2011年9月10日土曜日

*The Titanic Syndorome

【タイタニック・シンドローム】byはやし浩司(恋愛至上主義)

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映画『タイタニック』を観て、涙をこぼした
人は多いはず。
中には、10回以上も足を運んだ人(女性)も
いるとか。
当時、ワイフが、そんな話をしてくれた。

恋愛さえすれば、それがすべて。
すべてが許される。
親も兄弟もない。
友人もいない。
恋愛がすべて……。
それを恋愛至上主義という。
称して『タイタニック・シンドローム』。

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●映画『タイタニック』

 恋愛にもいろいろある。
まさに一目惚れで恋愛……というのもあれば、数年をかけ、ある日気がついてみたら、愛しあっていた……というのもある。

 映画『タイタニック』の中のジャックとローズは、まさに一目惚れ。
その瞬間から、たがいに(命がけ)の恋愛を始める。

 それが恋愛のすばらしいところと考える人もいる。
しかし同時に、それが恋愛の恐ろしいところと考える人もいる。

●脳内ホルモン

 恋愛も、脳内ホルモンの作用によって起こる。
フェニルエチルアミンというホルモンである。
一目惚れというのは、そのホルモンが、ドバーッと脳内に充満した状態をいう。
(これについては、何度も書いてきた。後述※)

 で、ふつうひとつの脳内ホルモンが分泌されると、その逆作用のあるホルモンも同時に分泌される。
たがいに中和する。
つまりこうして脳は、いつも自分の脳内を、クリア(何もない状態)に保とうとする。
これを『フィードバック』という。
しかしこのフェニルエチルアミンというホルモンには、それが働かない。
脳内に残ったまま、長い人で、3~4年。
短い人で……?

 一目惚れの程度にもよる。
繰り返しの頻度にもよる。

 『「生物学的に見れば、人間の男女の愛は4年で終わるのが自然である」。
人類学者ヘレン・E・フィッシャーが唱えた説だが、世界62の国と地域で調査した結果、結婚後4年で離婚する夫婦が多い』(「独女通信」)とか。
それも先に書いたフィードバックによって、説明できる。

●問答無用

 さて本論。

 「恋愛こそすべて」というものの考え方を、恋愛至上主義という。
最近の若い人は、日本人も、昔からそう考えていたと思うかもしれないが、たった半世紀前には、そうではなかった。

 恋愛から結婚へ進む段階においても、息子や娘は、まず親に相談。
ばあいによっては、親の許可を求めた。
家制度という、古い因習も色濃く残っていた。
(それを肯定するわけではないが……。)
恋愛イコール、結婚ではなかった。
たいはんの恋愛は、そのまま実らず、無数のブルースとなって夜の街に消えた。

 つまり恋愛するのは、当人たちの勝手としても、結婚ということになれば、そこには一定のプロセスがあった。
が、今は、そのプロセスも消えた。

 ある日突然、息子や娘が相手を連れてきて、「結婚します!」と。
問答無用というか、問答無用であることが、当然と考えるようになった。

●薄汚い魂胆

 私はあの『タイタニック』という映画を観ていたとき、こう考えた。
ジャックとローズが、男と女だから、まだストーリーが成り立つ。
しかし男と男、あるいは女と女だったら、どうなのか、と。

 さらに言えば、ジャックにも親がいるだろう。
ローズにも母親がいた。
映画の流れからして、ローズの母親は、ずいぶんとひどい女性に描かれていた。
「金持ちの息子と結婚させ……」と。
またそういう設定にしないと、ストーリーが成り立たない。

 しかしその逆のケースも私は知っている。
娘の結婚を、親がかりで推し進めたケースである。
相手の男に向かっては、「うちの娘と門限を過ぎてもつきあいたかったら、まず籍を入れろ」と迫る。
そして入籍をすませたとたん、親類縁者には、「良縁だ」「家族がふえた」と喜んでみせる。
なし崩し的に、結婚を既成事実化する。

 結婚には、常に薄汚い魂胆がつきまとう。

●名場面

 もしローズの母親が、すばらしい女性だったら、どうするのか。
娘思いで、やさしく、理解もある。
そういう女性だったら、どうするのか。

 日本風に言えば、ジャックもローズも、「親捨て」。
親を捨てた!
そこに親がいることも忘れ、欲望に溺れるまま、恋愛ごっこをする。
だいたい、2日や3日、つきあったくらいで、本物の「愛」など生まれるはずがない。
それを悲劇の主人公よろしく、凍てつく氷の海で、こう言う。

ジャック「生きて、たくさん子どもを産んでくれ……」
ローズ「ジャック……ジャック……」(記憶)と。

 『タイタニック』の中でも、最高の名場面だが、同時にそれは脳内ホルモンの恐ろしさを示す。

●民法上の欠陥?

