2011年12月8日木曜日

●from Numadu to Mishima, Japan

●12月07日【沼津・港八十三番地で夕食+三島・ドーミーインホテルに一泊】

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今、沼津に向かう列車の中にいる。
明日の朝、三島市で講演をする。
そのため今夜は、三島市で一泊。
ホテルへ入る前に、今夜は夕食は沼津市でとる。
最近、沼津市に新しい食堂街ができたとか。
海産物をふんだんたべさせてくれる。
楽しみ。
そこへ行く。

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●長寿と長命

 「長寿」と「長命」は、ちがうのだそうだ(「週刊現代」記事)。
長寿というのは、健康な状態で長生きすること。
長命というのは、「ただ長生きすること」だ、そうだ。
たとえば寝たきりの状態の人は、たとえ高齢であっても、「長寿」とは言わない。
「長命」と言う、と。
(以上、参考:「週刊現代」誌)

●長生

 長寿と長命。
が、私は、これに「長生」を加える。
ただの「長生き」のことではない。

謡い(うたい)に、『鶴亀』というのがある。
その中に、「♪君の齢(よわい)も、長生殿に~」という文句が出てくる。
このばあいの「長生殿」は、「老後の理想郷」をいう。
またそうであってこそ、『鶴亀』!
勝手に私はそう解釈している。
つまり健康に生きるだけでは、足りない。
その足りない部分を補うのが、「前向きな生」。
だから「長生」。

 これら3つを並べてみる。

長命……ただの長生き
長寿……健康で長生き
長生……生きがいをもち、健康で長生き

●人は死ぬもの

 その「週刊現代」(最近号)の中で、あるドクターがこう言っている。
「いろいろながん患者をみてきたが、人は死ぬものです」と。
聞き方をまちがえると、辛辣(しんらつ)な言葉にも聞こえる。
しかし今までに何千人(同)もの死を、直接見つめてきたドクターだからこそ言える言葉である。

 つまり、「がんのような大病になったら、すなおに死を受け入れたほうがいい」(同)と。
具体的には、「70歳を過ぎたら、手術はするな」(同)と。
「たとえ手術をしても、そのあと寝たきりになったら、意味はない」(同)とも。
(以上、手元に「週刊現代」誌がないので、記憶による。)

●生きがい

 60歳を過ぎ、生きがいをもって生きるのは、たいへん。
同じ「週刊現代」の別のところでは、年金問題に触れ、ある男性の言葉を紹介していた。
「もう、仕事はこりごり」と。

 仕事はこりごり?
……だから退職後は、年金だけで遊んで生きていきたい?

 ということで、この数週間、「週刊現代」は、年金の60歳からの繰り下げ受給論を展開している。
その分だけ割り引かれるが、年金は、早めに受給したほうが、得、と。
そうかもしれない。
そうでないかもしれない。
ただ「週刊現代」は、重要な問題を見落としている。
多分、その記事を書いたライターは、若い人なのだろう。

●老後の生きがい

 中には「仕事はこりごり」という人もいるかもしれない。
が、みながみな、そうではない。
こりごりということはわかる。
が、仕事をやめたあと、どうするのか?
よく「老後は、庭いじりと孫の世話」と言う人がいる。
しかしそんなことで、老後は過ごせない。
過ごせないことは、自分が老後を迎えてみて、よくわかった。
(私自身は、今の人生を老後とはまだ思ってないが……。)

 「仕事はこりごり」と言う人は、よほど不幸な現役時代を送っていたにちがいない。
どんな仕事だったかは、知らない。
毎日が苦痛でたまらなかったのかもしれない。
が、やっとその仕事から解放された。
だから「こりごり」と。

 が、たとえそうであっても、そのことと老後の生きがいとは別。

●統合性

 もう何度も書いてきたが、いかに統合性を確立するか。
それが老後の第一課題ということになる。
(自分のすべきこと)を発見し、無私、無欲で、(それをする)。
思春期の「自我の同一性」の問題と、中身を同一にする。
若い人は、(自分のしたいこと)を模索し、その(したいこと)に自分を一致させていく。
これを「自我の同一性」という。

