2012年5月22日火曜日

My New Family Member

【BW5歳児クラス・言葉】

●言葉

 今回は、前回の「文字遊び」につづいて、「言葉」の学習をした。
みな、たいへん伸びやかで、教えていても、楽しい。
そんな雰囲気が、この動画を通して、みなさんに伝われば、うれしい。

 なお幼児に接していると、心が洗われる。
つまり清純になる。
だから幼稚園の先生に、悪い人はいない。

(政治家のように、金と権力に接していると、小沢一郎のようになる。
これは余談。)




Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【今朝・あれこれ】はやし浩司 2012-05-22

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

ぼたんインコを飼うようになって、もう10日。
毎日、体重を測定している。

私の家に来たときには40グラム前後。
今は50グラムを超えている。

このぼたんインコの生育ぶりを見ていると、
人間の子どもと、そっくりそのまま。
人間の生育過程と、よく似ている。
というか、同じ。
そっくりそのまま、あてはまる。

おもしろい!

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●愛情(アタッチメント)

 私とワイフ、それに息子。
この3人が、交互に、それぞれの時間帯にあわせ、めんどうをみている。
といっても、やりたいように、やらせている。

 たった今現在は、インコは、私の肩にもぐって眠っている。
その場所が気に入っているよう。
私がこうして書斎で原稿を書く間は、いつも、そうしている。

 幼児……幼鳥に重要なのは、「安心感」。
「どんなことをしても、守られている」という安心感。
人間で言えば、基本的信頼関係ということになる。
その安心感が、幼鳥の心をやさしくする。

●甘える

 うちへ来て、2~3日後くらいから、私たちに甘えるようになった。
たとえば今、インコは、肩の中に潜っている。
そこで私の指を入れると、ピ~ピ~と、甘ったるい声で鳴く。
「外へ出るのはいや」という意味らしい。

 そこで強引に外へ出そうとすると、今度は、「ビーピク、ビーピク」と鳴く。
怒っている声である。

 甘える……心を全幅に開いていることを意味する。

●知的能力

 幼児でもそうだが、この時期は、けっして狭いカゴの中に閉じこめるようなことはしてはいけない。
いろいろな経験をさせる。
私のインコにしても、「肌」と「布」の区別ができるようになった。
人間の肌には、爪を立てたり、くちばしでつついたりは、しない。
しかし布は、おもちゃがわりになっている。
ヒマさえあれば、それをかんで遊んでいる。

 で、爪楊枝(つまようじ)を、折って渡してやった。
今度は、その爪楊枝をかんで、遊んでいる。

 ……こうしてインコは、自分の住んでいる世界を広くしていく。
同時に、知的能力を高めていく。

●恐怖と闘争心

 人間の子どもでもそうだが、恐怖と闘争心は、タブー。
嫉妬もタブー。
おだやかに、やさしく育てるのがよい。

 この時期に、恐怖を与えたり、闘争心を植えつけるようなことをすると、性格が荒くなる。
先日、あるペットショップで見かけたインコが、そうだった。
人間の子どもをみかけると、カゴの中から、その子どもを攻撃していた。
それがかなわぬとわかると、水入れをくちばしでつかみ、バンバンとゆすっていた。
その様子が、ギャングみたいだった。

 方法は簡単。
先にも書いたように、やりたいように、やらせる。

●しつけ

 まだ幼鳥だから、しつけらしいしつけはしていない。
しかしインコといっても、恐竜時代からの本能が宿っている。
たとえば肩の中では、めったにフンをしない。
(「肩の中」というのは、シャツと衣服の間の空間をいう。)

 また朝方は、私の手の中で眠っているが、私が起きあがるまで、じっとそこで待っている。
私が体を動かし、起きあがると、とたん、いろいろな声で鳴く。
昨日はたまたま音楽を聴かせてやったら、それに合わせて、いろいろな声を出した。
 
 そう、インコというのは、いろいろな声で鳴く。
その声が、それぞれ意味をもっている。
ここ数日になって、その意味が、やっとわかるようになった。
つまり鳴き方そのものが、言葉になっている。

 おおまかな判断だが、今のところ、6~8種類ほどの鳴き方をする。
さらに詳しく分析すれば、もっと多くなるかもしれない。
同じ「ピ~」でも、長さがちがう。
繰り返す回数もちがう。

 頭のよい鳥とは聞いていたが、ここまで頭がよいとは思ってもいなかった。

 そうそう昨日はこんなことがあった。

 そっと箱の中をのぞいてみたら、(まだ箱が巣箱になっている)、何と、インコという鳥が、横向きになって眠っていた。
(横向きだぞ!)
右の羽を下にし、体を丸め、横向きになって眠っていた。
いろいろな鳥を見てきたが、そういう寝方をする鳥は、見たことがない。

 私とワイフは、それを見て、ゲラゲラと笑った。

●名前

 ……ということで、まだ名前は、ない。
私、ワイフ、息子……、みな、呼び方がちがう。
私も、「ピッピ」「ジジ」「ハナ」「ボタン」「チビ」など、いろいろな呼び方をする。
もうそろそろ名前を決めなければいけないが、それが決まらない。

 ……たった今、「ピヨピヨ」と鳴いた。
その前は寝言(ねごと)でも言うかのように、「ピッ」とひと鳴きした。
また最近は、ときどき親鳥のように、グワグワと鳴くこともなる。
この声は、かなり大きい。

 そのうち、「グアグア」という名前になるかもしれない。

●鳥類

 動物実験という言葉がある。
動物を実験台に、いろいろな薬や治療方法の開発をする。
が、そういうとき使う動物といえば、ネズミやモルモットが多い。
イヌやサルを使うこともある。
しかし鳥は少ない(?)。

 ほ乳類と鳥類は、それだけ大きくちがうということになるが、こと「感情」ということになると、鳥類のほうが、より人間に近いのでは?
種類にもよるのだろうが、知的能力も高い。
愛情も、こまやか。
ときどき肩の中から出てきては、私の顔の掃除までしてくれる。

●インコ様々

 こうして今や我が家は、インコ様々。
インコを中心に、生活が動いている。
おととい(日曜日)も、近くのペットショップを3軒も回った。
鳥かごをどれにするかで、迷っている。

 今、そのインコは、肩の外に出てきて、さかんに毛づくろいをしている。
その音が耳元で、ガサガサ、ゴソゴソと聞こえてくる。

 それにしても、こうしたペットには、人の心を癒す力がある。
安心しきって、スヤスヤと眠っている姿を見ると、それだけで癒される。


Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司

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 子育て最前線の育児論byはやし浩司     6月 8日号
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●今日は初日・第1回目(年長児Aクラス)


 今日が4月第1週目のレッスン。
新しい生徒さんたちを迎え、やや緊張しましたが、うまく指導できました。
「勉強は楽しい」という印象作りを大切にしました。
どうか、お子さんと一緒にご覧ください。
みんなで楽しく、勉強しましよう!


