2009年6月6日土曜日

*A river between the Live and the Death, Sanduno-kawa

●6月6日(土曜日)(June 6th)

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ここ数日、涼しいというよりは、寒い。
ワイフは、「ダイエットをしているせいよ」とも言うが、
それにしても寒い。
4月に30度を超えた地域もあったというが、この寒さは
何か。

地球寒冷化?
……ということはありえないとしても、コタツを早々と
片づけてしまったのを、少なからず、後悔している。

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●三途の川(フブル川)(メソポタミアの死後の世界観)

 三途の川の起源は、古くメソポタミア文明にまでさかのぼることができる(?)。
メソポタミア文明……紀元前3000~3500年。
今から5500年ほど前ということになる。
また、釈迦が誕生する3000年も前の昔のことである。

 メソポタミア文明といえば、高度に知的であったことで知られる。
同じころ中国の黄河流域では、黄河文明が栄えていた。
ともに周囲の文明(?)とは、かけ離れた文明であったことには、まちがいない。
人間の多くは、まだ火を使って食べ物を調理するいう技術すら、知らなかった。
そういう中にありながら、メソポタミアでは、天文学はもちろん、末端では
メッキ技術も手にしていたという。

 それはともかくも、三途の河に似た話が、メソポタミア文明に中にもあるというのは、
たいへん興味深い。

 学研版『天使と悪魔』によれば、こうある。

『……この地域の世界観では、まず天上には神の世界がある。
人間が住む地表の下には、アプスーと呼ばれる淡水の固まりの神が横たわっており、
その下に「不帰の国」と呼ばれる冥界、すなわち死者の国があるとされた。
つまり現界と冥界の間は、この巨大な川によって隔てられていたわけだ。
いわゆる三途の河で、その原形はすでにこの時代から存在していたのである。

 この不帰の国へ行くには、当時、この三途の川(フブル川という)を渡らねば
ならないわけだが、そのあともさらに死者の旅はつづく。
というのも、それぞれに恐ろしい門番が待機する7つの門をくぐりぬけ、さらに
不帰の国では生前の記録に基づいた審判を受けねばならない。ここまできて、
ようやく冥界に住むことを許されるのだ』(P139)と。

 どこか私たち日本人がもっている(常識?)と似ている。
言いかえると仏教が日本へ伝来する過程で、メソポタミヤ流の世界観が、それに
混入したということは、じゅうぶん考えられる。
こういう例は、たいへん多い。
たとえばあの「盆供養」という儀式にしても、アフガニスタン周辺の「ウラバン」
という儀式がそのまま中国に入り、「盂蘭盆(ウラボン)」となった。
そこから「盂蘭盆経」という偽経が生まれた。
それがそのまま日本へ入り、盆供養という儀式なった、など。
ほかにも中国や日本の仏像が、古代インドの衣服ではなく、古代ギリシャの
衣服をまとっているなども、ある。
だいたい釈迦自身は、(あの世)については、一言も触れていない(法句経)。

 それはともかくも、メソポタミアの世界観をもう一度整理してみると、こうなる。

(天上の神の世界)
   ↓
(人間が住む地表の世界)
   ↓
(アプスーと呼ばれる神の支配する淡水の世界)
   ↓
(冥界)

 人は死ねば、フブル川を渡って、冥界へ入る。
そのとき恐ろしい門番が待機する7つの門をくぐり抜けなければならない。
が、ここで出てくる、「7つ」というもの、心にひかかる。
日本でも、「七七(四九日)の供養」を重要にしている。
「恐ろしい門番」というのは、日本でできた最悪の偽経『地蔵十王経』にも通ずる。
この地蔵十王経によって、「~~回忌」という法要儀式が、日本の中に定着した。

フ~~ン?

 何か臭いぞ。
におうぞ。
おかしいぞ。
メソポタミアでそういう世界観があったとするなら、シルクロードを経て、
その世界観は、当然のことながら中国にも伝わっていたはず。
そのあと数千年を経て入ってきた仏教に、そうした世界観が混入したと考えても、
何もおかしくない。
 
 ここでもう一度、私が書いた原稿(08年9月)を、読んでみてほしい。

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【堂々たる迷信】(初七日、四十九日の法要)

●地蔵十王経

「地蔵十王経」の由来については、ウィキペディア百科事典が、詳しく書いている。
難解な文章がつづくが、そのまま紹介させてもらう。

+++++++++++以下、ウィキペディア百科事典より++++++++++

仏教が中国に渡り、当地の道教と習合していく過程で偽経の『閻羅王授記四衆逆修生七往生浄土経』(略称として『預修十王生七経』)が作られ、晩唐の時期に十王信仰は成立した。また道教経典の中にも、『元始天尊説鄷都滅罪経』、『地府十王抜度儀』、『太上救苦天尊説消愆滅罪経』という同名で同順の十王を説く経典が存在する。

『預修十王生七経』が、一般的な漢訳仏典と際立って異なっている点は、その巻首に「成都府大聖慈寺沙門蔵川述」と記している点である。漢訳仏典という用語の通り、たとえ偽経であったとしても、建て前として「○○代翻経三蔵△△訳」のように記すのが、漢訳仏典の常識である。

