切にする。死をていねいにとむらうということは、結局は生きることを大切にすることになる。が、死を粗末にすれば、子どもは生きること、さらには命そのものまで粗末にするようになる。

 どんな宗教でも死はていねいにとむらう。もちろん残された人たちの悲しみをなぐさめるという目的もあるが、死をとむらうことで、生きることの大切さを教えるためと考えてよい。そんなことも頭に入れながら、子どもにとって「死」は何であるかを考えるとよい。
 






子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(105)

読解力と国語力

読解力……年中児ともなると、文字をスラスラと読む子どもが出てくる。しかしたいていは文字を音に変えているだけ。私「ウサギさんは、だれに会いましたか?」、子「……わかんない」、私「クマさんは、うれしかったのかな?」、子「……わかんない」と。読みの深い子どもは、一ページごとに、挿絵を見たり、前のページをのぞいたりするので、むしろ読む速度が落ちる。またそういう読み方のほうが好ましいことは言うまでもない。

表現力……子どもに紙と鉛筆を渡し、こんなテストをしてみてほしい。「リスさんが歩いていると、草の中に大きな穴がありました。リスさんは、その穴に落ちて、おおけがをするところでした。そこでリスさんは、あとから来た人が穴に落ちないように、立て札を立てることにしました。その立て札には何と書けばよいでしょうか」と。

 文字の書き方がおかしいとか、字が抜けているとかいうことは問題にしてはいけない。子どもが書けない文字があったら、そのつど教えてもかまわない。で、このテストで子どもが、「ここは穴があるからあぶない」とか、「穴に気をつけて」というような文章が書ければよし。「これは立て札です」とか、「あなたはここを歩いています」とか、どこかトンチンカンなことを書くようであれば、あまり表現力はないとみる。ちなみに年長児で、まあまあそれらしき文章を書くことができるのは約五〇%。

抑揚……本を読ませてみたとき、言葉の抑揚が自然な子どもは、それだけ家で、おうちの人に本などを読み聞かせてもらっている子どもとみる。どこか抑揚が不自然と感じたら、子どもにはたくさん本を読んであげるとよい。

国語力……中に「うちの子はたくさん本を読み聞かせているから、国語力がある」と誤解している人がいる。決してムダではないが、国語力というのは、日常生活の中で身につく。たとえば「ウサギさんの足はヒリヒリ痛みました」という文章があったとする。親はそれを読んであげることで、「ヒリヒリ」の意味を子どもが理解したと思う。しかしそれだけでは足りない。子どもがその言葉の意味を理解するようになるためには、実際、子どもがけがをしたようなとき、「ヒリヒリ痛いの?」と聞いてあげねばならない。そういう体験があってはじめて、子どもは「ヒリヒリ」の意味がわかるようになる。

要するに子どもの国語力は、親の会話能力、あるいはその子どもを包む言葉環境で決まる。もっと言えば、子どもが将来、国語が得意になるかどうかは、親の言葉能力で決まるということ。学校で学ぶ国語は、その延長線上にあるにすぎない。いわんやワークやドリルで、国語力がつくと考えるのは大きな誤解である。



子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(106)

自慢は要注意

 日本人はもともと上下意識の強い民族。上下関係がないと落ち着かない。そのため無意識のうちにも、上下関係を身の回りでつくろうとする。そしてその結果、「上」の人には必要以上にペコペコし、「下」の人には尊大ぶったり、いばったりする。が、その上下関係がはっきりしないときがある。そういうとき日本人は、自慢話を始める。……と決めてかかるのも危険なことだが、日本人は自慢することによって、相手を「下」におこうとする。先祖や家柄を自慢する人、学歴や経歴を自慢する人、親類や子どもを自慢する人などがいる。自慢しながら、自分を優位な立場に置こうとする。で、その自慢のし方は、人さまざま。

① れとなく会話に中に自慢を折り込む人……「今度S高校(市内でも有名な進学校)の連中と、同窓会をしましてね」とか、「いとこがA町で町長をしてましてね」とか。あるいは「今度の選挙で、親類の選挙運動を頼まれました」とか言うなど。「私の先祖に、○○藩で家老をしていたのがいます」と、ストレートに自分を自慢する人もいる。  

(2)大物ぶる人……「定年退職をしたら、郷里で市長でもしようかな」とか、「先週、○○市の市長から電話がありましてね」とか。「あの大臣がね、この町に来たときにね、パーティに出てほしいと言われて、しかたなく出てきました」と言った人もいた。

