2012年7月25日水曜日

子どものいじめをどう防ぐか

【夏休み&いじめ対策】

●あなたの子どもは、だいじょうぶ?

(安心度・チェックテスト)

(1)部活、クラブ活動などに、出かけるときの様子
      明るい声で元気よく行く・・・3点
      いつも同じように出かけて行く・・・2点
      どこか暗い雰囲気・・・1点
      時間ギリギリまで行こうとしない・・・0点

(2)友だちについての話題をもちかけたとき
      あれこれと友だちの様子を楽しそうに話してくれる・・・3点
      聞いたことについては、あれこれと話してくれる・・・2点
      「うん」「まあまあ」というような、あいまいな言い方をする・・・1点
      話したがらないし、聞いても何も答えない・・・0点

(3)夢と希望、それに目的について話題にしたとき
      「あれをしたい」「これをしたい」と明確に言う・・・3点
      夢や希望はあるようだが、形がはっきりしない・・・2点
      毎日が惰性で動いているよう・・・1点
      否定的な返事が多く、何をしても自信がなさそう・・・0点

(4)心や体の変調はみられませんか
      健康で、ハツラツとし、とくに何もないよう・・・3点
      ときどき体の不調を訴えることはある・・・2点
      慢性的に、不眠、けん怠感、食欲不振、腹痛を訴える・・・1点
      このところ急速に落ち込んできたような印象をもつ・・・0点

(5)「死」「死ぬ」という言葉にどのように反応しますか
      そういった言葉を口にしても、笑い飛ばす・・・3点
      「死」というものを、自分と切り離して考えている・・・2点
      「死」を身近で考えているような雰囲気がある・・・1点
      表情が暗くなったり、何を考えているかわからない・・・0点

 このテストでは、平均点を10点前後(中学生)に想定しました。
10点以上であれば、あなたの子どもは、それなりに学生生活を前向きにとらえていると考えてください。
 なお点数が低いからといって、いじめられているということにはなりません。
思春期というのは、まさに怒涛のごとく(思い)が子どもを襲います。
その中で、子どもは思い、悩み、自分の進むべき道をさがします。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

(家庭の安心度)

(1)あなたの子どもには、家庭の中に逃げ場がありますか
      決まった逃げ場があり、いつもそこで心を休めている・・・3点
      とくに決まった逃げ場はないが、ひとりになることが多い・・・2点
      友だちの家に出かけたり、家の外で気晴らしをする・・・1点
      夜遊び、外泊をする。あるいは部屋に引きこもる・・・0点

(2)外から返ってきたとき、あなたの子どもは・・・
      あなた(親)のいる前でも大きな態度で自分勝手なことをする・・・3点
      あなたを見ると、どこかうるさそうな顔をする・・・2点
      あなたの姿を見ると、そそくさと、その場を離れる・・・1点
      家族との接触をいやがり、話しかけても何も答えない・・・0点

(3)あなたの子どもは、キレやすく、興奮しやすいですか
      いつもなごやかな雰囲気で、性格は穏やか・・・3点
      生活は平凡で、なにごともなく過ぎていくよう・・・2点
      あなた(親)の言葉に敏感に反応し、怒ったりする・・・1点
      突発的にキレたり、ときに大声を出し錯乱状態になる・・・0点

(4)子どもの目で見て、あなたの家庭は、どのようですか
      静かで落ち着いた家庭・・・3点
      不安なことも多いが、自分では平均的と思う・・・2点
      よく騒動も起きる。夫婦仲もあまりよくない・・・1点
      はげしい夫婦喧嘩やがつづく。家族の心はバラバラ・・・0点

(5)家族旅行などを提案してみたときの様子
      子どもの方から、あれこれ希望を出したりする・・・3点
      親が行けば、付いてくるといったふう・・・2点
      行きたがらない。会話に乗ってこない・・・1点
      そういった提案を持ち出す雰囲気さえない・・・0点

 小学3年生(ちょうど親離れを始めるじき)を過ぎたら、「家庭は癒しの場」と心得えてください。
子どもはその家庭の中で、羽を伸ばし、疲れた心を癒します。
なお情緒不安というのは、「心の緊張感が取れない状態」を言います。
家庭はその緊張感を緩める場所ということになります。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【いじめを知る、5つの方法】

