2012年7月15日日曜日

We saw an UFO (1)

【見たぞ、UFO!】

(資料集)
img615
(中日委新聞のコラム)

img616
(私たちが見たUFO)

img61c597d8zik2zj
(火星探査機・スピリットが送信してきた画像)

img62d89929zikczj
(スピリットの送信してきた画像を拡大したもの)

FF(1)original photo
(UFOの周囲に、フォースフィールドと呼ばれるモヤ状のものが、これでわかる。)

FF(2)Color
(上記写真の明度を落とし、モヤをわかりやすくした。)



●電話

 教室へ行くと、1本の留守番電話が入っていた。
大分県日田市に住む、HSと名乗る人物からのものだった。
いわく、「あなたが新聞のコラムで書かれたのと同じUFOを見ました。
それで電話しました」と。

 私は授業の準備を忘れ、すかさず、HS氏に電話を入れた。
最初、妻らしき女性が電話口に出た。
UFOの話はしなかった。
この種の話は、相手を選んでする。
相手をまちがえると、変人と誤解される。
HS氏は、すぐ電話口に出てくれた。

私「浜松に住む、はやし浩司という者です。電話、ありがとうございました」
橋「ああ、わざわざ、電話、ありがとうございます」
私「さっそくですが、どんなUFOでしたか?」
橋「あなたが、新聞のコラムで書かれたUFOと、そっくりのUFOです」
私「新聞?」
橋「中日新聞という新聞です。2000年の日付になっています」
私「ああ、あれですか」と。

●HS氏

 HS氏は、日田市で、割烹を経営していた。
見たのは、今年(2012年)の6月20日。
午後10時45分ごろのこと。
家の外で、巨大なUFOを目撃したという。

 大きさは、何百メートルとか、そういった数字で表現できないほど、大きなものだったという。
が、何よりも私を驚かせたのは、「ビルの高さほど低いところを飛んでいた」という内容。
HS氏は、こう言った。
「はやしさん(=私)のコラムでは、黒色ということでしたが、銀色でした。大きな円形の窓らしきものと、その窓枠も見えました」と。

 HS氏は、きわめて至近距離で、UFOを目撃していた。

私「窓の色は何色でしかたか?」
橋「同じ銀色でした」
私「オレンジ色ではなかったですか?」
橋「銀色でした」

●消え方

 私たち夫婦が見たUFOについては、明らかな特徴がひとつあった。
消え方。
消え方が、ふつうではなかった。

 飛行物体が遠ざかって消えるという、そういう消え方ではない。
スーッと空に溶け込むかのようにして、消えていった。
物体そのものが透明になり、徐々に消えていった。

 だから私はUFOを見たという人の話を聞くときは、いつも、消え方を聞く。
その様子によって、その話が本当かウソか、おおまかな判断ができる。
HS氏は、こう言った。
「ゆっくり頭上まで来て、それから雲と同じような色になって消えました」と。

 私はそれを聞いて、「この話は、信じられる」と直感した。

●メモ

 私はHS氏にいくつか質問をした。
そのつど、言葉をメモに取った。

(1) 高さは、ビルの高さほどのところだった。
(2) 大きさは、表現できないほど、大きかった。
(3) ブーメランの先端を前に、飛んできた。
これについて、「はやしさんのコラムに書かれた飛び方とは、反対でした」と。
(私が見たのは、先端をうしろ側にして飛んでいった。)
(4) ブーメランといっても、向かって右のほうがより長かった。
左右対称ではなかった。
(5) 表面は、金属的で、黒くなかった。
HS氏の妻は、「地上の光が反射して、白く見えたのでは?」とい

●ヨタカ

 あの夜、私とワイフが見たものは何だったのか。
正確に日時を覚えているわけではない。
が、ワイフと私の記憶をつき合わせると、こうなる。

 1976年の夏の夜……。
長男が1歳を過ぎた、夏の夜のことだった。
長男は、1975年生まれ。
だから1976年の夏。

時刻は、ワイフは、午後11時ごろだったと言う。
私は、午前0時過ぎだったと思う。
近所を散歩し、あと少しで、自宅に戻るという、そのときだった。

 巨大なUFOだった。
というより、最初、私はUFOなどとは、思わなかった。
私が本などで読んで知っていたUFOは、円盤型。
今でいう、アダムスキー型のものだった。
また見たときも、私は、それがヨタカ(夜鷹)と思っていた。
ちょうどそのとき、私とワイフは、ヨタカの話をしていた。
「ヨタカが飛ぶときは、羽が光るのよ」とワイフは言った。

●中日新聞

 それから24年。
あの夜のことを、私は、中日新聞にコラムとして書いた。
「見たものは、見た」と。

 この言葉には、それまでの私の怒りをこめた。
UFOの話をするたびに、みな、こう言った。
「教育評論家を名乗るなら、そういう話はしないほうがいい」と。

 当時も、今も、UFOは、超常現象としてとらえられている。
霊魂や幽霊と同じレベル。
真顔でその話をすると、人によっては、私を変人とみる。
だから私は口を閉ざした。
が、見たものは、見た。
だからコラムの冒頭で、そう書いた。
「見たものは、見た」と。

●自衛隊浜松基地

 以下が、そのとき発表した、新聞のコラムである。
書き足す部分があるとするなら、その夜は一睡もしなかったこと。
1時間おきに、近くの自衛隊の浜松基地に電話をしたこと。
(あるいはもっと頻繁だったかもしれない。)
やっと電話がつながったのが、午前8時30分。

 いくつかの部署に電話は回された。
管制室にもつながった。
が、みな、こう言った。
「そういう報告は届いていません」「そういう話はあがってきていません」と。

 が、私は食いさがった。
「そんなはずはない。あれほど巨大な物体だ。レーダーに映らないということはありえない」と。

●『見たものは、見た』

 そのときの様子をコラムにしたのが、つぎのもの。

http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/84/imge35bb262zik5zj.jpeg

●見たぞ、UFO!(中日新聞記事より)(2000年11月発表)

