2009年12月6日日曜日

*"We have no reason to have a child"?

●「子どもをもつ必要はない」!?

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「子どもをもつ必要はない」と考えて
いる人が、半数以上もいる。

このほど内閣府が発表した調査結果に
よれば、20代、30代の若い人を
中心に、「子どもをもつ必要はない」と
考えている人が、それぞれ63%(20代)、
59%(30代)もいることがわかった。

ならばそう考えている人に聞く。
あなたがたの老後のめんどうは、
いったい、だれがみるのか?
次世代のこの日本は、だれが担(にな)うのか?

……というヤボな質問はさておき、
子育ては、人間が本来的にもつ、権利である。
種族保存ということを考えるなら、
私たち1人ひとりが真剣に考えなければ
ならない、義務である。

が、それだけではない。
子育てをすることによって、人は、生きる目的、
意義、さらには喜びを、知る。

世の中には、子どもがほしくても、それが
できなくて、悲しい思いをしている人も多い。
そういう人たちの心も、少しは考えるなら、
安易に、「子どもをもつ必要はない」などとは、
考えないでほしい。

仮にそう考えたとしても、そういう(考え)とは、
自分の中で戦ってほしい。
いろいろと事情のある人もいるだろう。
それぞれの人には、それぞれの思いもあるだろう。
が、それはそれ。
まず、それと戦う。
戦った上で、「子どもはもつ必要はない」と
答えてほしい。

内閣府は、「生き方の多様化が進んでいる」と
コメントを寄せている。
とんでもない!
これは「多様化」の問題ではない。
「子どもをもたない」ことは、生き方の選択肢の
ひとつではない。
また選択肢のひとつと考えてはいけない。

そんなことはないと思うが、もし、あなたが、
「子育てをするのは、わずらわしい」とか、
「子育てをすれば、自分たちが楽しめる時間が減る」とか、
そんなふうに考えているとしたら、それは、まちがっている!

子育ては、たいへん!
つらい!
それはその通り!
しかしそれを乗り越えるところから、生きる喜びが
生まれる。
人生の深みも、そこから生まれる。

私たちは何のために生きているか。
何のために、ここにいるのか。
ものごとは、そこから考え直してみてほしい。

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 2009年12月5日の時事通信は、つぎのような記事を配信している。

++++++++++以下、時事通信より++++++++++++

内閣府は5日、男女共同参画に関する世論調査の結果を発表した。それによると、結婚しても必ずしも子どもを持つ必要はないと考える人は、2年前の前回調査に比べ6.0ポイント増の42.8%となり、1992年の調査開始以来最高となった。持つ必要があるとする人は同6.5ポイント減の52.9%だった。少子化の背景に、国民の家庭に対する意識変化があることを示した結果と言え、内閣府の担当者は「生き方の多様化が進んでいる」としている。

 調査は、10月1日から18日にかけて、全国の成人男女5000人を対象に個別面接方式で実施。有効回収率は64.8%だった。

 子どもを持つ必要はないとした人は、男性が38.7%、女性が46.4%だった。年齢別では、20歳代が63.0%、30歳代が59.0%と高く、若い世代ほど、子どもを持つことにこだわらない傾向が浮き彫りになった

++++++++++以上、時事通信より++++++++++++

●子どもに育てられる

 親が子どもを育てるのではない。
子どもが親を育てる。

 ……というような話は、講演会の場で、私が毎回話していることである。

私の本からの一作を、転載します。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●子どもへの愛を深める法(子どもは下から見ろ!)

親が子どもを許して忘れるとき

●苦労のない子育てはない

 子育てには苦労はつきもの。苦労を恐れてはいけない。その苦労が親を育てる。親が子どもを育てるのではない。子どもが親を育てる。よく「育自」という言葉を使って、「子育てとは自分を育てること」と言う人がいる。まちがってはいないが、しかし子育てはそんな甘いものではない。

親は子育てをしながら、それこそ幾多の山や谷を越え、「子どもを産んだ親」から、「真の親」へと、いやおうなしに育てられる。たとえばはじめて幼稚園へ子どもを連れてくるような親は、確かに若くてきれいだが、どこかツンツンとしている。どこか軽い(失礼!)。バスの運転手さんや炊事室のおばさんにだと、あいさつすらしない。しかしそんな親でも、子どもが幼稚園を卒園するころには、ちょうど稲穂が実って頭をさげるように、姿勢が低くなる。人間味ができてくる。

●子どもは下からみる

 賢明な人は、ふつうの価値を、それをなくす前に気づく。そうでない人は、それをなくしてから気づく。健康しかり、生活しかり、そして子どものよさも、またしかり。

 私には三人の息子がいるが、そのうちの二人を、あやうく海でなくすところだった。とくに二男は、助かったのはまさに奇跡中の奇跡。あの浜名湖という広い海のまん中で、しかもほとんど人のいない海のまん中で、一人だけ魚を釣っている人がいた。あとで話を聞くと、国体の元水泳選手だったという。

