2009年7月31日金曜日

*Magazine, dated July 31st

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子育て最前線の育児論byはやし浩司   09年 7月 31日
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メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●幼児教育のコツ

++++++++++++++++++

幼児を教えるときの、最大のコツは、
教える側が、それを楽しむこと。
「教えよう」という気持ちは、そこそこに。
とにかく、童心に返って、楽しむ。
楽しんで楽しんで、その渦(うず)の中に、子どもを
巻き込んでいく。

あとの判断は、子どもに任す。
どう判断し、それをどう生かすかは、子どもの問題。
教える側の、私の問題ではない。

++++++++++++++++++

●私にとってのBW教室

 「来たくれば来ればいい」「来なくてもかまわない」。
そこまで割り切らないと、幼児教室はつづかない。
子どもに媚(こび)を売っても、無駄。
親に媚を売っても、無駄。 
子どもが親の手を引っ張って、やってくる。
そうでなければ、まず子どもがいやがる。
ついで親も、それを理由にして、やめる。
「子どもがいやがりますから……」と。

 よく職場が苦痛という人がいる。
しかし私のばあい、職場が、ストレス発散の場所。
子どもたちといっしょになって、ワーワーと騒いでいるだけで、気が晴れる。
気分がスカッとする。

 もちろん(仕事)だから、それなりの(効果)は期待される。
が、そこは心配、無用!
子どもたちのほうが、勝手に伸びてくれる。
『楽しく学ぶ子は、よく学ぶ』。
成績のことを書くのは気が引けるが、みな、ぞれぞれの学校でトップクラスの
成績を収めている。
が、それだけではない。
どの子どもも、小中学校で、リーダー格となって、活躍している。

 なぜ、そうなるか?

 それには、一度、『BW公開教室』の動画を見てほしい。
「はやし浩司のHP」→「最前線の子育て論byはやし浩司」→「公開教室」
へと、進んでくれればよい。

 とくに比較してほしいのは、BWへやってきたばかりの年少児、年中児の子ども
たちと、BW教室で、1~2年、訓練を受けた年長児や小1児の子どもたちの動画。
迫力がちがう。
つまり指導の仕方によって、子どもたちは、ここまで伸びる!

 (たぶんに宣伝ぽいが、そういう下心は、もうない!
自分のしていることに、自信があるから、今回、こうして公開することにした!)

●「やりたい!」「やってやる!」

 子どもの側からみて大切なことは、(やる気)。
何か新しい問題を出したとしよう。
そういうとき、「やりたい!」とか、「やってやる!」とか言って食いついてくれば、
それでよし。
そうでなければ、そうでない。
中には、「やってやろうじやないか!」「林(=私)を負かしてやる!」とか言う子どもも
いる。
そういう子どもは、伸びる。
またそういう子どもにする。

 つまりおとなの優位性を押しつけないように。
またときには、バカな先生のフリをして、子どもに自信をもたせる。
そのサジ加減が、こうした子どもたちの指導の、醍醐味でもある。
おもしろい!

 つまりそういう子どもたちにするから、学校でもリーダー格となって活躍する。
言い換えると、今、そうでない子どもが多すぎる。
飼いならされたペット(失礼!)のような子どもたちばかり。
たくましさそのものに、欠ける。
だからよけいに目立つ。

●2009年6月

 公開教室に、はじめて、ファンメールが届いた。
外山さんというお父さんからのもの。
「娘が、喜んで見ています」と。

 うれしかった。
励まされた。
「とくに女学生の先生が好きです」と。

 私はときどき女学生の先生のフリをする。
それが気に入られたようだ。
だから早速、昨日、そのフリをして動画に収めた。
(公開教室、6月号に収録。)

 実のところ、公開教室と言いながら、子どもたちに見てほしい。
親や教職に就いている人には、見てほしくない。
ぜったい見てほしくないのは、同業者!
とくに幼児教育関係の本を書いている、インチキ・ライターたち!

 先日もネットサーフィンしていたら、どこかの幼稚園の幼児教室が、
私の持論の一つである、『友を責めるな、行為を責めよ』をテーマにして
講座を開いていた。
(『友を責めるな 行為を責めろ』で、検索してみるとよい。
「よ」と「ろ」のちがいだが、どこの幼稚園か、それですぐわかるはず。)

 ほかに『やればできるはずは禁句』というタイトルで、本を書いている人も
いる。
新聞の広告によれば、何10万部も売れているとか。
これも私の持論。
もう20年近くも前に書いた本に、そのまま使っている。
どこのどういう人が、そういうことをしているかも、インターネットで検索して
みればわかるはず。

 こうした持論は、何百人も、何百人も子どもと接してみて、はじめてそこに
浮かびあがってくるもの。
学者や医師が、つかめるような話ではない。

 まだ、ある!

 『いじめられっ子は、やさしくなる』とかいうのもある。
私は、「背中にチョークで落書きされた中学生」を例にあげたが、その本の
中では「カバンにチョークで落書きされた中学生」になっていた。

 偶然の一致?

 どうしてみな、こういうずるいことをするのだろう。
だからそういう連中には、見てほしくない。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
友を責めるな、行為を責めよ 友を責めるな 行為を責めろ はやし浩司 
いじめられっ子 チョークでいたずら書き はやし浩司 やればできるはず 
やればできる やればできるは禁句 やればできるはずは禁句)

●6月27日

 少し頭が熱くなった。
今朝の私は、少し神経がピリピリしているようだ。
昨夜寝る前に見たビデオがよくなかった。
殺人がテーマのビデオだった。

 寝る前に、ああいうビデオを見るのはよくない。
寝つきも悪い。
寝起きもよくない。

 それに今朝、体重を計ったら、61・5キロ。
努力した甲斐があった。
かなり血糖値はさがっているはず。
だからピリピリする。
こういうときは、夫婦喧嘩に気をつけよう。

 ……ということで、今日も始まった!