見たものは見た。巨大なUFO、だ。
ハバが1、2キロはあった。しかも私と女房の2人で、それを見た。
見たことにはまちがいないのだが、何しろ24年近くも前のことで「ひょっとしたら…」という迷いはある。
が、その後、何回となく女房と確かめあったが、いつも結論は同じ。「まちがいなく、あれはUFOだった」。

 その夜、私たちは、いつものようにアパートの近くを散歩していた。
時刻は真夜中の0時を過ぎていた。
そのときだ。
何の気なしに空を見あげると、淡いだいだい色の丸いものが、並んで飛んでいるのがわかった。
私は最初、それをヨタカか何かの鳥が並んで飛んでいるのだと思った。

そう思って、その数をゆっくりと数えはじめた。
あとで聞くと女房も同じことをしていたという。
が、それを五、六個まで数えたとき、私は背筋が凍りつくのを覚えた。
その丸いものを囲むように、夜空よりさらに黒い「く」の字型の物体がそこに現われたからだ。
私がヨタカだと思ったのは、その物体の窓らしきものだった。
「ああ」と声を出すと、その物体は突然速度をあげ、反対の方向に、音もなく飛び去っていった。

 翌朝一番に浜松の航空自衛隊に電話をした。
その物体が基地のほうから飛んできたからだ。
が、どの部署に電話をかけても「そういう報告はありません」と。
もちろん私もそれがUFOとは思っていなかった。
私の知っていたUFOは、いわゆるアダムスキー型のもので、UFOに、まさかそれほどまでに巨大なものがあるとは思ってもみなかった。

このことを矢追純一氏(UFO研究家)に話すと、矢追氏は袋いっぱいのUFOの写真を届けてくれた。
当時私はアルバイトで、日本テレビの「11PM」という番組の企画を手伝っていた。
矢追氏はその番組のディレクターをしていた。
あのユリ・ゲラーを日本へ連れてきた人でもある。
私と女房はその中の一枚の写真に釘づけになった。
私たちが見たのと、まったく同じ形のUFOがあったからだ。

 宇宙人がいるかいないかということになれば、私はいると思う。
人間だけが宇宙の生物と考えるのは、人間だけが地球上の生物と考えるくらい、おかしなことだ。
そしてその宇宙人(多分、そうなのだろうが…)が、UFOに乗って地球へやってきてもおかしくはない。
もしあの夜見たものが、目の錯覚だとか、飛行機の見まちがいだとか言う人がいたら、私はその人と闘う。
闘っても意味がないが、闘う。
私はウソを書いてまで、このコラム欄を汚したくないし、第一ウソということになれば、私は女房の信頼を失うことになる。

 ……とまあ、教育コラムの中で、とんでもないことを書いてしまった。
この話をすると、「君は教育評論家を名乗っているのだから、そういう話はしないほうがよい。
君の資質が疑われる」と言う人もいる。
しかし私はそういうふうにワクで判断されるのが、好きではない。
文を書くといっても、教育評論だけではない。
小説もエッセイも実用書も書く。
ノンフィクションも得意な分野だ。東洋医学に関する本も3冊書いたし、宗教論に関する本も5冊書いた。
うち4冊は中国語にも翻訳されている。

そんなわけで私は、いつも「教育」というカベを超えた教育論を考えている。
たとえばこの世界では、UFOについて語るのはタブーになっている。
だからこそあえて、私はそれについて書いてみた。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●記憶の確認

 楽な36年間ではなかった。
というのも、記憶を維持するということだけでも、たいへんなこと。
1~2年もすると、「ひょっとしたら……」と思うようになった。
さらに数年もすると、記憶そのものが、ぼんやりとしてくる。
「夢だったのかもしれない」と思ったこともある。

 周囲の人たちが、「見まちがい」「夢でも見たのでは?」と言えば言うほど、自信がなくなる。
が、そのつど、私とワイフは、たがいに確認しあった。
「本当に見たよね」
「見たわよ」と。

 こんな会話が、何度もつづいた。

「あの夜見たものは、何かの見まちがいではなかったか」と。
みなが、否定すればするほど、記憶があいまいになっていった。

ただあの夜見た、UFOの形だけは、鮮明に覚えていた。
直後、何度もスケッチした。

 私は九州へ行くことにした。
ワイフに「行くか?」と声をかけると、「私も行く」と。
楽な旅行ではない。
費用もかかる。
が、行かねばならないという気持ちが、急速に膨らみはじめた。
「決着をつけてやる」と。

●電話

 HS氏には、こちらから行きますと話した。
「うちは割烹をやっていますから、夕食はうちで食べてください」と。

私「で、私のときもそうでしたが、記憶が失われないうちに、たくさんメモを残しておくといいですよ」
橋「はい、そうしています」
私「時がたつと、今度は、自分を疑うようになります。そうなると、記憶というのは、煙のように消えていきます」
橋「わかりました」と。

 折り返し、HS氏から、FAXが届いた。
そこには、私が見たものと同じものが、描かれていた、

(1) 飛行ルート……私が見たものは、真西から真東へ飛んでいった。
これについては、もう少しあとに書くことにする。

 で、それについてHS氏に確かめると、「私が見たものは、南から北へ、でしたね」と。

 これだけの事実でこう結論づけるのは、どうかと思う。
しかしあのブーメラン型のUFOは、緯度や経度に沿って飛んでいる(?)。
私はそんな印象をもった。

●観光旅行

 なおこれは私もそのとき感じたことだが、HS氏は、こう言った。
「何かの観察に来たのではないでしょうか」と。
それに対して、「私も、そう思います」と。
観光旅行か何かではないかと思いました」と答えた。

 ゆっくりと飛んできて、サッと消えていった。
そういうところから、そう感じた。
恐怖心はまったく、なかった。
「何だろう?」と思っているうちに、相手のほうから先に逃げていった。
「しまった、見つかった」と。
そんな感じだった。
私は、あの夜、そんな印象をもった。

