2012年5月30日水曜日

菅直人さん、吉田昌郎さん、あなたがたは日本の恩人です。

【菅直人前首相、吉田昌郎前所長、ありがとう!
あなたは日本を救った大恩人だ!】byはやし浩司
2012/05/30記

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

つぎの事実を知ったら、あなたも背筋が凍るだろう。
まず、それを知ってから、菅直人前首相を批判したらよい。
もしあのとき、あの場で、菅直人前首相が、あのような行動を取っていなければ……。
今ごろ、この日本は、完全に崩壊していた。
北は青森の端から、南は静岡県まで、人の住めない無人地帯になっていた。

ヘリコプター視察?
怒声?
それがどうした?
そんなことは、この事実の前では、腸から出るガス程度の意味しかない。

参考出典は、『原発事故』(宝島社)。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●原子力発電所事故

 原子力発電所が、いかに危険な存在であるかは、つぎの事実を知ればわかる。
『原発事故』(宝島社)から、それについて書いた部分を、抜粋する。

 100万キロワット(福島第一原発の原子炉1機分のみ)の加圧水型軽水炉(PWR)が事故を起こしたとする。
そのとき内蔵する核分裂精製物の量は、11577京ベクレル。
うち20%が放出されたとして、2290京ベクレル。
とほうもない量である。

 電気出力100万キロワットの原発を、数年運転すると、1万3600京ベクレルの放射性物質が生まれる。
「その量は、広島型原爆の数千発分に相当する」(瀬尾試算「原発事故」宝島社)

 数千発分だぞ!
わかるか、数千発分だぞ!
それが4機で、1万発分以上だぞ(福島第一原発)!
あの4号機だけで、それまでの核実験すべてで放出された量を超える放射性物質を抱えている※。

(注※)(週刊朝日誌より)
『 アーニー・ガンダーセンは、週刊朝日誌へのインタビューで、こう述べている。

『……(アーニー・ガンダーセンの)著書では、「4号機のプールで火災が起きたら、日本を脱出せよ」と警告していますね。
(ガンダーセン、アメリカ原子力技術者)「4号機の核燃料プールは、今も日本列島を物理的に分断するほどの力をもっています。
震災時、このプールには炉心数個分もの使用済み核燃料が入っていたのです。
大気圏内で行われた過去の核実験で放出された総量に匹敵するほどの、放射性セシウムが眠っています』(以上、週刊朝日誌より)と。

 4号機の事故は、日本だけの問題ではない。
また日本だけの問題ではすまない。
だから今、世界中の科学者たちが、4号機を問題にしている』(以上、週刊朝日)と。

 こうした事実を信ずるか信じないかは、あなたの自由。
仮に100歩譲って、その100分の1の量としても、たいへんな量である。
だから先のガンダーセンは、「4号機に注意しろ」「4号機が火災を起こしたら、日本から逃げろ」と教えている(同誌)。

●読売新聞の記事より

 これに対して、読売新聞は、つぎのように伝える。
産経新聞と並んで、日本の右寄り(=自民党寄り)新聞社として、今まで原発推進運動の先頭に立ってきた新聞社である。

++++++++以下、(2012年5月29日08時20分 読売新聞)++++++++

●菅氏の危機意識「薄っぺら」……地元首長深く失望

★原発周辺自治体の首長や避難住民らを深く失望させる発言ばかりだった。

 東京電力福島第一原発事故から1年2か月余、国会事故調による菅直人前首相の参考人聴取が28日にようやく実現したが、ある町長は、最高指揮官が示した危機意識を「薄っぺら」と痛烈に批判した。

 全域が警戒区域と計画的避難区域となっている福島県浪江町のBT町長は、菅前首相が福島第一原発をヘリコプターで視察した成果を強調したことに対し、「事故全体を大局的に見るべき立場の責任者としてふさわしくない」と批判。
原子力緊急事態宣言の発令が遅れたことを結果的に支障はなかった、とした点については、「薄っぺらな危機管理しかしていなかったことの表れ。
本当に支障はなかったのか」と憤った。