Hiroshi Hayashi++++++++June09++++++++++はやし浩司

ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(17)

●文字の前に運筆練習を

 文字を書くようになったら、(あるいはその少し前から)、子どもには運筆練習をさせる
とよい。一時期、幼児教育の世界では、ぬり絵を嫌う時期もあったが、今改めてぬり絵の
よい点が見なおされている。子どもはぬり絵をすることで、運筆能力を発達させる。

ためしにあなたの子どもに丸(○)を描かせてみるとよい。運筆能力の発達した子どもは、
きれいな(スムーズな)丸を描く。そうでない子どもは多角形に近い、ぎこちない丸を描
く。言うまでもなく、文字は複雑な曲線が組み合わさってできている。その曲線を描く力
が、運筆能力ということになる。またぬり絵でも、運筆能力の発達している子どもは、小
さな四角や形を、縦線、横線、あるいは曲線をうまく使ってぬりつぶすことができる。そ
うでない子どもは、横線なら横線だけで、無造作なぬり方をする。

 ところでクレヨンと鉛筆のもち方は基本的に違う。クレヨンは、親指、人差し指、それ
に中指ではさむようにしてもつ。鉛筆は、中指の横腹に鉛筆を置き、親指と人差し指で支
えてもつ。鉛筆をもつようになったら、一度、正しい(?)もち方を練習するとよい。(と
くに正しいもち方というのはないが、あまり変則的なもち方をしていると、長く使ったと
き、手がどうしても疲れやすくなる。)ちなみに年長児で約50%が鉛筆を正しく(?)も
つことができる。残りの30%はクレヨンをもつようにして鉛筆をもつ。残りの20%は、
それぞれたいへん変則的な方法で鉛筆をもつ。

 さらに一言。一度あなた自身が鉛筆をもって線を描いてみてほしい。そのとき指や手、
さらには腕がどのように変化するかを観察してみてほしい。たとえば横線は手首の運動だ
けで描くことができる。しかし縦線は、指と手が複雑に連動しあってはじめて描くことが
できる。さらに曲線は、もっと複雑な動きが必要となる。何でもないことのように思う人
もいるかもしれないが、幼児にとって曲線や円を描くことはたいへんな作業なのだ。

 「どうもうちの子は文字がへただ」と感じたら、紙と鉛筆をいつも子どものそばに置い
てあげ、自由に絵を描かせるようにするとよい。ぬり絵が効果的なことは、ここに書いた
とおりである。


Hiroshi Hayashi++++++++June.09+++++++++はやし浩司

ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(18)

●権威主義は断絶のはじまり

 「私は親だ」というのが、親意識。この親意識が強いと、子どもはどうしても親の前で
いい子ぶるようになる。もう少しわかりやすく言うと、仮面をかぶるようになる。その仮
面をかぶった分だけ、子どもの心は親から離れる。

 親子の間に亀裂を入れるものに、3つある。リズムの乱れと相互不信、それに価値観の
ズレ。このうち価値観のズレの一つが、ここでいう親の権威主義である。もともと権威と
いうのは、問答無用式に相手を従わせるための道具と考えてよい。「男が上で女が下」「夫
が上で妻が下」「親が上で子が下」と。もっとも子どもも同じように権威主義的なものの考
え方をするようになれば、それはそれで親子関係はうまくいくかもしれない。が、これか
らは権威がものを言う世界ではない。またそういう時代であってはならない。

 そこであなた(あなたの夫)が権威主義者かどうか見分ける簡単な方法がある。それに
は電話のかけ方をみればよい。権威主義的なものの考え方を日常的にしている人は、無意
識のうちにも人間の上下関係を判断するため、相手によって電話のかけ方がまるで違う。
地位や肩書きのある人には必要以上にペコペコし、自分より「下」と思われる人には、別
人のように尊大ぶったりいばってみせたりする。

このタイプの人は、先輩、後輩意識が強く、またプライドも強い。そのためそれを無視し
たり、それに反したことをする人を、無礼だとか、失敬だとか言って非難する。もしあな
たがそうなら、一度あなたの価値観を、それが本当に正しいものかどうかを疑ってみたら
よい。それはあなたのためというより、あなたの子どものためと言ったほうがよいかもし
れない。

 日本人は権威主義的なものの考え方を好む民族である。その典型的な例が、あの「水戸
黄門」である。側近のものが三つ葉葵の紋章を見せ、「控えおろう!」と一喝すると、周囲
のものが皆頭をさげる。ああいうシーン見ると、たいていの日本人は「痛快!」と思う。
しかしそれが痛快と思う人ほど、あぶない。このタイプの人は心のどこかでそういう権威
にあこがれを抱いている人とみてよい。ご注意! 


Hiroshi Hayashi++++++++June.09+++++++++はやし浩司

ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(19)

●頭をよくする方法

 もう一五年ほど前のことだが、アメリカの「サイエンス」という雑誌に、こんな論文が
載った。「ガムをかむと頭がよくなる」と。この世界ではもっとも権威ある雑誌である。で、
その話を母親たちの席で話すと、「では……」と言って、それを実行する人が何人か出た。

で、その結果だが、たとえばN君は、数年のうちに本当に頭がよくなってしまった。I君
もそうだった。これらの子どもは、年中児のときからかみ始め、小学1、2年になるころ
には、はっきりとわかるほどその効果が表れてきた。N君もI君も、幼稚園児のときは、
ほとんど目立たない子どもだった。どこかボーッとしていて、反応も鈍かった。が、小学
2年生のころには、10人中、1,2番を争うほど、積極的な子どもになっていた。

 で、それからもこの方法を、私は何10人(あるいはそれ以上)もの子どもに試してき
たが、とくに次のような子どもに効果がある。どこか知恵の発育が遅れがちで、ぼんやり
しているタイプの子ども。集中力がなく、とくに学習になると、ぼんやりとしてしまう子
どもなど。