●チケット

 九州の博多まで、新幹線で4時間と少し。
博多から、高速バスで、約1時間半。
7月13日の午後、ワイフと2人で、チケットを買いに行った。
連休の初日前日ということもあり、駅構内は混雑していた。
チケット売り場にも、ズラリと人が並んでいた。
それを見て、私たちはくるりと体を回した。

 人ごみは苦手。
旅行にしても、人の少ない時期に、人の少ないところを選んで行く。
人間嫌いというほどではないが、長くいると、頭痛が始まる。

 料金は、浜松→博多まで、2万円弱。
往復で、4万円弱。
x2=8万円弱。
プラス、博多から日田市まで、高速バス。
プラス、ホテル代。
が、私もワイフも、追いつめられていた。
時間というより、人生そのものがない。
あのUFOを見てから、36年。
新聞にコラムを発表してから、12年。
私たちには、つぎの36年どころか、12年もない。

 今、この時期を逃したら、もう二度とチャンスはないかもしれない。

●自分で確認する

 YOUTUBEを見れば、今では、居ながらにして画像でそれを見ることができる。
ブーメラン型のUFOも、多い。
今では珍しくない。
が、それが本物かどうかということになると、確信がもてない。
映像技術も進んだ。
フェイク(ニセ)画像も多い。

 で、何よりも重要なことは、自分で確認すること。
見たという人がいたら、(その人)に会い、直接話を聞くこと。
そのとき、その話が本当かウソか、それでわかる。
私たちにとって重要なことは、それが事実であること。
言い換えると、それがとりもなおさず、私たちがあの夜見たものが、事実であることの証拠になる。

●BT氏からの写真

そんな折、とうとうというか、ついに、宇宙人(以下、ET)のシッポを捕まえるような事件が起きた。

12年来の友人である、BT氏からもたらされた、1枚の写真からそれは始まった。
BT氏自身が、撮影した写真である。
「何か、へんなものが写っている」と。

こういうばあい、まずその人物を疑う。
疑って当然。
しかしことBT氏に関しては、疑う余地はない。
この12年間、ずっと誠実だった。
「まじめ」という言葉を使うなら、BT氏ほど、まじめな人はいない。
またBT氏でなかったら、その写真を信用しなかっただろう。
だからそのあと3度、現場に足を運んだ。
BT氏が写真を撮ったという、その場所に、である。
もしそれがBT氏でなかったら、3度も足を運ぶようなことはしなかっただろう。

私にとって、BT氏というのは、そういう人物である。
そういう人柄を知っているから、私はその写真に驚いた。

●雄踏町に現れたUFO

 そのとき書いたBLOGをそのまま、ここに転載する。

【浜松市・雄踏町に現れたUFOを検証する】(2012-05-19)

●信頼できるBT氏

 12年来の友人でもあり、信頼できるBT氏が、昨夜(5月18日)、1枚の写真を届けてくれた。
「何かが写っている」と、BT氏は言った。

 まず、その写真をここに紹介する。
撮影したのは、2012年5月4日。
時刻は、午後2時37分。

(1)元の写真(矢印部に注目)

 なお矢印は2か所につけたが、左の矢印のやや右側にも、もう1個、白い物体が写っているのがわかる。

UFO(1)

(2)元の写真の明度をあげてみた。

 白い物体を、より鮮明にしてみた。

UFO(2)

(3)左の矢印部を拡大してみた。

UFO(3)

(4)右の矢印部を拡大してみた。

UFO(4)

 昨夜(5月18日)と、今日(19日)、2度、現場へ行って検証してみた(2012年)。
左側の物体は、屋根の上にあるように見える。
右側の物体は、道路から、10~13メートル高いところに浮かんでいたことがわかった。
詳しくは、後述する。

●現場へ

 昨夜(5月18日)、午後11時ごろ、現場へ行ってみた。
場所は、BT氏より詳しく聞いていたこともあり、すぐわかった。
フラッシュなしで、撮影してみた。

DSC02694

●再び現場へ

 今日(5月19日)、午前11時30分ごろ、オーストラリアの友人とワイフ、それに私の3人で、現場へ行ってみた。
この写真の写っている家の家人(女性)から話を聞くことができた。

(1)50歳くらいの女性だったが、写真を見て、たいへん気味悪がった。
「あら、イヤだあ」と何度も言った。
(2)枕などではないかと聞いたが、裏の屋根(北側の屋根)では、ものを干さないと答えた。
(3)白い物体に、思い当たるものはないかと何度も念を押し聞いたが、「ない」と答えた。
(4)写真を撮った位置に立ち、私たちも現場を検証してみたが、右側の白い物体は、道路から高さ10メートル以上の位置にあることがわかった。
(目測では、10~13メートル前後だった。
少なくとも、工事用のバルーン型照明器具ではないことは確認できた。)

DSC02695

ほぼ同じ位置から撮影してみた。

DSC02697

道路(浜松市内から雄踏町へ抜ける道路がある。
その道路に向かって、20メートルほど、先に進んでみた。
この写真の、山の大きさから、右側の物体が、かなり高いところに浮いていたことがわかる。)

●考察

 このタイプの、小型UFOは、各地で頻繁に目撃されている。
集団で現れることが多いよう。
結論は、まさにUFOということになった。
未確認飛行物体ということになる。
あとの判断は、読者諸氏に任せる。
2012/05/19記

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●深まる謎

 が、さらに驚くべきことが、つぎつぎと見つかった。
前回は、それに気がつかなかった。
球形のUFOばかりが気になった。
しかしそれだけではなかった。
本来、そこにないものが、2つ、その写真には写っていた。

 「事実」というのは、そういうもの。
調べれば調べるほど、その向こうにある別の「事実」が顔を出す。
それについては、追々書くとして、私は、そしてBT氏は、ついにUFOのシッポをつかんだ。
少なくとも、私は、そのときは、そう確信した。

 BT氏が見せてくれた写真を、順に並べてみる。

(1) 左側のUFOと、ET、つまり宇宙人(黄色い物体)らしきもの。

222

(2)(1)の写真を反転したもの。
左上の黄色い物体の輪郭(以下、ETとする)が、より鮮明に写っている。

11

(3)BT氏提供の写真を再度掲載、確認する。(矢印の部分に注目)

