2009年6月17日水曜日

*How to encourage Children to do

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 彡彡人ミミ      彡彡彡彡彡
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 子育て最前線の育児論byはやし浩司      6月   17日号
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●識字能力

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少し前、識字能力について書いた。

識字能力……読み書きできる人のことを、識字者という。
それができない人を、非識字者という。

ユネスコ(国際連合教育科学文化機関=UNESCO)では、識字について、
「日常生活における短い簡単な文章の読み書きができる人を識字者、
できない人を非識字者」と定義している。

日本では、昔、文字を読めない人を、「文盲」と呼んだ。
しかしその後の教育の整備が進んで、今では、文盲の人はいないということになっている。
そこで近年では、(1)文字は読めても、(2)それを理解できない人を、非識字者と
位置づける学者も多い。

ポイントは、一応の読み書きはできる。
しかし読んでも、それを理解することができない、というところにある。

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●言葉と文字

言葉の発達が、人類を飛躍的に進化させた。
しかしその人類をさらに文明人へと進化させたのは、文字の発達ということになる。
人類は文字を使うことで、過去を未来へ伝えることができるようになった。
遠く離れた人に、そのときの感情を伝えることができるようになった。
言いかえると、(言葉)と(文字)、この2つが、人類と動物の分かれ目ということになる。

●文字を読まない人

その文字について、会話程度の簡単な文章を読むことはできても、やや難解な
文章になると、それを読んで理解できない人は多い。
程度の差もある。
だから、どの程度理解できれば問題なく、どの程度理解できなければ
問題と、一概に言うことはできない。
しかし現実には、文字という文字を、ほとんど読まない人は多い。
その人の周辺をさぐってみれば、それがわかる。

文字を読まない人の周辺には、当然のことながら、本という本が、ほとんどない。
雑誌もない。
50代、60代の人に多いが、30代、40代の人にも、ときどき見られる。
日常的に文字をよく読んでいる人には、信じがたいことかもしれないが、
現実にはいる。

●非識字者

映画俳優のトム・クルーズが、そのタイプのLD児であったことは、よく
知られている。
本人自身がそれを告白している。
だからトム・クルーズのばあいは、台本は、だれかに読んでもらい、それを耳で
聞いて覚えるのだそうだ。

で、そんな話をしていたら、A氏(60歳、長い間の仕事仲間)が、こう言った。
「実は私の姉がそうです」と。
「簡単な手紙の読み書きはできますが、少し難解な文章になると、読んで理解しよう
ともしません」と。

具体的には、書類を目の前に置いただけで、「私にはそんなもの、読んでもわからない!」
と言って、手で払いのけてしまうという。

私「文字は書けるのですか?」
A「簡単な手紙なんかは、ときどき書いてきます」
私「難解な文章といっても、どの程度の文章ですか?」
A「役所から来るような公文書などは、だめですね」
私「家庭医学書なんかは、どうですか?」
A「ぜったいに、だめですね」と。

●LD児

子どもの世界にも、文字を読めない子どもというのは、いる。
最近では、LD児(Learning Disability=学習障害児)と位置づけられている。
LD児といっても、症状はさまざまで、集中力が極端に低下している子どもから、
計算なら計算というように、ある特殊な分野のみ苦手という子どももいる。
もちろん文章を読み切れない子どもも、多い。
具体的には、算数の文章問題が理解できないというような症状となって表れる。

こうした子どものばあい、指導といっても、脳の機能に関する問題であるだけに、
それがむずかしい。
一般的には、(学校教育の現場では)、「苦手分野には目をつぶり、得意分野を伸ばす」
(某小学校校長談)という方法で対処する。
苦手分野だけを集中的に指導していると、子どもが神経質になってしまう。
「だれにでも、得意、不得意がある」というおおらかさが、このタイプの子どもを
伸ばす。

●大切なのは訓練(?)

