2009年7月29日水曜日

*July 29th 2009

★去る7月27日、まちがえて7月29日号を配信してしまいました。
★改めて、29日号を、内容を変えて、送信します。
★どうか、参考にしてください。

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子育て最前線の育児論byはやし浩司   09年 7月 29日(臨時号)
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メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●勉強をしない子どもたち(Children who lose Diligence)

++++++++++++++++++++++

最近の子どもたちは、勉強をしない。
本当にしない。
このあたり(浜松市)でも、「勉強して、いい高校(?)に
入ろう」と考えている中学生は、全体の40%弱と
みてよい。
あるいはそれ以下。
残りの60%は、最初から受験勉強など、考えて
いない。
「がんばって、いい高校をめざしたら?」などと言っても、
「勉強で苦労するから、いや」などと答えたりする。

++++++++++++++++++++++

●異変?

 たしかに今、子どもたちの世界がおかしい。
何か、へん。
簡単に言えば、昔風の(まじめさ)が、どんどんと消えつつある。
学校の勉強についても、「やらなければならない」という意識そのものが、急速に
しぼみつつある。
たとえば今は、夏休み。
「学校の宿題は?」と聞いても、確たる返事が返ってこない。
「夏休みの友は?」「工作は?」と聞いても、返ってくるのは、
あいまいな返事だけ。
どうでもよいといったふう。

その一方で、あらゆる面で、ギャグ化が進んでいる。
まじめに考えるという習慣そのものが、ない。
あるいはまじめに考えることを、むしろ避けている。
そんな感じすら、する。
いったい、子どもの世界は今、どうなってしまったのか?

●ギャク化

 今さら、理由や原因を並びたてても意味はない。
いろいろあるが、ありすぎて、ここには書ききれない。
つまり結果として、今、そうなってしまった。
言うなれば、子どもたちの世界から緊張感が消え、のびたゴムのようになってしまった。
だらしないというか、しまりがないというか……。

 先に「ギャク化」と書いたが、それなりにまじめというか、緊張感をもっている
子どもは、小学3年生レベルで、10~20%前後。
10人に、1~2人程度と考えてよい。

 茶化す、おどける、騒ぐ、ふざける、はぐらかす……。
それが現在の平均的な、日本の子ども像。
議論をしようにも、議論にならない。
まじめな話をしようとすると、「ダサ~イ」と言って、はねのけられてしまう。
こういう現実を、いったい、今、どれだけの人たちが知っているのか。

●日本の将来

 一足飛びに話を進めるが、日本の将来は、今の子どもたちを見るかぎり、お先
真っ暗。
それもそのはず。
日本の社会そのものが、ギャク化している。
政治にしても、そうだ。
お笑いタレントが、府知事になったり、県知事になったりする。
さらに漢字もロクに読めないような、そして日本語すらまともに話せないような人物が、
総理大臣になったりする。
それについても、私が「おかしい」などと発言すると、「どうしてそれがいけないのか」
という反論が、山のように届く。

 何もお笑いタレントに偏見をもっているわけではない。
が、どこかへん。
どこか、おかしい。
総理大臣に至っては、さらにへん。
さらに、おかしい。
そのおかしさが、そのまま子どもの世界にまで、入り込んでいる。

 こんな日本で、その未来を、どこにどう求めたらよいのか。

●家庭の教育力

 学校教育というより、(教育)そのものが、崩壊してしまった。
かろうじて残っているのは、(学校)という、ワクだけ。
……というのは、少し言いすぎかもしれないが、しかし、教師自身が教育力を
失ってしまった。

 これについても、今さら、理由や原因を並びたてても意味はない。
いろいろあるが、ありすぎて、ここには書ききれない。
つまり結果として、今、そうなってしまった。

 では、どうするか?
家庭教育のもつ(教育力)を、強くするしかない。
「子どもの教育は、親がする」という自覚をもつしかない。
自分で自分の子どもを育てるしかない。
が、悪いことばかりではない。
今は、こういう時代だから、その気にさえなれば、子育てそのものが、むしろ
楽になったとも考えられる。

 たとえば今から30年前には、私の教室でも、東大、京大へ進学していく
子どもはほとんどいなかった。
が、今では、本当にみな、ウソみたいに、みな、スイスイと入っていく。
私の教室のレベルがあがったというよりは、周辺の地盤が沈下した。
その分だけ、相対的に、私の教室のレベルがあがった。

(もっとも有名大学へ進学していく子どもが多いから、レベルが高くなった
と考えるのは、正しくない。
また私も、それを目標にしているわけではない。
が、結果としてそうなっているのは、事実。)

