2012年7月2日月曜日

Old men are garbage?


ジジババ・ゴミ論
老後の統合性に失敗した老人たち


           はやし浩司






第1章……ゴミになる老人たち

第2章……老後の統合性

第3章……哲学の確立

第4章……統合性をどう確立すべきか
















第1章 


●温泉の注意書き

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このところ毎週のように、温泉街のひとつに
ある温泉浴場に、足を運んでいる。
最近オープンしたばかりの、温泉浴場である。

そこでのこと。
毎回のように、注意書きがふえているのに
気がついた。

最近見たのには、こうあった。
「おむつ、尿取りパッドなどを使用している
方の入浴は、ご遠慮ください」と。

おむつというのは、赤ん坊のそれをいう。
それはわかる。
尿取りパッドというのは、老人のそれをいう。
それも一応、わかる。
わかるが、40代、50代の女性でも、
日常的に尿漏れを起こしている人は多い。
(男性は少ないと思うが・・・。)

しかしこれから先は、こういう注意書きが、どんどんと
ふえてくるのでは・・・?
要するに、「老人の入浴は、遠慮してくれ」と。

++++++++++++++++++++++

●嫌われる老人

 このところどこへ行っても、老人の姿が目立つようになってきた。
温泉だけではない。
映画館でも、バス旅行でも、そしてレストランでも・・・。
通りをふらふらと歩いている老人も、目立つようになってきた。
やがて75歳以上の、後期高齢者の数が、人口の3分の1、つまり3人に約1人になると言われている。

 そうなったとき、私たち老人族は、どう扱われるのか。
想像するだけで、さみしくなる。

 老人は、老人特有の臭いがする。
いわゆる「加齢臭」というのである。
映画館へ入ったようなとき、それがプンと臭うときがある。
そういう臭いがすると、(私たち自身も老人の仲間なのだが・・・)、即、席をかわるようにしている。
が、それは明日の、私たち自身の問題でもある。
やがて映画館の入り口にも、こういう注意書きが並ぶようになるかもしれない。

「加齢臭のある方の入場は、お断りします」と。

 が、それはしかたないとしても、マナーの悪い老人が多いのも事実。
気力が弱くなるせいか、自分で自分を律することができなくなる。

 痰を吐く。
服装がだらしなくなる。
入浴の仕方が、いいかげんになる。
態度が横柄になる。
マナーを守らなくなる。
もちろん加齢臭を放つ。

 つい先日は、コンビニで、ウンチを漏らしたまま歩いている老人を見かけた。
ズボンの後部が、下痢か何かで、べっとりと汚れていた。
そういう老人が、コンビニで買い物をする!

 世の中がそういう老人を受け入れてくれればよい。
「老人というのは、そういうもの」と理解してくれればよい。
が、そうは寛大ではない。
寛大でないことは、若い人たちのBLOGを読めば、よくわかる。

「昨夜、車をぶつけられた。相手は70のクソジジイだった」とか何とか。
「老人」というだけで、白い目で見られる。
差別される。
こうした傾向は、今後加速することはあっても、減速されることはない。

●新たな老人問題

 今はまだ、社会のほうも遠慮している。
表だって、老害論を説く人は少ない。
しかしこうした(やさしさ)も、いまや、風前のともしび。
そのエネルギーは、爆発寸前といってもよい。

 温泉にしても、映画館にしても、バス旅行にしても、さらにレストランにしても、そのうち年齢制限が設けられるようになるかもしれない。
「65歳以上の方は、ご遠慮ください」とか、なんとか。

 さらに深刻な問題として、(事実、そうなりつつあるが・・・)、がんなどの重病のばあい、ある一定年齢以上の老人は、治療そのものを拒否されるようになってきた。
私の実母も、実兄も、そして義兄も、それを経験している。

 「もう年齢(とし)ですから……(治療法はありません)」(実母)
 「私は治る見込みのある患者は治療しますが、そうでない患者は治療しません」(実兄)
 「75歳以上の方の手術は、しても意味がありません……(寿命ですから)」(義兄)と。

 自分がそういう立場になったら、どうするか?
いさぎよく死ぬか?
その覚悟は、できているか?

 今のままでは、あと10年を待たずして、全国の火葬場は、飽和(満員)状態になるという。
今の今でさえ、夏場や冬場には、3~4日待ちというのは、当り前。
そこで東京都では、大型船を改造して、船そのものを火葬場にする構想まで考えられている。

 火葬場ですら、そうなのだから、そうなれば、老人は、満足な治療すら受けられなくなる。
さらに一歩進んで、「もう、死んでください」となるかもしれない。

●老人よ、自分の存在価値を高めよう!

 こうした老人問題に対処するためには、老人自身が、自分の存在感を高めることでしかない。
わかりやすく言えば、(価値ある老人)になること。
若い人たちから見て、「老人は必要な存在なのだ」と思ってもらえるような老人になること。

 名誉や地位や財産ではない。
過去の名誉や地位をぶらさげれば、かえって嫌われるだけ。
(価値)である。
(存在価値)である。
そのための努力を怠ってはいけない。

 代替的な方法として、「お金を貯める」という方法もあるかもしれない。
お金で老後を買う。
あるいは息子や娘に依存するという方法もあるかもしれない。
息子や娘にめんどうをみてもらう。
しかしこうした方法では、今度は、私たち自身の(生きがい)を満たすことはできない。
それについては、すでに何度も書いてきたので、ここでは省略するが、
やはり結論は、ここにくる。