Photo1

(4)右側のUFO。
グーグルアースの測定器を使い、距離を測定したら、290メートルという数字が出てきた。
山の影に入っているところから、山陰ギリギリまでの距離を測定した。

photo2

(5)屋根の上の、2つの大小のUFO。
この家の家人に直接確かめたが、先にも書いたように、これは枕とか、そういうものではない。
家人は、「北側の屋根では、ものは干さない」と断言した。

photo3

(6) 屋根の上の黄色いET(?)。
屋根の上に直接、乗っているのが、わかる。

photo4

(7) 左下に女性の姿が見える。
何か棒(農作業用の道具?)らしきものをもっている。
道路から撮った写真とすると、この女性は小山の上にいることになる。
しかしここに小山があったのか?
前回、行ったときは気がつかなかった。
あとでもう一度行き、自分で確かめてみる。
黄色いETは、屋根の上からその女性を見ているようにも、とれる。

photo5

(8)明度をあげ、ETと、その左下の女性を、見やすくした。

photo5-2

(9)同じく、庭にいる女性。

photo6

(10)うしろ髪が長いことから、女性であることが、この写真からわかる。

この家の家人なのか。
つぎに会ったとき、この写真を見せ、確かめてみる。

photo6-2

(11)再び、屋根の上のET。

頭の上に左右、2本の角(つの)のようなものがある?

photo5-3

(12)左側のUFOの周辺が、円形に画像が変形しているのが、わかる。
水面に石を落としたように、かすかに波打っているのが、気になる。

photo3-2

(13)右側のUFO。
距離を290メートルとすると、かなり巨大なUFOということがわかる。
その手前下に、軽自動車がたまたま写り込んでいたが、軽くその2倍はあるということになる。

photo2-2

(14)右側のUFOは、山陰に隠れている。
軽自動車がその下に見える。
全体に明度をあげてみた。

Photo1-1

(15)ET(右上)と、女性(左下)
写真のシャープ度をあげてみた。

photo7

●黄色い物体

 左側の屋根の上、斜め左上に、黄色い物体があるのがわかる。
私は最初、それにまったく気づかなかった。
が、写真を拡大し、明度をあげてみると、それも屋根に接してある(いる?)のが、わかった。

 複雑な形をしている。
が、よく見ると、動物的な形である。
しかも頭部らしきところには2本のアンテナ状のものが、くっついている。

 私はすぐBT氏に連絡をした。
BT氏は、その日のうちに、現場へかけつけてくれた。
メールでの返事が届いた。

「今日、行ってみましたが、黄色いものは、どうやらその向こうにある、竹やぶのようです」と。
「竹やぶ?」と、私。
この時期、竹は黄色い芽を吹く。

私「竹やぶ、……ですか?」
B「はい、まちがいありません。自分の目で確かめましたから」
私「……」と。

 ……思い込みというのは、恐ろしい。
が、そうでないとわかったからこそ、書くことができることもある。
たとえば私は黄色い物体は、UFOから外に出た、ETと思った。
「ETであってほしい」という願いが、妄想を膨らませた。
「ETは、黄色い宇宙服を着ている」「ETが、人間を観察している」と。

 しかし妄想は妄想。
シャボン玉のアワのように、パチンとはじけて消えた。

●庭を歩く女性

 さらに左下の女性にも気がついた。
それまでは庭の一部と思っていた。
が、先にも書いたように、道路側から、塀を越え、庭先が見えること自体、おかしい。
その家は、南側から大きく回り込み、庭を通って、母屋(写真の家)に入るようになっている。
そこに小山はあったのか?
この写真の通りとするなら、その女性は、小山の上で、何かの農作業をしていることになる。

●最大の謎

 これはBT氏にも、メールで書いたことだが、「なぜ?」。
なぜ、UFOが、この日(2012年5月4日)、このとき、ここにいたかということ。
この日は、浜松市内は、凧祭りの真っ最中。
前日の雨もあり、最大限にまで盛りあがっていた。

 その日、浜名湖に近い、この雄踏町で、このような物体が現われた。
なぜ?
目的は何か?

 さらに奇妙なのは、この写真を撮ったとき、BT氏自身、その物体の存在に気づかなかったこと。
写真をあとで見て、そこに、これらのものが写っているのに気づいた。
なぜ、その場では、気づかなかったのか。
とくに右側のUFOは、かなり巨大なものである。
謎はつづく。

●訂正

 以上が、5月20日に書いたBLOGである。
で、そのあと、私とワイフは、現場へ行き、もう一度、写真の内容を確認した。

(1) 黄色い物体
 黄色い物体については、やはり竹やぶと判明した。
時期的に、竹が新芽を吹き出すころで、遠方の山の竹やぶが、そこに写りこんだ。
「ET」と書いたが、これはまちがいだった。

(2) 庭を歩く女性
 位置的にその女性は、おかしな位置に立っている。
で、現場へ行き、裏側から庭先をのぞいてみると、小山らしきものはなかった。
が、何本か、太い木が立っていた。
結果、この写真の中の女性は、脚立か何かを木に立てかけ、そこで作業をしていたのではないかという結論になった。

 脚立の上に乗っているなら、位置的に、このように見えてもおかしくない。

●ささやかな証明

 少し話が前後する。

 その少し前、私は偶然というには、あまりにも偶然過ぎる写真に出会った。
アメリカの火星探査機「スピリット」が、地球に送ってきた写真である。
私はその写真を見たとき、目の動きがそこで止まってしまった。
釘付けになってしまった。

 先に、矢追純一氏が送ってくれた写真の中に……と書いたが、「形が似ていた」というに過ぎない。
しかしスピリットが送ってきた写真は、「似ている」というレベルをはるかに超えていた。
「まったく同じ」と断言してもよい。

 それについても、BLOGに書いた。
その記事をそのままここに紹介する。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●宇宙人はいる!