 その(自分のすべきこと)を発見した老人は、幸福である。
その(すべきこと)に向かって、邁進努力している老人は、幸福である。
そのひとつのヒントとして、心理学の世界では、「真・善・美」という言葉を使う。
「真・善・美のどれかを追求する」と。

●無私、無欲

 ここで「無私、無欲」という言葉が出てくる。
功利、打算、利潤の追求が混在すると、「統合性の確立」は霧散する。
無私、無欲でなければならない。
また無私、無欲でするからこそ、統合性を確立することができる。

●年金

 年金をもらって生きる……。
若い人たちからみれば、うらやましいような話に聞こえるかもしれない。
(あるいは怒っている人も多いかと思う。)
しかし中には、それをよしとしない人もいる。
たとえばこの私。
年金制度ほど、不公平なものはない。
どう不公平かは、今さら改めて指摘するまでもない。

 私も、お金は嫌いではない。
もらえるものは、もらいたい。
しかし国民年金など、もとからアテにしていない。……できない。
1、2年前、通知書が届いたが、それには満65歳から、月額6万4000円(?)とあった。

●繰り上げ受給

 週刊現在によるまでもなく、年金はたとえ割引されても、早めにもらったほうがよい。
これを「繰り上げ受給」という。

 実際には、老齢基礎年金のことをいう。
その老齢基礎年金について言えば、60歳からもらったほうが、70歳になる時点においては、600万円ほど、多くなる。
しかし85歳までもらうとすると、反対に200万円ほど、少なくなる。
(以上、「All Aboutサイト」での試算による。)
その差額を、そう判断するか?
が、それでも年金は、早めにもらったほうがよい。

というのも、早晩、日本の年金制度は、まちがいなく破綻する。
2050年(=38年後)には、1・2人の実労者が1人の高齢者を支える時代になる。
消費税をあげようが、どんなことをしようが、それは不可能。
つまり1・2人の実労者が、1人の老人を支えるのは、不可能。
さらに言えば、この先、日本経済はどうなるか。
猛烈なインフレに襲われる心配もある。

だったら週刊現代が説くように、早めにもらったほうがよい。
が、だからといって、それが老後のあるべき姿ではない。

●労働力不足から粗大ゴミ

 15年ほど前から、少子化が叫ばれるようになった。
当時は、少子化問題は、労働力不足問題のことをいった。
「どう労働者を確保するか」が、問題だった。
が、今は、大きく様変わりした。
労働力不足問題は、どこかへ消えてしまった。
職場そのものが、消えてしまった。

 つまりとたん、老人は労働者ではなく、「粗大ゴミ」になってしまった。
が、これは(我ら)老人組にとっては、悲しむべき社会現象と考えてよい。

●「老人よ、働こう」

が、それでも私はこう説く。
「老人よ、働こう」と。
統合性を確立した老人は別として、その確立に失敗した老人は、働くしかない。
が、私は老人が働くことを、悲観的にとらえているのではない。
働くことによって、日々の生活の中に、緊張感が生まれる。
この緊張感が、その人をして、生き生きと生きがえさせる。
生きがいも、そこから生まれる。

●昼寝

 たとえば私は現在、努めて昼寝を日課としている。
昼寝はボケ防止によいという説もある。
それはその通りで、歳を取ればとるほど、こだわりが強くなる。
(こだわり)は、脳の大敵。
こだわっている部分の脳は活発に働くかもしれないが、それ以外の脳は、休眠状態になる。
つまりその部分から、ボケ始める。
が、昼寝をすることによって、脳みそを一度、リセットすることができる。
カラッポにすることができる。

