2009年7月20日月曜日

*Spy Test for School Children

●スパイ・テスト

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私は、幼児を教えて40年になるが、たとえば、
幼児のもっているバッグの中に、手を入れたことは、
ただの一度もない。
ほんとうに、ない。

たとえばその日のレッスンが終わると、出席表にシール
を張ることにしている。
そのとき、バッグから出席表を出さない子どもがいる。
何か、ほかのことに気をとられて、隣の子どもと、
ふざけて遊んでいたりする。

そういうとき、私はその子どもに向かって、「出席表を
出してください」と、何度も促す。

バッグの口は開き、そこに出席表が見えている。
手でつかめば、さっと取りだすことができる。
それでも私は待つ。
子どもが自分で出席表を取りだすまで、待つ。

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●スパイ・テスト

 こうしたテスト方法(入学試験方法)は、今では、全国のあちこちの小学校で
行われている。
あえて名前をつければ、「スパイ・テスト」ということになる。
もちろん学校によって、呼び方はちがう。
浜松市のある小学校では、「遊びの部屋」と呼んでいる。
しかたは、こうである。

 まず(1)7~8人、1グループの子どもたち(園児)を、ひとつの部屋に集める。
そこで(2)教師が、あれこれと指示をする。

 「青い線から外へ出てはいけません。青い線の中にあるおもちゃでは遊んではいいです。
しかし青い線の外にある、ピアノやパソコンには、さわってはいけません。
タンバリンの音が聞こえたら、遊びをやめて、後片づけをしてください」と。

 こうして指示をしたあと、(3)教師は、外へ出ていく。
言い忘れたが、子どもたちは胸に、大きなぜっけん(番号)をつけている。

●モニター

 「遊びの部屋」には、テレビカメラが設置してある。
教師は子どもたちの様子を、外(職員室)から監視し、子どもたちの様子を見る。
どの子どもが言いつけどおりに遊んでいるか、あるいは遊んでいないか、など。

 時間にすれば、20~30分ほど。

 このテスト方法は、子どもたちのありのままの様子を見るテスト方法としては、
たいへんすぐれている。
というのも、この時期の子どもには、現実検証能力というか、自己評価力が、
まだほとんどない。
自分の姿を、第三者的な視点から、客観的に見ることができるようになるのは、
小学3年生~以上である。
それまでは、自分がどういう立場にあった、他人にどう思われているか、それを判断
することはできない。
子どもたちは先生がいないことをよいことに、ありのままの自分を、さらけ出してしまう。

 だから親たちが、「そういうテストがあるから、先生の言いつけをよく守って遊ぶのよ」
と言っても、意味はない。

●だから、それがどうなの?

 このテスト方法が、親たちとの懇談会の場で話題になった。
「子どものありのままの姿を知るには、よいテスト方法かもしれませんね」と、
私が話すと、親たちは、みな、笑った。

 しかし具体的な話になると、みな、「それはおかしい」と言いだした。
たとえば教室の天井の隅に、テレビカメラを設置する。
私や親は、そのまま廊下に出る。
廊下に設置してあるテレビを見ながら、子どもたちの様子をさぐる……。

 そこで問題!
このテスト方法には、「だからどうなの?」という部分がない。
たとえば私の指導に従わず、勝手にパソコンやピアノに触って遊んだ子どもがいたとする。
そういうとき、どうするのか?

 あとで、その子どもを叱るということもできない。
まさか「外から、スパイしていました」とは、とても言えない。
もしそんなことを言えば、私とその子どもとの信頼関係は、そのまま破壊される。
いくら相手が幼児だからといっても、信頼関係なくして、教育は成り立たない。

●人間性の問題

 学校という集団教育の場では、監視カメラは必要かもしれない。
不審者による犯罪も、心配される。
しかしそのカメラが、子どもの方を向いたとき、監視カメラは、別の意味をもつ
ようになる。