問題は、実は、私たち。
加齢とともに、どうしても集中力が鈍くなる。
その分だけ、読解力が弱くなる。
識字能力が弱くなる。
新聞程度は読むことはできても、小説となると、とたんに弱くなる。
しかしこれも肉体の健康論と、似ている。

歩くことはできても、しばらく乗っていないと、自転車に乗れなくなる、など。
わかりやすく言えば、識字能力も、訓練によって維持できるのでは?
訓練しなければ、そのまま衰退する。
しかも加齢とともに、衰退するスピードが、加速度的に速くなる。
小説にしても、しばらく読んでいないと、最初のとっかかりのところで、苦労する。
(というのも、小説というのは、作者の癖によって、書き方がみなちがうから。)
その作者の文体になれるのに、しばらく時間がかかる。

私「ところであなたの姉さんは、おいくつですか?」
A「今年、70歳になります」
私「それじゃあ、まあ、歳相応ってことじゃ、ないですか?」
A「それがですね、このとことますますひどくなってきたようです」
私「ひどいって?」
A「新聞にも目を通さなくなってきました」と。

●模擬体験

では、非識字者というのは、どういう人をいうのか。
たまたま今、私の目の前には、新聞の切り抜きがある。
何枚か無造作に置いてあるが、その一枚が、さかさまになっている。
私はそれをぼんやりと眺めている。
が、眺めているだけで、内容が伝わってこない。
並んでいる文字全体が、何かの模様のようですらある。

もちろんこのとき、目を凝らして、逆に読めば意味はわかる。
しかしぼんやりと眺めていると、意味がわからない。
非識字者の目に映る文字というのは、たぶん、そういうものではないか。
頭の中で、文字の意味が論理的につながっていかない……(?)。

●やはり訓練

言葉と文字が、人間と動物の分かれ目ということなら、識字能力を失うということは、
人間が人間でなくなってしまうことを意味する。
(それほど大げさな問題ではないかもしれないが、深刻な問題であることは事実。)
そこで大切なのが、訓練ということになる。
肉体の訓練をするためにジョギングに出かけるように、あえて書店へでかけ、本を
買う。
買って読む。
こうした努力が、識字能力を高める。
で、もしその能力が低下してきたら、どうなるか?
それについては、A氏がこう話してくれた。
それを箇条書きにまとめてみる。

(1)電話で話していても、要点がよくわからない。(何を言いたいか、よくわからない。)
(2)言葉の使い方が、不適切で、文章になっていない。(感情的な言い方が多い。)
(3)思慮深さが衰えてきた。(こちらの言うことを、深く理解できない。)
(4)繊細な会話ができない。(言葉をぶつけるように話す、など。)
(5)グチが多くなり、そのグチを自分でコントロールできない。
(6)思考の一貫性がなくなってきた。(会うたびに、話しの内容が変化する。)

この中でとくに重要なのが、(3)の思慮深さ。
人間は文字を読み書きすることによって、思慮深さを養う。
それをやめたとたん、その時点から、思慮深さは衰退する。
識字能力には、そういう問題も含まれる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
識字能力 非識字者 文章を理解できない はやし浩司 識字能力 思慮深さ)


Hiroshi Hayashi++++++++May. 09+++++++++はやし浩司

●強化の原理



 (ほめられる)→(ここちよい)→(やる気が出てくる)という、一連の心の動きを、「強
化の原
理」(「強化原理」と呼んでいる人もいる)という。



 最近の研究で、こうした(ここちよい感覚)は、脳の中でも、辺縁系と呼ばれる組織の
中で、モ
ルヒネ様の物質(エンドロフィン系、エンケファリン系の物質)が放出されるためという
ことが、
わかってきた。



 昔は、この辺縁系という組織は、原始脳で、働きはないと考えられていた。「太古の昔に
は働
きはあったが、その働は、もうなくなってしまった」と。少なくとも私は、学生時代、そ
う習った。