●緊張感

 その昼寝をしているときのこと。
ときどき、ワイフに起こされる。
「あなた、仕事よ!」と。

 そういうとき私は、仕事があることを心底、恨む。
「もっと眠っていたい」と思う。
その前に、体が動かない。
その動かない体にムチを打ち、起きあがる。
起きあがって、支度を整え、自転車にまたがる。
それがここでいう緊張感である。

 そんなとき、ふと、こう思う。
「もし、仕事がなかったら、1か月でぼくは、病気になってしまうだろうな」と。

●長生

 長寿をめざす。
それはそれで重要なことかもしれない。
しかしそれだけでは足りない。
それが「長生」ということになる。
「いかに生きるか」でもよい。
 
●こだわり

 ここで(こだわり)という言葉が出てきたので、一言。

10年ほど前、たいへんこだわりの強い女性(70歳くらい)がいた。
「固執」「固着」「執着」ともいう。
これらの言葉は、それぞれの世界で使われる。
心理学の世界では、「固着」という。
仏教の世界では、「執着」という。
平たく言えば、(こだわり)。

老人の(こだわり)には、注意したほうがよい。
ひとつのことに、こだわればこだわるほど、脳のほかの部分の働きが、おろそかになる。
そうでなくても、脳みそは、不可逆的に退化していく。

 その女性は、65歳くらいから、おかしな言動を繰り返すようになった。
突発的に興奮状態になることもあった。
70歳をすぎてから、音信が途絶えたので、様子はわからない。
しかし何かの脳の病気になり始めていたことは、じゅうぶん疑われる。

●こだわり

 その女性は、ことあるごとに、弟氏の悪口を並べた。
「法事に来たが、タクシーに乗ってきた」
「夫が話しかけたが、形だけの返事しかしなかった」
「法事というのに、柄物の靴下をはいてきた」
「供養の袋だけで、供物を何ももってこなかった」などなど。

 まるでその場をビデオカメラで収めたかのように、悪口を並べた。
が、そうした(こだわり)のほうこそ、大きな問題だった。
その女性は、それに気づいていなかった。

●3つの教訓

 最近では、脳の活動の様子を、リアルタイムでそのまま知ることができる。
それによっても、こだわりの強い人というのは、脳のその部分は活動しても、ほかの部分が休眠状態になることがわかっている。
このことは、私たちに3つの教訓を与えてくれる。

 ひとつは、(こだわり)はもたないほうが、よいということ。
脳はいつも、平均的かつ全体的に、活動していたほうがよい。

もうひとつは、(こだわり)を少なくするため、いつも新しいことに興味をもったほうがよいということ。
平凡は美徳だが、老後の平凡は、美徳でも何でもない。
警戒すべきは、単調な生活。
変化に乏しい生活。
へたをすれば、そのまま死の待合室に直行……ということにもなりかねない。

 そして3つ目は、こだわりが強くなったら、脳の変調を疑うということ。
老人性のうつ病の主症状は、(老人にかぎらないが)、こだわりと考えてよい。
うつ病イコール、こだわり。
こだわりイコール、うつ病。

●脳の老化

 そうでなくても、脳の老化は、日常的に経験する。
記憶力の低下、集中力、気力の低下など。
好奇心の低下は、そのまま自分の住む世界を、小さくする。
来る日も来る日も、同じことを考え、同じことをするようになったら、脳の老化はすでに危機的な段階に入っていると考えてよい。

 それに(こだわり)が加われば、そのこだわっている部分はともかくも、ほかの部分が一気に老化する。
その女性については、こんなことがあった。

●ボケ症状

 ワイフのクラブの会費を、その女性がなくしてしまった。
その数日前まで、こう言っていた。
「会費は青い封筒に入れ、バッグの中にあります」と。
が、ワイフがその数日後に電話すると、こう言った。

