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彡彡人ミミ 彡彡彡彡彡
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子育て最前線の育児論byはやし浩司 6月 26日号
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メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!
【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
●「出世」?
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昨夜遅く、ワイフと、中国のドキュメンタリー番組を見た。
貧しい少女(18歳)についての番組だった。
その少女は、ホテルでメイドの見習いとして働いていた。
給料は600元。
1元が約14円(09年05月)だから、8400円ということになる。
その少女には、結婚を考えているボーイフレンドがいた。
が、「身分も低く、給料も安い」(少女の姉の言葉)、
だから「(車のセールスでは)、出世もできない」(同)。
で、姉は、「(私たちは貧乏のつらさをよく知っているから)、あなたの結婚には
反対!」と。
姉は、番組の流れからして、けっして妹のためを思って反対しているのではない。
中で、姉は、こんなことも言った。
「あなたが出世して、家族の生活を楽にしてほしい」と。
親が言うならまだしも、私はそれを聞いて、「ずいぶんと身勝手な姉さんだな」と
思った。
もしそうなら、姉であるその女性自身が、出世とやらをしてみせればよい。
家族の生活を楽にしてみせればよい。
が、姉は、一貫して、妹の結婚には反対。
「あんな男のどこがいい?」
「あんな男と結婚しては、だめ」
「貧乏になるだけ」と。
それに答えて、妹は、ただ涙をポロポロと流すだけ……。
そしてテレビのレポータに向って、姉は、こう言う。
「学校もやめてしまった。今では、私の言うことさえ、聞かない」と。
+++++++++++++++++++++
私はその番組を見ながら、私の知人のことを思い出していた。
その知人には、1人の娘と2人の息子がいた。
その娘が結婚相手に選んだのが、自動車の修理工。
中学を出たあと、職業訓練校を経て、現在の職についた。
が、両親が猛反対。
「中卒では、出世は望めない」と。
で、2人はかけおち。
隣町で、自動車屋を開いた。
が、折からの高度成長の波にのり、またその地域でのS社の独占的特約店と
なったこともあり、10年を待たずして、従業員を6~7人雇うまでの会社に成長した。
一方、2人の息子たちは、どうか?
人づてに聞いたところによると、2人とも高校時代に警察に逮捕されるような事件を
起こしてしまい、強制退学。
身分は、先の両親が言った「中卒扱い」になってしまった。
皮肉と言えば、これほど皮肉なことはない。
(だからといって、私はここで学歴を問題にしているのではない。
中卒だろうが、大卒だろうが、人間の価値には、上下はない。
「中卒」を理由に、娘の結婚に反対した両親の、その古い考え方を問題にしている。
誤解のないように!)
私が言いたいのは、「人の身分を笑ったものは、今度は自分の身分を笑われる」と
いうこと。
また「身分などというものは、そのときどきの(流れ)の中で、いくらでも変化する」
ということ。
(私だって、ある女性と恋愛したとき、相手の母親から、直接、私の母のところに
電話がかかってきたことがある。
「うちの娘は、お宅のような息子とつきあうような娘ではありません。娘の将来に
傷がつきますから、交際をやめさせてください」と。
相手の女性の父親は、従業員が30人前後の製紙工場を経営していた。)
中国のその番組を見ながら、私は、40年前、あるいは50年前の日本を見せつけられて
いるように感じた。
見習いの給料が、1万円前後と言えば、私がちょうど高校生くらいの日本と
いうことになる。
(当時、大卒の初任給が2万円と聞いて、そのころ、驚いたことがある。)
「それにしても、ひどい姉だなあ」と思った。
自分勝手で、わがまま。
ものの価値観が、完全にズレている。
狭い井戸の中からしか、世界を見ていない。
そんな姉が、妹を説教する。
しかも発想そのものが、貧弱。
文化性そのものが感じられない。
最後に番組の中で、荒涼たる黄土地帯が紹介された。
見方によっては、牧歌的なぬくもりのあるすばらしい環境である。
そんな中国の、そんな地方にまで、金(=マネー)に毒された人たちがふえている。
かつての日本のように……。
そうそう先の私のガールフレンドの父親の会社だが、その後、10数年を経て倒産。
ガールフレンドは、どこかの会社の社員と結婚したというが、現在、行方不明。
同窓会名簿では、そうなっている。
Hiroshi Hayashi++++++++May. 09+++++++++はやし浩司
●ノ前大統領の自殺
++++++++++++++++++++
昨日、韓国の前大統領であるノ氏が自殺した。
6億円近いワイロの捜査過程で起きた自殺、
ということになる。
そのノ大統領の言動は、あまりにも見苦しかった。
潔白を主張しながら、その一方で、小細工の
連続。
(高額な腕時計を田んぼに捨てたなどという発言、など。)
小悪を自ら暴露して、大悪を隠すというような
行動までして見せた。
(まだ捜査がそこまで及んでいないのに、
妻の罪を暴露して、自分は知らなかったと
主張した、など。)
で、自殺。
痛ましい事件であることにはちがいない。
が、ここにきて理解できないのが、韓国の政情。
追悼集会がそのまま、反政府運動になりそうな
雰囲気になってきた。
「ノ前大統領を追い詰めたのは、現政権」
「現政権に責任がある」と。
++++++++++++++++++++
●だれが悪い
ときどき子どもたちにこんな問題を出す。
何かの心理テストの本に出ていた話を、私が子ども用に書き改めたものである。
【テスト】
うさぎのA子さんの両親は、今夜も、どこかへ遊びに行ってしまった。
家にいてさみしかったうさぎのA子さんは、橋を渡って、川向こうにある、
リスのB君の家に遊びに行った。
うさぎのA子さんは、しばらくリスのB君の家で遊んだあと、
橋を渡って家に帰ろうとした。
が、そこには、恐ろしいオオカミが待っていた。
うさぎのA子さんは、驚いて、リスのB君の家に逃げた。
リスのB君に、「家まで送ってほしい」と頼んだ。
が、リスのB君は、「ぼくもこわいから、いやだ」と言って、それを断った。
しかたないので、うさぎのA子さんは、走って橋を渡ることにした。
が、途中でオオカミに捕らえられてしまい、うさぎのA子さんは、オオカミに
食べられてしまった。
【テスト法】
子どもにゆっくりとこの話を2度、読んで聞かせる。
聞かせたあと、「この話の中で、一番悪い人は誰ですか」と聞く。
【判定法】
子ども(人)が、だれに焦点をあてるかで、判断の内容が異なってくる。
(1)うさぎのA子さんを、ほったらかしにしておいた両親が悪い。
(2)ひとりで夜、遊びに出た、うさぎのA子さんが悪い。
(3)うさぎのA子さんを助けなかった、リスのB君が悪い。
(4)オオカミが悪い。
さて、あなたなら、だれが悪いと答えるだろうか。
年齢が高くなればなるほど、子どもたちは複雑な考え方をする。
しかし年中児~年長児あたりだと、すなおに、「オオカミが悪い」と答える。
