2012年5月4日金曜日

After a class reunion Party

●同窓会ショック・5月04日、朝3:49 (2012年)

●映画

 このところ、よい映画がない。
『Black & White』とか、『タイタンの逆襲』とか。
そういった映画は見た。

(ついでに『バトルシップ』、『ジョン・カーター』もみた。
これらについては、Blogの中で、すでに取りあげた。)

が、どれもパッとしない。
評価外というか、あえて評価するような映画ではない。
意味のないドタバタ映画。
戦争映画。

ボケ防止にはなる。
週に1度は、見るようにしている。
その程度。

 が、あえて言えば、『タイタンの逆襲』。
権威主義のかたまりのような映画。
ゼウスだのポセイドンだの、日本でいう水戸黄門が、何人もつづけて出てくる。
そういった神々が、地獄から解放された悪魔と闘う。
権威のない国、アメリカだからこそ、権威にあこがれるのか。
それとも、アメリカに住む、ラテン系の人たちのための映画?
どうであるにせよ、あの種の映画は、もう見飽きた。
つまらない。
 
 つぎは……。
そう言えば、またまたバンパイアものがやって来る。
『ダーク・シャドウ』とか。
今度は、ジョニー・デップが主役とか。
どこか喜劇ぽい。
どうしてアメリカ人は、ああまでバンパイアが好きなのか。

●5月3日、4日、5日

 5月3日、4日、5日は、浜松祭りの日。
例年だと、遠くからだれかがやってきて、我が家に泊まったりする。
浜松祭りを見に行く。
が、今年は、遠慮させてもらった。

「今年は家で、静かにしていよう」と。
……ということで、昨日、夕方になって、この山荘にやってきた。
浜松から、車で、35~40分。

 が、ワイフはじっとしていない。
おとといの夜は、『タイタンの逆襲』を見たあと、駅前にあるダイワロイネットホテルに一泊した。
昨夜も床に入ると、「明日は、どこへ行く?」と。
「お前は、本当に不良老人だな」と言うと、あっさりと、「そうよ」と。
「遊べるうちに、遊んでおかなくちゃあ」とも。

 そのワイフは、今、隣りの部屋で寝ている。
のんきな性格というか、ワイフは、うつ病とは無縁の世界に住んでいる。
偏頭痛にさえ、なったことがない。
睡眠薬の世話にも、なったことがない。
毎日、朝までぐっすりと眠る。
単細胞型人間。
こまかいことを、まったくと言ってよいほど、気にしない。
万事、おおらか。

 ボケもあるのかな?、と疑うことはある。
が、今のところ、心配なさそうだ。
記憶も確か。
……というか、このところ、私のほうが、あぶない?
こまかいミスが多くなった。……ように、思う。

●テーマ

 前にも書いたが、ものを書くには、(怒り)が必要。
(怒り)を覚えないと、書けない。
日々に平穏、無事、平凡……というのでは、ものは書けない。
が、このところ、その(怒り)そのものを感じない。
つまり書きたいテーマそのものが、浮かんでこない。

 昨夕も、この山荘に来る途中、コンビニへ寄った。
何冊か本を買った。
ついでに週刊誌を立ち読みした。
が、どれも、頭の中を素通りするだけ。

 無関心?
それとも、ニヒリズム?
ふだんなら、どんな記事を読んでも、頭の中で火花がバチバチと飛び散る。
が、それがない?
万事、どうでもよくなくなってしまった。
原因をさぐってみるが、どうもそれがよくわからない。

●第二の失恋

 あえて言えば、先日、同窓会で聞いた話が、ショックだった。
私がつきあっていた女性が、実は、2股、3股もかけていた。
それがわかった。

 が、私はそれなりに真剣だった。
相手も、それなりに真剣だと、信じていた。
が、私はただのワン・オブ・ゼムに過ぎなかった。
それがわかった。

 言うなれば、恋愛詐欺にあったようなもの。
その証拠に……というか、同窓会の前に何度か聴いた、舟木一夫の『♪君たちがいて僕がいた』が、急に色あせてしまった。
『♪清らかな青春 爽やかな青春、大きな夢があり、かぎりないよろこびがあった……』で、始まる、あの歌である。

 今、聴くと、ただのマザコン・ソングにしか、聴こえない。
『♪母にも似た 優しい 目差しの君たちがいて そして 僕がいた』とつづく。

 で、ワイフに聞いてみた。
「お前さあ、学生時代、あの歌を聴いて感動しなかったか?」と。
ワイフはこう言った。
「私は、ああいう歌は嫌いだったから」と。

 やはり私はマザコンだった。
『♪母にも似た』という部分が、かなりマザコン的。
女性を、マドンナ(聖母)風に、祭りあげてしまっている。
が、そんな女性、どこにいる?

