2012年7月11日水曜日

Double-minded wife

【多重人格障害】(解離性障害)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

 その人(女性)が、二重人格障害と診断されたわけではない。
(正確には、多重人格障害という。)
先日、ある男性(60歳くらい)と、それが話題になった。
いわく、「実の妹がそうではないか?」と。

 妹氏は、55歳くらい。
見た目には静かでおとなしい。
電話で話していても、ほっとするような温もりを感ずる。
驚いて、「それはどういうことですか?」と聞くと、こう話してくれた。

「何かのことで、批判めいたことを言ったとたん、別人格になるのです」と。

 別人格……性質や正確が変化するというのではない。
ものの考え方そのものまで、基本的な部分で変化する。
こんなことがあったという。

 たまたまその男性が、妹氏の家にいたときのこと。
妹の夫と妹の長男(30歳くらい)が、大声で怒鳴りあいの喧嘩を始めた。
そのとき、長男が、夫の胸ぐらをつかんで、握り拳(こぶし)をあげた。
それを見て、その男性は、それを制止しようと、まず妹氏のほうの顔を見た。
が、その顔を見て、その男性はぞっとしたという。

「○○のやつ(妹氏)、ニンマリと笑っていました」と。

 自分の夫が長男に殴られそうになった。
ふつうなら、(「ふつうなら」という言い方はできるだけ避けたいが)、母親である妹氏が、その間に割って入る。
止める。
が、割って入るどころか、「ニンマリと笑っていた」と。

男「実は、そういうことはよくあります。
ふだんは親切で、よく気が利きます。
が、何かのことで機嫌を損ねると、その瞬間、別人格になってしまうのです。
心が欠けてしまったのではないかと思えるほど、冷淡になります。
それこそ夫に対しても、『あんたなんか、どこかへ行って死んでくればいい』と。
そんな感じになります」と。

 ……誤解がないように書いておく。
私はドクターではないし、診断権はない。
多重人格障害者の研究者でもない。
「二重人格」という言葉は、その男性の口から出てきた。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●解離性障害

 現在では、「多重人格障害」のことを「解離性障害」という。
ウィキペディア百科事典には、つぎのようにある。

『……解離性障害は本人にとって堪えられない状況を、離人症のようにそれは自分のことではないと感じる。
あるいは解離性健忘などのようにその時期の感情や記憶を切り離して、それを思い出せなくすることで心のダメージを回避しようとする。
それらのことから引き起こされる障害であるが、解離性同一性障害は、その中でもっとも重く、切り離した感情や記憶が成長して、別の人格となって表に現れるものである』と。

 これだけ読むと、だれにも、そういう(傾向)はあるということになる。
それが高じて「解離性障害」になる(?)。
たとえば夫婦げんか。

 ふだんは仲のよい夫婦でも、ひとたびけんかが始まると、たがいに別人格になったようになる。
が、それは「解離性障害」とは、言わない。
ウィキペディア百科事典にも、「段階がある」とある。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●解離性障害

『「解離」には誰にでもある正常な範囲から、治療が必要な障害とみなされる段階までがある。
不幸に見舞われた人が目眩を起こし気を失ったりするが、これは正常な範囲での「解離」である。
更に大きな精神的苦痛で、かつ子供のように心の耐性が低いとき、限界を超える苦痛や感情を体外離脱体験とか記憶喪失という形で切り離し、自分の心を守ろうとするが、それも人間の防衛本能であり日常的ではないが障害ではない。
解離は防衛的適応ともいわれるが一過性のものであれば、急性ストレス障害 (ASD)のように時間の経過とともに治まっていくこともある。
この段階では急性ストレス障害と診断されない限り、「障害」とされることは少ない』(以上、ウィキペディア百科事典)と。

 そういう(傾向)が見られたからといって、「障害」と決めつけてはいけない。
ウィキペディア百科事典には、さらにつぎのようにある。

『……しかし深刻な場合には、例えば「感情の調整」が破壊されることから更に二次的、三次的な派生効果が生まれ、衝動の統制、メタ認知的機能、自己感覚などへの打撃となり、そうした精神面の動きや行動が生物学的なものを変える。
それがまた精神面、行動面に跳ね返ってくるという負のスパイラルに陥る。

