2009年12月7日月曜日

*E-Magazine (Dec. 7th)

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 子育て最前線の育児論byはやし浩司      12月   7日号
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選ばれました!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●1年目の冬

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 母が死んで、ちょうど丸1年になる。
……と、書いたところで、キーボードを叩く指が止まってしまった。
いろいろな思いが、さらさらと、音もなく頭の中を流れる。
流れては消える。
それが文という形になって、頭の中でまとまらない。

 さみしさはない。
やり残したこともない。
それよりもうれしかったのは、実家から解放されたこと。
長い60年だった。
悶々として、1日とて、気の晴れる日はなかった。
だから母の葬儀が終わってしばらくしてからのこと。
私は、こう思った。

「あと一歩」と。
「あと一歩で、実家から解放される」と。

+++++++++++++++++++++

●安易な『ダカラ論』

 こう書くと、「何と親不孝な!」と思う人も多いかと思う。
しかし私は何も、母が死んだことを喜んでいるのではない。
母というより、「実家」が重荷だったと言っている。
結婚前から、収入の約半分は、実家に送金していた。
経済的な負担感というより、社会的な負担感。
それに苦しんだ。
それから解放されたかった。

が、この日本では、「息子だから……」という理由だけで、何もかも押しつけてくる。
こういうのを『ダカラ論』と言うが、それがいまだに大手を振って、まかり通っている。
「親だから……」「子だから……」と。
論理でない論理を、そのまま相手に押しつけてくる。
「浩司君、どんなことがあっても、親は親だからな」と言った親類もいた。
つまり親がどんな悪人でも、子は、それに従うべき、と。
とくに、この日本では、そうだ。

またそういう日本だからこそ、私と母のような関係ができあがってしまった。
欧米のように、それぞれの人がもう少し独立した心をもっていたら、母は母のように
ならなかっただろう。
私は私で、もっと別の考え方ができただろう。

●母の実家

 母は、岐阜県の山奥に生まれ育ち、江戸時代をそのまま引きずっていた。
庄屋ではなかったが、その部落では庄屋的な存在だった。
農家といっても、山農家と畑農家がある。

山をたくさんもっている農家。
林業中心の農家。
それが山農家。
畑をたくさんもっている農家。
小作人に農地を貸して、年貢を納めさせる。
それが畑農家。

母の実家は、畑農家だった。
その部落の畑は、ほとんどが母の実家のものだった。
それが没落の理由となった。
戦後のあの農地解放で、畑のほとんどが没収され、小作人と呼ばれる
人たちに分配されてしまった。

●江戸時代の見本

 母は、13人兄弟の中で、長女として生まれた。
妹が1人いたが、残りの11人は、男だった。
そういうこともあって、母は、「お姫さま」と呼ばれ、大切に育てられたという。
農家に生まれ育ちながら、土に手を触れることは、ほとんどなかったという。
そういう環境の中で、母は独特の考え方をするようになった。

 自身が女性でありながら、徹底した男尊女卑思想を身につけていた。
そのことと関係があるのかどうかは知らないが、「女は働くものではない」
と強く思っていた。

 事実、母は自転車店を営む父と結婚したが、生涯にわたって、ドライバー1本、
握ったことすらない。
恐らくドライバーの回し方も知らなかったのではないか。
また姉が農家に嫁ぎ、畑仕事をしていると知ったときも、そうだ。
「M(=姉の名)を、そんなことをさせるために、嫁にやったのではない」と。
本気でそれを怒っていた。

 お姫様でありながらも、愛情の薄い家庭だったかもしれない。
もうひとつ母の考え方で特筆すべき点は、母は、自分の子どもたちを、
「財産」と考えていたこと。
子どもたちというのは、私や、兄や、姉をいう。

 今で言う人権意識など、元からなかった。
すべてを親が決め、私たち子どもは、それに従うしかなかった。
へたに反抗すれば、即座にあの言葉が返ってきた。
「親に逆らうようなやつは、地獄へ落ちる!」と。

私はいつしか母を通して、その向こうに江戸時代を見るようになった。
そういう点では、母は江戸時代の見本のような存在だった。
純粋培養されたというか、外部の影響を受けることなく、娘時代までを、
あの部落で過ごしている。

●人は環境の動物

 母を責めているわけではない。
母は母として、過去を引きずりながら、懸命に生きた。
人間は環境の動物である。
もし私やあなたが、同じような環境で、同じように育てられたら、母と
同じような人間になっていただろう。
事実、母には1人、妹がいるが、その妹、つまり私の伯母にしても、
また実家を継いでいる弟、つまり私の伯父にしても、みな、一卵性双生児と
揶揄(やゆ)されるほど、ものの考え方が似ている。

 が、そういうことがわかるようなったのは、私が50歳も過ぎてからのこと。
それまではわからなかった。

 で、私はある時期、心底、母をうらんだ。
嫌うというよりは、うらんだ。
私がもっていた土地を、私に無断で転売してしまったときのこと。
「権利書を見せてほしい」と言うから、母に渡した。
その土地を、母はそのまま転売してしまった。
私が泣いて抗議すると、母は、ひるむことなく、こう言い放った。
「親が先祖を守るため、息子の金を使って、何が悪い!」と。

