●負い目(コンプレックス)
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だれにも負い目というのがある。
あなたにもある。
私にもある。
そのひとつが、私は車の運転免許証をもっていないこと。
同窓会などに出ると、「免許証をもっていないのは、林(=私)
だけだなア」などと、からかわれたりする。
その私だが、オーストラリアから帰ってくると、仮免許証までは取った。
が、そのあと就職とつづいて、そのままになってしまった。
バイクの免許はもっていたが、今は、50ccまでの
ソフトバイクに乗れるだけ。
免許証の更新をするのを忘れてしまった。
あのままもっていたら、今は750ccのバイクだって、
乗ることができるのに!
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そういう私だから、何度も免許証を取ろうとした。
が、若いころは忙しくて、それができなかった。
やっと時間ができたころには、息子たちがつぎつぎと免許証を
ほしがった。
当時ですら、20~30万円の費用が必要だった。
それで何となく、つまり「息子たちが取れば、車を運転してくれるだろう」
というふうに考えて、あきらめてしまった。
(実際には、運転手として、息子たちが車を運転してくれるようなことは、
めったになかったが……。)
で、もっぱら、ワイフの運転する車に乗ることになった。
が、そのつど、気が引ける。
負い目を感ずる。
コンプレックス(劣等感)というのは、そういうのを言う。
心の壁にぺッタリと張りついて、はがれるということがない。
だから、何かの拍子に、ワイフに、「バスで行ってよ!」とか、
「タクシーで行ったら!」と言われることくらい、つらいことはない。
ワイフはそれほど深く考えて言っているのではない。
それはわかっているが、そういう言葉は、グイと胸を突き刺す。
心をえぐる。
さらに、具体的にバスの乗り方を指示されることくらい、つらいことは
ない。
「駅までバスで行って、そこから電車に乗れば!」と。
そういうとき、実に自分が情けなくなる。
免許証をもっていない負い目が、何百倍もに拡大する。
反対にもし、ワイフが、「お金、ちょうだい」と言ったとき、
私が「自分で仕事をしたら」「ハローワークで仕事をさがしてきたら」と
言ったら、どうなるだろう。
ワイフは傷つくだろうと思う。
そういう悲しい思いをさせたくないから、私は結婚当初から、
給料はすべてワイフに渡している。
が、悲しいかな、そういう私の気持ちは、ワイフには通じない。
(付記)
子どもの劣等感には注意したほうがよい。
私のようなおとななら、自分でそれを何とか処理できる。
(処理できないときもあるが……。)
子どもは、それができない。
容姿、名前、家族など
とくに容姿について、あれこれ言うのは、タブー中のタブー。
わかりきったことだが……。
(補記)
だから反対にこういうことも言える。
たとえば夫が稼ぎ柱のとき、妻に対して、恩着せがましいことを
言うのは、たいへん危険ということ。
「オレが働いているから、お前ら、食っていかれるのだ!」とか、
「お前ら、だれのおかげで生活できると思っているのだ!」とか、など。
権威主義の強い夫ほど、そういう言葉を口にする。
こういう言葉は、夫婦の間に決定的な溝(みぞ)を作る。
夫のほうはそれで自分の立場を主張するつもりかもしれないが、そんな
ことはいちいち言われなくても、わかること。
妻は日常的に、それを負い目として生きている。
それをあえて口にされると、私のようにグイと胸をえぐられる。
そういうことばかり言っていると、いつか「離婚!」ということに
なるかも。
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●郡上八幡
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明日、バススアーを利用して、岐阜県の
郡上八幡まで行くことになっている。
「ぐじょう・はちまん」と読む。
民謡の「♪かわさき」で有名な、あの郡上八幡である。
(一般には、「♪郡上踊り」として、よく知られている。)
それにしても、いやなところを選んだものだ。
いや、郡上八幡がいやだというのではない。
途中、私の郷里を通過するのが、いや。
「たまの休みだから、どこかへ行こう」ということで、
そうなってしまった。
バスは私の郷里のM町を通る。
それを考えただけで、ゆううつ。
気が重くなる。
私はあのM町が大嫌い。
「故郷」という思いは、まったくない。
「懐かしい」とい思いも、まったくない。
それが、いや。
が、どういうわけか、今、私はその郷里をめざして
電車に乗っている。
この話は、ワイフにも言ってない。
今、私が電車に乗っていることも知らない。
言っても理解できないだろうし、言えば、また「あなた、おかしいわよ」
と言われてしまう。
が、私には、どうしても決着をつけておかねばならないことがある。
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●決着
これから先のことは、あまりにもプライベートなことなので、
文章として、書き残すことはできない。
ありのままを書いたら、それによって迷惑をこうむる人も出てくる。
だから文章として書くのは、ここまで。(ゴメン!)
