2009年7月24日金曜日

*Two Funny Talks about God

●近況(日記風に……)(7月23日)

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昨日(7月22日)、この浜松でも、部分日蝕が観察
できるはずだった。
しかしあいにくの雨模様。
私はちょうどその時間、寝室でうたた寝をしていた。
多少、空が暗くなったかな……というところまでは
覚えているが、あとは、そのまま眠りの世界へ。

で、昨日は、仕事の合間を縫って、パソコンショップへ
2度も足を運んだ。
秋には、WINDOW7が発売になる。
それに合わせて、プリンターとか周辺機器も、
買い換えようと計画している。
モニターも、現在は、22インチのものを使用しているが、
24インチ~以上のものが、ほしい。
……などなど。
だから2度も足を運んだ。

そのパソコンショップでのこと。
店員さんが寄ってきて、「何か……?」と言った。
そのとき私は、L社(旧IBM社)のパソコンの
キーボードを指でいじっていた。
とっさに、私は、「L社のキーボードはいいですね」
と答えた。

そう、たしかにL社のキーボードは、すばらしい。
指で触れていても、気持ちがよい。
好き好きもあるのだろうが、私にはいちばん合って
いる。

「ぼくは、パソコンは、キーボードの感触で選んで
います」と答えると、店員さんも、「そうですね」と、
同意してくれた。

あとは、日常的な仕事。
夜、仕事のあと、BSで、洋画を見た。
以前、見たことのある映画だった。
たしか『エニグマ何とか』という映画ではなかったか?
ドイツのUボート(潜水艦)を奪取して、暗号解読機
を手に入れるという映画だった。

先日見た、『真夏のオリオン』(邦画)そっくりのシーン
が、何か所も出てきた。
新旧を問題にするなら、『真夏のオリオン』のほうが、
模倣したということになる。
(もっとも潜水艦映画というのは、どれも似たような
ものになりやすいが……。)
ただ迫力が、ちがった。
緊張感が、ちがった。
潜水艦映画は、その緊張感が売り物。
緊張感なくして、潜水艦映画はないと断言してもよい。

言い忘れたが、『真夏のオリオン』が、頭の中で、
ますます色あせていくのを感じた。
日本の俳優たちは、顔や声で、ただ力(りき)むだけ。
心底、その人物になりきっていない。
それが迫力や緊張感のちがいとなって、表れる。

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●笑い話(「世界、面白ジョーク集」(PHP)より)

 いつもトイレの中で、「世界、面白ジョーク集」を読んでいる。
そのため書斎のほうで、そのまま紹介することができない。
(その本は、トイレ専用の本ということになっている。ごめん!)
その中に、こんな話が載っていた。
(記憶によるものなので、私のほうで、勝手に編集する。)
「ジョーク集」とはいえ、いろいろと考えさせられる。
つまり、おもしろい!

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☆神に見捨てられた男

 たいへん熱心な信者がいた。
その信者が、海で遭難にあった。
ボートで漂流した。
そこへ救助隊がやってきて、その信者を助けようとすると、その信者、つまり
男は、涼しい顔をして、こう言った。
「私は、神に守られている。助けなど、必要ない」と。

 救助隊はそのまま去った。
が、今度は、通りがかった船があった。
その船長が救助を申し出ると、その信者、つまり男は、再び、涼しい顔をして、
こう言った。
「私は、神に守られている。助けなど、必要ない」と。

 船はそのまま去った。
で、3度目に、連絡を受けた別の救助隊のヘリコプターがやってきた。
「このままでは嵐に巻き込まれて、命を落とすことになる」と。
しかしそのときも、その信者は、こう言った。
「私は、神に守られている。助けなど、必要ない」と。
が、そのあと本当に嵐がやってきて、その信者、つまり男は死んでしまった。

 ……天国へやってきた男は、神を前にして、こう言った。
「どうして私を殺したのか。
私はあなたを今まで、ずっと信じてきたではないか」と。
すると、神はこう答えた。

 「だから3度も、助けを送ってやっただろうが……」と。


☆観光ビザ

 ある男が死んだ。
そして天国と地獄の分かれ道のところへやってきた。
天使が、その男に、こう言った。
「あなたは善人だ。天国でも地獄でも、どちらでも好きな方に行けばいい」と。