私と母の関係は、そのまま壊れた。
その関係を壊したことを、うらんだ。
それが私と実家を遠ざけるきっかけになってしまった。
ついで親類縁者と遠ざけるきっかけになってしまった。
が、結果的にみると、それも運命というか、それでよかったのかもしれない。

 それから10か月あまり、私は夜、床に就くたびに、熱でうなされた。
毎晩、ワイフが看病してくれた。
マザコンというのは、カルト。
そのカルトを抜くのは容易なことではない。
が、その10か月が過ぎたとき、私の心から、「母」が消えていた。

●マザコン 

たまたま今朝も、ワイフとこんな会話をした。
「昔のままの母が死んでいたら、ぼくは、今ごろ、毎晩夜空をながめながら、
母を偲(しの)んで、涙をこぼしていただろうね」と。
「昔のまま」というのは、私が子どものころもっていた母親像のまま、という
意味である。

私は、マザコンだった。
兄もそうだった。
姉もそうだった。
私の家族のみならず、とくに母方の家系は、みな、マザコン家族と断言してもよい。

母の実家もそうだった。
だから伯父、伯母もそうだった。
その下の従兄弟(いとこ)たちも、そうだった。

母系家族というか、「母親」を中心に、家族がまとまっていた。
それぞれの家族には、父親もいたのだが、父親の存在感は、薄かった。
父親自身が、マザコンなのだから、あとは推して量るべし。
そんな家庭環境の中で、自分がマザコン化しているのを知るのは、たいへん
むずかしい。

●母親の神格化

 しかし一歩、その世界から出てみると、それがよくわかる。
私は高校を卒業すると同時に、故郷のあの世界から、離れた。
離れたから、マザコンに気がついたというのではない。
ここに書いたように、それを気づかせてくれたのは、私のワイフということになる。
ある日、ワイフは、私にこう言った。
「あなたは、マザコンよ」と。

幸いなことに、私は自分の仕事を通して、さまざまな家族を外からながめることが
できた。
マザコン、つまり「マザーコンプレックス」の問題を、教育的な立場で、考える
ことができた。

 いろいろな特徴がある。
その中でも、つぎの2つが、とくに重要である。

(1)母親の絶対視化。(母親を絶対視すること。)
(2)母親の無謬性(=一点のまちがいもない)の追求。(母親の中に、まちがいを認めな
いこと。)

 私も、若いころは、私の母の悪口を言う人を許さなかった。
さらに子どものころは、悪口を言った人に、食ってかかっていった。
私にとっては、母というのは、神以上の存在であった。
そういう意味では、マザコンというよりは、「母親絶対教」の信者と、言い替えてもよい。

 そういう私を、母は横で喜んで見ていたのかもしれない。
母は私を前に、いつもこう言っていた。
「わっち(=私)は、ええ(=いい)、孝行息子をもって、しやわせ(=幸せ)や」と。
それが母の口癖でもあったが、一方で、そういう言い方をしながら、言外で、
私に、向かって、「そういう、息子になれ」と言っていた。

●男尊女卑

 マザコンであっても、それでその家族がうまく機能していれば、問題はない。
私は私。
人は人。
人、それぞれ。

 しかし一般論として、夫がマザコンだと、離婚率はぐんと高くなる。
(反対に、妻がファザコンのばあいも、同じような結果が出る。)
妻に理想の女性を求めすぎるあまり、妻のほうが、それに耐えられなくなる。
それが長い時間をかけて、夫婦の間に、亀裂を入れる。

 私のワイフもあるとき、私にこう言った。
「私がいくらがんばっても、あなたのお母さんには、なれないのよ」と。
それは痛烈な一撃だった。

 が、さらに悲劇はつづく。
嫁姑戦争に巻き込まれると、妻に勝ち目はない。
ただし私の家系には、離婚した夫婦はいない。
その一方で、「離婚」という選択肢は、元からない。
60数人いる従兄弟たちの中で、離婚した夫婦はいない。

 それだけ家族の結束が強いというよりは、自らの男尊女卑思想の中で、妻側が
妥協し、あきらめているにすぎない。
妻自身が、男尊女卑思想を受け入れてしまっている。
私も子どものころ、母に、よくこう言われた。
私が台所で何かの料理をしようとすると、「男が、こんなところに来るもん
じゃネエ(ない)!」と。
つまり「男は、料理なんか、するものではない!」と。

「男が上で、女が下」
「夫が上で、妻が下」
「親が上で、子が下」と。

●母の介護

 ともかくも、こうして1年が過ぎた。
母が死んで、1年が過ぎた。
おかしなことに、私の心はあのときのまま。
あのときというのは、母が私の家に来たときのまま。
私は便で汚れた母の尻を拭きながら、こう言った。
「お前のめんどうは、死ぬまで、ぼくがみるよ」と。

 母は両手でパイプをしっかりと握りながら、こう言った。
「お前に、こんなことをしてもらうようになるとは、思わなんだ」と。
私も負けじと、こう言い返した。
「ぼくも、お前にこんなことをしてやるようになるとは、思わなんだ」と。
そのとたん、それまでの(わだかまり)が、ウソのように消えた。