「私たちは私たちで、自分の存在価値を高めるしかない」である。






●嫌われる老人たち

「嫌われる老人たち」と書いたが、これは、他人の話ではない。

私自身のことである。あなた自身のことである。

私もあなたも、いつか必ず、その老人になる。

 今日、ドライブの途中で、ワイフとこんな話をした。題して、「嫌われる老人たち」。

 もっとも印象に残っている老人に、こんな老人がいた。
年齢は、70歳くらい(当時)ではなかったか。何と、あろうことか、その老人は、スーパーの生鮮品売り場コーナーの前の通路で、痰(たん)を、吐いていた。
床に、(ゲー、ペッ)とだ。

 それには驚いた。
で、そのあとどうするかと思って、遠巻きにして見ていたら、ポケットからティッシュ・ペーパーを取り出し、それを痰に上にかぶせた。
足で、それを冷凍庫の下へ、押し込んだ。
とっさのことで、私は、声を失った。

私「あれは、ひどかったねエ」
ワ「本当! 私、信じられなかったわ」
私「ぼくも、声も出なかったよ」と。

 つぎにこんな老人も印象に残っている。
その老人も、70歳くらいではなかったか。
ショッピングセンターの自転車置き場で、つぎつぎと自転車を、放り投げるようにして、倒していた。

 先にそれを見つけたほかの客たちが、あきれ顔で、笑っていた。
笑っていたのは、ブラジル人だった。
私が、うしろから、「どうして、そんなことをするのですか?」と声をかけると、その老人は、怒った顔で、こう叫んだ。

 「オレの自転車が、出せねえだろオ!」と。

 その老人は自分の自転車が出せないことに怒って、他人の自転車を、投げ飛ばしていた!

 またこんなことも。

 同じくショッピングセンターで、ゆっくりとカートを押しながらワイフと歩いていると、突然、うしろから声。
「早く、行け!」「じゃまだ!」と。

 振り返ると、65歳くらいの老人だった。
大柄な老人で、私たちを見おろるように、そこに立っていた。
(私はカートに身をかがめていた。)
私とワイフは、その剣幕に驚いて、通路をあけた。
しかしそれにしても、威張った老人だった。

 ……とまあ、そんな話をしながら、話題は、数日前のバス旅行で出会った老人のことになった。
うしろの席で、咳をしていた老人である。
年齢は、70~75歳くらいだったと思う。
あたりかまわず咳をし、痰をチィシュペーパーなどにペッ、ペッと吐いていた。

私「マナーも何も、あったものではない」
ワ「ああいう老人は、嫌われるわね」
私「そうだ。あんなことばかりしていると、ほんとうに、老人は、粗大ゴミになってしまう」
ワ「若い人たちが、いやがるわね」
私「そうだ。そのうちバス旅行も、60歳未満は、お断り……ということになるかもしれない。あるいは反対に、シルバー専用とか……」と。

 この先10年を待たずして、日本人の3分の1程度が、65歳以上の老人になるという。
3人に1人だ! そうなったとき、私たち老人たちは、どのような扱いを受けるか、だ。
スーパーの床に痰を吐いたり、自転車を放り投げるような老人は論外としても、それに近いことをする老人となると、ゴマンといる。

 そのゴマンが、やがてゴ十万、ゴ百万になる!

私「老人になる前に、それぞれの人が人間性を磨いておかないと、たいへんなことになるよ」
ワ「そうね」
私「若い人たちに尊敬されるような老人になる必要がある。知性を磨き、自身の文化性を高める。ほら、あのバスの中にも、ヒワイな話を口にして、ゲラゲラ笑いこけていた女性たちがいただろ。年齢は、65~70歳くらいだったと思う。ああいう老人には、なりたくないね」と。

 さあ、あなたもいつか老人になる。
(私は、もうその玄関口に立っているが……。)
いくら「私はだいじょうぶ」と思っていても、歳を取れば取るほど、ごまかしがきかなくなる。
内に潜んでいた人間性が、外にモロに出てくる。

 それだけではない。

 脳みその底に穴があく。
その穴から、記憶だけではなく、知性や理性が、容赦なく、外に漏れ出る。
もしあなたが40歳で、「私は50歳になってもこのままだ」と思っていたら、それはとんでもない誤解。
もしあなたが50歳で、「私は60歳になってもこのままだ」と思っていたら、それはとんでもない誤解。

 それは健康と同じ。
日々に鍛錬しなければ、その時点から、すべてが下り坂を下り始める。
認知症が始まれば、なおさら。
これには例外はない。
むしろ「私はだいじょうぶ」と思っている人ほど、あぶない。

 老人は老人として、存在感を示さなければならない。
またそれなくして、私たちの老後はない。

(1) 老人は、謙虚になろう。
(2) 老人は、知性、理性を磨こう。
(3) 老人は、若い人たちの見本になろう。
(4) 老人は、紳士、淑女になろう。

 以上は、私とワイフのどりょく目標でもある。がんばります!








●ミルトン

 イギリスの詩人、ミルトンはこう書いている。

『老人が落ち込む、その病気は、貪欲である』と。

私は英語の原文を知らない。
「貪欲」というのは、「greedy」のことか。
卑しい意味で、「greedy」という。
「あなたはgreedyだ」と言われ、それを喜ぶ人はいない。
日本語で言うと、「むさぼる」という意味になる。

●老人のこだわり

 ある老人が、自宅で倒れた。
たまたま隣人が医師だった。
それでその老人は隣人の家まで、這うようにしてやってきた。
が、ここからが常人には、理解できないところ。
 その医師が「救急車を呼びましょう」と声をかけると、「それだけはやめてくれ」と。
理由を聞くと、「近所に恥ずかしいから」と。

●見栄?

