2012年5月12日土曜日

Greece Crisis

【山荘にて】(はやし浩司 2012-05-12)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

浜松の凧祭りで、真っ黒に日焼けしてきた中学生がいた。
鼻の先は、かさぶたができたように、皮がめくれていた。
目も、真っ赤だった。

「どうして日焼け止めクリームを使わなかったのか!」と叱ると、「使っていた」と。
日焼け止めクリームを使っても、そこまで日焼けする。
自殺行為そのもの。

以前、中日新聞に発表した原稿を探してみる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●紫外線対策を早急に

 今どき野外活動か何かで、まっ赤に日焼けするなどということは、自殺的行為と言ってもよい。
中には、皮膚が赤むけになるほど、日焼けする子どももいる。
無頓着といえば、無頓着。無頓着すぎる。
国立がんセンターの山本医師も、『海外旅行に行って、肌を焼いているのは、日本人の若者ぐらいです。
海外の皮膚がん研究者からは、「いったい日本は、どうなっているのだ?」と質問されることさえあります。
専門家にしてみれば、日本の若者がこぞって肌を焼く行為は、自ら命を縮めているに等しい行為なのです』(日経BP)と述べている。

 紫外線で皮膚が傷つくわけだが、オゾンが10%の割合で減りつづけると、皮膚がんは、26%ふえ、紫外線が2%ふえると、皮膚がんは、3%ふえるとういう(UNEP99年)。
実際、オーストラリアでは、1992年までの7年間だけをみても、皮膚がんによる死亡件数が、毎年10%ずつふえている。
日光性角皮症や白内障も急増している。
しかも深刻なことに、20代、30代の若者たちの皮膚がんが、急増しているということ。
そこでオーストラリアでは、その季節になると、紫外線情報を流し、子どもたちに紫外線防止用の帽子とサングラスの着用を義務づけている。
が、この日本では野放し。オーストラリアの友人は、こう言った。
「何も対策を講じていない? 信じられない」と。
ちなみに北極についても、1997年には、すでに30%も減少している。

●破壊される環境

日本の気象庁の調査によると、南極大陸のオゾンホールは、1980年には、面積がほとんど0だったものが、1985年から90年にかけて南極大陸とほぼ同じ大きさになり、2000年には、それが南極大陸の面積のほぼ2倍にまで拡大しているという。
北極についても、1997年には、すでに30%も減少している。

 さらに2000年に入ってからは、地球温暖化の影響で、成層圏の水分や温度が変化。
極地方には、不気味なピンク色の雲が出現し、02年には、オゾンホールは、とうとうオーストラリアのタスマニアまで拡大。
「上空オゾン層はさらに破壊、急拡大している」(NASA)という。

●疑わしきは罰する

 法律の世界では、「疑わしきは、罰せず」という。
しかし教育の世界では、「疑わしきは、罰する」。
子どもの世界は、先手、先手で守ってこそ、はじめて守ることができる。
害が具体的に出るようになってからでは、遅い。
たとえばここに書いた紫外線の問題にしても、警報が出たら、外出をひかえる。
過度な日焼けはさせない。紫外線防止用の帽子、サングラス、長そでのシャツ、長ズボン着用させる。
サンスクリーンクリームを皮膚に塗るなど、あなたが親としてすべきことは多い。

Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司

●山荘

 昨夜遅く、山荘へやってきた。
着いたのが、午後11時ごろ。
一息ついたころ、ワイフは、DVDを見始めた。
『幸せの行方』

 が、途中で、ギブアップ。
できすぎというか、テンポがのろかった。
昔の日本映画のよう。

 私はそれよりも、ギリシャの動きのほうが、気になった。
30分ごとに、二転、三転……。
連立政権ができるのか、できないのか……。
そのつどオセロ・ゲームのように、白黒がはげしく反転する。

●ゆるんだゴム

 ギリシャを一言で表現すれば、「ゆるんだゴム」。
ギリシャというより、ギリシャ人。
人心がゆるんでしまった。
漢字では「緩んだ」と書く。

 たいした働きもせず、権利の王国の中で、あぐらをかいてしまった。
が、EU連邦が突きつけた要求は、「財政を切り詰め、もっと働け」。
そうでなくても、景気は最悪。
どん底。
財政を切り詰めるということは、自ら首を絞めるようなもの。

