2011年12月10日土曜日

*Feudral Period, called "Edo Zidai"

【封建時代の清算】(あの江戸時代を不必要に美化してはいけない!)

●恐怖政治(双葉社「江戸残酷物語」を読んで)

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江戸時代が、どういう時代であったか。
日本の法制史を少しでも学んだことがある人なら、
それを知っている。
江戸時代という時代は、世界でも類を見ないほど、
暗黒かつ、恐怖政治の時代であった。
たとえば不義密通(不倫)程度のことでも、斬首刑!

その江戸時代の人たちにすれば、現代の北朝鮮ですら、
「天国」に思えるだろう。
裁判にしても、まさに「形」だけ。
自白と拷問。
拷問と自白。
人権の「ジ」の字もない。
それだけで、無数の人たちが、公開で処刑されていった。

また江戸時代の刑罰がいかにすさまじいものであったかは、
今さらここに、改めて書くまでもない。

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●徳川家康

 あの徳川家康にしても、この静岡県では、「神様」のように扱われている。
それもそのはず。
300年(265年)に渡る江戸時代という時代を通し、徹底的に美化された。
その一方で、徳川家康にまつわる都合の悪い事実は、繰り返し抹消された。
が、証拠がないわけではない。

あの築山殿(徳川家康の正室)にしても、残虐極まりない女性であったという。
侍女の虐待、拷問なども、日常茶飯事。
その息子の信康も、これまたしかり。
「領民を面白半分に殺害することも、たびたびあった」という(「江戸残酷物語」(双葉社))。
徳川家自身が記録した、『当代記』『三河後風土記』などに、記録されているという(同)。

 ……こう書くと、「林は、負の部分にばかり気を取られている」と批評する人がいるかもしれない。
が、事実は、まったくの逆。
その築山にしても、(静岡県では、哀悼の念をこめ、「築山御前」と呼ぶ)、家康の命令により、佐鳴湖畔(浜松市の西にある湖)のほとりで、殺害されている。
表向きは、織田信長の命によって殺されたということになっている。
が、実際には、徳川家康が織田信長を悪者にしたて、自ら殺害を企て殺害した。……という説もある。

●疑問

 私が織田信長に最初に疑問を感じたのは、高校生のときのことだった。
郷里に岐阜城という、山城がある。
その城を訪れたときのこと。
そこに織田信長についての記述が、パネル形式で、壁に張ってあった。
そのひとつに、「織田信長は、毎日、長良川の河畔で、5~60人もの人を処刑した」とあった。
数字については、記憶によるものだから、確かではない。
またいつどのようなときに、織田信長がそうしたのかも覚えていない。
しかしその記述を目にしたとき、それまでの私がもっていた「信長観」は、吹き飛んでしまった。

 事実、織田信長は、冷酷無比、残忍な暴君であったようだ。
もうひとつ、こんな例もある。

●新居の関所跡

 浜松市の西に、「新居の関所跡」というのが、保存されている。
江戸時代という時代がどういう時代であったかを知る、ひとつの手掛かりになる。
以前にもそれについて書いたことがあるので、その原稿をさがしてみる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

2000年ごろ書いた原稿より。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●新居の関所

 浜名湖の南西にある新居町には、新居関所がある。
関所の中でも唯一現存する関所ということだが、それほど大きさを感じさせない関所である。
江戸時代という時代のスケールがそのまま反映されていると考えてよいが、驚くのは、その「きびしさ」。
関所破りがいかに重罪であったかは、かかげられた史料を読めばわかる。

 つかまれば死罪だが、その関所破りを助けたものも同程度の罪が科せられた。
当時は、家族もろとも処刑されるのが、習わしであった。
それだけではない。
たとえば新居の関所破りをして、伊豆でつかまった男は、死体を塩漬けにして新居までもどされ、そこでさらにはりつけに処せられたという記録も残っている※。
移動の自由がいかにきびしく制限されていたかが、この事実ひとつをとっても、よくわかる。
が、さらに驚いたことがある。

 あちこちに史料と並んで、その史料館のだれかによるコメントが書き添えてある。
その中の随所で、「江戸時代は自由であった」「意外と自由であった」「庶民は自由を楽しんでいた」というような記述があったことである。
当然といえば当然だが、こうした関所に対する批判的な記事はいっさいなかった。
私と女房は、読んでいて、あまりのチグハグさに思わず笑いだしてしまった。
「江戸時代が自由な時代だったア?」と。

●北朝鮮

 もともと自由など知らない人たちだから、こうしたきゅうくつな時代にいても、それをきゅうくつとは思わなかっただろうということは、私にもわかる。
あの北朝鮮の人たちだって、「私たちは自由だ」(報道)と言っている。

 つまりあの人たちはあの人たちで、「自分たちの国は民主主義国家だ」と主張している。
(北朝鮮の正式国名は、朝鮮人民民主主義国家。)
現在の私たちが、「江戸時代は庶民文化が花を開いた自由な時代であった」(パネルのコメント)と言うことは、「北朝鮮が自由な国だ」というのと同じくらい、おかしなことである。
私たちが知りたいのは、江戸時代がいかに暗黒かつ恐怖政治の時代であったかということ。
新居の関所はその象徴ということになる。

 たまたま館員の人に説明を受けたが、「番頭は、岡崎藩の家老級の人だった」とか、「新居町だけが舟渡しを許された」とか、どこか誇らしげであったのが気になる。
関所がそれくらい身分の高い人によって守られ、新居町が特権にあずかっていたということだが、批判の対象にこそなれ、何ら自慢すべきことではない。

 たいへん否定的なことを書いたが、皆さんも一度はあの関所を訪れてみるとよい。
(そういう意味では、たいへん存在価値のある遺跡である。
それはまちがいない。)
そしてその関所をとおして、江戸時代がどういう時代であったかを、ほんの少しでもよいから肌で感じてみたらよい。

 何度もいうが、歴史は歴史だからそれなりの評価はしなければならない。
しかし決して美化してはいけない。美化すればするほど、時代は過去へと逆行する。
そういえば関所の中には、これまた美しい人形が八体ほど並べられていたが、まるで歌舞伎役者のように美しかった。
私がここでいう、それこそまさに美化の象徴と考えてよい。
(※こまかい点は、記憶によるものなので、事実と違うかもしれない。)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●武士道を美化する人たち

 いまだに武士道なるものを美化する人が多いのには、驚かされる。
「武士道こそ、日本人の精神的根幹である」と主張してやまない。
が、本当に、そうか。
そう考えてよいのか。

 これについても、今までに、たくさんの原稿を書いてきた。
さがしてみる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

2009年ごろ書いた原稿が見つかった。
少し長いが、よく読んでほしい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●死の美学と隷属意識
 武士道の根幹は、死の美学と隷属意識。
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●武士道(1)

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けっして、死を美化してはいけない。
生を美化することはあっても、死を美化してはいけない。
私たちは、まず、生きることを考える。
生きて生きて、生き抜く。
死はその結果としてやってくるかもしれないが、
そのときは、そのとき。
死の向こうには、何もない。
そこは太虚の世界。
だから、死を美化してはいけない。

武士道を一言で言えば、その底流にあるのは、
死の美学ということになる。
武士の象徴が、「刀」にあるとするなら、その
刀は、人を殺すためのもの。
この原点を踏み外して、武士を論じてはならない。
武士道を論じてはならない。

新渡戸稲造は、「武士道」の中で、あの赤穂浪士を、
最大限の言葉を使って、称賛している(「武士道の世界」
イースト・プレス)。
「義士と呼ばれるこの正直な率直な男子たちの徳は、
宝石のように光り輝き、人々のもっとも高く、褒め
讃えたものだったのである」と。

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●真の勇者(?)

