2011年12月15日木曜日

●Hotel Green Plaza Hamanako

【とんでもない、嫌がらせby韓国】(日本大使館前に、慰安婦の銅像?)

●12月14日(ホテル・グリーン・プラザ・浜名湖)「Hotel Green Plaza Hamanako」

●夕日

 明るい橙色の夕日が、石垣の向こうの民家を照らす。
白い壁が、2つ、3つと並び、古い蔵のような建物が、その横に並ぶ。
湖面は、鏡のよう。
紅葉した山の木々が、それを包む。

 乾いた心には、こうした景色が、ジンと浸み込む。
しばしその美しさに、息を止める。
胸の底から、生きる喜びがわいてくる。

「もうすぐホテルね」と。
車のナビを見ながら、ワイフがそう言った。

 今日は、ホテル・グリーン・プラザ・浜名湖へ、やってきた。
「旬の蟹、食べ放題」という案内につられて、やって来た。

●遠州弁

 部屋で一息ついていると、ワイフがホテルの案内書を読み始めた。
遠州弁の説明が載っていた。

レッスン1……「~~ダラ」
レッスン2……「~~ダニ」
レッスン3……「……ダデ」
レッスン4……「ダモンデ」
レッスン5……「ジャンね」(以上、「初級編」だそうだ。)

 たとえばこんな使い方をする。
「それ、蟹ダラ」「そう、蟹ダニ」「蟹はうまいダデ」「ダモンデ、みな好きジャンね」と。

 しかしそういう言葉を聞いていると、山荘の近くに住むKさんが、思い浮かんでくる。
もう26年のつきあいになる。
Kさんは、その村で生まれ育ち、その村の近くの農業高校へ通い、現在はミカン農園を経営している。

 遠州弁は、温かい。
独特の響きがあり、その響きが心地よい。
ワイフが読む解説を聞きながら、何度も小さな笑いを、フフフと漏らす。

●ホテル・グリーン・プラザ・浜名湖

 前回来てから、1年ほどになる。
3・11大震災の少し前のことだったと思う。
そのときも、「蟹、食べ放題」という宣伝につられて、やってきた。
が、今回は、さらにやる気度を強く感じた。
エントランスには、クリスマスの飾りつけがしてあった。
こういう心遣いが、うれしい。

 風呂はやや狭いかなと思ったが、BGMがよかった。
たった1人。
のんびりと「音浴」を楽しむことができた。

 料理は、蟹と白いご飯。
それさえあればじゅうぶん。
……ということで、気楽に泊まれるという点を高く評価して、星は4つの★★★★。

●とんでもない、嫌がらせ

 産経ニュースは、つぎのような記事を配信している(12月14日午後)。

 ……日本統治時代の元慰安婦を支援する「韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)」は、14日朝、ソウル市鍾路(チョンノ)区の在韓日本大使館前路上に、元慰安婦を象徴する少女の碑を建立した。
昼からは除幕式が行われ数百人が参加した。
在韓日本大使館は外交ルートを通じて韓国側に建立させないよう要請してきたが、「外交公館の尊厳に関わる重大な問題」(大使館幹部)とし、韓国側に改めて抗議する方針だ。
(以上、産経ニュースより)

 日本大使館の真ん前に、堂々と、元慰安婦の銅像!
こんな嫌がらせは、前代未聞。
敵対国でも、そこまではしない。
が、それを見て笑われるのは、日本人ではない。
韓国人である。
あの国には、そういう常識が、まるで通じない。
だから私は先月、こう書いた。
「お人好しをやめろ!」と。

 どうして日本の首相は、韓国にまでのこのこ出かけていって、スワップ協定など結んだのか。
その額、700億ドル(約5兆円)。
「これだけのことをしてやったのだから、韓国側は感謝しているはず」と、その「ハズ論」だけで、国際外交を推し進める。
その愚かしさ。
そのバカ臭さ。
いいかげんに、日本よ、日本人よ、目を覚ませ。
こと「ハズ論」について言えば、韓国については、通じない。