 ……という状態に追い込まれたら、ふつうなら働くしかない。
汗水を流すしかない。
が、そうはいかない。
そうはいかないのが、人心。
平たく言えば、怠(なま)け心。

●退職後

 こうした心は、退職してみると、よくわかる。
(私のばあい、まだ現役で働いているが、それでもよくわかる。)
仕事というのは、一度、離れると、元に戻すのは、たいへん。
むずかしい。
中には、拒絶反応を示す人もいる。
「働くのは、もう、こりごり」と。

 だからこの先、定年退職を迎える人も、こう考えたらよい。
何らかの形で、またどんな形でもよいから、仕事にしがみつく、と。
老後と言っても、平均、20年もある。

「心」だけではない。
「体」もそうなる。
「気力」もそうなる。
「働こう」という気力も、消える。

 で、一度そうなったら、ゴムは、もう元には戻らない。
だからしがみつく。

●つぶし(=転職)

 この日本でも、公務員だった人は、民間企業では、働けない。
……というか、むずかしい。
まれに民間企業で働いている人もいるが、それは例外。
よい例が、教員(学校の先生)。
昔から「教員はつぶし(=転職)がきかない」と言われる。
長い間、公的な機関(=公立学校)で教員をしていると、それ以外の仕事ができなくなる。そういう意味で、そう言った。

 「先生だったから……」という理由で、塾の先生くらいはできるだろうと一般の人は考えるかもしれない。
が、実際には不可能。
私立幼稚園でも、むずかしい。
多くは退職後、園長職で迎えられるが、長続きしない。
このあたり(浜松市)でも、たいてい1~2年で、再退職していく。

 公務員の天下りがいろいろ問題になっている。
しかし天下り先しか、行くところがないも、これまた事実。

●公務員国家
 
 あまりよいたとえではないかもしれない。
しかし現在のギリシャの状態は、国全体がお役所と考えてよいのでは?
直接には知らないが、あちこちのニュースを総合すると、そんな印象をもつ。
適当に働き、あとは裏通りで、バックギャモンでもしながら遊んで暮らす。
お金は、いくらでも天から降ってくる……。

 ギリシャ人の公務員率は、34%(2008年・ILO)という。
ドイツ、イギリスと、それほどちがわない。
が、なぜ、問題なのかといえば、「高待遇」。
給料が高い。
高い分だけ、負担が大きい。
だから「緊縮せよ」(ドイツ・メルケル首相)と。

 が、そうは簡単にはいかない。
いかないという意味で、日本の例を先に書いてみた。
つまり「ゆるんだゴムは、元には戻らない」。

●ギリシャ危機

 今朝(5月12日)、ギリシャは、さらに混迷の度を増しつつある。
(流れ)からすると、ギリシャは、EUから離脱し、国家破綻するしかない。
いくらカンフル注射を施したとしても、時間の問題。
問題は、そのあと。

 が、ここで大きく意見が、2つに分かれる。

(1) それほど大きな問題にはならず、EUは安定化に向け、収束する。
(2) 連鎖反応が起き、ポルトガル、アイルランド、スペイン、イタリアに飛び火する。

 あのリーマンブラザーズのときも、当初、2つの見方があった。
結果的に、連鎖反応が起き、ドミノ倒しのドミノのように、世界が大混乱に陥った。

では、ギリシャはどうか?
EU全体から見れば、経済規模は、2%。
その2%が、世界をどう動かすか。
楽観論、悲観論が、複雑に交錯している。
が、ここでも「ゆるんだゴム」論が登場する。

 ひとりがんばっているのは、ドイツだけ。
あとはみな、ゆるんだゴムのようになっている。
今は何とか、ユーロの威信を前に、世界中から金(マネー)を集め、食いつないでいる。
が、それもいつまでもつか、わからない。
(日本は、おバカだから、一生懸命、貢いでいるが……。)
どこかで小さな力が加われば、ドミノは一気に倒れる。
それがいつ始まっても、おかしくない。