「はやし浩司」という1人の、小さな人間が住む、そのまた小さな世界。
その中で、はやし浩司ははやし浩司なりに、宇宙人の存在を確信した。

それは私の人生の中でも、特筆すべきできごとといってもよい。
「他人を介していない」という意味において、また私自身が確信できるという意味において、特筆すべきことできごとといってもよい。

小さな、そのまた小さな証明だが、しかしそれ以上の証明が、この私にできるだろうか。
組織力も、調査力もない。
どこまでも小さな私である。
あなたと同じ、小さな人間である。

何はさておき、もう一度、ここに新聞のコピー(1)と、火星で撮影された写真(2)を、並べて掲載する。

(1)の記事は、私が2000年11月25日(土)に、中日新聞に寄稿したエッセイである。
ここでは、「2000年」という年号に注目しておいてほしい。

(2)の写真は、2003年6月10日に打ち上げられた、アメリカの火星探査機「スピリット」が、地球に送ってきた写真である。
スピリットは、2004年1月3日に火星に到達している。
つまりこの写真は、どんなに早くて、2004年1月3日以後に撮影されたものということになる。

この「2004年」という年号に注目しておいてほしい。
その上で、私自身が描いた新聞上のイラストと、スピリットが送ってきた写真を見比べてみてほしい。

もし時間的に逆、つまり私が描いたイラストが、スピリットが送ってきた写真よりあとということなら、私がスピリットの送ってきた写真を模してイラストを描いたと疑われてもしかたない。
しかし私のほうが、先に書いている。
2000年の11月である。
スピリットがこの写真を送ってきたのは、少なくとも2004年1月以後である。
私がスピリットの送ってきた写真を模してイラストを描いたということは、ありえない!

つまりこれが、私という小さな人間の、ささやかな、実にささやかな「証拠」ということになる。
「宇宙人は存在する」という、ささやかな証拠ということになる。

●イラストと写真の比較

 ここに私が描いたイラストと、火星上空を飛ぶUFOの写真を並べて掲載する。

http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/85/imgecf17303zik8zj.jpeg
★コラムの中のイラストの拡大図

http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/66/img61c597d8zik2zj.jpeg
★火星探査機「スピリット」が送ってきた、火星上空を浮遊するUFO(2004年)

http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/65/img62d89929zikczj.jpeg
★(UFOの拡大写真)
 この写真(↑)で、UFOの周辺をよく見てほしい。
何か、モヤモヤしたものが、UFOを取り囲んでいるのがわかる。
このモヤモヤしたものは、何か?

 ……というような、あいまいな言い方はやめよう。
このモヤモヤは、「フォース・フィールド」と、UFO研究者の中では呼ばれている。
どういう原理で、UFOが飛ぶのかは、わかっていない。
しかし飛行中のUFOの周辺に、この種のフォース・フィールドが現れることは、よく知られている。
「磁場変性」とも、「重力場変性」とも言われている。
まわりの気体をイオン化し、ばあいによっては、雲のように見えることもあるという。
もちろん科学的に実証された「フォース」ではない。
UFO研究者の間で、そう呼ばれているにすぎない。

http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/91/0000004091/86/img4e55c54czikbzj.jpeg
★別の本に紹介された、火星上空のUFO(「世界のUFO現象」(学研))

●宇宙人は、確かにいる!

 繰り返す。

 私はあの夜のことを忘れない。
あの夜、私とワイフは、UFOを見た。
が、当初、私は、それをUFOとは思わなかった。
私が聞いていたUFOは、円盤形のものをいう。
「く」の字型(ブーメラン型)のUFOなど、知る由もなかった。
しかも、巨大だった。
天空をぐいと横切るほど、巨大だった。
新聞記事の中では、1、2キロと書いたが、実際のところ、よくわからない。
それよりも大きかったかもしれない。
あるいは小さかったかもしれない。
が、飛行機とは比較にならないほど、巨大だった。

 あの夜見たものを、もう一度、整理しておきたい。

(1)窓

 私もワイフも窓らしきものを目撃している。
大きな丸い窓(?)で、よく見ないとわからないほど、淡い橙色のものだった。
私は、それはジグザグに並んでいたように思うが、ワイフは、一直線だったと言っている。

(2)黒いシルエット

 私は黒いシルエット(輪郭)を見ているが、ワイフはよく覚えていないという。
最初はそのシルエットは見えなかった。
少しずつ黒くなって、真上にきたとき、黒いシルエットとなった。
黒いシルエットが、その背景の夜空よりも黒く、夜空に浮かびあがった。
月は出ていなかったように記憶している。

 私が記憶しているシルエットは、中日新聞紙上で発表したとおりである。
私はその形を忘れないように、当時、何度もメモした記憶がある。

(3)消え方

 私が見たそのUFOは、西の方角からゆっくりやってきて、真上に来たとき、突然スピードをあげ、東の方角へ飛んでいった。
スーッという感じだった。
そのときのこと。
そのUFOは、遠ざかって消えるというよりは、空に溶け込むようにして消えていった。
大きさは遠ざかるにつれて小さくなったように感じたが、そのまま透明になり、消えていった。
このことは、前にも書いた。

 その先に白い小さな筋雲がいくつかあったように記憶している。
そのUFOは、雲の中に消えたのではない。
その手前で、ブーメラン型の形を残したまま、消えた。

(4)自衛隊に電話

 その直後、私は電話帳で自衛隊基地の番号を調べ、電話をかけた。
何度もかけたように記憶している。
その夜は、一睡もせず、朝を待った。

 電話がやっとつながったのは、午前8時30分ちょうどだったと記憶している。
つながった先のひとつは、「管制室」だった。
あちこちへ電話を回されたので、記憶は定かではない。
電話口の向こうの男性は、「そういう報告はあがっていません」とだけ、何度も繰り返した。
私は「そんなはずはない!」と、私は食いさがった。
何度も押し問答を繰り返した。
「あんな大きなものが上空を通過したのに、レーダーに映っていないはずがないだろ!」
と、怒鳴った記憶もある。