 しかしこれはとんでもない誤解だった。



 知的な活動は、脳の中でも、大脳連合野全体でなされるが、基本的な感情は、どうやら
辺縁
系がつかさどっているというのだ。



 このことは、二つのことを意味する。



 一つは、イヌや、ネコにも、感情はあるということ。たとえばイヌでも、ネコでも、何かをしたと
き、ほめてやると、やはりモルヒネ様の物質が放出され、ここちよい感覚を生み出すとい
うこ
と。つまり彼らだって、気持ちよいのだ。



 もう一つは、知的活動だけでは、感情は生まれないということ。たとえて言うなら、知
的活動
は、コンピュータの働きに似ている。いくら恐ろしい文章を、ワープロに打ちこんでも、
コンピュ
ータ自身は、少しもこわがらない。それと同じように、数学の問題を解くとか、作文を書
くとかい
うのは、知的な活動だが、それ自体は、感情を生み出さない。



 むずかしい数学の問題を解いたとき、「ああ、おもしろかった」と思うのは、脳の辺縁系
の中
で、モルヒネ様の物質が放出されるためである。



 (ただし、反対に、叱られたとき、不愉快になるのは、どういう働きによるものかは、
私にはわ
からない。あちこちの本を読んでみたが、それについて書いたのは、なかった。これは私
の不
勉強によるものか。そのうち、一度、調べてみて、わかりしだい、皆さんに報告する。)



 そこでこの辺縁系が機能を失うと、感情そのものがなくなることも、考えられる。ある
いはやる
気をなくしたり、感情をコントロールできなくなったりする。



 しかし反対に、こうしたメカニズムをうまく利用すると、子どもを、前向きに伸ばすこ
とができ
る。それを心理学の世界では、「強化の原理」という。



 これは多分に、コンピュータの影響かもしれない。私は、二七歳くらいのとき、コモド
ール社の
PET2000という、コンピュータを買った。それ以来、もう三〇年近く、コンピュー
タとつきあって
いる。



 そのためものの考え方が、どこかコンピュータ的になってきた。考え方がコンピュータ
的にな
ったというよりは、人間の脳の働きも、そのコンピュータによく似ていると思うようにな
ってきた。
(あるいは、同じなのかもしれない。)



 とくに子どもたちを観察していると、そう思う。が、それはそれとして、もしコンピュ
ータに感情
をもたせたかったら、もう一つ、コンピュータ内部に、感情をつかさどる部分を、新設す
ればよ
い。人間の脳にたとえていうなら、辺縁系に似た部分である。



 処理をスムーズにできたら、コンピュータ内部で、コンピュータ自身が、ここちよく感
ずる物質
を放出する、とか。そうすればコンピュータがそれを感知して、「ああ、楽しかった」と思
うように
なるかもしれない。



 ずいぶんと回り道をしたが、要するに、子どもを伸ばそうと考えたら、子どもの脳の中
で、こ
のモルヒネ様の物質が放出するように、しむければよい。



 方法は簡単。



子どもは、ほめれば、よい。すべては、そこから始まり、そこで終わる。つまり、じょう
ずにほめ
ること。これが子どもを伸ばす、秘訣の一つということになる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
強化の原理 子どものやる気 子供のやる気)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【私の母】(追加)

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前回書いた、「私の母」の追加原稿です。
本文全体は、HPのほうに、近く掲載します。
時間的推移(前後関係)は、バラバラになっています。

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●祖父の財産

母について、理解できない点もいくつかある。
たとえば私が毎月仕送りをつづけていたことについても、母は、それをだれにも
話していなかった。
私の姉にすら、話していなかった。
だからあるとき、そのことを姉に話すと、姉はたいへん驚いた様子をしてみせた。
「そんな話は聞いていなかった!」と。
(あるいはそう言って、とぼけただけだったかもしれない。)

