2012年7月15日日曜日

Whatever they say we saw an UFO by Hiroshi Hayashi (2)

●BT氏が見たUFO

 私は私が見たUFOについて、何10回もBT氏に話した。
BT氏も、私に何10回も話した。
だからここにBT氏から聞いた話を書くことについて、おかしな抵抗感を覚える。
「うんざり」という言葉があるが、それに近い。

 「また書くのか!」という思い。
しかし書かねばならない。
……ということで、書く。

その夜、BT氏は、弟氏と2人で、夜中の道を歩いていた。
1982年の冬のこと。
時刻は、午前0時19分だったという。
見たのは、自宅と、150メートルほど離れた隣家のちょうど中間あたりだったという。

 先に弟氏が異様な物体を見つけた。
ブヨブヨ、モヤモヤした物体だったという。
それがやがてすぐブーメラン型に変化した。
そのころBT氏も、それを見た。
「私が見たときは、しっかりとした形になっていました」と。

 そしてそのUFOは、まっすぐBT氏に向かって飛んできた。
で、真上まで来たとき、突然、スピードをあげ、右上のほうに消えて行ったという。
BT氏も、同じような印象をもったという。
つまりBT氏たちに見つかったから、「しまった!」と。
そんなような消え方だったという。

 で、その消え方も、ふつうではなかった。
「まるで雲のようにブヨブヨと姿を変え、雲の中に溶け込んでいきました」と。

 が、その夜は、快晴だったという。
弟氏がその夜の天気をよく覚えていた。
雲の中に溶け込んでいったのではなく、それ自体が雲のようになり、消えていったということになる。

 色は、銀色に茶色を混ぜたような色だったという。
窓らしきものは、BT氏たちは見ていない。
またそのあと、弟氏は、どこか気が変になり、そのままインドへ旅立ってしまったという。
いつだったか、「はやしさん(=私)は、だいじょうぶでしたか?」と、BT氏が聞いたことがある。
私は「だいじょうぶでした」と答えた。
(本当のところは、よくわからないが……。)

●ナンセンス

 ……つまり私たちにとって、UFOは、存在するかどうかという議論そのものが、ナンセンス。
UFOは、存在する。
そういう前提というか、立場で、ものを考える。

 これはBT氏もそうだったし、HS氏もそうだった。
(それ)を見るまで、懐疑派どころか、(それ)があるかどうかということすら議論の外だった。
ただ私は、SF小説の世界では、空飛ぶ円盤という言葉を知っていた。
しかしそれはあくまでも小説の中の話。

 が、見た!
とたん、脳みそがひっくり返った。
一転、「UFOは存在する」という立場で、ものを考えるようになった。
「あれは何だったのか?」と。

 そういう私たちを指して、「何かの見まちがいだった」と説明する人がいる。
「あなたは頭がおかしい」と思う人もいるかもしれない。
(反対の立場だったら、私も、そう思うだろう。)
が、私は即座にこう思う。
「そう、思いたければ思えばいい」と。

 宗教のように、信ずる・信じないの問題ではない。
が、それ以上に中身のある問題でもない。
証拠もない。
要するに、「見たものは、見た」。
すべてはそこから始まる。
で、私が知りたいのは、「あれは何だったのか」ということ。
すべては、そこへ行き着く。

●『月の先住者』

 夜になって、ドン・ウィルソン著、『月の先住者』という本を読みなおす。
『月の先住者』(Secrets of our Spaceship Moon)……昭和58年発刊、たま出版となっている。
原題は、『Secrets of the Spaceship Moon』である。
「宇宙船、月の秘密」と訳せる
昭和58年7月発刊、ということだから、今から30年近くも前の本ということになる。
私が36歳のときである。

月にまつわる謎は多い。
その謎について書かれた本だと思えばよい。
この本の中では、各章ごと冒頭で、月にまつわる謎を、箇条書きにしてある。

 全体では19章。
339ページ。
文字が小さいから、かなりボリュームのある本ということになる。
その中のいくつかを紹介する。
たとえば……。

●第7章 月軌道を決定した動力

次の疑問点について考えてみたい。

○NASAは、月がなぜ地球の衛星となったかを、最大の疑問としている。
○あるノーベル科学賞受賞者の告白のように、月の起源や地球の衛星となった理由について、「どう説明してもありえない」と述べているのは、なざだろう。
○NASAの科学者が、「月は存在しないといったほうが説明しやすい」と発言した真意は?
○なぜ今日の科学者は、起源を説明できないからといって、月は存在しない、などと提議するのか。
○科学者の中には月を、「自然のなせる宇宙のいたずら」とし、月が地球の衛星にしては大きすぎると主張しているのは、なぜだろう。
○現在定説となっている、"自然捕獲説"でさえ、一般の科学者は充分に説明できないのだろうか。
○天文力学の権威者でさえ、地球の引力が月を引き寄せたことを「不可能」「とてもありえない」としているのは、なぜか。
○月の軌道が正確であるはずなのに、自然に地球の衛星となったと説明できない理由は?
○天文学者の中には、「ある力が月を地球の軌道に乗せた」という者もいる。「ある力」とはいったい、何なのか。
○なぜ月の公転面は、太陽とまったく同じ公転面に配置され、月食が起きる位置にあるのか。
○月が信じられないほど正確な位置にあるということはわかっているが、"月宇宙船説"以外の方法ではその理由が説明できないのは、なぜだろう。
○天文力学の知識や月計画による実際の研究成果によって、月が地球の軌道に「乗せられ」「操縦されている」と説明されることになるのだろうか。

++++++++以上、「月の先住者」より、転載++++++++++

 わかりやすく説明しよう。

 まず、夜の空に輝く、月を見てほしい。あの月は、地球の周囲を、(1)ほぼ真円に近い軌道上を、回っている。
 つぎにあの月は、(2)地球から見ると、太陽とほぼ同じ大きさに見える。
もちろん太陽のほうがはるかに大きいが、(みかけの大きさ)は、ほぼ同じ。
だから、皆既月食、皆既日食を、数年おきに、世界のどこかで観測することができる。

 さらにあの月の(3)公転面は、太陽の公転面とまったく、同じである。

 ほかにも(4)月の自転周期と公転周期が、1秒の狂いもなく、一致しているということもある。
だから月は、地球に対して、(月の表側)だけを見せ、いわゆる(月の裏側)を、見せることはない。
(私たちは、常に、月の表側のみを見ていることになる。)

 こうした月の存在について、現在の今も、(1)捕獲説と、(2)地球からの分離説、さらには(3)隕石の衝突説などが、意見を戦わせている。
(最近の学説によれば、太古の昔、地球に隕石が衝突し、その衝撃で飛び出した地球の一部が、月になったというのが、定説になりつつある。)

 しかしこの説に従っても、なぜ月の軌道が、真円に近いのか。
月の(みかけの大きさ)が、太陽と同じなのか。
さらに月の公転面が太陽の公転面と一致しているのかということは、説明できない。