しかし、こと「十王経」に限っては、この当たり前の点を無視しているのである。この点が、「十王経」類の特徴である。と言うのは、後述の日本で撰せられたと考えられる『地蔵十王経』の巻首にも、同様の記述がある。それ故、中国で撰述されたものと、長く信じられてきたという経緯がある。ただ、これは、『地蔵十王経』の撰者が、自作の経典の権威づけをしようとして、先達の『預修十王生七経』の撰述者に仮託したものと考えられている。また、訳経の体裁を借りなかった点に関しては、本来の本経が、経典の体裁をとっておらず、はじめ、礼讃文や儀軌の類として制作された経緯に拠るものと考えられている。

+++++++++++以上、ウィキペディア百科事典より++++++++++

要するに、「地蔵十王経」というのは、中国でできた偽経の上に、さらに日本でできた偽経ということ。

が、この「地蔵十王経」が、日本の葬式仏教の基本になっているから、無視できない。
たとえば私たちが葬儀のあとにする、初七日以下、四十九日の儀式など、この「地蔵十王経」が原点になっている。

+++++++++++以下、ウィキペディア百科事典より++++++++++

死者の審理は通常七回行われる。没して後、七日ごとにそれぞれ秦広王(初七日)・初江王(十四日)・宋帝王(二十一日)・五官王(二十八日)・閻魔王(三十五日)・変成王(四十二日)・泰山王(四十九日)の順番で一回ずつ審理を担当する。

ただし、各審理で問題が無いと判断された場合は次の審理に回る事は無く、抜けて転生していく事になるため、七回すべてやるわけではない。一般には、五七日の閻魔王が最終審判となり、ここで死者の行方が決定される。これを引導(引接)と呼び、「引導を渡す」という慣用句の語源となった。

七回の審理で決まらない場合も考慮されており、追加の審理が三回、平等王(百ヶ日忌)・都市王(一周忌)・五道転輪王(三回忌)となる。ただし、七回で決まらない場合でも六道のいずれかに行く事になっており、追加の審理は実質救済処置である。もしも地獄道・餓鬼道・畜生道の三悪道に落ちていたとしても助け、修羅道・人道・天道に居たならば徳が積まれる仕組みとなっている。

なお、仏事の法要は大抵七日ごとに七回あるのは、審理のたびに十王に対し死者への減罪の嘆願を行うためであり、追加の審理の三回についての追善法要は救い損ないを無くすための受け皿として機能していたようだ。

現在では簡略化され通夜・告別式・初七日の後は四十九日まで法要はしない事が通例化している。

+++++++++++以上、ウィキペディア百科事典より++++++++++

つまり人は死ぬと、7回の裁判を受けるという。

死後、七日ごとにそれぞれ、

(1)秦広王(初七日)
(2)初江王 (十四日)
(3)宋帝王(二十一日)
(4)五官王(二十八日)
(5)閻魔王(三十五日)
(6)変成王(四十二日)
(7)泰山王(四十九日)の順番で一回ずつ審理がされるという。

ただし、各審理で問題が無いと判断された場ばあいは、つぎの審理に回ることはなく、
抜けて転生していくことになるため、七回すべてやるわけではないという。

一般には、五十七日の閻魔王が最終審判となり、ここで死者の行方が決定される。これを引導(引接)と呼び、「引導を渡す」という慣用句の語源となったという(参考、引用、ウィキペディア百科事典より)。

わかりやすく言えば、最終的には、五十七目に、閻魔王が、その死者を極楽へ送るか、地獄へ送るかを決めるという。
私たちも子どものころ、「ウソをつくと、閻魔様に、舌を抜かれるぞ」とよく、脅された。

しかしこんなのは、まさに迷信。
霊感商法でも、ここまでは言わない。
もちろん釈迦自身も、そんなことは一度も述べていない。
いないばかりか、そのルーツは、中国の道教。
道教が混在して、こうした迷信が生まれた。

極楽も地獄も、ない。
あるわけがない。
死んだ人が7回も裁きを受けるという話に至っては、迷信というより、コミック漫画的ですらある。

法の裁きが不備であった昔ならいざ知らず、現在の今、迷信が迷信とも理解されず、葬儀というその人最後の、もっとも重要な儀式の中で、堂々とまかり通っている。
このおかしさに、まず私たち日本人自身が気づべきである。

「法の裁きが不備であった昔」というのは、当時の人たちなら、「悪いことをしたら地獄へ落ちる」と脅されただけで、悪事をやめたかもしれない。
そういう時代をいう。

「死」というのは、どこまでも厳粛なものである。
そういう「死」が、ウソとインチキの上で、儀式化され、僧侶たちの金儲けの道具になっているとしたら、これは問題である。
このおかしさ。
そして悲しさ。

仏教を信ずるなら信ずるで、もう一度、私たちは仏教の原点に立ち戻ってみるべきではないだろうか。

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 が、さらに調べていくと、メソポタミア文明にまで、そのルーツをたどることが
できる(?)。

 「7つの門(メソポタミア)」と、「7回の審理(地蔵十王経)」。
「7」という数字は、偶然の一致なのだろうか?
私にはストーリーの内容からして、偶然の一致とは、どうしても思えない。
が、ここでは「?」としておく。

 もちろんだからといって、何も日本の仏教や宗教を否定しているのではない。
まちがっていたら、正す。
そういう姿勢こそが私は、日本の仏教がこれから先、生き残る唯一の方法だと
確信している。

 日本の仏教界のみなさん、がんばれ!

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hirosh
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