2009年6月11日木曜日

*E-Magazine June 11th





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子育て最前線の育児論byはやし浩司  
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メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●自己正当化(Self-Justification)

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なんだかんだと理由をこじつけて、
自分を正当化する。
そういうケースは、多い。
たとえば自分が失敗しても、「もともとは、
あいつが悪いから、こうなった」
「たまたま運が悪かっただけ」と。
が、それを悪いことと決めつけてはいけない。
(よくないことは、確かだが……。)

つまりそうすることで、人は、自分の心を
救済しようとする。
個人的なことというよりは、だれにでも
そういう傾向があるという意味で、
心理学の登場ということになる。

+++++++++++++++++

●投射

 ある夕方、A君(小3)の母親から電話がかかってきた。
話を聞くと、A君が、「林先生(=私のこと)が、ぼくを嫌っている」と言っているという。
しかし私には、そんな気持ちは、まったくない。
そこで話をよく聞くと、こういうことだった。

 A君が勉強から逃げ始めたのは、その数か月ほど前からのことだった。
理由はわからない。
たぶん過剰負担からではなかったか。
学習中も、やる気なさそうに、時間をつぶすことが多くなった。
そこで私はそのつど、こまかく、A君を注意した。
が、それがよくなかった。
A君はやがて私を避けるようになり、ついで、私を嫌うようになった。
A君が、(私ではなく、A君が)、私を嫌った。

 心理学の世界にも、「投射」という言葉がある。
自分の感情を相手に投射させて、「自分が悪いのは、相手のせいだ」と、責任を回避する
ことをいう。

 たとえばこのばあいも、A君は、(勉強がいやだ)→(林先生がぼくにきびしい)
→(だからぼくは、林先生が嫌い)→(林先生がぼくを嫌っているからだ)と、
自分の気持ちを、私に投射してしまった。

 わかりやすく言えば、たとえばあなたがBさんならBさんを嫌いだったとする。
そのときあなたは、こう言って、自分の感情を正当化する。
「私がBさんを嫌いなのは、私が悪いからではない。
Bさんが、私を嫌っているからだ」と。
つまり私には責任はない。
そういうふうに思わせているのは、Bさんのほうだ、と。

●老人心理

 私もその仲間に入って、おもしろいことに気づきつつある。
老人世界という(仲間)である。

 相手が幼児のばあいも、それがよくわかる。
しかし相手が老人だと、さらにそれがよくわかる。
老人になればなるほど、人はまさに、心理学の教科書どおりの行動をするようになる。
それに気づきつつある。

 老人といっても、いろいろある。
老人のなり方も、人によって、みな、ちがう。
しかし老人になればなるほど、その人の内なる「私」が、モロに表に出てくる。
たとえばフロイトは、「性的エネルギー」という言葉を使った。
ユングは、「生的エネルギー」という言葉を使った。
そうしたエネルギーは、老人を見れば、よくわかる。
それこそ車椅子に座ったままの生活をしているような老人が、一日中、「飯(めし)、
よこせエ(=くれ)」と叫んでいる。

 そういう姿を見ていると、生きる力のものすごさを感ずる。
と、同時に、「ああ、これがユングの説いた、生的エネルギーなんだ」とわかる。
もちろん色恋沙汰も、多い。
近くの老人ホームで働く女性が、こう教えてくれた。
「80代の女性たちが、1人の男性を取りあって、とっくみあいの喧嘩を
していますよ」と。
老人だから、そういうことに興味をなくすと考えるのは、まったくの誤解。
むしろ若いときより、はげしくなる。

 つまりこういう形で、老人たちは、人間の心理を、そのまま表現してくれる。
(あるいはフロイトやユングは、老人を見ながら、心理学をまとめたのかもしれない?
今、ふと、そんな疑念がわいてきた。)
ともかくも、老人たちを見ていると、相手が幼児ではわからなかったようなことが、
わかることがある。
「老人」といっても、私自身も含めての話だが……。

●嫌う

 話を戻す。
「嫌う」という感情は、ものすごいエネルギーを消耗する。
仏教の世界には、四苦八苦の一つとして、『怨憎会苦(おんぞうえく)』という言葉
さえある。

 人を嫌うのも、たいへんということ。
疲れる。
扱い方をまちがえると、心が腐る。
それゆえに、人は、(嫌う)という感情を、いろいろな形で、自分から発散させようとする。
そのひとつが、「投射」ということになる。
「私があの人を嫌うのは、私が悪いからではない。あの人が私を嫌っているからだ」と。

 先のA君(小3)のケースでいうなら、「ぼくが勉強を嫌いになったのは、林先生が
ぼくを嫌っているからだ」と。
そこでこういうケースのばあい、たいてい先手を打って、A君は、私の悪口を言い始める。
「林先生は、えこひいきをする」
「林先生は、まちがえると怒る」
「林先生は、ていねいに教えてくれない」と。

 つまりそういう形で、親を誘導する。
親をして、「そんな教室なら、やめなさい」と思うようにしむける。
子どもがよく使う手である。
だからこのタイプの子ども(プラス親)は、やめ方がきたない。
ある日突然、電話一本で、そのままやめていく。
「今日でやめます!」とか、など。

●「私」はどこに?