 民法上にも、問題がある。
最近、こんな話を聞いた。

 私の町内に、A氏(55歳男性)がいる。
長い間、ある製作会社に勤め、そのときはリストラで、子会社で警備の仕事をしていた。
妻は、パートの仕事に出ていた。

 が、息子氏は、大学を卒業すると同時に結婚。
1度、退学、再入学をしているから、あしかけ6年間、大学に通ったことになる。
言い忘れたが、1人息子。

 その息子が大学へ通う間、A氏と妻は、必死で働いた。
妻がパートに出るようになったのも、息子の学費のためだった。
が、ここからが悲劇。

 ある日、息子氏が東京から帰ってきた。
「披露宴をしたいから、お金を貸してほしい」と。
そこでA氏が、「少しくらいなら、何とか……」と答えると、息子氏がキレた。
「親なら、結婚式の費用くらい、出してくれてもいいだろ」と。

 それまでも「生活費が足りない」とこぼすたびに、A氏は、貯金をおろし、息子氏に送っていた。
息子氏は、「給料があがった、返す」と、そのつど約束した。

 が、その息子氏が、あろうことか、交通事故で、そのまま死んでしまった。
結婚して、わずか半年後のできごとだった。

 A氏はこう言った。
「お金がほしいわけではありませんが、しかし親のところへは一円も補償がありません」と。

●人生の花

 話がそれたが、恋愛は人生の花。
人間がなぜ生きているかといえば、種族保存のため。
その目的はすべての動物に共通している。
恋愛のすばらしさは、私も経験している。
否定しない。

 が、同時にそれは「欲望」と深く結びついている。
しかもその「欲望」は、私であって、私ではない。
わかりやすく言えば、私たちはいつも欲望の奴隷となり、欲望に操られているだけ。
それを忘れるから、理性のコントロールがきかなくなる。

 つまり一目惚れから、一足飛びに結婚……という人は、それだけ理性のコントロールが弱い人と考えてよい。
弱いから、同時に、離婚率も高くなる。
(離婚することが悪いと書いているのではない。誤解のないように!)

 厚生労働省が発表している人口動態総のデータによれば、平成19年度に結婚した人の数が約72万人に対して、離婚した人の数は25万5000人ということになっている。
72万人に対して、25万人。

離婚率でみるかぎり、254832÷719822=35・4%!
 この数字をどう読むかだが、意外と、都会に住む人ほど、離婚率が低いというのも、興味深い(同、統計)。

 平たく言えば、恋愛至上主義のつぎにやってくるのが、「35%」という数字ということになる。

(注:結婚届を出す数が、毎年72万人。
離婚届けを出す人が、毎年25万人ということ。
結婚年数や、結婚→離婚を繰り返す人の数などは、考慮に入っていない。)

●社会制度

 欧米では、「家族」そのものが、崩壊している。
(「家庭崩壊」ではない。「家族崩壊」。)

 家族崩壊が、社会制度の中で常態化している。
だから社会制度も、それに応じて、うまく対応し、機能している。
が、この日本ではそうでない。

 社会制度が追いつかないまま、意識だけが欧米化してしまった。
その結果、老人組だけが、取り残されてしまった。
今に見る介護制度の欠陥、年金制度の不備を例にあげるまでもない。

 地方の過疎化には、目を覆う。
無縁仏の増加と、寺の無住職化。
今後約60%の人が、無縁死、孤独死を強いられる。
発見までの平均日数は、約6日。
中には、死後30日を経て発見される人もいる。
これは老人組の話ではない。
40歳以上の人たちがそうなる。

●『タイタニック・シンドローム』

 今、この日本では、恋愛至上主義が、大手を振って闊歩している。
あたかもそれが絶対的「善」であるかのように、考えられている。
もちろん映画『タイタニック』が、日本人の心を変えたわけではない。
そのずっと昔には、映画『ロメオとジュリエット』があった。
この映画も悲劇で終わったが、親の気持ちや立場が、どこにも描かれていなかった。

 『タイタニック』に至っては、さらにそうで、ローズの母親などは、むしろ悪人として描かれていた。
が、どうしてローズが善人で、ローズの母親が悪人なのか。
もしあなたがそう思っているとするなら、あなた自身も、恋愛至上主義者ということになる。

