2009年12月30日水曜日

*Warm-Hearted Men

●心の温かさvs冷たさ

+++++++++++++++++

今日になって、どっと忙しくなった。
朝から、動きっぱなし。
で、やっと今、……時刻は午後4時37分、
一息ついた。
疲れた。

残るは部屋の掃除だけ。
それは明日にしよう(12月30日)。

+++++++++++++++++

●「心」をもたない生物

 かなりSF的な話になる。
あくまでも、SFとして読んでもらったほうがよい。
こんな話である。

 つまり、あの爬虫類には、「心」が、あるかないということ。
トカゲとか、ヘビを頭に思い浮かべてみればよい。

 たとえば鳥類のばあい、雛をほかの動物が襲ったりすると、親鳥はその敵に向かって、猛然と立ち向かっていく。
哺乳類では、さらにはげしく立ち向かっていく。
つまり鳥類や哺乳類には、「心」がある。

 では、爬虫類はどうか。
たとえばトカゲの親の目の前から、トカゲの子どもをさらってみる。
そのときトカゲの親は、自分の子どもを守ろうと、何らかの行動に出るだろうか。
が、私が知るかぎり、トカゲが、そうした行動に出たるという話を聞いたことがない。
ヘビにしても、そうだ。

 では、魚はどうか?

 ウ~ン!

 ……魚も、そうした行動に出るという話を聞いたことがない。
さらに昆虫類にいたっては、そうした行動に出るという話を聞いたことがない。
言い換えると、爬虫類や魚類、昆虫類には、悲しみを理解する「心」がないということになる。

 だからといって、感情がないと言っているのではない。
喜びや怒りについては、わからない。
餌を見つけたときの攻撃心、餌を取りあうときの闘争心、餌にありついたときの喜びや満足感などは、あるかもしれない。

が、私たち人間がもっているような(感情)は、爬虫類や魚、虫にはないと考えてよいのでは?
あるとしても、きわめて原始的なもの。
人間がもっているような感情とは、異質のものと考えるのが正しい。

●心の冷たい人

 人格の完成度は、他者との共鳴性で決まる(EQ論)。
ほかにもあるが、共鳴性が、もっとも重要。
他人の苦しみや悲しみを、いかに共有できるか。
共有できる幅の広い人を、人格の完成度の高い人という。
そうでない人をそうでないという。

 そこでこれは極端なケースだが、自分の子どもが危機的な状況になったばあいを考えてみよう。
どこかの国の独裁者に誘拐されたようなケースでもよい。
そのとき平然と構えていることができるとしたら、共鳴性は、かなり低いということになる。
(そんな人は、いないが・・・。)

 誘拐でなくても、他人の子どもが、目の前で危機的な状況になったばあいを考えてみよう。
そのとき平然と構えていることができるとしたら、共鳴性は、かなり低いということになる。

 トカゲやヘビを基準にするのも、おかしな話だが、そういう人の「心」は、トカゲやヘビと同じ、ということになる。

●グレイ

 で、ここからが、SF的。
もし遺伝子操作か何かで、人間の知的能力をもったトカゲのような生物を作ったとしたら、その生物は、どんな生物になるだろうか。
つまり知的能力は、人間並み。
「心」は、爬虫類並み。

 実は私はこのことを、映画『フォース・カインド』(The Fourth Kind)を観ているとき、考えた。
あの映画の中では、「ふくろう」に似た宇宙人が、つぎつぎと人間をさらっていく。
そのやり方というか、やり口が、実に荒っぽい。
乱暴。
子どもだって、平気でさらっていく。
人間だって、ほかの動物を捕獲するときは、麻酔銃などを使ったりする。
しかしあの映画の中に出てくる宇宙人は、そういうことはしない。
泣き叫んで抵抗する人間を、平気で(?)、さらっていく。

 で、「ふくろう」に似た宇宙人といえば、グレイがいる。
目だけがやたらと大きく、体や、それにつづく腕や足は、異常に細い。
身長もそれほど大きくないとされる。
夜中にそこに、その生物(?)を見たら、ふつうの人だったら、ふくろうと思うかもしれない。
一説によれば、あくまでも一説だが、そのグレイは、爬虫類を改造した生物ロボットと言われている。
「信ずるか信じないかは、あなた次第」(「フォース・カインド」)ということになるが、もしグレイが、爬虫類の「心」をもっているとするなら、ありえない話ではない。