 こうした老人特有の(こだわり)は、あちこちでよく耳にする。
たとえばA氏、82歳。
A氏の妻も、同じく、82歳。
A氏は自宅に住んでいる。
A氏の妻は、有料老人ホームに住んでいる。

 ところが最近、A氏の体調が悪くなってきた。
10年ほど前に、前立腺がんの手術を受けている。
それが再発。
大腸がんを併発した。

 が、A氏は、どんなことがあっても、自宅の雨戸を閉めたまま、あるいは開けたままにしない。
A氏が自宅にいないときは、A氏の妻が有料老人ホームからタクシーでやってきて、その時刻になると、雨戸を開けたり、閉めたりしている。

 見栄なのか?
それとも虚栄なのか?

 これらの老人に共通しているのは、自分の弱みを人に知られることを、極度に警戒しているということ。
私の母にしても、そうだ。

兄と自転車店を経営していたが、60歳を過ぎてからは、めったに外泊すらしなかった。
店を閉める……ということを、極端にいやがっていた。
たとえば兄が胃潰瘍で入院したときも、医師とかけあって、1週間程度で病院から連れ出
してしまった。

●恥?

 こういう老人特有の心理を、どう理解したらよいのか。
ふつうの常識のある人なら、ケース・バイ・ケースでものを考える。
若い人なら、なおさらであろう。
救急車を呼ぶことを、恥と考える。
自宅や店を閉めることを、恥と考える。

 他人の目の中で生きてきた人ほどそうかもしれない。
が、それだけでは、理解できない。
もうひとつ考えられるのは、そうした老人たちは、そういう目で他人を判断してきたとい
うこと。
たとえば近所の人が救急車で運ばれたりすると、それを喜んだり、笑ったりする。
店を閉めた人についても、そうだ。
あれこれとその家の事情を詮索し、それを世間話にして花を咲かせる。

 低俗な人たちだが、そういう人は、たしかにいる。

●他人の不幸をのぞく人

 義姉の母親が倒れた。
義姉の義母、つまり夫の母親だった。
その母親は2年間ほど、義姉の家にいた。
義姉が介護した。

 そのときのこと。
ある日突然、夫の従姉と従兄の2人が見舞いに来たという。
いろいろ事情があった。
その事情について書くのは、ここでの目的ではない。
簡単に言えば、「来るはずもない2人が来た」(義姉)と。

 義姉はこう言った。
「好奇心というか、物見見物といった感じです。義母が倒れたのが、よほどうれしかった
のでしょうね。それを自分の目で確認するために来たのです」と。

 私にも似たような経験がある。
あるので、そのときの義姉の気持ちがよく理解できた。
世の中には、本当に残念なことだが、他人の不幸を酒の肴(さかな)にして、喜ぶ人がい
る。

●人生の総決算

 老齢期になると、それまで奥に隠し持っていた醜悪な人間性が、そのまま表に出てきて
しまう。
隠そうという意欲そのものが、薄れてくる。
(反対に若いときは、気力で、それをごまかすことができる。)
言うなれば、持病のようなもの。
それがどっと表に出てくる。

 老齢期というのは、そういう意味で、人生の総決算期。
老齢期の人間性を見れば、その人がどういう人生観をもっていたかが、おおよそわかる。
もちろんそれがよいものであれば、よし。
しかしそうでなければ、そうでない。
みなにあきられ、嫌われる。

●では、どうするか

 釈迦は、「精進」という言葉を使った。
「日々に鍛練あるのみ」と。
この鍛練にみによって、自分の人生観を変えることができる。
しかもその時期は、早ければ早いほど、よい。
30歳や40歳を過ぎてからでは、遅い。
50歳では手遅れ。
60歳では、先に隠された人間性のほうが表に出てきてしまう。

 つまり一度できた人間性は、簡単には改まらない。
ゆがんだ心となると、さらにそうだ。
ばあいによっては、(ほとんどがそうだが)、死ぬまでそのまま。

●縁を切る

 あなたの周囲にも、ずる賢い人はいくらでもいる。
小細工に小細工を重ね、善人ぶっている人はいくらでもいる。
ウソをつき、インチキを繰り返す。
大きな悪事こそできないが、平気で人をだます。
実のところ、私のまわりにもそんな人がいた。
が、50歳を過ぎるころから、私は心に決めた。
「縁を切ろう」と。

 そういう人たちとつきあっていても、得るものは何もない。
ないばかりか、しばらくつきあっていると、そういう人たちがもつ、あの独特の毒気に染まってしまう。
そういう人たちは、そういう人たち同士が集まり、独特の社会を形成している。
そういう社会に取り込まれると、それこそ私やあなたは、酒の肴にされてしまう。

 が、それが本当の被害ではない。
本当の被害は、時間を無駄にすること。
時間を無駄にすること以上の、「損」はない。

●総決算

 「救急車を呼ぶな」と言った老人。
毎日、雨戸をきちんと開けたり閉めたりする老人。
それがその老人たちがもつ人生観の、総決算ということになる。

●ある退職者

 退職してからも、現役時代の肩書きや地位を引きずって生きている人は多い。
とくに「エリート」と呼ばれた人ほど、そうだ。
そういう人にしてみれば、自分が歩んだ出世コースそのものが、自分の人生そのものということになる。Y氏(六七歳)もその一人。

 私に会うと、Y氏はこう言った。「君は、学生時代、学生運動か何かをしていたのかね? 
それでまともな仕事につけなかったのかね?」と。

 彼は数年前まで、大手の都市銀行で、部長をしていた。
この浜松へは、生まれ故郷ということで、定年と同時に、移り住んできた。
彼の父親の残した土地が、あちこちにあった。
そこで私が、「本も書いています」と言うと、「いやあ、こういう時代だから、本を書いて
もダメでしょ。本は売れないでしょ」と。
たしかにそうだが、しかしそういうことを面と向かって言われると、さすがの私でもムッとくる。