 それは必要なのか。
そこまでしてよいのか。
またそれは許される行為なのか。

 いろいろ議論はあるだろう。
あるだろうが、現実に今、しかしそれがそのままテスト方法として採用されている。
ありのままの子どもの姿を知るためには、よいテスト方法かもしれない。
しかし私はどうしても、こうしたテスト方法には、生理的な嫌悪感を覚える。
……覚えてしまう。
それがわからなければ、冒頭に書いたバッグの話を思い浮かべてみてほしい。

 つまりあえて言うなら、このテスト方法は、子どものバッグの中に手を入れ、
バッグの中身を調べるのと、どこか似ている(?)。

 さらに言えば、子ども部屋に親が勝手に入って、(あるいは教師もいっしょに
入って)、子どもの机の中を調べる行為にも通ずる。
こうした方法は、何度も書くが、ありのままの子どもの様子を知るためには、
よい(?)方法かもしれない。
が、このテスト方法には、それをする人たちの人間性の問題がからんでくる。

 それができる人は、できる。
しかしできない人には、できない。
そういうテスト方法である。

●人権の無視

 どこかでこっそりと監視しながら、子どもの様子をさぐる……。
いくら相手が幼児だからといっても、本来なら、許されるテスト方法ではない。
それがわからなければ、あなた自身のこととして、考えてみたらよい。

 あなたが家庭の主婦なら、こうだ。
あなたの家庭での様子を知りたいと思ったあなたの夫が、家のどこかに監視カメラを
設置する。
それをあなたの夫が、携帯電話に転送して、ずっと見ている……。

 想像するだけで、ぞっとするような話ではないか。
あなたにまともな神経があるなら、あなたはきっとこう叫ぶはず。

 「そういういやらしいことは、やめて!」と。

 そう、こういうテスト方法は、いやらしい。
子どもというより、人間としての人権を無視している。
子どもにも人格があり、人権がある。
そうしたものを、無視している。

 ……といっても、今ではこのテスト方法は、全国の小学校で、広く採用されている。
何もこの浜松市の小学校だけが、しているわけではない。
しかしもし学校側に、少しでも子どもへの人権意識があるなら、どこかで抵抗感を覚える
はず。
それとも、今では、学校の先生たちは、子どもの持ち物などを、平気で調べているとでも
いうのだろうか。
子どものバッグの中に、勝手に手を入れて……!

 10年ほど前に、こんな原稿を書いたことがある(中日新聞発表済み)。

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ついでに、子どものプライバシーは、どのように
考えたらよいか。それについて書いたのが、つぎ
の原稿である。
この原稿は、中日新聞に掲載して
もらったが、かなり反響のあった原稿である。

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●逃げ場を大切に

 どんな動物にも最後の逃げ場というものがある。動物はこの逃げ場に逃げ込むことによって、身の安全を確保し、そして心をいやす。人間の子どもも、同じ。

親がこの逃げ場を平気で侵すようになると、子どもの情緒は不安定になる。最悪のばあいには、家出ということにもなりかねない。

そんなわけで子どもにとって逃げ場は、神聖不可侵な場所と心得て、子どもが逃げ場へ逃げたら、追いかけてそこを荒らすようなことはしてはならない。説教をしたり、叱ったりしてもいけない。

子どもにとって逃げ場は、たいていは自分の部屋だが、そこで安全を確保できないとわかると、子どもは別の場所に、逃げ場を求めるようになる。A君(小2)は、親に叱られると、トイレに逃げ込んでいた。B君(小4)は、近くの公園に隠れていた。C君(年長児)は、犬小屋の中に入って、時間を過ごしていた。電話ボックスの中や、屋根の上に逃げた子どももいた。

 さらに親がこの逃げ場を荒らすようになると、先ほども書いたように、「家出」ということになる。

このタイプの子どもは、もてるものをすべてもって、家から一方向に、どんどん遠ざかっていくという特徴がある。カバン、人形、おもちゃなど。D君(小1)は、おさげの中に、野菜まで入れて、家出した。