 こうして人の心というのは、集約され、普遍化される。
つまりどの人も、「私は私」と思って行動しているかもしれないが、その実、
ある一定のパターンで行動しているのがわかる。
それが「普遍化」ということになる。
わかりやすく言えば、北海道のスズメも、沖縄のスズメも、スズメはスズメ。
同じように、アラスカに住む人間も、タスマニアに住む人間も、人間は人間。
大きく違うようで、それほど違わない。
あるいはまったく同じ。

 言い換えると、その(同じ)という部分を抜け出さないかぎり、人は「私」を
つかむことはできない。
そのためには、まず人間の心理を知り尽くす。
その上で、「では、私はどうあるべきか」を考える。
その操作を怠ると、それこそハイデッガー※の言った、『ただの人』になってしまう。
ハイデッガーは、軽蔑の念をこめて、『ただの人』という言葉を使った。
が、それはとりもなおさず、「個人の死」を意味する。
「人生の敗北」を意味する。
 余計なことかもしれないが……。

(注※)ハイデッガー(マルティン・ハイデッガー)……1889~1976、
ドイツの哲学者。20世紀最大の哲学者と評されている。
「自分の未来に不安をもたず、自己を見失ってだらだらと生きる堕落人間を、
ひと(das Mann)と呼びました」(「哲学」宇都宮輝夫・PHP)とある。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi
Hayashi 林浩司 BW BW教室 ハイデッガー Das Mann ただの人
はやし浩司 投射 防衛機制 フロイト 自己正当化 ハイデガー)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●「抑圧」の恐ろしさ(Another Room in the Mind)

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よく兵士、あるいは元兵士の残忍行為が問題になる。
最近でも、アメリカの収容所で、アメリカ兵が
イラク軍捕虜に対して暴力、暴行を繰り返したという事件が
問題になった。

こう書くからといって、アメリカ兵を擁護するわけではない。
が、こうした問題は、常に戦争について回る。
戦時中には、日本軍もした。
ドイツ軍もした。
その多くはPTSDに苦しみ、さらには心そのものを
病んでしまう兵士も珍しくない。
昨年見た映画の、『アナザー・カントリー』も、そうした兵士を
題材にした映画だった。

が、こうした問題も、心理学でいう「抑圧」を当てはめてみると、
理解できる。

++++++++++++++++++++

●抑圧

 自分にとって都合が悪い記憶があると、人はそれは心の別室を用意し、そこへそれを
押し込めてしまう。
そうすることで、自分の心が不安定になったり、動揺したりするのを防ぐ。
こうした現象を、心理学の世界では、「抑圧」という。
「隠ぺい記憶」と言う人もいる。

 もともとは乳幼児期の不快な思い出や記憶について起こる現象を説明したものだが、
もちろんおとなになってからも、ある。
何かのことで失敗したり、いやなことがあったりすると、それをできるだけ早く
忘れようと、心の別室を用意し、その中に押し込んでしまう。

●上書きされない

 ふつう記憶というのは、どんどんと上書きされていく。
たとえば不愉快なことがあっても、そのあと楽しいことがつづくと、過去の記憶を
忘れてしまう。

 が、心の別室に入った記憶には、その(上書き)という操作が働かない。
別室に入ったまま閉じ込められているから、修正されるということもない。
だから何かの拍子に表に出てくる。
たとえば高校生になった子どもが、5年前、あるいは10年前にあったことを持ち出し、
「あのとき、テメエは!」と言って、親に対してどなり散らすことがある。

 また最近聞いた話では、ともに70歳前後の夫婦なのだが、喧嘩するたびに、30年前、
40年前の話を持ち出して、たがいに責めあうという。
それを横で聞いていた娘(50歳くらい)は、こう言った。
「どうしてそんな昔の話をして、喧嘩するのでしょう。
頭がボケてきたのでしょうか」と。

 もちろん頭はボケていない。
(あるいはボケとは関係ない。)
抑圧された記憶というのは、そういうもの。

●子どもの世界でも

 「いい子ほど心配」とは、教育の世界では、よく言う。
先生や親の言うことに従順で、すなお。
ハイハイと指示や命令に従う……。
しかしこのタイプの子どもほど、あとあと心をゆがめやすい。
(あるいはその過程で、すでに心をゆがめている。)
思春期前夜、あるいは思春期になると、突然変化することも珍しくない。
はげしい家庭内暴力や、引きこもりにつながることもある。
何かのことで突発的に爆発して、こう叫んだりする。
「こんなオレにしたのは、テメエだろう!」と。

 心の別室には、キャパシティ(容量)というものがある。
そのキャパシティを超えると、隠ぺいされた記憶が、そこから突然、飛び出す。
本人ですらも、コントロールできなくなる。

 そんなわけで、子どもを指導するとき大切なことは、子どもに、
心の別室を作らせないこと。
まず言いたいことを言わせる。
したいことをさせる。
常に心を開放させる。
それが子どもの心をゆがめないコツということになる。

●兵士のばあい

 話を戻す。
もちろん私には戦争の経験はない。
ないが、おおよその見当はつく。
つまり兵士たちは、戦場では、慢性的に恐怖感にさらされる。
そのとき兵士は、その恐怖感を、心に別室を作り、そこへ押し込めようとする。
その上で、勇敢な兵士を演じたりする。

 が、これが心をゆがめる。
何かのきっかけ、たとえば相手が捕虜であっても、敵の顔を見たとたん、隠ぺい
された記憶が暴走し始める。
それは「記憶の暴走」と言うような、簡単なものではないかもしれない。
暴走させることによって、心の別室にたまった、恐怖感を解消しようとするの
かもしれない。
それが捕虜への、暴力や暴行へとつながっていく。

●教授の殺害事件

 今年(09)に入ってから、ある大学で、ある大学の教授が、元学生に殺害
されるという事件が起きた。
動機はまだはっきりしていないが、その学生は教授に対して、かなりの恨みを
もっていたらしい。

 この事件も、「抑圧」という言葉を当てはめてみると、説明できる。
というのも、その元学生のばあいも、元学生とはいっても、大学を卒業してから、
すでに10年近くもたっている。
ふつうなら、いろいろな思い出が上書きされ、過去の思い出は消えていてもおかしく
ない。
が、先にも書いたように、一度心の別室に入った記憶は、上書きされるということは
ない。
いつまでも、そのまま心の中に残る。
そこで時間を止める。

●心の別室

 ところで「心の別室」という言葉は、私が考えた。
心理学の正式な用語ではない。
しかし「抑圧」を考えるときは、「心の別室」という概念を頭に描かないと、どうも
それをうまく説明できない。
さらに「心の別室」という概念を頭に描くことによって、たとえば多重人格性などの
現象もそれで説明ができるようになる。