 問題は、なぜY氏のような人間が生まれるか、だ。
仕事第一主義などという、生やさしいものではない。
彼にしてみれば、人間の価値まで、その仕事で決まるらしい。
いや、それ以上に、なぜ、人は、そこまで鼻もちならないエリート意識をもつことができるのか。
自尊心という言葉があるが、その自尊心とも違う。
肩書きや地位にしがみつくのは、自尊心ではない。
自尊心というのは、生きる誇りをいう。
肩書きや地位とは、関係ない。
彼のような人間は、戦後の狂った経済社会が生みだした、あわれなゾンビでしかない。

 もっとも彼にしてみれば、過去の肩書きや地位を否定するということは、自分の人生そ
のものを否定することになる。
最後は部長になったが、その部長をめざして、どれほど身を粉にして働いたことか。
家庭を犠牲にし、自分を犠牲にしたことか。
それはわかるが、「では、Y氏は何か?」という部分になると、実のところ何もない。
何も浮かんでこない。少なくとも私には、ただの定年退職者(失礼!)。

 別れぎわ、「今度、また自治会の仕事をよろしくお願いします」と言ったら、こう言った。
「ああ、県や市でできることがあれば、私に一度、連絡してください。
私のほうから口をきいてあげます」と。
そうそう、こうも言った。
「林君は、カウンセリングもできるのですか。
だったら、国のほうでも、そういう仕事があるはずですから、今度、私のほうで、話
しをしてあげますよ」と。

 おめでたい人というのは、Y氏のような人をいう。
が、私は心の中で、Y氏とは、完全につながりを切った。
「何かの仕事の話になっても、(そういうことはありえないが)、断ろう」と心に決めた。




●老後

 おととい、Pペイントという、日本でも一、二を争うペンキ会社で、会長をしていたとい
うT氏が、久しぶりに我が家へ寄ってくれた。
15年ぶり? 玄関で会ったとき、「お元気ですか」と言いかけたが、思わず、その言葉がのどの奥に引っ込んでしまった。
T氏は、すっかり老人ぽくなってしまっていた。

 居間でしばらく話していると、やがて年齢の話になった。
私が「55歳になりました」と言うと、「いいですねえ、これからですよ」と。
私が驚いていると、こうつづけた。
「ちょうどバブルのころということもありましてね。私が本当に自分の仕事ができたと思うのは、56歳から63歳までのときでした。頭も体も、すこぶる快調で、気持ちよく仕事ができました」と。

 実のところ、私は、自分でも実感できるほど、体の調子がよい。
昨日も講演先の小学校で、階段を三段とびにのぼっていたら、あとから追いかけてきた校長が、「足がじょうぶですね」とほめてくれた。
「はあ、自転車で鍛えていますから」と答えたが、そのおかげというか、健康には、これといって、不安なところはない。
ダイエットしたおかげで、どこか頭の中もスッキリしている。

 私は年配の人が、私に向かって、「若くていいですね」と言うときは、いつもそれを疑っ
てしまう。
「本当にそうかな?」「なぐさめてくれているのかな?」「お世辞かな?」と。
64歳になった私の印象としては、「先が読めない」という不安感のほうが強い。
「これからはガンになる確率がぐんと高くなる」とか、「これからはすべてが先細りになる」とか、そんなことばかり考える。
よくワイフは、「あなたは、見かけは若々しいけど、中身は老人ぽい」と言うが、本当にその通りだと思う。

 ルソー(フランスの思想家、1712~78)が、『エミール』の中でこう疑問を投げか
けている。
多分、これを書いたとき、彼は50歳代だったのだろう。

 『10歳では菓子に、20歳では恋人に、30歳では快楽に、40歳では野心に、50歳では貪欲に動かされる。人間はいつになったら、英知のみを追うようになるだろうか』と。

 あのルソーですら、「貪欲に動かされる」と。
いわんや私をや……と、居なおるわけではないが、50歳というのは、ちょうど、「そうであってはいけない」「しかしそういう自分も捨てきれない」と、そのハザマで悩む年齢かもしれない。
まだ野心の燃えカスのようなものも、心のどこかに残っている?

 T氏はさかんに、「まだまだ、これからですよ」と言ってくれたが、「これから先、何が
できるのだろうか」という思いも、また強い。
またそういう思いとも戦わねばならない。
「貪欲さ」がよくないとはわかっているが、しかしそれがなくなったら、生活の基盤そのものが、あやうくなる。
働いて、仕事をして、稼ぎを得て、それで生きていかねばならない。
私のばあい、悠々自適(ゆうゆうじてき)の年金生活というわけにはいかない。
いわんや
「英知のみを追う」などというのは、夢のまた夢。

 そうそうT氏は別れぎわ、こうも言った。
「林さんは、いいねえ。道楽が多くて……。私なんぞ、人間関係のウズの中で、自分を支えるだけで精一杯でした」と。
しかしこれは、T氏一流の、私への「なぐさめ」と理解した。




●アンビリーバブル

 世の中には、信じがたい人たちというのは、たしかにいる。
ふつうの常識では、考えられない人たちである。実は、先日も、こんなことがあった。

 その男性は、現在、85歳。子どもはいない。
大手の自動車会社の研究所で、研究員を長年したあと、筑波(つくば)の国立研究所で、10年ほど研究員をした。
そのあと、しばらく私立大学の教壇に立ったあと、今は、退職し、年金生活を送っている。
が、そのあといろいろないきさつがあって、この浜松市に住んでいる。