私たちはそのとき、湖上に舟を浮かべて、昼寝をしていた。子どもたちは近くの浅瀬で遊んでいるものとばかり思っていた。が、三歳になったばかりの三男が、「お兄ちゃんがいない!」と叫んだとき、見ると上の二人の息子たちが流れにのまれるところだった。私は海に飛び込み、何とか長男は助けたが、二男はもう海の中に沈むところだった。

私は舟にもどり、懸命にいかりをたぐろうとしたが、ロープが長くのびてしまっていて、それもできなかった。そのときだった。「もうダメだア」と思って振り返ると、その元水泳選手という人が、海から二男を助け出すところだった。

●「こいつは生きているだけでいい」

 以後、二男については、問題が起きるたびに、「こいつは生きているだけでいい」と思いなおすことで、私はその問題を乗り越えることができた。花粉症がひどくて、不登校を繰り返したときも、受験勉強そっちのけで作曲ばかりしていたときも、それぞれ、「生きているだけでいい」と思いなおすことで、乗り越えることができた。

私の母はいつも、こう言っていた。『上見てキリなし。下見てキリなし』と。人というのは、上ばかりみていると、いつまでたっても安穏とした生活はやってこないということだが、子育てで行きづまったら、「下」から見る。「下」を見ろというのではない。下から見る。「生きている」という原点から子どもを見る。そうするとあらゆる問題が解決するから不思議である。

●子育ては許して忘れる 

 子育てはまさに「許して忘れる」の連続。昔、学生時代、私が人間関係のことで悩んでいると、オーストラリアの友人がいつもこう言った。「ヒロシ、許して忘れろ」(※)と。

英語では「Forgive and Forget」という。この「フォ・ギブ(許す)」という単語は、「与えるため」とも訳せる。同じように「フォ・ゲッツ(忘れる)」は、「得るため」とも訳せる。しかし何を与えるために許し、何を得るために忘れるのか。私は心のどこかで、この言葉の意味をずっと考えていたように思う。が、ある日。その意味がわかった。

 私が自分の息子のことで思い悩んでいるときのこと。そのときだ。この言葉が頭を横切った。「どうしようもないではないか。どう転んだところで、お前の子どもはお前の子どもではないか。許して忘れてしまえ」と。つまり「許して忘れる」ということは、「子どもに愛を与えるために許し、子どもから愛を得るために忘れろ」ということになる。

そしてその深さ、つまりどこまで子どもを許し、忘れるかで、親の愛の深さが決まる。もちろん許して忘れるということは、子どもに好き勝手なことをさせろということではない。子どもの言いなりになるということでもない。

許して忘れるということは、子どもを受け入れ、子どもをあるがままに認めるということ。子どもの苦しみや悲しみを自分のものとして受け入れ、仮に問題があったとしても、その問題を自分のものとして認めるということをいう。

 難しい話はさておき、もし子育てをしていて、行きづまりを感じたら、子どもは「生きている」という原点から見る。が、それでも袋小路に入ってしまったら、この言葉を思い出してみてほしい。許して忘れる。それだけであなたの心は、ずっと軽くなるはずである。

※……聖書の中の言葉だというが、私は確認していない。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

もう1作、中日新聞の載せてもらった
原稿を掲載します。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●子育てには四つの方向性

 その(1)。子どもに子ども(あなたからみれば孫)の育て方を教えるのが、子育て。「あなたが親になったら、こういうふうに子どもを育てるのですよ」「こういうふうに子どもを叱(しか)るのですよ」と。

もっと言えば、子育ての見本を見せるのが子育て。「親子というのはこういうものですよ」「幸せな家庭というのはこういうものですよ」と。あなたの子どもは親になったとき、あなたがした子育てを繰り返す。それを想像しながら、子育てをする。

 その(2)。あなたは今、自分が受けた子育てを繰り返しているにすぎない。そこであなたの過去をさぐってみる。あなたは心豊かで、愛情深い家庭環境で育っただろうか。もしそうならそれでよし。が、そうでなければ、あなたの子育ては、どこかがゆがんでいるとみる。その「ゆがみ」に気づくこと。あなたはひょっとしたら、そのゆがみに気づかないまま、今の子育てをしているかもしれない。そしてさらに、そのゆがみを、あなたから、今度はあなたの子どもへ伝えているかもしれない。…と、言ってもむずかしいことではない。この問題だけは、気づくだけでよい。それでなおる。

 その(3)。子育ては「上」から見る。自分の子育てを、他人のと比較する。兄弟や友人、さらには近所の人たちのと比較する。もしできれば、世界の子育てと比較してみるのもよい。子育てでこわいのは、独善と独断。「子どものことは私が一番よく知っている」「私が正しい」と豪語する親ほど、子育てで失敗しやすい。要は風通しをよくするということ。そのために視野を高くもつ。

 最後に(4)。子育てはただの子育てではない。よく「育自」という言葉を使って、「子育てとは自分を育てることだ」と言う人がいる。まちがってはいないが、しかし子育ては、そんな甘いものではない。親は子どもを育てながら、幾多の山を越え、谷を越え、いやおうなしに育てられる。