 2007年になったばかりの、正月の4日のことだった。

●実家の売却

 09年の9月。
母の一周忌の法要のあと、私は実家を売却した。
私にとっては、記念すべき日となった。
価格など、問題ではない。
早く縁を切りたかった。
何もかも、すっきりしたかった。

 最後に家の中をのぞいたとき、油で汚れた作業台だけが、やけに強く印象に残った。
角もこすれて、形すら残っていなかった。
父は毎日、その机に向かって、何かを書いていた。
父の孤独感が、その机にしみこんでいる。
その向こうには、祖父がいて、兄がいた。
さらにその向こうには、町の雑踏があり、客の声があった。

 が、不思議なことに、本当に不思議なことに、母の姿は、そこにはなかった。
母は……ここに嫁いできたときから、そして死ぬまで、その家の住人ではなかった。
母の心は、生まれてから死ぬまで、母の故郷の、あのK村にあった。

 そのとき、私は、そう思った。
1年たった今も、そう思う。
ボケもあったのかもしれない。
特別養護老人ホームに入居してからも、ただの一度も、M町のあの家に帰りたいと
言ったことはなかった。
グループホームに入っていた兄のことを口にすることも、姉のことを口にすることも
なかった。
いつも母が言っていたことは、「K村(=母の実家)に帰りたい」だった。

●過去からの旅

 私にとって、父とは何だったのか。
母とは何だったのか。
さらに家族とは、何だったのか。
その「形」を知ることもなく、私はおとなになっていった。
戦後の混乱期ということもあったのかもしれない。
しかしそれがすべての理由ではない。
私の家族には、「家族」という(まとまり)すら、なかった。
思い出のどこをさがしても、「家族がみなで、力を合わせて何かをした」という
記憶さえない。

 みな、バラバラだった。

 そんなわけで、私はおとなになってからも、いつも、自分の過去を否定しながら、
生きてきた。
だから今でも、自分の子ども時代を思い浮かべると、その部分だけが抜けて
しまっている。
あえて言うなら、列車で、どこかへ旅行するとき、出発地から目的地へ
いきなりやってきたような気分ということになる。
途中の駅が、どこかへ消えてしまっている。
過去から逃れたくて、旅行してきた。

 ただ晩年最後の2年間だけは、母は別人のようになっていた。
穏やかで、やさしく、静かだった。
一度たりとも、不平や不満をこぼしたことはなかった。
だからある日、私は母にこう言った。

「お前ナア、20年早く、……いや10年早く、今のような人間になっていれば、
いい親子関係のままだったのになア」と。

そのあと母が何と言ったのかは、覚えていない。
いないが、あの母のことだから、今の今でもあの世で、こう言って、とぼけている
ことだろう。
「ワッチは、子どものころから、ええ(=よい)人間だった」と。

 まっ、母ちゃん、そのうちぼくも、そっちへ行くから、そのときはよろしく!


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●『心を病む新人先生』(中日新聞)

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中日新聞に、こんな記事が載っていた。
「心を病む新人先生」と題して、
「依願退職、315人中、88人」と。

+++++++++++++++++++

●304人中、88人!

 ギョッ! 

大見出しを読んで、驚かなかった人はいないと思う。
「315人中、88人!」と。
しかし……。
つづきを書く前に、新聞の記事を、ていねいに読んでみよう。

 「(教師の)試用期間後に正式採用されずに辞めた公立学校の新人教員
315人のうち、88人は、うつなど、『精神疾患』による依願退職だった
ことが、4日、2008年度の文部科学省の調査でわかった」(中日新聞・
11月5日)と。

 ここまで読んだだけでは、まだよくわからない。
もう少し詳しく読んでみる……。

●中日新聞の記事より

 新採用の教員は、1年の条件付き採用(試用)期間のあと、正式採用となる。

そこで、「08年度に正式採用されなかった新人教師は、全採用者2万3920人の、
1.3%。1999年度は、0・5%だった」(同紙)と。

「正式採用されなかった新人のうち、依願退職者は315人で、理由が病気だった
のは、93人。このうち88人が、精神疾患による退職だった」(同紙)と。

「『病気』は、04年度から増加傾向だった。文科省はストレスによる精神疾患
の可能性があるとみて、調査項目に加えた」(同紙)と。

 ……ここまで読んで、「315人中、88人」の意味が少しわかってきた。

●誤解

 この見出しを一読すると、「315人の新人教師のうち、88人が依願退職した」
というふうに解釈できる。
私も、最初、そう解釈した。
驚いた。
今までの常識と、あまりにもかけ離れている。
「4人に1人が退職?!」と。
しかしそんなことはありえない。

で、新聞記事をよく読むと、「新人教師として採用されなかった、315人のうち、
88人が精神疾患による依願退職だった」ということがわかる。

 さらにていねいに読むと、2万3920人のうちの、1・3%が、正式に
採用されなかったということがわかる。
となると記事の見出しとしては、たいへん誤解を招きやすいのでは、ということになる。
確認するため、電卓を叩いてみた。

 315÷2万3920=0・0127=約1.3%
確かに約1・3%である。

 その315人のうちの、88人が、「精神疾患による退職だった」と。
そこで、
88÷2万3920で計算してみると、精神疾患による退職率は、約0・37%となる。
が、この数字は、それほど大きくない。
1000人に、3・7人=約4人ということである。
これくらいなら、どこの職場でも見られる数字である。

