2009年12月2日水曜日

*Magazine dated Dec 2nd

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 彡彡人ミミ      彡彡彡彡彡
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 子育て最前線の育児論byはやし浩司   09年   12月   2日号
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12月2日……1286号
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●今日で10月もおしまい

昨日、大急ぎで、マガジン11月号のHTML版(カラー版)の編集をした。
40分ほどで、できた。
あぶなかった!
ぎりぎり、セーフ!

数日前、「11月号は休刊にしようか」と、ワイフと話し合ったばかり。
このところ、ワイフですら、私のマガジンを読んでいない。
他人である読者なら、なおさら。
読んでいる人は、ほとんどいない?
自分でもよく、「どうしてこんなバカなことをしているのだろう?」と思う。

やる気になれば、40分でできる。
その「40分」を、自分の中で作るのが、たいへん。
子どもだって、そうだ。
30分でできるような宿題でも、なかなか、やらない。
「その気になって、早くすませばいい」と思うが、やらない。
その30分を作るのが、むずかしい。

今日は10月31日。
しめくくりに、午前中、近くの小学校で、講演というか、講話をしてくる。
時間が1時間しかないから、たいした話はできない。
雰囲気的には、雑談形式になってしまうかも?
で、そのあと、そのまま山荘へ。
今日は、山の草刈りをするつもり。
上半身の運動には、草刈りが、いちばんよい。
30分もつづけると、全身が汗だくだくになる。

それに今の時期から、落ち葉がひどくなる。
それを集めると、ふかふかのダブルベッドのようになる。
孫たちが近くにいれば、それで遊ぶだろう。
いつももったいと思いつつ、それを燃やす。

そうそう、昨夜、今度講演に行くことになっている、秋田県のY市を
ネットで調べてみた。
旅館の予約をしなければならない。
が、驚いた。
地図で見たら、浜松からだと、韓国のソウルと、同じ距離。
円を描いてみたら、ちょうど同じ位置だった。
「新潟の向うが秋田」と思っていた。
(たぶん、反対に、秋田の人たちは、「東京の向うが、浜松」と
思っているにちがいない。)

片道、7時間半。
秋田県は、はじめてなので、楽しみ。

もうひとつ驚いたのは、旅館の宿泊費が安いこと。
このあたりの半額といった感じ。
温泉旅館でも、一泊2食付きで、6~7000円前後。

ともかくも、今日も始まった。
がんばろう!


Hiroshi Hayashi++++++++Oct. 09+++++++++はやし浩司

●逆・母子分離不安(byはやし浩司)

+++++++++++++++++

母子分離不安というと、子どもだけの
問題と考える人は、多い。
しかし子どもほどではないが、母親側の
母子分離不安も多い。

称して、「逆・母子分離不安」(筆者)。

+++++++++++++++++

「母子分離不安」というと、子どもだけの
問題と考える人は多い。
つまり母子分離不安になるのは、子どもだけとはかぎらない。
母親側の、母子分離不安というのも、ある。
「子どもから離れられない」
「子どもがそばにいないと不安」
「子どもの様子がわからないと心配」と。

そして幼稚園や保育園でも、用もないのに、
出かけて行っては、そこで子どもの様子を見る。
園の先生が、「だいじょうぶですよ」「心配ないですよ」
「任せてください」と言っても、(実のところ、
そういう母親がいると、園にとっても、迷惑なのだが)、
そこにいる。
そこにいて、じっと子どもの様子を見ている。

ふつうの「母子分離不安」と逆の立場になるから、
「逆・母子分離不安」ということになる。

このタイプの母親の特徴としては、

(1)静かで、いつも憂うつそうな顔をしている。
(2)子どもから視線をはずさない。
(3)表面的には、穏やかでやさしい母親に見える。
(4)強く注意したりすると、おどおどしてしまう。
(5)歩くときも、手をつないだりして、離れない。
(6)「私は愛情豊かな母親」と誤解している。

原因は、母親側に、何らかの情緒的な欠陥、あるいは
精神的な未熟性。
とくに情緒的な欠陥、たとえばうつ病が原因となることがある。

当然、子どもにも、影響が出てくる。
そういう点では、母親の愛情を、過剰なまでに受けている。
そのため溺愛児プラス、過保護児プラス、過関心児を
統合したような症状を示す。

(1)静かでおとなしい。
(2)ハキがない。積極性に欠ける。
(3)全体に幼稚ぽいしぐさや、言動が目立つ。
(4)人格の核形成(=この子はこういう子というつかみどころ)が遅れる。
(5)他の子どもたちと交われない。
(6)柔和でおだやかだが、積極性がない。
(7)乱暴な指導になじまない。
(8)いつも親の視線を気にする、など。

T君(小1)という子どもがいた。
その子どものばあいも、親が授業を参観しているときと、
していないときとでは、別人のように違った。

親がいないときは、比較的表情が明るく、
積極的だった。
ものもしっかりと言うことができた。
親がいるときは、比較的……というより、明らかに
「いい子」という様子を見せた。

で、私はときどき「参観はもういいですよ」と
促した。
しかし効果は長つづきしなかった。
1、2回くらいは、参観をやめるが、またやってきて、
いちばん奥の席に座って、じっと子どもを見つめていた。