 新渡戸稲造は、真の勇者について、こうも書いている。

「戦いに臨んで討ち死にすることは、難しいことではない。
それはどのような野人でもできることである。
しかし生きるべきときに生き、死ぬべきときに死ぬることこそ、真の勇者なのである」(同
書、P18)と。

 私は一度は、新渡戸稲造の「武士道」を一度は読破しなければならないと、思ってきた。
しかしその機会はなかった。
(20年ほど前、一度、目を通した記憶はあるが……。)
断片的な知識はたくさんもっている。
しかしそれらは、断片的なものでしかない。

 で、今度、イースト・プレス発刊の「武士道の世界」という本を買ってみた。
サブタイトルに、「誇るべき日本の原点」とあることからもわかるように、この本は、武士
道を礼賛する内容の本である。
そういう本を使って、私なりに武士道のもつ矛盾を指摘するのは気が引ける。
しかし礼賛する本であるがゆえに、私の脳みそに与える刺激も大きい。
1ページ読むごとに、脳の中で、バチバチと神経細胞が火花を飛ばすのを感じた。
が、この本ほど、「死」「自害」「討ち死に」「戦」という言葉が並ぶのも、そうは多くない。

 「武士道の真髄」(P181)というところを紹介する。
「真髄」とあることからもわかるように、武士道の根幹を説明したものである。

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●『武士道といふは、死ぬ事と見付けたり』(葉隠)。

 『武士道といふは、死ぬ事と見付けたり』(葉隠。

 このあまりにも衝撃的で有名な言葉は、山本常朝が口述し、田代陣基が筆記、編纂した
『葉隠』の冒頭に記された、武士道の真髄を表すものだ。

 主君のためならいつでも自分の命を捧げることができるのが、本当の武士であるという
心得を説いている。

 「武士は生と死、どちらかを選ぶ場合、必ず死を選ばなければならない」のである。
 「生き恥をさらす」と言われるように、この時代の武士道精神においては、戦に勝てな
いときは、死ぬことで忠義を果たさなければならないと考えられていた。

 しかしこの言葉には、さらに深い意味がこめられている。
生に対する執着心や恐怖を手放した瞬間に、自由な自然体に到達し、その武士は本分を全
うするために生き抜くことができるという、悟りの境地を示した教えだと言えるだろう』
と。

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●命を捧げる

 この部分を読んだとき、まっさきに頭に浮かんだのが、K国の金xx。
あの独裁者。
金xxが読んだら、涙を流して喜ぶにちがいない。
あの国では、幼稚園の子どもですら、「金xx将軍様を、命をかけて守ります」と連呼して
いる。
おとなたちは、「死守」という言葉を使っている。

 それはさておき、「主君のためならいつでも自分の命を捧げることができるのが、本当の
武士である」という部分だけでも、バカげている。
もしあなたがまともな思考力をもっている人なら、あなたもそう感ずるだろう。

 主義や理想、正義や真理のためなら、命をかけることはある。
しかし「命をかける」イコール、「命を捧げる」ではない。
いわんや、相手が、人間である、「主君」?
こういう思想を、私の世界では、「隷属思想」という。

●主君の主君は?

 学生のころ、友人と、こんな議論をしたことがある。

 「主君にさらにその上の主君がいたら、そのばあいは、どちらに命を捧げるのか」と。

 つまりあなたの仕える主君が、あなたの住む領地を治める領主だったとする。
当然、その領主には、彼が主君とあがめる、藩主がいる。
藩主の上には、将軍がいる。

 こういうばあい、あなたという家来は、藩主や将軍に命を捧げる必要はない。
何かを命じられても、それに従う必要もない。
あなたの主君は、あくまでも領主。
領主の命令だけを聞き、その領主のために、命を捧げる。

 もう少し話をわかりやすくするために、会社組織で考えてみよう。

 あなたが営業課の係長だったとする。
あなたの直接の上司は、営業課の課長。
そんなある日、営業課が入っている制作部の部長から、直接、あなたに命令が届いた。
つまり課長の頭を通り越して、あなたに命令が届いた。

 こういうケースのばあい、あなたはその部長の命令に従う義務があるのか。
それともないのか。

 会社によって組織の組織形態が異なるので、「従わなければならない」という会社もあれ
ば、「従わなくてもいい」という会社もある。
しかしこと武士の世界では、主君というのは、先のケースでは、あくまでも領主というこ
とになる。
藩主や、将軍の命令に従う必要はない。
命を捧げる相手でもない。

 これが学生時代に、私たちが知った結論である。
そのヒントを与えてくれたのが、ヤクザの世界である。
当時、(今でもそうだが……)、ヤクザの世界には、武士道の精神が、そのまま残っていた。
ヤクザの世界では、直接上にいる兄貴分が、武士の世界でいう主君ということになる。

●主従関係

 もっとも、封建時代の昔ならいざ知らず、「主君に命を捧げる」という発想は、今は、な
い。
主従関係も、西洋の契約説によって決まる。
わかりやすく言えば、「金の切れ目が縁の切れ目」。
給料がもらえなくなったら、そこで主従関係は、消滅する。

 人それぞれだが、私なら、断る。
どう考えても、主君のために命を捧げるという発想そのものが、バカげている。
つまりこんなところにも、武士道が説く、(死の美学)が見え隠れする。

 繰り返すが、死を美化してはいけない。
その延長線上に、戦争がある。
その一歩手前に、特攻隊があり、自爆テロがある。
私たちは死ぬために生きているのではない。
生きるために生きている。

 この本の著者は、「生に対する執着心や恐怖を手放した瞬間に、自由な自然体に到達し、
その武士は本分を全うするために生き抜くことができるという、悟りの境地を示した教え
だと言えるだろう」と書いている。

 それにしても、「生に対する執着心や恐怖を手放した瞬間……悟りの境地に達する」と
は?
いつの間にか、仏教の教えが、そのまま武士道の精神にすり替えられてしまっている?