 その私がいかにマザコンであったかは、つぎのエッセーを読んでもらえれば、わかる。
その女性が、結婚するときの様子を書いたもの。
読んで、どうか、笑ってほしい。
なおその女性は、遊びに遊びまくったあと(?)、5~6歳前後年上の女性と結婚している。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

男と言うのは……というふうに決めつけてはいけないが、
自分の恋愛を、無意味に美化したがるもの。
そういう視点で、読みなおしてみる。
書いたのは2000年ごろ。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【息子が恋をするとき】

●マダム・バタフライ

 久しぶりに、「マダム・バタフライ」を聞いた。
ジャコモ・プッチーニのオペラである。
私はあの曲が好きで、聞き出すと何度も、繰り返し聞く。

「♪ある晴れた日に、
  遠い海の向こうに一筋の煙が見え、
  やがて白い船が港に着く……
  あの人は私をさがすわ、
  でも、私は迎えに行かない
  こんなに私を待たせたから……」(訳:はやし浩司)

 この曲を聞くと、何とも切ない気持ちになるのは、なぜか。
遠い昔、長崎からきた女性に恋をしたことがあるからか。
色の白い、美しい人だった。
本当に美しい人だった。
その人が笑うと、一斉に太陽が輝き、一面に花が咲くようだった。
その人はいつも、春の陽光をあびて、まばゆいばかりに輝いていた。

 マダム・バタフライ、つまり蝶々夫人は、もともとは武士の娘だったが、幕末から明治にかけての混乱期に、芸者として長崎へやってくる。
そこで海軍士官のピンカートンと知り合い、結婚。
男児を出産。
が、ピンカートンは、アメリカへ帰る。
先の歌は、そのピンカートンを待つマダム・バタフライが歌うもの。
今さら私の説明など必要ないかもしれない。


 同じような悲恋物語だが、ウィリアム・シェークスピアの『ロメオとジュリエット』もすばらしい。
少しだが若いころ、セリフを一生懸命暗記したこともある。
ロメオとジュリエットがはじめてベッドで朝を迎えるとき、どちらかだったかは忘れたが、こう言う。

 「A jocund day stands tip-toe on a misty mountain-top」と。
「喜びの日が、モヤのかかった山の頂上で、つま先で立っている」と。

本来なら喜びの朝となるはずだが、その朝、見ると山の頂上にモヤにかかっている。
モヤがそのあとの二人の運命を象徴しているわけだが、私はやはりそのシーンになると、たまらないほどの切なさを覚える。

 そう、オリビア・ハッセーとレナード・ホワイティングが演ずる『ロメオとジュリエット』はすばらしい。
私はあの映画を何度も見た。
何度も涙を流した。
ビデオももっている。
サウンドトラック版のCDももっている。
その映画の中で、若い男が、こう歌う。
ロメオとジュリエットがはじめて顔をあわせたパーティで歌われる歌だ。

 「♪若さって何?
   衝動的な炎。
   乙女とは何? 
   氷と欲望。
   世界がその上でゆり動く……」
 
 この「ロメオとシュリエット」については、以前、「息子が恋をするとき」というエッセーを書いたので、このあとに添付しておく。
このエッセーは、中日新聞紙上で、発表させてもらった。

 最後にもう一つ映画の話になるが、「マジソン郡の橋」もすばらしい。
短い曲だが、映画の最後のシーンに流れる、「Do Live」(生きて)は、何度聞いてもあきない。
いつか電撃に打たれるような恋をして、身を焼き尽くすような恋をしてみたいと思う。
かなわぬ夢だが、しかしそういうロマンスだけは忘れたくない。
いつか……。
(02-10-5)※