うつ症状、摂食障害、薬物乱用(アルコール依存症もこれに含まれる)、転換性障害を併発することがあり、そして不安障害(パニック障害)、アスペルガー障害、境界性パーソナリティ障害、統合失調症、てんかんによく似た症状をみせ、リストカットのような自傷行為に止まらず、本当に自殺しようとすることが多い。
スピーゲル (Spiegel,D.)は、その深刻なケースを念頭においてだが、次のように述べている。

 「この解離性障害に不可欠な精神機能障害は広く誤解されている。
これはアイデンティティ、記憶、意識の統合に関するさまざまな見地の統合の失敗である。
問題は複数の人格をもつということではなく、ひとつの人格すら持てないということなのだ」』(以上、ウィキペディア百科事典より)と。

 つまり「ひとつの人格すら持てない」ことが問題、と。

 その男性の妹氏は、ふだんは、静かでおとなしい(私の印象)。
それを主人格とするなら、妹氏は、自分の人格をもっていることになる。

●誤解

 こうした誤解は、日常生活の中では、多い。
言葉だけが先行し、それでもって、「あの人は……」「あなたは……」「私は……」となる。
私のばあいも、自分では、「パニック障害者」ではないかと疑っている。
疑っているだけで、正式に診断されたわけではない。
(ただしドクターによる診断が、かならずしも正しいというわけではない。念のため。)

 何かのことで不安になると、それが原因で、極度の緊張状態になる。
もの考え方が、破滅的になる。
「もう、何もかもだめ」「すべてが終わった」と。
ものの考え方が、そうなる。

 そういうときは、ふとんの中で体を丸めて、静かにしている。
精神安定剤や睡眠導入剤も効果的。
興奮性を引き起こす飲料水は、厳禁。
そのまま眠ってしまえば、朝までには、治る。
書き忘れたが、私のばあい、床に就いてから、発作が起きることが多い。
原因は、私の幼児期にある。
それについて書いた原稿が、どこかにあるはず。
探してみる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●心の傷
(本文中に、54歳とあるから、2002年ごろ書いた原稿ということになる。)

 私の父はふだんは、学者肌の、もの静かな人だった。
しかし酒を飲むと、人が変わった。今でいう、アルコール依存症だったのか? 
3~4日ごとに酒を飲んでは、家の中で暴れた。
大声を出して母を殴ったり、蹴ったりしたこともある。
あるいは用意してあった食事をすべて、ひっくり返したこともある。

私と5歳年上の姉は、そのたびに2階の奥にある物干し台に身を潜め、私は「姉ちゃん、こわいよオ、姉ちゃん、こわいよオ」と泣いた。

 何らかの恐怖体験が、心のキズとなる。
そしてそのキズは、皮膚についた切りキズのように、一度つくと、消えることはない。
そしてそのキズは、何らかの形で、その人に影響を与える。
が、問題は、キズがあるということではなく、そのキズに気づかないまま、そのキズに振り回されることである。

 たとえば私は子どものころから、夜がこわかった。
今でも精神状態が不安定になると、夜がこわくて、ひとりで寝られない。
あるいは岐阜の実家へ帰るのが、今でも苦痛でならない。
帰ると決めると、その数日前から何とも言えない憂うつ感に襲われる。
しかしそういう自分の理由が、長い間わからなかった。

もう少し若いころは、そういう自分を心のどこかで感じながらも、気力でカバーしてしまった。
が、50歳も過ぎるころになると、自分の姿がよく見えてくる。
見えてくると同時に、「なぜ、自分がそうなのか」ということがわかってくる。

 私は子どものころ、夜がくるのがこわかった。
「今夜も父は酒を飲んでくるのだろうか」と、そんなことを心配していた。
また私の家庭はそんなわけで、「家庭」としての機能を果たしていなかった。
家族がいっしょにお茶を飲むなどという雰囲気は、どこにもなかった。
だから私はいつも、さみしい気持ちを紛らわすため、祖父のふとんの中や、母のふとんの中で寝た。
それに私は中学生のとき、猛烈に勉強したが、勉強が好きだからしたわけではない。
母に、「勉強しなければ、自転車屋を継げ」といつも、おどされていたからだ。
つまりそういう「過去」が、今の私をつくった。

 よく「子どもの心にキズをつけてしまったようだ。心のキズは消えるか」という質問を受ける。
が、キズなどというのは、消えない。
消えるものではない。
死ぬまで残る。
ただこういうことは言える。