私もその視線を強く感じた。
ときに私の体を、ズキンズキンと突き抜けた。
授業もやりにくかった。

が、そういうこちら側の気持ちは、理解できない。
どこまでも身勝手で、自分勝手。
しかし母親のかかえる心の問題は、それをしのぐほど、大きい。
根も深い。
無理に引き離したりすると、母親自身の精神状態が、おかしくなってしまう。
それがわかっているから、私の方が、引きさがるしかなかった。

この問題は子どもの問題ではない。
(たいていの母親は、「この子は私がそばについていてあげないと、
何もできません」と言うが)、母親自身の問題と考える。
もっと言えば、母親自身の心の問題。
それを治す。

しかしそれは「教育」の範囲を超える。
父親の協力も必要だが、たいていのばあい、父親(夫)も、
もてあましていることが多い。
それ以上強く言うと、家庭内騒動の原因となったり、
そのまま母親が子どもの手を引いて、園をやめてしまったりする。

子どもは、小学3年生前後(満10歳前後)に、
急速に親離れを始める。
親はそのときだけの様子を見て、「私たち親子は、いつまでもそういう
関係がつづく」と考える。
しかしこのタイプの子どもは、思春期に入るころ、豹変する。
「このヤロー! こんなオレにしたのは、テメーだア!」と。
母親を激しく罵倒したりする。
抑圧された別の心が、そのとき爆発する。

あるいは、極端なマザコンのまま、おとなになる。
比率としては、豹変して親を罵倒するようになる子どもが、70%、
マザコン化する子どもが、30%と、私はみている。
どちらであるにせよ、よいことは、何もない。
ひどいばあいには、そのまま激しい家庭内暴力へとつながる。

子どもを、自分の心の隙間を埋めるための道具に利用してはいけない。

【症例1】

 毎朝、子ども(年中・女児)といっしょに幼稚園へやってくる母親がいた。
そして門のところで子どもを手放すと、そのまま門の端のほうに移動して
立っていた。

 毎朝のことなので、園のほうも、あきらめていた
強く言ったこともあるが、そのときは、園の別の隅に移動し、やはり
そこで立って子どもの姿を見ていた。

 ときどき家に帰ることもあった。
家までは、歩いて、5~10分程度。
しかし昼ごろになると、またやってきて、そこに立っていた。
たいていそのまま、帰りの時間まで、そこにいた。
いつも子どもの手を引いて、家まで帰った。

【症例2】

 「娘が病気で幼稚園を休んでくれると、うれしい」と、その母親は言った。
「娘といっしょに、一日を過ごせるから」と。

 その子ども(年長・女児)の髪は、芸術とも言えるほど、こまかく編んでいた。
私が「ずいぶんと時間がかかるでしょう?」と聞くと、母親はこう言った。
「いえ、1時間ほどですみます」と。

 毎朝、1時間!

 その母親の口癖は、いつも同じ。
「死ぬまで、(この子と」いっしょ」。
「子育てが生きがい」。
「この子は、私がいなければ、何もできません」。

 「結婚したら、どうします?」と聞いたこともある。
母親は、臆面もなく、こう答えた。
「結婚はしません。するとしても、養子で、家(うち)に入ってもらいます」と。

 で、ある日、その母親は、こうも言った。

「私、夫なんか、いてもいなくても、どちらでもいいような気がします。
娘さえ、家にいてくれれば……」と。

 母親の実家は、かなり裕福な資産家だった。
毎月生活費の大半を、実家からの仕送りで、まかなっていた。

【症例3】

 T君(中2)が、激しい家庭内暴力を繰り返しているという話は、その隣に住む
母親から聞いた。
最初は、親子で怒鳴りあう声が、近所中に聞こえたという。
が、そのうち静かになり、T君の家庭内暴力は、ますます激しくなっていった。

暴力が激しいため、家の中のガラス戸などは、すべてはずしてあったという。
父親も母親も、中学の教師をしていた。
母親は、T君が幼稚園へ入るころ、教師の職を辞した。

 父親も母親も、T君の部屋の前を通るときは、両手ではって歩いたという。
立って歩いている姿が見えると、T君は、容赦なくモノを投げつけた。

 そのT君は、小学3年生ごろまでは、学校でも優等生(?)だった。
勉強も、スポーツもよくできた。
おとなしく、親や先生の指示にも従順だった。
私もそのころまでのT君しか知らない。
で、T君の話を聞いて、心底驚いた。
 
 隣に住むその母親は、こう言った。

「T君が子ども(幼児)のころは、母親が毎日、手をつないで、近くの
ピアノ教室に通っていました。
いつもいっしょなので、たいへん仲のいい親子に見えました。
母親は、明らかに溺愛していました。
ただ教育ママで、T君が学校のテストなどでまちがえたところがあったりすると、
夜遅くまで勉強を教えていました」と。

 そう言えば、T君には妹が1人、いたはず。
それを聞くと、その母親は、「そう言えば、妹さんは、父親の実家から、学校に
通っていました」と。
 
(補記)

 子どもは、小学3年生前後(満10歳前後)に、急速に親離れを始める。
男児だと、それまでは学校であったことを話していたのが、急に話さなくなる。
親や近親者を、露骨に毛嫌いし始める。
(本当に嫌っているというよりは、生意気な態度をわざとしてみせる。)