 偶然というには、あまりにも偶然すぎるのである。

 もちろん「捕獲説」にしても、大きな矛盾がある。
「太古の昔、月が遠い別の天体からやってきて、地球の重力によって捕獲された」という説である。
しかしならばその軌道面は、楕円形になるはず。
ぜったいに、真円にはならない。

 そこで「乗せられた」という説が出てくる。
 
 太古の昔、月は、だれかによって、その位置に、「乗せられた」と。
つまり月自体が、巨大な宇宙船というわけである。

 そこでこの説を補完するのが、『月内部、空洞説』である。
つづく第8章の冒頭には、つぎのようにある。

++++++++++++++

 ……さらにじれったい疑問を投げかけてみよう。

○月の不思議な密度は、月が空洞であるどのような証拠になるか。
○なぜ英国天文学協会。月面課の主任を努めた、"月の権威"が、「何もかもが、月の20~30マイル下が空洞であると示しているようだ」と結論したのか。
○なぜ有能な第一線の科学者たちが、自然の衛星は空洞であるはずがない、という意見で一致しているのか。
では、月が空洞だというのは、人工的だからだ、とはいえないのか。
○NASAの第一線の科学者によるアポロ計画以前の研究は、なぜ月の動きが空洞の球体みたいだと結論したのか。
○重力場の研究は、月が空洞であるという裏づけにはなりえないのか。
なぜこの結果が驚くべきものなのか。
○宇宙飛行士が持ち帰った、"月の石"は、月が空洞であると、どう説明しているのか。
○人工的に作られた月面地震(月着陸船やロケットなどによる)の時、月はなぜゴングのように4時間も鳴りつづけたのか。
このことが、どうして空洞の球体であることを説明しているか。
○米国の宇宙局が、月内部が巨大な空洞であるかもしれないと、秘密裡に調査を行ったのは、どういう証拠があってのことだろうか。
○月の密度が一番高いのは、月面近くである(月が空洞であるという証拠)という月の研究(質量の中心運動)は認められなかったのか。
このような科学的証拠が、宇宙船説を引き起こさなかったのか。
○数々の証拠がどのように"空洞の月"を証明しているのか?

それでは、ここでショッキングな証拠を提示することにしよう……。

++++++++以上、「月の先住者」より、転載++++++++++

 簡単に言えば、月の内部は空洞であり、おかしなことに、つまり常識に反して、月の外
郭部ほど、密度が高く、重金属でおおわれているという。

 ……こう書くと、「月は巨大な岩石のかたまりではないか。
宇宙船という(船)と考えるには、無理がある」と考える人がいるかもしれない。
仮に巨大な宇宙船であるとしても、それは映画、『スター・ウォーズ』に出てくる、デス・スターのようなものではないか、と。

 しかし残念ながら、宇宙を航行するとき、もっとも安全な乗り物といえば、それなりの大きさの隕石や衛星をくりぬいた船ということになる。
外壁を、厚い岩石で覆われているため、小さな隕石程度の衝突では、びくともしない。
が、何よりもすばらしいことに、危険な放射線類から、乗り組員を守ってくれる。
仮に映画『スター・トレック』に出てくる、エンタープライズ号のような宇宙船だったら、隕石の衝突や放射線類から、乗り組み員を守ることはできない。

 では、動力源は何か。

 これも隕石や衛星をくりぬいた宇宙船であれば、方法は簡単。
緻密に計算をしながら、その上のどこかで、何かを爆発させればよい。
それでその宇宙船は、その反動によって、目的の方向に向かって、まっしぐらに進んでい
く。
もちろん宇宙船を止めるときには、その反対のことをすればよい。

 こうして考えて見ると、月が宇宙船であっても、なんらおかしくはない。
ないばかりか、実に精巧、かつ科学的に作られた乗り物ということになる。

 ちなみに月空洞説を裏付ける、ひとつの事実を紹介しよう。

 「月に人類が到達する以前解明されていたのは、『月の密度は地球の半分くらいだ』ということぐらいだった。
実際、月の密度は、地球の約6割だった。
月の土、1立方センチメートルと、地球の土1立方センチメートルでは、地球の方が、約2倍も重いということだ」(同書、111P)と。

 言い換えると、月の内部の40%は、空洞ということになる。

+++++++++++++++

●超常現象

 改めて『月の先住者』を読んで、私は、ふと、こう思った。
「私はこの30年近く、何をしていたのか」と。

 この地球には、いろいろな問題がある。
教育問題からはじまって、時事、環境、宗教、哲学、医学問題などなど。
しかし私たちが住む、この地球のそばに宇宙人がいて、それが月に住んでいるかもしれないという話については、ほとんど考えてこなかった。

 さらにとても残念なことに、この日本では、UFO問題にしても、幽霊や心霊と同格の、「超常現象」として位置づけられている。
そのためこの日本では、「UFOを見た」というだけで、奇人、変人扱いされる。

 しかしUFOは、「科学」である。
少なくとも科学的に解明されうる世界の乗り物である。
また科学の対象と考えて、なんらおかしくない。
それを一部の良識派(?)と呼ばれる科学者たちは、UFOを否定することによって、自分たちの良識性を誇張する。
 
 が、もしいつか、(やがてその日は来るだろうが)、UFOなるものが、その姿を私たちの前に姿を現したとき、そういった人たちは、どう自分たちの(非良識性)を弁解するのだろうか。

 私とて、「見たものは見た」というだけで、どれだけ、白い目で見られたことか!
これからも、自分が納得するまで、この問題を追求してみたい。

●BT氏

BT氏に、私はあるとき、こう言った。
「私は、あのUFOを見て以来、ずっと、自分の中のもう一人の自分と闘わねばなりませんでした。
『私が見たのは、幻覚だ、夢だ、見まちがいだ』と言う私自身。
しかし一方で、『見たものは見た』とがんばる私自身。
ときに、『見たものは見た』という私自身が負けそうになりましたが、そういうとき、ワイフが、『私も見た』と言のです。
それでまた話が、振り出しにもどってしまう……。
毎回、その繰り返し。
記憶も、時間とともに、どこか薄れてきます。
もし見たのが私ひとりだけだったら、私はもう一人の自分に負けてしまっていたかもしれません。
今ごろは、『やっぱり、あれは幻覚だったのだ』と、自分を納得させてしまっていたでしょう。
私は死ぬまでに、何としても、あの夜に見たものが何であるか、それに決着をつけておきたいのです」と。

BT氏についても、事情は同じ。
BT氏もこう言った。
「私も弟と2人で見ました。
私も、もし私ひとりだけで見ていたら、今ごろは、『やっぱりあれは夢だったのだ』と自分を納得させてしまっていたでしょう」と。

しかしE・ミシェル博士の言葉で、私は、救われた。
肩の荷がはずされたというか、スーッと心が軽くなるのを感じた。
と、同時に、大きな使命感のようなものを覚えた。

私ももう64歳。
世間に遠慮しなければならない年齢ではない。
書きたいことを、書く。
伝えたいことを、伝える。
私のことを、奇人だとか、変人だとか、そういうふうに思いたければ思うがよい。