●精神疾患

そこでそれを確認するため、精神疾患の発症率を調べてみた。
うつ病の発症率だけをみても、25人に1人。
過去にうつ病に陥った経緯がある人を含めると、5~7人に1人(14~25%)。
「他の統計では、男性7%、女性19%がうつ病を経験しており、アメリカに
おける、男性10%、女性25%と、ほぼ一致する」(「医療法人・清風会HP」)と。

 「5~7人に1人」というのは、間の「6人」を取って計算すると、約17%の人が、
うつ病を発症するということになる。
「軽度うつ病」「仮面うつ病」さらには、「プチ・うつ病」となると、もっと多い。
さらに罹患率と通院率は、ちがう。
離職率とも、ちがう、などなど。
しかしこれはすべての年代の人を含むので、単純には比較できないが、「0・37%
というのは、やはり、とくに目立った数字ではない」ということになる。

 さらにうつ病だけが精神疾患というわけではない。
たとえば若い人たちに多い、「思春期やせ症」(摂食障害)だけをみても、
研究者によって、発症率は、「10万人あたり、0・38~79・6人」(「中本精神分析ク
リニック」HP)という。
「80人」で計算すると、0・08%。
精神疾患といっても、ほかにも、いろいろある。
ちなみに東京都の職員のばあい、平成20年度の教職員の休職者は、788人。
うち、精神系疾患で休職した人は68・5%にあたる540人にのぼったという
(産経新聞※)。

こうして考えていくと、中日新聞の記事には、「?マーク」がつく。
中日新聞の記事というよりは、「文科省はストレスによる精神疾患の可能性がある
とみて、調査項目に加えた」という部分に、「?マーク」がつく。

●0・5%から1・3%に

 つまり0・37%という数字だけを見るかぎり、それほど多くない。
ごく平均的な数字ということになる。
とは言え、実際には、何らかの精神疾患を発症しながらも、通院や服薬などでがんばって
いる教員も多いはず。
みながみな、依願退職するわけではない。
一方、若い新人教師だと、ほかの年代の教師よりも、離職率は高いかもしれない。
となると、08年は、99年度よりも「ふえた」という部分に注目しなければ
ならない。

「1999年度には、0・5%だったが、08年度には、1・3%になった」と。

 しかしこれについても、この10年間で、精神疾患に対する一般の考え方は、
大きく変わった。
(隠したい病気)から、(隠さなくてもよい病気)に変わった。
だから数字だけを見て、「多くなった」と断言するのは、危険なことかもしれない。
私の周辺でも、「ぼくはうつ病でね」と、堂々と言う人がふえている。
20年前とか30年前には、考えられなかった現象である。

●情報のリーク

 最初は、「!」と思った記事だが、よくよく読んでみると、「?」と思う記事に
変わることがある。
この記事も、そうである。

一方、こうした情報のリークというか、操作は、何らかの意図をもってなされる
ことが多い。
とくに中央の官僚たちが、一般に流す情報には、注意したほうがよい。
その中でも、文部科学省の流す情報には、注意したほうがよい。
で、このところあちこちのBLOGで気になるのは、「精神疾患に対する研究費をふやせ」
という発言である。
その布石として、こうした情報が流されたと考えられなくもない。

 念のため、繰り返す。

「304人中、88人」という見出しを見て、「304人の新人教師(試用期間中の
教師)の中の88人が、依願退職をした」と読んではいけない。
見出しだけ読んだ読者は、「先生って、たいへんだな!」(実際、たいへんだが)と
思って終わってしまうかもしれない。
しかし実際には、「依願退職した304人の新人教師のうち、88人が、何らかの
精神疾患で退職した」ということである。

 さらに付け加えれば、教職に就いたから、発症したというふうに考えるのも、
短絡的すぎる。
もともと何らかの精神疾患をかかえていた人もいるかもしれない。
ほかにもいろいろ考えられる。
が、ここまで。

●教職は重労働

 実際、この数字とは別として、教職というのは、たいへん。
本当にたいへん。
教師を取り巻く、雑務が多すぎる。
このあたりでも、児童が体育館でけがをしても、教師は家庭訪問をして、説明、謝罪する
のが、当たり前になっている(09年10月・K小学校、校長談)。

 そういう意味では、今回のこの数字の公表には、それなりの意味がある。
「先生もたいへん」ということが、一般の人たちにも、わかってほしい。

 ただし、この報告書の公表が、そのまま文部科学省の某研究団体の予算獲得のための
ものであるとするなら、私たちは、じゅうぶん警戒したほうがよい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 教師の精神疾患 離職率 心を病む教師 新人教師 試用教師 心を
病む先生)

【まちがいの訂正】(すでに訂正済み)

 上記の記事には、いくつかのまちがいがあった。
それを訂正しながら、少し加筆してみた。
なお、産経新聞が、もう少し詳しく、その内容を書いている。
そのまま転載させてもらう。

(注※)(産経新聞・11・6日より)