「私、そんなお金、知りません」
「青い封筒など、知りません。そんな話をした覚えは、ありません」と。

 こういうのを、「ボケ」という。
オーストラリアの友人が、こう教えてくれた。

 「小便のあと、(ズボンの)チャックをあげ忘れても、ボケではない。
小便の前、チャックをさげ忘れたら、ボケ」と。

●静岡から沼津へ

 今、列車は静岡を出た。
時刻は午後4時、少し前。
窓の外は、すっかり冬景色。

 いつものように乗客観察を始める。
服装や話し方、その人のもつ雰囲気で、その人がどんな人物かを、言いあてる。
シャーロック・ホームズが得意とした芸である。

 が、今日は、前に座った女性(30歳くらい)が気になった。
この列車に乗ってからというもの、もう1時間以上も、話しつづけている。
声はさほど大きくはない。
が、口が止まらない。
ペチャクチャ、ペチャクチャ……。
となりの女性に、一方的に話しかけている。

●AD・HD

私「AD・HDだよ」
ワ「……AD・HD?」
私「そうだよ、目を見ればわかる。焦点が空を向いているだろ。相手の顔を見ていない……」
ワ「そうね……」
私「相手が何を聞きたがっているか、相手がどの程度理解しているか、そんなことはお構いなしに話しつづけている」
ワ「目も、どこかトロンとしているわね」
私「そうだよ。会話になっていない。脳に飛来する情報を、そのまま言葉にしている」と。

 AD・HD児というと、男児に多い障害と考えられている。
が、実際には、女児にも多い。
その第一の特徴が、多弁性。
とにかくよくしゃべる。
うるさいほど、よくしゃべる。
注意しても、効果はその場だけ。
つぎの瞬間には、またしゃべり始める。

 多動性や騒々しさは、おとなになると消えてくるが、女性のばあい、多弁性だけは残ることが多い。

●鈍行列車

 書き忘れたが、今日は、鈍行列車を選んだ。
急ぐ旅行ではない。
それに私は、このパソコンを叩きたかった。

 新幹線で行けば、一度三島まで行き、そこで少し戻る形で、沼津に行く。
時間は、1時間10分。
鈍行列車では、2時間。
が、今、決めた。
「帰り(明日)は、新幹線にしよう」と。

●接客業

 話題を変える。

 私は若いころ、……35歳くらいのことではなかったか、旅館経営をしてみたくなった。
「毎日、温泉に入って、ごちそうが食べられる」と。
単純な発想だった。

 で、長野市にいた友人に相談すると、すぐ、いくつかの旅館を紹介してくれた。
長野市で、司法書士をしていた。
「○○温泉郷あたりなら、いくらでも売り物件があるよ」と。

 が、その直後から、私は山荘建設に取りかかった。
小さな山を丸ごと買い、造成した。
で、その話をしながら、列車の中でワイフとこんな話をした。

「あのとき旅館を買わなくて、よかったね」と。

 接客業ならなおさら、人を接客するというのは、大仕事。
そのあと自分で山荘をもってみて、それがヨ~ク、わかった。

●何もしない……
 
 結論を先に言えば、40代以上(当時)の男たちは、何もしなかった。
山荘へ来ても、デンと座っているだけ。
何も手伝わない。
「手伝おうか?」とも、聞かない。
ただ座っているだけ。

「上げ膳、据え膳」……というような生やさしいものではなかった。
風呂の準備から、寝具の用意などなど。
食後のコーヒーまで。
あるとき、こんなことがあった。

 高校時代の同級生が泊まったときのこと。
朝、居間でコーヒーを飲みながら、こう言った。
「なあ、林、近くにパルパル(近くの遊園地)というところがあるみたい。そこへ行こうか?」と。
見ると、浜松市内の観光地図がテーブルの上に置いてあった。

 で、私はこう言った。
「行くといっても、1時間はかかる」と。
するとその友人は、こう言った。
「バカ言え。ここからなら10分で行くよ」と。

私「あのなあ、1時間というのは、これから洗い物をし、部屋を片づけ、戸締りをするまでに、1時間かかるということ」
ワ「あとですればいい」
私「またこの山荘へ戻ってくるというわけにも、いかない」と。