心のキズは、なおそうと思わないこと。
忘れること。
それに触れないようにすること。
さらに同じようなキズは、繰り返しつくらないこと。
つくればつくるほど、かさぶたをめくるようにして、キズ口は深くなる。

私のばあいも、あの恐怖体験が一度だけだったら、こうまで苦しまなかっただろうと思う。
しかし父は、先にも書いたように、3~4日ごとに酒を飲んで暴れた。
だから54歳になった今でも、そのときの体験が、フラッシュバックとなって私を襲うことがある。
「姉ちゃん、こわいよオ、姉ちゃん、こわいよオ」と体を震わせて、ふとんの中で泣くことがある。
54歳になった今でも、だ。

 心のキズというのは、そういうものだ。決して安易に考えてはいけない。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●解離性障害

 話を戻す。

 ウィキペディア百科事典には、その原因として、つぎのようにある。
ここに書いてあることが、すべて正しいというわけではない。
が、乳幼児期における心の形成がいかに重要か、この一文を読んだだけでも、よくわかる。

『……最近では幼児期の生育環境と解離性障害の関係も指摘されている。
発達心理学の愛着理論(Attachment theory)では、Aタイプ(回避群)、Bタイプ(安定群)、Cタイプ(抵抗群)が有名だが、1986年にメイン(Main,M.) とソロモン(Solomon,J.)が発見したDタイプ(無秩序・無方向型)を新たに加えた。

1991年にはバラック (Barach,P.M.M.) が愛着関係(attachment)とDIDとの関係を示唆し、あるいは2003年にライオンズ-ルース (Lyons-Ruth.K.)が、明確な心的外傷 (trauma)が無くとも、Dアタッチメント・タイプにあった子供は解離性障害になる可能性が高いとするなど、後徐々にこの方面での研究が進んでいる』(以上、ウィキペディア百科事典より)と。

●許容範囲

 なお最近の研究によれば、仮に多重性をもった人格であっても、それぞれの別人格が共存しているということではないそうだ。
「交代人格」という言葉もある。
詳しくは……。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A7%A3%E9%9B%A2%E6%80%A7%E5%90%8C%E4%B8%80%E6%80%A7%E9%9A%9C%E5%AE%B3

 どうであれ、それが許容範囲にあるかどうかということ。
あればそれでよし。
そうでなければ、また別の方法を考える。
その男性はこう言った。

「妹と話をしていて、批判めいたことは、いっさい、言えません。
今、近くに住む母親(実母)のめんどうをみてくれていますが、こうしたらどうというような話をしただけで、パニック状態になります」と。

 つまり「そういう形でつきあっていくしかない」と。

 以上、その男性の話を思い出しながら、多重人格障害(解離性障害)について、考えてみた。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

2009年に、同じような原稿を書いていた。
改めて、それを読みなおす。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

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●メタ認知

 自分の現在の脳みその活動を、客観的に
認識することを、「メタ認知(認識)」という。
「メタ」というのは、「超えた」という意味。
「認識を超えた認識」という意味で、「メタ
認識」という。

 たとえば空腹感を覚えたようなとき、
「ああ、血糖値がさがっているぞ。視床下部の
センサーがそれを感知しているぞ。
ドーパミンが線条体を刺激し始めたぞ……」と。

 目には見えないが、脳のメカニズムがある程度
わかってくると、具体的にそれを知ることができる
ようになる。
自分の中に起きている変化を、客観的に認識する
ことができるようになる。
それが「メタ認知(認識)」。
新しい言葉なので、用語の使い方がまちがっているかも
しれないが、大筋ではそれほどまちがっていないと思う。

で、たとえばパソコンのOSにビスタがある。
このビスタには、自己評価能力という機能が
ついている。
それぞれの機能を、6点満点法で表示してくれる。
これなどは、メタ認知(認識)ということになる。
自分で自分をテストして、自分の能力を調べる。

で、ふとこんなことを考える。
人間も、似たようなことはできないものか、と。

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●解離性人格障害

 「人格障害」というと、ゾッとする人も多いかもしれない。
しかしこと、この「解離性人格障害」について言えば、程度の差こそあれ、ほとんどの
人に、その傾向が見られる。