 「今」という現実の中で、「私は私」と生きている人は、自慢などしない。しても意味がない。しかし仮想現実の世界※で、他人の目を気にして生きている人は、どうしても自慢が多くなる。だいたいにおいて人間の上下関係などというのも、フィクション(架空)に過ぎない。人間に上下などない。あるわけがない。同じように名誉や地位、肩書き、社会的地位もフィクション。それはちょうど子どものゲームのようなもので、その世界にハマッた人にはその愚かさがわからない。

言いかえると自慢話をして自分を飾る人は、それだけ自分のない人とみる。たとえば議員バッジを胸につけ、ふんぞりかえって歩く国会議員を思い浮かべればよい。はたから見るとこっけいなのだが、本人にはそれがわからない。

 ……と言いながら、実のところ私も、ときどき自慢話をする。しかしそのたびに、「くだらないからやめろ」という声も聞こえてくる。あるいは自慢話をしたあとというのは、どこか不愉快になる。自分がなさけなくなるときもある。「自慢」というのはそういうもので、自慢話をするときの自分は、自分であって、自分でない。だから自慢はできるだけしない。しそうになると、「やめた」と言って、自ら遠ざかる。私は私だ。他人がどう思うとも、私の知ったことではない。さてあなたはどうだろうか。きわどい話になってしまったが、この項は、あくまでも一つの参考意見としてとらえてほしい。
※ ……生きる本分を忘れた生活を、筆者は、「仮想現実の世界」と呼んでいる。







子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(107)

子どもは自慢せよ

 前の項で、「自慢は要注意」を書いた。が、「自慢してはいけない」と言っているのではない。問題は、自慢の「質」だ。たとえば英語国では、親は平気で子どもを自慢する。「私は息子を誇りに思う」とか、「私の息子は、○○コンテストで一位になった」とか。日本人はそういうほめ方はしない。謙遜して自分の息子を、「愚息」とか、「バカ息子」とか言うことが多い。

 一般論として、子どもの努力とやさしさはほめる。顔やスタイルはほめない。「頭」についてはほめてよいときと、そうでないときがあるので慎重にする。そこで子どもの自慢も同じように考えてよい。子どもが努力したことについては、遠慮なくほめる。自慢する。そういう前向きな姿勢が、子どもを伸ばす。

……と言っても、はじめてアメリカへ行ったとき、向こうの親が自分の子どもを自慢するのを聞いて、私は少なからず驚いた。日本でも自分の子どもを自慢する親はいるにはいるが、アメリカ人のように多くはない。が、そのうち日本と英語国では、自慢の「質」が違うことに気づいた。日本では、見栄やメンツのために子どもを自慢することが多い。つまり何らかの下心をもって自慢する。しかし英語国では、そういうものをクリアした段階で、子どもを自慢する。つまり親は、子どもという人間だけをみて、子どもを自慢する。だから子どももそれをすなおに受け入れる。受け入れながら、子どもは、「父はぼくを信じていてくれるのだ」「父はぼくのことを喜んでいてくれるのだ」というように思うようになる。

が、この日本ではそうはいかない。「うちの息子はA国立大学へ入いりましてね」と親が言ったりすると、どこかイヤ味に聞こえる。あるいはそれを言うほうにしても、相手はイヤ味に感ずるだろうということがわかっているから、あえて話題にしない。

 ……と言っても今、日本の社会は大きく変わりつつある。欧米化というより、グローバル化が進んでいる。外国の人に自分の息子を、「マイ・スチューピッド・サン(私の愚息)……」などと紹介しようものなら、相手は目を白黒させて驚くだろう。つまりこうした言い方は日本以外の国では通用しない。(だからといって日本のやり方がまちがっているというのではない。念のため。)しないならしないで、なぜ外国では通用しないかを考えてみることも、大切なことではないのか。

もっと言えば、日本は日本で、長くつづいた島国根性の中で、ゆがめられた部分も多いということ。この「自慢」もその一つと考えてよい。本来、親はもっと自分の子どもの成長を、人前でもすなおに喜んでもよいのではないか。しかしそれがこの日本では、どうもできない。できないところが、その「ゆがみ」ということになる。この問題の「根」は、想像以上に深い。
 






子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(108)