 いじめられている子どもでも、それを親に伝えるケースは、10%もないと言われています。
ほとんどの子どもは、いじめられてもそれを自分の心の中にしまってしまいます。
いじめの問題のむずかしさは、ここにあります。

(1)子どものことは、子どもの友だちに聞く
 あなたの子どもを積極的に家に呼び、いっしょに遊ぶ機会をふやしてみてください。
あるいはほかの親と親しくなり、自分の子どもについて聞くのもよいでしょう。
大切なことは、風通しのよい人間関係をつくること。
情報は、そういったところから、あなたの耳に入ってきます。

(2)先生に対して、聞き上手になること

 先生にとっていちばん話しにくいのは、すぐカリカリする母親です。
先生「最近、顔色がよくわりませんが」
母親「うちではふつうです」
先生「成績がさがってきたようですが」
母親「塾では、いい成績を取っています」と。

 こういうときは、自分の子どもでも他人の子どもと思い、一歩引き下がる。
自分の子どもを、客観的に見るようにする。
「己の子どもを知るは賢い父親だ」(「ベニスの商人」)と言ったのはシェークスピアですが、それくらい自分の子どものことを知るのは、むずかしい。
「子どものことは私がいちばんよく知っている」と言う親ほど、自分の子どものことを知らないものです。

(3)いちばん近くにいる友だち(?)を疑う

 いじめる側の子どもは、急速にあなたの子どもに接近してきます。
「このところA君からの電話が多くなった」とか、「Bさんが、やたらと遊びにくるようになった」というときは、要注意。
接近しながら、こちらの動きをさぐろうとします。
その友だちが家に来たとき、あなたの子どもがうれしそうに振る舞えば、それでよし。
そうでなければ、相手の子どもの動向に注意します。

(4)心が悪魔的になる

 抑圧感が慢性的につづくと、子どもの心は悪魔的になります。
イギリスの教育格言にも、『抑圧は悪魔をつくる』というのがあります。
たとえばガイコツや戦争の絵を好んで描くようになったり、「血」「死」「殺」といった言葉に鋭く反応するようになったりします。
 この時期、子どもの心は全体的に悪魔的になります。
受験競争が影響していることは言うまでもありません。
が、それ以上に悪魔的になってきたら、何が子どもの心を抑圧しているか、さぐってみてください。

(5)こまかい配慮(相談)が消える

 いじめを受けるようになると、その子どもにとっては、それが(すべて)になります。
学校での勉強や成績、宿題、家庭内での問題などは、その子どもにとっては、どうでもよくなってしまうというわけです。
万事に投げやり的になり、抑圧的な症状(急にふさぎ込んだり、ものごとにこだわったり、ふとしたきっかけで暗く沈むなど)があれば、要注意。
この段階になると、神経症的な症状も出てきます。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【いじめっ子の4タイプ】

 いじめっ子には、3タイプがあります。
それぞれの子どもに応じて対処しましょう。

(1)親分タイプ

 いじめの中心的な存在で、たいてい親分・子分関係を作ります。
その親分となるタイプです。
暴力的で威圧的な子どもばかりとはかぎりません。
表ではよい子ぶり、勉強や運動面で、よい成績を示す子どもも少なくありません。
「無視」「仲間はずれ」「いじわる」などを主にします。

(2)子分タイプ

 このタイプの子どもは、いじめられるのがこわく、いじめのグループに入ることによって、身の安全をはかります。
いじめられていやな思いをした子どもほど、そうなりますが、親分になって友だちをいじめる度胸はありません。
命令に従い、こそこそと隠れていじめを繰り返すという特徴があります。

(3)攻撃型タイプ

 このタイプの子どもは、ほかの子どもに恐れられるのが、「自分の顔」と考えます。
いじめ方が暴力的、攻撃的になるのが特徴です。
存在感が大きく、おおっぴらに、相手に罵声を浴びせかけたり、暴力を振るったりします。

(4)陰湿タイプ

 たいていは単独。
女子に多いタイプ。
嫉妬が原因で、相手をいじめます。
もの隠し、悪口など。
「モマシ」という手法もよく使います。
たいていその子どもの近くにいて、陰湿ないじめを執拗に繰り返します。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●もしあなたの子どもに、いじめの心配ができたら……