●戦略的国家視点

 日本の「円」のためには、ユーロの暴落は、日本にとっては、好ましい。
中国の「元」の暴落も、好ましい。
相対的に「円」の地位が高くなる。

 札というのは、絵画と同じ。
大量生産できるリトグラフ(石版画)でもよい。
価値が高まれば高まるほど、高く売れる。

 だから日本が、EUとユーロの防衛に手を貸すのは、一時的には日本の利益になるかもしれない。
が、長期的、つまり戦略的に見れば、損。
現に、今、ドル、ユーロ、元、日本……と、日本の円の地位は、さがりつづけている。
またアメリカは、そういった戦略的な視点から、今回もIMFへの出資を見送った。
(日本はおバカだから、600億ドル、つまり5兆円も出資した。2012年4月。)

 その状態で、あとは円を増刷すればよい。
ズルいといえば、ズルい。
しかしそれくらいのことなら、どこの国でもしている。
日本の現状を一言で表現するなら、お人好しのおバカ。
オホホ、オホホ……と、世界の野人たちとつきあっている。

 だから私は、こう言いたい。

「Japan, be ambitious! (日本よ、野性的に生きろ!)」と。

●17・5%?

 が、ここで問題が終わるわけではない。
「つぎは、日本」と言われている。
日本は最後のババを引かされた上、奈落の底に叩き落とされる。

 日本政府は、日本の公務員数は、17・5%(2008年、ILO)と公表している。
が、こんな数字を信ずる日本人は、いない。
日本には、旧三公社五現業から始まる、準公務員がいる。
天下り先となると、数えるのも不可能なほど、多い。
文科省という1省だけでも、2000団体近くもある。
(2000年ごろ、私が調査したところでは、約1750団体。)
もちろんそうした機関で働くのは、公務員ではない。
一応、民間人?

 先日もJR岐阜駅で、トイレに入った。
清掃している女性がいたので、「あなたは公務員ですか」と聞くと、「そうです」と。
(正確には、「公益財団法人清掃公社職員」という。)
つづいて今度は、名鉄の岐阜駅で清掃している人を見かけたので、同じ質問をぶつけてみた。

 名鉄岐阜駅では、名鉄系列の子会社の職員が、清掃業務を行っているということだった。
で、さらに詳しく聞くと、名鉄岐阜駅と、JR岐阜駅の間にある各施設は、3社が分割して行っているという。
(残りの1社については、不明。)
距離にすれば、歩いて5分もない。

名鉄岐阜駅の職員は、最後にこう言った。
「私たちの給料は、ほかのところの半分程度です」と(以上、伝聞なので、内容は不正確)。

 こうした現実をさておいて、「日本の公務員数は少ない」は、ない。

 ……今なら、まだ間に合う?
日本がギリシャ化してからでは、遅い。
私は心底、日本の将来を、心配する。


Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司

●世代間意識

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

対世代間意識について、考えてみる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●団塊の世代

世代によって、他の世代に対する意識は、大きくちがう。
称して「対世代間意識」。
簡単に言えば、「世代間意識」。

 ……といっても、共通の意識として、確立しているわけではない。
あくまでも大ざっぱな意識。
個人差もあるだろう。
強く意識している人もいるだろうし、まったく意識していない人もいるだろう。
それにこうした意識というのは、「相手」と対峙したとき、輪郭(りんかく)を現す。
それまでは、意識として意識されることは、まず、ない。

たとえば私たち団塊の世代は、「日本の経済を発展させたのは私たち」という意識をもっている。
意識的にそう思いながら、生きてきたわけではない。
ただがむしゃらに、働いた。
一社懸命。
企業戦士。
その結果として、日本の経済は、一時は、世界第二位と呼ばれるほどまでに、発展した。

 そういう私たちに向かって、誰かが、「老害論」を口にしたとする。
とたん、先に書いた、世代間意識が顔を出す。
「ちょっと、待て!」と。
つまりそういう前提として、ここに書く、私の「世代間意識」を読んでほしい。