今を懸命に生きる

 バーチャルな世界に生きる人ほど、過去や未来(結果)にこだわる。先日もある男性(六〇歳)が私にこう言った。「そういうことをすれば、私の先祖が許さない」と。私は思わず、「どこに先祖がいるのですか?」と聞きそうになった。このタイプの人は、何ごとにつけ、家柄や出身にこだわる。それが生きがいになっていることもある。

一方、「死に際の様子で、その人の一生が決まる」と言った女性(四五歳)がいた。死に際の様子がよければそれでよし。そうでなければ、その人の一生はまちがっていたことになるのだ、と。ある宗教団体に属する人だった。私はこの話を聞いて、「交通事故では死ねないな」と思った。しかし交通事故にあうかあわないかは、偶然と確率の問題。仮に交通事故で死んだからといって、その人の人生がまちがっていたことにはならない。

 ロビン・ウィリアムズの映画に「今を生きる」というのがあった。「今を懸命に生きろ」と教える教師。進学指導中心の学校側。そのはざまで一人の高校生が自殺するという映画である。この「今を生きる」という生き方が、バーチャルな生き方の正反対の位置にある。「過去や未来などどこにもない。あるのは今という現実だけ。だったらこの現実の中で精一杯、人間らしく生きよう。結果はあとからついてくる」と。

 概して日本人は仏教(チベット密教)の影響を大きく受けているから、結果を重視する。「終わりよければ、すべてよし」と。そしてこういう生きざまは子どもの教育にも大きな影響を与えている。いつも結果を重要視するから、幼稚園教育は小学校の入試のため。小学校教育は中学校の入試のため。さらに中学や高校は大学入試のため。大学は就職のため、と。また社会へ出てからも、いつも「今」を未来のために犠牲にするようになる。

こうした生き方は、休暇のすごし方にもあらわれる。日本人はたまの休みが与えられても、その休みの間は休みが終わったあとの仕事のことしか考えない。だからのんびりと休むこともできない。子どもについても同じ。子どもが日曜日に家でゴロゴロしていようものなら、親はこう言う。「宿題はやったの?」「来週のテストはだいじょうぶ?」と。

 が、何といっても日本人の最大の悲劇は、そのバーチャルな世界に住みながらも、それがバーチャルな世界だと気づかないところにある。それはまさしく映画「マトリックス」の世界といってもよい。「今を生きる」という本分が、どこかへ飛んでいってしまい、わからなくなってしまう。

 ……と書いたが、ここから先は、それぞれの人の生きざまの問題。私のようなものがとやかくいう問題ではない。あとは皆さんの判断による。ただ誤解しないでほしいのは、だからといって先祖を粗末にしてよいとか、そういうことを言っているのではない。「あくまでも生きる本分を忘れてはならない」と、私は言っているのである。





 
子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(109)

生きる誇り

 私の留学の世話人になってくれたのが、正田英三郎氏だった。皇后陛下の父君。そしてその正田氏のもとで、実務を担当してくれたのが、坂本義行氏だった。坂本竜馬の直系のひ孫氏と聞いていた。私は東京商工会議所の中にあった、日豪経済委員会から奨学金を得た。正田氏はその委員会の中で、人物交流委員会の委員長をしていた。その東京商工会議所へ遊びに行くたびに、正田氏は近くのソバ屋へ私を連れて行ってくれた。

そんなある日、私は正田氏に、「どうして私を(留学生に)選んでくれたのですか」と聞いたことがある。正田氏はそばを食べる手を休め、一瞬、背筋をのばしてこう言った。「浩司の『浩』が同じだろ」と。そしてしばらく間をおいて、こう言った。「孫にも自由に会えんのだよ」と。

 おかげで私はとんでもない世界に足を踏み入れてしまった。私が寝泊まりをすることになったメルボルン大学のカレッジは、各国の王族や皇族の子弟ばかり。私の隣人は西ジャワの王子。その隣がモーリシャスの皇太子。さらにマレーシアの大蔵大臣の息子などなど。毎週金曜日や土曜日の晩餐会には、各国の大使や政治家がやってきて、夕食を共にした。元首相たちはもちろんのこと、その前年には、あのマダム・ガンジーも来た。

ときどき各国からノーベル賞級の研究者がやってきて、数カ月単位で宿泊することもあった。しかし「慣れ」というのは、こわいものだ。そういう生活をしても、自分がそういう生活をしていることすら忘れてしまう。ほかの学生たちも、そして私も、自分たちが特別の生活をしていると思ったことはない。意識したこともない。もちろんそれが最高の教育だと思ったこともない。が、一度だけ、私は自分が最高の教育を受けていると実感したことがある。