 人は何らかの強烈なショックを受けると、そのショックを自分の力では処理することが
できず、心の別室を用意して、そこへ自分を押し込めようとする。
「いやなことは早く忘れよう」とする。
しかし実際には、「忘れる」のではない。
(その記憶が衝撃的なものであればあるほど、忘れることはできない。)
だから心の中に、別室を作る。
そこへその記憶を閉じ込める。

●では、どうするか

 すでに心の別室を作ってしまった人は、多いと思う。
程度の差の問題で、ほとんどの人に、心の別室はある。
暗くてジメジメした大倉庫のような別室をもっている人もいる。
あるいは物置小屋のような、小さな別室程度の人もいる。

 別室が悪いと決めつけてはいけない。
私たちは心の別室を用意することによって、先にも書いたように、
自分の心が不安定になったり、動揺したりするのを防ぐ。

 が、その別室の中の自分が、外へ飛び出し、勝手に暴れるのは、よくない。
その瞬間、私は「私」でなくなってしまう。
ふつう心の別室に住んでいる「私」は陰湿で、邪悪な「私」である。
ユングが説いた「シャドウ」も、同じように考えてよい。
あるいはトラウマ(心的外傷)も、同じように考えてよい。
そこで大切なことは、まず自分自身の中にある、心の別室に気がつくこと。
そしてその中に、どんな「私」がいるかに気がつくこと。

 シャドウにしても、トラウマにしても、一生、その人の心の中に残る。
消そうとして消えるものではない。
だったら、あとは、それとうまく付きあう。
うまく付きあうしかない。
まずいのは、そういう自分に気がつかないまま、つまり心の別室にきがつかない
まま、さらにはその中にどんな「私」がいるかに気がつかないまま、その「私」に
振り回されること。
同じ失敗を、何度も繰り返すこと。

 たとえば夫婦喧嘩にしてもそうだ。
(私たち夫婦も、そうだが……。)
もうとっくの昔に忘れてしまってよいはずの昔の(こだわり)を持ち出して、
周期的に、同じような喧嘩を繰り返す。
「あのときお前は!」「あなただってエ!」と。

 もしそうなら、それこそ「愚か」というもの。
が、もし心の別室に気がつき、その中にどんな「私」がいるかを知れば、あとは
時間が解決してくれる。
5年とか、10年はかかるかもしれないが、(あるいは程度の問題もあるが)、
時間が解決してくれる。

 あとは心の別室を静かに閉じておく。
その問題には触れないようにする。
心の別室のドアは、開かないようにする。
対処の仕方は、シャドウ、もしくはトラウマに対するものと同じように考えてよい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi
Hayashi 林浩司 BW BWきょうしつ 心の別室 はやし浩司 抑圧 抑圧と
心の別室 シャドウ はやし浩司 トラウマ)

(付記)

 心の別室といっても、けっしてひとつではない。
そのつど人は、様々な大きさの別室を、作る。
作って、自分の心を救済しようとする。

 ……と考えていくと、心の別室というのは、脳の問題というよりは、習慣の問題
ということになる。
心の別室を作りやすい人と、そうでない人がいるということ。
何かあるたびに、心の別室を作り、そこへ自分を閉じ込めようとする人もいれば、
そのつど自分を発散させ、心の別室を作らない人もいる。
だから「習慣の問題」ということになる。

 もちろんできれば、心の別室など、作らないほうがよい。
そのつど自分を発散させたほうがよい。

(追記)

 同じような原稿を、この3月にも書いた。
あわせて読んでほしい。

『●「抑圧」(pressure)

+++++++++++++

昨日、「抑圧」について書いた。
強烈な欲求不満がつづくと、人(子ども)は、
その欲求不満を、心の中の別室に押し込んで、
それから逃れようとする。
が、それでその欲求不満が解消されるわけではない。
10年とか、20年とか、さらには40年とか、
50年たっても、それが何らかのきっかけで、
爆発することがある。

「こんなオレにしたのは、お前だろう!」と。

++++++++++++++++++

が、こうした「抑圧」は、形こそちがえ、また
大小のちがいもあるが、だれにでもある。
あなたにもある。
私にもある。

だから、何かのことで不満を感じたら、そのつど、
外に向かって吐き出すのがよい。
けっして、心の中にためこまない。
徒然草の中にも、『もの言わぬは、腹ふくるるわざなれ』※
とある。
「言いたいことも言わないでいると、腹の中がふくれてくる」
という意味である。

が、その程度ですめばよい。
ひどいばあいには、心に別室ができてしまう。
本来なら楽しい思い出が上書きされ、不愉快な思い出は消える。
しかし別室に入っているため、上書きされるということがない。
そのまま、それこそ一生、そこに残る。
そして折につけ、爆発する。

「こんなオレにしたのは、お前だろう!」と。

そして10年前、20年前の話を持ち出して、相手を責める。

こうした抑圧された感情を解消するためには、2つの
方法がある。

ひとつは、一度、大爆発をして、すべて吐き出す。
もうひとつは、原因となった、相手が消える。
私のばあいも、親に対していろいろな抑圧があるにはあった。
しかし父は、私が30代のはじめに。
母は、昨年、他界した。
とたん、父や母へのこだわりが消えた。
同時に、私は抑圧から解放された。

親が死んだことを喜んでいるのではない。
しかしほっとしたのは、事実。
それまでに、いろいろあった。
ありすぎてここには書ききれないが、それから解放された。
母は母で、私たちに心配をかけまいとしていたのかもしれない。
しかしどんな生き方をしたところで、私たちは、それですまなかった。
「では、お母さんは、お母さんで、勝手に生きてください。
死んでください」とは、とても言えなかった。

人によっては、「朝、見に行ったら死んでいたという状態でも
しかたないのでは」と言った。
が、それは他人のことだから、そう言える。
自分の親のこととなると、そうは言えない。
いくらいろいろあったにせよ、家族は家族。
いっしょに生きてきたという(部分)まで、消すことはできない。