 ガムをかむことによって、あごの運動が脳神経によい刺激を与えるらしい。が、それだ
けではない。この時期まだ昼寝グセが残っている子どもは多い。子どもによっては、昼ご
ろになると、急速に集中力をなくしてしまい、ぼんやりとしてしまうことがある。が、ガ
ムをかむことによって、それをなおすことができる。5,6歳になってもまだ昼寝グセが
残っているようなら、一度ガムをかませてみるとよい。

 なおガムといっても、菓子ガムは避ける。また1つのガムを最低でも30分はかむよう
に指導する。とっかえひっかえガムをかむ子どもがいるが、今度は甘味料のとり過ぎを心
配しなければならない。息を大きく吸い込んだようなとき、大きなガムをのどにひっかけ
てしまうようなこともある。走ったり、騒いでいるようなときにはガムをかませないなど
の指導も大切である。もちろんかんだガムは、紙に包んでゴミ箱に入れるというマナーも
守らせるようにしたい。


Hiroshi Hayashi++++++++June.09+++++++++はやし浩司

ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(20)

●子どもに子どもの育て方を

 子どもに子どもの育て方、つまりあなたから見れば孫の育て方を教えるのが子育て。「あ
なたがおとなになり親になったら、こういうふうに子どもを育てるのですよ」「こういうふ
うに子どもを叱るのですよ」と。つまり子どもに子育ての見本を見せる。見せるだけでは
足りない。しっかりと体にしみこませておく。

 10年ほど前だが、厚生省が発表した報告書に、こんなのがあった。「子育ては本能では
なく、学習である」と。つまり人間というのは(ほかの高度な動物もそうだが)、自分が親
に育てられたという経験があってはじめて、自分が親になったとき子育てができる。

たとえば一般論として、人工飼育された動物は、自分では子育てができない。人間はなお
さらで、つまり子育てというのは、本能でできるのではなく、「学習」によってできるよう
になる。が、それだけではない。もしあなたがあなたの子どもに将来、心豊かで温かい家
庭を築いてほしいと願っているなら(当然だが……)、今あなたはここで、心豊かで温かい
家庭とはどういうものかを子どもに見せておかねばならない。あるいはそういう環境で子
どもを包んであげる。さらに「父親とはこういうものです」「母親とはこういうものだ」と、
その見本を見せておく。そういう経験が体にしみこんでいて子どもははじめて、自分が親
になったとき、自然な形で子育てができるようになる。

 そこで問題はあなた自身はどうだったかということ。あなたは心豊かで温かい家庭で育
てられただろうか。もしそうならそれでよし。しかしそうでないなら、一度あなたの子育
てを見なおしてみたほうがよい。あなたの子育てはどこかぎこちないはずである。

たとえば極端に甘い親、極端にきびしい親、あるいは家庭をかえりみない親というのは、
たいてい不幸にして不幸な家庭に育った人とみてよい。つまりしっかりとした「親像」が
入っていない。が、問題はそのことではなく、そのぎこちなさが、親子関係をゆがめ、さ
らにそのぎこちなさを次の世代に伝えてしまうこともある。しかしあなた自身がその「過
去」に気づくだけで、それを防ぐことができる。まずいのはその「過去」に気づくことな
く、それにいつまでも振り回されること。そしてそのぎこちなさを次の世代に伝えてしま
うことである。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【精神的一貫性】(Consistency of our Thought)
Can we be the same under any condition of the circumstances? If so, it is OK, but if it
ins’t, it is not OK.)

++++++++++++++++++++++++++++++

「精神的一貫性」というのは、つまり思想的同一性のことをいう。
状況が大きく変わっても、いつも同じ思想をもちつづけることをいう。
簡単に言えば、「信念」ということになるが、信念ともややちがう。
「思想的一貫性」というか、「人間的な一貫性」とか、状況に影響を
受けない「一貫性」をいう。

が、こう書くと、「何だ、そんなことか」と思う人も多いかと思う。
「そんなことなら、だれにでもできる」と。
しかしそう断言するのは、ちょっと待ってほしい。

たとえば暴力団の男性がいる。
それらしい風体に、それらしい服装。
見るからにそういう人と、わかる。
が、そんな人でも、家庭では、よき夫であり、よき父親であったりすることが多い。
常識も通ずる。
冗談も通ずる。
ちょっとふつうの人とはちがうかなという印象を与えるかもしれないが、
(ふつうの人)と、どこもちがわない。
そういう人を見ると、「なんだ、この世には悪人などいない」と、だれしも思う。
(何も暴力団の構成員がみな、悪人と言っているのではない。誤解のないように!)

が、私の言いたいのは、その逆。
そんな(ふつうの人)でも、状況が変わると、コワ~イ男性に変身したりする。
「泣く子も黙る……」というのは、大げさかもしれないが、そういう男性に
変身したりする。
一喝されただけで、ふつうの人なら、それだけで震えあがる。

家庭ではよき夫であり、父親である。
しかし取り巻く環境が変わると、コワ~イ男性に変身する。
つまり暴力団のこの男性には、「人間的な一貫性」がないということになる。
(あまりよい例でなくて、ごめん!)

+++++++++++++++++++++++++++++++

●一貫性の確立

 自分の中に、いかにして一貫性を構築するか。
簡単なことのようで、それが難しい。
私たちはそのときどきの(縁)に応じて、変化する。
自分を作り変える。
よい人間に作り変えることもあるが、ときには、(縁)に応じて、悪い人間に作り
変えることもある。

 たとえば私がたいへんよく知っていた人に、KY氏という人がいた。
私が子どものころ、すでに60歳くらいだった。
そのKY氏は、あの関東軍七三一部隊で、教授を務めていた。
(研究部隊ということで、内部では、「教授」という肩書になっていた。)
関東軍七三一部隊がどんな部隊であったかについては、今さらここに書くまでもない。

 が、私が知るかぎり、KY氏は、穏やかで、やさしい人だった。
私が子どものころには、近くの川に魚釣りに連れていってくれたこともある。
碁の打ち方を教えてくれたこともある。
そのKY氏が関東軍七三一部隊の教授であったことは、幸いにも(?)、KY氏が
亡くなってから、10年ほどしたときのことである。
私はそのとき30歳くらいになっていた。

