●マザコン型人間
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マザコンタイプの男性(夫)は多い。
女性にもいる。
そのマザコン、つまりマザーコンプレックス
が高じたものが、「親絶対教」ということに
なる。
21世紀になった今でも、この日本には、
親絶対教の信者は、多い。
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親が子どもに感ずる愛には、3種類ある。本能的な愛、代償的愛、それに真の愛である。こ
のうち本能的な愛と代償的愛に溺れた状態を、溺愛という。そしてその溺愛がつづくと、いわゆ
る溺愛児と呼ばれる子どもが生まれる。
その溺愛児は、たいていつぎのような経過をたどる。ひとつはそのまま溺愛児のままおとな
になるタイプ。もうひとつは、その途中で、急変するタイプ。ふつうの急変ではない。たいていは
げしい家庭内暴力をともなう。
で、そのまま進むと、いわゆるマザーコンプレックス(マザコン)タイプのおとなになる。おとな
になっても、何かにつけて、「ママ、ママ」とか、「お母さん、お母さん」と言うようになる。
このマザコンタイプの人の特徴は、(1)マザコン的であることを、理想の息子と思い込むこと。
(圧倒的に母と息子の関係が多いので、ここでは母と息子の関係で考える。)
それはちょうど溺愛ママが、溺愛を、「親の深い愛」と誤解するのに似ている。そして献身的か
つ犠牲的に、母親に尽くすことを美徳とし、それを他人に誇る。これも溺愛ママが、自分の溺愛
ぶりを他人に誇示するのに似ている。
つぎに(2)自分のマザコンぶりを正当化するため、このタイプの男性は、親を徹底的に美化
しようとする。「そういうすばらしい親だから、自分が親に尽くすのは、正しいことだ」と。そういう
前提を自分の中につくる。
そのために、親のささいな言動をとらえて、それをおおげさに評価することが多い。これを「誇
大視化」という。「巨大視化」という言葉を使う人もいる。「私の母は、○○のとき、こう言って、
私を導いてくれました」とかなど。カルト教団の信者たちが、よく自分たちの指導者を誇大視す
ることがあるが、それに似ている。「親孝行こそ最大の美徳」と説く人は、たいていこのタイプの
男性とみてよい。
G氏(54歳男性)もそうだ。何かにつけて、10年ほど前に死んだ自分の母親を自慢する。だれ
かが批判めいたことを言おうものなら、猛烈にそれに反発する。あるいは自分を悪者にしたて
ても、死んだ母親をかばおうとする。
マザコンタイプの人は、自分では結構ハッピーなのだろうが、問題は、そのため、たいていは
夫婦関係がおかしくなる。妻が、夫のマザコンぶりに耐えられないというケースが多い。しかし
悲劇はそれで終わらない。マザコンタイプの夫は、自分でそれに気づくことは、まずない。「親
をとるか、妻をとるか」と迫られたりすると、「親をとる」とか、「当然、親」と答えたりする。
反対に妻に、「親のめんどうをしっかりみてくれなければ、離婚する」などと言うこともある。そも
そも結婚するとき、婚約者に「(私と結婚するなら)親のめんどうをみること」というような条件を
出すことが多い。親は親で、そういう息子を、できのよい息子と喜ぶ。あとはこの繰りかえし。
Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司
●誇大視化
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ささいなまちがいや失敗を、ことさら
おおげさに取りあげて、騒ぐ。
カルト教団がよく使う手法である。
この種の手法には、じゅうぶん、注意
されたし。
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カルト教団の指導法には、いくつかの特徴がある。その一つが「誇大視化」。「巨大視化」と呼
ぶ人もいる。ささいな矛盾や、ささいなまちがいをとらえて、ことさらそれを大げさに問題にし、さ
らにその矛盾やまちがいを理由に、相手を否定するという手法である。
しかしこうした手法は、何もカルト教団に限らない。教育カルトと呼ばれる団体でも、ごくふつ
うに見られる現象である。あるいは教育パパ、教育ママと呼ばれる人たちの間でも、ごくふつう
に見られる現象である。つい先日も、こんなことがあった。
私はときどき、席を立ってフラフラ歩いている子どもに、こう言うことがある。「パンツにウンチ
がついているなら、立っていていい」と。もちろん冗談だし、そういう言い方のほうが、「座ってい
なさい」「立っていてはだめ」と言うより、ずっと楽しい(?)。そのときもそうだった。が、ここでハ
プニングが起きた。そばにいた別の子どもが、その子ども(小2男児)のおしりに顔をうずめ
て、「クサイ!」と言ってしまったのだ。「先生、コイツのおしり、本当にクサイ!」と。
で、そのときは皆が、それで笑ってすんだ。が、その夜、彼の父親から猛烈な抗議の電話が
かかってきた。「息子のパンツのウンチのことで、恥をかかせるとは、どういうことだ!」と。私