 『東京都の公立学校教職員のうち、精神系疾患で病気休暇や休職している教職員に支給
される給与が年間で総額約60億円に上ることが5日、都教育委員会の調査で分かった。
精神系疾患による休職者は全体の約7割に上り、全国平均を上回るペースで急増している。
休職者の約70%が病欠を取得するまで受診していない実態も判明。事態を重視した都教
委は今後、全国の教委で初めて、メンタルヘルスチェックを健康診断に組み込むなど、早
期発見・治療が可能なシステム構築に乗り出す。

 都教委によると、平成20年度の教職員の休職者は、788人。うち、精神系疾患で休
職した人は68・5%にあたる540人に上った。

 15年度は60%の259人で人数も割合も急増した。休職者率も全国平均の0・55%
(19年度)を上回る0・94%(20年度)。東京は、小中高に加え特別支援を含め全校
種で全国平均を大きく上回っている。

 文部科学省が4日に公表した調査結果では、教員採用試験に合格しながら、1年間の試
用期間後に正式採用とならなかった教員は平成20年度は315人。うち約3割の88人
が精神系疾患による依頼退職だったことが判明したばかりだ。

 こうした実情を踏まえ、都教委では精神系疾患の休職者の置かれた環境を独自に分析。
19年度は、病気の発生率で特別支援学校(1・01%)が最も高く、男女比では高校の
女性教員、小学校の男性教員の休職率が高いことが分かった。年齢別では高校の20代
(1・43%)、特別支援学校の40代(1・17%)の休職率が際立った。

 休職者の在籍年数では、小中学校で採用3年目までの、特に小学校教員の休職率が高く、
在職21年目以降のベテラン教員の休職率も、極めて高い傾向にあった。

 休職の理由については、自己申告では「不明」が最多。次いで、「児童・生徒」「保護者」
の順だった。異動を理由に挙げた事例では、多くが「環境不適応」とみられる。

 一方、精神系疾患で休職した教職員の約70%は病欠するまで医師の診断を受けていな
かった。

 都教委では手遅れ受診の背景に、(1)本人に「鬱病(うつびょう)」の知識(病識)が
少ない(2)生活に支障がないと周りも気がつかない(3)内科を受診時に心療内科や精
神科を勧められて発見される、ことなどがあるとみている』と。
(以上、産経新聞より)
 

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●映画『沈まぬ太陽』vs日本航空(JAL)

++++++++++++++++++++

映画『沈まぬ太陽』が、日本航空(JAL)
内部で、問題になり始めているという。
当然である。

あの映画は、日本航空(JAL)内部の
労使問題を、日本航空(JAL)と明らかに
わかる形で、映画化したもの。
それに日航123便という重大事故をからませて、
おおげさにしただけ。

事実、映画を観てもわかるように、日航123便の
事故以前から、ストーリーは始まっている。
その時点で、労使問題はこじれ、主人公の
恩地は、左遷されている。

「EIGA.COM」には、こうある。

『累計700万部を超える山崎豊子のベストセラー小説を、
渡辺謙主演で映画化。監督は「ホワイトアウト」の若松節朗。
巨大企業・国民航空の労働組合委員長を務める恩地は、
職場環境の改善を目指し会社側と戦うが、懲罰人事で
海外赴任を命じられてしまう。パキスタン、イラン、
ケニアと次々と転勤を強いられた恩地は、10年後に
本社復帰を果たすが、帰国後間もなく自社のジャンボ機が
御巣鷹山に墜落するという事件に直面する』と。

ここが重要な点だから、もう一度、確認しておきたい。

恩地は、労働組合委員長として、会社と戦う。
これは会社内部の問題。
懲罰人事で、海外赴任を命じられる。
これも会社内部の問題。
10年後に、本社復帰を果たす。
これも会社内部の問題。

そのあと、日航123便の墜落事故が発生する。

が、映画は、どういうわけか日航123便の墜落事故から、
始まる……。

++++++++++++++++++++

●表現の暴力

あの映画は、「言論の自由」「表現の自由」という枠を、
明らかに超えている。
「言論の暴力」「表現の暴力」と言い換えてもよい。

あの映画は、だれが見ても、日本航空(JAL)が、
モデル。
「NAL123便」という名称ひとつとっても、
それがわかる。

映画は、そのNAL123便の墜落事故の場面から
始まる。
衝撃的な切り口だが、ストーリーが展開されるに
つれて、「いったい、この映画は何を言おうとしている
のか」、それがわからなくなる。
要するに、日本航空の中傷、それだけ。
NAL123便の墜落事故は、むしろそのために
利用されただけ。
遺族の人たちだって、不愉快に思うだろう。

「時期が時期だけに……」という意見もあるが、
時期は関係ない。
もしあなたの勤める企業が、こういう形で、
映画として料理されたら、あなたはどう思う
だろうか。
あなたは社員として、黙って見過ごすだろうか。

いくら会社内部にそういう問題があったとしても、
それは内部の問題。
たとえばあなたの子どもが万引きをしてつかまった
とする。
あなたには大問題かもしれない。
しかしだからといって、それを映画という、
天下の公器を使って暴露されたら、あなたは
黙って見過ごすだろうか。

●ダ作映画

ゆいいつ救いなのは、映画そのものが、ダ作。
わざとらしい演技。
大げさな振り付け。
セリフを棒読みするような、会話。
どの俳優も、みな、同じような言い回し。
視線の動かし方まで、同じ。
舞台演劇のようで、演技も不自然。
主演の渡辺謙をのぞいて、みな、ヘタクソ!
顔と声だけで、力(りき)んでいるだけ!