 大半が警戒区域に指定された楢葉町のMH町長は、「原発事故に対応するための管理態勢がなっていなかったのだと改めて感じた」と話した。
(2012年5月29日08時20分 読売新聞)

++++++++以上、(2012年5月29日08時20分 読売新聞)++++++++

●菅直人前首相への批判の要点

 周辺自治体の首長たちの言わんとしていることは、つぎ(読売新聞)。

(1)菅前首相が福島第一原発をヘリコプターで視察した成果を強調したことに対し、「事故全体を大局的に見るべき立場の責任者としてふさわしくない」と批判。

(2)原子力緊急事態宣言の発令が遅れたことを結果的に支障はなかった、とした点については、「薄っぺらな危機管理しかしていなかったことの表れ。

(3)大半が警戒区域に指定された楢葉町の松本幸英町長は、「原発事故に対応するための管理態勢がなっていなかったのだと改めて感じた」と話した(以上、読売新聞)。

 が、どう読んでも、ポイントがズレている。
その第一。
何か問題が起きるたびに、「国が……」「国が……」と。
私はこういう意見を聞くたびに、即座にこう思う。
「では、あなた自身はどうなのか」と。
「首長としてのあなたの責任は、どうなのか」と。
「(すべて)を国(?)に任せてきた、あなた自身には、責任はないのか」と。

 それまで原発誘致に熱心だった首長もいたという話も聞いた。
(ここに書いた首長がそうだったというのではない。誤解のないように!)
そういう首長が、事故が起こったとたん、「国が……」と。
この身勝手!

 私なら、(かなり多くの人たちもそうしたと聞いているが)、即座にその場から避難する。
国(?)の指示があっても、なくても、関係ない。
たとえ国(?)が「落ち着いて行動してください」と言っても、その場から避難する。
事実、私はテレビで状況を見ながら、この浜松からでさえ、避難する準備を始めていた。
(直線距離にして、420キロ離れた、浜松市からだぞ!)
その直後、オーストラリアへ渡った。
(オーストラリアへ行くことは、3・11震災以前から、決めていたが……。)
事実、名古屋からシンガポールへの便は、満席だった。

 「国の指示がなかったから、避難しなかった」というのは、首長としては、言い逃れにしか聞こえない。
原発が、いかに危険な存在であるかは、少し勉強すれば、だれにだってわかること。
それを知らなかった……とは?
原子力発電所を抱えるその町の首長が、知らなかったとは?

●ヘリコプター視察

 ヘリコプター視察?
どうしてそれが問題なのか?

 原発事故の恐ろしさを熟知していたからこそ、菅直人前首相は、現地へ飛んだ。
菅直人前首相は、東工大の出身である。
「私が首相だったら……」という言い方は、実におこがましいが、私が首相だったら、真っ先に現地へ飛んだだろう。
何はさておき、原発事故を防ぐことを考えただろう。

 当時の状況は、いろいろな報道を総合すると、こういうことらしい。
官邸も、現地福島第一原発も、地震後の大混乱の最中にあった。
たがいの連絡もままならなかった。

官邸にいた菅直人前首相は、現地の情報すら正確に把握できない状況にあった。
東京電力の会長とも、また社長とも連絡が取れなかった。
だったら、最高責任者である国家の長である首相が、自ら現地へ行くしかない。

●現場の混乱

 産経新聞によれば、あの3月11日、東京には東電の清水正孝社長(以下、清水社長)はいなかった。
そのとき清水社長は、奈良の平城京跡を視察していた。

産経新聞はこう書いている。

『勝俣恒久会長も震災当日に北京に出張中で、両トップが震災当日に「非常災害対策本部」が設けられた東京の交通網の乱れで11日中に帰京できず、本店に戻ったのは12日午前10時。

勝俣会長も、震災を受け帰国を急いだが、11日は成田空港が使えず、帰国は12日だった。
東電では震災直後に非常災害対策本部を設置したが、本部長である社長は不在で、代わりに副本部長の武藤栄副社長が指揮を執っていた』(以上、産経新聞)と。

 産経新聞ですら、こう書いている。
『財界首脳は「両トップが東京にいないということ自体が問題』と。

 まさに状況は、『刻一刻と変化していた』(産経新聞)。
で、そんなとき菅直人前首相の心中は、どうであったか?