 で、こうした意識は、世代によってちがう。
順に考えてみる。

●尾崎豊世代

私たち団塊の世代(昭和22年~、1947年~生まれ)と、その子ども、つまり団塊ジュニアの間の世代を、私は「尾崎豊世代」と呼んでいる。
尾崎豊が、あの「♪卒業」を歌ったとき、私は大きな衝撃を覚えた。

「♪夜の校舎、窓ガラス、壊して回った……」と。

1985年1月21日に、CBSソニーから発売になっている。

 私たちの世代は、「70年安保闘争」(1970年の日米安保反対闘争)を経験している。
中身と言えば、「祭り」。
意味がよくわかっていて、闘争に加わったわけではない。
ただ体をがんじがらめに縛りつけているクサリから、自らを解放したかった。
それが安保闘争に、つながった。

しかしそれでも「反権力」が、大義名分になっていた。
が、尾崎豊は、「反世代」を、「♪卒業」の中に織り込んだ。
「反権力」から、「反世代」へ。

 もう一度、「世代」を、ここにまとめてみる。

(1) 団塊の世代
(2) 尾崎豊世代
(3) 団塊ジュニア世代

●飽食とぜいたく

 が、これは私には、理解しがたいことであった。
というのも、尾崎豊世代といえば、日本のみならず、世界でも類見ないほどの、飽食とぜいたくを経験した世代である。
彼らが生まれ育った環境は、まさにバブル経済の真っ最中。
生まれるとすぐ、祖父母がやってきた。
もちろん父親も、かけつけた。
それこそ、手をかけられ、時間をかけられ、金をかけられて育てられた。
親というより、社会に対して、感謝して当然の世代。
その世代が、上の世代に対して、反旗を翻(ひるがえ)した。

 ……というふうに、しばらく考えていた。
が、そのうち、尾崎豊世代が、まったく別の考え方をしているのがわかった。
むしろ私たち団塊の世代を、「敵」と考えているのがわかった。
「敵」は、「かたき」と読む。
「バブル経済を食いつぶし、日本を崩壊させた世代」と。

 それがわからなければ、ネットであちこちをサーフィンしてみればよい。
尾崎豊世代が、どのような目で、団塊の世代を見ているか、それを知ればよい。
というのも、こうした意識は、調査しようにも、それ自体が、調査になじまない。
年齢層をしぼり、「あなたは団塊の世代をどう思っていますか?」という調査そのものが、できない。
仮にそういう調査をしても、そこから浮かび上がってくる「回答」そのものに、意味がない。

●窓ガラスを壊す

 あのバブル経済をどうとらえるかによって、意識は、大きく変わる。
ここにも書いたように、180度変わることもある。
が、その前に、幼児期、少年少女期に、どのような環境で生まれ育ったかによっても、大きく変わる。

 私たちの時代は、たとえば、あの戦後の大混乱期から始まっている。
「ひもじい」という言葉が、消えたことがなかった。
毎日、腹をすかせていた。
私はよく「ボットン便所」という言葉を使う。
この言葉ほど、あの時代の、あの生活を象徴する言葉は、ほかにない。

 が、尾崎豊世代は、ちがう。
木造の校舎は姿を消し、今に見る鉄筋の校舎になった。

風が吹くたびに、天井からダニが雨のように降ってくる校舎を知らない。
急いで走れば、廊下がめくれ、木片が足に突き刺さる校舎を知らない。
気温が下がれば、みなで石炭を運び、ストーブを焚くような校舎を知らない。

 だから平気で(?)、「♪窓ガラス、壊して回った」(「卒業」)となる。
が、私たちの時代には、だれかが窓ガラスを割ったりすると、そこには紙が張られた。
もちろん不注意によるものだが……。
夏場はそれでよいとしても、冬場は、たまらない。
体を縮め、ガタガタと震えた。
「窓ガラスを壊す」という発想そのものが、なかった。