 簡単に言えば、恋愛など、そこらの犬や猫でもしている。
メカニズム的には、人間の脳内における反応と、それほどちがわない。
(あるいは同じ。)
そういうものに溺れて、「恋だ」「愛だ」と言う方が、おかしい。

 人を愛するには、熟成期間が必要。
幾多の山を越え、谷を越え、やがてたどりつく。
それが「愛」であり、「恋愛」ということになる。

 恋愛至上主義に、私はここで警鐘を鳴らしたい。

【参考※】

●恋愛の寿命

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心ときめかす、恋心。しかしその恋心
にも、寿命がある。

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 その人のことを思うと、心がときめく。
すべてが華やいで見える。体まで宙に浮いたよ
うになる……。
恋をすると、人は、そうなる。
 こうした現象は、脳内で分泌される、フェニルエチルアミンという物質の作用によるも
のだということが、最近の研究で、わかってきた。
恋をしたときに感ずる、あの身を焦が
すような甘い陶酔感は、そのフェニルエチルアミンの作用によるもの、というわけである。
その陶酔感は、麻薬を得たときの陶酔感に似ているという人もいる。
(私自身は、もちろ
ん、麻薬の作用がどういうものか、知らない。)
しかしこのフェニルエチルアミン効果の
寿命は、それほど長くない。短い。

 ふつう脳内で何らかの物質が分泌されると、フィードバックといって、しばらくすると
今度は、それを打ち消す物質によって、その効果は、打ち消される。
この打ち消す物質が
分泌されるからこそ、脳の中は、しばらくすると、再び、カラの状態、つまり平常の状態
が保たれる。体が、その物質に慣れてしまったら、つぎから、その物質が分泌されても、
その効果が、なくなってしまう。

しかしフェニルエチルアミンは、それが分泌されても、それを打ち消す物質は、分泌さ
れない。
脳内に残ったままの状態になる。
こうしてフェニルエチルアミン効果は、比較
的長くつづくことになる。
が、いつまでも、つづくというわけではない。やがて脳のほ
うが、それに慣れてしまう。
 つまりフェニルエチルアミン効果は、「比較的長くつづく」といっても、限度がある。も
って、3年とか4年。
あるいはそれ以下。当初の恋愛の度合にもよる。「死んでも悔いはな
い」というような、猛烈な恋愛であれば、4年くらい(?)。
適当に、好きになったという
ような恋愛であれば、半年くらい(?)。
(これらの年数は、私自身の経験によるもの。)
 その3年から4年が、恋愛の寿命ということにもなる。言いかえると、どんな熱烈な恋
愛をしても、3年から4年もすると、心のときめきも消え、あれほど華やいで見えた世界
も、やがて色あせて見えるようになる。
もちろん、ウキウキした気分も消える。

 ……と考えると、では、結婚生活も、4年程度が限度かというと、それは正しくない。
恋愛と、結婚生活は、別。その4年の間に、その2人は、熱烈な恋愛を繰りかえし、つぎ
のステップへ進むための、心の準備を始める。

 それが出産であり、育児ということになる。
一連のこうした変化をとおして、今度は、
別の新しい人間関係をつくりあげていく。
それが結婚生活へとつながっていく。
 が、中には、そのフェニルエチルアミン効果による、甘い陶酔感が忘れられず、繰りか
えし、恋愛関係を結ぶ人もいる。
たとえばそれが原因かどうかは別にして、よく4~5年
ごとに、離婚、再婚を繰りかえす人がいる。
 そういう人は、相手をかえることによって、そのつど甘い陶酔感を楽しんでいるのかも
しれない。

 ただここで注意しなければならないのは、このフェニルエチルアミンには、先にも書い
たように麻薬性があるということ。
繰りかえせば繰りかえすほど、その効果は鈍麻し、ま
すますはげしい刺激を求めるようになる。

 男と女の関係について言うなら、ますますはげしい恋愛をもとめて、さ迷い歩くという
ことにもなりかねない。
あるいは、体がそれに慣れるまでの期間が、より短くなる。
はじめての恋のときは、フェニルエチルアミン効果が、4年間、つづいたとしても、2度目の恋のときは、1年間。3度目の恋のときは、数か月……というようになる(?)。

 まあ、そんなわけで、恋愛は、ふつうは、若いときの一時期だけで、じゅうぶん。
しか
も、はげしければはげしいほど、よい。
二度も、三度も、恋愛を経験する必要はない。回を重ねれ重ねるほど、恋も色あせてくる。
が、中には、「死ぬまで恋を繰りかえしたい」と言う人もいるが、そういう人は、このフ
ェニルエチルアミン中毒にかかっている人とも考えられる。
あるいはフェニルエチルアミンという麻薬様の物質の虜(とりこ)になっているだけ。

 このことを私のワイフに説明すると、ワイフは、こう言った。
 「私なんか、半年くらいで、フェニルエチルアミン効果は消えたわ」と。私はそれを横
で聞きながら、「フ~ン、そんなものか」と思った。さて、みなさんは、どうか?