「笑えば、伸びる!」、それが私の教育モットーです。
「教えてやろう」という気負いは最小限に。
子どもを楽しませてあげます。
そこから前向きな姿勢が生まれてきます。


【新年長児(5歳児)クラス】






(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 年長児 5歳児の学習 勉強は楽しい BW知能教室 子どもの知能教室)2012/04/16

Hiroshi Hayashi+++++++April. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【いいのか日本! このままで!】

●流出する、日本の頭脳

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

先日、田丸謙二先生に会ったとき、先生が
こう話してくれた。

東大でも、退職した教授の多くが、シンガポールへ
招かれ、第二の人生を送っている、と。
「頭脳流出」の問題は、深刻な問題と考えてよい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●ロイターが海外で伝える、日本の現状

 たまたま今朝(2012/04/17)、オーストラリアの友人(モナーシュ大学)が、ロイターの記事を送ってくれた。
「ここに書かれていることは、事実か?」と。
ロイターは、アイダ・マサユキ氏などを紹介しながら、日本の「頭脳流出」の問題を取りあげている。

 まずその一部を紹介する。

++++++++++++++以下、ロイターより++++++++++

(Reuters) - Their technical skills helped Japan's corporate giants sweep all before them in the 1980s, and now thousands of aging Japanese engineers are finding a new lease on life in booming China.
"My profession is going out of business in Japan," said 59-year-old Masayuki Aida, who made molds for a Tokyo-based firm for 30 years but has spent most of his 50s in Dongguan, a gritty manufacturing hub in southern China's Pearl River Delta.
With the incessant noise of car horns and a pervasive smell of chemicals, the dusty streets of industrial Dongguan are a far cry from Tokyo or Osaka. Construction sites dot the city while beggars clutching tin cans approach cars at every intersection.
For Aida and many like him nearing the national retirement age of 60 the choice was simple - face a few years without an income as Japan raises the age at which employees get their pension or work for mainland Chinese and Hong Kong companies.
60歳過ぎから、年金なしの年齢になる。
"People aren't making products in Japan anymore," said Aida, who makes molds for goods ranging from toys and earphones to coffee machines. "I wanted to pass on to younger generations all the knowledge and technology about molds I had obtained."
「日本では、もうモノを作っていない。
私は自分の得た知識と技術を、つぎの若い世代に伝えたい」(アイダ氏)。
For Japan, marred by two decades of economic stagnation, the little reported exodus of engineers means rival Chinese firms are getting an injection of the technology and skills behind "Made in Japan" products.
Japanese government data shows 2,800 Japanese expats living in Dongguan alone, a city of more than 8 million people.
"From Japan's perspective, emerging countries are getting a free ride of the benefits we nurtured. So yes, it is a problem," said Yasushi Ishizuka, director of the intellectual property policy office at the Ministry of Economy, Trade and Industry.
Japan suffered its first tech brain drain about 20 years ago when South Korean firms such as Samsung Electronics and LG Electronics Inc poached scores of front-line semiconductor and white goods engineers from big Japanese electronics firms.
日本は、約20年前、すでに頭脳流出を経験している。
多くの技術者が、韓国のサムスン、LGなどに流出した。
Since then South Korean electronics manufacturers have bounded into the global top ranks, helped along by this human technology transfer.
Japan's tech giants, meanwhile, have floundered. Sony Corp, Panasonic Corp and Sharp Corp, Japan's three main TV makers, are expected to have lost $21 billion between them in the fiscal year that ended March 31, partly because of Korean competition.
GO WEST, OLD MAN
その結果、ソニー、パナソニック、シャープは、21x10億ドルの損出になりそうである(2012年3月末)。
Many of the Japanese engineers finding a second life in China do not have the cutting-edge technology that would deal another crushing blow to Japan Inc yet, analysts say, but the long-term impact could be severe because they will give Chinese manufacturers the skills to make high-quality goods efficiently.
この先、長期的に、日本の中国は脅威となろう。
China has pushed its own companies to innovate, but many experts cite an educational system that prizes rote learning as an obstacle. For many firms, buying talent is the quickest fix.
"Skills related to production, like making moulds, are something that companies obtained after years of trial and error," said Morinosuke Kawaguchi, associate director at management consultancy Arthur D Little in Tokyo.
For example, the slightest tweak to a mould could lead to mass production of faulty items, said Kawaguchi, himself a former Hitachi Ltd engineer who used to make household appliances.
"This exodus of Japanese engineers will raise the quality of products made by Chinese companies and allow them to produce efficiently," he added.
「日本の技術者の流出は、中国の製品の品質を高め、より効率的な生産を可能にするだろう」(カワグチ氏、元日立社員)。
Aida said the skills of Chinese engineers have improved over the past 10 years.
"When I first came to China, a product was considered good as long as it didn't fall apart," said Aida, one of seven Japanese engineers in Dongguan interviewed by Reuters. "They've caught up rapidly since then."
中国は、急速に追いついてきている。
That shows in recent trade numbers. China's exports of higher valued machinery and electronic products rose 9.1 percent in the first quarter from a year ago, when they gained 7.6 percent, to $253 billion, according to trade data.
Stemming the outflow of engineers to Chinese manufacturers appears to be impossible.
Sany Heavy Co Ltd, Geely Automobile Holdings Ltd and BYD Co Ltd all told Reuters they had employed Japanese engineers to boost their technological know-how. They declined to comment further.
頭脳流出を食い止めるのは、不可能であろう。
In addition to the large companies, there are thousands of smaller manufacturers across China. While not all have the deep pockets to hire expat engineers, some might find the cost of importing technology may not be as high as it used to be.
For one, there is no shortage of supply. Millions of Japan's "baby boom" generation which makes up nearly a 10th of the country's population are starting to retire, with many engineers among them.
It is not just financial considerations, but a desire to keep working beyond the rigid retirement age in Japan that prompts many to take up the offer of a move to China.
"I'm working longer hours but actually making less now than I was making back in Japan," said Aida, puffing on a cigarette in a simple conference room at his Chinese company's office.
Tomio Oka, an engineer who specializes in making molds for components used on items such as mobile phones that require precision to one one-thousandth of a millimeter, quit his job at a unit of what is now Panasonic Corp in 1998, to work for a Taiwanese company in Dongguan.
"Everyone in my family opposed this. I was working at a reputable company, making a stable income. My wife even threatened to divorce me at one stage," Oka said, grimacing as he recalled what happened.
"But I wanted to open the doors to my future myself. I didn't want to lead a life on some rail track set by others."
「離婚の危機もあったが、私はだれかが敷いたレールの上を歩きたくない」(オカ氏)。