●戦中派世代

 そんな話をある男性(80歳)に話すと、こう言った。
が、その返事は、まったく予想外の、内容だった。
驚いた。
その男性は、こう言った。

 「オレたちだって、そう思っているよ」と。
つまり「私たち団塊の世代を、敵(かたき)と思っているよ」と。

 「バブル世代というのはね、オレたちが命がけで敷いたレールの上で、のうのうと生きてきた連中だろ。
オレたちの苦労を知らない」と。

 それには、もう一つ、理由がある。
なぜ、80歳の男性、つまり戦中派の人たちが、バブル世代を「敵」とみるか、それには、もう一つ、理由がある。
「反射的敵意」とでも書くべきか。

つまり私たち団塊の世代は、団塊の世代で、ことあるごとに、戦中派世代を批判してきた。
「バカな戦争をしたから、オレたちは、苦労したのだ」と。
「はじめから、勝てるわけがない。
そんな戦争をあの連中は起こし、日本を最後には、焼け野原にした」と。

 結果的に日本は戦争に負けた。
だからこそ、戦中派世代に対する反感は増大した。
と、同時に、戦中派世代は、口をつぐんだ。

私「どうして、ぼくたちが敵なんですか」
男「だって、お前たちは、戦争を知らないだろ」
私「知らない……」
男「命がけで国を守ったという経験もない連中が、偉そうなこと言うなよ」と。

 で、その男性は、最後にこう言った。

「団塊の世代は、生意気だ」と。

もう一度、「世代」を、ここにまとめてみる。

(1) 戦中派世代
(2) 団塊の世代
(3) 尾崎豊世代
(4) 団塊ジュニア世代

●団塊ジュニア世代

 では、団塊ジュニアの世代は、どうか。
それにはすでに明確な答が出されつつある。
私たちの世代以上をさして、「老害」と。

少し前は、「粗大ゴミ」とか、「ジジババ有害論」とかいう言葉も、あった。
が、今は、老害。
老害論が、堂々と論じられている。
若者たちのサイトでは、老人は、「1匹、2匹……」と、「匹単位」で呼ばれている。

 それには理由がある。
これは年金族全体を含めてでの話だが、「老人は社会の富を食いつぶしている」と。
で、その一方で、「老後の親のめんどうをみる」と考える若者が、どんどんと減っている。
20%前後(総理府、内閣府)。
世界でも最低水準。

 その理由について、ある男性(元高校教師、長野県在住)は、こう言った。
「年金制度ですよ。年金制度が原因ですよ」と。

私「どうして?」
男「子どもたちの世代からみるとですね、親父(母)には、年金がある。
だから、めんどうをみなくてもいい。
そうなるんですよ」
私「……親のめんどうと、年金がどう結びつくのですか」
男「つまりね、今の若い人たちは、親のめんどうも、金(マネー)という尺度でしかみていないのですよ」
私「ひとりで生活できるなら、それでいいだろ……というわけですか」
男「そうだね。そんなわけで、長野(北信)では、若者はどんどんと去っていきます。
一度去ったら、もう戻ってきませんよ。
私も、娘とは、20年以上も会っていません」と。

 年金?
が、その根底にあるのは、金(マネー)。
金権教に毒された、日本の社会。
日本人。
「親の恩も、遺産しだい」。
それが転じて、「年金」と。

 内閣府(総理府)の調査によれば、若者たちはこう答えている。
「経済的に余裕があれば、親のめんどうをみる」と。
が、現実に、経済的に余裕のある若者はいない。
みな、目一杯の生活をしている。

●孤独死、無縁死

 孤独死、無縁死のニュースが、ない日はない。
というか、今では、ニュースにもならない。
そのうちすぐ、約60%の人たちが、孤独死、無縁死を迎えるという。

 ここでいう「老害」という言葉の結果として、そうなる。
私がその子どもなら、つまり自分の親が、孤独死をしたり、無縁死をしたりしたら、罪の意識で、死ぬまで苦しむだろう。
が、団塊ジュニア世代以下には、それもない。
罪の意識すら、覚えない。