(はやし浩司 恋愛 恋愛の寿命 フェニルエチルアミン ドーパミン効果 麻薬性 は
やし浩司 恋の寿命 恋の命 恋愛の命 脳内ホルモン フィードバック (はやし浩司 
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●恋愛至上主義

 恋愛至上主義は、まさにアメリカからもたらされた、「社会毒」と考えてよい。
今の若い人たちを見ると、それがよくわかる。
「恋こそすべて」と考えている。
また「愛があれば、すべて許される」と考えている。
それがある一定の範囲内にあれば、まだよい。
それが過激なほどまでに、行きすぎてしまっている。
が、そんなものは「愛」ではない。
脳内ホルモンの奴隷になっているだけ。
さらに言えば、本能の奴隷になっているだけ。

 ただし、それが悪いというのではない。
それが原点となって、もろもろのドラマが展開される。
人間の行動の原点にもなっている。
だからあのフロイトはこういう言葉を使った。
「性的エネルギー」。
「人間のすべての行動の原点には、性的エネルギーがある」と。

 それを補完すべく、最近の大脳生理学は、つぎのように説明する。
「子どもの気力」について書いた原稿だが、「性的エネルギー」を説明するのには、わかりやすい原稿と思う。

 またまた少し回り道をするが、許してほしい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●子どもの気力

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最近の研究によれば、生命の根源、つまり(生きる
力)の根源は、どうやら脳の中枢部にある、視床下部
というところにあることがわかってきた(アメリカ・
サイエンス誌・2009)。
そこから脳みそ全体に、強力なシグナルが発せられ、
それが脳みそ全体の活動の根源、しいては人間の
生命活動の根源になっている(?)。

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●強力なシグナル

「強力なシグナル」と書いたが、当然、個人差がある。
シグナルの強い人もいれば、弱い人もいる。
そう考えてよいことは、特別養護老人ホームにいる
老人たちを見ればわかる。

先日も久しぶりに、母がいたホームを訪れてみたが、
その中に1人、こんな女性がいる。
年齢は今年95歳になるという。
母が1年半前に入居したときもそうだったが、そのときも、
大きな声で、看護士や介護士さんたちに向かって、こう言って
叫んでいた。

「飯(めし)は、まだかア!」
「わっち(私)は、何も食べておらんぞ!」と。

大半の女性たちは、(そこは女性専用のフロアなので)、
ぼんやりとした表情のまま、時間をつぶしている。
何割かの女性は、大きな車椅子に横になったまま、鼻からチューブを
通して、一日中、眠っている。

そういう中なので、よけいにその女性が目立つ。
恐らく視床下部からの指令を受けて、ドーパミンが大量に分泌され、
それが線条体という組織を刺激しているのだろう。
性欲、食欲など、人間の欲望は、こうして生まれる。
おなじ高齢者なのに、たとえば私の母もそうだったが、
自分の意思をはっきりと持っている人もいれば、そうでない人もいる。
このちがいこそが、シグナルの強弱ということになる。
私という素人が考えた仮説なので、あまりあてにはならないが、
しかしそう考えると、子どもの世界がよく理解できる。

●萎縮した子ども

 たとえば親の過干渉、あるいは過関心などで精神活動そのものが、
萎縮してしまった子どもがいる。
「萎縮児」とも呼ばれる。
覇気(はき)がなく、おとなしく、静か。
自我の核形成も遅れ、つかみどころがない。
何を考え、何をしたいのかも、よくわからない。
一見、従順で、人なつっこい。
好奇心も弱く、遊びといっても、ごく限られた範囲で、
同じことしかしない。

一部が萎縮しているというよりは、人格全体が萎縮している。
あるいは何らかの原因で燃え尽きてしまった子どもや、
荷をおろしたように無気力になってしまった子どもでもよい。
そういった子どもを見ていると、脳の中枢部、つまり視床下部
あたりから出るシグナルが、弱いのではないかと考えてしまう。
このばあいは、親の過干渉、過関心などで、脳の機能そのものが、
変調したと考えられる。