GOLF, BEER, HOSTESSES
Taking up a second career in Guangdong province, China's export hub, is not without its challenges.
The comforts and convenience found in most Japanese cities are hard to come by in the industrial district on the outskirts of Dongguan where Oka and Aida live, 100 km (60 miles) north of Hong Kong.
Buses are the only public transport. Most taxis operate without licenses, making foreigners easy prey for overcharging. Pick-pocketing and burglary are common.
"I grew up in post-war Japan when things were just as chaotic. So the surrounding environment was never an issue for me," Aida said.
「中国では、タクシーのインチキ料金、スリ、泥棒なども多いが、私は戦後のあの時代を生き抜いてきたから何でもない」(アイダ氏)。
Many Japanese expats in Dongguan have left their families back home. They live in what would be seen in Japan as rundown apartments and spend their spare time playing golf or drinking with fellow countrymen in the few Japanese restaurants located around the city.
多くは、家族を日本に残したまま、中国に来ている。
Some have hired waitresses from these eateries to work part-time as domestic helpers or maids.
家政婦を雇っている人もいる。
There are also dozens of so-called KTV lounges, or karaoke night clubs with young hostesses, that cater especially to Japanese men.
"What else is there to do here after 7 p.m. besides drinking with friends or going to karaoke?" said one expat, sipping a popular Japanese alcohol sochu in a dimly-lit KTV lounge, fitted with sofas, karaoke machines and a billiard table.
"It can get really lonely watching DVDs all alone in my apartment," he said, as a fellow engineer, his arm around a young hostess in a tight skirt, sang a popular Japanese tune.
「生活は、友と過ごすので、さみしくない」
Critics called the wave of Japanese engineers who went to South Korea as "traitors" for passing on technology to rivals. While the China-bound engineers have not been so vilified, some on the blogosphere question their motives.
Oka says most just want to support their families.
"We face retirement at 60 but what are we supposed to do until 63 or 65 when we can start receiving our pension?" he said.
Japan is burdened with debt of $10 trillion, or twice the size of the economy. That has forced the government to gradually raise the age people can get their pension from 60 years of age, leaving many salarymen temporarily income-less after retirement.
日本政府は、1000兆円もの借金をかかえている。
年金支給年齢も、どんどんと引き上げられるだろう。
"There isn't so much a feeling of guilt on our part. What's wrong with working for someone who's offered you a job?" Oka said.
(外国であれ)、生きていくために、外国へ出ることに罪の意識はない。
Japanese employers, like the government, say there is little they can do to stem the outflow of skills and technology.
"Technology gets passed down," said Satoshi Tsuzukibashi, director of the industrial technology bureau at Keidanren, Japan's biggest business lobby. "One can argue that's how Japan obtained its technology from the United States."
「技術の流出は、やむを得ない。
日本も、アメリカから技術をもってきた」
Aida says the Japanese culture of wanting perfection from its products has left many engineers exhausted.
"Japanese demand for quality is excessive," he said. "It makes one not want to work there."
「日本は高品質を求めすぎた。
それが日本では、もう働きたくないという理由になっている」

++++++++++以上、ロイターより++++++++++++++

●消えた工場

 36~7年前。
私がこのI町(浜松市の西にあるI町)に住み始めたころには、このあたりにはモノを作る工場が、あちこちに立ち並んでいた。
古い街道沿いの町だったが、それなりに活気があった。

 が、今は、そのほとんどが、消えた。
消えて、ビデオショップになったり、本屋になったりした。
巨大なショッピングセンターはできたが、そのため街道沿いの古い商店街は、シャッター街になった。
同時に何百年もつづいた、日本文化は、灯を消した。

 が、それでもがんばった。
2000年前後には、このあたりにも、多くの外国人労働者が住むようになった。
県営のアパートが、1棟丸ごと、外国人労働者に乗っ取られてしまった時代もある。
通りへ出れば、どこからも、ポルトガル語やスペイン語が耳に入ってきた。

 が、それも今は、消えた。
工場そのものが、消えた。
ここに書いた県営アパートにしても、現在は、外国人労働者は、数えるほどしかいない。
日本の産業構造は、基本的な部分で、変わってしまった。

●日本は、サラ金国家

 が、日本はかろうじて生き残っている。
理由の第一は、「資本収支」。
貿易(モノ)収支は赤字でも、資本(マネー)収支が黒字。
つまり日本は外国に貸したお金で、生活している。
平たく言えば、日本はサラ金国家。

 「ならば利息だけで、遊んで暮らせばいい」と考える人もいるかもしれない。
しかし、それはどうか?

 たとえば猛烈な勢いで、日本の円が流出した時代があった。
日本の金利が安いことをよいことに、外国の投資家たちは日本でお金を借り、それを世界中で投資した。
仮に1億ドル借りても、利息は微々たるもの。
そのお金を、外国で、外国の銀行へ預けただけでも、たとえば年10%前後の利息がつく。
差額は、丸まるの、儲け。

 これを「円キャリー・トレード※」という。

 が、この円キャリー・トレードは、同時に「爆弾」でもある。
猛烈な勢いで流出した日本の円が、逆流し始めたら、この日本はどうなるか?
メチャメチャどころでは、すまない。
……というような経済危機が、今、そこまで迫りつつある。

●日本経済の終焉

 2050年を待たずして、日本は再び後進国に……。
というような記事が、数日前、どこかの経済サイトに載っていた。
原因は、経済の停滞と、少子化。
このままだと、人口も1億2000万人から、8000万人程度にまで減るという。

 たいへん残念だが、その程度ですめば、まだよいほう。
日本の国家破綻は、先延ばしにすればするほど、より深刻なものになる。

 たとえば私は、数日前、新東名高速道路の一部を、車で走ってみた。
目の玉が飛び出るほど、超豪華な道路。
「渋滞解消になる」と、マスコミはさかんに、はしゃいでいる。
バカめ!
ぜいたくも、よいところ。
25年前ですら、40兆円を超える建設費が見込まれていた。
実際には、もっと多いはず。

 この先の維持費を考えたら、交通渋滞どころでは、なくなるはず。
経済渋滞が起きる。
ああいうのを見て、「日本も発展している」などと思ったら、おおまちがい。
それがわからなければ、あなたの財産から、4000万円を引いてみればよい。
(4人家族のばあい。)
それが現実の、あなたの「生活」ということになる。