「社長はどこだ!」「会長を出せ!」と。
そう怒鳴り散らしていたところで、何も不思議ではない。
またそう怒鳴り散らしていたからといって、どうしてそれが悪いことなのか。

 いいか、広島型原爆、数千発分の放射性物質だぞ!
数千発分!
4機合わせれば、1万発以上。
あるいはそれ以上!
わかるか?
たいへんな量の放射性物質だぞ!

●逃げる東電

 東電の言い分はこうだろう。

「私どもは、国の指示通り、かつ国の基準通り、すべてそれに従い、原発を運営してきました。だから、私どもには、責任はありません。(あとは政府の責任です)」と。

 が、菅直人前首相は、叫んだ。
「撤退は、ありえない!」と。
東電の本社に直接乗り込んで、そう怒鳴った。

 以下は、Yahoo・Newsが伝える、当日の模様である。
緊迫した状況が、この報道からもよくわかる。
歴史的にも、たいへん重要な部分だから、そのまま紹介させてもらう。

++++++以下、Yahoo・News 2012年5月29日++++++

●「唯一の功績」にじむ演出 残留、社長に念押し→1時間後乗り込み

 国会の東京電力福島原発事故調査委員会が28日(2012年5月28日)に行った菅直人前首相の参考人聴取では、東電に「全面撤退」の方針があったかどうかが焦点となった。
菅氏は「全面撤退と受け止めた」と繰り返したが、証言を元に当時の状況を追うとつじつまの合わない事実が次々に浮上する。
菅氏唯一の功績とされる「撤退阻止」までも根拠は希薄になりつつある。

【フォト】 国会事故調 菅直人前首相の聴取詳報

 全面撤退について東電は「全員がいなくなることはあの状況では考えられない」(武藤栄副社長=当時)と全否定。
政府の事故調も中間報告で「全員撤退を考えた者は確認できなかった」とした。
ただ、民間事故調は、「撤退阻止」に動いた菅氏について「結果的に東電に強い覚悟を迫り、危機対応のターニングポイントである対策統合本部設立の契機となった」と一定の評価を下した。

 国会事故調での証言を総合すると、清水正孝社長(当時)は昨年3月15日未明、海江田万里経済産業相、枝野幸男官房長官(いずれも当時)らに「撤退」方針を電話で伝えた。
海江田氏は官邸で仮眠中だった菅氏を起こし「東電から撤退したいという話が来ている」と伝えた。

 「撤退と聞き、とんでもないことだと感じた」

 菅氏はこう証言した。「清水社長が言うことは普通なら勝俣恒久会長らも相談にあずかっているはずだ」とも述べ、全面撤退が東電幹部の共通認識だと考えたことを明かした。

 清水氏の電話について海江田氏は「全員という言葉があったかは記憶にないが、社長の電話なので重い決心が背後にあると感じた」、枝野氏も「正確なやりとりは覚えていないが、全面撤退と認識した」と証言した。
3人とも「全面撤退」とは聞いていないが、そう「受け止めた」のだ。

 ところが、枝野氏は撤退情報の真偽を福島第1原発の吉田昌郎所長(当時)に電話で確認したことも証言している。
この際、吉田氏は「まだやれることがある。がんばります」と答えたという。
菅氏自身も14日夕に吉田氏と電話し、吉田氏は「まだやれる」と答えたことを証言している。

 つまり、菅氏らは東電に乗り込み「撤退阻止」する前、すでに現場幹部から「残留の意思」を確認していたことになる。
加えて菅氏は15日午前4時20分ごろ、清水氏を官邸に呼び出し、「撤退はありえませんよ」と迫った。
清水氏は「はい、わかりました」と応じたという。

 にもかかわらず、菅氏は約1時間後、東電本店に乗り込み「撤退はありえない。撤退したら東電はつぶれる」と恫喝(どうかつ)した。
全面撤退の意思はないと踏みながら、事故対応に忙殺される東電の本丸に乗り込んだ菅氏の意図は何だったのか。
「単なるパフォーマンスではなかったのか」との疑念は消えない。

 しかも菅氏の怒声はモニターを通じて福島第1原発の現場にも伝わった。
菅氏は「頑張ってもらいたいと強く言った」だけだというが、この「叱責」を「激励」と受け止めた作業員はいない。

++++++以上、Yahoo・News 2012年5月29日++++++

●パフォーマンス?