 あなたの子どもが、どうもいじめをするような悪いグループに入っていると感じたら、鉄則はひとつ。
『友を責めるな、行為を責めろ』(イギリスの教育格言)、です。

 子どもに、「A君は悪い子だから、つきあってはダメ」と言うのは、子どもに、「友を取るか、親を取るか」の二者択一を迫るようなもの。
子ども自身も相手の子どもから、ますます逃れられなくなってしまいます。
またそのとき、あなたの子どもがあなたを取ればよし。
しかしそうでなければ、あなたと子どもの間には大きな亀裂が入ることになります。

 友だちというのは、その子どもにとっては、子どもの人格そのものだからです。
友を捨てろというのは、子どもの人格を否定することに等しい。
たとえいじめっ子でも、です。
あなたが友だちを責めれば責めるほど、あなたの子どもは窮地に立たされることになります。。
そういう状態に子どもを追い込むことは、たいへんまずい、ですね。
ではどうするか。

 こういうケースでは、行為を責める。
またその範囲でおさめる。
「友だちからお金を取ることは悪い」「弱い子どもに暴力を振るうのはよくない」「陰に隠れてずるいことをするのは、悪い」とか、など。

 コツは、決して友だちの名前を出さないようにすること。
子ども自身に判断させるようにしむける。
そしてあとは時を待つ。……と書くだけだと、イギリスの格言の受け売りで終わってしまいます。
そこで私はもう一歩、この格言を前に進める。そしてこんな格言を作りました。
『行為を責めて、友をほめろ』と。

 子どもというのは自分を信じてくれる人の前では、よい自分を見せようとする。
そういう子どもの性質を利用して、まず相手の友だちをほめる。
「あなたの友だちのB君、あの子はユーモアがあっておもしろい子ね」とか。
「あなたの友だちのB君って、いい子ね。このプレゼントをもっていってあげてね」とか。
そういう言葉はあなたの子どもを介して、必ず相手の子どもに伝わる。
そしてそれを知った相手の子どもは、あなたの期待にこたえようと、あなたの前ではよい自分を演ずるようになる。

 つまりあなたは相手の子どもを、あなたの子どもを通して遠隔操作するわけですが、これは子育ての中でも高等技術に属します。
ただし一言。

 よく「うちの子は悪くない。友だちが悪いだけだ。友だちに誘われただけだ」と言う親がいます。
しかし『類は友を呼ぶ』の諺どおり、こういうケースではまず自分の子どもを疑ってみること。
祭で酒を飲んで補導された中学生がいました。
親は「誘われただけだ」と泣いて弁解していたが、調べてみると、その子どもが主犯格だった。……というようなケースは、よくあります。

 自分の子どもを疑うのはつらいことですが、「友が悪い」と思ったら、「原因は自分の子ども」と思うこと。
だからよけいに、友を責めても意味がないということになります。
何でもない格言のようだが、さすが教育先進国イギリス!、と思わせるような、名格言ですね。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●あなたの子どもがいじめを受けていると感じたら

(参考)

【滋賀県大津市での、中2男子の自殺問題について考える】

●強力な負のエネルギー

 自殺するには、それなりの強力な負のエネルギーが必要。
「必要」という言い方も変だが、簡単にはできない。
言い換えると、その中学生は、かなり追い込まれていた。
繰り返し襲い来る絶望感の中で、負のエネルギーを増大させていった。
つまりその中学生は、それほどまでに悩み、苦しんでいた。
その結果として、不幸にも、「自殺」という方法を選んだ。
その子どもの、そのときの気持ちを思いやるに、心の痛まない人はいない。

●大津市での事件

 で、テレビやネット、新聞などの報道を読みながら、最初に私はこう思った。
「これはいじめではなく、犯罪行為だ」と。
つまり当初から、教育レベルの問題ではなく、警察レベルの問題である、と。
事実、こうした問題が起きたばあい、アメリカやオーストラリア、それに欧米では、即、警察が介入してくる。
教育制度のちがいも、大きい。
さらに言えば、教育に対する親たちの意識も、ちがう。

●家出も学校の責任?