 女児だと、それまで父親と風呂に入っていたのが、入らなくなる。

 そこで大切なことは、

(1)じょうずに、親離れできるように、子どもを仕向けてやる。
(2)子離れイコール、親子の断絶ではない。おおげさに考えない。
(3)親自身が、子離れし、親は親で自分の人生を大切にする。
(4)夫の役割を認め、夫に積極的に介入してもらう。
西洋では『子どもを産み育てるのは、母親の役目だが、
子どもに狩の仕方を教えるのは、父親の役目』と教える。
母子関係の是正と、社会性を教えるのは、父親の役目と心得る。


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Hayashi 林浩司 BW 母子分離不安 母子分離不安症 逆母子分離不安 逆・母子分離
不安 母親の分離不安 子離れできない母親)


Hiroshi Hayashi++++++++OCT.09+++++++++はやし浩司



【青春の仇討ち】

●息子たちのこと

 親が子どもを育てるのではない。
そういう時期もあるにはあるが、そういう時期は、あっという間に終わる。
親は、あるときから、子どもたちに励まされて生きるようになる。
子どもたちが、がんばって生きている姿を見ながら、「私も!」となる。

 経営再建中の航空会社でパイロットをしている息子。
「お前は、だいじょうぶか?」と聞くと、「ぼくには、関係ない」と。
「でも、子会社の人たちが、かわいそう」と、ポツリ。
この先、1万人を超える、大リストラが始まる。

 アメリカの大学でコンピュータ技師をしている息子も、同じようなことをいう。
「ぼくには、関係ない」と。

 そうした言葉を聞いて、「本当かな?」と思いつつも、ほっとする。

 一方、息子たちが、私たちのことを心配するたびに、私は、こう答える。
この日本でも、まだいたるところで不況の嵐が、吹きすさんでいる。
「ぼくには、関係ない」と。

仕事がある。
仕事が楽しい。
生きがいもある。
それに健康。
何とか、昨年に始まった、あの大恐慌も乗り切った。

 あとは、今の状態を維持するだけ。
そうそう、もうひとつ負けたくないことがある。

 二男夫婦は、今でもラブラブ。
ハートのマークを10個ほどつけてやりたい。
今度結婚した三男も、ラブラブ。
ハートのマークを20個ほどつけてやりたい。
で、私たち夫婦は……?

 先日も、「あいつら、みんな楽しんでいる。
ぼくらもがんばろう」とワイフに言うと、ワイフも、すなおに応じてくれた。
「そうね」と。

……だから今は、2人で、遊んでばかりいる。
若いときは、仕事と子育てに追いまくられた。
その分を、今、取り返す。
あのころできなかったことを、今、する。
称して、「青春の仇(あだ)討ち」。

62歳といっても、運がよければ、人生はまだ20年はある。
10年としても、青春時代より長い。
使いようによっては、学生時代の2倍、楽しめる。
で、あのころしたくてもできなかったことを、懸命に思い出そうとする。
「何だったのかなあ?」と。

●青春の仇討ち

 青春時代に、やり残したことは多い。
不完全燃焼のまま、終わったことも多い。
が、ふと今、頭の中をかすめたのは、今井さん(実名)。

 私が浜松に住むようになって、最初の友人。
市立図書館の入り口あたりで、小さなデザイン事務所を開いていた。

 人当たりいい、やさしい人だった。
心が広く、私のめんどうをよく見てくれた。
台風のときには、わざわざ私を迎えに来てくれた。
「うちへ来い」と。
私はそのとき、今にも壊れそうな、ボロ家の2階に間借りしていた。

 今井さんとの思い出は多い。
が、その今井さんは、30歳になる少し前に、食道がんでこの世を去った。
タバコと焼酎が好きだった。
夢は、直木賞を取ることだった。
だから毎日、何かの原稿を書いていた。

 さぞかし無念だっただろう。
その無念さが、今になって、ひしひしと私の胸に伝わってくる。
その無念さを考えたら、私がし残したことなど、なんでもない。
「青春の仇討ち」とは言うものの、それが考えられるだけでも、幸せなの
かもしれない。
仇討ちすらできないで、そのまま若くして、この世を去っていく人は多い。

 そう言えば、近所に、60歳で定年退職した直後に、脳内出血で亡くなった
人(男性)がいる。
その人の奥さんは、こう言った。
「何のための人生だったのでしょうね」と。

 現役時代は、したいこともできず、役所勤め。
黙々と働いてきて、「やっと楽になった」と思ったとたん、脳内出血。
そうそう、こうも言った。

「若いときから腎臓が弱く、食事制限ばかりしてきました。
こんなことなら、食べたいものを、もっと食べさせてやればよかったです」と。

そう言えば、あの今東光(こんとうこう)は、晩年、私にこう話してくれた。
「オレは、若いとき、修行、修行で、オレには青春時代がなかった。
今でも、『しまった!』と思って、女を買いに行く」と。

 晩年の今東光は、ヌード画を書いていた。
「女を買う」というのは、「モデルの女性をさがしに行く」という意味だった。
大作家であり、政治家であり、かつある宗派の大僧正でもあった人物でも、
そう考える。
青春の仇討ちを考える。