Yahoo・Newsは、「単なるパフォーマンスではなかったのか」との疑念は消えないと報道している。
しかしこれについては、こんな情報を、私はもらっている。

 菅直人前首相(東工大)と、吉田昌郎前所長(東工大)を、ともに知る人物(後述、『Breeze from Yokosuka』サイト主宰者)からである。
その人物は、東工大同窓会の会長も務めたことがあるという。
いわく、「ともに東工大出身だったから、意思の疎通ができた」と。

 たがいに面識があったかどうかは、知らない。
が、菅直人前首相が、吉田昌郎前所長と電話で話しあったとき、吉田昌郎所長は、「まだやれます」と答えた。
私はそのときの吉田昌郎前所長の心情が、痛いほど、よくわかる。
「ここであきらめたら、日本はおしまいになる」と。

 それを熟知していたからこそ、「まだやれます」と。
それが東電の官僚組の意見だったと考えるには、無理がある。

 つまり当時の状況からして、菅直人前首相に、パフォーマンスを考える余裕など、まったくなかったはず。
ものごとは、常識で考えたらよい。
あるいはあなたなら、どうするか。
そういう視点で考えたらよい。
首相といっても、1人の人間だぞ!
私やあなたと同じ人間だぞ!

 しかも日本という国がひっくり返るかもしれないという、まさに緊急事態。
日本中に広島型原爆が、何発も落とされたような状況。

一家にたとえるなら、母屋がもうもうとした煙に包まれている。
そんなとき、近所の人たちに向かってパフォーマンスを考えるバカがどこにいる?
大声で泣き叫んで、助けを求める人はいるかもしれない。
が、パフォーマンスを考えるバカはいない。
(菅直人前首相を批判する人は、菅直人前首相を、バカと思っているかもしれないが……。)

 ついでながら一言。

 ほとんど人は、福島第一原発だけの事故を考えている。
しかしあのとき福島第一原発を、なすがままに任せていたら、福島第二原発(楢葉町)、女川原発(女川町)、東海2号炉(茨城県東海村)を含め、周辺の原発にさえ、人1人近づけなくなっていたはず。
それだけではない。

 東海2号炉(茨城県)が事故を起こしただけで、「東京都の都民、50%ががん死する」(「原発事故」宝島社・P23)と。

こうした原子炉が、無人のまま、つぎつぎと爆発、メルトダウンを繰り返す。
福島第一原発事故には、そういう可能性も含まれていた。

●『Breeze from Yokosuka』より

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

『Breeze from Yokosuka』サイトより、そのまま引用させてもらう。
この中で、当サイトの主宰者の方は、私の原稿を転載してくれている。
転載許可依頼があったので、私は喜んで応じた。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●菅総理は日本を救った(以下、「Breeze from Yokosuka」2012年1月4日記事より)

菅前首相はあらゆるところで酷評されております。
私の母校である東工大初めての首相ということで期待していたのですが、残念でありまた寂しい限りです。
そういう状況下にも拘わらず、はやし浩司さんはブログで菅さんを大絶賛していることを知りびっくりしました。

菅さんは応用物理卒です。
当時の東工大は入学試験時に類別はなく、大学2年の時に各自の志望で専攻が決まりますが、人気のある所は競争が激しく、応物に行けるのは成績が上から1割程度でないと行けませんでした。

先日、経団連の米倉会長は菅さんと野田さんを比して「首から上の質が違う」と、仮にも一国の首相を務めた人間を上から目線でバカにしきった話をしました。

野田さんは早稲田政経卒です。
経団連の米倉会長は東大法卒ですから文系野田さんと思考方法が近く、話は合うのでしょう。

私の高校同期の1/4ぐらいが東大に行きました。内訳は理系文系はほぼ半々でした。
私の若いころは「ものつくり、車」が人気で工学部志望が多かったのですが、数学が得意でない理系志望は先生から文系に転向するよう指導されました。
(一部の文学青年は何があっても文系でしたが)