●勉強をしない子どもたち

 勉強をしない子どもたちが、この先、どんな日本を作っていくのか、私にも
よくわからない。
外国をみながら、その例をさぐろうとするが、参考になるような国は、ほとんどない。
(したくても、教育環境が整っていなく、子どもたちが満足に勉強できない国は
いくらでもあるが……。)
ただ言えることは、この先、この日本に対して、不平、不満をいだく若者たちが
急増するだろうということ。

 「あるのが、当たり前」という世界で育ってきた若者たちである。
水も空気も食べ物も。
が、それだけではない。
先にも書いたように、「一度のびたゴムは、元にはもどらない」。

 競争力はどうする?
 適応力はどうする?
 打開力はどうする?
 忍耐力はどうする?
 協調性はどうする?
 社会性はどうする?

 「勉強をしない」という言葉の裏には、そういう問題もひかえている。
誤解がないように言っておくが、何も受験勉強をガリガリするほうがよいという
のではない。
つまり「勉強をしない」というのは、あくまでもその結果。
当然、日本の子どもたちの学力は、ますます低下する。
そのとき日本は……?

 少し前までは、中国が日本を追い抜くのは、2015年と予測されていた。
しかし実際には、それよりも6年も早く、今年(2009年)に追い抜かれた。
こうしてこの日本は、このアジアの中でも、ごくふつうの小国になっていく。
 
これも、しかたのないことかもしれないが……。

 
【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(350)

●内政不干渉の原則

 それぞれの家庭には、外から図り知ることができない複雑な事情がある。一方、私たち
はそれぞれが家庭をもち、子どもをもち、一つの生活をもっている。しかしそれはあくま
でも「一つ」。その一つを基準にして、他人の家庭をのぞいてはいけない。いわんや批判し
たり、節介をしてはいけない。

それぞれの人は、ぞれぞれに懸命に生きている。あなたがそれらの人を、経済的に援助し
ているとか、社会的にめんどうをみているというのなら話は別だが、そうでなければ、内
政干渉はやめたほうがよい。

 私にも一人の知人(55歳男性)がいる。実にノー天気な男で、いつも他人の不幸に顔
をつっこんでは、あれこれ説教しては楽しんでいる。自分では、いっぱしの人生経験者だ
と思っているらしい。

昔、私が家を新築するときやってきて、コンクリートの基礎を見ながらこう言った。「ここ
は六畳間ですかあ。六畳間はせまいから、使いものになりませんね。それに廊下が暗いで
すよ。日当たりが悪いから……」と。やがて家が建つとまたやってきて、こう言った。「こ
こは風当たりが強いですね。これではいけない。西側に塀をつくるといい。ははは、やっ
ぱり六畳間は使い勝手が悪いでしょう。それに南側には大きな木を植えるといい」と。

 それからも私の家にトラブルが起きるたびに、どこから聞きつけてくるのか、そのつど
やってきてあれこれ説教した。「林君も、郷里にお母さんを残してたいへんですね。子ども
が親のめんどうをみるのは当たり前ですから、そろそろ実家へ帰ることも考えなくてはい
けませんね」と。

こちらの生活の根幹にかかわるような問題を、ズケズケと平気で言う。で、ある日とうと
う私のほうがキレた。キレて、「2度と電話をしてこないでほしい」と言い切った。が、そ
ういうノー天気な人には、こちらの気持ちなどまるでわからない。半年もするとまた電話
がかかってきて、「今度、いっしょに台湾へ行きませんか。安いコースがありますから……」
と。

 こういう人は例外だとしても、他人の心に無神経な人はいくらでもいる。先日も私にこ
う言った元幼稚園教師がいた。「林先生の息子さんは、今どちらの大学に? 先生の息子さ
んのことですから、さぞかしいい大学に行っておられることでしょうね」と。思わず「高校は中退で、今は家でゴロゴロしています」とウソを言いそうになったがやめた。こうい
うウソは相手を喜ばすだけだ。

もともとこのタイプの人は、こちらの心配など、何もしていない。いわゆる「アラ(欠点)」
をさがしては、そのアラをまた別の人に伝えては楽しんでいるだけ。先の知人も、口が軽
いことこの上なし。何かを相談したら最後。その話は一夜のうちに皆に伝わってしまう…
…。

 内政不可侵の原則。それを守るか守らないかは、あなたの勝手だが、これだけは言える。
それを守らないと、あなたは確実に嫌われる。





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(351)