それとて私が40歳を過ぎてからのことだった。
私は当然、姉だけは、私がしていることを知っていると思っていた。
姉だけには、母は、私がしていることを話していると思っていた。
が、姉ですら、知らなかった。

で、母は、ことあるごとに、また周囲の人たちには、こう言っていた。
「おじいちゃん(=私の祖父)の残してくれた財産で、生活している」と。
つまり祖父の残した遺産がたくさんあったから、生活には困らない、と。
他人にはともかくも、身内の姉や私にそんなウソを言っても意味はない。
が、それでも私は、姉だけには話していると思っていた。……思い込んでいた。

実際には、祖父の残した財産は、いくつかの不動産をのぞいて、まったくなかった。
私が中学生のときには、我が家はまさに火の車。
自転車操業。
それに祖父はすでにそのとき、隠居の身分だった。
バイクをいじるのが趣味で、それをいじって遊んでいた。
収入はなかった。
小銭をもっていたとすれば、むしろ祖母のほうだった。
祖母は株の売買をしていた。
が、それとて、「端株(はかぶ)」といって、証券会社からのおこぼれ株だった。
10株とか、20株単位の株を売買していた。

今にして思えば、母には親としてのプライドがあったのだろう。
「息子から奪ったお金で、生活をしている」とは、とても言えなかった。

●私が悪者

遠くに住んでいることをよいことに、母は、私を悪者に仕立てた。
何かにつけ、自分にとって都合の悪いことは、すべて私のせいにした。
父が他界し、私の家でも遺産相続問題が起きたときも、そうだ。

そのときのこと。
祖父の残した土地が、3筆あった。
その相続についても、母は、叔父、叔母のところを回りながら、こう言った。
「浩司がうるさいから、(相続放棄の)書類に判を押してほしい」と。
母は、私に追いつめられたから、いやいやながらも、判を集めているのだと言った。

が、実際には、これもちがった。
私は一言も、相続について口をはさんだことはない。
母から手続きの相談を受けたことはあるが、それ以上の記憶はない。
むしろ事実は逆で、祖父の財産は、叔父、叔母で分けるのが筋道と考えていた。
祖父は生前、いつも口癖のようにこう言っていた。
「Y町のあの土地は、S(=叔母)のものだ」と。
で、これについてはこんなエピソードがある。

母の話を真に受けた叔父が、ある日、突然、私の家にやってきた。
「貴様!」と怒鳴ったあと、私を殴り飛ばした。
パシッ、パシッと、叔父の拳が顔面ではじけるのを私は感じた。
そのとき私はたまたま実家に帰省していた。
叔父はそれを聞きつけて、私の家にやってきた。
私は殴られるまま、反論することもできなかった。
なぜ私が叔父に殴られるか……。
私も、そして母も、その理由がわかっていた。
しかし母は、別の部屋で静かにその様子を見ていた。
息をひそめて、静かにそれを見ていた。

●母の見栄

晩年になればなるほど、母の見栄は、はげしくなった。
ますます世間体を気にするようになった。
これは姉から聞いた話だが、買い物に行くときも、千円札を、何十枚か重ね、両端を
1万円札ではさんでサイフに入れ、もち歩いていたという。
そしてレジでお金を出すとき、わざとサイフを開いて、その札たばを店員に
見せつけていたという。
またこんなこともあったという。

姉の家で何かの祝いごとがあった。
姉は母を家へ連れていくことにした。
そのときも、母は、美容院で髪を染め、パーマをかけていたという。
姉の家の近所の人たちに、それなりのかっこうづけをするためだったという。
その日の生活に困っているはずの母が、姉の家に行くのに、1万円前後もかけて、
髪をセットする……。

当時、母はすでに80歳を過ぎていた。
そうした母の行為は、私の常識とは、かけ離れたものだった。

●迷信

こうした母の一連の行為は、一言で説明すれば、「哲学の欠落」ということになる。
権威主義のかたまりのような人だったが、それを支える哲学がなかった。
それがもっともよく現れていたのが、迷信だった。