 そのKY氏を思い浮かべながら、いまだに、それが信じられないでいる。
私が知っていたKY氏から、関東軍七三一部隊で教授職をしていたKY氏は、
とても想像できない。
はたしてその両者は、同一人物だったのか。

中国のハルピンでは、関東軍七三一部隊は、身の毛もよだつような悪業を重ねていた。
関東軍七三一部隊では、中国人や朝鮮人、さらにはロシア人まで、生きたまま解剖して
いたという。
教授職だったKY氏が、善人だったとは、とても思えない。
が、日本へ帰ってきてからは、一転、私が知るかぎり、仏様のような人間になっていた!
そういうKY氏を思い浮かべると、「この世の中には悪人はいない」「悪いのは戦争だ」
ということになる。
戦争が、KY氏をして、KY氏のような人間にした、と、
が、同時に、このことを反対に言うと、こうなる。
「どんな善人でも、戦争に行くと、悪人になる」と。

 もしKY氏に一貫性があったら、関東軍七三一部隊に入隊したとしても、
それをよしとしなかったはず。
反対に、日本へ帰ってきてからも、鬼のような人間のままであったはず。
が、そのつど、KY氏は、大きく変化した。
(善人)から(悪人)、その(悪人)からまた(善人)へと。

 つまりこれが私が言う、「精神的一貫性」ということになる。

●ナチスドイツ
 
 ナチスドイツは、あのアウシュビッツだけでも、1200万人以上ものユダヤ人を
虐殺した。
第二次大戦で死んだ日本人が、300万人。
日本人が殺した外国人が、300万人。
合計しても、1200万人には、とても及ばない。

 そういう事実を知ると、日本人なら、みなこう言う。
「私たちは、そういうことはしない」と。
「日本人は、そんな残虐なことはしない」とも。
しかし本当に、そうか。
そう断言してよいだろうか。
少なくともあなたには、そういう自信はあるだろうか。
(残念ながら、私には、ない。)

 もし仮に、東南アジアからの不法移民が、この日本に、100万人単位で住んでいたら、
どうだろうか。
その数が、200万人、300万人……となり、さらに1000万人、2000万人と
なったら、どうだろうか。
しかもそうした不法移民が、日本の経済を牛耳るようになったとしたら……。
彼らは日本の文化風習には同化せず、自分たちの言葉を話し、自分たちの宗教を信ずる。

 そういう状況になったときでも、あなたは、「人間はみな、平等だ」と言って、平然と
していられるだろうか。
ヒットラーが政権を握る前のドイツは、まさにそういう状況だった。
(だからといって、ナチスドイツのした行為を正当化しているのではない。
誤解のないように!)

●ドイツ人vs日本人

 「私たち日本人は、ナチスドイツがしたようなことはしない」と言うのは簡単。
「私たちはドイツ人とは、ちがう」と。
しかしそれだけの精神的一貫性を、私たち日本人は、ほんとうにもっているだろうか。
が、私の印象では、もし日本が同じような状況になったとしたら、ひょっとしたら
日本は、ナチスドイツがしたよりも、もっとひどいことをするかもしれない。
悲しいかな、日本には、それだけの文化的な蓄積すらない。
忘れてならないのは、ゲーテやシラー、さらにはベートーベンを生み出したドイツですら、
そんなことをしたということ。

 そこで精神的一貫性。
精神的一貫性が確立していれば、まわりの状況が変わったとしても、私は私でいられる。
そうでなければ、そうでない。
一貫性のない人は、まわりの状況に応じて、そのつど主義主張まで、変えてしまう。
カメレオンのように、周囲の色に合わせて、自分の色まで変えてしまう。
考えようによっては、これほど、恐ろしいことはない。
どう恐ろしいかは、先に書いたとおりである。

●精神的一貫性の確立
 
 実は今、私は精神的一貫性の確立について、悩んでいる。
考えようによっては、それほど深刻な問題ではないかもしれない。
しかし悩んでいる。

 私は昨年、実兄と実母を、あいついで亡くした。
2度の葬儀と、それにつづく法要の数々。
四九忌まで、毎週1回ずつの法要、そして百か日忌。
が、それが今度は、1周期!
来年には、また3回忌。
(仏教では、死んだ前の日から年数を数え始めるため、2年目に、3回忌をする。)

 が、こうした法要の根拠は、鎌倉時代にできた『地蔵十王経』という、偽経である。
まっかな偽教である。
どこの寺も、偽教ということを百も承知の上で、それを根拠に法要を私たちに強いてくる。
しかしこうした法要そのものが、私の主義主張と、まっこうから対立する。
「長いものには巻かれろ」式の妥協をすることも考えた。
しかし妥協を繰り返すのも、このところ、疲れた。
だから「悩む」ということになる。

●ケチ
 
 こう書くと、「ケチ」と誤解する人がいるかもしれない。
しかし今、介護費用も、相当な額になった。
当時、救急車で一回、病院へ運ばれただけで、それだけで、15万円前後の費用がかった
(08年)。
救急車は無料だが、病院での検査、治療費などなど。
(無駄な検査の多いのには、驚いた!※)
で、救急車で運ばれると、たいてい特別の個室をあてがわれる。
「大部屋があいていないので、個室で」となる。
この費用が大きい。
1泊するだけでも、3万円弱。
数泊しれば、10万円。
帰りも救急車というわけにはいかない。
寝台つきのタクシーを使うと、料金メーターの数字が、1000円単位であがっていく。
それで15万円前後ということになる。

 そこへもってきて、葬儀。
今、全国平均で、1回の葬儀にかかる費用は、240万円前後。
香典でまかなえる人も多いと聞くが、私のばあいは、香典で集まったのは、実兄のときも、
実母のときも、40万円程度でしかなかった。
あとは私の持ち出しということになった。

が、それで終わったわけではない。
今では、一回の法事ごとに、寺に支払う布施にしても、5万円が相場。
初盆ともなると、いくら安くあげても、数10万円はかかる。

生きている人間にお金を使うのは当然としても、どうして死んだ人間にまで、こうまで
お金を払いつづけなければならないのか。

いや、お金にこだわっているわけではない。
死者にそれだけのお金を使うくらいなら、その分、今、生きている人たちのために
使いたい。
事実、私は息子たちの学費については、一円たりとも惜しんだことはない。

 私はケチではない。
こうした儀式そのものが、私の主義主張に反している!