 本来の「私」はいるのだが、興奮したようなとき、あるいは攻撃的になったようなとき、
もっとわかりやすい例では、カッと頭に血が上ったようなとき、別人のようになる人は
多い。
そのとき、通常の人とちがう点は、人格そのものまで変化するということ。
ふだんは平和主義者の人が、そういう状態になったとたん、虚無主義者になったりする。
淋しがりやの人が、孤独に強くなったりする。

 実は、私もそうで、それに気づくまでに、20年以上の年月がかかった。
つまり病識そのものが、なかった。
そういう自分を薄々知りながらも、「私はまとも」と思っていた。
しかし私は、(まとも)ではなかった。

 「解離(かいり)」というのは、主人格がちゃんとあって、そのつど、副人格が優勢になる状態をいう。
主人格との間に、連続性はない。
あるいは副人格になったときでも、主人格ははっきりとそれを自覚していて、一方の側から、「やめろ」とか、「今のお前はおかしい」とか、口を添えたりする。

●解離性性格

 で、こういう話をすると、たいていの人は、「そういえば、私にも似たようなところがある」と言い出す。
他人の心の奥までは覗くことはできないが、もしそうであるなら、「人格障害」という診断名は、少し仰々しすぎるのでは?
「解離性性格」でもよいのではないか。
たとえばアルコールが入ったとたん、別の人間のようになる人は多い。
ふだんは、気が弱く、おとなしく静かだった人が、アルコールが入ったとたん、気が大きくなり、大声でわめき散らしたりする。

●病識の自覚

 ここでの目的は、解離性人格障害について書くことではない。
目的は、そうした問題が自分自身にあるとき、どうすれば、それを自分で知ることができるかということ。

 たとえば精神疾患の世界には、「病識」という言葉がある。
同じ精神疾患でも、「私は病気」と気がついている、つまり病識がある人は、まだ軽いのだそうだ。
が、それがさらに進むと、その病識がなくなる。
「私はどこもおかしくない」とがんばる人ほど、重症ということになる。

 では、病識のある・なしは、どこで決まるのか。
 
 ひとつには、知識と経験ということになる。
そういう点では、他人の病気を知ることは、たいへん、役に立つ。
たとえば今、私は認知症の高齢者にたいへん興味がある。
そういう人たちをたくさん見ておくことによって、自分の変化をより的確に知ることができるようになる。

●脳のCPU

 が、脳のCPUそのものが狂ってしまっていたら、どうなのか。
言うなれば狂った頭を、狂った頭で判断するようなもので、理論上は、メタ認知(認識)できないということになる。

 よい例が、幻覚。

 私はチョコレートをたくさん食べると、脳の様子が変調する。
おかしくなる。
一種の覚醒作用か?

具体的にはどういう作用によるものかはわからないが、脳みそが勝手に暴走し始める。
10年ほど前、一度、そういう経験をしてから、それが恐ろしくなり、以後、チョコレートは、ほとんどといってよいほど、口にしていない。
(そのときは、バレンタインディーか何かで、休み時間ごとに、パクパクとチョコレートを食べた。)
 
 そのときの症状は、別のどこかですでに書いたことがある。
たとえばこうである。
 
 頭の中に、2本の物干し竿が浮かんでくる。
具体的に、その映像が頭の中に映ってくる。
それについて、「人生の真理は、2本の物干し竿である」というように考え始める。
私が意図的に考えるのではなく、勝手に脳みそがそう考え始める。
(物干し竿)と(真理)の間には、連続性は、まったくない。
で、ふと、我に返る。
我に返って、それを頭から、振り払う。
が、つぎの瞬間には、また別のことを考え始める……。

 それは不気味というよりは、恐怖だった。
「頭が狂うということは、こういうことだ」と知った。

 そのときの経験から、CPUが狂ったときには、それを自分でコントロールするのは、たいへんむずかしいということを知った。

●では、どうすればよいか
 
 要するに、(心の問題)は、それがどんなものであれ、うまくつきあうしかない。
たとえばうつ病にしても、約30%の人が罹患すると言われている(アメリカ)。
日本人は、どこかいいかげんな精神構造をもっているので、それよりは少ないと言われている。

 仮に30%とするなら、それは「病気」というよりは、(病気であることにはまちがいはないが……)、「人間が本来的にもつ性質」のようなもの。
少なくとも、特別視するほうがおかしい。

 だったら、あとはうまくつきあう。
つきあうだけ。
つきあいながら、それ以上、症状を重くしないことだけを考える。
「直そう」とか「治そう」と考えれば考えてはいけない。
そう考えて、自分を追い込めば追い込むほど、自分を苦しめることになる。