++++++++++++++++++++
●さて本題
韓国では、野党を中心に、政府への抗議行動を、反政府運動に切り替えようとしていると
いう(某ニュースサイト)。
独特の思考回路をもつ人たちだから、私たち日本人のもつ思考回路では理解できないとき
がある。
たとえば最近でも、Sという自動車製造会社が倒産した。
倒産して、形がなくなってしまった。
にもかかわらず、「再建するのは、政府の義務」と、労働組合が、ストライキを続行して
いる。
あの国を日本から見ていると、ときどき理解できなくなるときがある。
今回も、そうだ。
6億円という巨額のワイロが流れたにもかかわらず、その中心的立場にいたであろう
ノ前大統領が自殺してしまった。
これで「捜査は中止」(韓国検察)。
が、ここから先が問題。
いろいろな意見に分かれる。
(1)捜査をつづけて、ノ前大統領を追い詰めた検察が悪い。
(2)ワイロを渡した実業家が悪い。
(3)ワイロを受け取っていたというノ前大統領の妻子が悪い。
(4)疑惑を招いたノ前大統領が悪い。
(5)小細工を重ねた、ノ前大統領が悪い。
(6)疑惑を晴らさないで自殺してしまった、ノ前大統領が悪い、など。
(まだ、ノ前大統領が、有罪と確定したわけではないので、あいまいな
表現しかできないが……。)
野党側は、(1)を中心に据え、現政権の攻撃に出始めている。
しかし少し冷静になれば、悪いのは、ノ前大統領ということになる。
前大統領ともあろう重要な人物が、とくに(6)の疑惑を晴らさないまま、
その責任から逃れてしまった。
無責任というか、あきれるというか。
飛行機事故が起きたとき、機長がまっさきに逃げたようなもの。
そこが悪い。
常識で考えれば、そうなる。
が、「現政権が悪い」?
私には、どうしてそれが「反政府運動」なるものにつながっていくのか、
理解できない。
ともあれ、K国にせよ、韓国にせよ、あの国の人たちの思考回路は、私たち
日本人のそれとは、ややちがうらしい。
そういう点で、現在の韓国情勢は、たいへん興味深い。
なお、現在のイ大統領政権になったからといって、反日意識が消えたわけではない。
昔も今も、韓国は、日本にとって最悪の反日国家である。
その体質はほとんど、変わっていない。
韓国をながめるときは、それだけは忘れてはいけない。
【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
【心の原点(心のメカニズム)】
++++++++++++++++
脳の活動は、「ニューロン」と呼ばれる
神経細胞が司っている。
それは常識だが、しかしでは、その
神経細胞が、「心」を司っているかというと、
そうではない。
最近では、心の原点は、脳内の化学物質、
つまり脳内ホルモンであるという説が、
半ば常識化している。
私たちの心は、常に、この脳内ホルモンに
よって、影響を受け、コントロールされて
いる。
その例としてわかりやすいのが、
フェニルエチルアミンというホルモン
ということになる。
そのフェニルエチルアミンについて書いた
原稿がつぎのものである。
+++++++++++++++++
●恋愛の寿命
+++++++++++++++++
心ときめかす、恋心。しかしその恋心
にも、寿命がある。
+++++++++++++++++
その人のことを思うと、心がときめく。すべてが華やいで見える。体まで宙に浮いたよ
うになる……。恋をすると、人は、そうなる。
こうした現象は、脳内で分泌される、フェニルエチルアミンという物質の作用によるも
のだということが、最近の研究で、わかってきた。恋をしたときに感ずる、あの身を焦が
すような甘い陶酔感は、そのフェニルエチルアミンの作用によるもの、というわけである。
その陶酔感は、麻薬を得たときの陶酔感に似ているという人もいる。(私自身は、もちろ
ん、麻薬の作用がどういうものか、知らない。)しかしこのフェニルエチルアミン効果の
寿命は、それほど長くない。短い。
ふつう脳内で何らかの物質が分泌されると、フィードバックといって、しばらくすると
今度は、それを打ち消す物質によって、その効果は、打ち消される。この打ち消す物質が
分泌されるからこそ、脳の中は、しばらくすると、再び、カラの状態、つまり平常の状態
が保たれる。体が、その物質に慣れてしまったら、つぎから、その物質が分泌されても、
その効果が、なくなってしまう。
しかしフェニルエチルアミンは、それが分泌されても、それを打ち消す物質は、分泌さ
れない。脳内に残ったままの状態になる。こうしてフェニルエチルアミン効果は、比較
的長くつづくことになる。が、いつまでも、つづくというわけではない。やがて脳のほ
うが、それに慣れてしまう。
つまりフェニルエチルアミン効果は、「比較的長くつづく」といっても、限度がある。も
って、3年とか4年。あるいはそれ以下。当初の恋愛の度合にもよる。「死んでも悔いはな
い」というような、猛烈な恋愛であれば、4年くらい(?)。適当に、好きになったという
ような恋愛であれば、半年くらい(?)。(これらの年数は、私自身の経験によるもの。)
その3年から4年が、恋愛の寿命ということにもなる。言いかえると、どんな熱烈な恋
愛をしても、3年から4年もすると、心のときめきも消え、あれほど華やいで見えた世界
も、やがて色あせて見えるようになる。もちろん、ウキウキした気分も消える。
……と考えると、では、結婚生活も、4年程度が限度かというと、それは正しくない。
恋愛と、結婚生活は、別。その4年の間に、その2人は、熱烈な恋愛を繰りかえし、つぎ
のステップへ進むための、心の準備を始める。
それが出産であり、育児ということになる。一連のこうした変化をとおして、今度は、
別の新しい人間関係をつくりあげていく。それが結婚生活へとつながっていく。
が、中には、そのフェニルエチルアミン効果による、甘い陶酔感が忘れられず、繰りか
えし、恋愛関係を結ぶ人もいる。たとえばそれが原因かどうかは別にして、よく4~5年
ごとに、離婚、再婚を繰りかえす人がいる。
そういう人は、相手をかえることによって、そのつど甘い陶酔感を楽しんでいるのかも
しれない。
ただここで注意しなければならないのは、このフェニルエチルアミンには、先にも書い
たように麻薬性があるということ。繰りかえせば繰りかえすほど、その効果は鈍麻し、ま
すますはげしい刺激を求めるようになる。
男と女の関係について言うなら、ますますはげしい恋愛をもとめて、さ迷い歩くという
ことにもなりかねない。あるいは、体がそれに慣れるまでの期間が、より短くなる。はじ
めての恋のときは、フェニルエチルアミン効果が、4年間、つづいたとしても、2度目の
恋のときは、1年間。3度目の恋のときは、数か月……というようになる(?)。
まあ、そんなわけで、恋愛は、ふつうは、若いときの一時期だけで、じゅうぶん。しか
も、はげしければはげしいほど、よい。二度も、三度も、恋愛を経験する必要はない。回
を重ねれ重ねるほど、恋も色あせてくる。
が、中には、「死ぬまで恋を繰りかえしたい」と言う人もいるが、そういう人は、このフ
ェニルエチルアミン中毒にかかっている人とも考えられる。あるいはフェニルエチルア
ミンという麻薬様の物質の虜(とりこ)になっているだけ。
このことを私のワイフに説明すると、ワイフは、こう言った。
「私なんか、半年くらいで、フェニルエチルアミン効果は消えたわ」と。私はそれを横
で聞きながら、「フ~ン、そんなものか」と思った。さて、みなさんは、どうか?
