2009年12月3日木曜日

*Cushion in the Mind

【心のクッション】

●人はなぜ怒るか

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(怒り)にもいろいろある。
その中でも、ちょっと変わった怒りもある。
「変わった」というよりは、「極端な」といったほうが、
正しいかもしれない。
実際の例をいくつかあげながら
怒りについて、考えてみたい。

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(例1)

 Hさんは、その少し前から認知症の疑いがあった。
今年65歳、女性。
もの忘れがひどくなりつつあった。
そんなある日、クラブのメンバー(友)と、電話でこんなやり取りをしたという。

H「今度の会合は、AA台にあるBBというレストランでしましょう」
友「わかりました、AA台のBBですね」と。

 で、しばらくほかの話をしたあと、終わり際に、友人が
「じゃあ、AA台のBBで……」と言ったときのこと。
突然、Hさんは、パニック状態になってしまった。

「私、BBなんて言っていません。CCです!」

友「だって、あなた先ほど、BBって、言いましたよ」
H「言っていません。どうしてそんなウソをつくのですかア!」と。

 ふつうの激怒ではない。
ギャーギャーと泣き叫ぶようにして、そう言ったという。

【例2】

 同じく、そのHさんのこと。
親類(Hさんの従兄)の1人も、そうした異変に、薄々気がつき始めた。
それでその親類が、Hさんの夫に、それとなくそれを伝えようとしたときのこと。
親類は、Hさんのことを心配して、それを伝えようとした。
こうした病気は、早期に発見し、治療を始めれば、進行を遅らせることができる。
が、Hさんの夫は、逆に怒ってしまったという。

「Hは、思い込みがはげしいところはあるが、頭は何ともない!
頭はいい!」と。

 あまりの剣幕に、従兄のほうが、たじたじになってしまったという。

【例3】

 内容は同じような話だが、Xさん(45歳、女性)も、このところ様子が
おかしい。
ガスコンロの火を消し忘れたり、風呂の湯を止め忘れたりする、など。
あるいは3~4日も、気分が悪いといっては、床に伏したままになることもあった。
そこで夫が、Xさんを、心療内科へ連れていこうとした。

 が、これにXさんが、猛反発。
逆上というか、まるで狂人のようになって暴れて、抵抗したという。

【例4】

 つぎの話は、以上の話を、私の友人に話したとき、その友人から聞いた話である。

 その家には、90歳を過ぎた母親がいた。
そのときすでに、要介護度3前後の認定を受けていた(旧認定基準)。
そこでその友人が、いろいろ考えた末、特別養護老人ホームへ入居の手続きを
しようとした。
それを聞いた、友人の妹たち2人が、友人の家にやってきて、これまた大激怒!
「親を、施設に入れるな!」と。

●怒り

 これらの怒りに共通するのは、「心のクッション」がないこと。
心に余裕がない。
心は緊張状態にあり、そこへ何らかの刺激が加わると、一気にそれを
解消しようとして、精神状態が不安定になる。

 ふつうなら、こういうとき、理性が感情の暴走にブレーキをかける。
が、そのブレーキが働かない。
このことから、こういうケースのばあい、(怒り)は、つぎの二段階を経て、
(怒り)になることがわかる。

(1) 心が緊張状態にあって、不安や心配が入り込むと、それを一気に解消
しようとして、不安定になる。
(2) 感情が暴走し、理性によるブレーキが働かなくなる。

●では、どうするか

 (怒り)は、(心のクッション)と、大きく関係している。
(心のクッション)が、大きい人は、相手の心を、暖かく包み込むことができる。
そうでない人は、そうでない。
そのまま相手の心を、冷たくはね返してしまう。

 私の印象では、(あくまでもそう思うだけだが)、認知症か何かになると、この
心のクッションが、たいへん薄っぺらくなる。
心の余裕そのものがなくなり、ささいなことで、激怒しやすくなる。
 
 お金にたとえるのも不謹慎なことかもしれない。
しかしたとえば懐(ふところ)に、何百万円ももっている人は、寿司屋でも、好きな
寿司を注文することができる。
しかし小銭しかないと、ハラハラしながら食べなければならない。

 同じように、心の中に(大きなもの)をもっている人は、ささいなことでは、動じない。
そうでない人はそうでない。

 たとえばそれが(思い込み)であるにせよ、何かの信仰をもっている人は、外部の人に
対して、おおらか。
いつも満足そうな笑顔を浮かべている。
科学者にしても、思想家にしてもそうだ。
「宇宙だ」「哲学だ」「真理だ」と言っている人は、それだけ、ささいなことでは、動じな
い。

 言い換えると、このタイプの(怒り)と闘うためには、(怒り)そのものと闘うというよ
りは、それによって動じない(大きなもの)を、もつこと、ということになる。
大きければ大きいほど、よい。
それがそのまま(心のクッション)となる。

 先にあげた4つの例では、つまりは加齢や認知症の進行とともに、(大きなもの)が心から消えたことが理由と考えてよい。
思考能力そのものが低下するから、自分の住む世界そのものが、小さくなってしまう。

 「AA台のBB」であろうが、「AA台のCC」であろうが、心に余裕のある人だったら、
「あら、まちがえました。ごめんなさい、ホホホ」で済んだ話である。
つまりこれが結論ということになる。

(1) 常に、大きな世界で生きよう。
(2) 常に、大きなテーマをもち、それについて考えよう。
(3) 常に、新しいことに興味をもち、それにチャレンジしよう。
(4) 常に、自分の文化性(絵画、音楽などの芸術性)を高めよう。
(5) 常に、生きることを原点に、真・善・美の追求をしよう。

 その結果として、私たちは、自分の(心のクッション)を大きくすることができる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 心のクッション 怒り 怒りの対処法 心の余裕)

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