2009年7月13日月曜日

*E-Magazine July 20th

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子育て最前線の育児論byはやし浩司   09年 7月 13日
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メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●善なる存在(goodness in your Mind)

++++++++++++++++++++++++

心の中に、「善」を作る。
作るのがむずかしかったら、想像するだけでよい。
その「善」に、自分の心を集中させる。

信仰者であれば、そこに「神」や「仏」を置くかもしれない。
しかし私のような凡人には、それができない。
だから(善なる存在)ということになる。
それを心の中心に置く。

++++++++++++++++++++++++

●性善説

 もう何度も書いてきたことだが、人間は、基本的には、(善なる存在)である。
人間の心の中には、(善)と(悪)の、その両方が共存している。
が、それでも(善なる存在)である。
少なくとも、(善)のほうが(悪)より、優勢である。
私たちが、今、ここに存在するというのが、その証拠である。
もし私たち人間が、(悪なる存在)なら、人類は、とっくの昔に、絶滅していたはず。
20数万年という長い年月を、生き残ることはできなかったはず。

 その善と悪は、どこでどのようにして決まるか。
最近の大脳生理学の進歩には、ものすごいものがある。
脳の働きを、リアルタイムで把握できる装置もある。
そういう装置を使ったからわかったのかどうかは知らないが、人間の善悪の感覚を
司っているのが、辺縁系の中にある扁桃核(扁桃体)というところらしいということ
までわかってきた。

 たとえば人に親切にしたりすると、その信号は、大脳の連合野から、扁桃核に
伝えられる。
そこで扁桃核は、エンドロフィン系、エンケファリン系のホルモンを分泌する。
モルヒネに似た物質である。
これが脳内を甘い陶酔感で満たす。
「いいことをすると気持ちいい」というのは、そういうメカニズムによる。

●心が壊れた子ども

 これはあくまでも私の仮説だが、何らかの強烈なショックが加わると、
ショックの強弱、内容にもよるが、脳は大きな影響を受ける。
部分的に、たとえば虚血状態になったりして、機能を停止することもある(仮説)。
たとえば短期記憶などは、同じ辺縁系の中にある海馬という組織が担当する。
強烈なショックなどが原因で、その短期記憶に障害が出ることは、よく知られている。

 同じように、扁桃核も影響を受けることがあると考えられる(仮説)。
仮に昨日が停止するということになれば、「いいことをしても、気持ちいい」という
ことがなくなる(仮説)。
ばあいによっては、無感動、無表情、無感覚になることもある(仮説)。

 子どもでも、はげしい家庭騒動を経験したような子どもは、こうした症状を示すことが
ある。
長く飼っていたペットが死んでも、無表情のまま、涙ひとつこぼさないなど。

 で、一度、そうした症状が出たら、以後、その子どもが人間らしい(?)心を
取り戻すのは、容易なことではない。
一度壊れた心は、もとにはもどらない。
そう考えてよい(仮説)。

●年中児から高校3年生まで

私は若いころ、一日というサイクルの中で、幼稚園の年中児から高校3年生まで
教えた経験がある。
午前中は幼稚園で教え、午後は学習塾、夕方からは進学塾、そして夜になって
家庭教師、と。
学習塾や進学塾では、小学1年生から高校3年生までを教えた。

 それだけではない。
30代のころは、(問題のある子ども)にたいへん、興味をもった。
今で言う「AD・HD児」や、「LD児」を、求めて教えたこともある。
「~~障害児」と呼ばれる子どもも、求めて教えたことがある。
当時の私は、「教育万能」を信じていた。
子どもにどんな問題があるにせよ、(教える)という力によって、治す(?)
ことができると信じていた。
(結果的に、これはまちがいだったことを知ったが……。)

 そういう流れの中で、子どもたちが、受験期を迎えると、大きく変化することを
知った。

●壊れる子どもの心

 子どもが受験期を迎えるようになると、ほとんど例外なく、子どもの心は大きく
変化する。
当時、この浜松市では、中学2年生から中学3年生が、その時期に相当した。
この時期になると、つぎのような症状が現われる。

(1)ものの考え方が合理的でドライになる。(自分の利益しか考えない。)
(2)自己中心性が肥大化する。(自分勝手でわがままになる。)
(3)点数主義が支配的になる。(それによって人間の価値を決める。)
(4)心のゆとりがなくなる。(ささいなことで、攻撃的になったりする。)
(5)豊かな情感が消える。(人間的に冷たくなる。)
(6)功利的、打算的になる。(「親の恩も遺産しだい」というように考える。)

 こうした現象は、受験期特有のものなのか、それとも思春期特有のものなのか。
当時はその判断に迷った。
が、受験競争を経験しない子どもは、そのままの状態で、思春期を通り過ぎる。
このことは、オーストラリアの学生と比較しても、それがわかる。
たとえばオーストラリアの学生たちは、日本でいう受験競争というのを、
ほとんど経験しない。
そのため、オーストラリアの学生やおとなたちは、日本人にない(温かさ)をもち
あわせている。

 受験競争、とくにはげしい受験競争を経験した子どもほど、心が破壊される。
先に並べた特徴にしても、こんなことは常識で、それを疑う教師はいない。
いないが、日本人全体がそうであるため、たいていの人は、「それが日本人の国民性」
というような形で、そのまま片づけてしまう。

 いろいろなケースがある。

●S君のケース

 とくに印象に残っている子どもに、S君というのがいた。
今で言うLD児(学習障害児)だった。
私はその子どもを、小学1年生のときから、中学3年生までの9年間、教えた。

 母親は教育熱心な人で、S君がはじめて私の教室へ来たときには、かばんの中に、
難解なワークブックがぎっしりと詰まっていた。
S君の能力をはるかに超えたものばかりだった。
が、母親はこう信じていた。
「幼児期からしっかり勉強させれば、東大だって入れるはず」と。
今からもう30年近くの前のことである。
学校神話や学歴信仰が、色濃く残っていた。

 そのS君は、心のやさしい子どもだった。
記憶によれば、少なくとも中学校へ入るまでは、そうだった。
が、中学校に入るころから、様子が一変した。
母親がさらに猛烈に、S君に、勉強を強いるようになった。
入学当時、そこそこの成績を収めたのが、かえってまずかった。
母親は、「うちの子は、やればできるはず」と、それだけを狂信的なまでに
信じていた。

 が、S君には、そうした母親の威圧をやり返すだけの(生命力)をもっていなかった。
母親の前では、借りてきた猫の子のように、従順で、おとなしかった。
が、やがてすぐ問題が起きた。
S君が学校で、いじめの対象になった。
このタイプの子どもは、いじめのターゲットになりやすい。
 