「夕方に履物を買ってはだめ」
「玄関で脱いだ靴は、裏で履いてはだめ」などなど。
あらゆる行動を、その日の運勢にしたがって決めていた。
「今日は、日が悪いから、靴を買ってはだめ」
「明日は、日がよいから、服を買ってもよい」などなど。

食べ物についても、そうだった。
「梅干と、うな丼と、いっしょに食べてはだめ」
「風邪をひいたときは、豆を食べてはだめ」などなど。

子どものころは私もそれに従っていたが、中学生になるころには、それに耐えられ
なくなった。
あまりにも息苦しかった。

こうした迷信は、一度気にすると、それがずっと気になる。
それを続けていると、やがてそのワナにはまって、そこから抜け出せなくなる。
だから「ナッシング・オア・オール(ゼロかすべてか)」となる。
私は「ゼロ」のほうを選んだ。
今の今でも、迷信なるものは、いっさい、信じていない。
その種の話には、はげしい拒絶反応が起きる。

が、私の知っている人にこんな人がいた。

新車を購入したのだが、その車を納入させるとき、日時はもちろん、納入のための
道順まで、ディーラーに指示したという。
「一度、北に出て、それから西まわりで、車を届けてほしい」と。
迷信を気にするひとは、そこまで気にする。

母も、似たようなことを、よく口にした。

●母の信仰

そういうこともあって、母の信仰の仕方も、これまた一風、変わっていた。
「家にいるときより、寺にいるときのほうが長い」と、みなが、そう言っていた。
こまかい作法にこだわった。
ローソクの立て方、線香の燃やし方、仏具の飾り方などなど。
また親類、縁者たちの命日供養については、毎月、それをしていた。
毎年、年1回ではなく、毎月だぞ!

ここで注意しなければならないことは、宗教心と信仰心はちがうということ。
宗教は、「教え」に従ってするもの。
現実のこの世界で、よりよく生きるために、宗教はある。
一方、信仰心にはそれがない。
そこはまさに、「イワシの頭」。
対象は、キツネでもタヌキでも、何でもよい。
そこに(思い込み)を凝縮させる。

それをなじると母はいつも決まってこう言った。
「人がいいということをして、悪いことにはならない」と。
つまりどんな信仰でも、信仰して悪いということはない、と。

●姉との確執

そんな母が姉の家に2年間いた。
そのあと、私の家に来た。
来たというよりは、私が母を抱きかかえ、車に、無理やり乗せて連れてきた。

それまでの姉との経緯(いきさつ)については、ここには書けない。
いろいろ書きたいことはあるが、やはりここには書けない。
ただ言えることは、事実として、私と姉はその前後に、断絶状態になっていたこと。
姉はそのつど私をはげしくののしった。
そういうことが重なり、私は母を引き取ることにした。

その前日は、M町の旅館で一泊。
朝早く起きて、姉の家に向かった。
重い雲が山々の尾根を覆い隠し、かすかに見える山も、白いモヤにかすんでいた。
M町から姉の家まで、車で、20分足らず。
私は姉とは会話らしい会話もせず、そのまま母を車に乗せ、浜松に向かった。

最初母は、少なからずそれに抵抗したが、私が強く抱きかかえると、力を抜いた。
軽かった。
母は、信じられないほど、軽かった。
私は用意してきた毛布を、幾重にも積みあげ、その上に母を置いた。
そしてその上に、分厚いふとんをかけた。
そしてそのままあいさつもそこそこに、姉と別れ、浜松へと向かった。
まだ正月気分の残る、1月4日のことだった。

●家庭の内情

それぞれの家庭には、それぞれの言うに言われない事情というものがある。
私の家にもあるし、あなたの家にもある。
そういった事情も知らないで、他人が自分の推察だけでものを言うのは、たいへん危険。
ばあいによっては、その相手を深く、傷つける。
最近も、ある人から、こんな話を聞いた。