これに対して、目的のある家出は、必要なものだけをもって家出するので、区別できる。が、もし目的のわからない家出を繰り返すというようであれば、家庭環境のあり方を猛省しなければならない。過干渉、過関心、威圧的な子育て、無理、強制などがないかを反省する。激しい家庭騒動が原因になることもある。

 が、中には、子どもの部屋は言うに及ばず、机の中、さらにはバッグの中まで、無断で調べる人がいる。しかしこういう行為は、子どものプライバシーを踏みにじることになるから注意する。

できれば、子どもの部屋へ入るときでも、子どもの許可を求めてからにする。たとえ相手が幼児でも、そうする。そういう姿勢が、子どもの中に、「私は私。あなたはあなた」というものの考え方を育てる。

 話は変わるが、98年の春、ナイフによる殺傷事件が続いたとき、「生徒(中学生)の持ちものを検査せよ」という意見があった。しかしいやしくも教育者を名乗る教師が、子どものカバンの中など、のぞけるものではない。

私など結婚して以来、女房のバッグの中すらのぞいたことがない。たとえ許可があっても、サイフを取り出すこともできない。私はそういうことをするのが、ゾッとするほど、いやだ。

 もしこのことがわからなければ、反対の立場で考えてみればよい。あるいはあなたが子どものころを思い出してみればよい。あなたにも最後の逃げ場というものがあったはずだ。またプライバシーを侵されて、不愉快な思いをしたこともあったはずだ。それはもう、理屈を超えた、人間的な不快感と言ってもよい。自分自身の魂をキズつけられるかのような不快感だ。

それがわかったら、あなたは子どもに対して、それをしてはいけない。たとえ親子でも、それをしてはいけない。子どもの尊厳を守るために。

(はやし浩司 家の間取り 子ども部屋 プライバシー 子どもの尊厳 家出 
はやし浩司 ナイフによる殺傷事件 子どもの持ち物 スパイテスト スパイ・テスト)
(040401)


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そう言えば、「子どもにはナイフを与えろ」と説いていた教育評論家がいた。
最後は、麻薬所持で逮捕され、しばらくこの世界から姿を消したが、またその名で、
原稿を書き始めているという。
いいのかなあ?

それについて書いた原稿が、つぎのもの。

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●ニセ科学(pseudo science)

In Japan very strangely most of the young people believe that each man’s personal character is decided by the blood type. It is only one of pseudo science, which widely spread throughout Japan.

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家具屋の店員に、重い家具を搬入してもらった。
そのとき、私が「こんな家具、地震で倒れたら、たいへんだなア」と、ふと漏らすと、その店員は、こう言った。
「重いから、倒れません」と。

私は、その言葉を聞いて、あっけに取られた。

血液型による性格判定についても、しかり。
つまり科学性、ゼロ!

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「Imidas、時事トレンド」の中に、こんな記事が載っていた。同志社大学教授の左巻健男氏の書いたものだが、「人はなぜ、ニセ科学を信ずるのか?」というのが、それ。

 左巻氏は、ニセ科学として、いくつかの例をあげている。そのひとつが、マイナスイオン。

(1) マイナスイオンとは、化学で学ぶ「陰イオン」ではなく、これに近いのが、大気科学の「負イオン」である。「滝にマイナスイオンが発生している」と言うばあいには、負イオンだが、これが健康によいという根拠はない。

プラスイオンは「吸うと心身の状態が悪くなる」のに対して、マイナスイオンは空気を浄化し、吸うと気持ちのイライラが解消し、ドロドロ血はサラサラに、アトピーや高血圧症にも効き、健康にもいい」というのである。

これは「納豆ダイエット」でねつ造が発覚したテレビ番組「発掘、あるある大辞典」(フジテレビ系)が火付け役で、1999年から2002年にかけて、特集番組で驚くべき効能がうたわれた。

そこから有名企業までが、マイナスイオン類似の効果をうたう商品を製品化し、エアコン、冷蔵庫、パソコン、マッサージ機、ドライヤーや衣類、タオルなど、広範囲の商品が市場に出されるに至った(以上、P162)、と。

 ニセ科学は、血液型による性格判定だけではなかったというわけである。電気店へ行くと、たしかにその種のうたい文句を並べた商品は多い。私はマイナスイオンにとくにこだわっていたわけではないが、今度、新しく購入した冷蔵庫にも、それがあった。

 しかし左巻氏に言わせると、それもニセ科学だったとは! しかも火付け役が、あの「発掘、あるある大辞典」だったとは! 