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●つづくエッセーは、その『ロメオとジュリエット』について、書いたもの。

*Romeo and Juliet

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(Love Theme from Romeo and Juliet)

What is a youth?  Impetuous fire.  若さって、何? 燃えさかる炎。
What is a maid?  Ice and desire.  乙女って、何? 氷と欲望。
The world wags on,  世界は、その上で踊る。
a rose will bloom.... ばらは咲き、
It then will fade:  そして色あせる。
so does a youth,  若さも、また同じ。
so does the fairest maid. もっとも美しい乙女も、また同じ。
Comes a time when one sweet smile その人の甘い微笑みが
has a season for a while....  しばしの間、その季節を迎えるときがやってきた。
Then love's in love with me.  そして私と恋を恋するときがやってきた。
Some they think only to marry,  結婚だけを考える人もいる。
others will tease and tarry.  からかうだけの人や、じらすだけの人もいる。
Mine is the very best parry.  でも私のは、あるがまま。
Cupid he rules us all.  キューピッドだけが、私たちを支配する。
Caper the cape, but sing me the song,  ケープをひらめかせ、私に歌を歌え。
Death will come soon to hush us along. やがて死が訪れ、私たちを痛めつける。
Sweeter than honey... and bitter as gall,  蜂蜜よりも甘く、胆汁と同じほど苦く、
Love is a task and it never will pall.  愛は、すべきこと、隠すことはできない。
Sweeter than honey and bitter as gall. 蜂蜜よりも甘く、胆汁と同じほど苦い。
Cupid he rules us all." キューピッドが私たちを支配する。(訳、はやし浩司)


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●息子が恋をするとき

●息子が恋をするとき(人がもっとも人間らしくなれるとき)

 栗の木の葉が、黄色く色づくころ、息子にガールフレンドができた。
メールで、「今までの人生の中で、一番楽しい」と書いてきた。
それを女房に見せると、女房は「へええ、あの子がねえ」と笑った。
その顔を見て、私もつられて笑った。

 私もちょうど同じころ、恋をした。
しかし長くは続かなかった。
しばらく交際していると、相手の女性の母親から私の母に電話があった。
そしてこう言った。
「うちの娘は、お宅のような家の息子とつきあうような娘ではない。
娘の結婚にキズがつくから、交際をやめさせほしい」と。

 相手の女性の家は、従業員30名ほどの工場を経営していた。
一方私の家は、自転車屋。「格が違う」という。
この電話に母は激怒したが、私も相手の女性も気にしなかった。
が、二人には、立ちふさがる障害を乗り越える力はなかった。
ちょっとしたつまづきが、そのまま別れになってしまった。

 「♪若さって何? 衝動的な炎。
乙女とは何? 
氷と欲望。
世界がその上でゆり動く……」と。

 オリビア・ハッセーとレナード・ホワイティングが演ずる「ロメオとジュリエット」の中で、若い男がそう歌う。
たわいもない恋の物語と言えばそれまでだが、なぜその戯曲が私たちの心を打つかと言えば、そこに二人の若者の「純粋さ」を感ずるからではないのか。

私たちおとなの世界は、あまりにも偽善と虚偽にあふれている。
年俸が1億円も2億円もあるようなニュースキャスターが、「不況で生活がたいへんです」と顔をしかめてみせる。
一着数百万円もするような着物で身を飾ったタレントが、どこかの国の難民の募金を涙ながらに訴える。
暴力映画に出演し、暴言ばかり吐いているタレントが、東京都やF国政府から、日本を代表する文化人として表彰される。

 もし人がもっとも人間らしくなるときがあるとすれば、電撃に打たれるような衝撃を受け、身も心も焼き尽くすような恋をするときでしかない。
それは人が人生の中で唯一つかむことができる、「真実」なのかもしれない。
そのときはじめて人は、もっとも人間らしくなれる。
もしそれがまちがっているというのなら、生きていることがまちがっていることになる。
しかしそんなことはありえない。

ロメオとジュリエットは、自らの生命力に、ただただ打ちのめされる。
そしてそれを見る観客は、その二人に心を合わせ、身を焦がす。
涙をこぼす。しかしそれは決して、他人の恋をいとおしむ涙ではない。
過ぎ去りし私たちの、その若さへの涙だ。
あの無限に広く見えた青春時代も、過ぎ去ってみると、まるでうたかたの瞬間でしかない。
歌はこう続く。