それから40余年、文系に転向した一部の仲間は大企業の社長や高級官僚になりました(現在は皆天下っていますが)。
彼らより数学が良くできた理系の仲間は皆鳴かず飛ばずです。
文系があらゆる分野で(メーカーでさえ)トップに立つようになったことが、現在の日本の停滞を作った元凶と思っております。
中国では共産党のトップに理系が多い。
最新の経済学は高度な数学をマスターしていないと理解できません。
数学者がノーベル経済学賞を取っている時代です。

 ニュートンの力学さえも理解していると思われない各界のトップ(文系)たちが高度の数学・物理学によっている原発のメカニズムと、それが持つ破滅的な危険度を理解できるとは思いません。
経団連トップも経産省事務次官(文系)などの話を今もうのみにしているのでしょうし、それしかできないと思います。

話は変わりますが、ヘリコプターは兵器として、あるいは災害救助では優れたものですが、安全性についてはセスナより一桁以上悪いのです。

スーパーマンⅠでビルの屋上から離陸するヘリコプターが事故を起こすシーンがあります。
スピードが勝負のビジネスエリートは、ケネディー空港からマンハッタンの本社まで渋滞した道で戻るのは時間の無駄なので、空港からパンナムビルの屋上に飛ぶヘリコプター航路ができました。

しかし、あまりの事故の多発にその航路は取りやめになりました。
エリートの損失だけでなく莫大な補償でビジネスとして成り立たなくなったのでしょう。

ヘリコプターは負の安定で飛行しているので、絶えず操縦桿でバランスを取らないと墜落します。
セスナは正の安定なので操縦桿を機械的に固定しても安定して飛び続けます。
機体が傾いた時、セスナは上反角により下に傾いた翼の揚力が上の翼の揚力より大きくなり、機体を水平方向に復元する力が働きますが、ヘリコプターの回転翼は機体の上部についておるので、そのような機能をほとんど持たず、傾くと揚力が減り傾いたまま高度を保てなくなります。

ヘリコプターの操縦はジャンボジェットより難しいと言われています。
自由自在に走るF1も安定性は低いので素人にはとても運転ができません。
安定性は操縦性とトレードオフの関係にあります。
正の安定は谷底の平らなところに置いたサッカーボール、負の安定は尾根の平らなところに置いたサッカーボールと考えて下さい。

 原発は絶えず反応を制御しなければならない負の安定です。
もし制御に失敗して暴走したら瞬間的に膨大なエネルギーが放出され、水で冷却できるものではありません。(核爆発です)
それほどの暴走にならなくても冷却に使われた水は高濃度の放射線物質を含むことになります。

今回の福島原発の事故です。
もし菅総理が決断しなければ核爆発の段階まで行く可能性がありました。
爆発すれば首都圏を含む半径300kmぐらいは人間が住めないところになっていたのです。
吉田所長は決死の覚悟で会社の命に背き核爆発を防いだのです。
核爆発の可能性を危惧し私は3月14日に西に避難しました。
万が一に備え家族全員パスポートを持参し、3月15日はセントレア空港の下見に行きました。

 一度動き出した原発は停止する事は大きな危険を伴うので、電力需要の少ない深夜も運転を続けます。
結果として電力が余ってしまうので、深夜電力として安く販売しているのです。
(現在深夜電力も大半が火力によっていますので深夜割引は非オール電化住宅の方がオール電化住宅のユーザーに補償していることになります)

 熱源で水を加熱沸騰させ、その水蒸気でタービンを回し発電するということでは原発も火力発電も同じメカニズムです。
しかし、火力発電なら事故が起こっても燃料の供給を止めればいずれ終結します。
一部地域は燃料等による汚染が起こりますが、発電所周辺が住めなくなることはありません。