 こんなことまでされて、日本政府は、黙っているのか。
日韓首脳会談を開くのか。

 慰安婦像を撤去するまで、日本政府は、外交官を引きあげたらよい。
あとは、シカト。

(ただし紛争にまでは、もちこんではいけない。
そんなことをすれば、喜ぶのは北朝鮮と中国。
だから、シカト。)

(追記)

 私が韓国へUNESCOの交換学生として渡ったときのこと。
1967年のことだった。
日韓の間には、まだ正式な国交はなかった。
私たちはUNESCOが発給するビザで、韓国に渡った。
以下、ここに書くことは、そのとき知った話。
当時の領事や関係者から聞いた。

 その年の前後、(年代ははっきりと覚えていないが)、日本は「屋台骨を何本も抜くようにして」、韓国に巨額の戦後補償費を支払った。
そのとき日本政府は、「韓国の国民へ」という形で、保障費を支払った。
が、時の韓国政府は、その保障費を、全額、国家建設のために使用した。
つまり1人ひとりの韓国の人たちには、1円(ウォン)も渡らなかった。
結果、韓国は、「漢江の奇跡」とも呼ばれる大復興を遂げたわけだが、そのとき、韓国政府は、慰安婦問題も含め、それ以上の補償請求権を放棄した。
日本政府が、「解決済み」と主張している背景には、それがある。

……というのが、私が当時、韓国で知った事実である。
細部についてはまちがっているかもしれない。
私がここに書いたことを疑う人は、一度、自分で調べてみたらよい。

 が、例によって例のごとく、韓国政府は、自分にとってつごうの悪い事実は、国民には知らせない。
それもあって、韓国の人たちは、今になっても、「補償」「補償」と騒ぐ。
韓国政府も、当時の補償交渉のいきさつを、国民にしっかりと説明べきではないのか。

 また韓国、それに北朝鮮という国は、そういう国であるという前提で、外交を考えたらよい。
「これだけのことをしてやったから、感謝しているハズ」という「ハズ論」は、ことこの2つの国には、通用しない。
国の約束など、あってないようなもの。

●睡魔

 ホテルでのバイキングは、じゅうぶん満足できるものだった。
鰻のまぶし飯まであった。
蟹を食べる目的だったが、……蟹も結構食べたが、それ以上にほかのものもおいしかった。
ホテルの案内書によると、50種類の料理が用意されていたとか。

私とワイフは、デザートまでしっかり食べ、部屋に戻った。
時間的には40分前後の食事だった。
が、部屋に戻ると、猛烈な睡魔に襲われた。

 横になろうかどうか……?

 ワイフはテレビを見ている。
私は、ネットであちこちのニュース・サイトをのぞいている。

……中国の韓国大使館に、小さな銃弾が撃ち込まれたとか、そんなニュースばかり。
だれが撃ち込んだかはしらないが、犯人は中国人ではないのではないか。
それをもっとも喜ぶ人物(団体)によって撃ち込まれた(?)。
韓国への抗議によるものというよりは、その裏で何か別の謀略が動いているような気がする。

●2人の人によい顔はできない

 イギリスの格言に『2人の人によい顔はできない』というのがある。
一方の人によく思われても、他方の人にはそうでないときがある。
だれしもみなによく思われたいと願う。
しかしそれは、「ぜいたく」。
『八方美人』という言葉もあるが、これは「軽蔑」の代名詞。

 そのことは、こうしてBLOGを発行していると、よくわかる。
好意的な反応もあれば、辛辣(しんらつ)な反応もある。
とくに私のように実名を公表してBLOGを書いている者には、よく辛辣な批評が届く。
「辛辣」というより、悪態?
先日は、45歳の女性から、「もう一度、勉強し直して来い!」というのがあった。

 で、その話をネット仲間の1人に話すと、こう言った。
「それも慣れですね」と。

 そう、そのうち慣れる。
慣れて無視できるようになる。
それにしてもこのところ、まともな文章の書けない人がふえている。
感情をそのままぶつけてくる。
怒鳴り散らす。