「♪バラは咲き、そして色あせる。若さも同じ。美しき乙女も、また同じ……」と。

 相手の女性が結婚する日。
私は一日中、自分の部屋で天井を見つめ、体をこわばらせて寝ていた。
6月のむし暑い日だった。
ほんの少しでも動けば、そのまま体が爆発して、こなごなになってしまいそうだった。
ジリジリと時間が過ぎていくのを感じながら、無力感と切なさで、何度も何度も私は歯をくいしばった。

 しかし今から思うと、あのときほど自分が純粋で、美しかったことはない。
そしてそれが今、たまらなくなつかしい。
私は女房にこう言った。
「相手がどんな女性でも温かく迎えてやろうね」と。
それに答えて女房は、「当然でしょ」というような顔をして笑った。
私も、また笑った。
(以上、中日新聞に、エッセーとして掲載済み。)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●再び今朝(はやし浩司 2012-05-04)

●恋愛詐欺

 今朝の私の気分は、こう。
「何が、純愛だ!」と。
マザコンも、よいところ。

 薄汚い男と女の関係を、無意味に近いほど、勝手に美化していただけ。
つまりそう自分で、思い込んでいただけ。
自分を悲劇の主人公にしたて、勝手に騒いでいただけ。
ここに書いた相手の女性は、私のことなど、鼻くそほども考えていなかった。
それが今になってみると、(つまり今朝)、よくわかる。

 あえて書こう。
若い女性に、マドンナなど、期待するほうが、おかしい。
馬鹿げている。
若い男性と同じく、ただの欲望の奴隷たち。
「これは!」とターゲットを決めた男を見つけると、あの手この手を使って、結婚に持ち込む。
親がかりになることも、珍しくない。

 まさに、恋愛詐欺。

 聖母か聖母でないか……。
それは女性にかぎらない。
幾多の山を越え、野を越え、やがて決まること。
そこらの高校生に毛が生えたような若い女性に、聖母を期待するほうが、おかしい。
が、若いときには、それがわからない。
だから『♪母にも似た……』となる。

 苦労の「ク」の字も知らないような、また子どもを育てたこともないような女子高校生に、『♪母にも似た……』だと?
笑わせるな!

 ……おお、少し(怒り)が戻ってきたぞ。
ハハハ。
こうなると、文章が書ける。

●同窓会ショック

 こういうのを、「同窓会ショック」という。
しかも若いときの同窓会では、それはわからない。
見栄と虚栄の張りあい。
が、60歳もすぎると、その垣根が取れる。
「何を今さら……」という気分になる。
同時に、若いころの自分が、いかに欲望の奴隷であったかが、わかる。

 ただ誤解しないでほしい。
だからといって、その(欲望)を否定しているのではない。
その(欲望)があるから、人生も、また楽しい。
あの映画『タイタニック』にしても、ジャックとローズがいたから、ドラマになった。
もしジャックとローズがいなければ、ただの沈没映画。
船の沈没映画。

 が、その私も、54、5歳のころ、その性欲から解放された。
男にも更年期というのが、あるらしい。
そのときのこと。
男と女の区別がつかなくなった。
と、同時に、それまでの自分が、いかに欲望の奴隷であったかを知った。
性欲という欲望である。

 が、これも誤解がないように、書いておく。
それはすがすがしいほどまでに、さっぱりとした世界だった。
心が、(私であって私でない束縛)から、解き放たれたような解放感だった。

●変わる女性vs変わらない女性

 同窓会について、ついでに一言。

 今回、同窓会に出てみて、こんなことにも気がついた。
男性諸君は、ほとんど、そのままだった。
つまり高校時代のままだった。
しかし女性たちは、そうではなかった。

 変わった人、変わらない人、……その2つのグループに分かれた。
変わった人については、高校時代の面影は、ほとんど残っていなかった。
変わらない人については、通りで会っても、すぐ気がつくほど、変わっていなかった。
どうしてだろう?