●武士の作法

 戦国時代はともかくも、以後、日本は300年という長い年月の間、太平天国の時代を
迎える。
その間に、武士道も、当初の戦闘を目的としたものから、権威づけのための作法の「道」
として変質する。
作法に始まって、作法に終わる。
それが武士道の柱と考えてよい。
いくつかを拾ってみる。

(1)鞘(さや)当て……武士の世界で、刀と刀の鞘が当たることは、何にもまして「無
礼極まりないこと」だったそうだ。
だから武士どうしは、廊下を歩くときも、左側通行が作法と決められていた。

(2)手はぶら下げて歩く……いつでも刀を抜けるように、手荷物も持たないし、傘もさ
さない。

(3)妻は後ろを歩かせる……妻と並んで歩くなど、軟弱者の証。
   襲撃から守るという意味もある。(以上、同書)。

 こうした作法が、ズラズラと、それこそ無数にある。
武士の刀をまたいだだけで、切捨て御免になった人も多いという。
また女性は、武士の刀に、直接手を触れることさえできなかったという。
しかしなぜ、「刀」なのか?

●武士と刀

 武士の人口は、江戸時代においては、5%前後と言われている※。
しかしこの数字とて控えめなもの。
武士の家族も含まれているため、実際には、刀を差していた武士は、全人口の1~2%以
下だったと推計される。
残りの95%のほとんどが、農民であった。
その1~2%が、為政者として、好き勝手なことをした。
その好き勝手なことをする象徴として、「刀」があった。
武士が刀に執着する理由は、ここにある。

 私はこんな話を、直接、その女性から聞いている。

 私が住んでいる山荘のある村は、400年以上もの歴史のある、由緒ある村である。
その山荘の隣人に、10年ほど前、88歳で亡くなった女性がいる。
いわく、「明治時代に入ってからも、士族の人たちは、このあたりでは刀を差して歩いてい
た」と。

 「刀の鞘どうしがカチャカチャと当たる音が、遠くから聞こえてくると、みな、道路の
脇に寄って、正座し、頭をさげた」と。

 言うなれば、95%の日本人が、5%の武士を支えるために、犠牲になっていた。
そういう世界が、いかにおかしな世界であるかは、あなた自身を、その農民の立場に置い
てみればわかる※。
あなた自身の先祖も、その農民であったはず。
(私の先祖も、農民だった。)

 一生、土地にしばられ、職業選択の自由もなかった。
当時生きていた人たちもまた、私やあなたと同じ人間であった。
犬や猿とは、ちがう。
そういう人たちを原点に考えるなら、「何が武士道か?」ということになる。
さらに言えば、この武士道が、やがてあの戦陣訓へとつながっていく。
それについては、前にも書いた。

 もちろん歴史は歴史だから、それなりの評価は必要である。
しかしそれがもつ(ネガティブな側面)に目を閉じたまま、一方的に武士道なるものを礼
賛することは、危険なことでもある。
どうして武士道が、「誇るべき日本人の原点」(本のタイトル)なのか?

 今、武士道を、教育の柱にしようとする動きが活発になっている。
またその種の本が、100万部単位で売れている。
これを民主主義の後退と言わずして、何と言う?
忘れてならないのは、新渡戸稲造が活躍した時代と、同じ時期に、福沢諭吉がいたという
こと。
福沢諭吉らは、やがて明六社に合流し、日本の封建主義を清算しようとした。

 私は、福沢諭吉らのしたことのほうが、正道だと思のだが……。
それに「原点」とは何か?
何も原点にこだわる必要もない。
原点が正しいわけでもない。
大切なことは、おかしな復古主義にとらわれないこと。
私たちはいつも新しい原点を求めて、前に進む。

 ……と、少し頭が熱くなったので、この話は、ここまで。
なお本書(「武士道の世界」)は、つぎのように結んでいる。

 『おわりに……そんな現代であるからこそ、日本人としての精神的意識が必要なのであ
る。
不道徳な世相を嘆いていても何も始まらない。
世界に通じる精神体系・武士道を心に携え、今こそ日本人としてのアイデンティティを世
界に発信してほしい』と。

(※注1)明治6年1月調べ・・・旧武士数は平民の16分の1にして総数408,823戸、
1,852,445人であった。幕末においてもこの数字と大差なかったものと考えられる。人口構
成は概数的に6.25%である。(土屋喬雄「幕末武士の階級的本質」)

 どの藩も武士の数は軍事機密になっていた。
したがって、今となってはその人口は、推
計する以外にない(筆者注)。

(※注2) 徒士といえども、家老に対しては下駄を脱がざるをえなかったのが実情で、
城下において百姓町人は、足軽以上に出会えばまず平伏・土下座など屈辱的敬礼を強いら
れた。どの階層に属するか、着衣や服装で判断できる社会の仕組みになっていた。(「社会
構造と現代社会HP」より)

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi
Hayashi 林浩司 BW 武士道 武士の作法 武士道精神 武士の数 葉隠 忠臣蔵 新渡戸稲造の「武士道」)

●真の勇者

 繰り返す。
新渡戸稲造は、真の勇者について、こう書いている。

「戦いに臨んで討ち死にすることは、難しいことではない。
それはどのような野人でもできることである。
しかし生きるべきときに生き、死ぬべきときに死ぬることこそ、真の勇者なのである」と。

 生きるべきときに生きるのは当然であるとしても、「死ぬべきときに死ぬ」とは?
この思想が、後の、『戦時訓』につながっていった。

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戦陣訓について書いた原稿です。
(2009年3月記)

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●文明の衝突(2)

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少し前、「文明の衝突」について、書いた。
それを読みなおす。
読みなおして、それをワイフに話す。
(090412)

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●日本vsアジア

「黄色い白人」と呼ばれて、一時、日本人が得意になったことがあった。
日本が高度成長の波に乗り、破竹の進撃をつづけていたときのことである。
事実、当時、日本で、「自分はアジア人」と思っている子どもはいなかった。
「ぼくはアジア人ではない。日本人だ」と。
それについては、先の原稿に書いたとおりである。

しかし私たちは今も昔も、立派なアジア人である。
容姿、顔つき、肌の色、すべてが、立派なアジア人である。
むしろ日本人のほうが、骨相学的には、貧相と言われている。
島国で、長い間、鎖国をつづけ、「血の交流」をしなかったためと考えてよい。
で、昔、こんなことがあった。

私がオーストラリアで学生生活を送っていたときのことである。
中国からの留学生が何人かいた席で、だれかが私にこう言った。
「ヒロシ、君たちは中国人に、どんなイメージをもっているか。
それを絵に描いてみてほしい」と。

で、私は、目が釣りあがり、歯が飛び出た中国人を描いてみせた。
当時、新聞など出てくる中国人は、みな、そのような顔をしていた。
が、それを見て、みなが、ドッと笑った。
「ヒロシ、それは日本人の顔だよ」と。

●異種文明

こうした文明のちがいを克服するためには、どうしたらよいのか。
あるいはどうして文明の対立が起きるのか。
異種文明にも距離感がある。

(1) 隣接文明(隣接している文明)
(2) 非隣接文明(隣接していない文明)

先の原稿の中で書いたように、ドイツ人のロシア嫌いには定評(?)がある。
「どうしてそんなにも嫌うのか?」と思うほど、嫌う。
同じように、中国人の日本嫌いにも、定評(?)がある。
「どうしてそんなにも嫌うのか?」と思うほど、嫌う。
それには先の侵略戦争が大きく影響している。
が、それだけではないようだ。