 左巻氏は、こうつづける。「マイナスイオン測定器でこれらを測定すると、1ccあたり、数10万個との数値を示すが、空気の分子数とくらべると、微々たる数値にすぎないことに注意を要する」(同書)と。

 だからといって、つまりImidasにそう書いてあったからといって、左巻氏の意見を全面的に信ずるのもどうか、ということにもなる。しかしここは、やはり科学者である左巻氏の意見を尊重したい。相手が、「発掘、あるある大辞典」では、話にならない。

 左巻氏も書いているが、本当の問題は、こうしたニセ科学にあるのではなく、「人はなぜ、
ニセ科学を信ずるのか?」という部分。

 もうひとつ、こんな例をあげている。

(2) 容器に入った水に向けて、「ありがとう」と「ばかやろう」の「言葉」(文字)を書いた紙を張り、その水を凍らせる。

すると「ありがとう」の水は、対称形の美しい六角形の結晶に成長し、「ばかやろう」の水は、崩れた汚い形の結晶になるか、ならない。

ゆえに「水が言葉を理解する」と主張する『水からの伝言』(江本勝著)という本が話題になった。

水という物質が、言葉によって影響を受けるということはない(同書)、と。

 こんなアホなことは、だれにでもわかる。何も、左巻氏の説明を借りるまでもない。しかし、だ。こんなアホな説を根拠に、教育界でも、「きれいな言葉を使いましょう」運動が広まったという。

 理由は、「人間の体の6~7割は水だから」と。が、批判が高まると、「それに加担した教育団体は、ホームページからその授業案を削除したが、いまもどこかで、こうした(道徳)の授業が行われている」(同書)と。

 しかし、『水からの伝言』とは何か? 江本勝という人物は、どんな人物なのか? 少し前、麻薬を所持していて逮捕された教育評論家がいた。彼は以前、「子どもにはナイフを持たせろ」「親が子どもを信頼している証になる」と説いていた。

 その教育評論家は、都会で子どもたちによるナイフ殺傷事件がつづくと、いつの間にか、自説をひっこめてしまった。私は、左巻氏の意見を読みながら、その教育評論家のことを思い浮かべていた。

 で、さっそくヤフーの検索エンジンを使って調べてみると、それは、そこにあった。

いわく、「私たちは、水の結晶写真技術に基づいて、愛・感謝の気持ちが水を美しく変化させるということを、実証してきました。水をきれいにすることにより、私たちの心身もきれいになり、健康を取り戻し、本来持っている才能を開花することができるのです。水が変われば世界が変わります。いっしょに波動と水の可能性を探究しましょう」(「水からの伝言」HPより)と。

 どうやら、本気らしい。

 しかし……? 「?」マークを、1ccあたりに存在する水の分子の数ほど、つけたい。その数は、約3x10の22乗!(ヤフー・知恵袋参照)

 数字で表してみると、こうなる。

300,0000,0000,0000,0000,0000個!

 しかし、左巻氏ではないが、どうして人は、こんな珍説を信ずるのだろう。あの占星術にしても、そうだ。科学性は、さらに低い! ゼロどころか、ゼロにもならない!

 これも教育の欠陥といえば、それまでだが、その先には宗教があり、カルトもある。けっして、軽く考えてはいけない。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist ニセ科学 非科学 納豆ダイエット マイナスイオン マイナス・イオン 水からの伝言 水の結晶)

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