●孤独論

 私のようにもともと「うつ型気質」の人間にとっては、孤独ほど、恐ろしいものはない。
何かの仕事をやり終え、ほっと気を抜いたようなとき、心も弱くなる。ひとりだけポツン
と取り残されたような孤独を覚える。これは私だけが感ずる孤独なのか、それとも人間が
等しく感ずる孤独なのかはわからない。

が、いろいろな人の本を読んでも、それほど大きな違いはないように思う。(本当のところ
は他人の心の中に入ったことがないので、わからないが……。)で、ときどき一番身近にい
る女房に、「お前はどうなのか」と確かめることがある。もっとも私の女房は、本当にタフ
で、精神的にも安定している。「私は体は女だけど、心は男よ」とよく言うが、本当にそう
だと思う。

一方私は、繊細で、そのつどいろいろなことを考える。ときに考えすぎて、身動きがとれ
なくなることもあるが、私はそういうタイプの人間だ。そういう意味では、精神的にもタ
フでないし、情緒も不安定だ。一日のうちにも、周囲の状況に応じて、気分がよく変わる。

 で、これから先、どうやってその孤独を処理したらよいのか、ときどき考える。子ども
たちはやがて巣立っていくだろう。女房とて、ひょっとしたら、私より先に死ぬかもしれ
ない。そうなったとき、私はどう過ごせばよいのか。多分そのころは老人ホームかどこか
で、のんびりとはいかないが、まあまあ、そこそこの老人生活を送っているに違いない。

しかしその生活が望ましい生活だとは思っていない。できれば心の許しあえる人と、いつ
までもいつまでも語りあっていたい。死ぬまでというより、夜、床に入ってから、眠るま
で、だ。死ぬときになったら、私はジタバタしたくない。今のところ自信はないが、しか
し今はそう思う。

 こういうとき何か、信じられる宗教があればよいと思う。実際、アメリカのジムは、敬
虔なクリスチャンだが、彼は人里離れた牧場で、今は妻だけと暮らしている。ああいう生
活を見ると、彼の宗教が、彼の孤独をやわらげているのではないかと思う。(こういう言い
方は失礼な言い方だが……。)つまり私なら、そのさみしさに、とても耐えられないだろう
と思う。

 もちろん孤独に勝つ方法もある。夢や希望をもつことだ。それに友情や、少しキザない
言い方かもしれないが、「愛」だって、それがあれば、孤独はやわらぐ。で、そういうもの
を、総合的に提供してくれるのが、「家族」ということになる。名誉や地位ではない。肩書
きでもない。「家族」だ。

 考えてみれば、私の人生はずっと孤独だった。これからも孤独だろう。だからこそ、私
は家族のありがたみを知っている。つまり私の「家族主義」は、こうした私の心の弱さを
補うために生まれたと言ってもよいのではないか。

さて、皆さんは、今、孤独だろうか。それとも孤独でないだろうか。が、もしあなたが
孤独なら、「孤独なのはあなただけではない」ということだけは、わかってほしい。





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(352)

●子どもとの笑い

 いつも深刻な話ばかりなので……。最近経験した楽しい話(?)をいくつか……。

(1) ときどきまったく手をあげようとしない子ども(年中女児)がいる。そこで私が「先
生(私)を好きな子は、手をあげなくていい」と言ったら、その子は何を思ったか、
腕組みをして私をにらんだ。「セクハラか?」と思わず後悔したが、そのあと私が「ど
うして手をあげないの?」と聞くと、「だって、私、先生が好きなんだもん」と。マ
レにですが、私も子どもに好かれることがあるのです。

(2) 私が「三匹の魚がいました。そこへまた二匹魚がきました。全部で何匹ですか?」
と聞くと、皆(年長児)が、「五匹!」と答えた。そこで私が電卓を取り出して、「え
えと、三足す二で……」と電卓を叩いていたら、一人の子どもがこう言った。「あん
た、それでも本当に先生?」と。

(3) 指をしゃぶっている子ども(年中児)がいた。そこで私が、「どうせ指をしゃぶるな
ら、もっとかっこよくしゃぶりなよ。おとなのしゃぶり方を教えてあげるよ」と言
って、少しばかりキザなしゃぶり方(指を横から、顔をななめにしてしゃぶる)を
教えてやった。するとその子は、本当にそういうしゃぶり方をするようになった。
私は少しからかってやっただけなのだが……。

(4) 私のニックネームは……? 「美男子」「好男子」「長足の二枚目」。あるとき私に「ジ
ジイー」「アホ」と言う子ども(年長児たち)がいたので、こう話してやった。「も
っと悪い言葉を教えてやろうか。しかし先生や、お父さんに使ってはダメだ。いい
な」と。子どもたちは「使わない、使わない」と約束したので、こう言ってやった。
「ビダンシ」と。それからというもの、子どもたちは私を見ると、「ビダンシ、ビダ
ンシ」と呼ぶようになった。