(はやし浩司 恋愛 恋愛の寿命 フェニルエチルアミン ドーパミン効果 麻薬性 は
やし浩司 恋の寿命 恋の命 恋愛の命 脳内ホルモン フィードバック (はやし浩司
家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 恋のホルモン)
+++++++++++++++++++++
話を戻す。
ここで「フィードバック」について、もう一度、説明してみたい。
脳というのは、それ自体がいつもカラの状態を保とうとする。
たとえば驚いたようなとき、脳は直接、副腎に作用して、アドレナリンを分泌させる。
ドキドキしたり、ハラハラしたりするのは、そのためである。
発汗を促すこともある。
が、同時に脳の中では別の反応が起こる。
視床下部にある脳下垂体が、それを感知して、副腎に対して、副腎皮質刺激ホルモン
を分泌するようにと、言うなれば、指令ホルモンを分泌する。
このホルモンによって、副腎が刺激を受け、副腎は、副腎皮質ホルモンを分泌する。
わかりやすく言えば、脳内に分泌されたアドレナリンを、副腎皮質ホルモンが
今度は中和しようとする。
こうして脳内はいつもカラの状態、つまり平常な状態を保とうとする。
それをフィードバック(作用)という。
●生殖
(私が男性ということもあって)、私は、男性のことはよく知っている。
女性も、それほどちがわないと思うが、男女の行為の前と後とでは、異性の肉体の見方が、
まったくちがう。
男性のばあいは、180度、変化することも珍しくない。
あれほど狂おしく求めた相手でも、行為が終わったとたん、スーッと興味が
しぼんでいく。
消えていく。
それは満腹感ともちがう。
心そのものが、変化してしまう。
男性のばあい、それがおもしろいほど急激な変化となって現れる。
こうした現象をどう考えたらよいのか。
先に副腎の話を書いたが、脳からの指令を受けてホルモンを分泌する器官は、
ほかにもたとえば、甲状腺や生殖腺などがある。
さらにごく最近の研究によれば、胃や、大腿筋でも、ある種のホルモンが
分泌されることもわかってきた。
肉体、すべてがホルモンの分泌器官と考えてよい。
では、生殖腺でも、副腎と同じような化学変化が起きているとみてよいのか。
というのも、男女の(心)を説くとき、(行為の変化)ほど、顕著に現れる変化は、
ほかにそうはない。
(行為……最近、BLOGでは、使用禁止用語を設定しているところが多いので、
こういう言葉を使う。つまりSxxのことをいう。)
さらに言えば、「私は私」と思っているしている思いや行動といったものも、
実は、脳内ホルモンによってコントロールされているということになる。
その証拠に、先ほども書いたように、(男性のばあい)、行為の前と後とでは、
心の状態が、180度変わってしまう。
●知性と心
たとえばここに難解な数学の問題があるとする。
「1から5ずつふえていく数列がある。この数列の数を、5番目から、20番目まで
を合計すると、いくつになるか」と。
高校で習う公式を使えば、簡単に解ける。
公式を知らない人でも、電卓を片手に、足し算を繰り返せば解ける。
こうした作業を受け持つのは、大脳連合野の中でも、比較的外側にある、皮質部という
ことになる。
一方、(心)というのは、そういう知的な活動とは、異質のものである。
どこかモヤモヤとしていて、つかみどころがない。
ときに理性のコントロールからはずれるときがある。
つまりそれが脳内ホルモンの作用によるものということになる。
たとえば何かよいことをしたとする。
人助けでもよい。
そういうときそういう情報は、辺縁系の中にある扁桃核(扁桃体)に信号として
送られる。
それに応じて、扁桃核は、モルヒネに似たホルモンである、エンケファリン系、
エンドロフィン系のホルモンを分泌する。
それが脳内を甘い陶酔感で満たす。
それが(人助けをした)→(気持ちよい)という感覚へとつながっていく。
こうして考えていくと、(あくまでも私という素人の考えだが)、知的活動は、
ニューロンと呼ばれる神経細胞が司るとしても、心のほとんどは、脳内ホルモンの
作用によるものと考えてよいのではということになる。
またそういうふうに分けることによって、心のメカにズムが理解できる。
しかしこの考え方は、両刃の剣。
●「私は私」
心のメカニズムはそれで説明できる。
それはそれでよい。
が、心が脳内ホルモンによるもの、あるいは脳内ホルモンに大きく影響を受けるものと
すると、(1)「心なんて、ずいぶんといいかげなんなもの」と思う人が出てくる
かもしれない。
さらに(2)「では、私とは何か、それがわからなくなってしまう」と考える人も
出てくるかもしれない。
心をときめかすあの恋にしても、フェニルエチルアミン効果によるものということに
なれば、それにまつわる求愛、デートなどの行動のすべてが、結局は脳内ホルモンに
よって操られているということになってしまう。
(実際に、そうなのだが……。)
となると、つまり(心)を自分から取り除いてしまうと、では、いったい、私は何か
ということになってしまう。
さらにつきつめていくと、私という私がなくなってしまう。
その一例として、先に、男女の行為のあとの、あの変化をあげた。
そこに妻の(あるいは夫の)肉体を見ながら、「行為の前の私は何だったのか?」と。
が、男女の行為だけに終わらない。
実は人間が織りなす行為のほとんどが、またそのほとんどの部分において、こうした
脳内ホルモンの作用に影響を受けているということになる。
どの人も、「私は私」と思って、それぞれの行動をしている。
が、その「私」など、どこにもないということになる。
「私たちの心は、脳内ホルモンに操られているだけ」と。
しかもいいように操られているだけ、と。
……と書くのは、危険かもしれないが、反対に、「どこからどこまでが私で、どこから
先が私でないか」と考えてみると、それがわかる。
「私は私」と思っている部分など、きわめて少ないのがわかる。
さらに言いかえると、人間もそこらに遊ぶ動物と、どこもちがわないということ。
あるいは、そこらの動物と同じということ。
ちがわないというより、ちがいを見つけることのほうが、むずかしい。
●「私」論
たいへん悲観的というか、絶望的なことを書いてしまったが、自分を知るためには、
脳内ホルモンの問題は、避けては通れない。
たとえば今、私は空腹感を覚えている。
この4~5日、ダイエットをつづけている。
胃袋が小さくなったような感じがする。
それでも空腹感を覚える。
ワイフがまな板をたたく音を聞いただけで、ググーッと、食欲がわいてくる。
条件反射反応が起きている。
恐らく脳内の視床下部にあるセンサーが、血糖値を感知し、ドーパミンンを
放出しているのだろう。
それが線条体にある受容体を刺激し始めている(?)。
その私は、「私は私」と思いながら、これからさまざまな行動を起こすはず。
庭へ出て、畑から、サラダ菜を採ってくる。
それにドレッシングをかける。
食卓に並べる……。
こうした一連の行為にしても、ドーパミンという脳間伝達物質に操られているだけ
ということになる。
もしそこに「私」がいるとするなら、空腹感を抑えながら、サラダ菜だけで、今朝の
食事をすますこと。
体重が適正体重に減るまで、それをつづけること。
つまり「私」というのは、ここでの結論を言えば、脳内ホルモンと闘うところに、ある。
けっして、脳内ホルモンに操られるまま、操られてはいけない。
その意思が、「私」ということになる。
(新しい思想、ゲット!)