●スピリット(豊田ひろし氏のHPより抜粋)

 なお火星探査機の「スピリット」について、豊田ひろし氏は、つぎのように書いている。

『……火星の表面を移動し、水が存在した証拠を探る米航空宇宙局(NASA)の無人探査車「スピリット」が、米太平洋時間3日(2004年1月)午後8時35分(日本時間4日午後1時35分)、火星に着陸、周囲の写真撮影に成功しました。

 スピリットは、火星の大気圏に時速1万9000キロ以上の高速で突入。
パラシュートとロケット噴射で減速するとともに、24個のエアバッグを膨らませて本体を包み、着陸後バウンドを繰り返した末に、無事停止しました。
専門家が「地獄のようなもの」と呼ぶ、1400度を超す高温と接地時の激しい衝撃に耐え、探査車は生き残りました。

 スピリットは2003年6月10日MER―A 1号機によって打ち上げられ、約7か月弱で火星に到着しました。

スピリットは今後約1週間かけて観測機器の機能を確認。
その後約3か月間、周囲を走り回り、カメラや試料採取装置などを使って、岩石や土壌の組成を分析、水の痕跡を探ることで、生命の有無を確かめます。
いままでは,すべてモノクロ写真の地上撮影でしたが,今回は地上のカラー写真もはじめて撮影しました』(豊田ひろし氏のHPより)。

●豪雨

 九州地方に、梅雨前線が停滞している。
上に冷たい空気。
下に高気圧。
その間を縫って、南側から湿った空気が入りこんでいる。
そのため7月に入ってから、九州地方は、猛烈な雨に見舞われている。
被害も出ている。

 大分県日田市も、大きな被害に見舞われた。
「HS氏に、だいじょうぶですか?」と聞くと、「うちは、川から離れていますから」と。

 博多からは、西鉄の高速バスで行くつもりでいる。
HS氏が、バスを勧めてくれた。

 7月14日(土曜日)朝いちばん、改めて天気図を見る。
それに九州地方は、猛烈な降雨を示す赤色に包まれていた。
「だいじょうぶだろうか?」と不安になる。

●UFO問題

 だからといって、私はいつもUFOのことを考えているわけではない。
あの夜見た、あのUFOにしても、通りでみかける救急車のようなものだったかもしれない。
時間にすれば、10~20秒足らず。
あるいは長くて30秒前後。
ふつうなら、そのまま記憶の中から消えていたとしても、おかしくない。

 だれかに話したとしても、内容は、数分で終わってしまう。
「だからそれがどうしたの……?」と聞かれると、そこまで。
それ以上、会話がつづかない。
「見ただけです」と。

 が、最近では、……最近といっても、2008年のことだが、こんな話も伝わってきている。

●宇宙人は、存在する!

 元宇宙飛行士だった人が、宇宙人の存在を認めたというのだ。
その元宇宙飛行士が英国の音楽専門ラジオ局のインタビューで、政府は宇宙人の存在を隠ぺいしていると発言。
米英メディアが相次いで報じる騒ぎに発展したというのだ(2008年7月29日)。

その記事を、そのまま紹介する。
まさに驚愕すべきニュースである。

【ニューヨーク 25日時事】

米航空宇宙局(NASA)の元宇宙飛行士が英国の音楽専門ラジオ局のインタビューで、政府は宇宙人の存在を隠ぺいしていると発言。
米英メディアが相次いで報じる騒ぎに発展した。

 この元宇宙飛行士は、1971年に打ち上げられたアポロ14号の元乗組員、エドガー・
ミッチェル氏(77)。

 同氏は23日の放送で、政府は過去60年にわたり宇宙人の存在を隠してきたが、「われ
われのうちの何人かは一部情報について説明を受ける幸運に浴した」と説明。
宇宙人は「奇妙で小さな人々7と呼ばれている」などと語った(以上、ヤフー・ニュースより)。 

●確認

この記事の信憑性を確かめることにした。
私はこうしたニュースでは、原文(英文)で直接確かめることにしている。

オーストラリアの友人に頼むと、折り返し返事が届いた。
友人は、オーストラリアの国防省に勤務している。
それをそのまま紹介する。
訳は急いで私がつけたが、あえて、原文に忠実に訳してみた。

++++++++++++以下、NEW.COM.AUより+++++++++

FORMER NASA astronaut and moon-walker Dr Edgar Mitchell - a veteran of the Apollo 14 mission - has stunningly claimed aliens exist.
月面歩行者であり、元NASAのベテラン宇宙飛行士である、エドガー・ミシェル博士(アポロ14号のベテラン飛行士)が、「宇宙人は存在する」と強く主張した。

And he says extra-terrestrials have visited Earth on several occasions - but the alien contact has been repeatedly covered up by governments for six decades.
彼が言うには、外惑星人は、地球を、何度かに渡って訪問しているとのこと。しかし宇宙人とのコンタクト(接触)は、この60年間、政府によって繰り返し、隠蔽されてきた、という。

Dr Mitchell, 77, said during a radio interview that sources at the space agency who had had contact with aliens described the beings as 'little people who look strange to us.'
77歳のミシェル博士は、ラジオ・インタビューの中で、宇宙人と接触したことのある宇宙局(の係官)は、その生き物を、『ワレワレには奇妙に見える小さな人々』と表現したと語った。

He said supposedly real-life ET's were similar to the traditional image of a small frame, large eyes and head.
ミシェル博士は、本物のETは、小さな体の、大きな目と頭をもった、あのよく知られている(=伝統的な)イメージに似ていると思っていると語った。

Chillingly, he claimed our technology is "not nearly as sophisticated" as theirs and "had they been hostile", he warned "we would be been gone by now".
ミシェル博士は、ワレワレ人間の技術力は、彼らのものととても同程度のものではなく、「もし彼らが敵対的であるなら、人類は、今ごろは絶滅していただろう」と、警告した。