●陰湿ないじめ

 それまで私は、S君は、こころの温かい、やさしい子どもと思っていた。
実際、小学生のときは、そうだった。
みなにバカにされても、「いいんだよ」と言って、笑っていた。
が、学習障害児的な(遅れ)は、いかんともしがたかった。
それゆえに、私はS君を、不憫(ふびん)に思った。
私なりにS君を懸命に守った。

 が、そうした努力が、音を立てて崩れる日がやってきた。

 そのとき私はS君と、数人のほかの生徒とともに、教えていた。
学習の遅れがますます目立ってきた。
私は責任を感じ、月謝を半分から4分の1以下にしていた。
が、母親はそれをよいことに、レッスンの回数を、それまでの週1回から、
週4回へとふやした。
私もかなりの負担を感ずるようになっていた。
が、回数がふえた分だけ、S君にも過負担になった。
授業中も、ぼんやりとした様子で、時間をつぶすことが多くなった。

そこで私は、親にはわからない方法で、2~3年、下の学年の子どもたちの間に、
S君を入れた。
教室といっても、S君を含めて、4人前後のクラスだった。

 そんなある日のこと。
私がトイレから帰ってきて、教室へ入ったときのこと。
が、そこで私は信じられないような光景を見てしまった。

そのS君が、なんと、ほかの子どもいじめていたのである。
ふつうのいじめ方ではない。
執拗に、かつ陰湿なやり方だった。
ぞっとするような冷たさを、S君の中に、私は感じた。
私はその様子を、うしろから黙ったまま見ていた。

 ショックだった!
本当にショックだった!
学校でいじめのターゲットにされているから、そうした(いじめ)に対しては、
「ぼくはしない」という、抵抗力があるのではないかと考えていた。
が、現実は、逆だった。
それをまじまじと見せつけられたとき、S君を教えたいという気持ちが、プツンと
消えた。

 もちろんS君がそうなったのは、すべて受験競争が原因だったとは思わない。
しかしそうでなかったとは、もっと思えない。
S君は、とくに母親の異常なまでの(熱心さ)の中で、心をゆがめてしまった。
ほかにもいろいろ考えられたが、そのときはそれが、私の結論だった。

●ちがい

 もし私の書いていることについて、疑問をもつ人がいたら、あなたの周囲の人たちを
ほんの少しでもよいから、観察してみたらよい。
いろいろな人がいる。
そういう人の中でも、はげしい受験競争を経験した人ほど、独特の雰囲気をもっている。
総じて言えば、ツンとした器械的な冷たさを感ずる。
受験競争を経験しなかった人ほど、人間的な温もりをもっている。
相手を包み込むような温もりである。

 あるいは、あなた自身はどうか。
もしあなた自身も、はげしい受験競争を経験したことがあるなら、一度静かに自分の
心の中をさぐってみたらよい。
あるいは受験競争を経験しなかった人たちと、自分の心を比較してみるのもよい。
何かがちがうはずである。

 これは私自身のことだが、私もはげしい受験競争を経験している。
そのため先に書いた、6つの特徴を、みなもちあわせていた。
20代、30代のころは、そうだった。
今でも、その亡霊のようなものは残っている。
そのせいもあって、ときどき自分で自分がわからなくなるときがある。
で、結論として、こう思う。

 その結果、私は、(学歴)という切符を手にすることができた。
しかし同時に、今、私はそうでない人なら感じないはずの孤独と闘わねばならない。
一度壊れた心を修復するのは、容易なことではない。
不可能と言ってもよいかもしれない。
しかし全体としてみると、私はあのはげしい受験競争で得たものよりも、失った
もののほうが多いのではないか。

 今にしてみると、それがよくわかる。
だから……。
この先のことは、あなた自身の頭で考えてみてほしい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
子どもと受験競争 受験競争 受験勉強 破壊される子どもの心)


Hiroshi Hayashi++++++++June.09+++++++++はやし浩司

●離別体験

うつ病の患者を調べてみたら、こんなことがわかったという。
そのうち、39%の人たちが、10歳以前に、親との死別体験、分離体験、
もしくは喪失体験をしていることがわかったという。

そうでない人は、9%しかいなかった。
(以上、社会精神医学7:114~118)。

同じような報告は、イギリスのバーミンガム病院でも報告されている
(精神医学28:387~393、1986)。

しかもこれらの報告で興味深いのは、「異性の親との離別体験をもった子ども
ほど、有意な差が見られた」という点である。

(1)死別体験
ただし死別体験は、「家族歴の有無と有意の関連性を示さなかった」という。
離別といっても、子どもの心に影響を与えるのは、その過程で生ずる(騒動)
である。
死別のばあい、家族は深い悲しみに包まれるが、騒動につながることはない。
「有意の関連性を示さなかった」というのは、そういう理由からではないか。

(2)分離体験(離別体験)
何かの理由により、親のもとを離れることをいう。
この場合、「異性親である際に、強いものであった」という。
父親と離別すれば、娘のほうが大きな影響を受ける。
母親と離別すれば、息子のほうが大きな影響を受ける。
どうもそういうことらしい。

(3)喪失体験(離別体験)
親の離婚などにより、親から切り離されることをいう。
とくに注意したいのが、愛情の喪失。
子どもというのは、環境の変化には、強い抵抗力を示す。
ばあいによっては、よい影響を与えることもある。
よく「転勤族の子どもは、頭がいい」と言う。
それは、そういう理由による。

が、子どもというのは、愛情の変化には敏感に反応する。
とくに愛情の糸が切れたようなとき、あるいはそれを子どもが感じ取ったとき、
子どもの心には決定的とも言えるほど、大きな影響を与える。
年少であればあるほど、大きな影響を与える。

また異性親からの離別を体験したものを調べてみたところ、
家族歴、つまり両親のどちらかに精神疾患をもっているケースでは、
20人のうち、7人(35%)が、抑うつ症状を示したという。
それに対して、家族歴のないばあいは、19人中、ゼロであったという(同)。

以上のことから、北村俊則氏は、「うつ病発症に関与していると考えられる幼少期
の離別体験は、一部には家族員の精神疾患から発生したものである
可能性が示された」と結論づけている。

わかりやすく言えば、うつ病の多くは、世代連鎖性をともなっているということ。
親が離婚するにしても、「明るくさわやかに」ということになる。
繰り返すが、離婚が子どもの心に影響を与えるのではない。
離婚に至る、ドタバタ劇が、子どもの心に影響を与える。
言い換えると、離婚しなくても、ドタバタ劇があれば、子どもの心に影響を
与えることになるということにもなる。