A氏(80歳)には、3人の息子がいる。
が、外に出た二男や三男が、A氏が住む実家に寄りつかないという。
二男や三男は、実家の近くに来ることはよくあるのだそうだが、そのまま実家には
寄らず、帰ってしまうという。

それを知った叔母(父親の妹)が、二男や三男に向かって、こう言って叱ったという。
「いくら父親が嫌いだからといって、あいさつもしないで帰るのはおかしい。
実家に寄って、あいさつをするのは当然。
実家にはまだ母親もいるのだから……」と。

しかし事情はちがう。
二男や三男が実家に立ち寄らないのは、長男との確執があったからだ。
そのつど長男は、介護費用の分担を迫った。
が、二男と三男にはその経済的余裕がなかった。
だから二男と三男は、父親との確執をそれとなく臭わせることによって、自分たちの
責任を回避していた。
「介護費用を分担したくないから、実家には寄らない」と人に思わせるよりは、
「父親に会いたくないから、実家には寄らない」と他人に思わせたほうが、
自分たちの立場を守ることができる。

事情というのは、そういうもの。
そういった事情が複雑にからんで、その家庭の事情を作る。
他人が自分の頭で、理解できるようなことではない。

だから……よほどのことがないかぎり、他人の家の問題には、口を出さないこと。
相手のほうから相談でもあれば、話は別だが、それがないなら、そっとしておいてやる
ことこそ、懸命。

●決別

イギリスの格言にも、『2人の人には、よい顔はできない』というのがある。
日本にも、『八方美人』という言葉がある。
軽蔑すべき人という意味で、『八方美人』という。

私もあるときから、自分の身辺を整理し始めた。
いろいろ誤解はあるにせよ、そういった誤解を解くのも疲れる。
離れて住んでいればなおさらである。
中には、こちらの事情も知らず、「浩司は親を捨てた」「親不孝者」と言っている
人もいた。
最初は、私なりに誤解を解こうとしたこともある。
しかしここにも書いたように、それにも疲れた。
だからあるときから、居直って生きるようにした。
「思いたければ、どうとでも思え」と。

しかしそれは同時に、そういう人たちとの決別を意味する。
そういう人たちとだけではない。
その周囲の人たちとの決別も意味する。
さらに言えば、故郷そのものとの決別を意味する。
会う回数が、数年に一度とか二度とかになれば、互いの関係そのものが、疎遠になる。
誤解がそのまま定着する。

こうなると残された選択肢は、ただ一つ。
決別ということになる。
またそこまで割り切らないと、幻惑という呪縛感から、自分を解放させることはできない。

親を捨てたわけではないが、そこまで割り切らないと、心の重圧感を晴らすことは
できない。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●映画『天使と悪魔』

++++++++++++++++++

おとといの夜、映画『天使と悪魔』を見てきた。
星は、★★★の3つ。
おもしろかったが、少し技巧的すぎる?

原作は、ダン・ブラウン著『天国と地獄』。
実は映画に先立って、先週、その単行本を買ってきた。
(上)(中)(下)の3巻に分かれていた(角川文庫)。
しかし私が買ったのは、(上)だけ。
そのときすでに映画を見ようと心に決めていたので、
結末まで知ってしまったのでは、おもしろくない。
それで(上)だけ。

が、本の内容と映画の内容が、あまりにもちがって
いたのには驚いた。
本のほうは、どこかSF的。
つまりSFと、オカルトと、推理。
この3つを兼ね備えた内容。
その分だけ、映画への期待は大きかった。
が、映画のほうは、ただの推理+アクション映画。
そんなわけで、かなりガッカリ!
せめてX-33という、UFOのような飛行機くらいは
登場させてほしかった。
で、星は3つ。

(先に本を読んでいなければ、星は4つだったかもしれない。)

で、バチカン内部で殺人事件?
カトリック教徒の人には、不愉快な映画にちがいない。
が、そこは映画。
理性のある人は、一線を引くことができる。
が、これがもし、イスラム教のメッカが舞台だったら、
どうか?
メッカ内部で殺人事件?
もしそんな映画だったら、イスラム教徒による暴動が起きるかもしれない。
映画館を襲撃して、爆破するとか……?