Dr Mitchell, along with with Apollo 14 commander Alan Shepard, holds the record for the longest ever moon walk, at nine hours and 17 minutes following their 1971 mission.
ミシェル博士は、アポロ14号のアラン・シェパード船長とともに、1971年のミッションでは、9時間17分の最長月面歩行をしたという記録を保持している。

"I happen to have been privileged enough to be in on the fact that we've been visited on this planet and the UFO phenomena is real," Dr Mitchell said.
ミシェル博士は、「ワレワレは宇宙人によってこの惑星を訪問され、またUFO現象は事実であるという事実に関して、それをじゅうぶん知りうる立場にあるという特権を、私はたまたまもった」

"It's been well covered up by all our governments for the last 60 years or so, but slowly it's leaked out and some of us have been privileged to have been briefed on some of it.
「過去60年間、私たち政府すべてによって、それは隠蔽されつづけてきた。しかし少しずつ、外に漏れてきた。そしてワレワレの中の何人かは、それらのいくらかの部分について、述べるという特権を与えられた」

"I've been in military and intelligence circles, who know that beneath the surface of what has been public knowledge, yes - we have been visited. Reading the papers recently, it's been happening quite a bit."
「私は軍と情報部に属してきた。軍と情報局は、一般的に知られているその表面下で、(そうだとも)、ワレワレは訪問を受けていたということを知っている。最近の新聞を読めば、それがたいへんしばしば起きてきたということがわかる」と。

Dr Mitchell, who has a Bachelor of Science degree in aeronautical engineering and a Doctor of Science degree in Aeronautics and Astronautics claimed Roswell was real and similar alien visits continue to be investigated.
ミシェル博士、つまり航空工学分野の科学学士号、ならびに、航空力学ならびに宇宙船学の博士号をもっているが、ロズウェルは現実にあったと主張し、同様の宇宙人の訪問は、調査されていると語った。

He told the astonished Kerrang! radio host Nick Margerrison: "This is really starting to open up. I think we're headed for real disclosure and some serious organisations are moving in that direction."
ミシェル博士は、驚いているケラング・ラジオ局のホストである、ニック・マーゲリソンにこう語った。「これは情報開示の第一歩であり、私たちがその開示の先頭にいる。いくつかの重要な組織が、その方向で動きつつある」と。

Mr Margerrison said: "I thought I'd stumbled on some sort of astronaut humour but he was absolutely serious that aliens are definitely out there and there's no debating it."
マーゲリソンは、語った。「私は宇宙船乗組員のユーモアと思ったが、(ミシェル博士は)、まったく真剣だった。彼は宇宙人は、確実にそこにいて、議論の余地はないと語った」と。

Officials from NASA, however, were quick to play the comments down.
しかしNASAの高官はすかさず、つぎのようなコメントを発表した。

In a statement, a spokesman said: "NASA does not track UFOs. NASA is not involved in any sort of cover up about alien life on this planet or anywhere in the universe.
その中で、スポークスマンは、「NASAは、UFOの存在を確認していない。NASAは、この惑星上の宇宙生命体について、この惑星においても、また宇宙においても、どこでも、いかなる隠蔽にも関与していない」。

'Dr Mitchell is a great American, but we do not share his opinions on this issue.'
「ミシェル博士は、偉大なアメリカ人だが、ワレワレ(=NASA)は、この問題について、彼の意見と共にすることはない」と。

+++++++++++++以上、NEW.COM.AUより++++++++

●懐疑主義者からの反論

 こうした発言に対して、懐疑的な意見をもつ人も多い。
 
+++++++++以下、オーストラリアUFO研究団体のHPより++

A RECENT spate of UFO sightings around the world has believers in a frenzy, but even
the inside scoop from a former astronaut is not enough to sway the sceptics.
Yesterday, aliens popped up in the news again as NASA sought to distance itself from
former Apollo 14 astronaut Edgar Mitchell who claimed extra-terrestrials have been
coming to visit for decades.

UFOが世界中で目撃され、多くの狂信的な信者がいますが、しかし元宇宙飛行士だった人の内部からのスクープは、それを疑う人を吹き飛ばすには、じゅうぶんではないようだ。
宇宙人は、もう何十年もの間、(地球を)訪問してきていると主張する、アポロ14号の宇宙飛行士のエドガー・ミッチェル氏と、NASAは距離を置こうとしているが、昨日、またまた宇宙人が、ニュースになった。

Dr Mitchell, 77, said governments had been covering it up for 60 years.

ミッチェル博士は(77歳)は、アメリカ政府は、60年間、それを隠ぺいしつづけてきたと言った。

"I've been in military and intelligence circles, who know that beneath the surface of
what has been public knowledge, yes - we have been visited. Reading the papers
recently, it's been happening quite a bit," he said.

「私は軍と情報部で仕事をしてきた。私はおおやけの場で知られている表面的な部分の下で、私たちは訪問を受けているということを知っている。
最近の新聞に書かれているように、それはたいへん多く起きている」と彼は言った。

Dr Mitchell's former bosses were quick to distance themselves from the renewed buzz.
"NASA does not track UFOs. NASA is not involved in any sort of cover up about alien
life on this planet or anywhere in the universe," the agency said.

ミッチェル博士の上層部たちは、こうしたニュースからは、いつも距離を置いた。
「NASAは、UFOを検証しない。
NASAは、宇宙における宇宙人ならびに生物について、どんな隠ぺい工作にも関与していない」と。

But the Australian Skeptics were not impressed by what Dr Mitchell - or anyone else -
thought they saw.  Skeptic spokesman Barry Williams said today the truth was closer
to home: it's all in your head, and you're wrong.

しかしオーストラリアの懐疑論者は、ミッチェル博士の言ったことについて、関心を示さなかった。
バリー・ウィリアムズ(懐疑論者)は、今日、家に真実はより近づいた。
それはすべてあなたの手の中にある。
あなたはまちがっている」と言った。

"We love mysteries and we love solving them, just look at how popular crime fiction and
crime TV shows are," Mr Williams said. "The brain needs to find answers, it can't
stand not knowing, so it comes to an explanation and quite often it's wrong."