 たとえば子どもが家出をしたとする。
小学生でも中学生でもよい。
そういうとき、この日本では、親たちはまず学校に連絡する。
担任の電話番号がわかっていれば、担任の教師に電話をする。

 一方、欧米では、即、警察に電話する。
学校ではない。
警察である。
欧米の学校では、教師たちは、教室内の事件(学校内ではなく、教室内!)については、その教室の教師が、全責任を負う。
が、生徒が一歩、教室を出れば、教師には、いっさい責任はない。

大病院の医療制度を思い浮かべればよい。
医師は、診察室での行為、治療、助言については、すべての責任を負う。
しかし患者が一歩、診察室の外に出れば、医師は、いっさい関係ない。
患者がどこで何をしようが、関係ない。
欧米、とくにカナダの学校は、そういうシステムになっている。

 いわんや学校外での事件については、学校側には、いっさいの責任はない。
何か事件が起きても、責任を問われることはない。
が、この日本では、子どもが家出をしただけでも、親たちは、まず学校に連絡する。
なぜか?
この意識のちがいは、大きい。

●学校は絶対

 その中2の男子は、日常的に、いじめを受けていたという。
親たちも、自分の子どもがいじめを受けているのを知っていたという。
子どもも、ときどき「学校へ行きたくない」と漏らしていたという。
学校に対して、何らかの対策を取るよう、相談もしていたという。
 
 が、私はここで最初の疑問にぶつかる。
ただこう書くからといって、けっして、その親を責めているのではない。
が、欧米なら、(少なくともアメリカやオーストラリアなら)、そういう話を親が知ったら、まず子どもをして、学校を休ませる。
もとから「学校とは行かねばならないところ」という意識が薄い。

 が、この日本では、事情がかなり異なる。
最近も、こんなことがあった。

●拒食症

 ある子ども(小1女児)が、学校で給食を食べなくなってしまった。
病院へ連れて行くと、「拒食症」と診断された。
神経症的な症状のひとつである。

ジョンソンの学校恐怖症の診断基準に照らし合わせるなら、第1段階。
つまりこうした症状が重なり、それが限界に達したとき、第2段階の「パニック期」に突入する。
たいていそのまま第3期、つまり不登校期に入る。

 こういうケースのばあい、原因探しをしても、意味はない。
ともかくも、そのあと医師が出した結論は、こうだった。
「すべてのおけいこごとを、やめなさい」と。
医師は、おけいこごとからくる過負担が、拒食症の原因と考えた。
あるいはそれによって、過負担を少しでも減らし、子どもの心の緊張感をやわらげようとした。

 その話を聞いたとき、私は即、こう考えた。
話がアベコベ、と。
「こういうばあい、オーストラリア人の友人ならどうするだろうか」と。
あるいは「息子(アメリカ在住)なら、どうするだろうか」と。

 学校という場で、拒食症になったら、原因は学校にある。
おけいこごとは遠因かもしれないが、直接的な原因ではない。
オーストラリアの友人や、私の息子なら、学校を休ませる。
学校に相談するとしても、そのあと。
(PTAが、教師の人事権をもつ国(学校)も多い。)

 が、日本人は、「学校とは行かねばならないところ」という大前提で、ものを考える。
子どもに何か神経症的な症状が出ても、「原因は学校にあるはずがない」という大前提で、ものを考える。
(医師のような高学歴者ほど、そのように考える傾向が強い。)

 が、中には、この私のように、集団が苦手な子どもだっているはず。
回避性障害や対人恐怖症の子どもだって、いるはず。
そういうことをいっさい無視して、「おけいこごとはすべてやめなさい」は、ない。
実際、その子どもは、そのあと、おけいこごとをすべてやめてしまった。

●事なかれ主義?

 滋賀県大津市での事件を追いかけてみていると、親のみならず、マスコミにも、似たような意識を感ずる。
みな、「学校とは行かねばならないところ」と考えている。
それを大前提に、今回の自殺問題を考えている。
ある新聞は、こう書いている。
「学校側の事なかれ主義ばかりが目立つ」と。

 本当にそうか?
そう考えてよいのか?
「事なかれ」とは言うが、学校の教師の多忙さは、想像を絶する。
体力の消耗もふつうではない。
活発盛りの子どもを、30~35人も相手にすれば、ふつうの人でも1~2時間でヘトヘトになる。

●重労働

 繰り返す。
 学校、とくに小中学校の教師の忙しさは、ふつうではない。
空き時間にしても、文科省のカリキュラム通りに指導していたら、週に2~3時間もない。
(週に、だぞ!)
だからどこの中学校でも、今では授業中は、職員室に教師はほとんどいない。