心の決着というのは、そういうもの。
その決着をつけないかぎり、私は明日、郡上八幡へ行くことが
できない。
(たぶん、私は郡上八幡へ行くのを、ドタキャンをするだろう。
何かの理由をつけて……。)
Hiroshi Hayashi++++++++June・09++++++++++++はやし浩司
●話題
暗い話がつづいたので、話題を変えよう。
といっても、このところ明るい話題はない。
(暗い話もとくにないが……。)
今、少しハマっているのが、「Facebook」。
ブロフである。
そのFacebookには、いろいろな人からアクセスがある。
昨日は、モロッコのカサブランカに住む、16歳の少女から
アクセスがあった。
日本語を勉強しているとか。
ところどころに、日本語がまざっていた。
その少女と、5~6回ほど、やり取りをした。
「私が61歳で、あなたが16歳だから、ちょうど逆だね」と
書いてやった。
16歳といえば、私には遠い遠い昔の話。
が、満16歳になったときのことは、よく覚えている。
伯父の家の縁側で、記念撮影をした。
その写真は、今でもアルバムの中に残っている。
その少女は日本語を勉強して、いつか日本へ来るのが夢だという。
その気持ちも、よく理解できる。
私も同じ年齢のころ、アメリカにあこがれた。
当時は文通というのが、はやっていた。
私もアメリカ人の何人かの女の子と文通したことがある。
名前は……オハイオ州の、????。
忘れてしまった。
つい数年前までは覚えていたのだが……。
●アスペルガー
元(?)アスペルガー障害をもっていた女性と結婚した男性がいる。
今年50歳くらいになるのでは?
妻のほうは3歳ちがいの、47歳くらい。
アスペルガー児の特徴は、いろいろある。
たとえばまちがいやミスを指摘したりすると、混乱状態になる。
実際には、自分のまちがいやミスを、ぜったいに認めない。
ほかに、たとえば、がんこになる。
ふつうの(がんこ)ではない。
それこそテコでも動かないといった状態になる。
また、ひとつのことにこだわると、その殻(から)の中にこもってしまう。
他人の意見を聞かない。
頭がかたいから、冗談が通じない。
冗談、つまりジョークを言っても、笑わない。
思考の柔軟さが欠ける、など。
動物などには、ほとんど興味を示さない子どもも多い。
ほかに言葉に対して、言葉どおりの行動をすることもよく知られている。
こんな例があった。
ある女の子に母親が電話をした。
「今日、迎えに行くのが遅くなるから、(学校の)門の前で
待っていてね」と。
その女の子は、その指示に従って、そのままずっと、立っていた。
途中で雨が降ってきたのだが、そのまま真っ暗になるまで
門の前で待っていた。
一般的に、頭は悪くない。
数学なら数学に、特異な才能を示すことがある。
が、こうした症状も、小学3年生くらいから、少しずつ、見た目には
わからなくなってくる。
子ども自身が、自分で自分をコントロールするようになるからである。
●KA氏の妻
その男性の名前を、KA氏としておく。
KA氏はこう言う。
「結婚したときから、妻のがんこさは気になっていました。
ほかの女性と比較したことがないので、私はそのまま妻を受け入れて
きました。
しかしやはりふつうではありませんでした。
何かのミスをしたようなとき、ふつうなら、『あら、ごめん』ですむような
話でも、妻はちがいます。
その瞬間、グッと固まってしまうのです。
で、あれこれ私が注意すると、口答えにつづく、口答え。
こちらの気が変になることもあります。
たとえば自分でお茶をこぼしても、すかさず、『あなたがここへお茶を
置いておくから悪いのよ』とやり返してきます。
まだ私が何も言ってないのに、です」と。
しかしKA氏はこう言う。
「結婚して以来、林さん(=私)は信じないかもしれませんが、一度とて、
自分のほうから、『ゴメン』と言ったことがないのですよ。
融通性がまったくと言ってよいほど、ないのです。
その場、その場で、状況に応じて行動を変えるということができません。
だから夫婦喧嘩は絶えませんでした。
今でも、ときどき衝突します」とも。
KA氏が、自分の妻が、元アスペルガー児ではないかと気がつき始めたのは
最近のこと。
孫がアスペルガーと診断されたことがきっかけだった。
加えて、ときどき妻の兄弟から、妻の子ども時代の様子が、耳に入るようになった。
(KA氏が聞き出したということもあるが……。)
妻の兄弟は、みなこう言っているという。
「異常なまでに、がんこだった」
「冗談が通じなかった。冗談を言うと、それを本気にしてしまった」と。
もちろん20~30年前には、「アスペルガー」という言葉すらなかった。