 こんな話を聞いた。

 岐阜県の下呂町と言えば、温泉街。
その温泉街で、40年にわたり独り暮らしをしていた男性がいた。
あるホテルで、飯炊きの仕事をしていた。
その男性が、ある朝、ホテルの従業員が訪ねてみると、死んでいた。
孤独死である。

 そこでその隣人があれこれ調べ、やっとのことで、親戚をさがした。
結果、四国に2人の息子が住んでいることがわかった。
で、電話をすると、こう答えたという。
「私たちは父とは縁を切りました」
「もう親子ではありませんから」と。

 親が息子と縁を切ったのではない。
息子の方が、親と縁を切った。
団塊の私たちには、(私には?)、信じられないような話だが、これも現実。

 だから葬儀は、その隣人と、ホテルでいっしょに働いていた人、数人で執り行ったという。
遺骨は、その町のある寺に無縁仏として葬られたという。

●意識

 意識というのは、かくもちがう。
私のもっている意識と、あなたのもっている意識もちがう。
世代がちがえば、なおさら。
国がちがえば、さらに、ちがう。
時代が変われば、さらにさらに、ちがう。

さて、あなたはどんな意識をもっているだろうか。
ここでは、枝葉を切り落とし、幹だけを書いた。
あくまでも「大ざっぱな話」(冒頭)である。

が、そこで重要なことは、それがどんな意識であれ、
(1)まず相手の意識を認めること。
(2)自分の意識を基準に、ものを考えてはいけないということ。
(3)その上で、それぞれの人に合わせて、ものを考え、自分の意見を述べること。

 言い換えると、私たちがもっている意識というのは、人によって、みな、ちがう。
生まれ育った環境、時代、国によっても、ちがう。
そういう前提で、考える。

●見返り

 どうであるにせよ、対世代間意識というのは、常に若い人たちのほうが、有利。
強い。
古今東西、老人組が若者組に勝ったという、そのためしがない。
体力、気力、知力……どれをとっても、勝ち目はない。
老人組は、ただ静かに去るのみ。

 ただ、こうは思う。
私たちが作ろうとした未来は、こんな未来ではなかった、と。
たとえば先に、私は、私たちの世代は、ひもじさとの戦いだったと書いた。
事実、その通りで、私たちは、いつも腹をすかしていた。
だから背も低い。
私のばあい、両ひざに、大きな骨のこぶを作っている。
これは栄養失調が原因である。

 だから子どもたち(息子たち)には、ひもじい思いだけはさせたくなかった。
またその一方で、結婚前から、収入の半分は実家へ送った。
経済的負担感というより、社会的負担感には、相当なものがあった。
だから子どもたち(息子たち)には、そういう負担感を味あわせたくなかった。

 が、今は、それが180度、逆転した。
へたにそんな話を子どもたち(息子たち)に話そうものなら、逆に攻撃される。
「見返りを求める方が、おかしい」と。

 これも意識のちがいということになる。
そう言われた私たちといえば、ただ黙るしかない。
反論のしようが、ない。

●最後に

 さて、ここでは(4)の団塊ジュニア世代まで書いた。
つづく(5)の世代は、どのような意識をもつのか。
団塊ジュニア世代のもつ意識と、どのようにちがっていくのか。

 ひとつ言えることは、日本の子どもたちから、野生臭が消えたこと。
ナヨナヨしているというか、おとなしい。
言われたことはするが、それ以上はしない。
昔でいう、ガッツ精神が消えた。
リーダーも消えた。
日本の大学生たちが、就職先としてナンバーワンにあげているのが、公務員というのも、たいへん気になる※。

これからのテーマのひとつとして、静かに観察してみたい。

(注※……2012年4月入社 就職活動学生の意識調査よると、人気就職先、公務員が2年連続首位。
知名度・充実した福利厚生など安心できる"堅実"なイメージの企業が上位に。Leggenda)

(はやし浩司 教育 林 浩司 林浩司 Hiroshi Hayashi 幼児教育 教育評論 幼児教育評論 はやし浩司 意識論 意識とは 団塊の世代 戦中派の意識 団塊ジュニアの意識 はやし浩司 世代間意識闘争 対世代間意識)


Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司
 

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