「文明の衝突論」を当てはめてみると、それがうまく説明できる。
中国は、儒教文明圏に属する。
一方、この日本は、儒教文明圏に身を置きながら、西洋文明圏に属する。
つまりそこで「文明の衝突」が起きている。

が、日本とロシア、さらに日本とイラク、イランとの対立は生まれない。
(一部、日本とロシアは、対立しているが……。)
ロシアは、スラブ文明圏に属する。
イラク、イランは、アラブ文明圏属する。
なぜか。
それが「文明の距離」ということになる。

わかりやす言えば、文明の衝突は、それぞれの文明が接したところで起こる。
離れたところでは起きない。
たとえば今度は、スラブ文明とアラブ文明については、それぞれが接している。
だからたがいに仲が悪い。

アラブ人のロシア嫌いにも、これまた定評(?)がある。
非隣接文明についていえば、それは(情報)でしかない。
たとえば私たちがアラブ文明に触れたとき、それは(もの珍しさ)でしかない。
そのため文明の衝突は起きない。

●融和

問題はどうやって、隣接文明と融和していくかということ。
国と国の対立は、それぞれの国同士という(単体)の話しあいで解決できる。
しかし文明の対立となると、そうはいかない。
たとえば日本は、自らを西欧文明の中に身を置き、儒教文明と鋭く対立している。
日本は、儒教文明圏に属しながら、その一方で、自らを西欧文明圏に置いている。
この対立構造が、日本を現在の今、孤立させている。

このことは、相手の立場で考えてみると、よくわかる。
一度、ペキン(北京)という、中国の首都に、視点を置いてみるとよい。
日本は、はるか東の海上。
中国から見れば、大陸の端にへばりついているように見える。
それはたとえて言うなら、東京から、佐渡島を見るようなものではないか。
その日本が、ひとり、「私たちは西洋人」と主張している。
それから生まれる違和感というか、(滑稽さ)には、相当なものがある。
中国人が、日本を受け入れない本当の理由は、そんなところにもある(?)。
では、どうするか?

●儒教文明

最初に書いておきたい。
「儒教文明の再構築」といっても、復古主義的なものであってはいけない。
それについては、あとで「情報革命」のところで書く。
私たちはアジア人であることを再確認する。
それが儒教文明の再構築ということになる。

現在の今、私たちがこうして漢字を使っていること自体、その証拠ということになる。
中に「平仮名やカタカナは、日本人すばらしい発明」と書いている人がいる。
しかしそれはどうか?
平仮名にせよ、カタカナにせよ、漢字の簡略版にすぎない。
略字にすぎない。

「発明」などという大げさなものではなく、一バリエーションに過ぎない。
漢字で、「波也此」と書くより、「はやし」と書いたほうが楽に決まっている。
当時の人たちなら、だれしもそう考えただろう。
つまりこと日本人に関して言えば、私たちは、中国文明圏に属している。
まずそれを率直に認めること。

(だからといって、中国に隷属せよと、そういうことを書いているのではない。
誤解のないように!)

●日本史論

ついでに日本史論。
これについては、すでにたびたび書いてきた。
つまり日本では、日本史を東洋史と切り離して教える。
「日本は日本、東洋とは一線を画す」という思想が、その底流にある。
しかしこれがいかに偏狭なものであるかは、アジアの諸国をながめてみれば、わかる。
韓国を例に出すまでもない。

ほかに若いころ、タイへ行ったときにも、それを感じた。
タイという国は、そういう意味では奇異な国と考えてよい。
私たち日本人から見ると、同じ東南アジア諸国の一員ということになる。
しかし彼らは、そうは思っていない。
タイの人たちは、自分たちの歴史を、東南アジア全体から切り離して考えている。
日本史を東洋史と切り離してしまったところに、日本の歴史の悲劇性が潜む。
少し前も、ニセ石器に踊らされ、歴史の本そのものを書き換えてしまったことがある。
そのとき韓国の人たちは、こう言って笑った。
「日本に、韓国(中国)より古い歴史があるわけがない」と。

しかし日本史を東洋史の中に置いてみると、歴史観が一変する。
あの縄文時代にしても、弥生時代にしても、中国からの渡来民が深く関係している。
戦乱を逃れて、多くの民が、中国大陸から流れてやってきた。
そういう人たちが、大陸の文化を、日本に伝えた。
さらに天皇家のルーツにしても、そうだ。

少なくとも隣の韓国では、天皇家の祖先は、朝鮮からの騎馬民族ということになっている。
日本の天皇ですら、「ゆかり」という言葉を使って、それを臭わせたこともある。
しかし日本史を東洋史と切り離している間は、日本はいつまでも日本のまま。
日本が東洋と融和することは、ありえない。

●情報革命

が、否定的なことばかり言っていてはいけない。
ここで人類は、第二の産業革命とも言える「武器」を手にした。
「情報革命」という武器である。
以前、恩師の田丸先生がこう話してくれたことがある。
「情報革命が進めば、国はなくなりますよ」と。
具体的にはこうだ。

「年々、向こうの若者たちが日本の若者と区別できなくなってきた」と。
「姿、容姿、着ている服装など、「区別ができない」と。
つまりそういう形で、国と国は融合し、やがて文明の対立も解消される、と。
言い換えると、いかにこの情報革命を利用するかという問題に行き着く。
昔は、隣町どうしが、言い争った。
それが県どうしになった。
それが国
さらに文明。
情報革命は、その間を融和させる。
言葉の問題もあるにはある。

しかしたった10年前と比較しただけでも、その進歩にはめざましいものがある。
たとえば私が発行しているHPにしても、外国の人たちが読んでいる。
その中には「米軍」というのもある。
まだ10%程度だが、「10%にしても、すごい!」。
情報革命が進めば進むほど、国どうしの垣根も低くなる。
文明の衝突も、起きにくくなる。
その例が、あのEUである。

ほんの65年前にははげしい戦争を繰りかえしていた。
が、今は、ひとつの国になった!

●文明の衝突

私たちが警戒しなければならないのは、偏狂な民族主義。
その台頭。
「武士道こそ、日本が世界に誇るべき、日本人のアイデンテティ」と説く。
しかし今、どうしてこの日本で、武士道なのか?
仮にそれが「道」であったとしても、それは武士の世界での話。
しかも武士の本質は、軍人。
軍人で悪いなら、官僚。
あるいは警察、役人、特権階級。
何でもよいが、ともかくも支配階級。

私たちの先祖の94、5%は、農民であり、わずかな数の商人、工人であった。
それを忘れて、「武士道」とは?

あの江戸時代にしても、世界でも類を見ないほどの暗黒政治の時代であった。
さらに戦陣訓を例にあげるまでもなく、一方的に礼讃するのはどうか?
「生きて虜囚の……」とかいう、あの戦陣訓は、武士道の精神を拝借している。
そのため、どれだけ多くの日本人が犠牲になったことか!