 子どもをさらわれる親の気持ちなど、理解できない。

●扁桃核
 
 そこで私たち自身について、考えてみたい。
人間だから、平等に、人間らしい「心」をもっているというのは、ウソ。
・・・というより幻想と考えてよい。
心の温かい人もいれば、そうでない人もいる。
自分が温かいからといって、ほかの人もそうであると考えてはいけない。
自分が冷たいからといって、ほかの人もそうであると考えてはいけない。
そしてここが重要だが、一度壊れた心、つまり冷たくなった心は、簡単には元に戻らない。
「話せばわかる」式の発想で、説教したくらいで、冷たくなった心を溶かすことはできない。

 で、最近の研究によれば、その鍵を握るのが、辺縁系の中にある扁桃核(扁桃体)とい言われている。
何かよいことをすると、大脳のほうから信号が送られ、扁桃核が、モルヒネに似たホルモンを分泌する。
そのホルモンが、脳内を甘い陶酔感で満たす。
こうして人間は、(よいことをする)ことが、(気持ちのよいこと)と知る。

 が、この段階で、扁桃核が大脳からの刺激に反応しなくなったとしたら……。
仮によいことをしても、甘い陶酔感で満たされることはない。
感情的に、無反応の状態になる。
それだけではないだろうが、「心」というのは、脳の中で、複雑なメカニズムを通して作られる。
「一度壊れた心は、簡単には元に戻らない」というのは、そういう意味である。

●心のすれちがい

 平たく言えば、人間には心の温かい人もいれば、そうでない人もいるということ。
心の温かい人からは、心の冷たい人がよくわかる。
しかし心の冷たい人からは、温かい人が理解できない。
親切にしてもらっても、相手の人が、「お人好し」か、「バカ」にしか見えない。

が、その一方で、心の温かい人にも、それがわからない。
「相手は喜んでいるはず」「うれしがっているはず」と考える。
が、実際には、そうでない。
そこで「?」となる。
心がすれちがう。

 ……といっても、心が温かい、冷たいといっても、相対的なもの。
より温かい人からみれば、あなただって、冷たい人になる。
心の温かい人は、どこまでも心が温かい。
冷たい人は、どこまでも冷たい。
それこそ道端で人が倒れていても、平気でそばを通り過ぎることだってできる。
さらに冷たくなれば……。
それこそトカゲやヘビのような心の持ち主に、なってしまうかもしれない。

●では、どうすればよいか

 ここから先は、教育の問題ということになる。
たとえば幼児でも、ぬいぐるみを見せたとき、うっとりするような目つきで見る子どももいる。
反対に、そうでない子どももいる。
大きなぬいぐるみを与えたりすると、「かわいい」と言って抱く子どももいれば、反対に足で蹴る子どももいる。

 それだけで心の温かさを判断することはできないが、幼児ですら、心の温かさを感ずる子どももいれば、そうでない子どももいる。

 結論から先に言えば、乳幼児期に、親の温かい愛情に恵まれた子どもは、心の温かい子どもになる。
この時期に、育児拒否や親の冷淡、無視、さらには虐待を経験すれば、子どもは、心の冷たい子どもになる。

 このことは育児の常識といってもよい。
で、問題は、そのつぎ……というか、私たち自身のこと。
まず私たちは、(1)どうすれば、自分の心の温かさを知ることができるかということ。
つぎに、(2)「冷たい人間」とわかったとき、どうすれば、それを克服することができるかということ。

 順に考えてみたい。

(1)どうすれば、自分の心を知ることができるか。
(2)自分が心の冷たい人間と知ったとき、どうすればよいか。

●自分の心を知る

 自分の心を知るというのは、実は、たいへんむずかしい。
どんな人も、自分の心を基準にして、「心」を考える。
だからどんな人も、「私はふつう」と考える。
心の温かい人は、温かい人なりに、「私はふつう」と考える。
心の冷たい人は、冷たい人なりに、「私はふつう」と考える。
だから他人の心がわからない。
自分の心も、わからない。