(本当にそうであるかどうかは、わからないが……。)
つまり私たちが俗に言う、「気力」というのは、そういうものでは
ないか。
「やる気」と言い換えてもよい。

●視床下部

 先の女性でいえば、95歳という高齢にもかかわらず、食欲だけは、
異常に旺盛。
それが好ましいことかどうかという判断は別にするとして、視床下部
あたりから出るシグナルが、人一倍強いことだけは、確か。
それがその女性の(生きる力)の根源になっている。
だからまわりの看護士や介護士さんたちは、みな、こう言う。
「こういう人は、100歳まで生きますよ」と。
実は私の母も、今年(08年)の2月ごろまでは、その女性に、
勝るとも劣らないほどの生命力をもっていた。
一個の茶菓子を取り合って、テーブルの向かい側に座っている
別の女性と、ものを投げ合って喧嘩までしていた。
が、2月ごろ、脳梗塞を起こした。

そのあと、別人のように、静かで穏やかになってしまった。
私が見たところ、生命力そのものが、その日を境に、しぼんで
しまったかのように感ずる。

●エネルギーの根源

 こうしたことから、私たちがいうところの(気力)というのは、
脳の奥深くにある根源的な部分から生まれると考えてよい。
視床下部から発せられるシグナルならシグナルでもよい。
そのシグナルが、やがて(気力)につながっていく(?)。

(そうでないかもしれないが、ここでは、そうであるという
仮定の上で、話を進める。)

そのシグナルが強い人は、あらゆる面で旺盛な気力を示し、そうでない
人は、そうでない。
では、どうすればよいのか。

こと子どもに関していえば、子どもというのは、あるべき環境の
中で、あるべきように育てれば、自然とそういう力を発揮する。
DNAレベルで、そのようにプログラムされている。
が、ここでいう気力にしても、それをつぶすのは、簡単。
ガミガミ、ガンガンと、子どもを叱りつづければよい。

ついでに親の気分で、罵声を浴びせたり、暴力を振るったりすればよい。
無視、冷淡、育児拒否などがあれば、さらに効果的。
子どもは、確実に萎縮する。
動作そのものが、緩慢になることもある。

(あるいは同じような家庭環境であるにもかかわらず、反対に粗放化する子どももいる。
親の過干渉、過関心に抑えられてしまった子どもが萎縮児、
それに反発し、やり返した子どもが粗放児と考えるとわかりやすい。
同じような環境であるにもかかわらず、兄が萎縮し、弟が粗放化する
というケースは、多い。)

●環境

 わかりやすく言えば、(気力)を奪うのは、環境ということになる。
とくに親の接し方ということになる。
だから英語では、「教育」を、「education<educe(引き出す)」という。
つまり能力は、すべての子どもが平等にもっている。
あとはそれを(引き出すか、つぶすか)、そのちがいによって、
子どもは伸びたり、反対に萎縮したりする。
それが教育ということになる。

 なおここで「脳の機能が変調した」という言葉を使った。
これは私が使い始めた言葉だが、ひとつの例として、夜尿症(おねしょ)
がある。
本来なら睡眠中は、脳の命令によって腎臓での尿の生産が抑制される。
が、脳の機能が変調すると、その抑制に乱れが生ずる。
最近では、それが夜尿症の原因と考えられている。
だから夜尿症にしても、ここに書いた子どもの気力にしても、
(しつけ)によって、どうこうなるような問題ではない。
いわんや叱ったり、説教したりして、なおるような問題ではない。
(心の問題)というより、(大脳生理学の問題)。
そういう前提で、こうした問題を考える。

 ずいぶんと荒っぽい書き方をしてしまったが、大筋ではそれほど
まちがっていないと思う。
大切なことは、無理や強制などで、子どものやる気を奪ってしまわないこと。
一度幼児期に萎縮させてしまうと、その後遺症は一生つづくと言っても
過言ではない。

(はやし浩司 Hiroshi Hayashi 林浩司 教育 子育て 育児 評論 評論家
子どもの気力 子供の気力 子どものやる気 子供のやる気 視床下部 ドーパミン
ドーパミン効果 夜尿症 おねしょ 萎縮する子供 萎縮児 緩慢動作 緩慢行動)


Hiroshi Hayashi++++++Sep. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【年長児と音遊び】










Hiroshi Hayashi++++++Sep. 2011++++++はやし浩司・林浩司


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