●悔い

 私は……。
私は早い時期に、サラリーマンに見切りをつけ、そのあと、自由気ままに生きた。
そのつどやりたいことだけをやって、生きてきた。
したくないことは、しなかった。
きびしい生活だったが、そういう点では、悔いはない。
ないというより、少ない。

 あえて言うなら、「旅」ということになる。
息子たちが生まれてから、とくにそうだった。
が、だからといって、後悔しているわけではない。
息子たちがいたおかげで、がんばることができた。
息子たちがいなかったら、ああまでは、がんばらなかっただろう。
生きがいも生まれなかっただろう。
もちろん思い出も、できた。

 ただ心の中では、いつも、「世界中をひとりで旅をしてみたい」と、
思っていた。
目的地を定めず、放浪の旅をする。
今なら、ワイフと2人で、旅をする。
青春の仇討ちということになれば、それか?

 しかし今は、こう思う。
息子たちが、私の代わりに青春の仇討ちをしてくれている、と。
不思議なことに、みな、私がしたかったこと、できなかったことを、している。

 自由奔放な長男。
アメリカに移住した二男。
空を飛んでいる三男。

 みんなそれなりに、自分の人生を楽しんでいる。
それでよい。
それ以上に、私は何を望むことができるのか。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【教育の自由論】

●何をもって「自由」というか?

 事実を書く。

 二男の嫁のデニーズは、主婦業をしながら、受験勉強。
07年に、日本でいう司法試験に合格してしまった。
独学である。

 で、当時、二男は、転職を考えていた。
アメリカでは、より大きなチャンスをねらって転職するのが、常識になっている。
そこで二男は、カルフォルニア州にある、グーグル社と、ラスベガスにある、
ウォール・マート社の2社のどちらかに、転職が決まった。

 カルフォルニアは、物価も高く、息子と娘の教育にもよくないと、ウォール・マート社
への転職を決めていた。

 が、そのとき、デニーズが全額奨学金付きの、司法試験に合格してしまった。
「自由に大学を選んでいい」と。

 そこでデニーズは、インディアナ州のインディアナ大学(通称、IU)に、決めた。
その大学のロースクールに入学。

 二男は、「デニ-ズ(妻)の夢をかなえさせてやりたい」と、転職をあきらめ、
自分もインディアナ州へ。
先にも書いたように、端から端まで、車で2時間もかかるような、広大なキャンパスを
かかえた大学である。

 で、就職先をさがしていると、運よく、同じ大学内のコンピュータ技師としての仕事
が見つかった。
当初は、コンピュータの保守のような仕事をしていたと思う。
が、そのうち、大学のスパコン(スーパー・コンピュータ)を扱うようになった。
で、それがさらに進んで、少し前は、「世界のスパコンをネットとつないで……」という
ような話になった

 が、今回は、とうとう、「サーン」という名前が、口から出てきた。
そしてそのために12月に、スイスへ出張で言ってくる、と。

 わかるかな?

 日本の教育システムの中で、こうした(登用)が可能か、どうか?
アメリカでは、力のある若い人が、学歴とか、職歴に関係なく、どんどんと登用され、
自分の道を登っていくことができる。
念のため、あとで、この原稿を、TK先生(東大名誉教授・元副総長)に送ってみる。
「日本では、こういうことが可能なのか」と。

 たぶん、TK先生の答は、「No」だろう。
派閥と子弟制度で、がんじがらめになっていて、研究者ですら、身動きできないはず。
つまり、それが日本とアメリカの教育システムの(ちがい)ということになる。

 「自由」といっても、制度だけいじればそれでよいという問題ではない。
「意識」の問題ということになる。
その意識が整ってこそ、「日本の教育は自由化された」と、はじめて言える。

 その二男だが、大学を卒業するとき、「NASAでも通用する男」という推薦状を
もらっている。
が、デニーズとの結婚を優先させて、地元のアーカンソー州にある、ソフトウェア
開発会社に就職した。
その入社試験でのこと。
二男は自分が作った、宇宙モデルを見せたという。
それで就職が決まった。

 またコンピュータをつなぐという方法は、(今ではふつうになされているが……)、
二男が学生時代に開発したもの。
10台以上の古いコンピュータを回線でつなぎ、スパコンに似た仕事をさせるという
ものである。
一度、二男の大学を訪れたとき、その一部を見せてもらったことがある。

 二男はいつもこう言っている。
「パパ、コンピュータの世界では、不可能という言葉はないよ」と。
どういうわけか、その言葉が、耳に強く残っている。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi
Hayashi 林浩司 BW 量子加速器 CERN サーン 教育の自由化 はやし浩司 自
由な教育 教育自由化論 教育の自由とは)

(追記)

 今朝(10月30日)、以上の原稿をTK先生に送ったら、さっそく返事が来た。

【TK先生より、はやし浩司へ】

林様:
ご丁寧なお便り有難うございました。私には CERN の位置づけがよく分かりません
が、兎に角すごいことのようですね。父親の資質を継いでよかったですね。素晴らしいこ
とのようで、心からお祝い申し上げます。ご三男の方でしたっけ、航空士になろうとして
おられたのは。三男は何をしておられますか。