 ここまではよくある話だが、実は、その男性は、がんを患っている。
もう余命はそれほど、ない。
手術も考えたが、年齢が年齢だからという理由で、抗がん剤だけで治療している。
が、私が「信じがたい」というのは、そのことではない。
その男性は、莫大な資産家でもある。
市内だけでも、大きなビルを、三か所もっている。
それに大地主。市の中心部と郊外に、一〇〇〇坪単位の土地をいくつかもっている。
ハンパな金持ちではない。

 が、だ。その男性、今、別の男性(五二歳)と、わずか一〇坪の土地について、民事調
停をしている。
本来なら、話しあいでどうにかなった問題だが、関係が、こじれてそうなった。
先日も、その土地をはさんで、二人が道路で、大声で怒鳴りあう喧嘩(けんか)をしていたという。

 私はこの話を聞いて、「へえエ~」と言ったきり、言葉が出なかった。

 もし私ががんを宣告されたら、それだけで意気消沈してしまうだろう。
何もできなくな
るだろう。しかも85歳といえば、私より20歳も年上ということになる。
そういう人生の大先輩が、その上、大金持ちが、わずか10坪の土地のことで、言い争っている?

 人間の「生」への執着心というか、はっきり言えば、愚かさというか、それが私には信じられなかった。
あるいは何がそうまで、その男性を、駆り立てるのか?

 ここまで考えて、私はしばらく、あちこちの本を読みなおしてみた。
で、最初に目についたのが、ミルトン(一六〇八~七四、イギリスの詩人)の『わめく女』。
その中でミルトンは、こう書いている。
「老人が落ち込む、その病気は、貪欲である」と。これだけを根拠にするわけではないが、どうも年をとればとるほど、人間的な円熟味がましてくるというのは、ウソのようだ。
中には、退化する人もいる? 
そういえば、ギリシャのソフォクレ
スも、「老人は再び子ども」という有名な言葉を残している。

 私はこの男性の話を聞いたとき、「老年とは何か」、それを考えてしまった。
あるいはこういう人たちは、その年齢になっても、まだ人生は永遠につづくとでも、思っているのだろうか。
仮にあの世があるとしても、あの世まで、財産をもっていくことができるとでも思っているのだろうか。
さらに「死」を目前にして、我欲にとりつかれることの虚しさを覚えないのだろうか。
さらにあるいは、老年には老年の、私たちが知る由もない、特別の心理状態があるのだろうか。

 これは近所の男性(80歳)のことだが、こんな話もある。
ある夜、隣の家の人に、その男性が「助けにきてほしい」と電話をしてきたという。
そこでその隣の人が、その男性の家にかけつけてみると、その男性は玄関先で倒れていた。
隣の人がそれを見て、「救急車を呼びましょうか?」と声をかけると、その男性は、こう言ったという。
「恥ずかしいから、それだけはやめてくれ」と。

 この話を聞いたときも、私はわが耳を疑った。
その男性は、何をだれに対して、何を恥ずかしいと思ったのだろうか。

 さてさて、人はだれしも、老いる。
それは避けることのできない未来である。
末路と言ってもよい。
そういうとき、どういう心理状態になり、どういう人生観をもつか。
私は私なりに、その準備というわけでもないが、それを知りたいと思っている。
で、こういう人たちが一つの手がかりになるはずのだが、しかし、残念ながら、私には、まったく理解できない。
冒頭に書いたように、どれだけ、また何回、頭の中で反芻(はんすう)しても、理解できない。
信じられない。
つまりアンビリーバブルな話ということになる。
この問題は、ひょっとしたら、私自身がもう少し年をとらねば、わからない問題なのかもしれない。

 ただここで言えることは、老人のなり方をまちがえると、かえってヘンな人間になって
しまうということ。
偏屈でがんこになるのならまだしも、邪悪な人間になることもある。
そういう意味では、人間は、死ぬまで、前向きに生きなければならない。
うしろを向いた
ときから、その人間は、退化する。
釈迦も、「精進(しょうじん)」という言葉を使って、それを説明した。「死ぬまで精進せよ(前向きに生きろ)」と。

●幻想

 老人が、人生の大家であるというのは、まったくの幻想である。
何と醜い老人が多いことか。
またこの世の中に、のさばっていることか。
……と書いて、私たちはそうであってはいけない。
またそういう老人になってはいけない。
一方的に老人を礼さんする人というのは、その人自身がすでに、その老人の仲間になっているか、前向きに生きるのをやめたということを意味する。
本当にすばらしい老人というのは、自らが醜いことを知っている老人である。
安易な老人美化論には、注意しよう!

●進歩

 私の観察では、人間は、早い人で、もう20歳くらいから進歩することをやめてしまう。
あるいは30歳くらいから、それまでの人生を繰り返すようになる。
毎年、毎月、毎日、同じことを繰り返すことで、そのときどきを、無難に生きようとする。
あるいは考えることをやめてしまう。
が、なおさらに、タチが悪いことに、自らを退化させてしまう人もいる。
そういう意味で、人間にとっては、「停滞」は、「退化」を意味する。それはちょうど、川の流れのようなものではないか。よどんだ水は、腐る。

 自らを輝かせて生きるためには、いつも前向きに生きていかねばならない。
私の恩師は、一つの方法として、「新しい情報をいつも手に入れることだ」と教えてくれた。
また別の恩師は、「いつもトップクラスの人とつきあうことだ。
新しい世界にチャレンジすれば、自然と、自分が磨かれる」と教えてくれた。
方法はいろいろある。
山に登るにも、道は必ずしも一つではない。