 ……北朝鮮がミサイルを打ち上げたことについて、「お金の無駄遣い」と、日本のマスコミは騒いでいる。
「あの実験だけで、一年分のトウモロコシが買える」と。
が、それと同じことを、この日本もしている。
まさにお金の無駄遣い。
どうしてこの日本が、北朝鮮を笑うことができるのか。

 ……という暗い話はここまで。
友人からのレポートを考えているうちに、こういう話になってしまった。

 「政治が悪い」と言うのは、簡単なこと。
しかし本当に悪いのは、「ものを考えない私たち」ということになる。
その結果が、「今」ということになる。
2012/04/17

(注※)「円キャリー・トレード」(ウィキペディア百科事典より)
ウィキペディア百科事典には、つぎのようにある。
最後の1行だけでも、読んでゾッとする。

『円キャリー取引(円キャリートレード)は、円資金を借入れて様々な取引を行うことを指す。
国際的にみて円が低金利の際に借入れて、円を売ってより高い利回りとなる外国の通貨、あるいは外国の通貨建ての株式、債券などで運用して「利ざや」を稼ぐ行為は、円キャリー取引と呼ばれている。

2000年代に活発だった円キャリー取引では、内外の機関投資家のほか、多くの個人投資家も参加した。
個人がこの取引に入る形として注目されているものに外国為替証拠金取引(FX)がある。
証拠金取引では、証拠金に比べて大きな取引をすることが可能だが、それは資金を借入れているのと同じ状態である。
このような円キャリー取引の拡大もあって、本来は経常収支の黒字によって円高が進行するはずの日本で、円売りが多いために逆に円安が進行した。
背景には日本の金利が2006年7月の日本銀行によるゼロ金利政策の解除以降も、なお絶対的にも国際的にも相当に低い水準にあったことがある。
しかし、日本の金利が上昇したり円高が進行したりすると、円キャリー取引を継続することで為替差損が拡大するリスクが高まり、取引を解消(手仕舞い)しようと早めに円を買い戻す動き(巻き戻し)が出て円高が加速され急激な円高となることが懸念された。
そのため、円キャリー取引は日本銀行の金融政策の新たな制約要因となっていた。
実際には、2007年のサブプライムローン問題をきっかけとした世界同時不況により円キャリー取引の解消が始まり、円は買い戻しによって他の通貨に比べて急速に高くなった。
また、2008年のリーマン・ショックによって顕在化した世界的金融危機で金利差が縮小、円高に拍車をかけた。
対ドルについては、2007年に1ドル110円台後半から120円台前半だったものが、2009年11月には一時84円台まで上昇した。
円キャリー取引の資金の多くは日本の金融機関が用立てしている。
そのためアメリカの株価が急落すれば、日本の金融機関は円キャリー取引の清算に失敗した海外の投資家達の不良債権を一気に抱えることになり、最終的なババを引かされる可能性があるため、円キャリー取引の行方は日本経済にとっても重要な問題である』(以上、ウィキペディア百科事典より)。

Hiroshi Hayashi+++++++April. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【霊魂(スピリット)の否定】

●精神2元論

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

脳科学の進歩には、すさまじいものがある。
今では、リアルタイムに、脳の中の働きや機能を、映像として、映し出すことができる。
ファンクショナル・CTI(fCTI)を例にあげるまでもない。

そういう「事実」を見せつけられると、では「精神とは何か」と。
そこまで考えてしまう。
が、おおまかに言えば、それについては、古来より、脳の活動と、魂(=霊魂)は別であるという考え方が、支配的であった。
これを「精神2元論」という。

が、現在では、少なくとも脳科学の世界では、この2元論を信ずる学者はいない。
脳の働きには未知の部分も多い。
が、「未知」というだけであって、それが即、魂(=霊魂)と結びつくわけではない。

さらに脳科学が進めば、未知の世界はさらに解明される。
やがて私たちが今、魂(霊魂)と呼んでいる部分まで、科学によって解明される。
そういう時代は、すぐそこまで来ている。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●東洋医学

 東洋医学(漢方)の世界では、人間の精神活動(魂魄)も、肉体活動の一部であると教える。
東洋医学のバイブルと称される、「黄帝内経」にも、しっかりとそう書いてある(霊枢・本神篇)。

魂……精神活動の源、
魄……肉体活動の源を、それぞれいう(霊枢・本神篇)。
魂魄と精神が一体となり、そこから(意)→(志)→(思)→(慮)→(智)が生まれる。

 つまり精神活動も、肉体活動の一部と考える。
もしくは区別しない。

 黄帝内経という書物の先見性に、ただ驚くばかりである。

 が、それはそれとして、同時に、21世紀も10数年を過ぎた今、いまだに「スピリチュアル」なる言葉が、大手を振って歩いているのには、驚かされる。
人間が原罪的にもつ、弱さ、もろさ、不完全さ、未熟さを、そのまま象徴している。
無知、不明、愚鈍は、「罪」である。
そういう意味で、私は「原罪」という言葉を使う。

●感情

 脳科学の進歩とともに、今では、感情についても、「ホルモン説」が、常識。
たとえば何かよいことをすると、その信号は、辺縁系の中にある扁桃体に伝えられる。
(「よいこと」という判断は、大脳の皮質部が判断する。
たとえば、人助けなど。)
その扁桃体は、その刺激を受け、エンケファリン、エンドロフィン系のホルモンを分泌する。
モルヒネ系のホルモンと考えると、わかりやすい。
これが脳内を、甘い陶酔感で満たす。
つまりその人を、「いい気持ち」にさせる。

 これはほんの一例だが、もろもろの感情は、こうして生まれる。

●意識

 意識については、未解明な部分が多い。
私たちが「私の意識」と思っている部分についても、その大半は、さらに奥底にある無意識の世界からの命令によるものである……ということらしい。
言うなれば、私たちは常に無意識の世界からの命令を、そのまま受け止め、それを「私の意思」と思い込んでいるだけ。

 その奥は、実に深い。

 たとえば若い男女の「愛」にしても、もとはと言えば、生殖本能に根ざしている。
さらに最近の脳科学によれば、あの赤ん坊(生まれたばかりの新生児)ですら、自らの(かわいさ)を演出していることがわかってきた※。
(赤ん坊が、だぞ!)