「アスペルガー」という言葉が、あちこちで話題になるようになったのは、
2000年に入ってからである。
高機能自閉症のひとつだが、知的な遅れは、観察されない。
が、KA氏の妻のばあい、KA氏がそれとなく妻の障害について話しても、
妻はそれを認めようとしないらしい。
「私はおかしくない」と。
病識がまったくない。
だから「よけいに扱い方がむずかしい」とも。
「他人に相談しても、みな『あきらめなさい』と言います。
しかし私は、妻に、自分の障害について気づいてほしいのです。
気づけば時間はかかるかもしれませんが、治るはずですから」と。
アスペルガー児のばあい、将来的にはこうした問題も残ることになる。
当の本人だけの問題ではすまない。
●自己嫌悪
自分で自分がいやになる。
「自己嫌悪」という。
しかしこの自己嫌悪は、扱い方が難しい。
自分を嫌いながら、嫌っていることに気づかない。
たいてい、それを他人のせいにする。
「他人が私を嫌っている」と。
たとえば自分の中に、いやな面があったとする。
するとそれを直接嫌うのではなく、まわりの親しい人に、
それをぶつける。
「あなたは、私を嫌っている」と。
本当のところ、だれもその人を嫌っていない。
嫌ってはいないのだが、勝手に、「嫌っているはず」と
決めつけてしまう。
「相手はそういう自分のことを好きなはずはない」という思いが、
「嫌っているはず」となる。
こうすることによって、自分が自己嫌悪に陥るのを防ぐ。
防衛機制のひとつと考えてよい。
というのも、自己嫌悪ほど、恐ろしいものはない。
ひとたび自己嫌悪に陥ると、心は砂漠のようになる。
こまやかな情感が消え、人を愛することができなくなる。
愛されても、それを理解できなくなる。
●ではどうするか
自己嫌悪そのものが、うつ症による症状のひとつと考えられている。
脳内の脳間伝達物質の変調が原因ということになる。
自己嫌悪が肥大化すると、それこそ「自己否定」、さらには、
「自殺」ということにも、なりかねない。
けっして自己嫌悪を、甘くみてはいけない。
次のような症状が出てきたら、やはり専門医に相談したほうがよい。
(1) 何をやっても、見ても、虚しく覚える。
(2) 心がかわいた砂漠のようになって、こまやかな情感が消える。
(3) 自分はだれにも愛されていない。心配もされていないと感ずる。
(4) みなが、自分を嫌っていると感ずる。
(5) 自分は無価値の人間で、生きていてもしかたないと感ずる、など。
子どもの様子を見ていて、「みながぼくを嫌っている」というような
言い方をしたときは、それ自体が、自己嫌悪によるものと考えてよい。
自分の気持ちを、相手に投射させて、そう言う。
もし子どもがそういうことを口にしたら、愛情表現を豊かにする。
子ども自身に、「あなたはみなに、愛されている」ということを、
わからせる。
できれば、「相手があなたを嫌っているのではない」「あなたが相手を
嫌っている」ということをわからせる。
根気のいる、たいへんな作業だが、子どもを自己嫌悪から守るほうほうは、
これしかない。
まちがっても、冷たく、突き放してはいけない。
(付記)
私も、実は、よく自己嫌悪に陥る。
(だから、自己嫌悪について、詳しい。)
そういうときというのは、何をしても、虚しい。
文を書いていても、「こんなことをしていて、何になるのだ」という
迷いばかりが、胸ふさぐ。
「自分は無価値」とか、「どうせだれにも認められない」とか、
そんなふうに思いながら、どんどんと自分で自分を勝手に否定していく。
しかし本当のところ、だれにも嫌われていない。
(私を嫌っている人は、いるにはいるが……。)
勝手にそう思い込んでいるだけである。
それを自分に何度も言って聞かせる。
そして自己嫌悪の泥沼から、抜け出す。
(はやし浩司 Hiroshi Hayashi 林浩司 教育 子育て 育児 評論 評論家
自己嫌悪 負い目 コンプレックス はやし浩司 劣等感 投影 投射 防衛機制)
Hiroshi Hayashi++++++++June・09++++++++++++はやし浩司
●眠られないとき
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私は眠られない夜は、頭の中で、UFOの
設計図を描く。
巨大なUFOで、直径は、数10キロもある。
そのUFOの部分を、毎晩あれこれ考えて、
積み重ねていく。
「今夜は、居住室」「今夜は、観察室」と。
それが習慣になっているため、たいていそのまま
眠ってしまう。
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