 そこで考えてみよう。
あなたのまわりには、老人と呼ばれる人がたくさんいる。
あなた自身も、すでにその老人の仲間になっているかもしれない。
そういう老人や、あなたは、今、輝いているか、と。
実は、これは私自身の問題でもある。
私は今、64歳。
このところとみに気力が衰えてきたのがわかる。
何かわずらわしいことが起きると、それが若いころの何倍も気になるようになった。
チャレンジ精神も薄れてきたように思う。
できるならひとり、のんびりと暮らしたいと思うことも多い。つまり私自身、輝きをなくしつつあるように思う。

 そこで、考える。どうすればいいのか、と。
逃げるわけではないが、この問題は、これから先、私にとっては、大きな問題になるような気がする。
が、この問題は、近々、決着をつけなければならないと思っている。


●ルソーとミルトン

 ルソーもミルトンも、同じ言葉を使っている。
「貪欲」という言葉である。

(1)まず、ルソー。

 ルソー(フランスの思想家、1712~78)が、『エミール』の中でこう疑問を投げか
けている。
多分、これを書いたとき、50歳代だったのだろう。

 「10歳では菓子に、20歳では恋人に、30歳では快楽に、40歳では野心に、五50歳では貪欲に動かされる。

人間はいつになったら、英知のみを追うようになるだろうか」と。

(2)ミルトン(1608~74、イギリスの詩人)は、『わめく女』の中で、こう書いて
いる。

「老人が落ち込む、その病気は、貪欲である」と。
 ただしミルトンは、敬虔なキリスト教徒の立場で、「貪欲」という言葉を使っている。
そのことは、ここにあげる「On Time」という詩を読んでもわかる。
 ともあれ年を取れば取るほど、貪欲になっていく老人は多い。
少なくとも、加齢とともに、人は賢くなっていくわけではない。
多くは世俗に巻き込まれ、自分を見失い、強欲になっていく。
それを避けるために、私たちは何をすべきか。
何を準備すべきか。
結局は『精進』という言葉に行き着く。
 それがそのまま、このエッセーの結論ということになる。

●補記(John Miltonの詩より・「On Time」)

ON TIME(予定どおりに)
FLY, envious Time, till thou run out thy race;ねたましい時よ、燃え尽きるまで過ぎ

Call on the lazy leaden-stepping hours,怠惰で、鉛にように重い時を訪ねよ
Whose speed is but the heavy plummet's pace;その速さは、恐ろしく遅い
And glut thyself with what thy womb devours,子宮がむさぼるもので、汝の食欲を満た

Which is no more then what is false and vain,それは失敗でも無駄でもない
And merely mortal dross;ただの死すべき無価値なもの
So little is our loss,失うものは、ほとんどない
So little is thy gain.得るものも、ほとんどない。
For when, as each thing bad thou hast entomb'dなぜなら悪しきものはすべて墓に葬ら

And last of all thy greedy self consumed,汝の貪欲さは、すべて消耗されるから
Then long Eternity shall greet our bliss,そのとき長い永遠が、祝福で私たちを迎える
With an individual kiss;それぞれの接吻で
And Joy shall overtake us, as a flood,喜びが洪水のように、私たちを包み、
When every thing that is sincerely good,誠実でよきものすべてが
And perfectly divine,完ぺきに神々しいものとなる
With truth, and peace, and love, shall ever shine,真実と平和と愛が、永遠に輝く
About the supreme throne神の最高位の王位の上に
Of Him, to whose happy-making sight, alone,そこに見えるのは、幸福な光景のみ
When once our heavenly-guided soul shall climb,ひとたび魂が天に導かれ昇るなら
Then all this earthly grossness quit,地上の世俗は、消え失せる
Attired with stars, we shall for ever sit,星々で飾られ、私たちは永遠にそこに座る
Triumphing over Death, and Chance, and thee, O Time死と運命と汝を乗り越えて。

(注:訳は私が直感的につけた。
ミルトンの基本的なものの考え方を知るにはよい。
ミルトンは、こう言っている。
『貪欲にやりたいことを、とことんやってみろ。
自分を燃やし尽くしてみろ。
それは失敗でも、無駄でもない。
やがてそれが無価値であったことがわかれば、
あなたも神の座に座ることができる』と。)





第2章

●自我の統合性と世代性(我々は、どう生きるべきか?)
(Do we have what we should do? If you have something that you should do, your life
after you retire from your job, would be fruitful. If not, you will despair in a miserable
age.)

+++++++++++++++++

乳児期の信頼関係の構築を、人生の
入り口とするなら、老年期の自我の
統合性は、その出口ということになる。

人は、この入り口から、人生に入り、
そしてやがて、人生の出口にたどりつく。

出口イコール、「死」ではない。
出口から出て、今度は、自分の(命)を、
つぎの世代に還元しようとする。

こうした一連の心理作用を、エリクソンは、
「世代性」と呼んだ。

+++++++++++++++++

●世代性

 我々は何をなすべきか。
「何をしたいか」ではない。
「何をなすべきか」。

その(なすべきこと)の先に見えてくるのが、エリクソンが説いた、「世代性」である。
我々は、誕生と同時に、「生」を受ける。
が、その「生」には、限界がある。
その限界状況の中で、自分の晩年はどうあるべきかを考える。

その(どうあるべきか)という部分で、我々は、自分たちのもっている経験、知識、哲学、
倫理、道徳を、つぎの世代に伝えようとする。
つぎの世代が、よりよい人生を享受できるように努める。

それが世代性ということになる。

その条件として、私は、つぎの5つを考える。

(1)普遍性(=世界的に通用する。歴史に左右されない。)
(2)没利己性(=利己主義であってはいけない。)
(3)無私、無欲性(=私の子孫、私の財産という考え方をしない。)
(4)高邁(こうまい)性(=真・善・美の追求。)
(5)還元性(=教育を通して、後世に伝える。)