……かなり乱暴な結論だが、今の私は、そう考える。
今朝(09年5月24日)も、こうして始まった。
今日はこのことをテーマに、自分の行動を静かに観察してみたい。
つづきは、また今夜!
みなさん、おはようございます!
【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
●豊橋(愛知県、Toyohashi Aichi-pref.)
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今日は散歩のついでに、豊橋まで行ってきた。
ついでというのは、散歩の途中で、私が「豊橋まで
行ってみようか?」と声をかけると、ワイフが、
「うん」と言ったから。
それで、豊橋まで、となった。
自宅から、JR高塚駅(浜松駅のひとつ西隣の駅)
まで歩く。
小雨が降っていたので、傘をさして、歩く。
その駅までが、約20分。
そこから電車に乗って、豊橋まで。
高塚駅から、JRのローカル線で、ちょうど35分。
豊橋というのは、愛知県の東端にある都市である。
私が住む浜松市からみると、西隣の都市ということになる。
++++++++++++++++++++
●豊橋名物
豊橋にもいくつかの名物がある。
ちくわ、ういろう、きしめん、ざるそば、など。
私はその中でも、ざるそばが好き。
豊橋では、ざるそばのツユの中に、ウズラの卵を入れる。
それがおいしい。
で、午後3時ごろ、ひとつのレストランに入った。
私はもちろん、ざるそば。
ワイフは、「天きし」。
天ぷらを盛ったきしめんのことを、豊橋では、「天きし」という。
(浜松には、「天きし」という名前は、ないぞ!)
その2つを分けあって食べた。
おいしかった。
帰りに近くのデパートに寄り、買い物。
北海道製のパン、それに九州のいわし明太、など。
いわしの切り身の中に、明太が詰めてあった。
おいしそうだった。
「ああ、これでぼくのダイエットも、今日まで」と言うと、
ワイフが笑った。
しかし私はがんばる。
がんばるぞ。
今度こそ、目標の63キロ!
63キロの数字を見るまでは、がんばる。
いつも今ぐらいの体重のところで、くじけてしまう。
そしてリバウンド。
毎度、その繰り返し。
●運動
豊橋へ行った目的は、もちろん運動。
体を鍛えるため。
「今日、がんばれば、明日、仕事ができる」が、このところ2人の合言葉。
運動をしなくなったら、その日から健康は下り坂。
体力はどんどんと衰退する。
若いときはそれがわからなかったが、60歳にもなると、それが実感として
わかるようになる。
数日もだらけた生活をしていると、体が動かなくなる。
ほんとうに動かなくなる。
そうそう今夜は、今度の講演会の練習をしなければならない。
県の教育委員会の総会である。
今までの講演会の中でも、もっとも権威ある講演会ということになる。
が、主催者の方から、原稿の大幅な書き直しを申し入れられてしまった。
おもしろい話というよりは、アカデミックな話を求められているようだ。
一度ビデオカメラを相手に、しゃべってみる。
それを見て、どこをどう直したらよいかを反省する。
そのほかにも6月は、いくつかの講演会をひかえている。
しかしそろそろ、講演会は、今度の講演会を最後に、ひとつのピリオドを打ちたい。
代わりに何かをしたいというわけではないが、少し疲れを感ずるようになった。
講演に使う分のエネルギーを今度は何か、ほかのことに使ってみたい。
ともかくも、その日に向けて、体調を整える。
運動量をふやす。
頭の調子を取り戻す。
失敗は許されない。
●帰りの電車の中で
ふと見ると、ワイフはすでに居眠り状態。
私はワイフの横顔を見ながら、こうしてパソコンを開いて、文章を書いている。
今日のお供(とも)は、HP社の2133。
初期のミニノートで、しばらく使っていなかった。
ちなみに現在、私は3台のミニノートを、もっている。
それぞれを、そのときどきに応じて、使い分けている。
昨日までは、MSI社のミニノート。
そのときの気分で、どれにするかを決めている。
この2133の特徴は、キーボードがスベスベしていること。
それにOSは、ビスタ。
ビスタもよしあしで、電源を入れてから、画面が開くまでに時間がかかる。
近くWINDOW7が発売になるとか。
それを見定めてから、つぎのパソコンを買うつもり。
ねらっているのは、64ビットマシン。
メモリーは、16GB。
想像するだけで、ワウワクする。
……こんなときワイフは何を考えているのだろう。
先ほどまで、「今日、食べたきしめんは、おいしかった」
「豊橋は物価が安いわね」
「服なんかも、浜松の半額よ」などと、勝手にしゃべっていた。
窓の外からは、一転、白い光が注ぎ込み始めた。
画面をみつめる顔に、その光が当たる。
まぶしい。
ブラインドを下までおろす。
心地よい疲れが、眠気を誘う。
Hiroshi Hayashi++++++++May. 09+++++++++はやし浩司
●5月26日(感覚記憶)
++++++++++++
今日は月曜日。
今週も、始まった。
さわやかな冷気。
乾いた風。
頭はどこか重い。
それをのぞけば、快調。
書斎に入る。
パソコンに電源を入れる。
メールに目を通す。
「公開教室」の
カウント数を見る。
最近は、これが何よりも
楽しみ。
毎日のアクセス数に合わせて、
過去数週分の、平均値が
示される。
それが毎週、どんどんと
ふえている。
その数字を見ていると、
やる気が出てくる。
さあ、今日もがんばるぞ!