はただ平謝りに謝るしかなった。が、それで終わったわけではない。それから3か月もたったあ
る日のこと。その子どもが突然、私の教室をやめると言い出した。見ると、父親からの手紙が
添えられてあった。いわく、「お前は、教師として失格だ。あちこちで講演をしているというが、今
すぐ講演活動をやめろ。それでもお前は日本人か」と。
ここまで否定されると、私とて黙ってはおれない。すぐ電話をすると、母親が出たが、母親
は、「すみません、すみません」と言うだけで、会話にならなかった。で、私のほうも、それです
ますしかなかったが、それがここでいう、「誇大視化」である。
たしかに私は失敗をした。しかしそういう失敗は、こういう世界ではつきもの。その失敗を恐れ
ていたら、教育そのものができない。教育といっても、基本的には人間関係で決まる。で、そう
いう一部の失敗をことさら大げさにとらえ、それでもって、相手を否定する。ふつうの否定では
ない。全人格すら否定する。
そういえば、あるカルト教団では、相手の顔色をみて、その人の全人格を判断するという。
「死に際の様子を見れば、その人の全生涯がわかる」と説く教団もある。それはまさに誇大視
化である。皆さんも、じゅうぶん、この誇大視化には、注意されたい。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 誇大
視 誇大視化 巨大視 巨大視化)
Hiroshi Hayashi++++++++++.May.06+++++++++++はやし浩司
【親絶対教について】
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親絶対教というのも、カルトのひとつ。
自ら親絶対教を信ずるのは、その人の
勝手だが、しかしだからといって、それを
自分の子どもに押しつけてはいけない。
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●事例(1)……心を解き放て!
今どき「先祖だ」「家だ」などと言っている人の気がしれない。……と書くのは、簡単だ。またこ
う書いたからといって、その先祖や家にしばられて苦しんでいる人には、みじんも助けにならな
い。
Yさん(45歳女性)がそうだ。盆になると、位牌だけでも300個近く並ぶ旧家にYさんは嫁い
だ。何でも後醍醐天皇の時代からの旧家だそうだ。で、今は、70歳になる祖父母、Yさん夫
婦、それに1男1女の3世代同居。正確には同じ敷地内に、別棟をもうけて同居している。が、
そのことが問題ではない。
祖母はともかくも、祖父とYさん夫婦との間にはほとんど会話がない。Yさんはこう言う。「同居
といっても形だけ。私たち夫婦は、共働きで外に出ています」と。
しかし問題はこのことではない。「毎月、しきたり、しきたりで、その行事ばかりに追われていま
す。手を抜くと祖父の機嫌が悪くなるし、そうかといって家計を考えると、祖父の言うとおりには
できないのです」と。しかしこれも問題ではない。
Yさんにとって最大の問題は、そういう家系だから、「嫁」というのは家政婦。「孫」というのとは、
跡取り程度にしか考えてもらえないということらしい。「盆暮れになると、叔父、叔母、それに甥
や姪、さらにはその子どもたちまでやってきて、我が家はてんやわんやになります。私など、そ
の間、横になって休むこともできません」と。
たまたま息子(中3)のできがよかったからよいようなものの、祖父はいつもYさんにこう言って
いるそうだ。「うちは本家だから、孫にはA高校以上の学校に入ってもらわねば困る」と。
Yさんは、努めて家にはいないようにしているという。何か会合があると、何だかんだと口実を
つくってはでかけているという。それについても祖父はあれこれ言うらしい。しかし「そういうこと
でもしなければ、気がヘンになります」とYさんは言う。
一度、たまたま祖父だけが家に残り、そのときYさんが食事の用意をするのを忘れてしまったと
いう事件があった。「事件」というのもおおげさに聞こえるかもしれないが、それはまさに事件だ
った。激怒した祖父は、Yさんの夫を電話で呼びつけ、夫に電気釜を投げつけたという。「お前
ら、先祖を、何だと思っている!」と。
こういう話を聞いていると、こちらまで何かしら気がヘンになる。無数のクサリが体中に巻き
ついてくるような不快感だ。話を聞いている私ですらそうなのだから、Yさんの苦痛は相当なも
のだ。で、私はこう思う。
日本はその経済力で、たしかに先進国の仲間入りはしたが、その中身は、アフリカかどこかの
地方の、○○民族とそれほど違わない。
もちろん伝統や文化はあるだろう。それはそれとして大切にしなければならないが、しかし今は
もう、そういうものを個人に押しつける時代ではない。「こういう伝統がある」と話すのは、その
人の勝手だが、それを受け継ぐかどうかは、あくまでもつぎの世代の問題ということになる。私
たちはその世界まで、立ち入ることはできない。
Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司
●事例(2)……心を解き放て!