……しかし、この爆発的なエネルギーはどこから生まれてくるのか。
つい先日まで、私はUFOについてものを書くということ自体に、嫌気すら覚えていた。
その私が、何かに取りつかれたように、今、こうして文章を叩いている。

……で、この話とは別に、私には、こんな奇妙な体験がある。
それについて書く前に、この話に出てくる、DK君について書いておく。

DK君は、現在、オーストラリアのM大学で、教授職級の地位にいる。
そのDK君が、この2月に日本へ、娘さんといっしょに、来た。
そしてあの日のことについて、話し合った。
DK君も、あの日のことをよく覚えていた。
そしてその話になると、「ヒロシは、その話をよくするが、たしかに、あの日のことは、
理解できない」と言った。

●不可解な体験

当時の私たちは、UFOについて、ほとんど興味はなかった。
知識もなかった。
(アダムスキー型のUFOについては、俗説程度には、知っていたが……。)
いわんや、それがUFO現象と関係あるなどとは、思ってもみなかった。
「アダプション(誘拐)」という言葉にしても、それを耳にしたのは、それから10年以上もたってからのことである。

●不可解な体験

が、私には、こんな不可解な体験がある。

結婚したとき、ワイフにだけは打ち明けたが、こうしてものに書くのははじめて。
だからといって、前もって断っておくが、これはウソではない。
ここにはウソは書かない。
こういう話は、書けば書いたで、私の評論家としての資質が疑われる。
「頭がおかしい」と思う人だっているかもしれない。
事実、「林君も自分の仕事を考えたら、そういうことは人には言わないほうがよいよ」とアドバイスしてくれた人もいる。
それはわかっているが、しかしあえて書く。

●オーストラリアで

 オーストラリアに留学していたときのこと。
あと一か月ほどで、日本へ帰るというときのことだった。
オーストラリアの暑い夏も、終わりに近づいていた。
私は友人のDK君にビーチハウス(海の別荘)で、最後の休暇を過ごしていた。
ビーチハウスは、ローンという港町の手前、一〇キロくらいのところにあった。
避暑地として有名なところで、そのあたりには、「グレートオーシャンロード」という名前の街道沿いに、無数の別荘が点在していた。

 ある日のこと。
DK君の母親が、サンドイッチを作ってくれた。
私とDK君は、そのサンドイッチをもって、ピクニックにでかけた。
「ビクトリア州の最南端にある、オッツウェイ岬(Cape Otway)に行こう」ということになった。
時刻は忘れたが、朝、ほどよい時刻に出かけたと思う。
あともう少しで、オッツウェイ岬というところで、ちょうど昼食時になったのを覚えている。
小高い山の中に入って、私たちは車の上に座って、そのサンドウィッチを食べた。

 そこからオッツウェイ岬までは、車で半時間もかからなかったと思う。
彼らがいうブッシュ(やぶ=雑木林)を抜けてしばらく走ったら、オッツウェイ岬だった。

 私たちは岬へつくと、百メートルくらい先に灯台が見える位置に車を止めた。
そして車の外へ出ると、岬の先のほうへと向かって歩き出した。
そのときのこと。
どちらが言ったわけではないが、「記念に大地に接吻をしよう」ということになった。
背丈の短い雑草が、点々と生えているような殺風景な岬だった。
ほかに見えるものといえば、灯台だけだった。
たしか、「オッツウェイ岬」「オーストラリア、最南端」というような表示だけは、どこかにあったように思う。
私たちは地面に正座してひざまずくと、そのまま体を前に倒した。
そして地面に顔をあてたのだが、そこで記憶がとだえた。

 気がつくと、ちょうど私が顔を地面から離すところだった。
横を見ると、DK君も地面から顔を離すところだった。
私とDK君は、そのまま車に戻り、帰り道を急いだ。
ほとんど会話はなかったと思う。

 そのオッツウェイ岬からは、舗装された道がつづいていた。
そしてほどなく、アポロベイという港町に着いた。
港町といっても、波止場が並ぶ、小さな避暑地である。
私たちはそのひとつのレストランに入って、ピザを食べた。
日はとっくに暮れていた。
まっ暗といったほうが正確かもしれない。

 この話はここで終わるが、それからほぼ一週間後のこと。
そのとき私とDK君は、DK君の両親の住むジーロンの町の家にきていた。
そこで、ベッドに入って寝る前に、私はDK君に、こう切り出した。胸の中でモヤモヤしているものを、吐き出したかった。

 「DK、どうしてもわからないことがある……」
 「何だ、ヒロシ?」
 「いいか、DK、あの日ぼくたちは昼食を食べたあと、オッツウェイ岬に向かったね」
 「そうだ」
 「サンドイッチを食べたあと、すぐオッツウェイ岬に向かった。時間にすれば、30分もかからなかったと思う」
 「そんなものだな、ヒロシ」
 「でね、DK、そのオッツウェイ岬で、同時に二人とも眠ってしまった。そんな感じだった。あるいは眠ったのではないかもしれない。同時に地面に顔をつけ、同時に地面から顔を離した。覚えているだろ?」
 「覚えている……」
 「それでだ。ぼくたちは、オッツウェイ岬から帰ってきた。そしてあのアポロベイの町で、夕食を食べた。ぼくはそれがおかしいと思う」
 「……?」
 「だってそうだろ。オッツウェイ岬から、アポロベイまで、どんなにゆっくりと走っても、一時間はかからない。が、アポロベイへ着いたときには、あたりはまっ暗だった。時刻にすれば、夜の7時にはなっていた。ぼくたちは、同時にあの岬で眠ってしまったのだろうか」と。

 昼過ぎにオッツウェイ岬に着いたとしても、午後1時か2時だったと思う。
それ以上、遅い時刻ではなかった。
が、そこからアポロベイまで、一時間はかからない。
距離にしても、30キロくらいしかない。
が、アポロベイに着いたときには、もうとっぷりと日が暮れていた! 
どう考えても、その間の数時間、時間がとんでいる!

 私はその話をDK君にしながら、背筋がどこかぞっとするのを感じた。
DK君も同じように感じたらしい。
さかんに、ベッドの上で、首をかしげていた。

 そのオッツウェイ岬が、UFOの有名な出没地であることは、それから数年たって、聞いた。
DK君が、そのあたりで行方不明になったセスナ機の事件や、UFOが撮影された写真などを、そのつど届けてくれた。
一枚は、あるカメラマンが海に向けてとったもので、そこには、ハバが数100メートルもあるような巨大なUFOが写っていた。
ただしそのカメラマンのコメントによると、写真をとったときには、それに気づかなかったという。

 さらにそれから5、6年近くたって、私たちと同じような経験をした人の話が、マスコミで伝えられるようになった。
いわゆる、「誘拐」(アブダクション)というのである。
私はあの日のあの経験がそれだとは思いたくないが、どうしてもあの日のできごとを、合理的に説明することができない。

簡単に言えば、私とDK君は、地面に顔をつけた瞬間、不覚にも眠ってしまったということになる。
そして同時に、何らかのきっかけで起きたということになる。
しかも数時間も! 
夏の暑い日である。

しかし現実にそんなことがあるだろうか。
私はその前にも、そのあとにも、一度だって、何の記憶もないまま、瞬間に眠ってしまったことなど、ない。
電車やバスの中でもない。寝つきは悪いほうではないが、しかし瞬間に眠ってしまったようなことは、一度もない。

 私とDK君は、UFOに誘拐されたのか?