私の婿のOYは、今月東京大学の工学部の教授になりました。ヴァージニア工科大学
の教授でしたが、向こうで一億五千万ほどの研究費がつき、辞められないので、東京大学
に60%、ヴァージニアに40%の兼任になります。日本での給料は向こうに比べて大幅
に低いし、その上定年もありますので、大分迷っていましたが、結局兼任ということで決
ったようです。

来週の「文化の日」には東大関係のTK研の卒業生が集まり、「TK会」を東京の学
士会館でします。卒業生が皆よくしてくれますので、元気が出ます。

くれぐれもお元気で。

                       TK

デニーズさんで思い出しましたが、私の孫のMKは慶応大学法学部の4年生ですが、
アメリカの law school に入ると言って、先日試験を受けました。いいところに入れるとい
いが、と決定を待っているところです。彼女は小学校の5年生まで向こうで育ちましたの
でバイリンガルです。

【はやし浩司より、TK先生へ】

田丸先生へ

こんにちは!

お元気そうですね!

田丸会の成功を、期待しています。

パイロットになった三男は、5月に結婚し、千葉に住んでいます。
羽田で最終訓練を受けています。
B777のパイロットです。
(パイロットは、1機種ごとに、免許が必要です。)

もともと空が好きな男ですから、好きなことをさせるのが、
いちばんです。
センター試験では、横浜国大を2位の成績で入学しました。
宇宙工学の講座があるのが、横浜国大だったからです。
東大の医学部だって入れた成績なのですが……。

それを蹴飛ばして、今度はパイロットにと言うことで……。
親としては複雑な気持ちでした。
覚えていてくださって、恐縮です。

でもさすが先生、すばらしいですね。
浜松のへき地より、お祝い申し上げます。
お孫さんが、law school 入学できるといいですね。

ぼくも先生の、1000分の1をめざして、さらにがんばります!


はやし浩司


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●島崎藤村 

+++++++++++++++++

島崎藤村といえば、『初恋』。
「まだあげ初(そ)めし前髪の……」の『初恋』。 

そう思うのは、私だけか。
ほかにもいくつかあるが、島崎藤村といえば、『初恋』。
それが第一に浮かんでくる。

+++++++++++++++++

●初恋

まだあげ初めし前髪の
林檎のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛の
花ある君と思ひけり

やさしく白き手をのべて
林檎をわれにあたへしは
薄紅の秋の実に
人こひ初めしはじめなり

わがこゝろなきためいきの
その髪の毛にかゝるとき
たのしき恋の盃を
君が情に酌みしかな

林檎畠の樹の下に
おのづからなる細道は
誰が踏みそめしかたみぞと
問ひたまうこそこひしけれ

●初恋(よみがな入り)

まだあげ初(そ)めし前髪の
林檎(りんご)のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛(はなぐし)の
花ある君と思ひけり

やさしく白き手をのべて
林檎をわれにあたへしは
薄紅(うすくれない)の秋の実に
人こひ初(そ)めしはじめなり

わがこゝろなきためいきの
その髪の毛にかゝるとき
たのしき恋の盃(さかずき)を
君が情(なさけ)に酌(く)みしかな

林檎畠の樹(こ)の下に
おのづからなる細道は
誰(た)が踏みそめしかたみぞと
問ひたまうこそこひしけれ

●初恋(解説入り)

まだあげ初めし前髪の
林檎のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛の……「花櫛」→花の絵や彫り物がある櫛のこと
花ある君と思ひけり

やさしく白き手をのべて
林檎をわれにあたへしは
薄紅の秋の実に
人こひ初めしはじめなり……「人こひ初めし」→初恋

わがこゝろなきためいきの
その髪の毛にかゝるとき
たのしき恋の盃を
君が情に酌みしかな

林檎畠の樹の下に
おのづからなる細道は……「おのずからなる」→自然にできた(細道)
誰が踏みそめしかたみぞと……「かたみ」→残したもの
問ひたまうこそこひしけれ

●島崎藤村

 私は合唱が好きで、中学のときはコーラス部。
以後、高校、大学と、合唱部、合唱団に属していた。
ピアノを弾くことはもちろん、音譜もろくに読めない私が、合唱団にいたのだから、
恐ろしい。

 合唱団では、島崎藤村の曲を、よく歌った。
『♪千曲川旅情』もそのひとつ。
組曲になっていた。

『小諸なる古城のほとり          
雲白く遊子(ゆうし)悲しむ
緑なすはこべは萌えず          
若草も籍(し)くによしなし
しろがねの衾(ふすま)の岡辺(おかべ) 
日に溶けて淡雪流る』

 よく知られているのに、『高楼』がある。
小林明という歌手が、この歌を歌っていた。
私はこの曲も好きだった。
よく口ずさんだ。

『♪とほきわかれに(遠き別れに)
  たえかねて(耐えかねて)
  このたかどのに(この高楼に)
  のぼるかな(上るかな)