 この世代性の構築に失敗すると、その人の晩年は、あわれでみじめなものになる。
エリクソンは、「絶望」という言葉すら使っている(エリクソン「心理社会的発達理論」)。

何がこわいかといって、老年期の絶望ほど、こわいものはない。
言葉はきついが、それこそまさに、「地獄」。
「無間地獄」。

つまり自我の統合性に失敗すれば、その先で待っているものは、地獄ということになる。
来る日も、来る日も、ただ死を待つだけの人生ということになる。
健康であるとか、ないとかいうことは、問題ではない。

大切なことは、(やるべきこと)と、(現実にしていること)を一致させること。

が、その統合性は、何度も書くが、一朝一夕に確立できるものではない。
それこそ10年単位の熟成期間、あるいは準備期間が必要である。

「定年で退職しました。明日から、ゴビの砂漠で、ヤナギの木を植えてきます」というわ
けにはいかない。
またそうした行動には、意味はない。

さらに言えば、功利、打算が入ったとたん、ここでいう統合性は、そのまま霧散する。
私は、条件のひとつとして、「無私、無欲性」をあげたが、無私、無欲をクリアしないかぎり、統合性の確立は不可能と言ってよい。

我々は、何のために生きているのか。
どう生きるべきなのか。
その結論を出すのが、成人後期から晩年期ということになる。


(追記)

(やるべきこと)の基礎をつくる時期は、「人生の正午」(エリクソン)と言われる40歳前後である。
もちろんこの年齢にこだわる必要はない。
早ければ早いほど、よい。

その時期から、先にあげた5つの条件を常に念頭に置きながら、行動を開始する。

この問題だけは、そのときになって、あわてて始めても、意味はない。
たとえばボランティア活動があるが、そういう活動をしたこともない人が、いきなりボランティア活動をしたところで、意味はない。
身につかない。

……ではどうするか?、ということになるが、しかしこれは「ではどうするか?」という問題ではない。
もしそれがわからなければ、あなたの周囲にいる老人たちを静かに観察してみればよい。

孫の世話に庭いじりをしている老人は、まだよいほうかもしれない。
中には、小銭にこだわり、守銭奴になっている人もいる。
来世に望みを託したり、宗教に走る老人もいる。
利己主義で自分勝手な老人となると、それこそゴマンといる。

しかしそういう方法では、この絶望感から逃れることはできない。
忘れることはできるかもしれないが、それで絶望感が消えるわけではない。

 もしゆいいつ、この絶望感から逃れる方法があるとするなら、人間であることをやめることがある。
認知症か何かになって、何も考えない人間になること。
もし、それでもよいというのなら、それでもかまわない。
しかし、だれがそんな人間を、あるべき私たちの老人像と考えるだろうか。

(付記)

統合性を確立するためのひとつの方法として、常に、自分に、「だからどうなの?」と自問してみるという方法がある。

「おいしいものを食べた」……だから、それがどうしたの?、と。
「高級外車を買った」……だから、それがどうしたの?、と。

ところがときどき、「だからどうなの?」と自問してみたとき、ぐぐっと、跳ね返ってくるものを感ずるときがある。
真・善・美のどれかに接したときほど、そうかもしれない。

それがあなたが探し求めている、「使命」ということになる。

なおこの使命というのは、みな、ちがう。
人それぞれ。
その人が置かれた境遇、境涯によって、みな、ちがう。

大切なことは、自分なりの使命を見出し、それに向かって進むということ。
50歳を過ぎると、その熱意は急速に冷えてくる。
持病も出てくるし、頭の活動も鈍くなる。

60歳をすぎれば、さらにそうである。

我々に残された時間は、あまりにも少ない。
私の実感としては、40歳から始めても、遅すぎるのではないかと思う。
早ければ早いほど、よい。
















【第3章】

●老齢期の自己概念(ソーシャル自己概念の構築)

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 「私はこうありたい」「私はこうあるべき」という、
自分像を、「自己概念」という。
この自己概念に対して、現実の「自分」がいる。
これを「現実自己」という。

 青年期の自己概念と、老齢期の自己概念には、
内容において、大きなちがいがある。
青年期の自己概念については、シャベルソンという
学者が、4つの領域に分類している。

(1)アカデミック自己概念(どういう学歴を身につけるか)
(2)ソーシャル自己概念(どういう社会的人間になるか)
(3)エモーショナル自己概念(どういう感情をもった人間になるか)
(4)フィジカル自己概念(どういう身体的特徴をもった人間になるか)
 が、当然のことながら、老齢期に入ると、
上記(1)のアカデミック自己概念は、終了している。
(3)のエモーショナル自己概念も、それほど重要ではない。
(4)のフィジカル自己概念についても、「ああはなりたくない」と考える
ことはあっても、そこでSTOP。
いつもそこに(どうしようもない自分)を発見する。
肉体の老化だけは、いかんともしがたい。
 問題は(2)のソーシャル、つまり「社会的な」自己概念である。
これをどう自分の中に構築していくか。

というのも、この時期、人は仕事を退職し、子育てからも解放される。
(正しくは、仕事からも追放され、子どもには逃げられる?)
言うなれば、心の中に空白部分が生ずる。
 心理学的には、「私的領域」が拡大する。
その私的領域でどう生きるか。
それを模索する時期ということになる。