 もちろん意識をもってそうしているわけではない。
無意識のまま、そうしている。
一方、親は親で、そうした赤ん坊を見ながら、赤ん坊に操れるまま、……同時に、母性本能、父性本能に相乗的に操られるまま、自分の赤ん坊を見ながら、「かわいい」と思う。

(だからといって、それがおかしいとか、まちがっているとか、書いているのではない。)
それがあるからこそ、親は、赤ん坊を育てる。
そうでなければ、そうでない。
その時点で、親は、子育てを放棄する。
イコール、種族は、絶える。)

●霊魂(スピリット)

 話がそれたが、私が書きたいことは、つぎのこと。
いわゆる霊魂(スピリット)の存在を前提にして考える、精神2元論は、すでに存在意義を失っているということ。
さらにそれに基づく、占い、まじないの類は、インチキ。
カルト性のある多くの宗教も、それに含まれる。
そう断言してもよい。

「信じたい」という気持ちも理解できなくはないが、それは先にも書いたように、人間が原罪的にもつ(弱さ)によるものと考えてよい。
たとえて言うなら、空を走る稲妻を見て、「かみなり様がいる」と思うのと、どこもちがわない。

●意識vs意思

 が、誤解しないでほしい。
つまりだからといって、もろもろの人間の意思、意識を、無意味と書いているのではない。
恋愛にしても、そうだ。
欲望にしても、そうだ。
そういったものが、人間を裏から動かす原動力になっている。

 それが原動力となって、もろもろのドラマを生み出す。
そのドラマに価値がある。
人間が生きる価値がある。
あの映画『タイタニック』にしても、もしあの映画の中に、ジャックとローズが登場しなかったら、あの映画は、ただの船の沈没映画。
無味乾燥な記録映画。

 つまり結論的に言うと、「意識」と「意思」は、別。
二元論的な意識は否定しても、私たちがもつ意思は、意思として、尊重されるべき。
その「意思」が、私たちそのものと考えてよい。

 私たちはそのつど、悩み、苦しみ、喜び、笑い、悲しむ……。
ときに自分を取り巻く運命と闘いながら、ふんばる。
がんばる、努力する。
そのドラマの中に、「私」が今、ここに存在する意味がある。
その意思まで、否定してはいけない。

●終わりに……

 霊魂(スピリット)の否定は、即、「独りで生きる」ことを意味する。
頼れるのは、自分の意思だけ。
そういう世界に投げ込まれる。
それは恐ろしいほどの絶壁感といってもよい。
「絶壁の淵に立たされたような、孤独感」をさして、「絶壁感」という。

 それに耐えられるか、どうか?
「自由」とは、最終的には、神や仏からの解放を意味する。
その境地に達した人を、「真の自由人」という。
が、その道は、長く険しい。
おおかたの人は、その途中であきらめ、「ただの人(das Mann)」になっていく。

(注※)
『【乳幼児期の記憶はどこにあるのか?】(子どもの能力を引き出すために)

●乳幼児期の記憶

 乳幼児期の記憶は、私が学生のころは、「ない」とされていた。
が、それがとんでもないまちがいであったことを証明したのが、ワシントン大学のメルツオフ※である。

しかもその記憶は、おとなの私たちとは比較にならないほど、まさに怒涛のように脳の中に蓄積される。
まわりの空気、匂い、音、母親の肌のぬくもり、息づかいなどなど。
そしてそれがやがてその子供の心の基礎となる。
目を閉じてやすらかに眠る乳児。
けっして、軽く考えてはいけない。

(注※……乳幼児の記憶)

「乳幼児にも記憶がある」と題して、こんな興味ある報告がなされている(ニューズウィーク誌・2000年12月)。

 『以前は、乳幼児期の記憶が消滅するのは、記憶が植えつけられていないためと考えられていた。
だが、今では、記憶はされているが、取り出せなくなっただけと考えられている』(ワシントン大学、A・メルツォフ、発達心理学者)と。

 これまでは記憶は脳の中の海馬という組織に大きく関係し、乳幼児はその海馬が未発達なため記憶は残らないとされてきた。
現在でも、比較的短い間の記憶は海馬が担当し、長期にわたる記憶は、大脳連合野に蓄えられると考えられている(新井康允氏ほか)。
しかしメルツォフらの研究によれば、海馬でも記憶されるが、その記憶は外に取り出せないだけということになる。

 現象的にはメルツォフの説には、妥当性がある。
たとえば幼児期に親に連れられて行った場所に、再び立ったようなとき、「どこかで見たような景色だ」と思うようなことはよくある。
これは記憶として取り出すことはできないが、心のどこかが覚えているために起きる現象と考えるとわかりやすい。

●相互作用

 では、その一方で、あの乳幼児(新生児を含む)も、周囲のおとなたちに対し、いろいろな働きかけをしていることも、最近、わかってきた。
わかりやすく言えば、あの赤ちゃんが、(あかちゃんがだぞ!)、おとな(とくに親)を、操っている!

 つまり自らを(かわいく)見せ、親の関心を引こうとする。
乳幼児が見せる、あの「エンゼル・スマイル」も、そのひとつと言われている。
潜在意識、もしくは本能の奥深くでなされる行為のため、もちろん乳幼児がそれを意識しているわけではない。
無意識のうちに、そうする。

 さらに親は親で、そういう乳幼児の姿を見て、いたたまれない気持ちに襲われる。
それについても、脳内で麻薬を与えたときと同じような領域で反応が起き、脳内が高揚した状態になるためと説明されている※。

「かわいい」という感情は、まさにそういう相互作用によって生まれるものである。

(注※……かわいさの演出)

 時事通信、2008年7月13日は、つぎのように伝える。

『はじめて赤ちゃんを産んだ母親が、わが子の笑顔を見たときには、麻薬を服用した際と似たような脳の領域が活発に働き、自然に高揚した状態になるとの実験結果を、アメリカ・ベイラー医科大の研究チームが、13日までにアメリカ小児科学会誌の電子版に発表した。
母親の子への愛情を脳科学で分析すれば、育児放棄や虐待の背景にあるかもしれない病理の解明に役立つと期待される』と。

(はやし浩司 教育 林 浩司 林浩司 Hiroshi Hayashi 幼児教育 教育評論 幼児教育評論 はやし浩司 宗教とカルト 意識と意思 はやし浩司 精神2元論 霊魂論 はやし浩司 メルツォフ はやし浩司 ベイラー 母親の高揚気分 操られる親たち はやし浩司 赤ん坊に操られる親たち)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●4月16日(日曜日)(はやし浩司 2012-04-15)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

とかく、この世は生きにくい。
出る杭(くい)は、すぐ叩かれる。
そのため静かに難なく生きるのがよい。
しかしそれでは、「生きた」ことにはならない。
ただ「息(いき)ている」だけ。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●誤解

