2009年6月1日月曜日

*How to raise up children

【子どもの学習指導】



●子どもの集中力



++++++++++++++++



パッパと始めて、サッサと終わる。

その間、わき目もふらずに勉強する。

作業する。



そういう力を集中力という。



この集中力を養うためには、幼児期が

勝負。



短時間で、濃密な学習をする。

そういった訓練を、週に1度ほどする。

10分とか、20分とかいう、短時間で

よい。



それが子どもの集中力へとつながる。



ダラダラとしたダラ勉は禁物。

かえって、子どもからやる気を奪って

しまう。



++++++++++++++++



 何か作業を与えても、熱くならない子どもというのは、多い。小学1年生レベルでみても、10
人のうち、3~4人はいる。



 するでもなし、しないでもなし……というような状態で、時間ばかり、かかる。「ここまでしない
と、終わらないよ」と、軽い脅しをかけても、ニヤニヤと笑っているだけ。症状としては、つぎの
ようなものがある。



(1)ダラ勉、フリ勉、時間つぶし



 強制的な学習、あるいは、無理な学習が日常化しているため、学習に対する反応が、きわめ
て鈍い。ある子ども(6歳児)は、夏休みの間、午前中の2時間、いろいろな勉強をすることにな
っているという。



 しかし幼児に2時間は、無理。私の教室(BW)では、50分間のレッスンをするが、私だから
こそ、できること。またそういったレッスンをするためには、その何倍もの時間をかけて、準備
をしなければならない。



 平均的な幼児だったら、30分が限度。しかも30分のうち、10分程度、勉強らしきことをした
ら、よしとする。それですます。



(2)頭が熱くならない



 ダラダラと時間ばかりつぶす。そのため、頭が熱くなることがない。ジョギングにたとえて言う
なら、走るでもない、歩くでもないといった感じ。道草ばかり食って、前に進まない。



 平均的な子どもは、ここ一番というとき、カッとなって、その作業に夢中になったりする。しかし
このタイプの子どもには、それがない。熱くなるということ、そのものがない。ほかの子どもたち
が、先を争って作業をするようなときでも、柔和な表情を浮かべて、知らぬ顔をしている。あと
をのんびりとついていく。



(3)競争心、闘争心に欠ける



 「勝つ」「負ける」という感覚そのものが、弱い。あるいは負けても、平気。競争心、闘争心が
なく、最初から、万事、あきらめムード。



 では、どうすればよいか。以前書いた原稿の中から、いくつかを拾ってみる。



Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司



子どもが勉強から逃げるとき 



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やらせればできるはず……と考えたら、

STOP!



中には、「うちの子をもっと、しぼって

ください!」と、頼む親だっている。



しかしこの方法では、子どもは、伸びない。



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●フリ勉、ダラ勉、ムダ勉



 子どもは勉強から逃げるとき、独特の症状を示す。まずフリ勉。



いかにも勉強しているというフリをする。頭をかかえ、黙々と問題を読んでいるフリをする。しか
しその実、何もしていない。何も考えていない。



次にダラ勉。一時間なら一時間、机に向かって座っているものの、ダラダラしているだけ。マン
ガを読んだり、指で机をかじったり、爪をほじったりする。



このばあいも、時間ばかりかかるが、その実、何もしていない。ムダ勉というのもある。やらなく
てもよいようなムダな勉強ばかりして、時間をつぶす。折れ線グラフをかくときも、グラフばかり
かいて時間をつぶすなど。



●一時間で計算問題を数問!