 そういう文章(?)には、一顧の価値もない。
犬の遠吠え。
だから無視。

●ホケる

 遠州地方ではあまり使わない。
しかし神奈川県から東京の人は、この言葉をよく使う。
「ホケる」。

 ボケるの意味らしい。
というか、このあたりでは、「ボケる」という。
が、ややニュアンスがちがうように思う。
というのも、東京の人たちは、「ホケる」と「ボケる」を、どこかで使い分けている。
「ホケる」は「呆ける」と書く。
「遊びホケる」の「ホケる」。
一方、「ボケる」は、そのままズバリ、認知症か何かになることをいう。
似たような意味だが、どこかちがう。

 先日、東京の知人に、別の知人の消息をたずねたら、その知人はこう言った。
「あいつねえ、ホケたよ」と。

 60歳を過ぎると、がぜん、こういう会話が多くなる。

●「若いですねエ」

 昨日も、ある母親にこう言われた。
年齢を聞かれたので、正直に「64歳です」と言ったら、エーッと驚いたあと、「先生は、若く見えますねエ~」と。

 ……そういうとき、喜んでよいのやら、悲しんでよいのやら……?
ときどき迷う。
男の世界では、「若い」というのは、「バカ」を意味する。
「お前は若いよ」と言われるのは、「お前はバカだよ」と言われるのと同じ。
しかし反対にこんなこともある。

 突然、老人ぽくなる人がいる。
退職したあと、しばらく何もしないでいると、そうなる。
昨日も、車で道路を走っていて、そんな人を見かけた。
20年前には、子ども会の仕事をいっしょにした人である。
年齢は私より少し若いが、今では、私よりずっと年上に見える。
……というか、すっかりジーさん顔。
顔だけではない。
自転車に乗っていたが、ヨタヨタという感じだった。

 仕事をしていないから、そうなったのか。
そうなったから、仕事ができなくなったのか。
どちらであるにせよ、昔から漢方(東洋医学)では、『流水は腐らず』と教える。
ストレス学説でも、「適切なストレス(=善玉ストレス)は、脳を活性化させる」という。
生活のハリ、つまり緊張感が、その人を若返らせる。
だから退職しても、その緊張感を失ってはいけない。

 ……ということで、私は自らの体にムチを打つ。
「どんなに苦しくても、仕事はつづける」と。
(つづけるしかないのだが……。)

●のぞき

 ときどき用もないのに、私の家をのぞきにくる人がいる。
私だけではない。
よほど他人のことが気になるらしい。
あちこちに電話をかけては、情報を集めている。
それがその人の生き様のようにもなっているから、私はとやかく言わない。
のぞきたいように、のぞかせてやる。
私のほうは、隠すものは何もない。
 
 で、そういう人たちには、ひとつの大きな共通点がある。
つまり「自分がない」。
自分がないから、他人が気になる。
幸福感も相対的なもので、他人が自分より幸福だと、自分を不幸と思う。
他人が自分より不幸だと、自分を幸福と思う。
だから他人の不幸話を、何よりも好む。
つまりそのために、私の家をのぞきにくる。
わかりやすく言えば、心のどこかが壊れている。
何かの問題を話したりすると、さも同情したようなフリをする。
しかし、ただのフリ。
口はうまいが、心が通じない。

 が、私はともかくも、このところ、ワイフのほうがそれを嫌がるようになった。
「ねえ、あの人とつきあうの、もうやめない?」と。

 わかってはいるが、こちらから断ることもできない。
「もうつきあうのはやめます」などとは言えない。
で、遠ざかるようにはしているが、相手側から接近してくる。
「林さん、今朝、あなたの夢を見ましたよ」とか、何とか言う。
だからワイフに、数日前、こう言った。