●私たちは、だいじょうぶか?

 精神的一貫性を保つのは、容易なことではない。
戦地に赴く兵士にしても、そうだ。
先に書いたKY氏にしても、兵士になる前は、私やあなたとどこもちがわない、
ごくふつうの人だったにちがいない。
が、そういう状況に包まれたとたん、その人は、その人になる。
精神的一貫性そのものが、どこかへ吹き飛んでしまう。

 では、私はだいじょうぶなのか?
あなたは、だいじょうぶなのか?

●ではどうしたらよいのか

 では、精神的一貫性を保つためには、どうしたらよいのか。
それについては、2つの方法がある。

(1)適当に妥協して生きる。
(2)徹底的に自分の主義、主張を貫く。

 たとえば法事にしても、私は、そのつど、「旅行の一環」と位置づけてきた。
法事に行くたびに、それを利用して、あちこちを旅行した。
地元の旅館に泊まるのも楽しかった。
「法事」と構えると、疲れる。
角が立つ。

 が、先にも書いたように、このところ妥協するのにも、疲れを覚えるようになった。
そこで「悩む」ということになるが、これについては、今まで書いたとおりである。
そこで(2)の徹底的に自分の主義、主張を貫くということになる。
法事というのは、しなければならないものではない。
だれかに義理立てしてまで、しなければならないようなものではない。
私は私。
そういう私を、あれこれ言う人がいたら、言わせておけばよい。

 ということで、母の1周忌を最後に、私は縁を切る。
「縁」と言っても、「寺との縁」のことではない。
不確かで、あやふやな自分と「縁」を切る。
その上で、妥協できることについては、妥協する。 
適当にやって、それですますこところは、すます。
それが私にとっての、精神的一貫性ということになる。

●終わりに……
 
 精神的一貫性を保つためには、確固たる信念と哲学をもたねばならない。
が、もつだけでは足りない。
それを自分の中で、熟成させなければならない。
が、熟成させるだけでも足りない。
自分のもつ文化性を高め、その文化性で、自分の心を包まねばならない。
本を読み、芸術をたしなむ。
信念と哲学が、自分を支える強いバネとなるのは、そのあとのことである。

と、同時に、妥協できる部分については、妥協する。
まわりの人たちがそれで安心するなら、妥協する。
お金の問題ではない。
それが人間が、本来的にもつ(やさしさ)ということになる。
また、その(やさしさ)を忘れてはいけない。

……ということで、精神的一貫性についてのエッセーを終わる。
精神的一貫性をもつことが、いかに難しいかということを、このエッセーを通して
読者の方にわかってもらえれば、うれしい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
精神的一貫性 精神的統一性 信念と哲学 はやし浩司 一貫性の確立)

(※付記)

救急車で運ばれると、まず検査。
また検査。
検査につぐ検査。
そこである日、私は担当のドクターにこう言った。
「検査していただけるのは、ありがたいですが、その結果、治療していただけるのですか?」
と。
するとそのドクターは、わざわざ私を応接室へ招いて、こう言った。
「治療はしません」「延命処置もしません」と。

そこで私が、「じゃあ、検査しても意味ないではないですか」と言うと、
あっさりと、「そうですね」と。
要するに、老人が、病院の金儲けの道具にされていた。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●消息

 昨日薬局で、20年ぶりに、Mさんという人と会った。
1年ほど、いっしょに仕事をした仲間である。
年齢の話になったとき、「ぼくのほうが、林君より、一回り年上だったのか」と
言った。
歳は、71~2歳ということになる。

 立ち話だったが、当時の人たちの消息を聞くことができた。

(社長)ともによく知っている社長の名前が出た。
ある貿易会社の社長をしていた。
その社長はそのあと、重い精神病を患い、4、5年前に他界したという。
「あの人は注射で殺されたようなものだね」と、Mさんは言った。
病院で暴れたため、いつも注射を打ちつづけられたから」と。

(社長の奥さん)よい人だった。
親切な人だった。
その奥さんも、やはり4、5年前に、他界したという。
最期は脳腫瘍だったという。

(YGさん)その会社で営業部長をしていたのが、YGさん。
テニスで国体にも出たような人だった。
で、ある高校で顧問として指導していたが、そこで女子高校生と関係をもって
しまった。
それで東京へ追放。
……という話は、表の話で、実は、「幼女に性的いたずらをして、刑務所に
入っていた」とのこと。
私にはよくしてくれた人なので、信じられなかった。

(社長の子どもたち)社長には、2人の息子と、1人の娘がいた。
娘のほうは知らないが、2人の息子は、ともに高校を強制退学。
結婚して、それぞれ2人の子どもをもうけたが、浮気が原因で2人とも、離婚。
今は、その子どもたちの養育費すら払えないほど、生活が困窮しているという。

(社長の兄弟たち)社長の兄弟は、2人、いた。
Mさんは、その兄弟たちについては知らないといった。
ただ1人の弟の妻は、電車に飛び込んで、自殺したという。
「新聞にも出ていたから、林君も知っているだろ?」とMさんは言ったが、
私は知らなかった。

 言い忘れたが、Mさんは、その会社で、専務をしていた。
私はときどきその会社で、貿易の手伝いをしていた。

私「当時は、全盛期だったのに……」
M「そうなんだよ。社長が使う電話の電話料金だけで、月に300万円もあった」
私「300万円……?」
M「電話魔でね。一日中、世界中に電話をかけていた」
私「知らなかった……。金払いのいい人とは思っていた。
シンガポールへ電報をその場で打ってやっただけで、チップだといって、10万円を
くれたこともあります」と。

 で、その会社は、そのあとまもなく倒産。
Mさんとは、1、2度、街の中で会ったことがある。
が、それからさらに20年。

 今は、ある会社の経理顧問をしながら、収入を得ているという。
10分ほどの立ち話だったが、人生の重みをズシリと感じた。

 『おごれるもの、久しからず』か?