 一方、相手は育ち盛りの中学生。
まさに発情期の子どもたち。
そういう子どもたちを相手に、授業をする。
1人や2人ではない。
30~35人!
それがいかに重労働であるかは、外の世界の人には、理解できない。
たとえば女性教師のばあい、50歳を過ぎると、たいてい退職していく。
体力的な限界が、理由と考えてよい。
ある小学校の校長は、こう話してくれた。

「たとえば水泳指導がひとつのきっかけになることが多いですね」と。
つまり水泳指導ができなくなったとき、退職していく、と。

●いじめ

 さらに言えば、学校の教師が子どもたちのいじめを把握するのは、現実には不可能。
教師の前でいじめをする子どもはいない。
教師のいないところで、する。
「指導不足」とか、「監督不行届」という言葉も見える。

その上、(いじめ)と(ふざけ)、さらに(遊び)の境界は、きわめてあいまい。
ベテランの教師でも、見分けるのは、不可能。
今回の事件でも、(いじめ)がつぎつぎと発覚しているが、それはあとになってはじめて、わかること。
「そう言えば、いじめがあった」と。

 さらに教師が現場へかけつけたとしても、いじめられた子どもが、「いじめられています」などとは、ぜったいに言わない。
仕返しを恐れる。
今回の事件でも、一度は、教師が現場へかけつけている。
そのときの様子について、TBS-iは、こんな記事も載せている。

『……滋賀県大津市で男子生徒が自殺した問題で、自殺の6日前、学校側が別の生徒から「男子生徒がいじめられている」と報告を受けたものの、「けんか」と判断していたことが分かりました。

 大津市教育委員会によりますと、男子生徒が自殺した6日前、担任の教師が、「トイレで男子生徒がいじめられている」と別の生徒から連絡を受けました。
教師がトイレにかけつけ男子生徒から話を聞いたところ、男子生徒は「大丈夫」と答えたということです。
学校側はその後、教員らで対応を話し合いましたが、男子生徒と同級生による「けんか」と結論づけたということです。

 「いじめであるという認識は持っていなかった。
通報者はそういった形(いじめ)で言ってきたが、当事者に聞いていくなかで、けんかだと判断した」(男子生徒が通っていた中学校の校長)

 校長は、「私どもの対応は不十分であったと認めざるを得ない」と述べました』(以上、TBS-iより、2012年7月15日)と。

●犯罪行為

 ……こう書くからといって、いじめた子どもを擁護しているのではない。
いじめは、避けられないと書いているのでもない。
先ほども書いたように、今回の事件は、(いじめ)ではなく、(いじめ)の範囲を超えた、(犯罪)。
「犯罪的な行為」ではなく、「犯罪」。
犯罪そのもの。
責められるべきは、いじめを繰り返した子どもたち。
その監督責任のある、親たち。
刑事罰を受けてもおかしくない。
それをさておいて、「学校は何をしていた!」は、ない。

 率直に言えば、学校の責任を追及するにも、限度があるということ。
さらに言えば、こうした(いじめ)の背景には、現在の(学校制度)そのものがもつ、制度的疲労がある。
仮にこうした(いじめ)まで学校側の責任となると、現在の制度と人員では、対処は不可能。
さらにそこまで子どもたちを管理してよいかという問題もある。

●アメリカでは……

 アメリカでは、(ニュージーランドもそうだが)、子どもたちは、1時間ごとに、教室を移動する。
たとえば生物の時間には、生物の教室に、地理の時間には、地理の教室に。
日本でいう担任制度というのは、ない。

 その移動時間。
5分しかない。
たったの5分。
だからアメリカでは、終業ベルなると、廊下は、戦場のようなあわただしさになる。
で、私がなぜ「たったの5分しかないのか?」と聞くと、ニュージーランドから来た留学生(当時、大学生)は、こう教えてくれた。
「生徒どうしの接触時間をなくすため」と。

 そして子どもたちは、学校の門をくぐったとたん、学校との関係をすべて切る。
門から出たら、親の責任になる。
どんな事故が起きても、親の責任になる。
学校ではなく、親の責任。

 これに対して、この日本では、子どもが「行ってきます!」と言って、家を出た瞬間から、学校の責任になる。
法律上は、そうなっている。
たとえば帰校時に、子どもどうしで何かのトラブルがあったとする。
喧嘩なら、喧嘩でもよい。
で、子どもがケガをしたりすると、親は、即、学校に電話する。
中には校長室へ駆け込む親もいる。
「ちゃんと指導してほしい」と。
つまり、ここに無理がある。