 人を接待したことがない人には、(現在、50代以上の男性に多いが)、接待の苦労がわからない。

●沼津・港八十三番街

 沼津駅をおりると、すぐ「港八十三番街」に向かった。
タクシーでちょうど1000円前後の距離だった。
駅の案内書でもらったチラシには、こうある。

「目の前の沼津港で水揚げされた新鮮な魚介類や地元静岡の食材を使った料理が楽しめます」と。

 タクシーを降りると、店をさがした。
かなりの数の店が並んでいる。
いつか見た台北の居酒屋のようでもある。
香港の裏通りのようでもある。

で、こういうときは、コツがある。
いちばん客の多い店を選ぶ。
……ということで、そのあたりをワイフと2人で歩いた。

 で、裏通りへ入ると、ドヤドヤと客が出てきた店があった。
「丸天」という店だった。
中をのぞくと、ガヤガヤと客がいる。
そのほかの店は、どこも、ガランとしていた。
「平日の水曜日なのに、すごい店だな」と。

 私たちはその丸天に入った。

●丸天

 沼津港周辺にある海鮮料理屋の海鮮料理は、昔から量が多い。
刺身でも、天ぷらでも、はたまた寿司でも、ドカッと出される。
丸天でも、そうだった。

 ワイフは海鮮丼。
私はマグロのテール・シチューと、かき揚げ。
その量を見て、驚いた。
マグロのテール・シチューだけでも、食べきれない。

 私とワイフは、1時間ほどかけ、ゆっくりと食べた。
途中、汗が出てきた。
暑いというより、食べすぎ?
全体に7割前後食べ、そこでギブアップ。

 料金は合計で、3600円。
マグロのテーブル・シチューは、ほかでは食べられない。
握りこぶし大のマグロの肉が、2切れ、大きな皿の上に載っていた。
珍味中の珍味。
おいしかった。

 帰りにタクシーの運転手に話すと、運転手は、こう言った。
「ああ、あの店ね。昼は、行列ができる店ですよ」と。

 沼津・港三十八番地、裏通り、丸天は、星5つの、★★★★★。
まちがいなし!

●沼津港深海水族館

 今日は12月07日。
12月10日から、その食堂街の少し奥に、「深海水族館」なるものがオープンするという。
手にしたチラシによれば、「あのシーラカンスが見られる」とある。

 水族館は、外から見た感じでは、それほど大きくなさそう。
しかしシーラカンスというのは、すごい!
冥土のみやげに、一度、見てみたい。

 そうそう帰りのタクシーの中で、運転手が、こんな話をした。
あの3・11大震災の後のこと。
しばらくは、そのあたりでは、毎日客ゼロの日が続いたという。
「理由は?」と聞くと、「地震と津波ですよ」と。

運「このあたりも、あんな大きな津波が来たら、ひとたまりもありませんよ」
私「……それで、ですか?」
運「沼津駅あたりまで、津波は押し寄せるでしょうね」
私「……」
運「このあたりも大地震が心配されていますからね」と。

●三島へ

 沼津から三島へは、1区間。
が、その1区間が長い。
途中、途切れることなく、街並みが続いている。
「みんな、このあたりの人たちは、どうやって通勤しているのだろう」と、その街並みを見ながら、ふとそんなことを考える。

 同じ静岡県にありながら、西にある浜松市と、東にある三島市とでは、雰囲気がまったくちがう。
経済が低迷する浜松市。
東京的な雰囲気を漂わせる三島市。
2年会った県会議員の女性は、こう言った。
「(静岡県の)西では、地価が下がっている。東では上がっている」と。

 静岡県は、東西に長い県である。

●三島・ドーミンイン・ホテル

 明日(8日)は、講演がある。
私は講演のある日は、食事を抜く。
「腹が減っては、戦はできぬ」という。
が、講演は、逆。
「腹がふくれていては、講演はできぬ」。

 講演というのは、そういうもの。

 で、今日は、素泊まり。
朝食抜き。
ホテルは、ドーミンイン・ホテル。
1泊、1人、3500(ダブルベッドルーム)。
2人で、7000円。
ポイントが使えたので、2人で、6600円。
「2人で6600円ですか?」と聞くと、「はい、そうです」と。