 今になってもときどきDK君と、こんな話をする。
「ぼくたちは、宇宙人に体を検査されたのかもね」と。
考えるだけで、ぞっとするような話だが……。

●再びUFO

 ワイフとUFOを見たときの話は、前にも書いた。
繰り返すが、私たちがあの夜見たものは、絶対に飛行機とか、そういうものではない。
それに「この世のもの」でもない。
飛び去るとき、あたかも透明になるかのように、つまりそのまま夜空に溶け込むかのようにして消えていった。
飛行機のように、遠ざかりながら消えたのではない。

 私はワイフとその夜、散歩をしていた。
そのことは前に書いたとおりである。
その原稿につけ加えるなら、現れるときも、考えてみれば不可解な現れ方だった。
これについても、前に書いたとおりである。
この点については、ワイフも同意見である。
つまり最初、私もワイフも、丸い窓らしきものが並んで飛んでいるのに気づいた。
そのときは、黒い輪郭(りんかく)には気づかなかった。
が、しばらくすると、その窓を取り囲むように、ブーメラン型の黒いシルエットが浮かびあがってきた。
そのときは、夜空に目が慣れてきたために、そう見えたのだと思ったが、今から思うと、空から浮かびあがってきたのかもしれない。

●造反したのは、E・ミシェル博士だけではなかった!

月表面のみならず、この地球上でも、またその間の宇宙空間においてでさえも、今までにぼうだいな数の、UFO目撃例がある。
しかしどういうわけか、NASAは、それらすべてを否定している。

UFOに関する情報は、NASAの中でも、極秘中の極秘、最高度のトップ・シークレット扱いということは、容易に推察できる。
が、今回、E・ミシェル博士は、あえて、その暴露戦術に、うって出た。
が、ほかにも、いた。

「月面に9番目に人類として足跡を残した、宇宙飛行士のジョン・アームストロングは、
月でのUFOの存在について、こう語った。
『もし君が(UFOが)存在しないと思うなら、勝ち目のない勝負をしているようなものだ』と。

また同じく宇宙飛行士のユージン・サーナンは、『UFOは、どこか他の文明から来たと信じている』といっている」(以上、「月の先住者」)と。

E・ミシェル博士自身の言葉も、収録してある。

「月での6番目の人類となった宇宙飛行士、エドワード・ミッチェル(本書では、「ミチェル」となっている)は、UFOについて、こう述べている。
『UFOに関して、あとわからないのは、どこからやってきたのか、ということだけだ』」と。

 私は、月での不可思議現象を、ひとつずつ、検証してみたい。
が、その中でも、とくに私の注意をひいてやまないのが、『オニール橋』である。
私は子どものころ、(小学3年生前後ではあなかったかと思うが、記憶は定かではない)、何かの博覧会で、そのオニール橋について知った。

 そこには大きなパネルで、月のクレーターからクレーターにまたがってかかる、巨大な岩石のアーチが描かれていた。
見た感じは、大きな洞窟のような感じだった。
子どもが泥で作る、橋のようなものを想像すればよい。
が、そのオニール橋はその後、その場所から、こつ然と姿を消す。
一説によれば、巨大なUFOが、2つのクレーターの山の上にまたがって、着陸していたということだが、真偽のほどはわからない。

「月の先住者」のなかにも、そのオニール橋に触れた箇所がある。
それをそのまま紹介する。

「……そのころのもっとも驚くべき記事は、ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン紙の科学部門編集者であった、ジョン・オニール氏が、1954年に危難の海に、巨大な橋のような建築物が見えると発表したときだった。

 おもしろいことには、他の著名な天文学者にも各自の望遠鏡で、その橋らしきものが確認されたことだった。
ある者は、その橋は全長12マイル(約20キロ)にも達するといった。

 はたしてその(橋)が建築物であったのか、それとも単に自然のなせる技だったのだろ
うか。
英国の有名な天文学者である、H・P・ウィルキンス博士(英国天文学協会、月面課主任)は、BBCのラジオ番組の中で、『(橋)らしきものは、建造物のようだ』(『UFOの陰謀』、ドナルド・キーホー、1975)と発言した。

 さらにその番組で、『建造物とは具体的にどういうことなのですか』と質問され、『つまり、それは技術的に作られたものだということです』と答えている。

 そしてその(橋)は地面に影を落としていて、外観もふつうの(橋)のようだと付け加えた。
またこの月の権威者は、『橋の下に太陽光が差し込んでいるのさえ、よく見える』と述べ、人々をびっくりさせた。

 このラジオ番組の中で、ウィルキンス博士は、この(橋)が、『自然にできたものである』とは一度も言わないばかりか、『人工のものらしい』と、何度も述べたのだった。

 危機の海自体、かつて何度もよく観察され、研究されつくした場所だけに、以前この(橋)が存在しなかったことは事実である。
そればかりか、この(橋)は近年になって、他の惑星の人類(?)によって建設された可能性が大となった。

 他にも、たくさん、知的生物によって、四角形、あるいは三角形の壁状のものや、ドームのようなものでさえ造られつづけ、どこからともなく現れては消えた……」(同書、P17~18)と。

 現在の今、そのオニール橋なるものは、存在しない。
また1954年に発見されたというのだから、私が、満7歳のときのことである。
私がどこかの博覧会で、その橋の想像図を見たのは、その直後のことということになる。

●月は、巨大なUFO?

 「月の先住者」(ドン・ウィルソン著・たま出版)には、明らかなまちがいも多い。
しかしおもしろい。
懸命に事実に近づこうという姿勢が、30年を経て、私の心に強く響く。

要するに、月には、謎が多いということ。
そしてその謎を集約していくと、月は、巨大なUFOということになる、ということ。

 繰り返す。

 私が子どものころには、月の危難の海というところに、オニール橋というのがあった。
オニール(ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン紙の科学部長であったJ・J・オニー
ル)という科学者が発見したから、「オニール橋」というようになった(1953年7月)。
どこかの科学博覧会に行ったら、その想像図まで展示してあった。
一つの峰からつぎの峰にまたがるような、端から橋まで、20キロもあるような橋だったという。

 が、そんな橋が、月の上にあること自体、おかしなことだった。
しかもそんな橋が、それまで発見されなかったことも、おかしなことだった。
それまでに、無数の天文学者が、望遠鏡で月をのぞいていたはずである。

 しかし、最大の謎は、その後まもなく、そのオニール橋が、その場所から消えたということ。
なぜか。
その本によれば、あくまでも、その本によればの話だが、それは巨大なUFOだったという。

 そこでインターネットを使って、オニール橋を調べてみた。
ヤフーの検索エンジンを使って、「月 オニール」で検索してみると、いくつか出てきた。
結局、オニール橋は、一部の研究者の「見まちがい」ということで、公式には処理されているようだ。(残念!)