●いじめ

 繰り返す。
陰湿ないじめを繰り返し、別の子どもを自殺に追い込んだ子どもは、それなりの刑事罰を受けるべきである。
(もちろんそれを判断するのは、学校ではなく、警察。)
もちろんこの年代の子ども(=18歳未満の子ども)は、少年法の適応を受ける。
収監ではなく保護、刑罰ではなく更正教育。
それが少年法の骨子だが、それを逸脱したばあいには、刑事罰の領域に入る。

(少年法は、量刑の軽減を規定しているが、刑事罰までは否定していない。
たとえば、「死刑をもって処断すべき場合は無期刑にしなければならないとする」など。)

 今回の事件が、それに相当するかどうかは、今の段階ではわからない。
過去の事例をみると、少年院送致程度で終わる可能性は高い。
しかしそれでは、被害者の親はもちろん、世間一般は、納得しないだろう。

●法的合理性

 ともあれ、すべての責任を学校に求めるのは、現実問題として、合理性に欠ける。
「法的合理性」という言葉を使ってもよい。
学校の教師が、直接的にいじめに加担したとか、教唆したというのであれば、話は別。
さらに言えば、こうした(いじめ)の背景には、抑圧された子どもたちの(ゆがんだ心理状態)がある。

 たとえば子どもは受験期にさしかかると、(ちょうどそのころ発情期に重なるのは、まことにもって悲劇的でもあるが)、心が別人のように殺伐としてくる。
加害者と呼ばれる子どもたちにしても、ひょっとしたらそういう社会的環境の犠牲者かもしれない。
(だからといって、こうしたいじめを正当化することはできないが……。)

 要するに私が言いたいことは、つぎのこと。

 日本人も、もうそろそろ、学校絶対主義、学校万能主義という幻想から、目を覚ますべきときに来ているのではないかということ。
学校といっても、中身は、教師というサラリーマン(サラリーマンが悪いというのではない。誤解のないように!)。
その教師に、神に近い監督義務、指導責任を求めるのは、もとから無理がある。
つまりこれが私が先に書いた、「制度的疲労」ということになる。

●学校以外の選択肢

 さらに言えば、現在のように、学校を離れて道はなく、学校以外に子どもたちの進むべき道に選択肢がないというのは、どう考えてもおかしい。
文科省が、すべての子どもを管理している。
そのほうが異常であることに、親も、マスコミも、そして医療関係者、警察も気づくべきときに来ているのではないのか。

 ドイツ(中学校)では、子どもたちはたいてい午前中で授業を終え、あとはそれぞれがクラブに通っている。
サイクリングクラブ、水泳クラブ、各種語学クラブ、科学クラブ……などなど。
フランスでも、イタリアでも、そうである。
仮に学校で子どもが拒食症になったとしても、「クラブをすべてやめなさい」と言う、アホな医師は、少なくともドイツにはいない。
「学校を休みなさい」とは言うだろうが、「クラブをすべてやめなさい」とは言わない。

 もちろん学内での犯罪行為も多いが、あればあったで、即、パトカーが突入してくる。
子ども自身が、学校内部から、警察を呼ぶことも多い。

 言うまでもなく、学校は、「教育」をするところ。
病院が病気を治すように、教育をするところ。
それを生活指導から道徳、はては親の教育まで受けもつから、話がおかしくなる。
だから学校の教師は、そのつど責任を問われる。
「何をしていたんだ!」と。

●方法

 何とも言えないやりきれなさを覚えるのは、私だけだろうか。
まず第一に、学校の教師たちも、すべてを背負い込まないで、こう叫んだらどうだろうか。

「すべてを管理することは不可能です」と。
「私たちにもできることと、できないことがあります」と。

 第二に、その一方で、親やマスコミも、学校万能主義をそろそろ捨てるべきときにきている。
「何でもかんでも、学校」という考え方には、無理がある。
とくに今回のような犯罪が起きたばあいは、そうである。
監督や対応、指導が不十分と、学校を責めるのは簡単。
しかし現実問題として、そこまで監督、対応、指導するのは、不可能。
そもそもそれだけの「時間」がない。
が、もしそこまで監督、対応、指導せよというのなら、教育権の強化しかない。
専門の担当教師を増員するしかない。
警察官による巡回も、許すしかない。
ほかにたとえば小中学校でも、「自宅待機処分」「登校停止処分」「警察への通報」。
さらには「退学、転校処分」を可能にする、とか。
そういう権限を、学校側に与える。