●ハイテク・ホテル

 部屋はややせまいかな……という感じだったが、まさにハイテク・ホテル。
スイッチ類や水道の蛇口まで、今まで見たことがないようなものばかり。
大型の加湿器まで備えてあった。

 説明書には、こうある。
「……インフルエンザ対策として、強力除菌噴霧器で各部屋を除菌、各フロアに空気清浄器、各部屋に自動気化式加湿器を設置しています。
なお以下の各箇所を、アルコール消毒しています」と。

……加えて、無駄がない。
たとえば12階には温泉がある。
小さいが露天風呂とサウナルームも併設。
その風呂場には、洗濯ルームまである。
エレベーターにしても、まさにハイテク。
最新。
なおワイフの話では、女性風呂のほうは、そのつどフロントに電話をかけ、暗証番号を入力しないと、ドアが開かないようになっている、とか。

 で、部屋にはシャワールーム設備のみがあったが、私はそれでじゅうぶんと思う。
内風呂までは、不要。
風呂へ入りたい人は、12階の温泉へ入ればよい。
風呂は、もちろん、オールナイト。

●文句なしの、5つ星

 さらにタオル類には、ホテル名が刺繍してある。
(印刷ではなく、刺繍だぞ!)
またホテル全体、通路、部屋が、白と黒で統一されている。
壁は白、ドアは黒、と。
さらにコップと歯ブラシの色も、それに合わせて、それぞれ白と黒の2種類になっていた。
その色が、同じ!
しかもそれぞれが、ドーミーインのネーム入りの袋に入っていた!

 私もワイフも、驚いた。
ここまで客を喜ばせるホテルは、そうはない。
料金を勘案すれば、星は文句なしの、5つ星の、★★★★★。

 書き忘れたが、部屋は清潔。
汚れひとつない。

 正式には、「HOTEL dormy inn」(案内書)という。
サウナで知りあった男性は、「連泊しています」と言った。

●明日(はやし浩司 2011-12-08)

 部屋で落ち着くと、睡眠導入剤を、口にした。
いつもよりやや多めの、ひとかけら。
時計を見ると、午後7時30分。
「明日こそは、失敗しないぞ」と、心に誓う。
「うまくやろう」という気持ちは、まったくない。
「失敗しないぞ」と。

 テレビを観ながら、床に就く。

●深夜の起床

 ぐっすり眠った……と思いながら、夜中に目を覚ました。
が、時計を見ると、午後11時30分!

 夢の中に、昔の生徒と母親が出てきた。
何かの議論をしていた。
しばらくそのまま横になったが、ワイフが寝返りを打ったとき、私は起きた。

 ……パソコンを開き、あちこちのニュースサイトをのぞく。
まず飛び込んできたのが、柔道の金メダリストによる、破廉恥事件。
10代の教え子を、酒に酔わせ、ホテルへ連れ込み、ワイセツ行為に及んだという。
余罪もあるらしい。

去年(2010年)だったか、泥酔中の女性と関係をもったら、強K罪になるという判例が出た。
当の本人は、「合意の上だった」と主張しているようだが、一度、こういう判例が出ると、それは無理。
その判例をひっくり返すためには、日ごろからそういう恋愛関係にあったという客観的な証拠が必要。
逆にみれば、その目的を隠しながら、わざとその女性を泥酔させたとも、考えられる。
もしそうなら、犯意は、かぎりなく醜悪。

 ネットで経歴を調べてみたが、結婚はしているらしい。
「奥さんがかわいそう」と。
ふと、別の心で、そんなことを考える。

●欲望

 「金メダルを取りたい」という欲望。
その欲望は、そのまま性的欲望と、一直線につながっている。
ともにドーパミンの作用による。
心理学でいう「リビドー」をあてはめて考えると、理解しやすい。
ウィキペディア百科事典には、つぎのようにある。