(5) 算数を教えながら、「○と△の関係は何ですか?」と聞いたら、一人の子ども(小四
男児)が、「三角関係!」と。ドキッとして、「何だ、それは?」と聞くと、「男が二
人で、女が一人の関係だよ」と。すると別の子どもが、「違うよオ~、女が二人で男
が一人だよオ~」と。とたん、教室が収拾がつかなくなってしまった。

私が、「今どきの子どもは、何を考えているんだ!」と叱ると、こんな歌を歌い始め
た。「♪今どき娘は、一日五食、朝昼三時、夕食深夜……」と。「何だ、その歌は」
と聞くと、「先生、こんな歌も知らないのオ~、遅れてるウ~」と。





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(353)

●心を開く

 何でも言いたいことを言い、したいことをする。悲しいときは悲しいと言う、うれしい
ときはうれしいと言う。泣きたいときは、思いっきり泣くことができる。自分の心をその
ままぶつけることができる。そういう状態を、「心が開いている状態」という。

 昔、ある文士たちが集まる集会で、一人の男性(七〇歳)がいきなり私にこう聞いた。「林
君、君のワイフは、君の前で『おなら』を出すかね?」と。驚いて私が、「うちの女房はそ
ういうことはしないです……」とあわてて答えると、そばにいた人たちまで一斉に、「そり
ゃあ、かわいそうだ。君の奥さんはかわいそうだ」と言った。

 子どもでも、親に向かって、「クソじじい」とか、「お前はバカだ」と言う子どもがいる。
子どもが悪い言葉を使うのを容認せよというわけではないが、しかしそういう言葉が使え
ないほどまでに、子どもを追いつめてはいけない。一応はたしなめながらも、一方で、「う
ちの子どもは私に心を開いているのだ」と、それを許す余裕が必要である。子どもの側か
らみて、「自分はどんなことをしても、またどんなことを言っても許されるのだ」という絶
対的な安心感が、子どもの心を豊かにする。

 そこで大切なことは、心というのは、相手に対して「開く心」と、もう一方で、それを
受け止める「開いた心」がないと、かよいあわないということ。子どもが心を開いたら、
同じように親のほうも心を開く。それはちょうどまさに「開いた心の窓」のようなものだ。
どちらか一方が、心の窓を閉じていたのでは、心を通いあわせることはできない。R氏(四
五歳)はこう言う。

「私の母(六五歳)は、今でも私にウソを言います。親のメンツにこだわって、あれこれ
世間体をとりつくろいます。私はいつも本音でぶつかろうとするのですが、いつもその本
音が母の心のカベにぶつかって、そこではね返されてしまいます。私もさみしいですが、
母もかわいそうな人です」と。

 そこで問題なのは、あなたの子どもはあなたに対して、心を開いているかということ。
そして同じように、あなたはあなたの子どものそういう心を、心を開いて受け止めている
かということ。もしあなたの子どもがあなたの前で、よい子ぶったり、あるいは心を隠し
たり、ウソをついたり、さらには仮面をかぶっているようなら、子どもを責めるのではな
く、あなた自身のことを反省する。相手の心を開こうと考えるなら、まずあなた自身が心
を開いて、相手の心をそのまま受け入れなければならない。またそれでこそ、親子であり、
家族ということになる。

 さてその文士の集まりから帰った夜、私は恐る恐る女房にこう言った。「おまえはあまり
ぼくの前でおならを出さないけど、出していいよ」と。が、数日後、女房はそれに答えて
こう言った。「それは心を開いているとかいないとかいう問題ではなく、たしなみの問題だ
と思うわ」と。まあ、世の中にはいろいろな考え方がある。





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(354)

●心を開く(2)

 心を開くということは、相手に対しては自分のあるがままをさらけだすこと。一方、相
手に対しては、相手のすべてを受け入れるということ。少しきわどい話になって恐縮だが、
『おなら』がある。ふつう自分のおならは、気にならない。小学生に聞いても、全員が例
外なく、「自分のは、いいにおいだ」と言う。しかし問題は、自分以外の人のおならだ。

 もちろん見知らぬ人のおならは、不愉快だ。いかに相手が美人であり、美男子であって
も、それは関係ない。しかしそれが親や兄弟のとなると、多少、感じ方が変わってくる。
さらに親しい友人や、尊敬する人になると変ってくる。昔、恩師のM先生(女性)がこう
話してくれた。

「私は女学生のとき、好きな先生がいた。好きで好きでたまらなかった。が、その先生が
ある日、私のノートを上からのぞいたとき、ポタリと鼻くそを私の机の上の落した。私は
その鼻くそを見たとき、どういうわけかうれしくてならなかった」と。相手を受け入れる
といういことは、そういうことをいう?