 「あのなあ、あいつから電話があったら、今度は、こう言ってよ。『主人は亡くなりました』と。きっと喜ぶと思うよ」と。

●2回目の入浴

 2回目の入浴をすませてきた。
眠気は取れた。
すっきりとまではいかないが、こうして文章を書くことができる。
時刻は午後9時を回ったところ。

 ……今日の午後、NEWSWEEK誌を読む。
(立ち読みで、ごめん!)
EUの金融危機を特集していた。
全体としてみると、EUの金融危機は、起こるべきして起きた。
そんな論調だった。
つまり通貨統合はしたが、経営統合はしなかった。
その結果、国によって、政策がばらばらになってしまった。
その矛盾が、ここにきて一気に噴き出した、と。
(以上、NEWSWEEK誌より)

 で、今、ドイツを中心に、経営統合をしようという動きが出てきている。
従わない場合には、罰則まで考えられている。
長期的にはそれでよいとしても、では、そこにある金融危機は、どうするのか。
ギリシャやポルトガル、それにスペインなどは、EUにしがみつこうと必死になっている。
EUにしがみついていれば、まだ何とかなる。
が、それをドイツは、重荷に感じ始めている。
……ということで、EUは、分裂か崩壊か。
その瀬戸際に立たされている。

 ディズニーランドなどへ行くと、「♪世界はひとつ……」などと歌っている。
しかし世界がひとつになるのは、先の先。
そうは簡単ではない。
今回のEUの金融危機を見ていて、そう感じた。

●人、それぞれ

 人、それぞれ。
私が標準でもない。
あなたが標準でもない。

 が、今、風呂で、こんな男性を見かけた。
年齢は60歳くらいか。
頭を洗っているのだが、そのつど、桶いっぱいの湯を頭にかける。
豪快というより、傍若無人。
ザザーッ、と。
しばらく間をおいて、またザザーッ、と。

 数えていたわけではないが、それを50~60回も繰り返した。

 すぐ脇にはシャワーがある。
が、シャワーは、使わない。
桶に湯をため、それがいっぱいになると、またザザーッ、と。
そのたびに、湯が周囲に飛び散る。

 世の中にはいろいろな人がいる。
だからといって、私が標準というわけでもない。
あなたが標準というわけでもない。
しかし私は風呂場で、そういう洗い方をする人を、今までに見かけたことがない。
言い忘れたが、髪の毛は薄かった。

 その男性が風呂を出るとき、うしろ姿を見た。
首から上の顔や頭は、真っ赤だった。

 幼児に、ときどき潔癖症と呼ばれる子どもがいる。
休み時間になると、手洗い場で手を洗っている。
手が真っ赤になっても、洗っている。
その男性のうしろ姿をみやりながら、「そのタイプの子どもと同じかなあ」と思った。

●重力

 重力には、「ヒッグス」と呼ばれる、素粒子が関係しているという。
今までは未知の素粒子ということになっていた。
が、その素粒子が発見されたという。

 この素粒子は、ありとあらゆるものに作用する。
金属にも、紙にも、そして髪の毛一本にも。
もしこれが事実なら、つまり本当にヒッグスが発見されたというのなら、すごいことだと思う。
重力のメカニズムを解明することができる。

 さらにすごいことができるようになった。
何とフェムト秒単位で、1コマ撮影をするカメラができたという(アメリカ・MIT)。
そのカメラを使えば、光が流れていく様を、カメラで動画として撮影できるという。
「フェムト秒」については、以前、原稿として書いたことがある。
それを探してみる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

フェムト秒について。
日付は、2002年の9月になっている。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●フェムト秒

 田丸謙二先生から、こんなメールが届いた(02年9月)。
いわく……、

「今週(今日ですと先週と言うのでしょうか)は葉山の山の上にある国際村センターで日独のジョイントセミナーがありました。私の昔からの親しい友人(前にジャパンプライズを受けたノーベル賞級の人)が来ると言うので、近くでもあるし、出させてもらいました。 今は固体表面に吸着した分子一個一個を直接見ながら、それにエネルギーを加えて反応を起こさせたり、フェムト秒単位(一秒を10で15回繰り返して割った短い時間)でその挙動を追っかけたり、大変な技術が発達してきました」と。