話が脱線したが、抑圧は、その人の心までゆがめる。
そういう例は、ゴマンとある。
大切なことは、心の別室を作るほどまで、抑圧をためこまないこと。
言いたいことも言えない、したいこともできないというのであれば、
すでにそのとき、その人との人間関係は終わっていると考えてよい』。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●『ただの人(Das Mann)』

+++++++++++++++++++++++++

「(ハイデッガーは)、自分の未来に不安をもたず、
自己を見失って、だらだらと生きる堕落人間を、
ひと(das Mann)と呼びました」(「哲学」宇都宮輝夫・
PHP)と。

+++++++++++++++++++++++++

●堕落人間

 堕落人間(ハイデッガー)は、いくらでもいる。
ここにも、そこにも、あそこにも……。
年齢が若いならともかくも、60歳代ともなると、言い訳は通用しない。
いまだに「老後は孫の世話と、庭いじり」と言っている人が多いのには、驚かされる。
「晴耕雨読」というのも、そうだ。
そういうバカげた老人像を、いつ、だれが作り上げた?

 私の知人に、公的機関の副長職を、満55歳で定年退職したあと、以後、30年近く、
庭いじりだけをして過ごしている人がいる。
30年だぞ!
年金だけで、毎月30数万円。
妻も公的な機関で働いていたから、2人の年金を合わせると、相当な額になる。

 ここで「庭いじりだけ」と書いたが、本当に庭いじりだけ。
子どもはいない。
孫もいない。
近所づきあいもしない。
まったく、しない。
もともと農家出身だったらしく、裏には、100坪前後の畑ももっている。
そのくせ周囲の家にはうるさく、隣の家にある木の葉が落ちてきただけで、樋(とい)が
つまると、その家に苦情の電話を入れたりする。

 最近、私はそういう老人がいるのを知ると、腹の底から怒りがこみあげてくるように
なった。
加齢とともに、その怒りは、ますます大きくなってきた。
ねたみとか、ひがみとか、そういう低次元な怒りではない。
人気として許せないというか、そういう次元の怒りである。
が、そういう私の気持ちを、あのハイデッガーは、みごとに一言で表現してくれた。
『ただの人(das Mann)』と。

●生きがい

 世の中には、恵まれない老人はいる。
が、その一方で、恵まれすぎている老人もいる。
その知人にしても、介護保険制度が始まって以来、週に2回、在宅介護を受けている。
……といっても、どこか具合が悪いということでもない。
ときどき見かけるが、夫婦で庭の中を、歩き回っている。
元役人ということで、そういう制度の使い方は、よく心得ているらしい。

 その知人をよく知る、同年齢のX氏は、こう皮肉る。
「あれじゃあ、まるで、毎月30数万円の税金を投入して、庭の管理をしてもらって
いるようなものですナ」と。

 が、うらやましがるのは、ちょっと待ってほしい。
いくら年金がそれだけあるといっても、また庭いじりができるといっても、私なら、
そんな生活など、数か月も耐えられないだろう。
何が「晴耕雨読」だ。
自分がその年齢になってみてはじめてわかったことがある。
それがこれ。
「老人をバカにするにも、ほどがある!」と。

 私たち老人が求めるものは、「生きがい」。
わかりやすく言えば、「自分を燃焼させることができる仕事」。
晴れの日に、畑を耕して、それがどうだというのか?
雨の日に、本を読んで、それがどうだというのか?
「だから、それがどうしたの?」という質問に、答のない生活など、いくらつづけても
意味はない。
ムダ。
そういう生活をさして、「自己を見失って、だらだらと生きる」という。

 私はその知人に、こう言いたい。
「お前らのような老人がいるから、ぼくたちは肩身の狭い思いをしているのだ」と。
若い人たちは、そういう老人を見て、老人像を作ってしまう。
誤解とまでは言えないが、しかし懸命に生きている老人まで、同じ目で見てしまう。
だから腹が立つ。

 いいか、老人たちよ、よく聞け。
あのクラーク博士はこう言った。
『少年よ、野心的であれ!』と。
本当は少しちがった意味で、「Boys, be ambitious」と言ったのだが、同じ言葉を、
私はそうした老人たちに言いたい。

『老人よ、野心的であれ!』と。
この意見は、少し過激すぎるだろうか?

(付記)

「少年よ、大志を抱け」で検索してみたら、6年前に書いた原稿が見つかった。
そのまま掲載する。

+++++++++++++++++++++

●納得道(なっとくどう)と地図

●納得道

 人生には、王道もなければ、正道もない。大切なのは、その人自身が、その人生に納得
しているかどうか、だ。あえて言うなら、納得道。納得道というのなら、ある。

 納得していれば、失敗も、また楽しい。それを乗り越えて、前に進むことができる。そ
うでなければ、そうでない。仮にうまく(?)いっているように見えても、悶々とした気
分の中で、「何かをし残した」と思いながら生きていくことぐらい、みじめなことはない。
だから、人は、いつも自分のしたいことをすればよい。ただし、それには条件がある。

 こんなテレビ番組があった。親の要請を受けて、息子や娘の説得にあたるという番組で
ある。もともと興味本位の番組だから、それほど期待していなかったが、それでも結構、
おもしろかった。私が見たのは、こんな内容だった(〇二年末)。

 一人の女性(二〇歳)が、アダルトビデオに出演したいというのだ。そこで母親が反対。
その番組に相談した。その女性の説得に当たったのは、俳優のT氏だった。

 「あなたが思っているような世界ではない」「体を売るということが、どういうことかわ
かっているの?」「ほかにしたいことがないの?」「そんなにセックスがしたいの?」と。