●校長の自殺

 ……たまたま昨日も、どこかの校長が、自殺した。
理由はまだはっきりしていないが、いじめ問題がからんでいる可能性が高いという。
その一方で、S市では、いじめを苦にして、1人の中学生が飛び降り自殺(?)を試みたというニュースも伝わってきている。

 Yahoo・Newsは、つぎのように伝える。

『 S県S市の中学校で、いじめを受けていた男子生徒が校舎から飛び降りて大けがをした問題で、学校側は21日に緊急の保護者会を開きました。

 被害生徒が通う中学校の校長は、つぎのように述べている。
「これまでの私たちのいろいろな教育活動が不十分であることから、こういう問題になっている。足元から見つめ直していきたい」

 中学校によりますと、保護者会には約400人が出席し、「校長の認識が甘い」などといった批判も相次いだということです。
 出席した保護者は、「(学校側は)いじめかどうか、まだはっきりと分かっていなかった感じ」「まだ納得していない保護者もいた」と。

 保護者会に出席した被害生徒の母親は、「学校側は事実をすべて話してくれなかった」と不信感をあらわにしています』(以上、Yahoo・Newsより)と。

 なおアメリカでは、ホームスクーラーが100万人を超え、今では200万人を超えている。
そうした子どもたちのために、州政府は、ホームスクール児ために教師まで派遣している。
「いいじゃないの、学校なんて。行きたくなければ行かなければ。その分、自分で勉強しなさいね」と。
日本も、そうした制度を考えるべき時期に来ているのでは?
つまりそういう意識を、親や教師がもたないかぎり、こうした不幸な事件は、いつまでもつづく。

●(補記)

 たまたま先週のこと。
ある中学生(中1女子)が、こう言った。

「うちのクラスのM君ね、毎日、コンちゃん(=コンドーム)を学校へもってくるよ。今日はね、ラブホテルのポイントカードをもってきて、みんなに見せていた」と。

 高校生がコンドームをもっているというのは、よく聞く話。
放課後の部室は、ラブホテルのようと、みな言っている。
しかしそれが今では、さらに低年齢化した。
中学1年生!

 私はその翌日、その学校に通報した。
生活指導の教師と、10分ほど、話した。
もちろん学校側の指導を責めたのではない。
責めても、意味はない。
ただこうした生徒が1人でもいると、1~2年後には、多くの子どもたちがその影響を受けることになる。

 たとえば市内のX中学校では、毎年、2~3人の女子中学生が、中絶手術を受けているという(X中学生活指導担当教師弁)。
が、この数とて、まさに氷山の一角。
今、この段階で、そのM君(発達心理学の世界では、「アジテーター」(扇動者)と呼ぶ)を、適切に指導することにより、そうした被害者を、少なくすることができる。

 ほかにも生徒の家出、外泊、万引きなどなど……。
学校の教師がかかえる問題は、山のようにある。
いじめ問題は、その中のひとつにすぎない。

 なお教育評論家のO氏は、今回の滋賀県大津市での中学生の自殺問題に触れ、H大学での講演会で、つぎのように述べたという。

「教育委員会に責任がある」「教師がもっと自由に教育できるようにすべき」(報道)と。
そういう意見もあるだろう。
が、私には、的をはずれているようにしか思えない。
もっとはっきり言えば、トンチンカン。

 以上、どこか学校側を擁護するようなエッセーを書いた。
あまりにも学校側ばかりを責める報道ばかりがつづく。
自殺した子どもの立場で考えると、どうしてもそうなる。
その心情は、冒頭にも書いたように、よく理解できる。
が、学校側を責めるだけでは、こうした問題は解決しない。
それを伝えたくて、このエッセーを書いた。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 中学生の自殺 いじめ問題 はやし浩司 いじめによる自殺 学校側の対応 はやし浩司 制度的疲労)
2012/07/22

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●神経症的な症状について

(宮下様へ)

http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page080.html

 神経症については、このページをご覧下さい。
なお現在は「神経症」という言葉は使わないで、「神経症的な症状」という言葉を使います。

どうかお気をつけください。


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2012++++++はやし浩司・林浩司

はやし浩司


0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。