 細胞レベルの話をするなら、皮膚の細胞は、日々に再生される。
(これに対して、脳細胞は、再生されるということはない。
日々に死滅し、数を減らす。
だからこそ、性格や性質は、半世紀を経ても、変わるということはない。
20年たっても、30年たっても、昔のままで、会うことができる。)

 原因のひとつが、肥満と激やせではないか。
これを繰り返していると、顔の形まで、変わってくる。
……というような話を、昨日ワイフに話すと、ワイフはこう言った。

 『女の顔も履歴書よ』と。
(注:大宅壮一は、『男の顔は履歴書』と言った。)

 そうかもしれない。
そうでないかもしれない。
というのも、女性は、高校を卒業したりすると、突然に美しくなる。
(化粧)という仮面をかぶるようになる。
まるで別人になることも、珍しくない。
そういうプロセスを経ているから、私たちは、それを「変わった」と、とらえる。

 もちろん、よくなる人もいる。
上品で、穏やかになる人もいる。
しかし残念ながら、そういう人は、少ない。

 女性のばあい、それまでの苦労が、そのまま顔に蓄積される。
いくら厚化粧をしても、……あるいは厚化粧をするからよけいに、その向こうにある苦労が透けて見えてしまう。

 大切なことは、知性を磨くこと。
理性を磨くこと。

……しかし、どこかの女性だが、作家からどこかの宗門にくだった人がいる。
マスコミの世界にも、よく顔を出す。
あの女性などは、ふつうでない修行をしているはずだが、年々、顔が醜悪になっていく。
そういう女性もいるから、ここでいう「履歴書」というのは、もっと別のファクターによって決まるのかもしれない。

 たとえばマザー・テレサなどは、晩年、ますます美しくなっていった。
顔のしわが、問題というわけではない。
内側から光る、品性のようなもの。
そうした(ちがい)は、どこからどのようにして生まれるのか?

●小沢一郎

 昨日のMSNニュースに、こんな一文が載っていた。
先ほど無罪判決を手にした、小沢一郎についてのものだが、こうある。

 『……公判は、結局は「小沢と秘書との関係」が問われた場だった。
法廷で秘書を「家族、子供のような気持ちを持っている連中」と表現した小沢だが、かつての側近が述懐するのは全く異なる関係だ。

 「田舎に帰ります」

 今から10年ほど前、後に秘書の束ね役となる元公設第1秘書、大久保隆規(50)は泣きながらわび状を書いていた。
涙の理由は、小沢の妻の新幹線切符の手配を忘れたというミスだ。
わび状の宛先は小沢事務所の先輩格、高橋嘉信(58)。
大久保はこのとき、秘書を辞める覚悟だったとされる。

 「小沢家の逆鱗(げきりん)に触れ、あまりの怖さに私のせいにした。
秘書にとって、小沢からの指示は絶対なんです」。
高橋は話す』(MSN)と。

 タイトルには、こうある。
『10円でも(小沢一郎から)借りれば、翌日に返す。小沢の絶対的存在』(MSN)と。
妻の新幹線の切符の手配を忘れただけで、わび状?
バカげているというよりは、実に小沢一郎らしい。

 MSNでは、小沢一郎を、「小沢」と呼び捨てにしている。
当然のことである。
無罪は無罪でも、かぎりなくクロに近い。
「証拠不十分」というのは、そういう意味。
MSNは、最後をこう結んでいる。

『……会計業務の「秘書任せ」を強調した小沢だけでなく、元秘書も含めて「誰も本当のことを話していない」とも感じている』(指定弁護士のO氏談)と。

 そんな小沢一郎が、「4億円の流れについて、秘書を信頼し、秘書に任せていた」とは?
いったい、だれがそんな言葉を信ずるだろうか。
同じくMSNの記事の中で、元秘書のT氏は、つぎのように語っている。

『…「私は通帳はおろか、実印も持たせてもらったことはなかった。
絶えず裏切るんじゃないかと考えて。
(小沢一郎は)猜疑心(さいぎしん)の固まりなんです」。
高橋はそう言った』(MSN)と。

(猜疑心の固まり、だぞ!)