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(補記)

●メタ認知(追記)

 今日、ドライブしながら、ワイフに、メタ認知の説明をした。
ワイフは、たいへん興味深そうに、私の話を聞いてくれた。

 メタ認知……わかりやすく言えば、自分の思考プロセスを、客観的に意識化することをいう。
私が、「人間が知覚する意識の中でも、最高度のものだよ」と説明すると、「ふ~ん」と。

私「なぜ、自分がそのように行動し、考えるかという、そのプロセスを知ることだよ」
ワ「それがわかったからといって、どうなの?」
私「自分で、自分をコントロールすることができるようになる」
ワ「そうねえ。自分がなぜ、そのように行動し、考えるかがわかれば、自分で自分をコントロールするのは、簡単ね」
私「そうなんだよ」と。

 私が、なぜ、こうして毎日文を書いているかと言えば、その原点に、(生)があるからである。
その(生)を確認するために、文を書いている。
それはまさしく、(生との闘い)と言ってもよい。
そういうプロセスを知ることが、メタ認知ということになる。
それを話しているとき、若い男が運転する、ランドクルーザーとすれちがった。
横には、若い女性が、乗っていた。

私「ほら、あの男。自分では、自分で考えてあの車を買ったつもりでいる。
しかし実際には、自分の力不足を、ごまかすために、あの車を買ったのかもしれない。
ランクルに乗っているだけで、大物になったような気分になれる」
ワ「でも、本人は、それには気づいていないわね」
私「気づいていない。自分の中の、奥深くに潜む意識によって、操られている。おそらく説明しても、あの男性には、理解できないだろうね」と。

 その男性は、(生的エネルギー)(ユング)というよりは、(性的エネルギー)(フロイト)のほうに、強く操られていたかもしれない。
常識で考えれば、あれほどまでに若い男が、600~800万円もするような高級車に乗れることのほうが、おかしい。

 言いかえると、性的エネルギーは、それほどまでに強力ということ。が、それはそのまま私たち自身の問題ということになる。

 私たちは、今、なぜ、今のような行動をし、今のように考えるか。
行動の内容や、考えの内容は、どうでもよい。
問題は、なぜそのような行動をし、考えるかを知る。
それがメタ認知ということになる。

私「もし精神疾患をもった人が、自分を客観的にメタ認知できるようになったら、自分で自分の病気を克服できるようになるかもしれないね」
ワ「すごいことね」
私「そう、すごいことだ。が、重度の患者ほど、『私は正常だ』『どこも悪くない』と言ってがんばる。つまりメタ認知ができないということになる」と。

 こんな例が適切かどうかは、知らない。
が、こんなこともある。

 空腹になってくると、血糖値がさがってくる。同時に脳間伝達物質が、減少してくる。
すると、精神的に不安定になる。
人によっては、怒りっぽくなったり、イライラしたりするようになる。

 その怒りっぽくなったり、イライラしたようなとき、自分を客観的にメタ認知できたら、どうだろうか。
「ああ、今、怒りっぽくなっているのは、空腹のせいだ」と。
それが自分でわかる。そうすれば、自分の感情を、その時点でコントロールすることができるようになる。

 で、そのときも、そうだった。
私はそれを感じたので、ワイフに、「どこかで食事しようか」と声をかけた。
ワイフは、それに快く応じてくれた。


Hiroshi Hayashi++++++++AUG.09+++++++++はやし浩司

【生の源泉】

● 生(なま)のエネルギー
(Raw Energy from Hypothalamus)
In the middle of the brain, there is hypothalamus, which is estimated as the center of the brain. This part of the brain shows the directions of other parts of the brain. But it is not all. I understand the hypothalamus is the source of life itself.