主人公の妻……あんな他人行儀の妻はいない。
慰霊室で大泣きする女性……?????。
見合いの席で、ふんぞり返る新郎の母親。
女の体にからみつく官僚、などなど。

こまかいところで、稚拙な演技がつづく。
それがチリのように積み重なって、
『沈まぬ太陽』をつまらない映画にしている。

……そう、どの場面も、とってつけたような演技ばかり。
映画全体が、一枚のスクリーンのよう。
薄っぺらい。
奥行きがない。
もちろん娯楽性はない。
つまり、映画として、見るに耐えない。

日本航空(JAL)が、怒るのが当たり前。

●フィクション?

繰り返す。
山崎豊子というより、『沈まぬ太陽』の監督は、
あの映画を通して、いったい、何を言いたかったのか。

説教がましいセリフが出てくるたびに、
私という観客は、うんざり。

ところで日本航空は、すでに2000年の社内報で、
「名誉が著しく傷つけられ……遺憾である」(おおぞら)
とコメントを書いている。
本来なら、この時点で、日本航空は山崎豊子に対して、
決着をつけておくべきだった。
名誉棄損として立件できるだけの構成要件を
じゅうぶん、満たしている。

いくら「この映画はフィクションです」と断りをつけても、
断りそのものが、白々しい。
「フィクション」と言いながら、だれもフィクションとは
思わない。
国民航空と言えば、日本航空。
マークも、鶴から桜(梅?)に変えられただけ。
こうした手法、つまり、事実に「虚偽」を混ぜて、相手を煙に巻く。
その手口は、詐欺師のそれと、どこもちがわない。

さらに卑怯なことに、監督は、あたかも原作者の山崎豊子に
責任をかぶせる形で、自分は逃げている。
私のように、映画『沈まぬ太陽』で、はじめて原作本『沈まぬ
太陽』の概要を知ったものも多いはず。

仮に映画『沈まぬ太陽』を見て、だれかが監督を名誉棄損で
訴えても、「私は原作を忠実に映画化しただけです」と
逃げてしまうだろう。
事実、この映画を担当した脚本家は、映画化までに3人交替
しているという(某週刊誌)。
また脚本は、そのつど、山崎豊子の校閲を受けているという。

だったら、なぜ、今、『沈まぬ太陽』なのか。
日本航空(JAL)が、経営再建問題で、話題にならない日はない。
だれが見ても、それをねらった映画としか、思えない。
「偶然、重なった」(監督・某週刊誌)という言葉は、
「国民航空は、日本航空のことではない」と言うのと同じくらい、
白々しい。

●観客の疑問

……とは言え、『沈まぬ太陽』を観てから、ほぼ10日が過ぎた。
当初の印象は消え、今は、「つまらない映画だった」という
印象しか残っていない。
主演の渡辺謙の演技がダントツに光る一方で、先にも
書いたように、周囲を固める俳優たちの演技が、あまりにも稚拙。
それが主演の渡辺謙の演技を、「ダントツ」にしているわけだが、
そのアンバランスさが、映画そのものをつまらないものに
している。

日本航空(JAL)にとっては、不愉快な映画であることには
ちがいない。
しかしそれほど、気にしなくてよいのでは……。
当時の世相を知っている人なら、だれもがこう思うだろう。
「どこの会社でも、その程度のことはあった」と。

また観客も、一線を引いて、映画を観ている。
一本の映画程度で踊らされるほど、バカではない。
あの映画を観て、「日本航空はひどい会社」と思うよりも前に、
「ああいう一方的な映画が、果たして許されていいのか」という
疑問が先に立つ。
それが冒頭に書いた言葉ということになる。

つまりあの映画は、「言論の自由」「表現の自由」という枠を、
明らかに超えている。
「言論の暴力」「表現の暴力」そのものと考えてよい。

●付記

 日航123便の墜落事故は、たしかに不幸な事故であった。
しかし事故は事故。
反社会的行為でもなければ、不正義でもない。
それをあたかも、反社会的行為、もしくは不正義でもあるかの
ように仕立てて、日本航空(JAL)内部の労使問題を
ああした形で映画化するというのは、それ自体が、表現の
暴力と断言してよい。

 たとえば日本の首相や政治の、反社会的行為を追及する
というのとは、訳がちがう。
(アメリカ映画では、よく大統領が悪玉とした映画が作られるが、
それはそれ。
大統領は公人。
しかしその企業と明らかに特定できるような企業の名誉を毀損する
ような映画は許されないし、そんなことをすれば、即、訴訟問題
に発展するだろう。)

 それがわからなければ、もう一度、自分にこう問うてみればよい。
『沈まぬ太陽』の中では、監督は何を正義として、私たちに
訴えたかったのか、と。

繰り返すが、日航123便の墜落事故は、映画の伏線として、
利用されただけ。
墜落事故の原因を追及していく過程で、日本航空(JAL)の
問題点がえぐり出されていく……というような映画だったら、
それはそれとして正義の追求になる。
あるいは遺族のだれかが、日本航空(JAL)と闘ったという
ような映画だったら、それも正義の追求ということになる。
話もわかる。