Hiroshi Hayashi++++++++June09++++++++++はやし浩司
 
●私の、うつ病薬

++++++++++++++++++++

ダイエットと同時に、徐々に私を襲ってきたのが、
うつ病。
脳間伝達物質が不足し、それが脳の機能を低下させる。
行動力が落ちる。
頭の回転が鈍る。
悶々とした気分がつづき、ときに厭世(えんせい)的になる。
血糖値が低下するから、慢性的な低血糖状態にもなる。
ささいなことで、キレやすく、カッとなりやすい。

が、薬がないわけではない。
私のばあい、新しい電子製品を買うと、どういうわけか、
気が晴れる。
そのままうつ状態を脱することができる。

+++++++++++++++++++++

●次期パソコン

 秋に、最新型のパソコンを買う。
そのころWINDOW7も、発売になる。
64ビットマシンで、人間にたとえるなら、脳みそが4人分ついたようなパソコンである。
(実際には、8つの仕事を同時にこなす。)
いまどき、1テラバイトのハードディスクは、常識。
う~~ん。
そういう目標があるから、今は、パソコンを買うこともできない。
こういうときはパソコンでも買うのが、いちばんよいのだが……。

(この間、半日!)

 で、結局、1テラバイトのハードディスクを、今、買ってきた。
値段は、8700円。
韓国のS社製のものもあった。
こちらは値段は7000円だったが、回転数が遅いので、やめた。
(+あのような反日国家の製品を買うのは、どうも気が進まない。)

 今夜、ハードディスクの取り換え作業をするつもり。
毎年夏になると、ハードディスクが1台くらいは、壊れる。
その予防のため。


Hiroshi Hayashi++++++++June.09+++++++++はやし浩司

●パソコンの修理

+++++++++++++++++++

昨日、1テラバイトのハードディスクを買ってきた。
1テラバイト=1000GBである。

ちょうど10年前、10GBのハードディスクのパソコンが売りに出された。
それを知って、私たちは驚いた。
が、今は、1テラバイト!
それを現在、メインで使っているパソコン(ビスタ)の
ハードディスク(300Gバイト)と、つけ替えることにした。

で、夜になって仕事が一段落したところで、作業、開始!
(その前に、元のハードディスクのエラーチェックと、
新しいハードディスクへのコピーを、すませておいた。
かかった時間は、3時間+2時間の、計5時間。)

そこからは、ハードディスクを入れ替え、配線をしなおすだけの
簡単な作業のはずだった。
が、ここでまたまた失敗。

不自然な姿勢で、ぐいと力を入れて配線を押し込んだとたん、端子が割れてしまった。
ゾ~~~ッ!
マザーボードのばあい、ほんの一部でも欠けたら、マザーボードごとすべて、
取り替えなければならない。
破損したのは、コネクターのコードほうだった。
しかしマザーボードのほうも、同時に、破損したかもしれない。

恐る恐る電源を入れる……。
ハラハラ、ドキドキ……。
やはり、パソコンが、立ち上がらなくなってしまった。
いろいろ試してみたが、やはりだめだった。

……冷や汗、タラタラ……。
……冷や汗、タラタラ……。

途中からワイフが手伝ってくれたが、ウンともスンとも動かない。
1年半ほど前にも、同じ失敗をした。
そのときは、マザーボード側の端子を破損してしまった。
ピンが一本、折れただけだったが、マザーボード全体を交換しなければならなかった。

そのときの悪夢が、フラッシュ・バック!
修理には最低でも、2~3週間はかかる。
仮にリカバリーということにでもなれば、すべてイチから再セットしな
ければならない。

ドキドキ、ハラハラ……。

しかたないので、隣に置いてある、別のパソコン(XP)に電源を入れた。
しばらくそれ使うしかない。
ア~~~ア!

(こういうときのため、データは、2重、3重と、べつの場所に保存してある。
だからデータが失うということはない。
しかし気分は重い。)

 で、今日は日曜日。
朝起きると一番に、もう一度、パソコンを点検。
古いパソコンのコネクターを抜いてきて、壊れたコネクターと交換してみた。
が、何と、である!
あっさりとパソコンが起動したではないか!

 これには驚いた+うれしかった!

 ……ということで、今日は、ついでに書斎を大掃除。
書斎の机の位置を替えた。

 パソコンという化け物は、それなりに、ほどほどに動いているなら、
けっして冒険してはいけない。
いじってはいけない。
いちばんこわいのは、知ったかぶり。
知ったかぶりして、あちこちいじると、とたんに故障する。


Hiroshi Hayashi++++++++June09++++++++++はやし浩司

●視野の狭い女性

+++++++++++++++++++++++

あるとき、1組の夫婦が、ある寺にやってきた。
そして寺の住職にこう言った。
「私の家は、何かに、たたられている。
ついてはお祓(はら)いをしてほしい」と。

そこで住職がその夫婦の話に、耳を傾けるところとなった。

+++++++++++++++++++++++

●つづく不幸(?)