父親が酒乱で、数日おきに暴れたりすれば、その影響は確実に子どもに及ぶ。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
離別体験 死別体験 分離体験 喪失体験 離婚騒動 離婚劇 騒動と子ども心
子供と離婚)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●もう1人の自分(反動形成)(Another Man in Me)

++++++++++++++++++++

 自分にとって、受けいれがたい、
もう1人の自分を感じたとき、
その自分を抑圧するために、人は、
それとは正反対の自分を演ずることがある。
これを「反動形成」という。

++++++++++++++++++++

 その中でも、とくによく知られているのが、牧師や教師による、反動形成。
たとえば、牧師や教師の中には、ことさら、セックスの話や、露骨な話を嫌ってみせる人
がいる。

 特徴は、「ことさら」、つまり、不自然なほど、大げさな様子を見せること。
信者や生徒が、「セックス」という言葉を口にしただけで、「オー、NO!」と大声で、叫
んでみせたりする。

 これは自分の職業観とは相容れない、許しがたい欲望を、自分の中で、抑圧しようとし
て起きる現象である。

 ほかに幼児の世界で、よく知られている反動形成の例に、弟(妹)思いの、よい兄(姉)
がいる。本当の自分は、弟や妹を、殺したいほど憎んでいるのかもしれない。
しかしそんな感情を表に出せば、自分の立場がなくなってしまう。

 そこでその兄や姉は、ことさら、人前で、よい兄や姉を演じてみせたりする。
しかしこれは意識的な行為というよりは、無意識下でする行為と考えてよい。本人に、そ
の自覚はない。

 さらに、その醜い本心を偽るために、仏様のように(できた人)を演ずる人もいる。
老人に多い。
自分自身の醜い素性を、隠すためである。このタイプの人は、何十年もかけて(ニセの自
分)をみがきあげているので、ちょっとやそっとでは、他人には、それを見抜くことがで
きない。
何十年も近くで住んでいる親類にすら、「仏様」と思いこませてしまう。

 反動形成であるかどうかは、先にも書いたように、「ことさらおおげさな」様子を見せる
かどうかで判断する。
反動形成による行為は、どこか様子が不自然で、ぎこちない。ときにサービス過剰になっ
たりする。

 本当はその客の来訪を嫌っているにもかかわらず、満面に笑顔を浮かべ、愛想よくして
みせる、など。

 こうして人は、本当の自分を抑圧するために、その反対側の自分を演ずることがよくあ
る。

 たとえば力のない政治家が、わざとふんぞりかえって歩いて見せるなど。
あるいは体の弱い子どもが、みなの前で、かえって乱暴に振る舞ったりするのも、それ。

 ほかにもいろいろな反動形成がある。

 本当は、たいへんケチな人が、豪快に、人に太っ腹なところを見せる。
 心の中では憎しみを感じている社員が、その上司に、必要以上にへつらう。
 自分に自信のない人が、わざと大型の馬力の大きな車に乗ってみせる、など。
 もう少し、その反動形成を、自分なりに、整理してみる。

(嫉妬、ねたみ)→(見えすいた親切、やさしさ)
(欲望、願望)→(見えすいた禁欲者、謙虚さ)
(悪魔性、邪悪な心)→(見えすいた善人、道徳者)
(闘争心、野心)→(見えすいた謙虚さ、温厚さ)
(ケチ、独占欲)→(見えすいた寛大さ、おおらかさ)
(劣等感、コンプレックス)→(見えすいた傲慢さ、大物)
(だらしない性格)→(見えすいた完ぺき主義者、潔癖主義)など。

 わかりやすく言えば、反動形成というのは、自分の心を偽ることをいう。中には、夫を
心の中で憎みながら、その反動として、つつしみ深く、できのよい妻を演ずることもある
そうだ。(私のワイフなどは、その1人かもしれない? ゾーッ!)

 あなたの中には、はたしてその反動形成による部分は、ないか? それを知るのも、ま
た別の自分を発見することにつながるのではないかと思う。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi
Hayashi 林浩司 BW BW教室 はやし浩司 反動形成 仮面 ペルソナ)

(補足)

 たまたま今日、年長児のクラスで、おっぱいの話になった。
そのときのこと。
私が子どもたちに、「君たちは、おっぱいが好きか?」と聞くと、みな、おおげさな言い方
で、「嫌いだヨ~」と叫んだ。

 これも反動形成の一つと考えてよい。このころになると、子どもは「恥ずかしい」とい
う言葉の意味がわかるようになる。たとえば、赤ちゃんに見られることは、恥ずかしいこ
とと考える。だから(おっぱいが好き)イコール、(赤ちゃん)と考えて、それをあえてお
おげさに否定してみせたりする。

 しかしおっぱいが嫌いな子どもは、いない。とくに男児においては、そうだ。
が、中に、正直な子どもがいたりして、私が、「ウソをついてはダメだ」と、強くたしなめ
ると、小声で、しかも少し顔を赤らめながら、「好きだよ……」と言う子どももいるにはい
る。
しかしそういう子どもは、例外と考えてよい。


Hiroshi Hayashi++++++++June.09+++++++++はやし浩司

●『汝自身を知れ』(Know Yourself)
古代ギリシャの7賢人、アポロン神殿)

++++++++++++++++++++++

おととい講演をしているとき、『汝自身を知れ』という
言葉の話をした。
しかしその場で、それがだれの言葉あるかを忘れて
しまった。
ショックだった。
あれほどまでに有名な言葉の作者を忘れてしまうとは!

スパルタのキロンだったのか?
それともギリシャのターレスだったのか?
スパルタだったのか、それともギリシャだったのか?