 しかし映画の柱は、あくまでも日本航空(JAL)内部の
労使問題。
労使問題に翻弄される、1人の社員の物語。
繰り返すが、日航123便の墜落事故は、利用されただけ。
あるいは、別の事故でもよかったはず。
百歩譲って、労使問題をテーマにした映画というのなら、
何も、日本航空を表に出す必要はなかったはず。

映画に(あるいは本に)、重みをつけるため、戦後最大の
重大事故をからませただけ。
利用しただけ。

 山崎豊子という作家は、姑息な手法を使う作家と
いうことになる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hay
ashi 林浩司 BW はやし浩司 沈まぬ太陽 日本航空 国民航空)


Hiroshi Hayashi++++++++Nov. 09+++++++++はやし浩司

●パニック

昨夜、自転車で家に帰るとき、
今までにない経験をした。
時刻は、夜9時を回っていた。

信号が変わるのを待ちながら、ふと横を見ると、一人の
若い女性が、車の中で携帯電話を使っていた。

私「……」。

そのとき、止まった車の間を縫うようにして、
大通りの後方から、無灯火の自転車が、
道路を横切って来た。
信号が赤になる前に急いで……、ということらしい。

私「……」。

横を見ると、みな、停止ラインで、車を止めていない。
数メートル、はみ出た車。
数メートル、手前で止まっている車。
車間距離はまちまち。

私「……」

信号待ちと言っても、その交差点は、おかしな十字路。
間に川をはさんでいるため、幅が50メートル
近くはある。
左右の道のうち、左へ行く道は、途中で行き止まり。
右から来る車も、そこは一方通行になっている。

それを知っているから、信号を守る歩行者は、
ほとんどいない。
今度は、赤信号を無視して、ジョッギングしながら、
1人の若い男が、こちらに向かって走ってきた。

私「……」。

さらに近くの家から、一方通行の道を逆走して、一台の
車が猛スピードで、目の前を通り過ぎていった。

私「……」。

もうひとつ、何かあったが、思い出せない。
ともかくも、そういうことが、(瞬間)という
短い時間の間に、たてつづけに起きた。
とたん頭の中がパニック状態になってしまった。

その直後、私は、こう思った。
「いったい、この国は、どうなってしまったのか!」と。

おおげさに聞こえるかもしれないが、そう思った。
つまりひとつずつのできごとは、ささいなことでも、
それが短時間にたてつづけて起こると、それぞれが
頭の中で大きくふくらむ。
そしてその結果、「この国は!」と、なる。

こういう脳の反応を、どう理解したらよいのか。
私にはわからないが、おもしろい現象なので、
ここに書きとめておく。


Hiroshi Hayashi++++++++NOV.09+++++++++はやし浩司

●『沈まぬ太陽』(補記)

++++++++++++++++++++

 今朝、起きるとすぐ、「『沈まぬ太陽』vs
日本航空(JAL)」という原稿を書いた。
「あの映画は、日本航空(JAL)の名誉を
傷つけているという内容の原稿である。

それについて朝食のとき、ワイフに話すと、
「そうね、私もそう思う」と、あっさりと
同意してくれた。

++++++++++++++++++++

●一サラリーマンの左遷劇

 繰り返しになるが、労使問題がこじれ、そのはざまで翻弄される、一サラリーマン
の悲哀劇を描くだけなら、何も日本航空(JAL)を、あえて取り上げる必要は
なかった。
それに「左遷」「左遷」というが、当時の日本では、あの程度の左遷劇は、どこの
会社でもあった。
民間企業ではもちろんのこと、三公社五現業と呼ばれる団体でも、あった。
「窓際族」「単身赴任」、さらに「粗大ごみ」という言葉も、そのころ生まれた。

また海外勤務についても、商社などでは、一度海外に出たら、最低でも2年、
日本には戻って来られなかった。
短期出張(70年代の当時は、「単身赴任」という言葉は、まだなかった)の
「はしご」というのもあった。
短期出張は、単身が常識だった。
出張先から、さらにつぎの出張先へ飛ばされるのを、「はしご」と呼んでいた。
しかし商社マンのばあい、海外勤務は、出世コースと位置づけられていた。
(『沈まぬ太陽』の中では、懲罰として位置づけられていたようだが、そう決めて
かかるのもどうか?)

 私がいたあのM物産にしても、社員の7割が国内勤務、3割が海外勤務と
いうことになっていた。
「商社マンは、海外で活躍してこそ商社マン」、
「海外勤務は、夢」、
「海外勤務は、出世コース」と。
私たちは、みな、そう考えていた。

 つまり単なる左遷劇ドラマなら、何もあえて日本航空(JAL)を舞台にする
必要はなかった。

●だれが見ても、日本航空(JAL)

しかし日航123便の墜落事故を描くことによって、あの映画に出てくる国民航空
というのは、日本航空のことと、だれにでも、わかる。
しかもその墜落事故は、映画の中では、トップシーンの中に出てくる。
が、実際には、労使紛争につづく主人公の左遷劇は、その何年か前に始まっていた。
たくみに前後を逆にすることにより、日航123便の墜落事故が、あたかも日本航空
(JAL)の経営陣に責任があるかのような、ストーリー展開になっている。