はじめて幼稚園へ子どもを連れてくるような親は、たしかに若くてきれいだが、底が浅い。しかしそんな親でも、子育てで苦労するうちに、やがて姿勢が低くなり、人間的な深みができてくる。親が子どもを育てるのではない。子どもが親を育てる。子どもが親に、人間がどういうものかを教える。

 以上、子育てに、未来、過去、外、内の四つの方向性があることを、私は「子育て四次元論」と呼んでいる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

 この2作だけではわかってもらえないかもしれないが、子育てには、(子どもを育てること)以上に、大きな意味がある。
その意味を知るか知らないかは、あなたの自由かもしれない。
しかしその意味を教えてくれる子育てを、自ら放棄してしまうというのは、どうか?
はたして正しい選択と言えるのか?
選択の問題と、片づけてよいのか?

 今、あなたはそこにいる。
そこに存在する。
それはたいへん重い意味をもっている。
が、その存在と同じくらい重い意味が、子育ての中にある。
(生きる)ということは、(あなた)が生きることを意味する。
あなたが生きる。
が、あなただけが生きるのではない。
あなたの中のあなたが生きる。
子育てというのは、その一部。

 それがわからなければ、一度、自分の手をしっかりと見つめてみることだ。
そこに見える、手や指、爪は、あなたのものであって、けっしてあなたのものではない。
数十万年という長い年月を経て、進化の過程で、そういう手や指、爪になった。
そこに尊さや気高さを少しでも感じたら、あなたがつぎに考えることは、それをつぎの世代に伝えること。

子育てをしないというのであれば、あなたは(生きる)ことそのものを、放棄したと考えてよい。
でないというのなら、あなたはいったい、何のために、生きているのか。
あなたの中に生きているあなたを、あなただけのものとして、終わらせてよいのか。
が、そんな権利は、あなたにも、ないはず。

仮に百歩譲って、もしそうであるとするなら、「何のために必要でないのか」、その質問には、きちんと答えてほしい。
子育てをすること以上に、ほかに崇高な目的があるなら、それもよいだろう。
しかし残念ながら、子育てをすること以上に、崇高な目的など、存在しない。
そんなことは、ほかの生物を見れば、すぐわかること。
ありとあらゆる生物は、自分の命を、つぎの世代に伝えるために、生きている!

 また先にも書いたように、何らかの事情があって、子育てをしたくても、できない人もいる。
たいへんつらい思いをしている人もいる。
そういう人たちの気持ちが、千分の1でもわかるなら、「子どもをもつ必要はない」とは、安易に考えてほしくない。

 「政府など必要ない」と考えたら、それは、無政府主義。
同じように、「子どもをもつ必要はない」と考えたら、それは、非人間主義。
非生物主義でもよい。

 もちろんそう考えるようになるには、それなりの理由があることと思う。
子育てには、金がかかる。
子育てには、時間も取られる。
この日本では、子どもをもつことにより、幸福感を味わうよりも、そうでないときのほうが多いかもしれない。

 この日本では、子どもというより、子育てを、あまりにもないがしろにし過ぎた。
「子供というのは、放っておいても生まれるもの」という政策が基本になっている。
国の予算にしても、国家税収の78%が土木建設費にかけられる一方、教育費は、対GDP費でみても、たったの4~5%(注:国家税収を40兆円、03年度の土木建設費を、31兆円で計算)。
こんなバカげた国は、そうはない。

しかしだからといって、短絡的に、そのことを結論と結びつけてはいけない。
世の中には、私のように微力ながら、そうした社会と戦っている人間もいる。
大切なことは、「だからダメだ」式に逃げるのではなく、「みんなでよくしよう」と戦うこと。

 どうであるにせよ、今回の内閣府のした調査結果には、ほんとうに驚いた。
絶望感すら、覚えた。
はっきり言えば、今の若い人たちに、失望した。
「日本も、とうとうこなってしまったのか!」と。

 最後にもう一度、繰り返す。

 自分のことしか考えない人間を、ジコチューという。
同じように、自分の世代のことしか考えない人間も、ジコチューという。
日本の若い人たちが、ジコチューな人間になりつつあるとは、以前から感じていた。
が、ここまでジコチューになっているとは、知らなかった!

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 子どもをもつ喜び 育児の喜び 内閣府 調査 子どもをもつ必要はない 子供をもつ必要はない)

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(参考)(「税金知郎の日本解体新書」HPより)

●日本の公共事業費は巨額

1.日本の公共事業費は巨額! GDPの3.92%が行政の土木建設費
2.国と地方の公共事業費の純計は、31兆5,941億円(2003年度)!

●就学前教育の公的負担割合も低い!

1.生徒一人当りの就学前教育費の家計負担額は、OECD加盟国中3番目に高い!
2.生徒一人当りの就学前教育の家計負担割合は、OECD加盟国中2番目に高い!
3.大卒までの生徒一人当りの教育費の家計負担額は、OECD加盟国中2番目に高い!


Hiroshi Hayashi++++++++Dec. 09+++++++++はやし浩司

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