 が、ときどき、ゾッとするほど心の冷たい人に出会うときがある。
そういう人を知って、自分の心の温かさを知る。
反対に心の温かい人に出会うときがある。
そういう人を知って、自分の心の冷たさを知る。

 ただおかしなことに、心の冷たい人ほど、それを隠すためか、それとも自己嫌悪のためか、人前では、ことさら自分のやさしさを強調することが多い。
「私、近所の独居老人のために、ボランティア活動をしてますの」と。
どこかおかしい。
どこか不自然。

一方、本当に心の温かい人は、静か。
そうした演技そのものを、必要としない。
だから心の動きも、自然。
これもその人が、本当に心の温かい人かどうかを知るための、ひとつの基準になるかもしれない。

●克服

 方法としては、(1)文化性を高める。
(2)人間性を高める。
こうした努力を、日々の中で実践していくしかない。

 文化性を高めるというのは、日々に人の心のすばらしさに感動するということ。
そのために芸術がある。
絵画でも音楽でもよい。
文学や映画でもよい。
そういうものに接して、自分の文化性を高める。

 また人間性を高めるということは、ずばり言えば、苦労をすること。
私も母の介護・・・というよりは、(母の介護そのものは何でもなかったので)、兄弟や親類との確執を経験して、介護の苦しみを味わった。
その分だけ、それを理解するだけの心のポケットができた。
こうしたポケットを、できるだけ幅広く、かつ多く経験する。
経験するというより、乗り越える。

 そのときは苦しいかもしれない。
しかし乗り越えるたびに、自分がもつ人間性が、広く、かつ深くなっていくのを、実感として知ることができる。

 私自身は、もともと、心の冷たい人間だった。
今も、冷たい。
どうしてこうなったかということについては、いろいろ思い当るところがある。
が、それはそれとして、つまり過去を悔んでも、しかたない。
心の温かい人間をめざして、前向きにがんばるしかない。

 ただ、だからといって、私に聖人のような人間を求めてもらっても困る。
常に私は、(この程度の人間)でしかない。
だから私は、ひとつ心に決めていることがある。
簡単なことである。

(1)心の壊れた人とは、つきあわない。
(2)心の温かい人は、大切にする。

 私のように心の壊れた人間は、同じように壊れた人間と接すると、自分で自分がガタガタと崩れていくのがよくわかる。
それがこわい。
だから、つきあわない。

●心の壊れた独裁者

 ところで話は、ぐんと現実的になる。
つい先日、韓国系のアメリカ人が、あのK国へ単独で不法入国していったという。
どこかのキリスト教団体に属する信者だという。
気持ちはわかるが、どこか狂信的(?)。
あまりにも現実離れしすぎている。
活動の仕方はいろいろあるだろう。
しかし・・・?
朝鮮N報は、つぎのように伝える。

 『・・・パクさんがK国の弱点である人権問題を取り上げ、金xx総書記を批判する手紙を所持していたという点から、容易に解放できないとの分析もある。韓国政府当局者は「現在米朝関係が悪いわけではないため、円満に解決されることを期待する」と語った。
一方、ロバート・パクさんが代表として活動するK国人権団体「北の同胞のための自由と生命2009」は30日、ソウル汝矣島にある文化放送前で集会を開き、パクさんがK国に入境する前に作成したメッセージを発表する。これには金xx政権の糾弾、K国にある政治犯収容所の閉鎖、K国人権問題に対する全世界人の関心呼びかけなどの内容が含まれている』(朝鮮N報(12・29)より)。

 こんな方法で、あのK国のあの金xxが、心を開くはずはない。
ないことは、K国情勢が少しでも理解している人なら、わかるはず。
なぜなら、理由は、簡単。
あの独裁者の心は、すでに壊れている。
壊れた人間に(善)を説いても、通じない。

 たまたまこの原稿を書いているとき、そんなニュースが飛び込んできたので、ついでに書いてみた。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 心の温かさ 冷たさ 壊れた心)


Hiroshi Hayashi++++++++Dec. 09+++++++++はやし浩司

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。