2011年12月26日月曜日

*My G-son and G-daughter in USA

●1日遅れのクリスマス

 12月25日。
1日遅れのクリスマス。
ワイフは「老人組はクリスマスなど、しないわ」と居直っている。
「……しかしねエ~」と、私。

 それで1日遅れのクリスマス。
25日になって、クリスマスをすることになった。

夕食の材料を買いに行ったついでに、ケーキを一個。
「売れ残りのケーキはありますか?」と聞くと、店員はあっさりとこう言った。
「今日が本番です」と。

 ホント?
知らなかった……!
我が家では12月24日の夜に、ずっとクリスマスを祝っていた。

 「シャンパーンが1本、あるわ」とワイフ。

●寒い

 日昼でも、気温は6度前後。
寒いというより、冷たい。
午後1時ごろ、雹(ひょう)が降った。
が、私はそのころ、昼寝中。
ちょうど1時間40分。
1レム分、ぐっすりと眠った。

 今夜は山荘で1泊するつもり。

●岐阜は大雪

 従兄が餅を送ってくれた。
「郡上のやきもち」という餅だった。
故郷の温もりが、プ~ンと香った。

礼の電話をした。
あれこれ話をした。
岐阜(関市板取村)では、昨夜から雪が降り始めたという。
「30センチは積もった」という。

 「いいなア」と思う気持ち半分。
「たいへんだなア」と思う気持ち半分。

●不景気

従兄は何度も「不景気」という言葉を使った。
「浜松もひどいもんですよ」と言うと、「がんばるしかないねエ」と。

 そう、がんばるしかない。
生きるのもたいへん。
死ぬのもたいへん。
簡単には死ねない。
だからがんばるしかない。

●乾杯!

 ……ということで、今夜、1日遅れのクリスマス・パーティを開いた。
ケーキとシャンパーンだけ。
プレゼント交換もない。

 食事の終わりに、「メリークリスマス」。
それに乾杯。
それだけ。

 棚の上のクリスマスカードも、どこかさみしそう。
「R君から、クリスマスカードは来た?」とワイフに聞くと、「ほら」とそこを指さした。
見ると、棚の上に並んでいた。
「会いたいなア」と私。
「3月に、またオーストラリアへ行こうか?」とワイフ。

 「クリスチャンでもないぼくたちが、クリスマスだなんて、おかしいよ」と。
そう言って、自分を慰める。
さみしいクリスマス。
言い訳をする。

●形相

 近所に、そのあたりでも評判の意地悪ジー様がいる。
何かにつけ、意地悪。
利己主義というか、自分の家の前にだれかが車を止めただけで、パトカーを呼ぶ。
30分も止めておくと、写真を撮る。
撮った写真を警察へ送る。
私も一度、やられた。
一事が万事。
万事が一事。
……というジー様。

 で、そのシー様、今年、80歳くらいになった。
久しぶりにその顔を見た。
散歩の途中だった。
ワイフも横にいた。
が、その顔を見て、ゾッとした。
ワイフも、そうだったとあとで言った。

 なぜ、ゾッとしたか……。
……つまり、そういう顔。
ゆがんでいた。
恐ろしい形相をしていた。

 「心がゆがむと、顔もゆがむね」と。
そんな話をワイフと2人で、しあった。

●老人心理

 老人には老人独特の心理がある。
独特の死生観と言うべきか。
ワイフの父親は、生前、いつもこう言っていた。
「申し訳ない、申し訳ない」と。
「自分だけ生き残り、日本へ帰ってきて、申し訳ない」と。

 行きは3000人。
帰ってきたのは、たったの300人。
ワイフの父親は、戦時中、ラバウルへ出兵していた。

 その一方で、知りあいが死ぬたびに、「あいつが死んだ」「こいつが死んだ」と喜ぶ人もいる。
表では悲しんでいるフリをするが、それは演技。
仮面。

常人には理解できない心理だが、そういう老人もたしかに、いる。
世間体を気にし、見栄や体裁ばかりを気にする。
だからそういう死生観になるのか。
あるいはそういう死生観をもっているから、そういう人生観になるのか。

 ワイフの父親のような老人もいれば、心のゆがんだ老人もいる。
そのちがいは、日々の積み重ねによって決まる。
老人になってから、決まるのではない。
若いころからの生き様によって、決まる。

●小雨

 山荘へ向かう途中、小雨が降り始めた。
午後6時だった。
が、外は真っ暗。
路面が鏡のように、街の明かりを照り返していた。
寒々とした景色だった。

 よく見ると、雨ではなく雪だった。

●『2012年・マヤ予言の謎』

 買い癖。
コンビニへ行くたびに、この種の本を買う。
今夜は『2012年、マヤ予言の謎』(Gakken)。

 「予言など当たるわけがない」と思いつつ、ついつい買ってしまう。
よい例が「ノストラダムスの大予言」。
結果は、ハズレ!
あれほどまでに騒いでおきながら、ハズレもハズレ、大ハズレ!
1999年の終わりにあったのは、「2000年問題」だけ。
全世界のコンピューターが狂うと言われた。
が、それも、結局は何ごともなく、終わった。