つまり同じ宗教を信じていても、その一線が引けるかどうかで、
その宗教の理性度を知ることができる(?)。
だからといってイスラム教の理性度が低いということではない。
しかしこの日本にも、ほんの少し批判されただけで、
つぎつぎと相手を裁判所へ訴えている宗教団体がある。
窮屈といえば、窮屈。
宗教には、ある種の(窮屈さ)がつきものだが、
その窮屈さが、かえって一般の人を遠ざけてしまう。

で、映画を見終わったあと、「カトリック教って、結構わかりやすいな」と
感じた。
言いかえると、「結構心が広いな」と。

「バチカン内部」といっても、もちろん、すべてセット。
あるいはCG合成(?)。
が、それでもバチカン内部の様子がわかって、おもしろかった。
私の知らない世界だけに、おもしろかった。

つぎはいよいよ『スタートレック』!
待ってましたア!


Hiroshi Hayashi++++++++May. 09+++++++++はやし浩司
●2つの事件(Two News)

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最近、我が家に2つの事件が起きた。

(1)私の家にも、「振り込め詐欺(オレオレ詐欺)」の電話がかかってきた。
(2)Blogger Blogが、何者かによって、荒らされた。

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●振り込め詐欺(オレオレ詐欺)

ワイフが受話器を取ると、相手の男はこう言った。
「お母さん、S……」と。

しかしワイフには、それが即座に、S(=長男)からの電話ではないとわかった。
声がちがった。
それに息子たちは、みな、「ママ」とは言うが、「お母さん」とは言わない。

ワイフがあきれた声で、「ハア~~~?」と言っていると、相手は
感づいたのか、そのまま電話を切ってしまった。

で、こうした振り込め詐欺をしかけてくる連中は、まず、息子たちの情報を
手に入れようとする。
私の家のばあいも、ちょうどその1月前、おかしな電話がかかってきた。
若い女の声で、「Sさん、いますウ?」と。

で、こうした電話のばあい、こちらが相手の名前を聞いても、たいてい、
「スズキです」などとしか言わない。
「折り返し電話しますから、電話番号を教えてください」と言うと、そのまま電話を
切ってしまう。

そういう電話が、数か月に1度くらいはかかってくる。
で、そのうちまじめに応対するのがめんどうになった。
いつも適当な返事をしてすますようにした。
そのときも、私はこう言った。

「今、うちにいません。東京か、どこかに行っています」と。

それでその電話がかかってきた(多分?)。
もっとも、それが振り込め詐欺の電話だったとは、確定できない。
それに「そうでないかな?」と思い始めたのは、ワイフが受話器を置いて、しばらくして
からのこと。
ワイフはこう言った。

「うまく引っかかったフリをして、警察に電話してやればよかったわ」と。

……しかし、そんなふうにして人をだまして、どうするのだろう?
いくらかのお金は手に入るかもしれないが、もっと大切なものを失う。
「人生」という「時」を失う。
そのほうが、よほど損だと私は思うのだが……。


(2)Blogger Blogが荒らされる

外国向けに、英語で発行していたBLOGが、突然、閉鎖された。
いろいろ問い合わせてみると、「Spam Blogになったから」という。
どこかでだれかが私のパスワードを手に入れ、BLOGの中に、Spamを
仕込んだためらしい。(確信はもてないが……。)

Spamが仕込んであると、だれかが私のBLOGを見たとき、それを見た人のパソコンに
最悪のばあい、ウィルスが侵入することになる。
それで閉鎖となった。

さっそくパスワードを変更して、新規にBlogger Blogを開設した。
が、今まで書いた原稿は、アクセス不能になってしまった。
2年以上つづけてきたBLOGだけに、残念!