  かなしむなかれ(悲しむなかれ)
  わがあねよ(我が姉よ)
  たびのころもを(旅の衣を)
  とゝのへよ(整えよ)』

●系譜

今どき、若い人たちに島崎藤村といっても、ピンとこないかもしれない。
私たちジー様世代よりも、さらに一昔前の詩人である。

 で、年譜を調べてみると、1872年(明治5年)、長野県木曽郡山口村に生まれる。
小学校に入学当時から、『千字文』『勧学篇』を父から学ぶ。
中学校は、東京・芝の三田学校から、神田の共立学校に転校。
明治学院普通学部本科に入学とある。

 明治5年生まれというから、教育的にかなり恵まれた環境に生まれ育ったことになる。
ふつうの家庭ではない。
ふつうの家庭の子どもは、尋常小学校へ通うだけで、精一杯。
あとは皇族、士族、大商人の師弟のみ。
そういう人たちだけが、今で言う大学へ進学することができた。

 島崎藤村の代表作は、もちろん、『夜明け前』。
満56歳ごろから本格的に準備を始め、第一部は、60歳のとき新潮社より刊行されてい
る。

 そのあと63歳のときに第二部を、同じ新潮社より刊行。
同年、日本ペンクラブが結成され、会長に就任。

 1943年(昭和18年)、脳溢血のため、大磯の自宅で死去。
享年71歳だったという。

●一考

 島崎藤村の「初恋」に描かれた女性は、妻「フユ」ということになる。
そのフユは、4女出産後、出血多量で死去している。
島崎藤村、38歳の、1910年(明治43年)のことである。

 で、そのあと、島崎藤村は、1913年(大正2年)4月に、フランスに向かって出発。
1916年(大正5年)に帰国している。

 このあたりに島崎藤村の人生の中核が、形成されたとみてよいのでは?
フユの死去と、フランスへの旅。
この2つが、相互にからみあって、その後の島崎藤村を、島崎藤村にした?

 これは私の勝手な解釈によるものだが、冒頭に書いた「初恋」をその上にダブらせると、
それがよくわかる。
それにしても、ラッキーな人だと思う。
豊かな才能のみならず、環境にも恵まれていた。
明治の昔に、東京で中学、高校時代を過ごし、大学を出ている。
 
 島崎藤村の出した詩集は、『若菜集』にはじまって、どれも大ヒット。
当時の文学界は、現在のテレビのような働きをしていた。
1作、本が当たれば、そのまま億万長者という時代だった。
かなりの収入にも、恵まれた。

 で、フランスへ、3年という長旅。
明治維新直後の日本の国力は、当時のインドネシアと並ぶ程度であったという。
そういう時代の、3年間である。

 これは最近の私の悪い癖かもしれないが、私は、そういう人がいたことを知ると、
自分の人生や年齢を、そのままその人に重ねてしまう。
私は、島崎藤村がフランスへ行っていた年齢のときには、何をしていただろう、と。
たとうば島崎藤村は、60歳のときに、ライフワークとも言える、『夜明け前』
(『第一部』を刊行している。

 それを知るだけでも、大きな励みになる。
「まだ、がんばれる!」と。

 たまたま書庫に島崎藤村の詩集を見つけた。
しばし読みふけった。
で、島崎藤村について、書いてみた。


Hiroshi Hayashi++++++++OCT.09+++++++++はやし浩司

●CERN(サーン)(量子加速器※)

少し前、アメリカから帰ってきた三男が、声を高ぶらせてこう言った。
「S君(=二男の愛称)は、すごいことやってるよ、パパ!」と。

話を聞くと、インディアナ大学で、スパコンの技師をしているという。
そして今は、CERN(サーン)の研究員の1人として、働いている、と。
インディアナ大学といっても、端から端まで、車で2時間もかかるほど広い。
日本の常識では、ちょっと想像できない。

そこで二男は、世界中のスパコンをつなぎ、サーンからのデータを通信衛星で、受信。
その分析をしている。

そのことを今朝、二男にテレビ電話で話すと、いともさりげなく、「12月にスイスへ
出張で行ってくるよ」と。

ウィキペディア百科事典には、こうある。

++++++++++++++++++

(注※)大型ハドロン衝突型加速器 (Large Hadron Collide、略称 LHC) とは、
高エネルギー物理実験を目的としてCERNが建設した世界最大の衝突型円型加速器の名称。
スイス・ジュネーブ郊外にフランスとの国境をまたいで設置されている。2008年9月10
日に稼動開始した。

++++++++++++++++++

私はうれしかった。
どういうわけか、うれしかった。
私にはできなかったことを、二男は、している。
「自慢」とか、そういうことではない。
あの量子加速器の話は、前から聞いていた。
巨大なシステムで、総工費は、9000億円以上、とか。
「世界中の物理学者がスイスに集まりつつある」と、別のHPにはあった。
そういう研究の片鱗のその一部に、何と言うか、自分自身が加担できたような
うれしさである。

 二男には、幼児のときから、惜しみなくコンピュータを買い与えてきた。
私も好きだったこともある。
二男が小学生のときには、一台40~50万円が相場だった。
ベーシック言語を教えたのは私だったが、C++言語は、中学へ入るころには、
自分でマスターしてしまった。
また高校生のときには、コンピュータ・ウィルスが問題になり始めていた。
二男は、自分でワクチンをつくり、そのワクチンを、そのとき立ち上がり始めていた
ウィルス対策ソフトウェア会社に、送り届けていた。