ソクラテスはその言葉に、電撃的な衝撃を受け、哲学
の本質を知った。

++++++++++++++++++++++

●ターレス

 私は『汝自身を知れ』というのは、長い間、スパルタのキロンの言葉と思っていた。
あちこちの原稿に、そう書いた。
が、あるとき、掲示板にそのまちがい(?)が指摘されていた。
「キロンではなく、ターレスだ」と。

 そのとき書いた原稿をさがしてみる。
が、便利になったものだ。
いちいち自分の原稿を開かなくても、ヤフーの検索を使えば、即時にそれができる。
検索窓に、「はやし浩司 汝自身を」と記入して、(検索)ボタンをクリックすればよい。

 で、わかったことは、『汝自身を知れ』とは、ギリシャのアポロン神殿に刻まれている、
七賢者の一人、ターレスの格言ということがわかった。

 しかもターレスというのは、『古代ギリシア世界には7人の卓越した賢者がいたといわれ
るが、その7人が誰であるのかについては諸説あり統一的な見解は得られていない。古代
ギリシアの7賢人として一般的に知られている人物は、ターレス(タレス)、ソロン、ペリ
アンドロス、ビアス、ピッタコス、クレオブゥロス、ケイロンである』。

『ターレス(B.C.624-546)は、名門出身だったので、初め政治家としての
道を志すが、その後天文学など自然学の研究に熱意を燃やし、万物の根源(アルケー)
を探求する自然哲学の祖としての思索を行った』(以上、『』内、Biglobe・HP
より、転載)。

 キロンではなく、ターレスだった。
思い出した!
それにターレスというのは、古代ギリシャの7賢人の1人。
スパルタ、ではない。

 で、こうした記憶というのは、しっかりと上書きしておかねばならない。
また時間がたつと、その下の記憶が表に出てきてしまう。
記憶が混乱してしまう。

 古代ギリシャの7賢人の1人、ターレスが、ギリシャのアポロン神殿に残した言葉。
それが結論ということになる。
が、不安が残る。
このところ自分の脳みそが信用できなくなった。
こういうときは、どうするか?
どうすれば、記憶として、脳みその中に残すことができるか?
ウ~~ン……。
高校の受験生のように、クソ暗記するしかない。
キーワードは、「古代ギリシャ」「アポロン神殿」「ターレス」である。
どれもよく知っている言葉だが、どうかすると、ポンとそれらの言葉を思い出せ
なくなってしまう。
脳みその老化が進むと、そういう現象はよく起きるという。
「ド忘れ」ともいう。
これから先、そういうことが多くなるだろう。
心して、脳みその中に叩き込もう。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hirosh
i Hayashi 林浩司 BW BW教 ターレス はやし浩司 汝自身を知れ 
古代ギリシャ 7賢人 アポロン神殿 はやし浩司 キロン)

こうして(↑)、検索ワードを書き加えておけば、ヤフーもしくは、グーグルでの検索
ができるようになる。
すでに多くの人もしていると思うが、私がオリジナルに考えた方法である。)

 またこういうことも言える。
私はすでに、この5年間だけでも、3万ページ以上(40x36字)の原稿を書いた。
が、2600年後に残る言葉など、一行もないだろう。
しかしたーレスは、アポロン神殿に、『汝自身を知れ』という言葉を残した。
たったの一言である。
しかしその一言が、2600年を経た今、哲学の(柱)になっている。
すごいことだと思う。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hirosh
i Hayashi 林浩司 BW BW教 ターレス はやし浩司 汝自身を知れ 
古代ギリシャ 7賢人 アポロン神殿 はやし浩司 キロン)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【我ら、ヤング・オールド・マン】(1)

              浜松市 入野町  はやし浩司

●無料の植物観察会

昨日、講演をさせてもらった、S小学校の校長から、こんな話を聞いた。なんでもその
老人は、今年84歳になるという。元、小学校の教師。毎月、一回、植物観察会を開い
ているという。無料で開いているという。

日時と集合場所が、毎月、決まっている。が、集まる会員と人数は、そのつどちがうら
しい。雨の日などは、ゼロになることもあるという。が、その老人は休むということを
しない。雨の中で、会員が来るのをじっと待っているという。そして時刻になっても、
だれも来ないと、それを確かめたあと、その場を離れて、家に帰る、と。
 
その話を聞いて、「すばらしい」と思う前に、私自身の近未来の目標を示してもらったよ
うで、うれしかった。「私もそうしたい」と。

●老後の生きがい

 私自身もそうだったが、(老後の生きがい)について、みな、あまりにも安易に考えすぎ
ている。「安易」というより、「何も考えていない」。

 「老後になったら、休む」とか、「遊ぶ」とか言う人は多い。しかし「遊べ」と言われて
も、遊べるものではない。「休め」と言われても、休めるものではない。だいたいた、遊ん
だからといって、それがどうなのか? 休んだからといって、それがどうなのか? 私た
ちが求めているのは、その先。「だからそれがどうしたの?」という部分。つまり、(生き
がい)。

 もしそれがないようだったら、私のように死ぬまで仕事をするということになる。仕事
をつづけることによって、老後になるのを、先送りすることができる。が、仕事がいやな
のではない。仕事ができるということも、喜びなのだ。その(喜び)を絶やさないように
する。

 目が見える。音が聞こえる。ものを考えることができる。体が動く。……それらすべて
が集合されて、(生きる喜び)につながる。

●自分との戦い

 その老人の気持ちが、痛いほど、私にはよく理解できる。その老人にしてみれば、それ
が(生きがい)なのだ。雨の日に、ひとりで、どこかで待つのはつらいことだろう……と、
あなたは思うかもしれない。「なんら得にもならないようなことをして、何になるだろう」
と思う人もいるかもしれない。しかしその老人は、そういう世俗的な同情など、とっくの
昔に超越している。そこらのだれかが、名声を求めて派手に振る舞う偽善とは、中身がち
がう。心の入れ方がちがう。

 その老人にしてみれば、参加者が来ても、また来なくても、かまわない。たった1人で
もよい。多ければ多いほど、やりがいはあるだろう。しかし(やりがい)イコール、(生き
がい)ということでもない。つまりそれは他者のためではない。自分自身のため。老後の
生きがいというのは、つまるところ、(自分自身の生きがい)。それとの戦いということに
なる。

●統合性は、無私無欲で……

 まだその芽は、小さいかもしれない。しかしその心は、私も大切にしたい。

何度も書くが、「老後の統合性」は、無私無欲でなければならない。そこに欲得がからん
だとたん、統合性は意味を失い、霧散する。仮にその老人が会費なるものを徴収して、
観察会を開いていたとしたら、どうだろうか。最初のうちは、ボランティア(=無料奉
仕)のつもりで始めても、そこに生活がからんできたとたん、(つもり)が(つもり)で
なくなってしまう。「今日は1人しか来なかった……」という思いは、そのまま落胆につ
ながる。「雨の中で待っていたのに、だれも来なかった。みな、恩知らず」と思うように
なったら、おしまい。

 だったら、最初から、無私無欲でなければならない。またそうでないと、つづかない。
こうした活動は途切れたとたん、そこで終わってしまう。生きがいも、そこで消えてしま
う。つまりそれがいやだったら、最初から無私無欲でやる。何も考えず、無私無欲でやる。

 もちろん私にもいくつかの夢がある。そのひとつは、「子育て相談会」。今まで積み重ね
てきた経験と知恵を、若い親たちに伝えたい。もちろん無料で。もちろん損得を考えるこ
となく。そうした計画は立てている。