 結論は、結局は、説得に失敗。その女性は、こう言った。「私はアダルトビデオに出る。
失敗してもともと。出ないで、後悔するよりも、出てみて、失敗したほうがいい」と。

 この若い女性の理屈には、一理ある。しかし私は一人の視聴者として、その番組を見な
がら、「この女性は何とせまい世界に住んでいることよ」と驚いた。情報源も、情報も、す
べて、だれにでも手に入るような身のまわりにあるものに過ぎない。あえて言うなら、あ
まりにも通俗的。「したいことをしないで、あとで後悔したくない」というセリフにしても、
どこか受け売り的。そのとき私は、ふと、「この女性には、地図がない」と感じた。

 納得道を歩むには、地図が必要。地図がないと、かえって道に迷ってしまう。しなくて
もよいような経験をしながら、それが大切な経験だと、思いこんでしまう。私がここで「条
件がある」というには、それ。納得道を歩むなら歩むで、地図をもたなければならない。
これには若いも、老いもない。地図がないまま好き勝手なことをすれば、かえって泥沼に
落ちてしまう。

●地図 

 人生の地図は、三次元で、できている。(たて)は、その人の住んでいる世界の広さ。(横)
は、その人の人間的なハバ。(深さ)は、その人の考える力。この三つが、あいまって、人
生の地図ができる。

 (たて)、つまり住んでいる世界の広さは、視点の高さで決まる。自分の姿を、できるだ
け高い視点から見ればみるほど、まわりの世界がよく見えてくる。そしてそこには、知性
の世界もあれば、理性の世界もある。それをいかに広く見るかで、(たて)の長さが決まる。

(横)、つまり人間的なハバは、無数の経験と苦労で決まる。いろいろな経験をし、その中
で苦労をすればするほど、この人間的なハバは広くなる。そういう意味で、人間は、子ど
ものときから、もっと言えば、幼児のときから、いろいろな経験をしたほうがよい。

 が、だからといって、人生の地図ができるわけではない。三つ目に、(深さ)、つまりそ
の人の考える力が必要である。考える力が弱いと、ここにあげた女性のように、結局は、
低俗な情報に振りまわされるだけということになりかねない。

 で、もう一度、その女性について、考えてみる。「アダルトビデオに出演する」というこ
とがどういうことであるかは別にして、……というのも、それが悪いことだと決めてかか
ることもできない。あるいはあなたなら、「どうしてそれが悪いことなのか」と聞かれたら、
何と答えるだろうか。この問題は、また別のところで考えるとして、まず(たて)が、あ
まりにも狭い。おそらくその女性は、子どもときから低俗文化の世界しか知らなかったの
だろう。テレビを通してみる、あのバラエティ番組の世界だ。

 つぎのこの女性は、典型的なドラ娘。親の庇護(ひご)のもと、それこそ好き勝手なこ
とをしてきた。ここでいう(横の世界)を、ほとんど経験していない。そう決めてかかる
のは失礼なことかもしれないが、テレビに映し出された表情からは、そう見えた。ケバケ
バしい化粧に、ふてぶてしい態度。俳優のT氏が何を言っても、聞く耳すらもっていなか
った。

 三つ目に、(深さ)については、もう言うまでもない。その女性は、脳の表層部分に飛来
する情報を、そのまま口にしているといったふう。ペラペラとよくしゃべるが、何も考え
ていない? 考えるということがどういうことなのかさえ、わかっていないといった様子
だった。いっぱしのことは言うが、中身がない。

 これでは、その女性が、道に迷って、当たり前。その女性が言うところの「納得」とい
うのは、「狭い世界で、享楽的に、したいことだけをしているだけ」ということになる。

●苦労

 納得道を歩むのは、実のところ、たいへんな道でもある。決して楽な道ではない。楽し
いことよりも、苦労のほうが多い。いくら納得したからといって、また前に別の道が見え
てくると、そこで悩んだり、迷ったり、ときにはあと戻りすることもある。あえていうな
ら、この日本では、コースというものがあるから、そのコースに乗って、言われるまま、
おとなしくそのコースを進んだほうが得。楽。無難。安心。納得道を行くということは、
そのコースに背を向けるということにもなる。

 それに成功するか、失敗するかということになると、納得道を行く人のほうが、失敗す
る確率のほうが、はるかに高い。危険か危険でないかということになれば、納得道のほう
が、はるかに危険。だから私は、人には、納得道を勧めない。その人はその人の道を行け
ばよい。私のようなものが、あえて干渉すること自体、おかしい。

 が、若い人はどうなのか。私はこうした納得道を歩むというのは、若い人の特権だと思
う。健康だし、気力も勇気もある。それに自由だ。結婚には結婚のすばらしさがあるが、
しかし結婚には、大きな束縛と責任がともなう。結婚してから、納得道を歩むというのは、
実際問題として、無理。だから納得道を歩むのは、若いときしかない。その若いときに、
徹底して、人生の地図を広げ、自分の行きたい道を進む。昔、クラーク博士という人が、
北海道を去るとき、教え子たちに、『少年よ、野心的であれ(Boys, be ambitious!)』と言
ったというが、それはそういう意味である。

 私も若いときには、それなりに納得道を歩んだ。しかしそのあとの私は、まさにその燃
えカスをひとつずつ、拾い集めながら生きているようなもの。それを思うと、私はよけい
に、子どもたちにこう言いたくなる。「人生は、一度しかないのだよ。思う存分、羽をのば
して、この広い世界を、羽ばたいてみろ」と。つまるところ、結論は、いつもここにもど
る。

 この「納得道」という言い方は、私のオリジナルの考え方だが、もう少し別の機会に、
掘りさげて考えてみたい。今日は、ここまでしか頭が働かない。
(03-1-10)


Hiroshi Hayashi++++++++June.09+++++++++はやし浩司

●  テロ支援国家?(Is North Korea a Terrorists’ Support Nation?)

To: Ms. H. Clinton, the Secretary of the United States of America,

Please remember that, first of all, North Korea is not a “Terrorists’ Support Nation”.
It is NOT. North Korea is a “Terrorists’ Nation” itself.
Now you feel terrified and something which is terrifying you by the ICBM’s with nuclear
weapons and can understand how we feel about North Korea.
We have pointed out many times in these past five years, the mistakes made by C. Hill
and then we hope you would not repeat the same mistakes as C. Hill did through the
6-nation conference.