 このメールによれば、(1)固体表面に吸着した分子を直接見ることができる。(2)フェムト秒単位で、その分子の動きを観察できる、ということらしい。それにしても、驚いた。

ただ、(1)の分子を見ることについては、もう二〇年前から技術的に可能という話は、その研究者から聞いていたので、「へえ」という驚きでしかなかった。しかし「フェムト秒単位の観察」というのには驚いた。

わかりやすく言うと、つまり計算上では、1フェムト秒というのは、10の15乗倍して、やっと1秒になるという時間である。反対に言えば、1000兆分の1秒ということになる。さらにかみくだいて言えば、1000兆秒というのは、この地球上の3100万年分に相当する。計算するだけでも、わけがわからなくなるが、1フェムト秒というのは、そういう時間をいう。

こういう時間があるということ自体驚きである。もっともこれは理論上の時間で、人間が観察できる時間ではない。しかしこういう話を聞くと、「では、時間とは何か」という問題を、考えざるをえなくなってしまう。もし人間が、1フェムト秒を、1秒にして生きることができたら、そのたった1秒で、3100万年分の人生を生きることになる! ギョッ!

 昔、こんなSF小説を読んだことがある。だれの作品だったかは忘れたが、こういう内容だった。

 ある惑星の知的生物は、珪素(けいそ)主体の生物だった。わかりやすく言えば、体中がガチガチの岩石でできた生物である。だからその生物が、自分の指を少し動かすだけでも、地球の人間の時間で、数千年から数万年もかかる。一歩歩くだけでも、数十万年から数百万年もかかる。

しかし動きというのは相対的なもので、その珪素主体の生物にしてみれば、自分たちがゆっくりと動いている感覚はない。地球上の人間が動いているように、自分たちも、ごく自然に動いていると思っている。

 ただ、もしその珪素主体の生物が、反対に人間の世界を望遠鏡か何かで観察したとしても、あまりに動きが速すぎて、何も見えないだろうということ。彼らが一回咳払いする間に、地球上の人間は、数万年の時を経て、発生、進化の過程を経て、すでに絶滅しているかもしれない!

 ……こう考えてくると、ますます「時間とは何か」わからなくなってくる。たとえば私は今、カチカチカチと、時計の秒針に合わせて、声を出すことができる。私にとっては短い時間だが、もしフェムト秒単位で生きている生物がいるとしたら、そのカチからカチまでの間に、3100万年を過ごしたことになる。となると、また問題。このカチからカチまでを一秒と、だれが、いつ、どのようにして決めたか。

 アインシュタインの相対性理論から始まって、今では第11次元の世界まで存在することがわかっているという。(直線の世界が一次元、平面の世界が二次元、立体の世界が三次元、そしてそれに時間が加わって、四次元。残念ながら、私にはここまでしか理解できない。)ここでいう時間という概念も、そうした次元論と結びついているのだろう。

たとえば空間にしても、宇宙の辺縁に向かえば向かうほど、相対的に時間が長くなれば、(反対に、カチからカチまで、速くなる。)宇宙は、永遠に無限ということになる。たとえばロケットに乗って、宇宙の果てに向かって進んだとする。

しかしその宇宙の果てに近づけば近づくほど、時間が長くなる。そうなると、そのロケットに乗っている人の動きは、(たとえば地球から望遠鏡で見ていたとすると)、ますますめまぐるしくなる。地球の人間が、一回咳払いする間に、ロケットの中の人間は、数百回も世代を繰り返す……、あるいは数千回も世代を繰り返す……、つまりいつまでたっても、ロケットの中の人間は、地球から見れば、ほんのすぐそばまで来ていながら、宇宙の果てにはたどりつけないということになる。

 こういう話を、まったくの素人の私が論じても意味はない。しかし私はその科学者からメールを受け取って、しばらく考え込んでしまった。「時間とは何か」と。

私のような素人でもわかることは、時間といえども、絶対的な尺度はないということ。これを人間にあてはめてみると、よくわかる。たとえばたった数秒を、ふつうの人が数年分過ごすのと同じくらい、密度の濃い人生にすることができる人がいる。

