2011年12月23日金曜日

●Mental Meltdown

【性欲の奴隷たち】

●クリ○○ス

 昨日の中学3年生のK君が、こう聞いた。
「先生、この○の中の字は、何?」と。
見ると、そこに、「クリ○○ス」と書いてあった。
即座に、「(ス)(マ)」と答えると、何やら意味ありげな笑みを浮かべた。
それでピンときた。

 この時期の子どもは、24時間のうち、23時間、「SXX」のことを考えている。
(残りの1時間は、眠っている。)
私もそうだったし、あなたもそうだった。
それが悪いというのではない。
それがあるからこそ、私たちは子孫を後世に残すことができる。
しかしその子どもは、自分が性欲の奴隷になっていることには、気づいていない。

●性欲の奴隷

 性欲の奴隷なら、奴隷でもよい。
それに気づいているなら、それでよい。
しかし中学生にかぎらず、おとなの私たちにしても、それに気づいている人は少ない。
「私は私」と思い込みながら、奴隷になっている。
奴隷になりながら、それを「私」と思い込んでいる。
意識というのはそういうもの。

自分で築きあげた意識というのもあるには、ある。
0・01%。
1万分の1もない。
99・99%は、作られた意識。
たとえて言うなら、「私」というのは、タマネギのようなもの。
作られた意識で覆われた、タマネギのようなもの。

 そこで「私」と思っている部分(皮)をどんどんとめくっていく。
「これでもか」「これでもか」とめくっていく。
が、どこまでめくっても、「私」にたどりつくことはない。
「私」というのは、それほどまでに小さく、頼りない。

●「性的エネルギー」(Ribido)

 「性的エネルギー」という言葉を考えたフロイトは、すばらしい。
後にフロイトの弟子のユングは、それを「生的エネルギー」という言葉に置き換える。
どちらであるにせよ、それが生きる原点になっている。

 で、最近の脳科学によれば、そうした原点的な信号が、脳下垂体の下部あたりから発せられていることがわかってきた。
コンピューターのパルス信号のようなものではないかと、私は勝手に想像している。
その信号が、たとえばドーパミン(欲望と快楽を司るホルモン)の分泌を促したりする。
それが生きる原動力となって働く。

さらに今では、私たちが「感情」と称しているものにしても、ホルモン説、つまり脳内ホルモンによって引き起こされるという説は、常識である。
つまり脳内ホルモンを軽く考えてはいけない。

 この脳内ホルモンこそが、人間を裏から操る。

●「私」

 私は鼻先で、「フン」と笑って、その場を去った。
が、それが青春。
この時期の子どもに、「君は性欲の奴隷になっているよ」と諭しても意味はない。
理解することさえ、不可能。
ぜったいに不可能。
その子どもは子どもなりに、それが「私」と思い込んでいる。
思い込みながら、つぎつぎと行動を発展させていく。

 恋愛もあるだろう。
結婚もあるだろう。
育児もあるだろう。
その過程で名誉を求めたり、肩書きを求めたりする。
欲望には際限がない。
富や権力を求め、それなりに苦労もするだろう。
そして最後に、こう思う。
「どうだい、私はすばらしいだろう!」と。

●メタ認知能力

 だからといって、「性的エネルギー」にせよ、「生的エネルギー」を否定してはいけない。
それがあるからこそ、人生も、これまた楽しい。
男が女を求め、女が男を求める。
そこから無数のドラマが生まれる。
そのドラマが、楽しい。

 あえて言うなら、できればその間に一線を引く。
(タマネギの皮)と、(タマネギの芯の私)の間に、一線を引く。
一線を引き、自分を客観的に見る。
これを「メタ認知能力」と言ってよいかどうかは知らない。
しかしこれこそが、まさに「高次(メタ)な認知能力」ということになる。

 大切なことは、性欲の奴隷であるにせよ、その奴隷のまま性欲に溺れてはいけないということ。
常に自分を客観的に、醒(さ)めた目で見る。
そういう自分を見失ってはいけない。

 私は鼻で「フン」と笑ったとき、そう考えた。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●「精神のメルトダウン」

 昨日、「精神のメルトダウン」という言葉を知った。
外国の社会学者が、何かの評論の中で使っていた。
「日本人は、精神的にもメルトダウンしている」と。

 ナルホド!

 私に欠けるのは、こうした自由な発想。
造語能力。
実にうまい。
的確。
精神的メルトダウン!

 たしかに日本人は、精神的にメルトダウンしてしまっている。
日本語的に表現すれば、「もの言わぬ従順な民」に、なりさがってしまっている。

 自分で考えない。
自分で行動しない。
自分で責任を取らない。

 その前に、そこにある不正、腐敗、矛盾、不公平、不平等に対しても、声をあげようともしない。
「だれかが何とかしてくれるだろう」
「何とかなるだろう」と。

 そしてその返す刀で、「自分だけ、そこそこによければ、それでいい」と、そこにある問題から逃げてしまう。
まさに精神のメルトダウン。
実にうまい表現。
昨日、その言葉に感心した。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●静かな早朝

 人間はいつものを考えるか。
今朝は布団の中で、そんなこと考えた。
時計を見ると、午前6時。
運動するのも、30分。
そのまま横になっているのも、30分。
今朝の私は、怠け者の30分を選んだ。

 周囲はまだ暗かった。
気温は10度前後。
かすかに掛け時計が時を刻む音が聞こえた。
が、それだけ。
静かな朝だった。

2011/12/23朝記


Hiroshi Hayashi+++++++Dec.2011++++++はやし浩司・林浩司

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