 たいした不幸という不幸ではない。
どこにでもある話である。
しかしその夫婦には不幸だった。
こういう話である。

 その夫婦には、2人の息子と1人の娘がいた。
が、2人の息子は、それぞれ高校時代に、傷害事件を起こし、2人とも強制退学。
1人の娘は、やはり高校を卒業すると、15歳年上の男性と、駆け落ち。
よくある話である。
それを「たたり」と言うには、少し無理がある。

 で、それからほぼ10年。
2人の息子は結婚。それぞれ2人の子どもをもうけた。
その夫婦にとっては、孫ということになる。
娘は、そのまま静岡市に定住。
2人の子どもができた。
が、ここから、つぎの「たたり?」が始まる。

 息子の両方とも、結婚後5~7年で、離婚。
そのまま定職にも就かず、実家を出たり入ったり……。
その夫婦が養育費の連帯保証人になっていたこともあり、夫婦のところに、
養育費の督促が届くようになった。

 が、「世間体が悪い」という理由で、その夫婦は、2人の息子を自分の家には住まわせ
なかった。
もちろん養育費も払わなかった。

●私のところへ

その住職は、私を紹介した。
住職と私は、20年来のつきあいがある。
で、それからしばらくして、その夫婦は、私のところへ、相談にやってきた。
夫婦の年齢は、ともに58歳(当時)。
夫の職業は、大手の自動車会社勤務。
妻は、パートで、当時できたばかりの老人ホームで、給食の手伝いをしていた。

 が、相談といっても、相談にならなかった。
妻のほうは多弁だった。
一方的に、ペラペラと、しゃべりつづけた。
が、その妻とは正反対に、夫は静かな人だった。
長い間、東北地方にある研究所へ単身で赴任していたという。
3人の子どもたちは、少年、少女時代、父親との接触は、ほとんどなかった。

 妻はこう言った。
「これだけ苦労して、育ててやったのに……」
「あれだけ、いろいろ世話をしてやったのに……」
「私は、どれほど苦労したかわからない」
「息子の嫁や孫たちは、私に苦労ばかりかけていた」と。

 2人の息子が、高校を強制退学になったことについても、
「息子たちは悪くない」
「学校の教師の誤解によるもの」
「警察が私たちの言い分を聞いてくれなかった」
「大きな怪我をしたのは、むしろ息子たちのほうだ」と。

 妻のほうは、本当に、よくしゃべった。

●反論

 子どもは家族の(代表)にすぎない。
子どもに問題が起きたら、家庭環境のどこかに問題があると考える。
それが2例、3例とつづいたら、なおさらである。

 私の印象では、父親の存在が、たいへん希薄だった。
とするなら、原因は、母親の育児姿勢にある。
が、母親は、「私は正しい」、
「私はまちがったことは何もしていない」の一点張り。
聞く耳すらもっていなかった。
私が何かを問いかけると、即座に、その数倍の反論がはね返ってきた。

私「養育費は払ったほうがいいですね」
妻(私の話をさえぎって)、「私は孫の世話を、xxxxx」
「誕生には、xxxxx」「病気になったときには、xxxxx」と。
それをことこまかく説明した。
つまり「私には、払う必要はない」、
「むしろ私のほうが、慰謝料をもらいたいくらいだ」と。

しかし先にも書いたように、一度しゃべり始めると、止まらない。
それを聞いている私のほうが、気が変になりそうだった。

●視野

 それぞれの人には、それぞれの視野というものがある。
その視野は、みなちがう。
と、同時に、その視野には、広い、狭いのちがいがある。
もちろんその視野は広ければ広いほどよい。
しかしその妻は、異常なまでに、狭かった。

 一方、夫のほうはというと、かなりの権威主義者。
話の随所で、「男だから……」「女だから……」「親だから……」という
『ダカラ論』を、ときどき、口にした。

 こういうケースのばあい、「相談」と言いながら、実際には、相談にならない。
私は黙って、妻の愚痴を聞くだけ。
「そうですね」「そうですね」と。
で、「お祓い」ということになった。

●住職への報告
 
 その夜遅く、私は住職に電話した。
報告の電話である。
その夫婦にとっては深刻な問題かもしれないが、教育的には大きな問題ではない。
今どき強制退学にしても、離婚にしても、珍しくもなんともない。
おおげさに考える必要はない。
それに袋小路に入ったわけではない。
妻が勝手に袋小路に入ったと思い込んでいるだけ。
問題になるとしたら、「世間体」ということになる。
夫も妻も、その世間体に苦しんでいた。

 ただ気になったのは、夫のほうは一見静かな人のようだったが、キレやすく
一度キレると、自分をコントロールできないようなタイプの人だったということ。
住職がそれを私に話してくれた。
「あの方は、怒ると、『テメエ!』『このヤロー』という言葉を使いますよ」と。
私が「信じられませんね」と言うと、住職は、カラカラと笑った。

 つまりこういうことらしい。
夫は権威主義者。
昔からの男尊女卑思想を強くもっていた。
妻は、多動型の多弁性がり、人の話を聞かない。
万事にこまかく、うるさい。
過干渉ママに加えて、情緒がかなり不安定だった。
精神安定剤を常用しているという。
そういった家庭環境が、長い時間をかけて、3人の子どもして、そういう子どもにした。

●では、どうするか?

 視野を広くするためには、より賢くなるしかない。
日ごろから、自分の文化性を磨き、高めていく。
より多くの情報に接し、見聞を広めていく。
これは世間体と闘うための鉄則でもある。

 が、残念ながらその母親には、その教養もあやしかった。
人格の完成度が低く、ものの考え方が自己中心的で、それに加えて、わがままだった。
ああでもない、こうでもないと、愚痴を並べるだけ。
話にならなかった。
私が、「~~してはどうでしょうか」と何かを提案しても、「そんなのは無駄」
「やってみた」「息子は黙っているだけで、返事もしない」と、
間髪を入れず、それを否定した。

 で、住職は乞われるまま、その数日後、その夫婦のためにお祓いをした。
私が「ご住職もたいへんですね」と言うと、「はあ、これもお努めの一つですから」と。

 視野の狭い人というのは、そういう女性のことをいう。
そうそう何かの話のついでに、「ビデオなんかは、見たことがありますか?」と
聞いたら、「見ません」ときっぱりと言った。
「本も読んだことがない」とも。
理由を聞くと、「読むと、頭が痛くなるから」と。
自分で自分の視野を狭くしている。
そのことにさえ、その女性は気づいていなかった。