 今夜は、私は、これを読む。
暇つぶしには、この種の本がいちばん。
読んでいるうちに、たいてい眠くなる。

●イスラエルによるイラン攻撃

 新年早々というか、ひょっとしたら明日かも知れない。
イスラエルによるイラン攻撃が心配される。
可能性の問題ではない。
時間の問題。

 運転しながらワイフがこう言った。
「いつかしら?」と。

私「だれもが、そうでないと思っているときさ」
ワ「じゃあ、いつ?」
私「ぼくはクリスマスの夜と思っていた。が、何ごともなかった。つぎは新年だろうね」と。

 こうした奇襲攻撃は、相手がいちばん油断しているときをねらう。
相手が構えていたら、奇襲攻撃にならない。

 が、それをきっかけに原油価格の高騰。
とたん、世界経済は、さらにおかしくなる。

●人類滅亡7つの可能性

 『2012年、マヤ予言の謎』によれば、人類滅亡には、7つの可能性があるという。
そのまま書き出してみる。

(1) バイオハザード
(2) 小惑星NEOの衝突
(3) スーパー・ソーラーストーム
(4) 超新星ベテルギウスの爆発
(5) エイリアンの侵略
(6) 氷河期の到来
(7) 闇の集団による世界統一

 マヤが以上のことを予言しているわけではない。
2012年に起こるかもしれないということで、7つの可能性があげられている。
で、私なりに、その可能性を採点してみる。

(1) バイオハザード……いつ起きてもおかしくないが、2012年とはかぎらない。
(2) 小惑星NEOの衝突……直径が10メートル前後のものは、ありうる。
(3) スーパー・ソーラーストーム……ほぼ確実視されている。規模は不明。
(4) 超新星ベテルギウスの爆発……どうかな?
(5) エイリアンの侵略……地球など侵略しても、意味はない。
(6) 氷河期の到来……海流の流れが変わると、局地的に極寒期に入ることもありえる。
(7) 闇の集団による世界統一……何を今さら! すでに無数の集団が誕生している。

●山荘にて

 山荘では、ワイフはいつものようにビデオを見始めた。
私は、TOSHIBAのR631を叩き始めた。
ウルトラ・パソコン。
R631は、週刊アスキー誌で、今年のベスト・バイ賞を受賞した。
この賞に異議はない。
たしかに完成度が高い。
使えば使うほど、愛着がわいてくる。

●騎士道

 ワイフの見ているDVDの中に、こんなセリフがあった。
『デビル・クエスト』というDVDである。
主演は、ニコラス・ケイジ。
そのニコラス・ケイジ演ずる騎士が、1人の若者に騎士(ナイト)の称号を与える。

 「身が灰塵となるまで……神に忠誠を誓うべし……」(記憶)と。

 西洋の騎士道の原点である。
スケールが大きい。
相手は「神」。
「日本の武士道とは、ずいぶんと違うなア」と、私。
日本的に考えるなら、『仏に忠誠を誓うべし』となるのか?
しかし『仏に忠誠』というのも、おかしい。

●死に際の美学

 そう言えば、昨日観た映画、『山本五十六』の中にも、武士道を思わせるセリフがいくつか出てきた。
たとえばこんなセリフ。
役所公司演ずる山本五十六が、こう言う。
「武士は、夜討ち(=暗殺)をしかけるときも、相手の枕を一度蹴る。
蹴って相手が起きあがったところで、相手を殺す」(記憶)と。

 つまり武士たるもの、宣戦布告もしないで、真珠湾を攻撃するような卑怯なことはしない、と。

 これも死に際の美学ということになる。
正確には、「殺しの美学」?
そのときは「うまいこと言うなア」と、感心した。

●卑怯

 では、イスラエルはどうか?
一度、宣戦布告をしてから、イランを攻撃するだろうか。
それには前例がある。
一度、イランの核施設を攻撃したことがある。
が、イスラエルはそういう布告をした例(ためし)がない。
いつも奇襲攻撃。
日本流に考えれば、武士道の精神から完全にはずれている。

 だいたい西洋の騎士道には、「卑怯」という言葉そのものが、ない。
あえて言えば、「ずるい(sneaky)」という言葉がある。
が、殺し合いに、ずるいも何もない。

●映画『聯合艦隊司令長官・山本五十六』

 映画『聯合艦隊司令長官・山本五十六』は、よい映画だった。
直後の評価では、星を3つ、つけた。
しかし1日たった今、少しずつだが、評価が崩れてきた。
私が映画『トラ・トラ・トラ』を観たのは、1970年。
オーストラリアにいたころ。