 私自身は、信じているとかいないとかいうレベルを超えて、UFOの存在は、確信している。
ワイフと私は、巨大なUFOを目撃している。
私たちが見たのは、幅が数キロもあるような巨大なものだった。
だからオニール橋が、巨大なUFOだったとしても、驚かない。

●ロマン

 しかしこういうのを、私たちの世界では、「ロマン」という。
つまり、「夢物語」。
だからといって、どうということもないし、また何ができるということでもない。
またそれを基盤に、何かをすることもない。
ただの夢物語。
しかし心地よい夢を誘うには、この種の話が、一番。おもしろい。
楽しい。
それはちょうど、子どもたちが、かぐや姫の話を聞いて、夜の空に、ファンタジックな夢をはせるのと同じようなものではないか。

 興味のある人は、その本を読んでみるとよい。
しかしあまりハマらないように! UFOの情報は、インターネットで簡単に手に入るが、そのほとんどのサイトは、どこかの狂信的なグループ(カルト)が、運営している。
じゅうぶん注意されたい。

●UFO

また少し前には、この日本の国会議員たちが、「UFO」という言葉を、よく口にした。
国会という、公式の場でも、この問題が取りあげられたこともある(07年12月)。

一応、政府見解は、「存在しない」。
が、一部の議員たちは、「信じている」、「いると思う」などと発言している。

こうした一連の発言は、日本が打ちあげた月探査衛星「かぐや」と、どこかでつながっているのではないだろうか?
つまり「かぐや」は、とんでもない映像を地球へ送り届けてきた(?)。

「とんでもない」というのは、「ありえない」という意味であり、私はそれがUFOであっても、少しも、おかしいとは思わない。

アポロ宇宙船で、月の裏側に回ったある宇宙飛行士は、こう言ったという。

「まるでラッシュ・アワーのように、UFOが飛び交っている!」と。
ラッシュアワー!

●私の空想

 月の内部には、巨大な空間がある。
その中心部では、プラズマの人工太陽が、さんさんと輝いている。
月の内側に住む住人たちは、地球人の私たちと同じような生活をしている。

 一見、荒唐無稽(むけい)のような話だが、こうした説を信じている人は多い。
科学者の中にも、いる。
先に書いた、オニール橋の話にしてもそうだ。
「あった」ということよりも、「消えた」。
そういう話を聞くと、月へのロマンが、かぎりなく、ふくらむ。

 月の住人たちは、どこから来たのか?
 月の住人たちは、何をしているのか?
 月の住人たちは、地球人の私たちを、どうしようとしているのか?

 あの月をくりぬいて住むほどの宇宙人だから、かなり頭のよい人たちとみてよい。
私たち人間より、ひょっとしたら、何千年も、何万年も進化しているかもしれない。
あのUFOにしても、光速に近いスピードで、宇宙空間を自由自在に動き回っているという。
私が見たUFOにしても、空にそのまま溶け込むかのようにして、消えていった……。

 「かぐや」は、どんな映像を送ってきたのか? 
その一部は、インターネット上でも公開されているが、どれも高・高度からのものでしかない。
私(=私たち)が見たいのは、もっと低高度で撮った、倍率の高い写真である。
 
 そこには、月に住む住人たちの、その直接的な証拠が写っているかもしれない。

●月の不思議

 私自身もこんな発見をしている。
月の南極の写真を見ていたときのこと。
ちょうど南極付近に、きれいな円形の二つのクレーターがある。
「きれいな」と書いたが、実際には、真円である。
まるでコンパスで描いたような真円である。

 そこで二つのクレーターの直径を調べてみた。
パソコンの画面上での測定なので、その点は不正確かもしれないが、それでも、一方は、3・2センチ。
もう一方も、3・2センチ! 
実際の直径は、数一〇キロはあるのもかもしれない。
しかしその大きさが、ピタリと一致した!

 しかしこんなことが、実際、ありえるのだろうか。

 もともとこのあたりには、人工的な構造物がたくさん見られ、UFO研究家の間でも、よく話題になるところである。
実際、その二つのクレーターの周囲には、これまた謎に満ちた影がたくさん写っている。

 そこでさらに調べてみると……というのも、おかしな言い方だが、ともかくも、あちこちのサイトを開いてみると、こうした構造物があるのは、月だけではないことがわかった。
火星はもちろん、水星や、金星にもある。エウロパやエロスにもある。
つまりいたるところにある。

 こうした写真は、アメリカのNASAから漏れ出たものである。
一説によると、月だけでも、NASAは、数10万枚の写真をもっているという。
公開されているのは、そのうちの数パーセントにすぎないという。
しかも、何かつごうの悪い写真は、修整されたりしているという。
しかし、クレーターまでは、消せない。
それが、ここに書いた、二つのクレーターである。

(写真に興味のある人は、私のホームページから、(右下・ビデオであいさつ)→(動画コーナー)へと進んでみてほしい。一覧表の中から、月のクレーターを選んでクリックすれば、その写真を見ていただける。)

●下からの視点、上からの視点

 地球上にいて、それこそ地上のカビのような存在でしかない私。
その私がはいつくばって東洋医学の勉強をした。その私が、天を見あげながら、「ひょっとしたら……」と考える。

 一方、宇宙には、すでに無数のエイリアンたちがいて、惑星間を回りながら、好き勝手なことをしている。
中には、月そのものが、巨大なUFOだと主張する科学者さえいる。

 もちろん私は、宇宙から地球を見ることはできない。
しかし頭の中で想像することはできる。
そしてこれはあくまで、その想像によるものだが、もし私がエイリアンなら、人間の改造など、何でもない。
それこそ、朝飯前? 
小学生が電池をつないで、モーターを回すくらい簡単なことだ。

 この二つの視点……つまり下から天をみあげる視点と、天から人間を見る視点の二つが、合体したとき、何となく、この問題の謎が解けるような気がする。
「この問題」というのは、まさに「人間に、約5500年前に起きた変化」ということになる。

 その5500年前を境に、先に書いたように、人間は、飛躍的に進化する。
新石器時代から、有史時代へ。
しかもその変化は、メチャメチャ。
その一つが、少し前に書いた、『黄帝内経』である。
黄帝というのは、司馬遷の「史記」の冒頭を飾る、中国の聖王だが、だからといって、黄帝内経が、黄帝の時代に書かれたものと言っているのではない。

 中国では古来より、過去の偉人になぞらえて、自説を権威づけするという手法が、一般的になされてきた。
黄帝内経も、そうして経緯で生まれたと考えるのは、自然なことでもある。
しかし同時期、メソポタミアで起きたことが、そののち、アッシリア物語として記録され、さらにそれが母体となって旧約聖書が生まれている。
黄帝内経が、黄帝とまったく関係がないとは、私には、どうしても思われない。