「負の遺産」に目を当てることもなく、武士道を礼讃するのは、危険なことでもある。
つまり私たちが偏狭な民族主義にこだわればこだわるほど、互いの文明の溝を深くする。
あのアインシュタイン博士も、田丸先生への手紙の中で、「exaggerated nationalism」
という言葉を使って、強く戒めている。

「exaggerated nationalism」、つまり「誇張されたナショナリズム」=「偏狭な
民族主義」ということになる。

●過去から学ぶ

こう書いたからといって、どうか、誤解しないでほしい。
私は何も日本の歴史を否定しているのではない。
歴史は歴史として、当然、評価されなければならない。
しかしここにも書いたように、その「負の遺産」に目をくれることもなく、あの封建時代
を一方的に、美化してはいけない。
もっと言えば、悲しいかな、私たち日本人は、かつてただの一度も、あの封建時代を
清算していない。

たとえば「明治維新」にしても、英語では、「Meiji Restoration」と翻訳されている。
英語で、「レストレーション」というと、「王政復古」をいう。
革命でも、何でもない。
つまり「王政復古」である。

そういうものをもって、日本は近代化の道を歩み始めたとか、さらには江戸時代を清算
したなどとは、思ってはいけない。
清算していないばかりか、ここにも書いたように、むしろ、それを美化している。

この静岡県でも、徳川家康の出身地ということもあるが、徳川家康について悪く書くのは、
いわばタブー視されている。
この静岡県では、敬愛の念をこめて、「家康公」と呼ぶ。

が、こういう姿勢では、私たちは過去から何も学ぶことはできない。
できないばかりか、へたをすれば同じような歴史を繰り返すことになる。
今の今も、国盗り物語よろしく、政治を、己の出世欲を満たすための道具として
利用している人は、いくらでもいる。

●過渡期

話を戻す。
平等という言葉がある。
しかし「平等」というのは、たがいに高い次元で、認めあうことをいう。
民族の融和にしても、さらには文明の融和にしても、その平等感覚がなければならない。
「わが民族は優秀である」と思うのはその人の勝手だが、だからといって、相手に
向って、「あなたがた民族は劣っている」と思ってはいけない。

民族には上下はないし、今はもう民族をうんぬんする時代ではない。
むしろ問題なのは、その上の段階の「文明意識」ということになる。
もう一度、私が書いた、段階論を見てほしい。

家族意識(先祖意識)
    ↓
 同郷意識
    ↓
 同国意識
    ↓
 民族意識
    ↓
 文明意識(無意識)
    ↓
 人間意識(無意識)
    ↓
 生命意識(無意識)

つまり今は、(民族意識)から、(文明意識)への過渡期ということになる。
さらに進めば、(人間意識)→(生命意識)となるが、それはさておき、
この段階あたりで、ウロウロしている。
それがこの極東アジアでも、もろもろの紛争の火種となっている。

●では、どうするか?

言うまでもなく大切なことは、文明の融和である。
そのために第一に、情報の交換をする。
その国の内部の人たちは、外の世界を知る。
外の世界の人たちは、その国の内部を知る。
これを頻繁に、行う。
これができれば文明の融和はできる。
できなければ、できない。

ひとつの例として、あのK国を見ればよい。
今のこの時代にあって、情報を遮断している。
国外に向けてもすらも、ニセ情報を流す。
国内に向けてもすらも、ニセ情報を流す。
その結果、アインシュタインの言った、「exaggerated nationalism」だけが、
異常なまでに肥大化してしまった。

もうおわかりのことと思うが、私たちは、その逆のことをすればよい。
私たちは自分の考えていることを、外の世界に向って、どんどんと発信していく。
と、同時に、外の世界の情報を、どんどんと取り込んでいく。
その結果として、私たちは人間のレベルを、つぎのステージにもちあげることができる。

最後に、よく「インターネットは、第二の産業革命」と言われる。
それが最終的に評価されるのは、もう少し時代を経てからになるが、私はそう断言して
よいほど、インターネットには、秘められた力がある。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
民族意識 文明意識 民族主義からの脱却 インターネット 文明の衝突 誇張された
民族主義 はやし浩司 文明論 民族論)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●江戸時代は悲劇の歴史

 こんな原稿を書いたこともある。
一部は、中日新聞に載せてもらったことがある。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●夏休みの宿題(ある女子中学生の宿題より)

+++++++++++++++++++++++

(1) 共通テーマは、武士、700年間の時代の中で、
人々が、幸せに暮らしたのは、いつか。

(2) 社会の安定、自由、繁栄、平和、家族という視点
の中から、ひとつ選んで、追究する。

+++++++++++++++++++++++

 中学1年生のKさんが、こんな宿題をもってきた。
春休みの宿題だという。

日本の教育も変わってきた。
もちろん宿題の内容も変わってきた。
これを見たとき、私は、「日本の教育は確実に欧米化している」と感じた。

(暗記)から(思考力)へ。
(ジェネラリスト)から(スペシャリスト)へ。
(従順な子ども)から(問題意識をもった子ども)へ。

 その変化は、いろいろな言い方で説明できる。
しかし教育というのは、「学校で学んだことを、すべて忘れてしまったあとに
残っているもの」とするなら、こうした教育は、その(残るもの)を目指した
教育と言える。

すばらしいことだと思う。

で、Kさんには、こう説明した。

(1) 武士の時代といっても、きびしい身分制度が敷かれていた。
    武士の立場で考えるか、農民の立場で考えるか、それによって、
    見方が大きく変わる。

(2)「幸せ」の定義をしっかりとしておくこと。何をもって「幸せ」というか。
   それによっても、見方が、大きく変わる。

(3)「安定、自由、繁栄、平和、家族」の中から、何を選ぶか。
   もちろんそのうちのどれを選ぶかで、見方が、これまた大きく変わる。

私「基本的には、あの江戸時代は、世界の歴史の中でも、類をみないほどの
暗黒かつ恐怖政治の時代だった。それを忘れてはいけない」
K「結構、みな、楽しそうだったみたい」
私「だれが、そう教えたの?」
K「……教科書……?」

私「移動の自由もなく、職業選択の自由もない。もちろん言論の自由もない。
きびしい身分制度の中で、生まれながらにして、みな、職業が決まっていたんだよ」
K「武士にとっては、住みやすい時代だったかもしれないわね」
私「そう、武士にとってはね。でも、その武士は、6~7%。農民は、80~85%。
その農民たちは、武士に虐げられていた」
K「そう? 武士って、そんなに少なかったの?」と。

ちなみに、ヤフー・知恵袋によれば、つぎのようにある。

 「幕末の人口約3200万人のうちわけは、諸藩の統計を平均して、武士6~7%、農民80~85%、工商を含む町人5~6%、神官・僧侶1.5%、穢多・非人1.6%と、
推測されている」と。

つまり人口の6~7%に過ぎない武士が、人口の80~85%もいる農民を虐げ、
好き勝手な生活を楽しんでいた。
「好き勝手」というのは、農民の納める年貢にしても、収穫高の4~5割を自分たちの
ものにしていたことをいう。