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おおざっぱに言えば、こうだ。
(あるいは、はやし浩司の仮説とでも、思ってもらえばよい。)

脳の奥深くに視床下部というところがある。

視床下部は、いわば脳全体の指令センターと考えるとわかりやすい。
会社にたとえるなら、取締役会のようなもの。
そこで会社の方針や、営業の方向が決定される。

たとえば最近の研究によれば、視床下部の中の弓状核(ARC)が、人間の食欲を
コントロールしていることがわかってきた(ハーバード大学・J・S・フライヤーほか)。
満腹中枢も摂食中枢も、この部分にあるという。

たとえば脳梗塞か何かで、この部分が損傷を受けると、損傷を受けた位置によって、太ったり、やせたりするという(同)。

ほかにも視床下部は、生存に不可欠な行動、つまり成長や繁殖に関する行動を、コントロールしていることがわかっている。

が、それだけではない。

コントロールしているというよりは、常に強力なシグナルを、脳の各部に発しているのではないかと、私は考えている。
「生きろ!」「生きろ!」と。
これを「生(なま)のエネルギー」とする。
つまり、この生のエネルギーが(欲望の根源)ということになる。(仮説1)

フロイトが説いた(イド)、つまり「性的エネルギー」、さらには、ユングが説いた、「生的エネルギー」は、この視床下部から生まれる。(仮説2)

こうした欲望は、人間が生存していく上で、欠かせない。
言いかえると、こうした強力な欲望があるからこそ、人間は、生きていくことができる。
繁殖を繰りかえすことが、できる。
そうでなければ、人間は、(もちろんほかのあらゆる動物は)、絶滅していたことになる。
こうしたエネルギー(仏教的に言えば、「煩悩」)を、悪と決めてかかってはいけない。

しかしそのままでは、人間は、まさに野獣そのもの。
一次的には、辺縁系でフィルターにかけられる。
二次的には、大脳の前頭前野でこうした欲望は、コントロールされる。(仮説3)

 性欲を例にあげて考えてみよう。

女性の美しい裸体を見たとき、男性の視床下部は、猛烈なシグナルを外に向かって、発する。
脳全体が、いわば、興奮状態になる。
(実際には、脳の中にある「線状体」という領域で、ドーパミンがふえることが、確認されている。)

その信号を真っ先に受けとめるのが、辺縁系の中にある、「帯状回」と呼ばれている組織である。

もろもろの「やる気」は、そこから生まれる。
もし、何らかの事故で、この帯状回が損傷を受けたりすると、やる気そのものを喪失する。
たとえばアルツハイマー病の患者は、この部分の血流が著しく低下することが、わかっている。

で、その(やる気)が、その男性を動かす。
もう少し正確に言えば、視床下部から送られてきた信号の中身を、フィルターにかける。
そしてその中から、目的にかなったものを選び、つぎの(やる気)へとつなげていく。
「Sックスしたい」と。

それ以前に、条件づけされていれば、こうした反応は、即座に起こる。
性欲のほか、食欲などの快楽刺激については、とくにそうである。
パブロフの条件反射論を例にあげるまでもない。

しかしそれに「待った!」をかけるのが、大脳の前頭前野。
前頭前野は、人間の理性のコントロール・センターということになる。
会社にたとえるなら、取締役会の決定を監視する、監査役ということになる。

「相手の了解もなしに、女性に抱きついては、いけない」
「こんなところで、Sックスをしてはいけない」と。

しかし前頭前野のコントロールする力は、それほど強くない。
(これも取締役会と監査役の関係に似ている?
いくら監査役ががんばっても、取締役会のほうで何か決まれば、それに従うしかない。)

(理性)と(欲望)が、対立したときには、たいてい理性のほうが、負ける。
依存性ができているばあいには、なおさらである。
タバコ依存症、アルコール依存症などが、そうである。
タバコ依存症の人は、タバコの臭いをかいただけで、即座に、自分も吸いたくなる。

つまり、ここに人間の(弱さ)の原点がある。
(悪)の原点といってもよい。

さらに皮肉なことに、視床下部からの強力な信号は、言うなれば「生(なま)の信号」。
その生の信号は、さまざまな姿に形を変える。(仮説4)

(生きる力)の強い人は、それだけまた、(欲望)の力も強い。
昔から『英雄、色を好む』というが、英雄になるような、生命力の強い人は、それだけ性欲も強いということになる。

地位や名誉もあり、人の上に立つような政治家が、ワイロに手を染めるのも、その一例かもしれない。

つまり相対的に理性によるコントロールの力が弱くなる分だけ、欲望に負けやすく、悪の道に走りやすいということになる。
2012/07/11改

Hiroshi Hayashi+++++++July. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【年長児に、「カレンダー」を教える】はやし浩司 2012-07-10)



【小学2年生に、「ツルカメ算」を教える】



Hiroshi Hayashi+++++++July. 2012++++++はやし浩司・林浩司

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