2009年12月22日火曜日

*Men of destroyed Minds

●心の壊れた人たち

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他人の不幸を、楽しんでいる人がいる。
さも同情しているかのような顔をして聞き、
内心では笑う。
心が壊れた人というのは、そういう人をいう。

自己中心性が肥大化すると、自己愛につながる。
自己愛に陥った人を、「自己愛者」という。
「自分を大切にする人」という意味ではない。
「自分のことしか考えない、愚かで、あわれな人」
という意味である。

このタイプの人のやっかいな点は、演技がうまいこと。
さも同情したフリをして、他人の不幸話を聞き出す。
誘導の仕方が、うまい!
聞き出し、それを酒の肴(さかな)にして、楽しむ。
うわさ話をしながら、「あいつはダメだ」とか、「こいつは
バカだ」とか言って、笑う。

あるいは自分は人格者であるかのように振る舞う
こともある。
むしろほかの人よりも、高邁で立派な人に見える。
が、年季が入っているから、ちょっとやそっとでは
見抜けない。
10年くらいつきあって、「?」と思う。
20年くらいつきあって、やっと、そういう人とわかる。

そんなわけで、価値観、幸福感も相対的。
他人が自分より不幸であれば、「私は幸福」と
喜ぶ。
笑う。
他人が自分より幸福であれば、「私は不幸」と
嘆く。
ねたむ。

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●「私はふつう」

 一度壊れた心は、生涯、なおらない。
そう思って、ほぼまちがいない。
心というのは、そういうもの。
作るのは、むずかしい。
壊すのは簡単。
ほんの1、2年、はげしい受験勉強を経験させるだけで、壊れる。
あるいは、不幸にして不幸な家庭に育った子どもも、そうだ。
愛情飢餓、虐待、無視、冷淡、さらに嫉妬や日常的な欲求不満を経験すると、子どもの心は壊れる。

 が、ここから先が、心の恐ろしいところ。
壊れた心をもちながら、壊れていることに気づく人は、まず、いない。
自分では、「ふつう」と思い込んでいる。
あるいは「他人も、自分と同じ」と思い込んでいる。
その一方で、心の暖かい人が理解できない。
そういう人が近くにいても、その人を信ずることができない。
何かのことで親切にされても、それを素直に、受け入れることができない。
どこまでも心のさみしい、かわいそうな人ということになる。
が、それも、このタイプの人には、わからない。

●不信

 こういう心の状態を、心理学では、「基本的不信関係」という言葉を使って説明する。
多くは、乳児期の母子関係の不全によって、そうなる。
わかりやすく言えば、相手に対して、心を開けない。
心を許さない。
疑い深く、嫉妬深い。
心のクッションが薄いから、ささいなことで激怒したり、相手を必要以上に嫌ったり、避けたりする。

 が、「不信」である分だけ、「孤独」。
だから勢い、たとえば、「信じられるのは、お金だけ」となる。
名誉や財産、地位や学歴にしがみつく。
ときに孤独に耐えかねて、集団の中に入る。
大判振る舞いをする。
しかし気が抜けない。
疲れる。
そういう生きざまになる。
言い換えると、そういう生きざまの人は、すでに何らかの形で、心が壊れている人と考えてよい。

●受験競争

 ひょっとしたら、この文章を読んでいるあなた自身も、その(心の壊れた人)かもしれない。
程度の差はあるだろうが、私たちの生活は、何らかの形で、お金に毒されている。
「私は、そんなまちがったことできません」などと言おうものなら、社会そのものからはじき飛ばされてしまう。
子どもの受験勉強にしても、そうだ。
あんな子どもが、点数だの、成績だの、順位だので追いまくられて、まともに育つはずがない。
ないことは、子どもを年中児から高校3年生まで教えてみるとわかる。

 子どもによっては、夏休みの間、どこかの受験塾が主催する夏期講習に入っただけで、激変する。
親は、そういう子どもを見て、「やっとうちの子も、(受験を)自覚できるようになりました」と喜んでいるが、とんでもない誤解。
あるいは親自身も、心が壊れているから、それに気づかない。
心の壊れた親が、自ら、自分の子どもの心を壊している。
受験塾の講師にしても、そうだ。
ああいった指導(教育ではないぞ!)が、平気でできる人というのは、そのレベルの人と考えてよい。
まともな心の持ち主なら、ぜったいにできない。

 人間が人間に点数をつけ、順位をつけ、進学指導の指導(?)をする。
もちろん金儲けのため。
しかもそんな汚い仕事を、20代とか30代の、人生が何であるかもわからないような若い講師がする。
まずもって、その異常さに、みなが気がついたらよい。

 まわりくどい言い方をしたが、受験競争の弊害を、心という面から、考えてなおしてみた。
さらに一言付記するなら、そうした受験競争をうまくくぐり抜けた人ほど、社会のリーダーとなっていくのは、まさに悲劇としか、言いようがない。
現在のこの日本が、まさにそうであると断言してよい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 受験競争の弊害)

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