 そこで今度は家族について。あなたは自分の夫や妻、さらには子どもをどこまで受け入
れているだろうか。またまた『おなら』の話で恐縮なのだが、あなたはあなたの夫や妻が
おならを出したとき、それをどこまで受け入れることができるだろうか。自分のおならの
ように、「いいにおい」と思うだろうか。それとも他人のおならのように、不愉快だろうか。
実のところ、私も女房のおならが許せるようになったのは、結婚してから二〇年近くもた
ってからだ。自分のにおいのように感ずることができるようになったのは、ごく最近にな
ってからだ。

女房はめったに私の前ではしないが、眠ってしまったあと、ふとんの中でそれを出す。で、
若いころはふとんの中でそれされると、鼻先だけふとんの中から外へ出し、口で息をした
り、ときには窓を開け放って、ガスを追い出したりしていた。今も「平気」とまではいか
ないが、「またやったな」という思いながらも、そのまま眠ることができる。

 問題はあなたと子ども、である。あなたは子どものすべてを受け入れているだろうか。
こういうとき「べき」という言い方はしたくないが、しかしこれだけは言える。親に受け
入れてもらえない子どもほど、不幸な子どもはいないということ。言いかえると、親にす
ら心を開いてもらえない子どもは、自分自身も心を開くことができなくなる。そういう意
味で、子どもは心の冷たい子どもになる。

もう少し正確には、自分の心を防衛するようになり、そのためさまざまな「ゆがみ」を見
せるようになる。ひがむ、いじける、ねたむ、すねるなど。心のすなおさそのものが、消
える。へんに愛想がよくなることもある。そういう意味で、もしあなたがあなたの子ども
に心を閉じているなら、それは「あるべき」親の姿勢ではない。「努力して」というほど簡
単な問題ではないかもしれないが、しかしあなたの子どものためにも努力する。

 方法としては、まず子どもを友として受け入れる。つぎにあとは「許して忘れる」。これ
を日常的に繰り返す。時間はかかるが、やがてあなたは心を開くことができるようになる。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●実家を売る

++++++++++++++++++

郷里の知り合いに頼んでおいたら、私の
実家が、売れた。
伝統的建造物にもなっている古い家である。
「どうしたらいいか?」と悩んでいたら、
何と、その知り合いの方が、「買ってもいい」と
申し出てくれた。

値段は相場の半額程度とは思うが、私は満足。
できるだけ早く、あのM町とは、縁を切りたい。
すっきりしたい。
お金の問題ではない。

++++++++++++++++++

 私にとっては、実家は、重荷以外の何物でもなかった。
心の内側にペッタリと張り付いた重荷だった。
そのため暗くて、ゆううつな60年間だった。

 「依存性」という言葉がある。
依存する方は、それだけ楽かもしれないが、依存される方はそうでない。
保護と依存の関係も、感謝されるのは、最初だけ。
やがて当たり前になり、さらに進むと、依存する方が、それを請求してくるようになる。
が、こうなると、その関係を切ることはできない。

 依存される側は、その重圧感で、悶々と苦しむようになる。
お金の問題ではない。

 まったく生活力のない兄と母。
それを見て、「親のめんどうをみるのは、息子の役目」とせまってくる周囲の人たち。
無言の圧力。
たとえばこういうような言い方をする。

 「私は、あなたの母さんのことは、何も心配してないよ。あなたがいるからね」とか。
あるいは「あなたの母さんは、幸福だね。親孝行のいい息子をもって……」とか。
さらには、「○○さんところの息子は、親孝行の感心な息子だ。今度、家の横に離れを
親のために建ててやったそうだ」とか、など。

 こういう言い方をしながら、真綿で首を絞めるように、ジワジワと迫ってくる。

 ……こうして60年間。
その重圧感から、やっと解放される。
そんな日が、あと数日に迫った。
多少のさみしさはあるが、だれしも一度や二度は乗り越えなければならない道。
感傷にひたっている暇はない。

 ところで話は変わるが、「行動力」という言葉がある。
この行動力は、加齢とともに、急速に減退する。
が、若いうちは、それがわからない。
行動力があるのが当たり前。
また行動力は、死ぬまでつづくものと、思っている。
私もそうだった。
しかし50歳を過ぎると、その行動力そのものが、減退する。
何をするにも、おっくうになる。
つまり決断力を要するようなことをするとき、強く、それを感ずる。