++++++++++++++++++++++

●人生の節目

 人生にはそのつど、大きな節目がある。
個人的な環境によってもちがうが、一般的には、(1)青年期、(2)壮年期、(3)
老年期に分ける。

 青年期は思春期から始まり、自分の進むべき道が決まる時期までをいう。
壮年期は長く、ばくぜんとしている。
壮年期を通して、人は社会的地位を固め、その中における評価を定める。
老年期は、別名「喪失の時代」とも言われている。
「喪失」(この言葉は、あまり好きではないが……)との闘いの時期ということになる。

 そこで重要なのは、(1)自己概念をどう構築するかということ。
その前提として、(2)どう現実を受け入れていくかということ。
その上で(3)自分の役割を策定し、(4)現実の自分(=現実自己)をどう一致させていくかということ。
順に考えてみよう。

●現実の受け入れ

 多くの人は、こう言う。
「温泉などで、自分の姿を鏡に映してみたとき、それがわかる」と。
緩んだ肉体、垂れ下がった臀部(でんぶ)、張りのない肌……。
若い人と比較するまでもない。
歩き方まで、老人臭くなる。

 が、それが現実。
受け入れるしかない。
が、そこは人間。
簡単には受け入れない。
もがく。
抵抗する。
無理をする。
が、それも一巡するときがやってくる。

●自己概念の構築

 老後の自分はどうあるべきか。
退職すると同時に、あるいは子育てが終わると同時に、みな、同じように考え始める。
が、簡単には、答が出てこない。
ばくぜんとして、つかみどころのない毎日。
悶々として、いつ晴れるともわからない世界。
「これではいけない」と思っていても、それにつづく道が見えてこない。

 「老後は孫の世話と庭いじり……」と、だれかが言った。
「それが理想の老後」と。
しかし自分がその老後を迎え、それがまったくの虚構であると知った。
そんなことで自分の心の隙間を埋めることはできない。
かえって虚しくなるだけ。

 そこでエリクソンという学者は、「統合性」という言葉を使った。
青年期の自我の同一性の確立と、同じに考えてよい。
「老後になったら、やるべきことを見つけ、現実にそれをする」と。
が、(やるべきこと)と言っても、条件がある。
無私無欲でする。
功利、打算が入ったら、統合性はそのまま霧散する。
かといって、「退職しました。明日からゴビの砂漠で、ヤナギの木を植えてきます」というわけにはいかない。
そんな取って付けたようなことをしても、長続きしない。
そこでエリクソンは、その準備を、人生の正午と言われる、40歳から始めろと説く。

●自分の役割の策定

 「私は何をなすべきか」と。
周りの人たちの老後が、参考になる。
 学生時代の先輩の1人は、観光ガイドを始めた。
現職時代の技術能力を生かして、世界中を回りながら、技術指導している人もいる。
家庭菜園を本業にした人もいる。
団体で、やはり現役時代の経験を生かしてがんばっている人もいる。
それぞれが、それぞれの道を進んでいるが、みながみな、うまくコースに乗って
いるわけではない。

 仕事から仕事へと、渡り歩いている人もいる。
日雇い労働者と同じ身分の人もいる。
が、健康であれば、まだよいほう。
脳梗塞や糖尿病を悪化させてしまった人もいる。
この時期になると、若いころからもっていた持病が、急に表に出てくる。
とくにこわいのが、心の病。
若いときは気力で何とかごまかせるが、老齢期にさしかかると、その気力が弱くなる。
肉体にしても、そうだ。
ひざや腰を痛めると、それがそのまま定着してしまう。
もちろんボケの問題もある。

 そういうのを乗り越え、私たちは「自分の役割」を設定しなければならない。
で、ここで言えることは、ただひとつ。
「この問題で苦しんでいるのは、あなただけではない」ということ。
総じて老齢期を迎えると、みな、この関門をくぐり抜けなければならない。

●現実自己との一致

 役割が設定できたら、あとはそれに向かって邁進(まいしん)していく。
「自己概念」と「現実自己」を一致させていく。

 子育てから解放され、仕事からも解放される。
親の介護からも解放される。
そのため自分で使える時間がどんとふえる。
これを「私的領域の拡大」という。

 考え方によっては、もっとも気楽な時期ということにもなる。
この時期になると、無責任であることが、ひとつの美徳になる。
もちろん人生そのものが、いわゆる「死の待合室」に突入する。
先の見えない袋小路。
先細りの人生。
すべてが不可逆的に悪化する。
が、ものごとは悪い方ばかりに考えてはいけない。
だからといって、落ち込んでばかりいてはいけない。
先にも書いたように、だれしも一度は通り抜けなければならない「関門」。
私ひとりだけがそうではないし、あなたひとりだけがそうではない。
そう考えるだけでも、気が楽になる。

●終わりに……

 こういう原稿を書くと、「では、私はどうなのか?」と考える。
率直に言えば、こういう原稿を書きながら、自分はどうあるべきかをいつも考える。
が、道筋だけできてしまえば、あとは楽。

 そのときが来たら、有料の老人ホームに入居する。
そこでも死ぬまで原稿を書きつづける。
さみしかったら、さみしいと書く。
悲しかったら、悲しいと書く。
そんな人生を、最期までつづける。

 もっともそれとて、運がよければ……という条件がつく。
明日、何かの大病が発見されるかもしれない。
すでに私の年齢の人は、約10%が他界している。
が、こうして書いていること自体が、あとにつづく人たちの参考になる。
どの人もこの世に生まれ、やがて老齢期を迎える。
あえて言うなら、今まで、その老齢期を老人の立場で考え、ものを書いた人が、
あまりにも少ない。
だから私は書く。
無私無欲で書く。
つまりこれが私にとっての「統合性」ということになる。
いつまでできるか自信はないが、とにかく、つづけるしかない。
どうか、よろしく!

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