 今は、インターネットを利用して、その(まねごと)のようなことをしている。しかし
それもやがて限界に来るはず。無私無欲とは言いながら、いつもどこかで、何かの(得)
を考えている。アクセス数がふえれば、うれしい。ふえなければ、とたんにやる気を失う。
つまりそれだけ私の心が不純であることを示す。

 もっとも仕事ができるといっても、あと8年。70歳まで。そのころまでに、私の統合
性を確立したい。少しずつだが、その目標に向かって、進みたい。そしていつか……。

 どこかの会場で、ひとりでポツンと、来るか来ないかわからない親を待つ。そして時間
が来て、だれも来なくても、そんなことは気にせず、鼻歌でも歌いながら、会場を片づけ
る。そんな日が来ればよい。そんな日が来るのを目標にしたい。

(注)統合性の確立……(やるべきこと)と(現実に自分がしていること)を一致させる
ことをいう(エリクソン)。


Hiroshi Hayashi++++++++June.09+++++++++はやし浩司

●6月6日(土曜日)(June 6th)

+++++++++++++++++

ここ数日、涼しいというよりは、寒い。
ワイフは、「ダイエットをしているせいよ」とも言うが、
それにしても寒い。
4月に30度を超えた地域もあったというが、この寒さは
何か。

地球寒冷化?
……ということはありえないとしても、コタツを早々と
片づけてしまったのを、少なからず、後悔している。

+++++++++++++++++

●三途の川(フブル川)(メソポタミアの死後の世界観)

 三途の川の起源は、古くメソポタミア文明にまでさかのぼることができる(?)。
メソポタミア文明……紀元前3000~3500年。
今から5500年ほど前ということになる。
また、釈迦が誕生する3000年も前の昔のことである。

 メソポタミア文明といえば、高度に知的であったことで知られる。
同じころ中国の黄河流域では、黄河文明が栄えていた。
ともに周囲の文明(?)とは、かけ離れた文明であったことには、まちがいない。
人間の多くは、まだ火を使って食べ物を調理するいう技術すら、知らなかった。
そういう中にありながら、メソポタミアでは、天文学はもちろん、末端では
メッキ技術も手にしていたという。

 それはともかくも、三途の河に似た話が、メソポタミア文明に中にもあるというのは、
たいへん興味深い。

 学研版『天使と悪魔』によれば、こうある。

『……この地域の世界観では、まず天上には神の世界がある。
人間が住む地表の下には、アプスーと呼ばれる淡水の固まりの神が横たわっており、
その下に「不帰の国」と呼ばれる冥界、すなわち死者の国があるとされた。
つまり現界と冥界の間は、この巨大な川によって隔てられていたわけだ。
いわゆる三途の河で、その原形はすでにこの時代から存在していたのである。

 この不帰の国へ行くには、当時、この三途の川(フブル川という)を渡らねば
ならないわけだが、そのあともさらに死者の旅はつづく。
というのも、それぞれに恐ろしい門番が待機する7つの門をくぐりぬけ、さらに
不帰の国では生前の記録に基づいた審判を受けねばならない。ここまできて、
ようやく冥界に住むことを許されるのだ』(P139)と。

 どこか私たち日本人がもっている(常識?)と似ている。
言いかえると仏教が日本へ伝来する過程で、メソポタミヤ流の世界観が、それに
混入したということは、じゅうぶん考えられる。
こういう例は、たいへん多い。
たとえばあの「盆供養」という儀式にしても、アフガニスタン周辺の「ウラバン」
という儀式がそのまま中国に入り、「盂蘭盆(ウラボン)」となった。
そこから「盂蘭盆経」という偽経が生まれた。
それがそのまま日本へ入り、盆供養という儀式なった、など。
ほかにも中国や日本の仏像が、古代インドの衣服ではなく、古代ギリシャの
衣服をまとっているなども、ある。
だいたい釈迦自身は、(あの世)については、一言も触れていない(法句経)。

 それはともかくも、メソポタミアの世界観をもう一度整理してみると、こうなる。

(天上の神の世界)
   ↓
(人間が住む地表の世界)
   ↓
(アプスーと呼ばれる神の支配する淡水の世界)
   ↓
(冥界)

 人は死ねば、フブル川を渡って、冥界へ入る。
そのとき恐ろしい門番が待機する7つの門をくぐり抜けなければならない。
が、ここで出てくる、「7つ」というもの、心にひかかる。
日本でも、「七七(四九日)の供養」を重要にしている。
「恐ろしい門番」というのは、日本でできた最悪の偽経『地蔵十王経』にも通ずる。
この地蔵十王経によって、「~~回忌」という法要儀式が、日本の中に定着した。

フ~~ン?

 何か臭いぞ。
におうぞ。
おかしいぞ。
メソポタミアでそういう世界観があったとするなら、シルクロードを経て、
その世界観は、当然のことながら中国にも伝わっていたはず。
そのあと数千年を経て入ってきた仏教に、そうした世界観が混入したと考えても、
何もおかしくない。
 
 ここでもう一度、私が書いた原稿(08年9月)を、読んでみてほしい。

+++++++++++++++++++++

【堂々たる迷信】(初七日、四十九日の法要)

●地蔵十王経

「地蔵十王経」の由来については、ウィキペディア百科事典が、詳しく書いている。
難解な文章がつづくが、そのまま紹介させてもらう。

+++++++++++以下、ウィキペディア百科事典より++++++++++

仏教が中国に渡り、当地の道教と習合していく過程で偽経の『閻羅王授記四衆逆修生七往
生浄土経』(略称として『預修十王生七経』)が作られ、晩唐の時期に十王信仰は成立した。
また道教経典の中にも、『元始天尊説鄷都滅罪経』、『地府十王抜度儀』、『太上救苦天尊説消
愆滅罪経』という同名で同順の十王を説く経典が存在する。

『預修十王生七経』が、一般的な漢訳仏典と際立って異なっている点は、その巻首に「成
都府大聖慈寺沙門蔵川述」と記している点である。漢訳仏典という用語の通り、たとえ偽
経であったとしても、建て前として「○○代翻経三蔵△△訳」のように記すのが、漢訳仏典の
常識である。