 こういう状態になったら、親は家庭教育のあり方を、かなり反省しなければならない。こんなこ
ともあった。ある母親から、「夏休みの間だけでも、息子(小二)の勉強をみてほしい」と。遠い
親戚にあたる母親だった。そこでその子どもを家に呼ぶと、その子どもはバッグいっぱいのワ
ークブックを持ってきた。



見ると、どれも分厚い、文字がびっしりのものばかり。その上、どれも子どもの能力を超えたも
のばかりだった。母親は難しいワークブックをやらせれば、それだけで勉強がよくできるように
なると思っていたらしい。



案の定、教えてみると、空を見つめて、ぼんやりとしているだけ。ほとんど何もしない。同じ問題
を書いては消し、また書いては消すの繰り返し。一時間もかかって、簡単な計算問題を数問し
かしないということもあった。小学低学年の段階で一度こういう症状を示すと、なおすのは容易
でない。



●意欲を奪う五つの原因



 子どもから学習意欲を奪うものに、(1)過負担(長い学習時間、回数の多い塾通い)、(2)過
関心(子どもの側から見て、気が抜けない家庭環境、ピリピリした親の態度)、(3)過剰期待
(「やればできるはず」と子どもを追いたてる、親の高望み)、(4)過干渉(何でも親が先に決め
てしまう)、それに(5)与えすぎ(子どもが望む前に、あれこれお膳立てしてしまう)がある。



 たくさん勉強させればさせるほど、勉強ができるようになると考えている人は多い。しかしこれ
は誤解。



『食欲がない時に食べれば、健康をそこなうように、意欲をともなわない勉強は、記憶をそこな
い、また記憶されない』と、あのレオナルド・ダ・ビンチも言っている。あるいはより高度な勉強
をさせればさせるほど、勉強ができるようになると考えている人もいる。これについては誤解と
までは言えないが、しかしそのときもそれだけの意欲が子どもにあればよいが、そうでなけれ
ばやはり逆効果。



 要は集中力の問題。ダラダラと時間をかけるよりも、短時間にパッパッと勉強を終えるほう
が、子どもの勉強としては望ましい。実際、勉強ができる子どもというのは、そういう勉強のし
方をする。私が今知っている子どもに、K君(小四男児)という子どもがいる。彼は中学一年レ
ベルの数学の問題を、自分の解き方で解いてしまう。



そのK君だが、「家ではほとんど勉強しない」(母親)とのこと。「学校の宿題も、朝、学校へ行っ
てからしているようです」とも。



 ついでながら静岡県の小学五、六年生についてみると、家での学習時間が三〇分から一時
間が四三%、一時間から一時間三〇分が三一%だそうだ(静岡県出版文化会発行「ファミリ
ス」県内一〇〇名について調査・二〇〇一年)。



(参考資料)



静岡県の小学五、六年生についてみると、家での学習時間が……



30分から1時間……43%

1時間から1時間30分……31%だそうだ。

(静岡県出版文化会発行「ファミリス」県内100名について調査・2001年)。





●変わる「勉強」への意識



 もっとも今、「勉強」そのものの内容が大きく変わろうとしている。「問題を解ける子ども」か
ら、「問題を考える子ども」へ。「知っている子ども」から、「何かを生み出す子ども」へ。さらには
「言われたことを従順にこなす子ども」から、「個性が光る子ども」へ、と。少なくとも世界の教育
はそういう方向に向かって動いている。



そして当然のことながら、それに合わせて教育内容も変わってきている。大学の入学試験のあ
り方も変わってきている。だから昔のままの教育観で子どもに勉強させようとしても、それ自体
が今の教育にはそぐわないし、第一、子どもたちがそれを受けいれない。



たとえば昔は、勉強がよくできる子どもが尊敬され、それだけでクラスのリーダーになった。し
かし今は違う。「勉強して、S君のようないい成績をとってみたら」などと言うと、「ぼくらは、あん
なヘンなヤツとは違う」と答えたりする。「A進学高校へ行くと勉強させられるから、A進学高校
には行きたくない」と言う子どもも、珍しくない。それがよいのか悪いのかは別にして、今はそう
いう時代なのだ。



 ……などなど、そういうことも考えながら、子どもの勉強を考えるとよい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 子ど
もの勉強グセ 勉強嫌い 勉強を避ける子供)





Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司



●子どもを本好きにする法



子どもの方向性を知るとき 



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子どもを伸ばす最大のコツは、

子ども自身が伸びる方向性に沿って、

子どもを伸ばす。



無理をしない。その一言に尽きる。



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●図書館でわかる子どもの方向性

 

子どもの方向性を知るには、図書館へ連れて行けばよい。そして数時間、図書館の中で自由
に遊ばせてみる。そしてそのあと、子どもがどんな本を読んでいるかを観察してみる。