原発は言ってみればガソリン満載の巨大なタンク上にある穴に直接火をつけているようなもので、燃料の供給をカットすることができません。

 福島原発では融解した核燃料を取り出すのに数十年間はかかると言われています。
取り出すまでは原子炉に何が起こるか分かるか誰も明確には答えられません。
しかも取り出す方法もこれから検討されるのです。
近くによって原子炉内部を観察できないのですから、いつ取り出せるかは誰も分かりません。
少なくとも私の目が黒いうちはあり得ません。
今年初孫が生まれますが、ひ孫の時代になるでしょう。

 日本開闢以来の惨事を招いた原発をいまだ目先の利益にこだわり、再稼働させるなんて言う人は「首から上の質が違うのではなく、腐っている」と思います。
何しろ日本は4つのプレートの品評会場です。
「どじょう」でなくて「なまず」が首相になるべきところです。

菅前総理は自分の(物理学では当たり前の)考えを全く理解できない人たちに取り囲まれてやりようがなく、怒り散らして強引に周りを動かすしかなかったと思います。

(私もサラリーマン時代、文系の幹部たちから同じ経験を何回もしています。
もっともニュートンの力学の範囲についてですが)

 質素な生活を旨として有名だった東工大卒の故経団連土光元会長なら菅さんの考えをきちんと理解し、支援したと思います。

長くなりましたが、下のはやし浩司さんの文章もぜひ読んで下さい。
文系ですが理系的な理解力も持たれていると思います。

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●日本を救った、菅直人前首相と吉田昌郎所長

+++++++++++++++++

あの日、あのとき、菅直人前首相は、
日本を救った。
それはまぎれもない事実である。
読売新聞は、以下のように内幕を伝える。

+++++++++++以下、読売新聞、2011-9-12+++++++++++

 枝野幸男前官房長官は7日、読売新聞のインタビューで、東京電力福島第一原子力発電所事故後の3月15日未明、東電の清水正孝社長(当時)と電話で話した際、作業員を同原発から全面撤退させたい、との意向を伝えられたと語った。

 東電関係者は、これまで全面撤退の申し出を否定している。
菅前首相や海江田万里前経済産業相は「東電が作業員の撤退を申し出てきた」と説明してきたが、枝野氏は今回、撤退問題に関する具体的な経過を初めて公にした。

 枝野氏は、清水氏の発言について「全面撤退のことだと(政府側の)全員が共有している。そういう言い方だった」と指摘した。

 枝野氏によると、清水氏はまず、海江田氏に撤退を申し出たが拒否され、枝野氏に電話したという。
枝野氏らが同原発の吉田昌郎所長や経済産業省原子力安全・保安院など関係機関に見解を求めたところ、吉田氏は「まだ頑張れる」と述べるなど、いずれも撤退は不要との見方を示した。
 菅氏はこの後、清水氏を首相官邸に呼んで問いただしたが、清水氏は今後の対応について明言しなかったという。
このため、菅氏は直後に東電本店に乗り込み「撤退などあり得ない」と幹部らに迫った。

 枝野氏は菅氏の対応について「菅内閣への評価はいろいろあり得るが、あの瞬間はあの人が首相で良かった」と評価した。

+++++++++++以上、読売新聞、2011-9-12+++++++++++

●菅直人前首相の大英断

 東京工業大学出身の菅直人前首相であったからこそできた、大英断である。
もしあのとき東京電力が、福島第一原発を放棄していたら、菅直人前首相が言うように、「東京ですら、人っ子1人、いない状態になっていた」。

 もう一度、読売新聞の記事を整理してみる。

(1)東電の清水正孝社長(当時)と電話で話した際、作業員を同原発から全面撤退させたい、との意向を伝えられたと語った。

(2)が、東電側は、これまで全面撤退の申し出を否定している。

(3)しかし政府側は、東電側が全面撤退を申し出てきたと、全員が認識した。
いわく、『枝野氏は、清水氏の発言について「全面撤退のことだと(政府側の)全員が共有している。そういう言い方だった」と指摘した』と。