身分制度については、こんな話が残っている。

浜松市の西に、江戸時代に代々、庄屋として栄えた農家がある。
そんな農家ですらも、上から下まで、厳格な身分制度が敷かれていた。
小間使いは、一生、小間使い。
代々、小間使い、と。

また恐怖政治については、こんな話が残っている。

私の山荘のある地域では、明治時代に入ってからも、士族たちは、
刀をさして歩いていたという。
歩くたびに、刀の鞘(さや)が、カチャカチャと音をたてたという。

農家の人たちは、その音が聞こえてくると、道路の脇に正座して、頭をさげ、
その氏族という人が通り過ぎるのを待ったという。

この話は、10年ほど前、90歳でなくなった女性から、直接、私が
聞いた話である。

こういう(事実)をすべて無視して、「江戸時代は、自由な時代だった」とは、
私はぜったいに言わせない。

Kさんが、どんなレポートを書くかは、私は知らない。
しかしそれが、江戸時代を考える、新しいきっかけになればよい。

……私はKさんが数学の問題を解いている間、「幸せな暮らし」と何か、
それを考えていた。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 武士 農民 比率 江戸時代)

++++++++++++++++++

前にも取りあげたが、あの信長ですら、
この日本では、英雄(?)になっている。
それについて書いたのが、つぎの原稿。
(中日新聞発表済み)

++++++++++++++++++

●「偉い」を廃語にしよう

●子どもには「尊敬される人になれ」と教えよう

 日本語で「偉い人」と言うようなとき、英語では、「尊敬される人」と言う。よく似たよ
うな言葉だが、この二つの言葉の間には。越えがたいほど大きな谷間がある。日本で「偉
い人」と言うときは。地位や肩書きのある人をいう。そうでない人は、あまり偉い人と
は言わない。一方英語では、地位や肩書きというのは、ほとんど問題にしない。

 そこである日私は中学生たちに聞いてみた。「信長や秀吉は偉い人か」と。すると皆が、
こう言った。「信長は偉い人だが、秀吉はイメージが悪い」と。で、さらに「どうして?」
と聞くと、「信長は天下を統一したから」と。中学校で使う教科書にもこうある。「信長は
古い体制や社会を打ちこわし、…関所を廃止して、楽市、楽座を出して、自由な商業がで
きるようにしました」(帝国書院版)と。これだけ読むと、信長があたかも自由社会の創始
者であったかのような錯覚すら覚える。しかし……?  
  
 実際のところそれから始まる江戸時代は、世界の歴史の中でも類を見ないほどの暗黒か
つ恐怖政治の時代であった。一部の権力者に富と権力が集中する一方、一般庶民(とく
に農民)は極貧の生活を強いられた。

 もちろん反対勢力は容赦なく弾圧された。由比正雪らが起こしたとされる「慶安の変」
でも、事件の所在があいまいなまま、その刑は縁者すべてに及んだ。坂本ひさ江氏は、
「(そのため)安部川近くの小川は血で染まり、ききょう川と呼ばれた」(中日新聞コラ
ム)と書いている。家康にしても、その後三〇〇年をかけて徹底的に美化される一方、
彼に都合の悪い事実は、これまた徹底的に消された。私たちがもっている「家康像」は、
あくまでもその結果でしかない。

 ……と書くと、「封建時代は昔の話だ」と言う人がいる。しかし本当にそうか? そこで
あなた自身に問いかけてみてほしい。あなたはどういう人を偉い人と思っているか、と。
もしあなたが地位や肩書きのある人を偉い人と思っているなら、あなたは封建時代の亡霊
を、いまだに心のどこかで引きずっていることになる。

 そこで提言。「偉い」という語を、廃語にしよう。この言葉が残っている限り、偉い人を
めざす出世主義がはびこり、それを支える庶民の隷属意識は消えない。民間でならまだ
しも、政治にそれが利用されると、とんでもないことになる。「私、日本で一番偉い人」
と言った首相すらいた。そういう意識がある間は、日本の民主主義は完成しない。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●福沢諭吉

 今の今でも、この日本には、封建主義が色濃く残っている。
それに気づくか気づかないかは、ひとえにその人の問題意識ということになる。
教育の場で、それを考えてみたい。

●血統空想

++++++++++++++

「私だけは特別でありたい」という
思いは、だれにでもある。そのひとつ
が、「血統」。

「私の血統は、特別だ」「だから私は
特別な人間」と。

あのジークムント・フロイトは、
そうした心理を、「血統空想」という
言葉を使って説明した。

年齢で言えば、満10歳前後から
始まると考えられている。

しかしそう思うのは、その人の勝手。
それはそれでかまわない。しかし、その
返す刀で、「私以外は、みな、劣って
いる」と考えるのは、まちがっている。
自己中心性の表れそのものとみる。

EQ論(人格完成論)によれば、
自己中心性の強い人は、それだけ
人格の完成度の遅れている人と
いうことになる。

わかりやすい例でいえば、今でも
家系にこだわる人は多い。ことあるご
とに、「私の先祖は、○○藩の家老だ
った」とか何とか言う。

悪しき封建時代の亡霊とも考えられる。
江戸時代には、「家」が身分であり、
「家」を離れて、個人として生きていく
こと自体、不可能に近かった。

日本人がいまだに、「家」にこだわる
理由は、ここにある。

それはわかるが、それからすでに、
約150年。もうそろそろ日本人も、
そうした亡霊とは縁を切るべきときに
来ているのではないのか。

+++++++++++++++

●人間は平等

 かつて福沢諭吉は、こう言った。「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」(「学問のすすめ」)と。

その「天は人の上に……」という名言が、生まれた背景として、国際留学協会(IFSA)は、つぎのような事実を指摘している。そのまま抜粋させてもらう。

 『……さらに諭吉を驚かせたことは、家柄の問題であった。

諭吉はある時、アメリカ人に「ワシントンの子孫は今どうしているか」と質問した。それに対するアメリカ人の反応は、実に冷淡なもので、なぜそんな質問をするのかという態度であった。誰もワシントンの子孫の行方などに関心を持っていなかったからである。

ワシントンといえば、アメリカ初の大統領である。日本で言えば、鎌倉幕府を開いた源頼朝や、徳川幕府を開いた徳川家康に匹敵する存在に思えたのである。その子孫に誰も関心を持っていないアメリカの社会制度に、諭吉は驚きを隠せなかった。

高貴な家柄に生まれたということが、そのまま高い地位を保障することにはならないのだ。諭吉は新鮮な感動を覚え、興奮した。この体験が、後に「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずと言えり」という、『学問のすすめ』の冒頭のかの有名な言葉を生み出すことになる』と。

 意識のちがいというのは、恐ろしい。恐ろしいことは、この一文を読んだだけでもわかる。いわんや明治の昔。福沢諭吉がそのとき受けた衝撃は、相当なものであったと考えられる。そこで福沢諭吉らは、明六社に合流し、悪しき亡霊と闘い始める。

