2009年7月7日火曜日

*What is the Punishment for us?

●罰(ばち)

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不可思議なパワーによる「罰(ばち)」というのは
認めない。
しかし「罰(ばち)」というのは、たしかにある。
あるが、それは不可思議なパワーによるものではなく、
その人自身の運命が、自ら、つくりあげていくものである。

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●運命

 「運命論」については、たびたび、書いてきた。
書いてきたので、ここでは簡単に触れるだけにする。
つまり私たちには、私たちの行き先を決める、無数の「糸」が
からみついている。
家族の糸、仕事の糸、環境の糸、才能の糸、などなど。
過去の糸もあるし、遺伝子の糸もある。
そういった無数の糸が、ときとして、自分の望むのとは
別の方向に、自分を連れ去ってしまうことがある。
それを「運命」という。

 ただし運命というのは、その時点では、わからない。
自分の過去を振り返ってみたときに、それがわかる。
「ああ、私には私の運命があったのだ」と。

●罰(ばち)

 私自身は、罰(ばち)(以下、「罰」とだけ表記)という言葉は
好きではない。
どこか宗教じみている。
宗教の中でも、カルトじみている。
しかしときとして、運命は、その人を、罰と言えるほど、悪い状況
に追いやってしまうことがある。
 それを私は罰という。

 が、先にも書いたように、どこか別の世界に、たとえば霊的な存在
があって、その人を、悪い状況に追いやるわけではない。
その人の運命が、自ら、作りあげていくものである。

●緑内障

 最近、緑内障になって、視力をほとんど失ってしまった女性(65
歳)がいる。
 ただし、誤解のないように言っておくが、緑内障になったからといって、
罰が当たったということではない。
緑内障といっても、病気のひとつ。
だれでもなりうる病気である。
よい行いとしたから、ならないという病気ではない。
悪い行いをしたから、なるという病気でもない。
ただその女性自身が、「罰が当たった」と騒いでいるから、罰ということに
なる。
こういうことだ。

●小ずるい女性

 「一事が万事」という。
「万事が一事」ともいう。
その女性は、何かにつけて、ずるい女性だった。
ずる賢いと言ったほうが、よいかもしれない。
口がうまい分だけ、人をだますのも、うまかった。

 今でこそ、「代理ミュンヒハウゼン症候群」という言葉が、ポピュラーに
なった。
その人を介護するフリをしながら、一方で、その人を虐待するという、
あれである。
ごく最近も、どこかの母親が、自分の子どもに、汚れた水を点滴しながら、
その一方で、よくできた母親を演じていた女性がいた(岐阜県S市)。

 介護する相手は、自分の子どもであることが多いが、実の両親や、義理の
両親に対して、それをする女性もいる。
他人が見ているときは、ベッドの上で、その人の背中をやさしくさすって
見せたりする。
その女性もそうだった。
義理の母親だったが、食事を与えない。
便の始末をしない。
冬の寒い日でも、暖房器具は使わず、そのままにしておいた、などなど。

 が、他人の目を感じたとたん、「よくできた嫁」に変身する。
言葉の使い方はもちろん、口調まで変えた。
だからその女性をよく知らない人たちは、その女性のことを、ことさら
高く評価した。
が、それこそ、その女性の望むところ。
他人をして、そう思わせることによって、自分の立場を維持していた。

●シャドウ論(ユング)

 が、その女性の長男が、傷害事件を起こした。
警察に逮捕された。
その少し前、二男も、交通事故を起こしている。
横断歩道で、自転車通行中の高校生をはね、そのまま逃げてしまった。
義理の母親が、老衰で亡くなってから、ともに数か月後のことだった。

 近所の人たちはみな、首をかしげた。
「あれほどまでによくできた母親なのに、どうして息子たちは、そうなって
しまったのか」と。

 しかしユングのシャドウ論をあてはめて考えれば、謎でも何でもない。
母親がその内に隠しもっていたシャドウ(=邪悪な影)を、2人の息子たちは
そのまま引き継いだ。
よくある話で、何でもない。
が、その女性には、それが理解できなかった。
しかもその女性は、人一倍、世間体を気にした。
小さな町で、その話は、みなに伝わってしまった。

●強度のストレス

 その女性が緑内障になったのは、長男が逮捕されたその翌日のことだった。
朝起きてみたら、視野が極端に狭くなっているのを知った。
いつもならそこに見えるはずの目覚まし時計すら、見えなかった。
トイレに起きたとき、廊下の柱に顔をぶつけた。