 カレッジの玄関は長い通路になっていて、その通路の両側にいくつかの花瓶が並べてあった。ある朝のこと、花瓶の一つを見ると、そのふちに五〇セント硬貨がのっていた。だれかが落としたものを、別のだれかが拾ってそこへ置いたらしい。当時の五〇セントは、今の貨幣価値で八百円くらいか。もって行こうと思えば、だれにでもできた。しかしそのコインは、次の日も、また次の日も、そこにあった。四日後も、五日後もそこにあった。私はそのコインがそこにあるのを見るたびに、誇らしさで胸がはりさけそうだった。そのときのことだ。私は「最高の教育を受けている」と実感した。

 帰国後、私は商社に入社したが、その年の夏までに退職。数カ月東京にいたあと、この浜松市へやってきた。以後、社会的にも経済的にも、どん底の生活を強いられた。幼稚園で働いているという自分の身分すら、高校や大学の同窓生には隠した。しかしそんなときでも、私を支え、救ってくれたのは、あの五〇セント硬貨だった。私は、情緒もそれほど安定していない。精神力も強くない。誘惑にも弱い。そんな私だったが、曲がりなりにも、自分の道を踏みはずさないですんだのは、あの五〇セント硬貨のおかげだった。私はあの五十セント硬貨を思い出すことで、いつでも、どこでも、気高く生きることができた。






子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(110)

恐怖症は心の発熱

 先日私は、交通事故で、危うく死にかけた。九死に一生とは、まさにあのこと。今、こうして文を書いているのが、不思議なくらいだ。が、それはそれとして、そのあと、妙な現象が現れた。夜、自転車に乗っていたのだが、すれ違う自動車が、すべて私に向かって走ってくるように感じたのだ。私は少し走っては自転車からおり、少し走ってはまた、自転車からおりた。こわかった……。恐怖症である。

子どもはふとしたきっかけで、この恐怖症になりやすい。たとえば以前、「学校の怪談」というドラマがはやったことがある。そのとき「小学校へ行きたくない」と言う園児が続出した。これは単なる恐怖心だが、それが高じて、精神面、身体面に影響が出ることがある。それが恐怖症だが、この恐怖症は子どもの場合、何に対して恐怖心をだくかによって、ふつう、次の三つに分けて考える。

 【対人(集団)恐怖症】子ども、特に幼児のばあい、新しい人の出会いや環境に、ある程度の警戒心を持つことは、むしろ正常な反応とみる。知恵の発達がおくれぎみの子どもや、注意力が欠如している子どもほど、周囲に対して、無警戒、無とんちゃくで、はじめて行ったような場所でも、我が物顔で騒いだりする。が、反対にその警戒心が、一定の限度を超えると、人前に出ると、声が出なくなる(失語症)、顔が赤くなる(赤面症)、冷や汗をかく、幼稚園や学校がこわくて行けなくなる(不登校)などの症状が現れる。

 【場面恐怖症】その場面になると、極度の緊張状態になることをいう。エレベーターに乗れない(閉所恐怖症)、鉄棒に登れない(高所恐怖症)などがある。私も子どものころ、暗いトイレがこわくて、用を足すことができなかった。そのせいかどうかは知らないが、今でもトンネルなどに入ったりすると、ぞっとするような恐怖感を覚える。

 【そのほかの恐怖症】動物や虫をこわがる(動物恐怖症)、手の汚れやにおいを嫌う(疑惑症)、先のとがったものをこわがる(先端恐怖症)などもある。ペットの死をきっかけに死を極端にこわがるようになった子ども(年長男児)もいた。

 子ども自身の力でコントロールできないから、恐怖症という。そのため説教したり、しかっても意味がない。一般に「心」の問題は、一年単位、二年単位で考える。子どもの立場で、子どもの視点で、子どもの心を考える。無理な誘動や強引な押し付けは、タブー。無理をすればするほど、逆効果。ますます子どもは物事をこわがるようになる。いわば心が熱を出したと思い、できるだけそのことを忘れさせるような環境を用意する。症状だけをみると、神経症と区別がつきにくい。

私の場合も、その事故から数日間は、車の速度が五十キロ前後を超えると、目が回るような状態になってしまった。「気のせいだ」とは分かっていても、あとで見ると、手のひらがびっしょりと汗をかいていた。恐怖症というのはそういうもので、自分の理性や道理ではどうにもならない。そういう前提で、子どもの恐怖症に対処する。

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