 だからこうした決断は、すみやかに、したほうがよい。

「買いたいです」「はい、わかりました。その値段で結構です」と。

 あとは事務手続きのみ。
そして忘れる。

 親子三代にわたってつづいた自転車屋だったが、ちょうど100年の歴史を、
終える。
祖父も、父も、そして兄も、何をどう思って、あの家を守ったのか?
今、ふと、そんなことを考える。


Hiroshi Hayashi++++++++July.09+++++++++はやし浩司

●映画『レイチェルの結婚』

シアリアス感(深刻さ)を強調するためか、
それとも素人ぽさを、演出するためか。
画面が、常時、手ぶれでガタガタ揺れた。
言うなれば、「手ぶれ映画」。
制作するほうは、それでよいとしても、
観るほうはたまらない。
劇場のような大画面で、観るならなおさら。
私は観ているうちに、船酔いならぬ、映画酔いを
起こしてしまった。

アカデミショー賞候補とか何とか歌ってはいるが、
私はあんな映画に、星はつけない。
薬物中毒だった女性が、ギャーギャーと騒いだだけ。
星は1個にもならない、★(-)。

もっとも深刻な社会勉強をしたいと思う人は
観に行ったらよい。
子どもの工場見学のようなもの。
おもしろくも、何ともない。

劇場へなぜ私たちが足を運ぶかといえば、娯楽のため。
その娯楽性なくして、だれが劇場までわざわざ足を運んで映画など、
観るものか。

そんなわけで途中で、ギブアップ。
吐き気、頭痛が同時に襲ってきた。
劇場を出て、通路にあったソファで、半時間ほど、気分を収めた。

お金を出して、気分を悪くしただけ。
私にとって、『レイチェルの結婚』という映画は、そういう映画だった。
ネットの映画案内には、何人かの知名人が、「すばらしい」「感動した」
と書いていた。

??????

こういうばあい、だれが責任を取ってくれるのか?
「警告:この映画は、劇場の大画面で観ると、映画酔いを起こす可能性
があります」くらいのことは、これからは告知してほしい。


Hiroshi Hayashi++++++++JULY 09++++++++はやし浩司

●堪忍袋の緒が切れた! (麻生首相よ、いい加減にしろ!)

++++++++++++++++++++++++++

何を言っても驚かない。
怒らない。
しかし今度だけは、別!
堪忍袋の緒が切れた。
怒った!
私は、怒った!
もともとモヤモヤしていたところに、火がついた!
爆発した!

まず、つぎの記事を読んでほしい。
これを読んで、怒らない人(高齢者)はいないと思う。
とくに私の年代で、自分の体にムチ打ってがんばっている人ほど、
そうではないか。

++++++++++++++++++++++++++

●「高齢者は、働くことしか才能がない」

(以下、読売新聞、7月25日より)

+++++++++++++++++++

 麻生首相は25日午前、横浜市内で開かれた日本青年会議所の会合であいさつし、「日本
は65歳以上の人たちが元気だ。介護を必要としない人たちは8割を超えている」とした
うえで、「元気な高齢者をいかに使うか。この人たちは働くことしか才能がない。働くとい
うことに絶対の能力がある。80(歳)過ぎで遊びを覚えるのは遅い」と語った。(200
9年7月25日)

+++++++++++++++++++

●働きたい

 私は働きたい。
死ぬまで働きたい。
また元気な老人たちは、年金を返上してでも、働いたらよい。
それがそのまま生きる喜びにつながる。
私たちを支えたくれた人たちに対して、恩返しもできる。
そういう思いは、ある。
またそういう思いで、毎日、がんばっている。

しかしそれを逆手に取られると、カチンとくる。
麻生という首相は、基本的な言葉の使い方も知らない、バカである。
はっきりと断言する。
「バカ」である。

 「元気な高齢者をいかに使うか。
この人たちは働くことしか才能がない。
働くということに絶対の能力がある。
80(歳)過ぎで遊びを覚えるのは遅い」とは!