+++++++++++++
●記憶
ぼんやりとパソコンの画面をながめる。
ニュースのタイトルが、ズラリと並んでいる。
「?」と思ったり、「!」と思ったり。
タイトルを、そのつどクリックする。
ニュースの内容が表示される。
目を通す……。
バッキンガム宮殿……UAEで新型インフル……厚生省……温室ガス効果……。
未明に火事……日中韓のレベル……シャトル帰還……国民葬……(5・26)。
が、このあとおもしろい現象が起きる。
読んでいるときは、それほど関心を引かなかった記事が、そのあとぐんぐんと脳みその
中でふくらんでくることがある。
そこでもう一度その記事を読みなおしてみたいと思うのだが、それがどこのどの記事
だったかが、思いだせない。
で、またあちこちを開きなおしてみる。
が、見つからない……。
「?」「?」「?」。
つまり私はニュースサイトの記事に目を通したが、記憶として脳に格納するという
操作をしなかった。
心理学的に言えば、「感覚記憶」だけですませてしまった。
●感覚記憶
ふつう感覚記憶というのは、1秒前後で消失すると言われている。
たとえばパソコンの画面を見る。
右横の方には、ガジェットと呼ばれるコーナーがある。
時刻やカレンダー、株価や為替などがそこに表示されている。
が、そのとき特段の注意を払わなければ、そこに表示されている数字は、そのまま
忘れてしまう。
言うなれば、ただの模様。
これが感覚記憶である。
が、もしこの感覚記憶がなかったら……。
「1秒前後で消失する」とはいうものの、その1秒も残らなかったとしたら……。
私はつぎの記憶操作に移れなくなってしまう。
感覚記憶があるから、たとえその1秒でも、その1秒のうちに、それが重要な情報
であるかを判断することができる。
そして「重要」と判断したときには、脳は、つぎの記憶操作に移動する。
「短期記憶」という記憶操作である。
私はパッパッとガジェットを見ながら、その瞬間、(それこそ1秒以内に)、
重要な数字とそうでない数字を、頭の中でより分ける。
カレンダーを見ながら、ふと円ドルの為替相場を思い出す。
「先週は、1ドル、94・787円で終わったのか……」と。
●短期記憶
こうして感覚記憶を、つぎの短期記憶につなげていく。
「円高になっている……」と。
しかし世界的なドル安の可能性もあるとも考えられる。
あるいは世界的な円高かもしれない……。
そこで各国の通貨を、円やドルと比較してみる。
オーストラリア・ドル、ニュージーランド・ドル、韓国ウォン……。
その結果として、円もドルも下落傾向にあり、相対的にドルのほうが、円よりも
下落率が高いことを知る。
こうして1ドル=94円という数字が、記憶の中に残る。
が、この数字とて、明日になれば忘れる。
(今日の午後かもしれない……。)
忘れるというより、新しい数字がその数字の上に、上書きされる。
では、その数字を、さらに長い間記憶させるためには、どうしたらよいのか。
それが長期記憶ということになる。
●長期記憶
長期記憶は、(記銘)→(保持)→(想起)という3つの段階を経て、脳みその中に
刻みこまれる。
長期記憶として残る。
わかりやすく言えば、(1)まず記憶として、頭の中に叩き込む。
つぎに(2)記憶として、保持する。
あるいは保持するための操作を繰り返す。
そして(3)それをじょうずに、思いだす。
記銘力が弱くなれば、記憶は記憶として残らないことになる。
よく老人になると、物忘れがひどくなると言われるが、私はそうではないと考える。
老人になると、記銘力そのものが弱くなる。
「記憶してやろう」という意欲そのものが、減退する。
だから記憶として残らない。
その結果として、物忘れがひどくなる、と。
これは私の体験からの意見である。
つぎに保持だが、それについては、そのつど反復して思い出すことによって、
より確かなものにすることができる。
英語の単語の暗記を例にあげるまでもない。
が、それだけでは足りない。
何かのことと関連づける必要がある。
最近も、私は、こんな経験をした。
コールバーグという学者がいる。
道徳の完成度を、(1)より公平である、(2)より普遍的であるという2点にしぼって、
まとめあげた学者である。
すばらしい意見である。
が、その名前を忘れてしまった。
何かの場でその名前を思い出そうとしたが、どうしても思い出せなかった。
ところが、である。
ある映画を見ていて、だれかかがハンバーグを食べているシーンを見たとき、思いだした。
「コールバーグだ!」と。
私は、そこで「コールバーグ」と「ハンバーグ」を結びつけて、記憶の中に格納した。
で、今では、すぐにその名前を思い出すことができる。……できるようになった。
つまり、「保持」のためには、「反復」「関連づけ」という操作をしなければならない。
●限界はない
では、その長期記憶には、限界があるのか?