サッカーが好きな子どもは、サッカーの本を読む。動物が好きな子どもは、動物の本を読む。
そのとき子どもが読んでいる本が、その子どもの方向性である。



その方向性にすなおに従えば、子どもは本が好きになる。さからえば、本が嫌いになる。無理
をすれば子どもの伸びる「芽」そのものをつぶすことにもなりかねない。ここでいくつかのコツが
ある。



●無理をしない



 まず子どもに与える本は、その年齢よりも、1~2年、レベルをさげる。親というのは、どうして
も無理をする傾向がある。6歳の子どもには、7歳用の本を与えようとする。7歳の子どもに
は、8歳用の本を与えようとする。この小さな無理が、子どもから本を遠ざける。



そこで「うちの子どもはどうも本が好きではないようだ」と感じたら、思いきってレベルをさげる。
本の選択は、子どもに任す。が、そうでない親もいる。本屋で子どもに、「好きな本を一冊買っ
てあげる」と言っておきながら、子どもが何か本を持ってくると、「こんな本はダメ。もっといい本
にしなさい」と。こういう身勝手さが、子どもから本を遠ざける。



●動機づけを大切に



 次に本を与えるときは、まず親が読んでみせる。読むフリでもよい。そして親自身が子どもの
前で感動してみせる。「この本はおもしろいわ」とか。これは本に限らない。



子どもに何かものを与えるときは、それなりのお膳立てをする。これを動機づけという。本のば
あいだと、子どもをひざに抱いて、少しだけでもその本を読んであげるなど。この動機づけがう
まくいくと、あとは子どもは自分で伸びる。そうでなければそうでない。この動機づけのよしあし
で、その後の子どもの取り組み方は、まったく違ってくる。



まずいのは、買ってきた本を袋に入れたまま、子どもにポイと渡すような行為。子どもは読む
意欲そのものをなくしてしまう。無理や強制がよくないことは、言うまでもない。



●文字を音にかえているだけ?



 なお年中児ともなると、本をスラスラと読む子どもが現れる。親は「うちの子どもは国語力が
あるはず」と喜ぶが、たいていは文字を音にかえているだけ。内容はまったく理解していない。



親「うさぎさんは、どこへ行ったのかな」

子「……わかんない」

親「うさぎさんは誰に会ったのかな?」

子「……わかんない」と。



もしそうであれば子どもが本を読んだら、一ページごとに質問してみるとよい。「うさぎさんは、
どこへ行きましたか」「うさぎさんは、誰に会いましたか」と。あるいは本を読み終えたら、その
内容について絵をかかせるとよい。



本を読み取る力のある子どもは、一枚の絵だけで、全体のストーリーがわかるような絵をかく。
そうでない子どもは、ある部分だけにこだわった絵をかく。また本を理解しながら読んでいる子
どもは、読むとき、目が静かに落ち着いている。そうでない子どもは、目がフワフワした感じに
なる。



さらに読みの深い子どもは、一ページ読むごとに何か考える様子をみせたり、そのつど挿し絵
をじっと見ながら読んだりする。本の読み方としては、そのほうが好ましいことは言うまでもな
い。



●文字の使命は心を伝えること



 最後に、作文を好きにさせるためには、こまかいルール(文法)はうるさく言わないこと。誤
字、脱字についても同じ。要は意味が伝わればよしとする。そういうおおらかさが子どもを文字
好きにする。が、日本人はどうしても「型」にこだわりやすい。書き順もそうだが、文法もそうだ。



たとえば小学二年の秋に、「なかなか」の使い方を学ぶ(光村図書版)。「『ぼくのとうさん、なか
なかやるな』と、同じ使い方をしている『なかなか』はどれか。『なかなかできない』『なかなかお
いしい』『なかなかなきやまない』」と。



こういうことばかりに神経質になるから、子どもは作文が嫌いになる。小学校の高学年児で、
作文が好きと言う子どもは、五人に一人もいない。大嫌いと言う子どもは、一〇人に三人はい
る。



(付記)