『……リビドー(ラテン語: Libido)とは、日常的には性的欲望または性衝動と同義に用いられる。
これはジークムント・フロイトが「性的衝動を発動させる力」とする解釈を当時心理学で使用されていた用語Libidoにあてたことを継承したものである。
一方で、カール・グスタフ・ユングは、すべての本能のエネルギーのことをLibidoとした』と。

 平たく言えば、生きるエネルギーが強力な人ほど、他方で、性的欲望も強力ということ。
『英雄、色を好む』という俗説も、そんなところから生まれた。

 が、だからといって、私はその柔道選手を擁護しているわけではない。
バカである。
『バカなことをする人を、バカというのよ。(頭ではないのよ)』(「一期一会・フォレスト・ガンプ」)と。

●性癖

 ワイフにこう聞く。
「もし、ぼくが10代の女性を泥酔させ、ホテルへ連れ込んだと知ったら、どうする?」と。
が、ワイフは即答を避け、こう言った。
「もともとそういう人とは、結婚しないわ」と。

 性癖というのは、みな、ちがう。
こと性癖について書くなら、「男はみな……」という論法ほど、アテにならないものはない。
たとえば(スカートの中)。

 手鏡を使ってスカートの中をのぞいた、どこかの大学教授がいた。
で、そういう事件を見聞きすると、女性たちは、「男はみな……」と考えるかもしれない。
が、これはここで私はこう、断言できる。

 興味の程度には、大きな個人差がある。
興味があっても、実際、そうした行動に出る男もいれば、そのなん歩も手前で、自分を引いてしまう男もいる。
そのエネルギーは、男によって、みなちがう。
私自身も、若いころ、興味がなかったわけではない。
しかしあえて見たいと思ったことはない。

●性癖

 ではその男の性癖は、いつごろどのようにして作られるのか。
それには、「抑圧」の問題が、大きくからんでいる。

たとえば私のばあい、思春期のころ銭湯に通っていた。
その銭湯へ行くたびに、入り口のところから、そっと女湯のほうをのぞく
それは楽しみなことでもあった。
が、それはたいへん悪いことでもある。
自分にそう言って聞かせた。
つまり心の中に抑圧し、封印した。

 今にしてみると、それが私の性癖を作った。
今でも、入浴後の女性のにおいをかぐと、ふつうでない色気を感ずる。
だから私は若いころから、いつもこう願っていた。
一度は、女性と混浴をしてみたい、と。
いや、一度だけだが、ある。

●混浴

 その混浴だが、生涯において、一度だけ、したことがある。
私が大学4年生のときのことだった。
伊豆の堂ヶ島でのことだった。

 舟を利用した天然の温泉にひとりつかっていたら、3人の若い女性がそこへ入り込んできた。
驚いたのなんのと言ったら、なかった。
が、女性たちは慣れた雰囲気で、そのままジャバジャバと、舟の中へ。
そして私と並んで湯船につかった。

 が、それは想像していたのとは、まったくちがっていた。
健康的というか、卑猥(ひわい)感は、まったくなかった。
世間話こそできなかったが、平静だった。
じっと身動きもせず、私はだまったまま、下を向いていた。

 私にとっては、生涯忘れえぬ、すばらしい(?)思い出となった。

●リビドー(心的エネルギー)

 ついでながら、ウィキペディア百科事典には、つづけて、つぎのようにある。

『……精神分析学ではリビドーを、様々の欲求に変換可能な心的エネルギーであると定義している。
リビドーはイド(簡単にいえば無意識)を源泉とする。
性にまつわるものだけでなく、より正確には人間の性を非常にバラエティに富んだものへと向ける本質的な力と考えられている。
リビドーが自我によって防衛・中和化されることで、例えば男根期の露出癖が名誉欲に変わるなど、社会適応性を獲得する。
また支配欲動が自己に向かい厳格な超自我を形成して強い倫理観を獲得することもある』と。