ニュースを読んで、いろいろ考える。
その一。
アメリカのクリントン国務長官が、K国を
テロ支援国家に再指定するかもしれないと
言い出した。

テロ支援国家?
とんでもない!
あの国は、テロ支援国家ではない。
テロ国家そのもの!

「あのね、クリントン国務長官、
K国はテロ支援国家ではありませんよ。
テロ国家そのものですよ。
日本を脅し(terrified)、韓国を脅している。
今度はアメリカを脅している。
先のミサイル発射で、日本人は、どれほど
恐怖を感じたことか
つぎは核兵器。
私たちは直接的な恐怖を感じています。
だから、K国は、テロ支援国家ではありません。
テロ国家そのものです。
指定するなら、(テロ国家)そのものと指定してください」。

大切なことは、C. Hill国務次官補がした愚かなまちがいを、繰り返さないこと。
あのC. Hillは、独断と偏見で、極東アジア情勢をめちゃめちゃにしてしまった。
聞くところによると、「私が極東問題を解決してみせる」と、自ら国務省内部で
名乗り出て、あの地位に就いたとか。

その結果が今。
C. Hill氏の息子氏は、韓国のH社製の車を乗り回している。
大の韓国びいきということは、そのことでもわかる。
(ついでに、たいへんな日本嫌いということも、漏れ伝わってきている。)
それはわかるが、しかし当時の大統領は、あのノ氏。
K国の代弁者(スポークスマン)とまで揶揄(やゆ)された、あのノ氏。
結局は、C. Hill氏も、「太陽政策」とやらに乗せられただけ。
つまり、K国にだまされた。
よいように扱われた。
今ごろそれがわかっても、遅いが……。

++++++++++++++++++H.Hayashi

●韓国のみなさんへ

 あんな国を、本気で相手にしてはいけない。
相手にしても意味はない。
アジアどころか、世界でも最貧国のあんな国を、本気で相手にして、どうなる?

 ここ数日、韓国の新聞記事を呼んでいると、勇ましい好戦ばかりが目立つ。
まるで戦争ゲームでも楽しんでいるかのよう。
それもそのはず。
韓国の軍隊は、完全に近代化している。
兵隊の動きを、宇宙から、ひとり残らず、すべて監視している。
かたやK国の軍隊は、終戦直後の日本のまま。
どうあがいても、K国に勝ち目はない。
(だからこそ、核兵器に最後の望みをかけているということにもなるのだが……。)

が、しかしそれでも戦争はしてはいけない。
この話は、勝つとか、負けるとか、そういうレベルの話ではない。
K国は戦争を突破口に、自分たちの悪政を正当化しようとしている。
それがわかったら、あんな国に手を出してはいけない。
そんなことは、ほんの少しだけ想像力を働かせてみれば、わかること。

 韓国とて、無事にすまない。
K国が崩壊すれば、そのまま朝鮮半島は大混乱。
その収拾をするだけでも、たいへん!
戦後処理となると、さらに、たいへん!
核兵器が使われるようなことにでもなれば、それこそ取り返しのつかないことに
なる。
もちろん韓国経済は、奈落の底に。
日本経済も、奈落の底に。

 だったら、ここはK国の友邦国である中国に責任を取ってもらえばよい。
またそういう道筋を立てる。
韓国や日本が、あえて火中の栗を拾う必要はない。
言い換えると、K国問題は、中国問題と考える。
中国が動かないかぎり、K国は動かない。
中国も、そのことを、いちばんよく知っている。

 だからK国が仮に局地的な攻撃をしかけてきても、韓国は、そして日本も、
ノラリクラリと、それをかわせばよい。
そのつど国際社会に訴えていき、その一方で、中国を締めあげればよい。
「あなたの責任で、K国を何とかしろ!」と。

 韓国の国益、そして日本の国益、その第一は、韓国や日本を戦場としないこと。
身勝手とか、臆病者と言われても、気にすることはない。
もともとあんな国、本気で相手にする必要はない。
あんな国を相手に、正義を貫いても意味はない。
その価値もない。

 そう言えば、この日本でも敵地攻撃論が台頭してきた。
「攻撃されれば、反撃する」と。
こういうおバカがいるから、いつまでたっても、戦争は終わらない。
報復が報復を呼び、やがて戦争は泥沼化する。
で、その結果、犠牲になるのは、いつも一般の民衆。

 韓国も日本も、引けるところまで、身を引く。
さらに身を引く。
またさらに身を引く。

今こそ、私たちは、その忍耐力が試されている。
その忍耐力こそが、韓国、ならびに日本の平和と安全を守る。
けっしてうかつに手を出してはいけない。
手を出せば、それこそK国の思うツボ。
そのままK国のワナにかかる。
「待ってました!」とばかり、K国は、韓国や日本に攻撃を拡大してくる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
K国のミサイル迎撃反対 ICBM迎撃反対)
(2009年6月8日朝、記)


Hiroshi Hayashi++++++++June09++++++++++はやし浩司

●認識の甘さ(Overly Optimistic Diplomacy)

++++++++++++++++++++

中朝国境付近でK国側に身柄を拘束された、
アメリカ人記者、2人の判決が出た。
「12年の労働教化刑(懲役刑)という。

判決はともかくも、この事件の発端は、2人の
記者の認識の甘さと考えてよい。
報道によれば、2人は一度、K国内に侵入している。
手引きをしたのが、K国側のスパイだったという。
そして中国側に一度出たところで、身柄を拘束
された。
もしそうだとするなら、2人は
まんまとワナにはまったとみてよい。

その結末が、12年の労働教化刑!