●私の記事への反論



 「一ページごとに質問してみるとよい」という考えに対して、「子どもに本を読んであげるときに
は、とちゅうで、あれこれ質問してはいけない。作者の意図をそこなう」「本というのは言葉の流
れや、文のリズムを味わうものだ」という意見をもらった。図書館などで、子どもたちに本の読
み聞かせをしている人からだった。



 私もそう思う。それはそれだが、しかし実際には、幼児を知らない児童文学者という人も多
い。そういう人は、自分の本の中で、幼児が知るはずもないというような言葉を平気で並べる。
たとえばある幼児向けの本の中には、次のような言葉があった。「かわべの ほとりで、 ひと
りの つりびとが うつら うつらと つりいとを たれたまま、 まどろんでいた」と。



この中だけでも、幼児には理解ができそうもないと思われる言葉が、「川辺」「釣り人」「うつら」
「釣り糸」「まどろむ」と続く。こうした言葉の説明を説明したり、問いかけたりすることは、決して
その本の「よさ」をそこなうものではない。が、それだけではない。



意味のわからない言葉から受けるストレスは相当なものだ。ためしにBS放送か何かで、フラン
ス語の放送をしばらく聞いてみるとよい。フランス語がわかれば話は別だが、ふつうの人ならし
ばらく聞いていると、イライラしてくるはずだ。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 子供
の方向性 図書館の活用方法)





Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司



●子どもを勉強に向かわせる法



子どもが学習机から離れるとき



●机は休むためにある



 学習机は、勉強するためにあるのではない。休むためにある。どんな勉強でも、しばらくする
と疲れてくる。問題はその疲れたとき。そのとき子どもがその机の前に座ったまま休むことがで
きれば、よし。そうでなければ子どもは、学習机から離れる。勉強というのは一度中断すると、
なかなかもとに戻らない。



 そこであなたの子どもと学習机の相性テスト。子どもの好きそうな食べ物を、そっと学習机の
上に置いてみてほしい。そのとき子どもがそのまま机の前に座ってそれを食べれば、よし。もし
その食べ物を別のところに移して食べるようであれば、相性はかなり悪いとみる。



反対に自分の好きなことを、何でも自分の机に持っていってするようであれば、相性は合って
いるということになる。相性の悪い机を長く使っていると、勉強嫌いの原因ともなりかねない。



●机は棚のない平机



 学習机というと、前に棚のある棚式の机が主流になっている。しかし棚式の机は長く使ってい
ると圧迫感が生まれる。もう一五年ほども前になるが、小学一年生について調査したことがあ
る。結果、棚式の机のばあい、購入後3か月で約80%の子どもが物置にしていることがわか
った。



最近の机にはいろいろな機能がついているが、子どもを一時的にひきつける効果はあるかも
しれないが、あくまでも一時的。そんなわけで机は買うとしても、棚のない平机をすすめる。あ
るいは低学年児のばあい、机はまだいらない。



たいていの子どもは台所のテーブルなどを利用して勉強している。この時期は勉強を意識する
のではなく、「勉強は楽しい」という思いを育てる。親子のふれあいを大切にする。子どもに向
かっては、「勉強しなさい」と命令するのではなく、「一緒にやろうか?」と話しかけるなど。



●学習机を置くポイント



 学習机にはいくつかのポイントがある。



(1)机の前には、できるだけ広い空間を用意する。 



(2)棚や本棚など、圧迫感のあるものは背中側に配置する。



(3)座った位置からドアが見えるようにする。



(4)光は左側からくるようにする(右利き児のばあい)。



(5)イスは広く、たいらなもの。かためのイスで、机と同じ高さのひじかけがあるとよい。



(6)窓に向けて机を置くというのが一般的だが、あまり見晴らしがよすぎると、気が散って勉強
できないということもあるので注意する。



 机の前に広い空間があると、開放感が生まれる。またドアが背中側にあると、心理的に落ち
つかないことがわかっている。意外と盲点なのが、イス。深々としたイスはかえって疲れる。ひ
じかけがあると、作業が格段と楽になる。ひじかけがないと、腕を机の上に置こうとするため、
どうしても体が前かがみになり、姿勢が悪くなる。