今、人知れず、家庭内宗教戦争を繰り返している家庭は多い。たいていは夫が知らない間
に、妻がどこかのカルト教団に入信してしまうというケース。しかし一度こうなると、夫婦関係は
崩壊する。価値観の衝突というのはそういうもので、互いに妥協しない。
実際、妻に向かって「お前はだれの女房だ!」と叫んだ夫すらいた。その妻が明けても暮れて
も、「K先生、K先生」と言い出したからだ。夫(41歳)はこう言う。「ふだんはいい女房だと思う
のですが、基本的なところではわかりあえません。人生論や哲学的な話になると、『何を言って
いるの』というような態度をして、私を無視します」と。では、どうするか?
宗教にもいろいろある。しかしその中でも、カルトと呼ばれる宗教には、いくつかの特徴があ
る。
排他性(他の思想を否定する)、
情報の遮断性(他の思想を遮断する)、
組織信仰化(個人よりも組織の力を重要視する)、
迷信性(外から見ると?、と思うようなことを信ずる)、
利益論とバチ論(信ずれば得をし、離れるとバチが当ると教える)など。
巨大視化(自説を正当化するため、ささいな事例をことさらおおげさにとらえる)を指摘する学
者もいる。
信仰のし方としては、
催眠性(呪文を繰り返させ、思考能力を奪う)、
反復性(皆がよってたかって同じことを口にする)、
隔離性(ほかの世界から隔離する)、
布教の義務化(布教すればするほど利益があると教える)、
献金の奨励(結局は金儲け?)、
妄想性と攻撃性(自分たちを批判する人や団体をことさらおおげさに取りあげ、攻撃する)な
ど。
その結果、カルトやその信者は、一般社会から遊離し、ときに反社会的な行動をとることがあ
る。極端なケースでは、ミイラ化した死体を、「まだ生きている」と主張した団体、毒ガスや毒薬
を製造していた団体、さらに足の裏をみて、その人の運命や健康状態がわかると主張した団
体などがあった。
人はそれぞれ、何かを求めて信仰する。しかしここで大切なことは、いくらその信仰を否定し
ても、その信仰とともに生きてきた人たち、なかんずくそのドラマまでは否定してはいけないと
いうこと。みな、それぞれの立場で、懸命に生きている。その懸命さを少しでも感じたら、それ
については謙虚でなければならない。「あなたはまちがっている」と言う必要はないし、また言っ
てはならない。私たちがせいぜいできることといえば、その人の立場になって、その人の悲しみ
や苦しみを共有することでしかない。
冒頭のケースでも、妻が何かの宗教団体に身を寄せたからといって、その妻を責めても意味
はない。なぜ、妻がその宗教に身を寄せねばならなかったのかというところまで考えてはじめ
て、この問題は解決する。
「妻が勝手に入信したことにより、夫婦関係が破壊された」と言う人もいるが、妻が入信したと
き、すでにそのとき夫婦は崩壊状態にあったとみる。そんなわけで夫が信仰に反対すればす
るほど、夫婦関係はさらに崩壊する。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 カルト
の特徴 カルト カルト信仰の特徴)
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