 ときとして人は、バカげた事件に出会う。
本当にバカげている。
いろいろなことがあった。

(1) 私の近所には、空き地がまだ少し残っている。
以前は、もっと広く残っていた。
が、そこはかっこうのゴミ捨て場。
ふつうのゴミではない。
粗大ゴミ。
家具や自転車など。
あるときは車やベッドがそのまま捨ててあった。

 小さなゴミは、そのつど、私が拾っている。
袋と蟹バサミをもち、それを拾う。
ところがある日、ゴミを拾っていると、1台の車が横に停まった。
何かなと思い、ふと振り返ると、車の中から1人男が、顔を出し、私にこう言った。
「ちゃんと、草(雑草)くらい、刈っておけ!」と。

 私が「ハア~?」と言いかけたら、すでにその車は、立ち去ったあとだった。

(2) 私の家の横は、竹やぶになっている。
毎年、その時期になると、タケノコが出てくる。
が、そのうち、根が伸びて、私の敷地のほうまで、タケノコが生えてくるようになった。
そのタケノコを、スコップで掘り返していると、突然、竹やぶの中から男が躍り出てきた。
そしてこう叫んだ。
「このドロボー!」と。

 これには驚くと同時に、怒れた。
「ドロボーとは何だ!」と。
自分の土地で、タケノコ掘っていたら、「ドロボー」と。

 法律的には、こういうばあい、生えてきたタケノコは、私の所有物になる。
(ただし垣根の上を越えて出てきた枝の実や花は、隣人のものである。)
相手の男は、その竹やぶの管理を任されている人の、その友人だった。

 私が「ここは私の土地だ」と言い返すと、その男も、さらに言い返してきた。
「こっちの竹やぶから伸びたから、オレたちのものだ」と。

男といっても、70歳を過ぎていた(当時)。
法律論を言いあっても、しかたない。
が、こういうときは、声の大きい方が、勝ち。
私はさらに大きな声で、こう言った。
「だったら、これからは、お前が、このあたりの竹やぶを、みんな刈れ!」と。
私の剣幕に驚いて、その男は、再び竹やぶの中に消えて行った。

(3) さきに書いた(1)の話には、つづきがある。
で、しかたないので、捨ててあったベッドを、ワイフと2人で、解体し始めた。
といっても、これがたいへん。
直系が3ミリ前後もあるような太いスプリングが、縦横、200~300個もついていた。
ハガネである。
それを一本一本、ハサミで切り離さなければならない。
電気工事屋の人が使うような、大きなハサミを使った。

 ときどき時間をみつけ、それでも毎日、1~2時間かけて、切り離していった。

 ……ところが、である。
ある朝、起きてみると、私の家の駐車場に、そのバラバラになったベッドが、投げ捨ててあるではないか!
たぶん、近所のだれかが、それが私たちの家から出たベッドと思ったらしい。
それを放置したのは、私たちと、勘違いしたらしい。
それでそうした。
つまり私の家の駐車場に、投げ込んだ。

(4) 隣の空き地の話は、尽きない。
こんなこともあった。

 あるときから奇妙なできごとが、つづいた。
何かにつけ、市役所の人が私の家に、謝罪に来るようになった。
「すみません」「すみません」と。
で、理由を聞くと、「木の枝が、道路を覆っています」「道の角の土砂くずれました」とか、など。

 市役所の人も、ていねいだなと感心していた。
が、別のある日には、近所の地主まで謝罪に来るようになった。
「雑草が道路まで伸びてすみません」と。

 で、理由を聞くと、「だって、林さん(=私)から手紙が来ましたから」と。

???

 私はそういった手紙を出した覚えは、まったくない。
それにそういった(自然のなせる業)は、気にならない。
落ち葉をゴミと考えたことは、一度もない。
つまり近所のだれかが、そのつど、それぞれのところへ苦情の手紙を出していた。
匿名だったか、あるいは私の名前を語ったかは、知らない。
ともかくも、市役所の人たちも、また地主も、手紙を出したのは、この私と思ったらしい。

(5) こうした話は、いくらでもある。
こんなこともあった。

 私はある時期、40代になったころから50代のはじめまで、無料で、子育て相談を受けていた。
電話相談である。

 これがあちこちに広がり、ほとんど毎日、電話がかかってくるようになった。
以前にも書いたが、この種の相談には、「時間」「時刻」がない。
いくら私が「午前中だけ」とお願いしても、中には、真夜中に電話をかけてくる人もいた。
しかも相談といっても、平均して1時間。
中には2時間~というのもあった。
40分以下ということはなかった。

 で、そんなある日、いくつか事件が重なった。

 そのひとつ。
ほとんど毎日、電話をかけてくる人がいた。
それが2~3週間も、つづいた。
そこで私が、ある日、それを断った。
「忙しいから、ときどきにしてもらえませんか?」と。
が、この言葉が、相手を激怒させた。

 「子育て相談を受けるなら、ちゃんと受けてほしい」と。

 あるいは似たような事例だが、そのとき忙しかったので、私はこう言った。
「こちらのほうから電話をしますから、しばらく待っていただけますか」と。

 それが金曜日の夜だったということを、私はよく覚えている。
が、相手の男から、その3日後の月曜日の朝、電話がかかってきた。
これもまた、ものすごい剣幕である。
電話口の向こうで、こう叫んだ。

「俺はお前からの電話を、3日も待った。どうして電話をくれないのか!」と。
そしてこうも言った。
「子育て相談の看板を、即刻、下ろせ」と。

 ……私は一度だって、子育て相談の看板を上げた覚えはないのだが……。

(6) こうした話は、誤解に基づく。
誤解が誤解を生み、こうした話につながっていく。
では、どうするか。

 私のばあい、こうした誤解は、そのまま無視する。
相手にしない。
反論しない。
たとえばインターネットで、こうして情報を公開していると、いろいろな人が、書き込みや、コメント、意見を書いてくる。
中には、辛らつなものも多い。
先日は、「お前のような老害は、死ねっ!」というものあった。
その前には、「お前は、精神異常者だ」というのもあった。

 こういうケースのばあい、けっして、その人を相手にしてはいけない。
本気になって、反論してもいけない。
ただひたすら無視するのがよい。
理由がある。

 こうしたことを書いてくる人というのは、それほど、深く考えて書いてくるのではない。
独り言に近い、苦言。
書いたすぐから、書いた本人自身が、それを忘れる。

 が、こちらが何かの反論をしたとたん、相手の心に火がつく。
火がついたとたん、収拾がつかなくなる。
ばあいによっては、そのまま炎上する。
だからひたすら、無視するのが、よい。