しかし、こと「十王経」に限っては、この当たり前の点を無視しているのである。この点
が、「十王経」類の特徴である。と言うのは、後述の日本で撰せられたと考えられる『地蔵
十王経』の巻首にも、同様の記述がある。それ故、中国で撰述されたものと、長く信じら
れてきたという経緯がある。ただ、これは、『地蔵十王経』の撰者が、自作の経典の権威づ
けをしようとして、先達の『預修十王生七経』の撰述者に仮託したものと考えられている。
また、訳経の体裁を借りなかった点に関しては、本来の本経が、経典の体裁をとっておら
ず、はじめ、礼讃文や儀軌の類として制作された経緯に拠るものと考えられている。

+++++++++++以上、ウィキペディア百科事典より++++++++++

要するに、「地蔵十王経」というのは、中国でできた偽経の上に、さらに日本でできた偽経
ということ。

が、この「地蔵十王経」が、日本の葬式仏教の基本になっているから、無視できない。
たとえば私たちが葬儀のあとにする、初七日以下、四十九日の儀式など、この「地蔵十王
経」が原点になっている。

+++++++++++以下、ウィキペディア百科事典より++++++++++

死者の審理は通常七回行われる。没して後、七日ごとにそれぞれ秦広王(初七日)・初江王
(十四日)・宋帝王(二十一日)・五官王(二十八日)・閻魔王(三十五日)・変成王(四十二
日)・泰山王(四十九日)の順番で一回ずつ審理を担当する。

ただし、各審理で問題が無いと判断された場合は次の審理に回る事は無く、抜けて転生し
ていく事になるため、七回すべてやるわけではない。一般には、五七日の閻魔王が最終審
判となり、ここで死者の行方が決定される。これを引導(引接)と呼び、「引導を渡す」と
いう慣用句の語源となった。

七回の審理で決まらない場合も考慮されており、追加の審理が三回、平等王(百ヶ日忌)・
都市王(一周忌)・五道転輪王(三回忌)となる。ただし、七回で決まらない場合でも六道
のいずれかに行く事になっており、追加の審理は実質救済処置である。もしも地獄道・餓
鬼道・畜生道の三悪道に落ちていたとしても助け、修羅道・人道・天道に居たならば徳が
積まれる仕組みとなっている。

なお、仏事の法要は大抵七日ごとに七回あるのは、審理のたびに十王に対し死者への減罪
の嘆願を行うためであり、追加の審理の三回についての追善法要は救い損ないを無くすた
めの受け皿として機能していたようだ。

現在では簡略化され通夜・告別式・初七日の後は四十九日まで法要はしない事が通例化し
ている。

+++++++++++以上、ウィキペディア百科事典より++++++++++

つまり人は死ぬと、7回の裁判を受けるという。

死後、七日ごとにそれぞれ、

(1)秦広王(初七日)
(2)初江王 (十四日)
(3)宋帝王(二十一日)
(4)五官王(二十八日)
(5)閻魔王(三十五日)
(6)変成王(四十二日)
(7)泰山王(四十九日)の順番で一回ずつ審理がされるという。

ただし、各審理で問題が無いと判断された場ばあいは、つぎの審理に回ることはなく、
抜けて転生していくことになるため、七回すべてやるわけではないという。

一般には、五十七日の閻魔王が最終審判となり、ここで死者の行方が決定される。これを
引導(引接)と呼び、「引導を渡す」という慣用句の語源となったという(参考、引用、ウ
ィキペディア百科事典より)。

わかりやすく言えば、最終的には、五十七目に、閻魔王が、その死者を極楽へ送るか、地
獄へ送るかを決めるという。
私たちも子どものころ、「ウソをつくと、閻魔様に、舌を抜かれるぞ」とよく、脅された。

しかしこんなのは、まさに迷信。
霊感商法でも、ここまでは言わない。
もちろん釈迦自身も、そんなことは一度も述べていない。
いないばかりか、そのルーツは、中国の道教。
道教が混在して、こうした迷信が生まれた。

極楽も地獄も、ない。
あるわけがない。
死んだ人が7回も裁きを受けるという話に至っては、迷信というより、コミック漫画的で
すらある。

法の裁きが不備であった昔ならいざ知らず、現在の今、迷信が迷信とも理解されず、葬儀
というその人最後の、もっとも重要な儀式の中で、堂々とまかり通っている。
このおかしさに、まず私たち日本人自身が気づべきである。

「法の裁きが不備であった昔」というのは、当時の人たちなら、「悪いことをしたら地獄へ
落ちる」と脅されただけで、悪事をやめたかもしれない。
そういう時代をいう。

「死」というのは、どこまでも厳粛なものである。
そういう「死」が、ウソとインチキの上で、儀式化され、僧侶たちの金儲けの道具になっ
ているとしたら、これは問題である。
このおかしさ。
そして悲しさ。

仏教を信ずるなら信ずるで、もう一度、私たちは仏教の原点に立ち戻ってみるべきではな
いだろうか。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 地蔵十王経 初七日 四十
九日 法要 偽経)

++++++++++++++++++

 が、さらに調べていくと、メソポタミア文明にまで、そのルーツをたどることが
できる(?)。

 「7つの門(メソポタミア)」と、「7回の審理(地蔵十王経)」。
「7」という数字は、偶然の一致なのだろうか?
私にはストーリーの内容からして、偶然の一致とは、どうしても思えない。
が、ここでは「?」としておく。

 もちろんだからといって、何も日本の仏教や宗教を否定しているのではない。
まちがっていたら、正す。
そういう姿勢こそが私は、日本の仏教がこれから先、生き残る唯一の方法だと
確信している。

 日本の仏教界のみなさん、がんばれ!

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hirosh
i Hayashi 林浩司 BW BW教室 メソポタミア 三途の川 死生観 冥界
あの世論 はやし浩司 地蔵十王経)


Hiroshi Hayashi++++++++June.09+++++++++はやし浩司

●まるでゲーム感覚?

+++++++++++++++++++++

韓国の中央N報の記事を読んでいて、
ふと「これが現実か?」と、わが目を疑ってしまった。
まるでゲーム感覚。
ゲームそのもの。
ゲームの世界での話ならわかる。
私も、パソコン草創期のころには、ゲームソフト
を買ってきてよく遊んだ。
その中には、「大戦略」というソフトもあった。
武器を配置ながら、戦争をするというゲームである。
それなりに楽しんだが、しかしそれはあくまでもゲーム。
しかし中央N報の記事は(現実)。
まぎれもない(現実)。
だから、わが目を疑ってしまった。
こんな感覚で戦争が始まったら、それこそたいへんな
ことになる。
何も「西海紛争」だけで終わるはずがない。
もしこの通りにして終るとしたら、(終わるはずもないが)、
それこそゲーム。
報復は報復を呼び、やがて引き返しがつかないところまで
進んでしまう。

+++++++++++++++++++++

●K国軍は、壊滅?