 が、繰り返しになるが、あの映画は、基本的には、1人の社員の左遷劇を描いた
ものに過ぎない。
それにそのあとに起きた日航123便の墜落事故を、まぶした。
(映画の中では、「JAL123便」が、「NAL123便」となっていたが……。)

 そこで改めて問う。

 どうしてこの映画の中で、日航123便の墜落事故が出てくるのか?
また出さねばならなかったのか?
あたかも主人公の恩地が、被害者であるかのような立場で描かれているが、一歩
退いた世界から見れば、恩地は、社員そのもの。
もし会社に責任があるとするなら、恩地自身も、その責任を負う立場にある。

 またわざわざ「この物語はフィクションです」と断るくらいなら、ほかの事故でも
よかったし、まったく架空の事故でもよかったはず。
つまり一サラリーマンの左遷劇と、日航123便の墜落事故が、どうしても
私の頭の中でつながらない。

●日本航空(JAL)は悪玉?

 ゆいいつ「それかな?」と、記憶に残っているセリフに、こんな言葉があった。

「ニューヨークの高額なホテルを買い占めるお金があるなら、どうしてその
お金を、安全面に使ってくれなかったのだ」と。
日航123便の遺族の1人が、そう言って、恩地に詰め寄っていた場面である。
しかしそれとて、ホテルの買収の話。

 つまりあの映画は、日本航空(JAL)を悪玉に仕立てようと、無理をしている。
それはまるで昔のチャンパラ映画のようでもあった。
善人と悪人の色分けをはっきりする。
とくに悪人は、いかにも悪人でございますというような、稚拙な演技をする。

たとえば補償金交渉をする担当者。
実にわざとらしいというか、取ってつけたような演技。
あそこまで事務的に補償金交渉をする担当者はいない。

●疑問

 となると、ここで疑問は、振り出しに戻ってしまう。
「なぜ、日本航空(JAL)なのか」と。

 1985年といえば、「つくば‘85」(国際科学技術博覧会)(3月)のあと、
NTT、たばこ産業が、それぞれ民営化されている(4月)。
(日本電信電話公社が、日本電信電話株式会社に。
日本専売公社が、日本たばこ産業株式会社に、それぞれ民営化。
日本航空も、日航123便の墜落事故の当日、民営化を決議していた。) 

 さらに言えば、「なぜ、今なのか」と。
日本航空(JAL)は、現在、経営再建中で、たいへん困難な時期にある。
映画を観てもわかるように、労使問題といっても、それは社内という、
コップの中での話。
日航123便の墜落事故は、たしかに不幸な事故だったが、その事故と、
その前段階として描かれている労使紛争や主人公の左遷劇は、関係ない。

(関係があるなら、それをテーマにすればよい。
またそういう映画なら、話もわかる。
たとえば日航123便の墜落事故についても、圧力隔壁の破壊説のほか、
米軍によるミサイル誤射説、垂直尾翼の羽破壊説などもある。
ボイスレコーダーの一部は、いまだに未公開になっている、などなど。)

 まったく関係ない大事故をもちだし、労使紛争にまぶしていく。
あたかも労使紛争が、そのあとに起こる日航123便の墜落事故と関係あるかの
ように、である。

●表現の暴力

 しかしこれこそが「表現の暴力」。
確たる証拠もないまま、労使紛争と日航123便の墜落事故と結びつけていく。
そしてその上で、この物語は、「フィクションです」と断る。

 このあたりに、制作者や監督の、薄汚さを覚える。

 前にも書いたが、たとえば大統領の不正を追求する映画とか、そういったもので
あれば、問題はない。
大統領は公人である。
しかし日本航空(JAL)は、当時はいざ知らず、今は、一民間企業である。
株式も公開している。
そういう会社をターゲットに、こういう映画が許されてよいものか?

 観る人によっては、日本航空(JAL)に対して、悪いイメージをもつだろう。
みながみな、「これは映画」「フィクション」と、割り切ることができるわけではない。
観たまま、「日本航空(JAL)って、おかしな会社」と思うかもしれない。
もしそうなら、(実際、そうだが)、日本航空(JAL)は、本気で怒ってよい。

●制作意図がわからない

 要するに、あの映画は、(原作のほうもそうだろうが)、日本航空(JAL)を
中傷するためだけに作られた映画と考えてよい。
社内の労使紛争の理不尽を、ドラマ化しただけ。
それに日航123便の墜落事故をまぶして、ドラマを水ぶくれ式に大きくした。

 だから私はこう書いた。
「表現の暴力」と。

 ワイフは最後にこう言った。
「山崎豊子は、JALに、何かうらみでもあったのかしら?」と。
そう、何かうらみでもなければ、あそこまでの本は書けない。
日航123便の墜落事故で亡くなった犠牲者は、そのための(飾り)として
利用された。
犠牲者に同情するフリをしながら、物語のスケールを大きくするために、利用された。
しかしそれこそ、犠牲者への冒涜ということになるのではないのか。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi
Hayashi 林浩司 BW 日本航空 JAL123便 沈まぬ太陽 国民航空 NAL12
3)


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