 『男の顔は履歴書』(大宅壮一)という。
MSNが書いていることが、本当か、どうか。
あの小沢一郎の顔と照らし合わせて見れば、それがわかる。

●猜疑心(さいぎしん)

 なおここで、「猜疑心」という言葉が出てきた。
それはその通りで、昔からこう言う。
『泥棒の家ほど、戸締りが厳重』と。

 泥棒というのは、自分で泥棒をしているから、泥棒が気になる。
家の戸締りが、厳重になる。
つまり人間というのは、自分の弱点を裏返した行動を、自らしやすい。
ほかにたとえば、『女遊びばかりしている男ほど、自分の娘に厳(きび)しい』(はやし浩司)というのも、それ。

(そう言えば、こんなことを言った男がいた。
若いときから、浮気のし放題。
その男が、「娘(27歳)の(帰宅)門限だけは、しっかりと守らせている」と。
「27歳にもなった娘に、門限など、あるはずもない」と、そのときはそう思ったが、それは言わなかった。)

あるいは『浮気している夫(妻)ほど、妻(夫)の浮気を警戒する』(はやし浩司)でもよい。
さらに『小ずるい男ほど、他人を疑う』(はやし浩司)でもよい。

 「猜疑心」というのは、それをいう。
自分で悪いことばかりしていると、他人も、そうしていると思ってしまう。
それが猜疑心につながる。

 小沢一郎がそうであるというのではない。
しかしMSNの記事の中には、「猜疑心の固まり」とある。
もしそうなら、小沢一郎という人は、あわれな人だ。
金力と権力の亡者(奴隷)になりながら、それにすら気がついていない。

●朝

 話を戻す。

 時刻は、午前6時半。
ワイフは、まだ熟睡中。
ウグイスですら、すでに鳴くのをやめ、休息中?
縁側の向こうでは栗の木の若葉が、色鮮やかに輝いている。
さわさわとした風。
やわらかな葉が、一枚一枚、小刻みに揺れている。

 で、今回は、「同窓会ショック」というテーマで、この原稿を書いてみた。
が、悪いことばかりではない。
それが縁で、旧交を温めるということもできる。
あの高校時代が、それによって戻ってくる。
私にとっては、失われた3年だったが、その3年が戻ってくる。

 さらに言えば、みな、2年後の再開を約束した。
2年後!

 ふと「それまで生きているだろうか」と思う。
しかし同時に、「がんばって、それまで生きていよう」と思う。
つまり目標ができた。

 言うなれば老後生活というのは、目標作り。
無数の「目標」を作り、その目標のひとつひとつに向かって生きていく。
大きな目標というのは、ない。
庭先の栗の木の葉のように、無数の小さな目標。
1枚、1枚が、風に揺れるように、それに向かって生きていく。
2年後の同窓会も、そのひとつ。

 つぎに会うときは、さらにみな、ジジ臭くなり、ババ臭くなる。
が、生きているだけでも、御の字。
次回は高山市で、ということだから、その分だけ、健康でなければならない。
(もっとも今の私にとっては、美濃市も高山市も、同じような距離だが……。)
頭(脳みそ)のほうは、だいじょうぶだろうか。
そんな心配もある。

 あるいは、次回は、どんな同窓会ショックを受けるか。
楽しみというよりは、何となく、こわい。
今回も、すでに足腰の悪い仲間がいると聞いた。
が、そういう人たちはそういう人たちで、車椅子で来ればよい。
それがたがいに平気でできるようになったとき、はじめて、同窓会は同窓会になる。
みながみなで励ましあったとき、同窓会は同窓会になる。
頭がボケていても、よいではないか。
それが自然な形でできるようになったとき、時空を超え、あの高校時代が、光り輝き始める。

 ……ともあれ、ワイフが起きてきたら、M山にあるホテルに予約を入れるつもり。
活動開始。

 とりあえず、今日は、1冊、自分の本を、HPにUPLOADするつもり。
たいへんな作業になりそうだが、がんばってやってみる。

(はやし浩司 猜疑心について 猜疑心 泥棒の家 ロメオ 同窓会ショック はやし浩司 男の顔は履歴書 大宅壮一 教育 林 浩司 林浩司 Hiroshi Hayashi 幼児教育 教育評論 幼児教育評論 はやし浩司) はやし浩司 2012-05-04)


Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司
 

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