●秋の夜のロマン

 あるとき、何らかの理由で、人間が、エイリアンたちによって、改造された。
今でいう、遺伝子工学を使った方法だったかもしれない。

 そして人間は、原始人から、今でいう人間に改造された。
理由はわからない。
あるいはエイリアンの気まぐれだったかもしれない。
とりあえずエイリアンたちが選んだ原始人は黄河流域に住んでいた原始人と、チグリス川、ユーフラテス川流域に住んでいた原始人である。

 改造された原始人は、もうつぎの世代には、今でいう現代人とほとんど違わない知的能力をもつようになった。
そこでエイリアンたちは、人間を教育することにした。言葉を教え、文字を教えた。
証拠がないわけではない。

 中国に残る甲骨文字と、メソポタミアに残る楔形(くさびがた)文字は、たいへんよく似ている。
形だけではない。

 中国では、「帝」を、「*」(この形に似た甲骨文字)と書き、今でも「di」と発音する。
「天から来た、神」という意味である。
一方、メソポタミアでは、「神」を、同じく、「*」(この形に似た楔形文字)と書き、「dingir(ディンギル)」と発音した。
星という意味と、神という意味である。
メソポタミアでは、神(エホバ)は、星から来たと信じられていた。
(詳しくは、私が書いた本「目で見る漢方診断」(飛鳥新社)を読んでいただきたい。)

 つまり黄河文明でも、メソポタミア文明でも、神は「*」。
発音も、同じだったということ。
が、これだけではない。言葉の使い方まで、同じだった。

 古代中国では、「帝堯(ぎょう)」「帝舜(しゅん)」というように、「位」を、先につけて呼ぶならわしがあった。
(今では、反対に「~~帝」とあとにつける。)メソポタミアでも、「dingir ~~」というように、先につけて呼んでいた。
(英語国などでも、位名を先に言う。)

 こうして今に見る人間が生まれたわけだが、それがはたして人間にとって幸福なことだったのかどうかということになると、私にも、よくわからない。

 知的な意味では、たしかに人間は飛躍的に進化した。
しかしここでも、「だからどうなの?」という部分がない。
ないまま進化してしまった。
それはたとえて言うなら、まさにそこらのサルに知恵だけ与えたようなものである。

 わかりやすく言えば、原始的で未発達な脳の部分と、高度に知的な脳の部分が、同居することになってしまった。
人間は、そのとたん、きわめてアンバランスな生物になってしまった。
人間がもつ、諸悪の根源は、すべてここにある?

 ……これが私の考える、大ロマンである。
もちろん、ロマン。
SF(科学空想)。
しかしそんなことを考えながら天の星々を見ていると、不思議な気分に襲われる。
どんどんと自分が小さくなっていく一方で、それとは反比例して、どんどんと自分が大きくなっていく。
「人間は宇宙のカビ」と思う一方で、「人間は宇宙の創造主」と思う。
相矛盾した自分が、かぎりなく自分の中で、ウズを巻く。

●心配

が、心配なことも、ないわけではない。
UFOが公然と語られるようになり、それを操縦する宇宙人の存在が明らかになるということは、それだけ人類滅亡の危機が迫っていることを示す。

いつだったかこれについて詳しく書いたことがあるが、人類に希望があるかぎり、宇宙人は、人類の前に姿を現すことはない。
しかしその希望がなくなったとき、宇宙人は、自らの姿を、私たち地球人の前に現すであろう。
そのことは、宇宙人という外惑星人に視点を置いてみるとわかる。
近い将来、絶滅するとわかっている地球人に対して、どうして自分たちの存在を隠さなければならないのか。

言うまでもなく、地球温暖化(Global Warming)の問題は、それほどまでに深刻になりつつあるということ。
2100年までに、地球の平均気温は、4~6度も上昇するというが、しかし気温上昇が、2100年で止まるわけではない。

仮にここで今、化石燃料の使用を停止したところで、その後も、不測の事態がさらなる不の事態を招き、地球の平均気温は、さらに上昇する。
2200年までに、さらに4~6度(この数字とて、控えめなものだが……)上昇すると考えるのは、甘い。
一説によると、その後、地球の平均気温は、二次曲線的に上昇し、最終的には、400度
Cにまで上昇するという。

私が「地球火星化」という言葉を使うのは、そのためである。
そう、まさに地球は、火星化する。
が、本当にこわいのは、火星化ではない。
そこに至る過程。
人間は、生き残るために、壮絶なバトルを繰り返すはず。
暴動、略奪、戦争……と。
静かに絶滅するということは、ありえない。
そのバトルが、こわい。
そこはまさに、地獄絵図にさらに無数の地獄絵図を重ねたような世界になるはず。
それがこわい。

エドガー・ミシェル博士の告白を、「希望」ととるか、それとも「絶望」ととるか。
とても残念なことだが、私は、「絶望」ととる。

●宇宙人

宇宙人の存在が、ここまで確定的に断言されると、つぎに私たちは、こう考える。
「では、現在、エイリアンたちは、どこに住んでいるか」「またどんな生き物なのか」と。

これについては、すでに多くの研究家たちが、つぎのような推論をくだしている。

(1)彼らは、月などの衛星内部をくりぬいて、その中に居住している。

ほかにも、火星や木星の衛星が考えられている。
火星や木星の衛星かもしれない。
地球へ自由にやってくることからもわかるように、彼らは、すでに地球上の細菌やウィルスに対して、免疫性をもっているか、あるいは人間の兄弟的存在であると考えてよい。

地球上で二足歩行できるということであれば、彼らが住む居住空間の重力は、この地球とほとんど変わらないということになる。
少なくとも、無重力状態ではないらしい。

(2)地球よりは弱い重力の世界で、そこは薄暗い空間である。

巨大な目と瞳をもっているということから、(あくまでも人間と比較しての話だが……)、かなり暗い空間に住んでいるものと想像される。
恐らく地球の夜程度の光があれば、あたかも私たちが日中に、景色を見るように、夜の景色を見ることができるはず。
反対に、日中は、光がまぶしくて、何も見えないかもしれない。
そのため眼球に直接張りつける、黒いサン・スクリーンのようなものを、装着している。

また頭が巨大であることから、人間のように、母体の産道を通り抜けて生まれるタイプの生物ではないらしい。
恐らく体外受精による、人工胎盤によって育成されるタイプの生物と考えてよい。

(3)性格はきわめて温厚で、平和的である。

エドガー・ミシェル博士も述べているように、「もし彼らが人類に対して敵対的であるなら、人類は、とっくの昔に絶滅していただろう」ということになる。
またそうであるからこそ、彼らもまた、ここまで進化するまで、存在することができた。
仮に人間のように、好戦的で、挑発的であったとしたら、宇宙人といえども、その進化の過程で、戦争を繰りかえし、絶滅していたはずである。