中に全体が前に倒れるようになっているイスがある。確かに勉強するときは能率があがるかも
しれないが、このタイプのイスでは体を休めることができない。



 さらに学習机をどこに置くかだが、子どもが学校から帰ってきたら、どこでどのようにして体を
休めるかを観察してみるとよい。好きなマンガなどを、どこで読んでいるかをみるのもよい。た
いていは台所のイスとか、居間のソファの上だが、もしそうであれば、思い切って、そういうとこ
ろを勉強場所にしてみるという手もある。子どもは進んで勉強するようになるかもしれない。



(詳しくは、「はやし浩司の書斎」に具体的な配置図とともに、書いてあります。どうか、ご覧にな
ってください。)



●相性を見極める



 ものごとには相性というものがある。子どもの勉強をみるときは、何かにつけ、その相性を大
切にする。相性が合えば、子どもは進んで勉強するようになる。相性が合わなければ、子ども
は何かにつけ、逃げ腰になる。無理をすれば、子どもの学習意欲そのものをつぶしてしまうこ
ともある。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 子供
部屋 子供の学習環境 動機付け 子供部屋のあり方)





Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司



●子どもの個性を伸ばす法



教育が型にはまるとき

●「ちゃんと見てほしい」



 「こんな丸のつけ方はない」と怒ってきた親がいた。祖母がいた。「ハネやハライが、メチャメ
チャだ。ちゃんと見てほしい」と。私が子ども(幼児)の書いた文字に、花丸をつけて返したとき
のことである。



あるいはときどき、市販のワークを自分でやって、見せてくれる子どもがいる。そういうときも私
は同じように、大きな丸をつけ、子どもに返す。が、それにも抗議。「答がちがっているのに、ど
うして丸をつけるのか!」と。



●「型」にこだわる日本人



 日本人ほど、「型」にこだわる国民はいない。よい例が茶道であり華道だ。相撲もそうだ。最
近でこそうるさく言わなくなったが、利き手もそうだ。「右利きはいいが、左利きはダメ」と。



私の二男は生まれながらにして左利きだったが、小学校に入ると、先生にガンガンと注意され
た。書道の先生ということもあった。そこで私が直接、「左利きを認めてやってほしい」と懇願す
ると、その先生はこう言った。「冷蔵庫でもドアでも、右利き用にできているから、なおしたほう
がよい」と。



そのため二男は、左右反対の文字や部分的に反転した文字を書くようになってしまった。書き
順どころではない。文字に対して恐怖心までもつようになり、本をまったく読もうとしなくなってし
まった。



 一方、オーストラリアでは、スペルがまちがっている程度なら、先生は何も言わない。壁に張
られた作品を見ても、まちがいだらけ。そこで私が「なおさないのですか」と聞くと、その先生
(小三担当)は、こう話してくれた。



「シェークスピアの時代から、正しいスペルなんてものはないのです。発音が違えば、スペルも
違う。イギリスのスペルが正しいというわけではない。言葉は、ルール(文法やスペル)ではな
く、中身です」と。



●「U」が二画?



 近く小学校でも、英語教育が始まる。その会議が10年ほど前、この浜松市であった。その会
議を傍聴してきたある出版社の編集長が、帰り道、私の家に寄って、こう話してくれた。



「Uは、まず左半分を書いて、次に右半分を書く。つまり2画と決まりました。同じようにMとW
は四画と決まりました」と。私はその話を聞いて、驚いた。英語国にもないような書き順が、こ
の日本にあるとは! 