私の経験では、加齢とともに、脳みその底に穴があいたような状態になる。
感覚記憶、短期記憶は、どんどんと、下へこぼれ落ちていく。
では、長期記憶はどうか。
一般論としては、長期記憶は一度、記憶されると、ほぼ永遠、つまり死ぬまで
残るとされる。
(ただし想起力が低下すれば、思いだすことができなくなるが……。
また何かの脳の病気になれば、「死ぬまで……」というわけにはいかなくなる。)
また長期記憶には、際限はないとされる。
脳のもつキャパシティには、相当なものがあるらしい。
実感として、100の英語の単語を記憶すれば、一方で100の英語の単語を
忘れてしまうのではないかと思う。
しかし実際には、そういうことはない。
「限界はない」というのが、定説になっている。
新しい長期記憶ができたからといって、別の長期記憶が消えていくなどということは、
ないということ。
だからどんどんと記憶していく。
遠慮なく、記憶していく。
●思考
こうして今、一通り、ニュースサイトを読み終えた。
が、ここからが、私の出番(?)。
ニュースにしても、ただ読んだだけでは、記憶として残るだけ。
もしその段階で終わってしまったら、それこそ、ワイフとの茶飲み話で終わってしまう。
そこで大切なことは、それを思考につなげていくという操作。
それをしないと、私はただの情報人間になってしまう。
またそうすることによって、長期記憶を、より確かなものにすることができる。
たとえば……。
どこかを旅しても、車窓から外をながめていただけでは、長期記憶としては
記憶に残らない。
何かのエピソードと結びつけば、その段階で、短期記憶として残る。
が、さらにしっかりとした長期記憶として残したいと思うなら、
(これはあくまでも私の意見だが)、絵に描いてみるとよい。
あるいはその瞬間に、旅行記を書いてみるとよい。
簡単なメモでもよい。
そうすれば、脳の中に、記憶として、しっかりと(記銘)することができる。
そういう視点で、今日も、いくつかのニュースに興味をもった。
それについては、このあと書いてみたい。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
Hiroshi Hayashi Hama 感覚記憶 短期記憶 長期記憶 記銘 保持 想起 記憶の
メカニズム 林浩司)
Hiroshi Hayashi++++++++May. 09+++++++++はやし浩司
●金相場
金(ゴールド)の現物売買をしている人が
ふえているという。
そこで今朝の相場(田中貴金属)のHPで
調べてみると、1グラムあたり、3088円(買い)
ということがわかった。
このところ、円高に振れているにもかかわらず、
少しずつ価格が上昇している。
こういうときは、ニューヨーク金の相場が
参考になる。
昨年末(08)には、1000~1039ドル
(1オンス)だったが、今は6月先物相場で、
960ドル前後。
……よくわからない。
そこでもうひとつの手がかり。
他の金属相場を調べてみる。
ニッケル、アルミとも、この3か月では、現在、最高値
を記録している。
銅だけは、4月の相場より、やや値がさがっている。
が、全体に、やや下降気味。
そこで、もうひとつ。
原油価格も参考になる。
最後は、円ドルの為替相場。
円高になれば、当然、金価格も連動してさがる。
で、「買うか、売るか?」と。
……ウム~~?
こういうふうに迷ったときは、動かない方がよい。
(これはあくまでも私の考え方。)
買うべきときには、「買いたい」という意思が大きくなる。
売るべきときには、「売りたい」という意思が大きくなる。
つまりこうしてあちこちの数字をながめていると、
そうした意思が、あたかも本脳のように、自然とわいてくる。
あとは自然体。
自然にわいてくる意思に従えばよい。
「買いたい」と思えば、さっさと買えばよい。
「売りたい」と思えば、さっさと売ればよい。
短期的に、「損をしたな」と思っても、やがて自分の
思い通りに、相場は動いていく。
なお、今ではこうした情報が居ながらにして、しかも
リアルタイムで入手できる。
インターネットのおかげだが、考えてみれば、これは、
ものすごいことではないか。
10~20年前には、いちいち電話をかけたり、店頭まで
出向いていかなければならなかった。
こうした情報を手に入れることができなかった。
それが今は、瞬時、瞬時!
それにしても、すごい!
Hiroshi Hayashi++++++++May. 09+++++++++はやし浩司
●大国の謙虚さ
+++++++++++++++++++++++
大国と呼ばれる国が、自らの謙虚さを忘れたら、
それこそ世界は闇。
たった40年前のことだが、日本はまだ貧しかった。
その貧しさを知っているからこそ、私はそう思う。
+++++++++++++++++++++++
●大国
今でこそ、この日本は経済大国になった。
金持ちになった。
経済大国として、世界の上に、君臨している。
(すでに中国に追い抜かれたという説もあるが、今のところまだ、
かろうじてだが、その地位を保っている。)
しかし、だ。
たった40年前はそうではなかった。
私がオーストラリアへ渡った1970年ごろの日本は、まだ貧しかった。
当時、オーストラリアドルにしても、1ドルが400円。
アメリカドルにしても、1ドルが360円。
具体的には、当時、羽田(日本)⇔シドニー(オーストラリア)間の往復の航空運賃が、
日本円で42万円(日本航空)。
(シドニーからメルボルン間は、往復で、約3~4万円だったと記憶しているが、
確かではない。)
大卒の初任給が、やっと5万円を超えるか超えないかという時代に、である。
こういう事実を、今の若い人たちは知らない。
今も昔も、日本は豊かな国だったと思い込んでいる。
まるで当たり前のことのように考えている。
修学旅行で外国へ行くということが、どういうことなのか、それすら理解できないでいる。
が、本当のことを言えば、日本が貧しかったのではない。
日本の円の力が、それだけ弱かった。
画家にたとえるなら、日本人の画家は、無名。
いくら描いても、だれも絵を買ってくれない。
どれだけていねいに描いても、だれも買ってくれない。
一方、オーストラリア人の画家は、有名。
簡単な絵を描いただけで、みながほしがる。
描けば描くほど、その一方で、飛ぶように絵が売れていく。
それが(力の差)、ということになる。
こんなことがあった。
一度だが、私は日本の1万円札を、銀行でオーストラリアドルに交換しようと
したことがある。
しかし当時、すんなりとは交換できなかった。
何度も何度もチェックされ、長い時間待たされたあと、やっと交換してもらった。
そんなとき、向こうの農家の人たちの平均年収が、日本円で、1200万円程度
ということを知って、私は驚いた。
日本の大卒の年収(5万x12=60万円)の、約20倍である。
が、農家の人たちがそれだけの高収入を得ていたということではない。
物価も、日本の10倍以上はあったから、農家の人たちにしても、そこそこの
生活しかしていなかった。
つまり、日本の(円)の力が、それだけ弱かったということ。
円という、マネーの力が弱かった。
で、私はそれを知って、強い不公平感を覚えた。
資本主義体制の中では、より力のある通貨をもつ国が、実力以上の
よい生活をする一方、より力のない通貨をもつ国が、実力以下の生活しか
できない。
それを資本主義による「搾取(さくしゅ)」というのなら、搾取でも構わない。
強い国が、弱い国を搾取しながら、よい生活をする……。
そこで私がだれかにそのことを訴えると、その人はこう言った。
「それが戦勝国と敗戦国のちがいだよ」と。
●不公平感
こう書くからといって、何もあのK国の肩をもつわけではない。
あの国は何からなにまで、おかしい。
しかも自国の経済運営の失敗まで、外国の責任にしている。
が、それはそれとして、彼らのおもしろくない気持ちも、これまた私には
理解できる。
現在、K国の開城工業団地における労働者の平均賃金は、月額にして、
8000円~9000円程度という。
かなりの部分が、K国政府によってピンはねされているから、実際には、
もっと少ない。
が、それでもK国の国内では、破格の高給という。
そこであなた自身を、その団地の労働者の身分に置いてみる。
あなたを開城工業団地の労働者という立場に置いて、考えてみる。
そのあなたは、毎日8~10時間働いて、給料は、たったの8000円!