 その『トラ・トラ・トラ』と比べたら、……というか、『山本五十六』は、比較にならない。
つまりお粗末。
「空前のスケールで描く、一大巨編」(公式サイトおよび広告)と言うほど、すごくはなかった。
そのあと発表された映画『パールハーバー』と比べても、そうだ。
比較にならない。

 ……たしか最後のところで、こんなナレーションもあったように記憶している。
「戦後70年もたち……」「私たちは……を忘れている」(記憶)と。

 日本映画の悪いところ。
必ず、こうした説教がましい説明が入る。
説教がましい説明が、映画そのものを台無しにしてしまう。

●卑怯(2)

 Weblio辞書には、こうある。

「卑怯を英語に訳すと(おくびょう)、 cowardice(卑劣)。
【形式ばった表現】 meanness卑怯な(おくびょうな) cowardly;
《口語》 chicken(卑劣な)
【形式ばった表現】 mean(不正な)」と。

 卑怯イコール、臆病(おくびょう)ということになる。
私は武士道でいう「卑怯」は、「ずるい」のほうに近いと思う。
これは解釈の違いによるものか。

 少し気になったので、Weblio辞書を使って、「卑怯」の英訳を調べてみた。

●正月休み

 正月休み。
10日も、ある。
どうしようか。

ワイフは「あちこちへ旅行しよう」と言う。
私も、そう思う。
しかし今年は、まだ計画を立てていない。
とくに行きたいところは、ない。

 行くとしたら、「ひおき」(民宿)。
岐阜県板取村にある、「ひおき」。
明日にでも電話をしてみよう。

●おでん

 時刻は午後9時。
先ほど、ワイフがこう言った。
「9時以後は、何も食べてはだめよ」「太るから」と。
その9時が、近づいてきた。

 家からもってきた、おでんが食べたい。
うらめしい。
が、ここはがまん。
現在、体重は66キロ。
適正体重より、2キロもオーバー。

●死生観

 ところでこのところ、おかしな死生観が漂うようになった。
たとえばこんなふうに、考える。

 何かの大病になったとする。
そのとき私は、どうするか、と。

 大病と闘う人もいる。
闘っている人もいる。
しかし私のばあい、闘っても、意味はない。
だからこう思う。
「息子たちにはもちろん、ワイフにも知らせないでおこう」と。
つまり静かに、その時を迎えよう、と。
手遅れなら、手遅れでもよい。
私はもう、じゅうぶんすぎるほど、長く生きた。
無理に生きて、みなに迷惑をかけるくらいなら、さっさと死んだほうがよい。

 たぶん、ワイフも同じ考えだろう。
ああいう性格の女性だから、大病になっても、私には知らせないだろう。
静かに死ぬことだけを望むだろう。
命を天に預ける。
共に命を天に預ける。
ジタバタしない。

 ……そんな死生観。

●「ああ、これで死ねるのか」

 だからといって、誤解しないでほしい。
「死にたい」と書いているのではない。
生きたい。
どこまでも生きたい。
しかし同時に、「死」が、それほど怖い存在ではなくなってきた。
この正月(2011年)に廊下で倒れたときも、こう思った。
「ああ、これで死ねるのか」と。

 不思議なほど、穏やかな気持ちだった。
本当に不思議なほど、穏やかな気持ちだった。
あれほどまでに死を恐れていた私が、穏やかな気持ちだった。
そのほうが、私にとっては不思議だった。

この世に未練はない。
はじめから期待していない。
期待していないから、未練はない。

●孫たち

 孫(誠司と芽衣)のビデオ(YOUTUBE)が届いた。

http://youtu.be/1PAtjz0jPsA

 送ったプレゼントは無事、届いたようだ。
誠司は「石」に関心をもっている。
芽衣は「料理」に関心をもっている。
この時期、子どもたちは自分の方向性(思考回路)を決定する。

 与えるものには、慎重でありたい。

●就寝

 今日の総括。
今日は、どうだったか。

一言で表せば、寒い1日だった。
それ以外、印象の薄い1日だった。
とくに成果なし。
平凡な1日。

 不完全燃焼感を心の底で押しつぶしながら……、
みなさん、おやすみなさい!

 ……私たち夫婦は、冬場はいつも、布団乾燥機で布団を暖めながら寝る。
その音が寝室のほうから聞こえてくる……。

(はやし浩司 教育 林 浩司 林浩司 Hiroshi Hayashi 幼児教育 教育評論 幼児教育評論 はやし浩司 孫 誠司 芽衣 Sage Mae Soichi727 林 宗市 Soichi Hayashi はやし浩司 2011-12-25)

Hiroshi Hayashi+++++++Dec.2011++++++はやし浩司・林浩司

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