が、これから先のことはわからない。
「このまま地球人を生かしておいたら、人類どころか、地球そのものが、火星化してしまう」とわかれば、宇宙人のほうも、遠慮していないだろう。
私の印象では、この太陽系の中で、彼らの食糧を生産できるのは、この地球だけということになる。
地球が火星化すれば、彼らとて、絶滅の危機に直面することになる。

彼らが公然とその姿を、地球人の前にさらけ出したとき、すなわちそのときこそが、地球人の最期ということになる。

●人間と宇宙人

 さらに問題がつづく。

私はかねてから、こう書いてきた。
「宇宙人がおおっぴらに、人間の前に姿を現すのは、人類最期のときである」と。
宇宙人にしても、自ら身を隠す必要がある間は、身を隠す。
少なくとも、存在を明らかにする必要がないときは、身を隠す。
あえて地球人である人間を、混乱させる必要はない。

それは自然動物園を守る、管理者の心理に共通する。
動物園内の動物は、できるだけそっとしておいてやるのがよい。
自然動物保護の世界には、『暖かい無視』という言葉さえある。
あれこれ人間が手出しするのは、最低限がよいという意味である。

しかしもし動物園の中が混乱し始めたとしたらどうだろうか。
動物たちがともに殺しあったり、施設を勝手に破壊し始めたとしたら……。
当然のことながら、自然動物園の管理者たちは、園の中に割って入り、動物たちを隔離したり、保護したりするだろう。

それだけではない。

宇宙人にしても、この地球が、太陽系の中でも、食糧が確保できるゆいいつの惑星と考えてよい。
一説によれば、宇宙人たちは、海草を中心とする、ヨード系の食物を口にしていると言われている。
地球の温暖化が進んで、そうした食物の確保がむずかしくなるということになれば、彼らにとっても、重大問題ということになる。
だまって見過ごすわけにはいかない。

●どこに住んでいるか?

 月は空洞だった。
ロシアの2人の科学者が言い出したことだが、この月空洞説に、UFO基地説に重ね合わせてみると、今まで合点のいかなかったことが、頭の中ですっきりする。
ジグソーパズルをしていて、コマがぴったり重なったときのような気分である。

一方、宇宙人にしても、月の内部ほど、快適な居住空間はない。

重力は、地球の6分の1、あるいは場所によっては、それ以下。
(だから穴を掘るのも、楽?)
太陽からの有害な放射線は、月の厚い岩石が防いでくれる。
一見荒唐無稽な話に聞こえるかもしれないが、考えれば考えるほど、つじつまが合ってくる。

事実、アポロ飛行士の中には、月のクレーターの間から出入りするUFOを目撃した人もいるという。
さらに太古の昔、チベットには、天に使者に連れられて、月の内部の世界を見たという伝説まで残っている。
私たちが今に見る、絵曼荼羅は、その月の内部の世界を表現したものだと説く研究家もいる。

今の段階では、すべて風説ということになっているがUFOの存在が確認され、宇宙人の存在が確認されれば、そのひとつひとつが、人類の歴史をひっくり返すような(事実)となって、表に出てくる。
アメリカのNASAが心配するまでもなく、人間に与える衝撃には、はかりしれないものがある。

●人類は、宇宙人の子孫なのか?

 前にも取り上げたが、あの黄帝内経には、「地球の大気」についても書いている部分もある。
「地球は球である」「地球は虚空の宇宙を回転しながら浮かんでいる」という記述にも出会った。
(詳しくは、私のHP上で紹介。「目で見る漢方診断」を参照。)

宇宙人がそこにいたとするなら、当然のことながら、私たちは常に、宇宙人の監視と
指導を受けてきたと考えるのが、自然である。
(そうでないと考えるのは、その数百倍も、不自然である。)

「指導」といっても、直接的な会話によるものもあっただろうが、もう少し高度な立場では、たとえば遺伝子操作による人間の改造も、考えられる。
直接人間の脳みその中に、情報チップを埋め込むという方法も、あるだろう。
「将来的にはそういう方法も可能になる」と、あのホーキング博士も書いている。

●超高度な文明?

宇宙人がもっている技術力は、人間のそれをはるかに超えたものと考えるのが自然である。
すでに数十世紀にわたって、このあたりの宇宙を自由に航行していたであろうということ。
それだけでも、彼らのものすごさがわかる。
私とワイフが目撃した巨大なUFOしても、頭上にきたあとは、猛スピードで、東の空に消えていった。
まるで空に溶け込むかのように、だ。

人間が乗っている飛行機とは、比べものにならない。

一方、今、私たちが最先端の技術として手にしている、コンピュータ技術、遺伝子工学、宇宙工学などにしても、この半世紀の歴史しかない。
おそらく宇宙人の目に映る人間は、チンパンジーか何かのようではないか。
宇宙人がその気にさえなったら、人類など、部屋の中のハエを殺虫剤で殺すほど簡単に、殺してしまうかもしれない。

●なぜ、今なのか?

しかしなぜ、今なのか?
5500年前から人類にかかわってきたとしても、彼らはけっして、その姿をおおっぴらに、私たちの前に現すことはなかった。
が、なぜ、今なのか?

E・ミッシェル博士は「さらに重大な開示が予定されている」と述べている。
言葉通りに解釈すれば、もっとはっきりとした証拠なり事実が示されるということになる。
だとすると、さらに「なぜ、今なのか?」という疑問が膨らんでくる。

が、今さら、言うまでもない。
この問題は、地球温暖化と、深くかかわりあっている。
現在考えられている対策がすべて実行されたとしても、2100年までには、日本の気温についてだけをみても、4~5度も上昇するという。

中には、「たった4~5度?」と思う人もいるかもしれないが、4~5度もあがれば、真冬でも、現在の夏のような気候になる。
地球温暖化の影響は、赤道付近よりも、南北の極地方、また季節で言えば、寒い冬のほうに、より大きく現れる。

が、そこで地球温暖化が止まるわけではない。
2100年以後も、また2200年以後も、つづく。
2300年以後もつづく。

そのとき、地球は、どうなっているか?

地球温暖化の問題よりも、私は人類の精神の荒廃のほうを危惧する。
自暴自棄になった人々が、それこそどんなことをしでかすようになるか、
私はそれを心配する。
それこそ先に書いた地獄絵図そのままの世界が、そのまま具現化される。

●宇宙人の視点で……

そんなとき、もしあなたが宇宙人なら、どうするだろうか?
それをだまって見ているだろうか。
それとも、人間の世界に、積極的に介入していくだろうか。

人間の私が、自分たちの心理状態を基本に、彼らの心を推し量るのは正しくない。
彼らは、私たち人間とはまったくちがった、思考回路をもっている。
感情の中身もちがうだろう。
精神構造もちがうだろう。
ひょっとしたら、人間がもっているような、喜怒哀楽の感情はないかもしれない。
あるいは反対に、たいへん愛情深く、慈愛に満ちた生物かもしれない。