 が、これは何も女性だけの問題ではない。
男性もまた、結婚して子どもをもうけたら、そのときから、ただひたすら学習、あるのみ。
その努力を忘れてはいけない。
忘れたとたん、その女性のようになる。

(09年06月記)
(注:この話はフィクションで、いくつかの古い話をひとつにまとめたものです。)


Hiroshi Hayashi++++++++June.09+++++++++はやし浩司

●静岡県・知事選(民主主義の危機)(改)

++++++++++++++++

静岡県の知事選が始まった。
4氏が立候補している。
保守系(前副知事)が1人。
野党系が候補統一に失敗し、今のところ
保守系候補が有利。

同時に、昨日、こんなニュースが伝わってきた。
何でもJ党が、宮崎県のA知事に、衆院選挙
への出馬を要請したという。
が、驚くべき発言が、そのA知事の口から出た。
「総裁候補にしてくれるなら、受ける」と。
A知事というのは、元、お笑いタレント。

それに対して、野党がいっせいに、反発。
「J党も、ここまで落ちぶれたのか」(亀井氏)と。

そう、J党は、ここまで落ちぶれた!

++++++++++++++++++

●民主主義の危機

 どうしてAS氏のような人が、総理大臣?
 どうしてAZ氏のような人が、宮崎県の県知事?
「あんな人物が?」と言ってもよい。
……良識のある人なら、みな、そう思っている。

 「選挙で選ばれたのだから、民衆の代表」ということになるが、もしそうなら、
それこそ民主主義政治の欠陥と断言してもよい。
知名度や家柄だけで議員が決まるとしたら、選挙そのものが意義をなくす。
もっとも、民主主義が生まれたころには、(マスコミ)は、まだ存在していなかった。
かくもマスコミが選挙に影響を与えるなどとは、だれも予想していなかった。
が、今は、ちがう。
その一例が、宮崎県知事ということになる。

このあたりで、一度、(知名度)と(選挙)の関係について、だれかが断をくだして
おかないと、日本のみならず、世界中がメチャメチャになってしまう。

 もっともそれに対抗する方法がないわけではない。
有権者である私たちが、より賢くなることである。
が、それよりも先に、民主主義の欠陥ばかりが、肥大化する。
良識をもった人たちの良識など、こうした欠陥の前では、嵐の中のローソクのようなもの。
その結果が、AS総理大臣ということになる。
AZ宮崎県県知事ということになる。

 何が、総裁候補だ!
バカも休み休み言え……と書きたいが、今、日本の民主主義政治は、そこまで堕落して
いる。

●落下傘候補

 これは何も静岡県のことだけにかぎらない。
今、全国の都道府県+大都市では、落下傘のように、中央の官庁から候補者がおりてきて、
県や大都市で、要職の選挙戦を繰り広げる。
選挙などというものは、いわば(飾り)のようなもの。
当選すれば、そのまま要職に。
落選すれば、また元の職場に復帰。
 称して「落下傘候補」という。

 「中央から来た」というだけで、何でもありがたがる、この田舎根性。あさましさ。
一方、「中央から来てやった」という、この中央集権意識、あさましさ。
この両者の(あさましさ)が合体して、今の日本がある。

 たしかにこうした落下傘候補は、中央官庁とのパイプは太い。
だから巨額の建設資金を中央から、呼び込むことができる。
その結果が、サッカー場であり、空港ということになる(静岡県)。
しかしそれで潤ったのは、建設業界だけ。
残ったのは、場違いなほど立派な箱モノと、この先延々とつづく、赤字、また赤字。
当然、その赤字は、県民が負担することになる。

 この浜松市にしても、駅前に、これまた立派な、アクトタワーという建物がある。
建設費は2000億円とも3000億円とも言われている。
いったい、どれだけの税金が投入されたのか、されなかったのか、いまだもって、
よくわからない。
が、そのアクトタワーが生み出している利益など、ほとんどない。
市は、(公務員だから)、職員の人件費などはすべて棚にあげて、「黒字になった」
とさかんに宣伝している。
しかし「黒字」程度では、私たちは納得しない。
当時、2000億円を、年率5%で貯金しても、毎年、50億円の利息が手に入った
はず。
つまりそれ以上のものを稼いで、はじめて「黒字」と言ってほしい。

 もうバカげた箱モノ作りはやめよう。
それがいかにバカげているかは、あの簡保センターを見ればわかるはず。
数10億円もかけて作った箱モノが、たったの数万円!
こうして私やあなたの税金が、日々に、ドブへ、ドブへと捨てられている!

(参考)

時事通信はつぎのように伝える。

『自民党の古賀誠選対委員長は23日(090623)、宮崎県庁でAZ夫知事と会談し、
「今の自民党にない新しいエネルギーが欲しい」と次期衆院選への出馬を要請した。これ
に対し、知事は「わたしを次期総裁候補として、次の衆院選を戦う覚悟があるのか」と条
件を提示し、即答を避けた』と。

これに対して、JIJICOMは、次のように伝える。

『…… 「ここまで落ちたか、もの悲しい」―。国民新党の亀井静香代表代行は24日の
記者会見で、自民党の古賀誠選対委員長がAZ宮崎県知事に次期衆院選への出馬を要請し
たことについて、自民党が落ちぶれたと嘆いてみせた。

 亀井氏は「自民党は人材がいないということを天下にさらした」と指摘し、「わらにもす
がる思いで(AZ氏に)頼る(つもりの)ようだが、大いに最後のあがきをおやりになれ
ばいい」。衆院選後の政権交代を疑わないだけに、「自民党もそれなりの終えんを迎えても
らいたい。散るも桜。散り際が良ければまた芽が吹く」とも語った』と。


Hiroshi Hayashi++++++++June.09+++++++++はやし浩司


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