そういうこともあるから、

(1)BLOGのパスワードはこまめに変更した方がよい。
(2)BLOGはひとつではなく、複数本発行したほうがよい。
(3)原稿はつねに、どこかにまとめてSAVEしておいたほうがよい。
(4)英語版のBLOGのほうが、悪意をもった連中にねらわれやすい。


Hiroshi Hayashi++++++++May. 09+++++++++はやし浩司

●投資

++++++++++++++++++

5月のはじめから、ひどいスランプ状態になってしまった。
パソコンに向かっても、いつもなら浮かんでくるはずの
文章が浮かんでこない。
書きたいという意欲そのものが、消えうせた。

そんなとき近くのパソコンショップへ行くと、T社製だが、
宝石のように美しいパソコンが並んでいた。
値段は、9万7000円。
安い!
「ほしい」と思ったが、同時に「買ってもしかたない」という
思いが、胸をふさいだ。

で、今、再び、少しずつだが、調子が戻りつつある。
今朝も、2時間近く、パソコンのキーボードを叩いた。
調子は悪くない。
そんな今、あのパソコンが、思いだされる。
そしてこう思う。
「パソコンというのは、ほしいと思ったときが、花」と。

少しわかりにくい話になるかもしれないが、こういうこと。

「書きたい」という思いがあるから、パソコンがほしくなる。
反対に新しいパソコンを買えば、「書きたい」という意欲がわいてくる。
もし今の私から、(ものを書く)という趣味(仕事でも、道楽でもよいが……)を
取り除いたら、私はただの抜け殻(ぬけがら)。
抜け殻になるくらいなら、パソコンは買ったほうがよい。
9万7000円など、それを思えば安いもの。
だから「ほしいと思ったときが、花」と。

それを私は「投資」と呼んでいる。
言うなれば、脳みその健康のための投資。
ずいぶんと勝手な解釈だが、そんなにまちがってはいないと思う。

が、ここはがまん。
ぐっとがまん。
夏から秋にかけて、いよいよ64ビットマシンが、登場してくる。
WINDOW7も発売になる。
それを待とう!


Hiroshi Hayashi++++++++May. 09+++++++++はやし浩司

●新たな挑戦

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「lingoes」というサービスがある。
ある雑誌に紹介されていた。
いわゆる翻訳サービスである。
無料。
これを使えば、いろいろな言語から、
いろいろな言語へと、自由に翻訳できる。

すごい!

……ということで、この1時間、それで
遊んだ。

++++++++++++++++++++++

I am Hiroshi Hayashi.(英語)
Estou Hiroshi Hayashi.(ポルトガル語)
Je suis Hiroshi Hayashi.(フランス語)
Ich bin Hiroshi Hayashi.(ドイツ語)
나는 히로시 하야시.(韓国語)
我林浩司。(中国語)
xxxxxxxxxx
(上はアラビア語)
Aku Hiroshi Hayashi.(インドネシア語)
मैं Hiroshi Hayashi हूँ.(ヒンディー語)
Estoy Hiroshi Hayashi.(スペイン語)ほか。

つぎにHPを更新するときは、HPに、世界の言語をまぶしてみよう。
私のHPがますます国際的になる。
おもしろそう!
+楽しみ!

……インターネットの世界に、改めて驚く。
このlingoesには、翻訳サービスだけではなく、辞書サービスも付録でついている。
その国の言語を、家庭に居ながらにして学ぶことができる。
興味のある人は、「lingoes」を検索し、ソフトをダウンロードしてみるとよい。

大手の雑誌に紹介されていたので、問題はないと思うが、ただし自己責任で!


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