「私たちは神秘を愛し、その謎を解くのを愛する。
それを知りたければ、推理番組がいかに人気があるかを知ればよい。
脳は答を知る必要がある。
が、知ることはできない。
そこで説明ということになるが、その説明というのは、しばしばまちがっている」と。

+++++++++以下、オーストラリアUFO研究団体のHPより++

●確信

 私はミッチェル博士の発言というより、告白を読んだとき、肩から、スーッと力が抜けていくのを感じた。
「やはり、そうだったのか」と。

 私とワイフは、あの夜以来、「あの夜、私たちが見たものは何だったのか」と、それをずっと考えてきた。
が、「考える」といっても、相手は、煙のような存在。
手でつかまえようとしても、いつもそのままどこかへ消えてしまう。
あの夜以来、その歯がゆさとの闘いだった。

 しかしとうとう、告白者が現れた。
アポロ14号の元乗組員、エドガー・ミッシェル氏である。
これ以上の証言者が、ほかにいるだろうか。

しかも、60年前といえば、「1947年のロズウェル事件」と、重なる。
60年前、アメリカのロズウェルというところに、UFOが墜落している。
エドガー・ミッシェル氏がいう「60年前」と、「1947年のロズウェル事件」とを結び
つけるのは、早計かもしれない。
しかしほかに結びつく話が、ない。

 で、「奇妙で小さな人々」とは、どんな人々をいうのか。
ロズウェルでのUFO墜落事件では、「グレイ」とそののち呼ばれるようになった、小さな
体の宇宙人が、アメリカ軍によって収容されたという。
エドガー・ミシェル氏が言うところの、「小さな人々」というのは、その「グレイ」のこと
をさすのか。

今のところ詳細は不明だが、エドガー・ミッシェル氏の勇気に、敬意を表したい。
おそらくこれからしばらくの間、エドガー・ミシェル氏は、アメリカ政府内の、そのスジに
人たちによる、猛攻撃にさらされるにちがいない。
ばあいによっては、逮捕、投獄されるかもしれない。
しかしそんなことをすれば、かえってエドガー・ミシェル氏の正当性が、証明されるよう
なもの。

 ……私は何度も、この記事を読みなおした。
「UFOを見た」というだけで、この日本では、奇人扱いされる。
しかし見たものは、見た。
記憶の中で、もう何千回も、反復してみたが、見たものは見た。
たったそれだけのことだが、そのつど、同時に私は、(私のワイフもそうだろうが……)、自分の脳みそを疑わねばならなかった。

が、この記事で、私はその重圧感から、解放された。
「やはり、そうだったのか」と。

私たちがあの夜見たものは、やはりUFOだった。
宇宙人が操縦する、UFOだった。
今まで、私やワイフを奇人扱いしてきた人たちよ、悔しかったら、この記事を自分で読んでみたらよい。

●BT氏の訪問

 私はたった今(2012年7月14日午後)、BT氏の訪問を受けた。
「九州へ行ってきます」と話したことについて、餞別を届けてくれた。
同時に、BT氏自身が見たUFOのスケッチを届けてくれた。
それがつぎのものである。

img614
(色は銀色に、茶色を混ぜたような色。
夜中だったから、全体に黒かった。)

 このスケッチを見てもわかるように、BT氏は、私が見たUFOと同じUFOを見ている。
それがまた私とBT氏との関係でもある。

●BT氏との出会い

 浜松市内で講演を終え、講演会場を出たところに、BT氏が立っていた。
みると手に、私が書いた新聞のコラムを切り抜いてもっていた。

「はやし先生ですね……。
実は、私も同じものを見ました」と。

 それが私とBT氏との出会いの始まりだった。
BT氏も、巨大なブーメラン型のUFOを見ていた。
これも、私のケースとよく似ているが、BT氏もこう言った。
「私1人だけが見たというのなら、だれにも話さなかったでしょう。
私は弟と2人で、見ました」と。

 そう、私ももしあれを、私1人だけが見たということであれば、外の世界の人には、だれにも話さなかっただろう。
が、私は、あれを私のワイフといっしょに見た。
だから人に話した。

 というのも、この種の話は、他人に話したところで、損になることはあっても、得になることは何もない。
事実、あのコラムを書いてしばらくしたあと、110回もつづいたコラムだったが、突然中止になってしまった。

 BT氏がその夜、弟氏と見たUFOについては、もう少しあとに書くことにして、私は宇宙人がいると聞いても、驚かない。
その理由のひとつが、黄帝内経・素問(こうていだいけい・そもん)という書物である。

●五運行大論篇(黄帝内経)

 私は東洋医学に関して、3冊の本を書いている。
うち1冊(「東洋医学・基礎篇・学研)は、今でも、医学部や鍼灸学校で、教科書として使われている。
もう1冊は、ボロボロの古本でも、6000~7000円で取り引きされている。
「目で見る漢方診断」(飛鳥新社)という本である。

 その東洋医学についての本を書いているとき、奇妙な記述に出会った。
それが「五運行大論篇」である。
(ただし中国に残っている黄帝内経ではない。
京都の仁和寺に現存している黄帝内経である。
中国に残っている黄帝内経は、その後の学者らによって、ズタズタに改変されている。
仁和寺に現存する黄帝内経は、皮肉なことに、それよりも古い時期に、直接中国から日本に伝わったものである。)

 話せば長くなるが、五運行大論篇は、まさしく「地動説」を説明したものである。
黄帝内経が書物として書き残された時期にしても、それは天地をひっくりかえすほどの奇論であったにちがいない。
(だからこそ、何度も書き改められたということになるのだが……。)

 それを知ったとき、私は、こう思った。
「これほどまでに高度な知識を、彼らは、どこでどのようにして手に入れたか」と。
名前の通りとするなら、黄帝の時代。
推定でも、紀元前3500年ごろ。
今から5500年も前のことである。

 詳しくは、この原稿の最後に載せておく。
興味のある人は、そちらを見てほしい。

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。