 明六社……明治時代に、森有礼(もり・ありのり)という人がいた。1847~1889年の人である。教育家でもあり、のちに文部大臣としても、活躍した人でもある。

 その森有礼は、西洋的な自由主義者としても知られ、伊藤博文に、「日本産西洋人」と評されたこともあるという(PHP「哲学」)。それはともかくも、その森有礼が結成したのが、「明六社」。その明六社には、当時の若い学者たちが、たくさん集まった。

 そうした学者たちの中で、とくに活躍したのが、あの福沢諭吉である。

 明六社の若い学者たちは、「封建的な身分制度と、それを理論的に支えた儒教思想を否定し、不合理な権威、因習などから人々を解放しよう」(同書)と、啓蒙運動を始めた。こうした運動が、日本の民主化の基礎となったことは、言うまでもない。

 で、もう一度、明六社の、啓蒙運動の中身を見てみよう。明六社は、

(1)封建的な身分制度の否定
(2)その身分制度を理論的に支えた儒教思想の否定
(3)不合理な権威、因習などからの人々の解放、を訴えた。 

 しかしそれからちょうど100年。私の生まれた年は、1947年。森有礼が生まれた年から、ちょうど、100年目にあたる。(こんなことは、どうでもよいが……。)その100年の間に、この日本は、本当に変わったのかという問題が残る。反対に、江戸時代の封建制度を、美化する人たちまで現われた。中には、「武士道こそ、日本が誇るべき、精神的基盤」と唱える学者までいる。

 こうした人たちは、自分たちの祖先が、その武士たちに虐(しいた)げられた農民であったことを忘れ、武士の立場で、武士道を礼さんするから、おかしい。悲しい。そして笑える。

 武士たちが、刀を振りまわし、為政者として君臨した時代が、どういう時代であったか。そんなことは、ほんの少しだけ、想像力を働かせば、だれにも、わかるはず。そういったことを、反省することもなく、一方的に、武士道を礼さんするのも、どうかと思う。少なくとも、あの江戸時代という時代は、世界の歴史の中でも、類をみないほどの暗黒かつ恐怖政治の時代であったことを忘れてはならない。

 その封建時代の(負の遺産)を、福沢諭吉たちは、清算しようとした。それがその明六社の啓蒙運動の中に、集約されている。

 で、現実には、武士道はともかくも、いまだにこの日本に、封建時代の負の遺産を、ひきずっている人は多い。その亡霊は、私の生活の中のあちこちに、残っている。巣をつくって、潜んでいる。たとえば、いまだに家父長制度、家制度、長子相続制度、身分意識にこだわっている人となると、ゴマンといる。

 はたから見れば、実におかしな制度であり、意識なのだが、本人たちには、わからない。それが精神的バックボーンになっていることすら、ある。

 しかしなぜ、こうした制度なり意識が、いまだに残っているのか?

 理由は簡単である。

 そのつど、世代から世代へと、制度や意識を受け渡す人たちが、それなりに、努力をしなかったからである。何も考えることなく、過去の世代の遺物を、そのままつぎの世代へと、手渡してしまった。つまりは、こうした意識は、あくまでも個人的なもの。その個人が変わらないかぎり、こうした制度なり意識は、そのままつぎの世代へと、受け渡されてしまう。

 いくら一部の人たちが、声だかに、啓蒙運動をしても、それに耳を傾けなければ、その個人にとっては、意味がない。加えて、過去を踏襲するということは、そもそも考える習慣のない人には、居心地のよい世界でもある。そういう安易な生きザマが、こうした亡霊を、生き残らせてしまった。

 100年たった今、私たちは、一庶民でありながら、森有礼らの啓蒙運動をこうして、間近で知ることができる。まさに情報革命のおかげである。であるなら、なおさら、ここで、こうした封建時代の負の遺産の清算を進めなければならない。

 日本全体の問題として、というよりは、私たち個人個人の問題として、である。

 ……と話が脱線してしまったが、これだけは覚えておくとよい。

 世界広しといえども、「先祖」にこだわる民族は、そうは、いない。少なくとも、欧米先進国には、いない。いわんや「家」だの、「血統」だのと言っている民族は、そうは、いない。そういうものにこだわるということ自体、ジークムント・フロイトの理論を借りるまでもなく、幼児性の表れと考えてよい。つまりそれだけ、民族として、人格の完成度が低いということになる。

(付記)

 この問題は、結局は、私たちは、何に依存しながら、それを心のより所として生きていくかという問題に行き着く。

 名誉、財産、地位、学歴、経歴などなど。血統や家柄も、それに含まれる。しかし釈迦の言葉を借りるまでもなく、心のより所とすべきは、「己(おのれ)」。「己」をおいて、ほかにない。釈迦はこう説いている。

『己こそ、己のよるべ。己をおきて、誰によるべぞ』(法句経)と。「自由」という言葉も、もともとは、「自らに由る」という意味である。

 あなたも一言でいいから、自分の子どもたちに、こう言ってみたらよい。「先祖? そんなくだらないこと考えないで、あなたはあなたはで生きなさい」と。

 その一言が、これからの日本を変えていく。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 血統空想 封建時代 武士道)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●水戸黄門

 『江戸残酷物語』(双葉社)は、あの水戸黄門についても、触れている。
徳川家康につづく、徳川家光、徳川綱吉、徳川吉宗らが、冷酷無比な暴君であったことは、私も知っていた。
このことは、サダム・フセインの息子たち、あるいはカダフィ大佐の息子たちが、どういう息子たちであったかを知れば、おおよそ類推できる。

 が、水戸黄門……つまり徳川光圀までそうだったということは、知らなかった。
『江戸時代残酷物語』は、つぎのように書いている。

「あの水戸黄門の実像は、血も涙もない冷血漢だった!
 命乞いする罪なきものを斬殺、犬も大量に虐殺した無慈悲な副将軍。
……若いころは狼藉の日々、試し切りで、殺人も経験などなど。

 その徳川光圀にしても、徳川光圀にとって都合の悪い事実は徹底的に抹消され、その一方で、ドラマ「水戸黄門」にみるように、徹底的に美化された。
仮にそうであったとするなら、つまりそれほどまでに正義感にあふれた人物なら、なぜその上の将軍に、その矛先を向けなかったのか。
今の今も、その美化は進行中!