 たとえば(1)~(5)の中で書いた話にしても、そうだ。
本来なら、私が謝罪しなければ理由など、どこにもない。
本来なら、私の方が怒って当たり前。
しかし無視。
無視して、あとは忘れる。

 つまりこういうケースで、私が相手を探したり、その相手に向かって何かを言えば、その瞬間から、関係が変わる。
「無」の関係から、「有」の関係になる。
平たく言えば、喧嘩になる。
わずらわしくなる。
ばあいによっては、逆ギレされる。
逆恨みされる。
手に負えなくなる。
そうなる。


Hiroshi Hayashi+++++++April. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【本の世界vsインターネットの世界】

●本とは何かvsインターネットとは何か

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

今日は、田丸謙二先生からもらった宿題に
ついて考えてみる。
田丸謙二先生は、「本を書きなさい」と、
何度もアドバイスしてくれた。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●アクセス数

ここ1、2日、奇妙なことが起きている。
最初に気がついたのは、YOUTUBEの登録者が、突然、急増したこと。
「登録者」というのは、私がUPした動画を、すべて見てくれる人、ということになる。
マガジンにたとえるなら、定期購読者。

 たいていは、1~2週間で、2、3人程度。
それが毎日、2、3人以上の人が登録してくれるようになった。
「?」と思いながら、「アナリティクス」(アクセス分析)を見ると、毎日のアクセス数が、その前後から、3倍以上にもなっているのがわかった。

(平均して、それまで1日、600~650件だったのが、一気に、3000件前後になった!)

 さらにBLOGについても、Goo-Blogだけでも、2誌合計で、1日、5000件を超えていた!
(Goo-Blogは、日本語版と英語版の2誌を発行している。)
私の知らないところで、何かが起きている。

 が、いちばん考えられることは、どこかのビッグ・サイトで紹介されたこと。
どこでどのように紹介されたのかまでは、わからない。
ともかくも、今現在、そうなっている。

が、インターネットの世界というのは、不思議な世界。
数字だけがひとり歩きする。
実感が、ない。
たとえば現在、HPへのアクセス数も含めると、月間、50万件は軽く超えている。
本にたとえるなら、超ベストセラー。
「50万件か」と思ってみたり、「50万件ね」と思ってみたりする。
恐らく、それがつぎに「100万件」になってもそうだろう。
その実感は、生まれない。

が、本とちがうのは、それが毎月、コンスタントにつづくということ。
アクセス数が減るということは、今のところ、まず、ない。
何しろ、世界が相手。
マーケットが広い。
読者は、世界中に広がりつつある。

 YOUTUBEの「ユーザー層」を見ると、日本につづき、アメリカ、ブラジル、台湾、オーストラリア……となっている。

●田丸謙二先生からのアドバイス

 先日、田丸謙二先生に会ったら、「本を書きなさい」と何度も言われた。
浜松へ帰ってきてからも、そういう内容のメールが、2通、届いた。

 で、そのアドバイスを真剣に考えた。
「やはり、本かなあ……?」と。

 しかしその一方で、少なくとも、私にとっては、本の時代は終わったような気がする。
「私にとっては」というのは、「いままでさんざん、この世界で苦労したから」という意味。
こんなたとえはどうかと思うが、こういうこと。

 たとえばどこかの会社の社長が、私にこう言ったとする。
「うちに再就職してください。がんばって仕事をしてくれれば、課長にしてあげます」と。
たぶん……というより、まちがいなく、私はこう答えるにちがいない。
「もう、こりごりです」と。

 私の今の心境は、それに近い。
いろいろな本を書いてきたが、どれも売れなかった。
この日本では、マスコミへの露出度、あるいは地位や肩書、名声で、本の売れ行きは決まる。
もうひとつは、「時代性」と「話題性」。
俗に言えば、「流行性」。
が、この浜松に住んでいたのでは、人脈をつなげることさえ、むずかしい。
情報も乏しい。

 そういった壁が、目の前に立ちふさがる。
それを乗り越えなければ、本は売れない。
が、インターネットが、そういった今までの常識を、根底からひっくり返してくれた。
今、私がこうしてここに書いている文章にしても、明日の朝までには、数万の人の目に届く。
(みながみな、好意的に読んでくれるというわけではないが……。)

 それに今の私には、とにかく「時間が足りない」。
この先のことはわからないが、今は、このまま前に向かって、突き進んでいくしかない。
結果はどうであれ、残された時間は、あまりにも短い。

●自殺

 で、もう一言、田丸謙二先生は、こんなことを話してくれた。
「作家というのは、書くことがなくなったら、自殺するものでしょうか」と。

 これについても、よく考えてみた。
が、作家と、もの書きは、基本的な部分で、ちがう。

 作家というのは、文章を書き、それを本という形で売る。
つまりその間に、出版社が介在する。
出版社といっても、いうなれば、営利会社。
目的は金儲け。

 だからその作家の本が売れないとわかったら、出版社は、本など、出さない。
つまりその時点で、その作家は、仕事を失う。
会社の社員にたとえるなら、リストラ(首切り)と同じ。

が、一度、こうなると、その作家のところへは、まず仕事が回ってこない。
この世界では、発行部数、販売部数という、「視聴率」がある。
それがどの出版社でも、即座にわかるしくみができている。

 「あの作家の本は、このところ、よくて5000部止まり」と。

 一度、そういう烙印が押されると、その作家は、「干される」。
が、作家の命は、ものを書くこと。
言うなれば、書くことそのものを、断たれる。
書いても書いても、読んでくれる人がいない……。
そんな状態が、慢性的につづく。
当然、収入は、ゼロ。
それが「自殺」に結びついたとしても、私は驚かない。

 が、それもインターネットの世界では、一変する。
仮に最初は、10人でも、あるいは100人でも、「数」として、読んでくれる人がつく。
それが励みになり、さらに書く。
こうして読んでくれる人が、ふえていく。

 もちろん収入には、結びつかない。
しかし生きがいにはなる。
つまりここが、作家ともの書きのちがい。
もの書きは、最初から、無私無欲。
またそうであるから、おもしろい。
書きたいことを、書ける。
だれにも遠慮しない。
媚も売らない。
そこにあるのは、ありのままの「私」。