 「いかに使うか」という発想そのものが、許せない。
私たちは麻生首相の道具ではない。
もちろん奴隷でもない。
しかも「働くことにしか才能がない」とは!
もう少しくだけた言い方をすれば、「働くことしか能がない」となる。
ニュアンスとしては、それと同じ。

あるいは麻生の言語能力からして、もともと「能がない」と言おうと
したところを、「才能がない」と、言いまちがえたのではないのか。
ふつうはこういうとき、「能がない」と言う。
「才能がない」とは言わない。
たとえば「あいつは、パチンコしか脳がない」とは言うが、
「パチンコしか才能がない」とは言わない。

 もちろん相手をバカにしたときに、そう言う。

 先の首脳会談では、ドイツを怒らせ、ロシアを怒らせた。
で、今度は、私たち、団塊の世代を怒らせた!
ものは言いよう。
「高齢者の人たちには、がんばってもらいたい」とか、
「働きたい高齢者のために、環境を整えたい」とか、
そういうふうに言うのなら、まだ理解できる。
また政治家たるもの、その程度の知性はもってほしい。
それを、「80(歳)過ぎで遊びを覚えるのは遅い」とは!
つまり「今さら遊ぶことなどできないはずだから、働け」という意味か。

 誤解があるといけないので、明言しておく。
私たちは、遊びたいのではない。
遊んだところで、どうなる?
それがどうした?
遊べば遊ぶほど、自分がむなしくなる。
1年を1日にして、生きるようになる。
そんな人生に、どれほどの意味があるというのか。

 私たちが求めるのは、生きがい。
仕事でもよい。
一人前の仕事。
今まで得た経験や知恵を還元できる、職場、環境、そして社会。
政治家なら、その程度の思考力はあってしかるべき。

 それにしても、これほどまでに高慢な政治家というのも、そうは
いない。
ふつうなら、それ以前の段階で、自然淘汰され、政治家として選ばれない。
が、どういうわけか、「おバカ」(日刊ゲンダイ)が、首相をしている。
血筋や血統だけで、政治をしている。
これを民主主義の欠陥と言わずして、何と言う?

 で、私は浮動票の王様。
私が投票するところ、浮動票が動く。
で、今度だけは、J党だけには、勝たせたくない。
J党というより、麻生には勝たせたくない。
勝てば、(仮に僅差でなら、敗れても)、麻生は、有頂天になるはず。
そして政権続行!

 だからいって、どの党に一票を入れるかということについてまでは、
ここには書けない。
しかし私が行くところ、浮動票の行くところ。
結果は、今度の選挙の結果でわかるはず。
 
 ……それにしても、「働くことしか、才能がない」とはねエ。
確かにそうかもしれないが、しかし麻生だけには、そう言われたくない。
この不快感。
拒絶感。

 それにしても、どうしてあの程度の男が、総理大臣などしているの
だろう。
ほぼ同年齢だが、あまりにも低劣。
レベルが低すぎる。
麻生を選んだ、つまりは私たち有権者が愚かだったということになる。
が、麻生は、国政選挙という選挙を通して総理大臣になった男ではない。
それだけが、今の私たち国民にとって、ゆいいつの救いということになる。

 ついでにJ党の細田氏は、麻生をかばってか、またまた失言。
こう言った。

「自民党の細田博之幹事長が首相の失言などを取り上げた報道を批判し、『国民の程度か
もしれない』」(毎日新聞・7・25)
と。

J党の閣僚たちの発言には、意味不明のものが多い。
しかしそのまま読めば、「麻生総理が言ったように、国民の程度というのは、その程度ほど
までに低い」とも解釈できる。
もしそうなら、これまた、これほどまでに私たちをバカにした言葉はない。

 私の地元の選出の、片山さつき氏は、かつてこう言った。
「私が土下座なんてしたら、この辺の田舎者は、イチコロよ」(倉田由美子・雑誌「諸君」
05年11月号・P87)と。

「この辺の田舎者」というのは、静岡県7区に住む、この私たちのことをいう。

 さらにに一言。
青年会議所って、いったい、何をしているところなのか?

(麻生の失言 総理の失言 暴言 総理大臣の暴言 麻生総理大臣の失言
麻生総理の失言 暴言)


(注※)

その片山さつき氏について、倉田真由美氏(マンガ家)が、こんな気になる記事を書いて
いる。

 『……片山さつきさんの地元代議士への土下座は、毒々しさすら漂っていた。謝罪では
ない、媚(こび)の土下座は見苦しいし、世間からズレている。未だに「ミス東大→財務
省キャリア」という自意識に浸(つ)かり、「謙虚」のケの字もわからないまま、「私が土
下座なんてしたら、この辺の田舎者は、イチコロよ」と高を括(くく)る。

 そうしたバランス感覚の欠如も、いくら揶揄(やゆ)されても変えない髪型や化粧も、
自分が客観視できない、強すぎる主観の表れだ。

 「私いいオンナだから、これでいいの」という思い込みに対して、周りの人間も、もは
やお手上げなのだろう』(以上、原文のまま。雑誌「諸君」・05年11月号・P87)と。