時代はあの徳川綱吉の時代。
「生類憐れみの令」などという、まことにもって異常な法律を制定していた時代である。
犬を蹴飛ばしただけで、死罪。
そういう時代だったからこそ、徳川光圀は、マダマシ?
それが今日見られる「美化」の原点になっているのかもしれない。

●封建時代の清算

 日本人は歴史の中で、一度とて、あの江戸時代を清算していない。
していないばかりか、いまだに美化してやまない。
その一例が、NHKの大河ドラマということになる。
たとえば新撰組。

 あの新撰組のおかげで、京都の町は恐怖のどん底へと叩き落とされた。
『江戸残酷物語』の中にも、こうある(P72)

「……幕末の京は天誅(てんちゅう)の名のもとに、暗殺が横行する無法都市であった。
幕府の治安維持能力は著しく劣化し、もはやあてにならない。
どんな理由で尊王派の標的にされるか知れず、人々は暗殺の恐怖におびえた」と。

 それも時代……という形で、私たちは過去を安易に美化してしまう。
日本人特有の精神構造というか、それがあるから日本人はそのつど、歴史を前進させることができない。

 話は変わるが、私は今回の3・11大震災のあと、つぎのことを知った。
NHKをはじめ、公的な報道機関をはじめ、政府は、「ウソこそ言わないが、しかし本当のことも言わない」と。
が、今は、そういう時代ではない。
インターネットを通し、私たちは生の情報を、瞬時に手に入れることができる。
あの原発事故のあと、女川原発付近で放射線が観測されたときもそうだ。
政府は、「今、ただちに健康に被害が及ぶものではありません」と、今から思うととんでもない情報を流布していた。

 最後に、私がその3月15日(2011)に書いた原稿を添付する。
「洗脳」という言葉を、心のどこかに置き、この原稿を読んでほしい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●原発事故(日本沈没)(はやし浩司 2011-03-16記)

 恐ろしいことが起きつつある。
政府は、「落ち着いて」とか、「冷静に」とか言っている。
落ち着け?
冷静になれ?
しかし落ち着いているばあいではない。
冷静になれるばあいではない。
アメリカ・ホワイトハウス報道官でさえ、「緊急事態」という言葉を使っている。
「緊急」というのは、「緊急」。
それ以上でも、またそれ以下でもない。

●テレビに釘付け

 テレビに釘付け。
じっと見入る。
襲い来る不安感。
政府の役人や東京電力の職員の一言一句に、何も聞き漏らさないと、神経を集中する。
が、どれもおかしい?
まずあのED官房長官。
役人の書いた作文を読んでいるだけ。
それ以上の知識は、ゼロ。
記者の質問には何一つ、答えられない。
質問されそうになると、「私からは以上です」と言って、逃げてしまう。
答えられないばかりか、今朝は、こんな珍説も。
FD官房長官は、こう言った。
「マスコミの無責任は発言は、国民の不安を増大させるだけ。
謹んでほしい」と。

それに対して、すかさず1人の記者が質問した。
「どこのマスコミか?」と。
が、FD官房長官は、それに対して、タジタジ。
FD官房長官の、その発言こそが、「無責任な発言」ということになる。

 保安院の役人にしても、そうだ。
イチバン最初に登場してきた役人は、「マイクロ・シーベル」の意味すら知らなかった(?)。
記者に質問されると、一瞬、二瞬、戸惑った表情をして見せた後、「あとで報告します」と。
さらにこんなバカげた返答も。

 福島第一原発の北、20キロに、女川原発がある。
そこでは8マイクロ・シーベル・の放射能が検出された(14日)。
それについて、「この放射能は、福島第二原発からのものと思われます。
8マイクロ・シーベルは、まったく心配ない数値です」と。

 バカヤロー!
バカ、バカ、バカ!
大バカ!

 あのね、放射能の濃度というのは、距離の二乗に反比例するの!
仮に20キロとするなら、20000メートル。
20000x20000=400000000=4億!

つまり放射能の発生元の1メートル四方では、その4億倍の放射能が漏れたことになる。
もちろん風向きにもよるが、実際には、それ以上とも考えられる。
たまたま南風に乗って、女川原発に直行したと考える方が、無理。
8マイクロx4億が、どういう数値になるか、自分で計算してみらたよい。

(この計算によれば、発生元では、32億マイクロシーベル、つまり320万ミリ
シーベル。
とんでもない放射能が漏れ出たことになる!)

……と思っていたら、またまた同じ発言。

今度は、福島第二原発から、100キロ離れた、東海村原子炉周辺で、5マイクロ・
シーベルの放射能が検出された。
それについても、同じ意見。

「(福島第二原発から流れてきた放射能と思われるが)、この程度なら、心配ありません」
(NHKテレビのコメンテイター)と。
 今度ほど、私は科学者(?)の脳みそを疑ったことはなかった。

 ド素人の官房長官。
役人根性丸出しの東京電力の社員たち。
深刻さを、あえて覆い隠そうとする科学者たち。
「こんな連中が、日本の安全を担っていたのか」と、私は唖然とした。

 が、不測の事態は、不測の事態を呼ぶ。
人為的ミスが、それに追い討ちをかける。
電源機が燃料切れで、2時間も停止していた。
こうして1号基、3号基、2号基とつづいて爆発。
今は、4号基まで、爆発。

 1号基が爆発したとき、「ほかの原発はだいじょうぶです」と、確か、言っていたぞ!
そのとき2号基、3号基、4号基も併せて、対策を講じていれば、こんな大惨事には
ならなかったはず。
いいか、爆発したこと自体、大惨事!
緊急事態!

 私なら総理大臣なら、半径100キロ以内の人たちに、避難命令を出す。
福島第二原発から東京まで、直線距離にして、170キロ。
東京だって、あぶない。

 が、管総理は、こう言った。
「関係者は、命がけで、懸命な作業をしています」(記憶、3月15日)と。
前回のときは、「東京電力に、任せるしかない」というようなこと言っていた。

 だから、どうなの?
それが、どうしたの?
私には責任逃れの詭弁にしか聞こえなかった。

 こういうときほど、ものごとがすべて裏目、裏目と出る。
まるでドミノ倒しのように、それがつづく。
日本の経済も、大きく揺らいだ。
株価は大暴落。
円は急上昇。
円が急上昇したのは、円キャリーの逆流が始まったため。
このあとやってくるのは、国家破綻(デフォルト)。
ハイパーインフレ。
わかりやすく言えば、札が紙くずと化す。

そこで日銀は、昨日(15日)、15兆円のお金を市中にバラまいた。
日本の心臓に、電気ショックを与えた。
メチャメチャな対策としか言いようがない。
ないが、この際、しかたない。
死ぬか、生きるか?

 私とて、日本人。
福島第一原発が、このまま静かに収まってくれればよい。
心から、そう願う。

 が、このザワザワとした不安感を、払拭することができない。
このままでは、この日本は、本当に沈没してしまう!
2011/03/15

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

 さあ、みなさん、勇気を出してあの江戸時代という封建時代を、今、ここで清算しよう。
心の中に潜む、おかしな上下意識、職業意識、身分意識を清算しよう。
でないと、日本人は、いつまでたっても、同じ失敗を繰り返す。
過去を未来にひきずる。

もちろん歴史は歴史だから、それなりの評価はしなければならない。
その歴史がもつ負の遺産に目を閉じたまま、一方的に、あの時代を美化してはいけない。
(はやし浩司 2011-12-10記)

(はやし浩司 教育 林 浩司 林浩司 Hiroshi Hayashi 幼児教育 教育評論 幼児教育評論 はやし浩司 封建主義の清算 暗黒 恐怖 恐怖政治 はやし浩司 徳川光圀 水戸黄門 安倍川 由比正雪 はやし浩司 徳川時代 徳川幕府 はやし浩司 3・11大震災 女川 女川原子力発電所 女川発電所)


Hiroshi Hayashi+++++++Dec.2011++++++はやし浩司・林浩司

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