 わかりやすく言えば、こうしたエネルギーは、使い方の問題ということ。
うまく使えば、すばらしい人間になれる。
が、使い方を誤ると、先の柔道選手のようなことをするようになる。
逆に言えば、善人も悪人も、紙一重。
大きく違うようで、どこも違わない。
……これは私の昔からの持論。

●深夜の入浴

 これから一風呂浴びてくる。
多分、そのまま、最就寝。
日は替わって、今日は12月08日。
こんな状態で、今日はよい講演ができるのだろうか。
かなり心配になってきた。

●午前6時05分

 先ほど、目を覚ました。
時刻は、薄明るくなり始めたころの、午前6時05分。
外は雨模様。
加湿器のおかげで、エアコン独特の、あの乾燥もなく、ぐっすりと眠れた。
起きるとワイフはそのまま温泉へ。
私は、あちこちのニュースサイトに目を通す。

 日本が夕方になると、EUが動き出す。
日本が真夜中のうちに、アメリカが動き出す。
日本が朝を迎えるころ、EUやアメリカがその日の結論を出している。

●新聞

 風呂から戻ってきたワイフが、新聞をもってきた。
「エレベーターのところに、『ご自由にどうぞ』とあったから」と。
最近では、一流ホテルでも、ここまでのサービスはしない。

 ……この数日、経済ニュースは読まないようにしている。
どうでもよいというか、狂っている。
ささいな動きをとらえて、ヌカ喜び。
株価は大暴騰。
その翌日には、反対に、取り越し苦労。
株価は大暴落。
1日ごとに、大変動。

 それよりも心配なのは、こうしたストレスが、新興国に与える影響。
長引けば長引くほど、その圧力が、それぞれの国で政情不安を引き起こす。

●女性天皇

 週刊誌(新聞広告)は、相変わらず女性天皇の問題について論じている。
すでに国民の70%以上(各種世論調査)が、女性天皇を支持している。
が、ここで重要なのは、天皇自身の意思。
天皇自身はどのように考え、願っているのか。
私たちはもう少し天皇の気持ちを、大切にすべきではないのか。

 即位に際しても、そうだ。
日本国の象徴であるということは、想像を絶する重責である。
そんな重責を、天皇自身の意思を無視したまま、一方的に押しつけるのも、どうか。
あるいは一度でも、「重責を担(にな)っていただけますか」と、天皇に聞いたことがあるのだろうか。
それもしないで、外野席だけが、ワイワイと勝手に騒ぐ。
ワイワイと騒いで、「これが結論です」と、一方的に天皇家の人たちに、押しつける。
天皇にしても、天皇である前に、1人の人間としての「人権」がある。
その人権を踏みにじりながら、後継問題を論じて、どうする?
どうなる?

 さらに一歩踏み込めば、こうも言える。
「どうして日本人は、こうまで『格式』にこだわるのか」と。
今は、もう、そんな時代ではない。
もっと皆が、(もちろん天皇家の人たちも含めて)、自由に自分の意見を言い、したいようにする。
その結果としてなら、女性天皇が誕生しても、何もおかしくない。
国民も、(もちろん私も)、喜んでそれを支持する。

●準備完了

 時刻は7時50分。
先ほどシャワーを浴び、身支度を整えた。
準備、完了!

(はやし浩司 教育 林 浩司 林浩司 Hiroshi Hayashi 幼児教育 教育評論 幼児教育評論 はやし浩司 沼津 第三十八番地 丸天 はやし浩司 三島 ドーミンイン・ホテル はやし浩司 リビドー 性的エネルギー 心的エネルギー 天皇の人権 皇室問題)2011/12/08記


Hiroshi Hayashi+++++++Dec.2011++++++はやし浩司・林浩司

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