 この記事の中で、とくに気になったのは、「私が土下座なんてしたら、この辺の田舎者は、
イチコロよ」という部分である。本当にそう言ったかどうかは、この記事を書いた、倉田
真由美氏に責任を取ってもらうことにして、これほど、頭にカチンときた記事はない。

 片山さつき氏が、どこかの席で、土下座をして、「当選させてほしい」と頼んだという話
は、当時、私も耳にしたことがある。しかしそのあと、東京に戻って、「私が土下座なんて
したら、この辺の田舎者は、イチコロよ」と話した部分については、私は知らなかった。

 何が、「田舎者」だ! 「イチコロ」とは何だ! しかしこれほど、選挙民をバカにした
発言はない。民主主義そのものを否定した発言はない。そういうタイプの女性ではないか
とは疑っていたが、片山さつき氏は、まさにその通りの女性だった。

 私たちが、田舎者? ならば聞くが、いまだにあちこちに張ってある、あのポスターは
何か? あれが都会人の顔か? あれが元ミス東大の顔か? 笑わせるな!

 もしこれらの発言が事実とするなら、私は片山さつき氏を許さない。片山さつき氏は、
まさに選挙のために地元へやってきて、私たち選挙民を利用しただけ。しかも利用するだ
け利用しておきながら、その私たちを、「田舎者」とは!

 そして先の選挙からちょうど1年になるが、片山さつき氏が、この1年間、この地元に
帰ってきて、何かをしたという話を、私は、まったく知らない。念のためワイフにも聞い
てみたが、ワイフも、「知らない」と言った。ワイフの知人も、「知らない」と言った。

 つまり、片山さつき氏は、選挙のために、私たちを利用しただけ。もっとはっきり言え
ば、自己の名聞名利のために、私たちを利用しただけ。

 しかしこれがはたして、民主主義と言えるのか? こんな民主主義が、この日本で、ま
かり通ってよいのか?

 ある日、突然、中央から、天下り官僚がやってくる。それまで名前のナの字も知らない。
もちろん地元のために、何かをしてきた人でもない。そういう人が、うまく選挙だけをく
ぐりぬけて、国会議員になり、また中央へ戻っていく! どうしてそういう人が、地元の
代表なのか?

 そののち片山さつき氏は、派手なパフォーマンスを繰りかえし、政界ではさまざまな話
題をふりまいている。しかしそれらは、あくまでも、自分のため。私たちの住むこの地元
の利益につながったという話は、まったく聞いていない。少なくとも、私は、まったく知
らない。

+++++++++++++

同じようなテーマで書いたエッセー
がつぎのものです。

先のエッセーの直後に書いたもの
です。

+++++++++++++

●仕事開始!

 夏休みも終わって、仕事開始。とはいっても、これとて大きな変化はない。淡々と、そ
の日のルーティーン(茶飯事)をこなすだけ。

 やりたいことは、いろいろある。しかしどれも、時間がかかることばかり。そのため、
とりかかる前に、何かと、おっくうになる。

 そういえば、昨日(19日)は、頭にカチンとくることがあった。あの片山さつき氏(静
岡県7区から立候補、当選)のことだ。

 片山さつき氏は、この選挙区(地方区)で敗れても、全国区の比例区で当選する段取り
になっていた。だから当時から、(熱意に欠ける選挙運動)が、問題になっていた。その片
山さつき氏が、東京へ戻ってから、こんなことを言っていたという。

「私が土下座なんてしたら、この辺の田舎者は、イチコロよ」(倉田真由美氏指摘・「諸君」)。

 ここまで書いて思い出したことがある。昔、中央官庁で部長をしていた知人が、私にこ
う言った。

 「定年退職をしたら、郷里の長野県のS市に帰って、市長でもしようかな」と。「……で
も」というところが、恐ろしい!

 片山さつき氏の発言は、その部長の発想の延長線上にある。何が、市長だ! バカヤロ
ー!

 何でもかんでも、「東京からきた」というだけで、ありがたがる田舎根性。それはたしか
に、この浜松市にもある。私は、否定しない。

 しかしその田舎根性を逆に利用して、中央からやってくる政治家たち。私は、そういう
政治家というより、そういう政治家を生み出す、この日本のシステムに腹が立つ。

 わかりやすく言えば、日本の民主主義も、この程度。みなが、何かに動かされるまま、
動かされてしまう。自分で、考えようとしない。自分で考えて、行動しようとしない。

 近く、もう少し涼しくなったら、この問題に取り組んでみよう。今は、暑くて、脳みそ
も、だらけがち。それに明日から、仕事が待っている。まず、私の生活を優先させなけれ
ばならない。

 がんばろう! がんばります!


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