++++++++++++++++++++

●C・ヒル氏

 この事件を最初に知ったとき、私がまず感じたのが、認識の甘さ。
「アジア情勢をナメている」というか、「甘く見ている」というか。
その心情は、アメリカの前国務次官補のC・ヒル氏のそれと相通ずる。

 あのC・ヒル氏は調子に乗って、ニューヨーク・フィルをピョンヤンまで
連れてくるようなことまでした。
が、K国は、そんな国ではない。
そんな国でないことは、私たち日本人なら、みな、知っている。

 2人の記者への同情心は、残念ながら、私たちには、ほとんどない。
2人の記者は、中朝国境へ向かう前、アメリカ人牧師に警告されていた。
その牧師は一度身柄を拘束されたが、命かながら、K国を脱出した。
そういう経験の持ち主である。
そういう牧師の警告を無視して、2人は、K国領土内に侵入した。

 つまり日本人の拉致問題とは、基本的には、異質の問題である。
入りたくて入ったアメリカ人記者と、行きたくもないのに、誘拐された
日本人被害者。
同じように同情しろというほうが、無理。
そればかりか、その意図が不明。
私には、ハネあがった2人の記者が、自分の名声のために、K国にノコノコと出かけて
いったようにしか思えない。
あのC・ヒル氏のように!

 時事通信は、つぎのように伝える。

【ソウル8日時事】

『K国中央通信は8日、K国の中央裁判所(最高裁に相当)が、拘束中の米国人女性記者
2人に対し、12年の労働教化刑を言い渡したと伝えた。オバマ米政権がK国の核実験を
受け、テロ支援国再指定検討など制裁強化の動きを見せている中、米国への挑発を強めた
形だ。今後、米国は身柄解放に向け、K国との交渉を働き掛ける方針だが、難航するとみ
られる。

(中略)

 判決を受けたのは、米ケーブルテレビ局のローラ・リン、ユナ・リー両記者。2人は3
月17日、中朝国境地帯で脱北者問題を取材中に捕らえられ、その後、「不法入国と敵対行
為」などの罪で起訴。K国中央通信は6月4日に「裁判を4日午後3時から始める」と異
例の事前報道を行っていた。

 今後の日程は明らかとなっていないが、これで判決が確定する可能性が高い。K国の刑
法では、朝鮮民族敵対罪は5年以上の労働教化刑で、特に、事案が重大な場合は、10年
以上としている』(ヤフー・ニュース・09年6月9日)。

 同情はしないが、不幸な事件である。
オバマ大統領も、それをよく知っている。
が、これがもし拉致であったとしたら……。
アメリカのカルフォルニアに在住している女子中学生が、拉致され、K国に連れて
行かれたとしたら……。
オバマ大統領は、海兵隊を派遣してでも、その中学生の奪還を試みるだろう。
またそういうことでもしないかぎり、アメリカの世論は、納得しないだろう。

 あのC・ヒル氏にいたっては、リップサービスだけで、拉致問題について本格的に
話し合った形跡は、ゼロ。
そればかりか、「拉致問題を棚上げして、K国援助に加われ。さもなければ、K国を
テロ支援国家指定から解除する」とまで言い切った。
そして事実、2日をおかないで、電撃的に、指定から解除してしまった。
「日本ロビーが動き出す前に……」と。
 
 こうした認識の甘さは、オバマ大統領にもあるのではないか。
いまだに「話し合いを重視」とか、何とか、夢のようなことを口にしている。
C・ヒル氏がしたのと同じ失敗を繰り返そうとしている。
結局は、彼らは、アジアのことは何もわかっていない。
私には、そうとしか、思えないのだが……。


Hiroshi Hayashi++++++++June.09+++++++++はやし浩司

●激太り

+++++++++++++++++++

久しぶりに、ワイフの友人のKさん(女性、68歳)を見て、
驚いた。
ほんの半年前までは、むしろ痩せ型の、ほっそりと
した人だった。
が、先月(5月)に会ってみたら、まるで別人の
ようになっていた。
太っていた。
顔が、お月様のようになっていた。
その直後、私はKさんのうしろ姿を見たが、太って
いるというよりは、体全体が、ポテポテとなったような
感じだった。

言い忘れたが、Kさんというのは、最近、専門医に
アルツハイマー病と診断された女性である。
私のエッセーの中でも、たびたび取りあげてきた。

……と書いても、どうか誤解しないでほしい。
診断名はどうであれ、会って話している間は、Kさんは、
ごくふつうの女性である。
ちゃんとした会話もできる。
道理も通ずる。
ただ、どこかものの言い方もぶっきらぼうで、人の話を聞かない。
一方的にペラペラとしゃべるだけ。
繊細な会話ができない。
そういった特徴はあるにはあるが、ごくふつうの人と、どこも
ちがわない。
それに以前からそうだったといえば、そうだった。
最近になって、とくにそうなったというわけではない。

が、そのKさんが、わずかな期間で、激太りした!

+++++++++++++++++++++

●高齢者の激太りは危険?

 「高齢者の激太りは危険」なのだそうだ。
『アルツハイマー病にならない』(朝日新聞社・井原・荒井著)の中にも、そう書いてある。
いわく「女性が高齢になってから過剰に体重を増すことは、認知症の危険因子と考え
られました」(P114)と。
(ただし正確には、ApoE遺伝子が関連していて、その遺伝子があると、たとえば摂取
脂肪が多いばあい、リスク度が約2・3倍になるという。)

が、因果関係については書いてない。
(認知症になると、激太りすることもあるのか)、それとも(激太りしたから、
そのことによって、認知症が進むのか)。
同書の中では、「肥満は、アルツハイマー病の危険因子のひとつ」とある。
肥満がよくないことは、それでよくわかる。

 で、私の解釈によれば、アルツハイマー病というのが、避けることのできない、
また治療法が確立していない病気であるとするなら、(認知症になると、
激太りすることもある)と考えるほうが、妥当ということになる。
認知症になれば、(アルツハイマー病も当然、それに含まれるが)、当然のことながら、
自己管理能力そのものが低下する。
手当たり次第、そこらにあるものを何でも口の中に入れるようになる。
思い込みも激しくなり、うつ病を併発することもある。
うつ病薬というのは、基本的にはどれにも、食欲増進薬と考えてよい。
うつ病薬を服用したため、劇太りしたという話はよく耳にする。

