2009年7月17日金曜日

*Living in the Shit

【世界おもしろジョーク集(PHP)】より

●「糞の世界」……考えさせられた!

+++++++++++++++++++++

いつもトイレの中で、「世界おもしろジョーク集」
(PHP版)を読んでいる。
おもしろい。

その中にこんなのがあった。
(あらすじで、ゴメン!)

+++++++++++++++++++++

●善人vs悪人

 ある日、牛車にのった農夫が通りかかると、道端で一羽の小鳥が、寒さで今にも
死にそうなのがわかった。
そこでその農夫は、まだ温もりの残る牛の糞で、小鳥の周りを包んでやった。
小鳥はそれで元気になった。
元気になって、歌を歌い始めた。

 しばらくすると、別の農夫がそこを通りがかった。
歌声に誘われてそこを見ると、一羽の小鳥が牛の糞の中に埋もれているのがわかった。
そこでその農夫は、小鳥の周りから牛の糞を取り除くと、その糞を遠くへ投げ捨ててやった。

 そのあとまもなくして、小鳥は寒さで、死んでしまった。

 この物語には、3つの教訓がある。
一つ目は、あなたを糞の世界に閉じ込める人が、悪人とはかぎらないということ。
二つ目は、あなたを糞の世界から助け出してくれる人が、善人とはかぎらないということ。
そして三つ目は、糞の世界では、けっして歌を歌わないということ。

●糞の世界

 ここでいう「糞の世界」とは、どういう世界をさすのか?
私はこのジョークを読んで、すぐさま、「裏社会」のような世界を連想した。
暴力と犯罪、女とカネ、それに麻薬が飛びうような世界である。

 「小鳥」とは、純粋無垢な、若者?
つまり農夫は、今にも死にそうな小鳥を助けるため、その小鳥を、温かい牛の糞で、包んでやった。
おかげで小鳥の命は助かった。
だから教訓のようになる。
「あなたを糞の世界に閉じ込める人が、悪人とはかぎらないということ」と。

 二つ目の教訓も、同じよう考えて、理解できる。

 が、問題は三つ目である。
どうして「糞の世界では、歌を歌ってはいけないのか」。

●歌を歌う

 私はこのジョークを読んで、しばらく考え込んでしまった。
トイレから出てからも、ずっと考えた。
が、どうも意味が、よくわからない。
そこでワイフに相談すると、ワイフは、あっさりと、こう教えてくれた。

 「要するにね、目立ってはだめということじゃ、ナア~イ」と。

 さすが裏社会を生きてきたワイフ。
ズバリと言い当てた。
つまり裏社会で生きる人間は、目立たず、静かに生きろということか。
たとえばマフィアの親分が、自伝を書いたら、どうなる?
自伝でなくても、たとえばBLOGのようなものを出したらどうなる?
たちまち警察の目にとまり、ああでもない、こうでもないと文句をつけられ、その
親分は、たちまち刑務所送りになるかもしれない。

 だから「静かにしていろ」と。

 ほかのジョークのようには笑えなかったが、発想そのものが、おもしろい。
日本人の私たちにはない発想である。
「農夫と小鳥と糞」という取り合わせが、おもしろい。

●静かに生きる

 糞にもいろいろある。
私が今、住んでいるこの世界も、(現代社会)という観点から見ると、「糞のような世界」
ということになる。
アウト・ローの世界とまではいかないが、それに近い。
フリーターの世界というのは、そういう世界である。

 私ははからずも、その糞の世界に入ってしまった。
ずっとその世界で生きてきた。
今も、糞の温もりを感じながら、生きている。
結構、居心地もよい。

 が、その世界で、こうしてモノを書いている。
先のジョークでいう、歌を歌っていることになる。
過去において、そういう私を、糞の世界から取りだそうしてくれた人も、いない
わけではない。
が、私は自ら、断ってきた。
そして今、満61歳。
今では、糞の世界から出たとしても、出たあと、行く場所すらない。
だから今の世界に、このままいるしかない。

 そういう私は、静かに生きたほうがよいのか。
そのほうが身の安全のためには、よいのか。
そこまで深く考える必要はないのかもしれないが、しかしこのジョークには、
いろいろと考えさせられた。
(プラス、おもしろかった!)

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。