 異変に気づいたその女性は、夫にそれを話し、地元の救急病院へと
そのまま直行した。
医師は「強度のストレスが、緑内障を引き起こした」と診断した。
が、その女性は、それを罰(ばち)ととらえた。
いや、実際には、それを先に罰ととらえたのは、夫のほうだった。
夫は、その女性の虚像を、結婚当初から見抜いていた。
義理の母親(夫にとっては、実父)に対する虐待についても、
薄々、感じ取っていた。
だから夫は、すかさず、こう言った。
「お前は、罰が当たった」と。

 それを聞いてその女性は錯乱状態になった。
ギャーと叫んだあと、体中をばたつかせて、泣いた。

●自業自得

 この話は、最近、ワイフがどこかで聞いてきた話を、私なりに
アレンジしたものである。
実際にあったケースではない。
しかしこれに似たような話は、どこにでもある。
「似たような」というのは、病気の原因を自ら作りながら、それに
気がつかないまま、(病気という結果)を、罰ととらえるケースである。
俗に言う、「自業自得」。
さらに言えば、「自ら墓穴を掘る」、である。

 が、少し冷静に考えれば、こんなのは罰でも何でもない。
医師も言っているように、「強度のストレス」が、緑内障を引き起こした。
そしてそのストレスは、長男の逮捕によってもたらされた。
が、このとき、その女性が悩んだのは、長男の逮捕ではない。
世間体である。
もしその時点で、世間体を処理できれば、ストレスはストレスにならなかった
かもしれない。

 さらに2人の息子がともに事件を起こしたのは、元はと言えば、その原因は、
その女性自身にある。
もともとは邪悪な性格の女性と考えてよい。
その邪悪な部分を、2人の息子は、うしろから見ながら、それを引き継いで
しまった。
聞くところによると、その女性は、かなりわがままな人だったらしい。
息子たちに対しても、いつも命令するだけの人だった。

 親子らしい親子の会話もなかった。
それが子どもたちから、静かに考えるという習慣を奪い、それが2つの
事件へとつながっていった(?)。
そういうふうにも考えることもできる。

●罰とは?

 昔の人は、こうした(原因)と(結果)をつなげて、こう言った。
「親の因果、子にたたり」と。
しかし冒頭にも書いたように、私は、不可思議なパワーによる罰という
ものを認めない。
またあるはずもない。
もしそれを「不可思議なパワーによるものだ」と考えるなら、それは、
その人の無知と無理解、無教養によるものである。

 言い換えると、運命というのは、その時点、時点において、その人の
努力によって修正することができるもの、ということ。
それを支えるのが、日ごろの生き方、教養、それに文化性ということになる。
 
 もしその女性が、正直に生きていたら・・・。
世間体というものを気にしていなかったら・・・。
息子たちの悩みや苦しみを分かち合っていたら・・・。
その女性は、緑内障という運命を、避けることができたかもしれない。

 というわけで、そういう意味での罰(ばち)というのはたしかにある。
またそういうのを「罰(ばち)」という。
つまり、「罰(ばち)」というのは、その人自らが、つくりだすものという
こと。
それをここに書きたかった。


はやし浩司+++July 09+++Hiroshi Hayashi

●古いパソコン

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現在、この文章を、パナソニック社製の「Let’s Note」(CF-L1)
を使って書いている。
「Let’s Note」の中でも、初代機。
当時の値段で、24万円もした。
が、購入直後から、故障つづき。
当時は、修理といっても、地元のパナソニックの代理店までもって行かねば
ならなかった。
最初の6か月のうち、3~4か月は、会社のほうにあった。
が、私は、このパソコンが、たいへん気に入っている。
キーボードの感触が、たまらない。
で、購入日を見ると、「2000年9月」となっている。
が、これはおかしい?
「2000年9月まで保証期間」という意味かもしれない。
2000年には、すでにこのパソコンを使っていたはず。
それに、あれからたった10年とは、とても信じられない。
私には、遠い遠い昔のように思われる。
言い換えると、この10年は、ほんとうに長かった。

SDカードも使えない。
インターネットもできない。
キーを叩いたとき、反応も鈍い。
データの保存は、フロッピーディスクだけ。
(着脱式のCDドライブは、とっくの昔に壊れ、今は、端子をビニールで
端子を塞いで使っている。)
が、私は、このパソコンが好き。
このパソコンで文章を書いていると、叩いているだけで、気持ちよくなる。
何と言うか、長年苦楽を共にしてきた、古い友人のようでもある。

 このパソコンだけは、死ぬまで、大切にしたい。
(大げさかな?)

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