 つまり、(アルツハイマー病)→(自己管理能力の低下)→(思い込みがはげしくなる)
→(うつ病の併発)→(治療薬の服用)→……と進んで、Kさんは激太りした(?)。

 私が「あんなに変わってしまうと、街ですれちがっても、わからないよ」と言うと、
ワイフも「そうねエ~」と。
つまりそれくらい、Kさんの顔つきは変わってしまっていた。

 が、この問題だけは、まさに「明日はわが身」。
けっして他人ごとで、すまされない。
仮に健康でこのまま老齢期を迎えたとしても、満80歳を過ぎれば、約80%の
人が、90歳を過ぎれば、約90%の人が、認知症になると言われている(某介護
センター所長の言葉)。
早いか遅いかのちがいがあるだけで、私もあなたも、みな、そうなる。

 加えて現在、私はダイエット中。
毎日が空腹感との闘い。
それだけにKさんの話が、身にしみた。


Hiroshi Hayashi++++++++June.09+++++++++はやし浩司

●特別の日(My Special Day)

++++++++++++++++++++

パジャマを脱いで、
白いシャツを着る。
薄緑の、明るいネクタイを締める。
灰色のズボンをはく。

ひげを剃って、
顔を洗う。
髪をといて、
もう一度、ネクタイを締め直す。

台所に行って、洗い物をしている
ワイフに、声をかける。

「誕生日、おめでとう!」

今日は特別の日。
休みにした。
だれにも会わない。
パソコンも持ち歩かない。

そのときアメリカにいる
二男から電話がかかってきた。

それを受けてワイフは
うれしそうに笑っていた。

+++++++++++++++++++++

●「フライト・シミュレーターX」で、空を飛ぶ

 昨夜、マイクロソフト社の「フライトシミュレーターX」を買ってきた。
ほぼ3年ぶりである。
「3年ぶり」というのは、3年ぶり。
それ以前は毎日のように、そのゲームで空を飛んでいた。
で、今回は、「X」。
最新版である。
つい先日、マイクロソフト社は、フライトシミュレーターの開発部を解散した。
だからこの「X」が、最新版、かつ最終版。

 が、進歩とは、こういうことをいう。
この4~5年で、フライト・シミュレーターは格段の進歩を遂げた。
雲を突っ切って、空を自由に飛び回る快感は、何物にも代えがたい。

 ゆいいつの難点は、(それ故に、この3年間遠ざかっていたのだが……)、
あまりにもリアルすぎて、しばらく遊んでいると、船酔いならぬ、
空酔いをしてしまうこと。
だから遊んでも、30分程度が限度。
それ以上遊んでいると、吐き気がしてくる。
自分にそう言い聞かせながら、ソフトをインストールする。

 今ごろ三男も、同じようにして空を飛んでいるにちがいない。


●1日、1万件!

 先ほど、アクセスカウンターのついているHPとBLOGのアクセスカンターを
チェックしてみた。
 すべてにカウンターがついているわけではない。
が、それでも、それらを合計すると、昨日のアクセス数は、合計(累計)で、
1万件以上もあった。
このところ毎日、同じような数字が並ぶ。
月間ベースになおすと、30万件!

 30万件だぞ!
これにマガジン読者数を加えると、月間35万件以上!
35万件だぞ!

 現在、とくに力を入れているのが、「BW公開教室」。
このページにはアクセスカンウンターを設置している。
それによれば、このページだけでも、昨日も、400件前後のアクセスがあった。
(実際には、アクセス件数(回数)よりも、ダウンロード量(転送量)のほうが、重要。)

 ますますやる気が出てきた。
この先、プリント教材も公開してみたい。
今朝、試しに、何枚かを公開してみた。
興味のある方は、ぜひ、訪問してみてほしい!


●映画『ダウト(Doubt)』

+++++++++++++++++++

映画『ダウト』を見てきた。
星は2つの、★★。
メリル・リープ演ずるシスターは、疑惑の
牧師にカマをかけて、結果的に、牧師を
学校から追い出すことに成功する。

が、英語には、(カマをかける)という表現は
ないらしい(?)。
何かしら回りくどい説明を繰り返していた。
(日本語なら、「カマをかけた」という、その一言で、
すむのだが……。)

カマをかける……「相手に本音を吐かせるため、
たくみに誘いをかけること」(広辞苑)とある。
カマは「鎌」と漢字で書く。

敬虔なクリスチャンであったがゆえに、そのカマを
かけるということに、宗教的な罪悪感を覚えた
のだろう。
「カマをかける」というのは、「相手にウソをつくこと」
を意味する。
それがまた、この映画の柱になっている。

全体として、何かしら尻切れトンボのような感じの
映画だった。
だから星は2つ。
もう少しハラハラさせてくれたら、星は3つ。
全体の流れが、どこかチグハグだった。

(1) 人を疑うというのは、いやなこと。
たいへんなエネルギーを消耗する。
いわんやあそこまで疑いつづけるというのは、
ふつうの神経の持ち主にはできない。
そこが不自然だった。

(2) 牧師は果たして性的いたずらを繰り返して
いたのか?
結果的に見ると、「していた」ということに
なる。(オチを話してしまって、ごめん!)
しかしあそこまで、あいまいにしたまま、
映画を終わってしまうというのは、少し
不親切。
難解な文学小説を押しつけられたようで、
不愉快だった。

(3) 牧師は(悪)、シスターは(善)という色分けが、
少し濃すぎた。
演技が少し極端すぎた。
たがいにもう少しマイルドに演技したら、もっと
よい映画になった。
本来なら、善であるシスターのほうに感情移入を
すべきなのかもしれないが、それができなかった。
私には、頭がカチンカチンのシスターにしか
見えなかった。

……ということで、やはり星は2つ。
残念!
(090610)


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