 するとその男は、こう言った。
「一度、天国と地獄の両方を、自分の目で確かめてみてから、決めたい」と。

 天使は同意した。
で、男はまず天国へ行った。
が、そこは真っ白な世界。
老人たちが、本を読んだり、音楽を聴いていたりした。
のんびりとした、かったるい世界だった。

 つぎに男は地獄へ行った。
無数の酒場が並び、男や女が、遊んでいた。
けばけばしいネオンサインも並んでいた。
裸の女が踊っているのも見えた。

 もとの場所へ戻ってきた男は、天使にこう言った。
「地獄の方がいい。地獄へ行く」と。
そこでその男は、地獄へ行くことになった。

 が、地獄へ着くやいなや、そこで待っていたのは、拷問だった。
台に鎖でしばりつけられ、溶けた鉛を頭からかぶせられた。
で、男は、こう叫んだ。

 「話がちがう! 天使に見せてもらった世界は、こんなところではなかった!」と。

 するとそれを聞いた悪魔が、こう答えた。
「お前は、この前は、観光ビザで来たやろが。元役人のくせに、そんなことも
わからないのか!」と。

+++++++++以上、「面白ジョーク集」からの話を、編集++++++++++

 先の「神に見捨てられた男」の話は、信仰の根幹にも触れる問題を秘めている。
以前、この話と正反対の話を聞いたことがある。
実話である。
こんな話である。

 ある教団に、たいへん熱心な信者(女性)がいた。
その信者の夫が、何かの病気で急死した。
そのとき、何かの保険金で、3000万円も手に入った。
その信者は、「それほど多額の保険金が入ったのは、この信心をしていたおかげ」と、
そのうちの1000万円を、教団に寄付してしまった。

 その教団では、1000万円以上の寄付をする信者のことを、「4桁会員」と呼んで、
ほかの信者とは区別していた。

 が、この話は矛盾している。
もし「信心のおかげ」と言うくらいなら、神は、(仏でもよいが)、夫を殺さなかった
はず。

 で、先の「神に見捨てられた男」の話。
「だから3度も、助けを送ってやっただろうが……」という神の言い分に、
恐ろしいほどの説得力がある。
つまり「3度も助けを出してやったのに、すなおに助けに応じなかった、お前が悪い」と。

 この男の話と、1000万円も寄付金を提供した女性は、水面下でともにつながって
いる。
「妄信」という糸で、ともにつながっている。

 で、つぎの「観光ビザ」という話も、おもしろかった。
笑った。
みなさんは、どうであっただろうか。
つまり「観光ビザ」で見る世界と、たとえば、「就労ビザ」で見る世界は、ちがう。
まるでちがう。
そんなことは、世界の常識。
だから悪魔は、こう言った。

 「元役人のくせに、そんなこともわからないのか!」と。

 そう、外国というところは、その国に住んでみないと、わからない。
「わからない」というのは、観光ビザは、観光ビザ。
見せるほうも、表面的な部分しか、見せない。
はっきり言えば、本気で、相手にしない。
笑顔だけ振りまいて、それでおしまい。

 最初、観光ビザで地獄へ行った男は、地獄のよい面だけを見て、「地獄とは、そういう
ところ」と思ってしまった。
しかしこうした経験は、だれしも、一度や二度はする。
よい例が、「田舎暮らし」。

 それまで都会でサラリーマンなどをしていた人が、定年後、あるいはその前に、
思い立って田舎暮らしを始める。
しかしたいてい、失敗する。
それもそのはず。
村の人たちが、受け入れてくれない。
(「村」という自治体が、いくら振興策を練ったところで、それで現地の村の隣人たちが
動くわけではない。)

 私も、浜松市という(都会)と、山の中の(山荘)と、2つの世界で生活するように
なって、もう15年近くになる。
幸いにも村の人たちは、暖かく私を迎え入れてくれた。
が、しかし実際に「住む」となると、二の足を踏んでしまう。
田舎生活には、外から見えない、無数の問題がある。

 だからよく客人が、こう言ったりすると、私は、「よしなさい!」と思ってしまう。
「いいところですね。私もこんなところに住んでみようかな」と。
先のジョークを読みながら、別の頭で、そんなことを考えた。


Hiroshi Hayashi++++++++July.09+++++++++はやし浩司

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