 韓国の中央N報はつぎのように伝える(6月6日)。

『K国の核実験に続くミサイル発射で西海(ソヘ、黄海)北方限界線(NLL)の緊張が
高まっている。4日にはK国警備艇が西海延坪(ヨンピョン)島付近で中国漁船の取り締
まりを口実にNLLを51分間侵犯した。K国の挑発はミサイル発射とともに西海NLL
付近で行われる公算が大きいものと軍当局は予想している。北東アジアの火薬庫で戦闘力
が最も密集された西海NLLでの南北戦力を比べてみる。

K国は西海NLL北の沙串(サゴッ)とチョ島などに80~100隻の哨戒艦と警備艇、
魚雷艇を集結させている。有事時、一挙に下って韓国の海軍を攻撃するものと予想される。
またK国は序盤に韓国艦艇はもちろんペンリョン島、延坪島を制圧するために100丁以
上の海岸砲を長山串と壅津郡に集中配置した。ペンリョン島の海兵隊は地下陣地の中にい
るが、K国軍の砲火は非常に荒いものとみられる。K国軍は初期奇襲に向け、平壌南側の
黄州、クァイル、谷山基地に110機のミグ21とミグ19戦闘機も配置している。

K国陸海空軍の奇襲は韓国軍の防御に相当な負担となる。しかし軍当局はK国軍が奇襲す
れば現場指揮官が直ちに強力対応するよう指示した状態だ。特にわが軍は自動化されて正
確度がかなり高い武器で警戒する計画だ。これによって海上戦は3~4日でK国艦艇がほ
とんど潰滅できるものといわれている。またK国のシルクワームなどの地対艦とSA5な
どの地対空ミサイル基地は、F15Kで発射されたスラム-ERが、海岸砲はF15Kと
F16が投下した合同直撃弾(JDAM)が精密破壊する。K国空軍機の大規模攻撃は韓
国型構築艦に装着された艦対空ミサイルSM2によってほとんど撃墜されるものとみられ
ている』(以上、中央N報 09年6月6日)と。

 以上を要約してみると、こうなる。

(1)紛争は西(=黄海)で起こる可能性が高い。
(2)K国軍は、奇襲作戦をとるはず。
(3)K国の兵力は、80~100隻の哨戒艦と警備艇、魚雷艇。
(4)ほかに、100丁以上の海岸砲、
(5)110機のミグ21とミグ19戦闘機。

これに対して韓国側は、

(1)自動化されて、正確度がかなり高い武器で警戒する計画をもっている。
(2)地対空ミサイル基地は、F15Kで発射されたスラム-ERで攻撃。
(3)海岸砲はF15Kと、F16が投下した合同直撃弾(JDAM)で精密破壊する。
(4)K国空軍機の大規模攻撃は、艦対空ミサイルSM2によってほとんど撃墜する、と。

 こうした記事を読むまでもなく、K国側に勝ち目はまったくない。
たとえて言うなら、弓と矢で機関銃に立ち向かうようなものである。
たとえば数日前、K国側の海岸基地の写真が載っていたが、驚くなかれ、
それは粗末な木造づくり。
まるで壊れたブタ小屋か、犬小屋のようでもあった。
屋根にはトタン板が載せられ、その上に土がかぶせられていた。
今どき信じられないような話だが、私が見たかぎり、これは事実である。

 が、戦争をすれば、韓国側とて、ただではすまない。
またK国側が、そのまま敗退するとは、考えられない。
へたをすれば、そのまま全面戦争へと突入する。
それこそソウルは、火の海となる。
もちろん日本も大きな影響を受ける。

その瞬間から、日本の株価、債権、円は急降下。
ノドンが一発でも日本で爆発すれば、日本の経済はマヒする。
被害を勘案すれば、戦争をしてよいことは、何もない。
けっしてゲーム感覚で、戦争などしてはいけない。

が、もしそれでも……、ということになれば、今まで私が繰り返して書いてきたように、
K国を、自然死にもっていく。
そのためには、K国に対しては、国際的な圧力を加えていく。

 で、これには条件がある。

(1)日本はけっして、単独でK国を相手にしてはいけない。
(2)鍵を握るのが、中国ということになる。
(3)圧力を加えすぎて、K国を暴発させてはいけない。

 圧力というのは、ズバリ兵糧攻めをいう。
食糧、原油、マネーの3方向から、ジワジワと、K国を締めあげる。
……こう書くと、「それでは、日本は日本だけのことを考えれば、それでいいのか」と
反論する人がいるかもしれない。
そう、それでよい。
これは戦争である。
まさに戦争である。
日本は、何も(いい子)ぶることはない。
こちらにはその気はなくても、向うには、その気がある。
その気があって、ミサイルや核兵器を用意している。
そんな国に対して、日本は遠慮する必要は、まったく、ない。
平和もけっこうだが、「戦争はいやだ」と逃げ回るのは、けっして平和主義でも
何でもない。
ただの「おく病」という。

世界はそれほど完成されていない。
日本のように(できのよい国)ばかりでもない。
だったら、日本も腹を据えて、日本の国益を第一に考えて行動する。
日本のことだけを考えて行動する。
それが「戦争」というものである。

大切なことは、ただの1人も、日本人の犠牲者を出さないこと。
ただの一発も、この日本に爆弾を落とさせないこと。
それだけを考えて、あとは、賢く、ただひたすら賢く行動する。
繰り返すが、戦争では、けっして(いい子)ぶってはいけない!
(09年6月6日記)

(付記)
正義はどうなるのかと心配する人もいるかもしれない。
「日本人としての正義はどうするのか」と。
しかしあんな国を相手に、正義を説いても意味がない。
またその価値もない。
相手は頭のおかしい、ただの独裁者。
自国の失敗を他国に押しつけ、ありもしない他国の脅威を勝手に作りあげて、
独りで騒いでいる。
独りで芝居をしている。
どこまでも悲しく、どこまでもあわれな国である。
だから、ここは『負けるが勝ち』。
要するに相手にしないことこそ、懸命。
それがわからなければ、街角で、チンピラに因縁をつけられたときのことを想像して
みればよい。
あなたはそんなチンピラを相手に、正義など説くだろうか。
たぶん鼻先でフンと笑って、無視して通り過ぎるだろう。
が、それでも殴りかかってきたら……。
そのときは警察、つまり国際社会に訴えていけばよい。
正義を説くなら、相手を選ぶ。
それができてこそ、日本は、先進国なのである。


Hiroshi Hayashi++++++++June.09+++++++++はやし浩司

●23%から21%へ

++++++++++++++++++

体脂肪率が、23%から21%にまで減った。
体重は68キロから64キロに。
肥満度表を見ると、まだ軽肥満の範囲だそうだ。
(健康値と軽肥満のちょうど境目あたりかな?)