ひょっとしたら、旧約聖書の中に出てくる、「ソドムとゴモラ」のように、
一気に、人間を焼き払ってしまうかもしれない。

が、反対に、ひょっとしたら人間の愚かさを指摘し、人間を指導し、さらには地球温暖化防止のための知識を分け与えてくれるかもしれない。
が、そこまで期待できるかどうかというと、それはむずかしい。
反対の立場で、「私たち人間は、生き延びる価値があるかどうか」ということを考えみれば、それがわかる。

あるいは、あなたならどうだろうか。
だれかに、「あなたは生き延びる価値があるかどうか」と聞かれたら、あなたは何と答えるだろうか。

●宇宙人の限界

が、宇宙人が、全知全能かというと、私は、そうは思わない。
絶対的な(数)、つまり人口そのものが少ないということも考えられる。
あるいは、宇宙人と呼ばれる(人)は、実は(人)ではない可能性もある。

もっとメカニックな、つまり人間が手にした人工知能のかたまりのようであるかもしれない。

……と書くと、「あのグレイは何か?」と思う人もいるかもしれない。
あのグレイ(本物かどうかは別として)、どこか人間的な体をしている。
しかしあのグレイをもって、宇宙人とするには、少し、無理がある。
私は、親分格の宇宙人は、もっと別の場所にいるのではないかと思っている。
別の場所にいて、グレイのような手下を、ロボットのようにして使っている?

つまりこのあたりに、宇宙人のもつ力の限界がある。
「なぜ人間の前に姿を現さないのか?」という問題にしても、単純に考えれば、「それができないから」ということになる。
その(できない)部分が、そのまま彼らの(限界)ということになる。

●事実の一端

E・ミシェル博士のような人の発言を聞いて、私は、ほっとしている。
「いつか、そういう人が現れて、真実を語ってくれるだろう」とは思っていた。
しかしその一方で、「私が生きている間に、それをしてくれるだろうか」という不安もあった。

「間に合った」という言い方は、どこかおかしいかもしれないが、間に合った。
あの夜以来、ずっと私とワイフは考えてきた。
ときどき「夢だった」と、自分にそう思い込ませようとしたこともある。
しかし私たちの結論は、いつも同じだった。
「見たものは、見た」。

そこで私はいつしか、「自分が死ぬまでに、あの夜見たUFOの正体を知りたい」と思うようになった。
E・ミシェル博士の発言は、その一端を、私につかませてくれたことになる。
「私は、やはり、見たのだ」と。

●心の準備

この先、E・ミシェル博士が語っているように、「さらに重大な(serious)な発表」がつづくかどうか、今の私にはわからない。
しかしそれよりも重要なことは、そういう発表があるという前提で、私たち自身が、それに備えて、心の準備をしておくということ。

これは映画の中の話ではない。
現実の話である。

もし宇宙人の存在が確実になったとしたら、宗教はもちろん、歴史すらも、その根底からひっくり返ることになる。
そうした混乱に、人間は、どう対処したらよいのか。
また対処できるだけの度量はあるのか。
これはあくまでも仮定の話だが、仮に、(あくまでも仮に)、あのイエス・キリストですら、宇宙人とかかわりをもっていたとしたら、それだけで、キリスト教そのものが、ひっくり返ってしまう。

「今までの歴史は何だったのか」ということにもなるだろう。
あるいは今の今、神に救いを求めている人もいるはず。
そういう人たちは、信仰の基盤を、根元から破壊されてしまうことにもなりかねない。
この問題だけは、「宇宙人がいます」「はい、そうですか」というレベルで片づけられるような、単純なものではない。

夏の夜、あなたも、あの月を見ながら、そんなことを考えてみるとよい。
そこには、とてつもないほど壮大なロマンが隠されている。
プラス謎が隠されている。

●BT氏の話について補足

 BT氏とは、何度も会っている。
一度は大きな地図を床に置き、あのUFOが、どちらの方向から飛んできたかを検証してことがある。
結果、私とワイフが見たUFOは、正確に真西から真東へ、飛んで行ったことがわかった。
一方、BT氏と弟氏が見たUFOは、正確に真東から真西へ、飛んで行ったことがわかった。
ともに、地球を真横に横切っていったことになる。

 共通点は言うまでもなく、真夜中だったということ。
が、これは常識と考えてよい。
カメラをいじったことがある人なら、みな知っている。
レンズの口径は大きければ大きいほど、多くの光をとらえる。
もしグレイのような巨大な目(瞳)をもっていたとしたら、この地球上の日中の光には耐えられないだろう。
言い換えると、私たち地球人には夜でも、彼らにしてみれば、昼のようなもの。
だから「夜」ということになる。

 「観光旅行?」をするには、地球の夜の方がよいということになる。

●目的?

 BT氏は、「一度、UFOに乗せてもらいたい」と言う。
そう言いながら、私にこう聞いた。
「はやしさんは、何を望むのですか」と。

 が、私には、何かをしてほしいという気持ちは、まったくない。
ただ得体の知れない、不可解なものを見た。
その正体を知りたい。
それだけ。

 もしあのような不可解なものを、そのまま受け入れてしまえば、私の中にある(合理=ロジック)が、総崩れとなってしまう。
幽霊やあの世や、占いやまじないを信ずる人たちと、同じレベルになってしまう。
が、それは私自身を否定することになる。
この世で何が恐ろしいかと言えば、自己否定ほど、恐ろしいものはない。
人生も晩年になってそれをすれば、自分の人生そのものを否定するに等しい。

 が、見たものは見た。
見たものは見たのであって、どうしようもない。
その見たものが何であるか、それに納得したい。

●カルト化

 ただひとつ注意しておきたい。
今、現在、UFOを本尊にし、無数のカルト教団が生まれつつある。
勉強会開いたり、観察会を開いたりしている。
さらに未知の惑星や、未知の宇宙人に自分たちを結びつけ、その(教え?)を宣伝したりしている。

 しかし私はそういったものには、まったく興味がない。
関心もない。
むしろ私の考えは、逆。
宇宙人にもいろいろあるのかもしれない。
しかし私は、仮にそういったものが近くに降りてきたとしても、近づかないほうがよい……と思う。
動力源として、原子力エネルギーのようなものを使っている可能性は、じゅうぶん、ある。
UFOに手で触れたとたん、あの世行き……ということも、考えられなくはない。
実際、そういう例も、いくつか報告されている。
だから私はワイフには、こう言っている。

 「UFOを近くに見たら、まず逃げろ!」と。
「10にひとつでも、危険を感じたら、逃げろ!」と。
UFOといても、神でもないし、仏でもない。
私たちを善なる世界へ導く救世主と考えるのは、たいへん危険なことでもある。

●九州へ

 天気予報が気になる。
九州地方では、大雨がつづいている。
NHKのまとめによると、14日午前3時現在、すでに20人の人が死亡、7人の人が行方不明になっている。
今朝もワイフは、ホテルに電話を入れていた。
で、今のところ、電車も、高速バスも、予定通り運行しているとのこと。
ホテルもだいじょうぶらしい。

 長い前置きになったが、私とワイフは、九州に向かう。
HS氏に会う。
会って、私たちが見たものが何であるかを確かめる。

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