月給が、だ。
そのお金を日本へもってきたとしても、1~2日分の生活しかできない。
日本では、満足に電車にすら乗れないだろう。
が、それはそのまま私がオーストラリアへ渡ったころの、日本とオーストラリア
の関係に似ている。
私は、向こうの人たちが、あのオレンジを、袋単位で買っているのを見て、
驚いたことがある。
当時の日本人の私には、想像もできない買い方だった。
私たちは、店で、一個単位でオレンジを買っていた。
だからあなたは、こう叫ぶ。
「不公平だ」
「働いている時間は同じなのに、日本人は、40万円も稼いでいる」
「おかしい!」と。
が、だれかがあなたにこう言う。
「しかたないではないか。
君たちのウォンなど、紙くず同然。
為替レートなど、あってないようなもの。
そんなウォンを一人前に扱えっていっても、無理」と。
考えようによっては、現在のK国は、そのどん底であえいでいるのかもしれない。
仕事もない。
お金もない。
だから食べ物すら満足に買うこともできない。
で、ここからが、たいへんきわどい話になる。
繰り返すが、だからといって、K国の肩をもつわけではない。
K国がミサイルの発射実験をしてもよいとか、核兵器開発をしてもよいとか、
そんなことを書いているのではない。
もちろん、そんなことを許してはいけない。
が、私がここで言いたいことは、彼らの行動についての責任の一部は、
この私たち日本人にもあるということ。
強い円をよいことに、日本は、世界中から、富を買いあさっている。
国中にモノがあふれ、食糧もあふれている。
その国の通貨が強いということが、どういうことかは、先に私が書いたとおり。
オーストラリアの話を思い出してみればわかるはず。
当時私は一応、全額給費生ということで、小づかいも支給された。
が、たいしたものは買えなかった。
帰国するときみやげを買ったが、買ったものと言えば、小さなコアラの
人形と、ブーメランだけだった。
もう、わかってもらえたと思う。
私たち日本人は、ほとんどそれを自覚していないかもしれないが、実際には、
貧しい国々を犠牲にして、その上で、豊かな生活を楽しんでいる。
実力以上の生活を楽しんでいる。
……が、こう書くと、こう反論する人もいるかもしれない。
「日本は、がんばった。
だから今のような繁栄を築くことができた。
日本のようになりたかったら、君たちもがんばればいいではないか」と。
しかし本当にそうだろうか?
本当にそう言い切ってよいだろうか?
しかし私は、それこそ大国の(おごり)ではないかと思う。
あのころの不公平感を、私はよく知っているからなおさら、そういう意見には、
どうしても素直に従うことができない。
それに……もし大国が、経済大国でも軍事大国でもよいが、そうした大国が
謙虚さを忘れたら、それこそ世界は闇。
闇に向って、つき進んでしまう。
私はそれを心配する。
K国の核兵器問題、ミサイル問題を考えるときは、
心のどこかで、そうした謙虚さを忘れてはいけないと、私は思う。
Hiroshi Hayashi++++++++May 09++++++++++はやし浩司
●脳梗塞
今日、通りを歩いているときのこと。
散歩していて、こんなことに気がついた。
1人、脳梗塞か何かで、半身が不随の人を見かけた。
男性だった。
年齢は私と同じくらい。
杖を片手に、黙りこくったまま歩いていた。
で、ふとそのとき、こう思った。
そういえば、そういうふうにして歩いている人は、
男性ばかりで、女性はいないなあ、と。
記憶の中をさぐってみたが、女性がそういうふうにして
歩いているのを、私は見かけたことがない。
その話をしながら、ワイフに、「お前は見たことがあるか?」と聞くと、
ワイフも、「そう言えば、ないわねエ~」と。
こうした病気は、男性特有のものなのだろうか。
それとも女性というのは、そういう病気になっても、通りには出てこないもの
なのだろうか。
よくわからないが、男性だけが脳梗塞か何かになるということは、ありえない。
もしそうなら、つまり男性だけの特有な病気とするなら、
とっくの昔に、話題となって、私の耳にも入っているはず。
しばらく歩いていると、ワイフがこう言った。
「そう言えば、1人、見かけたことがあるわ」
「……でも、通りを歩いている人は、見たことはないわね」と。
半身不随といっても、重い症状の人から、軽い症状の人もいる。
脳が受けたダメージの程度によって、ちがう。
が、もし女性に少ないというのなら、その理由を調べてみたい。
●K国の核実験
昼ごろ、あのK国が核実験をしたかもしれないというニュースが
飛び込んできた(5月25日)。
「実験するかもしれない」というニュースはたびたび伝えられていたので、
私はそれほど、驚かなかった。
それに今回は、2度目。
ネットニュースによれば、マグニチュード4・4の威力だったとか。
具体的にどの程度の規模だったのかは、追々、報道されるだろう。
成功だったのか?
失敗だったのか?
あるいは失敗して、暴発したのかもしれない。
その可能性もないわけではない。
しかしあの国は、いったいどこまでツッパルつもりなのだろう。
クリントン国務長官は、「予測不能」と評したが、メチャメチャなことばかり
するという点で、一貫性がある。
つまり予測は可能。
これから先も、メチャメチャなことばかりするだろう。
で、日本としては、ああいう国を、まともに相手にしてはいけない。
まともに相手にしたとたん、相手のワナにはまってしまう。
アメリカと歩調を合わせて、ここは無視するのが、いちばん。
国連という場にもちこんで、集団で、K国を締めあげる。
自己崩壊にもっていく。
で、ここは中国とロシアに責任を取ってもらおうではないか。
それと韓国の金大中と彼を支える、野党のみなさんにも、責任を取ってもらおう
ではないか。。
本当は、ノ前大統領にいちばん責任を取ってもらいたいが、昨日、自殺して
しまった。
(注:私は韓国の前大統領を、ずっと、「ノ大統領」と表記してきた。
強圧的な反日姿勢に抗議の念をこめて、そうしてきた。
その気持ちは、自殺した今も変わっていない。)
●散歩
ところで今日の散歩コースは、一度バスに乗り、(西郵便局)で下車。
そこから(根上がり松)方面に大きく遠回りして、市内まで。
途中で、100円ショップと、郵便局に立ち寄った。
細い路地を歩いてみた。
どこもほぼ10年ぶりという路地だった。
様子はすっかり変わっていた。
豪華な家がふえていたのには、驚いた。
そのうちの一軒は、まるでおとぎの国からでも飛び出したような家だった。
「どんな人が住んでいるのだろう?」と思いながら、その前を通り過ぎた。
この先、日本でも貧富の差が、ますます進むという。
ジニ指数という言葉もあるが、そんな指数など見なくても、こうした路地を
歩いてみると、わかる。
現在の今も、この不況下。
保有している土地を投げ売りしている人は多い。
一方、政府は、ジャブジャブどころか、ゴーゴーとお金を市中にばらまいている。
そのお金が、行く人のところへは行く。
そういう人たちが、そういう土地を買いあさり始めている。
某経済誌によれば、AS内閣は、土地のミニバブルを画策しているとか。
真偽のほどはわからないが、数字だけを見ていると、私にもそんな感じがする。
どん底の不動産業を救済するには、それしか方法がない。
つまりその結果として、貧富の差は広がる。
が、それではすむと考えてはいけない。
その先で待っているのは、猛烈なハイパーインフレ。
それもそのはず。
土地というのは、短期で売買すると、約40%の取得税が課せられる。
つまり1000万円で買った土地なら、最低でも約1666万円で売らないと、
元は回収できない。
(実際には、そんな単純ではないが……。)
土地を買いつづけている人(業者)は、すでにその金額を織り込みながら、
買っているという。
こんなことをしていて、日本の経済が無事ですむはずがない。
人間のもつ欲望のものすごさというか、貪欲さに、改めて驚く。
Hiroshi Hayashi++++++++May. 09+++++++++はやし浩司
●65・4キロ
++++++++++++++++++++
今朝、体重を量ったら、65・4キロ!