そう言えば私も中学生のとき、英語の文字は、25度傾けて書けと教えられたことがある。今か
ら思うとバカげた教育だが、しかしこういうことばかりしているから、日本の教育はおもしろくな
い。つまらない。



たとえば作文にしても、子どもたちは文を書く楽しみを覚える前に、文字そのものを嫌いになっ
てしまう。日本のアニメやコミックは、世界一だと言われているが、その背景に、子どもたちの
文字嫌いがあるとしたら、喜んでばかりはおられない。だいたいこのコンピュータの時代に、ハ
ネやハライなど、毛筆時代の亡霊を、こうまでかたくなに守らねばならない理由が、一体どこに
あるのか。



「型」と「個性」は、正反対の位置にある。子どもを型に押し込めようとすればするほど、子ども
の個性はつぶれる。子どもはやる気をなくす。



●左利きと右利き



 正しい文字かどうかということは、次の次。文字を通して、子どもの意思が伝われば、それで
よし。それを喜んでみせる。そういう積み重ねがあって、子どもは文を書く楽しみを覚える。



オーストラリアでは、すでに10年以上も前に小学3年生から。今ではほとんどの幼稚園で、コ
ンピュータの授業をしている。10年以上も前に中学でも高校でも生徒たちは、フロッピーディス
クで宿題を提出していたが、それが今では、インターネットに置きかわった。先生と生徒が、常
時インターネットでつながっている。こういう時代がすでにもう来ているのに、何がトメだ、ハネ
だ、ハライだ! 



 冒頭に書いたワークにしても、しかり。子どもが使うワークなど、半分がお絵かきになったとし
ても、よい。だいたいにおいて、あのワークほど、いいかげんなものはない。それについては、
また別のところで書くが、そういうものにこだわるほうが、おかしい。



左利きにしても、人類の約5%が、左利きといわれている(日本人は3~4%)。原因は、どちら
か一方の大脳が優位にたっているという大脳半球優位説。親からの遺伝という遺伝説。生活
習慣によって決まるという生活習慣説などがある。



一般的には乳幼児には左利きが多く、3~4歳までに決まるが、どの説にせよ、左利きが悪い
というのは、あくまでも偏見でしかない。冷蔵庫やドアにしても、確かに右利き用にはできてい
るが、しかしそんなのは慣れ。慣れれば何でもない。



●エビでタイを釣る



 子どもの懸命さを少しでも感じたら、それをほめる。たとえヘタな文字でも、子どもが一生懸
命書いたら、「ほお、じょうずになったね」とほめる。そういう前向きな姿勢が、子どもを伸ばす。
これは幼児教育の大原則。昔からこう言うではないか。「エビでタイを釣る」と。しかし愚かな人
はタイを釣る前に、エビを食べてしまう。こまかいこと(=エビ)を言って、子どもの意欲(=タイ)
を、そいでしまう。



(付記)



●私の意見に対する反論



 この私の意見に対して、「日本語には日本語の美しさがある。トメ、ハネ、ハライもその一つ。
それを子どもに伝えていくのも、教育の役目だ」「小学低学年でそれをしっかりと教えておかな
いと、なおすことができなくなる」と言う人がいた。



しかし私はこういう意見を聞くと、生理的な嫌悪感を覚える。その第一、「トメ、ハネ、ハライが
美しい」と誰が決めたのか? それはその道の書道家たちがそう思うだけで、そういう「美」を、
勝手に押しつけてもらっては困る。要はバランスの問題だが、文字の役目は、意思を相手に伝
えること。「型」ばかりにこだわっていると、文字本来の目的がどこかへ飛んでいってしまう。



私は毎晩、涙をポロポロこぼしながら漢字の書き取りをしていた二男の姿を、今でもよく思い
出す。二男にとっては、右手で文字を書くというのは、私たちが足の指に鉛筆をはさんで文字
を書くのと同じくらい、つらいことだったのだろう。二男には本当に申し訳ないことをしたと思っ
ている。この原稿には、そういう私の、父親としての気持ちを織り込んだ。



(参考)



●経済協力開発機構(OECD)が調査した「学習到達度調査」(PISA・2000年調査)によれ
ば、「毎日、趣味で読書をするか」という問いに対して、日本の生徒(15歳)のうち、53%が、
「しない」と答えている。



この割合は、参加国32か国中、最多であった。また同じ調査だが、読解力の点数こそ、日本
は中位よりやや上の8位であったが、記述式の問題について無回答が目立った。



無回答率はカナダは5%、アメリカは4%。しかし日本は29%! 文部科学省は、「わからない
ものには手を出さない傾向。意欲のなさの表れともとれる」(毎日新聞)とコメントを寄せてい
る。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 日本
人の型 型にはめる教育 子供の個性)





Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司



●子どもを勉強好きにする法



子どもがワークをするとき 



●西田ひかるさんが高校一年生



 学研に「幼児の学習」「なかよし学習」という雑誌があった。今もある。私はこの雑誌に創刊時
からかかわり、その後「知恵遊び」を10年間ほど、協力させてもらった。



「協力」というのもおおげさだが、巻末の紹介欄ではそうなっていた。この雑誌は両誌で、当時
毎月47万部も発行された。この雑誌を中心に私は以後、無数の市販教材の制作、指導にか
かわってきた。



バーコードをこするだけで音が出たり答えが出たりする世界初の教材、「TOM」(全10巻)や、
「まなぶくん・幼児教室」(全48巻)なども手がけた。



14年ほど前には英語雑誌、「ハローワールド」の創刊企画も一から手がけた。この雑誌も毎
月27万部という発行部数を記録したが、そのときの編集長の大塚K氏が、横浜のアメリカン
ハイスクールで見つけてきたのが、西田ひかるさんだった。当時まだまったく無名の、高校一
年生だった。



●さて本題



 ……実はこういう前置きをしなければならないところに、肩書のない人間の悲しみがある。私
はどこの世界でも、またどんな人に会っても、まずそれから話さなければならない。私の意見を
聞いてもらうのは、そのあとだ。



で、本論。私はこのコラム(中日新聞「子どもの世界」)の中で、「ワークやドリルなど、半分はお
絵かきになってもよい」と書いた。別のところでは、「ワークやドリルほどいいかげんなものはな
い」とも書いた。



そのことについて、何人かの人から、「おかしい」「それはまちがっている」という意見をもらっ
た。しかし私はやはり、そう思う。無数の市販教材に携わってきた「私」がそう言うのだから、ま
ちがいない。



●平均点は六〇点



まず「売れるもの」。それを大前提にして、この種の教材の企画は始まる。主義主張は、次の
次。そして私のような教材屋に仕事が回ってくる。そのとき、おおむね次のようなレベルを想定
して、プロット(構成)を立てる。



その年齢の子ども上位10%と下位10%は、対象からはずす。残りの80%の子どもが、ほぼ
無理なくできる問題、と。点数で言えば、平均点が60点ぐらいになるような問題を考える。



幼児用の教材であれば、文字、数、知恵の三本を柱に案をまとめる。小学生用であれば、教
科書を参考にまとめる。



しかしこの世界には、著作権というものがない。まさに無法地帯。私の考えた案が、ほんの少
しだけ変えられ、他社で別の教材になるということは日常茶飯事。こう書いても信じてもらえな
いかもしれないが、25年前に私が「主婦と生活」という雑誌で発表した知育ワークで、その後、
東京の私立小学校の入試問題の定番になったのが、いくつかある。



●半分がお絵かきになってもよい



 子どもがワークやドリルをていねいにやってくれれば、それはそれとして喜ばねばならないこ
とかもしれない。しかしそういうワークやドリルが、子どもをしごく道具になっているのを見ると、
私としてはつらい。……つらかった。



私のばあい、子どもたちに楽しんでもらうということを何よりも大切にした。同じ迷路の問題で
も、それを立体的にしてみたり、物語を入れてみたり、あるいは意外性をそこにまぜた。たとえ
ば無数の魚が泳いでいるのだが、よく見ると全体として迷路になっているとか。あの「幼児の学
習」や「なかよし学習」にしても、私は毎月300枚以上の原案をかいていた。だから繰り返す。



 「ワークやドリルなど、半分がお絵かきになってもよい。それよりも大切なことは、子どもが学
ぶことを楽しむこと。自分はできるという自信をもつこと」と。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 子ど
もの学習 子供の学習 勉強嫌い 子どもの集中力 子供の集中力 学習指導 勉強指導 
学習机 はやし浩司 子供の勉強グセ 勉強癖 やる気 やる気論 子供を伸ばす法 子供の
伸ばし方 家庭学習 子供の方向性)

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