 「無駄」という言葉は、あまり使いたくないが、「無駄にはならなかった」と。
ただ二男のばあいは、コンピュータもさることながら、作曲の才能のほうが、
すぐれていた。
二男が高校生のときに作曲、演奏した音楽を聴くたびに、そう思った。
そういう才能を伸ばしてやれなかった。
親として、何ともやるせない気持ちになったことは多い。

 が、今度、その(やるせなさ)を、二男は、吹き飛ばしてくれた。
「あの、量子加速器の件で、スイスへ行くのか?」
「うん、サーンだよ」と。

 サーン……全周27キロの円形加速器。
ときどき映画の中などでも紹介される。
これからは、それが紹介されるたびに、今までにない親近感を覚えるだろう。

 息子たちよ、ありがとう!
私はいつも、お前たちに励まされて生きている。
が、まだまだ、私は負けない。
老いぼれてもいない。
お前たち以上に、がんばってやる。
さりげなく。
そう、さりげなく、がんばってやる!

おやすみ!
(09年10月29日夜記)


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【10月31日】(2009)

●パソコンをもって、でかけよう

パソコンをもって、でかけよう
気が向いたところで、パソコンを開こう
ひらめいたことを、文にしよう
インターネットを楽しもう
ショッピングセンターの中の、休憩所
レストランのテーブルの上
電車やバスの中
それに旅行先

ちょっとした時間があれば、そこで開こう
開いたとたん、そこは別世界
知的遊戯の世界
文を叩き出したとたん、脳みその中が、一変する
モヤモヤしたものが、その向こうから、湧き出る
ネットにつなげば、その向うに世界が見える
それに形をつける
ひとつにまとめる
その爽快感

パソコンをもって、でかけよう
もうだれにも、「お宅族」とは言わせない


Hiroshi Hayashi++++++++OCT.09+++++++++はやし浩司

●2010年の企画

2008年は、「音楽と私」に力を入れた。
2009年は、「BW公開教室」に力を入れた。
2010年は……?

新しいHPを立ち上げるか?
それともマガジンに力を入れるか?
いろいろ考えている。
迷っている。

絶版になったまま、放置してある本が、10冊あまりある。
それをHPに収録したい。
この年末には、それを仕上げたい。

が、2010年は……?
いろいろ考えている。
迷っている。
実のところ、それが楽しい。


Hiroshi Hayashi++++++++Oct. 09+++++++++はやし浩司

●経済効果

●菅氏の「大ばか」発言

+++++++++++++++++

久々に、胸がスカッとした。
あの菅氏が、こう言い放った。

「霞が関なんて成績が良かっただけで、大ばかだ」と。

時事通信、09年10月31日は、つぎのように伝える。

+++++以下、時事通信+++++

 「知恵、頭を使ってない。霞が関なんて成績が良かっただけで大ばかだ」。菅直人副総理
兼国家戦略担当相は31日、民主党都連の会合での講演で、激しい言葉で官僚を批判した。

 「効果のない投資に振り向けてきた日本の財政を根本から変える」と財政構造改革に取
り組む決意を明かした菅氏は、官僚から「2兆円を使ったら目いっぱいで2兆円の経済効
果だ」と説明を受けたことを紹介した後に、「大ばか」発言が飛び出した。

官僚嫌いで知られる菅氏は、学業は優秀でも過去の例にとらわれて柔軟な発想に欠ける
と言いたかったようだが、官僚の反発を招きそうだ。

+++++以上、時事通信+++++

 問題は、「2兆円を使ったら目いっぱいで2兆円の経済効果だ」という部分。
私も、この部分に、カチンと来た。
官僚というのは、この程度の経済知識しかないのか?

●経済効果

 経済効果について、説明しよう。
私は法科の出身だが、この程度のことは知っている。
話をわかりやすくするために、数字を簡略化した。

【例】

 たとえばあなたが、商品Xを、100万円で購入したとする。
あなたはA商店に100万円(1)、支払った。
それを受け取ったA商店は、20万円を自分のものにし、残りの80万円(2)をB問屋
に支払った。
B問屋は、受け取った80万円のうち、20万円を自分のものにし、残りの60万円(3)
をC問屋に支払った。
C問屋は、受け取った60万円のうち、20万円を自分のものにし、残りの40万円(4)
を、D製造会社に支払った。
D製造会社は、受け取った40万円のうち、20万円を自分のものにし、残りの20万円
(5)を、材料代として、E会社に支払った。

 以上の中で、(1)+(2)+(3)+(4)+(5)を計算すると、合計で、300万
円になる。

 つまりあなたが100万円のものを買うと、その向こうで、300万円のお金が、動い
たことになる。
これが「経済効果」である。
繰り返すが、100万円で、300万円が動いたことになる。

 もしあなたが100万円をタンス預金してしまえば、この経済効果は生まれない。
だから「2兆円を使ったら目いっぱいで2兆円の経済効果だ」というのは、ウソというより、
認識不足。
要は、その使い方。
使い方しだいで、経済効果は、3倍にも、4倍にもなる。

 時事通信は、「官僚の反発を招きそうだ」と書いている。
しかし心配、無用!
私たち庶民が味方についている。

 いいか、官僚ども、いい気になるな!
もし菅氏を責め立てたら、我々、庶民が許さない。
怒りのマグマは、爆発寸前!