約3キロの減量、成功!
目標まで、あと2キロ。
今日も、がんばるぞ!
で、たった3キロと思う人も多いかもしれない。
2リットル入りのペットボトル1・5本分。
しかし体の軽さを、実感することができる。
体の各部が、スタスタと動く。
その軽快感が、たまらない。
うれしい。
今日も、歩く。
サイクリングをする。
あとは食事療法。
++++++++++++++++++++
●真の勇者(韓国を尊敬する)
(I respect South Koreans. They know what the Freedom of Speech is.)
数日前、韓国の前大統領であるノ氏が自殺した。
それについて、その少し前に、ノ氏を批判して、「自殺するか、監獄に行け」※と
書いた、大学の教授がいた。
少し言い過ぎとは、私も思うが、清潔さを売り物にしてきた前大統領の汚職という
ことで、怒りも収まらなかったのだろう。
が、ノ氏が本当に自殺してしまったから、さあ、たいへん。
大騒ぎになってしまった。
ノ氏を支持してきた人たちから、今、猛烈な抗議の嵐が殺到しているという。
それに対して、当の大学教授は、こう述べている。
「この国には、感情と同情しかないのか」と。
つまり「法はないのか」と。
さらに「何十万という抗議のメールが届いても、私は読まない」
「公的な警護を要請しない」とも。
ことの経緯(いきさつ)はともかくも、また抗議を繰り返す支持者たちの気持ちも
理解できないわけではない。
が、そういう教授を、真の勇者という。
またそういう教授が、最前線で、言論の自由を守る。
またそういう教授を生んだ韓国を、少なからずうらやましく思う。
韓国を尊敬する。
一方、今、この日本には、そういう勇者は、いない。
みな、政府に迎合し、さもなくば、マスコミに迎合し、世間の顔色をうかがいながら、
モノを書いている。
金儲けのために、モノを書いている。
週刊誌などにモノを書いている識者(?)と呼ばれている人たちは、
おおかたその種の人たちと考えてよい。
つい先日も、拉致被害者のMさんいついて、「すでに死亡している」と、とんでもない
意見を述べた評論家がいた。
世間の批判にさらされたとたん、自説をひっこめ、あっさりと謝罪。
ア~ア!
どうかその教授には、がんばってほしい。
その結果として、その教授は、モノを書く勇気を身につけるはず。
抗議などというものは、テレビゲームのポイントのようなもの。
信念がその裏づけにあるなら、何も恐れる必要はない。
「おかしいものは、おかしい」と声をあげることこそ、大切。
それが韓国のみならず、人類の行く手を明るく照らす。
私自身も、2~3年にわたって、ある宗教団体の攻撃にさらされた経験をもっている。
毎週、毎週、20~30人のグループに、自宅にまで押しかけられた。
実際のところ、最初のころは恐ろしかった。
身の危険も感じた。
が、それも一巡すると、抗議にやってくる人に向って、笑顔で応対することが
できるようになった。
とたん、相手のほうが、退散していくようになった。
その結果が、今。
私は今、堂々と実名を公表してモノを書いている。……書けるようになった。
そのつど、批判されたり、中傷されたりすることはある。
しかし私は私。
そんなものをいちいち恐れていたら、モノなど書けない。
つまり、その教授とは比較にはならないかもしれないが、その結果として、モノを
書く勇気を身につけた。
だからあえて繰り返す。
私はその教授を尊敬する。
内容はさておき、その信念を支持する。
教授の名前は、金東吉(キム・ドンギル)延世(ヨンセ)大名誉教授。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
金東吉 金東吉延世大学名誉教授)
(注※)【韓国・中央N報の記事より、転載】
『金東吉(キム・ドンギル)延世(ヨンセ)大名誉教授にネットユーザーの非難が殺到し
た。
金東吉教授が先月15日、自分のホームページに盧武鉉前大統領に向かって「自殺する
か監獄に行け」という内容の文を書いたからだ。
金教授は「もらったらもらったと言わなければ」という文で「盧武鉉さんが他人の金を
一銭ももらっていないと最後まで言い張るのは難しくなるだろう」とし「一国の大統領を
務めた者が、そのように卑怯にふるまってどうなるか」と言った。続いて「はじめから検
察官に、はい、もらうにはもらいましたがそんなにはもらいませんでした」と謙遜して言
ってもこ憎たらしいのに、そんなことはないときっぱりしらを切るからもっと憎く感じる」
と言った。
それとともに「人間においていちばん大事なのは真実なのに、真実がなければ言いわけ
できないものと決まっている」とし「そんな者が公職の高い地位に座れば、多くの民が苦
労をするほかない」と付け加えた。金教授は最後に「彼が5年間やらかしたことは次の政
権がどうにか正すことができると言っても、道徳的な過ちは直すあてがないから国民に謝
る意味で自殺をするとか、それとも裁判を受けて監獄へ行って服役するほかないだろう」
と主張した。こうした事実が伝わり、ネチズンたちは激しく責めはじめた。あるネチズン
は「発言が現実になった。自分で自分の墓でも探しておけ」と興奮を隠せなかった。
しかしまた別のネチズンは「一国の前職大統領の逝去は哀悼しなければならないことだ。
しかし一国を統治した国家に影響力ある人物が自殺を選択したということは同情するに値
することではない。理性を取り戻して誰のせいにもせず、冥福を祈らなければならない」
と書いた。
現在、金教授のホームページはアクセスできない状態だ』(以上、09年5月26日)
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2009年6月26日金曜日
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