 つまり東電側は、そういう言い方をしてきた。
その後の東電側の動きを重ね合わせてみると、東電側は、事故直後早々と、「全面撤退」を考えていたことがわかる。

「政府側の安全基準を満たしていたから、(私たちには責任はない)」(報道)などという発言もそのひとつ。

(4)原発の直接責任者である吉田氏は、「まだ頑張れる」と述べるなど、いずれも撤退は不要との見方を示した。

 これはあとになってわかることだが、吉田氏は、東電側のあいまいな指示を無視、海水を注入しつづけ、原子炉の爆発を防いだ。

もしあの段階で、吉田氏の英断がなければ、福島第一原発は大惨事を招いていたはず。

(5)ここからがとくに重要。
読売新聞は、つぎのように伝えている。

『菅氏はこの後、清水氏を首相官邸に呼んで問いただしたが、清水氏は今後の対応について明言しなかったという。
このため、菅氏は直後に東電本店に乗り込み「撤退などあり得ない」と幹部らに迫った』と。

●福島第一原発・吉田昌郎所長

 「The Wall Street Journal」(2011年5月27日)、日本語版は、以下のように伝える。

++++++++++++以下、The Wall Street Journal++++++++++++

本社の停止命令に背いて注水を続けていた福島第1原発の吉田昌郎所長、彼の判断をどう評価すべきか、社会人としていろいろ考えた人が多かったのではないだろうか。
同所長は、会社の命に背いて注水を続けたことに加え、その報告を怠って政府や国会を混乱させたことの責任を問われ処分されるという話だ。
昨日、テレビに大写しになった吉田所長は、うつろな顔をしていた。
会社の判断を無視したのは確かだ。
しかし、会社の注水停止判断は、技術者なら誰でも認めるような明らかな間違いだったのだ。
確かに、もう少し早く報告できただろうという気はする。

++++++++++++以上、The Wall Street Journal++++++++++++

 この吉田氏の行為に対して、菅直人前首相は、『視察後、首相が名指しで謝意を表明したのは東京から同行した武藤栄副社長ではなく、吉田所長だったそうだ』(日本経済新聞・4月8日)とある。

 なお東京電力側が海水の注入をためらったのは、一度「海水」を注入すると、原子炉そのものが使い物にならなくなるからである。
東京電力側は、あの場に及んでも、そんなことを心配していた(?)。

●もしあのとき……

 もしあのとき菅直人前首相ならびに、吉田昌郎所長の英断がなければ、日本は完全に沈没していた。

 事実を、よく見てほしい。

 100万キロワット(福島第一原発の原子炉1機分のみ)の加圧水型軽水炉(PWR)が事故を起こしたとする。
そのとき内蔵する核分裂精製物の量は、11577京ベクレル。
うち20%が放出されたとして、2290京ベクレル。
とほうもない量である。

 電気出力100万キロワットの原発を、数年運転すると、1万3600京ベクレルの放射性物質が生まれる。
「その量は、広島型原爆の数千発分に相当する」(瀬尾試算「原発事故」宝島社)。

 数千発分だぞ!
たった1機で、数千発分だぞ!

ちなみに、チェルノブイリでは、1880京ベクレルの放射性物質が放出されたという(京大グループ調査。)
 
が、もしあのとき福島第一原発が放棄されていたら、原子炉の爆発は避けられなかった。
それが4機+2機。
つぎつぎと爆発。

 それで計算すると、11万京ベクレルx4=44万京ベクレル(以上、瀬尾試算、「原発事故」宝島社)
チェルノブイリの比ではない。
東京都も含めて、東北地方には、人はだれも住めなくなっていた!

 その深刻さを鑑みるにつけ、菅直人前首相、吉田昌郎所長を、日本を救った大英雄と言わずして何という。
ともに東京工業大学出身であったからこそ、こうした判断ができた。
だから、枝野氏は菅氏の対応について「菅内閣への評価はいろいろあり得るが、あの瞬間はあの人が首相で良かった」と評価した。

●後書き

 やがてあの事故が、詳細に検証される日がやってくるだろう。
そしてそれがわかったとき、みな、こう言うにちがいない。

 「菅直人さん、ありがとう! 吉田昌郎さん、ありがとう!」と。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 日本の英雄 日本を救った2人の英断 はやし浩司 菅直人 吉田昌郎 日本の恩人 ありがとう)


Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司


 

  






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