 今こそ、みなが、立ちあがるべきときではないのか。
立ちあがって、官僚政治を是正していかなければならない。
官僚政治のすべてが悪いわけではないが、しかし今の官僚政治は、行き過ぎている。
民主主義そのものを、形骸化している。
知事も副知事も、みんな元官僚。
国会議員も、みんな元官僚。
大都市の首長も、みんな元官僚。
これは許せない。

 菅さん、負けるな!
ひるむな!

 (しかし菅氏も、元官僚ではなかったのか?
少し心配になってきた……?
腰砕けにならなければよいが……。)

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Hiroshi Hayashi++++++++OCT.09+++++++++はやし浩司

●ずるい言い方

++++++++++++++++++++++

ずるい言い方をする人は、多い。
たとえば重要な話を、どうでもいいような話に
くるんで、話したりする。

++++++++++++++++++++++

●ある勧誘

たった今、ある通信会社から、電話がかかってきた。
かなり年配の女性の声だった。
いわく、「電話の基本料金が、今より1200円安くなります」と。
NTTという名前を、うまく混ぜて使った。
で、少し話を聞いていると、こう言った。

「トータルで、私どもの光通信にすると、今より、約1200円、安くなります」と。

私「何ですか、そのトータルというのは?」
女「光通信にするとですね、電話の基本料金が、1200円ほど、安くなります」
私「だからア、何と、トータルなのですか?」
女「インターネット、なさっていますね?」
私「しています」
女「インターネットと合わせて、トータルで安くなるということです」

私「だったら、プロバイダー(サーバー)を変えろということですか」
女「そういうことになります」
私「だったら、最初から、そう言うべきじゃ、ないですか」
女「ハア~」
私「最初から、プロバイダーを変えませんか、と」
女「そうですねエ」

私「あのね、プロバイダーなんて、簡単に変えられませんよ」
女「メールアドレスなんかも、全部、変えなければなりませんからね」
私「それだけでもないですよ。同じアドレスをあちこちで使っていますから」
女「そうですね……」
私「そういうずるい言い方をしては、だめでしょう。知らない人だったら、
『はい』って、言ってしまいますよ。で、あとでたいへんなことになる」と。

 ずるい人は、大事な情報を、どうでもよい情報でくるみながら、話をする。
私は、この種のずるい言い方に出会うと、どういうわけか、頭にカチンとくる。
私の近くにも、そういうずるい言い方をする人がいた。
さんざん、ひどい目にあった。
そのときの(怒り)が、フラッシュバックしてくる。

 許せない!、……ということで、電話の女性を相手に、言いまくった。

私「最初から、正直に言えばいい。人をだますような言い方はしてはいけない」
女「すみません」
私「そんな言い方で、相手を勧誘しておいて、あとで、知りませんでは、
通らないでしょ」と。

 しかしなぜ、私がこうまで不愉快に思うかというと、もうひとつ、理由がある。
実は、私自身も、若いころ、ずるい人間だった。
ずる賢いというか、小ずるいというか……。
そういう人間だった。

だからずるい人を見ると、自己嫌悪感も重なって、そういう人に腹が立つ。
心理学では、「投射」という言葉を使って、それを説明する。
自分の醜い部分や、いやな部分を、相手に投げつけて、その相手を嫌ったり、
憎んだりすることをいう。

『ずるい人間は、ずるい人間に厳しい』ということ。
『泥棒の家は、戸締りに厳重』に近いが、『泥棒ほど、泥棒を憎む』のほうが、よい。

 で、この話には、つづきがある。
そのあと、私とワイフは、夕食を、牛丼のY家で食べた。
ワイフが割引券をもっていた。
「セットもの、50円引き」とあった。

 で、私は、牛焼肉セット、ワイフは、豚カレーというのを食べた。
店を出る直前、割引券を見ると、「10月31日まで」とあった。
ギリギリ、セーフ!
で、その券といっしょに料金を払おうとして、別の割引券を、もう一度よく見ると、
「午後3時まで」とあった。

 割引券の有効期限が、10月31日の午後3時という。
が、そのときには、すでに店員が、50円引きで、レジを打ってしまっていた。
時刻は、午後7時を回っていた。

私「アノ~、有効期限が、午後3時までになっていますが、いいですか?」
店「……ああ、そうみたいですね。ハハハ。もう時間が過ぎていますね」
私「正直に言ったから、『まあ、いいです』ということにはなりませんか?」
店「ハハハ、申し訳ございません。そういうことにはなりません」と。

 こうして私たちは、50円、損した(?)。
が、気持ちよかった。
損か得かということになれば、私たちは料理の半分も食べていない。
そちらのほうが、よほど、損。
それを言うと、ワイフは笑った。

 Y家の牛丼にかぎらず、このところファーストフードの店は、どこも料理の
量が多すぎる。
とても1人では、食べきれない。
が、全部食べたら、自分の体を損(そこ)ねる。
だから半分は、残すようにしている。

 正直が、いちばん。
正直に生きるのが、いちばん。
そのほうが、後味もよい。
まさに後(味)。

 私たちは土曜日の夜を過ごすため、山荘に向かっていた。


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