反対に一〇年生きても、ただただ無益に過ごす人もいる。もう少しわかりやすく言うと、不治の病で、「余命、残りあと一年」と宣告されたからといって、その一年を、ほかの人の三〇年分、四〇年分に生きることも可能だということ。反対に、「平均寿命まで、あと三〇年。あと三〇年は生きられる」と言われながらも、その三〇年を、ほかの人の数日分にしか生きられない人もいるということ。どうも時間というのは、そういうものらしい。

いや、願わくは、私も1フェムト秒単位で生きて、1秒、1秒で、それぞれ3100万年分の人生を送ることができたらと思う。もちろんそれは不可能だが、しかし1秒、1秒を長くすることはできる。仮にもしこの1秒を、たったの2倍だけ長く生きることができたとしたら、私は自分の人生を、(平均寿命まであと30年と計算して)、あと60年、生きることができることになる。

 ……とまあ、何とも理屈っぽいエッセーになってしまったが、しかしこれだけは言える。幼児が過ごす時間を観察してみると、幼児のもつ時間の単位と、40歳代、50歳代の人がもつ時間の単位とはちがうということ。

当然のことながら、幼児のもつ時間帯のほうが長い。彼らが感ずる1秒は、私たちの感ずる1秒の数倍以上はあるとみてよい。もっとわかりやすく言えば、私たちにとっては、たった1日でも、幼児は、その1日で、私たちの数日分は生きているということ。あるいはもっとかもしれない。

つまり幼児は、日常的にフェムト秒単位で生活している! これは幼児の世界をよりよく理解するためには、とても大切なことだと思う。あくまでも参考までに。
(以上、2002-9-17記)

●重力素粒子
 
 「ヒッグス」とは何か。
あえて言えば、「重力素粒子」(はやし浩司の呼び方)ということになる。
つまり重力の正体。

 そこでもしこの重力素粒子を、自由にコントロールすることができれば、私たちは、重力から解放されることになる。
それこそUFOのような乗り物も、可能になる。
が、それだけではない。
急発進、急停止しても、平気ということになる。

 あのUFOは、驚くべきスピードで急加速したり、急停止したりする。
もしそれが通常の飛行機だったら、中に乗っている人間は、そのつどペチャンコになってしまうだろう。
が、重力素粒子を自由にコントロールできるようになれば、それもなくなる。

 さらにそれこそ光速で、宇宙を飛び回ることも可能になるかもしれない。
スイスのあのCERNという研究所では、何やらとんでもない実験が繰り返されているよう。
小さなブラックホールさえ作り出すこともできるという。
「微小だから問題はない」とは言っているが、微小の段階でとどめることはできるのか。
まちがえると、地球もろとも、そのブラックホールに飲み込まれてしまう。
そんな危険性もはらんでいる。

 息子は、アメリカのIU大学で、その情報分析を行っている。
CERNから通信衛星を介して送られてくる膨大な量のデータを、コンピューターを使って分析している。
誇らしいような、恐ろしいような……。

●おやすみ

 再び睡魔が襲ってきた。
今日はここまで。
パッとしない1日だったが、こうしてホテルで一泊できることに感謝しながら、今日を終える。
 
 おやすみなさい。
(はやし浩司 2011-12-14夜記)

(はやし浩司 教育 林 浩司 林浩司 Hiroshi Hayashi 幼児教育 教育評論 幼児教育評論 はやし浩司 フェムト フェムト秒 ヒッグス はやし浩司 1000兆分の1秒 はやし浩司 日本大使館前に従軍慰安婦の銅像 露骨な嫌がらせ いやがらせ はやし浩司 嫌がらせ はやし浩司 CERN 重力素粒子 はやし浩司 2011-12-14 ホテル・グリーン・プラザ・浜名湖にて)


Hiroshi Hayashi+++++++Dec.2011++++++はやし浩司・林浩司

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