 また私の文章を読んでくれる人は、原点の私から読んでくれる。
飾りなしの、原点の私。

●「残る」

 「本の時代が終わった」とは、私はまだ思っていない。
しかし将来にわたって、残るか残らないかということになれば、本の時代は終わった。

 たとえば今、私は、10年前に書いた原稿を、即座に探し出すことができる。
ネットで、検索をかければ、それですむ。
が、本というのは、その場かぎり。
仮に1年間で、1万部、売ったとする。
が、そこでおしまい。

 ネットの世界では、反対に、1年間に1000人の人が読んでくれたとすると、10年で、それが1万人になる。
20年で、2万人になる。
先に「残る」と書いたのは、そういう意味。

●流行性

 が、まだある。

 具体的に書こう。

 本というのは、先にも書いたように、「流行性」で決まる。
が、そういう本というのは、命が短い。

 たまたま田丸謙二先生の親しい知人に、F氏という人物がいる。
そのF氏は、4~5年ほど前に、「K」という本を書いた。
たいへんなベストセラーになった。
田丸謙二先生は、それについて、「バカ売れしています」と、メールで何度も書いてきた。
私も喜んだ。
うれしかった。

 が、それからほぼ4~5年。
その中古本は、現在、1円(送料が250円)で、取り引きされている。
(あれほど話題になった本だったのだが、たったの1円!)

 一方、私が書いた、「目で見る漢方診断」(飛鳥新社)は、今でも、6000~7000円前後で、取り引きされている。

目で見る漢方診断中古本

 F氏のような大人物と張りあうつもりは、毛頭ない。
しかしひょっとしたら、100年後、200年後ということになれば、私の本のほうが、生き残っているかもしれない。

 つまり本を評価する尺度※というのは、もっと別のところにある。
が、残念ながら、この日本では、まだその尺度そのものが育っていない。
またそういう尺度で、本を判断する人が少ない。
その土壌さえない。
言い換えると、本の世界には、私はもう未練はない。

なお自分でこう書くのも、どこか気が引けるが、『目で見る漢方診断』は、その世界では、三大名著のひとつになっている。
また30歳のころ書いた、「東洋医学基礎編」は、現在の今でも、医学部や鍼灸学校で、教科書として採用されている。

●可能性

 で、今は、YOUTUBEがおもしろい。
私の教えている内容や、子どもたちの反応を、そのまま公開している。
当初は、ごくふつうであった子どもでも、1~2年後には、見違えるほど、すばらしい子どもに成長していく。
その成長の過程まで、生の動画として、それを読者のみなさんに伝えることができる。

 もちろん、こんなことは、本では、ぜったいにまねできない。
またYOUTUBEに保存しておけば、永遠とまではいかないにしても、それに近い形で、残る。
現在は幼児である子どもたち(=生徒たち)でも、いつか、私の今の年齢になったとき、改めてそれを見なおすかもしれない。
「思い出」というよりは、「世界でもだれもしていなかったような教育を受けた」という意味で、見なおすかもしれない。
現に今、教え子で、ハーバード大学の医学部で、医局をもっている人がいる。
2つの博士号を取得している。
そういう人たちが将来つづき、今の私のしていることを見なおしてくれるかもしれない。

 私はそれを信じているし、インターネットは、そういう可能性を秘めている。
本の時代が終わったとは思わない。
しかし今、その本にかわる、あるいはそれ以上の世界が、広がりつつある。

(公開教室は……)
http://bwopenclass.ninja-web.net/page018.html


●最後に……

 「生き残る」という言葉には、2つの意味がある。

 戦争映画に出てくるように、雨あられのように降り注ぐ砲弾をかいくぐって、生き残るのも、「生き残る」。

 もうひとつは、自分の死後も生き残る。
それも「生き残る」。

 私は生涯、地位や肩書には、あえて背を向けて生きてきた。
けっしてチャンスがなかったわけではない。
大学の教授や講師のポストを提示されたこともある。
幼稚園の園長については、何度か、ある。

 しかしそのつど、私はこう思った。
もし、ここで妥協したら、今までの私の生き方を否定することになる、と。
皮肉なことに、本当に、皮肉なことに、私は田丸謙二先生に会ったときから、私1人くらい、生涯、裸で生きる人間がいてもよいのではないか、と。
そう、心に誓った。
田丸謙二先生と張りあっても、無駄。
絶対に勝ち目はないと知ったとき、そう心に誓った。

 で、私は私の人生を、64年間、生きてきた。
何とか、生き残ってきた。
で、今、考えることは、死んだあとの「生き残り」。
それに自分の命を懸けている。

 結果については、私は知る立場にはない。
あえて願うなら、私の死後、10年くらいは、生き残りたい。
できれば、20年。
100年後に、私の書いた文章の、1行でも残っていれば、御の字。
それが「はやし浩司」ということになる。

(はやし浩司 本とは何か インターネットとは何か 死後も生き残る 生き残り はやし浩司 インターネットの可能性 本論 はやし浩司 教育 林 浩司 林浩司 Hiroshi Hayashi 幼児教育 教育評論 幼児教育評論 はやし浩司)

(追記)なお「目で見る漢方診断」は、私のHPのほうから、全文、無料で読んでいただけます。
興味のある方は、どうぞ!
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
http://bwtachiyomi.ninja-web.net/page051.html

【追記】注※

●尺度論

 たまたま今朝(4-15)、どこかのニュースサイトに、こんな記事が載っていた。
あの赤川次郎が、こう言ったという。
大阪市の橋下市長を批評して、「モーツアルトの観客数と、AKB48の観客数が同じといっても、(モーツアルトとAKB48を)同列に考えることはできない」(記憶)と。

 さすが赤川次郎。
ずばり、うまいことを言う。
モーツアルトとAKB48とを、同じ尺度で測ってはいけない。

 それにもうひとつ。

 以前、「ハリーポッター」の日本語版が、週刊誌などで、問題になったことがある。
「誤訳だらけ……」と。
(たしかに誤訳だらけだが……。)

 が、その議論を横で見ながら、私は、こう思った。

「もともとデタラメな本ではないか。
そんな本の誤訳がどうのこうのと、問題にするほうがおかしい。
もし誤訳が問題なら、映画はどうなのか」と。

映画は、本をもとにして、制作される。
誤訳どころではない。
デタラメの上に、デタラメを重ねる。
どうして映画のほうは、「誤訳」が問題にならないのか、と。

 AKB48の歌う歌を聴き、すばらしいと思う人もいるかもしれない。
ハリーポッターを読んで、すばらしい本と思う人もいるかもしれない。
ものの価値を判断する尺度そのものがちがうと、そういう現象が起きる。


Hiroshi Hayashi+++++++April. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【親子で笑おう+楽しもう、BW幼児教室byはやし浩司】
(はやし浩司 2012-04-16)


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