2%!
たった2%!
それだけ減らすのに、結構、苦労をした。
食事も1日、2食。
運動も、1日、2単位前後。
(1単位は、40分のサイクリングか、強歩。)

苦しい戦いは、あと1、2週間はつづく。
がんばろう。

++++++++++++++++++

●ダイエットの実感

 おかげでここ数日、自分の体を軽く感ずる。
椅子から立ち上がったときなどに、それを強く感ずる。
少し前は、「ヨイ~~ショ!」という感じだったが、今は、「ヨイコラサ」
という感じ。

もっとも子どもたちは、こう言う。
「ぼくたちは、自分の体の重さを感じないよ」と。

私「でも、体重ってものがあるよ」
子「ぼくの体は、重さがないよ」
私「そんなことないよ。重いと思わないのか?」
子「ゼンゼン……」と。

 そう言えば、頭蓋骨というのは、結構重いのだそうだ。
体重の3分の1~4分の1という説もある。
それによれば私の頭蓋骨は、15キロ前後もあることになる。
夏のスイカよりは、重いはず。
が、こと、頭に関しては、その重さを感じない。
きっと子どもたちも、そういう感じなのだろう。

 そう言えば、ワイフも同じようなことを言った。
「自分の体重を感じたことはないわ」と。

 ウラヤマシイ!

 そういう自分になれるように、もう少しがんばってみよう。


Hiroshi Hayashi++++++++June.09+++++++++はやし浩司

●6月4日(木曜日)
【My Class on the Net】
++++++++++++++++++++++++

毎朝、パソコンを立ち上げると、まっ先にみるのが
『BW公開教室』へのアクセス数。
昨日(6月3日)は、約400件を記録した。
1か月前と比較しても、倍増したことになる。
その数字を見ながら、ホ~~ッと、一息。
うれしかった。

現在、いちばん力を入れているのが、この『BW公開教室』。
毎晩、仕事から帰ってくると、30~40分ほど時間をかけて、
ビデオの編集をする。
(YOUTUBEへのアップロードには、30分ほど
かかる。
その間は、別のパソコンで、原稿を書く。
居間へおりていって、テレビを見ることもある。)

ますますやる気が出てきた。
おまけに最近は、親たちのほうから、要望が届くようになった。
「しっかりと撮影日時を入れてほしい」とか、
「ビデオのあとに、レッスンの内容を説明してほしい」とか、など。
「家に帰ってから、復習ができるからいい」とか、「参観できない
父親が見ることができるのでいい」という意見も、ある。

当初は子どもたちの顔を写すことについて、拒絶反応を示していた親たちも、
「子どもの表情を撮ってほしい」と言うようになった。
撮りたいが、今しばらく、それについては待ってほしい。
もう少し、たがいの信頼関係が熟成されてからでないと、これはむずかしい。
それに子どもの(プライバシー)がそのままわかってしまう。
もっともYOUTUBEは、画質が荒いので、顔がはっきりとわかることはない。

ただこれはあくまでも私の希望ということになるが、こうして動画が
いつか楽しい思い出になればよいと願っている。
子どもといっしょに動画を見ながら、「あなたにも、こんなときがあったのね」と。

ともかくも、『BW公開教室』を見てくれるみなさん、ありがとう。
私はみなさんの子どもに、(教室)を提供する。
みなさんは私に、(生きがい)をくれる。
こういうのを、ギブ&テイクという。
これからも、よろしく!

++++++++++++++++++++++++

●講演の出だし(Speech)

今度の講演の出だしが、決まらない。
ハラハラハラ……。
出だしさえ決まれば、あとは楽。
流れに乗って、そのまま話しつづければよい。
が、その出だしでつまると、あとがたいへん。
ときに講演が、支離滅裂になってしまう。

ときに、壇上にあがるまで出だしが決まらないことがある。
で、話を聞きに来てくれた人たちの顔をながめた、その瞬間、
「ええい、ままよ!」とばかり、思いついたことを話す。

講演というのは、そういうもの。
その場の雰囲気で、話の方向が決まる。
予定通りというか、用意していたレジュメ通りにはいかない。
野球で言えば、ピッチャーの投げるボールのようなもの。
ボールが投げられた瞬間に、ボールをどう打つか、決める。


●K国情勢?【Down with Kim Jong-HILL】

現在(09年6月1~3日)、朝鮮半島で奇妙なことが起きている。
ひとつは、金xxの後継者が、金正雲(三男)に決まったというニュース。
しかしこのニュースの出所が、へん?
おかしい?
韓国政府の中層部の職員が、勝手に(?)、全世界に向けて発信したらしい。
理由はわからない。
韓国政府はあわててそれを否定。
アメリカ政府も、「確認していない」とコメントを発表。
いったい、どうなっている?

もうひとつは、K国はまたICBMの発射実験をするらしい。
その準備に取りかかっているという。
が、それについて、昨日(3日)、在韓米軍の司令官だと思うが、
不快感を表明した。
「アメリカが発表する前に、韓国が勝手に発表してしまった」と。
アメリカ側は、そのニュースを、もう少し伏せておきたかったらしい。
なぜだろう?

こういう世界には、謀略はつきもの。
ときに何が本当で、何がウソがわからなくなる。
同じ首脳会談でも、当事者の国によって、発表内容が異なったりする。
先のボスワース代理大使の発言が、そうだ。
韓国側の報道によれば、「6か国協議は意味がない」と発言したとある。
が、日本側の報道によれば、「米朝協議は6か国協議の範囲でする」とある。

どうであるにせよ、あのボスワースの動きには警戒したほうがよい。
C・ヒルが作った(流れ)を、そのまま踏襲している。
あのミサイル発射実験(4月5日)のあと、すでにK国と、水面下で
数回以上、接触を繰り返したという。
「7回、接触した」という情報も届いている。

それにしても、あのC・ヒルには、言いたいことが山のようにある。
いいかげんな希望的憶測だけで、無意味な米朝会談を繰り返してしまった。
結果、日米関係は、戦後最悪という状態にまでなってしまった。
その間に、K国は、核兵器を完成させてしまった!

それゆえに、日本人はC・ヒルを、人は、キム・ジョン・ヒルと呼ぶ。
(There we never hesitate to call C. Hill “Kim Jong HILL.”)

なお、K国は、テロ支援国家ではない。
テロ国家そのものである。


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